蛇浦と直桜を任せられた蘭とジャンヌは、彼女たちをトロピカルランドから退園させて、駐車場に停めていた蛇浦の車まで送り届けていた。
「真っ直ぐ三谷家に行って、麟ちゃんに会わせるのよ!」
「はい! ありがとうございました」
「良かったね、直桜ちゃん。これからは、ずっとお姉ちゃんと一緒に暮らせるよ」
「うん!」
蘭とジャンヌが蛇浦の車を見送ると、直桜は窓の向こうでずっと彼女たちに手を振り続けていた。
これからは、姉妹一緒に暮らすことができる。いつか彼女たちは真実を知ってしまうだろう。だけど、彼女たちの間には決して壊れない絆があるはずだ。
「これであの子たちは大丈夫よ」
「うん。でもオルタちゃん、さっきの話は本当なの? 直桜ちゃんは、誘拐されていなかったって」
「ええ。そもそも事件じゃなかったのよ。あいつ……秘書の柏木が直桜ちゃんの部屋を荒らして、誘拐事件だと騒ぎ出したのよ!」
何故、探偵たちは直桜がいなくなったのを“誘拐事件”と判断したのか?
それは、最初に大声でそう主張した者がいたからだ。
大声で悲鳴を上げて「誘拐だ!」と騒ぎ立て、事件現場として荒らされた子供部屋を目撃させ、身代金を要求するメッセージを送りつける。これらの流れに巻き込まれ、見事に錯覚してしまったのだ。
細川直桜がいなくなったのは、誘拐事件だと。
「直桜ちゃんが誘拐されたと声を上げたのも、最初に彼女の部屋の惨事を発見したのもアンタだったな……秘書の柏木久志!」
黒く塗り潰された人型の正体が暴かれるように。隠匿のための仮面を一枚一枚剥がしていくかのように。
探偵によって正体を現した犯人――この事件を、“誘拐事件”へと仕立て上げた柏木が出現すると、藤絵と天木は言葉を失った。
「か、柏木……お前が何故?」
「何故って奥様、社長と副社長が私に命じたではないですか。トロピカルランドに行って、先に直桜さんを保護しろと。ま、まさか……奥様が会長を殺害したなんて……!」
「とぼけるのは止めてもらえますか。アンタは暢さんの命令を受けて、これ幸いとトロピカルランドへとやって来た。身代金を値切ろうとした『紋代造船』を脅すために、蛇浦さんと直桜ちゃんを
小五郎の声を使うコナンの声色が荒くなる。
落ち着け、落ち着け……先走っては駄目だ。確実に奴らの尻尾を掴むために、慎重に追い詰めなければならない。
「柏木さん、アンタは何かの拍子で藤絵さんたちの計画を知った。直桜ちゃんが紋代家から姿を消したことを確認したアンタは、蛇浦さんに罪を着せた誘拐事件をでっち上げたんだ。身代金10億円を手に入れるために。そう、犯行動機は金だ。紋代立郎氏の個人資産全額に相当する10億円が目的だった!」
充が言っていた。紋代氏の遺産を現金換算して10億だと知っているのは、家族や秘書たちだけだと。つまり、相続した3人と、秘書――蛇浦と柏木。そう、奴もまた知っていたのだ。
10億円という金の単位を。
「な、何を言っているんですか。身代金の要求は蛇浦君のアカウントから来たじゃないですか。蛇浦君が犯人でしょう! それに、身代金のメールが来た時、私はみなさんと一緒にいた。メールを打って送信できるはずないじゃないですか!」
「連絡手段に使ったのは、社内のグループウェアメールだ。蛇浦さんのアカウントとパスワードを知っていれば、誰でもメールを送ることができる。確か、『紋代造船』で使用しているグループウェアは、メールの発信日時の指定をできましたね。では、お訊きしましょう。何故、直桜ちゃんは“誘拐”されたと叫んだんですか?」
「そ、それは、部屋が荒らされていて直桜さんが行方不明なら、誰だって誘拐だと思うでしょう」
「ええ、そう思うでしょうね。しかし、直桜ちゃんの部屋がいつ荒らされたのか……部屋はアンタが荒らしたんだろう。誘拐だと騒ぎ出す直前に」
そもそも何故、直桜の持つ玩具のスマートフォンから麟へ着信が入ったのか?
あの玩具は、電源スイッチを入れて通話モードをタップしなければ電話は通じない。誰かが操作しないと、外部から何かのアクションがないと動かない。
玩具のスマートフォンはベッドの下に落ちていた。直桜はそれを部屋に置いて、蛇浦に連れられてトロピカルランドへと出かけていたので、誰も触れるはずはない。
無人の部屋で勝手に電源スイッチが入る訳がないし、勝手に麟へ着信を入れるはずはない。
では何故、麟に着信が入って、そこから柏木の声が聞こえたのか?
「直桜ちゃんの部屋を荒らしている
直桜の部屋は荒らされていたが、その様子は並べられていたぬいぐるみや玩具、本棚に収められた絵本、学習机の上のペン立てなど。目に見える物を片っ端から絨毯の上にぶちまけただけだった。
本当に、直桜を誘拐しようとして部屋が荒れ果てていたのなら、絨毯の上に落ちた玩具や絵本に犯人の足跡の一つでも残っていなければ不自然なのだ。
だから、偽装工作だと気付いた。彼女の部屋では何も起きていなかったのだ。
「名探偵が、子供の言うことを信じるんですか? きっと、勘違いですよ。私は直桜さんの部屋に入っていない! あの惨状を目にして、その場で叫びましたからね……そんなに私を犯人にしたいなら! 証拠を出してくださいよ、証拠を!」
「……ドールハウスの屋根」
「っ!」
「仕掛け絵本のツルツルした表紙、クマのぬいぐるみのプラスチックの目、算数の教科書、花とハート柄のプラスチックのペン立て、通学鞄と制服の帽子……直桜ちゃんの部屋にあったこれらから、大人と思われる指紋が検出されました。それも、同一の物です」
「柏木さん、手袋をせずに直桜ちゃんの部屋を荒らしましたね」
「照合しようか。この指紋がおまえの物ではないと証明できれば、己は潔癖であると主張できるぞ」
立香の取り出した指紋の採取用紙には、両手十本の白い指紋がくっきりと刻まれている。これらすべて、羅列した直桜の部屋にあった物から検出されたのだ。
柏木が主張するように、直桜の部屋に入っていないのならば両手の指紋が全部検出されるなんてあり得ない。
誰かが来ない内に、急いで荒らしたためか。それとも、紋代家の人間は警察に届けることなく、指紋採取という捜査が行われるはずはないと高をくくっていたのか。手袋をせずに偽装工作をしたことにより、逃れられぬ証拠が『カルデア探偵局』に押さえられてしまったのだ。
「ぐ……!」
「柏木さん、アンタにはまだ聞きたいことがある! アンタが紋代家に要求した10億円! 一体、何の目的で高額な身代金を要求したのか……」
私利私欲のため?
違う。
実は高額の借金があった?
違う。
紋代家への恨み妬み嫉みが原因か?
違う。
違う、違う。
10億円という紋代立郎の遺産全てを、組織に献上するためだ。
「紋代立郎氏は生前、とある組織へ多額の資金提供を行っていた」
「……組織?」
「組織の闇に惹かれたのか、それとも組織がもたらす成果を求めたのか……氏は組織に入れ込み、
「……」
離れの飾り棚にあったのはコニャック。「
工藤新一にAPTX4869を飲ませた黒ずくめの男たちが所属する組織。
灰原哀こと、宮野志保が「シェリー」というコードネームを与えられ、親子二代でAPTX4869の研究をしていた組織。
哀は言っていた。組織へ資金提供をしていた造船会社の
紋代立郎と柏木久志。彼らは「コニャック」というコードネームを欲しがっていた、組織の幹部の地位を欲しがっていた。
「どういうことなの? 柏木……組織とは、何なの?!」
「アンタは紋代氏の側近だった。藤絵さんも、息子たちも知らぬ真実を知っていた!」
「……そうですよ。まあ、会長は幹部になれる器ではなかったですけどね。不良学生が本職に憧れるようなものですよ。でも、私は違う。長年、奥様も知らない会長の不祥事の後始末をやってきました。誰にも気付かれず、誰も文句を言わず。私なら、組織の片付け屋として力量は申し分ないはずだ! この献金で、私は「コニャック」になれるんだ!」
「……おまえ、何を言っている。探偵、一体何を知っている!」
「教えてもらおうか! 組織の名を……!」
小五郎の声を、コナンの追及を遮るように時間を知らせるチャイムが鳴った。時刻は午後4時……秒針が天辺に到達したと同時に、噴水広場のクリスタルのオブジェから様々な色の照らされた水が噴出した。
幻想的な色彩に包まれた空間で、コナンの脳裏に微かな疑問が過った。本来ならばこのような状況下で湧き上がるはずのない疑問、目の前の推理に集中しなければならないはずなのに、首を傾げずにはいられなかった。
『……あれ、何で』
コードネームを欲しがったのは、マジで作中のような感じ。〇〇中一の不良が本職に憧れて、献金したら幹部にしてやる発言を真に受けてカツアゲを貢いでいた感じ。
一緒に幹部になろうな!と誓い合ったダチは内心見下していたし、幹部になるのは俺だと蹴落とす気満々……そりゃ組織にとってはただの金づるですわ。