直桜が消えたと騒ぎになってから、コナンたちを含めた人々は彼女を捜して広い紋代家の敷地内を隅々まで捜索した。その時に、敷地の片隅にある離れのような建物を発見した。
「ねえねえ、あっちの建物は誰のお家なの?」
「あそこは、亡くなった旦那様の離れよ。別荘みたいなものね」
厨房にいたメイドたちへ尋ねてみると、彼女たちは快く答えてくれた。
あの離れは、亡き紋代氏の部屋。晩年は屋敷内の広い自室よりも、1人で静かに過ごせるあの場所を愛用していたらしい。死因となったインフルエンザの療養もあの離れで行い、あそこで肺水腫を発症したとか。
「お屋敷から離れた場所に1人だなんて、紋代さん、寂しくなかったのかな?」
「それがね、奥様が付きっ切りで看病なさっていたのよ。あの離れ、キッチンやお風呂もあって、ちょっとしたアパートみたいになっていてね、あそこでお食事のお世話もなさっていたの」
「あれだけ浮気を繰り返していても、日に日に弱っていく旦那様を見ていられなかったのかしらね」
「でも、本当はあの離れ、旦那様が逢引き用に造ったって噂もあるじゃない。昔は片っ端からメイドに手を出していたって……」
メイドたちの話題が盛り上がる前にコナンはその場を退散し、例の離れへと向かった。
彼女たちの話の通り、庭が見える大窓の向こうから見える室内にはダイニングキッチンが見える。まだ内部は片付けられておらず、中には家具が置いたままになっていた。
『中を調べられないか……お、窓が開いてる。ラッキー』
コナンは窓から中に侵入して勝手に中を調べ始めた。
離れの間取りは1DK。ダイニングに電動ベッドが設置され、ベッドの上から眺められる位置に飾り棚が置いてある。
棚には、『紋代造船』の記念式典の写真やら酒瓶が飾られている。酒の種類はコニャックだ……紋代氏のお気に入りの酒だったのか、エチケットラベルには「Mine」と書かれていた。
「……」
「ミャー」
「っ! え、プ、プルートー?」
「ニャン」
「コナン君、こんなところで何をしているの?」
いつの間にか、離れには立香とプルートーがいたのだ。窓から侵入したコナンとは違い、鍵のかかっていた入り口から入って来たようである。立香の手には鍵束が握られていた。
「た、探検していたら、このお家を見付けたんだ。窓に鍵がかかっていなかったから、入ってみて……」
「嘘だね。紋代さんが亡くなった時の状況を調べに来たんだろう。俺たちみたいに」
ああ、やはり無駄か。偽るための演技は止めよう。
彼らは、正式にこの離れの鍵を預かって調査にやって来ていた。コナンと同じで、立香も紋代氏の死について何か引っかかっているのだろう。
紋代氏の死因は、インフルエンザを拗らせての肺水腫。肺に水が溜まって呼吸困難を引き起こし、病院へと搬送されたが結局そのまま病死した。
そう、医師の診断も病死だった。だが、何かしっくりと来ていない。
離れの中をうろうろと嗅ぎ回るプルートーのように、コナンはどこか落ち着かないのだ。
「ニャーオ」
「プルートーって不思議な猫だね」
「そうかな」
「うん。立香さん、『三毛猫ホームズ』って小説を知っている? その小説に登場する、ホームズって名前の猫みたいだね」
「ミャー」
「自分じゃホームズじゃないって言っているよ。プルートーは、『黒猫』だから」
そう、プルートーは黒猫だ。隻眼の黒猫……その名の由来となった『黒猫』のように、彼は犯人がいる前でよく鳴く。
そして、ホームズの名を冠する三毛猫のように、時には事件解決の手がかりになる場によく居合わせる。不思議な猫なのだ。
「ホームズ繋がりで、シャーロキアンのコナン君に一つ尋ねてもいいかな? もし……もしもの話なんだけど。シャーロック・ホームズを無力化する存在って、いると思う?」
「ホームズを無力化する存在?」
「ホームズをライヘンバッハの滝壺に落としたモリアーティや、ホームズを欺いたアイリーン・アドラーじゃないよ。そうだな……神の視点で、シャーロック・ホームズの存在理由に関わるような、キャラクターとして「シャーロック・ホームズ」を止めることができる存在」
例えば、相棒であるジョン・ワトソン。
『シャーロック・ホームズ』シリーズは、ワトソン医師が書いたホームズの活躍という体の小説だ。もし、最初からワトソンが存在しなかったら、彼の活躍は世に広まらなかったかもしれない。
それか、もっと根本的な……立香の口から出て来たのは、コナンの名前の由来となった創造主の存在だった。
「コナン・ドイルがホームズを消そうとすれば、名探偵は止まるかな」
「……それはないと思うよ」
「どうして?」
「ホームズは、生みの親であるドイルでも止めることのできなかった名探偵だ」
「っ!」
シャーロック・ホームズは、宿敵であるジェームズ・モリアーティと共にライヘンバッハの滝壺に落ち、死んだ。『シャーロック・ホームズ』シリーズは幕を下ろした。
はずだった。
幕を下ろすことを許さなかった読者は、ドイルへの抗議やら脅迫やらの過激な行動にも出てしまった。その後、10年の時を経てホームズは『空き家の冒険』で復活したのだ。
「それに、もしドイルがホームズを生み出さずに歴史に彼の存在が刻まれなくても、きっと別の誰かが別の名探偵を生み出していたはず。世界に謎が溢れている限り、名探偵の存在を消すなんて不可能だ。本当に、歴史上から名探偵を抹殺したいのなら……“名探偵”という概念そのものを、消す必要があるんじゃないかな」
そう……コナンが、新一が憧れ、至ろうとする
しかし、名探偵が存在しない世界は……考えるだけでも、随分と味気ない世界である。
プルートーが嗅ぎ回るように、コナンと立香も名探偵のように離れを調べた。
別室にはクローゼットがあったが、中には替えのシーツや下着などがそのままになっている。ゴミ箱の中身や衛生用品等は流石に捨てられていた。
「バスルームもトイレも、キッチンもしっかりとした設備がある。本当にアパートみたい」
「紋代さんが亡くなって結構経つのに、離れの片付けをしていないんだね。会長が亡くなって、隠し子も現れて忙しなかったのかな」
キッチンを調べると、ガスは止められ冷蔵庫はコンセントが抜かれていた。
備え付けの戸棚を開けると茶碗や土鍋などがそのままだ。数は多くないが、料理のための一式が揃っている。
紋代氏が臥せっている間は、藤絵がここで病人食を作っていた。戸棚には使い込まれたフッ素樹脂加工の鍋セットが、彼女が取り出しやすい位置に収納されている。
「あれ、この鍋……一つ、足りない?」
コナンが鍋セットに違和感を抱いた。
同じデザインだが、大きさだけが違う四つの鍋。極小、小、大、特大サイズの鍋がマトリョーシカのように収納されている。しかし、小と大の間にあるはずの中型の鍋がないのだ。
よく使う大きさだから、それだけが早々と駄目になってしまったのだろうか?
否、違う……鍋が一つ足りないのは、きっと。
「どうですか、何か見付かりましたか?」
「あ、藤絵さん。もう少し、調査してもよろしいでしょうか」
「構いませんよ。どうせ、何も出てきやしないのですから」
離れに藤絵がやってきて、コナンは咄嗟に立香の背後に隠れた。彼女はコナンに気付くことなく、そのままダイニングに入ると、飾り棚へと目をやった。
飾り棚の隅に、薄桃色のウサギのぬいぐるみが倒れている。老人が持つには不釣り合いな、柔らかそうな可愛いウサギだ。
「本当に、紋代家の男は馬鹿ばかり。わたくしの父も祖父も、同じでしたわ……息子たちは、直桜の身代金を支払わないと決めました。もしくは、値切る気でいますわ」
「っ! そんなことしたら、直桜ちゃんの安全は」
「……どうして、こんなことに」
藤絵は飾り棚のガラス扉を開けると、倒れているウサギのぬいぐるみを拾い上げた。よく見ると、ウサギはメッセージカートを手に持っている。「おじいちゃん、げんきになってね」と、拙い子供の文字で書かれたメッセージカードは、おそらく直桜から紋代氏への贈り物だ。
藤絵はウサギの頭を優しくひと撫ですると、飾り棚の目立つ段に座らせた。
「ニャーーーン」
「賢そうな猫ね。終わりましたら、あの子……天木にでも鍵を返しておいてくださいな」
「……はい」
近くにやってきたプルートーが一声鳴いてから、藤絵は離れを後にした。
先ほどの彼女の様子と、この離れで見付けた物を総合させる……コナンの中では、事件の一端が解かれつつあった。
「コナン君。君は、何かに気付いたんじゃないかな? この事件、何かがあるんだろう」
「まだ確証はないけどね。でも……きっと、直桜ちゃんは大丈夫だよ」
「本当に?」
「うん」
コナンと立香の視線が交差する。
彼はコナンと目線を合わせるために屈まなかった。まるで同年代の少年に話しかけるかのように、対等に言葉を交わしていた。
プルートーは音もなく立香の足元に移動する。色濃い影の中に紛れて、左目だけでコナンを見上げていた。
「君はプルートーを不思議な猫と言ったけど、俺にしてみれば君の方が不思議だよ。コナン君と話していると、子供と話している気がしない。まるで、賢い先人と話しているみたいだ」
見た目は子供、だけど中身は大人……と言うのかな。立香は、まるで誰か心当たりがあるようにそう呟いた。
「そういう人たちに幾度ともなく助けられてきた。言葉を交わして、時には敵対して、色々な世界を見て来た……これでも、人を見る目はあると思う。だから、もう一度君に尋ねるよ……君が、
彼が、コナンの真名を口にしたら誤魔化すことはできるだろうか。いや、もしかしたら立香は、コナンが自ら口にするのを待っているのかもしれない。
「……ねえ、コナン君。君は、何者なんだい?」
「……江戸川コナン、探偵さ」
あなたたちが正体を明かさないのならば、こちらだけが正体を明かすのはフェアではないだろう。
そう言う意味を込めて、コナンは立香の問いかけにそう返したのだ。
「立香さん、貴方たち『カルデア探偵局』を信頼したうえで、この事件のためにお願いしたいことがあるんだ」
「そこに、希望は」
「あるよ」
「……分った。できる限り、君の願いを叶えよう」
コナンの推理が正しければ、あの人は自らの手で全ての幕を下ろす気だ。
・三谷麟(8)
此度の『カルデア探偵局』の依頼人。両親の離婚により妹の直桜と離れて暮らしている。実は両親がどちらも亡くなり、彼女は祖父母と暮らしているが直桜は紋代家に引き取られた。
妹とは似ていないが仲が良い姉妹である。
家紋の「三つ鱗」と「遠坂凛」から。「うろこ」じゃ流石に名付けがイカンかと思った。
・細川直桜(6)
麟の妹。両親の離婚によって母に引き取られたが、母が急死し紋代家に引き取られる。
実は母が紋代立郎に関係を強要されて生まれた隠し子で、麟とは異父姉妹であった。
紋代家から誘拐され、出生の秘密と身柄の安全と引き換えに身代金10億円を要求されている。
家紋の「細桜」と「間桐桜」から。
・紋代立郎(享年69)
日本を代表する造船メーカー『紋代造船』の前会長。4か月前にインフルエンザを拗らせた肺水腫で病死した。
非常に女癖が悪く、あちこちで愛人を囲い多くの隠し子がいた。挙句の果てには麟の母にも手を出している。
実は黒の組織の関係者で資金提供という名の金づる。コードネームを欲しがっていたらしい。
家紋の「立浪」、海と船なので「ポセイドン」要素もあるかもしれない。
・紋代藤絵(62)
『紋代造船』の現会長であり亡き紋代立郎の妻。
女傑と言った風貌で夫の隠し子や愛人を憐れむことがない。いくつか薬を常飲している。
実は彼女が紋代家の直系であり、夫は分家から婿入りした。先々代の父親もその前の祖父もろくな男じゃなかったらしい……黒猫が鳴いた。
家紋の「藤」
・紋代暢(40)
『紋代造船』の代表取締役社長であり藤絵の長男。
亡き紋代氏に生き写しだが、父の女癖の悪さには辟易していた。実はその女癖の悪さが遠因で結婚に失敗してる。バツイチ。
母と合わせて家紋の「上り藤」
・紋代充(35)
『紋代造船』の代表取締役社長であり藤絵の次男。
兄と同じく父の女癖の悪さには迷惑しており、妻も父に手を出されるのではないかと結婚は諦めていた。
母と合わせて家紋の「三つ葉藤」
・柏木久志(52)
亡き紋代氏の第一秘書。
直桜がいないことに気付き誘拐だと騒ぎ立てた。生前の紋代氏には随分と信頼されていたらしく、大きな仕事には必ず彼を帯同させていたとか。
家紋の「久志本柏」
・天木南実(40)
紋代家のメイド長。使用人の中で最も長く勤めている。
藤絵とは犬猿の仲で刺々しい言葉を吐かれても表情を変えない。
家紋の「南天」
・蛇浦明紗(27)
亡き紋代氏の第二秘書……であるが、愛人としての人事ではないかと囁かれている。
社内グループウェアの彼女のアカウントメールから脅迫状が届いた。直桜は蛇浦に懐いていたとのこと。
家紋の「蛇目」と「メドゥーサ」
・片場希海(20)
京都在住の女子大生。紋代氏の隠し子。
葬儀の場に現れてDNA鑑定を要求したが、紋代氏の娘であることが判明してからも遺産を要求することも脅迫することもなく沈黙を保っている。とても不気味。
誘拐事件に関係があるのか?
家紋の「片喰」
事件関係者をちょっとした裏設定を添えて。
何故事件関係者の名前の由来が「家紋」というと、最初は家紋関係の暗号文要素と爆弾のある事件にしようと思ったから。
でも、ややこしくなりそうなので止めました。爆弾は劇場版介入でやれたので。
「月女神の寵愛を受けし狩人が刻まれし天の軌跡は旗に靡く」的な暗号文。
月女神→アルテミス
の寵愛を受けし狩人→オリオン
が刻まれし天の軌跡→オリオン座
旗に靡く→戦国武将の立てる家紋入りの旗
オリオン座はからすきの星と呼ばれ「一文字三星」という家紋であり、その家紋を旗に入れた武将は毛利元就→狙いは毛利探偵事務所
な、感じ。