外見からは人間との見分けが付かず、人類を滅亡に追い込む化け物「堕脳(ブレイン)」。
 異能力を持った童貞たち「EF(サード)」。
 良い具合に腐りきった警察の先輩後輩コンビ、九段下&井納。

 脱走した捕獲済み堕脳「初乃蘭(ういの・らん)」の行方を巡って、クセが強すぎる面々の奔走が始まる!

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ロスト・ガーディアンスライム

 地下深い部屋で、男が椅子に縛られている。目隠し、口枷、ついでに足に鉄球まで括り付けられた彼は、助けを求めるべく「う゛ーう゛ー!」と叫び続けていた。

 それを眺めながら男が一人、女が一人、重要な会話を行っている。

「いいですか、気をしっかり持って聞いてくださいね。……あなたの夫は、人間ではないのです。下半身で物事を考える化け物なんですよ」

「あの人はそんな人じゃありません!」

 女の悲痛な叫び声が響いた。男はやや狼狽える。

「あぁ、いやいや違います、すみません。変な意味ではなくて、言葉通りの意味なんです。いいですか、旦那さんは「人間」じゃないんです。足の指の先まで脳みそが詰まってる「化け物」なんですよ」

 そう言って白衣の男は、自身の目から放たれた横長の光を、椅子に縛られた男へ当てた。何も知らない者が見たとしても、その光の形や動きには「スキャン」というイメージを持っただろう。

 椅子に縛られた男の体が、光の当たった箇所から順に、レントゲン写真のように透過されていく。彼の頭蓋の中には脳みそがない一方、脳以外の内臓は人間と同じ配置で、人間と同じ物が詰め込まれていた。

 そして腰から下にある「本来なら血と肉と骨だけの部位」全てに、ギッシリと脳みそが詰まっていた。先程の会話にあった通り、本当に足の指の先まで、隙間なく。

「これじゃあ、性欲に忠実な方がマシじゃないですか。……そう思いませんか?」

「……えぇ、そうね」

 女の退出を待って、地下室に銃声が響いた。

 

 

 

 

 

「……………………」

 ぼくはとても真剣にパソコンを操作している。淡々とやるべきことをやるのだ。まずは右クリック、次に左クリック。また右クリック、また左クリック。右クリック、左クリック、右クリック、左クリック、右クリック……左クリック……右クリック……左クリック……右クリック……左クリック……。

「無駄だと思うけどね」

「ッ!」

 驚きに肩が跳ねて、キャスター付きの椅子がぼくごとほんの少し後ろに滑っていく。座面と背もたれも若干回る。

 いつの間にか背後にいた九段下先輩からは、いつの間にか良い匂いがしていた。彼女はぼくの肩にポンと手を置いている。だから余計に驚かされた。

「うわ、SMばっかりだ。しかもSの方。犯罪者予備軍だ、犯罪者予備軍」

「なんてこと言うんですか……差別ですよ。サディストにも人権ありです」

「エロサイトの履歴消しながらよくそんな真剣な顔をするよね……」

「それはそれ、これはこれ」

 確かにぼくは、職場でエロ動画を見た。けれどそれは休憩時間でのことだ。例え休憩時間の全てをエロ動画鑑賞に費やしたとしても罪はあるまい。……ないよな?

 履歴を削除していたのは、罪ではないとはいえ仕事用のパソコンでエロ動画を見ていたことがバレては、他者の感情的な面でまずいかなと思ってのことだったが、しかし九段下先輩をかいくぐることまでは叶わなかったようだ。

 全ての履歴を一括消去してしまっては、後で誰かが困るかもしれないと気を遣ったことが裏目に出たのだ。優しい人間はいつもこうやって損をする。

「大体、なんで履歴を見ただけで内容が分かるんですか。英語タイトルから何がそんなに読み取れますか?」

「逆に聞くけど、内容が読み取れないタイトルに何の意味があるの?」

「そこなんですよね、クソですよ本当に。好みの動画を一つ見つけるために、いったいぼくがどれだけ」

「わかったわかった。切迫してるんだな、どうしてもここで見なきゃならないほどに。……まぁ百歩譲って見るのはいいけど、シコるのだけは勘弁してくれよ?」

「それは絶対しません」

「なぜ言いきれる。性依存症のキチガイめ」

「いや……いやひどいな……。なぜってそりゃ、そんなことしたら捕まるからですよ。今みたいな時に」

「ふん、お前は捕まえる側だろ」

「気が進まねぇですね」

「私もだよ」

 ぼくはこれでも、警察官をやっている。断言出来るが、ぼくが警察を続けられている時点で、すでに現代の警察組織が腐りきっていることは明らかだ。国家権力の組織は、あるいは国そのものが、いやむしろ世界その物が、十年くらい前に比べれば醜く変わってしまった。

 こんな風に世界がおかしくなったのは、EF(サード)堕脳(ブレイン)が世界に蔓延り出したせいだと言える。……正確には「世界に目立ち始めた」なのだろうけど。いつからそれらが実在していたのかなんて、そんなこと誰にも分からないから。

「今日はロストとの面会だ。行くぞ」

「はぁい」

 地下に伸びる塔のような監獄。適当な中学生から命名を募ったのか、そこはクリフォトと呼ばれている。ぼくたち警官は、ライフポイントを八百ポイント支払ったり支払わなかったりすることで、目当ての囚人と面会することが出来るのだが、今日会う予定なのはロストと呼ばれる男だった。彼は最近自首してきた痴漢魔である。自首するくらいなら初めからやるなよな。

 ロストと呼ばれるEF(サード)は痩せた男だった。背は男としては平均的で、それから……それから見た目の特徴はもうない。強いていえば彼はメガネをかけていないが、メガネをかけていてもおかしくなさそうな顔をしている男だった。良く言えば学者系、悪く言えば……まぁなんなりと言いようがあるだろう。

 強化ガラスを隔てた部屋で、九段下先輩が豪快な勢いで丸椅子へ座る。ぼくは背もたれのない椅子が嫌いだったが、座らないよりはマシだからおとなしく座った。

「どうもロストさん」

「どうも……」

初乃蘭(ういの・らん)のことで何か知りませんか」

 それはつい先日脱走した死刑囚の名前だった。最近のぼくたちはその初乃を捕まえるために……もっと言うと殺すために働いている。

 初乃は堕脳(ブレイン)の女である。頭の中が空っぽで、かわりに下半身のほとんどに、足の指の先まで脳みそが詰まっている化け物だ。

「申し訳ないが、おれはブレインのことは分からない」

 ロストがぼくたちから目をそらす。後ろめたいことがあってもなくても、ここでの彼はいつもそうやって話す。あるいは全てが後ろめたいのかもしれない。

「なら、サードのことなら分かりますか」

「知っていることなら……」

「初乃に協力しそうなサードを知りませんかね」

「……分からない。思い当たる人もいない」

「まったく? これっぽっちも?」

「あぁ、申し訳ない。……あっ、いや、待てよ、そうでもない。パネッセが何か知っているかもしれない。彼はその……きっと人外にも興味があるだろうから」

「なるほど、パネッセ……Jパネッセ・ゲオロギアか。井納、行くぞ」

「はぁい」

 立ち去るぼくたちを……正確には九段下先輩一人を、ロストは不思議そうに見続けていた。この手の話に女が関わっていることが信じられない、という風に。

 堕脳(ブレイン)EF(サード)を当然の物として受け入れている連中からそんな目を向けられては、先輩も辟易することだろう。

 

 

 

 

 

 人類の中にいつの間にか、堕脳(ブレイン)と呼ばれる存在が紛れ込んでいました。それは頭蓋の中が空洞であり、かわりに腰から下の体(性器等の内臓は除く)の全てに余すところなく脳みそが詰まっているような、気色が悪い第二の知的生命体でした。

 ブレインの厄介な点は、外見からは人間と見分けがつかないところにあります。空洞になった頭の中か、脳みその詰まった下半身のどこかを確認しない限り、人間とブレインの区別はつかない。……だからある意味では、ブレインはほとんど人間だと表現することも出来ます。人間と同じように食べて、喋り、笑い、眠り、同じ姿で生きているのです。

 しかし我々国家権力の関係者が……いや一般市民まで含めた「国」が一丸となってブレインを根絶しようとしている理由は、ブレインの遺伝子にこそあります。ブレインと人間が子を成した場合、その子どもは必ずブレインとなるのですが、しかしブレイン同士では、そもそも繁殖をすることが不可能となっています。ブレイン同士の遺伝子がかけ算された場合に限り、不治の不妊が発生するわけです。

 従ってブレインが増えれば増えるほど、人類は滅亡へと近づいていく。己自身さえ滅亡させる特性を持った、生物として致命的な欠陥を抱えた存在、それが堕脳(ブレイン)。だからその第二の知的生命体を、我々は根絶やしにしなくてはならない。どれだけ人に似ている物でも、容赦なく。

 さもなければ、いつか「人間の子ども」という存在はファンタジーになってしまいますからね。

「九段下井納コンビがパネッセに接触したそうですね」

 喉が乾いたついでに、自販機前の休憩スペースにいた顔見知りに声をかけました。

「らしいですね。クロスさんはどうするんです?」

「私は別に……本業もありますし」

 コーヒーを買って彼の向かいに座ります。彼が飲んでいるのは……パイン味のラムネ? そんな物をいったいどこから……。飲んでるところ初めて見ました。

「協力する約束でしょう?」

「しますよ。頼まれればね、惜しみなく」

 人は皆、私のことをクロスと呼ぶ。私の持つEF(サード)が人体の表面を透かしレントゲン写真のように見せる能力であることから、「X線」のXをクロスと呼んで名前にしているのです。……私自身が広めた名ですが。

 EF(サード)とは、一部の男性にのみ発現する場合のある異能力……あるいはその異能力を持つ者の総称のことです。異能力が出現する男性たちには一つ明確な共通点があり……それは「童貞」ということでした。

 けれども、全ての童貞がサードを持つわけではない。考えてみればそれは当然のことで、全ての男性は、皆生まれた時は童貞であるのだから、現状人類のほとんどがサードを持たない以上、サードの発現には童貞にプラスして、まだ何かしらの条件があるとしか考えられません。

 ちなみに私は女性の体の内側を見ることに興奮する質で、逆にセックスその物にはまるで興味がなかったのですが、その結果サードを発現するに至りました。偶然自分の職業が医者であり、サードの性質が現代のレントゲン技術をさらに凌駕する物であったことが、私の人生最大の幸運でした。

「初乃を逃がしたのは戦闘向きのサードでしょう?」

「そうですね。壁を突き破って逃げたわけですから」

「クロスさんみたいな非戦闘員や、ほとんどの警察みたいなただの人間じゃあ太刀打ち出来ないんじゃないですか? 仮に犯人を見つけたとしても」

「だから協力者を集めているのでしょう。人類の味方となるサードを」

「童貞狩りってやつですね」

 彼はものすごく嬉しそうにそう口走りました。

「……はぁ。なぜセカンドというのは、下品な上にすぐマウントを取りたがるのでしょうね」

「いやマウント取ってないでしょ、被害妄想じゃないですか。ていうかセカンドでもないし」

「はいはい」

 セカンドとは、セカンド童貞の略称です。童貞ではないものの、今はすっかり機会から遠い存在となった男……ラッキーで童貞を卒業出来ただけのまぐれ野郎のことを、人はセカンドと呼ぶのです。当然、純粋な童貞はファーストと呼ばれます。

 そしてファーストともセカンドとも違う、異能力というある種別次元的な力を持った童貞、それが「第三の童貞」の意味でサードと呼ばれるのです。……異能力者たちが全員童貞であることが判明したからこそ定着した呼び名というのも、なかなか心情的に複雑な物がありますが。

「クロスさん医者なんだから、相手には困らないでしょ? 内臓見られながらヤられてでも医者とくっつきたいって女絶対いるじゃないですか」

「いえ、私はそもそもセックスに興味がありません。ましてやサードの力を捨ててまでだなんて……」

「じゃあなんでマウントとか過剰反応するんですか」

「それはそれ、これはこれ。……というか過剰反応ではありませんよ。いいですか、ファーストにもセカンドにもサードにも、全ての人類には平等な人権がありまして」

「あーはいはい、分かりました分かりました。嫌だな、病気になったわけでもないのにお医者様から説教なんて」

 カラン……とビー玉の音を立てて、飲み干したパイン味ラムネの瓶を彼がテーブルの上に置きました。

 

 

 

 

 

 Jパネッセ・ゲオロギアは、監視付き執行猶予期間中のEF(サード)である。能力の内容は、奴が淹れたコーヒーを飲んだ者から、数時間~数ヶ月の間、日本語以外の言語感覚を剥奪すること。元々日本語が話せない人間にその能力を使われた場合、言葉を話せず理解も出来ない……そんな獣に育てられたような人間が完成してしまう。

 そして実際に完成させてしまったからこそ、彼には執行猶予が付いたのだ。実刑判決に至らなかったのは、彼が自身の能力の内容をまだ把握していなかった……という情状酌量性が理由となってはいるが、そんなわけねぇだろとぼくは思っている。何せJパネッセ・ゲオロギアという名前は、そのまま彼のEF(サード)名から来ている通り名だから。

 サードたちのほとんどは、ある日突然頭の中に能力名が思い浮かんで、そして実際にその能力を使えるようになったと証言しているのに、パネッセだけは偶然サードが発動した後に名前を知っただなんて……。きっと弁護士が優秀だったんだ。

「おいおいおいおい、オレの性癖がアレだからって、それだけでブレインを逃がしたと思ってるのか? 無茶苦茶だろ」

 パネッセの自宅で、コーヒーをジョッキでかっくらう彼を眺めながら、ぼくと先輩は話を聞いていた。正直なところ、執行猶予があろうとなかろうと、こいつはカフェインに殺されると思う。

 先輩は、さっきコンビニで買ってきた水を開けて、飲みながら話を続けた。パネッセがそれを凝視していることをぼくは見逃さなかったし、たぶん先輩も気付いていただろう。

 ぼくはパネッセが苦手だ。彼の髪型はドレッドヘアーなのだが、彼の性格や話し方と相まって、ぼくはそこに妙な威圧感を覚えてしまうのだった。

「君自身が、じゃない。君が他の誰かと共謀しているんじゃないか……という可能性の話だよ。可能性は可能性、探らないわけにはいかない……そうだろう?」

「ふぅむ、まぁ分からんではないがな。ところで水なんか不味いだろ、コーヒー飲むかい?」

 パネッセが「豆」を差し出した。いろんな意味で「飲むかい?」じゃねーよ。……日本語を話せない人間がその豆を噛み砕いたらどうなるのか、確かに気にならないわけではないけれど。

「飲むわけないだろ馬鹿。おい監視、何やってるんだお前、日本語話せるか? 日本語以外は?」

「わたしは元々日本語しか話せませんが……問題ありませんよ。今のはまぁ、笑えない冗談でしたけど」

「あ〜あ、この仕事やってると身の危険しか感じないよ。後輩は性依存性のドSだし、関わる人間みんな性癖こじらせた童貞だし」

 先輩が深い意味は一切ない目線をこちらに送りながら頭を抱え始めた。ぼくはそろそろ自分がこの場にいることの必要性に疑問を抱いてきた。

「おいおいおいおい、でもオレらみたいなのが必要になる時だってあるだろ? 毒には毒を、コーヒーにはコーヒーを」

「あぁそうだ、その通り、最悪だ。ブレインと戦争の次に、サードのことが嫌いだよ私は。……で、本当に初乃のことは何も知らないの?」

 パネッセは先輩を鼻で笑った。

「当たり前だろ。初乃蘭って名前はどう考えても日本人だ、オレのサードがほぼ効かねぇ。だから興味もねぇ。大体、なんでオレのところに来たんだ? 考えりゃ分かるだろ」

「君が人外好きなんじゃないかって聞いたんだよ」

 一瞬、軽快だったパネッセの表情が凍った。なぜそれを知っている? という意味での凍りつきだろうか。

 しかし彼はすぐに心当たりを思いついたらしく、しかもそれは正解だった。

「……あぁ、そりゃもしかして、ロストか? 本当にあいつは人の話を聞かねえな。えぇ? あのな、覚えといてくれ女刑事さん。オレが好きなのは、お互いに言葉が通じない女……! 獣みてぇに唸ったり泣いたり叫んだりするだけの女が好きなんだよ。それだけなんだ。だから言葉が通じちまう人外は、もはや人外じゃねぇ。オレ的にはな」

「なるほどね。よし帰ろう井納、ロストしばきに行こう」

 さっさと帰り支度を始める先輩。早くここから去りたいという意思をひしひしと感じた。この場の全員がそうだろう。気持ちは分からないでもない。

「そんなことしたら先輩が法でしばかれるでしょ……」

「なんでさ? あいつきっと申し訳なさそうにするよ〜。暴力も同意の上なら問題ないんだろ、ドSくん」

「……先輩がこの仕事やっていけてる理由がよくわかりますよ」

「どういう意味だ! こいつー!」

 ぼくの両側の眉間が、九段下ゴリラナックルによってメリメリと圧迫されていった。

「痛い痛い痛い! うそでしょ!? 同意は!?」

「事後承諾。さぁ許しなさい」

「い、イカれてやがる。……痛い痛いってば!」

 ……何度でも言うけれど、すでにこの国の国家権力は腐りきっている。

 

 

 

 

 

 当時、おれは自分のことを無敵だと思っていた。自分に発現した異能力……サードと呼ばれていることを後々になって知ったそれで、好き放題に暴れられると思ったんだ。

 口にするのもはばかられるようなダサい能力名が、ある日不意に頭の中に浮かんで、その途端、本当にその能力が使えるようになる。「減る物、減らない物(ロスト・ガーディアンスライム)」というのがおれの能力だった。

 それはつまり、衣服だけを溶かすスライムを、いくらでも放出することが出来る能力だった。身を守る衣服(ガーディアン)をスライムでロストさせられるわけだ。ぶっちゃければ、それはおれの性癖に寄り添った魅力的な能力だった。

 だが困惑を通過したあとにやってきた高揚感と同時に、おれは自分がとんでもない化け物になってしまったことについて絶望もした。異能力を使えるなんて、人間の範疇を超えている、それはもはや人間とは呼べないじゃないか……と。

 だからその能力は誰にもバラせないと思った。ただでさえ堕脳(ブレイン)が根絶やしにされる世界だ、似たような人外が何をされるか分かったものじゃない。……けれどおあつらえ向きの能力を持ちながら、欲求を抑え続けることも出来なかった。

 結局サードを使って自分の欲求を満たすには、通り魔的な方法を取るしかなかった。それも正直なところ、まさかバレることはないだろうと高をくくっていた。何せ交番へ駆け込むなり、スライムに服を溶かされた! なんて言う女が現れたら、警官がそいつをおかしな奴だと思って終わりだろうと思ったから。

 ……けれどそれは全ておれの無知が招いた失態だった。謎のスライム男として、おれの犯行が都市伝説と不審者の間のような語られ方をしていた頃。そのくらいの頃から色々な縁で、同じようなサードたちと知り合うことになった。サードは思ったよりも大勢いて、そして別に国単位で迫害されているわけではないことを知った。むしろ、場合によっては重宝されるサードもいるのだと。

 初犯から一年と半年後、犯行件数はとっくに数え切れなくなってた頃、クロスと名乗る医者が、自身が異能力者であることを告白して話題となり、なんとそれが世界に受け入れられた。彼の登場以降しばらくは、社会の役に立つサードを持った男たちが次々に名乗りを上げた。

 誰も、サードの本当の意味は口にしなかった。それが世の中で上手くやっていく方法なのだ……というのはすぐに分かったが、しかしどちらにせよ衣服を溶かす能力では誰の何の役にも立てない。自暴自棄なのか、開き直りなのか、おれはクロスの登場以降も犯行を続けた。

 そしてある日、真っ裸の女に顔面をグーで殴られた。若い女だった。気が強いようには見えなかったが、人は見た目じゃないってことなのか。

 おれの犯行はいつの間にか全て、服を失った女が身を守ることに必死になり、反撃なんかしてこないことが大前提となってしまっていた。だからいざ殴られて、思わず叫んだんだ。

「な、なんだお前! 恥じらう心がないのか!?」

「お前こそ恥を知れ! そのEF(サード)は存在していい物じゃない!」

 彼女は社会の流れに逆らってサードその物を迫害しようとする差別主義者だったが、しかしあの時おれに向かって言い放った内容に限っては、至極まともな言葉だったとしか言いようがない。

 そして、それをきっかけにおれは自首をしたのだった。なんというかつまり……少しは恥を知ったのである。

 牢屋の中に入ってからすぐ、EF(サード)犯罪の参考人として面会に来た、九段下という女刑事がこんなことを言っていた。

「ロストだっけ? あんた、自首があと一ヶ月遅ければ、たぶん普通に捕まっていたんじゃないかな。サードには予知能力もあるの?」

 それを聞いて自分の幸運に感謝する程度には、おれの恥知らずはまだ根深かった。

 

 

 

 

 

「先輩、EF(イーエフ)って呼び方の由来は知ってます?」

 車でパネッセ宅から帰る道すがら、そんな雑談を持ちかけた。運転はぼくがしている。

「知ってるよ。そっちこそどうなんだ?」

「ぼくがエフェクトって答えること期待してます?」

 EFというアルファベットはエフェクト……つまり効果を意味する英語の略称である。……と、そう初めて発言したのは、人類初の異能力者こと、クロスと名乗る医者だった。人類初というのはまぁ、「出現」という意味ではなく「カミングアウト」という意味だろう。普通に考えれば、人知れず生まれ人知れず死んだサードが、すでにどこかにはいたはずだから。

 ともかく、クロスはサードのイメージを良くするため、そのようなでっち上げを世間に広めた。そしてそれは見事に浸透した、恐ろしいくらいに。その浸透度の凄まじさは、クロス自身が容姿も声も爽やかで人当たりが良い上に、腕の保証された名医であるという完璧なキャラクター性を有していたことに理由があるのかもしれない。

 しかし実際の奴はセカンドからのマウントに過剰反応する内臓フェチ(正常な形で体内に詰まっている状態の物に限る)のド変態であり、奴が広めたEF=エフェクト説は真っ赤な嘘である。

 サードたちはみんな、本当の由来を知っていて黙っているのだ。サードではないぼくが知っているくらいなのだから、本人たちがその由来を知らないわけがない。

 そしてそれは、九段下先輩も同じことだった。女性である彼女は童貞になどなりようがなく、間違いなくサードではないわけだが、EF(サード)に対する興味の強さだけは、変態のそれに片足を突っ込んでいる。

 だからこれは何の意味もない、暇つぶしの雑談だった。

「エフェクトじゃなければ、何なんだ?」

「エロファンタジー」

「うわ、恥ずかしい言葉を惜しげも無く。検索履歴が性格に出てるな」

 逆ならまだしも聞いたことねぇよそんな言い回し。

 ともかく、EFとは本来エロファンタジーの略称である。何人かで集まった最初期のサードたちが思ったのだろう。俺たちの能力、エロゲに出てきそうな内容ばっかりだな……と。傍から見ているぼくでさえ、聞けばなるほど、確かにそうだなと納得してしまうくらいだ。

 本人たちも隠語的に設定したまま浸透したEFという略称を、クロスはさらに意味と印象を変形させて世に流したことになる。彼だけではなく、全てのサードたちがポーズ的に本名を名乗らないことだって、本当は「本名を名乗りたくないから」以上の意味はないのに、あーだこーだと理屈を付けては様式美のようなイメージを定着させてしまった。

 しかしまぁその様式美をぼくは気に入っている。そしてそれはたぶん職業柄なことだ。

 考えてもみてほしい。衣服だけを溶かすスライムで夜道の女性を襲ってばかりいた男が「ロスト」と呼ばれていれば、内容はショボすぎるが……しかしショボいなりにアメコミっぽい雰囲気をかもしだしてもいる。これがロストではなく吉田(ロストの本名)ならどうだ? 一気に浮き彫りになるだろう。異能力があってもなくても、結局のところ奴は性犯罪者の童貞にしか過ぎないのだという現実が。

 実態がどうであれ、見栄えが良いに越したことはない。そういう意味ならぼくもクロスに賛成している。

「で、これからどうしますか」

 駐車場に車を停めながら聞く。

「手当り次第に当たるしかない」

「たどり着けますかね」

「どうかな」

「どうかなって……」

 投げやりというか無責任というか……別に責任感を持ってほしいわけではないけれど。ぼくだって持ちたくないし。

 初乃蘭は、堕脳(ブレイン)だということが発覚して逮捕され、そのまま処刑されるはずだった。いくら人類を脅かす存在とはいえ、人と変わらない見た目の生物を白昼堂々と撃ち殺すわけにはいかないから、捕まえたブレインは必ず、死刑を受ける人間と同じように静かに殺す。……初乃にはその直前に逃げられた。

 監視カメラの映像からは突然初乃の姿が消え、黒い塊が映ったことを最後にカメラは破壊されている。その他の手がかりといえば、クリフォトから地上までの経路にある壁や鍵など様々な物がぶち壊された惨状なんかは、大抵の関係者が見た物だろう。

 尋常ではない力で強行突破されたことには間違いないが、ブレインにそんな特殊な力はない。間違いなくサードの協力者がいる。初乃がどこへ消えたのかは、そのサードが何か知っているはずだ。

 ……と考えたからぼくたちはこうしてお仕事をしているわけだけど、サードが関わっているという確信以外に何も手がかりがないのに、成果を上げろというのも酷な話だ。それとも国民のうち半数(つまり女性)は犯人像から除外されているだけイージーな方なのか?

「九段下さん!」

 署に戻ってくるなり、小柄な男が駆け寄ってきた。彼の着ている紺色のTシャツには、ど真ん中にデフォルメされた大きなペンギンの絵だけがデザインされていた。以前に見た時は全く同じ構図でデフォルメのブルドッグが描かれていた。

「テラじゃん。どうしたの、自首?」

 ネタではなく真の意味でのダサTを着る男、テラ・サテライト。彼もまたEF(サード)だ。能力の内容は、他人の視界を盗み見ること。しかも遠隔で、しかも本人に気付かれず、しかもテラが飽きるまで永遠に。

 冗談とはいえ、サードが警察に来たらまず自首を問う……そんな九段下先輩のやり方がよくもまぁまかり通っている物だよなとぼくは感心した。休憩時間にエロ動画を見ていたことが異性の先輩にバレても、さほど困ったことにはならない職場なだけのことはある。

「……そうです」

 しかし冗談を真に受けた彼には、さすがのぼくたち二人も目を点にさせられた。

「僕、初乃蘭の居場所を知ってるんです」

「……向こうで詳しく聞こう」

 テラは署の奥の方へと通された。たぶんもうしばらくは出てこられないだろう。彼が「自首」と言い、初乃の居場所を知っているということは、つまりそういうことなのだ。

 先輩がテラに缶カフェオレを投げ渡す様を見て、ぼくは中学生の頃に聞いた「賄賂のような扱いをされるから取り調べ中にカツ丼は出せない」という話を思い出した。たぶん今ならカツ丼でも天丼でも釜飯どんでも出てくるだろう。

「白状します。一目惚れしてしまった女性がいて、彼女をマーキングしました」

 マーキングとは、テラの能力を使用するための下準備のことである。具体的には、彼が小指の先ほどでも対象の肌に直接触れればいい。痴漢よりはよほど容易なことである。

「それで?」

「その彼女が初乃蘭だったんです。指名手配の顔を見て驚きました」

「なるほど。……めっちゃラッキーだな」

 うぇーい、と先輩がテラにハイタッチを求める。ぼくは白けた目でそれを見て、どぎまぎしながら律儀に応じる向こうも向こうだと思った。

「そりゃ君の犯罪を不問には出来ないけど、それでもだいぶ軽くなるだろう。初乃は今どこにいる? 誰と組んでる?」

「脱走の協力者はヘルメイルです。彼の家にいます」

「ヘルメイル? 馬鹿な」

 ヘルメイル・エデン。女に強制的に鎧を着せる能力のEF(サード)。いわゆる「ごつい鎧の中から美少女が!」を性癖とするロマンチスト(皮肉)だが、仮に彼が協力していたとしても、それでは事件の全貌が掴めない。

 貧弱な女性と変わらない力しか持たない初乃に、ただごつい鎧を着せただけで、いったいどうやって壁や鍵をぶち破る大脱走を完遂させたんだ?

「きっと拡大解釈(スワンプマン)ですよ」

「え〜? 本当かなぁ」

「着るだけで最強になる鎧とか作ったんですって、きっと!」

 拡大解釈(スワンプマン)とは、EF(サード)の発展形である。例えば「動物の言葉を理解できる→動物に人間の言葉を使わせることが出来る」というように、こじつけのような形で能力を進化させたサードのことが、俗にスワンプマンと呼ばれる。ちなみに名前の由来は「性癖をこじらせて泥沼化した男」であり、思考実験のスワンプマンとは何の関係もない。

 一応、ヘルメイルの能力がテラの言うように拡大解釈された可能性も無くはない。ただ拡大解釈はそうそう起こる現象でもなく、基本的にサードの能力はデータに登録されている物のみであると考えて動くことが、警察としては通例となっている。

「人を最強にする鎧ね……。どうしてそう思う?」

「どうして、と言われますと……。……なんとなく彼、美少女鎧戦士には強キャラであって欲しいと思っていそうじゃないですか?」

「……なるほど」

 彼らから見て部外者であるぼくには(そして警察全体にも)把握しきれていないことだが、EF(サード)たちの横の繋がりは妙に広い。あるサード個人のことを、大抵は別のサードが詳しく知っているのだ。ぼくはそれを、エロ本を回し読みする男子の習性的な物だと考えている。本当のところがどうなのかはまだ分からないけれど。

「井納はどう思う?」

「え、ぼく?」

 突然話を振られてあからさまにうろたえてしまった。けれどもそう、先輩がこれといった役に立たないぼくを連れ回しているのは、これが理由だった。

 まぁそれは先輩が勝手に創造した理由であり、フィクションでしかないのだけれど。

「変態同士通じ合う物があるだろう?」

「ないですよ、何度目ですかこの話するの」

「いや、必ずあるはずだ。ドSの君が鎧の中の美少女を痛めつける時、その少女には強くあってほしいものか……!?」

「知りませんよ興味ない分野ですし。明らかにテラさんの方が詳しいじゃないですか。彼がそう言うならそうなんじゃないですか?」

「だが私はテラに詳しくない。……なぁ?」

 視線で同意を求められたテラは、対応に困ってぎこちない愛想笑いを浮かべている。彼女のさも「井納のことは理解している」という物言いに、ぼくの方まで苦笑いだ。

 九段下という先輩は、このオカルト理論を強く信じている。共に時間を過ごした後輩のことは深く理解することが出来て、その後輩は変態だから他の変態の思考をエスパー的に理解することが出来る……従って私も変態の思考を覗き見て事件解決に役立てることが出来るのだ! ……というオカルトを。

 共に時間を過ごしたって分かり合えないし、変態同士に通じ合う物なんかない……というか変態にせよパンピーにせよ人物Aと人物Bがいたらそれらは必ず全くの別物だし、先輩のオカルト理論は事件解決に関してほとんど何の役にも立たないことだろう。

「……まぁ居場所が分かっている以上やるしかないか。井納、いつもの人たちに声かけてきて」

「はぁい」

 とはいえこうして使いっ走りをしているだけで公務員扱いなのだから、ぼくとしては文句があろうはずもない。然るべき人たちに声をかけたなら、あとは大捕物を見守っていればいい。

「あぁそれから」

 背中を呼び止められて、どうせロクでもない用だろうと予感しつつ振り返る。

「拡大解釈のヘルメイルが相手になるなら、試しにあいつも連れて行ってみない?」

 予想に反して、それはきっと冴えた提案だった。

 

 

 

 

 

 初乃蘭が予想よりも遥かに早く見つかったことで、私にも仕事が回ってきてしまいました。頼まれれば惜しみなくと言った手前仕方がないことですが、正直金には困っていないので、仕事が増えて嬉しいことなど何一つないのです。

「クロスさんも大変ですよね、毎度毎度」

「いつかの時のように、まとめてもらえると助かるのですけどね」

 堕脳(ブレイン)は外見から判断することが出来ない。いざ解剖してみたら人間でした……では済まないので、必然的に私のEF(サード)断面には夢だけあればいい(クロスレンズ・ウィンドウズ)」が引っ張りだこの状態になっています。初乃蘭捕獲に当たっても、影武者の可能性を考慮してまた連れてこられたわけです。現場で即人体の内側を見られるのは私だけなので。

 三年前に、民主国家にあるまじき強制力で全国民にレントゲンを受けさせる形で、ブレインを皆殺しにしようとした騒動がありました。……けれどもどこかに生き残りはいたようで、かなり数が減ったとはいえ、未だにそれは人類の中に紛れ込んでいます。

 初乃蘭はその生き残りの一人でしょう。一度目に彼女を捕まえた時どんな経緯があったのかは知りませんが、見つかる以前からすでに彼女は「戸籍上の死人」となっていました。そういった特例の生き残りを少しずつでも潰していけば、ブレインは必ず絶滅させられる。だから我々は全力を上げているのです。

 ……ただ、EF(サード)としていささか不安は残ります。人類共通の敵であるブレインがいるうちは、我々は団結していると言えなくもない状態にあるでしょう。しかしブレインが消えた先で、サードは本当に「人類」として生きていけるのでしょうか。差別というものは、人類の歴史と共にありますからね……。

 私のような善玉サードのアイコン的存在は、今のところは安泰のように思われますが、サード全体への「見る目」が変わればそれさえひっくり返るかもしれません。ブレイン殲滅の件で大幅に数を減らした人口を、またさらに減らすということまでは考えづらいですが……生きづらい世界だけは真っ平ですよね。

「これから部隊が突入するので、クロスさんはここで待機していてください」

「いつも通りですね」

「えぇ」

 特殊部隊の車両の中で待機します。大袈裟な装備をした人たちが私の目の前に、ブレインの疑いがある者を引きずり出してくるその時まで。

 まぁ疑いとは言っても、今までそれが濡れ衣であった試しはないのですけど。

「ぐわああああああああ!」

「な、なんだこれは……!?」

 野太い男の断末魔が聞こえてきました。

「……何事です?」

「まずい!」

 車が急発進して、加速の勢いで自分の体が背もたれに押し付けられます。どうやら緊急事態のようですが……。

「……なんですかあれは」

 なんとか窓の外を確認すると、そこには大きな鉄塊が現れていました。……しかもそれが動いています。怪獣映画やロボットアニメのように、巨大な人型の鉄塊が、街の中で暴れ回っているのです。みるみるうちに街は壊滅していきます。

 あれもサードなのか? あれも、自分と同じような異能力者が……人間がしていることなのか? そうやって己の目を疑っている間に、建物の破片か何かが不運にもこちらに向かって飛んできて、気が付いた時には天地が逆転していました。

「……ッ! 死にますよ、こんなの!」

 逆さまになって動かなくなった車内からなんとか外へ出ると、火と瓦礫の海と化した街が見えました。……それからこちらに向かってくる何人かの人影も。

 その人影の集団から一人だけが飛び出して、手を振りながらこちらに駆け寄ってきます。

「クロスー!」

 満面の笑みで手を振る女性。九段下という名の彼女は……まあイカれたお方です。なんでもサードの起源に興味があるのだそうですが、ブレインとサード絡みの現場に必ず現れる女性といえば、彼女くらいのものではないでしょうか。

「何なんですかこれは」

「ヘルメイルが拡大解釈(スワンプマン)で、あの鉄人なんとか号を作っちゃったんだよ。やばいね」

「ヘルメイルというと……鎧を作るあの?」

「そうそう。だからあの巨人も鎧なんだ」

「しかし彼は女性だけにしか鎧を着せられないでしょう。誰が中に入っているんです?」

「初乃蘭」

「……はい?」

「初乃蘭があれを動かしてる」

 鉄の巨人は、明らかにこちらに向かって進んで来ていました。どうやらあまり早くは動けないようですが、ズシン……ズシン……と行く先の建造物を全て粉砕しながら迫り来るそれは、ちっぽけな我々に黙示録的な恐怖を与えます。

「どうするんですか? あんなの、核でも撃たなければ倒れなさそうですけど。というか街が……」

「ご安心をドクター、救世主がいるのです。街の方はまぁ、念の為事前に避難指示出しといてよかったねって感じですけど。……おーい井納! 早く!」

 井納という、九段下の後輩である若い男(彼もまた中々度し難い男ではあるが、サードではない)が、どこかで見たような細身の男を引きずるように連れながらやって来て、私にぺこりと会釈をしてきました。嫌な予感がしました。

「どうもクロスさん。この人はロストさん、衣服だけを溶かすスライムを放出するサードです」

「衣服だけを……? そんな能力をなぜ今」

「鎧も服のうちかな、と先輩が」

 これ気付いたの天才でしょ、と横から九段下がしたり顔で言ってきましたが、巨人の進軍による衝撃で震える体では、その言葉の意味をなかなか理解することが出来ませんでした。

 そのうち思わず、私は巨人を指さして言います。

「服? あれが!?」

 食ってかかるような剣幕で、しかし激しく同意して来たのはロストという男でした。

「そうだよな!? そうだよな!? おれもそう思ったんだ、ここへ来た瞬間! 無理だって言ってるのに!」

「無理なら無理でスワンプマンになれよ! お前がやらなきゃ誰がやるんだ!」

 唐突にキレ始めた女刑事を見て、私はやはり彼女のことがあまり好きではないなと改めて感じます。すると彼女の後輩が、今の私としてはとても親近感の湧く顔をしている様を見つけました。彼は危ない男ですが、しかし苦労しているのでしょう。

「誰がやるんだって? 誰かいるだろう!?」

「パネッセか!? お前が伝言ゲームみたいにクソみたいな情報で私に会わせたパネッセとかか!? えぇ!? 誰が出来るんだよ知らねぇよあんな巨人倒せるやつなんかさぁ!」

「ちょ……井納さん何とか言ってくださいよ」

「ロストさん。…………やれば、出来ます! 頑張って!」

「なっ、じ、人権侵害! そうだろ!? 人権侵害だ! おれはただの囚人だぞ! 死刑囚でもないのに!」

「恥を知って自首したんでしょう? ここで過去の過ちを取り返そうじゃないですか」

「知るか! 恥なんか知るかそんな物! 恥ごと巨人に踏み潰されて終わりだ!」

 ヒュッ……と、巨人の蹴飛ばした巨大な瓦礫が、我々のすぐ真横を飛んでいきました。私とロストと井納の顔からは血の気が引いて、九段下だけが舌打ちをしました。

 遅い歩みに見えた巨人は、その一歩の大きさからか、もうすぐそこにまで迫っています。スピーカーを通してくぐもったような、可憐な乙女を思わせる声で、巨人の中から呼びかけが聞こえてきました。

「そこの人間共! 虐殺される側の気持ちを教えてやる!」

 極々小さな声で、遥か上空から「いいぞーやっちまえー!」とも聞こえた気がしました。……目を凝らして見てみれば、巨人の肩に人が乗っているように見えるような気もします。もしかしてあれがヘルメイルなのでしょうか……?

 同じく巨人の肩の上の人影に気が付いたらしい井納が、ロストの両肩を掴み真剣そのものの表情で説得を試みていました。

「ロストさん、実際やらなきゃマジで死ぬんですよ。誰のせいにしろ死は死です。他に頼れる人がいないんですよ。EF(サード)は基本的に、あんなデカブツと戦うための物ではないから」

「……でも井納さん」

 震える声でロストが告げたそれは、私には一瞬、死刑宣告のように聞こえました。

「でも服は、服は人が着る物じゃないか。そりゃマネキンが着てたって服は服だけど、でもやっぱり服は人が着る物じゃないか。それにおれが溶かせるのは女性の服だけなのに……あれを見てどうやってそれを実感しろというんだ? どう見ても服じゃない物は溶かせない、拡大解釈(スワンプマン)もクソもないだろ」

「なるほど……。それなら解決策がある、クロスさん」

「はい?」

「あの巨人を透かしてください。そうすれば中に人がいる実感が湧くでしょう」

 なるほど、と思ってしまった自分を軽蔑します。今この瞬間だけとはいえ、異能力へEF(エロファンタジー)なんてふざけた通称を名付けた昔の馬鹿たちと同じ程度にまで、自分の知能指数が低下してしまっていることを感じました。

 しかし馬鹿でも何でも、それで生き残れるというならなんだってやりましょう。まさかこんな形でサードを使うことになるとは思いませんでしたが……巨人を足元から頭の先までスキャンします。

 巨人その物は完全に透明となって、その左胸の辺りに浮かんでいる、美しい女体の内部がはっきりと見えました。……ただし明確に美しいのは上半身だけで、腰から下のほとんどには非人間的な脳みそが所狭しと詰め込まれています。

「ほらロストさん、中に女がいる。あれはやっぱり彼女が着ている物なんだ。そして見ての通りあれはブレインだ」

「いやブレインってことしか分からんし。上半身に関してはよくあるレントゲン写真みたいな物しか見えないし」

「何を言っているんですか! ほら見てくださいあれを、子宮ですよ子宮! どう見たって女性じゃないですか!」

「分かるかぁ!」

 極めて不服なことに、私以外の全員が「気持ちはわかる」という顔をしていました。大抵の男がセックスに強い感心を見せるというのに、女性器やそれに関連する内臓について無関心なことの方が、私はおかしいと思うのですが……。

 しかし誰の感覚がアブノーマルで、誰の感覚がスタンダードであったとしても、巨人がすぐそこまで来ている事実は変わりません。高層ビルのような高さの鉄の塊を着込んだ初乃蘭はいよいよ、我々を踏み潰そうと大きく足を振り上げました。

「ほらほらほらロストさん来てる! やるしかないんです! やれ!!」

「……無理だ。いくら透けて見えても、やっぱりあれは服じゃない。確かに鎧なら溶かせただろうが、鎧ってレベルじゃねぇぞ」

「死ぬんですよ!? ロストさんなら出来る……だってあなたロスト・ガーディアンスライムでしょ! めっちゃガーディアンっぽいでしょうよ、あの巨人!」

 刑事と囚人、男二人がぎゃあぎゃあと言い合いをするうちに、ついに鉄塊が私たちに向かって、その土踏まずも何も無い平たく硬い足を振り下ろしてきました。

 迫り来る圧倒的な質量を眼前に、私は思いました。……あんまりな最期です。サードをカミングアウトしたことが、全ての間違いだったのでしょうか?

「……………………あれ? 生きてますね」

 踏み潰されたかと思われた我々は、今、各々が自らの生存を確認しています。

「言っただろ井納? 私の予想通りだ」

「なんで自分の手柄みたいな顔できるんですか……」

「で、出来た……出来たわ……」

 我々は全員、いつの間にか緑色のゲル状物質を頭から被っていて、それが全身を覆っていました。……そして気の毒にも九段下だけが、サード能力の対象に当てはまった結果として、衣服を全て跡形もなく溶かされていました。ロストのサードは、目の前でその力を見せられるとなかなか衝撃的なところがあるものです。いろいろな意味で。

 私たちを踏みしめたつもりの鉄の巨人は、結果として片足が膝まで溶解してバランスを保てなくなり、すでに壊滅的被害を受けた街の上に追い討ちの背面プレスをかける形で転倒していきました。

 巨人の膝に付いた緑色のゲル状物質が、意思を持っているかのように巨人の体を這い上がっていきます。それはみるみるうちに通った場所を溶かして行って、なんと五分もかからずに巨人を消滅させました。

 その五分のうちに、倒れた巨人の心臓部分がかつてあった地点へと駆けつけた我々は、一人の人間と、一人の「人間のように見えるもの」に出会います。ヘルメイルと初乃蘭です。

 ただヘルメイルの方は、落下の衝撃ですでに死亡していました。男である自分には鎧を着せられない……という能力の性質が致命的でしたね。

「これが初乃蘭……」

 ロストが呆然と彼女のことを見つめます。私もそれなりには驚きました。初乃は、我々が「美人」と聞いて想像する容姿の、さらに斜め上を行く美形だったのです。この場の全員が指名手配写真として彼女の顔を知っているはずですが、実際に見るのとでは何かが大きく違いました。

 一方で初乃の方も露骨に驚いています。それはそうでしょう、無敵かと思われた鎧をあっという間に失ったかと思えば、目の前には約一名全裸を含む男女が現れたのですから。

「ま、待っ」

 彼女が何か喋る前に、銃を持ってきた九段下が初乃の下半身を蜂の巣にしました。当たり前ですが、脳に銃弾を何発も撃ち込まれたそれは死亡します。

「あぁ勿体ない」

 確かに井納がそう言いましたが、聞こえなかったことにしましょう。

「うっ……お゛えぇ……」

「うわっ、ちょ、なんだロスト、もしかしてこういうのダメか。悪い悪い」

 下半身に開いた穴の至るところから脳と血とその他もろもろを垂れ流す初乃を見て、ロストは嘔吐してしまったようです。医者かつ内臓フェチの私は当然そんな物にやられはしませんが、九段下と井納まで涼しい顔をしているのは職業柄なんでしょうか?

 まぁどうせ避難が済んでいるか、そうでなければ死亡しているかで、今この瞬間この場には一般人など一人もいませんし、初乃はここで殺しておくに越したことはなかったように思います。また他のサードが彼女と共謀しても困りますしね。

「……じゃあそういうことで、はい撤収! 井納は後処理を呼んで」

「はぁい」

 脳によるダメージのせいか、死亡した初乃は鼻血を垂らしています。しかしそれ以外は傷一つない彼女の顔を見つめたまま、井納が通信機のような物を取り出しました。そんな物があるんですね、私はいつも、ブレイン殲滅絡みの相手にはケータイで連絡していました。

 通話をする井納も、この場で唯一の女性でありなおかつ全裸の九段下も、未だ嘔吐感と戦っているらしきロストも、全員が全員、初乃蘭の顔を見つめています。……私もだんだんとそれにつられました。確かに「人間ではない」ということに目を瞑れば、初乃蘭の容姿は死体となってなお、見ておかなければ損だと感じるほどに美しい物でしたから。

 ただ、「服!」と九段下が叫んで以降、井納に限ってはそちらの方ばかり見ていました。

 

 

 

 

 

 ロストは拡大解釈(スワンプマン)になったのだろうか? その疑問については、結論の出しようがなかった。なぜなら、そもそもEF(サード)自体が科学を逸脱している物で、それらを明確かつ詳細に区分する定義など存在しないからだ。童貞が科学的にあり得ないことを実現していれば、まぁそれはサードだろうと断定する程度が関の山である。

 だから元々「女性の服」というアバウト極まる対象にのみ効果を発揮するロストのサードが鉄の巨人を溶かしたところで、それを能力の進化と呼ぶべきかは微妙としか言えない。

 例えば彼のサードは鉄球を溶かさない。しかし鉄製の鎧を女性が身に纏えばそれは溶かす。誰も着ていない鎧は「鎧に男も女もない」と本人が語る通り溶かされることはないが、しかし明らかに女性物と分かる服はマネキンが着ていても地面に転がっていても溶かされる。逆に女性服でも、男性が着ていれば溶かされない。

 女性の服を溶かすというロストの能力の定義は実に曖昧で、だから「vs鉄人なんとか号」で彼の見せた素晴らしい活躍も、元々能力の範疇だったと考えることが出来てしまう。もちろん、その逆もまた然りであるが。

「よかったなーロスト、もうすぐ出られるぞ!」

 強化ガラス越しの彼に、先輩は満面の笑みでそう言った。ロストの元々さほど長くはなかった刑期が、あの時の活躍でさらに縮まったのである。

 それにしても……とぼくは先輩の顔を見た。戦争とブレインとサードが嫌いで、しかしサードの起源には興味があるという彼女は、はたして本当はどちらの立場なのだろうか。サードを人間だと思っているのか、それとも「ブレインに比べれば人間に近いもの」だと思っているのか。

 パネッセを毛嫌う彼女の顔も、ロストに朗報を伝える彼女の顔も、どちらも嘘ではないように思えた。

「いやー、まぁ、そうだな。嬉しいよ素直に。……それで今日は何の用だろう。おれを喜ばせに来てくれたのか……?」

 珍しく、ロストはぼくたちから目をそらさずに、真っ直ぐ前を向いて喋っていた。鉄の巨人を撃破したことでぼくたちの……あるいはもっと大勢の人たちの窮地を救ったことで、彼も自分に自信がついてきたのかもしれない。

「ううん、いやまぁそれもあるけど、ちょっとね。……ぶっちゃけロストは自分のこと、スワンプマンだと思う?」

 ロストが微妙な顔つきをした。意図が読めない……と。

「サードの調査みたいな物だよ。サードはみんな、ある日突然自分に能力が備わったことを、直感で気付くんだろう?」

「えぇ、まぁ」

「なら、自分がスワンプマンになったのかどうかも、直感で分かったりはしないの?」

 ロストはそれをほとんど鼻で笑った。自嘲の笑みだったのかもしれない。

「いやぁ、どうかな。直感で分かったりはしない……と言いたいところだけど、単純におれがスワンプマンになっていないだけかもしれない。なんとも言えないな……申し訳ない」

「ちぇ、そっかぁ。スワンプマンの中で快く私と話してくれるのは、ロストくらいかと思ったんだけど。……まぁいいや。それじゃあまぁ、あと少し頑張って。もうすぐシャバの空気が吸えるぞ」

 そう言って先輩が席を立ち、ぼくもそれに続く。一応立ち会っているだけの面会監視官は、うつむいたきり一度も前を向かなかった。そりゃあ退屈だろう、服を溶かすだけのひ弱な男を監視するのは。

「九段下さんは」

 おそらく今までで初めて、ロストがこちらのことを呼び止めた。

「うん?」

「サードに興味があるんだっけ」

「うん、あるね」

 何でもないことを言うように、ロストは言った。

「実はおれは、サードの秘密を知っているんだ」

 先輩が、興味津々といった顔で再び丸椅子に座った。面会時間は迫っていたが、はたしてそれが守られるかどうか……。

 何度でも言うけれど、もう警察(ここ)は腐りきっているんだ。時間を守ることの大切さは、修学旅行のスケジュールと同程度の重みしかない。

「秘密って?」

「サードになる条件だよ。一つはあなたも知っているように、童貞であること」

「あぁ。最近では異能力者になりたがる男がさ、わざわざ貞操守ったりしてるよ」

「もう一つの条件は知ってる?」

「いいや」

「だろう?」

 くっくっくっ……とロストが含んだ笑みをこぼす。監視官が顔を上げた。

「もう一つの条件は、三十歳になることだ、九段下さん。昔はよく言っただろ、三十歳まで童貞でいると魔法使いになれるって。別に誕生日が来た途端にそうなるわけじゃないが……おれたちがその魔法使いなんだ」

「……へぇ」

 顔を見なくても、先輩の顔が輝いていることが分かった。そうだ、そのくらい熱心な興味でもなければ、女性がこの界隈に居着けるわけがない。

「気付いてなかったのか? サードの中に三十歳未満はいない」

「三十歳童貞でありながら、単なるファーストって奴なら腐るほどいるよ。彼らとは何が違う?」

「それは……そうだなぁ、三つ目の条件だ。……負い目だよ。負い目のない人間はサードにならない。サードになるために貞操を守っている人たちには気の毒だけど、きっとそうだ。だからサードは誰も、こういった条件を語りたがらない。楽しくないからな」

「…………」

 横で聞いていて、ぼくはかなり納得してしまった。本名を名乗りたがらない連中だもの、考えてみればそれはあるかもしれない、とっくにサードの全貌を知っているのに、あえて黙っている男たち(そしてその沈黙を守らせている男たち)がいてもおかしくはない……と。

 サードであることのカミングアウトは、童貞であることのカミングアウトに等しい。クロスの目論見の甲斐あって、サード=童貞という事実が世間一般にどれだけ知られているのかは定かではないけれど、同じサードやぼくたちのような職業の人間からすれば、やはりサードのカミングアウトは童貞のカミングアウトに等しくなる。

 よほど確実に社会から認められる保証がなければ、それなりに役に立つ能力を持っていても「黙ったまま」を選ぶ人だっているのかもしれない。いや、むしろクロスのような人間の方が異例だと言ってしまってもいいくらいだ。

 そしてそんなクロスでさえも、童貞を理由にマウントを取られることだけは嫌う。セックスに興味がないと豪語するくせにだ。サードに必須な物は「負い目」と言われれば、なるほど、ぼくは納得してしまう。

 ぼくなんかより余程サードに興味を持っている九段下先輩の方は、どうだろうか?

「面白い話だろう? 冥土の土産には持ってこいだ」

「…………」

 ドサッ……と、肉の塊が床に叩きつけられる音がして、先輩がぼくの横から消えた。

 視線を下げると、冷たい床の上でビクンビクンと痙攣する、九段下先輩の姿があった。彼女は白目を剥いて、目、鼻、口、耳……あらゆる箇所から血を流している。特に口からはガフガフという音と共に、湧き出るような血が泡立っていた。

 そしてその痙攣はすぐに止まって、先輩はもうまったく動かなくなってしまった。監視官が非常ベルを鳴らす。

「井納さん、あなたもそのうちサードになる」

 ガラスの向こうに、気持ち悪い笑みを浮かべたロストがいた。

「おれは、見るべきじゃなかったな、見せるべきじゃなかったな、あれは、夢に出るんだ、初乃の死体が。綺麗なんだよ。何度でも見たいくらいだ、おれ、死んだ女の顔が好きみたいだ。ハハッ、九段下も死んだ、何度でも見られるぞ! ハハッハッ!」

 程なくして屈強な男たちがロスト側の面会室に現れて、彼は薬品で気絶された後、どこかへと連れていかれた。たぶんもう二度と外に出ることは出来ないだろう。

 ぼくはそれを見ていたけれど、なんだろう……こう……何かがおかしい気がした。もっとこう、感情的になるべきなんじゃないかと……そう感じていた。

 しかし、試しに九段下先輩の死に様を、その凄惨な光景を改めて確認してみたところで、単純に「ひどい物だな……」という感想しか浮かんでこなかった。なるほど確かに、ロストの捨て台詞もよく分かる。ぼくにはサードの素質があるのだろう。

 先輩が今のぼくの姿を見たら悲しむだろうな。人の命をなんとも思わないサイコパスだ犯罪者予備軍だと罵るかもしれない。……と、ぼくにはそういう「負い目」が十分にあった。

 けれど、ぼくは絶対にサードにならない。なぜならぼくはサードになるならないの以前に、すでにセカンドであるからだ。……いや、「セカンドになった」と言った方が正しいか。

「……死んじゃったよ、先輩。かわいそうに」

 感想を呟くと、ガラスに反射した自分の顔は、エロ動画を見ている時みたいに表情に欠けていた。

 手を添えて先輩のまぶたを閉じた時に、子どもの頃、車に轢かれた猫の死体を埋めた時のことを思い出した。

 

 

 

 

 

 堕脳(ブレイン)の突然変異。まだ公表すると決めたわけでもなかったその新情報は、どこからか早々に社会全体へ盛れだしてしまった。

 ブレインは、人間との子どもを作らなければ無害である。ブレインの遺伝子が入り込むせいで人類が滅亡に近づくのであって、仮に全てのブレインが非モテなら、奴らは大した脅威ではないわけだ。

 だからなんだろうか。進化した奴らは、異性同性問わずあらゆる人間の関心を異様に惹き付けるようになった。

 後になってから思えば、初乃蘭こそが初めての突然変異種だったのだ。ヘルメイルをたぶらかし、テラの気を引いてしまったことで身元がバレて、ロストを狂わせた初乃蘭。……全ては突然変異の力によるものだった。

 しかしなぜ突然変異種は、生殖行為の不可能な同性の意識までをも惹き付けるのだろうか? そんな疑問から、ブレインは「人間の性別を模している」だけで、種族としての奴らには性別の概念が存在せず、また人間には思いもよらないような繁殖方法を持っているのではないだろうか……と考えられるようになっていった。

 ブレイン同士の生殖行為は不治の不妊である……という定説が、そもそも疑われ始めたのだ。奴らは人知れず繁殖していて、その数を増やしているのではないかと。しかしそれならそれで妙ではある。人間の数が奇妙に増えているのに気が付かないほど、この国はまだ廃れきっちゃいないはずなのに。

 生き残った残党が狩られていくだけで、ブレインの絶滅は時間の問題かと思われていたのにも関わらず、むしろ年々奴らの発見数は増加している。出どころの分からないブレインたちが増えている。その正体は現在調査中であり、そう遠くない未来に答えは分かるのだろうけど……。

 しかしもうすでに社会では、全ての人間に大きな不安が付きまとうようになってしまった。……私が心惹かれるあの人は、実はブレインなのではないか……という不安が。

 疑心暗鬼。嫌になるほどそんな言葉の似合う空気が、今は世界全体を包み込んでいる。

「井納先輩!」

 ぼくよりガタイが良くて、ぼくよりコミュ力に長けて、ぼくより仕事の出来る横浜が、なぜかぼくへ憧れの視線を向けている。

「なにかな」

「またブレインが発見されたそうです。しかもサードと手を組んでるっぽいすよ。クロスさんもう向かってますから、俺達も早く行きましょう!」

「うん。よし、わかった」

 車に乗り込んで、運転は後輩である横浜の方が担当する。こんな時だろうと、ぼくが車中で雑談を持ちかければ、彼はきっと快く応じてくれるだろう。横浜はそういうやつだった。

 ロストの言っていたことには一理ある。あれから五年が経ったが、ぼくは毎日先輩の夢を見ていた。おかげで、顔のあちこちから血を流して死んだ先輩の顔が、今でも鮮明に思い出せる。

 ブレインが突然変異を起こす一方で、サードにも変化があった。フォースと呼ばれる、一人で複数の能力を持つ個体が現れ始めたのだ。スワンプマンとの区別はさらにややこしいことになっている。……先輩が生きていれば、さぞ活き活きとした顔で働いていたことだろう。

 今思えばどころではなく、初めてのフォースは明確にロストであった。とはいえそれもまぁ、「発見」が初めてなのであって、「発生」については確かめようもないのだけれど。

「横浜君さ」

「はい」

「……君は女じゃないよね」

「えっ、な、なんすか、意味不明っすけど」

 九段下先輩は死んだ。女だったからだ。女だったからロストの興味を引いて、体の中の物を全部溶かされた。

「ぼくが学生だった頃はさ、男女の問題といえば、性差別だとか性的搾取だとか性的マイノリティーだとか、そういうのが全部で、それ以上のことはなかったんだ」

「あー、まぁ、そうっすね。堕脳(ブレイン)とかEF(サード)とか、結構最近になってから知られたものだって聞きますし」

「そうだよ。……なのに元々あった問題は何も解決していない。ブレインとサードの分だけ悪化して、差別や搾取はそのまんま」

「…………そう聞くとつらいっすね」

「学生時代に帰りたいよ」

 自分の性癖を絶対に悟られてはいけないと思い込んでいた中学生の頃。今思えばあの頃が一番幸せだったんじゃないかと思う。……まぁ、あの頃はまさか、自分がセカンドになるなんて思いもしなかったけれど。

「けど、悪いことばっかじゃないっすよ。きっと」

「……だな」

 後輩の性格が明るいことは、こんな世の中を生きる上での良い救いとなる。思えば九段下先輩も明るい人だった。

 ちなみに横浜君はゲイである。本人が隠したがっているようで、また現在進行形で隠し通せているとも思っているらしいから、ぼくは知らないフリをしているけれど。

 けれどもまぁ、あの日ぼくの肩を叩いた先輩の気持ちを理解する日が来るとは思わなかった。ちなみにサードの定義的には、アナルセックスは童貞卒業に当てはまらないということがすでに判明している。

「…………」

 現場が見えてきた。クロスと、拘束された女の姿までもが、もうすでに見えている。

 ぼくの童貞を奪った女性は、今はこの世のどこにもいない。かわりに隣にいるのは、いつかサードになるかもしれない、頼れる後輩だけとなった。……だからぼくはセカンドなのだ。

 それで最近のぼくはいつも漠然と、いつかこの世界が滅ぶ気がしている。

 


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