夕飯の定刻である18時30分のきっちり5分前に着席した結城京子は、カトラリーを手に取ってから明日奈をちらりと見る。
そのアイコンタクトを受け取った明日奈はいただきますと挨拶をして結城家の夕食はいよいよ始まるのだが、今日は少しばかり予定を変更した。
明日奈は1つ深呼吸をする。
「母さん、少し時間いい?」
左斜め向かいに座る母へと声をかける。
「……何? 要件があるなら手短にしてちょうだい。料理が冷めてしまうわ」
京子は持っていたカトラリーを元あった場所に戻し、少々焦れったそうに視線を向けてくる。
確かに目の前に広がる品々を前にして食べるのを待たせるのは申し訳ないと思いつつ話を切り出す。
「ごめんなさい。実は母さんに渡したい物があって……」
そう言って明日奈は普段兄が座っている左隣の椅子に置いてある小さな黒色の紙袋を手に取り、京子に差し出す。
本来なら夕食後の方が良いのかもしれないとは思ったのだが、それでも渡すなら早く渡したいと思った。
ここ数日京子は出張に出ていたので、明日奈が夕食を共にするのは京都旅行の前日以来だ。
紙袋を受け取った京子は中身を確認すると、キューブ型の箱が1つ、入っていた。
箱を取り出して開けてみると……そこには一対のイヤリングが照明の光に反射してキラキラと輝いていた。
よく見ると形は花の輪郭を模しており、花弁は透明度の高い樹脂によって埋め尽くされている。
樹脂は綺麗な紫色に染まっている。
「京都旅行に行った時、母さんへのお土産で買ったの。まだちゃんとお礼できて無かったから」
「……お礼?」
「うん。私達が本家の屋敷に泊まれたのは母さんが本家の人達にお願いしてくれたおかげでしょ?」
「……そんなもの、礼を言われるほどのことではないわ」
「それでも、そのおかげで楽しい思い出をたくさん作ることが出来たの。それに……」
そこで一旦口を閉じ、ゆっくりと続きを話す。
「それに……今までも私の為にたくさんの事をしてくれてたのに何もお礼出来てなかったから……。今までの感謝の気持ちも含めてのプレゼントなの」
「…………そう」
それだけ言った京子は箱の中で輝くイヤリングをじっと見つめている。
今までの母親との関係ならば、プレゼントを送ろうなんて考えには至らなかった。
だが先日、ALOの我が家で本心をぶつけ合ったおかげで、前よりも母親を近くに感じることが出来ている……ような気がする。
だから今までの感謝も含めてプレゼントを送ろうと思ったのだ。
京都での旅行も終盤になった頃、京都駅の近くにあった小さな雑貨店に訪れた。
その時に木綿季と2人で選んだのがこのイヤリングだ。
このイヤリングをプレゼントに選んだ理由はいくつかある。
その理由の1つはこのイヤリングの形と色。
このパープルカラーのイヤリングは花の形を模して作られている。
花の種類はカーネーション。
そして紫のカーネーションが持つ花言葉は……《気品》
自身を律し、身だしなみを整え、計画性のある行動をすることで毎日仕事に追われる忙しい日々ながらも毅然とした態度を崩さない。
そんな母にピッタリな花だと思った。
ただカーネーションは特徴的な形状をしている。
カーネーションと分かった際に花言葉の意味までも知られるのは顔から火が出るほど恥ずかしい。
一般的なカーネーションは剣弁咲きという種類の咲き方をする。
だから丸弁咲き、というカーネーションでは珍しい咲き方をする形の物を選んだ。
2つ目はこのイヤリングの特性。
このイヤリングには少し変わった仕掛けが施されていて、それを店員から聞いた明日奈と木綿季はこのイヤリングを買うことに決めた。
その特性というのは……
未だイヤリングを見つめている京子に明日奈は話しかける。
「母さん。そのイヤリング、ちょっと面白いアクセサリーなんだよ。両手で20秒くらい包み込んでみて」
「……?」
京子は怪訝な視線を向けながらも言われた通りに1つイヤリングを手に取り、両手で包み込む。
それから数十秒。ゆっくりと手を開くと……
「色が……」
京子の掌で輝くイヤリングは綺麗な紫から赤へと色を変えていた。
「面白いでしょ? 樹脂の部分に特殊な塗料が入っていて、ある特定の温度まで上がると色が変化するの」
このアクセサリーの樹脂部分には《示温塗料》というものが使われている。
示温塗料とは、ある特定の温度になると変色する塗料で、主に機械設備の温度管理や熱検知、食品などの衛生面の管理等で使われている。
それ以外にも示温材と呼ばれるラベルやテープ、ペイント用のアイテムに加工して販売もされており、幅広い用途がある。
そしてこのアクセサリーも同様の加工が施されて、29度以下だと紫色、30度以上になると赤色に変色する。
「……綺麗ね」
京子は今も赤々と輝いているイヤリングを見つめている。
その口元は、ほんの少しだが、本当に僅かにだが……綻んでいるにも見える。
そしてこのイヤリングをプレゼントに選んだ最後の理由。
それは1つ目の理由と似て非なるもの。
カーネーションとは色によって花言葉の意味が変わる花。紫の他にもそれぞれの色で違った花言葉を持つ。
白色なら《純粋な愛》
青色なら《永遠の幸福》
そして最も代表的で知られているのが赤色のカーネーション。
花言葉は……《母への愛》
赤色のカーネーションのアクセサリーを買うには少し気恥しい気持ちがあった。
だから限定的な状況の時だけに見せる偽らざる本心。
そんなロマンチックな要素が詰まったこのイヤリングを母に渡したいと思った。
何か思うところがあるのか、しばらくイヤリングを見つめていた京子だったが、顔を上げてイヤリングを丁寧に箱へと戻すと
「お土産ありがとう。それじゃあ食べるわよ」
さっきまでの雰囲気が嘘のようにいつもの表情に戻っていた。
「う、うん……」
果たして母は喜んでくれているのだろうか……。
そんな事を思いながらも夕食の挨拶をする。
せっかく作ってくれた夕食の品々が冷めてしまってから食べるのは佐田さんにも、食材達にも申し訳ない。
両の手を合わせ
「いただきます」
カトラリーを手に取る。
まずは
フランス語でミルは《千》、フィーユは《葉っぱ》という意味で、幾層にも葉っぱが積み重なってるような形をしていることからも納得の由来な気がする。
ミルフィーユの食べ方で誰しもが悩むのが
《ボロボロ崩れてしまい綺麗に食べることが出来ない》
だと思う。
実際に
『あぁぁぁっ! 崩れた! 頑張ったのに! なんでこう食べにくいのかしらね……』
『これってどう食べるのが正解なんだろ。フランス料理だし綺麗に食べる方法もあるんだろうけど……うーむ……』
と里香もボヤいていた。
確かにミルフィーユは食べにくい印象が強いが、ちゃんと綺麗に食べる方法は存在する。
一言で言うなら《倒す》のが適切な食べ方なのだ。
ミルフィーユを思い切って倒し、一口サイズに切って食べる。
これを里香に教えた時のあんぐりした顔を思い出すと今でも笑ってしまう。
しかし幸いにも今回の《トマトとアボカドのミルフィーユ》は幅広のミルフィーユなので倒す必要は無かった。
一口サイズにカットして口に運ぶ。
前菜の役割は《食欲を刺激すること》なので程よく塩分、酸味が強い。
口に含んだ瞬間に広がるトマト特有の酸味。
バルサミコ酢と黒胡椒がよくマッチングしている。
アボカドと合わせることで強すぎず、弱すぎない酸味が出ている。
……美味しい。
前菜は完食したので順々に他の品々も食していく。
メインディッシュの
「明日奈」
「はい」
「……」
「?」
「…………」
「???」
普段ハキハキと喋る母にして珍しく、口を開いては閉じ、開いては閉じるを繰り返している。
言葉を選んでいるのか、喋ること自体を躊躇っているのか。
やがて意を決したようにキリッとこちらを見ると
「明日奈、話があるわ」
「は、はい……」
「今すぐにではなくていいわ、先方の予定もあるしそこは貴方に任せる」
「はい」
「だから私の予定と先方の予定が合う時にでも良いから会わせて頂戴」
「はい……。え? 誰に?」
「彼に」
「彼……?」
「そう」
最初誰の事か理解出来なかった。彼? 彼って一体誰を指すのだろう……。
しかし私と母の間で《彼》といったら……。
そこまで考え、ようやく答えに至る。
──え?
「えっええぇぇ!? 彼!?」
「そうよ、何度も言わせないで頂戴」
「ご、ごめんなさい……」
そう言いつつ母を見るが、何故か母の方が僅かにそっぽを向き、居心地が悪そうに見える。
そこで純粋な疑問をぶつけてみる。
「でもどうしていきなり会いたいだなんて……」
元々母は和人の事を快く思ってはいなかったはず……。
するとふぅと一息吐き、こちらを向く。
「書類や人から聞いた情報だけで誰かを判断するのは良くないってことを思い出したのよ」
「ちゃんと自分で直接会って、直接言葉を交わして、人となりを知って……。それで初めて相手の人間を判断することが出来る」
「だから調べた情報だけじゃなくてきちんと会って話をする。こちらの言葉を伝え、相手の言葉を聞く。貴方の大切な人なら尚更ね」
こちらに向かって話す母の瞳には確かな決意の光が宿っている。
「うん。分かった、ありがとう。今度会った時伝えておくわ」
「えぇ、お願い」
話したい事は終わったようで、京子は席を立つと扉へと向かって歩いて行く。
一度何かを言おうと振り返りかけたが、結局何も言わずに出ていってしまった。
京子もいなくなり、明日奈は一人リビングで頭の中を整理する。
まさか、母の方から和人に会いたいと言うのは考えもしなかった。
いずれこちらから和人君に会ってもらいたいと言おうと思っていたくらいなのに。
一体母の中で何があったのだろう……。
その時
ふいに一人の少女が言った言葉が記憶の中で蘇る。
『ぶつからなきゃ伝わらないことだってあるよ』
『たとえば……自分がどれだけ真剣なのか、とかね!』
そう言って輝くような笑みを浮かべる少女が脳裏に浮かぶ。
──そうか。
これはきっとあの時、あの場所で、自分の本心を、自分の想いを母にぶつけて、そして母にその言葉や想いが届いたからこそ、母の中の何かが変わった。
いや何かを思い出させたのだろう。
今も仮想世界にいる彼女に向けて心の中で感謝する。
ホントに助けてもらってばかりだね……
ありがとね、ユウキ。
よし、明日からのイベントは助ける立場になってみせよう。
そんなささやかな決意をした明日奈だった。