あのシーン……最後の○○は誰だろうか、とわくわくしながら見ていたらお前か!!(歓喜)となりました。
楽しかった~!!
下宿屋『藤栄館』変死事件01
微小特異点が発生した。
大きな揺らぎではなく、されど、放っておいたらその内に大きな歪みに至る可能性もゼロではない小さな異変。蝶の羽ばたきが竜巻を起こすかのような因果を摘むのが、カルデアのマスターの定期的な任務である。
「黒猫プルートー、宝具発動!」
「地獄に堕ちて悶え苦しむ悲鳴、地獄に落として喜ぶ悪魔の歓声――壁から、墓から、さあ……何が聞こえるでしょう。『
甲高い猫の鳴き声か、不気味な地獄からの呼び声か。犯人に殺された被害者であり、復讐者でもある黒猫は犯罪に手を染めた犯人を告発する。断罪される者だと、その声をもって知らせる。
告発の声を浴びせられた犯人――刃毀れが酷い日本刀を振り回していた犯罪者の死霊は身体を硬直させ、目に見えて弱体化した。
投擲されたナイフが死霊の脳天に突き刺さり、肉が削げ落ちた手から凶器を落とし、垂れ流していた殺意が乱れたその瞬間が好機だ。
「モードレッド!」
「終いだ! さっさと死に曝せ! 『
かつては、その日本刀で誰かを斬ったのだろう。時代のためではなく、大義のためではなく、ただただ欲望と殺意に身を任せて殺人事件を起こしたのだろう。
世界に揺らぎを生じさせていた
西暦1922年、日本の暦では大正11年――
立香たちは、微小特異点と化していたこの時代の東京・浅草へとレイシフトしていた。
「凄い人ですね。フォウさん、はぐれないでくださいね」
「フォウ、フォーウ」
「おいで、プルートー。踏まれちゃうよ」
「ありがとうございます、マスター」
微小特異点の原因であった殺人犯の死霊を退治し終わった立香たちは浅草にやって来ていたが、とにかく人が凄いのだ。多くの人が行き交い、混み合い、歩く度に服が振り合ってしまうほどの密度である。
マシュについて来たフォウは、人混みに流されないようにと彼女の肩にしがみ付く。立香も自身の足元にいたプルートーを肩に乗せようと腕を伸ばせば、黒猫は遠慮する素振りも見せず素早く彼の肩に乗った。
先日、カルデアに黒猫プルートーが召喚された。ちゅーるを触媒にしたら一発だった。
本来ならば幻霊である黒猫は、先の特異点での働きを認められたのか、かつての立香が契約したプルートーと同じ能力を持ったサーヴァントとして現界している。
本来ならば、彼はかつての黒猫の記録を持っていても別人……じゃなかった、別猫のはずであるが、
腕を伸ばす前に肩に乗り、容赦なくベッドの上に乗り上げ、無言でじゃらし遊びを要求し、ゴロゴロと喉を鳴らすあの黒猫の甘え方をする。これ、完全に記憶がある。
先住の先輩であるフォウを立て、タマモキャットと肉球タッチをし、ナーサリー・ライムを始めとした子供たちに追いかけられ、猫好きサーヴァントたちには文字通り猫可愛がりされていた。すっかりカルデア生活を満喫している。
だが、可愛がられている猫だけでは終わらない。此度の微小得点への編成は、マシュとプルートー、そしてモードレッドともう1騎。プルートーを連れてきたのは、どういう訳か彼はこの時代に縁があったからである。
「何だ、祭りでもやってんのか?」
『どうやら先日、浅草オペラの新作が上演されたようだ。そのせいで人出が多いんだろう。明治から大正にかけての浅草は日本で一番の繁華街だ! 浅草オペラだけではなく、活劇に活動写真、見世物小屋。様々な娯楽や流行の発信地として賑わっていたんだよ』
「へぇ~。雷門や仲見世通りしか知らなかった」
『立香君、あちらに背の高い建物が見えるだろう。あれは、日本初の電動エレベーターを搭載した十二階建ての建物『浅草凌雲閣』だ。明治時代の文明開化と繁栄の象徴だね』
「この時代にも、あのような高層の建物があったのですね」
『しかし、この時代には経営難に陥っていた。更には翌年、1923年に発生する関東大震災によって被災・倒壊し、歴史からその姿を消すことになる』
そうか、翌年……大正12年は、関東大震災が起きる年だ。
人混みを抜けた、貸本屋の店先。ダ・ヴィンチの説明を聞きながら遠くに見える『浅草凌雲閣』へと視線を向ける。100年も経たぬ内に、あの大きな建物が現代には面影さえ残さずに解体されてしまうのは何だか不思議だった。
「大正12年と言えば、江戸川乱歩が『二銭銅貨』を発表して作家デビューをした年でもありますね」
「フォウフォウ」
「なるほど。だから、ボクに縁があったのですね」
「江戸川乱歩のペンネームは、プルートーを書いたエドガー・アラン・ポーが元ネタだからね」
江戸川乱歩こと平井太郎の処女作『二銭銅貨』は、日本初の本格探偵小説と言われポーの『黄金虫』にインスパイアされた暗号物である。
日本にも、外国作品に劣らぬ探偵小説が出なければならぬ。その後、大正14年に発表された乱歩の小説『D坂の殺人事件』では遂に、日本三大名探偵が1人、明智小五郎が登場することとなる。
日本の名探偵の歴史は、この時代に始まったのだ。
「その猫の縁はどうでもいいけどよー……あの流されてったモヤシ、見失ったぞ」
「ああ! 頭一つ抜いて出ていたはずのジキルさんが見えなくなりました!」
「はぐれた!?」
此度のレイシフト。マシュ以外に同行したサーヴァントは、黒猫プルートーとモードレッド。そして、ヘンリー・ジキルである。彼は浅草の人混みに流され、はぐれ、今まさに見失ってしまった。浅草オペラを楽しみにしている人たちの熱量が凄い。
流されてしまったジキルと合流するには、時間がかかりそうだ。
「何かの拍子でハイドになってなきゃいいけど……」
『群衆が落ち着くまで時間がかかりそうだね。なら、大正グルメを楽しんだらどうかな? 微小特異点の消滅までまだまだあるし、浅草と言ったら牛鍋が有名だ!』
「飯か。良いな!」
『勿論、牛鍋だけじゃない。大正時代は、洋食が一般家庭に浸透してきた時代だよ。ライスカレーにコロッケ、ハヤシライス、ライスオムレツ、ポークカツレツ。当時は支那そばと呼ばれていたラーメンを出す來々軒もあるはずだ。カッフェーやパーラーで甘味を堪能しても楽しそうだね』
「これが、大正浪漫という時代ですね!」
流されて行ったジキルには悪いが、先ほどから鼻を擽る砂糖と醤油の香りは空腹を加速させる。牛鍋は是非とも食したい。
マシュもモードレッドも、他人からの認識を阻害する礼装で身元偽装もできている。レイシフト当初にて手に入れたこの時代の貨幣もある。
食べよう、牛鍋。もしくはライスオムレツ、ラーメンも捨てがたい。
立香も大正グルメに目移りし始めた……その時だった。
「うわぁぁぁぁ!?」
「っ! 悲鳴!?」
貸本屋の裏から、男性の悲鳴が聞こえて来たのだ。
悲鳴の後には、どったんばったんと、派手に転倒した音まで聞こえて来た。つい先日まで探偵として活動していた立香に、その声を無視することはできなかった。プルートーを肩に乗せたまま声の先へと駆け出すと、マシュとモードレッドもそれに続く。
貸本屋の裏には長屋のような建物があった。安価なアパート、学生向けの下宿屋だ。『藤栄館』と看板がかけられた下宿屋の玄関から内部を覗き込むと、廊下のど真ん中に腰を抜かして座り込んでいる1人の男性がいた。どうやら、悲鳴の主ようだ。
「どうかしましたか?」
「し、しししし……! 死んでる! 星井が部屋で死んでる!!」
男性の悲鳴を聞き付けたのは立香たちだけではなかった。
下宿屋の他の部屋から次々と住人が出て来て、奥の部屋からは大家と思わしく老婦人もやって来た。追い付いたモードレッドが立香を下がらせ、男性が指差した部屋を覗き込む。
六畳一間の畳の部屋の真ん中では、男性――星井と呼ばれた若い男性が仰向けで倒れていたのだ。
「……こいつ、泡吐いて死んでんぞ」
「ひぃ!」
「ほ、星井さん!? な、何で?」
「落ち着いてください! 一体、何があったんですか?」
「星井の部屋から、何だか呻き声みたいなのが聞こえて、バタバタ音がして。で、でも急に静かになったからおかしいなと思って、部屋をノックしたら返事がなくて。部屋に鍵がかかっていて、無理に開けたら星井が……!」
具合を悪くして倒れているのかと思って肩を叩いたが反応がなく、胸元に耳を寄せてみたら呼吸をしておらず、死んでいると悲鳴を上げて飛び出したというのだ。
「ええ、でも星井さん、さっき帰って来たでしょう。あたし、井戸のところで見たわ。何で急に?」
「何かの病気かしら? 嘘でしょう、元気そうだったのに……」
「つい先ほどまで健在であった男性が急死。しかし、ご遺体には争った形跡はなく、部屋には鍵がかかっていました」
「密室で、男性が変死した……?」
遺体は苦悶の表情を浮かべながら喉元を抑え、口からは白い泡を吹いている。衣服は濡れており、どうやらそばに転がる湯呑から水が零れたのだろう。
そばにあるのは湯呑だけ。薬の類は落ちておらず、亡くなったこの星井という男性に持病があったかどうかは分からない。
「まさか、殺されたんじゃ」
「こ、殺し?! 何で星井が」
「あの人、色々なところから金を借りていて首が回らないとか言っていたから……金が原因で恨みを買っていたんじゃ」
真向いの部屋から飛び出て来た男性が、ポツリとそう呟いた。
密室で変死した。確かに、推理小説の導入部分としてはよく見る場面だ。いや、まさか……まさか、こんなところで殺人事件に遭遇するなんてこと、あるのだろうか。
「ありえるわ。星井さん、金がないからって今月も先月も、先々月もお家賃を滞納していたわ。ご実家からの仕送りが厳しいとか言っていたけど、本当は賭け事に熱中していたせいよ。わたしは知ってんのよ」
「そうだ。星井の奴、博徒の連中が仕切る怪しい掛場にも通い詰めていた。あそこで何かやらかして、連中に報復されたんだよ!」
「流れがどんどん殺人事件へと向かっています!」
「マスター。その猫、犯人が分るんだろ。早く突き出してトンズラしようぜ」
「……しません」
「え? どうしたの、プルートー?」
「罪の臭いがしません。犯人がいないんです」
黒猫が左目を大きく見開きながら、途方に暮れてそう呟いたのだ。
大正時代
第一次世界大戦中の好景気に沸き、終戦後の不景気と関東大震災の復興に喘いだ時代である。個人の解放が流れ込み職業婦人に代表されるように女性の社会進出も顕著になって来る。
文化面では諸外国の文化が庶民一般に定着した時代。特に食生活の面で見ると、現在の「洋食」や「中華料理」が家庭の食卓にも姿を現し始める。高級店でしか食べられなかった洋食は市井の食堂でも提供され、調味料の流通により家庭でも作れるようになった。
カッフェーやパーラーも増え、アイスクリンを始めとした甘味も普及する。
文学面では、芥川龍之介や志賀直哉を始めとした作家たちが作品を発表。特に、この時代に江戸川乱歩が日本名探偵である明智小五郎を創造し、推理小説の歴史が始まった。
15年に満たない短い期間であったが、古い物と新しい物が混ざり合った独特の雰囲気を持つ不思議な時代。時に、大正浪漫の「浪漫」の当て字は夏目漱石が創造したとか。