れんちゃんの病室に入る前の、狭い部屋。私は新しく購入したスマホを操作しています。ふふふ、れんちゃんきっと驚くぞ……。
スマホのカメラが問題なく動いていることを確認して、イヤホンをする。イヤホンからは機械音声が流れてきた。いろんな人が誰でも使えるまったりボイスというやつだ。
『あれ? れんちゃんのホームじゃない?』
『てかこれ、普通にリアルの建物では?』
『れんちゃん? ミレイ? おーい』
うん。ちゃんと配信されてるね。
今日買い換えたスマホは、面倒な設定をしなくても配信ができる優れ物だ。AWOのアカウントを設定してあるので、そのアカウントからリアルの配信ができる。ゲームの配信じゃないから黒に近いグレーだけど、一応ゲームマスターの山下さんから許可をもぎ取った。
特例ですからね、と何度も念押しされちゃったけど。
というわけで、ミレイアカウントでのリアル配信なのだ!
「どもども。こんにちは」
『お? ミレイの声だ』
『どこだここ? ゲームにこんな場所あったか?』
『さすがにゲームでこんな建物ないだろ』
「ですね。運営さんから特別に許可をもらって、リアル配信です」
『やっぱりか!』
『おいおい、大丈夫なのかよ』
『特定班来ちゃうぞ』
本来禁止されてる理由が主にこれなんだよね。当然だけどリアルで配信するってことは、配信者の住所とかの個人情報が特定される可能性があるってわけだ。
自己責任の範疇なんだろうけど、もし何か事件とか起きた時にゲーム会社としては面倒なリスクを背負いたくない。だから、原則禁止、なんだって。これは理由も含めて配信者への規約に書いてあった。
ただ、この点については、私に関してはあまり意味が無いものなのだ。
「特定も何も、テレビの番組で病院名まで出ちゃってるから……」
つまりは今更なのである。
『ん? てことは、そこって病院?』
『まさか、れんちゃんの病室とか?』
「お、正解です。正確に言えば、れんちゃんの病室に入る前の準備室みたいなところだけど」
『病室に入る準備室とは』
「うん。どこかから番組探してきて。この構造も説明されてたはずだから」
確かに普通の病室にはない構造なので不思議に思うだろうけど、れんちゃんが取り上げられた番組にこの構造についても説明されてたはずだからね。私が変な説明をするよりも、そっちを見てもらった方が分かりやすいと思う。
「というわけで、れんちゃんの病室に入ります。ちなみにれんちゃんには、そのうちリアルで配信するかも! とちゃんと説明してあるよ」
『そのうちwww』
『それは説明と言えるのかw』
『絶対に後で怒られるやつw』
「その時は素直に怒られましょう」
そっとドアを開けて、中に入る。いつもの、とても暗い部屋だ。
『暗いな』
『光に弱いって聞いたけど、こんなにか』
『ほとんど何も見えないんだけど』
「おっと、ごめんね」
スマホをちょちょいと操作する。えっと、このモードなら、ある程度は見えるはず……。
『お、見えてきた』
『白黒のやつだけど、ほんのり色も分かる』
『個人の配信でこの機能使うやつほとんどいないぞw』
「だろうね。私もあまり聞かないよ」
洞窟に行ってみたとか、そんなやつぐらいだと思う。
「ところでここまでれんちゃんから反応ないんだけど。もしかして、寝てる?」
『何もやることなさそうだしな……』
『正直ここまでとは思わんかった』
『ミレイちゃん、ちょっと心が痛いんだけど……』
「あー……。まあ、寄付ももらってるし、今のれんちゃんとかちゃんと見せないといけないかなって。もうちょっとだけ付き合ってね」
『なるほどな』
『気にする人は気にするだろうし、しゃあない』
『どうせ見るなられんちゃん見たいです』
「正直だね」
私としても、こんなところでぐだぐだ話すよりもれんちゃんと話したい。ということで、ベッドに近づいてみる。れんちゃんを見ると、祈願成就のキツネを抱いて眠っていた。
『かわいい』
『ほーん。ミレイは俺を萌え殺す気だな?』
『地味に祈願成就がきつい……』
「それはさすがに気にしすぎでしょ」
こんなことで気にしてばかりいたら疲れるだけだよ。折り合い大事。幸い、命が危ないってことでもないしね。
れんちゃんのほっぺたをつついてみます。ぷにぷに。
「やわらかいなあ」
『やめたれwww』
『この姉はw』
『お前はほんとに怒られろw』
あははー。それこそ今更です。
ぷにぷにつついていたら、れんちゃんがむう、と体をよじらせた。キツネさんでガードされる。むむ、このキツネ、やりおる……!
でもすぐにキツネさんを枕元に置くと、器用に私の手を掴んで引き寄せてきた。私の手を引き寄せて、ほっぺたにすりすりする。かわいい。すごく、かわいい……!
これは撮るしかないでしょう!
『ありがとうございます!』
『寝顔れんちゃんかわいい!』
『でもお前、絶対に間違い無く怒られるぞw』
「うん。そんな気がする」
さすがにそろそろ起こそうかな。掴まれてる手を動かして、もう一度ほっぺたぷにぷに。
「れんちゃんれんちゃん。そろそろ起きてほしいかな?」
「んう……」
れんちゃんがゆっくり目を開ける。私を見て、構えてるスマホを見て、首を傾げた。
「おねえちゃん、何やってるの……?」
「配信です」
「配信……」
もぞもぞれんちゃんが動き始める。ゆっくり体を起こして、目をこしこしして、大きく欠伸をする。ふあ、と。
『かわいいが過ぎる!』
『あああああああ!』
『まずい! モブAが壊れた! 衛生兵! 衛生兵!』
こいつらはテンションを上げすぎではなかろうか。
れんちゃんはこっちに向き直ると、ふんわり笑って頭を下げた。
「こんにちは。れんです。もふもふが、好きです」
ところで、とれんちゃんは私をじっと見つめてきた。
「何の配信?」
「いつものやつ。視聴者さんも同じです。れんちゃんの寝顔を撮りました」
私は逃げも隠れもしない女。言い訳のしようがない、というよりもあとで記録を見られたらどのみちばれるので、素直に謝る。もちろん、もうしないとは口が裂けても言いません。
私はれんちゃんを自慢したいからね!
れんちゃんは、予想と違って別に怒らなかった。そうなんだ、と頷いて、それだけ。これには私の方が拍子抜けだ。いや、怒られたいわけじゃないんだけどね?
「怒らないの?」
「え? なにが?」
「あ、いや……。別に……」
どうやられんちゃんの怒りポイントではなかったみたい。一安心だけど、いいのかな、これは。
そう思ってたら、れんちゃんがぽつりと呟いた。
「だって、もうテレビで流れてるし。今更だよ」
「あー……」
うん。ちょっと、否定できない。
怒ってはないけど、不愉快ってわけでもないってところかな?
スマホを置いて、れんちゃんを抱き寄せて、撫でる。
「ごめんね」
「んー……。もっと撫でて」
「うん」
甘えてくるれんちゃんをひたすらに甘やかした。
たっぷり十分間、なでなでしました。
『てえてえ』
『ほとんど無言だったけど、それでも良かった』
『れんちゃんは本当にお姉ちゃんが好きなんだな』
「うん。大好き」
ぎゅっと私に抱きついてくるれんちゃん。かわいい。すき。
ちなみにれんちゃんにもイヤホンを渡してる。片耳だけだけどね。もともとそのつもりだったから、コードには余裕のあるやつを選んでる。聞きたがると思ったからね。
『迷いのない即答。良かったな、ミレイ』
「嬉しすぎて死にそうです」
『迷いのない頭のおかしい発言、いつも通りだな、ミレイ』
「うるさいよ」
まあそれはそれとして、この後はどうしようか。れんちゃんの病室を紹介しようと思っただけで、何かをやりたいってわけでもない。むしろ何もできないし。
「病室の紹介も、紹介するものないし……」
『まあこんな真っ暗な部屋で、光が全てアウトってなると、なんもないだろうな』
『テレビもダメなら、ゲームもほとんどアウトってことだしね。れんちゃんは普段何して過ごしてんの?』
「んー?」
れんちゃんはベッドから抜け出すと、壁際の棚に向かう。ぬいぐるみの棚と並んでもう一つある棚。そこはれんちゃんのおもちゃ箱だ。ん? おもちゃ棚かな? ただまあ、おもちゃ棚っていうよりも、半分以上は本なんだけどね。
さすがにコードの長さが足りないので、私もれんちゃんと一緒に向かいます。
「本を読んだりしてるよ」
『本? 絵本とか』
「えっとね。らいとのべる?」
『まじかよ』
『れんちゃんラノベ読むのか!』
『ちな、お気に入りは?』
「ちな……? えっと、この、女の子がいろんな国を見て回るお話」
れんちゃんのお気に入りだ。何度も読んでるらしくて、ちょっとだけ他の本よりも傷んでしまってる。れんちゃんは気にしないみたいだけど。
『こんなに暗い部屋で読めるの?』
「うん。読めるよ?」
「ちなみに私は読めません」
多分だけど、この暗さに慣れたというか、適応したというか。それがいいことなのか悪いことなのかは分からないけど、ただこの病気が治ったら少し苦労しそうだなとは思う。
『こっちから見える映像がほとんど白黒なんだけど、れんちゃんの髪って……』
ん? 今更そんな質問がくるとは思わなかった。
「れんちゃんの見た目はゲームと同じ。髪色も含めてね。真っ白だよ」
『あれってキャラメイクの時に変更したわけじゃないのか』
『元からあの色なのか……そうなのか……』
『ちょっと痛ましい……』
そういう見方もある、かな? ただれんちゃんは髪の色についてはあまり気にしてないみたいだ。
「んー……。えっとね。他の人と違うのは、ちょっとだけ気になったよ」
「え、そうなの?」
『やっぱりそうだよなあ』
『自分だけ真っ白だもんな』
『そりゃ気になるわ』
あれ? でも、気にしてる様子なんてなかったような……。
「おねえちゃんがね、白くてきれいな髪だねって言ってくれたの。だからわたしも、この髪の色が好き」
『ミレイさりげなくファインプレーしてる』
『お姉ちゃんが好きだから好きなのか』
『心が苦しいっす……』
うん。全然知らなかった。えっと、どうしよう、ちょっと反応に困る。
『ミレイの反応がないぞ』
『照れてると予想』
『多分顔真っ赤なミレイちゃんやーい』
「う、うるさいよ……」
『うるさいにキレがない』
ほっとけ。
もうまったくこの子はもう! ぎゅっとしちゃえ!
「おねえちゃん? どうしたの?」
「なんでもないです。なんでもないのでぎゅっとします」
「意味が分からないよ?」
いいんだよ、分からなくて。
三分ほど抱きしめて、れんちゃん分を補給。生き返るわあ。
「お姉ちゃんはれんちゃん分が足りなくなると行動できないのです」
「え? そうなの? えっと、もうちょっとぎゅっとしてもいいよ」
「れんちゃんはかわいいなあ!」
「うるさいのはや」
「あ、はい。すみません」
『れんちゃんが冷静すぎるw』
『いつものことなんやなってw』
『ゲーム内とほとんどかわらんなw』
私もれんちゃんも完全に素だからね。
「さてさてれんちゃん。そろそろ終わるけど、紹介しておきたいところとか、ある?」
「ある! あるよ!」
「お、なにかな?」
正直、ちょっと意外だった。何かあったかなと考えていると、れんちゃんはすぐ隣の棚に移動した。
うん。察した。
「ぬいぐるみ!」
「…………。これ、長くなるやつ」
『わかる』
『さすがに俺らも覚えた』
『リアルでも変わらず始まるもふもふ自慢』
小声での呟きに視聴者さんたちも反応する。れんちゃんのもふもふ自慢は今に始まったことじゃないからね。ここでもそれは変わらないってことだ。
「えっとね。まずこのキツネさんがあのキツネさん。ちょこんって座ってるのがかわいいの。あとね、あの白い犬が……」
れんちゃんの自慢はひたすらに続く!
「正直好きなものを自慢するかわいいれんちゃんを見せるのは私としては不満だけど、特別にそのまま視聴を許してあげましょう」
『ありがとうございます!』
『ものすごく楽しそうなれんちゃんがとてもかわいい』
『好きなものの自慢って楽しいよね』
まったりスマホを構えて、れんちゃんのもふもふ自慢を眺め続けるのでした。
いやでも、さすがに一時間も話し続けるとは思わなかったよ。かわいかったけどさ。