ボーイ・イン・ザ・シンデレラ   作:しらかわP

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9th extra stage : “How to spend idol's time on a comfort trip.” #Part1

慰安旅行とは、日々の仕事を務める会社員などに労いの意味を込めて催される旅行のことである。

このような説明をしたのは、美城プロダクションアイドル部門に配属されている社員並びに契約を結んでいるアイドルたちが二泊三日の慰安旅行へと赴いているからであった。

 

赴いた先にあるのは広がる自然と巨大な施設。

自然の只中に巨大な人工物がぽつんと佇んでおり、一見ミスマッチのように思えるが、広大な自然をキャンパスに見立て、引きの画角で捉えてみれば、ある種芸術的な建造物のようにも見えてくる。

 

その巨大な施設の一つに美城プロダクションの所有する宿泊施設があり、今回参加する社員やアイドルとその一部の家族、総勢三百人以上の宿泊客を三日間滞在させることも容易な大きさとなっている。

芸能プロダクションとして老舗や古株と呼ばれながらも未だに現役の最前線を引っ張っていく力を持つ超一流企業の資金力がこの施設だけでも窺えた。

 

アイドル部門完全休業という粋な計らいができたのも今年度の業績が既に目標より数十パーセントも高く達成されているからであった。

 

部長が専務に業績を纏めたデータを提示しつつ、この企画が必要な経費であることをプレゼンしたなど、旅行の実現に至るまでに多くの苦労があったという噂話もあるが、専務や社長もノリノリで参加しているところを見ると、あっさりと承諾されたようにも思える。

 

そんな根も葉も無いような裏話は置いておき、いずれにせよ美城プロダクションの全アイドルがこぞって参加する何とも珍しいイベントが開催される運びとなり、例に漏れず詩緒もその旅行に参加しているのであった。

 

彼は会社で用意した貸切バス何台かのうちの一台に乗っており、二人掛けの隣、窓側の席には橘ありすが座っていた。

 

今朝、美城プロダクションの敷地内の駐車場に集合したタイミングでありすと出会い、幾らか会話をして彼女とは別のバスに乗ろうと考えていた詩緒であったが、服の裾を摘まれて、一緒に乗りましょう、と誘われてしまえばどれ程コミュニケーション能力に長けている詩緒と言えど、提案を拒否した時に彼女を傷付けない保証がなかったため、いつも通り人当たりの良い笑顔で彼女の手を引いて乗車した。

同世代とは言えずとも同じ志を持つアイドル同士のため、目的地までの道程も詩緒は彼女との会話に花を咲かせて楽しい時間を過ごしていた。

 

詩緒と同じプロジェクトミーティアのメンバーと今日はまだ会っておらず、メンバーたちは詩緒を含めた八人全員で同じバスに乗車するのが当然と思っていたらしく、詩緒のスマホには鬼のように着信が入っていたものの、車内ではありすや他の小学生アイドルとのやり取りに加えて、バイブレーションすらしないマナーモードに設定していたため、本人は寒気がするほどの数であろう着信に気が付かないでいるようだった。

特に乗車に関するルールは無いため、プロジェクトメンバーの勝手な思い込みであったことは間違いないが、万が一朝起きれずに遅刻したことも考慮して詩緒との連絡を試みている。結局詩緒に気付かれないまま目的地まで到着しそうである。

 

詩緒の心配をするメンバーを余所に、はしゃぐ子供たちの相手をする彼はさながら保育士の卵のようであり、その様子に、同行している小学生アイドルたちの両親は目を見張る。

今回の旅行は美城プロダクションの粋な計らいで家族同伴も可能となっているため、小学生アイドルの子たちには漏れなく母か父、あるいはその両方が同伴しているのだ。

美城所属のアイドルには女性が多いということもあり、片方の親が同伴している場合は女性が多い。

旦那では、特に高垣楓や黒埼ちとせのような美し過ぎるアイドルに現を抜かすであろうことを心配した奥さん方の配慮である。

要するに、デレデレした姿を子供に見られないようにするための対策であった。

 

後方から今もなお詩緒たちの様子を見ている親御さんは、彼の立ち居振る舞いに感心しつつ、子供たちから好かれる彼を見て安心しているようだ。

 

実際に、乗車後少しだけ話をした小学生アイドルの母親から見た詩緒の評価は文句無しの満点、十段階評価なら十である。

常に明るく、思いやりがあり、誰に対しても優しく丁寧、話し上手に聞き上手でおまけにアイドルとしての実績も高い。

たった一つの懸念点は異性である、つまり男性であることだが、こうして彼を目の当たりにすると余計に疑いを持ちたくなってしまうほどの可憐さであった。

 

遠目で見ても、頭から爪先までおおよそ八頭身ほどの体型は、身体全体のバランスが精巧な比率と思えるくらいに美しく、肩幅は狭く華奢な印象だが、そこから延びる腕は程よい細さで健康なことが窺える。胴回りは男性とは思えないほどキュッと引き締まっているのが服の上からでも見て分かり、もしかしたら腰のくびれも出来ているんじゃないかというところまで想像できる。お尻は腰の細さと比較するとやや膨らみを感じるものの、パンツ越しでも引き締まっていると分かる程度に形が良い。そこから真っ直ぐ伸びるしなやかなおみ足は色気を多分に孕んでおり、差し出されたら正気ではいられなさそうだ。

姿勢も美麗な状態を保ち、何よりも纏うオーラが人並みではなく、様々なメディアで活躍する人がどういう類の人種なのかを一般人でも可視化できるようである。

 

彼の全体の印象だけでも惚れ惚れとするのに、さらに細部まで見ていくと、絹糸のように艶のあるサラサラな髪、元から綺麗であろう整えられた眉、パッチリとした目、その上には外側にひろがる長く美しい睫毛とくっきりした二重瞼、スッと筋のとおった高い鼻、口は小さくも大きくもない奇跡的なバランスに加えて唇は潤いを保った艶やかなものであり、その中から笑顔と共に覗かせる歯は彼の肌よりも白く整列している。それらが一流の人形師が作ったような端正な輪郭に端然と並べられているといった印象を受ける。

繊細な指先、爪まで綺麗であり、そのうえ服の着こなしもお洒落で、メイクも及第点どころではなく見本となるくらい上手である。一つ一つの所作も秀麗で丁寧さを感じさせる。

 

見て取った容姿や動作から彼の努力も伝わってくるため、実際に彼を初めて生で見た人から負の感情を抱くことはほとんどなく、嫉妬の領域すら凌駕してしまう。

ごく稀に見せる男らしい一面も加われば、夏と冬くらい差があるギャップによって正常な思考をかき乱されてしまいそうだ。

そしてその一瞬の光景を記憶の中に切り取らんとするため、彼から目を離せなくなる。

ひとたび詩緒を男性と意識してしまえば、その魅力から抜け出せなくなる女性は多い。

 

異性としてなのか、あるいは同性としてなのか、無意識に詩緒に見惚れていることに気が付いた同伴の母親たちは、頭を振って彼から目を離す。

 

ここ一年間ほど常に周囲からの視線を浴び続けているため、詩緒は車内にいる人全員から注目されたとしても既に動じるようなことがなくなるほど、自身の知名度との付き合い方に適応しており、彼がマイペースにありすの座席側の車窓から外へと目を向けると、もう目と鼻の先に宿泊施設が見えていた。

 

「わあ、ありすちゃん見て!」

 

子供のようにはしゃぐ詩緒は歳相応に見えるが、普段はアイドルとして尊敬する年上のお兄さん、あるいはお姉さんと思われているかもしれない。

 

ありすはそんなお兄さんの姿を見て、可愛らしい一面もあるな、と窓の外よりも薄っすらと窓ガラスに映る詩緒を注視しながら考えていた。

 

「本当、大きな建物ですね……」

 

詩緒のことを考えつつも話をしっかりと聞いているありすは、彼の言葉通りに窓の外に目を向けて建物を見た感想を簡潔に述べる。

 

「そういえば、旅行と言っても何をするんでしょうか?」

 

慰安旅行で楽しむことと言えば温泉に酒、食事、睡眠、そして仕事の愚痴や世間話など、テレビを付けながらだらしなく過ごすだけであっという間に時が過ぎるが、子供たちはそうもいかない。

旅館でゆったり過ごすことよりも、テーマパークやレジャー施設などがあれば一日中だって遊び回れるだろう。

ありすにとって旅行とは前者のイメージが強いため、少しばかり退屈になりそうな予感がしているのはある種大人っぽい考え方にも思える。

そんな彼女の疑問に対して待っていましたと言わんばかりの表情をする詩緒を、ありすは意外そうに見つめていたが、咳払いを一つして彼の答えを待つ。

 

「実はね、今回泊まる所は美城プロダクションが経営してる旅館なんだって! それと、隣に商業施設? っていうのもあるみたいで、有名なアパレルとか、映画館とか、ゲームセンターとか、あとは遊園地もあるらしいよ。昨日調べたことなんだけどね。他にもたくさんあるみたいだから、ありすちゃんの持ってるタブレットで改めて調べてみる?」

 

説明を受けたありすは、へぇ、と相槌を打ちながら話を聞き、一緒に調べてみようという提案を断るなんてことは当然しないで、むしろ憧れの人と同じ端末を共有できることに嬉しさすら覚えていた。

 

詩緒に言われた通り、ありすが美城プロが所持している施設について調べてみると、詩緒が説明した以外にも、温泉、マッサージやスポーツショップにカフェ、他にもあらゆるショップや施設がテナントとして入っているようだ。

 

今回は美城プロダクションの貸切ということですべて休業として扱われているようだが、平時ではかなりのお客さんが訪れているとの情報もネットには記載してある。

また立地の割には年間を通して黒字経営のため、今後も継続して施設が利用されていくだろう。

 

ありすはそのような情報よりも、一つの画面を二人で見るために自然と近くなる詩緒との距離が気になってしかたがなかった。

彼からは何故か良い香りがするし、ふと盗み見する横顔は可愛らしい少女のようにも、美しい少年のようにも映る。

男性と知っていてもなお詩緒に対する中性的な印象を払拭することは難しく、実のところ神か悪魔かと考えてしまうほど神秘的な存在だと錯覚してしまう。

かと思えば、男性にしてはやや長めの髪を耳に掛ける行為から親しみを感じて、ありすは一気に日常へと引き戻されたような感覚に陥った。

 

私立の女子小学校に通っているため、普段同年代の男子と接する機会が無いありすにとって、最もよく接する男性が担当プロデューサーか詩緒であり、ある意味で不運なことかもしれない。

今後出会う同年代の男性との比較対象がトップアイドルという状況は、彼女に好意を抱くであろう男子にとって酷であり、同時に彼女が異性に課すハードルも高くなってしまうのも、これまた酷な話であった。

 

ぼーっとしながら詩緒の横顔に見惚れていると、彼がありすに顔を向けてお互いに目が合った。

詩緒は口を開きかけた状態で一瞬止まる。何か話し出そうとしてありすの方を向いたが、彼女の視線が気になって口を噤む。

 

「ありすちゃん、どうしたの? 僕の顔、何か変だった?」

 

用意していた言葉を飲み込んで、笑顔で尋ねる。

聞き方一つにしてもこれほど嫌味なく、相手との間合いを詰めていけるのは、彼の持つ特性の一端である。

 

ありすはわずかに動揺し、少しの間だけ言葉を詰まらせた。

その一瞬で微妙に頬が紅潮したが、タブレットの画面に視線を落とし、焦点が合わずに見えない文字を読んでいるふりをした。

 

「いえ、変というより……いや、やっぱり変かもしれませんね」

 

照れ隠しのように詩緒へディスリスペクトの言葉をぶつけると、彼は驚いたような、あるいは楽し気な声を漏らしてから、どこが変なのかと再び尋ねた。

 

「美人過ぎるところとか……」

 

もはや反射で出た素直な感想であるが、聞く側の詩緒にとっては口説き文句として受け取れる。

可愛らしいアイドルから素直な好意を向けられるのが気恥ずかしかったのか、照れた表情を笑顔で隠しながらも、困惑した声色で、ありがとうと言った。

 

自分の放った言葉を自覚したありすは急に恥ずかしさが込み上げてきて詩緒へ顔を向けられなくなる。

彼がありすの顔を覗き込むようにした時は、最悪だと内心で呟きかけたが、ありすちゃんの方がすごく綺麗だよ? と照れ臭そうに囁かれた瞬間、ありすは天にも昇るような気持ちになり余計に彼と顔を合わせられなくなって、やっぱり最悪だ、と心の中で呟くのであった。

 

☆ ☆ ☆

 

巨大な宿泊施設の駐車場にバスがとまる。

美城プロダクションが貸し切りにしているため、他に駐車している車両は商業施設に携わる従業員等のものだろう。

 

到着後、詩緒たちは各自荷物を持ってバスを降りるところだが、小学生アイドルたちに懐かれて彼女たちの人気者になった詩緒は右手にありす、左手に仁奈という花を抱えてバスの通路を歩く。

通路が狭いため手を繋いだまま横ではなく縦に広がり、仁奈、詩緒、ありすの順番で降車する。

 

「仁奈ちゃん、気を付けてね」

 

階段を下りる仁奈に合わせて腰を屈める詩緒。

ありすの手もしっかりと握っており少しきつそうな体勢に見えるが、身体が柔らかいので見た目よりも苦ではないようだ。

 

「詩緒おねーさん、しっかり手握っててくだせー!」

 

少し段差が大きい階段のため、下りるのに慎重になっている仁奈は一層強く詩緒の手を握る。その後方では、仁奈の母親が微笑ましそうに見守っていた。

 

「仁奈ちゃん、僕はお兄さんだよ?」

 

仁奈がバスから降り切るのと同時に、詩緒が自身の性別について念のため訂正しておくと、かなりの勢いで仁奈が振り返る。その表情は驚きに満ちていたが、依然として手は離さないままだった。

 

「えーっ!? どっからどー見てもおねーさんにしか見えねーでごぜーます!」

 

人体の不思議を目の当たりにしたように目を丸くしており、詩緒の顔や身体を隅々まで観察する。握った手もペタペタと触り、彼の言っていることに偽りが無いか確かめているようだった。

そんな仁奈の様子に苦笑しながらも、ありすの手を引いたまま詩緒がバスから降りる。

続いて降りてくるありすの手を強く握って導いてあげると、ありがとうございます、と優雅な雰囲気でお礼を口にした。

ありすの恰好はカジュアルなものだが、詩緒の手を引いて階段を下りる姿は王子様にエスコートされる本物のお姫様のようでもあり、仁奈が少し羨ましがる。

ありすはバスから降りると、お姉さん然とした雰囲気を纏いながら仁奈へ向き直る。

 

「仁奈さん、ウタさんは男性なので、お姉さんと呼んでは失礼ですよ?」

 

詩緒としては、よく間違われるためそこまで気にならなかったものの、ありすが叱責する光景は、まるで姉が妹に言い聞かせる様子を彷彿とさせた。

仁奈も注意を受けて反省したらしく、ごめんなせーですよ……と詩緒に謝った。

 

詩緒は優しい眼差しで仁奈の頭を撫でて、気にしていないことを伝え、ありすにも、ありがとうと感謝の言葉を述べる。

 

降車後はバスに収納したキャリーバッグなど、それぞれの大きな荷物を受け取り、宿泊施設へと向かっていった。

仁奈は詩緒から離れて母親の側へと戻ったため、今度は詩緒の右手にはキャリーバッグ、左手にはありすの右手を携えている。

 

「あー! ウタちゃんいた!!」

 

宿泊施設の入り口まで行く途中で不意に呼ぶ声がする方へ振り返ると、颯が指を差して叫び、詩緒の方まで近づいてくる。

 

「来てないんじゃないかって心配したんだから!」

 

頬を膨らませて怒る颯は詩緒に近付き、トントンと彼の胸の辺りを指先で叩く。

その感触がくすぐったかったのか、詩緒は小さく呻き声をあげて一歩後退った。

少し驚き、焦ったような表情を浮かべる颯。

 

「ご、ごめんね……! くすぐったくて変な声出ちゃった」

 

自分の大仰なリアクションに驚いたであろう彼女に対して、困惑の笑顔を浮かべて謝る。

颯もすぐに、そんなつもりじゃなかったと謝罪の言葉を述べた。

 

それほど心配していたのかと感じた詩緒は鞄から片手で器用にスマホを取り出し、そのディスプレイを起動させるとすぐに笑顔が引っ込み、通知の量に目を見張った。

 

「わ、通知すごっ……!」

 

普段からもメッセージアプリの通知は多い方だが、件数の表示が倍くらいになっており、心配させてしまったことを反省していると、隣のありすの手を握る力がわずかに強くなる。

詩緒を見上げるありすは何かを言いたげに目配せをしてきており、詩緒は少し屈んでありすの口元に耳を寄せた。

 

「ウタさんは悪くないですよ。連絡しなかったところで問題ありませんから」

 

こそこそと耳打ちで教えてくれたことは詩緒にとっては嬉しいことであった。

そんな二人のやり取りを颯は怪訝な表情で見つめた後、ありすと目が合う。

睨み合っているわけではないが、数秒見つめ合ったまま沈黙していると、これ以上はどうも詩緒を責めることはできないと颯は思い直す。

 

「……ウタちゃんも次からは気を付けてよね!」

 

彼女はそう言い、一緒に行くよとジェスチャーして、三人で宿泊施設へと向かうことにした。

 

「ウタちゃーん!」

 

珍しく大きな声を張って詩緒を呼んだのは、黒埼ちとせだった。

車内では誰よりもそわそわと落ち着きなく過ごしていたし、もし詩緒がこの旅行に来ていなかったら最大限楽しめなかったであろうと考えていたのは彼女である。

 

「もう、心配したよ! 集合時間に間に合わなくて取り残されたんじゃないか、とかさ~」

 

詩緒の姿を目視できたおかげで、爆発的にテンションを上げるちとせが走ってきて、その勢いのまま抱き付くものだから、詩緒は驚いて両手を離す。

詩緒と手を繋いでいたありすは一度残念そうな表情を見せて、ちとせに何か言いたげな顔でじっと見つめるが、ちとせもありすが尊敬しているアイドルの一人であるため、行動に驚くばかりで責める気などはさらさら無かった。

ただ、詩緒を横取りされたような気持ちを味わったことで、ちとせに対する尊敬の念は少しだけ薄れる。

 

一方で詩緒はお互いに好き同士であることが分かっており、そのことを意識してしまうとどうも普通じゃいられなくなりそうだと感じていた。

動揺を隠して、自由になった両手をちとせの背に回す。今まで自然と行ってきた行為ではあるが、彼女を意識してからはわずかにぎこちなく、詩緒は劣情を催す前にちとせからすぐ手を離して二歩ほど後ろへ下がった。

 

詩緒の対応に物足りなさそうなちとせではあったが、彼の表情や仕草から、貴女のことをとても意識しています、と伝わってきて非常に満足そうな笑みを浮かべていた。

その一部始終を見ていたありすからは、ちとせが魔女のように見えてしまい、少なからず警戒心を強めるのであった。

 

「お嬢さま……急に走っては身体を壊しかねませんから、お大事になさってください。詩緒くんも無事に合流できて何よりです」

 

ガラガラと大きなスーツケースを引いて歩いてきた千夜は主の体調に気遣いながらも詩緒と会えたことを喜んでいるようだ。

基本的に表情の変化が少ない分、声色や仕草などで感情を露わにするのが千夜らしくあるが、自分を担当するプロデューサーだけに対しては嫌な表情を隠そうともせず、眉間に皺を寄せて睨みつけるので、彼に向けられるその感情だけはとても分かりやすい。

 

「あ、うん、僕もみんなと会えて良かった。バスの中はありすちゃんたちと一緒で楽しかったよ。いろんなお話したもんね、ありすちゃん?」

 

そう言うとありすの手を再び取った。

あまりにナチュラルに手を繋いだので、ありすの方が、何が起こったのか一瞬分からなくなったくらいである。

 

「あ、はい。ウタさんとはとても有意義な時間を過ごさせていただきました」

 

何とか平静を保って返事をする。

少し経って詩緒が目線を合わせてくれていることを認識すると、子ども扱いされたということに思い至り、ムッとしながらも、行きましょうと先を急いだ。

 

「わわっ、待ってありすちゃん!」

 

急に手を引いて歩き始めたありすに対応できず、詩緒は前のめりになってあわや転ぶところだったが、なんとかありすについて行く。

ありすと繋いでいる手とは逆の手に持っているキャリーケースも不意に働く慣性に耐え切れず、ガタガタと不規則な動きを見せたが、性能が良いのか倒れずに詩緒の後ろを付いてきてくれている。

 

「もう、急に引っ張られたら危ないよ」

 

「あ、ごめんなさい……」

 

詩緒が注意するが、責めるような意図はなく、携えている微笑みから怒っている様子でもないことは一目瞭然であった。

ありすも自身の強引な行動をわずかに恥じて、耳を朱に染める。

思考を巡らせられるようになってくると、先程の行動を正しく反省できるようになり、ありすはもしかしたらやきもちを妬いて取った行動なのかもしれない、という冷静な判断が出来るようになっていた。

そこを考慮できるようになると、今度はそのやきもちが詩緒に、あるいはその周囲にバレていないかが気になり始める。

 

しっかりとクールダウンできたありすは慌てず、さりげない様子で詩緒を窺う。

ありすから見た彼の様子は、普段と変わったようなところもなく、さっきまでありすに注意していたにもかかわらず、現在はすでにありすを楽しませようとして、あれこれと話しかけてくれているところだ。

自分自身も楽しいのかニコニコと笑顔が絶えないのが、年下のありすからしても可愛らしく映る。

 

問題は詩緒以外のメンバーであり、微笑ましいと呼ぶには似つかわしくない程度に厭らしい笑みを浮かべていた。

他人の色恋に気付いた時に見せる好奇の気色が、ありすの羞恥心と苛立ちを多少なりとも刺激した。

 

その中でもちとせからはまた一味違った雰囲気を感じており、プレッシャーなのか、大人の余裕なのか、試されているのか、あるいは別の何かなのか判別は付かなかったが、刺されるような視線に耐えかねて、詩緒をぐいぐいと引っ張る。

 

逃げるようにその場を後にしようとしていたありすだったが、この駐車場に留まるバスから降りてきた全員の目的地は同じ場所のため、纏わりつくような視線を振り払うことができず、いっそのこと開き直ってしまおうかと思い、甘えるように彼へとくっつくことにした。

 

「お、だいた~ん」

 

「きゃー、おませさんですこと」

 

颯が口元に手を当てて、おやおやと煽り、同じように凪も口元に手を当てて、あらあらと煽る。

こういう時に双子らしさを発揮することで加算どころか乗算くらいの苛立ちを覚えさせるのだが、詩緒が大胆なありすに動じることもなく甘えさせているので、目の前で一人の少女が、少女のような美少年に溺れていく様子をリアルタイムで確認できる状況になっていた。

 

最初は子供の叶わぬ恋を見守る面々であったが、徐々に甘い色香の雰囲気を纏い始めており、これはいけないと思った頃には緩み切ったありすの顔を見せられて、周囲もすっかり充てられてしまうほどのただならぬ空気感が辺りに蔓延っていた。

 

「急に甘えんぼになっちゃったね。どうしたの?」

 

優しく諭すような口ぶりの詩緒は正しく魔性であり、悪魔の羽やら尻尾やらが生えているようにも錯覚してしまうが、当の本人に誑かしてやろうという意識は微塵もない。

むしろありすを妹のように感じており、たまに会う親戚の子供たちに懐かれているような感覚と似ているため、甘えられると甘やかしたくなってしまうのも彼の性質の一つである。

 

「詩緒くん、お言葉ですけど、甘やかしすぎもいかがなものかと……」

 

見兼ねた千夜が詩緒の隣に来て助言を伝えるが、そうかな? とあんまり響いていない様子である。

 

「そうだよ! 見てこの緩み切ったありすちゃんの顔! 下心のある人間の顔だよ!」

 

一回りも年下のありすへ追撃をかけるりあむであったが、その必死さが滑稽であり、千夜は若干引いていた。

一方で詩緒はそんなりあむを一笑に付して取り合わない。

 

「あはは、考えすぎですよ。ありすちゃんに下心なんてあるわけないでしょ。ね、ありすちゃん?」

 

尋ねられたありすは蕩けた眼で詩緒を見上げると、こくこくと首肯し、千夜を一瞥した後、呆れたような視線をりあむに向ける。

 

「何なんだよぉ、その目はよぉ……」

 

小学生から向けられる軽蔑の眼差しに分かりやすく狼狽えていたりあむは、ついに頭に血が上ったようで、ありすを詩緒から引き剝がそうと強硬手段に出た。

 

「きゃっ!?」

 

小さく悲鳴を上げたありすは、より強く詩緒へとしがみ付く。

りあむとありすの身長があまり変わらないという点では、同学年のじゃれ合いにも見えなくはないが、実年齢を知っている彼らからしてみれば争いが起きる時点で普通ではない。

 

「りあむさん、暴力はダメですよっ!?」

 

詩緒は慌ててりあむを制止しつつ、ありすを抱き寄せることで、その魔の手から守ろうとする。

そしてどさくさに紛れてりあむは、ありすを巻き込みながら詩緒へと抱き付いて可愛い男の娘成分を抜かりなく摂取することに成功していた。

 

駐車場という開けた場所で男女がくんずほぐれつしていても詩緒の容姿が美少女であるが故に、特に誰も気に留めていない。

唯一心配そうに見つめていたのは詩緒と同じプロジェクトのメンバーであり、その視線は彼らよりもちとせへと向いていた。

彼女は顔色に表すことはなく微笑を携えていたものの、目の奥が笑っていないことは明白であり、沸々と苛立ちが沸き上がってきているような雰囲気を周囲のアイドル達は感じていた。

 

一部のメンバーが戦々恐々としている中、それを打破するかのように甲高い悲鳴が短く響き渡る。

周囲もそれに驚き、全員の時間が一瞬止まったような錯覚に陥った。

悲鳴の出どころはすぐに見つかり、慌てて口元を抑えて顔を赤らめている詩緒が悲鳴の発生源だとすぐに理解できた。

 

彼はどうしたのかと尋ねられる間もなく、ありす、りあむの二人と距離を置き、悲鳴を誤魔化すような苦笑いを浮かべている。

 

詩緒とじゃれ合っていた二人に視線を移すと、何が起こったのか分からない様子のりあむと、彼と同様に顔を赤らめて自身の手の感触を確かめるありす。

りあむに引き剥がされそうになった拍子、詩緒から離れまいとしがみつくように触れていたありすの手が誤って彼の大事な部分に触れてしまったらしい。

 

通り過ぎていく他のアイドルやその他の参加者は奇異な視線を彼らに向け、居たたまれなくなった詩緒は、先に行くね、と一言声を掛けてさっさと歩き出す。

 

「あ、待ってください! ごめんなさい!」

 

慌てて追いかけて謝るありすに、驚いただけであって怒ってないことを伝えると、先程の過ちを水に流すように、再び彼女の手を握った。

 

ワンテンポ遅れて状況を把握したりあむは、けしからん! と内心で叫んでから二人の後を追おうとしたが、右肩にそっと誰かの手が置かれたかと思えば、左耳にぞっとするような声音で、りあむちゃん、と耳打ちされる。

 

「ひぃっ!?」

 

可愛らしくもないガチの悲鳴を上げ、恐怖心から膝が笑っていた。

 

「おいたが過ぎるんじゃないかな?」

 

ちとせは肩に置いた手を腰まで滑らせて、赤い双眸をりあむへと向ける。

ちとせの鼻とりあむの頬がくっつきそうな程の近さに加え、おおよそ十五センチの身長差も相まって圧力が凄い。

 

りあむはだらだらと流れる汗を拭わず、一切目を合わせようとしないまま、すみません、すみません……と連呼するのであった。

 

☆ ☆ ☆

 

詩緒とありすは美城プロダクションお抱えの宿泊施設、そのエントランスへと歩を進めた。

最高級と呼ぶほど豪華絢爛とは言えないが、それでも詩緒とありすの足が竦んでしまいそうなほどには大きく、美しい装飾が施されたホールから高級な雰囲気が醸し出されている。

今まで経験したことがない宿泊体験に、高揚感を覚えてソワソワと浮足立ってしまう。

 

バスの中でも宿泊施設の客室やレストランの写真を見ていたが、実際にその場に踏み入れて目の当たりにすると、より荘厳な場所のような気がしてきて、普段よりも少しばかり興奮していた。

 

初めて都会に来てビル群を眺めんとするお上りさんのように、キョロキョロとしていたことを自覚したありすは、自分を律するための咳払いを一つして、詩緒の顔を盗み見る。

 

彼も初めて見る高級ホテルに目を輝かせており、夢中になっているところを邪魔するのは躊躇われたが、このあと各自の部屋に行くことを考えると約束は今取り付けなければならないと思い、ありすは自身を奮い立たせた。

 

「あ、あの、ウタさん!」

 

ロビーに人が増え、多少ざわつき始めたため、ありすは少し声を張る。

呼びかけられた詩緒が視線をありすへと向けて微笑む。

ただそれだけで、言葉にしなくとも自分が次に言いたいことを尋ねてくれているような気がしたありすは、幾分か楽な気持ちになった。

 

「この後、お時間あれば、い、一緒にお出掛けしませんか?」

 

真っ直ぐ見据えていたはずの瞳は左右に揺れ、張っていた声も尻すぼみになってしまう。

何とかお誘いできたことは良かったものの、これでは格好悪いとすぐに反省する。

 

そんな彼女の自信の無さそうな態度は、詩緒の嬉しそうな表情がすぐに忘れさせてくれた。

そのうえ、即座に得られた了承は彼女の氷で覆われたような心をとろとろに溶かしてしまうほどの温かみが感じられ、嬉しさから上がってしまう口角を力技でどうにか抑えるように努めるのが大変だった。

 

一つ約束を取り付けられたことは、ありすにとって壁を一つ破ることと同義である。

一枚壁を壊せれば、二枚目も三枚目も大して大きな障害には感じず、さっきの緊張とは打って変わってスラスラと言葉が出てくる。

 

「そしたらどこに行きますか? 先ほどバスの中でお話したショッピングモールも行きたいですし、レジャー施設も気になりますよね。ウタさんが行きたいところとかあれば、私もぜひ行ってみたいです。あ、そういえば連絡先を知りませんでしたので、教えていただいてもいいですか? この後、ご自分の部屋に行って荷物を置いてから行きますよね」

 

詩緒は饒舌なありすを微笑ましく見守り、適度に相槌を打つ。

ありすは流れるように連絡先を交換して、しばらく談笑を楽しんだ。

 

その後、ありすの両親が合流したタイミングで彼女たちと別れ、詩緒は一人で部屋へと向かう。

美城プロダクション所属のアイドルの中では唯一の男性である詩緒には最上階のVIPルームが用意されているようだ。

日頃の活躍により業績の向上に貢献したことが評価されたらしいが、自分には勿体無い代物だと詩緒は思った。

何より広くて、独りで過ごすには幾らか寂しい気持ちである。

 

事前に彼の担当プロデューサーを務める神保からは、部屋に置いてあるメニューに書かれているものは好きなように注文してよいと聞いていたが、特に目もくれず、既にありすとの約束のことを考えていた。

 

時刻はちょうど正午で、昼食を食べていなかった詩緒はどこでお腹の虫を鳴き止ませようかと思案する。

独りでホテルの外に行くのも楽しそうではあるが、彼が泊まるホテルの階下にはグレード高めのレストランがあり、さらにそれとは別にルームサービスでの用意も可能なようではあったが、先に誘ってくれていたありすが昼食から一緒に行動してもよいというのであれば、食べながら次の予定を決めるのが効率的だろうかと思案する。

 

迷っていても仕方ないので、善は急げとばかりに、先ほどメッセージアプリに追加したありすの連絡先をタップして、トーク画面へと遷移した。

自分が送ったスタンプが既読になっているのをよそに、慣れた手つきで文字をフリック入力していく。

 

『お疲れ様! これからお昼ごはん食べようかなって思うんだけど、一緒にどうかな?』

 

送ったのとほぼ同時に既読の表示が付いていた。

 

☆ ☆ ☆

 

詩緒と別れて両親と客室へ訪れたありすは、玄関で靴を放るように脱ぐと、お行儀悪くもベッドへと飛び乗るようにして倒れ込んだ。

弾性のあるベッドはありすを乗せて上下に小さくバウンスし、長旅で疲れた彼女の身体を優しく受け止めるように、静かに止まった。

バスの中では、芸歴で言えば後輩だが憧れのアイドルの一人である詩緒といろんな会話ができて、興奮と緊張が入り混じっていた様子だったが、ここへ来て一気に緩和すると、どっと疲れが押し寄せてきてしまうのも頷ける。

 

「ありす。お昼ごはん、お母さんとお父さんと一緒に行くでしょ?」

 

ありすの母が、娘が眠らないうちにと昼食の提案をして、ベッドの上でもぞもぞと動いて顔をこちらへ向けるありすに、準備をするように促した。

 

「この後せっかく詩緒さんと遊びに行く約束してもらったんだから、しゃんとしないとね」

 

詩緒との約束という言葉を聞いて疲れを癒していたありすだったが、こうしてはいられないと飛び起きた。

 

今日はしっかりおめかしをしているので、化粧を母に整えてもらえば、詩緒とのお出かけには問題ないだろうと考える。

 

男女が一緒に出掛ければそれはもうデートであると、学校の少しませた友達が言っていたことを思い出し、これはデートなのかもしれないと意識していしまい、若干頬を朱に染めた。

 

そうして化粧直しをしてもらっていると、彼女のスマートフォンが着信音を鳴らしたため、いったん中断してスマホを確認した。

そういえば集合する時間や場所を決めていなかったことを思い出し、きっと詩緒からの連絡に違いないと逸る気持ちがあったことは否定できないだろう。

 

『お疲れ様! これからお昼ごはん食べようかなって思うんだけど、一緒にどうかな?』

 

詩緒からの連絡に加え、文章の後に可愛らしいスタンプが送られていて、つい表情が綻んでしまうが、同じ部屋に両親がいることを改めて認識すると、顔が熱くなってしまいそうだったので、咳払いを一つして認識の払拭を試みる。

 

「詩緒さんから?」

 

母の問いかけにこくりと首肯する。

 

「……お母さん」

 

おずおずとどこか照れたように母を呼ぶありす。

 

「なぁに?」

 

彼女の母は、彼女が何かを提案しようとしていることを何となく察して、優しく聞き返す。

 

「お昼ごはん、詩緒さんも一緒じゃダメ?」

 

普段は我儘など決して言わない娘のお願いに、両親ともに断る理由もなかった。

 

「ええ、もちろん」

 

「水上くんが良ければね」

 

ありすは二人の快い返事に、ありがとうと返し、詩緒へのメッセージを送信する。

 

『お疲れ様です。 ウタさんさえよければうちの両親も一緒でいいでしょうか?』

 

メッセージを送った後はドキドキしてしまう。

このもどかしさは何とも言えないものだと、ありすは束の間、口を引き結ぶ。

今あれこれ考えても待つ以外のことはできないので、再び化粧直しをしてもらおうとしたところ、ちょうどスマホが鳴動したためビクッと小さな肩を震わせたが、すぐにメッセージ内容を確認する。

 

『いいの? せっかく家族水入らずなのに他人が入って迷惑じゃないかな?』

 

そんなメッセージとスタンプが送られて、遠慮しないでいいのに! というわずかにネガティブな想いと、さすが気遣いのできる人だな、という尊敬の念が同時に生まれる。

 

『両親もぜひ一緒にと言ってますので、ウタさんがよければ一緒にお昼過ごしたいです。』

 

ありすから送るスタンプは『ダメですか?』とうるうると涙目をした猫のもので、自分でもちょっと強引だったかも、と懸念しつつ返事を待つ。

 

『ありがとう! そんなうるうるお願いされたら行くしかないよ~!笑』

 

あまり引かれていないようで良かった、と思いつつも詩緒からの返事が嬉しくて、ありすの頬はどうしても緩んでしまう。

 

『とっても嬉しい! ご両親にもよろしくお伝えくださいね!』

 

『準備できたら連絡してね(絵文字) 僕も準備できたら連絡します(絵文字)』

 

続けざまに詩緒からのメッセージが二件届く。

ステージ上と同じように約束事にしっかりしていて頼もしく感じるかと思いきや、プライベートで見せる姿は時折抜けていたり、運動神経が悪くて特に球技が壊滅的だったりと、どこか掴みどころがない印象だが、やはり彼の持つ魅せるパフォーマンスや笑顔が別格なのだろうと思いを馳せる。

 

過去に見てきた中では、ミュージックJAM、アイドルアルティメイト、それに先日の事務所対抗大運動会。

アイドルアルティメイトというその年のアイドルナンバーワンを決める賞レースには惜退してしまったものの、これらのステージで彼が魅せたパフォーマンスはありすの心に深く刻まれている。

 

どうすればあの短期間であれだけの成長を……と考えて我に返る。

今は水上詩緒の分析をしている場合ではないのだ。

その憧れのアイドルとこれから会食という時に、返事の一つも出さないでどうするのだと自分の襟を正してスマホと向き合った。

 

『分かりました。』

 

結局のところ淡白な返しになってしまったが、早く詩緒に会うために準備をしたいという欲が勝ってしまったゆえの返事である。

 

詩緒からスタンプが再び送信されると、それ以降は彼からのメッセージはなく、外出の準備をしていることが窺える。

 

☆ ☆ ☆

 

『準備できたよ!』

 

メッセージが途絶えてから二十分程度が経過して、詩緒からメッセージが飛んできた。

男性にしてはそれなりに時間を要したようだが、日常的に美容に気を配る詩緒となれば話は変わる。むしろ彼の準備に要する時間が二十分であることは極めて短い時間と言えるだろう。

 

「あ、詩緒さんから連絡来た。お母さん、早く!」

 

どうやら母親の準備がまだだったようで、気持ちが急いているありすは準備中の母を急かしていた。

あまり見ない娘のやや興奮気味の姿に愛おしさを覚えたが、冷静に言葉を返す。

 

「はいはい、分かった。先に詩緒さんと合流する?」

 

自分のテンションと比べて素っ気ない母にムスッとしたが、詩緒を待たせるのも悪いと思い、ありすは詩緒に先に集合しないか提案する旨のメッセージを返すことにした。

 

『すみません。母の準備がまだですが、先に下のロビーに集合しますか?』

 

送ってすぐに既読の表示。

どうやらトーク画面を開きっぱなしにしているらしい。

 

『お母さんの準備ができたらで大丈夫だよ~ 僕もそれまでお部屋でゆっくりしてるから 準備できたら連絡してね!』

 

すぐにメッセージが返ってくる。

確かにバスの中でもあれほどの長旅だ。

詩緒も疲れているだろうしもう少しゆっくりしたいのだろうと、ありすは納得して、詩緒の連絡に従うことにした。

 

「詩緒さん、お母さんの準備ができたらでいいって」

 

「あら、そうなの? じゃあ急がないとね」

 

急ぐとは言いつつも特にスピードが上がった様子のない母に、ありすは一つ溜息を吐いたが、化粧直しをやってもらった恩もあるので、これ以上の我儘は言いづらい。

 

「それにしても、詩緒さんを間近で見たけど、本当に男の子か疑ったよ」

 

すでに準備を終えて、ソファでゆったりとくつろぐありすの父が不意に詩緒のことを口にした。

 

「お父さん、そういうこと詩緒さん本人にはあまり言わないでよ?」

 

刺すような視線を向けて、釘を刺しておく。

本人は疑われてそのような質問をされても、中学に上がる頃にはもう気にならなくなったと言っていたが、実際のところは分からない。

 

「分かってるよ。でもメディアで男性だって報道されて、実際に見たら全然男の子に見えないくらい可愛いから、本当かなって思っちゃうんだよな。ありすも最初見た時はそうだったんじゃないか?」

 

確かにお父さんの言う通りだ、とありすは思った。

図星を突かれたため反論する材料もなく、うぅん……と唸ることしかできず、見兼ねた父親は笑いながら、意地悪だったねと謝った。

 

「それに彼、意外としっかりしてるというか、良い人だね。売れてることを鼻に掛けてる様子もないし、ありすのこと可愛がってくれてるけど、対等に接してる感じもするし……」

 

親というものは意外と子のことを見ているんだな、と父親の言葉から密かに感じ取り、独りでに感心すると同時に、詩緒とのやり取りを見られていたと考えると、どことなく照れ臭い。

特に先程の宿泊施設の外での一幕を見られていたら恥ずかしくて死んでしまうかもしれない、とありすは顔を赤らめる。

 

「ま、まあ、お父さんも詩緒さんのいいところが分かってきたみたいだね。本当にいい人なんだよ。ステージの上だとカッコいいし、お仕事もたくさんやってて、とっても尊敬できる人なの」

 

得意気に話すということは、彼との関りがあるうえで、真に尊敬の念を抱いている証拠であった。

そして勢いが乗ってきたのか、ありすによる詩緒の自慢大会が何故か始まり、唯一エントリーしているありすの自動優勝が確定している合間に、彼女の母親の準備も完了していたらしい。

ありすが尊敬する人を自慢していた間、ありすの父は相槌を打ちながら聞いていたが、詩緒のことを、ここまで娘を夢中にさせる異性だと思うと、どこか複雑な気持ちになってくる。

 

「ありす、準備できたから行きましょう。詩緒さんに連絡しておいてくれる?」

 

「うん、わかった」

 

身に付けていたバッグからスマホを取り出すとタスタスと操作して準備ができたことを伝えると、すぐに彼から了解のスタンプとメッセージが返ってきた。

 

『今から部屋出て向かいます(絵文字)』

 

「『分かりました』っと……。お父さん、お母さん、行くよー!」

 

気が急いているありすを追うようにして、彼女の両親も部屋を出る。

 

昼ご飯を一緒に食べた後、遊びに行くことを考えると、ありすとしては一秒も無駄にしたくないと思うほど楽しみにしており、心なしか歩く速さも上がり、歩き方も軽やかなものになっているようだ。

 

エレベーターで待ち合わせ場所のロビー階まで降りると、旅行に参加している人数が多いのもあり、予想していたよりも賑わっていたことにありすは少し驚いたが、探すまでもなく詩緒がソファに腰掛けて、スマホを操作している姿を見つけることができた。

パッと見てもトップアイドルの風格のようなものが備わっており、目を引く他のアイドルたちと並んでいても彼はとにかく目立つ。

 

気になるところがあると言えば、服装が先程と変わっている点だろう。

行きのバスではカットアウト袖のトップスにキュロットパンツ、外ではキャップを気分で被るというかなりカジュアルなコーディネートであったはずだが、今はパフスリーブで膝あたりまでの丈のワンピースを着用しており、髪はポニーテールに纏めたうえでカチューシャを使用。首にはネックレスを身に着けており、先程とは打って変わって清楚でお淑やかだが、同時に明るい印象も与えるコーデになっていた。

 

男子であることを公言する割にはなぜ女性っぽい格好なのか、という疑問が一瞬だけ頭を過ったが、似合っているので何も問題がないことに気が付き、なんともない様子でありすは彼へ声を掛ける。

 

「ウタさん、お待たせしました。着替えたんですね。とってもお似合いです!」

 

詩緒を口説き落とさんばかりの勢いで彼のコーディネートを褒め、改めてそのスタイルの良さに感嘆した。

声を掛けられた詩緒は立ち上がりながらスマホを鞄にしまい、ありすに向き直って微笑む。

作った笑顔ではなく、待ち合わせで友人と会えた嬉しさから出る笑顔だと分かり、ありすも嬉しさが込み上げるが、努めて冷静なフリをする。

 

「ありがと。コーデは今日のありすちゃんに合わせてみたんだ。似合ってるって言われてホッとしたよ。ありすちゃんももっと綺麗になったね。大人っぽい感じ!」

 

言われてみれば、ありすが着ているのも宣材でも着用していたお気に入りのワンピースであり、詩緒が彼女に合わせることで、隣を歩いてもちぐはぐな画にならないように気を遣っているのかもしれないと、まだ幼いながらにそこまで思考を巡らせた。

きっと彼女の友人である的場梨沙と出かけることになった場合は、梨沙に寄せたコーデになるんだろうと予想できる。

 

さらに、化粧を直したことで綺麗、大人っぽいと褒められて口元のにやけを抑えるので精いっぱいのありすだったが、お礼を言って両親を紹介した。

 

「こちら、母と父です。今日は一緒ですみません」

 

ありすの両親は詩緒に歓迎されているはずなのに、娘に謝られてしまってどうにも居心地が悪い気がしてきた。

 

「そんな、紹介してもらえるなんて信頼されてるみたいで光栄だよ。せっかくお母さん、お父さんと一緒なのに私も入れてくれてありがとうね」

 

ありすにそう言った後彼女の両親に向かって、よろしくお願いします、と頭を下げると、ありすの父母もお辞儀を返す。

歳不相応にしっかりした子だな、という印象を抱いたが芸能界で大人と一緒に仕事をしていればそうなるものなのだろうかとも推測できる。

 

「今日はどのレストランにしようか?」

 

これから入る食事処の選択をありすに委ねる。

大人たちは最年少の要望を一番大事にするものである。

いろいろと目移りして迷っていたありすだったが、少し高級感漂うファミリーレストランに惹かれたようで、あそこがいい、と指を差した。

 

店内へ入ろうとしたところで、詩緒はどこからか視線を向けられていることを感じると、自身の佇まいを確認した。

視線の感じる方へと顔を向けると、一台のカメラがホテル内というよりもそこにいるアイドルたちの様子を撮影している。

 

そういえば、慰安旅行でアイドルが羽を伸ばす様子を撮影するためのカメラが入るということを事前に聞かされていたことを思い出す。

 

「ありすちゃん、あっち、撮られてるよ」

 

ありすにこっそりと耳打ちして、カメラの存在を教えてあげると、彼女に見本を見せるように詩緒はカメラへ向かってアピールをする。

気付いたカメラマンは彼の元に寄って行き、先程よりも近い距離で撮影を始めた。

 

「ほら、ありすちゃんも!」

 

ありすは詩緒に手を引かれて目をぱちくりとさせたが、カメラとバッチリ視線が合うとアイドルの橘ありすがスッと顔を見せる。

少し表情を変えただけで他者を惹き付ける魅力が備わるあたり、ポテンシャルの高さが窺える。

その後少しの間撮影スタッフと言葉を交わして彼らと別れると、詩緒は気が抜けたのか、ふぅっと溜息を吐いて素の顔へと戻った。

 

「やー、急に撮られたからびっくりしたね」

 

「え、ノリノリだったじゃないですか」

 

カメラを発見して撮られるような行動をとったはずなのに、驚いたなどと抜かす詩緒にありすは訳が分からなくなるが、スイッチが入ると一直線な方なんだなと好意的なのかそうでないのか、どちらとも受け取れるような感想を抱いた。

 

「ありすちゃんも凄く良かったよ」

 

「……ありがとうございます」

 

それでも憧れの人に褒められると、どうしてもむず痒い気持ちになってしまう。

 

「もう行きますよ!」

 

徐々に恥ずかしくなってきたありすはふいと顔を背けて先程まで向かっていたレストランへと歩を進めて、気を取り直して店の扉を開いた。

 

店内へ入るとシックな雰囲気が漂っており、そのような店に入った経験があまりないありすは急に緊張して、押していた扉をピタリと止めた。

どうしたの? と尋ねる詩緒が隣に立ち、立ち止まったありすの背中を優しく押す。

 

導かれるようにして店内へと歩を進めると、入店を知らせるチャイムが鳴り、すぐに給仕人が丁寧に席へと案内してくれる。

 

案内された四人はありすと詩緒を隣にして、テーブル席に腰掛ける。

メニューを開いてどうしようかと悩むありすを見ていると、何だか微笑ましいと詩緒は感じていた。仮に彼女が妹であったなら、毎日を楽しく過ごせそうである。

 

「ありすちゃん、決めた?」

 

「すみません、もうちょっと待ってください」

 

詩緒を見ることすらせずに、厳しい横顔を浮かべており、それほど真剣に選択していることが窺えた。

確かにあまりない機会、一つの選択が後々に後悔を生むということがある可能性を考慮すると、一回のランチですら簡単に決定してはならないかもしれないと、詩緒も漠然と考えていた。

 

しばらく真剣に悩んでいる彼女はメニューの同じページを行ったり来たり繰り返しており、その様子に愛らしさを覚えた詩緒はついつい口を挟んでしまう。

 

「ありすちゃんはどれで迷ってる?」

 

尋ねられた彼女は、選ぶのが遅いと咎められたのかと思い、すみませんと一言を添えて振り向いたが、ニコニコと楽しさ全開の屈託のない笑顔を向けられていることに気が付いて、全然急かしていないことが分かると、途端に恥ずかしさが込み上げてきた。

 

「……これと、これですね」

 

本当は他にも色々と美味しそうで気になるメニューがあったのだが、彼女一人の力でとりあえず二品までに絞り込んだらしい。そのことを少し褒めてほしいと思うありすであったが、詩緒のいる前でその言葉は喉を通さない。

 

詩緒は、どれどれと、彼女が迷っている二つのメニューを見比べた。

写真には美味しそうなパスタとオムライスが映っており、これは確かに迷っていても不思議ではないなと思ってしまった。

詩緒もランチの選択に際して、それぞれの良いところを羅列するなど、アドバイス程度はしてあげられるかと軽く考えていたが、少し悩まし気な表情を浮かべる。

 

気を遣わせてしまったかと懸念し始めたありすは眉をハの字にさせたが、詩緒が何か閃いたような顔をする。

 

「そうだ! じゃあ、私がこっちを頼むから、ありすちゃんはこっちにして、お互い分け合いっこしよう!」

 

ありすは彼の庶民的な提案に目を丸くさせる。

彼女にはその発想がなく、その手があったのか、と思う一方でやはり気を遣わせてしまったのかもしれないと反省もした。

当の詩緒本人はまるで気にする様子もなく、デザートに何食べよっか、などと呑気な提案をしていたので、やっぱりあまり気に留めずに提案したのだろうと、ありすは自分の都合の良いように捉えることにした。

 

ありすの両親も特に何か言うわけでもなく、詩緒の提案に乗っかって自分の食べたいものを二つも注文することができたありすは、彼に勧められるがままにデザートのページを開いている。

 

「これ美味しそうじゃない? パンケーキと生クリーム好きなんだ」

 

「そうなんですね」

 

メニューを指差して話す詩緒に、ありすは相槌を返す。

素っ気なさそうな態度ではあるが、意識して目を合わせているということに両親は気付いていた。

ありすのその反応はしっかりと相手の言葉を聞き入れようとするもので、詩緒がぽろぽろと出すパーソナルな情報を入手することができて嬉しそうでもあった。

 

「ウタさん、これ見てください。苺パフェ。こんな量食べられるんですかね?」

 

ありすが注目したのは二千円前後で、サイズが大きい苺パフェだった。

一般的なパフェの金額よりも高価ではあるが、その値段に見合ったサイズ感の商品となっており、食後のデザートとするにはあまりにも気合いが入っているパフェだな、というのが詩緒の所感であった。

 

その大きさ故に、こんなもの食べられないでしょう、という反語的な意味を含めて、ありすは疑問を投げかけたのだと詩緒は思ったが、メニューを見つめるその横顔を窺うと、瞳は澄んだ色を通り越してキラキラと羨望の眼差しさえ向けている。

 

言っていることとまるで真逆な目を苺パフェの写真に対して浮かべている様子は食べたい気持ちを抑えきれていない人のそれであり、演技をするにはしばらくレッスンやお稽古を頑張る必要があるかもしれないと詩緒は内心でアドバイスを送っておいた。

 

「みんなで分ければ食べられるかも!」

 

絶対に食べたそうな瞳を携えながら詩緒をチラッと見たありすに対して、ネガティブな発言をどうしても控えたかった詩緒は、ご両親を巻き込んで申し訳ないと思いながらも困った時のみんなで食べれば大丈夫理論を掲げて、食べたいときは食べれば良いと言外に伝えた。

 

「では余裕があったら頼みましょう」

 

ありすは詩緒の返答に満足そうな表情を浮かべて、メニューをそっと自分から遠ざける。

注文が決まった合図と受け取って、詩緒は店員に声を掛けた。

 

☆ ☆ ☆

 

注文からしばらくして、ありすのお目当てであるミートソースのパスタとデミグラスソースのかかったオムライスが提供される。

注文時に取り皿を頼んでいたのもあって、ありすが食べる分をお皿に取り分ける。

 

「はい、どうぞ! 美味しそうだね!」

 

「……ですね。いい香りがします」

 

鼻腔をくすぐる香りだけで食欲を刺激し、すでに美味しいと思わせてくれる。

早く食べたそうにしているありすを見ていると、待てをしている子犬が思わず連想され、彼女の可愛らしさを再認識した。

 

「食べよっか。いただきます」

 

「いただきます」

 

取り分けてくれた詩緒がそう言うまで律儀に待っていたようで、そういった配慮ができる知性と理性を備えているのだと感心してしまう。

詩緒は、せめて知性の欠片も無いという事実を隠して彼女に接するようにしようと身を引き締めた。

 

お腹が空いていたのか、ありすは一口食べて咀嚼し、飲み込んでは料理を次々に口へと運んでいく。

オムライスにパスタなんて炭水化物の過剰摂取のようにも見えるが、分け合っているため一人で食べる分の量がそこまで多いということもない。

 

美味しいね、など感想を軽く共有してからしばらく黙々と食べ続け、あっという間に料理を平らげてしまったのはありすで、成長期の気持ち良い食べっぷりを披露していた。

詩緒よりも先に食事を終えてしまった彼女は、あまり量を減らせていない彼のお皿を確認すると、もしかして自分は大食らいなのではないか、と焦燥感や羞恥心が込み上げてきたらしい。

耳を赤くして少し俯き気味に周囲の様子を見ていた。

幸いにもありすの父が食事を終えていたのが救いであった。

 

「……ありすちゃん、もしかしてパフェ食べたい?」

 

手持無沙汰になったありすに気が付いた詩緒が不意にそんな質問をするものだから、彼女はびくりと肩を震わせて恐る恐る彼を見つめる。

普段と変わらない彼の、人を気遣うような思いやりのある優しい瞳が彼女の瞳と合ったが、その思いやりの裏側にはよく食べる女の子と思われていないか、引かれていたりしないかなど、詩緒に限ってそんなことあるはずないのに自分に失望してほしくない一心から疑心暗鬼に陥ってしまう。

 

「い、いえ、お腹いっぱいです……」

 

少し絞り出すようにして発した言葉は、気遣ってくれた詩緒に対する心からの笑みで中和され、声音と表情が一致せずちぐはぐな感じになった。

 

詩緒は一拍程度の間を置くと、呼び鈴を鳴らす。

必要もないのにベルのボタンを押した詩緒に驚愕しつつも、その事実を責める権利をありすは持ち合わせておらず、あたふたして、なぜ? と思う以外に出来ることがない。

 

そのうち店員がやって来て、恐らくマニュアル通りに客に用件を伺う。

詩緒は相変わらず愛想の良い笑顔を浮かべて苺パフェを注文すると、承った店員も愛想良く笑顔を返して踵を返した。

 

不思議そうに詩緒を見つめるありすに対して、私も気になってたんだ、と言って彼女が興味を示していたパフェを自分も食べたかった旨を説明する。

 

「もちろん、ありすちゃんも一緒に食べるよね?」

 

詩緒の台詞には『一人じゃもう食べられないから』という枕詞が隠れており、パワハラのような形になっているものの、ありすにとっては彼が気を遣ってくれたのだと考えているため特に強い圧力を感じることはなかったようだ。

 

ありすの両親も詩緒の意図を汲み取ったようで、娘が満腹だと言ったのは皆に気を遣ったことを理解しているが故に詩緒を引き留めることはない。

ただ、彼はすでに満腹に近いようで、こっそりとありすの両親に向けた瞳には涙が浮かんでおり、二人にも食べるのを手伝ってほしいと訴えている。

 

娘が慕うトップアイドルに無言で懇願されていると思うと断れるはずもなく、ありすの両親は困ったような笑顔を浮かべることしかできなかった。

 

☆ ☆ ☆

 

食事を済ませた詩緒と橘一家はレストランを出る。

ありすと詩緒で遊びに行くということだったので両親は温泉でくつろぐことにすると言って別行動になった。

 

ありすと詩緒は宿泊施設にほど近いアウトレットへと赴き、ショッピングを楽しむことにした。

 

「大きいですね」

 

「そうだね。腹ごなしにちょうどいいし、色々見て回ろうか」

 

二人してアウトレットモールを散策する。

様々なお店が並んでいて興味は尽きない。

美城プロダクションが管理する土地ということもあって、芸能に関連するお店や施設が多いのが特徴である。

 

もちろん美城プロダクションに所属するアイドルのグッズも販売しており、アイドルやアーティストのファンからの評価は高い。

詩緒たちは自分たちのグッズがどんなものか少しだけ興味を惹かれたが、グッズ一式が家に送られていたことを思い出して、そのショップへと運んでいた足を止めた。

 

それよりも手前側に『イメチェンするならここ!』という売り文句の看板が入口に立てられているアパレルショップのようなお店を見つけて、その目の前に足を向けてじっと見つめる。

店内には様々な洋服が大量に並べられているようで、普段着から舞踏会で着ていくような豪奢なドレスまであり、ただのアパレルショップではないことが窺えた。

いまいち店のコンセプトが掴めずにその入口を呆然と眺めていたが、売り文句の書かれた看板にお店の説明も記載されているのを見つけた。

 

どうやら、このアウトレットや併設されている施設で過ごす服のレンタルができるらしい。おまけにメイク付きである。

 

その説明を読んで、普段は着ないような服やメイクをしてイメチェンして凄そうというコンセプトで一日を新鮮に過ごすのだろうと、得心がいった詩緒はありすを誘ってお店に入ってみた。

ありすは特に嫌そうな素振りも見せず、並べられた服と詩緒を交互に見て思案を重ねている様子である。

 

店に入ってすぐ側に受付があり、奥の方に更衣室と化粧室、その手前に区画ごとに服やウィッグが陳列されている。入口からは見えないが撮影スペースもあるようだ。

コスプレ用の制服も数種類ほど用意されていてバラエティに富んでいる。

 

「いらっしゃいませ~!」

 

「こんにちは~! お店の前の看板にイメチェンできるって書いてあったんですけど、どうすればいいんですか?」

 

店員が挨拶をして二人を迎え入れる。

それに対し、詩緒も間髪入れずに挨拶をして、どのような流れでイメチェンできるのかを尋ねる。

 

「……え、ああ、えっと、『なりたい自分になる』をコンセプトにしてまして、お客様がどんな自分になりたいのか、その要望に応えて当店のメイクアップアーティストがなりたい貴女へ変身させます!」

 

アイドルの水上詩緒と認識した直後は動揺したのか言葉に詰まった様子だったが、気を取り直して店の説明をする。

へぇ~、と感心したように話に相槌を打っている詩緒はテレビで見るよりも遥かに愛想良く感じるなというのが、女性店員が受けた第一印象だった。

 

「ありすちゃん、どうしよう?」

 

ありすに顔を向けてこのサービスを利用するか聞いたつもりの詩緒。

彼女の目には、そんな彼が絶対にイメチェンしてみたいと眼を輝かせる無邪気な子供のように映っていて、年上ながらも素直に可愛らしいと思った。

 

ただ、さっき着替えてきたのにまた着替えてよいのだろうかという疑問が浮かんだが、すぐに飲み込んで考えるのをやめた。

また、ありす自身もイメチェンとやらに興味が無い訳ではない。

彼の提案を断ることもなくサービスを利用する。

 

「ではこちらへどうぞ」

 

スタッフの若い女性に案内されて二人とも席に着く。

詩緒はありすと横並びに座り、小さなテーブルを挟んでスタッフが腰を下ろした。

 

まずはどのようなファッションをしたいのかヒアリングを行うようだ。

詩緒とありすはどうしようかと悩んだが、すぐにお互いにさせたいファッションにしてみようということになり、詩緒はありすに地雷系のファッションを、ありすは詩緒にギャル系のファッションをざっくりと要求する。

 

お互いに普段は絶対にしないような格好を指定したのは予想の範疇であったが、自分のこういう姿が見たいと思っているのか、という考えに至ると少し恥ずかしくもある。

 

それからは二人それぞれにスタッフが付いてもらい、服やウィッグ選び、メイクを担当してもらって、完成まで小一時間が経過した。

 

まず姿見を見た本人たちの反応は、いつもとは全然違う自分の印象に目を丸くさせたが、見慣れない自分自身を見るのが面白いのか、食い入るように観察しながらも笑っていた。

 

詩緒はどちらかと言えば、可愛らしく溌剌としているが清楚系なイメージを持たれることが多いが、今回ピンクに近い明るい色の巻き髪ツインテールしたことによって、より快活な印象になった。

本人も楽しそうに鏡に向かって何通りかピースを向けているが、時折ちらりと見えるお臍が気になっているようだった。

家着よりも短い丈のシャツを着るには男という性別を考慮するとやりすぎなんじゃないかと思ってしまうようだ。

ただ、スタッフの反応を見るに全く問題無さそうでもある。

 

「めっちゃ腰回り綺麗ですねぇ……。いや、腰だけじゃなく……。綺麗というか美しすぎます……」

 

引かれているのではないかと思うくらい、驚嘆して息を飲んでいる女性スタッフがあんまりじろじろと見てくるものだから、見られることに慣れている詩緒と言えど、初めて挑戦するファッションと相まって恥ずかしいと感じていた。

 

「ありがとうございます。でも、ちょっと動くとお腹周りチラチラ見えちゃって恥ずかしいかも。男だし、そんな立派な腹筋でもないのでお見苦しいかと思いますが、大丈夫ですか?」

 

謙虚で言っているつもりでもないのが詩緒の性質の悪い所だ。

美城プロダクション所属のアイドルが右から左、どこを見ても抜群のスタイルを誇るため、彼女たちと詩緒自身を比較した時に明らかに見劣りをしていると勘違いしているのだ。

 

「何言ってるんですか! むしろ眼福です!」

 

男の娘の希少価値が高すぎて、それだけでも稀有な存在の詩緒がこれだけ可愛らしいうえにスタイルの維持にも注力していてとても推せるし、彼の自己評価が謙虚の域を通り越して低すぎることが腹立たしい、と女性スタッフは思った。

 

しばらくの間、詩緒は担当してくれた女性スタッフと雑談をしながらギャル系ファッションを活かしたポーズの研究をしていると、ありすがおずおずと姿を見せ、詩緒を視認すると鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。

ゆっくりと近づいて、ウタさんですか? と尋ねる様はさながら正体を隠していた何者かが自分の知り合いだった時のような反応にも見える。

 

詩緒も小学生の初めての地雷系メイクが興味深く、おもむろに顔を近付ける。

目元のメイクが特徴的で、ツインテールの髪型もありすにピッタリだった。

 

「ありすちゃん、すごく可愛い!」

 

詩緒の勢いに押されてしばらくたじたじのありすだったが、目の前のギャルの顔があまりにも整っていることに感心する。

 

「ウタさんってとんでもなく綺麗ですよね……」

 

無意識に自分の口から出た言葉に一拍遅れて気が付いたありすは、何を言っているんだと心の中で自身を戒めて、恥ずかしさを隠すように顔を手で覆った。

女性スタッフは分かる! と激しく同意せんばかりに何度も頷いている。

 

褒められた詩緒はストレートな誉め言葉を受けて照れたように笑いながらも、ありがとうとお礼の言葉を述べる。

せっかく病みメイクを施したのに顔色が健康的なものに戻ってしまったが、やはり普段の元気そうなありすちゃんが一番だと感じる詩緒であった。

 

☆ ☆ ☆

 

ギャルに変身した詩緒と地雷系女子に変身したありすは店内で自撮りツーショットから始まり、店員に撮ってもらったり、彼女たちと記念写真を撮ったり、軽く撮影会でもしている気分を味わった。

アウトレット内を散策する時は今のままの格好で出かけてもよいとのことだったので、あとでもう一度お店に戻ることを約束して店を出ると、ギャルと地雷系女子が手を繋いで店から出てきた様子をプロダクションの関係者が物珍しそうな目で見ていた。

 

地雷系女子が橘ありすであることは、彼女を知っている人から見れば容易に気が付けるようだが、ギャルが水上詩緒であることは彼を知っている人でもなかなか結び付かないようだった。

 

それからは二人でアウトレット内をブラブラと散策し、ショップに立ち寄って似合いそうなアクセサリーを見繕ったり、本屋に行って小説や漫画をおすすめしあったり、アイスを買って詩緒が一口分けてもらったりとショッピングを楽しんでいた。

 

道中出会うアイドルに声を掛けられたりしたが、ピンクの巻き髪ツインテールのギャルを詩緒と気付けた人は少なかった。

 

「え、ありす!? どうしたのそんな恰好、珍しい。……似合ってるじゃない」

 

と声を掛けてきたのは的場梨沙で、城ケ崎莉嘉やメアリー・コクランたちと一緒にアパレルを見て回っていたところでありすを見かけたらしい。

 

「え、ええ、ありがとうございます」

 

ありすは褒められたことに照れてはいたものの、素直にお礼を伝えた。

 

続いて梨沙は、ありすの隣にいるギャルの姿を見るなり怪訝な顔つきをしていたが、彼女と幾分か親し気で一緒に回っている可能性がある人物が詩緒だと繋がった瞬間、アイドルらしからぬ表情をしていた。

 

「え!? 嘘! 詩緒!?」

 

「おー。さすが梨沙ちゃん、よく分かったね」

 

当ててもらえて嬉しいのか、思わず笑顔とピースサインが出てしまう。

 

「いやいや、わっかんないわよ! ありすと仲良い高校生くらいの人で思い浮かんだのがあんたってだけ」

 

ホント何やってんの? と言いつつも、まじまじと詩緒を観察する梨沙の研究熱心な一面が顔を覗かせる。

 

「こんな感じでイメチェンさせてくれるお店があるから、気になったら寄ってみてね」

 

詩緒は頼まれてない宣伝をして、梨沙たちと別れる。

 

再び二人で散策し、程なくして詩緒は愛称で呼びかけられる。

足を止めて振り返ると、声を掛けてきたのはあかり、あきら、りあむの三人だった。

詩緒は、この姿の自分に気が付いたことに感心というよりも、かなり驚いている様子で、隣のありすも目を丸くして話しかけてきた三人を見ていた。

 

「ウタチャン、この短時間でイメチェンでもした?」

 

「はぇ~、ウタちゃんってどんなかっこでも似合っちゃうんだね」

 

あきらとあかりにとって、今の詩緒の姿が特別サプライズになったという訳でもないらしく、あまり見せないファッションを前にただ珍しそうにしていただけである。

唯一、明らかに動揺して言葉を失っているのが一人おり、その彼女は滅多に見ないギャルな詩緒を脳裏に焼き付けんとばかりに見回している。

 

「いや……いやいやいやいや……最高すぎん? 髪色明るくて巻き髪なのもいいし、ヘソ出しちゃって、需要分かりすぎじゃね? てか腰回り美しすぎんか? 顔も良すぎか!?  これで男ってウタちゃん本気か!?」

 

りあむの目は血走っており、理性も飛びかけていて危険な状態だということはすぐに理解できるので、これ以上は刺激しないようにと、詩緒は愛想笑いを浮かべるだけにした。

 

りあむは今まで舐めるように見ていたにもかかわらず、直視できん、と言いながら顔を逸らす、逸らした視線の先にはこれまた地雷系風にイメチェンしたありすがいて、心臓のあたりを握り拳で押さえ、奇怪な吐息を漏らした。

 

「ふっ、ふぅぅぅ……!! あ、あり、ありすちゃん……? いけません! そんなえっ! な恰好をしちゃって、まさかウタちゃんを誑かそうと!? 小学生がしていいファッションじゃないって! 有罪すぎるぅ~~っ!」

 

ありすは自身の容姿を褒めてくるりあむに違和感を覚える。

何かと目の敵にされていたように思い出を振り返り、なぜこんなに悶えているのか分からない。

 

「え、あの、夢見さん、私のこと嫌いなんじゃないですか?」

 

思い切って尋ねてみると、りあむは一瞬真顔になったと思いきや、謎にブチギレ始める。

 

「は? 嫌いなわけないが? むしろ好きだが? ただ、それ以上にウタちゃんのことが好きなだけだが?」

 

好きだと言った直後なのに、なぜかガンつけて迫ってくるりあむを鬱陶しく思い、そうですか、と一言で流した。

 

「うわ、りあむサン面倒くさ。ありすチャンも無視していいから」

 

「待って、ごめんて、無視はやめてね……」

 

今朝もありすに突っかかっていたりあむだが、彼女は元々アイドルオタクであるため先程の言葉通り、ありすのことは嫌いではなくむしろ好きなようだ。

これまで大人げないとも言える態度をとっていたのは、詩緒を独占するくらい仲良くしているありすに嫉妬していたからである。

 

「ウタちゃん、今日はありすちゃんと約束あるからアレだけど、明日は私たちと一緒に遊びに行くんご! ありすちゃんも、明日はウタちゃんを借りちゃってもいいかな?」

 

あかりもりあむのことは気に留めず、詩緒と明日の約束を取り付ける。

ありすに許可を取るあたりも抜かりはない。

 

「そんな、借りるとか貸すとか、ウタさんのしたいようにしてほしいですし、私も明日は第3芸能課の、その、と……友達とお出かけする予定なので……」

 

物のように扱うことに引け目を感じるありすだが、詩緒自身は特に気にしておらず、別に物みたいに扱ってもいいのに、と誰にも聞こえないように小声で呟いていた。

必要とされているならば誰かの道具になってもいいと思うこともあるようだ。

このように基本的に寛大な詩緒ではあるが、家族や、近しい友人、信頼をしている人物に対してのみの考え方であり、これがテレビ局の偉い人からのセクハラや、ファンの行き過ぎた愛情表現となってくると、普段の笑顔も凍り付く。

 

以前、番組プロデューサーにお尻を鷲掴みにされた時は不快だったし、ファンからキスをされそうになった時はさすがに肝が冷えたが、そういう勘違いをされても仕方ないくらいには詩緒のファンサービスは特別でもある。

 

それでもサービスの質を落とさないのは、相手に対して感動してほしい、感謝したいという気持ちが何よりも先行しているからである。故に自分の気持ちを我慢することもあるのだ。

 

そのような出来事がフラッシュバックして渋い顔をしていると、あかりが気付いて詩緒に声を掛けた。

 

「ウタちゃん、難しい顔してるんご。明日は何か予定あった? それとも物扱いして怒ってる? ごめんね」

 

「あ、ううん! 大丈夫だよ。私は明日予定ないし、ちとせさん、千夜さんとはーちゃん、なーちゃんも誘って皆で遊ぼう? 久しぶりに皆と一緒に過ごしたいし」

 

「いいね、それ。今日はちとせサンと千夜サン、ホテルとか温泉でゆっくりするって言ってたよ。あと、久川シスターズは二人で実家に送るお土産買いに行くって言ってたから、もしかしたらどっかで会うかもね」

 

あきらからプロジェクトメンバーの情報提供があり、そうなんだ、と相槌を打つ詩緒だが、正直なところちとせの動向が気になっており、アウトレットモールでばったり鉢合わせすることはなさそうだなと少しだけ気落ちする。

 

「はーちゃんたち、今の私に会ったらびっくりするかな?」

 

ちとせのことは考えないように振る舞い、今の格好がどういう風に思われるのか意見を聞いてみることにする。

イメージとは異なるファッションをしているとどう思われるのだろうか、と気になるのは思春期らしい発想だ。

 

「はーちゃんは『えーっ!?』って感じで、なーちゃんはウタちゃんをガン見しながらよく分からない論評を延々と語ってそうじゃない?」

 

りあむの予想が容易に想像できてしまい、詩緒は思わず笑ってしまう。

その後、数分会話を交わして三人とは別れた。

 

「さすがに皆さん長い付き合いだけあって、ウタさんだって分かっちゃうんですね」

 

ありすが三人の背中を見つめながら率直な感想を述べる。

まだ一年半くらいだし、最近はそんなに一緒に活動する機会も減ってるけどなぁ……と心の中で呟いた詩緒であったが、ありすがユニットの絆を感じてくれているみたいだったので、そういったイメージを壊すまいと首肯しておいた。

……と言っても、仲が良いのは本当のことなのである。

 

☆ ☆ ☆

 

アウトレットモールを一通り見て回りながらショッピングを楽しんだ詩緒とありすの二人は少し疲労を感じながらも宿泊施設へと戻ってきていた。

 

「今日はいろいろとありがとうございました」

 

ありすはお辞儀をして詩緒に感謝を伝える。

帰り際、イメチェンしたお店に再度寄って元の格好に戻してもらったことで先程までよりリラックスできているようだが、メイクはそのままのため、ちぐはぐなコンセプトのように見えてしまう。

 

「こちらこそありがとう。楽しかったからまた機会があれば付き合ってくれる?」

 

詩緒もお礼の言葉を返す。

ありすにとっては嬉しい言葉が並べられ、思わず頬が緩みそうになった。

 

「ぜひお願いします! でも良かったんでしょうか……。こんなものまで買っていただいて……」

 

両手に買い物袋を提げているありすだが、その中には詩緒からのプレゼントも含まれている。

アクセサリーのショップで見つけたネックレスが予算内に収まるものではなく諦めていたのだが、詩緒がプレゼントとして密かに買ってくれていたということだった。

 

三万円弱の高価な代物となれば、当然親にも怒られるだろうし受け取りを拒否していたのだが、あれこれと言いくるめられて受け取らざるを得なかったのだった。

 

「いつものお礼だから大丈夫だよ。大切に使ってくれると嬉しいな」

 

人の良さそうな笑顔に、ありすにとっての甘言を並べられてしまえば断るという選択を取るのも難しく、さらに彼の性格を考えるのならば受け取らない方が悲しむということは、付き合いの短いありすであっても簡単に分かることだった。

 

少し複雑な気分を抱えつつも心の底から楽しそうにしている詩緒がありすの心を満たしてくれる。

尊敬する人が自分とのお出かけでこんなにも笑顔になってくれることが何よりの褒賞であり、こちらも自然と笑顔になってしまい、この人のことが好きなのだと自覚するものの恋愛感情は否定して、それでももっと親しい関係になりたいと願うありすは、何て欲張りなのだとまだ小学生の身分でありながら自身を責めて、アイドルとして律するように努めた。

 

「……大事にします!」

 

彼の喜ぶ言葉を探ったら、自然と素直な気持ちが口から出た。

詩緒に対してポジティブな感情を抱いたのであればあまり遠回しにせずに愚直と呼ばれても構わないから真っ直ぐな気持ちを言葉にしてあげるのがいいのだと学べたのは、彼女にとっても新たな収穫だった。

 

そうすると、また胸が締め付けられそうな良い笑顔を向けてくる。

詩緒のファンの皆にもこの笑顔を見てもらいたいし、きっと見せているんだろうなと思うと、自分がどんなアイドルになりたいのか目標が見えてくる。

 

遠くないであろう未来に思いを馳せつつ、詩緒にぼーっと見惚れていると、大丈夫? と声を掛けられた。

ありすはハッとして、反射的に大丈夫ですと答えると、アウトレットを回っていた時に入った一つの施設を思い出した。

 

「そういえば、本当にこの後自主レッスンするんですか?」

 

「うん、最近はレッスンの時間も少なくなってきてるからどこかで時間取らなきゃなぁとは思ってたけど、ちょうどレンタルスタジオがあるなんて、さすが美城プロダクションと提携してるだけあるよね」

 

話題にあがったのはレッスンで利用するようなスタジオを借りることができるサービスのお店についてだった。

レッスンに合わせてさまざまな形態のスタジオを貸出しており、他のアイドル達よりもダンスが不得手である詩緒はこの後練習をするべく買い物途中でスタジオの予約を済ませていたのだった。

 

「ありすちゃんも疲れてない? 無理してそこまで付き合ってもらう必要は無いからね」

 

レッスンの邪魔になるとかではなく、本心で心配しているのが詩緒である。

もちろん、レッスン仲間が増えることは大歓迎なので同志がいれば何人でも受け入れてしまいそうではあるが、せっかく慰安旅行に来た時間をレッスンに割いてしまっても大丈夫だろうかという心配の方が先に来てしまうのだった。

 

詩緒が他人を慮って気遣いのできる、いわゆる優しい性格ということは周知の事実であるためありすも邪険にされていないことは瞬時に理解しているが、アイドルとして同じステージに立てていないのだと思うとどこか悔しい。

 

それに詩緒とのレッスンなんてレア中のレアな機会も逃す訳にはいかないので、彼女の答えは決まっている。

 

「いいえ、ぜひ付き合わせてください。学ばせていただきます」

 

何より、どんな練習をして苦手だと言われていたダンスをステージで魅力あふれる形に仕上げたのか、なぜあんなパフォーマンスが出来るのか確かめたいとも思っていた。

 

「あ~、うん。私がお手本になれるか分からないけど、一緒にガンバローね」

 

彼は彼で、ありすちゃんは自分よりもダンスが上手いのに一体何を学ぼうとしているのだろうか、と不思議そうというよりは理解ができずに呆けている様子だったが、予約した時間まであまりゆっくりしていられるような時間も無く、一緒にレッスンができるならいいか、とポジティブに捉える。

 

「そういえば、ありすちゃんウェア持ってきてる?」

 

もともと自主練をするつもりで旅行に参加している詩緒は当然トレーニングウェアを数着用意してきているが、他の参加者が持ってきているかは定かではないことに気が付いた。

 

「あ、持ってきてないかもしれません……」

 

ありすの方もその考えに及んでいなかったようで、どうしたものかとわずかに頭を悩ませたものの、『私服で自主レッスンすること』と『詩緒と自主レッスンすること』を天秤にかけた時にコンマ数秒も経たないうちに勢いよく後者に傾き、簡単に壊れてしまった。

 

「探してみます。とりあえず、部屋に戻りましょう」

 

ありすは探してみるなどと嘯いてから、速やかにエレベーターのボタンを押しに行く。

そんな彼女の背中は先程までより少し丸くなり、少し悩んでいるような、あるいはバツが悪そうな様子に見えたので、詩緒は慌てて追いかけた。

 

☆ ☆ ☆

 

ありすが再びロビーに戻ると、いつでも動ける準備ができていますと言わんばかりに美城プロダクションとプロジェクトミーティアのロゴが入ったトレーニングウェアを着用した詩緒がすでに待っており、急かされるようにして駆け寄った。

 

「お待たせしました」

 

「僕も今来たところだから大丈夫だよ。全然待ってない」

 

デートの待ち合わせのようなやり取りが気恥ずかしかったが、彼の一人称が『私』から『僕』に変わっていることに気が付き、ありすの関心は、何がきっかけで一人称のスイッチが切り替わったのかという謎に向けられていた。

詩緒が化粧を落としたことか、はたまたレディースのワンピースからウェアに着替えたことか、と考えていると覗き込むようにして詩緒が様子を確認してくる。

 

不意に綺麗な顔を近付けられるのはどうも心臓に悪く、ドッドッといつもの数倍以上の大きさで脈動しているのが意識しなくても理解できる。

 

「平気?」

 

ありすの様子に違和感を覚えたのか、そう尋ねてくる詩緒に対して彼女は、はい、と一言返事をして彼の瞳から目を逸らした。

 

その返事に詩緒はひとまず安堵する。私服の割に手ぶらに近いほど身軽な格好をしていることが気掛かりであったが、予約時間が迫っているため頭の片隅に置いておくだけにして早速レンタルスタジオへ向かうことにした。

 

宿泊施設を退館してから数分移動して、アウトレットモールへと戻ってくる。

同日中にショッピングした時とは全く異なる格好で再び同じ場所を巡ることになるなんて想像もしていなかったありすは戸惑いながら詩緒の後を付いていきスタジオに入った。

 

予約をしていたからか手早い対応で受付を終え、すぐにレッスンルームへ入室する。

 

時間に限りはあるが、まずは入念にストレッチを行う。

二人一組でやるような準備体操も欠かさなかったが、ありすが私服から着替えないことがどうしても気になる詩緒はウェアに着替えないのか尋ねたところ、どうやら今回の旅行に必要ないと思って持ってきていないとのことだった。

 

本人が良いと言うので何も言うことはないのだが、それなりにお節介な詩緒は予備で持ってきていたウェアの上下セットを一組取り出すと、私服に汗が染み込むと不快な気持ちになるし、私服がダメになるかもしれないと説得して、ありすに手渡した。

 

しばらく、貸す、要らないの押し問答を続けていたが、先に折れたのはありすの方で、詩緒が意外にも押しが強いことをこの時初めて知った。

 

「ちょっとオーバーサイズかもだけど、ありすちゃんはこれから身長も伸びるだろうし、すぐにちょうどいいサイズになりそうだね」

 

ありすは、なぜこのまま受け取る前提で話が進んでいるのか理解できなかったので、洗って返すと言ったが、お下がりで良ければプレゼントとして受け取ってほしいと言われて、嬉しく思うと同時に再び困惑した。

 

「いや、さすがに受け取れないです」

 

「全然気にしなくていいよ!」

 

またしても、あげる、受け取れないの問答が繰り広げられたが、詩緒が何かに気が付いたような所作の後、見るからに落ち込んだ様子だったので、ありすも何事なのだと疑問に思った。

 

「……ごめん、他人が着てた服だし、やっぱり無理に受け取らなくてもいっか」

 

どうやら詩緒は、自身が着ていた服を他人へ贈ることが気持ち悪いことなのではないかと思い始めて、現在は善意よりも羞恥が上回り、前言を撤回するに至ったようだ。

 

しょんぼりと肩を落とす詩緒は可愛らしく、ありすの鼓動を高鳴らせるが、彼を悲しませた罪悪感が押し寄せ、心の方は締め付けられる思いであった。

これまで詩緒からのアクションに打算的なものは感じないし、彼の優しさはありすにも染みるほど伝わっているので、彼女もこの場くらいは自分の心に従って気遣わずに素直な想いをぶつけてみようと意を決した。

 

「……あの、本当に貰っていいんですか?」

 

確認するように再度尋ねる。

尊敬するアイドルのウェアだ。あげると言われれば欲しいに決まっている。

 

「あ、うん、もちろん。でも無理しなくていいからね」

 

彼は完全に、ありすにとって不要なものにもかかわらず、詩緒の顔を立てて必要だと気を遣っていると思っているようだ。

要らなかったら要らないと言ってほしい詩緒だが、それを明確に言えないのは、じゃあ要りませんと言われた時に傷付くのが分かっているからであった。

 

そんな彼の様子を徐々に察してきたありすは、自分の本心を理解してほしいと先ほどより強い眼差しで詩緒を見る。

 

「全然無理なんかしてないです。私はウタさんのことを尊敬していますし、ウタさんのファンなので、ウェアを貰えるならこんなに嬉しいことはないです。最初断ったのは嬉々としてプレゼントを受け取って、はしたない人だと思われたくなかっただけです。本当はすごく嬉しいです。一生宝物にします」

 

一言目が出てきてしまえば、ダムが決壊したように以降の言葉もぼろぼろと出てきて止まらない。

ありすは赤面しながら少し早口になってしまったことを自覚したが、言いたいことを言うことができて、それ以上にスッキリとした面持ちになった。

 

「……あとサインも書いてほしいです」

 

付け加えたサインの要求については、さすがに欲深過ぎたかと思ったありすだったが、ぽかんと呆けていた詩緒に笑顔が戻った。

 

「ありがとう! サインも後で書くね。服に書いちゃっていいの?」

 

好きな人を自分の手で笑顔にしたことに喜びを感じ、同時にサインも入れてもらえることが確定したため思わずガッツポーズが出そうになるほど嬉しくなったが、そこは抑える。

 

「僕もありすちゃんのサインほしいから、あとでサイン交換しよ。僕が今着てるやつに書いてほしいな」

 

サインの交換も約束したところで、ありすはウェアに着替えて本題の自主レッスンがようやく始まった。

 

まずはウォーミングアップで、既にステージで何回も披露している楽曲をスマホで流す。

美城プロダクションのアイドルが共通で覚える楽曲のため詩緒もありすもほぼ完璧なパフォーマンスができる。

 

ありすは鏡越しに詩緒を観察する。

運動神経が悪いことでよく知られる詩緒はダンスが得意ではないと自他共に認めているほどだと聞いていたにもかかわらず、練習で魅せるパフォーマンスはかなり洗練されていると感じる。

ダンスの振り間違えがないことは前提として、体幹も強く見えるし、動きにキレがあるようにも見える。表情も豊かで表現力が高い。

 

歌に関しては言わずもがなだ。

水上詩緒と言えば歌が図抜けて上手いという評価はどこへ行っても耳にする。

 

やり慣れた楽曲ということもあってか、練習から必死さは感じられない。詩緒は総じて楽しんでいる。

ありすはそう評価した。

 

対して詩緒もありすのことをよく見ていた。

彼女を見ていると自分が年上であることが少し恥ずかしくなるくらいだと感じる。おおよそ小学生とは思えないダンスのキレとリズム感、可愛らしい歌声はまさにアイドルに相応しい。

口角を上げるようなクールな微笑みをしたと思いきや、パッと咲くような笑顔のギャップにやられてしまう。この歳でこういった使い分けができる子はなかなかいない。

 

時折、パンツの紐を結ぶくらいにはぶかぶかなウェアを着ているのに彼女が大きく見える。

その一瞬を何回も魅せてくることから、詩緒は彼女を天才の類だと思った。

 

レッスンの中から楽しさを追求する自身とは違い、ありすはとにかく真剣だと感じる。

詩緒ももちろん真剣には取り組んでいるのだが、自身のパフォーマンスの向上よりも、いかにステージ上のイメージに近付けるかに重点を置いている。

 

最近はダンスに限界を感じていたところだったが、楽しさばかりでは駄目なのかもしれないと彼女を見て考える。とにかく彼女から学ぶべき個所は多い。自分の殻を破るにはもっと周りから吸収していかないといけないと考える詩緒であった。

 

その後、それぞれが練習中の楽曲をお互いに教え合いながら練習し、二人は刺激的で有意義な時間を過ごした。

 

会計は既に済んでいるので受付をスルーし入口へ向かうと、スタッフに呼び止められてサインをねだられる一幕もあったが、二人は快く応えてその場を後にした。




気が向いた時に書き溜めていて、気が付けば1年以上経っていました。
まだ終わる気配がありませんが、ひとまずキリが良い所で区切って投稿しました。

次回は三船美優が酒に酔って嘔吐するシーンがあるので汚い描写にはご注意ください。
いつ投稿になるか分かりませんがなるべく早めに投稿できるよう心掛けますので、次回もよろしくお願いします。
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