どれくらいの間そうしていただろうか。ふと兄の顔が浮かんで明莉の体を離す。
「電話借りていい?うちに電話するから」
自転車を漕いだこととはまた違う理由で火照っている体を廊下の冷気で冷やす。
「いい、よ。そこにある、から」
顔を赤らめて挙動不審ながらもそう廊下の端を指さす。
「分かった、ありがとう」
俺は廊下を進んで黒色の受話器を持ち上げる。この時間なら母さんはまだ帰ってきていないはずだ。見慣れた──でもあまり掛けることは無い、自宅の電話番号を軽く順に押していく。
十桁の番号を押し終えて受話器を耳に軽く押し当てる。
うんともすんとも言わない。かがみこんで電話から伸びた線を辿る。電話線は切れていない……。ふと思いついて明莉の部屋の電気スイッチを押す。──点かない。つづいて階段の電気スイッチ。点く。
「明莉、ブレーカーどこにあるか分かる?二階のブレーカーが落ちちゃってるみたいで」
すると明莉は困った顔をして首を振った。俺は明莉に断って階段を降り洗面所に行く。我が家と一緒ならばブレーカーは洗面所にあるはずだ。──予想通り白い四角い箱が洗面所の壁に張り付いている。俺は箱に近づいて下部に力を入れる。開かない。よく見ると右下に鍵穴。そんなばかな。
だがしかし、これではどうしようもない。階段を上がって明莉に鍵のありかを聞いても首を振られた。
何の連絡も入れないとさすがに兄ちゃんも心配する。でも連絡する手段がない。
「すまん、ちょっと帰る」
すると明莉はしばし固まったのち背伸びをして俺の頬、下のほうに薄紅色の柔らかい唇を当ててきた。俺も思わず固まるがすぐに我に返る。
「また明後日」
そう言い残して階段を降り、ふと思案に暮れる。このまま玄関から出れば男たちに見つかって一巻の終わりだ。でも自転車は男たちから見えるところに置いている。つまり。
俺は玄関で靴だけ取ってトイレに向かう。小窓を開け、そこから外の様子をうかがう。誰もいない。身を乗り出して黄昏時の裏路地へ飛び出す。
深い藍色の空の下、できるだけ細い道を選びながら、なんとなくの方向感覚で家のほうに向かう。人間にだって帰巣本能はある。
何度も路地を曲がり、何度も黒い影を見かけては引き返しを繰り返して、ようやく家の裏路地までたどり着く。男たちが揃いも揃って黒いスーツを身にまとっているので分かりやすくはあった。
台所の電気が点いていたので勝手口の扉をコンコンと叩くと、兄ちゃんが出てきた。左手にはペットボトルロケット。
「できたんだ!」
「さっきペットボトルをくっつけてたところ」
そう言って左手を高く掲げる。
「明日朝十時だ」