「なんで、なんで私を追ってくるの!?」
ひたすらに走った。中学時代陸上部であったことが今ギリギリで自分の命を繋いでいる。そんな確信が私にはある。
背後から追ってくる存在は恐ろしく、邪悪だ。だが、今の速度ならギリギリ追いつかれないで済んでいる。
だけど、その怪物の執念は恐ろしい。ひたすらに私を喰らおうとそんな強い意志が目も合わせていないのに伝わってくる。だから私は破裂しそうな心臓を無視しながら全力で走り続けている。
けれども、わかっている。そんなのはただの先延ばしだと。こんな化け物に対して何かできる人間がいるわけない。少なくとも私には絶対に無理だ。
だからこれはただの悪あがき。夢を捨てて、適当に、その日を楽に生きてきた私だけども、死んでいいとまで人生に絶望したわけじゃない。
だから最後に叫んだ。それが届く可能性なんて万に一つもないとはわかっているけれど、それでも叫ばずにはいられなかった。
「助けて」と。
すると、どこかから優しく、温かい声が聞こえた。「任せろ」と。
それが、私”日比野アカリ”が気絶する前に経験した悪夢である。
◇ ◆ ◇
「なんて夢、見ちゃってさ」
「何よアカリ、寝る前にホラー映画でも見たの?」
「それが覚えてないんだよね。疲れてすぐ寝ちゃったっぽいから」
「あー、返事なかったのってそれが理由だったんだ。未読スルーかと思ったじゃん」
「ごめんごめん」
そう言いながら、周囲を見回す。ここは私の通う高校。現在は昼休み、悪夢で見た妖怪なんて影も形もない。
本当に悪い夢を見たものだと思いながら弁当の唐揚げを一口。今日もジューシーに仕上がっている。最近の冷凍食品はこれだから侮れない。
「けど、夢で良かったんじゃない? 噂の怪物に襲われなくてさ」
「ねぇチエ、私そういうの嫌いなんだけど」
「いいから聞いておきなって、今流行ってるのは”夢追い”ってヤツ」
「夢追い?」
「そう、将来の夢とか希望とか、そういうのを”捨ててしまった人”を喰らう化け物なんだって」
「……夢を諦めるな! って話? ソレ」
「そんなオチみたいだよ。まぁSNSで広まった噂だから、どっかのホラー好きが適当に設定作って流してるんじゃない? 知らないけど」
「夢ってそんなに大事かな?」
「私たちみたいな夢を見ない現代っ子にはわからない話じゃない?」
「それもそうだよね」
そう、自分を偽った言葉をチエに言う。彼女は、高校からの友人だ。そして中学から遠く離れたこの高校で最初に友達になってくれた恩人でもある。
けれど、どうしても思ってしますのだ。夢だけ信じて生きてきたあの頃は、幸せだったのではないかと。
それが無知から来る錯覚だったと分かっていても、そう思ってしまうのだ。
「どしたん? アカリ」
「なんでもないよ」
「ふーん」
そう言いながらチエは菓子パンを食べる。チョコ系のパンはカロリーの暴力であるが、たまに食べたくなってしまうのはよくわかる。
しかし、こうも毎日目の前で食べられると怒りの波動が抑えられなくなるのは仕方ないだろう。なんだ、食べても太らない体質って。女子高生を馬鹿にしているのか。
「あ、またしょうもないこと考えてる」
「……チエなんて将来太っちょになればいいんだ」
そのしょうもない言葉に対してチエは笑い出す。「太っちょって可愛すぎないちょっと」と言いながら私の肩を叩いてきやがった。地味に痛い。
けれどその常識的な痛みが、日常を感じさせてくれて、温かかった。
そうして、下校時刻。バイトがあるためにせかせかと帰り支度を整え、クラスの皆と別れて早足で道を行く。
しかし、そうやって校門から外に出た瞬間に、悪寒が走った。
それは、悪夢で感じた恐怖。喰いたいという濃密な意志の暴力、それが私を襲ってきた。
そして、もう逃げるしかないと思ったその時に、ふと目の前にいる男の人が見えた。
鍛えられた体に青みがかった髪、そして腰に見える明らかな異物。
”刀”だ。
そんな男は私の横を通り過ぎ、意志に向かって刀を振るった。
それだけで背後からやってきたあの化け物は切り裂かれ霧散し、私に向かう意思は消失した。
「……なに、コレ」
「悪い夢、と言いたいが……残念ながら現実だ。運が悪かったと思ってもう少し悪夢に付き合ってくれ」
そんなことをのたまう男は、人を殺していそうな鋭い目をしていた。
◇ ◆ ◇
「で、どうしてバイト先まで付いてくるんですか?」
「あの化け物はお前を獲物として見てる、護衛が必要だろう」
そうして私たちがやってきたのは私のバイト先である個人経営の喫茶店”ネスト”だ。
「……で、あそこでパフェ3杯目食べてる子供は何なんですか?」
「すまん、身内の恥だ」
「”アオ”! 誰が恥じゃ誰が!」
「お前以外誰がいるんだよ”ミカ”。栄養にならないんだからゆっくり味わって食えって」
「お主は相変わらずわからぬ奴よな」
「いや、何がだよ」
「甘いものは一気に食べるとより美味なのじゃ!」
「……そうなのか?」
「そんな甘味に対しての冒涜はしたことがないのでわかりませんねぇ!」
「……何を怒っておるのじゃ?」
「……俺が知るか」
そんな甘味の冒涜者は、小さな子供だ。赤いというより紅いという方が正しい髪色をした、表情のコロコロ変わる女の子。中学生くらいだろうか? 成長したら美人になるだろうなぁと何となく思う。
そうして律儀にバイトが終わるまで客としていてくれた二人は、公園のベンチに私を座らせて説明を始めてきた。
私には関係ないと突っぱねても関係なく、一方的に。
「キミを襲ったのは、
「力を蓄え成長すれば妖怪にも悪魔にもなる、うざったい奴らじゃよ」
「ちょっと待ってください、あの化け物が、幼体? 成長するんですか!?」
その言葉にうなずくアオさん。相変わらず目つきの恐い人だが、それは真剣だった。
「まぁ、今のところそなた以外狙われた者もおらぬ様じゃからな、成長はたいしてしておらんじゃろ」
「けど……死んだんですよね? あの化け物は」
「死んでおらぬよ。奴はまだカタチになっておらぬ。じゃからまだこの世界に定着しておらんのじゃ」
「だが、殺す方法は当然ある。そこで君の力を借りたい」
「私の?」
「奴は君に執着していた。それが”何故か”を解き明かせば、あとはどうにでもできる」
その言葉に、すぐに頷くことはできなかった。だって怖いのだ。仕方がないだろう。
私は物語に出てくるようなヒロインじゃないし、特別な力もない。
そんなどこにでもいるただの人間が化け物に対して何ができるのか、そんなことはわかり切っている。
「申し訳ないですけど、私にできることなんてありません。他の人を当たってください」
そう私が答えると、アオさんは少し悲し気に「そうか」と呟き、ミカさんは「まぁ、我らが今まで以上に頑張ればいいだけの事よ! 落ち込むなアオよ!」と励ましていた。
「だが、念のため俺の連絡先は持っていてくれ、協力しないにしても、君は危ない状況に置かれているからな」
そんな優しい心使いが、今は私をひどく惨めにさせた。
◇ ◆ ◇
「良かったのか? アオよ。行かせてしまって」
「仕方ないだろ、彼女は逃げるを自分で選んだんだ。それは責められることじゃない」
そうミカには強がって言いながらも、悲しみは消えない。
無理やり協力させたところで意味はない。妖体はその核となるモノを生み出した母体とターゲットの心理的距離によって行動を変えるからだ。
今回のように直接襲うのは距離が近い証。そんな中で無理やり協力させれば、ロクな未来はないだろうと経験からわかっている。
だから、俺たちがやるべきはいつも以上に頑張ること。それ以外にない。
「……しかし、この情報が確かなら、日比野アカリに親しい者などおるとはおもえぬのじゃが」
「ああ、
「あの娘の働く姿も、よく見ていれば痛々しかったしの」
「だからマスターさんもあの子を雇ったんだろうな」
「とすると、マスター殿が第一候補か?」
「いや、日比野はマスターにさえ心を許していない。片思いでは直接は襲えないはずだ」
「……わからんの」
「ああ、わからない。妖体相手はこんなことばかりだ」
そう言いながら夜の街を歩いていく。指針のない捜索にアタリがあるわけもなく、無駄に時間を過ごしたと思ったその時。
携帯から、アラームが鳴り響いた。それはバイト中の日比野に仕込んだ式神の通知音だ。
それは、式神が破壊されたことを意味していた。
「ミカ!」
「わかっておる! 行くぞ!」
ミカを
行先は当然日比野アカリの自宅。
一人暮らし用の安アパートの一室だ。
階段を無視して3階にある日比野の部屋に侵入する。
するとそこには
日比野を喰らう妖体と、それを茫然と見ている女子高生の姿があった。
瞬時に、戦闘用に意識を切り替える。
現在、日比野を飲み込んでいる妖体は不定形から肉を持ったカタチを得ようとしている。
そうなれば仕留めるのは容易だ。この世界の秩序を守る陰陽師ならば迷いなくそれを選んだだろう。
しかし、そんなのはクソ喰らえだ。
そういうのが嫌だから、俺たちは『ヒーロー』をやっているのだから!
「ミカ! 霊撃モード!」
『了解じゃあ!』
瞬時に刀を抜き、妖力を刀身として形成せずにそのまま叩きつける。
それは肉体を持った日比野を傷つけることなく、カタチを持たない妖体だけを破壊した。
そうして、日比野はどうにか命を繋いだ。
しかし、その眠りが晴れることはなかった。
「ねぇ、お兄さんたち!」
「……大丈夫だ、化け物はもういない」
「そんなことはどうでもいいの! アカリが! アカリが死んじゃう!」
「何か知っているのか!?」
「うん……夢追いは、
そうして少女チカは語り始めた。アカリとチカの今までの話を。
◇ ◆ ◇
「お帰り! アカリ!」
「……ただいま、チカ」
私は、勢いで家出したヤツなんだよね。親友みたいな友達もいないのに、泊めてくれる彼氏もいないのに、ほんのちょっとしたことで家族と喧嘩して家出したバカ娘なんだ。
「今日はバイトどうだった?」
「……甘味に対しての冒涜者が一人いたくらい」
「相変わらず甘いモノの事に対してはガチだねあんた」
「……悪い?」
「いや、それもアカリっぽいじゃん!」
けどさ、なんの関りもなかったアカリは、私のことを受け入れてくれた。家に入れてくれた。側にいてくれた。それって本当に救われることだったんだよね。
「まぁ、いいけど」
「それより晩御飯できてるよー! 今日はチカちゃん印のオムライス! たーんと召し上がれ!」
だから、私は何があってもアカリの味方をするって決めて、アカリが寂しくないように構い倒すって決めて、押しかけ友達やってたんだ。
……けどさ。
「それよりチカ」
「何? アカリ。ケチャップで猫描いてる途中なんだからちょっとだけ待って」
「もう、家には来ないで欲しい」
「絶対に嫌だけど?」
「今回は冗談じゃないの。私の近くにいると死ぬかもしれないの」
「え、じゃあ絶対の絶対に嫌なんだけど。友達がピンチだー! って時に恩返しもできないような薄情女じゃないよ私」
「ふざけないで!」
あんなに本気の表情のアカリは初めてで、ちょっと押されちゃったんだよね。
「チカはわかってない! 死んじゃうってどうしようもないんだよ! 狙われてるのは私だけなんだから、チカは逃げててよ!」
「……絶対ヤダ! アカリの友達の私を舐めないで!」
「じゃあ、もう!」
「チカなんてもう友達じゃない!」
「……え?」
だから、”そんなこと知るか! ”って言えなかったんだ。それからアカリは心にもないことをずっと言いまくってさ。嘘ついてんのバレバレなのに、泣きながら私に出ていけって言いまくって。
そうしてたら、アカリの後ろからアレが出てきてさ! アカリに言ったんだ。
「希望を捨てたお前は、もう人間じゃない、餌だ」って。本当にぞっとする声で。
私、あれだけデカいこと言ってたのに何もできなくてさ! ……けど、それでもアカリは言ったの
「私を食べてもいいから、チカには手を出さないで」って!
……そんで、あのザマ。お兄さんが来てくれなかったら、アカリは死んでた。けど分かるの!
アカリはあの化け物に大切なモノをもう食べられちゃったんだって!
だから!
◇ ◆ ◇
「……アカリを助けて、私は嫌われたっていい。生贄にでもなんでもなる。だから、アカリのことを助けてよぉ……」
その涙は、真摯な叫びは、俺の心を決めさせるには十分だった。
「じゃあ、言わせてもらう」
「……うん」
「お前ら二人が、また仲良くやれるようにしてみせる。お前ら二人が、笑顔で在れる未来は俺が切り開く。だから────絆を諦めるな」
その声は、どうやらしっかりと届いたようで、目の前の少女は泣きながら「お願いします」と言ってくれた。
「行くぞ、ミカ」
『了解じゃ、アオよ』
「『ここからは、ご都合主義のヒーロータイムだ!』」
その声と共に、日比野の体に札を押し当てる。
それは、形成札。妖体を幼体のまま形を与えるそれは、諸刃の剣だ。
母体になっている人間が持つ繋がりが弱ければ、母体は妖体に取り込まれてしまう。それはただ取り込まれるときよりもより強大な力を妖体に与えるだろう。
だが、その心配は絶対にない。
日比野アカリを繋ぎとめる確かな絆は
そうして、札によって実体化した妖体は50%の肉を持つ不完全体だ。夢を喰らう獏と蛇がごちゃまぜになったようなその姿は、カタチを持てば新妖怪”夢追い”とでもなったのだろう。
だが、それだけだ。
「
そうして、この体をミカの宿る妖刀の力を100%引き出す戦闘形態に変化させる。
妖力で編まれた夜色のマントをはためかせ、青の鎧を展開し、そして頭部を守る騎士然とした鉄仮面を装着する。
これにかかる動作時間は、刹那に満たない。
そして、これがヒーローとしての俺の姿だった。
「キサマ、キサマ! キサマァァアアアアア!」
「俺は、キサマという名では無い!」
『そもそも未だに名前ないがの! このヒーローは!』
突撃してきた夢追いを受け止め、窓の外に投げ捨てる。
そして奴が着地して体勢を立て直す前に、その命は仕留めきれるッ!
「夜を駆けろ! お主よ!」
「ぉぉおおおおおおおおおおお!」
ミカのサポートを十全に受け、飛ぶように夢追いの反撃をかいくぐり、夢追いに肉薄する。
夢追いの力は、ほとんど”特定人物の抹消”に重きを置いている。それは反撃を許さず、冒涜的に命を奪う怪物のモノ。
だから、
故に、コレは必然。ホラームービーにヒーローがやってきた後のように、怪物は瞬殺されるのだ。
『必殺!』
「妖魔一閃!」
そうして、カラダを持った妖体は真っ二つに切り裂かれ、妖怪になれなかった妖体”夢追い”はこの世から消失するのだった。
それを見ていた、チカ少女は言った。
「……
◇ ◆ ◇
「それじゃあ、以降の経過観察はこのアドレスの人に従ってくれ」
「はい、何から何までありがとうございます」
「気にするな」
「そうじゃそうじゃ、我らのような流れ者を気にするくらいなら、まずは友と命を喜び合うのじゃぞ」
そんな言葉を残して2人、正確には1人と1本のヒーローは去っていった。
それを見送りながら、思う。
私は、チカにひどいことを言った。そんな奴がどうしてこんな素敵な子の友達でいられるだろうか、と。
「ねぇ、アカリ」
「……なに?」
「私さ、アカリの友達でいること、止めようと思うんだ」
「そう、だよね……」
「だって、もう友達じゃあ足りないってわかったもん」
「……チカ?」
そう言うと、チカは大声で叫んだ。私の悩みを吹き飛ばす、バカみたいな素敵なことを。
「私! 朝比奈チカは! 日比野アカリの親友だ! そう決めた! もうなった! ってことで、これからもよろしく!」
「……チカ」
「じゃあ、朝ご飯にしよっか! 今日はアカリが作ってよー!」
「うん、任せて!
これが、私”日比野アカリ”がヒーロー、”ナイトブルー”に初めてあった日の事だ。
尚、これから先私が行く先々でこの人達と出会って騒動に巻き込まれるのは、また別の話。