一方その頃、麟を連れて蘭を巻き込んで直桜の部屋へと向かったそちらでは、ジャンヌと家茂(外面的には清水と名乗り続けている)が荒らされた子供部屋を目にして眉を顰めた。麟は小さく悲鳴も上げてしまった。
「ぬいぐるみも絵本も、全部床に落ちているわ」
「足の踏み場もないわね。それにしても、凄い量の玩具」
「亡くなった紋代さんが、直桜ちゃんが家に来た時にプレゼントしたんだって。直桜ちゃんを孫みたいに可愛がっていたそうだから」
否、孫ではなく娘なのだ。
幼い娘を前にして色々と買い与えていた。作っておいて壊しておいて、好き勝手に愛でる。
大量の玩具と同じく、ただ愛玩として都合よく愛情を与えられていただけなのだろう。真新しい玩具が床一面に散らばる部屋を目にしたジャンヌは、内心で紋代氏を蔑んだ。
直桜の部屋は確かに荒らされていた。棚に並べられていたぬいぐるみも、本棚に収められていた絵本も、学習机の上の文房具も、何もかもが絨毯敷きの床にぶちまけられている。
小さな子供には不釣り合いなベッドも同じで、ぐちゃぐちゃのシーツの海にぬいぐるみが散乱していた。
直桜の部屋は屋敷の隅にあり、住人たちの住居スペースとは離れている。建付けもしっかりしているので、ちょっとうるさくしたぐらいでは音が聞こえないらしい。直桜が悲鳴を上げても、誰も聞こえないのだ。
ジャンヌは探偵助手の仕事として、スマートフォンで荒らされた部屋の写真を撮った。
一見すると誘拐の際に激しい抵抗があったようにも見える。だが、小学1年生の女の子が、ここまで散らかるほどの抵抗をみせるだろうか。
隠された何かを探すにしても、クローゼットや机の引き出しは開けられてはいない。
「あった! 直桜のスマホ」
「待って麟さん、現場の保全のために手袋をお願いします」
家茂から受け取った手袋を嵌めてから、麟はベッドの下、枕元の付近に落ちていた玩具のスマートフォンを拾い上げた。彼女が持つ物とセットになっているそれが、何かの拍子に通話モードとなり麟のスマートフォンに繋がったのだ。
Wi-Fiに繋がっていれば通話ボタンを押すだけ。お互いにしか繋がらない玩具だが、彼女たちにとってはかけがえのないホットラインである。
だが、いくらハイテクな玩具でも通話履歴は残らない仕様だ。直桜が誘拐された際の手がかりが何か残っていればいいが、玩具のスマートフォンにはそれらしき痕跡はない。
「あ……写真立てが落ちてる。この子が、直桜ちゃん?」
蘭が学習机の下に落ちていたプラスチックの写真立てを拾い上げた。ピンクの花飾りが欠けてしまっている。
写真には、2人仲良く寄り添う姉妹が写っていた。麟の隣には、リボンが付いたカチューシャを身に着けた幼い少女がいる……この子が、妹の直桜だ。
確かに外見だけ見れば似ていない。活発そうな印象の麟とは正反対に、ぬいぐるみを抱き締めてちょっと緊張気味に微笑む少女は姉としっかり手を繋いでいる。
彼女たちの背景には大きな観覧車とリスの着ぐるみ。直桜が抱き締めるぬいぐるみと同じデザインのリスには見覚えがあった。
「トロッピー! この写真、もしかしてトロピカルランド?」
「トロッピーって、このリス?」
「トロピカルランドのマスコットよ。この観覧車も」
「うん。お母さんが死んじゃう前に、3人で遊びに行ったの。直桜はね、トロッピーが大好きなの」
写真には姉妹以外にも緑色のオーバーオールを着たリスの着ぐるみが写っている。遊園地トロピカルランドのマスコットキャラクター、トロッピーである。
撮影者は、今は亡き彼女たちの母親だ。姉妹仲良く寄り添う様子は、みんなで遊園地を楽しんでいることが分かる良い写真である。
そういえば、工藤新一が表舞台から姿を消したのは、蘭とトロピカルランドに遊びに行った日からだった。蘭の持つ写真を覗き込んだジャンヌは、そのことを思い出した。
「あれ……」
「どうしましたか、麟さん?」
「ねえ、捜すの手伝って!」
「え? ええ?」
「どうしたの、麟ちゃん?」
「トロッピーを捜して!」
家茂の腕を引っ張り、麟は床に散らばっている玩具やぬいぐるみを掻き分け始めた。
トロッピーを捜して。ということは、この写真の直桜が抱えているトロッピーのぬいぐるみを捜してということだろうか。
大量の玩具をひっくり返さんばかりの勢いで部屋中を捜しまわる麟に気圧されて、ジャンヌと蘭もぬいぐるみを一つ一つ持ち上げてトロッピーの捜索を始めるが、リスのぬいぐるみは見付からなかったのだ。
「やっぱり、トロッピーがいないわ!」
「もしかして……直桜ちゃんは、トロッピーのぬいぐるみと一緒に誘拐されたのでは?」
「でも、そうだったら犯人は何でトロッピーを?」
「……トロッピーが必要、だったとか!」
では、一体何のためにトロッピーが必要だったのか?
ジャンヌの出した結論では更に謎が深まるばかりである。だが、麟が何か閃いたようにまた行動を起こした。
今度はクローゼットを開け、中をごそごそと探り始めたのだ。
「トロッピーだけじゃない! ポップコーンバスケットもないわ!」
「ポップコーンバスケットって、この写真に写っているこれ?」
「うん! トロピカルランドでポップコーンを買えば、このバスケットに入れてくれるの。何で、何でこの写真に写っている物がなくなっているの?」
写真の中で、直桜はトロッピーのぬいぐるみを、麟は赤いリボンの飾りが付いたピンクの容器を持っていた。トロッピーのぬいぐるみだけではなく、ポップコーンバスケットまでもがいくら捜しても見付からないのだ。
直桜と一緒に消えたぬいぐるみとポップコーンバスケット。まさか、これらも犯人が持ち去ったというのか?
まったく分からない。消えたアイテムに一体どんな価値があるというのだ。
兎にも角にも、ジャンヌは探偵助手としての役目を果たすべく、麟が気付いた直桜の部屋の違和感を探偵へと伝えなければならない。トロッピー捜索前に撮っておいた部屋の写真も、解析のためにカルデアへと転送された。
「これはこれは、見事に荒らされているね」
「しかし、不自然ではありませんか? 小さな女の子1人を誘拐するにしては、部屋が
「マシュの言う通りだ。誘拐のために、デスクの上のペン立てをひっくり返す必要はない……だとしたら、これは」
「まあ! 酷いわ、酷いわ! クマさんがひっくり返って、キツネさんは尻尾が曲がっている。おままごとのお家の屋根が剥がれて、絵本の頁は折れてしまっているわ! 誰がこんな酷いことをしたの?」
玩具と絵本が散乱する子供部屋を目にして、ナーサリー・ライムが憤っていた。特に、乱雑に本棚から落下して折り目のついてしまった絵本の惨状にご立腹だ。
おとぎ話の概念が英霊となった彼女にとっては、友人が突き落とされて怪我をしたようなものである。
「女の子を誘拐した犯人が荒らして行った現場、なのですが」
「まあ! なんて酷い犯人なの! けれども、悪いことをしたと自覚して少し反省したのかしら? それ以上は酷いことをしなかったのね」
「ナーサリー・ライムさん、それはどういう意味ですか?」
「だって、絨毯の上に落ちている絵本もぬいぐるみも、それ
「っ!」
ナーサリー・ライムの発言でマシュは現場写真を見直した。
確かに部屋は荒らされている、綺麗に並べられていた玩具も絵本も床に落ちている……しかし、落ちている
「これは……」
「ひと悶着起きた誘拐現場ならば、床に落ちた玩具を踏ん付けて犯人の足跡が残りもするだろう。だけど、その形跡がない」
「直桜ちゃんの部屋は、わざと荒らされている?」
ただ棚から玩具を落としただけ、絵本を落としただけ。ペン立てをひっくり返すのは流石にやりすぎだ、不自然なほど荒れ放題になっている。
何故、そんなことをしたのだろうか?
その答えは……合っているかどうかは分からないが、現状で導き出される推理を名探偵が叫んだのだ。
「分かったぞ! 直桜ちゃんがいる場所は、トロピカルランドだ!」
「え!? 何で誘拐犯が遊園地にいるのよ、お父さん!」
広間に戻った麟がトロッピーとポップコーンバスケットが消えているとエドモンに訴えると、それを聞いていた小五郎が少し考え込み、その推理を出したのだ。
「直桜ちゃんは容疑者である蛇浦さんに懐いていた。2人でよく遊んでいたんですよね」
「はい。よくお2人でお人形遊びなどをされていました。直桜さんは、蛇浦さんをお名前で呼ぶほど心を開いておりました」
「なら、蛇浦さんなら直桜ちゃんを容易に連れ出すことができる。いや、直桜ちゃんが自主的に蛇浦さんについて行ったんだ!」
天木が淡々と証言した通りならば、直桜が紋代家で最も仲が良かったのは蛇浦だ。信頼を得ている蛇浦が、無理に直桜を誘拐するはずはない。むしろ、一緒に遊びに行こうと手を差し伸べるだけで、簡単に攫うことができる。
「蛇浦さんは、直桜ちゃんにトロピカルランドへ遊びに行こうと言って連れ出したんだ。直桜ちゃんは誘拐だと知らずにトロピカルランドへ遊びに行く準備をして、屋敷からいなくなった。ぬいぐるみもポップコーンバスケットも、直桜ちゃんが自分で持って行ったんだよ」
「……荒らされていた子供部屋は偽装か」
「その通り! 建前だったかもしれないが、本当に直桜ちゃんをトロピカルランドで連れ回している可能性はある。トロピカルランドで蛇浦さんを探し出して直桜ちゃんを保護できれば……!」
つい先ほど、誘拐犯から追加のメールが届いた。やはり蛇浦のアカウントで、身代金10億円を電子マネーにして指定の口座に振り込めという指示だったが、暢も充も身代金を値切る目的で交渉を長引かせるつもりだった。
もし、この交渉で犯人を怒らせてしまえば直桜が危ない。居場所に心当たりがあるならば、駄目元でも捜し出して保護しなければ。
舞台は都内最大の遊園地へと移動する。
そこは、夢と冒険の幻想に包まれた色彩の楽園。
かつて、黒の組織の取引が行なわれた場所。
工藤新一がジェットコースター殺人事件を解決した場所。
全ての始まりの場所―――
***
「……ええ、分かったわ。このまま計画通りに」
「明紗ちゃーん!」
名前を呼ばれ、蛇浦は通話を終えた。
メリーゴーランドから降りて来た幼い少女が、トロッピーのぬいぐるみを抱き締めて無邪気に手を振ってやって来る。サングラスの下の双眸が思わず弧を描く。握ってくれた小さな手が愛おしい。
蛇浦は彼女から預かっているポップコーンバスケットを背負い直して、少女――直桜と歩き始めた。
「明紗ちゃん、本当に今日は夜のパレードも見て良いの?」
「良いわよ。パレードを見て、乗り物にいっぱい乗って、トロッピーとたくさん写真を撮りましょうね」
「うん! ありがとう明紗ちゃん。トロピカルランドに連れて来てくれて」
「ふふふ……この後、トロピカルランドよりもっと素敵な場所に連れて行ってあげるからね」
ここまで前半!よっしゃ、次はトロピカルランドだ!!
色々謎が残りますが、全ては後編に!
Q.トロッピーって?
A.『瞳の中の暗殺者』から登場したトロピカルランドのマスコットキャラクターのリスです。よく風船を配っています。『エピソード“ONE”』にも登場しています。
ピンクのうさぎっぽい女の子キャラクターもいますが、名前が分からない。
CV:森川氏……ではない、はず。
トロピカルランドの開園時期が分からない。新一は「今度東京にできる」と言っているけど、映画の中では「今年は新しい島ができた」とも紹介されている。
特設スケートリンクのトロピカルアイスランドは、新一と蘭が前によく遊びに来ていたと言っているし。ここでも時間の流れのバグが……!(多分そこまで設定が練られていないだけかと思われる)