「何でこんな量の料理が? 誰か訪ねて来る予定だったんですか?」
「いいえ、違います。順を追って説明いたします」
那須野の自宅は群馬県の山奥にある。彼の師から受け継いだ別荘をリフォームして長年暮らしていた。
周囲に他の家も店もなく、毎週月曜日に山を下りた麓の商店から食材や日用品を運んでもらっていた。その商店の人が第一発見者の1人だ。
月曜日に1週間分の商品を配達しに来たら、リビングで亡くなっている那須野を発見した。
「死後何日か経っていたらしく、いつ亡くなったかは正確には分かりませんでした。司法解剖? というものをすれば分ったかもしれませんが、警察の方が必要ないって……でも、冷蔵庫の中の食材を全て使い切ってこの料理を並べていたんですよ。冷蔵庫を空っぽにして。弟はこんな量を1人で食べる大食漢ではありません。普通はおかしいと思うじゃないですか」
淑子はため息と共に頭を抱えた。どうやら、群馬県で担当した警察の対応が余程酷かったようだ。
Q.大人数の来客の予定もないのに、1人ではどう見ても食べきれない料理が何故テーブルに並んでいたのか?
A.きっと凄くお腹が空いちゃったりなんかしていて、作りすぎちゃったんですよ。それで、いざ食べようとウキウキ気分で席に着こうとしたら、滑って転んで頭を打ってしまったんです。
と、ガバガバすぎる推理を披露した刑事はこれを事故と判断し、あっと言う間に捜査は終わってしまったのだ。
いや普通に考えても、1人の食卓で1週間分の食材を全て使い切るか?写真の料理はメインだけでも数種類あるぞ。
「貴女は事故ではなく、他殺だと考えているのですね」
「……はい」
エドモンの問いかけに淑子はしっかりと頷いた。その視線は、誰か犯人に思い当たる節があるようにも見えた。
「先ほど、食材を配達している商店の人間が第一発見者の1人と言いましたが、もう1人の発見者は誰でしょうか?」
「……それが、その」
「依頼人のプライベートや秘密も利益も全てこちらで死守します! 我々を信じて、全てを教えてくれませんでしょうか」
もう1人の第一発見者を言い淀む淑子に立香が声をかける。あまり外部には知られたくない第一発見者のようだが、彼女は意を決して口を開いた。
「実は、最初は名探偵の毛利小五郎さんに相談しようと思っていたのですが、あそこは有名でしょう。毛利探偵事務所に入って行くところを知人にでも見られたりしたら気まずくて……そんな時に友人が教えてくれたんです。音楽家の先生が探偵事務所のオーナーをしていると。それで、こちらに相談させていただいたのです。何だか申し訳ありません」
「いいえ! お零れの仕事も大歓迎です!」
幸運Bのお陰で舞い込んだ仕事だったようだ。
「名探偵毛利小五郎へ相談するのも憚れる依頼」というニーズが拾えるのはかなり嬉しい。
「もう1人の第一発見者は、
淑子が取り出した写真に写っていたのは、那須野と仲睦まじく腕を組みながら微笑む女性。まだ20歳そこそこの、地味だか可憐な雰囲気を持つ若い女性だったのだ。
「こ、婚約者!?」
「親子の歳の差じゃないの!」
「彼女、今年で23歳になるそうです。弟は57歳……人嫌いの気もあって今まで結婚もせず親しい女性もいなかった弟が、彼女と一緒になりたいと言ってきて仰天しましたわ」
「財産目当ての結婚ではないかと考えた訳ですか」
「はい、そうです」
「そして、彼女が事故に見せかけて弟さんを殺害したかもしれないとも考えている」
彼女を紹介された時の淑子の驚きは、写真を目にした立香とジャンヌ以上だっただろう。
女性との交際経験が皆無だった弟の前に現れたうら若き乙女の存在に、嫌な予感が過るのも無理はない。エドモンに指摘された疑念に、淑子は小さく頷いた。
周囲の目を気にしていたのも、財産目当ての若い女に弟が騙されていたかもしれないと言うスキャンダルを恐れてだった。
「弟の自宅には鍵がかかっていました。呼びかけても反応がなく、商店の方が困惑している時に参道さんがやって来て、彼女が持っていた合鍵で中に入って弟の遺体を発見したそうです。鍵は郵便受けの中に入っていました。亡くなった正確な日は分かりませんが、発見される前の週の水曜日まで生きていたことが分かっています。月曜日から水曜日まで、参道さんを含めた4人が弟を訪ねていました」
「殺害されたとするならば水曜日以降、ということですね」
「そうです」
婚約者の参道ひとみは月曜日の午後に那須野を訪ねていた。彼女以外に、那須野を訪ねたのは以下の3人だ。
1人目は、那須野の幼馴染で実業家の
2人目は、那須野の行き付けの料理店のオーナーである
3人目は、那須野がエッセイを連載していた美術雑誌の編集者である
この4人は3日間で入れ代わり立ち代わりで那須野を訪ね、みんなその日の内に帰宅したらしい。テーブルに並べられていた料理は彼らをもてなすためのものでもなかった。
淑子はこの4人の中に、弟を殺した犯人がいると考えているのだろう。
娘ほどの若い婚約者のいる有名彫刻家の死と、テーブルの上に所狭しと並べられていた大量の料理。『カルデア探偵局』の初の殺人事件の調査は、なかなかの怪事件から幕を上げた。
「本当に殺人事件なら、婚約者の女性が一番怪しいよね。合鍵を持っているなら、自由に出入りできるし」
「主観的な情報のみで結論を出すのは性急だぞ、マスター。那須野氏を訪ねたというもう3人を調べなければならない。いつ、何故、那須野氏を訪ねたのか」
「他の容疑者は、会社をいくつも経営している実業家に都内の一等地の高級レストランオーナー。そして雑誌の編集者。これは、容疑者たちを調べるための潜入捜査のパターンね! そうでしょう! 屋敷のメイドにウエイター、それとも編集部のバイト?」
「いや、明日にこの3人を含めた那須野の知人が集まる。紺野の自宅で『那須野尊史を偲ぶ会』が開催されるのだ」
「それに俺たちも参加するってことだね」
「……ああ、そうですか」
ジャンヌが顔を真っ赤にしながら意気消沈した。潜入捜査、やりたかったんだ。
「よろしくお願いします」と、深々と頭を下げて探偵局を出た淑子とは、明日の偲ぶ会で落ち合う予定だ。
那須野を訪ねた3人に話を訊くのは明日でいいとして、問題はオフィスのホワイトボード全面に貼り付けた料理の写真だ。淑子から借り受けた写真の料理の数々は、どれも豪華フルコースと言って差し支えのない品々である。
「う~ん……写真を見ても、何も分からないな」
「……これは」
「サリエリ先生、何か気付いたことでも?」
「ドルチェがない」
「……確かにデザートがないですよね」
「センセ、砂糖切れたか?」
本気か。それともアンリマユの言う通り砂糖不足で自我がヤバいのか。どちらにしろ、確かにサリエリの言う通り食後のデザートの類は並んでいない。サリエリには瓶詰の金平糖を渡した。
写真で分るメニューは、マッシュポテトが添えられた牛ステーキに、ローストチキン。サケのムニエル。円盤状のスパニッシュオムレツ。深皿の若草色は空豆のポタージュだろうか。アヒージョ皿の中にはエビとホタテ、輪切りのバゲットの上にはアンチョビとトマトソースが塗られている。
他にも、多くの料理が皿と共にテーブルを占領しているが、どれも手を付けられた気配がない。
「この料理が那須野さんが用意したものだとすれば、一体どうしてこんな量を? やっぱり、来客用だったのかな」
「もしくは、那須野氏を殺害した犯人が用意したとも考えられる」
「どうして死体の前に料理を並べなければならないの?」
『はい! 何かの偽装工作でしょうか?』
「マシュ!」
オフィス内にマシュのホログラムが出現する。実はこのオフィス、常にカルデアと通信が繋がっており依頼人の話は筒抜けなのだ。
依頼人のプライバシーは守ると言ったが、それはこの特異点内でのこと。特異点の修復と事件解決の成功率を上げるためには仕方がないのである。
『ショッピングモールの事件と同じく、犯人が何かを隠すために料理を作った可能性もあります!』
『ふむふむ。カルデア探偵局初の本格的な事件は、結構な怪事件だね! こちらはホームズもモリアーティも待機しているよ。早く犯人を見つけてやろう』
「頼もしすぎる布陣!」
そう、ここは探偵
翌日、ヘシアンとロボにオフィスを任せ、5人は紺野邸で行われる『那須野尊史を偲ぶ会』にやって来た。
一方その頃、毛利探偵事務所では……。