授業の終わりのチャイムが鳴る。それを聞いてすぐに、私は帰り支度を始める。ホームルームが終わったらすぐに帰るために。
「大島。授業を真面目に聞いてくれるのは評価するけどな。せめてホームルームが終わるまで待てないか?」
担任の先生に言われて顔を上げると、私の、というより妹の事情を知る先生は苦笑していた。本気で言っているわけではないと分かっているので私も笑顔で言う。
「やですよ。一秒遅れたら面会時間も一秒減るじゃないですか。なので先生、さっさと終わらせてください。さあ、はやく!」
「まったく……」
呆れながらも、先生は手短に連絡事項を伝えてくれた。さすが先生、分かってる!
すぐにホームルームが終わり、席を立つ。すると隣の席から声をかけられた。幼馴染みのななちゃんだ。
「未来。この後みんなでカラオケに行くんだけど、未来は来ないわよね?」
「分かってて聞いてるでしょ」
「ええ、もちろん。本当に、妹ちゃんが中心になっちゃってるわね。まあかわいいものね。あの子」
「私の妹は世界一かわいいよ!」
「うるさい、シスコン。早く行きなさい」
怒られた。しょぼんと落ち込みつつ、みんなに手を振って教室を出る。今回のクラスメイトはみんな優しくて、笑顔で手を振り返してくれる。
学校を出て、向かうのは一駅隣にある大学病院だ。
私は大島未来(おおしまみく)。今年高校に入学したばかりで、高校は上の下といったところ。中学の担任の先生にはもっと上を目指せると言われたけど、必死にならないと勉強が遅れてしまいそうな学校には行きたくなかった。
私には、年の離れた妹がいる。学校に通っていれば、小学校二年生。去年、突然家族になった妹だ。父の再婚相手の子供なのだ。
父は五年前に、色々あって離婚した。まあ、その、どう言えばいいのか……。母が出て行っちゃったのだ。理由は、知らない。父も教えてくれなかった。
しばらくは男手一つで私を育ててくれたんだけど、勤め先の病院でいい出会いがあったみたいで、去年その人と結婚して。その人、今の母にも子供がいた。少し面倒な病気をかかえた女の子。
だからまあ、父の再婚にはいろいろあった。他でもないその母がやめた方がいいと反対したし。理由は単純で、病気の子供がいるから苦労をかけてしまうことになるって。
父はそれでもいいと何度も言って、けれど父の子供、つまり私が納得しないだろう、という話になったらしくて、それならと私はその母と会うことになった。
ちょっといいレストランでのお食事。で、その子供のことを聞いて、二人の気持ちも聞いて、それならその子にも会いたいって話をして。
翌日に病院に行って、面会させてもらった。
一目惚れした。
いや待って。そういう意味じゃない。私にそういう趣味はない。
ただ、儚げで、かわいくて、すごく守りたくなっちゃう子だった。
初めて私を見た時のその子は不思議そうに首を傾げて、おねえちゃんだれ? って聞いてきて。
とりあえずかわいかったので抱きしめて、唖然とする父と母予定の人に言った。この子のお姉ちゃんになるって。二人そろって呆れられたのは言うまでもない……。なんて。
その後はとんとん拍子に話が進んで、翌月には正式に家族になって、私には年の離れた、血の繋がらない妹ができたってわけだ。
私が男子だったらラブコメが始まったかもしれない。残念ながら同性だし私にも妹にもそんな趣味はない。
でも私はこの妹を、佳蓮(かれん)を溺愛してる。溺愛してると公言してる。かわいいかわいい、大事な妹だ。
てなわけで! 今日もお邪魔します!
病院に入って、面会手続きをして、十階へ。妹のための病室はちょっと特殊だけど、無菌室とかそういったものでもない。なので制服のままドアをノックする。
ノックして、ドアを開けて、中に入る。小さな小部屋。ロッカーとか、荷物を置くためのスペースがあるだけの、本当に小さな部屋。いらないものを置いて、この小部屋の電気を消すと、さらに奥のドアの鍵が外れた。ここを暗くしないとこの先には進めないようになっているのだ。
奥のドアを開けると、暗い、けれど広めの部屋にたどり着く。窓は、ない。天井の電気も切られていて、部屋の隅にある小さな淡い電球だけが唯一の光源だ。
「れんちゃん、きたよ!」
ベッドにいる妹、れんちゃんに声をかける。でも、返事がない。
「む……」
そろりそろりと近づいて、ベッドの中を見てみると、真っ白な髪の女の子が眠って……、あ、これ、寝たふりだ。笑いを堪えてる。
ふむふむ。ならばやることは一つだ。
「そっか、れんちゃん寝てるのか。じゃあ帰ろっと」
「わ、わ! だめ! だめ!」
れんちゃんが慌てて私の腕にしがみついてくる。かわいい。
「行っちゃだめ!」
「はいはい。大丈夫大丈夫。ちゃんといるよ、ここにいるよー」
「むう……」
「でもいたずらしようとしたれんちゃんが悪いよね」
「ん……。ごめんなさい」
「許してあげましょう」
れんちゃんをなでなでしつつ、鞄からチョコレートを取り出す。はい、と渡してあげれば、れんちゃんは顔を輝かせた。
「ありがとう、おねえちゃん!」
「いえいえ」
嬉しそうに包装を破って食べ始める。もぐもぐ幸せそうな顔だ。
にこにことその様子を眺めていたら、れんちゃんと目が合った。れんちゃんはすぐにチョコレートを小さく割って、私に差し出してくる。
「ん?」
「お姉ちゃんの分」
「あはは。ありがとう」
断ると拗ねちゃうので、有り難くもらっておく。私が食べると、れんちゃんも嬉しそうにはにかんだ。
私の妹がかわいすぎる。天使だ。いやもう女神だ。拝もう。
「おねえちゃん、何してるの……?」
「拝んでる」
「なんで?」
「れんちゃんは私にとっての女神様なのさ!」
「おねえちゃん、気持ち悪い」
「うぐう……」
その罵倒は心にくるよれんちゃん……。
れんちゃんは、極度の光線過敏症だ。蛍光灯とかの光にすら炎症を起こすし、お日様の下にでも行こうものならあっという間に痛くて泣き叫ぶ、らしい。私がれんちゃんと会った時にはすでにこの病室から出なくなっていたから、お母さんに聞いただけだけど。
本来、光線過敏症というものは日光に反応するものらしい。けれどれんちゃんは、どんな光にでも反応するみたいで、部屋を常に暗くしておかないと日常生活すらままならない。
原因は、不明。血液検査とか、なんだか小難しい名前の検査とか、色々とやったみたいだけど、全くもって原因は分からなかったらしい。日本で唯一の奇病ということで、テレビで特集されたりもした。
私としては見世物にしているみたいで嫌いだけど、本人は別に気にしてないらしい。いや、あれは気にしてないというよりも、どういうことか分かってないだけかもしれない。テレビすらほとんど見てないから。
お父さんは取材については悩んだらしいけど、治療とかの寄付金を募ることを代行してもらうことで許可を出した。それ以来、入院費含む治療費は寄付金から賄われている。れんちゃんはお金の心配をよくしていたので、その点だけは一安心だ。
れんちゃんの負担にならないように休み休み検査は続けられてるけど、未だに治療法どころか原因すらも分からない。まだまだ先は長くなりそうだ。
「れんちゃん、新しい友達はいる?」
「また?」
「いらない?」
「いる!」
鞄から今月のお小遣いで買ったぬいぐるみを取り出す。手触りが良いまるっこい犬のぬいぐるみだ。れんちゃんに渡してあげると、れんちゃんは顔を輝かせて受け取った。
「ふああ……。かわいい……」
ぬいぐるみをもにもにして、ぎゅっと抱きしめるれんちゃん。頬ずりまでしてる。見ていて、なんだか心がぽかぽかしてくる。
れんちゃんのベッドにはいくつかのぬいぐるみがあって、棚にはさらに多くのぬいぐるみがある。れんちゃんは毎晩あの棚からぬいぐるみを交換して一緒に寝ているらしい。
れんちゃんは動物とぬいぐるみが大好きなのだ。いつか、本物の犬を一緒に見に行きたいものだ。
ちなみにれんちゃんは一日一時間だけ、限界まで暗くしたテレビを見るんだけど、必ずアニマルビデオを見ている。れんちゃんのお気に入りは子犬がたくさん戯れる動画。私も一緒に見たことあるけど、その時のれんちゃんの顔は、とても、羨ましそうだった。
動物と直接触れ合いたい。それが、れんちゃんの、ささやかな願い。
ならば! 頼れるお姉ちゃんとして! 叶えてあげるしかないでしょう!
というわけで。
「れんちゃん」
「んー?」
「今日はれんちゃんに、もう一つ、とびっきりのプレゼントがあります!」
「へ? えっと……。わんちゃんならもうもらったよ?」
ぬいぐるみを抱きながら小首を傾げるれんちゃん。まあ、私のプレゼントって、ほとんどがぬいぐるみだからね。そう思ってしまうのも無理はない。
しかし! お姉ちゃんはがんばったのだ!
鞄からごそごそ取り出したのは、紙袋。それを渡すと、れんちゃんは不思議そうにしながらも紙袋の中身を取り出した。出てきたのは、ゲームソフト。
「なにこれ?」
「アナザーワールドオンライン。VRMMOだよ」
なおも首を傾げるれんちゃんに、私はざっくりと説明することにした。
フルダイブ技術が確立されてから、はや六年。数多くのゲームが開発されて、VRMMOもまた多く発売されてきた。あまりにも競争率が高くて八割以上のゲームがサービス終了しちゃったけど。
アナザーワールドオンライン、略してAWOはその中でも高い人気を誇るゲームだ。システムは一昔前のMMOそのものなのでそこは賛否両論だけど、特筆すべきは他の追随を許さない圧倒的なグラフィックとNPCの高度なAIにある。まるで本当に剣と魔法の世界で生きているようだと評判なのだ。
「ふうん……」
「あまり興味なさそうだね」
「うん……。戦うのとか、やだ」
それはそうだろう。れんちゃんは優しい子だからね。でも、その部分はわりとどうでもいいのだ。
「圧倒的なグラフィックって言ったよね」
「うん」
「動物たちもリアルです。かわいい犬さん猫さんたくさんいます」
「え!」
おっと、れんちゃんが食いついた! さっきまでの冷めた目に一気に熱が入っていってる!
「テイムスキルがあります。つまりテイマーになれます」
「テイム?」
「簡単に言うと、動物やモンスターと友達になれるスキルだ!」
「わあ!」
れんちゃんが期待に目を輝かせてる! きらきらしてる! でも、すぐにしょぼんと落ち込んでしまった。悲しげにゲームを見つめて。
「でも、お医者さんが許してくれるかな……」
「その点は大丈夫。許可は取ったよ」
「え? 本当!?」
「うん」
れんちゃんは病室にこもりっきりだけど、小学二年生、勉強をしないわけにもいかない。どうやってそれをしているかと言えば、ここでフルダイブ技術の出番だ。
脳波がうんぬんかんぬんの難しい話はよく分からないけど、VRマシンとフルダイブは問題なく使えるとのことで、れんちゃんは日中はVR空間で勉強をしてる。ただ、長時間続けると気分が悪くなるそうで、朝二時間、お昼二時間、夜二時間の使用のみという形だ。
れんちゃんは勉強の成績は優秀らしくて、れんちゃんの主治医の人に相談してみたら、夜の二時間をゲームで使ってもいいということになったのだ。
しかもそれだけじゃなくて、あらゆる方面の許可もその先生がわざわざ取ってくれた。
許可というのは、実はVRゲームは小学生は禁止されているためだ。情操教育に悪影響がうんたらかんたらで世の中のお父さんお母さんたちが動いてしまった結果だね。
中学生以降なら現実と虚構の区別ぐらいちゃんとつくだろうとこういう制限におさまったわけだ。まあ、中学生も制限時間は決められてて、自由に使えるようになるのは高校生からだけど。
先生は運営会社と市役所にわざわざかけあってくれて、特例として許可が下りた。先生には感謝しかないよ。多分私だけだと絶対に無理だった。
「というわけで。お医者さんにはちゃんとお礼を言っておいてね」
「うん!」
すっごく嬉しそうなれんちゃんの笑顔。私はもうこの笑顔が見れただけで満足だ。
でも、本番はここから。ゲームで失敗すると、笑顔が曇るどころじゃないと思う。
「今日は夕方六時から。先生と一緒にゲームの設定をしてね。設定の注意事項はこの紙を読んでおくように。特に初期スキルは要注意!」
「うん……」
れんちゃんはすぐに手渡したA4のプリントを読み始めた。これなら大丈夫そうかな。
「では、れんちゃん!」
「あ、はい!」
私が大声で呼ぶと、れんちゃんがすぐに顔を上げた。どきどきしてるのがよく分かる、ちょっとほてった顔。
「ちょっと早いけど、私は帰って急いで宿題を終わらせます!」
「うん……」
ちょっと寂しそうだけど、でも、大丈夫だ。
「だかられんちゃん。今日の夜は、あっち側で会おう!」
はっとした様子のれんちゃんは、すぐに何度も頷いてくれた。
れんちゃんを撫でて、手を振ってから病室を出る。さあ、急いで宿題を終わらせないと!