「あ、見てウタちゃんだ」
「やば、可愛すぎ。まじで男?」
女子高生が詩緒の映るモニターを見て指を差す。
その後ろを通る、帽子を深く被り伊達眼鏡を掛け、おしゃれなマスクをしている美少女のような少年が水上詩緒その人だということに気付くことはできなかった。
服装は地味目で若干ダボついたメンズ服を着ており、背中には見た目からして重そうなリュックを背負って、詩緒の話題で会話している二人の女性にちらりと反応したが、すぐに歩を進めることに意識を向けた。
ツアーを経て、さらに半年が経過していたものの、現在も神保プロデュースのプロジェクトメンバーの勢いが衰えることはなかったが、当の詩緒は高校三年生として大学受験を控えており、芸能活動との両立に四苦八苦していた。
リュックの中身はそんな受験へ向けての参考書と筆記用具である。
いろいろと芸能活動が忙しく模試ではE判定連発の詩緒であったが、新年度を迎える前から勉強に力を入れ始めたところであった。
そんな彼が今どこへ向かっているというと、ちとせの家であった。
最初に断っておくとするなら、彼らが秘密裏に付き合っているというわけではない。
どちらかというと彼が会いに行くのはちとせではなく千夜の方で、空いた時間に彼女に勉強を教わりに行くのである。
千夜は芸能の活動の傍ら受験を経て春より大学生と相成ったわけで、同じ状況の先人がいるならば教えを請うという詩緒の考えではなく、ちとせの提案であった。
千夜が勉強を教えるために近付くことには多少ヤキモキしたりもするが、詩緒が部屋に上がり、同じ時間を同じ空間で過ごすというだけでも恋心は満たされるわけであり、休憩時間になればあからさまにアプローチも仕掛けていく。
勉強中にちょっかいをかけないのは、以前邪魔した時、千夜に本気で怒られたのが多分堪えているのだろう。
詩緒がちとせと千夜のお宅を訪ね、インターホンを鳴らすとすぐに反応がある。
『あ、ウタちゃんいらっしゃい』
『颯さんが出る必要ないでしょう。勉強してください』
『スパルタ!』
そんな応答があるということは結局のところ詩緒だけの勉強会ではなくなり、新高校一年生の颯や凪もテスト前には一緒に勉強するという、いわゆる勉強会になっているのだ。
玄関の扉を開けて出迎えてくれたのはちとせで、アイドル活動をしている間はアプローチはするものの、詩緒との男女としての交際の申し込みはしないようにしようと一応気を使ってはいる。
女性に寄り添うことができるのに、女心には鈍感な詩緒の事なので未だに恋心を知られていないのが、幸か不幸か判断しきれない部分が今のちとせの複雑な気持ちである。
「あ、ウタちゃんも来たねー!」
ちとせが詩緒を居間へ通すとすでに他のメンバーは揃っており、そのうちの一人であるりあむが彼に声を掛ける。
「りあむさん、お疲れ様です」
「お疲れー。最近ウタちゃん遊んでくれないから、ぼくもちとちゃんち来ちゃったよ。でも大学受験なんてよくする気になったよね。ウタちゃんならアイドル一本でもやっていけると思うけどね。勉強してて偉すぎるもん。あー、ぼくも看護学校行った方がいいかなぁ?」
べらべらとよく喋るのは親しい間柄の人と直近で話していなかったからである。
「あかりちゃんとあきらちゃんももう来るって」
スマホのメッセージを確認してりあむがころころと会話の内容を変えていく。
結局メンバー全員が集まることになっていたらしい。
あきらは二年なのでまだ余裕があるが、あかりは進路に迷っている様子で、念のため勉強をしている状態だった。
詩緒が席についてリュックからドシドシと参考書を取り出してさっさと広げた。
ノートも開いて筆記用具をぱっぱと手に取る。消しゴムのゴミが出ないようにボールペン一本で書き始めた。
千夜はその様子を見て、しっかり学校で勉強をしているという印象を持つ。
教え子の吸収が早いのは良いことで、それと同時に巣立ちが早くて寂しい気持ちもある。
「早速ですけど、ウタちゃん先輩、数学分かりますか? この数学Ⅰとかいうやつ、レベルⅠのくせに範囲がどうにも広くて凪をイライラさせますね。凪の内心もいつまで凪いでいるか分かりません。穏やかじゃないです」
シスターズは相変わらず頭を悩ませているようで、千夜もよく教えているのだが、最近では詩緒が一年生の範囲なら教えられるくらいに理解力を深めていた。
「詩緒くん、今日のお仕事は?」
「今日は十九時から撮影あるから十八時には現場着いておかないといけないですね」
ちらりと時間を確認して、あと二時間ほどかと千夜は嘆息した。
しかしながら短い時間でもよく頑張っているものだと千夜も考える。
詩緒がおバカキャラの路線もあるかと思いきや、学習能力がそこそこ高くて努力のできる人間なので、徐々に水上詩緒学力低い説が世間から払拭されている。
結果、今では歌唱力が高いことと運動音痴であること、見た目が相変わらず可愛いことが残っており、それでも十分に個性を確立していることには変わりはなかった。
☆ ☆ ☆
「それじゃ行ってきます」
詩緒が仕事のために抜けることになると、一番にお見送りに行くのがちとせである。
「行ってらっしゃい」
ニコニコと手を振りながら見送る彼女の姿をあきらやあかりが横目で見て、幸せそうだなと思うのと同時にもどかしい気分にもなる。
それは当然、付き合っちゃえばいいのにとは口が裂けても言えないのだからしかたがない。
「ウタちゃん、またねー!」
りあむがちとせ宅ににいる時は一緒に他のメンバーを見送ったり、一緒に帰ったりもするのだが、ちとせ宅の居心地がいいのか時間が許す限りは基本的に居座っているし、よく泊まったりもしている。
そんな彼女の最近の懸念は、千夜の口調がラフになってきていることだ。
他のメンバーにはしっかりと敬語を使っているのだが、千夜が口調を崩して悪態を吐くような相手は今のところ神保とりあむだけである。
閑話休題。
お姉さんのちとせとりあむには詩緒も手を振って応えるのだ。
それから電車に乗って、美城プロダクションへ赴いてから神保かマネージャーの誰かに車で現場まで送ってもらう。
現場へ着くとドラマのセットがすでに用意されていて、朝方から準備しているスタッフには頭が上がらない気持ちだった。
「おはようございます」
挨拶回りも欠かさないのは普通だが、詩緒は誰にでも分け隔てなく優しい。
しっかりと挨拶もできてコミュニケーションも上手い。
「お、主役が来たね。期待してるよ」
現場の監督が声を掛ける。
詩緒はその人に挨拶し、続いて振り返って全員に頭を下げた。
「美城プロダクションアイドル部門所属の水上詩緒です。本日はよろしくお願いいたします」
彼のアイドル活動もまだまだ道半ばのようだ。
~fin~
ありがとうございました。
後ほど活動報告を投稿しますので、感想とは別に良かった点や悪かった点などコメントいただけると嬉しいです。
下記、活動報告です。よろしくお願いします。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=259177&uid=216382