近隣のカフェで飲み物をテイクアウトすると、リンゴジュースを手にした彼は「コーヒーが飲めないんです」と恥ずかしそうに顔を赤くした。
公園の東屋で涼みながら話すのは、先ほどの鳥矢町図書館での光景。呉井という男の普段の利用態度はいつもああなのかと清水に尋ねると、彼はぽつりぽつりと話し始めた。
「僕が図書館に通い始めたのは6月からですけど、その頃にはもう
「そういえば、夏休みなのに子供や学生の来館者が全然いなかった」
「僕は本を貸借するだけなので、長居はしないのですが……グループで来る人たちは目の仇にされるみたいなんです。スマートフォンを使ったり、少しでもお喋りをすると直接注意はされないけど横で文句を言われると。それで、鳥矢町図書館には近付かない方が良いって、学生の間で話が広がっています」
鳥矢町図書館の被害は立香の想像以上だった。
若年者は年長者を尊び、敬えというが、ただ事務的に歳を重ねただけで中身は何も研鑽されていない年長者はただの癌である。更に権力という贅肉にも似た鎧を手に入れてしまったのなら、自分は無敵であると勘違いして暴走するだけだ。
その暴走の結果が現状である。
市議会議員という権力の尾を引きずったまま、それをまだ使えると思い込んでいる。周囲の人間も、幻影の尾に怯えているのだ。
「あの方、元市議会議員なんですってね……権力を手にして色々な人たちに畏れられた人は、権力を失ってもあんな風になってしまうんですね。まるで、怪物みたいな。周囲の人たちと違うっていう自意識は、人間を怪物にしてしまうんでしょうか。周囲の人間と違えば、怪物なんでしょうか」
「……清水君?」
「あ、すいません。独り言です。さようなら。オルタ先輩に、よろしくお伝えください」
清水はペコリと頭を下げて公園を去る。仄かに暗い影が幼い風貌に差し込んだのを、立香は見逃さなかった。
「怪物か……モンスター・クレーマーって奴かな。あの呉井は」
『最も質の悪い、権力の味を知った小心者だ。これは厄介だぞ』
『おや、新所長。モンスター・クレーマーの性質が分るのかい?』
『これでも
通信機越しに聞こえるゴルドルフ新所長の声の背後からナイフとフォークの音が聞こえるのは、カルデアのおやつがワッフルだからだろう。清水の食べっぷりに触発されたのは立香たちだけではなく、カルデアでも本日のおやつはワッフルが良いと声が上がったのだ。
外はカリカリ、中はふんわり。メープルシロップをたっぷりかけて頬張れば、蠱惑的なバターの香りを堪能できる幸せのベルギーワッフルだ。
『あの手の人間は、居丈高に振舞うために相手をよく見ている。故に、あの図書館に通い続けているのだろう。藤丸、小さな図書館を見て何か気付いたか?』
「気付いた……えーと……」
『気付かんか。まあ、人間の粗探しもできんから気付かんか。あの図書館の職員は、殆ど女性だけだ。長である館長は男であるが、人間の肩書で忖度するため脅威にはならん。あそこは、クレーマーにとって自身よりも格下の者しかいない場なのだ』
「それって、女性しかいないからあんな態度を取っているってことですか?」
『先ほども言ったが、権力を持った小心者は相手を見て権力をふりかざす。先の舌打ちも、藤丸が一見すると無害で
米花図書館が再開してもそちらへと戻らなかったのは、鳥矢町図書館には格下の存在が多かったからだ。
大きな図書館は職員の数も多く、その中には体格の良い男性もいる。そういう相手には元市議会議員の肩書は出さない。下手に物理的に反撃されたら、まず敵わないからだ。しかし、規模の小さな鳥矢町図書館には女性職員しかおらず、いくらでも横柄な態度でふんぞり返っていられるのだ。
よくよく考えてみれば、呉井は女子供にしか攻撃していない。クレームを投げかける職員は田辺を始め女性ばかりだし、文句を言ったのは子供相手だ。
自分よりも弱いと判断した相手へ徹底的に攻撃する姿に、怒りを通り越して呆れてしまう。
的確な分析を行ったゴルドルフ新所長も尊大な小心者ではあるが、根っからの悪党ではない。自分より弱い者たちを圧制する気もないし、その思想さえも思い付かない。
だが、呉井は違う。完全に圧制者判定「黒」の人物だ。
犯人に殺害される寸前に、「金ならいくらでもやる」とか何とか言って命乞いをするタイプだ。絶対に助からないだろうけど。
「とにかく、証拠を集めよう。呉井が田辺さんに対して精神的苦痛を与えている証拠が揃えば、告発することができる」
立香が手に入れたのは、呉井の車のナンバーと鳥矢町図書館での態度。別行動をしていたエドモンとジャンヌが手に入れたのは、夕方に田辺の自宅アパートの前で意味もなく佇む呉井の写真と動画だ。動画の時間は十数分、それだけの時間、彼女を待ち伏せしていたようである。
毎日のようにこのような行動を取っているのなら、付きまといの証拠になる。『カルデア探偵局』は引き続き呉井の調査を進めた。
が、事態は思わぬ方向へと進んでしまうこととなる。
翌日も、立香はヘシアン・ロボに送られて鳥矢町図書館にやって来た。影にはアンリマユ、背中のリュックにはプルートーがいる。
やはり今日も来館者はまばらだ。そして、呉井が新聞コーナーの机に上に大量の新聞を広げ、バサバサと音を立てながら占領している。
新刊コーナーの本棚へ行くと、田辺が返却された図書を本棚に収めていたところだった。
「あれから、何か被害はありましたか?」
「いつも通りです。いつも通りクレームが来て、夕方に外を覗くとあの人がいました……幸いにも、酷くはなっていません」
「こちらも、証拠を集めている最中です。何とかして……」
「ぐぁっ……!」
新聞コーナーから呻き声が聞こえた。椅子から立ち上がると、ガタン!と大きな音を立てて引っくり返った。それと同時に、机の上を占領していた新聞と一緒に床に倒れた……呉井が苦しみながら倒れたのだ。
「お、おい。アンタ、大丈夫か?!」
「動かさないでください! 田辺さん、救急車を!」
「は、はい!」
新聞紙の中で倒れた呉井に駆け寄るが、立香が近付いた時点で呉井は泡を吹いて呼吸が停止していた。白昼堂々、図書館のど真ん中で死亡したのである。
呼ぶのは救急車だけではなくなった。閑静な鳥矢町図書館に、多数のパトカーが臨場することとなったのだ。
「死亡したのは、呉井真一郎さん(73)。元米花市議会議員ですが、現在は無職です。死因は毒物による呼吸不全。被害者の右手と寸前に読んでいた新聞紙から、トリカブトの成分が検出されています」
「トリカブトだって?」
トリカブト。園芸用としても市販されているが、美しい花にも葉にも根にも、可憐な姿の全てが致死量の猛毒を含んでいる非常に危険で、非常に有名な植物だ。
山菜に間違われる事件も多発しているため、まさか誤食したトリカブトの症状が時間差で出て来たのか。高木からの報告を聞いた目暮は事故の線も考えたが、殺人の可能性も捨てきれない。
それもこれも、事件現場となった図書館に探偵がいたからだ。
「それで、藤丸君……まさか、毛利君がいたりしないだろうね」
「いえ、流石に毎回顔を合わせはしません」
「ところで、藤丸君はどうしてこの図書館に?」
「ええと、仕事でして……」
「藤丸さん、構いません。私が『カルデア探偵局』さんへ依頼をしました。呉井さんに、ストーカー紛いの行為をされていたので」
「被害者が、ストーカー?」
田辺から許可を取り、一連の状況を警察へと説明した。
被害者はかつての権力を振りかざして横柄に振舞っていた、鳥矢町図書館のモンスター・クレーマーであり、田辺へ嫌がらせのように付きまとっていたということを。
そう……殺される動機がしっかりあるのだ。誤食による事故ではなく、誰かにトリカブトの毒で殺害される可能性の方が高い人物なのだ。
「藤丸さん! 警察が……何か、あったんですか?」
「清水君……呉井さんが、亡くなったんだ」
「え……」
偶然にも清水まで図書館にやってきた。だが、ここには
いるのは、立香とヘシアン・ロボ、アンリマユ。そして、現場に留められている来館者の1人にトコトコと近付いて、足元で甲高く鳴いたプルートーだけだった。
「ニャーーーン」
死神:
「皆さんのご想像通り、真っ先に殺されそうな奴だったのでサクっと
コナンサイドは登場しませんが、警察は登場します。だって現場で事件が起きているから。