We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life.   作:Towelie

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 川沿いの山の奥、そのまた奥の深い谷の中、そこに小さな集落がありました。

 そこでは妖精が住み着いていて、町や人に幸運をもたらしていました。

 妖精の力でまちはどんどん発展していき、人々の暮らしも豊かになりました。

 ですが、妖精のもたらす幸運は良いことだけを呼ぶわけではありませんでした。

 妖精の強すぎる力は町に少しずつ穴を空けていたのです。

 けれどもそれに気付くものは誰もいませんでした。
 当の妖精ですら気付かなかったのです。

 そんなこともつゆしらず、町の住人は幸運の力を当たり前のように利用していきます。

 幸運の力は有限なので、その力がなくなるたびに新しい妖精が生み出されました。

 力を使い果たした妖精は泡のように消えてなくなりました。
 妖精の呼ぶ幸運は自分の寿命を削る危険な行為でした。

 町の人はそれを知っても誰も止めようとはしなかったです。
 姿どころか名もわからなくなる妖精よりも、自分たちの幸運を優先したのです。


 その結果。
 
 山間の小さな町は変貌を遂げ、夜が支配する町へと変わってしまったのです。

 その異変に偶然巻き込まれた二人の女の子。

 少女たちは手を取り合って夜の町を駆け回ります。
 どこかに出口があると信じて。

 顔の無い白いお化け、お互いを憎しみ逢う犬と猿、そして青と白い世界に住む長い髪の淑やかな妖精。

 閉ざされた黒い世界でふたりは様々な出来事を体験していきます。

 髪の短い活発な少女は剣の代わりに鉄パイプを振りかざして自身を鼓舞しました。

(なんかぱっとしないなぁ……普通に剣でよかったと思うんだけどぉ)

 髪の長いおっとりした少女は気丈にも消火器を振り回して悪意に対抗しました。

(こっちは消火器かぁ……でも、鉄パイプよりは実用的かもね。それしても消火器って意外と重いんだよ。この子、結構力持ちなのかもね)

 少女たちは心と体に無数の傷をつけながら、緑のトンネルを抜けた先へと向かいます。
 けれどもそこは求めていた出口ではありませんでした。

(よくある展開だよね、そーゆーのって)

 二人が絶体絶命のピンチに陥ったとき、雨夜の月の輝きが二人を助けてくれました。
 ですが、それはお互いの大事なものと引き換えの幸運でした。

 全てを失った少女たち。
 残されたのはお互いの存在だけでした。
 
 最後まで仲の良かった二人は線路を歩いて同じ方向に進みます。

 完璧な世界を目指して。


 けれど、青い空の下に残ったのは一人の少女だけでした。

                           おしまい。

(おしまい、って……えー、何それぇ!? もうちょっとこう……別なアプローチとかなかったのかなぁ。夢なのになんか色々と勿体ないっていうかぁ……)

 あ、そうだ、これ夢だ。

 こういうことたまにあるんだよね、眠ってる最中に夢だなって理解しちゃうの。

 ノンレム睡眠がレム睡眠に切り替わるとき、だったっけ?

 いかにも夢らしい荒唐無稽で脈絡のない話なんだけど、途中までは楽しかったなー。

 でも、二人はどこで擦れ違っちゃったんだろうね。

 価値観? 解釈の違い? それとも……。

 まあ、夢なんだから深く考えるようなことでもないか。



 ……それにしても。

 本当に、夢の話。

 なんだよ、ね……?


 …………
 ………
 ……


rare occurrence

「あ……れ?」

 

 やっぱり寝てた。

 

 そう思うほかなかった。

 

 自分がそれまで何をしていたのか。

 朝なのか夜なのかそれすらも分からない。

 ふわふわとした虚無感が心の縁を一撫でする。

 

 長い旅路から帰ってきたような現実感の無い目で周囲を巡らせる。

 ……黒い部屋、だとすれば夜なのだろうか。

 

 部屋の中には目の前の机とベッド、見覚えのある家具やぬいぐるみ。

 後は山になった段ボール、それだけだった。

 

「あれ? これ机だ……」

 

 少女は目の前にある木製の机をつぶさに見つめた。

 小さなスタンドがおぼろげな光で天板とその上のノートを照らしている。

 天板のに描かれた掠れた木目とくだらない落書きの後には微かな憶えがあった。

 

 ここは間違いなく自分の部屋だった。

 けれども、なぜか合点がいかない。

 

 自分の部屋であって他人の部屋のような違和感。

 それがどうも拭い去れなかった。

 

 少女は何かを探す様な淑やかな視線で自分の部屋とおぼしき場所を呆然と眺める。

 

(夢、だったのかな。変な姿勢で寝てたから変な夢みちゃった)

 

 微睡んだ視線で背もたれにもたれかかると、頭の後ろに手を組んで天井を見上げた。

 

 吸い込まれそうなほど高い天井、その奥に蛇の背のような巨大な梁がかけられている。

 それが妙におぞましく見えて、一瞬、背中がぞくっとなった。

 

 辺りが暗いせいかまだ焦点が合わない。

 

 黒いゼリーの中に閉じ込められたような不快な閉塞感が胸の奥を湧きだたせた。

 

「んん──っ!」

 

 湧きあがった暗い感情を解きほぐすように、わざとらしく声を出して伸びをした。

 凝り固まった心と体が伸ばされて気持ちがいい。

 一陣の風が吹いたような清涼感が少女をリフレッシュさせる。

 

 ただ、あまりに力を入れすぎたせいか背もたれがミシミシと嫌な音を立てる。

 バランスを失って椅子ごと倒れ込みそうな危険な感じがしたので、少女は現実を直視したような素早い動きで椅子の角度を元に戻した。

 

 ぷふぁ……、と少女は切ない息を漏らす。

 

 その吐息は白塗りの壁に反射して、なお一層の孤独感を少女に味合わせた。

 

 八畳程度の部屋の中にただ一人。

 ゆえに映る影もただ一つ。

 

 その形があまりに歪だったので、夢の中にいるような感覚を覚えて、確かめるように自分の頬を強くつねった。

 

「あいたたたっ!!」

 

 やっぱり痛いじゃん……。

 涙目になりながら、赤くなったほっぺたを擦る少女。

 

 さっきから一人で何をしているんだろうか。

 間抜けなことばかりしてる自分が恥ずかしい。

 

 頬をつねって分かったのは、ここが()()であること、そして越してきてまだ日も浅いという今更な事実であった。

 

 それでもまだ他人の家にいるような違和感はある。

 前に住んでたのが集合住宅だったかもしれない。

 

(築何十年の中古マンションだったけどね)

 

 まだ落ち着かないのか、机の上のスマホに無意識に手を伸ばす。

 

 軽く触っただけで、スタンドよりも幾分強い光が網膜を刺激する。

 見慣れた画面の安心感と、怠惰な感じが液晶越しに伝わってくる。

 その液晶越しの光の中に混ざり合ったなにか良くないものを少女は見た気がした。

 

 携帯が示す時間は……午前3時14分。

 

 夜明け前と言っても差し支えない時刻。

 完全に夜が明けきるまでせいぜい1時間弱といったところか。

 

 このぐらいの時間が夏においてもっとも涼しい時間だった。

 

 山間の田舎町では日が昇りが早く、すぐに蒸し暑いもわっとした空気が立ち込めてしまうだろう。

 そういう意味では今だけは夏を忘れることが出来た。

 

 さらに暦の上では”今日から”季節が変わる。

 でも、今日の予想気温だとそれはまだまだ遠いことのようだ。

 

 暑さ寒さも彼岸までというが、実のところ体感温度が重要なのだと思う。

 

 少女はスマホ弄りに飽きたのか、ベッドの上のガラス窓に目を向ける。

 

 開け広げられていた窓の外は、満天の星空……ではなく黒い雲がスモッグのような重厚さをもって堆積していた。

 

 容赦のない黒い雲の侵略に気分がげんなりする。

 

 けれども微妙な色さ加減が深淵の夜を禍々しく彩っていて、ちょっと聞こえが悪いが、世界の終わりを予感させるような、そんな美しさがあった。

 

 もし今この手にワイングラスを持っていたならば極上な気分になっていたかもしれない。

 

 墨汁をミルクで溶かしこんだような毒にも薬にもならない空の色に乾杯を──。

 

 なんて。

 

 まあ、まだ未成年だから空のワイングラスを持つのが関の山なのだが。

 

 

 ……朝でも夜でもない、そんな半端な時間に起きてもこの少女は特にやることがなかった。

 くだらない妄想に耽るも、無駄に頭を使うだけでなにも生産性はない。

 

 それどころかむしろ……。

 

「ふあぁぁーぁ、やっぱりまだ眠い……まだ早い時間だしなぁ、二度寝しちゃおうかな」

 

 大きな欠伸をかみ殺しながら、眠そうな瞳で朝の時間を放棄のしどころを思案する。

 

 これでも一応朝型なのだが、いくら何でも早すぎるとは思う。

 

 ただ個人経営の()()()ではわりと一般的な起床時間らしいが、まだ学生の少女にはそこまでするだけの責任も義務もなかった。

 

(何かお腹空いたかも……)

 

 なにかに囁かれたように少女は急に空腹感を感じた。

 

 こういうのは一度気になると、どうしても頭に残ってしまう。

 

 とりあえずなにか食べようかと少女は腕を組んで思案する。

 

 いますぐ食べられるのは、試作品の余ったパンか、失敗したパン……のようなものだけ。

 パン屋だから仕方がないのだけれど、四六時中パンばかり食べるのはさすがに辛い。

 贅沢を言うつもりはないが、それでもきついのには変わりないのだ。

 

 家のパンを食べなければならないと思うと、さっきまでの強い食欲が委縮したように何処かへ行ってしまった。

 

 それはそれでありがたいが、なんか負けたような気になる。

 

 そうなると興味のしどころは別のものに向かうのだが……。

 

 それまでわざと視界に入れてなかった机の上のノートにちらりと目を落とす。

 

 母がなかなか帰ってこなかったので、せっかくだからと新学期に向けての予習をしていたのだが、めんどくさい問題の途中で寝てしまったようだ。

 

 勉強はそれほど苦手ではないはずなのだが、単調な問題の羅列は下手な睡眠薬よりも効き目があるから困る。

 

 眠りたくなったら六法全書や和英辞典を読めば一発だと、何かで言っていたことを少女はつぶさに思い出していた。

 自分の場合それを試してみると思うだけで眠りにつけそうな気がする。

 

 漫画や小説だと逆に目が冴えるのに不思議なものだ。

 

「あっ、ヤバっ!」

 

 少女は慌ててノートを手に取ってまざまざと見つめだした。

 それは答えが間違っているとかそういった、学生的な理由からではなく。

 

「良かったぁ、涎垂れてなかった……」

 

 やや大げさな安堵のため息をつく。

 

 誰に見せるわけでもないノートなのだが、そういったシミのようなものが付いてしまうのはとても気になることらしい。

 

 少女のフクザツな乙女心なのだった。

 

(それにしても今日はちょっと遅いなぁ。まあそんなに心配するようなことでもないと思うんだけど)

 

 勉強道具を隅に寄せて、机の上に突っ伏したまま、まだ帰ってこない母親を気にしていた。

 

 手持ち無沙汰を解消するようにまたスマホを弄る。

 皿の目で見ても連絡のようなものは何も入っていなかった。

 

「ん──」

 

 携帯を見ながら頬を膨らませる。

 つるりとしたガラス面には自分の酷い膨れっ面がまざまざと映っていた。

 

「んにゃー」

 

 めんどくさそうに一声鳴くと、少女はスマホをベッドに投げ捨てた。

 ついでに自分もベッドに転がった。

 

 引っ越すとき、わたしの家具や寝具は特に新調しなかったので、部屋以外は前の家と何も変わってない。

 

 家具を新調したくなかったんだと思う、前の家には思い出が沢山あったから。

 良いことも、あまり良くないことも含めて。

 

 でも思い出の品に囲まれてもどこか落ち着かなかった。

 

 親戚のうちにも同じような古い家もあるのだが、ここは何か違う気がする。

 

 人が住まなくなった古民家をリノベーションして店舗兼住居の古民家パン屋にしたのだが、それは思ってたより楽なことじゃなかった。

 オーナーがリノベーションするのが一般的らしいが、わたしたちは店舗兼住居なので自分たちでやるしかない。

 それが思ってたよりも全然大変で、わたしは夏休みの大半を返上することになってしまった。

 

 住む場所を確保するのがこんなに大変だとは思わなかった。

 

 でも、自分たちでリノベーションしたんだから愛着も湧く、そう思っていたのだけれど……。

 

 なんでだろう、なんか切ない。

 

 全然違う家だから? それとも匂いが違うから?

 

 母には絶対言わないけど、わたしは時々こう思ってしまうことがある。

 

「……前の家の方がよかった、な」

 

 ベッドの上のくたびれた顔の犬のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。

 

 父が買ってくれたもの。

 タコとどっちが良いかと聞かれて迷わず選んだ犬のぬいぐるみ。

 

 これには父との思い出がまだ残っていた。

 

 とぼけた表情のぬいぐるみを胸に寄せて匂いを嗅ぐと、あの頃の思い出が蘇ってくるようで気持ちが落ち着いてくる。

 

 楽しそうに笑う、父と母。

 そして、わたし……。

 

 全ての歯車がぴっちりと収まったあの頃。

 

 もう戻ってこないあの頃の思い出。

 

 それはまだわたしの中に残っている。

 

 でも、その思い出はもういつまでも残して置くものじゃなくて、むしろ──。

 

 キィーッ!

 

 外の方から何やら甲高い音がした。

 急ブレーキを踏んだような耳障りな音。

 

 少女は現実感を呼び起こされてベッドから跳ね起きた。

 ベッドの上に捨てられたぬいぐるみが抗議の目でこちらを睨んでいたが、少女はそれほど気にする様子も見せずそのまま立ち上がると、若干早足気味に廊下へと出た。

 

 予想以上に暗い廊下に一瞬気後れするも、思い出したように壁にあるスイッチを入れた。

 

 暗い廊下に明るい回廊が道を作りだす。

 その案内のままに玄関へと小走りに向かった。

 

 やっと帰ってきた、少女はそう思った。

 

 こんな時間に()()()()を立てるのはうちぐらいしかいない。

 近所迷惑なると言っていたのは自分だったのに全く……。

 

(どっちが母親だか分かったもんじゃない……)

 

 少女はぶつくさと文句を言いながらも玄関前に出迎えにいく。

 なんだかんだで心配だったのだ。

 

 勢いよく玄関のドアががらがらと開いた。

 立て付けが悪いらしく、どうしても音が出てしまう。

 

 母は客が来たときに分かりやすいからいいと言っていたが、自分としてはもっとお洒落で綺麗な玄関窓に変えたかったのだ。

 

 例えば鮮やかな空色の玄関扉とか──。

 

 だが、今は古い玄関のまま、その古い扉から荷物を抱えた人物が入ってきた。

 働き者の一家の主、脱サラして始めたパン屋で日々奮闘している女店主。

 それが少女の母親だった。

 

「お帰り、お母さん。今日はずいぶん遅かったね。なにかあった──」

 

「ああ、まだ起きてたのね。あれほど寝てなさいって言っておいたのに、まったくこの子ったら……」

 

 母は帰ってくるなり小言を言い始めた。

 まあ、わりといつものことなんだけどなにかいつもと様子が違う気がする。

 

 その証拠にハザードランプをつけたままの軽自動車が門の前で停車していた。

 割と几帳面な母にしてのズボラな行為に何かあったのではと感づいてしまう。

 

(まさかトイレ? そんなわけないか)

 

 なんとも暢気な仮説だが母を良く知る少女としては割と現実的な考えだった。

 

(お母さん変なプライドがあるんだよね。外のトイレをあまり使わないというか、使いたくないんだろうね。別に恥ずかしがるようなことでもないんだろうけど)

 

 下世話な考えに浸っていると母親がこちらをじっと見ているのに気付いた。

 

 邪な妄想がばれたのだろうか、なんとなく睨んでいるようにも見える。

 

「あははは、ごめんね。で、今日は帰り遅かったよねお母さん。なにかあったの?」

 

 栗色の髪を手でかきながら、ひきつった笑顔を向ける。

 心の中を読まれたわけでもないのに妙に焦ってしまった。

 

 こういうことへの勘がやけにするどいから困ってしまう。

 

 母親は今日一日の疲れを吸い込んだ前髪を垂らしながら、何かをこらえる様に両手で拳を作ってわなわなと肩を震わせている。

 

 少女は身の危険を感じで思わず後ろ足で飛びのいた。

 その衝撃で赤茶色のフローリングの床がきゅっと音を立てる。

 

 玄関マットを隔てて、母と娘が対峙していた。

 

「ゆ……」

 

「ゆ?」

 

 唇を震わせながら母が発した言葉を少女が反芻する。

 

 ゆ? なんだろう、よもや許さないとか言うつもりではないとは思うが。

 

 そういえば母はこう言った冗談めいたことは通用しなかったのだと少女は今更のように思い出していた。

 

「まあまあ、お母さん落ち着いて、とりあえず今日はもう寝た方が良いよ。ねっ」

 

 今日一番の笑顔を見せる少女。

 ここまで媚びる必要はない気もするが念には念を入れておきたかった。

 

「幽霊……」

 

「えっ!? わたし幽霊じゃないよ~」

 

 母があまりに突飛なことを口にしたので、反射的にそう言った。

 少女は驚きの表情で一歩近づくと、項垂れた様子の母の顔を覗き込む。

 

 まだ何やらぶつぶつと言っている母の焦点は合ってない様に見えた。

 流石に気味悪くなって、さっきよりもさらに二歩ほど遠くに離れる。

 

 夏と言えば怪談話が定番ではあるけど、今頃その手の話を聞いたのだろうか。

 もう夏も終わりだというのに。

 

 でも、そういった話を人にしたくなるのは分かる。

 わたしだって多分誰かに喋りたくなっちゃうしね。

 

 せっかくだから母の怪談話を聞いてあげようかな、親孝行の一環として。

 

 少女はそう自分を納得させると、再び母の元にとてとてと近づいた。

 

「幽霊が、幽霊が出たのよっ!!!」

 

「わわわっ!!」

 

 突然子供のように母が泣き叫んだので思わずその場で尻もちをついてしまった。

 これまで見たことがない必死の形相の母の顔に少女は思わずたじろいでしまった。

 

「いたたた、んもう! 幽霊だなんて、そんな非現実的なこと──」

 

 あるわけない! そう言葉を続けたかった、なのにその言葉が出てこなかった。

 

 何かが喉に引っ掛かったような不快ともとれる違和感に、少女は意識せず自分の首を撫でていた。

 

 そんな娘の疑問など一切汲み取る気もないかのように一人で話し続けている母。

 

 ちょっとどころじゃない異様な感じ。

 例えるなら下山したばかりの登山家が山であった恐怖の体験を身を震わせながら、皆に聞かせるような、そんな病的な口調だった。

 

「ホテルから戻ってくる途中、峠にいたのよ女の子が。可愛そうに思って車に乗せてあげたのよ……それは確かよ……でも、それが誰だったのか思い出せないの……顔も容姿も髪型も何もかも! 幽霊よ。あれは間違いなく峠の幽霊なのよ……」

 

 本当に何かに取り憑かれたようにおどろおどろしく話をするので、少女はぱっと立ち上がると小刻みに震えている母の肩をぎゅっと抱きしめた。

 

 体の内側から震えているようなその身震いに少女は得も言われぬ恐怖を感じて堪らず耳元で叫んでしまう。

 

「大丈夫、お母さん! お酒でも飲んでるの!? 飲酒運転はあれほどダメって言ったのに!! 自制しなきゃだめだよっ」

 

 パニックになったせいか余計な事まで少女は口走っていた。

 

 だが、揺さぶられたままの母の呼気からはアルコール臭はしなかった。

 酔っていないならば一体なんだというのだろうか……?

 

 まさか本当に幽霊を見た、というか出会ったとでも言うつもりなのか。

 

(まあ、本人はそう言ってるんだけど……)

 

 少女が訝し気な視線を送るが、当人は気にする様子もなくなおもぶつぶつと話している。

 

「あれはきっと、小平口峠の幽霊なのよ……そう! 峠で死んだ走り屋の幽霊がわたしを呼んだのよ、もっと走りたいって……!! 限界を超えた走りがしたかったって……」

 

「限界って……」

 

 本気なのか冗談なのか、にわかには信じがたい妄想を話している母親の姿は、目を覆いたくなるほど滑稽だった。

 

 むしろ限界を迎えているのは母の方だろう。

 

 少女が良く知る合理的で理知的な母の姿は今日はもう見られそうにない、少女はそう確信した。

 

「はぁ……」

 

 人間は本当に疲れているとき、覚えのない幻覚を見ることが稀にあると本で読んだことがあるが、それを目の当たりにするとは思わなかった。

 

 最近寝不足が続いているようだったけど、幻覚を見るほどの疲れとはどの位なんだろうか。

 

 とにかく今日はもう休ませてあげよう、ちょっと休めばいつもの母に戻るかもしれないし。

 

 いつか来るであろう母の介護とはきっとこういうことなんだろう

 そう遠くないと思われる未来を想像して少女は少し切なくなった。

 

「ほら、お母さん。ちゃんと歩ける? わたしが寝室まで一緒に行ってあげるから……」

 

 慈愛に満ちた表情で娘は母の手を取る。

 

 突然の優しさに何かあるのではと急に冷静になった咲良はその意図に気づいてぎょっとなった。

 

 いくらなんでもそこまで歳を取っていない、そう言わんばかりの憮然な表情で娘の手を振り解く。

 

「もう! まだ介護なんて歳じゃないわよ! ほんとあなたってデリカシーがないわね。それに何か霊的なものを感じたから、わたしに色々渡したんでしょ? 幽霊が出るなら出るっていってくれればまだ心の準備が出来たのに……意地悪な子ねっ」

 

(幽霊が出るとわかっていたら、さすがに事前に知らせるよ……)

 

 少女は首をすくめて小さなため息をついた。

 

 霊感なんてものは自分にはない。

 

 それにもし幽霊が出るとわかってたら、もうちょっとマシなものを入れていただろう。

 お守りとか十字架とか……。

 

(それにわたしがバッグに入れたのは……)

 

 そういう目的じゃない、もっと別の目的。

 

 っていうか。

 

「え~、なにそれー。お母さんが他人を勝手に幽霊って勘違いしてるだけなんじゃないのぉ? さっきからおかしなことばーっかり言ってるー」

 

 少女は母に冷ややかな目をぶつける。

 

 そういうスピリチュアルな事とは無縁な母だと思い込んでいただけに、落胆というかちょっとガッカリな気持ちになった。

 

「別にいいでしょ、実際に見たし……触ったりも、したんだから」

 

 娘に蔑まれているように感じたのか咲良は拗ねたように口を尖らせる。

 

「それにあなただって()()()()()興味あるんでしょ? なんだっけ……幽霊が実在するのかどうかの天文学的な立証だったかしら、そういう物理的な本、読んでなかった?」

 

「……幽霊は実在するのかの量子力学的可能性」

 

「あ、そうそうそれよ! そういう波動関数的なものに偶然あったのよ、多分。どうしよう、お母さん幽霊に取り憑かれちゃうかも──」

 

 年甲斐もなく体をくねらせてもだえる母親。

 ベッドの上ならともかく、玄関前でそんなことをしても誰も情欲を掻き立てないだろう。

 見たくないものを見てしまったような残念さが少女の眉をしかめさせた。

 

「ふぅ~ん」

 

 少女は母の奇妙なダンスに身じろぎもせず、嫌悪感と落胆をないまぜにした言葉を一言だけ呟いた。

 

 本来明るい気質の少女にしてその氷のような冷たい瞳と抑揚のない言葉は見るもの全てを凍らせるほど冷ややかなものであった。

 それは例え肉親と言えでも例外ではなく、むしろより冷たく氷柱のように突き刺さっていた。

 

 蝉の声も遠くなった晩夏の夜、古びた家のつるんとした廊下に寒々しい空気が滞っていた。

 

 冷え切った間を断ち切るような大きなため息をつく少女。

 埒が明かないと思ったのか、これ以上この話を膨らませることなく、話を変えることにした。

 

「だいいち、あのカバンの中身、お母さんがよく忘れるからまとめて置いてってわたしに頼んだやつなんだよ」

 

「そうだったからしら……覚えてないわ……」

 

「まったく、だから一緒に行こうって言ったのに」

 

 隣県のホテルまでパンを卸に行くようになったのはほんの数週間前のこと。

 

 この町になんの繋がり(コネ)もないパン屋が開店してもそれほど客足は伸びないだろうと、あちこち開拓してみた結果、隣県のホテルが朝食用のパンを買ってくれるようになったのだ。

 

 評判が良かったのか、食パンだけでなく創作パンも買ってくれるようになったので、開業前なのにすっかりお得意様となっていた。

 

 最初の内は母と子、二人で配達に行っていたのだけど、”パンの事はいいから、あなたはしっかり勉強しなさい”とのことになり、最近は母一人で行くことになってしまった。

 

(その割には忘れ物したーとか、プレゼンで何に言うの忘れたーとか言うんだよね。前の会社すごく優秀だったって聞いてたんだけど……ほんとなのかな)

 

 だからそういった”抜けていること”をバッグにまとめて渡したはずなのだが……その目的すら忘れてしまったようだ。

 

「だって、ほらクリップとか入っていたわよ」

 

「それ、お母さんがファイルまとめるのにいるっていうし、いざという時、髪留めにも使えるから入れて置いてってわたしに言ったよ?」

 

「じゃあ、あのベーグルは? あれ、あなたが作ったんでしょう。幽霊が食べちゃったみたいだけど」

 

「え~、あのベーグルお母さんに食べてもらいたかったのに。せっかくの自信作を得体のしれない人に食べさせるとかないよ~」

 

「あら、ごめんなさい。そういえばブランケットも入っていたわよ夏なのに」

 

「お母さん冷房病なんでしょ? クーラーで底冷えして辛いからって、運転するときブランケット膝に掛けてたじゃない」

 

「じゃ、じゃあ、水とかスポーツドリンクは? わたし一人が飲むにしては結構な本数が入っていたわよ?」

 

「……お母さん」

 

「な、なに?」

 

 急に真剣な口調になった娘に母である咲良は少し緊張した。

 そのせいか喉の枯渇を感じて、思わず唾を飲み込んだ。

 

「それ……ホテルの人にあげる分だよ」

 

「あっ! そういうことね!」

 

 母は両手をパンと叩いて合点がいったことを娘に示した。

 

「そうそう、ホテルの人にお世話になってるから差し入れにと持っていったのよね。いやだわぁ、すっかり忘れてたわ」

 

「もう~、お母さん呆けちゃったの? いつも配達するとき差し入れ持って行ってるよね。ほんとに大丈夫?」

 

 少女は母の額に手を当てて熱を測ってみた。

 熱はないみたいだが、やっぱり疲れてるんだろう。

 

「う~ん、どうも今日はなんか調子が悪いみたいね。厄日なのかもしれないわ」

 

 母も自分の額に頭を当てていた。

 娘の言う通り今日は色々ありすぎて疲れ切っているのかもしれない。

 

「ほらぁ、お母さん。もう休んだほうがいいよ。なんならおんぶしてあげよっかぁ」

 

 悪戯っぽく笑って、両手をくいくいと動かす少女。

 

 明るい笑顔に咲良はなんだか救われた気分になった。

 その顔をみただけで帰ってきたかいがある、そう思ったから。

 

「どうしたのお母さん」

 

 じっと見られていることに気付いたのか、少女は不思議そうに小首を傾げていた。

 

「なんでもないわよ。大丈夫、ひとりで歩けるわ。それより明日……いいえ、今日は学校はどうするの? 今日から二学期なんでしょ。一人で行ける?」

 

 玄関に靴を脱ぎ散らかしながら()()の予定をそれとなく聞いた。

 

 今でこそ元気な娘と言ったところだが、ほんの数か月前までは考えられないほどに落ち込んでいただけに、その反動が気になっていた。

 

「わたし、これでも立派な高校生なんだからね。だから、大丈夫だよ。ひとりでちゃんと学校に行ける」

 

「だからね、わたしよりお母さんのほうが心配だよ。すぐ一人で突っ走っちゃうんだから。そっちの方がよっぽど心配」

 

 覚悟を決めたような娘の表情に咲良はやれやれと肩をすくめた。

 

 ブランクがあるくせに無理をしちゃって、誰に似たんだろうか。

 でも、その意思をもった瞳には母として一人の人間として安心していた。 

 

「はいはい、じゃあちゃんと学校に行きなさい。でも……無理しちゃダメよ。辛くなったらいつでも話聞くから。わたしはあなたの味方なんだからね」

 

「うん。ありがとうお母さん」

 

 暖かい言葉に胸がきゅんと疼いた。

 でもそれは、悪くない疼き。

 

 だから素直に心からのお礼が言えた。

 

 こういうささやかな気遣いが嬉しい。

 確かめることのない自然なやり取りが母との間に出来ていることが嬉しかった。

 

 実際、母はよくやっていると思う。

 離婚手続きするだけでも面倒なのに、次に引っ越す家どころか新しい仕事まで決めてしまったのだから。

 

 思い切りがいいというか……でも、母なりに相当悩んだと思う。

 わたしにはそんな事、おくびにも出さないけど。

 

 多分、わたしに心配かけなくなかったんだと思う。

 

 でも、ずっと傍に居てくれた。

 ずっと寄り添っててくれた。

 

 母にとってわたしは、必要ない子なんだって思うこともあったけど。

 

 きっと誤解してたんだね、お互いに。

 

 母はわたしの意向をちゃんと聞いてくれた。

 色々手続きで忙しいのに貴重な自分の時間を割いてまで。

 

 色んなことを話した。

 将来のこと、好きだった従兄のこと、そしてお父さんのことも。

 

 嫌な事も話したような気もしたけど、それでも黙って聞いててくれた。

 

 きっと、わたしにはそれが良かったんだと思う。

 

 わたしはわたしが思っているよりもずっと寂しかったったんだって、わかったから。

 

 気持ちが少し落ち着いた頃、母は一人で色々なところに帆走していた。

 

 なるべく学校が変わらないような場所を引っ越し先に選んでくれたし、新しい仕事の為に必死に勉強もしていた。

 

 パン屋さんをやりたいという願望があったのは引っ越し先が決まった時に初めて知ったんだけどね。

 

 だから、すごく驚いた。

 でも母は抜かりなかった。

 

 勢い任せの行動じゃなく、資格は持っていたし、もろもろの免許や許可も取ってあった。

 

 貯金だってかなりの額があった。

 それでも開業資金でほとんどがなくなってしまったのだけれど。

 

 前の職場でも相当に出来る人だったらしく、会社を辞めるとき相当引き留められたらしい。

 そんな話を本人から聞いた。

 

「──いつ復帰してもいいようにポジションは残しておくからって言われたけど、産休じゃないんだから復職する気はないですー、って言ったんだけどさ」

 

 何本目かの発泡酒を開けながら笑いながらそう言った母はそれなりな笑顔だった。

 なんだかんだで認められたのが嬉しかったんだろう。

 

 それにしても、あれだけ父に”飲みすぎ”って注意してたのにその本人が一番飲んでるという……まあ今となってはいい思い出なんだけどね。

 

 でも、お父さんはスポーツドリンクでお母さんはお酒……そう考えるとなんだか相性はそんなに良くなかったのかもね。

 

 いつからか、母は別れた父の愚痴を話さなくなった。

 

 なんでそんな事言うんだろうって思ってたけど、それってただ単に寂しさからだったんだね。

 

 それがわかるようになった。

 

 だってわたしも同じだったから。

 ずっと、ずっと寂しかったから。

 

「どうしたの? 何かわたしの顔に付いてるかしら」

 

「んーん、何でもない」

 

 真顔で尋ねる母にそっけない返事を返す娘。

 

 そこにはなんの気負いも緊張もない、ただただ普通のやり取り。

 だからこその幸せ、何気ないちょっとした幸せを感じる。

 

 欲しかったものはきっとこんな他愛のないもの。

 でも、求めようとすれば意外と難しいものだった。

 

 ”簡単なのにやり遂げるのは難しいこと”。

 

 もうだいぶ前に聞いた気がする言葉、どこかへ置いてきたような想いの残滓。

 

 何が原因でそう言ったのかもう()()()()()()()のだけれど。

 その答えがこれなんじゃないかと思っている。

 

 遠くに行ってしまった想い。

 

 それがいいとか悪いとかじゃなく、そうなってしまっただけのこと。

 

 人づてに母から聞かされたとき、何の感情も湧いてこなかった。

 悲しいとも寂しいとも思わなかった。

 

 むしろ幸せになってほしいと願った。

 

 わたしとじゃなく別の、自分の幸せを求めて欲しいと。

 

 そう、幸せ。

 

 わたしは幸せになる資格なんてない。

 だからせめて、彼女にだけは幸せになってほしかった。

 

 そう、だったのに。

 

「なんか頭がくらくらしてきたわ……今頃になって疲れが出てきたみたい……やっぱり寝不足からきてるみたいね……」

 

 壁に寄りかかりながら母がふらふらとした足取りで寝室に向かっていた。

 

 その様子は本当に疲れているようで、足がおぼついていない。

 

「お母さんは早く寝て。後はわたしがやっておくから」

 

 母の様子を気にしながら、少女は脱ぎ散らかした靴を綺麗に並べた。

 この靴でどこかへ歩き回ったのだろうか、いつも綺麗に手入れしているのに、今日はやけに汚れていた。

 

 この泥のような汚れが幽霊の仕業というわけではないとは思うが、母の言う”何か”はあったんだろうと思う。

 

 それでも幽霊が出たとは信じられないのだが。

 

「ごめん、後は頼むわね。でも学校へ行くときは一声かけてね。朝食は無理だけど見送りぐらいはしたいから」

 

 母親らしいセリフを言う母親。

 それがなんとも母性を感じさせて、少女の胸をどきっとさせた。

 

「もう、小学校の入学式じゃないんだから。でも……うん、わかった。家を出る前に声をかけるね」

 

 屈託なく笑うその仕草に、咲良は言葉通り娘の小学校の入学式を思い返していた。

 

(……あの頃とそんなに変わってないわね)

 

 くすくすと笑う母の姿に娘は理解できず何度も首をかしげた。

 

「んー、何が面白いの?」

 

「いいのよ、あなたは気にしなくて。あ、それよりも」

 

「なにー?」

 

 母とこうして話しているのは楽しいが、いい加減眠ってほしかったので、ちょっと面倒そうな返事をする。

 

「あなた、友達と喧嘩したんでしょ? 大体あなたがガサツなせいでトラブルが起きるんだからちゃんと謝っておきなさい」

 

「え~、わたしお母さんと違ってガサツじゃないもん。それにわたし誰とも喧嘩なんかしてないよ」

 

「……もう、一言余計よ。でも、確かそんな事……あら、おかしいわね」

 

「どうしたの?」

 

「うーん、なんか思い出せないのよね。あなたと同じようなこと言ってた気がするんだけど……どういうことなのかしら」

 

「はあ……もう寝た方がいいよ。お母さんあんまり顔色よくないし」

 

「また失礼なこと言うわね。でも、分かったわ、やっぱり少しは寝ないとダメよね。体にも精神にもよくないし」

 

「うんうん。でも、大丈夫? 一人で寝れるの~? 怖いんなら一緒に寝てあげるけど」

 

 からかうように口を寄せて悪戯っぽく笑いかける少女。

 

 その言い方があまりにわざとらしかったので咲良は腹を立てるどころかなんだか可笑しくなってしまった。

 

「やっぱり怖いから一緒に寝て~。”ママ”怖いわ~」

 

「えっ、なにそれっ!! ”ママ”だなんて初めて聞いたよっ!」

 

 思わずその場で飛び上がってしまった。

 

「失礼ねぇ。小さい頃は”パパ、ママ”っていつも甘えてたでしょ」

 

「そんな昔のこと覚えてないけど……もしかして思い出を捏造してない?」

 

「そんなわけないでしょ。それより……」

 

「ん?」

 

 母が突然真剣な口調になったので、少し緊張する。

 

「……なんでもないわよ。やっぱりもう寝るわね。後のことはお願い」

 

「あ、うん」

 

 何が言いたかったんだろう、と首を傾げるがそれ以上問いただすことはしなかった。

 少し背中を丸くしながら寝室へ向かう母の背中を少女はぼんやりと見送っていた。

 

「ねぇ、”(りん)”」

 

 少女が玄関前で突っ立っていると、暗闇の先から声が聞こえてきた。

 その声がなぜか他人事のように聞こえて、一瞬何のことか分からなかったぐらいだ。

 

 なに──、と返事をする前に母の声が廊下に響く。

 

 寂しい廊下の中に明るい幻燈の様な声が反射して、わずかながらに色が灯った気がした。

 

「一応、玄関前に”塩”、蒔いておいてね。本当になにかあったら怖いし。それと戸締りはしっかりしておいてね」

 

 はいはい、心でぶっきらぼうな返事をする。

 お母さんは変なところで繊細だった。

 

「うん、わかった! お休みなさいお母さん」

 

 いい子を演じるつもりはないけど、今はこう言ったほうが良い気がした。

 

 一瞬”ママ”って言った方が良いのかと思ったりもしたが、あまりにもアレ過ぎるのでやめておいた。

 

 とりあえず塩を取りにキッチンへ出向くことにする。

 自宅はパン屋を併設しているので二つキッチンが備え付けてあった。

 

 古いキッチンがあったのだが、昭和より古い年号のものだったので、勿体ないが全て交換したのだ。

 

 だから家の外見とは違って、今風のキッチンになっている。

 ただ予算の都合で中古品や特売の品ばかりなのだけど。

 

 小綺麗な対面式キッチンの前にある白塗りのテーブル。

 これも一緒に新調したものだ。

 ところどころにある小さな傷は中古品であることの証だったが、限られた予算内で誂えたものだから仕方がない。

 

 それでも結構気に入っていた。

 それは燐が自分が選んだデザインだったから。

 

 そしてそれを母が買ってくれた。

 

 母に認められたみたいで嬉しかった。

 

 白いテーブルにはテレビのリモコンしか置いていない。

 

 このテーブルの良さは何も置かない時が一番輝いている、燐はそう思っていた。

 リモコンはまあ、特権扱いとして認めているが。

 

「これでいいか」

 

 燐はキッチンの隅にあった、食塩の入った瓶を手にする。

 

 ”塩を撒く”を額面通りに受け取ったので、燐としてはゆで卵をに塩を振りかけることとほぼ同義だと思っていた。

 

 青いキャップの瓶を手に玄関前まで行くと、下駄箱の上に置かれていたエコバッグが目に付いた。

 

「お母さん、また忘れてるよ……」

 

 半ば呆れたように呟くと、燐は何ともなしにその中を覗いてみた。

 

 それは普通の行為だったが、中身は普通ではなかった。

 

 なぜなら、予想だにしないものが入っていたから。

 

 燐の予想では中には空になったペットボトルが数本と小さな備品が入っているはずだった、それはさっき母が見せてくれたから。

 

 でも、違った。

 

 最初に出てきたのは違うものだった。

 

「これ、毬だ」

 

 手にしたものが間違いでないことを確認するように少し大げさに口に出してみる。

 

 入れた覚えのない毬が、エコバッグの中から出てきたのだ。

 

 七色の糸でかがられた手毬。

 それは何故か知っているもの。

 

(──そうか、だから”あの時”)

 

 燐は毬を手にしたまま遠くをみる仕草をした。

 

 忘れようとも忘れられない青と白の世界。

 わたしはそこに確かに行った。

 

 無人のプラットフォームに大きな水溜まりの池。

 

 青いドア。

 

 風も吹かない風車の森。

 

 夢のようで夢じゃない世界。

 

 ”あの人”とまた逢ったのは風車の上。

 相変わらず風も吹かない場所だったけど、あの人の髪は揺れていた。

 とても綺麗な黒髪が音もなく流れていたから。

 

 だから、そんなに……寂しくなかった。

 

 ひとりだと泣いていただけだと思うけど。

 

 あの人がいたから、わたしはまた戻ってこれたんだと、思う。

 

 ”オオモト様”は優しかったから。

 

 

「──ねぇ、お母さん! この毬、どうしたの!?」

 

 寝室に戻ったであろう母親に玄関から声をかける。

 

「……」

 

 結構大声を出したのに返事は帰ってこなかった。

 もう、寝てしまったのだろうか。

 

 なんとなく胸騒ぎを覚えて燐は急いで母の寝室へと向かった。

 

 毬を小脇に抱えたまま、つるっとした木の廊下を駆け抜ける。

 

 ときおり廊下がぎいぎいと鳴く。

 

 その音に妙な懐かしさを感じて、燐は一瞬ぼんやりとした。

 

 前に住んでいた中古マンションよりも格段に広い廊下。

 学校ならともかく、古い廊下があるところなんて今はあまりないのに。

 

(なんでだろう、前にもこういうことがあった、とか?)

 

 一つ角を曲がった先に母親の部屋がある。

 元は襖部屋しかなかった古民家だが、新しく住むにあたって全て取っ払って、代わりに壁とドアを付けて独立した部屋に作り直し(リノベーション)したのだ。

 

「……お母さん」

 

 バタバタと部屋の前まで行くと、それまでの慌ただしさとは一転して平静な声で呼びかける。

 

 その声は部屋の中からでも聞こえるほど澄んだ声だったのだが、それでも母の部屋からは返事はなかった。

 

 燐は軽くノックしてみた。

 

 こん……こん……。

 

 応答はない。

 今度は少し強めにノックしてみる。

 

 こんこんこん。

 

「………」

 

 やはり応答もなく、出てくる気配もない。

 

 まさかとは思うが……ちょっと躊躇したのち燐は部屋のドアに手を掛けた。

 スライド式のドアが音もなくするりと横に移動する。

 それがあまりにも滑らかに動くものだから、拍子抜けしてしまった。

 

「……お母さん?」

 

 小声で母を呼びながら部屋へと入る。

 

 明かりのない母の部屋はさながら海の底のような仄暗い異空間だった。

 けれども、独特な母らしい匂いがしているのですぐに分かる。

 多種多様なフレグランスの香り、わたしにはまだ似合わない感じの柑橘系の香り、それが充満した母の部屋。

 

 それにしても照明はともかくクーラーも点けていなかったようで、部屋の中はちょっとした蒸し風呂風味だった。

 

 暗い部屋を手探りで進むと何かが足に絡みついてきた。

 

 燐はそれを蛇か何かと勘違いして思わず悲鳴を上げそうになった。

 すんでのところで口を抑えると、足に絡んだものを指先で摘まみ上げてみる。

 

 薄いブルーのレースの派手な紐に二つのカップが垂れ下がっていた。

 

(なぁんだ、お母さんのブラじゃん……)

 

 心底ほっとしたように呟くと、その紛らわしいものをその場に投げ捨てる……ことはせず、律義に畳んで白い棚の引き出しの中に綺麗に並べ入れた。

 

(相変わらずだらしないなぁ)

 

 暗くてよく見えなかったが、部屋のあちこちには脱ぎ散らかした衣服が散乱していた。

 さきほどまで来ていた黒のスーツもしわくちゃのまま、床に転がされている。

 

(ほんとにもう、せっかくのスーツが皺になっちゃうよっ!)

 

 慣れた手つきで衣服を片づけていく。

 暗がりの部屋の中なのに、どこにしまうのかが分かっているのはいつもやっているから。

 

 外ではしっかり者で通っている母も、家に帰ればこんな感じだ、

 

 つまり、これはいつものわたしの仕事なのだ。

 

(こーゆーとこがお父さんに愛想をつかされちゃったんじゃないの)

 

 衣服をたたみながら心の中でそっと毒を吐く。

 あらかた片付いただろう、燐は部屋の中央に鎮座してるベッドに近づいた。

 

 これだけ物音を出しているのに母は気付かず、すぅすぅと安らかな寝息を立てていた。

 さっき玄関で別れてから5分と経ってないのに既に夢の中にいるとは。

 

 燐自身もそうだが、母もこんなに寝つきがいいとは思わなかった。

 

(こういうとこ遺伝、なんだろうなぁ)

 

 なんとなく納得した様子で寝息を立てる母を見下ろす。

 

 穏やか寝息。

 当然いびきなどはかいてはいない。

 

 けれどもその顔の様相というか、ところどころに浮いている小さな皺の筋は彼女の年輪というか苦労のようなものを表わしていた。

 

 母の疲れ切った寝姿に胸が苦しくなってくる。

 それは次第に切なさと憂いを燐に訴えかけるようになった。

 

 ──結局わたしは。

 

(わたしは、自分のことしか考えてなかったんだ。お父さんのこと、お母さんのこと、お兄ちゃんのことだって、全部自分中心で考えてた……)

 

 多分、前から分かっていたことだったが、それを認めるのが怖かったんだと思う。

 

 他人を愛せれば自分も同じように愛してくれる。

 そう考えるのが楽だったから。

 

 ”愛されたかったら同情をすればいい”なんて、何かの小説で言ってた気がするけど、わたしはそれと同じことをしていたんだと思う。

 

 それで結局自分だけが傷ついてしまう。

 

 傷ついて、ひっかき傷だらけのボロボロになった心には癒しも、見て見ぬ振りも、なんの意味もないのだから。

 

 できることはただ一つだけ。

 

 ──認めること。

 

 自分の弱さを認めること。

 

 でも……それだけじゃダメなんだってことを教えてくれた人がいた。

 

(それがお母さん、だよね)

 

 お母さんはわたしにずっと寄り添っていただけじゃない。

 ちゃんと先を考えて動いていた。

 がむしゃらじゃない、確固たる目的があって動いていたのだから、素直に凄いと思う。

 

 そのせいで自分の楽しみが減ったみたいだけど、それでも動くことを止めなかったお母さん。

 嫌なことだってやりたくないことだってあったはずなのに。

 

(でも、ごめん。わたしは何も変わってない。弱い心のままなんだよ)

 

 燐は母の部屋で一人涙していた。

 それは実際には流れていないが、心の奥は涙で溢れに染みを作っていた。

 

 非日常な体験をしても、すごく辛いことがあっても、何も変わらない。

 住む場所が変わったって、何も変わらなかった。

 

 わたしはわたしにしかなれなかった。

 

 どんなに強がってもそれだけは変わらない、変わりようがないのだから。

 

 学校に行かなくなっても、自分に傷をつけてもこれといった変化はなかった。

 

 ただ虚しさが募るばかりで。

 

 お母さんはなぜか怒らなかったけど、それが余計に辛かった。

 

「わたしはなんのために生まれたのかな」

 

 暗いガラスのような瞳で、母を見る。

 外よりも暗い闇の中にもっとも深い闇がその瞳に宿っていた。

 

 少女は毬を両手に抱えてみる。

 

「やっぱりこれ、あの時のだよね」

 

 あの時、あの場所、あの人。

 色々な”あの”が燐の中で駆け巡る。

 

 どれが本当の”あの”なのかは分からない。

 

 とりあえず燐は、その人がしていたように毬を上に放りなげてみる。

 

 ちりん、ちりん。

 

 小さな鈴の音が静まり返った部屋の中に鳴り響く。

 

(この毬、中に鈴が入ってるんだ……)

 

 投げた瞬間に気になったのはそれだけ。

 天井にぶつかるかも、なんて気にしなかった。

 

 燐が慌てて気付いたときにはもう遅く、毬は瞬きほどの速度で天井すれすれまで上がっていた。

 ちょっとしたことになるのではと危惧したが、燐の憂いを笑うかのように毬は天井を掠めただけで落ちてくる。

 

 その奇妙な毬の動きをじっと目で追っていた。

 一秒にも満たない毬の軌跡がなぜだかとても長く感じられた。

 

 そして毬はいつの間にか手に戻ってきていた。

 そのことを知らせる様に、手のひらの上で毬がまたちりん、と鳴った。

 

 傷一つない手毬。

 綺麗な糸で表面を飾り立てられている。

 

 工芸品としても良く出来ているように思える。

 価値の知らない燐でさえもその出来栄えに感嘆するほどだった。

 

(偶然か、必然か……なんか、そんなこと言っていた)

 

 言葉が唐突に蘇る。

 

 あの人は毬が手元に戻ってくることを偶然と言っていた。

 それは毬だけじゃなく、”この町で”起こったこと全てが偶然だと。

 

 わたしが巻き込まれたのも、お兄ちゃんが二つに分かれたのも。

 

 そして……。

 

 とても悲しいことがあったのも全て偶然。

 

 じゃあわたしが今ここにいるのも何かしらの偶然が働いたからなのか。

 だとしたら人間の意思って何なんだろう。

 

 そんな哲学めいたことを考えても何の答えはない。

 

 もし、もしも。

 

 今、目の前で寝ている母がこのまま目を覚まさなかったとしたら……わたしは一体どうするんだろうか?

 

 また、大切なものを失ったらわたしは今度こそ……。

 

 そんな刹那的な考えを振り切るようにかぶりを振ると、自身の心の狭さを憂いて、燐は嘆息した。

 

「燐?」

 

 闇の中から声がしたような気がして、はっとなると黒の中で二つの目がこちらを見ていた。

 半開きの瞼から覗く目は微睡みとちょっとした疑問母がこちらを見ていた。

 

 その純粋な視線に耐えかねて、燐は慌てたように手をばたばたとした。

 

「あ、えっとぉ、ごめん起こしちゃった? あの、さ。この毬どうしたのかなって……」

 

 言い訳めいた言葉を連ねる我が子の姿を見ても頭が回らないのか、半ばまだ夢見がちな症状のまま、咲良は呆然としていた。

 

「あ~、なんだったっけそれ。たしか……ゆーれーの忘れ物、だと思う……悪いけど後で交番にでも届けててねぇ~」

 

 ふぁ~、大きな欠伸を語尾に付けて一通り喋ると、お母さんは満足したのかこちらに背を向けてまた夢の世界への扉を開きに行ってしまった。

 

 なにそれ~、とお決まりの反論をしようとする前に、背を向けた母がぽつりと呟いた。

 それは寝言だったのかもしれない、でもはっきりと耳に届く言葉で言っていた。

 

「あなたは、あなたよ。何者でもないわ」

 

 それこそ哲学的な言葉だったが、特に意味がありそうなわけではなさそうだ。

 

 それでも。

 

「うん……ありがとう」

 

 そのわけのわからない言葉がなぜだか救いになった気がしたので。

 

 燐は素直に微笑んだ。

 

 今はそれで良いんだ、焦る必要なんてない。

 そう、思えたから。

 

 

 部屋を出るとき、もう一度母の方を振り返った。

 

 さっきのは寝言だったのか、小さく寝息を立てていた。

 

 燐は思い立ったようにまたベッドまで行くと、穏やかな母の額に軽いキスをした。

 

 

 ……………

 …………

 ………

 

 

「えっとぉ、これでいいみたいだね」

 

 玄関の隅に小さな皿をことんと置いた。

 その上には山のよう盛られた塩。

 

 ”塩を撒く”の意味がイマイチ分からなかったので、スマホで調べてみた。

 

 最初のでも間違っていないみたいだが、魔除けとなるとこういった形が定石らしい。

 

 食塩ではなく、ちゃんとした塩、小皿に中心にはあまりに可愛いとは言えない猫の顔が書いてあった。

 

 家にあるもので適当に見繕ったものだが、それなりに形になった気がする。

 それに塩はあとで回収してもいいしね。

 

(まあ、さすがに食べる気にはならないけどね……ナメクジにかけるとかあり、いやなしだね)

 

 皿の上の白く雪の様な小さな山脈になんとなく愛着が湧いてきて、燐はその頂を指でつまんでみる。

 

 指の上の塩の絨毯、それを雪のように白い塩の山に降らしてみる。

 

 雪というよりも霙のような重さで落ちていく塩の雪。

 

 その情緒もない落ち方がなんともストレートでおかしかった。

 

 指に残ったそれを舐めてみる。

 

 ぺろり。

 

 舌先に鋭いしょっぱさが傷のように残る、このしょっぱさが魔除けになるのだろうか。

 

 でも、塩は料理にも欠かせない。

 

 パン作りにだって当然塩は必要だし、人気の塩バターパンは塩がはないと始まらない。

 ブリオッシュにも……塩はいるね、うん。

 

 そう考えると塩って結構すごいかもしれない。

 味付けにも使えるし魔除けにも使えるのだから。

 

 シシュポスが登った山はもしかすると、このような塩の山だったのかもしれない。

 

 ただ果てない徒労を与えるだけでなく塩を舐めることで疲れを癒し、そしてまた岩を運ばせるために。

 いわゆるアメとムチの関係があったのかもしれない。

 

「あ、砂糖でも良かったかな? うち砂糖もいっぱいあるんだよね。そのほうがナメクジも喜んだかも」

 

 そうなるともはや魔除けでもなんでもなくなるのだが、当の本人は気にせず目の前の白い子山に話しかける。

 

 そんな謎めいた情感をもって塩の山を眺めていると、その白い頂が一層光ってるのを見かけた。

 玄関前の人感センサー付きのライトの明かりでは出せない、もっと高貴で安らぎに満ちた柔らかい光の宝石。

 

 燐はしゃがんだままその後ろ、その遥か上空を見上げる。

 太陽が昇る直前に見ることできる星、金星が青と白の間で浮かんでいた。

 

 こんな時間まで起きてたことはなかったのですごく新鮮な光景だった。

 

 青と紫の狭間でつつましく光る一つの星。

 あたりの星影がなくなっても、異彩を放つように一人だけで輝き続けている。

 見つけて欲しいような、でも見られたくないようなそんな思慮深さで。

 

 太陽が昇る間のささやかな時間で自分を表現するように輝いていた。

 

 だが、そんな神秘的な光景をみても燐は別の事を考えていた。

 美しい光景よりももっと現実的なこと、そう──。

 

「そういえば……車のハザード付けっぱなしだったじゃん。お母さんわりとよく忘れるんだよね。バッテリーが上がっちゃうからって言ってるのに」

 

 ぐっ、と上体を起こすと、ポケットから取り出した車のキーを手に行進するかのような高揚感を持って軽自動車へと向かう。

 

(なんか、自分の車みたいな言い方してたかも)

 

 その胸の高鳴りは車を動かす口実が出来たこと。

 

 まだ燐は免許を持っていないのだが、こうした”非常事態”が起きた時に車を動かすことがあるのだ。

 

 当然無免許なので見つかれば罰則ものなのだが、前に住んでいた町と違い、この町(小平口町)はどこか素朴で閑散としているので、こういう事には寛容……な気がしていた。

 

 それに運転するのは初めてじゃない、お母さんが疲れた時運転を変わることもあるし、自分一人で運転したことだって結構あった。

 

 夏休みという期間それほど退屈を覚えなかったのは新しい環境と、この新しい技術(ドライビング)を覚える楽しみがあったから。

 

 でも、本当のところはちょっと違うのかもと思ってもいた。

 

(あの時確かにわたしは車を運転していた。でも、何のためだったのか、それがよくわからないんだ)

 

 モヤモヤした感情が膨れ上がり爆発しそうになった。

 けれどもそれがわたしを行動させる原動力となった。

 

 それでもなんとなく街中を歩き回るのには抵抗があった。

 前にもまして人の目が気になってしまう、特に男の人の視線には敏感になった気がする。

 特別な意味はない、と思うけれど。

 

 だから夜に活動することが多くなった。

 

 もっとも昼は母の手伝いで開店の準備や片付けで忙しいので夜しか空いている時間がないのだけど。

 

 それにお母さんが気遣ってわたしを昼間連れ出そうとはしなかった。

 

 なんでだろう? あんなに青い空が好きだったのに、今はあまり見たくない。

 雨の日のほうが幾分落ち着く気がする、どうしてだかわからないけど。

 

(でも、今のこういう景色も好きだなぁ。いつかちゃんと免許が取れたら、朝焼けをみながらドライブしてみたいな)

 

 ささやかな願望を胸に、自家用車と化した我が愛車”ノクチュルヌ号”へと向かう。

 

 夜を思わせるそのボディーカラーを見て、自分が命名したのだが、母は恥ずかしがって一向にそう呼んではくれなかった。

 

「可愛い名前なのにねぇ? ”ノクちゃん”っ」

 

 ボンネットを軽く撫でると、ノクちゃんはカチカチとハザードランプで返事をしてくれた。

 ノクちゃんは小回りも聞いて燃費もいい、可愛いやつなのだ。

 でもちょっぴり照れ屋さんでいまは耳をたたんでいるけど。

 

 燐が運転席のドアに手を差し込むと、ノクちゃんは観念したように両耳を広げた。

 この何が始まるような期待感、燐はそれが好きだった。

 

「──ねぇ、太陽が昇り切ったら星はどうなると思う?」

 

 これから運転席に乗り込む瞬間のことだった。

 いっさいの気配はない。

 

 ただ声がして、そしていつの間にかそれが燐の背後に立っていたのだ。

 

 早いとかそういう感じではない。

 突然その場に現れたような、そんな人知を超えた動きをするものがすぐ後ろにいるのだ。

 

 振り返るだけの余裕もなく、ただ目線だけを横にして背後をみる。

 燐は息をするのも忘れてそのことだけに集中した。

 

 赤い着物、そこから覗くすらっとした手足。

 前髪を短く切り揃えた、小柄なおかっぱ頭の少女。

 

 その少女の顔を見て燐は目を見開いた。

 知っている顔、だった。

 

 けれども喋ったことはない。

 別の姿では見たことがあった。

 

 ()()()() ()見たのはこれが初めてだったから。

 

 だから声も出なかった。

 

 その少女は雨が降っていないというのに傘を差していた。

 瞳の色と似た緋色の和傘、それを華奢な肩で悠然と担ぎ持っていた。

 小さな白い手を握りしめて。

 

 傘から覗く大きな瞳は星のような純粋さで上を見ていた。

 その緋色の眼差しは自分よりも遥か上の藍色の空に向けられていた。

 

 まるでもうすぐ雨が降るかのような繊細な視線で。

 

「そうじゃないわ。太陽が昇ると星が落ちてくるのよ。星の光は宇宙からの力の源、それが幸運と言う形になって地上に染み落ちるの」

 

 小さな唇から不思議な言葉を紡ぐ少女。

 叙情歌のようなロマンティシズムな言葉はその可憐な姿ととてもマッチしていた。

 

「星が?」

 

 降ってくるわけがない、燐はそう言おうとしたが、少女があまりにも純粋に空を見上げているものだから、それ以上何も言えなかった。

 

 だから燐も少女の隣で同じように空を眺めた。

 

 隣にいるが母の言う幽霊かもしれない、でもそれは問題ではなかった。

 

 だって、空がとっても綺麗だったから。

 何物かどうかを詮索するのはその後でもいいはず。

 

 とても奇妙な感覚だったから。

 

 カチカチと急かすように鳴るハザードランプを置いてけぼりにしたままで。

 

 

 空が星を零すその時を二人はただ一途に待ち続けていた。

 

 

 

 

 ────

 ───

 ──

 







★ 祝、ゆるキャン△ 2期放送開始 & 単行本11巻発売!! ★

2期放送直前まで本当にやるのかと謎の疑心暗鬼をしてましたので、結構ドキドキしながら見させていただきました。星座待機まではしませんでしたがっ。でも、アニメを見るだけでドキドキするとか何時ぶりでしょうか。

それで感想なんですが──。

第1話。
・いきなりアニオリ展開から来るとは思わなかった──!! ですマジで。よもやリンの中学時代から始まるとは……でも、良いサプライズでした。
そして新オープニングなんですが……どことなく某、山歩きアニメ風味で結構好きです。個人的には1期OPよりも好きですねー。曲と動きのマッチングがたまらないです。

第2話。
・原作で言うところの25話、26話をアニメ化した話なんですが……なんかすっごく密度が濃かったぁ。なんかもう一つのセリフも逃すものかってぐらいの勢いで再現してましたねー。
そのせいか体感1.15倍速でしたよー。大晦日~元旦の話ってこんなに情報量多かったのかぁ……漫画だとそこまで気にならなかったんですけどね。
アニメになって動きがつくとこうも違った印象になるんですねー。

出来るだけ原作のいいところを取ろうした結果なんだけど、遊びを入れたところが車でのシーンだけぐらいですかねぇ。
あとは、福田海岸のチャリティー賽銭箱の件、流石にセリフにはしなかったようですが、鳥居のシーンではしっかり書いてありましたね。そういうのは個人的に良いとおもいます。

見附天神での”ラス詣”や謎の白い犬まで再現するとは思わなかったなあ。特にラス詣はアニメだと何を言ってるのか分かり辛いのに敢えて言いかえをせずにそのまま採用するとは……原作愛ですねぇー。

それと夜のキャンプシーンはアニメならではの表現でよかったですねー。原作にはなかった風車を書いてるのは良かったです。

そうそう、今年は初日の出を拝みに行かなかったので、ゆるキャン△ で初日の出を堪能させていただきました。
今年もまだ緊迫した状況が続きますけど少しでも世界的な快方に向かってくれればと思います。

青い空のカミュが好きなってから若干風車フェチになってる気がするなぁ……車を運転中、風車が見えるだけでテンション上がってついよそ見が……(危ないので止めましょう!!)

そういえば、私はBSでゆるキャン△ 見てるんですけど、前番組が何故かきんいろモザイクの一期なんですよね。
だからか余計にゆるキャン△ の密度が濃いっていうか尺当たりの情報量が多く感じます……。流れを知ってる人でも結構追いきれなかったのではと思ったりします。

ですが、2期はこんな感じにならざるを得ないでしょうねぇ。そうじゃないと伊豆キャンも含めて1クールに収めるのは無理っぽいですしねー。

今後の尺の使い方が楽しみですねー。もしかすると伊豆キャンで詰め込み過ぎて、二倍速アニメになってたら別の意味で面白いかもしれないです。
リンの黒船来航はカットするかなー。結構好きなシーンなのでどうなることやらー。


さてさて、話は変わってしまうのですが、今世間を騒がしているマスクの話題を少しだけ。

ほんの数日の間に布やウレタン製のマスクがダメな子扱いになって、普通の不織布(ふしょくふ)マスクのほうが信頼性が高くなってしまうとは思わなかったですよ……。

1年前のようにマスク不足にはならないのでしょうけど……うむむむ、なんか煮え切らないですねぇ……。


あ、それと前回、今年は迂闊なことをしないと言っていたのですが、早速もう迂闊なことをしてしまいました……。

まったく興味がなかった某ミスドの行列に並んでしまうとはわあああぁぁ。っていうかなぜ行列作ってるし。有名チョコとコラボしたドーナツがそんなに人気なんでしょうか。

そういう”みーはー”な精神が密を呼んでしまうと言うことをなぜ理解できないのかぁー(特大ブーメラン)

カミュのペストの一文を借りるなら、”何人も、最悪の不幸(新型コロナ)の中にさえ、真実に何人のかのこと(ミスドの新作ドーナツの為に並ぶこと)を考えることは出来ない”、と言った感じになるかな? なんか違う……。

……まあ、美味しかったんですけどねー。っていうか甘っ! ドーナツ食べるなんて久しぶりだったからすごく甘い……珈琲がなければ即死だった……甘さで。
個人差によるとは思いますがっ。


それではでは──。


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