年末年始に行われるライブを控えた前日、詩緒のスケジュールはオフであり、明日に備えてしっかりと身体を休めるということはせずに家の大掃除を行っていた。
家族で前もって掃除を進めていたのもあり、詩緒は自室の掃除をするだけだ。自室のみというのは年末年始に仕事のある彼への配慮である。
皆も掃除しているのだろうか、汚れてもいい格好で整理整頓をしたり、床や窓を拭きながら汚れを落とす。
本の整理で大体沼に引きずり込まれる人が多いのだが、詩緒はそんな罠に引っかからずに淡々とこなしていた。
そういえば家事が得意な同い年くらいのアイドルがいるが、彼女は人気も高くお嫁さんにしたいアイドルランキングで一位を取るほど家庭的な少女だったと記憶している。
そんな個性に比べたら詩緒はこれといった特技も無く、他のアイドルには魅力の面で到底及ばないんだろうなと考えているが、パフォーマンスで取り返せばいいか、と気楽にも考えていた。
明日のために調整もしておきたいし、あんまり掃除に時間をかけておけない。
彼の性格上しっかりやっておかないと後で気に掛けてしまうということはないだろうが、適当に終わらせるということもない。
それから一、二時間ほどかけて大掃除を終える。
疲れたと思いつつも体力的にそこまでキツイわけではなく、アイドル活動を始めてから基礎体力が十分に身に付いていると理解した。
去年の大掃除と比べてもだいぶテキパキと動けるようになったし、運動音痴は日々の運動によって改善されていくものであると実感した。
身辺の整理や断捨離を行ったことで心の内がスッキリとして、年末のライブにも気持ちよく参加できそうであった。
しかしながら、自分の部屋が綺麗になってスペースが空くと、今度は事務所に置いてあるファンからの沢山のプレゼントが頭を過ってしまった。
残念ながら手作りの物は受け取ったりできず、お菓子や、加工品、可愛らしいぬいぐるみなど市販で売っている未開封の物も厳正な事務所チェックが入り、処分されるか保管してあるかのどちらかになってしまうことが多い。
もちろんファンレターも同じチェックが入るので、毎回ファンが送ってきているものをスタッフ数名がチェックしているのを見て、辛い思いをしており、心の中で謝っている。
プロデューサーからはそういうことを言わないように厳重注意されているため、彼らを傷付けたくない一心も相まって頑なに黙っているのだった。
ちなみに以前ファンレターを分別しているスタッフに手伝ってもいいか聞いてみたが、どうしてもダメだと断られたこともある。
理由は簡潔で、いきなり本人が直接確認してしまってはスタッフの仕事として必要がなくなるから、というのももちろんあるし、身体が資本のアイドルの時間と体力を奪うわけにはいかないこと、加えて本人が恐怖を覚えたり、傷付くかもしれないような内容を確認して無駄な心労を与えないようにするためでもある。
結局、水上詩緒というアイドルを守るために行われるスタッフ確認なのだ。
詩緒はポジティブな意見ばかり取り込む、誹謗中傷などには滅法強いメンタルの持ち主ではあるが、ファンレターやプレゼントなどの生物で恐怖を覚える可能性は十分にあるのをスタッフ側が理解しているので、何とか彼と彼に纏わり付こうとする闇を引き離したいのだ。
スタッフがそう思うのも、美城所属アイドルの普段の行いや性格の良さがスタッフの士気にも繋がっていて、取り分け詩緒は表の顔と裏の顔が表裏一体のような聖人なので、とにかく一度関わったファンやスタッフの人気が高いのである。
水上詩緒のファンに固定が多く付くのは、そういった満足感を与えてくれるからである。
そして次回会いに行った時も覚えてくれるならば、リピートしないはずもない。
ただ今日行った身辺整理で、家に置ききれないプレゼントが大量にあることを考えて、処分を迫られると思うと心苦しくなってしまう。
ここ最近で大きな悩みは総選挙以外にないと自分でも楽観的に考えていたが、そんなことはなかったようだ。
いっそファンレターやプレゼント類を禁止にしてもらおうと考える。
詩緒としては、せっかく贈ったのに本人に届かずに処分されていくなんて、贈ったファンが知ったら悲しすぎるし、考えただけでも心が痛んだので、早速そのことをメッセージでプロデューサーに伝えると、うーん、と悩むスタンプが送られてきた後、禁止にしません、と否定の返事。
詩緒はメッセージを確認して、えー、と呟く。
当然と言えば、当然の処置である。
一体どんな理由を盾にしてその発表をすればいいのか、皆目見当もつかなかったからだ。
その後、神保から理由が記載されたメッセージが送られた。
水上詩緒がすべてに目を通せなくて心を痛めていると正直に言ってしまえば、送ってくれたファンには迷惑だったのかもしれないと申し訳ない気持ちにさせてしまう恐れがあること。このファンの気持ちは詩緒の意思に反する。
またファンは気持ちを表明できること自体に喜びを感じるため、贈り物を禁じるのは一部のファンのフラストレーションも高まるのだと説明された。
『気にするなとは言わないけど、あまり考えすぎないように気を付けて。たまに確認してくれるだけでいいから』
そう言われて二つ返事で頷けるなら詩緒もわざわざ連絡をよこさなかっただろう。
うまく自分の気持ちと折り合いをつけることが大事なこともある。
ファンに対して嘘をつかなければならない時が来るかもしれない。
意外とその時は早く来るのだが、この時の詩緒には分かるはずもなかった。
モヤモヤしていても明日に支障が出るだけだと思い、さっさとトレーニングとレッスンするため外出の準備をした。
たったかと階段を下りてリビングを覗くと、すでに仕事を納めて堕落している両親がいた。
年末年始向けた準備は既に完了しているらしく、炬燵まで出してすっかりお休みモードだ。
「練習しに行ってくる」
詩緒が一言声を掛けると両親は振り返る。
「今日も出かけるのか?」
父親はまるで娘を心配するかのように詩緒に尋ねる。
詩緒は何をするにも割と自由にやってきたし、中学までは門限もあったが、高校へ進学してアイドル活動をし始めてからは仕事という壁の前に、特に帰りについても何も言わなくなってはいた。
ただ神保と連絡を取り合っていることや姉である時雨の影響が大きい。
詩緒の心配をする両親ではあるが、活動のことについて聞くことは少ない。
テレビでの詩緒の活躍は我が事よりも嬉しく、こっそりと録画をしていたり、グッズやポスターも部屋のいたるところに飾られていたりする。
詩緒は多少の気恥ずかしさ――特に水着姿のグラビアのようなポスター――もあるが、応援してくれる姿勢はとても嬉しいものだった。
そんな実は心配性の父親が明らかに外出していきますという格好をした詩緒に尋ねてくるのは、多少なりともコミュニケーションを取りたいからだろうか。
「うん、明日の生放送出るからちょっと練習してくる」
それを聞いた父親は、そうか、と言ってテレビに目を移した。
それだけ? と聞き返すと、それだけ、と返事をしたが何か言いたそうな雰囲気を察する。
視線を移して目が合った母親の反応から何か言いたかったんだろうなということが容易に想像できる。
「今日早めに帰ってきなさいね」
「どっか行くの?」
「ウタも珍しく仕事無いし、たまには家族で外食行くよ」
「わかった。何時?」
「五時までに帰ってきて」
「ん、じゃあ行ってきます」
簡潔なやり取りを終えて詩緒が出かけて行った。
扉の開いて閉まる音と、その後に続くカチャリと鍵の閉まる音はリビングにまで届いた。
「お父さん、良かったね」
「ん、まあな」
父親は素直に詩緒との外出を喜んでいた。
☆ ☆ ☆
大晦日の前日にも関わらず、事務所は出入りが可能であった。
受付のお姉さんにレッスンルームを利用することを説明し、台帳に名前を記入する。
その後セキュリティカードを渡された。
「いつも応援してます。頑張ってくださいね」
お姉さんにエールを送られて、詩緒もにこやかに応えた。
社内でも受け付けの人はあんまり接点が無いと思っていたが、ファンになってくれている人もいるのだと、詩緒は初めて知った。
エレベーターを利用してトレーニング室のある階で降り、トレーニング室の向かいにある男子更衣室で着替えをした。
男性アイドルは詩緒だけだが、たまに利用する美城所属の芸能人や社員と鉢合わせすることもある。
詩緒自身は特に気にしていないようだが、男性利用者は見た目美少女の詩緒に気を取られることもしばしばあり、何とか意識しないように努めているらしい。
もちろん詩緒に悪気はないし、むしろ男同士だから大丈夫、とその思考にすら辿り着いていない。それがかえって魔性の魅力があるという噂を生んでいることも彼は知らない。
ちなみに今日の更衣室には詩緒一人である。
大晦日の前日に仕事のある社員はいるものの、トレーニングルームを利用する社員はいないようだが、利用する芸能人は数名いるようだ。
上半身はインナーの上にTシャツ、下半身はスパッツの上にハーフパンツ、さらに上下に動きやすいアウターを身に付ける。
運動をしやすい格好に着替え終わり、荷物を持って更衣室を出る。
更衣室を出たところで、同じく更衣室を出たであろう真奈美とぱったりと出くわした。
お互いを見て一瞬黙るが、目の合った人物が誰かをお互いに認識すると気が付いた表情をしてからすぐに笑顔に変わった。
「やあ、ウタじゃないか。久しぶり」
「真奈美さん! いつもお世話になってます」
詩緒の改まった挨拶に、どこで覚えたのやら、と真奈美はクスクス笑った。
どうやら彼女もトレーニングをするためプロダクションの施設へ来ていたらしい。
日課となっており、できるだけ器具の充実した場所というと美城プロが一番なのだ。
トレーニングルームは関係者無料であり、他のレッスンルームも空きがあれば当日の受付でも利用できる。
まさに所属しているアイドルの強い味方なのであった。
二人の他に男性の芸能人が数名いて全員が真奈美に挨拶していたので、詩緒の彼女に対する尊敬の念が強くなる。
せっかくなので、詩緒は真奈美にトレーニング方法を教えてもらいながら一緒に運動することにした。
トレーニングルームに入ると空調が効いていて暖かな空気が彼らを包む。
運動することを考慮しているのか、詩緒の体感ではあまり寒くならない程度の気温のようだ。
詩緒は体力づくり、パフォーマンスの向上を主目的にしており、人に見せるような筋肉は作らないよう意識しているため、持久力が付いてもしなやかで細く、ダンスのために体幹や脚部のトレーニングを中心としているため、腹部の筋肉は見た目よりも硬い。
生まれ持って筋肉質であるかどうかが見た目に影響しているだろうが、詩緒はその点まったくもって筋肉質ではないと言える。
一時間程度の体力づくりを終えた詩緒はストレッチで身体をほぐす。
伸ばした膝にペタンと自分の胸をくっつける姿に真奈美が感心していた。
「気持ち悪いってよく言われますけどね」
詩緒が苦笑して答えると、真奈美はそれも一笑に付して誇るべきことだと言った。
真奈美に肯定してもらえると他の人にどれだけ言われようとどうでもいいような気さえしてくる。それほどに詩緒の中での真奈美の存在は大きいものである。
「ところで先日のクリスマスイベント、見させてもらったよ」
真奈美がそう言うと顔を上げた詩緒の表情がパッと一層明るいものに変わった。
詩緒がお礼をした後、二人であれが良かったこれが良かったなどと反省会が始まった。
反省会といっても反省しているのは詩緒だけであり、真奈美は詩緒のことを褒めたり、見習うべきだと熱く語ったりしてくれて、今日プロダクションに来て良かったと改めて思った。
トレーニングを終えた詩緒はダンスとボーカルの自主練習を行うことを伝えると、真奈美も同行すると言ってレッスンルームに向かう。
一緒にレッスンできるのは嬉しいが、憧れの人に見られていると考えると久しぶりに緊張してしまう。
レッスンルームも予約制だが、空いている時は部屋の前に設置されているタッチパネルで即利用可能である。
部屋は普段空いていないが、この時期のアイドルたちは忙しいのか偶然空いていたのでパネルを操作して部屋に入った。
ちなみに利用時間とその日のスケジュールもパネルでは確認できて、予約は美城プロダクション関係者専用のホームページからも予約できる。
音楽に合わせて真奈美と二人でダンスの練習をしていると不意にコンコンとノックが鳴る。
詩緒が、はい、と返事をすると扉が開き、小さなお客さんが顔を覗かせた。
「あ、ウタさんいました」
詩緒と目が合った少女は橘ありすで、詩緒のことを早々に受け入れており、詩緒から下の名前で呼ばれることに対しては珍しく抵抗を見せない。
ありすと共に入ってきたのはミュージックJAMでありすと同じステージに立っていた結城晴と的場梨沙、そして櫻井桃華である。
さらにその後ろから恐らく引率であろう、三船美優と東郷あいも続く。
急に同業者が入ってくるという出来事に困惑するのは詩緒で、ありすにどうしたのか尋ねる。
ありすは少し恥ずかしそうに視線を動かしながら、練習を見学させてください、と詩緒に頼んだ。
どういう経緯でそうなったかあらためて聞くと、小学生ユニットとして組んでいる四人でレッスンをしようと思い、レッスンの空き状況を見てみると一部屋空いていない部屋があったので気になって予約者を確認してみたら詩緒の名前だったため、どんな練習をすればステージのパフォーマンスに繋がっているのか見てみたいとのことだった。
小学生以下の施設の利用は引率が必要になるので、現場でも一緒になることの多い頼れる大人の美優に連絡してみたら快くオーケーしてくれた。
その美優は一人じゃ不安だったので、あいに連絡したという流れらしい。
「櫻井桃華と申しますの。本日はよろしくお願いいたしますわ」
ご丁寧なお辞儀で、ジャージなのに品の良さを感じさせる桃華が詩緒と真奈美に挨拶と自己紹介をする。
「結城晴! よろしくお願いします!」
挨拶からもボーイッシュで活発な雰囲気が滲み出ているが、可愛らしい少女であることも認識させられる容姿をしている。
「的場梨沙よ。よろしく」
一方で梨沙は詩緒の事を値踏みするように観察したが、徐々に驚愕の表情に変わっていった。
詩緒は梨沙の表情だけ気になったが、ありす以外の三人に自己紹介をして、後ろの美優にも挨拶をする。
ミュージックJAMで面識はあったが、その時に会話はしていなかったので言葉を交わすのは初めてである。
「三船美優です。よろしくお願いします」
詩緒は美優の物腰の柔らかな態度に大人の余裕を感じた。
詩緒も腰を折って自己紹介と挨拶をする。
横で見ていた梨沙が詩緒の事を上から下までもう一度見て、口を開いた。
「あんた本当に男なの? 見れば見るほど男には見えないんだけど……」
梨沙が怪訝な表情で詩緒に詰め寄る。
「梨沙さん。ウタさんに失礼ですよ」
ありすが溜息を吐いて梨沙を注意する。詩緒は、言われ慣れてるから大丈夫だよ、とありすを宥めると、そうですか、と少しもの悲しそうだがやや憤りを込めた声音で発した。
「詩緒は自分のこと男って証明できるの?」
なおも食い下がる梨沙に詩緒は困ったような笑顔を浮かべる。
彼のその笑顔を確認したありすが梨沙を睨む。桃華や晴も梨沙の言動にちょっと驚いた様子だった。
美優や真奈美、あいもさすがにこれ以上は看過できないと思ったのか仲裁しようとしたが、詩緒が先に梨沙の前へ出たことで口を噤んだ。
「じゃあ握手とかする? 骨格が違うから、多分それでわかるかも」
普段通りに明るく振る舞って手を差し出すと、梨沙は両手で握ってペタペタと確かめる。
梨沙は数秒触ってからハッとした表情で詩緒を見上げた。
詩緒はようやく分かってもらえたものだと思ったのだが……。
「え、わかんない……」
そんな意味不明なものに直面しているような顔をしなくてもいいのに、と詩緒は内心で呟いていたが表面では、そっか、と頷くだけだった。
「ありすちゃんとか、三船さんと比べたらわかるかも」
梨沙はすぐにありすの手を触ったり、美優の手を触ったりしていたが、違いが分からないのか終始首を傾げていた。
そんな梨沙はありすからは呆れられ、美優からは苦笑いをされていた。
「もう梨沙は放っといて、詩緒……さんのダンス見せてくれよ。実はミュージックJAMの時からすげーなって思っててさー」
梨沙には付き合ってられないとばかりに晴は詩緒へ振り向いた。
「晴さんも言い方には気を付けた方がよろしくてよ。でも、そうですわね、詩緒さんが普段どのような練習であんなパフォーマンスをなさっているのか、私も気になっておりましたの」
桃華は、晴の詩緒への口調を気遣いつつ、自身も詩緒のパフォーマンスに一目置いていることを明かす。
傍らで聞いていた梨沙もステージの話となると先ほどとは目の色を変えて、ありすと美優の手をすぐに離していた。
アイドル活動では詩緒よりも先輩なのに、実際は歳下で向上心を持っていて、詩緒のような悪く言ってしまえばアイドルとしては色物な人物を参考にしようとしており、アイドル活動には真摯に向き合っている姿勢を、詩緒は好ましく思った。
結局、詩緒が本当に男性かどうかの謎は梨沙の中ではうやむやに終わった。
その後、全員で詩緒の自主練習風景を観つつ、全員でダンスとボイストレーニングを行った。
特に歌の練習では、ボイストレーニングから常人とは一線を画す詩緒の音域の広さや声音の多彩さに小学生たちだけでなく、美優も驚いていた。
ただ詩緒だけではなく真奈美も腰が抜けるくらいの歌唱力だったので、小学生たちの新たな目標になったようだ。
練習を終えたところで美優が詩緒に手を触らせてほしいと頼んでおり、きっと梨沙に違いがあまり分からないと言われたのが少しショックだったのだろうとあいは思った。
詩緒は何故だか分かっていない様子だったが、特に何も疑うことなく両手を差し出す。
美優が触って確かめるも、梨沙との手に性別的な大きな違いを感じることはなく、細くてしなやかでそれなりに柔らかいと感じただけである。
本当に違いが分からなかったことに安心したが、故に詩緒が男性であるという事実の信憑性は美優の中でも下がってしまった。
それで思わず詩緒の下腹部辺りに視線が動いたが、首を振ってその考えを振り切るのであった。
☆ ☆ ☆
「ウタさんが総選挙出られないのおかしいです」
着替えを終えてこれから帰るところで、ありすが詩緒に向かって言い出した。
自分に言われてもなぁ、と思った詩緒だがそのことについて憤慨してくれているのを素直に嬉しくも思った。
ありすは詩緒を同じ土俵のライバルとして認めてくれているようで、だからこそレッスンの見学に来て時間を割いてくれているのだろう。
「いやいや、おかしくないよ。僕はガールじゃないからね」
気にしていないという風に微笑んで見せる。
実際に気にしていないので、ありすに気にしてほしくないというメッセージも込めているつもりである。
「まあ、総選挙に参加してもしなくてもウタの良さは私たちが十分に知っているだろう?」
真奈美のフォローに全員が頷く。
今日の自主練習で十分に詩緒がパフォーマーとしても優れたアイドルであることを見せられて、彼女たちが抱いたのは、尊敬や憧憬、それとほんの少しの悔しさであった。
あとは不思議なことに他人を惹き付ける詩緒の魅力。
その魅力が、コミュニケーションの上手さ、素敵な笑顔、努力の姿勢、歌唱力の高さなど、どれから来るものなのか、いまいちピンと来ないことが何より不思議であった。
「それもそうだけど、アタシは詩緒が男なんて別に信じてないし」
相変わらずの梨沙の評価に詩緒は苦笑したが、実のところ晴や桃華、美優も同じような気持ちでいた。
今日の詩緒の動向を観察していた彼女たちだが、真奈美やあい、美優など大人の女性への対応にも下心は無さそうに見えたし、ボディタッチも特に気にしていない様子だった。
男性ならば下心が見えたり、顔を赤らめてもいいだろうというポイントでそうならなかったことが彼女たちに詩緒が男性ではないだろうという疑惑を生んでいた。
よく考えれば会社が性別を偽ってデビューさせたとしてもバレるリスクがあるし、詩緒が仮に女性でも、男性としてデビューさせるメリットが話題性くらいしか無い。
ただ説明しても実物を見てしまえば疑わざるを得ないので、疑惑が出てしまうのは仕方ないことである。
ネットでは絶えず詩緒の性別について議論されているくらいだ。
結局のところ、真奈美やあい、ありすのように詩緒個人に対して価値を付与しているのであれば性別など些細な問題であった。
「今日はとても有意義な時間でした。ウタさんありがとうございます。真奈美さんと美優さん、あいさんも」
ありすが代表するようにお礼を言って引率の美優、あいと共に帰っていく。
どうやら桃華の保護者の方がお迎えに来てくれるらしいのでそこまで付いて行くということだ。
詩緒は真奈美を送るというよりもまだ少し話していたかった気持ちがあり、二人で駅へ向かって話しながら歩いていた。
雑談をしているとあっという間に駅へ到着し、話足りないかもと思うが、改札から少し離れたところで足を止める。
「真奈美さん、今日はありがとうございます」
「私こそありがとう。君に助けられている人は結構多いはずだよ」
私もその一人だ、と言って真奈美は改札を抜けて行った。
背中が見えなくなるまで見届けて詩緒も帰路につく。
☆ ☆ ☆
家族との約束通りの時間には帰っていた詩緒はシャワーを浴びて着替えて、再び外出の準備をした。
「ウター、今日どっちで行くの?」
姉の時雨がスポブラとボクサー着用の詩緒に尋ねる。
男性ぽい方が簡単にコーディネートできるし化粧する必要も無いのでメンズ服で固めようとしていたところだったので、メンズで行こうかな、と伝えた。
「えー、姉妹で行こうよ」
「えー、何で?」
よく分からない姉の提案に呆れて返す詩緒だったが、気分、と言われて渋々レディースコーデを選択した。
彼女の気分に従わないと出先で文句を言うので、面倒なのである。
簡単に化粧をして、車で出かける。
家族で外食をするというのは久しぶりで、最近の詩緒の頑張りを労う意味でも今日は少しお高めのお店へ向かっている。
「今日のウタはポニテかぁ」
後部座席で詩緒の容姿を見ながら、同じくポニーテールの時雨は残念そうな声を出す。
「お姉ちゃんもそうじゃん。というか姉妹コーデがいいんでしょ?」
せっかく女性コーデにしたのに結局文句を言うのか、と詩緒は呆れた。
「私は一本だからウタは二本にしてよ」
その拘りは全く意味不明だったのだが、これにも渋々従った。
ツインテールにすると左右のバランスを整えなくちゃいけないし面倒なので一本にしたかったのだが……こんなことならエクステを付ければ良かったと後悔する。
結局予約してあったお店に着いた頃には本日の姉好みな容姿に変身しており、ツインテールにしたことで見た目は幼さが残る感じで、より妹っぽい容姿に近付いていた。
ちなみに時雨の考える詩緒の妹っぽい容姿とは自分よりも幼く見えることであり、実際に妹っぽさと言われてもただの主観なのである。
店内に入ると女性の店員が出迎えてくれたが、詩緒を見て少し驚いたような表情をした。
しかしながら、それは一瞬の出来事で、笑顔をつくった店員はすぐに家族を席に案内した。
案内された場所は個室で、絢爛だが落ち着いており、ゆっくりと食事を楽しめる印象だ。
それからは家族水入らずの団欒のような雰囲気で、メニューを店員さんに注文して、食事と家族との会話を楽しんだ。
やはり中心になるのは詩緒のアイドル活動の話であり、両親も最近ではアイドル界隈に詳しくなり、特にプロジェクトのメンバーの動向程度はチェックしているらしい。
他にも今度旅行にでも行きたいという話、時雨の大学生活の話などいろんな話をしたのだが、家族でこんなに話すのは何だか久しぶりだと詩緒は感じた。
「明日の年末ライブ頑張れよ」
普段は活動についてどう思うかを話してくれない父親からそう言われて、詩緒は嬉しくなる。
辞めたくなったらいつでも辞めていい、というのもプロデューサーから受け取る言葉とは違ったが、それでも頼りになる言葉だった。
しばらくして食事も終わるところで、失礼します、と言って最初に案内してくれた女性の店員さんが個室へ入ってくる。
「いきなりお伺いして、大変失礼なのですが、水上詩緒様でしょうか?」
手に持っている二枚のサイン色紙を見て詩緒は察したが家族は、何だ何だ? と困惑気味である。
詩緒が、そうですと答えるとまた店員さんは言い辛そうにしていたが、サインをいただけないでしょうかと白紙の色紙と油性のマーカーを差し出した。
詩緒はそれを受け取ったが、許可とかいるのだろうかと考えて、その店員さんに断りを入れてから神保に電話をする。
ワンコールで神保が電話に出て、事情を話すとオーケーが貰えたので、店員さんには大丈夫ですと伝えてサインを書くことにした。
黙っているのも何だったので、いろいろと話をすることにした。
「すみません、僕もサイン会とか仕事でやってて、勝手に書いていいか分からなかったので、電話なんか掛けちゃって……不安になりましたよね?」
普段通りの明るさと笑顔を見せて緊張を和らげてあげようと努める。
店員さんは、そんな、と両手を振って答えた。
「私、本当にウタちゃんが好きで大ファンなんです。ファンレターとかも送ったことあって……」
詩緒はサインを書きながら話を聞いていたが、手が止まる。
ファンレターを送るくらい自分のことが好きなファンがいて、もしプレゼントやファンレターを禁止にして送れていなかったとしたら、今も本人にそのことを伝えられなかったんだろうなと考えると、確かにプロデューサーの言う通り何かを送るだけで満たされることもあるんだろうなと腑に落ちた。
実際に彼女が送ったファンレターを読んだかどうか、詩緒が認識していないのは心苦しかったが、それ以上に話しをする彼女の笑顔はとても素敵なものに思えたのだ。
現に読んだかどうか、あるいはその感想を求められていないことにも気が付き、それはファンも理解していることなのだとようやく詩緒自身が理解できたのだ。
「いつも応援していただいてありがとうございます」
女性の分とお店の分の二枚、サインを書き終えた詩緒はそう言って色紙を手渡した。
帰りの車内では家族に、有名人なんだね、とあらためて言われてむず痒い。
ただ両親が店員さんに対して、息子をよろしくお願いします、と言っているのが何より恥ずかしかったので、今後は控えてほしいと思う詩緒なのであった。
完結までまだまだ続きそうです。