We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life. 作:Towelie
「お疲れさまー!」
「お疲れさまでーすっー!!」
「今日、帰り何食べてく?」
「あっ、あたし今日はパス」
「マジで? あー、オトコかぁ? このやろー」
遠くの山々は真白に染まり、海から流れてくる潮風にも冷たいものが混じり始めた頃。
冬の到来が日々を実感しつつあった。
ついさっきまでグラウンドで汗を流していた少女たち、白い息を吐きながらそれぞれ放課後の楽しみ方をわいわいと話し合っていた。
それは練習の時よりも生き生きとしたものに見えたのだが、ある少女は憤懣やるかたないと言った感じであからさまな態度で頬を膨らませていた。
「燐ー、あとお願いねー」
「ええ~、またわたし一人なのー?」
燐は頬を膨らませてチームメイトに文句を言った。
「何言ってんの、当たり前でしょ」
「そうそう」
燐の不満はさっきまで一緒だったチームメイトに一蹴された。
「だってさ、わたし一人で後片付けやってるんだよ。そろそろ手伝ってくれてもいいんじゃないのかなぁ……?」
人差し指を合わせながら、ちょっと媚びた様子で燐は上目で見つめる。
何もしなくても可愛いタイプの燐にこれをやられたら、その辺の男なんかイチコロなのだろうけれど。
燐と同じチームメイトはすっかり慣れているので特に効果はなかった。
なので軽くあしらわれる。
「ダメダメ、これは燐が決めたことなんだから。ちゃんと最後までやらないとね」
「でもでもっ、一人で後片付けってすっごく疲れるんだよ? 今日で最後なんだからみんなでやろうよ~。ねっ、後で何かおごるからさぁ」
燐は引き下がることなくチームメイトの手を掴むとさらに甘えたような声をあげて見返りを提示した。
そこまで悪くはない提案だったので、手を掴まれた少女は首を捻る。
「んー、まあ今年最後なんだしちょっとぐらい手伝ってもいいけど──」
「ほんとっ? トモっ!」
燐は顔をぱっと明るくして、ホッケー部で一番の親友のトモに詰め寄った。
「なんて……やっぱダメっ!」
トモは燐の手を話すと、目を指で伸ばして舌を出した。
「最低なやつだなトモは」
隣にいた同じチームメイトの田辺はドリンクにストローを差しながら冷ややかに言った。
運動の後に飲む豆乳ドリンクは美容と健康に最適だと田辺は何かのネットの記事で見たことを律義にも実践していた。
今日のフレーバーは豆乳の”あずき黒蜜”風味。
昨日飲んだ、”抹茶ストロベリースムージー、ゆずラムネ風味”とか言う、味が喧嘩しているよりかはいくぶんマシであった。
つまりまあまあの味だった。
安心しきった顔で豆乳ドリンクを飲む田辺を他所にトモと燐の会話はエスカレートしていた。
「むむぅー! トモの意地悪! 鬼軍曹! 役立たず! ついでにディフェンスが下手!」
気を持たせるような素振りのトモに燐は罵詈雑言を浴びせた。
「なっ!? 役立たずとか、ディ、ディフェンスとかは関係ないじゃん! まったくもう、燐は興奮するとすぐ口が悪くなるんだから……」
トモは自分でも気にしているところを言われて顔を真っ赤にして抗議した。
「まあでも……ごめんごめん。からかったわたしも悪かったよ。でもさ、今日で最後なら最後までキチンとやったほうがいいよ」
「そうそう、それに燐はキャプテンに目を掛けられてたから期待を裏切られた反動が大きかったんだよ。いわば愛のムチだね」
「そんなの嬉しくないもん。わたしこれでもエース候補なのに、みんな薄情だよねっ」
燐は聞く耳を持たないようで、ぷいとそっぽを向いた。
「まあまあ、落ち着きなよ燐。それに燐だって思い当たる節があるじゃん。連絡も無しに練習休んでたんだし」
トモはなだめすかせるように笑いながら、燐の肩を揉んだ。
「だよねー、しかも一日や二日じゃなかったよね。丸二か月も休めば怒られても仕方ないって」
ストローを名残惜しそうに加えながら田辺はめんどくさそうに言った。
田辺の正論に燐は言い返すことが出来ず、代わりにぐぬぬと歯を軋ませていた。
「ウチ、燐がてっきり退部したと思っとったけん。二学期明けで戻ってきたときはビックリしたわー」
まだ着替えている途中だったのか、制服を無理やりスカートの間に押し込みながら燐よりも小柄な女子生徒もこの話に加わった。
「おー、藤井おつかれー」
「フジッコ、お疲れ~」
「ウチはお豆さんやないで~。あ、トモちゃん燐ちゃんお疲れさん」
藤井は変な呼び方をする田辺を笑顔でスルーして、トモと燐に挨拶した。
「べーちゃん……ウチ、その言い方は嫌って前にも言ったやん。まったく学習能力のないやっちゃでほんま……」
藤井はその言われ方がよほど気に入らないのかぶつぶつと文句を言いながら、制服の袖をうにょーんと伸ばしていた。
同時に二つのことはできないタイプだった。
べーちゃんと言われた田辺もその呼ばれ方が気に入らないらしく、露骨に顔をしかめていた。
「そいで、みんな何の話しとったん?」
「お前……何の話か分からずに参加してきたのかよ」
田辺は藤井を見下ろしながら呆れたような声を出した。
田辺はホッケー部で一番背が高く、対する藤井はトモや燐よりも更に背が低かった。
藤井は独特の言葉遣いでおっとりした印象をみせるが、実のところ一番気が強かった。
いわゆるギャップが激しい子だった。
「そんなん女子あるあるやん。で、なに、燐のことイジメとったん? ふたりとも陰険やなー」
藤井はきょろきょろと目を動かしながらヘアゴムを口で咥えて、うっとおしそうに髪を束ねていた。
「違うってそんなんじゃないよ。ただ燐がさ」
トモはちらりと燐の顔を覗き見た。
「むむっ? うぅー」
トモと目が合った瞬間、燐は言葉を忘れたように唸り声をあげて威嚇した。
「なんや、燐ちゃん。ご機嫌ナナメやなぁ」
小柄な少女は少し癖のある髪を軽く手で梳かしながら、なぜだか楽しそうに微笑んだ。
それは悪気のある感じではない。
方言がそうさせるのか、毒舌そうにみえてもどこか憎めないのが藤井の得なところだった。
藤井は燐が部活に参加していない間、その穴を埋める様にレギュラーに昇格していた。
本人はそのつもりはなかったが、補えるだけの人も技量も足りてなかったため仕方なかった。
即席の慣れないレギュラーで試合に勝てると言ったら、それは推して知るべしだった。
慣れないポジションと明らかに技量が足りてない上に、何故かチームワークもガタガタだったのだ。
燐はその実力だけでなく、ムードメーカーの役割も果たしていたのだ。
だがそのことに気付いたのは、燐が戻ってきてからのこと。
それまでチームのみんなはわけがわからないまま喧嘩をしていたようなものだった。
燐がチームに復帰したことで藤井は再びレギュラー落ちしたが、本人はそのほうが気楽で良かったので喜んでレギュラーを燐に譲ったのだった。
そんなわけで燐は、戦力と言う意味でも、チームをまとめるという意味でもこのホッケー部にはなくてはならない存在となっていた。
でもワンマンチームというわけではない。
それは燐が望むものではなかったから。
だから燐は自分で罰を受けることにしたのだ。
このチームは燐にとって家族や友達と同じで、今の自分が大事にしたいものだったから。
でも、それが長く続くと流石に疲弊してくる。
自分に課した罰なのに、それが今頃になってうんざりしてきていた。
「まあ、レギュラーなのにひとりで片付けもやってるんだからぼやきたくもなるか」
「うんうん、わたし、とっても可哀そうだよね」
カバンを後ろ手に持ちながら首を傾げる田辺に、燐は同意するように何度も大きく頷いた。
「せやなぁ、ウチなら即、部活辞めとるところや」
すっかり髪が整った藤井はすっきりした様子で、細い首にマフラーを巻いて白いウサギのキャラクターを模した手袋を付けていた。
藤井は小さな手をうんうんと動かしながら扱いづらそうにスマホを弄っていた。
会話には参加しているが両手はスマホから離れることはなかった。
どこかのほほんとした練習の時とは違い、卓越したピアノ奏者のような軽やかさで藤井の指は画面の上で踊っていた。
「でもさぁ、燐だって悪いんだよ。だってさぁ”親友”のアタシに連絡一つくれなかったし……」
トモがちょっと口を尖らせながら燐に苦言を言った。
だが、最後の方は声が小さくなっていた。
「まあ、トモは仕方ないよなぁ。燐が部活に戻ってきたとき泣きながら出迎えたぐらいだしな」
「あれは感動ものやったねぇ。二人はそのまま結婚するんかと思ったわ」
スマホに夢中なのか藤井は顔も上げずに適当ことを言った。
そのことでトモは顔を耳まで赤くしながら猛然と突っ込みを入れた。
「あ、あれは違うって!!! あれはねぇ、なんていうか……ま、魔が差したんだよっ! 魔がっ! そ、そうだよね燐……」
「あ、はい……」
吠えたていたトモが燐に話を振ってきたので、燐は何と言っていいか分からず、ただぼんやりとした返事をしてしまった。
その返事が二人の間に気まずい空気を作り出してしまった。
トモと燐は周囲の冷ややかな視線に(とは言っても一人はスマホに夢中なので実質一人だけなのだが)晒されて二人して俯いてしまった。
遠くの山脈から吹き下ろされる冷たい風がスカートをはためかせる。
凍えるような冷たさで少女たちの細い足はぎゅっと縮こまっているように見えた。
ただ燐だけはそうではなかった。
他の三人は既に学校の制服姿であり、いつでも帰宅できる状態だったが、燐は今だ部活の時のジャージ姿のままだったから。
長袖の為、制服と比べるとそこまで寒さは感じないが、代わりに言いようのない落差を感じられた。
そのことが子供っぽさを強調してるいるように感じて、燐は自分がひどくわがままであることを心中では認めていた。
でも割り切れないものもあったので、燐はその子供っぽさを言い訳にしながら、表情には頑としてみせないようにつとめた。
それはさっきから話でネタにされていたことも関係していた。
燐の胸中を知ってか知らずか、三人は今だ燐ををネタにして話していた。
ただ無為に話しをしているだけなので、その間に片づけなり、手伝うなりしていればすぐ終わるはずなのにそれを指摘するものはいない。
少女たちは、女たちは幾つになっても会話と言う概念から逃れることはできないようだった。
「その”エース候補”がいなかったから地区予選も初戦で敗退だったしねぇ。あれは恥ずかしかったよ」
「もう、その話はもういいでしょ。わたしもちょっとは反省してるんだし……」
燐は両手をぶんぶんと振りながら弁明する。
だが、それは仕方なかった。
レギュラーの燐が居ないせいで負けたというのが内外でのもっぱらの噂だったから。
ホッケー部は学校内でそれなりに期待されていただけに、一回戦の格下の相手に負けたのはかなりの非難の的になっていたのだ。
そしてその矛先はその時居なかった燐一人だけに向けられていたからだった。
「そうそう、そのせいでみんなギスギスやったもんねぇ。あん時はしょちゅう喧嘩でサイアクやったわ」
「うぐぐっ! で、でもうちの部、喧嘩なんてしょっちゅうだったじゃん。何でもかんでもわたしのせいするのは良くないよ~」
やる気なさそうな藤井の呟きに、燐は口角を無理やり上げて反論する。
口調はソフトな藤井だが、顔に似合わずきついことを言うので少し燐は苦手だった。
だからと言って嫌いというわけではなく、むしろ藤井の歯に衣着せない言い方は、無駄に気を遣いやすい燐に羨ましくみえるほどだった。
「ほら燐、わたしなんてストレスで3キロも太っちゃったし!」
トモは頼んでもいないのに制服をはだけさせると、柔らかそうな脇腹を摘まんでみせた。
「それはトモの食べ過ぎが原因だと思う」
燐は冷ややかな目でトモの緩んだ腹を見つめた。
他の二人も頷き合って燐に同意していた。
トモの脇腹についた脂肪には誰一人同情してはくれなかった。
「へぐっ!」
冷たい風がむき出しの腹に突き刺さって、トモは思わず変なくしゃみをした。
それが本当に鼻を刺激したものなのか、プライドをくすぐられたせいなのかは分からないが、トモに漫画みたいなバカっぽさを感じさせた。
「むぐぐぐっ、ともかくっっ!!」
自分だけ否定されたことに恥ずかしかったのか、トモは燐をびしっと指で差して言った。
「燐はチームワークを乱した罰として今年いっぱい一人で後片付けの刑なんだから、しっかり罰を受けなさい」
「まあ、わたしらと違ってエースなんだからこれぐらい余裕だよね」
「えぇー、そんなの関係ないって言ってるじゃん。最後ぐらい手伝ってよー。わたし大事な用事があるんだって」
「ダメダメ、手伝ってるところ誰かに見られたらわたしらがキャプテンにどやされるもん」
「せやでー、戦いは非情やでー」
(戦いってなんのだよ……)
藤井の適当過ぎる相槌に田辺は呆れた目を向けた。
「んもう、この際エースとかどうでもいいからっ!」
燐は自分のアイゼンティティを一つを投げ捨てて懇願する。
「ねぇ、トモぉ、ちょっとだけで良いから手伝ってよう……わたし今日は本当に大事な予定があるんだってぇ」
燐が訴えかけるような視線で顔を覗き込んでくるので、トモはギクリと狼狽えてしまう。
チームメイトとしても同性としてもこの上目づかいで頼むのは反則級だと思った。
「しょ、しょうがないなぁ……そ、そんな顔されたら無下には断れないな……って、あれ? なんか引き摺られてんだけどっ!?」
トモは少し顔を赤らめながらも燐の”お願い”に手伝おうとしたのだが、その想いが届くことはなく。
トモのスレンダーな身体は藤井と田辺の無言の企みによって阻止されてしまった。
「ちょ、ちょっと何してんのアンタら! こんな宇宙人みたいな真似するなぁ~!」
だらしなくグラウンドを引き摺られながらトモは抗議の声をあげる。
燐は何事が起きたのかイマイチ理解できていないようで、口をあんぐりと開けたまま凍り付いていた。
田辺が脇を抱えていながら呆れたような声で呟く。
「全く、トモは燐に激甘なんだから」
「せやねぇ燐ちゃんの事が好きなんは分かるけど、ここは見守ってやらんと」
藤井はスマホを片手持ちしながら、右手だけでトモを引っ張っていった。
見かけによらず力は割とあるほうだった。
「す、好きってねえ。アタシと燐はそういうんじゃ──」
「はいはい、分かったから。とにかく今日はこのまま帰るよー。後でなにか奢ってやるから」
顔を真っ赤にしたまま騒ぎ立てるトモを後目に、そのまま二人は校門の方までずるずると引きずっていく。
「あ、ねぇ、結局手伝ってくれないの?!!」
異様な光景に呆気に取られていた燐だったが、思い出したように叫ぶ。
ホッケー部の連中は喋るだけ喋っておきながら結局何もしないで帰ろうとしているのだから。
燐としてはただ時間を無駄にしただけだったので叫びたくなるのも無理はなかった。
「すまん燐、後はお前に任せた! 燐ならきっとできるっ! あ、あと今年もよろしくなー!!」
トモは情けなく引きずられながら、親友に謝罪と早すぎる新年の挨拶をした。
冬日に焼けた顔に真っ白い歯をはしたなく開けて笑うトモに燐はわけもなく可笑しくなった。
(よろしく、って……先にクリスマスがあるんだけどね)
燐は心中でつっこむと、去り行くチームメイトに対して大きく手を振った。
「バイバイ、また来年ねー!」
その声が届いたのか、トモは引きずられながら燐に向かって両手を案山子のようにぶるぶると振るった。
そのコメディチックな親友に燐はくすっと小さく笑うと、トモに負けないように両手をぴんと伸ばして体ごと手を振り返した。
それにはトモだけじゃなく二人のチームメイト、田辺と藤井も燐に向かって振り返していた。
なんだかんだでホッケー部はみんな仲が良かった。
身体を動かしたせいなのか燐はほんの少しだけ心から温かくなった気がした。
…………
………
……
「……でも、結局ひとりなんだよねぇ……仲が良いなら手伝ってくれればいいのにさ」
ホッケー部の連中が居なくなると急に一人で居ることに実感が湧いた。
祭りの後の静けさのように、燐はぼそっと呟くとしばらく無言で立ち尽くしていた。
冷たい風が頬を撫でる。
じっとしていることに耐えかねて、燐は意味もなくため息をついた。
吐く息の白さでずいぶん日が傾いてきことが分かったが、気が付くと周りには誰もいなくなっていた。
他の運動部も既に解散してしまったようであり、広いグラウンドの上に立つのは燐以外には何物もいない。
これから練習する部活もないみたいで、グラウンドの大型照明に明かりが灯ることもなかった。
「はあ……」
燐はまたため息をつく。
湯気のように浮かんだ白い息は霧のような残留感も一切無く、一瞬の内に消えてなくなった。
人気がなくなったことを実感すると急な寒気を燐は感じ取った。
ぶるぶると身震いをするとジャージの中に身をしまう様な動作でその場でしゃがみこんだ。
亀のように蹲る燐。
それでも芯から来る寒気は取れなかったので、何か暖かいことを考えることにした。
(温泉、肉まん、お風呂、お鍋、焼きそば、ラーメン……)
燐は自分のお腹がぐぅと鳴くのを聞き逃さなかった。
「あー、もう! こんなところで丸くなってても意味ないよねっ! 早く終わらせてラーメン食べに行かないとっ!!」
燐は自分を鼓舞するように立ち上がると、誰もいない緑のグラウンドの上で高らかに宣言した。
その声に応えるものはなく、ただ冷たい風が身を引き裂いてくるだけだった。
燐はまたしゃがみ込みそうになるが、両膝を叱咤してなんとか耐え忍ぶ。
「今日で最後、今日で最後だから頑張ろう……」
ぶつぶつと言いながらその辺に転がっているホッケー部の備品をかごに押し込む。
軍手越しにも冷たさが感じられたが、身体を動かしているとそのうちに慣れてくるようになった。
備品で満杯になったかごを押しながら、燐は芯からの寒さと、陽気でタフなチームメイトの面々、その愉快でガサツな連中をほんのちょっとだけ呪った。
「まったくもう……お前らってやつは本当に薄情だなぁ、そんなにイヴの予定が大事か」
トモは二人の間で歩きながら口を尖らせる。
特に痛みはなかったが、確かめる様にしきりに両腕を回していた。
「いや、わたしクリスマス何も予定ないけど……」
「ウチはあるでー」
「あっ、そう……じゃ、なくて!」
トモは隣でスマホを見ている藤井のおでこに突っ込みを入れた。
不意打ちだったためか、藤井は眩暈を起こしたようにふらふらとおぼつかない足取りになるも、スマホの安否だけはなんとか死守していた。
「いたた、なにすんのー」
おでこを擦りながら藤井は涙目になって言った。
その仕草は妙に幼く見えた。
藤井は背の低さから年下の少女に間違えられることがしょっちゅうだった。
そんなことあるものかねとトモ達はからかったが、それはあながち間違いでもないと思った。
「あんなぁ、燐ちゃんのことなら大丈夫やって。今までちゃんとひとりでやってたやん」
「そうだけど……なんか用事があったっぽいじゃん。なんか悪い気がしてさ」
トモは顎に手を当てて逡巡する素振りをみせる。
「なんだ、トモ、そんなに燐のことが気になるのか。なんなら手伝ってあげればいいじゃん。燐、涙流して喜ぶぞー。”ありがとう、トモ大好き!”とかさ」
田辺はにやにやしながらトモの顔を覗き込む。
背の高さとクールさから年上の女性に間違われることもある田辺だが、その顔はクールさとはとても言えそうにない顔をしていた。
「さっきからアタシをなんだと思ってるんだ。燐とはただの友達だって!」
「ムキになるとこが怪しいなぁ。ほんまのこと言ってみぃ? 誰にも言わんから」
「うんうん、言わん言わん」
藤井の言葉が移ったのか、田辺も方言で話していた。
普段はそれほどでもない二人だが、こういう時だけは妙に仲が良かった。
それに藤井は相変わらずスマホに釘付けだった。
会話こそ流暢だが、視線は画面からいっときも離していない。
そのせいかその言葉が軽いものに思えて、トモは一件と共に腹がたった。
「トモ! やっぱり来てくれたんだね。燐、嬉しい!」
「当たり前やないの。ウチは燐の恋人なんやで」
「トモ! 結婚しよう!」
「もちろんやで。二人で幸せになろな~」
「……な、なにしてんのアンタら」
トモが憤慨したように二人を睨みつけようとすると、何故か子芝居が始まっていた。
その脈絡のなさに怒りを通り越して呆れかえってしまった。
「何って、お前と燐の真似」
田辺はしれっとした顔で応える。
何故かドヤ顔だった。
「迫真の演技やろ~。二人はこのまま南紀白浜にハネムーンに行くんや。そして二人はホテルの一室で一夜を共にするんやで~。ロマンチックやないの~」
小指を立てながら夢見る様に語る藤井。
少女趣味なのは外見だけではなく、中身もピンク色のようだった。
「は、ハネって……あ、アタシと燐がそんなことするわけないだろうぉ!! それに一夜ってなんだよぉ!」
トモは目をぐるぐる回しながら、二人の胸倉に掴みかかった。
流石にそこまでは想定していなかったのか、田辺と藤井はトモを宥めすかせる。
「落ち着けトモ。そんなにムキになるなって、心配なのは分かるけど友達なら信用してやれよ」
「せやせや、女子高あるあるやん。堪忍してやトモちゃん。燐ちゃんならきっと大丈夫や」
一触即発の三人の背後で下校帰りの生徒たちがくすくすと笑いながらこちらを見ていた。
そのことに気付いたトモは我に返ったように二人から手を離すと、腕を組んでふんと鼻息を鳴らした。
「ふんっ、アタシだって燐のことは信用してるよ。アイツは人一倍努力してるのにずっと明るくて優しいし、だから守ってやりたいだけだよ」
憮然とした表情のトモだったが、喋るたびにその顔はどんどん赤く染まっていった。
「トモデレだ」
「トモデレやな」
二人はトモの反応に見たまんまの感想を述べた。
「と、トモデレってなんだよっ! アタシはそんな単純な女じゃないぞっ!!」
トモは堪忍袋の緒が切れたように両手を上げて、二人に猛然と挑みかかる。
それを見た二人は一瞬青い顔になった。
「トモのやつガチギレしたんじゃないか?」
「ようするにトモギレやな。だったら、逃げるが勝ちやな」
藤井と田辺は頷き合うと、校門の外へと走り出した。
トモはそのまま二人を追いかける形で外に出た。
「待てー、お前らは何かアタシにおごれー!」
「はぁ? なんでトモに奢る話になってんの?」
「さっき何かおごるって言ってじゃないかっ」
トモは田辺に引きずられていた時のことをはっきりと覚えていた。
「なんでそんな、どーでもいいことだけ覚えてるんだよっ! 普段は忘れ物多い癖に」
「ウチ、クレープがええなあ。Pastelのクレープがええねん」
「アタシ大判焼き!! 小豆とクリームとイチゴのクリーム!」
トモはつい先ほどまでの怒りの原因が何処に行ったのか。
今食べたいスイーツに思いの丈をぶつけていた。
「だから、なんでわたしが奢ることになってんだよぉぉ」
田辺は自分がいつの間にか奢る係になっていることに異議を立てる。
「べーちゃんがトモちゃんをからかった罰やで」
藤井は悪びれもなく田辺の顔を見上げながらそう言ってのけた。
「フジッコだってやってただろう! わたしだけ不公平だぞ。どっちでもいいからわたしにも何か奢れー」
「ふふっ、奢り奢られやな」
藤井は何が楽しいのかぴょんぴょんと飛び跳ねながら石畳の道を脱兎のごとく駆け出していった。
その後に負けじと二人が後に続く。
三人はそれぞれが食べたいものを叫びながら、商店街に続く道をまるで嵐のように駆け抜けていった。
日はとっぷりと暮れ始め、黒い帯状の雲が北西にかけて伸びていた。
……
………
…………
「んーと、スティックは予備も含めてちゃんと全部あるし、ボールの数も……うん、合ってる。うんうん、バッチリだね」
燐は現場主任にでもなったつもりで指差しながら、もう一度数を確かめた。
ホッケー部は割とざっくばらんなところがあり練習するたびに備品がなくなっていくという適当なところがあったのだが、ここ最近は備品の不備もなく埃も目立たないほど綺麗になっていた。
それは燐が後片付けをするようになってからだった。
燐はその細やかさと几帳面さで部室の内と外を綺麗に保っていたのだ。
運動部で一番汚れていたホッケー部の部室は、燐が後片付けをするようになったので運動部で一番整理整頓が行き届いた部室へと変貌していた。
燐はそのことに一種の満足感を得ていたが、それも今日で終わりだろう。
来年からは数日も経てば元の木阿弥になってしまうのだから。
燐としては残念だが仕方なくも思ってはいた。
整理整頓された部室よりも雑用から解放される方がよっぽど良かったからだった。
「んーっ」
一仕事終えたようにぐっと伸びをすると、燐は部室のカギをかけて、すっかり暗くなった工程を一人校門に向かって歩いた。
夕日はその顔を半分ほど覗かせるだけだった。
橙が黒に染まる冬の逢魔が時。
完全に日が沈む前の僅かな明かりを頼りに燐は液晶の電源を入れた。
どこか穏やかな夕暮れ時は、もうしばらくもすれば暗闇に包まれるだろう。
夏に比べて冬は夜の時間が長く、そしてそれは寒さを伴っていた。
燐はマフラーのもふっとした感触を確かめながら校舎の角を曲がる。
校舎の屋根に張り付いた小さな照明を頼りに校門の前までの道を歩いていた。
そのまま何事もなく校門に辿り着くと、その横に人影が居るのが分かった。
その人物はこちらに気が付くと気さくな素振りで手を振ってきた。
「燐? もしかして燐かな。部活いま終わったの?」
冷たい街燈に照らされた人物は自分ことを知っていた。
教室とは違った感じに見えたので、燐は一瞬分からなかったが、良く通る声と、眼鏡の奥の我の強そうな瞳で分かった。
燐は片手をひらひらとさせながら、クラスメイトの少女に近づく。
「違うよー。わたし一人で後片付けしてたんだ」
「へー、燐ってそんなにきれい好きだったっけ? それともなにかあったのかなぁ」
にやにやと口元を緩めながら意地悪そうな顔で覗き込んでくる。
ともすれば嫌味っぽい行為だが、彼女は不思議と許されるタイプだった。
そのテンポよく軽快な声と、特徴のある笑い声。
コメディアン志望とか言ってたのに、いつの間にか生徒会に所属していたしたたかな奴。
クラスメイトの
……
………
…………
「だからか、さっきホッケー部の連中をここで見かけたんだけど、なぜか燐が居なかったから変と思ってたんだ」
優香はその時の様子を楽しそうに燐に言って聞かせた。
アイツ等、漫才トリオになれるんじゃないの? との優香の弁に燐は自分のことのように恥ずかしくなってしまった。
「でもさ、三人が帰ったのって結構前だよね。それから優香はずっとここに居たの?」
「まっさか。その後校舎に戻って学校に残っている生徒がいないか見回りをしてきたんだよ」
「あっ、そういうことね。働きものだねぇ、優香は」
「うんうん、もっと褒めていいよ~」
燐の言葉に気を良くした優香は、腰に手を当ててふんぞり返るような仕草をとった。
「相変わらずだねぇ」
「それ、どういう意味よ」
「まあ、こっちの話」
生徒会に入っても変わらない友人の態度に燐は少し安心していた。
「それにしても……眼鏡なんて掛けてたっけ? 教室じゃ見たことないけど」
燐は今日一日の事を思い浮かべてみた。
授業中でも休み時間でも優香が眼鏡をかけたところを見たことがない。
だからこそ校門の前に立っていたときは別人と思っていたのだが。
「ああ、これ度の入ってないやつでブルーライトをカットすることしか出来ないんだ。ほら」
優香は眼鏡を外すと、燐に手渡した。
燐は優香に許可を得て、その眼鏡を掛けてみる。
……独特のくらっとする感覚がなかったので優香の言う通り確かに度は入っていないようだ。
「あれ。燐、結構似合うじゃん。燐も眼鏡デビューしても良さそうじゃない」
燐の眼鏡姿は以外にも似合っていて優香は手を叩いて好奇の声をあげた。
「いやいやいや、わたしに眼鏡は似合わないよー。第一、部活の時邪魔だし」
はい、と燐は眼鏡を優香に返した。
優香は名残惜しそうに受け取ると、また眼鏡を装着した。
「ねぇ、スマホとかいつも見てないなら要らないんじゃないの?」
素朴な燐の疑問に、優香はちっちっち、と指を目の前で揺らす。
「燐、生徒会っていうのはね高尚なものなんだよ。だからその役員は眼鏡女子でないといけないのだよ分かるかねキミ?」
芝居がかった口調で悠然と語る優香に燐は呆れて物も言えなかった。
「それにね、わたしは形から入るタイプなんだよね。だから眼鏡を掛けると背筋がピンと伸びてシャキッとするわけよ。仕事モードに切り替わるってやつかな? 割と集中できるんだよね」
「それってプラシーボ効果なんじゃないの?」
目をきらきらさえながら言ってくる優香に燐は冷めきった灰色の目を向けた。
「んもうー、燐ってばノリが悪いなあ。文化祭の時は最高のパートナーだったじゃないわたし達。あの時の可愛いくて素直な燐は何処にいってしまったのやら、よよよ……」
燐はこんな変人を生徒会に推薦したことをちょっと後悔していた。
自分が色々と忙しかったので、とりあえず優香を推薦したらそのまま当選するとは思っていなかった。
さらに本人がこんなに乗り気だとは思わなかった。
こんな性格なのでてっきり断るとばかり思っていたのだから。
「なになに? もしかしてまた漫才したくなった? わたしは燐とならプロのお笑い芸人になったっていいんだよ」
興味津々と言った面持ちで燐の手を取る優香に、燐はいささか大げさに首を振って否定した。
「ないない、お笑い芸人なんて。わたしには向いてないよっ。やるなら優香一人でやって」
「えー、ひとりは寂しいじゃん。それに燐は漫才向きだよ。わたしが保証する」
(優香の保証だから当てにならないんだけど……)
仲間内では優香の直感は役に立たないことと同義だった。
「それに燐とだったら天下とれそうな気がするんだけどなぁ。二人で東京でいい暮らししようよ、ねー?」
優香の壮大な? 妄想劇に燐は苦笑いを浮かべることしかできなかった。
「あ、それにしてもさ」
優香は手を後ろに組んで、燐の顔をずいっと覗き込んできた。
燐は反射的に顔をのけぞらしてしまう。
「な、なに? 顔が近いんだけど……」
レンズ越しに見る優香の瞳はとても大きく見えて、なんだか見てるこっちが恥ずかしかった。
「うーん、やっぱり燐だよねぇ」
「それ、どういう意味?」
「なんていうかさぁ……燐。単刀直入に訊ねるけど、宇宙人に攫われてたとかそういう、奇妙な体験したことない?」
「ふぇっ、何それー」
優香がわざとらしく眼鏡を人差し指で押さえながら勿体ぶった言い方をしたので何かあるなとは思ったが……。
(中らずと雖も遠からず、ってことなのかな……)
燐は優香の妄想力というか直感に関心していた。
優香はクラスでも燐あたりと一緒になっていわゆるおちゃらけ担当だった。
だが、そんな優香はこの秋でがらりと変わってしまったのだ。
本人はやるつもりないと言っていた生徒会役員に推薦されて、みごと当選していた。
本来ならば目の前の燐が選ばれるべきだったのだが、本人は部活との両立が出来そうにないことと、家が店をやっているので忙しいこと、そして”無断欠席していた”ことを理由に辞退していたのだ。
「まあ、いっか。ちょっとモヤっとするものがあるけど燐は今ここにいるんだもんね、うんうん」
一人納得するように何度も頷く優香の姿はなんというか、探偵にでもなったつもりのようにみえた。
燐はその探偵風な優香の横をこっそり通り抜けようとする。
別に悪気があるわけではないが、今はこれ以上話を続けるだけの理由がなかったのだ。
だって燐には大事な用事があるのだから。
「あ、ちょっと燐! どこ行くの!? まだ話は終わってないわよ」
優香がほんの少し考えている間に、燐は校門の外まで出ていた。
その小さな背中に優香は声を掛ける。
「ごめん、優香。わたしこれから用事があるんだ。話なら後で聞くから夜にでも連絡して~」
「ちょ、ちょっと燐──」
「ほんとごめんねー! 後でメッセージ送っておくからー!」
燐は優香に大きな合図を送りながらもその返事を待たずして、やせ細った街路樹が並ぶ石畳の道を跳ねる様に軽やかな足取りで駆けて行った。
燐の動きに合わせて揺れ動く大きなバックパックを悠然と見送りながら、優香はその場で立ち尽くしていた。
「何時間でも、ってそこまで込み入った話でもないんだけど……」
優香の呟きは燐には届かなかった。
ふと気づくとすでに夕日は沈み込んでいて、暗がりが月のない天幕にかかっていた。
この時期は日が沈むのがやたらと早く、もたもたしているとあっという間に真っ暗に包まれてしまう。
夜の静けさに包まれた校舎にはもう誰も残っていないだろうと思った。
そのことを指し示すようにどの教室の窓からも明かりが零れていなかったからだ。
燐とそんなに長く話していたつもりはなかったのだが、いつの間にかそんな時間になっていたようだ。
クラスメイトとのおしゃべりは生徒会の面倒な仕事よりも有意義で、時間の経つのがずっと早いらしかった。
急に暗闇の中に一人取り残されたみたいで、優香は寂しさを隠すように口元までマフラーを手繰り寄せた。
夕日の消えた冬の暮れは異様に寒く、スカートの下の素足まで凍り付きそうになる。
(さむっ! 誰も見てないんだしやっぱり、ジャージ履けばよかったか)
恨めしそうな目で優香が自身の下半身を見つめていると、頭の上で何かが光り出した。
あまりにもタイミングが良すぎて思わず何か起きたのか直ぐに理解が出来なかった。
振り仰いだ優香のレンズには白灯光の薄ぼんやりとした光が過去の幻燈のように浮かんでいた。
その光の正体は校門の横にあるガス灯であり、それが門の外から校舎を強い光で照らしていた。
ガス灯と言っても昭和初期の頃とは違い、見た目こそ昔のままだが電球はLEDライトに取って代わっていて、暗くなると反応するセンサーも付いていた。
ただちょっと感度が弱いのか、日の落ち切った今頃のになって作動していた。
外観は昔のままで中身は今風、そんな気まぐれなガス灯の明かりを見て、優香は今更のように思い出したことがあった。
(あ、そうか今日はクリスマスイブか)
なぜだか急にそれを思い出した。
今日が二学期最後の学校であったことさえも。
生徒会の仕事の激務で時間に疎くなっていたのか。
それとも何も予定がないからなのか。
(わたしもカレシがいればもしかしたら忘れることはなかったのかもなぁ。まあ、誰でもいいってわけではないけど)
今日の予定が白紙なことが良いことか悪いことなのかは分からないが、白紙であることは事実だった。
意外なほど真面目と言うか自身の奥手っぷりに苦笑する。
自分では結構明るいと思ってたし、トークだって割とイケる、そう思ってはいたがそれを発揮するのは主に同性だけだった。
それにそもそも女子高では肝心の出会いがないのだから、カレシなんてできないのは当たり前。
(でもみんな結構カレシいるんだよね。どこで見つけてくるのやら……?)
やるせない思いを吐き出してみる。
吐く息の白さがはっきりと見えたので、ずいぶん寒くなっているもんだと優香は他人事のように思った。
だが寒さは頑として現実的で一切の容赦がなかった。
急に寒さが増してきたみたいに感じられて、優香は自分の肩口を抱きしめながら躊躇うことなく足早に校門の外へと一気に駆け抜ける。
校門を抜けたところで寒さに変わりはなかった。
スカートの下から伸びる足がそのまま凍り付いてしまうのではないかと危惧して、優香は人目がないことを確かめるとふとももの辺りをぱんぱんと二回ほど叩いてみた。
痛みは当然あったが、ちゃんと痛覚が通っていることに安堵した。
誰も通らない黒塗りの道に気味悪さを感じて、優香は足早に駅方面へと向かった。
……少し歩くといつもの街路樹と石畳が優香を迎えてくれた。
心細さから解放された優香はその道すがらあることを考え始めた。
それは先に帰った燐のことだった。
(燐は、クリスマスイブ、何か予定があるのかな。あ、だから急いでいたのか)
燐の慌てっぷりに違和感を覚えていた優香だったが、それで合点がいった。
それは羨ましいというか、妬ましいというか……なんともも言い難かった。
まあ、自分はそこまで恋愛っぽいことをしたいとは思ってはないけれど……。
それでも楽しそうな燐を見て羨ましいと思うのはカレシの居ない女子としては普通の感情だと思う。
(でも燐の彼氏って年上だっけ。社会人って言ってたような……)
事あるたびに燐が楽しそうにそのことを話していたのを思いだした。
あれは所謂”恋する乙女の瞳”だった。
これと言って恋したことがない優香だったが、あながち間違いではないだろう。
燐としては隠しているつもりだろうが、周りの女子には分かり過ぎるほどに筒抜けだった。
「恋をするとわたしもあんな感じになるのかなぁ……なんだかちょっと怖いや」
複雑な顔で優香は呟いた。
そして普通とは案外難しいものだと思った。
(そういえば燐、いつからかあの彼の話しなくなったな、ラブラブだったのに。やっぱり恋愛って難しいんだろうなあ)
なんでもこなせる燐でも恋愛が難しいのだとしたら、自分なんて到底無理だろうと優香は思っていた。
まあ、恋の病はお医者様でも草津の湯でも治せないとか言ってるしね。
難病と言えば難病なんだろう。
なら、恋愛なんて当分要らない、かな。
そんな未知のものに触れるよりも今は普通に生徒会のほうが楽しいし。
(でもさっきの燐、焦ってたけど何か楽しみにしてる顔だったなあ。ま、まさか別のカレシが出来たとか!? は、流石にないとは思うけども……ああ見えて要領いいからなぁ燐は)
生徒会だって本当は燐がやるはずだったのにいつの間にか自分に押し付けられてたし。
まあ、やってみたら案外楽しかったから良いんだけど。
にしても。
「わたしもイブを一緒に過ごす人が欲しいなあ……やっぱり都会に、東京に行かないとダメかなぁ……」
氷の様な冷たい風が優香の鼻や耳を赤く染めていく。
震える体を抱きしめながら、東京への想いを胸に優香は石畳の上を一人とぼとぼと歩いていった。
────
───
──
「少し、時間過ぎちゃったけど……まだ、待っててくれてるかな」
燐は時間を確認しながら目的地に向かって懸命に足を動かしていた。
駅までの距離はそんなにないのだが、焦っているせいかやけに遠く感じてしまう。
寒さで足が凍り付いているかのように感じて、気持ちとは裏腹に時間だけが加速的に過ぎていくような気になった。
燐は更に
息はそこまで切れることはないが、代わりに頭のほうがもやもやとしてくる。
今急いでいることとは別の懸念があったからだ
それは主に二つあった。
一つは家の事。
クリスマスと言えばケーキ、ケーキと言えばケーキ屋なのが一般的である。
けれも、自分の家がパン屋の仕事を始めると必ずしもそうではないことが分かった。
別にケーキを出さずとも客はそれっぽいものを求めにくるのだと。
普通のクロワッサンを白いチョコレートでコーティングし、赤や緑でデコレートするだけで、それをクリスマス用と思い込んで買ってくれるのだから。
当日でもない日に店に出してもそれなりに売れるのだから、用は雰囲気作りが重要なのだと思った。
煙突がなくてもサンタが来ると思ってるような、そんな日本的なクリスマスとケーキを売らないパン屋と言うのは意外にも親和性があったりする。
そんなことが分かるようになったのも売る立場になったからのことであり、それまではまったく気にも留めないことだった。
そういう事で多分、今、店は忙しいだろう。
ピークと言ってもいいかもしれない。
クリスマスイブというのはケーキ屋だけでなく、パン屋にとっても一番の書き入れ時だと思っている。
ただ、今から家に帰ってもほとんど何の役にも立たないであろう。
頑張って列車を乗り継いでも、ほぼ閉店時間になってしまうのだから。
だから母には無理しなくていいと言われていた。
今日はバイト増員して頑張ると言っていたのでその人たちに任せるしかない。
一番忙しいときに手伝えない。
それが一番残念だった。
(それともう一つ……)
燐が夜空に考えを巡らせながら走っていると、ふいに脇から人が出てきてぶつかりそうになった。
燐はとっさに体を翻してその人影を躱すと、その場で立ち止まって即座に頭を下げた。
「すみません、急いでいたんで! 本当にごめんなさいっ」
矢継ぎ早に謝ると、燐はぎゅっと目を瞑った。
ぶつかってはいないが、自分の不注意のせいで危ない目に合わせてしまった。
何か言われるだろうとじっと頭をさげて待っていると、その頭に柔らかいものが乗せられた。
はっとして目を開くとそこには今時珍しい着物が目に付いた。
冬場に着物って珍しい、燐がそう関心していると、柔らかな声が頭の上から降ってくる。
「大丈夫、ぶつかってはいないわ。あなたが咄嗟によけてくれたんでしょう。ありがとう」
そう言って頭を撫でられていた。
怒られるどころかお礼、というか頭を撫でられるとは夢にも思わなかった。
なので燐は思わず顔を上げてしまった。
「あのっ! わたし、って……あれ?」
顔を上げるとそこには誰もいなかった。
その人は既に遠くにまで行っており、いつの間に移動したのか小さな背中しか見えなかった。
なので燐は追いかけることはせず、もう一度頭を下げた。
その時どこかで嗅いだことのある、静謐な香りが漂ってきて懐かしい感じがした。
燐が再び頭を上げると、あの人は町の明かりと喧騒に紛れるようにどこかへと行ってしまった。
燐は何かとても大切で忘れがたいものに出会った気がして、消えた方向をしばらく見送っていた。
柔らかい手の感触、それだけが何かのシミのようにいつまでも残っていた。
夜の帳が町を覆いつくすと、様々なイルミネーションが町並みを飾り付けていた。
────
────
────
マフラーを冬の空になびかせながら、燐は更に速度を上げて駅に続く道を駆け出していく。
その途中で一軒の店が目に入った。
燐は何かを思い出したように立ち止まってしまう。
そして店の周りをうろうろしてたかと思うと、思案するように宙を見上げた。
そのまましばらく考え込んでいた燐だったが、何かを決意したように手をポンと叩くと、くるりと身を翻してその店の前へと走った。
(プレゼント当日で良いかと思ってすっかり買うの忘れてたっ。危うく手ぶらで行くところだった……呆けてるなあ、わたし)
寸前で気付いたのはラッキーだったけど、これが最適かどうか燐は迷っていた。
けれども、他のものに変える余裕はない。
それに”これ”は確か約束してたものだし、本人もこれが良いと言っていた気がする。
ずいぶん前のことだけれどなぜか機会に恵まれなかったので、ちょうど今がチャンスだった。
ただ問題は。
(まだ残ってると良いんだけど……)
それが唯一の懸念材料だった。
…………
………
……
「はあっ、はあっ、な、なんとか間に合った?」
燐は駅前の広場まで来ると、大きく息をついて辺りをゆっくりと見回してみる。
(あれ? いないね。どこ行ったんだろう? まだ来ていないってことはないはずだけど……帰っちゃった、とかはないか……そういうことしないもんね)
それらしい人影が見当たらなかったので燐は少し困惑した。
イルミネーションで彩られた駅前の広場は年末特有の活気が溢れていた。
暗がりの中でも行き交う人は多く、昼の喧騒と夜の華やかさが色づくちょうど中間の時間はある種の快適さが満ちていて少し浮かれているようにも見えた。
燐はしばらく待ち合わせの場所で待っていたが、現れる気配がなかったので、すこし場所を移動することにしてみた。
電話やSNSで居場所を訊ねるほどではないと思う、そこまで気を遣う必要はなかったから。
そういった表面的な付き合いじゃなかったから。
だからこそ……。
(……にしても、カップルが多いなあ……まあ、イブだしこんなものなのかもね)
待ち合わせていた場所は広場の中心にある噴水の前だったのだが、そこは定番の待ち合わせスポットだった。
主に待ち合わせとして使うのはカップルがだったのだが。
それに今日はクリスマスイブのせいか普段よりも多い気がする。
カップルが。
きらびやかな格好の大人の男女や下校帰りの学生カップルなど、皆思い思いの相手とイブの夜を過ごすのだろう。
傍から見ても恥ずかしいぐらいにイチャイチャしていた。
燐はそのことをなるべく視界に入れない様にして暗がりの中を探していた。
薄暗い中での人探しでも骨が折れるのに、今日はやけに人が多く出ているのでそれは困難を極めた。
人手が多い理由はイブだけではなく、この場所にも意味があったからだ。
燐も人々と同じ理由でここに来たのだが、ここまで人が多くなるとは思っていなかったので、ちょっと後悔し始めていた。
しかも時間が経つにつれ人出はどんどんと増えていっている気がする。
このままでは人の波に飲まれるのも時間の問題だろう。
誇張ではなくそれぐらい人がこの場所に集結しつつあった。
燐は諦めたように少し喧騒から離れた場所に行くとポケットから携帯を取り出した。
呼び出そうと液晶に触れた時、ふんわりとしたものが背中に覆いかぶさってきた。
それはどちらかと言うと抱擁に近い行為だった。
バックパック越しにでも伝わる柔らかい感触がはっきりとした重さと共に寄りかかってくる。
確かな温もりが燐にぴたっと密着していた。
暗闇の中でもはっきりと分かる長い髪がたなびくようにふたりを包む。
肩越しから流れる甘いバニラのオーデコロンの吐息が鼻をくすぐった。
燐も好きな香りだった。
それは香水の香りそのものだけではなく、この少女がつけているから好きなのだと思う。
少女が持つ透明で澄んだ香りと、香水の甘い香りが混ざった奇跡的な中和の取れた香りが大好きだった。
なので燐は振り返ることはせず、ただしばし余韻に浸るように靴先を眺めていた。
ピンク色のトレッキングシューズはあの頃のままに。
燐の足にぴったりと収まっていた。
「遅刻だよ、燐」
「ごめん。でもさ、どこに居たの? 待ち合わせ場所には居なかったよね」
「あ、ごめん。燐がなかなか来なかったからちょっと駅ビルのショップに行ってたの」
あっけらかんとした口調で悪気もなく言ってきたので、燐は苦笑いする。
「なぁんだ、わたし心配しちゃったよ。もしかしたら……って思っちゃったから」
燐はそう言うと、ちょっと首を持ち上げた。
視界には澄んだ冬の夜空が無限のように広がっている。
その先には何もないはずなのにどこか懐かしいような、そんな戻れるような場所が空のどこかにはあったのだ。
今はもう行くことは叶わない場所だけど、そこは本当に完璧な世界だったから。
「だから、そこに行っちゃったかと思ったの?」
「うん……ちょっとだけ」
「大丈夫だよ燐。わたしはどこにも行かないよ」
さっきよりも少し強く抱きしめられる。
柔らかい感触と想いを押し付けられたみたいになって少し恥ずかしかった。
「それに、待つのは慣れてるから……」
耳元で囁かれる。
熱い息が想いを届けるように、燐の耳をふわっとさせた。
その暖かさと、刺激と、そしてその言葉に燐は脳の奥が痺れるような衝撃を受けていた。
「そうだったね……ごめんね待たせちゃって」
そこに本当にいるのか確かめたくて首に回された手に触れてみる。
柔らかい手の感触は、寒空の下にいたとは思えないほど暖かくて、安心した。
そのまま慈しむように撫でていると、不意に手を掴まれる。
細い指先が何かを探すように彷徨っていたが、それはお互いの指の隙間にぎゅっと収まった。
「これでどこにも行くことはないね」
手と手がぎゅっと固く繋がれる。
そのことがすごく気持ちよかった。
「うん、そうだね」
パズルのピースがぴったりはまった時のように何も違和感がなかった。
それは自然な行為のようにも思えた。
いつもの友達の、蛍の手だったからすごく嬉しかった。
人ごみの中で恥ずかしいことをしてる気がするけど、特に気にならなかった。
暗闇がイルミネーションが特別な日が、何もかもカモフラージュしてくれるみたいで。
なんでもないわたしたち。
ただ普通にいつものことをしていただけのわたしたちのことを。
雪は降ってないけど、それぐらい寒かった。
でもお互いが密着したところはすごく暖かった。
───だから、ずっとこのままでも良いと思った。
「暖かいね」
「うん」
あの時夜空に浮かんだランタンに似た赤い炎が揺れていた。
冷たく氷のような風に吹かれても消えることなく、ただひっそりと揺れていた。
────
───
──
ゆるキャン△ 2ndSEASONもあっという間に折り返しですねー、早いですねー。
第6話。
かさね原作通りのエピソードでしたねえ。ただスマホが使えなくなる過程を丁寧っていうか隙がないようにしてあったのが印象的でした。
それにアニメのチョコちゃんも良かったけど、実写だとどうなるかなぁ……4月からのドラマ版では一番楽しみかもしれないー。
第7話。
原作での2.5話分を詰め込んだ贅沢な回でした。だからか若干巻き状態でしたけど、上手くまとまったのではないかと思います。
ただ、なでしこが大型犬に襲われるシーンと、リンがアルトラパンっぽい車を運転する回想、いえ妄想シーンがなかったのが残念でしたー。
青い空のカミュ仕様(フレンチミントの2トーン)かどうかが知りたかったー。でもドラマ版でも無理っぽいなあ、回想シーンの為だけにラパンを出すわけないしねー。
そういえばゆるキャン△ の聖地巡礼でマナー的な問題があったっぽいですね。聖地と言ってもゆるキャン△ は色々な場所がありますからねー。その一つ、富士山YMCAキャンプ場ちょっとしたトラブルがあったみたいですが……。
まあ、キャンプするほどでもないけど、折角来たんだから聖地を見て回りたいのは分かります。
ですが、ルールとマナーを守って楽しく
あ、そんな私も聖地巡礼してきたんですよー。とは言っても去年(2020年)の秋なんですけどねー。
行ってきましたよー、埼玉県飯能市の天覧山!!
……はい。ゆるキャン△ でもなければ青い空のカミュでもない、よもやよもやのヤマノススメの聖地のひとつ、天覧山。
10月と11月、二回行ってきたのですが、二回とも中段止まりだったのでリベンジしたいなと思ったんだけど、機会がちょっとないーです。
今年の夏頃にはまた行きたいなー。高尾山にも行きたいですしねー。
そういえば先日、バイク(原付)でぼーっと走っていたら、某アウトレットモールまで来てしまったので、ちょっと立ち寄ってみました。
駐車場が満車だったから分かってはいたけど人が多いですねえ。ついでにワンコも多いですねー。
で、買ってきたものと言えば銀杏の缶詰と瓶詰のガムシロップだけ───。
しかしこのガムシロップ720mlも入っているのにまさかの100円でした。賞味期限が近かったとはいえ結構なお得感、瓶代だけで元が取れそうなほどに。
明治屋のアウトレット、意外と侮れないのかもしれない……。
それではではー。