「すまん、ちょっと用事あるから先に帰るわ」
長い長い一日が終わり、荷物を片付けているとそう広樹が言いに来た。
「了解」
今日も米を炊かなければいけないのだろう。我が家は炊飯器ではなく圧力鍋でご飯を炊いているので、二十分プラス三十分の蒸らし時間があればでき上がる。
「さむっ」
廊下に出ると北側の窓から入ってきた風が僕の頬に容赦なく突き刺さる。まだ外は明るい。抜け道を通っても問題ないだろう。
そう考えて僕は校舎を出る。首筋にも冷たい風が当たる。鎌鼬とはこういうことなのではなかろうか。
信号を渡り、細い道に入る。日陰ではあるが、北側を古びたビルに遮られているため、風が吹かない。いいことではあるのだが、その分すこし不気味さを感じる。
無意識のうちに足を早めて、動いた空気で風が起こる。
コツコツコツ……。隠す気のない足音が聞こえる。
「早く帰ろう……」
僕はさらに足を早める。太ももとふくらはぎの筋肉が酷使される。
「ぉ-ぃ」
?
「おーい」
え?
「君だよ、大原栄太くん」
名前を呼ばれて僕は振り向く。そこには……。
「見るからに怪しい……」
「そんなこと言わないでくれよ~」
白いマスク、黒いサングラスとマフィア帽、スーツを身につけた長身細身の男が立っていた。
「何の用ですか?」
寒さのせいなのか、怖気のせいなのか震える膝に力をいれ僕は男の目があると思われる場所を睨む。
「睨まないでくれよ、怪しいものじゃないからさ」
どこからどう見ても怪しい。
「実は私はこういう者でね」
そう言って男は名刺を差し出してきた。名刺のど真ん中にキュッと文字が寄せられている。きっとパソコンの使い方が下手なのだろう。
「国際機密特査官……斉木……なんて読むんですか?」
「さんずいに売る」と「早」という字が書かれている。
「分からんのかね。『とくさ』と読むのだよ。国“さいき”密“とくさ”官だから、そういう名前にしたのだよ」
どうせ偽名だろうと思ったら、やはり偽名だった。しかもとんでもないネーミングセンス。
「で、そのなんたら特査官が何の用ですか?」
「自分の生い立ちに興味ないかね?」
生い立ち……。無くは無いけど。
「知りたいですけど、あなたが知っているんですか?」
「もちろん。私は国家の機密を収集しそれを還元することを目的にしているからね」
なんか日本語がおかしい気がするけど、すなわちスパイ?
「じゃあ一応、聞かせてください」
「いいだろう。単刀直入に言おう。君は双子の弟とかなり差があるようだね?」
……。
「はい」
あれは忘れもしない夏の日のことだった。