目が覚めた。
なんてことはない一日の始まり。しかし、その日はやけに頭が重く、しばらく布団の中で蹲っていた。
「おい。朝だぞ、起きろ」
「ん……」
だが、二度寝の誘惑を遮る声が頭に響く。
朦朧とした意識の中でもはっきりと聞こえる声に呼び起こされ、仕方なく体を起こす。重たい瞼を擦り、次第に視界が鮮明になっていけば、掛け布団の中央に堂々と一匹の黒猫が鎮座していた。
「……おはよう、モルガナ」
「おう。それにしても今日はいつになく眠たげだな」
「……あと五分寝させて」
「なぁー! 折角起こしてやった傍から横になるな! もうご主人が朝ごはん用意してくれてるぞ!」
「んぅ……」
「やれやれ……怪盗団のリーダーが朝に弱いなんて恰好がつかないぜ」
喋る猫―――モルガナが呆れた声で漏らすが、生憎それを聞いていられるほど余裕はなかった。
元々朝に強くない方であるが、怪盗団との二重生活を続けて夜遅くまで起きていることもあり、ここ最近は特に寝不足だ。ただでさえ気にしている目つきの悪さに拍車がかかってしまう。
そんなことを考えながら、癖のついた黒髪を適当に結い上げる。
これで黒ぶち眼鏡をかければ、一見暴行沙汰を起こしたようには見えない地味めな風貌の完成だ。
「ふぁ~あ……」
「欠伸しながら下りてくるたぁなってねえな……」
「……おはよう」
「おはようさん。ほら、客が来る前に食っちまえ」
「いただきます」
「やれやれ……」
階段を下りた先に広がる喫茶店の店内。
というのも、喫茶店の屋根裏に寝泊まりしている当人にとっては見慣れた光景だ。朝になれば漂ってくる芳醇なコーヒーと刺激的なカレーの香り―――これだけで鈍重だった思考回路がみるみるうちに覚醒していくというものだ。
すっかり目が覚めたれば、カウンター席に用意されていたホカホカの朝食へ豪快に食らいつく。
熱々にも拘わらずあっという間に減っていく料理を見れば、作った側としては嬉しい限りには違いないが、店主である佐倉惣治郎は「はしたねえぞ」と呆れ気味に言葉を漏らす。
「
「惣治郎」
「ん、なんだァ?」
「おかわり」
「……あいよ」
路上で酔っ払いに絡まれている女性を助けたと思えば、冤罪で前歴がついた。
そのように中々ハードな経歴を持っている
世間の誰もが、彼の怪盗団の首領が斯様に如何にも地味っぽい見た目の少女であるとは思うまい。暴行事件の前歴による悪い心証を少しでも和らげるために着け始めた伊達眼鏡も、今ではすっかり顔に馴染み、尚更世間の目を欺くマストアイテムと化していた。
「ったく、見た目通り大人しかったら苦労はしねえんだがよ」
「? 朝食以外で苦労をかけた記憶はない」
「口開いたらこれだ」
三軒茶屋の一角に佇むさびれた喫茶店“ルブラン”。
そこ店主兼保護司を務めている惣治郎には、保護観察期間中の自分を預かってもらう傍ら、時折店内の仕事を手伝わせられていた。
現在は朝食に用いた食器の他に溜まっていた皿や調理器具を洗わせているところだ。
朝早くから開いているルブランだが、以前までは閑古鳥が鳴いていた。にも拘わらず、ここ最近になってから途端に早朝からの客入りが多くなった。
今の時間帯はその第一波が終わり自分と惣治郎の二人だけだが、正式なバイトも居ない中で大量の皿洗いを任されるのは自分な訳で……。
いい加減誰でもいいからバイトを雇えばいいのにとは思わざるを得ない。
だが、一応飲食店という手前エプロンを身に着けている自分の姿が中々様になっている。それに器用で要領も良いと来たのだから、将来は立派なお嫁さんになること間違いなしだ―――などと他愛のない自画自賛に耽っていれば、
「これで愛想がよけりゃあな」
「それで前にひどい目にあった」
「あ? そりゃあどういう……」
「気にしないでくれ」
「……まさか俺の知らないところで問題起こしてるんじゃないだろうな」
「あれは問題じゃない……はず」
一瞬皿洗いの手が止まる。が、すぐさま泡もろとも過去を洗い流すように食器を濯いでいく。
あのような事件は決して口外できるものではない……。
なんてことを考えていれば、ソファから見物を決め込んでいたモルガナが笑い声を上げた。
「にゃはは! それってお前がメイド喫茶でバイトした時のことか?」
やめろ。と口を塞ぎたくなるが、モルガナの言葉は普通の人間には聞こえない以上、わざわざ皿洗いの手を止めて赴く必要はない。
が、必要があるかどうかと口を塞ぎたいか否かは別問題だ。という訳で泡塗れでびしょびしょの手を掲げれば、ビクリと体が飛び跳ねるモルガナが閉口する。
モルガナは面白がっているが、自分にとっては笑い話じゃないのだ。
調査の為にメイド喫茶に務めたらなんやかんや№1メイドに昇り詰め、いざ辞める時にファンが大勢押し寄せて警察沙汰まであと一歩になったなんて……あれから怪盗団の女子陣の警護が厚くなったような気がする。
「おーす!」
噂をすればなんとやら。
来客を知らせるアンティークな鐘がけたたましく鳴り響いたかと思えば、忍び込むように扉の隙間を掻い潜って入店した可愛らしい少女がドンと席に着く。
「おはよう、双葉」
「朝から惣治郎にこき使われてんなー。看板娘のおかげで客入りが増えたルブランは大忙しってとこか?」
「猫の手も借りたいくらいだ」
「そーかそーか。おっと、ここにちょうど猫の手が……」
「にゃあああ! やめろ!」
このようにモルガナを弄ぶ少女は惣治郎の娘、佐倉双葉だ。
長いオレンジ色の髪と大きな眼鏡がチャーミングポイント。小柄で細い体格が何とも守ってあげたい保護欲や母性を駆り立てる。これがいわゆるバブみという奴だ。
しかし、今現在の関係を正確に言い表すのであれば―――。
「ねえねえ」
「どうした?」
「私も皿洗っていいか?」
「いいけど、もうすぐ終わるぞ?」
「なら二人で洗った方がもっと早く終わるな! ほら、詰めた詰めた! むふふっ!」
「まったく……」
二人が並んで洗い物をするには窮屈なシンク。そこへ無理やり詰めて入ってくる双葉の姿は、家族と並び立って家事の手伝いをしたがる少女を彷彿とさせる。
ふと背後に視線を向ければ「やれやれ」と呆れた、それでいて微笑ましいものを見る眼差しを浮かべる惣治郎の顔が窺えた。
諸々の事情から一人っ子だった双葉だが、姉が居たら―――などと思っているのだろう。
「双葉」
「ん?」
「双葉はかわいいな」
「おぉ!? そそっ、そんな急に褒めたってうみゃあ棒しか出ないぞ……!?」
「双葉みたいな妹が居たらよかったのに」
「なぬっ!? 私が妹……むふふっ」
「お姉ちゃんって呼んでくれ」
「おねっ!? ま、待ってくれ。いくらなんでもまだ心の準備が……」
さっきまでの押しが嘘のようにたじろぐ双葉。これだから彼女はかわいい。
なんてことを思っていると無粋な惣治郎が「さっさと洗い終えちまえ」と催促するものだから、泣く泣く双葉との仲良し姉妹プレイを終える。
双葉はまだ満足していない様子だが、どうせこれから一緒に過ごす時間はいくらでもあるのだ。
「惣治郎。そろそろお暇させてもらう」
「ああ? そりゃあどういう……」
「そーだぞ、そーじろー! 私たちはこれから男子禁制の女子会を始めるのだ! 何人たりとも邪魔はさせないぞ!」
「ったく、なんだそりゃあ……」
とは言いつつも、惣治郎も結局は娘に甘い一人の父親なのだ。
適当なところで切り上げて着替え、後は集合場所である駅前にまで赴くのみ。普段ならモルガナを鞄に詰めて持ち運ぶところだが、今日はあくまでも女子会。男を自称するモルガナは必然的にお留守番だ。残念だったな、刺身は期待するな。魚肉ソーセージで我慢してもらおう。
「という訳だ! モナ、ちゃんと惣治郎の面倒看るんだぞ~」
「そ、そんなぁ~! 吾輩も杏殿の下に……!」
だが断る、とモルガナは惣治郎に任せて出発する。残念だったな、土産ににぼしくらいは買ってきてやろう。
野郎共は捨て置き、いざ渋谷へ。
聞き慣れた演説と雑踏の中を縫って進む間、双葉の手は握ったままだ。歩幅は双葉に合わせているが、時折そそくさと前へ躍り出ようと小走りになる様がまたいじらしい。
そうして待ち合わせ場所の某忠犬銅像の前に辿り着けば、傍からパッと見ても分かるほどのオーラを放つ三人の女子の姿が見えてきた。
「あ、来た! こっちこっちー!」
真っ先にこちらに気付いて手を上げる金髪の少女。
日本人離れした容貌は当然、アメリカ系クォーターである髪色に碧眼―――そして目をみはるばかりのナイスバディを誇るのは、同級生の高巻杏だ。
今日もモデルとしてのファッションセンスをひしひしと感じる洋服に身を包んだ彼女が、そのセクシーなオーラとは打って変わって純真な笑みを湛え、自分と双葉に居場所を示している。
そのおかげで周囲の視線を集めているが、それも致し方がない。
何せ、杏に勝るとも劣らない(当社比)美少女がもう二人並んでいるのだから。
「皆集まったわね。ちょっと早くに着いちゃったんだけれど、案外ちょうどよかったかも」
そう紡ぐのは、一学年上の我らが生徒会長こと新島真。今日も堅牢なレギンスで守られた魅惑的な脚が目を引く。
「このエロ眼鏡……」
「なんのことかな」
横に居る双葉から顰蹙を買った気がするが、女同士なのだからセーフだ。むしろ『ちょっと、見過ぎ……』という真の反応が返ってくるだけでお釣りがくる。
と、そんな視姦をスルーして口を開くのが、もう一人のゆるふわオーラを放つ美少女だ。
「さっき、待ち合わせの時間まで喫茶店でお茶でもしようか、ってお話していたところなの」
お嬢様風のゆるふわテイストの帽子とワンピースがよく似合う奥村春。
彼女も含め、計五人。ここに怪盗団女子が全員集った訳だ。
期待と興奮で気持ちが逸った分、結果として集合時間も早まったが、これはこれで都合がいい。むしろそれだけ長く一緒に過ごせるという訳なのだから。
「よーし! 一足早く女子会決行! っつー訳で音頭頼むぞ、リーダー!」
フンッ、ショウタァイム……! と似非ネイティブイントネーションを合図に、渋谷のスクランブル交差点へと突き進んでいく。
数多もの人が無秩序にも拘わらず流動的に行き交うのがスクランブル交差点の風景に他ならないが、その中で不自然に往来が避け、一本の道が出来上がる。
というのも、自分以外の面子の煌びやかなオーラが迸っているからだろうか。
「あのさ、貴方に似合いそうな服が売ってるお店見つけたんだけど、この後行ってみない?」
現役読者モデルのクォーターの抜群のスタイルを誇る美少女。
「それもいいわね。私も貴方もコーディネートしてあげてみたかったから」
生徒会長を務めるしっかり者のお姉さん系美少女。
「ん~、服もいいけど私はゲームセンターで遊びたいぞ。皆でな!」
保護欲を駆り立てるミニマムサイズの眼鏡妹系美少女。
「うん、それもいいわね! 洋服を見て、皆で遊んで……でも、その前に喫茶店でお喋りしましょう。実はここのスコーンがコーヒーと合ってね、ぜひ貴方に食べてもらいたいなぁなんて……」
清廉な社長令嬢を彷彿とさせる優雅なお嬢様系美少女。
「うん、それは楽しみだ」
―――に囲まれる喪女然とした地味な女。
両手に花、いな、ある意味ハーレム状態だ。
不釣り合いにも程がある状態に道行く男性陣から嫉妬と羨望の目を向けられているが、その度に自分を中心に陣取っている四人が威嚇するようなオーラを放っている様が、サードアイ越しに窺えた。
何故かは知らないが、こうして五人で集まって出かける時は、大抵四人がボディーガードやSPのような陣形を張るのだ。
確かにパレス内でもリーダーである自分を庇う動きを見せてくれる皆だが、流石に現実世界でまで実行しなくてもいいのではと思わなくもない。
ただまあ、女の目から見ても眼福な美形を侍らせられるシチュエーションはそそられるものがある。美しい花が束ねられている様を見て嫌悪感を覚える者は居ないという訳だ。
杏とはそれなりに長い付き合いだ。
鴨志田の一件から知り合い、彼女の親友である志帆の件で傷心な彼女を元気づけるべく、渋谷をはじめとした東京の町という町を歩き回り、旬のスイーツを食べ回ったのは良い思い出だ。おかげで胸と腹回りがきつくなったので、スポーツジムへ通うのも日課になってきた。スポーツジムで一汗掻いた後は、その足で近くの店で買い食いを……ダイエットの意味がないじゃないかって? 運動後は体の中が燃焼しているから摂取した食べ物はゼロカロリーだ、問題ない。
真とも随分気の置けない仲となった。
問題児と生徒会長。水と油のような関係性通り、最初は何かと目の敵にされていたものだ。けれども真が怪盗団の一員となってからは、学校では見られぬ彼女の一面を見てきた。ゲームセンターのプリクラで撮ったゴリゴリに加工した写真は、生徒手帳に挟んで宝物にしている。と、世間の娯楽に疎い彼女と都会を歩き回るのは楽しいけれども、時折ナンパしてくる輩を撃退する時の気迫がパレス攻略中より恐ろしい。なんだか過保護な姉みたいだ。
双葉とはもう家族のような関係だ。
お互い一人っ子で兄弟に憧れていた節もあったからか、そういう間柄になるのに時間は掛からなかった。双葉の方から屋根裏部屋に来ることは勿論、今ではこちらから双葉の部屋―――もとい佐倉宅にお邪魔し寝食や風呂を共にする機会も多い。半ば惣治郎公認になってきている気がする。かわいい妹成分を補給したい時には双葉と戯れるのが一番さ。最近ではよく添い寝もする。やめられない止まらない。
春とは双葉とも違う姉妹関係に近い。
一言で言うなら、背伸びしたお姉ちゃんだ。要所でお姉ちゃん風を吹かせようとするが、世俗に関して疎いからか、度々思い通りにならず慌てふためいている。けれど、包容力という点で真とも違うお姉ちゃん力を発揮してくる。甘えたくなったら春の下へ行き、よく頭を撫ででもらったり膝枕してもらったりしている。知っているか、美少女怪盗は良い匂いがするぞ。
と、そんな美少女たちと都会を散策だ。
喫茶店で駄弁った後、向かった先はブティック―――なのだが。
「ねえ、これとか似合うんじゃない!?」
「……ちょっと露出が多い気がする」
「そんなことないって! 君って着痩せするタイプだし、寧ろ見せつけてくぐらいの気持ちがちょうどじゃない?」
絶賛着せ替えマネキンにされていた。
ブティックに来るや試着室に押し込まれ、四人が次々に持ち寄ってくる服を着させられる。
杏が持ち寄ったのはスタイルに自信がある人―――それこそ杏のようなモデル体型しか着られない脚やら臍が露出する服だった。
流石に田舎上がりの芋女には厳しい服装だ……。
「やーんっ、似合うゥ~!」
着たけども。
大根にも勝る大根役者な杏がそれっぽく褒めてくれるから着たものの、体のあちこちがスースーして落ち着かない。
だが、そこに助け舟……いや、助けバイクがやって来る。
「もう、杏ったら。彼女が恥ずかしがってるじゃない。こういうのは肌を見せつければいいものじゃないわ」
「真……」
「ほら、私も貴女の為に選んできたわ」
「ありがとう。気持ちは受け取っておくよ」
「流行りとかには疎いから迷ったんだけれど……」
「気持ちがあれば十分さ」
「でも、貴女に似合うって思える服を見つけられたわ」
「気持ちだけ……」
「着てくれる?」
「はい」
最後の笑顔に威圧された。その一瞬の隙を突くように真に服を手渡されるや試着室のカーテンを閉められる。
ここは腹を括って着るしかない。
だが、
「うん、似合ってる!」
「うっわー、スッゲーパツパツ……ドエロいな~」
「ちょっ……双葉!? 私はそんなつもりで選んだわけじゃ……」
双葉の意見は的を射ていた。
そう、パツパツなのだ。具体的に言えば、服が体のラインにフィットして体形が浮かんでしまっている。これでは怪盗服姿の真とさほど変わりがないじゃないか。パツパツなのは怪盗服の真のお尻だけで十分だ。あ、待って。思考を読んだかのように拳を握らないで。
「これは流石に」
「そう……」
シュン、と肩を落とす真。罪悪感が胸を過るが、こんなニッチな層に受けそうな攻めた格好はできない。ライオンハートを以てしても無理なのだから仕方ない。
これにて真のターンは終了。
続いては―――と行きたいところだが。
「待て、双葉」
「ん? どうかしたか?」
「今その手に何を持ってる?」
「何って……下着だが?」
「この流れでどうして下着が出てくる」
普通服だろう。いや、確かに下着も服と言えば服だけれども。
そうツッコミたくなるような黒く色っぽいランジェリーを携えた双葉は、白い歯を覗かせて悪戯に笑う。
「にししっ! どうしたもこうしたも、最近は一緒にお風呂入ってるからな。私服とは別に私にしか見られないところを着飾ってやるんだ」
「えっ!? 二人って一緒にお風呂入ってるの!?」
爆弾発言を投げ込むな。
見ろ、三人が随分と難易度の高い表情を浮かべているぞ。杏と真は驚いたような、春は微笑ましいものを見るような笑みを湛えている。
なんだ、そんなに双葉と風呂に入るのがおかしいか。
「時々だぞ?」
「そっか。まあ、そりゃそうだよね!」
「私も小さい頃はお姉ちゃんと入っていたけれど……でも、一緒だったのはお互い小学生だったくらいまでだわ」
「へぇ~。ちょっと羨ましいかも……私って一人っ子だから」
「お? 春も参戦所望かぁ~? んでも、私ん家のお風呂は三人も入れないぞ?」
どうしてそこで佐倉宅の風呂を持ち出すのだろう。というか、何気に双葉も一緒に入る計算だ。あの家の湯船に三人で浸かったらギチギチでリラックスどころではない。
「それならルブラン近くの銭湯ならどうだ?」
ルブランを出て真っすぐ路地裏を進んだ先に佇む、年季が入った古き良き趣を覚える銭湯“富士の湯”。利用客は年配で、しかも男性―――もといお爺ちゃんが大半だ。平日の夜ともなれば一人でしっぽり浸かることも専らである。
と、何の気なしに提案したのだが、
「おっ、いいかも! 皆でお風呂とか初めてじゃん?!」
「そう言えばこのメンバーで大浴場とかに行ったことはないわね。修学旅行もハワイだったし……」
「そう言えばそうだったな。よしっ! それじゃあ今日の女子会の締めは裸の付き合いか?」
「いいかも! 実は私銭湯に入ったことがなくて……頭に乗せるタオルを持ってけばいいんだっけ?」
案外全員乗り気だ。
まさかここまで食いつきがいいとは想像もつかなかったが、その後もショッピングやランチ、双葉リクエストのゲームセンターで一頻り遊び倒す。
そうしている内に空は白み、赤く染まり上がる。
帰路につくのに丁度良い時間帯に突入したが、我々の女子会はこれからが本番だ。
「うっわー! やっぱ家と違って銭湯広ぇー! それに誰も居ないから貸し切りぃー!」
「ちょっと双葉、あんまり騒がないの……」
「まあまあ、誰も居ないしオッケー的な?」
「うふふっ。私たちだけって思うと、なんだかワクワクするね」
見立て通り利用客は自分たちしか居ない。
これならばちょっとキャッキャウフフしたくらいでは迷惑をかけることはない。
なら、遊ぶしかあるまい。
「せいっ」
「わぷっ!?」
手で水鉄砲を作り、春の顔面にお湯をぶっかける。
「ちょっと、不意打ちは卑怯だよぉ……」
「おー、春のかわいい顔がびしゃびしゃにされちゃったなぁ……」
「双葉、なんかわざと卑猥な言い回ししてない?」
やけに芝居がかった言い回しをする双葉に杏が苦笑を浮かべた。
しかし、そこへ呆れた様子の真がノコノコとやって来た。
「もう……公衆の場なんだからあんまりぷじゃっ!?」
がら空きだ。と、真の顔面にも水鉄砲をぶちまける。天才ゲーマーことキングから伝授された狙撃スキルは伊達ではないのだ。双葉も「ナイスショット!」と声を上げる。
が、愉快な気分もここまで。
目線を上げた先―――そこに佇む修羅の眼光を目の当たりにし、体中から血の気が引いた。
「あ」
「……やってくれたわねー!」
「ぎゃあああ!」
シャドウを一蹴する眼光を閃かせる真が飛びかかってきた。
熱い湯船の中、どこか楽し気な笑みを浮かべる彼女は、こちらを組み伏せるや脇やら脇腹やらを擽られる。
「ひぇー! 殿、ご乱心! ご乱心であるぅー! 我々も続けぇー!」
「あっはっはっは! 続いたらダメでしょ!」
「ねえ、双葉ちゃん。その水鉄砲のやり方、私にも教えてくれない?」
「もちろんだ! これで殿に狼藉を働いた怪盗を仕留めるのだ、なんつってな!」
まさかの全員が敵に回った。
「双葉! ファイナルガードを!」
「なにィ!? よーし、任せとけ! 私が守る!」
と言いながら腰を掴まれた。
「ポジションハックは指示してないぞ!」
「ドヤ」
「図ったな、双葉!」
なんてやり取りしれば、案の定他の三人が
構えられる水鉄砲。
標的は無論、
「総攻撃ターイム!」
双葉の掛け声を皮切りに、水鉄砲の一斉掃射が襲い掛かるのだった。
「あぅー……」
「おいおい、なんだその体たらくは。帰ってくるや倒れ込みやがって……」
「誰が屋根裏のゴミだ」
「言ってねえっつーの!」
ベッドに突っ伏しながらモルガナに応答する。
あれから富士の湯で散々弄ばれた為、体力はゼロに等しい。こうしてルブランに帰ってこられただけでも御の字だ。
「ふぅ……パレスよりも疲れた」
「一体何してきたんだよ……っと、おい。スマホ鳴ってるぞ」
「んんぅー……?」
入浴は済ませたのだから、このまま眠りに就いてもいい。
そんな時に鳴り響く通知音を受け、必死に重たい瞼を開けて内容を閲覧する。
(杏からだ……)
『お疲れ! 今日めっちゃ楽しかったね! また今度皆でお風呂に行ってみない? 今度は銭湯じゃなくて旅館とかに泊まりに行ってさ!』
(旅館……いいかも。あっ、真からも)
『さっきはごめんなさいね、柄にもなくはしゃいじゃって……でも、貴女と居ると不思議と楽しくて仕方がなくて。また良かったら一緒してもいい? 今度は二人きりでゆっくりしながら』
(確かに真と二人きりならゆっくりしっぽりと浸かれるだろうな……双葉からもきてる)
『乙! はしゃぎ過ぎてのぼせてたみたいだけど調子はどうだー? それより杏も凄かったけど、やっぱお前もチートだな! 何がとは言わんが! 私も惣治郎のカレーはしっかり食べてるのに一体どこで発育の差が……』
(『牛乳に相談だ』、と……春からもきてるな)
『今日はとっても楽しかったよ! 皆と居るといつも新鮮な気分になっちゃう。それでちょっと思いついたんだけれど、今度は私の家でお泊り会でもしてみない? ベッドの数も足りるし、皆で集まってみたいな』
(お泊り会……悪くないな)
今日の総評と共に、新たな女子会の構想も送られてくる。
また皆で集まって遊ぶ機会が楽しみだ―――なんて思っていると、ぼやける視界の端にどんどん通知が溜まっていく光景が目に入った。
(……まさか)
『よーう! 明日暇か? 暇ならスポーツジムにでも行って汗流そうぜ!』
『新たな絵の着想が生まれた。それについてなんだが、是非君にモデルになってもらいたい。明日時間があるなら会えないか?』
竜司と祐介からのお誘いが来た。
しかし、誘いはそれだけに留まらない。
『やあ。明日いつものジャズクラブに有名な歌手が来るみたいなんだけれど、一緒にどうかな?』
『夜分失礼します! 実はたった今占いをしたところ、明日は貴女と過ごすのが吉とのことでして』
『おい、明日暇か。薫が会いたがってる。飯ぐらいなら奢ってやるぜ』
『モルモットちゃん。良い薬が完成したから明日取りに来てくれる? 貴女にぴったりのおクスリだから』
『こんばんはぁ~! べっきぃ、久々にご主人様のお部屋の掃除に行きたいなァ~☆ ご主人様の指名なら、べっきぃすぐに飛んでっちゃう♡』
『お~い! いい記事なんかな~い~? ま、別になくてもいいからさ。明日お姉さんの奢りで寿司とか食べに行かない?』
『お姉ちゃん、最近顔見てない気がするけど……継続は力なりだよ! ぼくがガンナバウトの指導してあげるから、明日ゲームセンターに来てよ!』
『こんばんは、一二三です。急な話で恐縮なのですが、母の伝手でナイトプールのチケットを頂いて……二人分あるので是非貴女と一緒に行けたらと』
『なあなあ、聞いてくれよ! 怪チャンにまた改心させたい人の書き込みがあったんだ! ここで説明するのもなんだし、たまには直接会って伝えるよ!』
『やあ。突然な話なんだが、明日は空いているかい? 実は有名な先生と議論を交わす場に恵まれてね。後学の為に、君も興味があるなら来てみるかい?』
『お久しぶり。あまりこういう連絡に慣れていないんだけれど、明日は暇かしら? 明日、オペラを鑑賞しに行く予定でね。もし行けるのなら返事を返してもらえると嬉しいわ』
『先輩、夜分遅くに失礼いたします! 実は明日お休みを頂けて……日頃の感謝を込めて先輩に恩返ししたいんですが、ご予定はありますか?』
「……」
「うわっ、随分誘われてんな。流石は怪盗団のリーダー。持ってる女は違うぜ」
「……」
「疲れてんなら明日の朝にでも返事すればいいんじゃないか? 今日はもう寝ようぜ」
「……すぅ……すぅ」
「って、もう寝てたのかよ!! 人が心配してるのを余所に寝るなよな!!」
マジねーわ!! と叫ぶモルガナの声も次第に遠ざかっていく。
体の内側からポカポカと。まるで陽だまりのような温もりを帯びていく体は、すぐにでも自由を手放してしまいそうだ。
もうちょっと、もうちょっと。もう少しだけこのままで居させてくれ。
そうして枕に顔を埋めている内に、意識は窓の外に広がる夜のような闇の中へと沈んでいった。
現実と精神の狭間へと誘われるような、深い深い夢の中へ……。
目が覚めた。
やけに懐かしい夢を見たものだ。そんなことを思いつつ重たい瞼を擦る。
馬鹿馬鹿しい。
「……ん?」
次第に明瞭になる視界。
線となる世界が目の前に広がる。
―――俺は今どこに居るのだろう?
困惑を覚えると共に全身からサァっと血の気が引いていく。
表情だけは平静を取り繕い、辺りを見渡す。
ガタガタと揺れる現在地は自室どころかルブランですらない。
(電車の……中?)
それも通学や遊びに行く際にも使わぬような下り線だ。
この路線を使ったのはたったの一度だけ。それも不安と緊張を抱きかかえて実家から送り出された苦々しい出立の日。
咄嗟にスマホを取り出し、日付を確認する。
4月9日土曜日。
まさか、と思うも束の間、第二の信じがたい光景が目に映る。
スカートだ。扉の前で屯している女子高生の話ではない。現在自分が身に着けている衣服の話だ。
自分は確かに男だったはず。にも拘わらず、現在身に着けている下半身の服は清楚な印象を与える白いロングスカートではないか。
(そんなはずは)
バッグを見る。
が、頼みの自称怪盗の猫の姿は見受けられない。代わりに今どきの女子高生が所持している小物が見受けられるのみだ。
電車が目的地へ着くまでの間、「怪盗」や「心の怪盗団」というキーワードを検索してみても、それらしき内容は一件もヒットしない。
まさか、まさか、まさか―――。
滝のような汗が噴き出てくる。
そうして辿り着いた渋谷駅を出れば、あの日と変わらぬ人混みに溢れるスクランブル交差点が目に入った。
刹那、世界が止まる。
赤と黒に彩られたイセカイ。その中央より燃え盛る蒼い覚醒の炎は、確かにこちらを見据え、不敵な笑みを湛えていた。
心なしか、今の自分の姿を嘲るようにも聞こえた笑い声は、いつの間にか元通りになった雑踏の中へと消え入る。
間違いない。これは……
「時間が……巻き戻ってる……?」
それも性転換までされて。
「……ふふっ、ははっ……はははっ、アハハハハハハハハハハ!!!」
おかしい。まったくもっておかしい。おかしくて笑いが止まらない。道行く人々には奇異の視線を向けられるが、そんなものには慣れたものだ。
自分が女になって? 全ての始まりとなったこの日まで逆行して? そして自分達怪盗団が歩んだ軌跡の一切合切が水泡に帰したのだ。これを笑わずにいられるだろうか。
(いや、寧ろ好都合かもしれないな)
しかし、全てが無駄だったわけではない。
何かの手違いで女性の体になれど、記憶だけはこうしてはっきりと受け継がれている。
知らぬことで苦難の道を歩まざるを得なかったことがあるならば、知っていることで避けられる悲劇があるはずだ。その思い当たる節はいくつも覚えている。
(もう一度怪盗団として変革を巻き起こせ、という訳か? ……面白い)
逆境こそが、
「フンッ……
震え声で宣戦布告してやった。
TAKE YOUR マーラ