炎熱を孕む魔法陣が描かれた地下室。禍々しい器が湛える不気味な色の液体には、ここより遠く離れた『ベルツリープラネタリウム』の光景が映し出されている。
白き罪人を救わんと、正装に身を包んだ魔女が手を下す。秘匿されている魔術が行使される……姿が見えぬ強大な魔術師への抵抗を始めるのだ。
「紅子様、本当におやりになるのですか?」
「ええ……私に夢中にさせる前に、黒羽君を死なせる訳にはいかないんだから!」
いくら赤魔術の使い手でも、どこまで抵抗できるかはやってみなければ分からない。でも、やるしかない……快斗を、怪盗キッドを救えるのは自分だけだと、紅子は言い聞かせた。
夏空が闇に染まり、月が出る時刻になる。舞台は整い始めていた。
『相変わらず無茶苦茶だな、あのジイさん』
サリエリのコンサートは拍手大喝采大盛況のうちに幕を閉じた。数多くの有権者から名刺を差し出された音楽家は、数多のスイーツに舌鼓を打っている。どうやらオレンジタルトが気に入ったようだ。
爽やかな柑橘類の香りが充満する『ベルツリープラネタリウム』にて、突如にして対怪盗キッド防衛の要となってしまったコナンは、自分の腹部にある強風装置の停止スイッチの存在に落ち着かない。
10分に一度は中森警部が様子を見に来るし、トイレに行こうとするならば警察の護衛付きだ。小五郎のついでに着いて行ったら、廊下にズラリと警察が並んでいた。
本当、落ち着かない。
「コナン君、大丈夫?」
「うん。立香さんこそ大丈夫だった? びしょ濡れになっちゃったけど」
「大丈夫だよ。俺よりも、ウエイターの人の方が大変だったし」
コンサートやスイーツビュッフェは、メニューの行き違いはあったものの滞りなく進んでいた。が、ちょっとしたハプニングがあった。招待客の子供が飽きて走り回り、ウエイターと衝突事故を起こしてしまったのである。
ウエイターは運んでいたオレンジジュースを頭から被ってずぶ濡れ状態。子供は無事だったが、子供を咄嗟に庇った立香にもオレンジジュースがかかってしまい、白いシャツがオレンジに染まってしまったのだ。
朋子によって急ぎ着替えが用意され、仮眠室にあるシャワーに案内された。エドモンが付き添うかと尋ねていたが、申し出を断って20分ほど……オレンジの香りはすっかり取れたようである。
「今、夜の8時になったわ。そろそろ来るかしら、キッド様。もしかしたら、もう誰かに変装して会場にいたりして~!」
「変装の名人、だったわよね。怪盗キッドって」
「鈴木相談役や中森警部に変装して、獲物を掠めるのが奴の常套手段さ。ボクや蘭ちゃんも、園子ちゃんも変装されたんだぜ。しかも! ボクの服を剥ぎ取ってさ! まだ蹴り足りないよ!」
「それは、世良ちゃんが男子トイレに入った非もあると思うけど……あ、プルートー。どうしたの?」
姿を消していたプルートーがトコトコ歩いてやって来た。てっきりジャンヌの元へやって来たのかと思いきや、黒猫は立香の前までやって来る。
また肩に乗りたくて帰って来たのかと思ったら、プルートーは立香の足元に座り込み……鳴いた。
「ニャーーーン」
成猫にしては甲高い声で、一声鳴いた。
そのままプイっと立香から顔を背け、エドモンに近付くと彼の肩に飛び乗った。何かの気まぐれだろうか、猫だから。
「まだオレンジ臭かったかな?」
「ねぇ、立香。怪盗キッドって変装の名人なんですって。親しい人間でも、そう簡単に見破れないそうよ」
「へぇ~じゃあ、入れ替わられてもいいように合言葉か、決まった挨拶でも決めておこうか。ジャンヌに声をかけられたら、「聖女」って返すとか」
「ならば、「探偵」らしく……「ホームズ」と合言葉を決めておこう。「ワトソン」と返したいところだが、それでは陳腐だ。児戯に等しい。「ホームズ」には宿敵の名で返そう」
「じゃあ、「ホームズ」って言ったら「ルパン」だね」
怪盗キッドの登場を待ちわびる者がいれば、隣の誰かは既にキッドの成り代わっているかもしれないと疑心暗鬼になっている者もいる。
相手は月下の奇術師……キッドが現れるのは、いつでも月が見える夜だ。
夜の8時を過ぎた頃、『
「警部! ロッカールームに、ウエイターが気絶して押し込められていました!」
「何?!」
「気絶していたウエイター、先ほどオレンジジュースを頭から被っていました。もしや、あの時にキッドと入れ替わったのでは?」
「ウエイターを全員調べ上げろ! 顔を引っ張って変装を剥げ! ワシはここに残る!」
が、警察官たちは驚愕することになる。ロッカールームで気絶していたウエイターと同じ顔の人間が、何人もキッチンにいたからである。これはキッドの罠だ。同じ顔のウエイターたちはキッドによって、知らず知らずの内にメイクを施されていたのだ。
キッドの狙いは何だ。捜査の混乱か……?
警察の人員が粗方ウエイターに取り掛かっているその時、展示スペースにカードが落ちた。
「ん、何だこりゃ?」
「どうしたのお父さん……「THREE」?」
上からひらひらと降って来たカードを拾ったのは小五郎。蘭と覗き込めば、カードには「THREE」と書かれている。
また、別の人物はカードを拾った。「TWO」と書いてあった。
この流れは覚えがある。そうだ、カウントダウンだ。奇跡を起こすカウントダウンは、いつもスリーカウントなのだ。
三枚目、「ONE」のカードが拾われたその刹那……無数の破裂音が連続して発生したのである。
「な、何?!」
「ふ、風船が割れているわ!」
「馬鹿な! 強風装置は発動していないぞ!」
発砲音のような風船が割れる音。音だけではなく白い煙も吹き出て来る。吹き抜けの天井が一階にいる人間たちに目視できるようになると、人々は目を疑った。
壁のモニターは映像が途切れて真っ黒に染まり、本物の『
「ええーー! じゃあ、あれ全部偽物!?」
「違う! いくら奴でも、あの短時間に宝石を奪えるはずはない!」
キッドの影に招待客たちはザワザワと騒ぎ始める。すると黒山の人だかりの中から、誰かがどこからから一枚のカードを上へ向かって発射したのだ。
カードが風船を守るセンサーに触れ、強風装置は敵意を排除するために起動する。災害の如き風の制裁が吹き荒れた。
「お、おのれキッドぉぉぉ!!」
「小わっぱ! 早く、停止スイッチを!」
「う、うん……うわっ?!」
「コナン君! ……え?」
小さな身体は停止スイッチを押す前に強風によって揺れ、転倒してしまう。立香が慌ててコナンへ駆け寄ろうとしたが……背後から羽交い絞めにされたのだ。ヘシアンによって。
何とか体勢を立て直したコナンが停止スイッチを押すと、強風は止んだ。が、立香が殺気立った『カルデア探偵局』の面々に囲まれていた。
そうか、彼らは
「え……ど、どうしたの?」
「履物で身長は誤魔化しているようだが……貴様の足音は立香のものより半音高い。これは、彼よりも筋肉量が劣る者の足音だ」
「立香は、私のことを「聖女」なんて呼ばない。私は、「魔女」のジャンヌ・ダルクよ」
「ホームズの宿敵の名で、おまえは「ルパン」と返した。違う、違う! ホームズの宿敵と問えば、「
「な、何を言っているの……」
「気付かなかった?」
「っ!」
「立香さん、左耳にピアスをしているんだよ。分かり辛いかもしれないけど」
コナンの言葉がとどめを刺す。この場にいる藤丸立香は、いつも着けているピアスを着けていない。
サリエリが聞き取った足音。ジャンヌが聞き逃さなかった発言。エドモンがかまをかけて引き出した違和感。そして、プルートーが避けたというその事実を総合して出る答えはただ一つ……彼は、藤丸立香ではない。
「よくも、我らが
気絶していたウエイターはフェイク。混乱させるための囮。
本命は、偶然にもオレンジジュースがかかってしまったお人好しだったのだ。
正体を見破られ偽立香は俯いた。しかし、小さく上がる口角は、観念してお縄に付くなどということは更々ないということを語っている。
パンツの裾からコロコロと数個の球体が落ちて来ると、そこから白い煙が噴き出したのだ。
「奴だ! 全員戻って来い!」
「出やがったな……怪盗キッド!」
白い煙の中から姿を現したのは、これまた白いシルクハットとマント、タキシード。
予告状のカードのイラストによく似た不敵な笑みをモノクルの下に隠した月下の奇術師、平成のアルセーヌ・ルパン――怪盗キッドが姿を現したのだ。
「『
さあ、お前の罪を数えろ!!(激おこ)
実は黒猫、巌窟王の肩の方が乗りやすくて気に入っているそうです。