『紋代造船』本社のグループウェアシステムのメールを使って、犯人は身代金を要求してきた。
暢宛てに届いたメールの送り主の名前は「蛇浦明紗」。その名を目にすると、その場にいた者たちを驚きの声を上げたのだ。
「蛇浦……まさか、彼女が!?」
「いや、あり得る。直桜はあの女に懐いていたからな。連れ出すのは簡単だっただろう」
「誰ですか、そのヘビウラって人は?」
「……
藤絵が冷ややかにそう告げた。
話を聞くに、生前の紋代氏が突如、彼女を秘書にすると会長直々に人事を決定したそうだ。ロングヘアーが美しい、モデル体型の美人らしい……彼女の能力ではなく身体が目当ての人事なのだろう。誰もがそう思ったそうだ。
「柏木! 急ぎ蛇浦と連絡を取れ!」
「そ、それが。蛇浦君はスマホが壊れたと言って、一昨日から連絡手段がないんです!」
「だったら決まりだろう! 誘拐犯は蛇浦だ……いや、もしかしたら片場希海、あの女と
「待て。短絡的な推理は真実を見誤る」
メールアドレス=犯人だと決め付ける暢をエドモンが諫めた。確かに、亡くなった前会長の愛人疑惑がある秘書が、誘拐事件が起きている最中に姿を消し、連絡を取る手段がない。
第一容疑者の線が濃厚ではあるが、社内グループウェアのメールなど、IDとパスワードさえ知っていれば誰でも送れるのである。
「誘拐現場を検めようか。魔女、清水。2人は被害者の部屋の捜査だ」
「分かりました。麟さん、一緒に来てくれますか? 直桜ちゃんの姉である貴女なら、現場に残ったヒントを見付けてくれるかもしれません」
「了解したわ」
「よろしいか」
「まあ、良いでしょう。誰か、案内して差し上げて」
「蘭ちゃんも、一緒に行かない?」
「え……うん」
清水が麟の手を引き、ジャンヌも蘭を誘いメイドの案内で直桜の部屋を捜査するために広間を出る。その時、何やらジャンヌが立香とアイコンタクトを取っていた。
気のせいだろうか。わざと麟をこの場から遠ざけたような気がする。
「さて、傷付く者はいない。犯人からの要求にあった「少女の父親」について語っていただこうか」
「少女の父親って、あの子たちの父親が何かまずいことでもやったんですか?」
「……麟ちゃんは、直桜ちゃんと自分は似ていないけれど仲良しな姉妹だと言っていました。麟ちゃんは父親似で、直桜ちゃんは母親似。血液型も同じ。直桜ちゃんはお母さんと同じO型で、麟ちゃんはお父さんと
「っ! ま、まさか……」
「特例こそありますが、AB型とO型の両親からO型の子供は生まれません。直桜ちゃんの本当の父親は、紋代立郎氏じゃないんですか」
立香の追及に、その場の人間たちは大いに動揺した。ただ1人、藤絵を除いて。
そうか、だから『カルデア探偵局』は麟を部屋から遠ざけたのだ。幼い少女が傷付くのを防ぐために……恐らく、麟は何も知らないのだろう。
しかし、いつかは気付いてしまう残酷な真実だ。
「麟ちゃんの両親の離婚も、母親を亡くした直桜ちゃんが紋代家に引き取られた理由も、彼女が紋代立郎氏の隠し子ならば辻褄が合うんです」
「……その通り。あの子は、紋代立郎の子です。DNA鑑定でもはっきりと結果が出ております」
藤絵は忌々しそうに、呆れ返るように吐き捨てた。
確か、紋代氏の享年は69歳だ……還暦を過ぎた年齢で、自身の孫ほどの娘を儲けたなんて確かに呆れたという反応しかできない。しかも、相手の女性には既に夫も子もいたのだ。
「所帯を持つ女に手を出すなんて、本当に馬鹿なことをしました。女も女です! 挙句の果てに死んだ後の面倒まで……っゴホ、ゲホっ」
「奥様。お薬のお時間です」
「分かっているわよ! いちいち急かさないで!」
咳き込む藤絵に、1人のメイドが水を差し出した。刺々しい言葉を投げ付けられたが、メイドは1mmも表情を変えずに聞く耳を持っていない。
藤絵はポーチを取り出すと、中のピルケースからいくつか錠剤を取り出して服用した。恰幅の良い女傑に見える彼女も、寄る年波には勝てないのだろう。
藤絵が水と共に服薬をしたその時、薬の入っていたポーチがテーブルの下に落ちてしまった。コナンは椅子から下りてテーブルの下に潜り込むと、ポーチを拾って中を覗き込む。
先ほど取り出したピルケースの他に、お薬手帳や処方箋、瓶入りの液体薬などが入っていた。
「っ! 何をしているの! 返しなさい!!」
「ご、ごめんなさい。何が入っているか気になっちゃって……」
「コラ小僧! 何してやがる!」
怒りの形相でポーチは取り上げられ、コナンの脳天には小五郎の拳骨が落下した。ちょっと、やりすぎたかもしれない。
痛む頭を摩りながらテーブルの下から這い出て来ると、先ほどのメイドが空になったコップを回収して、何事もなかったかのように無表情で退室した。ロボットのような女性だ。
「ねえ、あの人は誰?」
「メイド長の天木さんよ。奥様とは犬猿の仲……あんまり、仲が良くないの」
隅に控えるメイドの1人にこっそりと訊いてみる。彼女、
あのような仕打ちを受けて、よくまあ長年勤められるものだ。と、コナンがちょっと感心したところで大人たちは本題を進めた。
直桜のために身代金を払うか否かだ。
「支払うしかないだろう! 直桜の出自が世間に公表されたら、
「しかし、その10億はどこから出す気だ? 兄貴がポケットマネーで支払うのか? 無理だ、とても払えない!」
「暢さんも充さんも、落ち着いてください。ここは直桜ちゃんの身の安全を優先にして考えてください!」
「一旦、事件を整理しよう」
「ニャー」
真正面から対立する兄弟の間で、プルートーが一声鳴いた。
さあ、事件を整理しよう。
【被害者、細川直桜について】
・『カルデア探偵局』の依頼人である三谷麟の妹であり、亡き紋代立郎の隠し子。そのため、母が急死した半年前に紋代家へ引き取られた。
・ちなみに、紋代氏は彼女を認知しておらず、戸籍上は麟の父親が実父となっている。遺産の被相続人からは外されており、彼女のための遺言状も残されていない。
・誘拐された時刻は不明。昨夜は午後9時に就寝を確認されているが、彼女がいつから姿を消したかは誰も目視していない。
【容疑者、蛇浦明紗について】
・亡き紋代氏の第二秘書。秘書兼愛人としての人事かと噂されるが、真偽は不明。
・直桜は彼女に懐いており、よく遊び相手をしていた。蛇浦ならば直桜も無抵抗でついて行く可能性が高い。
・身代金を要求する声明は彼女のグループウェアメールから届いた。一昨日からスマートフォンが故障し、連絡が取れずにいる。
【身代金10億円】
・亡き紋代氏の個人資産のおおよその金額。既に藤絵、暢、充の3名で相続済み。
・犯人は直桜自身の身柄と、直桜が紋代氏の隠し子であり麟の家庭を壊した元凶であることをマスコミにリークしないことと引き換えに金銭を要求している。
【余談】
・先日接触してきた隠し子の1人、片場希海との関連性は不明。
「もし、本当に蛇浦が親父の愛人だったならば、散々弄ばれたのに、自分には1銭も遺産は与えられなかった。親父を恨んでいるだろうな……直桜と引き換えに、遺産を掠め獲ろうとしているのかもしれん」
「そうだ、親父の遺産を現金換算して10億だと知っているのは、私たちや秘書たちだけだ! やっぱり、蛇浦が……母さん、母さんの個人資産でなんとか10億出せませんか?」
「何でわたくしが!!」
また親子による言い争いが始まった。彼らは蛇浦が誘拐犯であると信じ込んでいるようだ。
だが、コナンにはまだ気になることがある。こっそりと部屋を脱け出して、周囲に誰もいないことを確認してからスマートフォンを取り出した。
「もしもし、灰原か。お前、紋代立郎って聞いたことあるか? 『紋代造船』の先代会長で、黒の組織に関わっていた可能性がある」
『……っ』
電話の向こうで、哀が一瞬息を飲んだ。
心当たりがあるのだろう。彼女は小さく「アヤシロ……」と呟いた。
『どこかの造船会社が、組織への資金提供をしていたと聞いたことはあるわ。彼らがコードネームを欲しがっていたとも』
「コードネームを……」
『貴方、また何か危険な事件に首を突っ込んでいるんじゃないでしょうね』
「サンキュー灰原」
『ちょっと、工藤く……』
哀との電話を切ったコナンは、また電話をかけた。
「……オレだ。ちょっと、頼みたいことがある」
ちなみに、三谷家の祖父母は直桜が自分らの孫ではないことは知っていたらしい。