ボーイ・イン・ザ・シンデレラ   作:しらかわP

41 / 48
お久しぶりです。
長くなっておりますので、お時間ある時にご高覧いただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。


4th extra stage : “Great athletic meet full of idols.” #part1

「芸能人事務所対抗運動会?」

 

手元の企画書に書かれた文字を読み上げながら、詩緒は首を傾げていた。

どうやら、各芸能事務所から代表のチームを複数選出し、運動会を行おう、といったイベントのようであるが、多くのアイドルを擁する美城プロダクションで唯一の男性である詩緒にこのような報せが届いたことを、彼は疑わずにはいられなかった。

 

詩緒の名前が世間に浸透し始めてから、運動音痴であることも知られるようになったため運営本部からは、男性が紛れていても水上詩緒のように運動神経に難があるものなら大丈夫だろうと思われているのではないか、と勝手な被害妄想を脳内で繰り広げようとしていたところだったが、その漏れ出る負のオーラを察したプロデューサーの神保は慌てつつも、話を聞くように注意した。

 

「違うよ。ウタには競技参加者としてじゃなくて、ゲストとして参加してほしいっていうオファーが来てるんだ。男子の部と女子の部で分けられてはいるけど、ウタの見た目と運動神経じゃどっちに参加しても残念な結果になりそうだったからそれは断っといた」

 

「あ、そうですか……」

 

競技に参加しなくていいことにホッとしたが、その後の神保の言い分が癇に障るものだったので、素っ気ない態度になってしまう。

そんなにハッキリ言わなくてもいいし、男女共から省かれるような自身の立場のせいで、仲間外れ感が否めなくなって機嫌を損ねたのだ。

ただし神保の主張が正しく、競技者としての出場になれば醜態を晒すことは火を見るよりも明らかであり、だからこそ言い返せないのである。

 

分かりやすく、むすっと膨れっ面をつくる詩緒を見て、神保は失言だったと頭を掻いた。

手元の資料に目を移し、本企画における詩緒の役割を伝える。

 

「このイベントは実況と解説、それにゲストのコメンテーターで進行することになるんだけど、ウタにはこのゲストコメンテーターとして参加してほしいみたい」

 

端的に言えば、運動会やるから運営本部と一緒に盛り上げてくれませんか、ということらしい。

 

「それはいいんですけど、コメンテーターって何するんですか? コメントするだけ?」

 

コメンテーターとはコメントする人である、という安直な発想が詩緒の学を垣間見させるが、詩緒の質問はもっともであり一緒に盛り上げてほしい以外の要望は特になかったため、その質問に応えられない神保は、おくびには出さなかったものの内心で頭を抱えて言葉に窮する。

 

「……んー、一緒にイベントの進行をして、メインの司会からコメントを求められたら答える。あと先方が期待しているのはリアクションかな? ウタはトーク任せられるし、会話の中に交ざってもらえば盛り上げにも困らないだろうから、そこを評価されてのオファーなんじゃないかな?」

 

口から出まかせではあったが、そこそこ上手いこと纏められたことに満足する。

おかげで詩緒も、なるほどー、と納得している様子だった。実際のところは分からないが、詩緒が評価されているポイントを含めることで、少しだけ彼の機嫌を良くさせることにも成功している。

 

「うちの事務所からは誰が出るんですか?」

 

とりあえず詩緒は仕事を受ける気でいるようだ。

資料を確認していると名立たる芸能人事務所の名が連ねられており、例に漏れず我が美城プロダクションの名も堂々と記されており、詩緒の興味も既に運動会の参加者へと移っていた。

 

「うちからは、ウタを外したプロジェクトミーティアのメンバーと、他のプロデューサーが担当するグループが幾つかオファーされているみたいだね。今メディアで活躍してる子以外にも、運動得意な子とかには結構声がかかってるらしいよ。アイドルのスケジュールは調整中だから詳細は未定だけど」

 

ふーん、と相槌を打ちながらペラペラと資料を捲り、目を通していく詩緒。

他の芸能人事務所に関しても記載はあるが、出場する芸能人はスケジュール調整のため未定のようだった。

各事務所がどのようなメンバーを参加させて来るのか分かれば、情報を収集してコメンテーターとしてコメントの幅を広げることができると考えているため、出場者がほとんど決まっていないことについては少しばかり不安を覚える。

ともあれ自分と同じ事務所、ましてや同じプロジェクトのメンバーならそれなりに知っているし、問題は無さそうである。

 

「ともかく当日はよろしくね」

 

話はそれだけだったようで、神保はさっさと自分のデスクに戻った。

たまにはお茶にでも誘おうかと思っていた詩緒だったが、キーボードをカタカタと素早く打ち始めるプロデューサーを見ると、声を掛けることも憚られてしまうのだった。

 

☆ ☆ ☆

 

毎日何かしらの予定がある詩緒だが、今日は久しぶりのオフの日で、いつもより多く自主レッスンができたため、心地良い疲労を感じている。

芸能人事務所対抗運動会の話については自主レッスン中にたまたま神保から、休み明けに仕事の話がしたい旨の連絡が入ったため、レッスンついでに立ち寄ったのであった。

 

諸々の用事を済ませて、詩緒はプロダクション一階にあるカフェに足を運んでおり、気になっていた新作のドリンクを飲もうと、メニューをじっと見つめていた。

やがて店内に入り、注文を済ませ、商品を受け取る。

 

キャラメルにチョコ、生クリームがたっぷりの派手な見た目のドリンクに目を輝かせて、店員にお礼を言うと、窓際のカウンター席に座る。

 

詩緒はスマホを取り出して写真を撮る。

写真の出来映えに満足そうに笑みを浮かべ、ドリンクに口を付けた。

たっぷりの生クリーム、キャラメルソースと合わせて飲むチョコ風味のドリンクは胸焼けするほどに甘ったるそうであったが、甘いもの好きで自主レッスンによって疲労感を覚えている詩緒にとっては至福であるようだ。

 

自主レッスン以外の用は特に無かったので、特に変装しておらず、レッスン着にジャージといったオシャレには全く気を使っていない動きやすい服装である。

メディア露出する時とのギャップが凄まじく、周囲の店員と客は珍しそうに彼の様子をチラチラと窺っている。どうやら水上詩緒だと気付かれているようだ。

 

そんな視線には特に気にも留めず、彼は運動会へのオファーが掛かった事務所についていろいろと調べていた。

コメンテーターの仕事に向けて情報を仕入れておく必要があると思い、参加する事務所を確認し、それぞれのホームページに目を通す。

 

芸能界の老舗とも謳われる美城プロダクション、社員数わずか数名の超弱小プロダクションから大きく成長し今や自前のシアターまでも誂えている765プロダクションに、芸能界において太いコネクションを持ち、アイドル事業においてはトップを走り続ける961プロダクション、新進気鋭で今勢いのある283プロダクションと、数多の有名な男性アイドルを擁する315プロダクション、その他にもディアリースターズ所属の876プロ、幹線少女がいるこだまプロ、魔王エンジェルの東豪寺麗華率いる東豪寺プロなど、参加する人数も多く、一日や二日で情報を頭に入れるとなると骨が折れそうであった。

 

フリーランスの桜井夢子については、事務所提携しているようだが、今回は競技者として参加せず、詩緒と同じようなコメンテーターとして参加するらしい。

 

「夢子ちゃんと一緒かぁ……」

 

詩緒は夢子と何度かスマホで連絡は取り合っていたのだが、実際に会うのはアイドルアルティメイト、通称IUの決勝の舞台で叩きのめされて以来である。

少し気まずいような心持ではあるが、それ以上に再会が楽しみと思える相手であった。

 

「足を引っ張らないようにしないとなぁ……」

 

ぼそりと呟いたところで誰かに後ろから肩をトントンと叩かれて、ビクッと姿勢が正される。

振り返ると、黒縁の伊達眼鏡と、キャスケット帽を着用して変装をしている夢子が、ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべて立っていた。

 

「ゆ、夢子ちゃん!?」

 

詩緒は、驚きのあまりに立ち上がる。

夢子といえばIUでファイナリストになってからというもの仕事が舞い込み、今や一線で活躍する多忙なアイドルとして認知されており、詩緒も世間に漏れず夢子は忙しいと思っていたので、彼女が美城プロダクションにいるのを意外に思ったのである。

 

「あはは! なぁに、その間抜けな顔は~?」

 

想像よりも詩緒が綺麗に驚いてくれたので、夢子はつい笑いが込み上げたようだ。

クスクスと小馬鹿にしたような態度に詩緒はムッとするが、楽しそうな夢子を見て自然と落ち着きを取り戻した。

椅子に座り直して、夢子にも隣に座るよう促した。

彼の椅子を引く行動に一瞬だけきょとんとするも、満足気に微笑んでその椅子に腰掛ける。

 

「気が利くじゃない」

 

「まぁ……」

 

詩緒はストローに口を付けてドリンクを吸う。

何気なく返した言葉が、本人にそんな気はなくとも素っ気ない態度に聞こえてしまい、夢子はバツが悪そうにしながら、自分で購入したドリンクを一口飲んだ。

 

「そんなに臍曲げること? ちょっとした冗談じゃない。笑い過ぎたのは謝るけどさ」

 

しかめっ面に変わった夢子が口を尖らせて文句を言う。

 

「いや、曲げてないって!」

 

「曲げてるじゃん!」

 

否定に力が入り、強くなってしまった詩緒の口調に対し、夢子も多少苛立ちを孕ませた声音で答える。この問答を二往復くらいすると、お互いに見つめ合ったまま、しばらくの時間が過ぎた。

その間、詩緒は誤解を解きたい一心で眉尻を下げており、却って夢子は眉根を寄せている。

この会話を他の人が聞けば、痴話喧嘩と勘違いされてしまいそうである。

 

「……夢子ちゃんに久しぶりに会えて嬉しいよ。どんな顔して会えばいいのかなってちょっと思っただけで……」

 

振り絞るような声で詩緒が想いを伝えると、夢子は大きく息を吸ってゆっくりと吐き出し、少し照れ臭そうにそっぽを向いた。

 

「そうね、あんたがそんなことで怒らないって分かってた。ごめん、私も本当は顔合わせるの緊張してたみたい。IUじゃあんたのこと潰しにいったし……」

 

メッセージのやり取りだけとはいえ、お互いに近況を連絡していくうちに仲良くなり、IUでの詩緒との勝負で、彼を負かしたことについて、いつの間にか気にするようになってしまっていたようだ。

 

「何それ? 夢子ちゃんらしくないな~」

 

詩緒はクスクスと笑い、先程のお返しと言わんばかりに、弱気になった夢子へ煽るような物言いをする。

安い挑発と分かっていても黙っていられるほどプライドの低い夢子ではない。

 

「あ、あんまり調子に乗るんじゃないわよ!」

 

人差し指を詩緒の肩にぐりぐりと押しつけて、いつもの調子で悪態を吐く夢子だが、その姿が詩緒のイメージする彼女であり、仕事で見せる態度とは異なる子供らしい振る舞いをする一面になんとなく安堵した。

 

喧嘩をした、という程ではないが、一つや二つ本音を打ち明けることで多少なりとも仲良くなれた気がしたと思うのは詩緒だけではなく、夢子もまた同じである。

 

「このお仕事だけど、今度よろしくね」

 

詩緒がイベントの資料を見せながら、仕切り直したように笑顔を魅せる。

夢子はハッとして一瞬だけ言葉を詰まらせたが、すぐに強かな表情に切り替わり、気丈な態度を保つ。

 

「そうね。あんまり足引っ張らないでよね」

 

彼女は少しばかり厭味ったらしく言って髪を払った。

 

☆ ☆ ☆

 

夢子との邂逅から大した出来事もなく時は過ぎて、芸能人事務所対抗運動会の前日が訪れた。

大きなイベントの前にはリハーサルというのが付き物で、芸能人事務所対抗運動会も例に漏れず本番に向けての機材チェックやら段取りの確認、調整が行われる。

 

会場には大きなスタジアムを押さえており、キャパシティも非常に大きいが、チケットは完売している。これもひとえに人気のあるグループや芸能人が所属している事務所が多数参加するからである。

 

詩緒は初めて入る実況席にワクワクしながら、実況の男性と司会進行の女性、関係者のスタッフに挨拶をする。

ちなみに夢子は別の仕事の影響でリハへの参加は遅れるらしい。

 

明日の主役ともなる競技参加者の面々だが、参加率はおよそ七割といったところで、各事務所の人気ある芸能人はやはり仕事の都合でリハへの参加ができないようだ。

 

プロジェクトミーティアの面々は、神保がスケジュールを調整したおかげで全員参加できており、久しぶりに集まるのを楽しみにしている様子だが、詩緒のみ実況席に駆り出されているため全員で集まれる時間は多くはなさそうだった。

 

リハが始まり、参加者の入場、開会式、各競技の説明や練習など、一通りの流れを確認し、マイクチェックや機材にトラブルが無いか細かくチェックする。

 

昼過ぎにイベントの大まかな流れについてはリハを終えたところで昼休憩の時間となった。昼休憩が明ければ、残すはライブのリハのみである。

運動会の後にそれぞれの事務所からライブのパフォーマンスが披露されることになっており、詩緒や夢子もそこで参加者たちと合流する予定だが、昼休憩を明けても夢子が来ることはなく、仕事が立て込んでいて参加が難しい、と彼女のマネージャーから連絡があったため結局のところ欠席ということになった。

律儀なもので、詩緒の元にも、行けなくてごめん、という旨のメッセージが夢子から入っていた。

 

昼休憩が明けて詩緒もライブのリハへ参加するために実況席からフィールドの方へ向かっていた。

先程まで実況席にいたため他のアイドルと直接会っておらず、これから友人やメンバーに会えるのだと考えると、進む足も次第に速くなる。

 

逸る気持ちを抑えながら向かう途中に見覚えのある背中を見つける。

平均的な日本男性の身長よりやや高め、外側に跳ねた髪と、見た目に似合わず華奢な身体、纏う雰囲気には目を見張るものがあり、華やかなオーラがあるなと感じた。

 

そのような友人、そもそも詩緒に男性の友達は数えるほどしかいないのだが、前を歩く男性が天ヶ瀬冬馬であることは明白だった。

 

詩緒は一瞬足を止めたが、すぐに駆け出して冬馬の隣に並ぶと、彼の視界に入るように顔を覗き込む。

 

「冬馬さん、こんにちは!」

 

「うおっ! びっくりした! 詩緒じゃねぇか。お疲れ」

 

不意に現れた詩緒にぎょっとしたが、落ち着くのに時間はかからなかった。

運動会ということで動きやすそうなラフな格好をしていたはずだが、ライブパフォーマンスを行うにあたってライブ用の衣装に着替えている。

 

「冬馬さん、一人ですか?」

 

「そうだな。翔太と北斗は俺よりだいぶ早く衣装合わせが済んだから先に行ってもらってんだ」

 

「そうなんですね。久しぶりに二人に会えるの楽しみだなー」

 

冬馬との久しい会話に花が咲き、詩緒のテンションも上がっていた。

そのせいで周囲への注意力が散漫になってしまったのか、廊下を曲がり、階段を下ろうとしたところで駆け上がってくる少女に気が付けなかった。

そのままぶつかってしまいそうだったが、既のところでお互いに気が付き、ピタっと急ブレーキがかかる。

 

「きゃっ!?」

 

相対した少女は驚きのあまりビクッと跳ねて、短く悲鳴を上げたかと思ったら体勢を崩す。そのまま後ろへと倒れそうになるが、階下まで落ちると最悪大怪我では済まない可能性がある。

詩緒も一瞬硬直したが、その最悪な結果が脳裏を過ったため咄嗟に手を伸ばして彼女の腕を掴み、慌てて引き寄せた。

 

腕を掴まれた少女も自身の体幹で何とか体勢を立て直す。間一髪といった驚きの表情は未だに解けないでいたが、今度は心臓が強く鼓動している詩緒が安堵した油断から足を滑らせた。

せめて目の前の少女を巻き込まないようにと身体を捻り、横向きに落ちていく。

下まで滑り落ちる、と直感で分かった瞬間の体感時間は何倍にも膨れ上がった感覚に陥り、必死で冬馬の方に腕を伸ばすと同時に視線を送った。

腕を伸ばそうとしても、とてもゆっくりに感じるためとても冬馬まで伸ばしきれそうになかった。

 

「と、とう……!」

 

冬馬さん、と名前を呼ぼうとしたが、階段を落ちる感覚が鮮明に戻ってきた。

痛みに耐えなければいけない、という次に起きる出来事をすでに想像して、ぎゅっと目を瞑ったが、覚悟していた痛みは感じなかった。

代わりに、頭部には柔らかい感触、腕にはしっかりと誰かに握られる感触を覚える。

 

「大丈夫かい、お嬢さん?」

 

芯の通った明瞭な声に恐る恐る目を開くと、凛々しさを感じさせる女性が顔を覗かせて詩緒を心配そうに見つめている。

詩緒は落ちてしまう恐怖に心臓が騒がしく鳴り響いており、足の先まで脈を打つような恐ろしいほどのドキドキを味わっていた。

落ちないようにしっかりと彼女に引き寄せられており、服の上からでも分かる豊かな胸が詩緒の頬に押しつけられているが、寸前までの恐怖による動悸でそれどころではない。

 

腕の感触については、冬馬が手摺りに掴まりながら詩緒の左腕を片手で掴んでいるのだということを、焦りあるいは必死な表情の彼を目視することで、初めて認識できた。

彼が掴んでくれていたので、どちらにせよ大事には至らなかったであろうと理解できたが、無事で良かったと微笑む女性が王子様のように詩緒の目に映る。

さらに早鐘のように鳴り響く心音の鼓動のせいか、胸を撫で下ろして油断した表情の冬馬が魅力的な男性に見えてしまってしかたがない。

 

「詩緒、大丈夫か!?」

 

その一言でようやく我に返った詩緒は、冬馬に掴まれている腕を掴み返して、身体を起こす。

足や、声、全身が、緊張と安堵の振れ幅で震えてしまっており、身体を起こした際に冬馬に抱き付いた。

 

「し、死ぬかと思ったぁ……」

 

「お、おう。怖かったな。大丈夫そうで良かった」

 

冬馬も詩緒を優しく抱き止め、安心させようと背中を少し撫でる。

数秒経って、詩緒は恥ずかしい状況に自分が身を置いていることに気が付いて、慌てて冬馬から離れようとしたが、冬馬は詩緒がまた転ばないように肩を強く押さえた。

 

「気を付けないと、また滑らせちまうぞ」

 

「あ、うん、そうでした。ありがと」

 

その様子をじっと見ていた女の子が三人。

ぶつかりそうになったのは、茶色く艶のあるロングヘアで、見た目から天真爛漫で人懐っこそうな雰囲気が漂う女の子で、詩緒を申し訳なさそうな表情で見つめている。

 

階段の下にいるのはぶつかりそうになった子と瓜二つで、一目で双子と分かるが、漂わせる雰囲気が真逆な女の子。自信の無さが姿勢に表れているような猫背で、他人の絶体絶命を目の当たりにして共感したのか、少しだけ震えている。

 

最後に詩緒を支えた女性で、階段の二段ほど下にいるのに高いと分かる身長、長い黒髪をポニーテールに纏めており、単にボーイッシュとは異なるモデルのようなカッコよさを漂わせており、詩緒の知るところだと東郷あいに近い雰囲気を感じる。要するにイケメンである。

 

「あの、ごめんね! 甘奈、はしゃいじゃって……」

 

ぐいと近付いて眉を八の字にする女の子が、283プロダクションの『大崎甘奈』だと認識できたのは、詩緒が参加者の情報を事前にリサーチしていたからだろう。

 

「ううん、甘奈さんも無事でよかったです! まだドキドキしてるくらいで、他は大丈夫です」

 

「よかったぁ……。ウタちゃんを怪我させちゃったら、甘奈もうとんでもないことになるところだったよ」

 

甘奈も詩緒を認識しているのは単衣に彼の知名度からだろう。

 

「なーちゃんも危なかった……!」

 

「甜花ちゃん、心配かけてごめんね」

 

階下から甘奈に駆け寄るのは彼女の双子の『大崎甜花』である。

プロジェクトのメンバーに同じ双子のアイドルがいることを思い出し、どことなく親近感を覚える。

どうやら久川姉妹と同じく、性格は似ていない模様。

 

「何はともあれ、二人に怪我が無くて良かったよ」

 

詩緒が階下に目を向けると『白瀬咲耶』が微笑を携えて彼を見つめていた。

彼はそんな彼女に深く一礼をする。

 

「助けていただいてありがとうございます」

 

「ふふっ、当然のことをしたまでだから、そんなに畏まらなくてもいいのに……。むしろ水上さんを助けることができて光栄だよ」

 

謙虚すぎる姿勢の彼女からは、まるで後光が差しているかのように詩緒の目に映る。

長身でカッコよく、頼りがいがあり、性格も良いアイドルといえば、木場真奈美や東郷あいのように詩緒が憧れを抱くのに十分すぎるほどの要素を兼ね備えている。

 

「そんな……。感謝してもし足りないくらいですよ。まだ体が震えてるくらいですから」

 

あはは、と力なく笑いながら両手を前に出し、その手が震えている様子を伝えると、咲耶はすかさず彼の両手を包み込むように握った。

 

「震えが治まるまでこうしてあげるから、安心してほしい」

 

そんな気障な台詞をサラッと嫌味なく言ってしまう咲耶に、詩緒は思わず息を飲んだ。

先程の体験のせいで未だに強く打つ心臓は、落ち着きを取り戻すどころかそのスピードを早めていく。

それと同時に血が頭に上っていくのを感じて、いよいよ咲耶を直視できなくなった。

目の前に恩人の凛々しい顔が見えており、近い距離で見つめ合っていたので、恥ずかしさのあまり右へ左へと目が泳ぐ。

 

「白瀬さん、ごめんなさい。ちょっと、近いです……」

 

咲耶は詩緒の言葉を理解し、彼の顔が真っ赤になるのを見て一瞬呆気にとられていたが、すぐに謝って手を放した。

 

「これは、すまない。知らない人に触れられるのはあまり慣れていなかったかな?」

 

「いえ、全然嫌とかじゃなくて、その、上手く言えないんですけど、ドキドキし過ぎて、おかしくなりそうです……」

 

ぷしゅう、と効果音が聞こえてきそうなほど詩緒が恥ずかしがっており、冬馬や甘奈、甜花は彼の羞恥に悶えている姿を見て、咲耶以上に呆気にとられていた。

 

「これはテレビで見たことないウタちゃんだ……」

 

「水上さんの……新しい、一面……」

 

彼女たちがライブ映像やテレビでよく見る詩緒は、同じプロジェクトのメンバーと仲が良く、女性からの過分なスキンシップも軽くいなしたり、上手いこと躱している印象を抱いていたため、今の詩緒の状況がにわかに信じられないでいた。

そこで助け舟を出すかのように、冬馬が詩緒の手を引いた。

 

「詩緒! これからリハ、始まるんだろ? じゃあさっさと行って、早いとこメンバーと合流しねえとな」

 

その言葉で詩緒も徐々に落ち着きを取り戻し、冬馬に振り向いて数回頷く。

そして彼に手を引かれるまま階段をゆっくりと降りていくのだった。

 

「白瀬さん、ありがとうございました。甘奈さんと甜花さんもまた後で」

 

階段を下りた踊り場で、改めて咲耶たちに挨拶をすると、そのまま詩緒はグラウンドへと向かって行った。

その様子を見送って、咲耶たちも衣装替えに向かうのであった。

 

「そういえばウタちゃん、甘奈たちの名前知ってたよね」

 

甘奈は、詩緒が踊り場で彼女たちの名前を呼んでいたことを思い出す。

 

「ウタちゃんが知っててくれたの、なんか嬉しいなー」

 

「甜花も、名前……呼ばれた!」

 

「そう言われてみれば、そうだね。彼に注目してもらえるようなアイドルになれているのかな?」

 

彼という言葉で甘奈と甜花は、詩緒が男子と自称していることを思い出したが、実際に目の当たりにしてみて、容姿に、声に、どれをとっても詩緒が男子であるということが結びつかず、脳の処理が追い付いてこない。

 

一方で咲耶は、咄嗟にお嬢さんと言ってしまったことは失礼だっただろうか、と反省するのであった。

 

☆ ☆ ☆

 

詩緒が冬馬と共にグラウンドへ出ると、すでにリハの準備をしているアイドルたちから一斉に彼らへ注目が集まる。

 

「なんか、すごく見られてますね」

 

「やべぇ、遅れちまったか?」

 

その後、近くの演者同士でひそひそと話をしており、詩緒はようやく注目されている原因に気が付いた。

 

「冬馬さん! 手、握ったままです!」

 

「うわっ! そうだった! 悪りぃ!」

 

慌てて手を離す二人だったが、それが余計に怪しく見えたのかあらぬ噂が立ちそうで、詩緒は冬馬に悪いことをしたかもしれない、と自責の念に駆られる。

 

「冬馬さん、変な噂になっちゃったらごめんなさい」

 

「まあ、そんな気にするなよ。俺たちが友人として仲良いってことでいいだろ」

 

詩緒は現状を楽観的に捉える冬馬を器が大きい人だと内心で評価した。

確かに手を繋いでいたのにも理由があるし、そもそも同性なので、やましい気持ちもお互いに無いはずだ。

詩緒は、自分があまり男性として見てもらえない容姿であることを自覚していたが故に、要らない心配をしてしまったのだと自意識が過剰であったことを反省する。

 

そんなことを考えながら、設営されたステージへと向かう途中、言い知れぬプレッシャーが冬馬を襲う。

彼ほどのアイドルであれば、街中でもたまに感じることのある視線。

大抵は好意的なものになるが、妬み嫉みで纏わり付くような嫌な感じの視線も極稀に経験する。

ところが、今回の注がれる視線といえば、詩緒と冬馬の関係性を探るものの他に、明らかに冬馬に敵対する圧力の視線も注がれている。

詩緒が気付けないのは、そもそも女心においては冬馬以上の鈍感さを誇るから、という理由もあるが、一番の理由は、詩緒に直接向けられる視線ではないからだ。

詩緒がいくら鈍いと言っても人気アイドルであるため、それほどの敵意を向けられれば嫌でも気付くはずだった。

それほど凄まじいプレッシャーを放つ人が誰なのか、冬馬は額に薄っすらと汗を滲ませてその元を辿るが、注意深く観察せずとも向こうの方から勢いよく走ってくる女の子がいたため、すぐに探すのを止め、その代わり顔を引き攣らせて一歩退いた。

 

「あれ、りあむさん、どうしたんだろう? 凄い勢いで走ってきて……」

 

詩緒が言い終える頃に、彼らの間に割って入り、詩緒を冬馬から引き離す。

全力で走ったことで、息を大いに切らせていた。

 

「ぜぇ、ぜぇ、ウタちゃんから……離れーい! ぜぇ、ぜぇ……」

 

「りあむさん、落ち着いて! どうしたの!?」

 

いきなり声を荒らげるりあむに、詩緒は慣れた対処をしていたが、まさか第三者に失礼なことを言うとは思わず、少しばかり焦っている。

目線を揃えて、じっと目を合わせると、りあむも興奮状態が治まってきたようで、詩緒が怒る寸前であることも察してきょどり始めていた。

 

滅多なことでは怒らない詩緒だが、初対面の友人に失礼な態度を取ったり、馬鹿にされるようなことは彼の中でも怒りのポイントが高いのである。

 

「……ウタちゃんが取られるって思ったから」

 

拗ねた子供のように口を尖らせて言うと、詩緒は呆れたように肩を落として下を向くが、すぐに顔を上げると笑顔を見せる。

彼が怒る時は笑顔で淡々と説教をするタイプの人かもしれないと、りあむは一瞬思ったが、怒ってるような感じはない。

 

「僕は誰にも取られませんよ。ずっとミーティアのみんなと一緒がいいです」

 

その言葉を聞いて、口を尖らせていたりあむは目を見張り、その後じわじわと表情を変えていき、最終的には満面の笑みになった。

 

「やっぱり? そうだよねー! なんたって、このりあむちゃんもいるし!」

 

相変わらずの百面相に、詩緒にも思わず笑みがこぼれる。

 

「つーか、『取られる』って人聞きが悪りぃな。友人なんだから誰の所有とかじゃねぇだろ。詩緒もそんなに気にしてないとはいえ、注意するところはした方がいいぞ」

 

勝手にテンションが上がるりあむに対して黙っていなかったのが冬馬だ。

口論の余地がないほどの正論に、ニコニコだったりあむも再びちんまりとしょぼくれてしまうが、冬馬に対しての敵対意識が払拭された訳ではない。

 

詩緒も人付き合いが大変そうだな、と他人のことを慮っていた冬馬だったが、りあむの後から他のメンバーがやって来る。同時に強い悪寒を感じた彼は、その嫌な感じを払いのけるようにメンバーの方へと振り向く。

 

「天ヶ瀬……!」

 

敬称略、名字呼び捨てで仇敵を見つけたかのように声を絞り出したのはちとせであり、初対面にも関わらず明らかに、根に持っています、と彼女の顔に書いてあった。

冬馬は、どうしてちとせにそこまで嫌われているのか見当も付かず、ここ数週間程度の記憶をさっと洗い出してみたものの、やはり彼女に直接的に害を加えた憶えは無かった。

 

「ちとせさんもどうしたの!?」

 

慌てて詩緒がちとせと冬馬の間に割って入る。

詩緒から見ても冬馬は身に覚えがない、と困惑している様子が明確に窺える。

 

「あんた、アイドルらしからぬ形相になってっけど、あんたに何かしたか?」

 

冬馬が周囲を見渡すと、ちとせのお付き然とした姿勢の良い黒髪の少女、千夜であるが、彼女は瞑目しており、理不尽であっても主人の為すことに異論はありません、とこちらも顔に書いてある。

その他のメンバーも、詩緒を迎えに来たついでにりあむとちとせを追いかけてきた、といった印象で冬馬に対する敵意はないが、詩緒と交互に見比べてまるで値踏みするかのような視線に居心地の悪さを感じる。

 

そして凪はりあむとちとせに便乗して冬馬に対しファイティングポーズを構えていた。カンフー映画の見様見真似で次々とポーズを取っており、ツッコミ待ちかどうか判断に迷うところだが、全員がそんなに気にしていなかったので、冬馬も無視することにした。

 

「そうだ! 皆にも紹介するね?」

 

同じように現状を把握していない詩緒だったが、思い付いたように初対面のメンバーに冬馬を紹介するのだと張り切っている。彼は皆に仲良くしてほしいのである。

ちとせは、詩緒のそういった思いを無下にはできないため、何も言えず押し黙るしかない。

 

詩緒は、冬馬の隣に立ってバスガイドのように手の平を上に向け、彼を指し示す。

 

「お友達の天ヶ瀬冬馬さん! 元961プロのアイドルで、今は315プロに所属してるんですよ。共演してから連絡取ってて、たまにお出かけに付き合ってくれるんです!」

 

最近で遊びに行ったのいつだっけ? と考えるちとせだが、直近の一ヶ月でも詩緒に誘われていないことを思い出した。

そして冬馬に負けている不等式が脳内に思い浮かび、実に落胆した。

 

詩緒は自慢するかのように冬馬を紹介し、その後メンバー側に立って同じく、右手に見えますのは……という台詞から始まりそうなポーズで彼女たちを紹介する。

 

「順番に、りあむさん、ちとせさん、千夜さん、あかりちゃん、あきらちゃん、はーちゃんに、なーちゃんです! デビューからずっと一緒にライブとかしてるんですけど、最近は皆忙しくて、全員揃うのは久しぶりなんですよー。あと、一番信頼してるし、尊敬してるし、大好きな仲間たちです!」

 

こちらも自慢するように紹介しており、より一層熱の籠った紹介だった。

満面の笑みで楽しそうにしている詩緒を見てしまっては、冬馬のことも邪険にするわけにはいかない、とちとせは態度を改める。

 

「ど、どうも……。黒埼ちとせ……。よろしく」

 

引き攣った笑みでちとせは無理にでも挨拶をする。

見るからに冬馬は詩緒の憧れの人物の一人であり、彼をぞんざいに扱って詩緒に嫌われたくないという想いと、仕事とはいえ詩緒と恋愛する役をしたというある意味で恋敵を前にした時の嫉妬がせめぎ合っているようだ。

 

胸中を察した千夜は、おいたわしや……と内心でほろりと涙を一滴流したが、そんなものはすぐに乾き、ちとせに続いて、白雪千夜です、と簡潔に自己紹介した。

他のメンバーが自己紹介の続きを待ったが、千夜はそれ以上言うことは何も無いらしい。

自己アピールの少なさに、本当にアイドルだろうか、と冬馬は疑問に思うも詩緒が変わらず笑顔でいるので、通常運転なのだろうと割り切り、よろしく、と返す。

 

「ウタちゃんのご紹介に賜りました、なーちゃんこと凪です。あまとうとはお初にお目にかかりますが、ご安心ください。何を隠そう凪も甘党。三時のおやつは文明堂。いぇあ」

 

最後にビシッと裏スリーピースを決めて、ドヤ顔をする凪。

どう反応すればいいのか分からない冬馬を完全に置いてけぼりにしており、人差し指と中指のピースサインで凪自身の目を指した後、同じように冬馬と詩緒の目の方を交互に指していた。外国で『見ているぞ』という意味のハンドサインであるが、冬馬や詩緒が知る由もない。

 

「『あまとう』言うな。つーか何で文明堂のCMを知ってるんだよ……」

 

彼女のペースに飲み込まれそうになったが、さすがはトップアイドルとでも言うべきか、流されずにツッコミまで入れる。ついでに文明堂も履修済みらしい。ちなみに詩緒の頭の上にはクエスチョンマークが浮かんでいるので、彼はカステラ一番を知らないようである。

 

「なーがすみません。私は久川颯です! 宜しくお願いします! 本当は冬馬くんってウタちゃんとどういう関係なんですか?」

 

外行き用のお面を付けた颯は、凪の無礼を詫びつつ、丁寧語で話をする。

そして彼女の質問からは、友達以上の関係があるのではなかろうか、と詮索している様子が窺えた。

 

「いや、『本当は』って何だよ? 詩緒の言う通りただの友人だ。最近は月一くらいで時間合わせて遊びに行ってるくらいだな」

 

質問の意図を汲み取り怪訝な表情になりながらも、詩緒との近況を説明する。

ドラマでの共演があってから彼との間柄を勘繰るような質問が増えたな、と冬馬は内心で感じていた。

 

「そうですね。この前は翔太くんと北斗さんともお出かけできたし、楽しかったです!」

 

その冬馬の話に詩緒が相槌を打ち、前回遊びに行った時の事を思い出す。

二人して顔を見合わせて微笑み合っているのを見ると、同性の親しい友人ができたようで良かった、と思っていたメンバーもいれば、りあむやちとせは軽く嫉妬しているようだ。

りあむは明らかに頬を膨らませて冬馬を睨みつけていたのに対し、ちとせは笑顔のまま不機嫌になっていくのが分かり、その様子を傍から見ていた千夜は、実に恐ろしき、と思いながらも見て見ぬふりをした。

 

「あー、お話のところすみません。自分の紹介まだだったんでいいですか? 自分、砂塚あきらデス。ウタちゃんとは同じプロジェクトのメンバーデス。あまとうサン、ウタちゃんの事よろしくお願いします」

 

「私は辻野あかりです! ウタちゃんがいつもお世話になってます! ウタちゃんのこと末永く幸せにしてあげてほしいんご!」

 

保護者のように、詩緒を心配する彼と同い年のメンバー二人は、自己紹介と共に詩緒を冬馬に任せるような発言をしてしまったことで、りあむを無意識のうちに発狂寸前に追い込んでいた。

へそを曲げたのか、いつまでも名乗らないりあむに呆れながら、あかりは、こちらがりあむさんです、と本人に代わって紹介していた。

 

「詩緒くん、そろそろリハーサルのお時間なので、ステージへ参りましょう」

 

月一程度で会っているとはいえ、同性同士の会話はやはり盛り上がるのか、詩緒と冬馬の間での会話がずっと続きそうだったため、ちとせとりあむの心が暴走してしまう前に千夜は何食わぬ顔で二人の会話を遮った。

 

「そうでした! それじゃあ、また連絡しますね!」

 

「おう、またな」

 

それだけ言って切り上げると、冬馬は315プロダクションのアイドルが集まっている場所を見つけたようで、軽い足取りで向かって行った。

 

詩緒は冬馬が北斗や翔太と合流したのを見送った。

目敏いジュピターの面々は遠くからも詩緒に気が付き、翔太は大きく手を振り、北斗は親指と人差し指、中指を立ててピッとハンドサインを送る。

それに対して詩緒も両手を振って応えている。全員が笑顔で、新しい繋がりを大事にしているような空気感が周囲に伝わっていた。

改めて、自分たちも頑張ろう! と詩緒は気合を入れて、自分の頬をぺちぺちと叩く。

 

彼自身への気合注入を、まるで愛玩動物を愛でるような眼差しで見ていたちとせは綻ぶ口元を抑えられず、だらしない笑顔を晒していたが、彼の視線の先にはジュピターがいることを思い出すと、複雑な気持ちになったのが顔色に表れる。

最初に会った頃よりも圧倒的に表情が豊かになったことが、千夜には嬉しくもあり寂しくもあったが、彼女自身はそのような感情をあまり表に出さない。

 

「ウタちゃん、楽しそうだねぇ」

 

やきもちの末、ちとせはにんまりと破顔して、詩緒にだる絡みを始めたがその目はちゃんと笑っているかと問われれば、少しばかり怪しい。

詩緒に腕を回して肩を組み、鼻先がくっつきそうなほど顔を近付ける。

ちとせとの身長差は数センチで、たじろぐ詩緒はわずかに見上げる形だ。

 

見つめる瞳に吸い込まれそうになり、いつもとは違うちとせの異様な雰囲気に、彼の調子は狂わされる。

まるで急所に手を掛けられるような緊張を感じ、口から紡ぐ言葉は何も出てこず、代わりに細かな間隔で吐息が漏れ出る。

 

「どうしたの?」

 

詩緒ががっつり絡まれて何も言わないのが珍しく、ちとせが尋ねた。

 

「ちとせさん、ちょっと怖いかも……です」

 

困惑と恐怖がない交ぜになった表情をしており、階段から落ちかけた恐怖とはシチュエーションが異なるものの、胸の鼓動が徐々に激しく脈打っていくことを彼自身でどうしても止めることはできず、その血流はすぐに顔色に表れた。

 

ちとせは、そんな彼が視線を逸らしたことを認識すると、お腹の奥から心臓あたりにまで何かが込み上げてくるような言葉にしづらい感情を覚え、思わず詩緒の無防備にもガラ空きで、細くて白く艶めかしい首筋へ衝動的に噛み付きたくなったが、わずかな理性で必死に抑えた。

 

「ちとせさん、大胆過ぎるんご!」

 

あかりが、手で両目を覆いながらも指の隙間からしっかりと凝視しており、ちとせの行動に言及する。

あかりの発言によって我に返ったちとせだったが、それでも嗜虐心が抜けきらず、詩緒の様子を確認してニヤけそうになっていた。その証拠に頬がピクリと痙攣する瞬間がある。

 

詩緒は恐る恐るちとせの顔を再び見上げると、さっきまでの目の笑っていない、どこか恐ろしくも美しい笑顔から、感情失禁したかのような勢いでだらしない笑顔に変わっていたため、また違った恐怖感を覚えた。

 

ぞっと背筋が凍えるような思いをして、さっさと彼女から離れたいとすら考えていた詩緒であったが、ちとせの口端から餌を目の前にした犬のように涎が垂れていることに気が付いて、咄嗟に親指で拭ってしまった。

 

あ、と声を上げて気が付いた時にはちとせも何をされたのか理解し、すぐに詩緒を解放すると手の甲で自身の口元を拭い、その詩緒の指をまじまじと見る。

彼はその視線に気付かず、指に付いた湿り気は一滴にも満たない微小な量だったが、どうしようか一瞬悩み、ハンカチを持ち合わせていなかったため、しかたなくそのままにしようと考えた。

 

その一部始終を見逃さなかった千夜がスッと詩緒の前に立ち、衣装のどこかに忍ばせていたであろうハンカチを取り出して、彼の手首を支えるように持つと、ちとせのそれを拭き取った。

 

「あ、ありがとうございます」

 

「いえ、お気になさらず」

 

ハンカチを畳み直して再び衣装へ忍ばせる。

千夜は、相変わらず詩緒の事になるとどこかネジが外れがちな主を横目で見ると、さすがに恥ずかしかったのか、ちとせは珍しく顔を赤らめており、チラチラと詩緒の指の行方を気にしていた。

 

千夜は小さく溜息を吐いて詩緒の耳元に口を近付ける。

 

「いつもお嬢様がご迷惑をおかけしてすみません」

 

詩緒は手をブンブンと振って、そんなことないです、と慌てて否定する。

懐が深いのか、謙虚なのか、どちらにせよ彼が優しい性格であることを知っている千夜は、自身に嫌気が差しながらも彼の優しさに主従共々甘えておくことにした。

 

「ウタちゃん、ウタちゃん! この前なーがさー……」

 

颯もここ最近ではメンバー、特に詩緒との絡みが少なかったため、嬉々として彼に話しかけていた。

最近起こった出来事や、お仕事での愚痴なども語っており、詩緒もニコニコしながら仕事やプライベートでの人付き合いなどを伝えていた。

 

あきら、あかり、りあむもその輪に入り、会話に花を咲かせる。

他の事務所のアイドルが会場に多数来ているので、特にりあむは興奮気味であった。

 

「他の事務所のアイドルがヤバい! みんな可愛いオブ可愛いだし、765プロとか、めちゃめちゃ仲良しで尊みが深い……」

 

「あー、あの事務所はみんな仲良さそうでしたね。うちだと人数が多すぎてまだ全員にはあってないデスし、シアターで定期公演もしてるらしいんで、固定ファンも多いみたいデスよ。それよりも#体操服! それぞれのチームで個性が出てて、めっちゃ映えてる~! 早く写真撮ってSNSに上げたーい!」

 

あきらも多種多様な運動服とライブ衣装にテンションが上がる。

詩緒の衣装も今回は男性用衣装のため、興味津々のようだが、男性用と女性用の違いといってもミニスカートかパンツスタイルかが大きな違いで、その他はあまり差異無く、通気性が良く、肌の露出の多い衣装となっている。

 

少し離れた場所で、凪が伊達眼鏡を着用しており、他事務所のアイドルを観察しているようだ。

 

「凪スカウターによるとこの会場で運動能力の高い選手は……ピピピ! むむ、菊地真選手みたいですね。あと、961プロの玲音選手も数値が……五十三万くらい! おや、ここにいるウタちゃん選手の運動力は……五ですか。ふん、雑魚め」

 

「なーちゃんが急に辛辣だ!? 確かに僕は全然運動できないけど、ダンスは上手くなったよー」

 

そう言って詩緒はヒップホップの基本ステップの一つであるランニングマンを簡単に披露していた。

踊り終えた詩緒は、伊達眼鏡を着用する必要性は無いのでは? と気付いて、そのことを凪に尋ねたが、見た目のステータスをインテリジェンスに振ることで、運動能力が低いように見せて他の人を油断させる目的がある、と効果の薄そうなみみっちい作戦を企てながら、眼鏡のブリッジを中指でずっとクイクイ揺らしていた。

 

「ウタちゃんも意外と運動できるようになってるかもしれないよ? はーから見てダンス上手くなるの早かったし、きっと走るのも速くなってるよ!」

 

颯が凪の発言を訂正するかのようにフォローする。

詩緒自身、確かに身体の使い方を多少は覚え、日常的にトレーニングをしているおかげで出来ないことも出来るようになった実感はあるが、それでも運動やスポーツをすることに関しては未だに苦手意識があるようだった。

 

しかしながらメンバーと作るステージで必要になるダンスだけは頑張って練習した甲斐があり、そのセンスを徐々に伸ばしていき、わずか一年と少しで人前に出しても恥ずかしくない程、ダンサーとして実力を付けたのも事実である。

 

傍から見ても仲良しメンバーの八人は、ステージに上がる直前まで、スキンシップなどをしており、笑顔でコミュニケーションを図っていた。

アイドルのユニットとして必要なコミュニケーションではなく、心を許したであろう親友へ対する態度であることは明確であり、第三者が羨むほどの空間が広がっていた。

 

スタンバイの合図とともにステージに上がると、先程まで温和に見えていたメンバーたちの雰囲気が一瞬にして変わる。

特に顕著なのは詩緒で、ファンと交流する時の彼は温厚で愛想も良く、会話も楽しいし、さらには可愛らしいと評判であるが、ステージに立ち、歌い、踊る姿は普段の彼とはギャップがありすぎて別人なのではないかと疑われるほどだった。

 

もちろん可愛い系の曲については、彼の魅力を十分に際立たせるが、クールでカッコいい曲こそ真価を発揮するとも言われており、ファンや関係者各位からは非常に好評である。

ユニット、あるいは美城プロ所属アイドルの黒一点ということもあり、男性としての魅力も備えているためファン層も幅が広く、クール系の曲を披露すると特に女性ファンからの歓声が強い。

 

リハーサルと言えど手を抜かないプロジェクトミーティアのメンバーは、本番でも一曲のみとなるステージに対しても全力で挑む。

観客はいなくとも業界内にいる多数のファンが彼らのパフォーマンスに歓声を上げており、メンバーの心身もより引き締まる。

 

リハーサルライブ直前までの和気藹々とした雰囲気が嘘だったかのように、ステージ上でバチバチに牽制し合うメンバーたちを見た他事務所のアイドルたちは、戦慄すると同時に密かに闘志を燃やしていた。

 

このイベントのために用意した激しめの楽曲、ノーガードで殴り合うような彼らのステージはそれでも息が揃っており、見ている人々に衝撃を与える。

時間にしては五分未満、たった一曲のステージが終わる頃、会場は彼らの色に染められていた。

 

ありがとうございました! とメンバーが挨拶してステージを後にすると緊張の糸が切れたように、彼らに支配されていた世界もがらりと元の様相へと戻るのだった。

 




矛盾点や読みづらい点などがございましたらご指摘のほどお願いいたします。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。