小五郎は考え込んでいた。
容疑者2人の手荷物に、盗難に遭った優木の馬券はなかったのだ。身体検査をしても結果は同じ、容疑者たちは一枚の小さな馬券を持っていない。
彼らを突き出したサリエリの耳を一瞬疑うが、すぐにその疑念を払った。自分がサリエリの聴覚を利用するような形で競馬に誘ったのではないか。自分が疑ってどうするのだ。
「毛利探偵、ちょっと」
「花田巡査、見付かりましたか!」
「いいえ、馬券は見付かりません。ですが、あの菊池という男……以前も、当たり馬券の窃盗の疑いがかかったことがありました。この競馬場からの通報で、私が菊池を取り調べました」
「何ですって?」
以前も、当たり馬券を盗まれたという通報が入って花田巡査が駆け付けたことがあった。
競馬場内の飲食スペースで隣に座っていた男に馬券を盗まれた被害者の訴えにより、その隣に座っていた男を取り調べた。それが、菊池だったのだ。
だが、菊池は当たり馬券を持っていなかった。被害者はあいつが犯人だと主張したが、証拠がなければ逮捕しようがない。結局、菊池はそのまま解放されてしまったのである。
「私は菊池が犯人としか思えません。しかし、手荷物検査をしても、身体検査をしても馬券が出て来ません」
「やはり、既にどこかに隠したか」
「以前の事件の際、何か変わったことはありませんでしたか? 何か気付いたことでもいいのですが」
「変わったこと……っ、そうだ。確か、その時も菊池のスマートフォンの電源が切れていました」
「電源が……今回といい、随分とうっかりな奴ですな」
サイズに対して画面が大きいタイプのスマートフォン。これが携帯電話ならば、バッテリーの蓋を開けて隠すこともできそうだが、スマートフォンはそう簡単に機体を開くことはできない。
両者が所持していた競馬新聞も、一頁一頁を開いて調べたが挟まってはいなかった。
「毛利探偵。犯人は、十中八九菊池であろう。しかし、証拠がなければ告発することができない」
「そこなんですよね。証拠がなければ……」
ピローン!
と、何かの着信音が聞こえた。小五郎のものではない、サリエリのものでもなかった。
また続いて、二回目の甲高い音がした。小五郎が座った椅子の後ろから聞こえてきたその音は、椅子にかけられていた優木のダウンジャケットのポケットから聞こえて来たのだ。
どうやら、ここにかけたまま忘れてしまったようである。後で病院に届けなければ。
「優木さんのスマホか。ジャケットのポケットにいれたまま、忘れちまったんだな」
「メッセージを受信したようだな」
「ミャア」
「送り主は「秋音」、女性からか……ん?」
失礼と思いつつ、ロック画面に表示されたメッセージを目にした小五郎の中で、一つの謎が解けた。
盗まれたのは大穴の当たり馬券。小さな一枚の紙が大金に化ける……確かに大切な物であるが、優木の反応がどうにも釈然としなかったのだ。
馬券がなくなった際の焦り具合が、どこか違和感があったのだ。
そういえば、救急車が来るまでの間の会話で、優木は今日初めて競馬をやったと言っていた。職員に教えてもらって馬券を買ったと言っていた。
そうか、だから優木はあんなにも喜んでいたのか。だから、あんなに焦っていたのか。
その謎だけは、解けてしまった。
「いかがした、毛利探偵?」
「あ、いや……ちょっと、家族のことを想い出してしまいまして」
「家族。ご夫人と、娘さん。それと、あの少年か」
「居候は……まあ、そのようなものですね。サリエリさん、ご家族さんは?」
「……勤め先のあるウィーンに、妻子がいる。子供は8人だ」
「子沢山で楽しそうな家庭ですね」
「今は7人だ。一番下の子は、1歳になる前に……」
「……申し訳ありません」
「いや、それはもう過去のこと。家族、か……ああ、そうか。この地で共に過ごす者たちも、
そう呟くと、サリエリの視線はほんの少しの刹那だけ、柔らかいものに変化したのだ。
鋭利さと憂いを帯び、洗練はされているが近寄りがたい空気を持つ彼の目に、まるで色を変えるかのような温かみが宿ったのである。
彼は離れて暮らす妻子も、米花市の探偵局で共に暮らす仲間も、同じように大切に思っているのだ。小五郎は、同じく家族を持つ者としてそう感じたのだった。
「ニャー」
「うわっ!?」
「ニャーオ」
救護室のベッドの下から猫の鳴き声がした。「しんみりとしたお話、終わりました?」と言わんばかりの鳴き声へ目を向けると、暗がりの中に浮かぶ金色の目に思わず声を上げてしまった。
黒猫故にプルートーが暗闇と同化していた。ベッドの下で、左目だけが闇に潜む化け物のように爛々と光っていたのである。
ホラーな光景だ。驚きのあまり椅子から転げ落ちそうになってしまった。
「ビックリした。黒くて分らなかったぜ」
「ミャー」
「ん、黒くて、分からなかった……っ!!」
闇に紛れたプルートーを目にした小五郎に、何かが閃いた。以前も、こんなことがあったような気がする。猫が切っ掛けで暗号のようなメールが解けたように、ベッドの下の猫で何かが解けかけていた。
小五郎は再び菊池のスマートフォンを手にすると、手帳型のケースを開いて中を調べる。
充電が切れているので画面に光は灯らない。ケースのポケットにはカード類は入っていない。保護シールの貼られた画面は、指紋で汚れている。
「……分ったぞ! 犯人が、馬券をどこに隠したか!」
「ほお」
「ニャー?」
***
「毛利探偵、花田さん。月原さんからも、馬券は見付かりませんでした」
「だから、盗んでないんだよ! 持ってない物が出て来る訳ねぇだろ!」
「そろそろ帰っていいかな? 駐車場の料金が高くなっちまう」
「……そうですね。ちょっとした、勘違いだったようです」
手荷物検査でも身体検査でも当たり馬券は出て来なかった。菊池は苛立ち始め、月原もそわそわと落ち着きがない。
証拠がなければ追及できない。犯罪に手を染めたことは分かっていても、犯人を告発するための決定的証拠がないのだ。
小五郎が申し訳なさそうに「さっぱり分からない」と告げれば、菊池も月原もさっさと帰り支度を始めた。テーブルの上に広げた自身の所持品に手が伸びると……真っ先にスマートフォンを持ち上げた菊池の腕が、小五郎に掴まれたのだ。
「な、何するんだ!」
「菊池さん、真っ先にスマホを手にしましたね」
「それがどうした。時間が気になったから、確認しようかと」
「おや、貴方のスマホは充電が切れていませんでしたか? それに、時計は後ろの壁にかかっているじゃないですか」
「そ、そうだったな。な、何でもいいだろ。真っ先にスマホに手が伸びたって」
「そりゃ、伸びるでしょうね……そのスマホに、優木さんから奪った馬券が隠してあるんですから」
「ええ?!」
「でも、ケースの中には何も……」
警察官たちが驚きの声を上げた。確かに、ケースの中には何も入っていない。隙間も調べたし、馬券を入れられるような切れ目さえもなかった。
では、どこに隠したのか?
小五郎はシャーペンを用意すると、菊池のスマートフォンの画面に貼ってある保護シートを剥がした。すると、スマホの画面が
「スマホの保護シートの下から、馬券が!?」
「メゴイアキネへ単勝の馬券、確かに優木さんの物だ。考えましたね。透明なはずの保護シートが貼られているスマホの画面が真っ黒なら、電源が入っていないと思い込んでしまう。誰も、保護シートの下に何かが隠されているなんて考えもしない」
「ケースにはこれ見よがしなカードポケットがある。ポケットの中に何も入っていないのならば、それ以上調べることもない」
「最近は厚いタイプの保護シートもあるから、多少の厚みも誤魔化せる。でも、実際に画面に触れてみるとやはり違和感がありますな。以前に警察の目を誤魔化すことができたから、今回もバレないと思ったんだろう。菊池活雄」
「あの時も、この手口で馬券を盗んだんだな!」
「探偵」によって暴かれた真っ黒な保護シートのトリックと、犯人の証拠となる盗まれた馬券。
それらを突き付けられた菊池は、悔しそうに歯軋りをしながら床へ膝を着いたのだった。
・優木駿(48)
山形県から出稼ぎに来ている今回の被害者。馬券が当たった次の瞬間に階段から突き落とされて、当たり馬券を盗まれた。
「東京優駿」こと「日本ダービー」
・菊池活雄(49)
競馬場に来ていた自称タクシー運転手。以前も当たり馬券の窃盗の疑いをかけられたが、結局馬券は見付からなかったのだが……?
「菊花賞」
・月原大五(51)
競馬場に来ていた自称日雇い労働者。車で来ている状況で酒を飲んでおり、飲酒運転の罪が黒猫の宝具に引っ掛かったと思われる。
「皐月賞」
・桜田巡査(36)&花田巡査(42)
競馬場の最寄り交番の警察官。
2人合わせて「桜花賞」
ついでに言うと、ちらっと出て来た競馬場の職員もオッサンである。