ここで、被害者が鳥矢町図書館関連でやらかしたマナー違反を羅列する。
・館内で大きな独り言などを発して五月蠅くする
・新聞をバサバサ音と立ててめくって五月蠅くする
・自分を棚に上げて他の利用者の足音に舌打ちをする
・子供の利用者に対して陰で文句を言う
・注意されたら逆ギレするか生返事でスルーする
・他の利用者を鑑みずに新聞やコピー機を占領する
・指を舐めて新聞や図書資料をめくる
・閉館になっても図書館に居座る
・新聞をまとめたクリップを外してバラバラにする
・職員に対して言いがかりのクレームを入れる
田辺を謗る目的で待ち伏せるのはマナーではなく、最早犯罪なので割愛する。
これらのマナー違反をしたために、被害者は死ぬこととなった。逆に言うと、犯人はマナー違反をしたら死ぬ罠を仕掛けていたのだ。
『遂に! 遂に先輩が、探偵として謎解きを!?』
『証拠はあるのか? 犯人だけ分っていても、証拠がないと話にならんぞ! 逆に名誉棄損で訴えられないか? 良い弁護士は雇えないぞ、私は素寒貧だぞ!』
「何とか、やってみる」
「マスター、自信を持って下さい。貴方はボクの声が聞こえた「明かす者」なのですから」
肩に乗るプルートーの言葉に、立香は大きく深呼吸をした。
今、この場で推理をしなければ容疑者たちが帰されてしまう。「犯人」である北方も、左腕の腕時計に目をやりながら、そろそろ帰宅させてもらえないかと高木に進言している。
探偵、エドモン・ダンテスを思い出せ。この特異点で出会った小さな探偵を思い出せ……彼らのように、「明かす者」になるのだ。
「目暮警部! ちょっと良いでしょうか?」
「藤丸君、どうしたんだ」
「俺、犯人が分ったかもしれません……呉井さんは、被害者はマナー違反をしたために、仕掛けられていた罠で亡くなったんです」
「マナー違反?」
「はい。説明します」
立香は薄手のゴム手袋を着けてから床に落ちている新聞を拾ってテーブルの上に乗せ、鑑識官から受け取ったクリップで1週間分の新聞をまとめた。他の週の束と同じく、右綴じだ。
「『カルデア探偵局』は田辺さんから依頼を受け、呉井さんの館内でのマナー違反の状況を聞きました。館内に貼ってある注意喚起の張り紙の内容は、呉井さんを戒めるために貼ったんですよね」
「はい。でも、貼っても特に効果はありませんでした」
「一つ目のマナー違反は、この張り紙です。『資料をめくる時は、滑り止めクリームをお使いください』……呉井さんは、指を舐めて新聞をめくっていました。」
「っ! まさか、被害者の指に毒が付着していたというのかね?!」
「はい。毒が付いた右手で新聞をめくり、その右手の指を舐めて毒を体内に取り込んでしまったんです」
もし、被害者が舐めずに滑り止めクリームを使ってしまったら成立しない……という指摘もあるだろうが、今までの呉井の行動を見れば十中八九成功するだろう。
注意しても聞く耳を持たず、公共の場で提供される新聞が汚れることも気にせずに自分勝手に振舞っている人間が、今日に限って張り紙の注意を受け入れるなんてあり得ない。
では、どうやって呉井の右手に毒を付着させたのか?
それが、二つ目のマナー違反の結果だ。
「呉井さんが犯した二つ目のマナー違反は、『新聞のクリップを外さないでください』……新聞が周囲に散らばっていた、呉井さんはクリップを外していた。犯人は、このクリップに毒を塗っていたんです」
「そうか! 新聞の束はクリップで右綴じになっている。そのクリップを外すには右手を使わなければならない」
「被害者は何度注意されても行動を改めなかった。クリップを外すなといくら注意しても、必ずクリップを外す。そして、その上で指を舐めて新聞をめくったために死亡したということか。だが、クリップからは毒は検出されなかったぞ」
「すり替えたんですよね。毒が効いた呉井さんが倒れたら真っ先に駆け寄れる位置にいて、どさくさに紛れて毒の塗っていないクリップとすり替えた。そして、呉井さんが来る直前まで新聞を読んでいて、クリップに毒を塗った……そうですよね、北方さん」
「探偵」に徹した立香の推理が、「犯人」を名指しした。
だが、告発された北方は反論をする様子も見せず慌てもせずに、冷静な声でこう言い返したのだ。
「証拠はあるんですか? 私より前に新聞を読んでいた何者かが仕掛けた可能性もあるのでは?」
「持っていますよね、すり替えたクリップを。貴方は図書館から出ていない、処分する暇はなかったはず」
「では、身体検査をしてみてください。私はクリップを持っていません」
「え……」
『この反応……まさか、館内にクリップを捨ててしまったのでは?』
しまった、その可能性は考えていなかった。
現場の状況が北方を犯人であると語っていても、証拠がなければ不十分だ。その証拠を、犯人がまだ持っていると考えた立香にとって、彼の反応は想定外だった。
どうする?
他に証拠はあるか、何か、見落としはないか。
必死に頭を回転させるが思い付かない。立香の心臓がバクバクと大きく鼓動して焦り始める。
北方に対して二の句が継げずにいた沈黙。だがそれは、一言で打ち破られた。
立香ではない。彼の背後にいた清水の一言によって、北方は大きく動揺したのだ。
「右手」
「っ!」
「北方さん、左腕に腕時計をしているので右利きですよね。でも、先ほど猫を撫でた時に
「……ただ拭っただけでは不安だから、右手を使っていなかった?」
「……」
倒れた呉井に近付き、凶器であるクリップを拾った。右利きなので真っ先に右手が伸びるだろう、ハンカチを使っても毒物を触るのだ……万が一、もしかしての不安もあるはずだ。
その恐怖から、北方はクリップを拾った右手を使わなかった。プルートーの頭を撫でる時も、わざわざ左手を伸ばしていたのだ。
「右手を調べさせてもらえますか?」
「……クリップは、あちらのゴミ箱に捨てました。あの人を殺したのは、私です」
目暮に問い詰められ、北方は観念したように白状した。
蓋付きのゴミ箱の中からは新聞を止めていたクリップと瓜二つの物が見付かり、トリカブトの毒が検出されたのだ。
「動機は、呉井さんのマナー違反が原因ですか?」
「長年議員を務めた人が、公共の場であのような振る舞いをするのを見ていられませんでした。あの人を信じて、何度も投票して頭を下げた自分がとんでもない愚か者だったと見せ付けられましたよ」
「支持者だったんですか」
「ええ、初出馬から引退まで、ずっとね。それだけなら、自分が裏切られただけで済みましたが……あろうことか、田辺さんを攻撃して付きまとっていたなんて」
「え……知って、いたんですか?」
北方は偶然にも見てしまったのだ。とあるアパートの前で何十分も突っ立っていた呉井が、田辺を待ち伏せてアパートに帰る姿を目で追っていた現場を、何度も何度も目撃してしまったのだ。
図書館では理不尽なクレームをぶつけ、自宅を突き止めてまで田辺を見張っているかのような呉井の行動を知った北方の背筋には、鋭い悪寒が走ったと言う。
「あんな怪物を作り上げてしまったのは、理想だけを見てちやほや持ち上げた私たちにも原因があった」
「でも、貴方が犯罪に手を染める必要はなかったのでは?」
「責任を取ったと言えば聞こえは良いですが、許せなかったんですよ。どうしても。彼女が辛そうにしているのを……亡くなった妻に、若い頃の妻に似ている田辺さんが辛そうにしているのを、見ていられなかったんです」
「北方さん……」
北方が素直に差し出した両手に、高木によって手錠がかけられた。
北方もまた、田辺に密かな想いを寄せていたのだ。田辺深月にではなく、彼女の中に見た妻の面影を想い、若き日の妻を助けようと凶行に走ってしまったのかもしれない。
「……よ、良かった。解決、できた」
「大丈夫ですか、藤丸さん?」
「大丈夫、安心したら疲れちゃっただけだから。清水君がいなかったら解決できなかったよ」
「い、いえ、そんな……」
清水は謙遜しているが、彼が右手に気付かなかったらこの事件は解決できなかっただろう。綱渡りのような謎解きのシーンで、命綱で支えているような安心感があった。
確信した。立香の中で、ジャンヌの言葉が反復する……。
「清水慶君」
「何ですか?」
「君…………サーヴァントだろ」
かつての霊基がルーラーだった名残なのか、ジャンヌは清水に対して何かが引っ掛かっていた。
学校で出会った時は気のせいかと思った。だが、同じテーブルでお茶をして、長い時間を同じ空間にいたことにより引っ掛かりは大きくなっていったのだ。
彼女の直感は気のせいではなかった。数多の英雄たちと共に時代を駆けて戦って来た立香もまた、清水からは普通の人間とは違うナニかを感じ取ったのだ。
君は、人間ではない。
真っ直ぐにそう突き付けられた彼――「清水慶」は、安心したかのような、親を見付けた迷子の子供のような顔をして、立香の手を取ったのだった。
真名:■■■■
クラス:ライダー