向かい合っていても、遠い。
 
 
※「Coolier - 新生・東方創想話」様からの転載です。


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杯と賽

 ゴウオウと風鳴りがして、寂れた山小屋がガタガタ震えた。嵐の夜。炭鉢を乗り越え踊り狂う炎だけが、二人を照らしていた。

「まさかテメェが来やがるとはな」

 手の中で弄ぶ賽。見覚えがあった。象牙造りの高級品で、奴愛用の一品。ここ一番の勝負でいつも使っていた。

「お迎えは管轄外じゃなかったのかよ」

 ぼろきれを纏い、血塗れの腹を押さえながら、息も絶え絶え強がっていた。

「志願した。最後に勝負する為に、あんたと」

「テメェが? 俺と? やめとけ、連敗記録を更新するだけだ」

「今日は、勝つ」

 奴の瞳がグワリと開いた。

「いいだろう。勝負してやる。俺が勝ったら見逃せ。俺はまだ、死ぬわけにはいかん」

 血に濡れた杯を取り出すと、震える指で賽を入れた。二つ。丁半、奴の好んだ博打。

「俺はもう腕が利かん。テメェが振りな」

「いいだろう」

 投げ渡されたそれを受け取った。

 異常はすぐに気付いた。

「これは……」

 塗れた赤を拭うと賽が透けた。その胴は、硝子で出来ていた。これでは丁半博打など成り立つはずもなかった。

「テメェは既に勝負を承諾した。降りる事は出来ん」

「……心まで外道に堕ちたか」

「言ったはずだ。俺はまだ死ぬわけにはいかん」

「馬鹿をしたな。嫉妬に狂って女房を殺すなんざ」

「あの売女に正当な裁きを与えたまでだ」

 体で隠した奴の背後には、血を吸った長ドスが次の獲物を求めていた。

「ガキまで殺す理由にはならん」

「俺の子じゃねえ」

「逃げた間男を殺すつもりか。その体で」

 男を襲い、止めに入った人足連中を相手に大立ち回りして、奴は深手を負っていた。

「不義者には正当な裁きを与える。因果応報、テメェら死神が好きそうな言葉の筈だがな」

「嫌いだね。あたいは、そういうのは」

 手の中で賽を転がした。違和感がして、見やる。賽にまで、血がこびり付いていた。

 死神の目を持ってしても、最早、奴の死期は見えない。

 賽に付いた血を、指先で拭って。

「……受けて立つ」

 血染めの賽を杯へ投げ入れ、逆さにして盆茣蓙の上に伏せた。

「ツボから手を離せ。中の賽がよく見えるようにな」

 奴はゲワラと下卑た笑みを浮かべながら言った。かつての面影は、無かった。

 言葉に従って、手を離した。

 直ぐに奴の顔色が変わった。

「……何をした」

 硝子の杯の中で、二つの賽がその宙空に静止していた。正確に言えば、静止しているように見えた。

「賽の落ちる距離を伸ばした。無限遠にな。杯の中で賽は落ち続け、止まることは無い。あんたが賭ければ距離を戻す」

 制限を外した死神の力は、距離の概念すら支配する。

「テメェ、イカサマか!」

「あんたは勝負を受けた。もう降りる事は出来ない。さあ。ツボ振りはもう手を離したぞ。今度はあんたの賭ける番だ。早く言え。丁か、半か!」

「ぐ……く……!」

 歪む顔。震える体。

「半……いや、丁だ」

 呻きながら、奴が言った。

「……勝負」

 ツボを開いた。同時に、落ち続けていた賽が動き出した。

 コロリ、コロリ。

 盆茣蓙の上で数回回転した賽は、やがてピタリと止まった。

 出目は、三・四。

 奴は、大きく息を吐いた。

「――テメェが来た時から嫌な予感はしていた。血が止まらねえ。俺が死ぬのも分かってはいた。だが、出目まで腐ってやがる。俺が斬った人数が出やがるとは。これが因果応報ってやつかよ」

 拳を震わせ、吠えた。

「我慢ならねえ。何故、あの男は報いを受けない? 俺を欺き女房を寝取り、その上俺の子と偽ってガキまで産ませていたあの男を。俺に因果が巡るのなら、奴にだって巡るはずだ、そうだろう?」

「報いは受けるさ。だがその報いの形を死と決めたのは、あんたの勝手な情念に過ぎない。それを決めるのは閻魔様であるべきだ」

「死神の理なんぞ知ったことかよ」

 奴は長ドスを取り出すと、その刃を抜き放った。

「負けは負けだ。おとなしく消えてやる。だが俺は、テメェの船には乗らん」

 そう言って、自分の喉に刃を突き刺した。

 倒れ伏した奴は炭鉢に突っ込むと、数回痙攣した。炎がその体を嘗めてゆく。燃える奴の体は炭屑のようにボロボロと崩れていった。

 奴はとっくに死んでいた。情念だけが暴走した、亡霊になっていたのだ。

 崩れ落ちた奴の欠片は、泥のように淀んで広がり、少しずつ地面に吸われて消えて行った。その魂は彼岸へ向かわず、やがて地底に降り注ぐ桜の一片となるのだろう。

 それを見届けてから、息を吐いた。

 視線を下に落とすと、再び賽が動き出すのが見えた。転がる途中に伸ばしていた距離を、元に戻したのだ。

 コロン……。

 悲しげな音を立て、今度こそ本当に止まった賽は、二つとも赤の目を天に向けていた。

「あんたの勝ちだ。あんたは良い博打打ちだった。最後まで、勝てなかったな……」

 その言葉の届く先は、もう何処にも無かった。死者と生者の間の距離を支配することは、誰にも出来ないから。


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