特殊加工が施された犯人追跡眼鏡のレンズ越しに見えたのは、何もない、真っ白な空間だった。
それはまるで、何も書かれていない真っ白な一枚の紙。これから万年筆が乗せられ、黒いインクで物語が書き込まれる、まだ生まれていない
無意識に膝を曲げて両手を合わせた。
「中々様になっているじゃあないか、工藤新一……いや、その姿では江戸川コナンと呼んだ方がよろしいかな」
「……貴方は」
コナンの真正面に、同じ革張りの椅子が顕れた。
座っているのは、肩に鴉の羽飾りが付いた黒いタキシードを着た中年男性。ブルネットの髪に、同じ色の口髭。体格はお世辞にも良いとは言えず、どこか顔色も悪い……この人物を見たことがある。現代に残る写真によく似ているではないか。
「貴方が、
「
本来ならば、最初に聖杯を手にしたのはこのポーだった。
聖杯に願い、その魔力リソースで自身と新一を繋げ、米花市を起点に犯罪多重現象を起こしていた。だが、新一がAPTX4869で身体が縮んでしまったため、つい先ほどまで対面していた子供のポーになってしまった。
子供になる前の、大人の姿のエドガー・アラン・ポー。「降臨者」という異質なクラスに変質する前の、「魔術師」としての能力を行使していたポーだ。
まるで彼の精神世界のような真っ新な空間で、両者は対面していた。「江戸川コナン」の名前の元となった「江戸川乱歩」が彼からペンネームを拝借したことを考えると、まるで祖父と孫の対面のようであった。
「子供の貴方と比べて、随分と落ち着いているんですね」
「まあ、大人だからね。大人に成ってしまった私は、
子供と大人は思考回路が違う。大人の目で見たら危ないことでも、子供の目から見たら楽しいことになる。
自動車を間近で見たかったから、走行中の自動車の正面に飛び出した……で、飛び出し事故が起こることも無きにしも非ず。
揃いの人形の首を丁寧に引き千切って、満面の笑みで頭を規則正しく整列させるような、成長して倫理観を得てしまえば失ってしまう狂気に満ちたお年頃。
それが、子供のポーが「降臨者」を得た素質であった。
「君なら覚えがあるんじゃあないかい? ちやほや褒められたいから凶悪犯に挑んでいく子供の姿を。傍目から見ると穴だらけの計画を、
「まあ、多少は……」
「本人は、君と同じく精神までは縮んでいないと思っているようだが、エーテル体で形成された肉体に精神は引きずられている。見た目は子供、頭脳は大人、ではなく中身も子供寄りだ。子供故の狂気の化身……大人の私では、あのクラスにはなれない」
今、コナンと対面している大人のポーは、フォーリナーのポーの中に残っているキャスターの残留思念のような存在だ。
『究極の謎』を解決するに相応しいと選ばれた探偵たちのナビゲーター。本選出場おめでとうと賞賛を贈ると同時に、彼らの前に厭らしく立ち塞がる試験官である。
「そろそろ、貴方がたの言う『究極の謎』というものを教えてもらえませんかね? 未解決の殺人事件だとか」
「ああ、殺人事件
「望んでいる?」
「名前を付けるなら、そうだな……『エドガー・アラン・ポー殺人事件』とでも
「っ! そうか。確か、貴方の死は……」
コナンは思い出した。
希代の小説家、エドガー・アラン・ポー。世界最古の名探偵の創造主。推理小説、探偵小説、名探偵という概念の生みの親……彼は謎の死を遂げていたのだ。
「『究極の謎』とは、
そう、最初はただそれだけだった。
ポーが聖杯に願ったのは、「自身の死の真実を解き明かす探偵を見付けたい」だったのだ。
『究極の謎』と言っていても、少々話を盛っていた感も否めないが、現代においても未解決の謎を「名探偵」に解き明かして欲しかったのだ。しかし、
自分だけの「
「私の宝具、『
「んだが?」
「途中で、子供になってしまってね。事件の発生と解決を繰り返していく内に、更なる犯罪を用意してはどんどんハードルを上げつつ数を用意してと、ヒートアップしてしまって……まあ、後は
「何だよソレ。目的と手段が入れ替わってんじゃねーか!」
ポーの視線は明後日の方向を向いていた。顔色の悪い肌にだらだらと冷や汗が落ちている。
少なくとも、大人の方はコナンを始めとした探偵たちや、カルデア方面に迷惑をかけている自覚があるようだ。だが、既に残留思念でしかない大人のポーでは子供のポーを止められない。
子供のポーを止めるには、名探偵が『究極の謎』を解かなければならないのだ。
「解いてやるよ。『究極の謎』……いや、『エドガー・アラン・ポー殺人事件』を!」
「よろしい。それでは、情報公開と現場の実況見分といこうか。名探偵コナン」
ポーが肩の羽飾りの一枚を抜いて、子供の彼のようにそれを振ると、白い空間が一瞬で変化する。展開されたのは19世紀アメリカの酒場……ポーが発見された現場だ。
「1849年、当時の私は初恋の女性であるエルマイラ・ロイスターと再会し、結婚を約束していた。最初に言っておくが、自殺はあり得ない。その年の9月、私は選集の出版のために自宅のあるリッチモンドからニューヨークに向かっていた」
1849年9月29日、ポーは海路でメリーランド州ボルティモアに到着した。現地では州議会選挙の真っ最中であり、10月3日に投票日を控えていた。
その投票日である10月3日に、ポーは意識混濁状態で発見された。
「私には29日以降の記憶がない。ボルティモアに到着してから、10月3日に発見されるまでの空白の5日間、私がどこで何をして、誰と会っていたかすら不明だ」
「1849年10月3日、貴方はメリーランド州議会選挙のライアン区第四投票所にある酒場「グース・サージェンツ」で、酷い泥酔状態で知人に発見された。その後、病院に運び込まれたが回復することなく危篤状態が続き、7日の早朝に死去した。
「勿論、記憶のない私も、どうして死ぬことになったかまったく分からない」
生前のポーは非常に酒癖が悪かった。アルコール依存症だったと言ってもいいだろう。
ただ単に、飲みすぎたための事故死とも考えられるが、それにしては不可解な点が多いのだ。
「貴方の死についての不可解な点は、もう二つある。一つ、「グース・サージェンツ」で発見された貴方は、何故かサイズの合っていない服を着ていた。本来着ていたはずの衣服が見付かっていない。もう一つは、死の直前に「レイノルズ」という名前を繰り返し呟いていた」
「普通に考えれば、その「レイノルズ」という人物が何らかの目的で私を泥酔させ、衣服を着替えさせ、「グース・サージェンツ」に捨て置いたということになるだろう」
「目的は何か? 犯人は貴方がかのエドガー・アラン・ポーであることを知らず、州議会選挙の不正投票に利用しようとした……という説があるが、あくまでそう考察されているだけだ」
当時は、選挙権を持つ有権者の身元確認が杜撰だったため、不正投票が横行していた。ポーのような旅行者や、身元があやふやな浮浪者を泥酔させて自己判断を奪って投票所に連れて行き、服を着替えさせて複数の投票所で投票させる「クーピング」という不正行為にポーは巻き込まれてしまったのではないか?
後世の研究者たちはそう考えたが、それを証明するための証拠は存在していない。
「さあ、明かす者よ、名探偵よ……この謎、解けるかい?」
ポーの言葉を皮切りに、コナンは思考を開始した。
楊貴妃ちゃんの幕間を野次馬しに行ったんですけど……その、フォーリナーの選定基準にリアルに「ひえっ!」と叫んでしまいました。