ボーイ・イン・ザ・シンデレラ   作:しらかわP

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5th stage : “Don't have to give up before it's started.”

ライブも翌日に迫った最後の練習日。

メンバーは新たに2曲の歌を覚え、振り付けも頭に入れているが、歌唱はともかく身体が付いていかないメンバーがおよそ一名、それが詩緒だった。

 

「水上! 遅れてるぞ!」

 

トレーナーの聖から叱咤が飛ぶ。

フォーメーションが大事なダンスにおいて、一人の乱れはパフォーマンスに致命的な欠損を与えかねない。

もう一方の曲は及第点レベルでこなせるようになったのだが、難易度の高いダンスではまだ人前に出せるようなレベルに達していなかったのだ。

 

さすがに詩緒も意気消沈しており、焦りも見える。

他の人の足を引っ張りたくない、家族に不出来なパフォーマンスを見せたくないという思いで頑張ってきたが、限界かもしれない、とネガティブな思考の波が押し寄せる。

 

詩緒のダンスの上手さを考えると、ダンスのレベルを落とさずに意地でここまでの完成度まで持ってこれたのは聖にとっても予想外だったと言える。

しかし、客前に出すとなるとまだ最低水準に達していない。一人の乱れが全体の崩れを起こすのである。

せめてもう一週間あればと聖は考えるが、デッドラインがあるのはどの業界でも当然だ。現状、出来ることを一生懸命やるしかない。

客前では初のお披露目なわけで、一回外れてくれ、とお願いするのは言語道断だ。それほど彼は頑張っているし、それを週に一回ではあるが、練習を見てきたトレーナーとしても何とかして成功させてあげたい。

 

「こればっかりは水上に頑張ってもらうしかない」

 

そう小さく呟く。

ステージに立たない聖に出来ることは、何も無かった。

 

「明日が本番なのに……」

 

詩緒は他のメンバーが想像しているよりも追い込まれており、精神的にも不安定な状態になりつつある。

 

「大丈夫、大丈夫! 何とかなるよ♪」

 

ちとせが笑顔でフォローするが、根拠の無い自信は詩緒の不安を助長するだけだ。

練習量の割に要領良く、さらりとこなしてしまうちとせに対して嫌な感情が溢れてくるのを詩緒は感じていた。

喉まで出かかった言葉を何とか飲み込むが、詰まってしまったのか喉奥がきゅっと引き絞られたような感覚に襲われた。

もういつでも涙が出せるという合図で、それほどの悔しさに苛まれる。

 

周りに心配させてしまう表情であることを自覚してしまうとどうしても顔を上げられない。

後一言でも慰められたら情けなくて泣いてしまいそうだった。

 

「……うん」

 

絞り出すようにちとせの言葉を肯定して、何とか笑顔を向けることができたのだが、ちとせの方から笑顔が消えてしまった。

普段の詩緒からは想像できない酷い顔をしている。嬉しくて笑う時も、拗ねて怒る時も、揶揄われて恥じらう時も、良くも悪くも素直に表面に出す彼が嘘に塗れた笑顔を見せているのが、大変に痛々しい。辛いけど心配かけまいとしているのが痛々しいほど伝わってくる。

 

だからちとせは何か言おうとしても、何も言えなくなってしまう。

何も言えなくなるが、詩緒を優しく包み込むように抱きしめた。

 

いつもの強引な様子ではなく、ふわり、と優しく迫る彼女に困惑した詩緒だったが、喉の奥に感じていたぎゅっと引き絞られた状態が弛緩と緊張を繰り返して嗚咽になる。

こんなつもりは全然ない。周りにも敵意を向けようとして、泣く必要も資格もちっとも無い。

自分の思い通りにいかないことに駄々をこねてるみたいで、本当にダサくて、格好悪い。

そう頭ではわかっていても、止められない。

壊れた堤防が、流れる水を止めることができないように、詩緒も嗚咽と涙を抑えることができなかった。

 

「いいんだよ。辛いときは我慢しないで……」

 

ちとせはその言葉と共に、抱きしめたまま彼をその場に座らせる。

いつもなら抵抗したり押し返すのだが、今回ばかりは詩緒はちとせの背に手を回して、甘えるように泣いた。

 

詩緒はようやく落ち着きを取り戻し、思い切って自分の気持ちを打ち明けることにした。

 

「ちとせさんずるい。僕より練習来てないのにできちゃうし……。みんなもずるい。でもそう思っちゃう僕も嫌だ。みんなの足引っ張りたくない」

 

嗚咽交じりにとつとつと語る。

トレーナーの聖は空気を読んで部屋から出たみたいだ。

他のメンバーは黙って聞いている。

 

「僕あんまり才能無いみたい。明日は大事なデビューだし、僕は今日で……」

 

「言わないで!!」

 

ちとせの後ろから目尻に涙を浮かべて訴えているのは颯だった。

その先は絶対に言わせまいと声を張り上げて詩緒を睨む。

あまりの気迫に詩緒の声と涙が引いていくのと同時に、颯に視線が注がれる。

 

「才能ってそういうのじゃない! アイドルってそういうのじゃない! ……確かにファンの人にちゃんとしたパフォーマンスを届けられないとプロとして失格かもしれないけど……。ウタちゃん頑張ってるし、失敗したって、大丈夫というか、えーと……。なんか上手く言えないけど、アイドル続けてほしい! はーと一緒に続けてほしい!!」

 

ここ一ヶ月ほどの話ではあるが、ずっと一緒に練習してきた仲間、切磋琢磨し合える関係、お互いの成長を一番よく知ってる仲なのだ。

詩緒の心の内を聞いた颯も、想いの丈が募った結果、言いたいことを言った。本人に直接言うには恥ずかしくてあまり言えなかったことだ。

 

「はーちゃんはウタちゃんのファンなのです。おや、ファンがいるということは、もう立派なアイドルですね」

 

凪らしい独自の理論展開は、彼女なりの慰め方なのだろう。

あかり、あきら、りあむも詩緒の不参加には絶対反対の姿勢で、颯の言葉に首肯していた。

 

「本当に嫌なら降りても構いませんが、私も一緒にやりたいとも思ってます」

 

千夜も正直に話をしており、嫌なら辞めてもいいと言ってくれている。

彼女は水の入ったペットボトルを持って彼に近づくと、今日はずっと付き合います、と言ってそれを手渡した。

千夜のあまり聞かないセリフに周囲のメンバーは驚いた顔をするが、詩緒にとってはこの上なく嬉しい言葉だった。

 

「ちとせさん、ありがとうございます。……もう大丈夫です」

 

「そう? また必要だったら胸、貸してあげる」

 

少しだけいつものように揶揄うと、詩緒はもういいですと苦笑した。

無理をしていない自然な笑顔が戻ってきたようでちとせは内心で安堵する。

 

「じゃあ、今日はとことんやっちゃおうぜ」

 

りあむがノリノリで身体を動かす。

ハッとあかりが気付いたような顔をして、扉の外を指差した。

 

「その前に聖さん呼んできます!」

 

「自分も行きます」

 

入ってきてくださいと伝えるだけなのだが、あかりの説明だけだと心許ないと思ったのか、あきらも付いていくことにした。

 

二人が扉を開けて外に出ると、少し離れた場所で壁に背を預けてスマホを操作している聖がおり、気が付くと壁から背を離してやって来る。

 

「一応プロデューサーにも連絡はしておいたが、もういいのか?」

 

スマホの画面をちらりと見せたが、その画面は黒い。連絡した後で、すでにスリープ状態のようだ。

 

「多分、大丈夫です」

 

あかりが答える。彼女の安堵したような表情からも大丈夫であることが伝わる。

 

「まさかあんなに思い詰めてるとは思わなくてな……。ケアできなかった私の責任でもある」

 

後悔したように額に手をやる聖だが、詩緒の上達している姿を見れば、順調に進んでいると勘違いしてしまっても不思議なことではなかった。

彼を十分注意して観察しなければ、機微に気が付かなくても仕方がないと言えよう。

 

「聖さん、レッスン終わった後も部屋使えますか?」

 

あきらは今日の部屋の予約をしていなかったなと思い出し、このままじゃ空回りになってしまうのではないかと思った。

 

「ああ、どういうわけか、君たちのプロデューサーから『レッスンルームを予約しておきますと伝えてください』って言われているが、どうやら彼にはお見通しだったようだな」

 

聖はスマホを操作して、神保からのメッセージ内容を確認する。

いつも準備は良いが、今回のエスパーじみた先回りにあきらとあかりは少しゾッとしつつも、この場にいない神保に感謝した。

 

「助かります。レッスンの続きお願いします」

 

あきらがそう言ってレッスンルームに戻っていく。

聖も一つ溜息を吐いて部屋へと入った。

レッスンの続きを再開しようとすると、詩緒が彼女の前に立ち頭を下げる。

 

「取り乱してすみません。ご指導、よろしくお願いします」

 

聖は、構わない、と一言放って切り替える。

それから彼女の次の仕事の時間が始まるまで、みっちり指導をした。

この短い時間で何かが変わるなら、苦労することはないが、このメンバーならたとえ失敗しても前に進めると思った。

 

レッスンが終わり、聖は全体の総括をしてから荷物を纏めて退出しようとして立ち止まる。

踵を返して詩緒の前に立ち、目線を合わせた。

 

「君はすごく頑張っている。誰もここまで上達するなんて思わない。自信を持っていい。明日はきっと上手くいくさ」

 

彼女はそう伝えて部屋を出たのだった。

 

☆ ☆ ☆

 

時間の都合上、21時で自主練習を終えてクールダウンをする。

疲れながらも談笑するムードは保ったままで、明日が本番のライブであるにもかかわらず緊張感はそこまで無い。

 

「ウタちゃんは歌上手いし、ダンスちょっと駄目でも大丈夫だよ!」

 

颯がストレッチしている詩緒を見て話しかけたが、反応が無い。

余計なことを言ってしまったかもしれないと冷や汗がじんわりと滲んできて、再び詩緒に呼びかける。

 

ストレッチをしていると勘違いして気が付かなかったが、彼は糸が切れたようにして眠ってしまっていた。

耳をすませば、すーすーと規則的な寝息が聞こえてくる。

 

「泣いて、疲れて、眠くなっちゃったのでしょう」

 

そう言って立ち上がった千夜は自身の荷物からスマホを取り出して電話をかける。

電話をかけた先はプロデューサーで、詩緒が寝たので迎えに来てほしいという内容である。

 

普通なら起こすのだが、なんだか今日は忍びないし、寝かせておいてあげたいのは皆一緒の考えであった。

 

「#可愛い寝顔でアップしちゃいましょう」

 

あきらもスマホを取り出してパシャリと一枚……にとどまらず四枚くらい撮影した。

 

「本当に男の子なんですかね?」

 

「男の子だよ♪」

 

あかりが今更ながらの質問をして、ちゃんと確認したことのあるちとせが答える。

 

「今のうちに確かめてみたら?」

 

あかりを誘惑するが、彼女は顔を赤くさせつつも首を横に振った。

確かめるにしてもさすがに恥ずかしいらしく、顔を覗き込む程度だ。

そして覗き込んでいると、ふわっと詩緒の匂いが鼻腔をくすぐった。

 

「めっちゃ良い匂いする」

 

あかりがぼそりと呟いた。

マジで詩緒が男子なのか疑いをかけるあかりは、彼の胸や股間のふくらみを執拗に目視し始めた。

 

「ちょっと、あかりちゃん、変態みたいになってるよ?」

 

颯がドン引きして指摘した。変態みたいではなく、実際に変態行為ではある。

そんなあかりの感想を聞いて、りあむもじりじりと近づくと、詩緒の首当たりに鼻を寄せて、スーゥッ! と音がするほど思い切り嗅いだ。

 

「めっちゃ良い匂いする!」

 

がば! とメンバーに振り返り、あかりと同じ報告をする。

ちとせが笑い、千夜は蔑視、颯は相変わらずドン引き、凪は興味津々で、あかりは共感に満ちており、そしてあきらは動画を撮っていた。

 

「事案動画デスね」

 

あきらが苦笑いしながら言う。

 

「みんなも嗅いだ方がいいって!」

 

「こんなに目を輝かせてセクハラを推奨する人を今まで見たことがあるだろうか。……いや、ない」

 

セクハラと言いつつも、凪も詩緒に近づいていく。

 

「しかし、この好奇心という名の魔力には抗えない。凪は猫なのだ。これから好奇心に殺されるしかない猫なのであった」

 

モノローグを自分で語りながら、ガバリと詩緒の胸辺りの匂いを嗅ぐ。

 

「どうも、辛口評論家の凪です。この匂いは体育の時間の後、着替え終わった男子が密集している教室とはまったくの別物、不快感が一切なく、むしろ満たされるような気持ちは無防備なウタちゃんの匂いを嗅ぐという背徳感も相まって、ドラッグもかくやという胸の高まりが……」

 

いつもと変わらない表情でつらつらと言葉が出てくる凪。

普段よりもあまりに長く語っているものだから颯が慌てて待ったをかけた。

 

「なー! ちょっと、なー! 長いよ! あと評価が全然辛口じゃない! むしろ甘口まであるよ!」

 

肩を揺すられた凪がハッとしたような表情を見せる。おそらく演技だ。

 

「理性が持ってかれていた。このまま続いたら危ないところだったぜ……」

 

バトル漫画で追い詰められていた人みたいに口元を拳で拭う仕草をする。

颯的にはもう取り返しのつかないところまで来てしまっているのだが、指摘する気力も沸かなかった。

 

「はぁ……。さっきあんなことがあったばかりなのに、よくそんなことができますね」

 

千夜が溜息を吐いて呆れていた。

 

「だからこそ私たちはいつも通りでいることが大事なんじゃない?」

 

千夜にちとせが応える。

そういうものですかね、と問えば、そういうものだよ、と返ってくる。

詩緒の匂いを嗅ぐのは別にいつも通りではないと思うのだが、千夜は言わないことにした。

 

「兄ぃとは全然別の種族の匂いデスね」

 

そんな中であきらもちゃっかり匂いを嗅いでいた。

 

☆ ☆ ☆

 

「お待たせしました。詩緒くんの様子は?」

 

レッスンルームにノックもしないで入ってきたプロデューサーの神保は慌てた様子もなかったが、開口一番でそう詩緒の心配をしていた。

 

すーすーと寝息を立てる詩緒に顔面を押し当てるりあむを見て、何やってるんですか? と少しだけ責めるような調子で尋ねる。

 

「あ、いや、Pサマこれは違うんだよ……」

 

要領を得ずあわあわしている様子からろくでもないことなのは確かだと決めて、詩緒から離れるように伝える。

 

「申し訳ありませんが、詩緒くんを送り届けますので、どなたか車まで荷物を運んでくれませんか? ……夢見さん以外で」

 

帰りの方向も普段一緒だし、ぼくがやる、と答えようとした瞬間に釘を刺されてしまい。りあむは挙げようとした手を断腸の思いで引っ込めた。

 

「ちくしょー……」

 

プロデューサーが来る前に、もういい加減やめておこうかと皆で話したはずだったが、りあむがそれでも詩緒をキメることを止めなかったので、誰も庇うことはしない。

結局、千夜が運ぶことになった。

 

「そうですね、寮以外の方も送っていきますよ。黒埼さんと白雪さんも乗っていきます?」

 

千夜はちとせが体力的にも限界に近いことを何となく察しており、黒埼家の人に迎えに来てもらってもいいが、呼んで待つのも面倒だし、渡りに船と思ってお言葉に甘えることにした。

 

「Pサマ、ぼくもぼくも!」

 

「夢見さんは詩緒くんに手を出さないよう助手席でお願いします」

 

『手を出す』の範囲内に匂いを嗅ぐ行為が含まれているのであれば、出さないよ! とも言い切れないので、その言葉を飲み込んでから、あざす! と言った。

 

では行きましょうか、神保はそう一言発してから詩緒を抱きかかえる。

男子にしては軽すぎる体重に少しばかり驚きを隠せないでいた。

 

寮組の四人は詩緒の身を案じながらも、お疲れ様です、と先に帰っていく。

残った面々はエレベーターでそのまま駐車場まで降りていった。

 

神保は社用車のキーで解錠すると、扉を開けて詩緒を後部座席に座らせた千夜とちとせがその隣に乗り、りあむが助手席だ。

こてん、と詩緒の頭が千夜の肩に乗る。うぅ、と小さく呻き声を上げたので起きるのかと思ったが、そのまま寝続けていた。千夜はしかたないな、と小さく鼻を鳴らし、肩を枕代わりにさせてあげることにした。

 

神保は全員が乗り込んでシートベルトをしたことを確認し、運転席へ乗り込むとエンジンをかけて車を発進させる。

 

「まず詩緒くんを送ります」

 

車道に出ると、神保はまずそう言った。

特に反対する人がいるはずもなく、詩緒の家に向かう。

 

車を走らせて数分と経たないうちに、ちとせも疲れているのかうとうとしており、千夜に身体を預けて静かに寝息を立て始めた。

 

「黒埼さんもお疲れだったみたいですね」

 

やっぱりそうかといった様子だったので、ちとせの状態を見通していたことにも千夜は少なからず畏敬の念を抱いた。

 

「ええ、送っていただけるのは助かりました」

 

久しぶりに神保に対して素直な言葉が出る。

 

「白雪さんは詩緒くんとの距離感はつかめましたか?」

 

「……ええ、まあ」

 

千夜に対する観察も怠っていないようで、意外と見ているなと少し畏怖した。

ただ距離感についても付かず離れずの良い位置なんじゃないかと自負している。

 

「夢見さんはもう少し遠慮してあげてください。寝てたからといっても。見てる側からしたらセクハラを疑いますので……」

 

「う……気を付けます……」

 

ぎくっと身体を硬直させて説教を受け入れるも、自分を律する自信が無いりあむであった。

 

☆ ☆ ☆

 

会社を出て数分。

水上家に早く到着し、りあむや千夜は距離が近いことに驚いていた。

 

「着きました。白雪さん、詩緒くんを起こしてあげてください。家の方にご挨拶してきますので」

 

ハザードを付けて運転席から降りる神保を見送りながら寄りかかってきていた詩緒の肩を、名前を呼びながら揺さぶる。

 

「うぁ……」

 

しばらくして目を覚ます。

きょろきょろと見回して、レッスンルームじゃなくなってることを不思議に思いながらも、車の中、窓の外に自分の家、それらの情報があれば送ってもらったのか、ということに気が付いた。

 

「プロデューサーが送ってくれました。これ、あなたの荷物です」

 

千夜は膝の上に抱えていた荷物を詩緒の膝の上に渡して、神保が家に挨拶に行っていることを伝えた。

口元を押さえて欠伸をする彼を見て、今日泣いてたと思えないくらい落ち着いたことに、千夜はホッとしていた。

 

「明日のライブ遅れないように来てください」

 

「うん、今日はたくさん迷惑かけちゃってすみません」

 

「全然いいってこと。ウタちゃんはもっと、りあむちゃんに迷惑かけていいからね」

 

助手席のりあむが調子のいいことを言っている。

千夜は執拗に匂いを嗅いでいた絵面を思い出してしまい、げんなりとした。チクってしまおうかとも思ったが、心労をかけるわけにいかないと思ってやめておいた。

 

「ありがとうございます」

 

無垢な笑顔をりあむに向けている。

いつも通りの愛嬌のある笑顔を向けられて、りあむもどこかご満悦である。

 

「千夜ちゃん、何だよぅ……」

 

「いえ、別に……」

 

二人の視線が合う。蔑視の千夜にりあむがたじろいでおり、それでも強気に尋ねてみるが、はぐらかされる。

詩緒はどうしたんだろうかと疑問符を浮かべるが、コンコンと窓をノックする音に気が付いてそちらに顔を向ける。

そこには姉の時雨が立っていて、窓から車内を覗き込んでいる。

 

「お姉ちゃんだ」

 

詩緒がドアを開けて車から降りると、時雨は彼と入れ替わるように車内の千夜とりあむに挨拶をした。

 

「いつも弟がお世話になっております。姉の時雨と申します」

 

丁寧な対応にしっかりした人だな、と二人は感じたが、そういえば勝手にオーディションに応募した人だということを思い出して、第一印象があやふやになった。

二人がこちらこそ、と挨拶しているうちに神保も戻ってきており、時雨と二言程度会話を交わして運転席へ再び乗り込んだ。

 

「プロデューサーさん、送っていただいてありがとうございます」

 

詩緒がお辞儀をすると、神保は他に困ったことがあればおっしゃってください、と手を振って応えた。

じゃあ行きましょうか、と神保が車を進めようとしたが、コンコンと再度後部座席に鳴らされるノックの音に神保がそこの窓を開けた。

 

「どうしました?」

 

千夜が詩緒に尋ねると、詩緒は少しだけ躊躇って、ちとせさんにありがとうって伝えておいてください、と照れた様子で答えるのだった。

 

「わかりました。でも明日、お嬢様に直接言ってあげると喜ぶと思います」

 

「うん、でも、ちとせさん激しいから……」

 

千夜は瞑目して、それもそうだ、と考える。

明日のことは明日の彼に任せることにした。

 

発進した社用車を見送って、詩緒はまだ眠い目をこする。

彼のことを肘で小突いてくる姉は、みんな可愛いじゃん、と言ってにやにやしていたが、イラっとするような体力も残っていなくて、そうだね、と適当に答えて自宅へ入っていくのだった。




披露する楽曲が何かはご想像にお任せします。
実はプロジェクト名も決まってなかったりします。
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