住所は東京都米花市米花町5丁目。隣には『米花いろは寿司』、上には『毛利探偵事務所』。
小さな店ではあるが、モーニングからディナータイムまで営業中。特製パスタやハムサンド、ケーキ類など美味しい軽食も豊富である。
アガサ・クリスティーが生み出した灰色の脳細胞を持つ探偵、エルキュール・ポアロから名を取られた、名探偵行きつけの店、『喫茶ポアロ』――安室透がバイトをするカフェである。
名探偵のみならず刑事たちも出入りするこの店に、また常連客が増えた。『捜査解明機関カルデア探偵局』の面々である。
安室が考案した半熟ケーキを食べに、オーナーのサリエリが週に一、二回の頻度で来店する。時には彼の姪が付いて来たり、局長の青年も一緒だ。最近は、バイトと名乗った帝丹高校の男子生徒も増えた。
ヘルメットを被った長身の男性は、店の前にバイクを停めていつもそこで待っている。犬を連れているために店内にやって来ることはないが、いくつかテイクアウトされるケーキは彼の分なのだろう。ヘルメットを取りたくないから来店しないのかもしれない。
しかし、彼はいつも1人で来店する。
コーヒーを一杯注文して窓際の席に着くと、外を眺めながら苦い一杯をゆっくりと堪能して帰るのだ。
高校生たちで混雑するより少し早い時間、下校する小学生たちがちらほら現れ始める時間帯に彼――探偵エドモン・ダンテスは『喫茶ポアロ』にやって来ていた。
「今日もいらっしゃっていますね、あの眼鏡の方」
「どこか気になるんですか、安室さん?」
「いえ。いつもコーヒーだけのご注文なので、偶には自慢のハムサンドやケーキも注文してもらいたいなと思いまして」
「確かに、いつもオリジナルブレンドコーヒーを決まって一杯だけですね。でも、コーヒーだけなのにとっても絵になる人。時々、安室さんだけじゃなくて、あの方目当てに来店されるJKもいるんですよ~」
カウンターの向こうで、梓がこっそり教えてくれた。
丸眼鏡をかけていても分る端正な顔立ちに、テーブルの下で組まれる長い脚。病人のように色が白いが、彼のミステリアスな雰囲気を際立たせているためマイナスの評価を抱かれることはない。
窓の向こうに見える妖しくも美しい男性を直に見るため、思わずカフェに飛び込んでしまう女性は何人か目にしていた。だが、近寄りがたいのか、誰も声をかけることはない。当然、連絡先を交換しようという猛者もいない。
同じ男性目当てでも安室とは正反対だ。勿論、年端もいかない少女たちに連絡先を差し出されても、丁重にお断りするか外部に漏れないように厳重に処分をしている。
元囚人――冤罪によって服役をしていた経歴を持つ探偵が、毛利小五郎の周囲に出現した。
何故、彼はポアロを訪れたのだろうか。喫煙者である彼が、全席禁煙のカフェに現れるとは。
初めてエドモンが来店した際、店内に貼られている『全席禁煙』の張り紙に一瞬目を止めていた。颯爽と歩けば、ニコチン多めの苦い残り香が鼻に届く。
煙草を好む人種は、往々にしてコーヒーを好むことが多い。逆もまた然り。いくらポアロのコーヒーを気に入ったと言っても、一本も喫えないカフェにこう何度も来店するのは、探偵の目には不可解に映っているのだ。
表立って何かを嗅ぎ回っている訳ではない。しかし、『カルデア探偵局』は徐々にその知名度と実績を得ている。その内、組織にとって不利益なナニかを掴む可能性は無きにしも非ず。
もし、『カルデア探偵局』が組織にとって邪魔な存在となったのならば、探り屋バーボンが探り
彼らが邪魔ではない限りは。彼らの身分を証明する書類一式のように不審な点がない限りは、ただの同業者兼カフェの店員として接することになる。
ケーキの仕込みを終えた安室がエドモンに視線を移した。すると、外を眺める金色の目が何かを捉えて動いたのだ。
まだ温かいコーヒーを半分以上残した状態で席を立つと、梓に「すぐに戻る」と声をかけて店の外に出て行く。何かあったのかと安室も外へ視線を移すと、セーラー服の女子高生2人が道路の真中にしゃがみ込んでいた。
気分が悪くて蹲っているとかではない。スマートフォンを構えて黄色い声を出すその様子は……思わず写真に撮りたくなる可愛い小動物を見付けた反応だった。
「失礼、彼はこちらの連れだ」
「ニャー!」
エドモンが2人組に話しかけると、黒い物体が「助かった」と言わんばかりの鳴き声を上げながら彼女たちの合間をすり抜けた。慣れた足取りで差し出された腕を駆け登り、黒いコートを着た肩の上にちょこんと乗ったのである。
女子高生たちに囲まれていたのは、1匹の黒猫だった。白い首輪を着けた、美しい毛並みの猫だ。
だが、右目がない。黒い顔の中には金色の左目だけが開かれている。隻眼の黒猫とは、まるで物語の中から抜け出してきたような存在だ。
黒いコートの肩の主のように、物語の登場人物の姿によく似た猫だった。
「お兄さんの猫なんですか? 可愛い猫ですね! あ、でも片目でちょっとカッコイイかも~!」
「ミャアァァ……」
「紫織、やっぱり写真を嫌がっていたんだよ」
「だってぇ~可愛かったんだもん」
黒猫が、エドモンの肩の上で尻尾をぶわっと太くした。どうやら、女子高生たちに囲まれて助けを求めていたらしい。
写真は嫌いなようだ。
「あれ、片目の黒猫って……もしかして、プジョー?」
「ニャ?」
「白い首輪に、胸元の白い毛。コロンボに通っていた猫でしょう、あなた」
「ニャー」
店内から覗き込んでいた梓が、何かに気付いて黒猫をまじまじと観察する。
「プジョー」という名で呼べば、黒猫は返事をするかのように控えめに鳴いた。本当に受け答えをしているかのようだ。
「プジョー? 彼の名はプルートーだが……そうか、放浪時代の名か」
「やっぱり! この子、同じ5丁目にあるレストランコロンボによくご飯をもらいに顔を出していたんです。レストランのシェフが、刑事コロンボの愛車に因んで「プジョー」って呼んでいたんですよ」
「ミャァ」
「夏頃から姿を見せなくなったって、シェフが心配していたんですけど……そっか~家猫になったんだね~。今はプルートーって言うんだ」
「ミャー」
「猫の扱いに慣れているようだな」
「私も猫を飼っているんです。名探偵ポアロの登場人物に因んで、「大尉」って名前の三毛猫なんですよ」
「ヘイスティング大尉から名を賜ったということは、その三毛猫は雄か。雌ならば、「
「ありがとうございます」
「あ、あの~」
エドモンと梓が猫の話で盛り上がっていると、女子高生たちがおずおずと声をかけてきた。
ふんわりと髪を巻いた子とポニーテールを結った子。この制服は確か、江古田高校の物のはずだ。
「もしかしてお兄さん、このカフェにいるっていうイケメンの探偵さんですか?」
「イケメンの、探偵?」
「猫を連れている探偵って、何かで聞いたことあるし~」
「それって、『三毛猫ホームズ』のこと? あれは三毛猫だし、一緒にいるのは探偵じゃなくて刑事だし! あ、ごめんなさい。実は、その探偵さんにご相談したいことがありまして」
「俺は確かに、探偵をしている。だが、このカフェの探偵とは……彼のことだろう」
「っ」
「かの有名な名探偵、毛利小五郎の一番弟子である彼が、イケメンの探偵とやらであろう」
「ミャ」
「何か事件か。探偵という人間の運命から、事件の影というヤツは消えることが無いらしいな」
「ニャー」
話の矛先が安室に向いて来た。
警察や探偵に相談するまでにはいかないが、ちょっとした心配事が安室に持ち込まれることはよくあることだ。大抵は本当に些細な心配事で終わるが、時には重大事件の氷山の一角の場合もあったりする。
「どうしましたか? 半人前の探偵ではありますが、尽力させていただきます。お話を聞かせてもらえますか?」
探偵、安室透の
探偵ヱドモン~