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参加している合同誌の原稿執筆の作業が一区切りついたので、久々ですが通常の投稿です。
(今回の投稿の後はまた同人再録作品をいくつか投稿する予定ですが、通常の投稿までは間が空く事になるかもしれないです。すいません…)
磯風は床に寝転がり、ぼんやりと雑誌を読んでいた。その表情はいかにもつまらなそうだ。それでも無言でページをめくっていたが、やがてそっと目をつむり、ふっと鼻で軽くため息をついた後に、寝転がったまま雑誌を閉じて自身の横に置いた。
そして、彼女は言う。
「しかし男ってモンはとことん下らないな。会うヤツ会うヤツ下心丸出しで相手をする気など失せる」
そんな彼女の独り言に対してこんな声が届いてくる。
「……で、そんなこと言ってるお前が今いる場所も、そのとことん下らないモンが住んでる部屋なんだけどな?」
それを聞き、そっと目を開いた磯風は微笑を浮かべ、声のした方へと、顔だけをゆっくりと向けた。その視線の先には文庫本を片手に床に座り込んでいる男が一人。
「何が言いたいんだ、司令?」
と、磯風が問う。
司令、と呼ばれた男は磯風の上官である。彼女の所属する艦隊の司令官であり、提督と呼ばれる場合の方が多い。その提督はと言えば、表情は実に複雑そうである。
「そんなもんこっちが聞きたいんだけど」
とだけ、彼は言った。磯風は微笑をそのままに、深い紅色の瞳を特徴とする目だけを細める。
「ああ、下らないモンの部屋でごろ寝しているのが気に入らんか?」
「それだけじゃねえよ」
「では、何だ?」
そう聞かれて提督は少しばかり逡巡を見せた後、こう言った。
「自分からフッた相手の部屋にいちいち押し掛ける神経が分かんねえって事」
それを聞いた磯風は、クククッと笑い、そして言う。
「別れ話を切り出した時の貴様は痛快だったなあ。平気な素振りをしようとしている割には明らかに落ち込んでいて実に滑稽だった」
「……うるっせえよ」
提督は吐き捨てるようにそう言った。実はこの二人、以前は恋人同士の関係にあった。だが磯風の方からその関係を断ってしまったのである。しかしながらどういう訳か、彼女は今もなお提督の私室をたびたび訪問する。普通はそんな行動など気まずいであろうにもかかわらずである。少なくとも提督はそういった気まずさを感じている訳であり、事あるごとに自室に上がり込んでくるこの元カノに微妙な忌々しさを覚えているのが実情である。一方、磯風は以前の関係など無かったと言わんばかりに飄々とした態度。当然、目の前にいるそんな相手が自分を嘲笑うような言動を取っているのだから、提督にとって面白いはずがない。
自分を見つめながら不快そうな表情をしている提督を見つつ、更に磯風はクスクスと笑った。
「だから、何が面白れえんだよ?」
提督は募る苛立ちと共に言う。
「いやなに、イジメの楽しさとはこういうものかと思ってな」
実際、磯風のその表情を見れば楽しそうに見える。それに対して提督は聞く。
「……お前、実はサディスト?」
「さぁな。少なくともこうやって貴様に嫌がらせをするのは悪くない」
やはり面白くない、そう思いながら提督が、
「他にやる事ねえの?」
と聞くと、
「邪魔か?」
という逆質問が返ってきた。だから提督は更に言う。
「当然じゃねえか。他の仲いい艦娘の部屋にでも行った方がよっぽどマシだろうしな」
微笑を浮かべたままそれを聞いていた磯風はそのまぶたをほんの少しだけ広げ、言った。
「フフ、それも悪くはないが、今はこの部屋がいい。司令の馬鹿ヅラを眺めるのもオツなもんでなあ?」
「ふざけてんなあー……」
実に不快そうな顔をしながら、提督は磯風から手元の文庫本へと視界を切り替えた。
提督は本を広げて読書を再開したものの、何故か視線を感じてしまい肝心の文章が頭に入って来ない。今、この部屋には二人しかいないのだから当然、その視線の源流は磯風である。
「……なんだよ」
そう提督が再び顔を上げて聞くと、
「言っただろう? 『司令の馬鹿ヅラを眺めるのもオツだ』とな」
相変わらず微笑を浮かべたままの磯風がそう返してくる。提督は内心呆れつつ、コイツの視線を自分から逸らせる為にはどうすればいいかと考え、ふと思い当たった事がある。そしてそれを口にしてみる事にした。
「そういや聞いたぞ、まーた別れたんだってえ? 本当長続きしないなお前」
そう言われた途端、磯風は一瞬キョトンとした表情をしたものの、すぐに元の微笑を浮かべた表情に戻り、
「……そういうもんだろう。こっちが違うって思ったんだからな」
そんな風に実にあっさりそう言い切った。提督は内心苦いものを覚え、悪態を吐く。
「お相手も可哀そうにな……見た目良くても中身これだから結果オーライかもしれんが」
「ほー、言うなあ?」
ははっ、と笑いながら磯風はそう返した。
「それくらいは言っても良いだろ。一応被害者よ、俺も?」
そう提督が言うと、
「……はんっ」
とだけ声を発して、ようやく磯風は提督の望んだとおり、彼から視線を外してその顔を天井へと向けた。
ようやく少しは落ち着いて読書が再開出来ると思い、文庫本に目を落とすと、今度は磯風がこう言ってきた。
「ところで、貴様は交際を申し込まれているらしいな? 今度は軍とは関係の無い人間のようだが」
「……何で知ってんだよ?」
提督は不思議そうな表情でそう言い、再び顔を上げると、磯風は相変わらずの微笑で天井を見つめたままである。そして彼女は言う。
「貴様のようなヤツでも鎮守府内じゃ人気があるからな。いくら私でもその手の噂はすぐ耳に入る」
「そんなもんかねえ……」
提督は首をひねった。すると磯風がこう聞いてきた。
「保留にしているそうじゃないか。返事はどうするんだ?」
「そこまで知ってんのか……」
「ああ」
「正直、今すぐ回答するかどうかは迷っててな」
どうやらこの話は鎮守府内に広まっているらしいと分かった提督はそう答えた。
「……何故だ?」
と、磯風が聞くと、
「何となく、だな。お前みたいな地雷踏んでもアレだしよ」
そう提督は返した。それを聞いた磯風は、フッと笑うと、
「あんまり待たせるのも考え物だと思うが?」
と聞いてくる。彼女の事をしつこいと感じたのだろうか、提督は口を曲げて、
「うるせえなあ。まあ、別れたお前には何の関係もねえから変な気回さなくていいぞ? どうするかは俺が決める事だしな」
と吐き捨てる。
それを聞いた磯風は再び目をつむって、こう言った。
「まあ、いい。貴様はフラれた女を部屋に通す程度には寛容な男だからな」
ところがそこで、提督がこんな一言を放った。
「いや、俺もう寛容じゃ無くなるかもしれないぜ?」
「……?」
すると磯風のまぶたが今度はすぐに開く。
「迷ってるとは言ったけどさ。正直、あの子は無しって感じあんましないんだよな、むしろかなりアリだなあとは思っててよ……」
「…………」
「そうすっとお前ここに入れる訳にはいかなくなるわな普通。別れちゃいるけど、他の女が自分の部屋に出入りしてるとか不味いからなあ」
提督は自分の気持ちを整理する為か、目を伏せた状態で話していたせいで、磯風の顔からゆっくりと微笑が消えていった事には気付かなかった。
「まあ、そんなとこだ。あの子に関しちゃな」
提督がそう言っても、磯風は黙り込んだままだ。やっと下らないおしゃべりを止めてくれたか、そんな風に提督は考え、もう一度読書を再開すべく文庫本に目を通し始めた。
そして、ほんの少しばかりの時間が経過した。
「……断れ」
磯風が突然、そう言った。
提督がまたも不思議そうな表情で彼女の事を見ると、磯風は先程と変わらず天井を見つめたままだ。彼女の発言の意図が把握出来なかった提督は聞く。
「うん? 何?」
「例の女の話だ。断れ」
磯風がまたも訳の分からない事を言い出している。だから、戸惑い気味に提督は言う。
「……なんだよ、いきなり?」
「いきなりも何も無い。良いからそんな話はさっさと断れっ」
磯風のその口調にはそれまでの余裕のようなものが無く、むしろ苦しげであった。しかし、提督にとってその発言内容は理不尽そのものである。だから彼は、
「何でお前がそんな事で俺に指図すんだ? さっき言っただろうよ、こんなのお前には関係……」
と言いかける。すると突然、磯風が、
「おめでたい奴だなあああっ!! 貴様はああああっ!!」
と、提督の言葉を遮り、怒声を上げた。彼女のこの様を見て提督は眉をひそめる。突然の大声に驚いたというのはもちろんあるが、この場合は磯風が安直に激昂するような真似をしないタイプなのは流石に良く知っているから、そんな彼女の態度に疑問を覚えたという側面が大きい。
「……ああ、おめでたい。心底関係無いと思い込んでるんだから実におめでたいよ貴様という男は……。あまりにもおめでた過ぎて殺してやりたいくらいだ」
そう言って磯風は上半身をゆっくりと起こした。顔は俯き気味だが、提督の見たところ、彼女の目の焦点がどこに合っているのかは分からない。
そして提督の方向へとまずは視線、そして顔を向けた後、フラリと磯風は立ち上がった。
「……司令の存在を知って、他の男で満足出来るようになると思うか?」
そう言いながらおぼつかない足取りで提督へ、ゆらりゆらりと近づいていく。その表情は先程のそれからは想像も出来ない程の悲痛さに満ちていた。
そして磯風は提督の眼前に立つ。
「……無理なんだよ。貴様は重大な罪を犯した。知ってはいけない感覚を私に教え込んだんだ」
そう言って磯風はゆっくりとかがみ、提督の手から彼の文庫本をそっと奪い取って、それを脇へと投げ捨ててしまう。
続いて彼女は提督の胸倉を掴んで、言った。
「貴様と別れた本当の理由を教えてやろうか? 私は別に貴様が嫌いになったんじゃない。だがな、貴様のそばにいると気分が悪くなるんだ。何故かって? さっき言ったな? 『貴様は鎮守府内じゃ人気がある』とな。鎮守府の他の奴らは私とは関係無く貴様に楽しそうに話しかけてくるんだ。そんな貴様が鼻の下を伸ばしているのを見るたびに舌打ちの連続だ」
唖然としている提督を相手に磯風は更に言葉を続ける。
「だから私は考えた。不快感を感じたくないのなら遠ざかれば良いんだとな。その後その原因がどうなろうと知った事ではないからな」
磯風の険しい目つきが更にキッと鋭くなる。
「それで貴様と別れたんだ。確かにその時は胸のすくような思いだったよ。こんな女にだらしのない奴に悩まされないで済むんだからな」
磯風がそんな事を考えていたなどとは思いもよらなかったのであろう、彼女を見つめたまま無言の提督。そして、そんな提督を睨み据えたまま磯風はこうも言った。
「で、それを実行に移したその後がどうなったかも教えてやろう。結局これじゃない、これじゃない、の繰り返しさ。それで改めて一人きりになって鎮守府を見回してみろ? 私がいないのをいいことに、『結局、こいつか』なんて思った男が他の女共から今まで以上に寄ってたかってチヤホヤされてやがる」
その実、磯風という艦娘は普段ここまで多弁なタイプではない。ここまで喋るのも、十七駆のメンバーを除けば、提督の前でだけだと言っていい。そして、その事に提督は気付いていない。彼自身は他人の事をあれこれと詮索するタイプではないのだから、その結果として自分の視界の中にいる磯風しか知りようがないという事情はある。従ってある意味当然ではあるものの、提督からすれば磯風とはこんな子だという意識はあっても、自分が居ない時の彼女の姿を知らない以上、自分の前にいる時とそれ以外で印象が異なっている事など把握しようがないし、ましてや彼女は何故自分の前でだけ印象が変わるのかなどという疑問には至りようが無い。
だから、提督は怪訝そうな表情と共にこう言ってしまう。
「結局、テメエの都合で別れたって話だよな? 何でそれで俺が文句言われてんだ?」
それを聞いて磯風は悔しさを込めて歯を食いしばった。そして、
「貴様が、分かって無いからだろうがっ!」
と、強い声で言う。依然、訝し気な表情のままの提督を相手に更にこう言った。
「全然分かって無いんだよ、貴様は。微塵も、分かって無い……」
もはや声が震えている。そんな磯風の表情には悲哀さえ込められていた。
「初めてだよ、顔を見るたびに浮ついた気分にさせられる相手は……。今思えば会ってすぐだった気がするがな」
相変わらず磯風は提督の胸倉を掴んだままそう言う。
「だから貴様を捕まえるのに必死だったよ。その為に自分を装う事だってやったんだ。今もそうだ」
ここで、提督の表情が微妙に変わった。どうやら、自分の見ている磯風の姿が、そうでないときの彼女のそれとは異なる事に気付き始めたらしい。
「やっと捕まえたと思っても貴様は他の奴らに良い顔してばかりだ。苦しさで押し潰されそうな私を放ったらかしにしてなぁ?」
実に辛そうな表情の磯風はこれまでの鬱憤をぶつけるように、こう提督を怒鳴りつけた。
「『被害者』だあ!? 私のそばで苦しみを与え続けて随分と偉そうな事を言うじゃないか!! なあっ!?」
ここまで言われた事で、ようやく提督は磯風が自分の元を離れていった理由を理解し始めた。磯風はおそらく独占欲が人一倍強い女の子なのだろう。何としても彼をものにしたいから、磯風は自己の一部を偽ってでも提督に近づくという選択をしたのである。そして偽った性格を提督本人は磯風の本来の性格であると思い込んでしまった。自己を偽るというのは程度の差こそあれ苦痛を伴う。そんな状態に彼女はひたすらに耐え続けていたのである。そして、当然ながら提督はその事に気付く事は無かった。代わりに磯風に与えられたのは、提督が他の艦娘に対しても親しげに接している事に対する嫉妬心に耐え続けるという、更なる苦痛であった。提督自身には自覚が無かったのだが、彼の態度は引き続き他の艦娘の羨望の眼差しを浴びると同時に、磯風の神経を負の方向へと刺激するには十分だったのである。
いくら磯風といえどその境遇には耐えかねたのだろう。結局、彼女は提督と別れた。苦痛から解放される為には、当時はそれ以外の手段を思い浮かべようが無かったからだ。その際の提督の反応は磯風にとって、ちょっとした仕返しとしての効果は十分であった。だからと言って、彼女の中で提督に対する未練が無くなった訳では全く無い。むしろ未練しかなかったと言って良いのだが、それを認めたく無いのか、あるいは提督に対する当て付けか、それとも提督の存在を補完したいからなのか、もしくは完全な代替品を求めたのか、磯風は複数の男と交際を重ねた。ところが、それは逆効果と言っても良かった。彼女がその過程で捕まえた男は、あらゆる面で提督に劣る男ばかりであったからだ。一方、提督はと言えば、文句をたれ、不満気な表情をしつつも、結局はそんな自分の事を温かく自室に迎え入れてくれる。その居心地の良さたるや、まず他ではありえない。
しかしながら、そんな提督がいよいよ他の女に奪われようとしている。しかも、提督自身もその気で、更には磯風からその居場所を取り上げようとしている。焦らない事があろうか。怒らない事があろうか。
だが、それでもなお提督にしてみればまだ疑問はある。彼は磯風に対して、冷めたようなまなざしでこう問いかけた。
「仮に俺がこの話断ったとしてだ。結局、磯風さんのご希望は一体何なんすか? 俺とよりを戻す事っすか?」
「……他にあるのか?」
提督は磯風のこの発言を聞いて、軽くため息をつき、視線を横に逸らした。しかし、またすぐに彼女に目を合わせて、こう言った。
「まあ、ねえだろうけどよ。そしたらお前また苦しい思いするだけだぜ? 俺は場所や相手次第で空気読むくらいの事はするかも知れねえけど、自分に嘘つく真似はしないからな?」
「…………!」
息を呑んだ磯風は懊悩に不安をないまぜにしたかのような表情で提督を見つめ、体を震わせるだけになってしまった。やがて、提督の胸倉をつかむ手から力が抜ける。
ようやく提督は解放されてホッとするが、磯風の表情がすっかり虚ろなものに変わっている事に気が付いた。そんな彼女はまるでゾンビか何かのようにフラフラと部屋のドアに向かって歩き出し、そのまま外へと出て行ってしまった。提督は結局、重力に負けて折れかけているかのような磯風の背中を見つめるだけで、彼女に対して声をかける事は出来なかった。
それ以来、磯風が提督の部屋を訪れる事は無くなった。それどころか、公私関係なく提督の視界に姿を見せる事も無い。部下を監督する立場に立つ人種であれば、そんな磯風の勤怠について問いただす場合が多いのであろうが、この提督は余程の事が無い限り別段そういった行動をとる訳でもなく、艦娘の自主性を極力尊重するタイプである。裏を返せば、部下の管理については横着とも言えるし、別に磯風が今いなくても、必要な時に呼び出して必要な指示を下せばよいと考えるような、合理的とも、ドライで冷淡とも言える考え方の持ち主であるとも言えた。だから磯風が自分の前に姿を見せない事について、別段不審がるといった態度を周囲に見せる事も無かった。
そのせいだろうか、他の艦娘も磯風の動向を探るような真似をする者など無く、ただ提督に声をかけられた者がその指示に応じて粛々と仕事をこなし、手が空けば各々が好きな時間を過ごし、場合によっては提督と雑談に花を咲かせるといった時間を過ごしていた。
そして、最後に磯風が提督の部屋を出て行った数日後の、午後一番とも言える時間帯、鎮守府の食堂は大勢の艦娘達で賑わっていた。
提督もまたその場におり、食事後の雑談を楽しんでいた。
そんな中、とある艦娘の一人が提督に対して興味津々な表情でこんな質問をした。
「結局、提督ってその方とは付き合うんですか?」
それに対して、
「お、それか。その話は俺もさ……」
と提督が言いかけたところで、その顔が誰かしらの手で掴まれ、横方向を向けさせられた。何かと思っていると、その唇にフワリと温かい物が接触した。状況を理解するのにほんの少しばかり時間を要したが、どうやら口付けをくらっているらしい。そんな事をしでかしている相手が誰か、その雰囲気から察しがついた。
ようやく相手が自分の唇を解放すると、その相手は案の定、磯風であった。訝し気な表情の提督をよそに彼女は騒然としている周囲を見渡して、
「悪いなあ、司令は私のだ!!」
と、宣言するように大きな声でそう言った。
「えっ!? ちょっとアンタ提督と別れたんじゃなかったの!?」
という声が聞こえたが、
「気が変わったんだ!! 結局私には司令しかいないんだよ!! 貴様らが色目を使うようだったら容赦しないぞ!?」
と、磯風は明るい表情と共にはっきりとした声で言い切る。そして、提督の腕を抱え込むように掴んでその場から引きずるように連れ去ってしまった。
「強引にも程があるだろ……」
歩いたままではあるが、それなりに食堂から離れて周囲に人もいなくなったところまで連れてこられてから、呆れたように提督は言った。
「そうか? 貴様が私のものだという事を周囲に印象付けるには最適だと思ったがな」
そう答える磯風は不敵な微笑みを浮かべたままである。
「だからって、大胆過ぎないか?」
そう提督は聞くが、磯風はこう答える。
「自分に嘘を吐くのを止めただけだ。あれから考えたんだが、これからは堂々と周りに言っていくのが最善だと思ってな。それを実践していく事にしたよ」
それを聞いている提督は難し気な表情を彼女に送っている。そんな彼に対して、
「我慢して辛いのなら、我慢しなければ良いのだからな」
と、磯風は言った。更には、
「交際を申し込んできている女がいたな? だからその女の前でも私は……」
と、そう言いかけたところで、提督がこう言った。
「あの人ならもう断ったぞ?」
途端、磯風は、
「……え?」
とだけ言葉を発して歩みを止めるとともに、提督の方を見た。その表情は提督が今まで見た事も無い程に呆けたものであった。
「……案外勢いだけで行動するよなお前」
そう言って提督は軽く鼻でため息をついた。
「ええっと、何故だ?」
相変わらず呆けた表情のまま、間の抜けたような質問をする磯風。それに対して視線に宙を向け、頬を指でかきながら提督はこう言いだした。
「ま、お前が辛い思いしてる事に気付いてなかったっていう反省だよな。こないだの件で考えてたんだけどよ、お前が我慢してるのに俺がそのままで良いって話にはならねえよなってのは思わされてだな」
そこで提督は一旦言葉を区切る。
「辛いんならせめて言葉で伝えてくれってのは思ったんだけどな。それがキツイからあんな事やってたんじゃねえのってのもあったし。俺が分かろうとはしてなかったよなってのも思ったんだわ」
そう言って、提督は磯風の目を見てこう言った。
「うん、だから結局のところ俺もお前の事きちんと分かろうとしなきゃダメなんじゃねって話。こんな俺なんかで良ければやり直さないかって言おうとは思ってたんだが……」
その途端、磯風が提督に抱き着いてきた。
「……遅いぞ。だが、合格だ」
そう言う磯風は体を震わせている。
「……もしかして、これってアリ?」
提督はそう聞く。それに対して磯風は、
「他の女ならナシだろうがな、私にとっては十分にアリだ」
と、瞳を濡らしつつ、嬉しそうに答えた。
鎮守府の敷地内には港や海を見渡せる丘がある。その丘の頂上に座ったまま、提督は言った。
「結局、言葉と態度だけじゃ足りないって事か?」
「ほんの少しばかり違うな。傍にいる時の温もりだよ。貴様には分からんだろうが……」
穏やかな口調で提督に向かって言う磯風。彼女は足を伸ばして座る彼の太ももを枕代わりに、のんびりと寝転がっていた。
「色々と分かって無いのは分かったけどよ、どこまで分かれば良いんだか……」
提督は少々悩んだような表情である。それを見た磯風はフッと笑い、
「まず、そこが分かればいい。後は私がじっくりと時間をかけて、確実に教え込んでやる」
そう言ってそっと片手を上方へと伸ばし、提督の頬を撫でる磯風。
提督はと言えば磯風に撫でられてこそばゆいような表情だ。彼はこの磯風という艦娘が自分を諦める事など決して無いという事をもはや確信していた。それまで深く考える事は無かったが、その気持ちを推し量る限り、普段の印象とは裏腹に、常人ではありえない熱量を磯風が自分に向けていると考えざるを得ない。別段そこに不満があるという事は無いのだが、これから先において自分がどのような目に合うのかという不安は残る。何せ、これまでの経緯を振り返ってみれば、提督一人を手に入れる為に、その性格にはそぐわないような行動さえ敢然と取ってきたのが磯風なのである。
「……何を教え込まれるんだかなあ」
そう提督が言うと、
「色々と考えてるから楽しみにしていろ」
という磯風の返答が聞こえた。しかし、到底楽しみに出来る代物とは思えないと感じた提督は言う。
「ヤベえもんじゃねえよな?」
「……受け止め方は人によるとは思うがな?」
その返答を聞いて提督は軽くため息をつく。
そんな提督の姿を楽しげに眺めながら、磯風はこう言った。
「ふっ、司令の事はこの磯風が生涯の伴侶としてこき使ってやる。ありがたく思え」
いつの間にか提督はこの先死ぬまで、磯風の従僕のような存在として扱われる事が、彼女の中で決まっていたらしい。
「偉そうだなぁおい。何でそうなるんだよ……」
呆れかえった表情で提督は言う。それに対して磯風はこう答えた。
「ふふっ、貴様を繋ぎ止めておかないと私が辛いからな。……別に悪い話では無いだろう?」
「まあ、お前がそれで良ければ、良いけどよ」
そんな提督の返答を聞いた磯風は途端に嬉しそうな顔をして、手招きをする。流石に提督も心得たもので、上半身をかがめて磯風の唇をふさいだ。更には磯風の両腕が提督の背中に回される。
やがて顔が離れると、磯風が熱い視線を提督に投げかけたまま、
「もう、逃がさないぞ?」
とだけ、言った。
「……好きにしろよ」
そう答えたのは提督である。その返答がよほど嬉しかったのか、再び磯風は力強く提督を抱きしめた。
そしてそのまましばらく時間が経過した後、提督が問う。
「お前、いつまでこうしてるつもりだ?」
それに対して磯風はこう答える。
「私が、満足するまでだ」
磯風が見せているその表情は実に幸せそうだ。かつて無い程、と言って良いだろう。
そして、頭を提督に撫でられながら、甘えるようにその体を彼にすりつける彼女の姿はまるで大きな猫のよう。もはや止め時などこの二人にすら分からなくなっていたが、それに対して抗いがたい魅力を双方が覚えていたのもまた確かであった。
結局のところ、今現在のこの状況は、磯風と提督という、そんな二人の過去と未来の縮図でしかないのかもしれない。