新人アークスである「私」は、ある日、カフェでひとりの少女と出会った。

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まだヒーロー最強だった時代に書いたお話を見つけたので供養します。名前は出してないですが、一応守護輝士=自分のpso2のキャラってつもりで書いてたり……


名前も知らない、小さな英雄(あなた)へ

 アークスの中で、半ば伝説に片足を踏み込んだ存在がいる――。

 その始まりは、いつからだったのだろう?

 具体的なことは誰も覚えていない。

 だけどそのアークスは、気付けば皆のそばにいた。

 困っている人を放っておけず、どこまでもまっすぐで、明るいアークスだった。

 この広大な宇宙のほんの片隅、ひとつのシップの端っこで、一生懸命にがんばっていた少女だった。

 アークスとしての任務を真面目にこなすかたわら、些細な困り事さえ率先して解決していく少女の名は、少しずつ、けれどたしかに広まっていく。

 人から人を通じ、まずは街に。市に。船に。やがて、宇宙に――。

 誰も知らない。その少女が、遥かな過去より存在していた、演算する星の縁者であることを。

 誰も知らない。その少女が、時さえ超えて過酷な戦いを繰り広げていたことを。

 誰も知らない。その少女が、人知れず数多の命を救ったことを。

 しかし、誰もが知っている。

 彼女が、英雄たるにふさわしい存在であることを。

 

 その少女の名は――

 

 

 言うまでもないことだが、アークスというのは過酷な職業だ。

 命の危険があるというのは当然のこと、赴いた先の惑星でどんなことが待ち受けているのか誰にもわからない。

 フォトンの力がなければ、同じ惑星内であったとしても急激な環境の変化に体がついてこられないのだ。その何百倍も遠く離れた惑星間の調査となればなおのことで、フォトンを用いたとしても体には凄まじい負荷がかかる。

 そんな状況の中で、ある時は凶暴な原生生物を、ある時は先住文明を、またある時はダーカーを相手にせねばならない――。

 その大変さはアークスに携わる皆が知るところであり、だからこそアークスシップ内には士気を保つための様々な工夫が凝らされている。

 シップにはハビタブルゾーン内にある平均的な惑星を基準にした擬似季節が存在しているのだが、それに合わせた行事や飾り付けなども行っているし、ライブなど慰安イベントやカジノといった娯楽施設も豊富だ。

 ――私がよく贔屓にしている『フランカ'sカフェ』も、慰安を目的とした施設のひとつだった。

 その日カフェに足を踏み入れた私は、迷うことなく二階のテラスへと向かった。

 擬似季節によってはカフェ内の様子も様変わりするのだが、その日は通常通りの模様となっていた。

 物珍しい内装を楽しむのも良いが、いつも通りのカフェの姿も落ち着きがあって好きだ。

 ――『彼女』と出会ったのもこんないつも通りのカフェだっただろうか。

 具体的にいつ頃の話だったか、もう覚えてはいない。

 ただ、その不思議な少女との付き合いが今も続いていることはたしかだった。

 テラスに上がれば、ほら、その姿がある。

 私に背を向けて座り、静かにお茶を飲んでいるから、後ろ姿しか見えないけれど。

 ――びっくりするほど小さな体。

 ――それを包む、白と青で彩られた衣装。

 ――宇宙を閉じ込めたような青の髪。

 

「こんにちは」

 

 近寄るなり、私はそう背中から声をかけた。

 座っている小さな少女が振り向く。

 過酷な環境下で仕事をしているアークスとは思えないほど綺麗な肌と、幼い顔付き。開かれたコバルトブルーの瞳は丸く愛らしいが、どこか深みのある光を宿していた。

 わたしのように、『大剣を振るうのに邪魔だから』と黒い髪をまとめあげただけのがさつな女とは正反対の雰囲気を纏う少女だった。

 

「こんにちはっ」

 

 振り向いた少女は、にぱーっと満面の笑みで私を迎える。

 

「一緒に良いですか?」

「どうぞー」

 

 はじめから決めていたかのように、少女の答えはスムーズだった。

 このやり取りも、もはや形骸的なものだ。

 数ヶ月間はこうして一緒にお茶しているが、彼女は一度も同席を断ったことがない。

 だから、私も当然のように向かい側の席へと座った。

 入店する際に受け取った端末を操作し、注文する。数分後には飲み物や軽食がテーブルに転送されてくるだろう。雰囲気を出すためなのか、テーブルの見た目こそクラシックなものだが、実際は最新の機能を備えた高性能機器である。

 

「いい天気だね」

 

 甘く、また幼さの残る声で彼女は言った。

 お決まりの切り出し方だった。

 

「そうですね」

「調子はどう?」

「悪くない……です」

「そっか。それは良かった」

 

 口下手な私に合わせてか、少女はのんびりとしたペースで会話を作ってくれる。

 一緒にいた時、沈黙が苦にならない不思議な雰囲気が彼女にはあった。

 私よりずっと小さくて幼く見えるのに、どこか包容力が感じられる。

 十歳ほどにしか見えない彼女が気さくな言葉遣いなのに対し、どう見ても歳上の私が敬語なのは、傍から見れば不思議かもしれない。

 ただ彼女の名誉のために言えば、最初はお互い敬語だったのだ。それを、私が直してもらっただけである。

 彼女は不快ではない距離の詰め方をする人間だった。

 砕けた口調は、こちらを軽んじているわけではなく、むしろ親愛の証なのだと思える。

 声音から、彼女が私に敬意を払ってくれているのはきちんと理解できていた。

 

「そっちは、どうですか?」

「わたし? んー……そうだね。ちょっと任務で忙しくなりそうかな」

 

 少女は可愛らしく苦笑いした。

 曖昧な言い方には、どこか濁すような意図が感じられた。

 言えることなら、彼女は言ってくれる。

 なんらかの事情があるのだろう。

 

「そうなんですか……」

 

 それを問いただすつもりはない。

 

「なんだか、いつも忙しそうですね」

「あはは……まあ、わたしが自分から首を突っ込んでるだけだしね。自業自得だよ」

 

 彼女が具体的にどんな任務を行っているのか。

 もっと言えば、彼女が何者なのか。

 どういうアークスなのか。

 ――そもそも、なんという名前なのか。

 それさえも私は知らない。

 約束をしたわけでもないのに、この時間にカフェへ来れば必ず彼女がいる。それを見た私が席を共にする。

 言ってしまえば、それだけの関係だった。

 

「私は」

 

 だからこれは、言う必要のないことかもしれない。

 しかし気付けば、口を開いていた。

 

「私は……特別調査任務の命が下りました。半分は研修みたいなもので、指定された惑星を一週間調査するんです。これが終わったら、ようやく一人前のアークスとして認められて、受けられる任務も増えるって」

 

 アークスとしての任務にはトラブルが付き物であり、緊急時は救援が来るまで調査対象の惑星に置き去りにされることもある。

 その時、未開の惑星で的確な行動ができるかどうかを調べる側面を持つのがこの任務だ。もちろん本来の目的は調査なのだが、そこにアークスにとっての試験のような要素も併せ持つ、と言えばわかりやすいだろうか。

 そのような中途半端な試みがなされた理由は、数年前にアークスという組織の体制が刷新されたことにある。

 改革には痛みが伴う。

 大幅な配置変更が行われて以降、現場、後方問わずトラブルや不備の発生件数が増加した。

 それはあくまで体制の変更に伴う混乱から来たものであり、今では落ち着いてきたものの、それでも今後万が一がありえないわけではない。

 よって急遽アークスの対応力を向上させるための訓練が行われるようになり、私が命じられた特別調査任務もその一環として定着したものだった。

 命じられたのはつい先日のことである。

 訓練学校を卒業してからそれなりに経つが、当然私はまだまだ若造で、一人前には程遠い。

 しかし、それでも私の年齢――十八歳でこの任務を下されるのは比較的早い方なのだという。

 

「周りに聞いたら『そう肩に力を入れることはない』って言われました。既にある程度調査が進んだ惑星が対象で、危険な所も多くはないからって。

 私の他に十一人同行することになってます。少人数で生き延びられるかどうかを試すんだとか」

「その特別調査任務っていうのには、上官さんがついてきたりしないの?」

「私たちだけです。オペレーターがサポートはしてくれますが――」

「結局、動くのは自分たちだもんね」

 

 少女の言葉に、私は頷いた。

 口ぶりから察するに、少女はまだ特別調査任務を受けたことがないらしい。

 見た目の年齢から考えて、特別調査任務がまだ存在していなかった旧アークス体制時代のアークスだという線は低い。

 恐らく、そのレベルには達していないということなのだろう。

 だからといって、露骨に態度を変えるつもりはない。

 百四十センチにも届いていないだろう矮躯からは、たくさんの可能性が感じられる。

 まだまだこれからのアークスなのだ。

 むしろ、追い抜かれないよう気をつけなければとさえ感じていた。

 

「このカフェには、しばらく来られませんね」

 

 私は苦笑いした。

 寂しさを隠しきれたかどうかは、微妙なところだった。

 

「任務自体は一週間ですが、その前の準備や終わったあとのメディカルチェックなどがあるので、修了予定日二週間後なんです。それまで、ここには来られなくなります」

「そっかあ……ちょっと、寂しくなるね」

「そうですね」

 

 言うべきか、迷う。

 ごく稀にだが――この任務で、命を落としたアークスもいることを。

 不運な事故のようなものだった、とは聞いている。

 しかしただの試験であるならいざ知らず、これは調査も兼ねているのだ。

 死の危険性は充分にある。

 今までもそうだったが、今回は異色の任務だ。

 不慣れな惑星で、手探りのまま生きるために模索しなければならない。

 今までよりさらに危険な一週間となるだろう。

 

「……あの」

「うん?」

「名前、教えてもらえませんか?」

 

 悩んだ末、私に言えた限界はそこまでだった。

 

「そういえば私たち、お互い名前も知らないじゃないですか。いつか聞こうって思ってたんです」

 

 もしかしたら、もう会えないかもしれないから――。

 それを言う勇気はなかった。

 

「んー……たしかに、そうだね」

 

 少女は首をかしげて、なにかを思案するように唸ったあと、

 

「……だめ。教えてあげない」

 

 いたずらっぽくはにかんだ。

 

「任務終了予定日は二週間後なんだよね。ならその日、ここにまた来るよ」

「――」

「あなたと会えたら、その時にわたしの名前を教える」

 

 まるで、こちらの不安を見透かしているかのような言葉だった。

 少女はいつのまにか空になった自身のカップを置くと、ゆっくり立ち上がる。

 

「だから――無事に帰ってきてね。約束だよっ」

 

 そして、花のような笑みを見せた。

 その日、結局私は彼女と約束を交わした。

 しかし、今は後悔している。

 

 どうやら、もう彼女とは会えなさそうだったから。

 

 

 A.I.S――アークス・インターセプション・シルエット。

 その操縦席に座ったわたしは、三百六十度を見渡すことができるモニター越しに、その赤い惑星を見下ろしていた。

 

『では、任務内容の最終確認も兼ねてブリーフィングを行います』

「うん。おねがい、シエラ」

 

 専属オペレーターであるシエラの声を聞きながら、しかしわたしはその赤い惑星から一瞬たりとも視線を逸らさない。

 険しい顔をしているのだろうな、と自分でも思った。

 

『今回の目標は、A.P241/10/5に消息を経った特別調査隊の救助となります。

 対象の惑星は「ヘリオーサ」。知的生命体が文明を発展させるには最適な、タイプAの惑星に分類されます。恒星との距離、星間物質のバランス、および惑星そのものの状況的にも生命が存在する可能性は高く、加えてダーカーの出現は確認されていない――と、特別調査任務を行う上ではさしたる障害もない惑星だったんですけど』

 

 キャンプシップに搭乗してヘリオーサへと転送されるまでの間に、資料を通してその外観を目にしている。

 わたしにとって思い出深いナベリウスによく似た、自然豊かな惑星だった。

 大部分を海が占めているのか、パッと見では青い星のようにも見えた。その所々に地表が浮いていて、これもやはりタイプAの惑星に見られる典型的な特徴である。

 しかし、眼下に広がる赤い星はまったくその資料と似ても似つかないものと言えた。

 

『特別調査隊が消息を絶った直後、ヘリオーサにて大量のダーカー反応が観測されました』

 

 わたしは、赤い惑星に目を凝らした。

 赤黒い地表しかない、枯れてしまった惑星にも見えるそれだが、実は違う。

 

『原因は不明ですが……惑星全域に、高密度のダーカー因子が出現しているようです』

 

 ヘリオーサが赤く染まっている理由はシンプルだ。

 青いこの星を丸ごと覆うように、肉眼での直視が可能なほど高濃度のダーカー因子が出現しているのである。

 原因不明とは言うが、ダーカーの出現など常に誰にも予測できないものだ。

 むしろ、原因を特定できるケースの方が稀だと言えた。

 

『分析結果によると、大気圏付近にのみダーカー因子が存在しているみたいです。地表にいるであろう調査隊の皆さんが即座に侵食されることはないと思いますが……』

「通信は上手く届かないだろうし、脱出なんてもってのほか。それどころか、救出さえうまくいかないよね」

 

 アークスが搭乗するキャンプシップにもフォトン技術は使われているが、ダーカーの侵食に対抗できるほどのものではない。このダーカー因子の『雲』の中へ突っ込めば瞬く間に侵食されてしまうだろう。

 転送やワープといった技術もダーカー因子に干渉されて使用が難しい。精密な座標計算が必要となる故に、通信さえまともに届かない状況では見当違いの場所に飛ばされるリスクが極めて高い。

 結果、脱出や外部からの救助はおろか連絡さえ難しいという現状ができあがっているのだった。

 加えてシエラも言葉にはしなかったが――調査隊が既に全滅している可能性も充分にある。

 

『普通ならここでもうお手上げです。実際、司令部は救出を断念しようとしていましたし』

 

 アークスとして擁護しておくのなら、司令部が特別冷酷であるというわけではない。

 しかし、アークスとは過酷な仕事だ。常に命の危険と隣り合わせで、救助が必要なアークスは他にもたくさんいる。

 その中で比較的生存確率が高い方へリソースを割くのは当然のことであり――だからこそ、ヘリオーサ調査隊の救助はどうしても優先度が低くなる。

 そもそも救助が困難ということもあるが、なんとかそこをクリアして突入しても無駄足だったという可能性もあるのだ。

 組織として他を優先するのは当然の思考だった。

 ただ、司令部としても断腸の思いだっただろう。

 もうずっと会えていないアークスの総司令、その姿を脳裏に浮かべながら思った。

 

『――でも、あなたはアークスという組織の決定に縛られる必要はありません』

 

 この場にいるアークスは、たったひとり。

 すなわちわたしだけが、独断専行に近い形でここへやってきているのだった。

 

『交渉して、A.I.S一機の出撃許可をもらってきました。

 今搭乗してもらっているそのA.I.Sで惑星ヘリオーサの大気圏内に突入。ダーカー因子の雲を突き破って地表まで降下します。ただしA.I.Sもそれほど侵食耐性が高いわけではありませんから、侵食率が四十パーセントを越えた段階で脱出してください』

「うん」

『おそらく、A.I.Sの侵食耐性では地表降下までもたないと思います。なのでA.I.Sではダーカー因子の雲を突破することだけを考えてください。

 緊急脱出後はフォトンパラシュートによる生身での降下をお願いします。地表では通信が断絶されると予測されますので、本当に申し訳ないんですけど、私からオペレートすることはちょっと難しいです』

「うん、わかった。ここまでやってくれただけでも充分だよ。あとはわたしの方でなんとかやってみる。

 ……それにしても、やっぱり本当に無茶苦茶な作戦だよね」

『そうですねー。いったいどこのだれが考えたんでしょうねー?』

 

 通信機越しに、シエラの呆れたような声が聞こえた。

 シエラはなるべく全員がローリスクで遂行できる作戦を考える。

 今回の作戦立案は、ほかならないわたしだった。

 

『……あなたがどれだけ常識外れなのかはもう充分すぎるほどわかってるんですけど……わかってるんですけど! 帰還方法とか本当に無茶苦茶ですっ。本気でこれを実行するつもりなんですか!?』

「あぅ……だ、だってそうするしかないかなって……」

『地表に降下後ダーカー因子を少しずつ浄化して、脱出可能なレベルまでダーカー因子の雲が減衰したらテレパイプで帰還――って、たしかに理論上は可能かもしれませんけど! 普通はやろうとか考えませんよっ! 何日かかると思ってるんですか!?』

「えへへ」

『褒めてないですからね!

 言っておきますけど、こんな無謀を通り越して異常な作戦、桁外れのフォトン量と適性がないとできないんですっ。救援はほとんどありえないと思ってください。マトイさんも、今は別の任務を行っていますから』

「ううっ、わ、わかってるよー……」

 

 心なしか、シエラがわたしを責めているようにも聞こえた。

 しかし、それも当然だろう。

 司令部の説得や、作戦遂行における許容侵食率の計算など、裏方の仕事はほとんどシエラにやってもらったのだ。

 こんな馬鹿げた作戦のために、たくさんがんばってもらった。

 

「……ねえ、シエラ」

『……なんですか?』

「ありがとね。わたしのこと、いつも助けてくれて」

『――ほ、本当になんですか急に』

「あなたのおかげで、わたしはめいっぱいがんばれる。あなたがいるから、わたしは目の前のことに集中できる。

 ……だから、行ってくるね。シエラのがんばりを無駄にしないためにも」

 

 そうしてわたしは、A.I.Sの操縦桿をぐっと握った。

 瞳はただ、どこにいるのかもわからない調査隊へ向けて。

 脳裏に、名前も知らない『あなた』の姿を浮かべながら。

 

「――絶対、助けてくるからっ!」

 

 わたしのフォトンに感応するかのごとく、A.I.Sのブースター出力が急激に上昇する。

 

『……もうっ。そんなこと言われたら、お説教なんて置いておくしかないじゃないですか』

 

 システム、オールグリーン。

 

『話の続きはあなたが帰ってくるまで保留にします。だから……』

 

 オーバーブースト、起動。

 

『――ご武運を、守護輝士!』

 

 そしてわたしは、流星となった。

 

 

 赤黒い雲が、空を埋めつくしている。

 恒星からの光はもはや届かず、雲からやってくる不気味な輝きだけが降り注ぎ、しかしそれが生命にとって良質なものであるはずもない。

 時折煌めく赤い雷が、見るものに不吉な印象を与える。

 渦巻く雨雲、嵐の色を赤黒く染めたような空である。

 ――そんな中に、一筋の青い閃光が射し込んだ。

 超高速で大気圏を突破してきたそれは、青い塗装が施されたA.I.Sである。

 赤黒い雲と対を成すような、温かく、柔らかな青さを持つ光だった。

 ダーカーも、それがアークスという敵生存在によるものだと理解しているのだろう。

 因子が具現化し、無数の水棲ダーカーの形を成した。

 そのいずれも空を浮かぶにはいささか以上に不向きな体だが、巨体と重量を活かして青いA.I.Sを叩き潰さんと追いかけている。

 キュクロナーダと呼称される一体が、具現化しつつあるダーカー因子を空中で蹴り飛ばし、落下の勢いさえも乗せながらA.I.Sへ棍棒を振り下ろす。

 対するA.I.Sは振り向きざまにセイバーをなぎ払い、棍棒ごとキュクロナーダの体を吹き飛ばした。そのまま追撃のバルカンで完全に撃破する。

 次の瞬間、突如A.I.Sの背後にサイクロナーダが現れ、鉄の巨体を受け止めた。硬質なダーカーの体がひしゃげる音が響く。

 一方のA.I.Sは無傷だったが、その体にはサイクロナーダによるワイヤーが絡みつき、動きを完全に封じていた。

 ワイヤーを通じてダーカー因子がA.I.Sへと注ぎ込まれる。それのみならず、拘束されて無防備なA.I.Sへ無数のダーカーが襲いかかった。

 だがA.I.Sのブースターが光を放ったかと思うと、その噴射によりサイクロナーダのワイヤーがちぎれ飛んだ。

 拘束から逃れるや否や、即座にフォトンブラスターの銃口にフォトンが充填される。

 降り注ぐダーカーが、あわやA.I.Sに触れるというところで、ブラスターがフォトンを噴く。

 圧倒的な破壊力をもって、並み居るダーカーたちをまとめて薙ぎ払う。

 フォトンブラスターはA.I.Sを追撃していたダーカーを殲滅するのみでは飽き足らず、渦巻く赤雲に大穴を開け、そこからわずかに日光が顔を見せた。

 周囲からダーカーが消え、A.I.Sは再び地表へと体を向ける。

 その節々からは不気味な赤い火花が散り、かすかにではあるが侵食されつつあるのが見て取れる。

 恐らく、完全にダーカーと化してしまうまでそう長くはないだろう。

 搭乗者もそれを理解しているのか、一目散に地表へ向かっている。

 もはや多少の被弾はやむなしと、迫り来るダーカーも最低限しか迎撃していない。

 これほどの因子が集まっていれば、ダーカーはほとんど無限に湧いてくるようなものだ。それらすべてを相手にしていてはたしかに時間が足りない。

 一方で、致命的なミスを犯すこともなく常に最適な行動を取り続ける技術と『最低限の迎撃』のラインを見極め続ける眼力には尋常ならざるものがあった。

 一般的なアークスであれば、突破は到底不可能だったと言えるだろう。

 しかしそれでも、多勢に無勢だった。

 次第にA.I.Sの鮮烈な青は、ダーカーの赤へと染められていく。

 失敗と言えるほど大きな過失があるわけではないが、しかしどうやったとしても防ぎきれない細かな被弾が、A.I.Sを蝕んでいく。

 やがてA.I.Sの足がハッキリと赤く変色してしまった段階で、その姿が光に包まれた。

 同時にA.I.Sの部品だったと思しきものが空で舞い、流星が尾を引くように剥がれてゆく。

 そうしてそのシルエットはだんだんと縮んでいき――最後には、小さな少女の姿を取った。

 周囲には無限とも言えるダーカーがいる。自由に身動きが取らない空中では、もはや迎撃など満足にできるはずもなかった。

 しかしダーカー因子の雲、その底は少女のすぐそばにある。

 少女が堕ちるのが先か。

 少女がダーカー因子の雲を突破するのが先か。

 少女は大地に向けて懸命に手を伸ばす。

 その小さな指先を、誰かのもとへ届けるように。

 

 そして――

 

 

 逃げる足を止めた時、私の胸にやってきたのは安堵では虚無感だった。

 

「……なんとか、撒けたのか?」

 

 行動を共にしているレンジャーの男性キャストが、疲れを滲ませた声を発した。

 体がすべて機械部品となっているキャストは、肉体的な疲弊とは無縁だ。

 故に、沈んだ声は精神的な苦痛から来るものだろう。

 

「……みたいね。……他のみんなとも、はぐれちゃったみたいだけど」

 

 私よりも歳上に見えるニューマンの女性が、ロッドを文字通り杖にしながら息を整えている。

 もはや周囲にいるのはこの二人だけだった。

 他の九人の行方は、わからない。

 撤退を繰り返すうちに、いつしかはぐれてしまった。

 状況から考慮して、彼らが生きていると仮定するのが希望的観測に過ぎないと頭では理解している。

 しかし、感情がそれに追いつかない。

 すべてが悪い夢のようだった。

 ――事の発端は、キャンプシップからヘリオーサに十二人が降り立ち、いざ調査開始となったその瞬間だった。

 どこからか湧いたダーカー因子が、積乱雲のような勢いで増幅し始め、あっという間に空を埋めつくした。同時にオペレーターからの通信も遮断され、調査隊は孤立状態へと陥った。

 調査隊の面々はダーカーとの戦闘経験こそあれど、決してまだ一流と呼ばれるような存在ではない。普段ならすぐに立て直せる混乱も、自分たちが完全に孤立していると発覚してからは抑えきれるはずもなかった。

 そして、周囲に次々と強力なダーカー反応が現れ始めたのはその直後のことだった。

 あとはもう、思い出したくもない。

 対抗などできるはずもなく、逃げるだけで精いっぱいだった。

 恥も外聞もなく、逃げて、逃げて――

 

「……クソ。なんで、こんなことになっちまったんだ?」

 

 名前も知らないレンジャーが、疲れ果てたような悪態をつく。

 きっとそれは、ここにいる三人――いや、この任務を体験した全員が考えたことに違いなかった。

 現場で即席のパーティを組むコミュニケーション力を計るという名目で、調査隊は全員繋がりのない者同士で構成されている。

 しかし、この状況ではそれが裏目に出ていた。

 生存の目処――希望がない中で、隣にいるのが同じく追い詰められた他人だけであるというのが、これほどまでに辛い状況だとは思わなかった。

 

「俺たちは、いつまで逃げればいいんだ」

「……そんなことを言ったって、仕方がないわ」

「なら教えてくれ。逃げた先になにがあるんだ。太陽が見えないからわからないが、もう何日も経ってるはずだ。とっくに救助がきてもおかしくない」

「見捨てられたと言いたいわけ? ……やめてよ。そんなこと言わないでよ。せっかく考えないようにしてたのに、あなたの身勝手な想像で――」

「俺は事実を――」

「お、落ち着いてください。言い争いなんてしても、無駄に疲れちゃうだけですよ!」

 

 慌てて止めに入る。

 二人から、ジロリと睨まれた。

 

「お前は……まだ、諦めてないっていうのか?」

「……もちろん、正直疲れたなとは思います」

「それじゃあ、諦めたの?」

「心のどこかで、諦めてる自分はいるかもしれません」

 

 なにもかも、わからない。

 こんな極限の状況におかれれば、誰だって心がぐちゃぐちゃになる。

 ――どうせ逃げたって無駄だ。

 ――だって、救助が来ていないのは事実なんだ。

 ――助ける立場から考えても、こんなの、手の出しようがない。

 諦めるための言葉はたくさん浮かんでくるし、事実それに納得している自分がいる。

 しかし、心のどこかで『それでも』と言っている自分もいる気がする。

 その声はあまりにか細く、弱い。

 注意して耳を傾けなければ、絶望に紛れてしまいそうだ。

 

「でも」

 

 だけど、私はその声に従って動いている。

 

「それでも、私は生きたい。心なんてとっくに折れてるかもしれない。今だって、もうちょっと長くダーカーに追いかけられてたら、足を止めちゃってたかもしれない。

 でも、諦めたくない」

 

 どうして、そんなに生きることへこだわるのだろう。

 どうして、ここまで生きたいと願うのだろう。

 ただの生存本能と言ってしまえばそれまでだが、そんな無機質なものとは違う、心のもっと深く深くで、この意志を支えているなにかがある。

 

「だって――」

 

 そして私は、話しながらようやく理解した。

 私の意志を支えてくれる、それそのものがなんたるかを。

 

「私は、約束したんです。必ず、生きて帰るって。

 私の知らない所で、助けは出さないと決められてたって、見捨てられてたって、そんなの関係ないんです。私には生きる理由がある。だから、その約束を守るために、今できることをしたい」

「――」

「私は、生きます」

 

 それはきっと、茨の道だ。

 死の絶望へと、真っ向から立ち向かわなければならない。

 希望を抱き続けるというのは、絶望と戦い続けるということなのだ。

 名さえ知らない青い少女と交わした小さな口約束――私を繋ぎ止めるには、あまりにも脆いそれ。

 だけどそれこそが、私を支えてくれているたったひとつのものだった。

 

「たとえひとりきりになったって」

 

 うなじの辺りがピリピリと震えた。

 悪寒を感じ、振り向いてみれば、そこにダーカー因子が集っているのがわかった。

 黒い霧の中から、たくさんのダーカーが顔を出す。

 中型のキュクロナーダやサイクロナーダに加え、ダガッチャを引き連れたダーガッシュ、ミクダ――他にもまだまだいる。思いつく限りの水棲型ダーカーをすべて詰め込んだと言わんばかりの大群だった。

 

「なっ……クソ、またダーカーか!」

「逃げないと――っ!? ほ、包囲されてる!? いつのまに……!」

 

 二人のうろたえた声が聞こえる。

 ダーカーたちは私たちを囲むように出現していた。

 それが意味することはたったひとつ――

 

「私は、……それでも私は、生き延びてみせる」

 

 生きるためには、この包囲を力づくで突破しなければならないということだった。

 ボロボロになったソードを、ぎゅっと握る。

 私たちの実力では、キュクロナーダなどの中型ダーカーと相対した場合しっかりとした連携を取る必要がある。

 もっとも、今の状況ではそんなことができるかは怪しかった。

 一体でも警戒が必要な中型クラスのダーカーが、群れを成してこちらに襲いかかろうとしているのだ。

 こちらは数、質共に大きく劣っている。

 包囲を突破できる可能性は、万に一つもないだろう。

 

「生きて――また、あの子に会うんだ……!」

 

 手は、震えていた。

 見上げるような巨体のダーカーが、緩慢な動作で近寄ってくる。彼らの足下を縫うように、小型のダーカーがこちらめがけて飛んできている。

 ――怖い。

 ――助けて。

 ――誰か。

 心から湧き上がる悲鳴を、震える歯で噛み殺す。

 いくら悲鳴をあげたって、状況が好転するわけではない。

 やるんだ。

 戦うんだ。

 戦って。

 勝って。

 生きるんだ。

 行こう。

 このまま立っていたって怖くなるだけだ。

 三つ数える間に突っ込め。

 三。

 二。

 一、

 

 

『――ごめんね。遅くなっちゃった』

 

 

 ふと、一本の通信が届いた。

 とっくに役立たずと化しているはずの通信機が、その声を拾ったのだ。

 それがなにを意味しているのか気付く間もなく、

 

『やっと、』

 

 青い閃光が、

 

『見つけた』

 

 視界を、染める。

 凄まじい衝撃が周囲を駆け巡り、私は思わず腕で顔をかばった。

 光と衝撃が止んだ後、恐る恐る目を開く。

 

「――ふーっ。間一髪、ってとこかな」

 

 視線の先には、本来いるはずのない少女の姿があった。

 びっくりするほど小さな体。

 それを包む、白と青で彩られた衣装。

 宇宙を閉じ込めたような青の髪。

 コートシリーズのソードを握り、三点着地の姿勢で地面に降り立った彼女は、ゆっくりと立ち上がった。

 土煙が舞う中で、ふと、気付く。

 ダーカーの姿が、ない。

 いや。

 そんなバカな。

 しかし、既にダーカー反応は消滅している。

 もしや、倒したというのか。

 この、わずか一瞬で。

 あの量のダーカーを――。

 

「三人とも、大丈夫?」

 

 微笑みながら、少女が振り向く。

 その姿を見た瞬間、私は完全に思考が停止していた。

 

「あ、なたは……どうして、ここに」

「――救援か!?」

 

 レンジャーのキャストが声をあげた。

 

「うん。遅れちゃってごめんなさい」

「そうか……この惑星に突入できたんだな! それで他のアークスはどこに? いや、まずはキャンプシップにて現状の報告を――」

「……ううん。いないよ。キャンプシップもない。わたしひとりだけ」

「――は?」

「この惑星に来られたのはわたしだけなの。アークスはあなたたちの救出を断念した」

 

 少女は淡々と語る。

 

「……それ、どういうことよ」

「そのままの意味だよ。大気圏付近にダーカー因子が集まりすぎてる。キャンプシップは近付けないし、ワープもちょっと難しいかな」

「そ……それじゃ、どうやって脱出するんだ!?」

「ダーカー因子を浄化して、大気圏付近の『雲』を減衰させる。それしかない」

 

 三人とも、絶句した。

 

「通信がジャミングされない程度に雲を中和できたら、時期を見てキャンプシップに突入してもらう。アークスはあなたたちの救出を諦めたけど、突入さえできる状況になればすぐにこっちへリソースを回してくれるって――」

「……は、はは。なんだよ、それ。なんの冗談だ?」

 

 キャストの声が、再び絶望に染まった。

 

「結局救援なんて来てないようなもんじゃねえか……いや、そもそもたったひとりだけヘリオーサに降り立った? なんでお前にそんなことができるってんだ? 与太話も大概にしろよ」

「……」

 

 少女は、なにも言わなかった。

 

「ねえ……あなた、調査隊のメンバーだったんじゃないのかしら? そっちの方が、まだ現実味があるわ」

 

 え、と声を漏らした。

 違う。

 調査隊のメンバーとは一応全員顔を合わせているが、この少女は確実にいなかった。

 

「私も全員の顔を覚えているわけじゃないけど……あなたみたいなまだ若い子もいた気がする。

 さぞかし辛い気持ちになったことでしょうね。でも、それはわたしたちも一緒なの。

 そこのキャスト君の言う通りだわ――あなたの話にはまるで整合性も現実味もない。身勝手な現実逃避に、わたしたちを巻き込まないで」

 

 その声には静かな怒りが宿っていた。

 しかし少女は、優しく苦笑いするだけだった。

 

「うーん……時間があれば、ゆっくり説明してあげたいんだけど」

 

 再び、ちりちりとうなじに嫌な悪寒がはしる。

 少女の背後で、ダーカー因子が具現化していた。

 その数は先ほどよりもさらに多い。

 

「とりあえず、質問に答えるよ」

「あ、あぶな――!」

 

 悠長に答える少女の背後を見て、全員が息を飲んだ。

 キュクロナーダが棍棒を振りかぶった状態で出現している。

 それが振り下ろされるまで、もはや、一瞬の猶予もない。

 少女が、叩き潰される。

 その凄惨な末路が脳裏を過ぎる。

 私はほとんど本能的に駆け出そうとして、

 

「――ふっ!」

 

 それよりも早く、少女が大剣を片手で振り向きざまに薙ぎ払っていた。

 その一閃でキュクロナーダの棍棒が両断され、宙に舞う。

 それは、まったくもって現実味のない光景だった。

 まるで、フィクションの映像でも見ているような。

 

「ひとりでヘリオーサにやってきたのは、もちろんわたししか来られなかったっていうのもあるんだけど――」

 

 振り抜いたコートエッジに、黄金の輝きが宿る。

 同じく大剣使いのハンターである私にはわかる。

 あれは、ハンターのフォトンアーツではない。

 

「それ以上にね」

 

 尋常ならざる量のフォトンが、一瞬のうちに凝縮される。

 その黄金のフォトンは、質、量ともにただのアークスが持ち得る範囲を完全に逸脱していた。

 かつて研修として一度だけスクリーン越しに見た、六芒均衡と呼ばれる存在が持つフォトンとそう変わらない。

 しかも、彼女のフォトンは今も異常としか言えない速度で膨張を続けている。

 彼女の大剣が、超高密度のフォトンを纏った。

 

「――この程度(・・・・)なら、わたしひとりで大丈夫なんだ」

 

 少女は足を組み替えて、再び体を一回転させると同時に大剣を薙ぎ払った。

 一閃、などという生易しいものではない。

 コートエッジに宿ったフォトンが衝撃波となって、キュクロナーダの体を飲み込んだのである。

 キュクロナーダの背後に出現していた十を越すダーカーたちも、そのまま光の波に飲み込まれ完全に消滅する。

 アークスが用いる強力な兵器、それに匹敵――いや、それさえも凌駕する破壊力を、彼女は生身で発揮したのである。

 もはや、暴力としか言いようがなかった。

 

「だいじょうぶ」

 

 小さな体に秘めた力とは裏腹に、どこまでも優しい声で彼女は言う。

 再び無数のダーカーが出現するが、彼女は一向に気負った様子もない。

 

「絶対に、守ってみせるから」

 

 そして彼女は、ダーカーの群れへと単身で斬り込んだ。

 ――そこから先は、悪い冗談みたいだった。

 彼女が大剣を振るう度、ダーカーが十匹単位で消滅する。

 屈強なハンタークラスのアークスでさえ両手で振り回す大剣を、木の枝のように片手で振り回し、しかもその一撃一撃が凶悪なまでの破壊力を秘めているのだ。

 一撃で五匹のダーカーをなぎ倒し、返す刀で全方位を斬り払えば、もはや真っ二つになった敵の数を数えることすら困難である。

 意志のないダーカーが、ほんのわずかに怯んだかのようにすら思えた。その隙を逃さず、彼女は目にも止まらぬ速さで踏み込み、ソードを突き出す。その衝撃は、標的であったダーカーのみならず背後にいた数匹をまとめてぶっ飛ばした。

 彼女の矮駆から繰り出される斬撃に、小型ダーカーや大型ダーカーといった区別すらない。巻き込まれたダーカーは、なんの抵抗すら許されずに消し飛ぶのみだ。

 

「……なんだ、アレ(・・)は」

 

 傍で見ていたキャストが、呆然と呟いた。

 あれだけいたダーカーの群れが、わずか数分も経たないうちに壊滅しようとしている。

 本来ならば手練のアークスたちが連携を取って慎重に立ち回るべき大群相手。そんな敵を相手に、ただ突っ込んで、ただ大剣を振り回すだけの戦い方で蹂躙している――。

 

「……よしっ。これで終わりかな!」

 

 最後の十匹を、一太刀でまとめて両断した彼女は、愛剣を背負い直しながらパンパンと手を払った。

 

「ね? だからわたしひとりで充分って言ったでしょ?」

 

 にこー、と笑ってみせた彼女の体には傷ひとつなく、それどころか、息切れすらしていない。

 

「……辛かったね。心細かったよね。でも、もう大丈夫だから」

 

 私たちに向かって、ゆっくりと歩み寄ってきた彼女の顔には、優しい表情が浮かんでいた。

 

「あなたたちを、絶対に生還させてみせるから」

 

 その言葉を聞いた途端、胸に流れ込んできたのは様々な感情だった。

 困惑。

 驚き。

 疑問――。

 だがそんな中で、たしかに温かく光り輝く思いがあった。

 背中を優しく押してくれるような、前へ進むための力を与えてくれるような思い。

 

 人はそれを、希望というのかもしれなかった。

 

 

 ――そこから先、語るべきことはそう多くない。

 わたしが一番懸念していたのは、調査隊の面々をどうやって発見するかという点についてであり、その後のダーカーの排除については実のところどうとでもなると思っていたのだ。

 そして実際、その通りだった。

 強力なダーカー反応はたしかにあったが、今までそれさえをも圧倒的に上回る敵たちと戦いを繰り広げてきた。油断しているわけではないけれど、障害と呼ぶには程遠かった。

 そして憂いであった捜索についても、意外なところからのアプローチによって事なきを得た。

 アークスとアークスもしくはオペレーターが連絡をとるための通信機である。

 キャンプシップ及びオペレーターとの連絡は不可能だったが、ヘリオーサ内にいるアークスどうしなら、フォトンサーバーを介さず直接フォトンをやり取りすることで通信が可能なのだ。

 通信時に返ってくる反応から、各々の大まかな位置も把握できる。カフェでよく会うあの人を助ける時にも、それを利用した。

 調査隊がそこまで気付いていればはぐれることもなかったと思うが、急なトラブルに襲われてパニックに陥った彼らにそこまで気付けというのは、少しばかり無茶振りが過ぎるだろう。

 果たして、調査隊の回収は無事完了した。

 となればあとはダーカーを殲滅するだけだ。

 調査隊だってれっきとしたアークスであり、戦力としては充分数えられる。

 さすがに時間はかかったものの、生命が豊富な惑星ということもあってエネルギー確保についてもさほど苦戦はせず、長時間滞在するだけの準備を整えることができた。

 ――救助に赴いてから、およそ三日。

 途絶えていたオペレーターとの通信がようやく回復した。

 その時の士気の上がりようたるや、見ているこっちまで喜んでしまうほどだった。

 フォトンのやり取りが可能なほどに雲が減衰しているとなれば、キャンプシップが突入可能になるまでそう長くはない。

 加えてオペレーターによる指示もあり、より迅速に殲滅を行うことができた。

 わたしがついている以上、誰ひとりとして死なせたりはしない。

 そして、四日後――。

 

 わたしたちは、犠牲者を出すことなくヘリオーサを脱出したのだった。

 

 ヘリオーサ事件から数日後。

 わたしはいつものように、カフェでゆっくりお茶を飲んでいた。

 死と隣り合わせの任務の中で、この空間は癒しである。

 

「――こんにちは」

 

 背後から、声が聞こえた。

 振り向くと、そこにはひとりの少女がいる。

 黒い髪を長く伸ばした、ハンターの少女である。

 その名前は知らない。

 ここで会う約束をしたわけでもない。

 それでも、

 

「こんにちはっ」

 

 こうしてまた、生きて会えた。

 

「いっしょにいいですか?」

「どうぞー」

 

 少女が向かいの席に腰を下ろす。

 あれこれと注文するさまを、カップ片手に眺めていると、

 

「……あの日の」

 

 おもむろに少女が言った。

 

「あの日の約束を、果たしにきました」

 

 わたしは口に運んでいたカップをそっと置いた。

 

「……なんとなく、わかってるんじゃない? わたしの名前なんて」

「あなたの口から、聞きたいんです」

 

 わたしの苦笑いは、真剣な眼差しで返された。

 

「脱出する時のキャンプシップで、あなたが守護輝士だってことを知りました」

「……」

「でも、それだけです。約束は終わってないです」

 

 まっすぐすぎる瞳だった。

 わたしの正体を知る前と知った後とで、彼女の態度にまったく違いはない。

 それがとても、心地よかった。

 

「……じゃあ、あなたの名前もおしえて。あなたの口から聞きたいな」

「私、ですか?」

「うん。だめかな?」

「だ、ダメじゃないです!」

 

 彼女はわたわたと首を振ってから、咳払いした。

 

「……私は、レティシアっていいます」

「レティシアさん、かあ。うん、すてきなお名前だね」

 

 その名前は、実のところ既に知っている。

 救助に赴く際、要救助者リストとして氏名と年齢、一通りの身体プロフィールなどは受け取っているのだ。

 けれど――たしかに、無機質な書面で名を目にするのと本人から聞くのとでは違うと思った。

 だからわたしはそっと髪をかきあげて、

 

「じゃあ、こっちも改めて」

 

 彼女の目を見てほほんで、

 

「わたしの名前は――」

 

 いつかの約束を、果たすのだった。

 

 

 アークスにおいてたった二人しか存在しない守護輝士、その片割れについては比較的情報の露出が少ない。

 それは安全面や神秘性の確保などといったなんらかのメリットを狙ってのものではなく、ひとえに彼女が過ぎた名誉を厭うからだ。

 彼女は言う――わたしは、わたしにできることをしただけだから、と。

 きっと、どこかですれ違っても彼女が英雄であると察することはないだろう。

 

 ――日常の中にそっと溶け込み、穏やかに暮らしている少女。

 ――それでいて、誰かが危機に陥れば、世界中が見捨てたって諦めず手を差し伸べる少女。

 ――いつもだれかのそばで笑っているような少女。

 

 守護輝士。

 アークスにとっての英雄。

 呼び方はいろいろある。

 しかし彼女は、そのどれをも身に過ぎたものだと思っている。

 だから、こう記そう。

 

 その少女の名は――

 

 

 

 

 



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