We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life.   作:Towelie

14 / 75

 ガタンゴトン。

 黒い背景の中を列車が走っている。

 独りぼっちの最終列車が夜に包まれた川沿いの路線を揺れながら走っていた。

 昼白色の車内の人気はなく、通勤帰りのサラリーマンが疲れた顔をして座っているか、寝ているかしていた。

 ガタンゴトン。

 鉄の橋梁に差し掛かると、車内がより不安定に揺れ動く。

 黒一色に染まったガラスの向こうは濃淡な闇が支配していて、夏場とは違って寄ってくるものなどもなかった。

 橋の下から流れてくる小さなせせらぎの音に、外の空気を感じることが出来た。

 橋を越えると列車は僅かな明かりが照らすプラットフォームに滑り込んだ。

 規則的な車内アナウンスの後にドアが開く。

 乗降する者は誰もいない。
 少しの間、空気の入れ替えをしただけの意味のない行為。

 急いでいるのか何の合図も待たずにドアが閉まった。

 その事に異議を唱えるものはいない。
 皆、目的の駅以外には関心を寄せはしなかった。

 酷く不気味でそしてとても静かな夜の列車。

 ゴトゴトン。

 再び規則的なメロディーを奏で始める。

 街灯のない真っ暗な闇を丸いヘッドライトの明かりが切り裂いていく。

 型遅れの車両は軋む音を立てながら、それでも走ることを止めなかった。

 錆びた線路の継ぎ目に()があったのか、一際大きな音を立てて列車が傾いた。

 がくん。

 何かが沈み込むような音がして、車体が大きく揺れる。
 その衝撃はすっかり眠りこけていた少女の体を左右に揺さぶった。

「はぅ、ん……」

 頭が下がった衝撃で少女は微睡みから目を覚ました。

 少し乱暴で不本意な起こし方に、思わずしかめた顔を浮かべてしまう。
 そのまま無意識に制服の袖で口を拭った。

 ”染み”にはなかってなかったのでとりあえず一安心と息を漏らす。

 焦点の合わない目で辺りを見渡してみる。
 ぼんやりとした視界に映るのはいつもの見慣れた列車の風景。

 ありきたりな広告も、特に興味のない車内ポスターもいつものまんま。
 それだけにここが通学に使ういつもの列車だと確認することが出来る。

「ふあああぁ……」

 燐は人目を憚ることもせず、大きな欠伸をした。
 スピードの遅いローカル線は心地よく、眠気を誘うのにはぴったりだった。

(寝過ごす心配がないからいつまでも寝てられそうだよ……蛍ちゃんの気持ちが分かるなぁ)

 引っ越したと行っても通学先も交通手段も変わらなかった。
 その為、最初の頃はつい寝過ごしたと思って慌てふためいたこともあったけど。

 いつしかそういう事は無くなっている。
 新鮮さとは無縁のルーティンとなっていた。

「ふぁ~」

 今度は小さなあくびをかみ殺す。
 
 ひと月も経てばすっかり今の状況にも慣れてしまっていた。
 むしろ終点まで寝られる分、楽になったとも言える。

 そういう意味ではこの長い通学時間もそれほど悪いものではないと言えた。

(何より一緒にいられる、蛍ちゃんと終点までずっと)

 終点の小平口駅に着いてもまだ蛍と一緒なのはとても嬉しいことだったから。

 そうだよね、蛍ちゃん。

 燐はいつもの様に隣で蛍が寝息を立てている、そう思っていたのだが──。

 隣に座っていたはずの蛍は居ない。

 確かに一緒に帰りの列車に乗ったはずなのに。

 ……トイレにでも行ったのだろうか?

 まだ寝ぼけたまま、むむむと首を傾げる燐。

 すると、ふと周りの様子がおかしいことに気付いた。

 いないのは蛍だけでなく、他の乗客も見当たらない。

 確かにもう遅い時間であったが、それでもまだ乗客は乗っているはず。
 終点の小平口駅で降りるのだって、燐と蛍の二人だけということはこれまでだってなかった。

 ただ一つの例外を除いてだが……。

 ごとごとと揺れる音だけが車内に響く。

 今、どの辺だったっけ?
 燐が窓からの景色を確認しようと身を乗り出そうとしたとき、僅かな違和感があった。

(あれ?)

 燐が体を捻って、蛍が座っていたはずの座席に手を掛けた時に気付いたこと。
 そこには蛍が座っていた温もりさえもないようにさらっとしている。

 まるで最初から誰も座っていなかったように。

 それに立てかけて置いた燐と色違いの蛍のバックパックもなく、長細い座席には燐と燐のバックパックだけが取り残されていた。

 呆けた瞳で左手の感触を何度もを確かめてみる。
 確かに蛍と手を繋いだままにしておいたのに、その残り香さえ残っていないように感じた。

 ただ、そのおかげで少しずつ脳が活性化してきたのか、今の状況を理解できるようになった。

(えっとぉ、小平口駅に向かう列車に、蛍ちゃんと一緒に乗って、それから……)

 これまでのプロセスが燐の脳裏に思い描かれていく。
 指折り数えてその順序を確認するほどのものはなく、ただシンプルなことだけ。

 だから燐は今の状況になにか絶対的な危機感を感じ取った。

「嘘っ! 蛍ちゃん!!!」

 公共の乗り物であることも忘れて燐は勢いよく立ち上がった。

 この車両にはトイレは付いていないこと。
 そして蛍が途中下車する理由もないこと。

 乗客がほとんどいないのはローカル線の終電では特に珍しくもない光景だったが、蛍が居なくなることは明らかに異常なこと。

 それはとても怖いことだった。

 自分から離れて行ったのに、いざ居なくなるとそれがとても恐ろしい。

 それはあの青い空の再現のよう。

 ともすればそれは……。

(まさか、また……なんてことはないよね? だってもうわたしたち……)

 ──消せない傷と不条理を知ってしまったのだから。

 燐は首をぶんぶんと振ってその考えを消し去った。

 そうそう二度も起きるわけがない。
 自分でもそう言っていた、確かに。

 でも……。

 自分の胸を抑えて気持ちを落ち着かせると、燐は軽く目を閉じて自問する。

 だが、その時間さえも惜しいのか、燐は考えがまとまらないまま、行動を起こしてしまった。

「蛍ちゃん!!!」

 湧きあがる不安を打ち消すように燐はもう一度、蛍の名を呼んだ。

 がたがたと揺れながら進む列車の中はぞっとするほど静かで、暖房が効いているとはとても思えないほど、寒々しい。

 どこかの車両の窓が空いているのかもしれないがそれにしたって嫌な、妙な寒気を感じる。
 そして嫌な胸騒ぎもまったく収まってはくれなかった。

 燐は諦めきれずにもう一度だけ車内を見回すと、座席に置いていたバックパックを引っ掴んで、前方の車両へと駆け出した。

 あの運転席に誰も乗っていなかった列車でも蛍は同じ思いだったのだろうか。

 そう思ったら急に涙が溢れ出そうになった。

 失って分かるもの。

 それはきっと自分が()()()()()()()()()()()なのかもしれない。

 燐はやるせなさに胸を痛めながらも前だけを見て走った。

 後ろには何もなく、月明りだけが小さな背中を照らすように刺していた。


 …
 ……
 ………



I owe you one.

 空っぽの客車の中を少女が一人走っていた。

 

 焦燥感に突き動かせれたように、燐は前方のドアをためらいもせずに開いた。

 冷たい金属製のドアが、擦り切れるような音をたてて横に動く。

 

「蛍ちゃんっ!!」

 

 ドアが開くとすぐに燐は蛍の名を呼んだ。

 

 他にも乗っている人がいるかもしれないと思ったのはその次。

 ともかく蛍が無事で居るかどうかの方が先だった。

 

 燐の杞憂に反して声に反応する人はいなかった。

 二両目の車両も同じように静まり返っている。

 

(……ここにもいない?)

 

 しばらく耳を傾けていたが、なんの返事も音もなかった。

 

 ここには居ないと決めつけた燐が、次に先頭の車両に向かうことを決めたとき。

 

「やけに騒々しいなぁ」

 

 客車の前方から声がした、男性の声で。

 憤っていると言うよりかは、少し暢気な声色に聞こえる。

 

 ここからでは頭しか見えないが、奥の座席に誰が座っている。

 

 燐が周囲を見渡した時は誰もいなかったし、何の声も返ってこなかったのに。

 

 だが木製の背もたれから頭の半分ほどだろうか、黒髪が覗いていた。

 流石にそれだけでは何も分からないが、若い男性のような気がした。

 

 自分以外の乗客がいたことに燐は安堵するも、さっきだした大声の事で恥ずかしくなった。

 一言謝ろうと思い、その人物の席に近づく。

 

(それに蛍ちゃんのことも知ってるかもしれないしね)

 

 それでもすぐに近寄ろうとはせずに、燐は考え込んだ。

 

 近寄りがたい空気はないが、得体の知れない人物かもしれない。

 むしろこういうのが一番危ないとも言える。

 

 例えばホラー映画のように。

 

 燐はバックパックからなにか武器になるものかないか探してみたが、出てきたのは馴染みのあるペンライトぐらいで、天井に照明が点いている以上、目くらましに使えるかどうかさえ怪しかった。

 

 それでも何か手に持っていると安心した。

 

 それはあの時の再現をしているようで、嫌な気分でもあったが。

 流石にあの白い人影は居ないだろう、あの甘く嫌な臭いもしないし。

 

 燐はゆっくりと一歩ずつ確実に前に進む。

 

 その際、他の座席が目に入るも、対面式の古めかしい座席にはやはりというか他に誰も乗っていなかった。

 

 レトロ調というか、かなり昔に使われていたと思われる年季の入った座席なのに、そこまで使いまわした様子はない。

 

 光沢のある木製の背もたれにぴんと張った藍色の革張りのシートは、そのまま高額な特別列車に使われてもおかしくないような、高級感と特別感を感じさせた。

 

 例えるならこの車両だけ鉄道が主流だった時代にタイムスリップしたかのような、当時の面影のまま現代に蘇ったような。

 

(まあ、わたしには馴染みがないんだけどね。高額な観光列車にも乗ったことがないし)

 

 つまりはモノクロ写真を今の技術でカラー化したような、そんな懐かしさと新鮮さがこの車両の中に存在していた。

 

 それは座席だけでなく、壁紙も調度品もモダニズムを体現していた。

 

 綺麗に磨かれた木目調の床はどうやら本物なのか、燐が歩くたびにぎしぎしと鳴って、なんとも趣というか、吊り橋の渡るときのあのひやっとした感覚を呼び起こす。

 

 列車の揺れに合わせて床もぎいっと傾くので、燐は思わず座席の背もたれにしがみ付いた。

 

(床、抜けないよね? いくら何でも)

 

 燐は足元の状態を気にしながら、綱渡りをするような慎重さで前に進む。

 ぎしっ、ぎしっと鳴く床は、静まりかえった車内の不気味さを拍車させていた

 

 確かにここだったはず、燐は恐る恐る座席を覗き込んだ。

 

 一人の男性が座っていた。

 文庫本を手に持ち、時折指でなぞりながら反芻しているようだった。

 

「あ、あのー、大声出しちゃってごめんなさい。それでですね──」

 

 そこで燐は言葉を止めた。

 その人物の顔を見覚えがあったからだ。

 

 見覚えがあったなんてものではなく、心臓が飛び上がるほどの驚きと衝撃があった。。

 

 それはここにはいるはずのない人物だったから。

 居ることすら思い浮かばなかったと言ってもいい。

 

 青天の霹靂と言うか、とにかくあり得なかったから。

 

 物陰から覗かれていることに気付いたのか、その人物はこちらを振り返って声を掛けてきた。

 

 黒縁の眼鏡から覗く優しい瞳はあの時のまま。

 少し短くなった前髪を軽くかき上げてその人物は笑みをみせた。

 

「やあ、燐。久しぶりだね」

 

 こちらの姿を確認しても少しも驚いた様子も見せずに笑っている。

 

 燐は驚きのあまり声も出なかったが、()()が変わらず接してくれたので少し表情を和らげることが出来た。

 

 もっと飛び上がって喜んでもいいはずなのに、なぜだか緊張している。

 

 それはきっと知ってしまったからだと思う。

 

 彼の秘めた思い。

 そしてわたしの思いにも。

 

「どうしたんだい、ぼーっと突っ立って。立ち話もなんだしこっちに座ったら?」

 

 ”高森聡”は、開いていた小さな本を閉じると、迎え入れるように空いている窓側の座席に手を広げた。

 

 塵一つないシートはまるで新品のような美しさとなだらかさがあり、座り心地が良さそうに見える。

 

 二人で座るには十分な広さもあり、足を伸ばすことも十分できそうだった。

 

 燐は聡が何を言っているのか理解できず、やや他人事のようにぼーっとしていたが、それが自分に向けたことだと分かると急にびくっと体を震わせて、まじまじとその聡の顔を見つめ返した。

 

 大人しそうにみえる少し癖のあるマッシュヘアに黒縁の眼鏡、その奥の優しそうに細められた瞳。

 

 それは燐が好きだった面影のままだったから。

 

「お、お兄ちゃん……?」

 

 確かめるように燐は小さく呟いた。

 

 名前ではなく、燐の昔馴染みの呼び方で。

 

 勿体ぶった言い方が面白かったのか、従兄──聡は唇だけを動かして静かに微笑んでいた。

 

 優しい笑顔。

 それをまた向けてくれるのは嬉しかった。

 

「奇遇だね。こんなところで燐と偶然会うなんて。神の思し召しかな? いや神にどうこうしてもらう理由なんてないよね。ならこれは天の摂理かな」

 

 なにかの引用を交えて喋る癖も変わってない。

 

 何も起きていないかように聡は普通だった。

 それは山小屋の後でもそうだったのだけれど。

 

 だからこそ、どこか違和感を覚えるものだった。

 

「うん。偶然だよね」

 

 燐は込み上げてくる不安をおくびにも出さずに笑顔で返した。

 

 一縷の望みがないわけではない。

 偶然出会う可能性だってちょっとはあると思っていたから。

 

 もしかしたらクリスマスに合わせて一時帰省してきたという”理由”だってある。

 

 小平口町からは南アルプスが近いし、冬の登山だって聡が好んで行っていたからそれをしにきた可能性だって十分にある。

 

 理由なんてものはいくらでも考え付くものだ。

 例えそれが殆ど望みない可能性だったとしても。

 

 目の前のものを現実と認めるならば、それも止む無しとは思う。

 

 偶然の重なり合いが大きな奔流となって流れを形成するならば、今のこの偶然はなにをもたらすのだろう。

 

 それ今、考えたところで燐には何の結論も出せはしなかったのだけれども。

 

「ん? どうしたんだい。僕の顔に何か付いているのかな」

 

 聡はおもむろに眼鏡を外すと、ポケットから取り出したクロスでレンズを拭き始めた。

 

「……っ」

 

 眼鏡を外した聡に燐は動揺していた。

 それはあの時以来見ていなかった素顔だったから。

 

 山小屋の夜の時以来に。

 

 だからと言って拒絶するわけではない。

 ただあまりにも無防備に素顔を晒したので面食らっただけ。

 

 考えすぎなのかもしれないけど。

 

 燐にじっと見られているのが恥ずかしかったのか、聡は眼鏡を元に戻すと、どうしたの? とばかりに困った笑顔を見せた。

 

 ……どうしていいか分からなくなってきた。

 

()()変な臭いもないし、おかしな気配もない……どうしよう、頬っぺたつねってみようかなぁ……)

 

 聡の顔を見ながら燐はまったく別の事を考えていた。

 見れば見るほど聡にしか見えなくなってきて、頭がこんがらがりそうになる。

 

 ぼんやりとした蛍光灯の明かりの下で思わず頭を抱えそうになった燐だったが、突然何かに突き動かされるように突飛な行動にでた。

 

(うー、よしっ!)

 

 燐は小さく頷くと、まるで忍者のような動きでそそそそと聡の前に行くと、その横ではなく、向かい合った斜め前の座席にすとんと腰を下した。

 

 明らかに挙動不審な燐の動きに、聡は呆気に取られながら見ていたが、ややあって腹を抱えて笑い出した。

 

「あっははは、なんだいそれは。今学校では忍者ごっこが流行っているのかい?」

 

 燐は……顔から火が出るほどの恥ずかしかった。

 

(これで何もなかったら。わたし、お兄ちゃんにすごく変な子って思われちゃうよっ)

 

 久しぶりの従兄の前で燐は羞恥で顔を真っ赤に染まっていた。

 

 だがその面影はどこか悲しげな影を作っていた。

 

 ────

 ───

 ──

 

 ガタンゴトン。

 

 列車は変わらず規則的な音をきざんでいる。

 

 燐は座席を挟んで聡と向かい合っていた。

 

 話すタイミングをうかがうような微妙な空気が二人の間を流れている。

 

 それは、お互いに顔を合わせることなく遠くに行ってしまったから。

 聡は燐に何も告げずに遠い北の大地に農業研修に行ってしまった。

 

 その事は燐に少なからずショックを与えていた。

 聡が無事で居たのは良かったが、結局離れ離れになってしまった。

 

 何の決着もつけずに。

 

 その従兄が今、目の前にいる。

 偶然を喜ぶことなのだろうが、まだ燐の中の不安は消えなかった。

 

 きっとそれは決定的なものが欠けていたからだと思っている。

 聡だと認めさせるだけのものがあと少し足りなかった。

 

「どうしたの燐。緊張してるのかい? 僕は燐と話すのが楽しみで戻ってきたんだよ」

 

 気さくで優しい声。

 幼いころからよく聞いた声に燐はつい作り笑いをしていた。

 

「そうなんだ。わたしもお兄ちゃんと話せて嬉しいよ。電話もメールもあまりくれないから」

 

 連絡をしないのは分かっていた。

 きっとお互いに気を遣っている、そうそう都合よく忘れるなんて出来るものじゃないから。

 

 離れてみてそれが良くわかった。

 忘れたくとも忘れられないことが確かにあるのだ。

 

(でも、少し楽になったとは思ってる)

 

 変わったことと変わらないこと。

 

 きっとそれは時間。

 

 だからこそ一人で遠くに行ってしまった聡を逃げたなんて思ってはいない。

 それを自分のせいだとも思わなかった。

 

 それはある種の折り合いがついたのかもしれない。

 

 でも言葉にするのはちょっと難しかった。

 

 燐はどう話を切り出そうか逡巡していると、聡はどこから持ち出したのか四角い板状のものを持っていてそれを熱心に操作していた。

 

「お、兄ちゃん……それ、なに?」

 

 燐が指を差す。

 

 黒い板は良く知るタブレット端末のように見えた。

 

「ああ、地方の農業ってイメージとは違って結構大変なものでね。ちょっとデータを見てるだけだよ」

 

「データ?」

 

「うん。田舎で悠々自適なんていうけど結局は仕事を持たないとやっていけないからね。向こうの人はもちろん教えてくれるんだけど。それだけじゃなく、もっと色々なところからアンテナを伸ばして個性を出していかないとね。こういうのってやったもん勝ちなところがあるから」

 

 聡は端末を見ながら熱心に語り続けた。

 

「へぇー。お兄ちゃんも色々大変なんだね」

 

 関心したように燐は呟いた。

 

 ここ(小平口町)だって立派な田舎である。

 

 しかし広大な敷地のあり、冬は比較にならないほど雪が降り寒くなる北の地では大変の度合いがまったく異なるものなのだろう。

 

 異国のような聡の話に燐は気の毒そうに肩をすくめた。

 

 端末を片手に顎を触る聡をどこか遠くを感じながら、燐はぼんやりと窓の外を眺める。

 

 頬杖を突きながら見る黒い窓の向こうには星が見えたりとか、標識など視界には映らず、ただ真っ黒いビロードのような布が覆い被さっている。

 

 月どころか星さえ見えない状況に燐は何故か疑問に感じなかった。

 

 それだけこの状況は心地よかったのかもしれない。

 何もかもが元に戻ったかのようで。

 

(なぁんだ。やっぱり偶然かぁ。疑って損しちゃったな。にしてもわたし、神経質になってるのかな? どこかまだ警戒してる……)

 

 ふぅ……。

 

 燐は肺の中の重たい空気を吐き出した。

 目の先では今だにタブレット端末に釘付けになっている聡が居る。

 

 いつもの列車にちょっとした偶然が重なっただけで、こんなにも違ってみえるなんて。

 

 それにしても。

 

(やっぱりさっきのはすごく恥ずかしかったな)

 

 燐はさきほどの奇行を思い出してまた顔を赤くすると、今更のように両手で顔を隠した。

 聡の前だと燐の中の甘酸っぱい感情が溢れ出てしまう。

 

 もう決着がついたと思っていたのに……。

 

 許したとか許さないとかの感情の概念はどうでもよかった。

 

 ただこうして従兄と妹に戻れたことが嬉しい。

 

 そこには恋愛感情のようなものはなくなったのかもしれないけど、それでも普通のやり取りが出来るようになったのは本当に良かった。

 

 嫌われてなかったことが嬉しかった。

 

 この世界に帰りたくなかった理由の一つがそうであっただけに、ほっとしてしまう。

 

 誰かに嫌われたり恨まれたままなのは辛かったから。

 それが想っていた人ならば尚のことだったから。

 

 ずっと心の中に巣を作っていたもやもやがようやく晴れたような安堵感に、急に鼻がつんと痛くなってきた。

 

 込み上げてくるものを堪えることが出来ない。

 燐は顔を隠しながらすすり泣くように、鼻をぐずぐずとさせた。

 

 その音に気付いたのか聡が顔を上げる。

 

 顔を隠している燐に気が付くとやれやれとため息をついた。

 そして思い出したように燐に訊ねる。

 

「そういえば燐。さっき誰かの名前を呼んでなかった? 確か蛍、とか言ってたよね。確か燐の友達でいたよね蛍ちゃんって子が。彼女がどうかしたのかい?」

 

 聡に言われたことで燐は現実に立ち返った。

 

 聡に再会できたことは嬉しかったが、それが目的ではなかった。

 

「あ、そうだ! 蛍ちゃんを探してたんだった!」

 

 なぜ今まで忘れていたのか、もっとも重要なことだったはずなのに。

 

 他の座席を見ても誰も乗っていなかったし、他の乗客の声もない。

 だからこの車両には聡しか乗っていない。

 

 こんなところでぐずぐずしている暇なんてなかったんだった。

 

 燐はぎゅっと瞼をつむった。

 暗い視界の中で列車の規則的な音だけが耳朶を打っている。

 

 蛍のことを強く思い浮かべる。

 想いの強さを届けるように。

 

 燐は決意したように瞼を開くと、覆い隠している指の隙間から聡の姿を眺めた。

 まともに顔を合わせるのにはまだ恥ずかしかったし、何より聡に言われるまで蛍のことを忘れていたのが恥ずかしかった。

 

 薄く開いた指の隙間に目を通す。

 

 きっとお兄ちゃんは見ていることに気付いているだろう、困った顔をして微笑んでいる、そう燐は思っていた。

 

 幼い頃から聡は隠し事が出来なかったから。

 こちらの考えなどお見通し、それを知っていながら聡を指の間から覗き見た。

 

(……えっ!!??)

 

 思わず叫びそうになって、慌てて口をつぐむ燐。

 

 信じがたい光景がそこにはあった、それは何度瞬きをしても変わらない。

 

 それまで普通だと思った世界が簡単に崩壊する、そんな衝撃的なものが燐のつぶらな瞳に映っていた。

 

 ──何もない。

 

 ──そこには何もいなかった。

 

 指の間から覗いた先には何も映っていなかった。

 

 ただ青いシートの座席があるだけ。

 誰も座っていない。

 

 聡どころか本もあの端末さえも。

 

「う、嘘っ!!!」

 

 燐は焦燥感に駆られて顔から両手を引っぺがすと、思わず立ち上がっていた。

 

 それは目の前で見たものを否定するようかのように、目を赤く腫らして正面をだけを見ていた。

 

 立ち上がった燐の視界の先には……呆気に取られたようにこちらを見つめている従兄の姿があった。

 

「ど、ど……」

 

 そこから言葉が上手く繋げなかった。

 

 聡は一瞬ぷっとなって噴き出すのをこらえると、優しい瞳で燐に話す。

 

「どうしたんだい燐。今度は顔が真っ青になってるじゃないか。少し酔ったのかもしれないね。隣においでよ、肩ぐらい貸してあげるから」

 

 にこにこと微笑む従兄に、燐は身体を震わせて立ち尽くしていた。

 

 これが早とちりならまだ良い、恥を欠くだけで済むから。

 

 でも、もしこれが、()()()()()()()()だったら、それはあまりにも辛いことだ。

 そう思ったら燐はまた泣きそうになってしまった。

 

 見かねた聡が燐をなだめようとしたとき、他の声がそれを遮った。

 

「切符ヲ拝見シマス」

 

 確かにそういう言葉だった。

 

 この車両には燐と聡しかいないと思われたのに、別の人物が来ていた。

 

 いつからこの車両に来たのかは分からないが、言葉から察するにこの列車の車掌だろうか、そうとしか考えられなかった。

 

 でも今時切符確認なんて聞いたことがない。

 

 燐はこのローカル線で通学しているが、そんなの一度もお目にかかったことがなかった。

 最寄り駅が小平口駅に変わってもそれは同じで、蛍からだって聞いたことがない。

 

 だが現に今座席まで来ている以上、絶対と言うことはないのだろう。

 なにか事情があったから見に来ることだってあるだろうし。

 

 燐は第三者が居たことで救われた気持ちになった。

 

 重苦しい空気を変えるにちょうど良かったし。

 それに、ついでと言ういい方はないが、蛍のこと行方だって訊ねることが出来る。

 

 何より自分と聡以外の人間が居たことで、異常さが払拭された気分になっていた。

 

 人が集まるところには危険がない、なぜだかそう感じてしまう。

 

 そういうのは何効果と言うのだろうか? とにかく渡りに船とはこのことだ。

 

 でも、切符とは何を見せればいいのだろうか?

 

 燐は革製のパスケースをバックパックのサイドポケットから取り出すと、これで良いのかと車掌に尋ねようとした。

 

「ヒッ!!」

 

 車掌の姿はおかしかった。

 服装は合ってるとは思うのだが、それ以外が圧倒的におかしい。

 

 風変りとかそういうことではなくもっと別の次元のこと、

 

 だから燐は言葉を忘れてしまった。

 

 何を言うのかを忘れてしまったのではなく、この人影に掛ける言葉を持ち合わせていなかったのだ。

 

 一番見たくないものが目の前にいる。

 それなのに燐は瞬きすることを忘れて、それを直視していた。

 

 奇怪な姿している車掌を。

 

 白くぶよぶよとした皮膚。

 身体のいたるところには黒い亀裂が入っていて、とてもおぞましい。

 

 指は膨張したように膨れ上がってぼこぼことした節がついていて、奇妙な方法に折れ曲がっていた。

 

 何よりその顔には、吐き気を催す程のいびつな特徴があった。

 

「ドウカシマシタカ?」

 

 白くひび割れた顔にあるのは頬まで裂けたただ一点の真っ赤な口だけ。

 その口をにたっと動かして人の言葉を喋っている。

 

 自分が人ならざる者だと気づいていないように。

 

 人の真似をして衣服を来ていても、化け物であることに変わりはない。

 

 こんな姿で車掌を気取っているのだろうか。

 鼻をつんざくほどの悪臭を放っているというのに。

 

 しかも燐には別の、圧倒的な嫌悪感がこの人影にあった。

 

 良く知る人物が、二度と見たくない姿で現れたからだった。

 紛れもなく、それはあの大川だった。

 

 祭りの世話役だけでなく、町内会での中心的な役割もしている燐も知ってる、”今の”大川ではなく。

 

 あの時、口を歪ませて蛍を探していた時の大川の姿だった。

 

 しかもこの姿を誰よりも燐は知っている、大川の欲にまみれた姿は燐の脳裏に焼き付いて今もなお離れなかった。

 

 月明りに照らされた赤黒い剪定ばさみを手にする、変わり果てた大川の姿は、ある意味あのヒヒよりも恐ろしく不気味だった。

 

 そんな悪意を持った時の大川が目の前に居る。

 しかもあの時と同じような剪定ばさみを手に携えて。

 

「い、いやあああぁっ!!?」

 

 パニックになった燐は両手を上げると、その場から遠のいた。

 おもむろに聡の手を掴むと、震えながら叫んだ。

 

「お、お兄ちゃんっ! こ、この人……!」

 

 縋りつくように背中を丸めながら震える燐の姿は、追い詰められた小動物のように怯え切っていた。

 

 大川は太い指で何もない顎を擦ると地鳴りのような大声で笑い出した。

 

 その声で燐はヒッと短く叫ぶと、その小柄な身を聡の背後に隠した。

 

「ハッハッハ、コレハ失礼シマシタ。コンナムサイ男が突然デテキタラ驚クノモ無理モナイデスナ。ハッハッハッ」

 

 気味の悪い声で笑い続ける大川に燐は心底恐ろしくなって、聡の後ろで耳栓をして蹲った。

 

 こんなところで悪夢の続きが始まるとは思わなかった。

 

 あり得ない事態が立て続けに起こって、燐は絡まった頭を整理するように何度も頭をぶんぶんと振った。

 

 これが夢であることを願うように。

 

 身震いしながらしゃがみ込む燐に聡は小さな笑みを浮かべると、やれやれと言った調子で車掌の方に歩み寄った。

 

 燐は聡の影がなくなったことに不安を駆られて、その大きな背中に飛びつく勢いでしがみついた。

 

 偽物かもしれない。

 

 姿こそは見知った従兄だが、正体はよくわからない。

 違和感は消えるどころかどんどん強くなっていく。

 

 目の前でふらふらと揺れている化け物が燐がもっとも()()()()()()()()姿を変えている可能性もある。

 

 それでも唯一縋ることが出来るのは幼い頃から頼りにしていた従兄だけだったから。

 

 だからその後ろが一番安心できた。

 

「すみません車掌さん。この子、いえ()()()()が失礼なことを言ってしまったようで」

 

 笑いながら会釈をする聡に、大川も笑いながら返す。

 

「イエイエ。コチラコソ驚カセテシマッテ大変申シ訳ナイ。歳ノワリニハ老ケテイテ厳ツイト仲間内デモヨク言ワレテイルノニ」

 

「そうですか? 車掌さん渋くてモテそうですよ。僕なんてほらこの通り童顔なせいで良く学生に間違われるんですよ」

 

「イヤイヤ若ク見ラレルノハ結構ナコトデスヨ。私ナンテマッタク……」

 

 聡と大川は普通に会話をしていた。

 古くからの友人のように親し気な様子で。

 

 聡が残したノートでは二人は一応顔見知りになるのだが、それはあまりよい関係ではないみたいだったのに。

 

 嘘のように話が合っている。

 

 燐には二人のことも話す内容も何一つ理解できないでいた。

 

 あの白い何かと普通に話している聡がおかしいのか、それとも化け物に見える自分の目がおかしいのか。

 

 それさえも分からない。

 

 言語の分からない星に投げ出されたような孤独さを燐は感じていた。

 

「どうぞ。切符です」

 

 燐が暗い悲しみに囚われていた時、聡が大川に切符を見せていた。

 どんな切符を手渡しているのか、燐は聡の背中越しに覗き見る。

 

 聡が切符と言って手渡そうとしているそれは、薄いビニールに包まれている小さな青いお守り。

 

 燐と聡にとってとても大事なものを切符と称して見せていたのものだから、燐はつい声を荒げてしまった。

 

「お兄ちゃん! そ、それは違うよっ!」

 

 燐が叫んだことで聡も大川も無言のまま振り返る。

 

 その沈黙がなんとも重く感じて、燐は奮い立たせるように言葉を続けた。

 

「それは、それはわたしとお兄ちゃんが山の上の社で買ったものでしょ。わたしとお揃いのがいいってお兄ちゃんそう言ってたのに……」

 

 最後の方は消えかかりそうな声になっていた。

 燐は悲痛な叫びを押し殺すように拳をぎゅっと握りしめた。

 

 自分の背中ですすり泣くようにシャツを握る燐に、聡は肩をすくめる。

 

 そして思い出したように手を鳴らすと、燐の頭を撫でてこう言った。

 

「でも、これが僕の切符なんだよ」

 

「え、でもっ。そんなのおかしいよっ」

 

 頼りにしていた従兄に裏切られたような気分になって、燐は顔を上げて反論する。

 

(何なのこれ? やっぱり夢の中なの? おかしいよ……何もかもがおかしいよっ)

 

 燐は混乱する頭で自分の頬っぺたを抓ってみる……右の頬がヒリヒリとしても何からも目覚めることも、変わることもなかった。

 

 そして燐が止める間もなく、聡は大川に”切符”を渡していた。

 

 二人の思い出がズタズタに穢されたように感じて、燐は涙で濡れた瞳を聡の背中に押し付けた。

 

「ハイ。確カニ」

 

 大川は何とも素っ気なく言うとお守りをそのまま聡に返した。

 

 大川の手にしていた枝切りばさみでお守りが裂かれると思ってただけに、燐は脱力したように大きく息をついた。

 

 ちょっとだけ大川に感謝した。

 だが、それはすぐに解消してしまう。

 

「ソチラノオ嬢様モオ願イシマス」

 

 それは自分の番がやってきたから。

 

 いびつでぼこぼこした手のひらをこちらに向ける白い何か。

 

 顔を背けたくなるほどの不快な臭気が間近に迫って燐は思わず鼻をつまんだ。

 

(なんでお兄ちゃんは平気なの? でも、この臭いやっぱり同じだ……やっぱりこれはまた何か変な事に巻き込まれたってことなの?)

 

 燐が鼻をつまんでも大川は目のない顔でこちらを見つめている。

 表情が分からないことがどうしようもなく気味が悪くて燐は足が竦む思いだった。

 

 聡は助けてくれるのだろうか、現に大川に詰め寄られても何も守ってはくれない。

 

 燐がこんな嫌な気分でいるというのに。

 

 大川はさっきから無言で手を差し出している、早くよこせと言わんばかりに。

 

 その口しかない顔が下卑た笑みに歪んだ気がして、燐はひっ、と慄いた。

 

 燐はすっかり追い詰められた気分になった。

 

 聡は何もしてくれそうにないし、大川は答えを迫るように手を差し出したまま。

 

 燐の小さな背の後ろは木製の枠に嵌められたガラス戸が列車の揺れる音に合わせてカタカタと鳴っている。

 

 いっそのこと、この窓から飛び降りたいぐらいの気持ちになった。

 

 ここには明確な敵もいないが、かと言って味方してくれる人もいない。

 

 八方塞がりの燐に出来ることは、ただ想うこと。

 

(蛍ちゃん。わたしはどうしたらいいと思う?)

 

 燐は寂しくなって親友の蛍の事を思い浮かべた。

 どんなときでも燐の味方になって、親身になってくれるその人のことを。

 

(そんな大事な人をわたしは二度も蔑ろにしてしまったんだ……ごめん、蛍ちゃん。わたし甘えてばかりだよね)

 

 燐はぷるぷると首を振ると覚悟を決めたように、大川を見据えた。

 

(ただ見せるだけで良いんだよね。お兄ちゃんのお守りだって切られなかったし……)

 

 同じことをすれば良いんだ。

 燐はそう決意すると、バックパックに括りつけてあるお守りに手を伸ばした。

 

 聡とお揃いのお守りはトレッキングの時一緒に買った思い出のお守りだった。

 

 あれからも燐は外すことなくずっとつけたままにしておいた。

 

 いつの日か同じ場所に一緒に返しに行こうと思っていたから。

 

 燐は買った時から一度も外したことのない、大事なお守りを外そうと試みるも左側に何故か手ごたえがなかった。

 

 あれ? 燐は首を捻ると、お守りが括りつけてある肩ひもを確かめる。

 

「──無くなってる!!?」

 

 外した覚えがないのに、燐のお守りがなくなっていた。

 

 思わず聡の手にあるお守りを見てみるが、燐の持っていたものとは色が違っている。

 聡は青で燐のは赤のお守りだった。

 

 その赤色のお守りがなくなっていた。

 

 燐は信じ切れずにバックパックを下すと、どこかに紛れ込んでいないか、あちこち漁り始めた。

 

 外した覚えのないものが見つかるはずもなく、燐は途方にくれてしまう。

 

(やっぱりない……どこかに落とした?)

 

 木の床の上を見回しても何も落ちていない。

 紙屑一つ落ちていない床はとても綺麗で、何か落ちていればすぐに分かりそうだった。

 

 心当たりがないか、燐が思案に頭を巡らせていると。

 

「切符ヲ拝見シマス」

 

 会った時と全く同じことを大川が話していた。

 

 壊れたラジオのように同じことを繰り返す大川に、燐は焦りと混乱から頭が回らなくなって、つい本当のことを話してしまった。

 

「えっと、落としちゃったみたいなんです。切符、っていうかお守りを」

 

「ソウナンデスカ」

 

「あ、えっと。はい……」

 

 また同じことを言う大川に燐は呆れたように呟く。

 

 だがこれで話は通じたと思ったのか、燐はお守りを探すべくもといた車両に戻ろうとしたとき。

 

「ココニ落チテマシタヨ、ホラ」

 

 そう言って大川が床を指さしていた。

 

 白い指の先にあったのは、燐が探していたお守りではなくて、手ごろな大きさの手毬だった。

 

「これ、わたしの探し物じゃないです」

 

 燐は即座に否定した。

 

 あの人のものかもしれないと一瞬思ったが、そんなことより今はお守りの行方の方が大事だったから。

 

「デスガ、ココニチャント名前ガ書イテアリマスヨ」

 

 人影がなおも食い下がって言うので燐はにがにがしながらも渋々その手毬を拾い上げた。

 

 そこまで言う以上どこかに名前が書いてあるのだろうか。

 

 まざまざと毬を見つめる燐。

 どこにも名前など書いてない、でも……。

 

(これ、やっぱり良く似てる……)

 

 薄呆けた蛍光灯の下でその毬は一際輝きを放っていた。

 

 絹糸でくぐられた幾何学模様の毬はいつもオオモト様が持っていた毬と瓜二つにしか見えない。

 

 同じものがもう一つあるとは思わなかった。

 そこまで毬の種類を知っているわけではないけど。

 

(そういえば、お母さんが持ってきたあの毬。あれも同じような柄だった……あの後、どうしたんだっけ)

 

 燐は無くしたお守りや聡、大川のこと、そして蛍の事も忘れてぼうっと毬を眺めていた。

 確かに家にも同じものがあったはずなんだけど。

 

 ごとんごとんと燐の耳朶で音が流れていく。

 

 静かな夜。

 冷たい月と居るはずのない人達。

 

 わたしはなぜここにいるんだろう。

 

 もしかしたら既に列車は脱線していて、谷底の下で見ている最後の情景かもしれないし、ただの夢かもしれない。

 

 ──夢か現実か、なんて。

 

 そこは重要じゃないって言ってたけど。

 

(だったら、何が重要なんだろう……?)

 

「どうしたんだい、燐。ぼーっと立ってると危ないよ」

 

 聡は知らぬ間に座席に座り直していて、また四角い端末を弄っていた。

 

 燐は一瞬だけ目の前が白くなった気がしたが、何でもないことに気付くと、きょろきょろと辺りを見渡した。

 

 どこにもあの大川の姿はなかった。

 

「車掌さんは?」

 

 燐はあえて大川とは言わなかった。

 

「次の車両を見回ってくるって行ってしまったよ」

 

「あ、そう」

 

 燐は短く返事をすると、掌の中の毬を軽く撫でた。

 

(じゃあこれがわたしの切符だったんだ。だったらお守りは?)

 

 燐は首を傾げる。

 

 オオモト様が言っていた切符とはわたし自身のことだったはず。

 

 だとしたら。

 

「お兄ちゃん」

 

 燐は改めて聡に声を掛ける。

 

「うん? なんだい燐」

 

 聡はこちらを見ることなく答えた。

 

「わたし探し物があるんだ。だから行かなくちゃ」

 

「そうだね。でもそれは……」

 

「何も言わなくてもいいよ。大体わかったから」

 

 聡が言い終わる前に燐は言葉を被せると、内緒話をするように人差し指を小さく開いた口の前に当てた。

 

 子供っぽい仕草。

 

 でも視線は聡も知らない大人の眼差しをしていた。

 

「そうか……」

 

 聡はそれ以上は何も言わず代わりに小さく手を振った。

 

 それは多分別れの挨拶だったのかもしれない。

 

 だから燐も手を振った。

 大好きだった従兄と忘れるために。

 

 燐は聡の方を振り返ることなく、先頭車両の扉を開けた。

 

 もう後悔の念は無くなっていたから。

 

 …………

 ………

 ……

 

 金属製は金属製だった。

 

 冷たいノブをがっちりと掴むと、そのまま力を込めてスライドさせる。

 

 するすると音も立てず開くドア。

 思ってたよりも力を入れる必要がなかった。

 

 燐が一歩足を踏み入れる。

 

 そこは列車の車内というよりも暗い部屋の中のように見えた。

 他の車両とは違って、なんというか狭さを感じたから。

 

 暗くて良くわからないので照明のスイッチを探すべくペンライトを灯す。

 

 丸い明かりが照らし出すのは、古ぼけた畳と汚れた壁、そして煤で焼けたような真っ暗な天井。

 

 照明らしきものは見当たらない。

 

 さらに部屋の中はあの白い人影が放つ異臭とは違った感じの別の臭いがたちこめていた。

 

 なんというか形容しがたい臭い。

 

 燐は鼻をむずむずさせながら、壁に沿って歩く。

 暗くて良く分からないが、まだ奥がありそうだった。

 

 列車の中にいることすら忘れそうになる空間が広がっている。

 それでも前に進むしかない。

 

 きっとそこに大事な何かがあるような気がしていたから。

 

 探していた大事なものが。

 

「あっ!?」

 

 暗がりの中に明かりが灯る。

 ペンライトの明かりとは違った淡い、ロウソクのような明かり。

 

 その明かりのなかに人影があった。

 

 燐はつい声が出てしまったことを迂闊に思いながら、ペンライトの明かりを消すと暗がりに身を潜めた。

 

「……」

 

 だが人影はこちらに気付いていないのか、じっと立ったまま動こうとはしない。

 

 人影は手に何かを抱えているように見える。

 手の中のそれは毬のようにも見えた。

 

 燐は思いかけずバックパックにしまい込んだ毬の感触を、布越しに確かめてみる。

 丸い物体はカバンの奥で静かに眠っているようだった。

 

 人影が危害を加えてくるような感じはない。

 燐は直感でそう思った。

 

 それは先ほどの大川がそうであったように、”そういうことをする”理由がないんだろうと思っていた。

 

 白い人影たちは理由が欲しかったんだと思う。

 生きるだけの理由、生きがいが。

 

 それが見つかったからこそ危害を加えなくなったんだと思う。

 

(だからこの人影もきっと)

 

 燐はそっと人影に近づいていく。

 どの道、後戻りなどしようとは思わなかった。

 

 明かりが強くなるにつれてその人影の輪郭が分かるようになってくる。

 それは長い髪をもつ赤い着物の女性。

 

 白い人影ではなく、”ちゃんとした”人間の女性。

 

 その人は胸に赤ん坊を抱いていた。

 体には綺麗な柄のおくるみで巻かれていて、元気そうに目を空けていた。

 

 長く伸びた睫がとても綺麗だった。

 

 燐が傍まで近寄ろうとすると、その前に声が掛けられた。

 

「こっちへいらっしゃい」

 

 優しい声色に絆されたように燐はその人の傍まで近寄った。

 特に警戒心を抱くこともなく。

 

 女性は燐の方を見ることなく、胸に抱いた赤ん坊だけをじっと見ていた。

 燐も同じようにその顔を眺めた。

 

「可愛い赤ちゃん。まるで天使みたい……」

 

 自然と口から零れた素直な言葉。

 この子を例えるには相応しい言葉だと思っていたから。

 

「ええ、そうね」

 

 慈しむような綺麗な声で女性も同意する。

 だが、その黒の瞳は揺れているように燐には見えた。

 

「? どうかしたんですか」

 

 無垢な笑顔を向ける赤ちゃんに対して女性は少し顔を曇らせて微笑んでいた。

 その笑顔が永遠でないことを知っているかのように。

 

 燐はそれが気になり声を掛けたのだった。

 

「そうね……」

 

 女性は一呼吸置くと、慈しむように赤子の頭や頬を撫でまわす。

 

 大人しい子なのか、嫌がるような声も上げずに撫でられ続けていた。

 でも、楽しむような声も上げなかった。

 

「この子で終わりにしたいと思っているのよ。歪んでしまった町の流れを」

 

「………」

 

 燐にはこれが過去の事であると分かった。

 何年前かは分からないが、そんなに遠くない話だとは思う。

 

 蛍の家で見た残像のような、想いの欠片が見せているものか、それとも誰かの記憶か。

 

 思えばこの場所もあの座敷に似ている気がする。

 どこか秘密めいた作りも、鼻に付く据えた臭いも。

 

 だからこの人がオオモト様で間違いないと思った。

 

「これまで沢山の子が生まれ、そして消えてしまった。一片の名前さえ残さずにね」

 

「誰が悪いというわけではないの。でも、どこかに終わりにしなければならないわ。例えこの子が苦痛と不条理に合ったとしても」

 

 燐はなんと言葉を掛けていいか分からず、オオモト様の話をただ黙って聞いていた。

 きっとそれしか自分に出来ることはないと思ったから。

 

「でも、きっと同じことになるわ。そうきっと何も変わらない。もう歪みは限界まで来ている。それでも変わろうとはしないのよ誰も」

 

 オオモト様は憂いを込めるように小さく息をついた。

 それは諦めというよりもどこか達観した様子だった。

 

「この子のこと抱いてみなさいな。この子はきっと最後を一人で迎えることになる。だから今のうちに人の温もりを感じさせてあげたいの」

 

「……わたし、ですか?」

 

 燐は戸惑いながらも自分を指さした。 

 夢の中のなら自分は見えてなくても不思議ではないと思ったから。

 

 でもオオモト様は無言のまま小さく頷いた。

 

 オオモト様の許可を得たので、燐はその赤ん坊を腕の中で抱きとめる。

 綿菓子のような甘い香りと、温かさが燐の腕の中で小さく息づいていた。

 

 前に親戚の人に抱かせてもらったことを思いだしていた。

 その子は男の子だったけど、今わたしの腕の中に居るのは女の子だ。

 

 燐にはそれがすぐに分かった。

 

「良かったらこの子と遊んであげて。きっと寂しいはずだから」

 

「寂しいって、この子がですか?」

 

 燐は腕の中の幼子の顔を見る。

 

(寂しいとか言う以前に、その意味さえ分かってなさそうだけど……)

 

 その大きな瞳はまだ目がちゃんと見えていないのか、暗い空間に焦点を合わせているようにみえる。

 

 それでも何かが見えるのかもごもごと何か言いたそうに口を動かしていた。

 

「寂しいのはあなたよ」

 

 オオモト様は小さく首を振ると燐に向かって優しく頷いた。

 

「わ、たし……?」

 

「ええ、でもあなただけじゃないわ。みんな寂しいのを我慢しているだけ。でもあなたはとても優しすぎるから他の人よりもずっと寂しさを感じやすいの」

 

「……」

 

「でも、その子があなたの友達になってくれるはずよ。大丈夫、そんなに長い間じゃないわ。きっとこの子も多分、もたないと思うから」

 

 もたないって何に?

 

 燐がそう聞こうとした時、胸のあたりに違和感があった。

 何か虫のようなものに弄られているようなそんな、感じが。

 

 まさかと思いつつ、胸の間を覗き込んでみると。

 

「わわっ! な、なに?」

 

 腕の中で大人しくしていた赤ちゃんが燐の胸を触りだしていた。

 突然の事に燐はそれ以上言葉が作れなかった。

 

 小さな手が燐の中程度の胸の上を這いまわる。

 その動きはいやらしいというよりも、とてもくすぐったかった。

 

「ひゃあははははっ!! わ、わたし、お乳なんて出ないからっ。ふゃははははっ、だ、だから無理だってぇ!」

 

 燐がなだめすかせようとしてもくすぐったくて話が出来なかった。

 

 当然話にならないので、幼い少女は少し機嫌を悪くしたのか今度はかんしゃくを起こしたように燐の胸をバシバシと叩いてきた。

 

 小さくとも手加減のない子供の攻撃に、燐は思わず顔をしかめた。

 

(い、痛いっ! もう、全然大人しくないじゃない。これじゃ天使じゃなくて、小悪魔だよー)

 

「あはは、流石に痛いな~。わたしは出ないって言ってるのにー」

 

 それでも胸への攻撃を止めてくれない赤ちゃんに燐は困り果てて白旗を上げた。

 

「はあ、やっぱりわたしじゃダメみたいです。ごめんね、あなたのお母さんに代わるから。だからお乳はお母さんから貰ってね? すみません……お子さんお返しします、って……あれぇ!?」

 

 すぐ横に居たはずの黒髪の女性がまるで煙のように居なくなっていた。

 

 口を半開きに開けながらキツネにつままれたような顔で燐は立ち尽くした。

 腕の中の赤ん坊は燐の胸を玩具のように無邪気に叩いている。

 

 まさか──暗がりの中に溶け込んだ、とか?

 

 燐は赤子を片手で抱きかかえながらペンライトを周囲に向ける。

 丸い光に人影が映ることはなく、燐が入ってきたはずのドアもなくなっていた。

 

 赤ん坊と燐は暗い部屋の中に取り残されてしまった。

 

(こーゆーのって、”育児放棄”って言うんじゃないんだっけ……? わたしにどうしろっていうのよぉ)

 

 出口がなくなったことよりも赤ん坊を押し付けられたことのほうがショックだった。

 

 途方に暮れた燐を見て腕の中の子は何がおかしいのか、けらけらと笑っていた。

 小さな瞳を宝石のように輝かせながら。

 

「ねぇ、()()()()どこかへ行っちゃったよ。寂しくないの?」 

 

 燐はまだ言葉も分からない少女に話しかける。

 幼い少女は当然意味が分かっておらず、無邪気な笑みを浮かべたままこちらを見てきゃっきゃと笑っていた。

 

 その無垢な微笑みは燐を癒すどころか、余計に疲れさせた。

 

 結局ここに何しにきたのだろうか。

 

 親友を探しに来ただけなのにとんだことに巻き込まれてしまった。

 

 そんなの、あの三日間の時に散々味わったのに。

 まだこんな非日常な事柄に巻き込まれている。

 

「わたし、巻き込まれ体質なのかな……もう二度と起こるはずないって思ってたのに」

 

 色んなものを呼んでしまうって”小さい姿のオオモト様”に言われたけど……。

 

 そんなの自分ではよく分からない、分かりたいとも思わなかった。

 

 はあ……。

 

 なんかため息ばかりついてる気がする。

 ため息の数だけ幸せは逃げるってよく言ってるけど。

 

「わたしの幸せなんてもう全部なくなってマイナスなんだろうな……」

 

 吐き出した言葉は赤ん坊の上を通り過ぎて暗い空間に弾けて消えた。

 

 その答えを出すものなどここには居なかった。

 

 いつしか赤ちゃんが大人しくなっていることに気が付いて、燐が顔を覗き込むと遊び疲れたのか小さな寝息を立てていた。

 

 その寝顔があまりにも安らかで、そしてよく知ってる寝顔と二重(ダブ)って見えた。

 

 燐は顔をほころばせる。

 きっと彼女が小さかったころもこんな感じだったろう。

 

 そのせいか少し悪戯したくなってきた。

 

 ぷにぷに。

 

 シャボン玉のような小さな頬っぺたを小指で軽くつついてみる。

 

 ぷにっとする感触が指にとても心地よかった。

 

 燐は起こさない様に含み笑いをすると、小さな頬っぺたを何度もつついた。

 

 赤ちゃんは嫌がる様子も見せず笑っていた。

 楽しい夢でも見ているのかもしれない、時折小さな指を物欲しそうに動かしている。

 

 その無垢な仕草に母性本能がくすぐられたのか、燐はまだ生えそろってない少女の髪を軽く撫でると小さな額にそっと口を付けた。

 

 宗教的なものなど知らないし、特にこれと理由はなかったがなんとなくそうしたくなってしてしまった。

 

 自分の大胆な行動を誤魔化すように燐は髪を優しく梳いてあげた。

 

 それが気持ち良いのか、小さな手を開いたり閉じたりして喜びを表していた。

 

(なんか、犬のしっぽみたい)

 

 燐はどこかで聞いた子守歌を唄いながら、幼い少女の柔らかい髪を何度も撫でてあげた。

 

 そこには新鮮さと懐かしさが同居して、何とも言えず恍惚だった。 

 

 ──確かに自分は寂しいんだと思う。

 

 慕っていた従兄も、父も母もみんな変わってしまった。

 

 変わっていないのはわたしだけ。

 

 引っ搔き傷でいっぱいになっても変わることが出来なかった。

 

 そもそも人は変わるなんて思ってはいないのだけど。

 

 でも他の人はちゃんと出来ている。

 わたしだけがあの時のままだ。

 

 安らかな寝息を立てる少女をそっと見下ろす。

 

 小さな体に自分の大きな影が落ち込んで、なんだかいけないことをしている気持ちになった。

 

(わたしはあなたに寂しさをぶつけてもいいのかな? 拒絶したりしない? ねぇ……蛍ちゃん)

 

 一目見た時からすぐに分かった、この少女が蛍であることを。

 

 絶対的な確信があったわけではない、ただそれが分かっていた。

 

 オオモト様が蛍の母なのかどうかはやっぱりまだ分からない。

 

(だって一度も蛍ちゃんを名前で呼ばなかったしね)

 

 この出会いが本当のものかは分からない。

 

 でも、こうして見ることができたのは良かったと思っている。

 

 無防備に眠る小さな生命。

 

 無垢で穢れをしらない少女。

 罪の意味さえもしらない少女。

 

(もし、わたしに罪があるんだとしたら、それはきっと蛍ちゃんと出会ったことだね。わたしが蛍ちゃんを困らせるきっかけになっちゃったんだね)

 

 切り替えるスイッチがあるって言ってたけど。

 もしかしたらわたしのスイッチは最初から押してあったのかもしれない。

 

 それをただ戻しただけで特別な意味なんてなかったのかもしれない。

 

 わたしか蛍ちゃん。

 

 どっちが居なくなっても良かったんだ。

 

 ただわたしの方がちょっと臆病だっただけ。

 

 その先の線路の先に何も見いだせなかったから。

 

 だから諦めただけ。

 

 ──じゃあ、今のわたしは?

 

 わたしが今ここに居るのは?

 

「わたしは……って、んんんーっ!!??」

 

 一瞬の浮遊感の後、どこかに落下した。

 

 何が起こったのかまったくわからず、燐は手をバタバタとしてもがき続ける。

 

 水の中にいるような感覚があるが、何も見えない。

 

 冷たい感覚が背筋を撫で上げる。

 

 暗い海の底に落ちてしまったような絶望感が燐を包み込んだ。

 

(何これ!? どうなってるの? ここって海? それとも川?)

 

 暗くて良く分からないが流れで体が引っ張られている感じはない。

 海か池か、どちらにせよ危機的状況に変わりはない。

 

 パニックになりそうな頭の中で燐は今の状況をひとつづつ確認する。

 

 燐が水の中で腕を組んだとき、手の中の小さな子がいないことに気付いた。

 

(嘘、居ないっ! どこかへ落としちゃった!?」

 

 燐は暗い水の中を探し回る。

 

 何も見えず、音さえも聞こえない。

 

 上も下も分からない純粋な闇。

 その奥に沈んでしまったんだろうか。

 

 深い深い闇の底に。

 

 燐は水を飲んでしまうことも構わずに叫び続ける。

 

「蛍ちゃーーん!」

 

 黒い水の中は音を通さない。

 

 それでも燐は叫んだ。

 自分の息が続く限り。

 

 肺の中に水が入り込んでもその人の名を呼び続ける。

 もうそれしか残っていなかったから。

 

 他に欲しいものなんて何もなかったから燐は叫んだ。

 

「蛍ちゃんっ!!!」

 

 声が出た。

 間違いなく自分の声だ。

 

 そして、かたたん、かたたん、と小さく鳴る列車の音も聞こえる。

 

 そして目の前には。

 

「あ、うん……」

 

 驚いた眼でこちらを見る蛍がいた。

 

 とても……気まずかった。

 

 ────

 ────

 ────

 

 

「燐ってば、すごく恥ずかしかったんだからね」

 

「にははは……ごめん~」

 

 すっかり人気のなくなった列車内で燐と蛍は同じようなやり取りを何度も続けていた。

 

 二人のいる車両には蛍と燐以外の乗客は見当たらなく、終点の小平口駅までは降りることはあっても、乗る人は誰も居ない。

 

 終電の静かな車内では燐と蛍の声以外は車内アナウンスだけだった。

 

 燐が夢から覚めたのはいつも使うローカル線が半分ほど通過した程度の距離でのことで、まだまだ先は長かった。

 

 蛍が珍しく燐よりも先に目覚めたので、うなされたように苦しそうにしている燐を心配して顔を覗き込んだとき、タイミングよく目を覚ましたらしかった。

 

 その時の燐の声があまりにも大きくて、蛍がビックリすると共に乗客から一時注目の的になってしまった。

 

 その事で何度も謝っているのだが蛍はなかなか許してくれなかった。

 

「ほんとごめん~。なんか変な夢をみちゃってさぁ。無意識でのことだからいい加減許してよぉ~」

 

 手をついて何度も謝る燐。

 あんな変な夢を見たのは疲れているせいだと思っていた。

 

(しかもよりにもよって蛍ちゃんの名前を叫んで起きちゃうなんて。べたなマンガみたいで恥ずかしいよぉ……)

 

 思い出しただけで顔から火が出そうになる。

 額には暖房のせいとは違った汗がじっとりと湧いていた。

 

「じゃあ、夢の事を話したら許してあげる。あんなにうなされてたんだもん。どんな夢か気になるじゃない」

 

 蛍は嬉しそうに好奇心を秘めた目で燐を見る。

 そのことで蛍がもう怒っていないことは明白だった。

 

「うーん、夢の内容かぁ。それは恥ずかしいなあ」

 

「わたしだって恥ずかしかったんだから」

 

 蛍は顔を赤くして抗議する。

 それもそのはずで。

 

(わたしの名前を呼んだんだから、やっぱり気になるよ)

 

 蛍としては知る権利があった。

 

「うぅーん……言えないわけじゃないんだけどぉ……あ、そうだ! せっかくなら別のことにしない? なにか埋め合わせするから」

 

「えー、またそれ? 燐、往生際が悪いよ」

 

 蛍の意見はもっともだった。

 

「だってさあ、夢の内容って人に話すと良くないっていうじゃない? だからさ、ね蛍ちゃん。別のことならなんでもするからー」

 

「本当に何でもいいの燐」

 

「え? う、うん……」

 

 蛍が真っ直ぐにこちらを見て言うので、燐は少し後悔し始めていた。

 

(なんでもは、言い過ぎだったかなぁ。変なこと頼まなければいいけど)

 

 委縮したように縮こまる燐に、蛍は思わず吹き出してしまった。

 

「燐。変なこと考えてたんでしょ?」

 

「だってぇ……蛍ちゃん真剣な目をしてるんだもん」

 

「ごめん。ちょっと燐を困らせたかっただけだから」

 

「もー」

 

「あははは……」

 

 二人は顔を見合わせて笑いあった。

 

 車窓から覗き込んだ白い月が二人を照らす。

 

 北からの冷たい風が古ぼけた車両の不安げに揺らしても、二人の話はとめどなく流れていた。

 

 まるで専用の貸し切り列車のように厳かで温かかった。

 

 月も星空も、流れる景色も、全ては二人の為にあるかのように。

 

 二人で居る意味。

 

 そこに理由なんてものはなく、ただ流れ続ける景色のように自然だった。

 

 深夜のローカル線は終点までまた間があった。

 

 燐はバックパックから棒状のお菓子を取り出して、蛍と一緒に食べ始める。

 これでも特別な夜だったから。

 

 だから少しだけ違ったことをしてみたくなった。

 

 

 バックパックに付けたお守りが音もなく揺れていた。

 それに気づいた蛍が燐にそっと囁く。

 

 見つかって良かったね、と。

 

 ────

 ───

 ──

 

 

 







 ☆☆☆ 青い空のカミュ。発売二周年おめでとうございますー!!! ★★★


Kai-SOFT様。クリエイターの〆鯖コハダ先生には改めてお礼を言いたいと思います。

素晴らしい作品を世に送り出していただいてありがとうございました!!

貴社の発展並びに、クリエイター様のご活躍をお祈り申し上げます。


ですが、去年と同じくまたも一日遅れになってしまいました……申し訳ありません!!

うむぅぅ、間に合うかと思ったんですけどねぇ……計画性の無さはこのまま一生治らないんでしょうか……。

でも来年の三周年の時はこそは必ず!!!
ですがその時も何か書いてるのかな? 今のところは何の予定はないんですけどねー。


さてさて、2019年3月29日で発売から丸2年ですよー。本当に早いものですねー。当時はまさか一つの美少女ゲームにここまで入れ込む……いや! 推すとは思わなかったのですよーー!!

でも、それだけ思い入れのある作品だったということなんでしょうね。そうでなければこうやってネット上で小説書くこともなんかしなかったですし。
一周年の時も書いてた気がしますけど、自分がこうなるとは今だに信じられないなー。無為と怠惰の狭間でだらだら過ごしてきましたダメ人間ですからねー。でも本質は何も変わってないんですけどもーー。

しかもまだ小説を書いているとはねぇ……っていうか今回の作品、いちおう一周年記念作品の2弾目だった気がするんですが……それがまさか二周年までずれ混んでしまうとはーーーやはり計画性がないというか先送り主義すぎるぞぉぉぉーーー。

とにかく、青い空のカミュ。二周年を無事に迎えることが出来て良かったですーーー。
三周年も何らかの形でお祝い出来るといいなぁー。


■ ゆるキャン△ 2ndseason まさかの13話構成だった(今頃知った)

第11話。

・セーブポイントと灯台の件がないぐらいで概ね原作通りの流れでしたねー。”ゾンビぐらし!”どういう表現にするのかとちょっと楽しみにしてたんですが、割と無難な表現で少し残念だったり。

第12話。

・最終話……じゃなかった! 伊豆キャン編は長いですからねー。
で、ここで綾ちゃんが再登場するとは流石に思わなかった。この分だと最終話でもある13話
にも出番がありそうですねぇ。
駐車場と富士山ナンバーの事ネタがなくなってるので、車関係のエピソードが省かれてる感じ? 水どうネタは流石に出してきましたがw

それにしてもトンボロは原作アニメ共にみんな普通にじゃぶじゃぶ渡ってますねえ。私はリアルで行ったことがないんですが、3月の伊豆の海は意外と暖かいのかな? サンタじゃなくてレタスになってましたねー。あかりちゃんはググらない超良い子と言うことで。

最近はちょっと分からないことがあるとすぐスマホに語り掛けてしまいますよー。音声検索は人をダメにする悪しき機能ということで。でも使ってまうよーー。便利過ぎるんやもん。


■そういえば先日、また埼玉県の飯能市に行きまして、ついに3度目の正直で天覧山登頂を果たしてきましたよーー!! 中段までがきつかったから山頂まではもっときついのかと思ったけど思ってたほど大したことなくて良かったわぁー(精一杯の強がり)

でも、山頂までのルートどうしようかと迷ったあげく、アニメでもあった観音側のルートにしてしまったんですよね……なんかごつごつした岩がある崖でした。思いがけずきついルートを選んでしまった……。

土曜日だったせいか、かなりの人出が居ましたねえ。中央公園の桜も満開でしたし。暖かかったし。
もちろん山頂も人いっぱいでした。でもあんなに狭いとは思わなかった。そういえばカメラの三脚立ててる人もいましたねー。なんにしても登れてよかったーー!!

帰りに天覧山登山口付近にできた複合施設”OH!!!”とか言う所でアイス食べて帰りましたよー。甘酒ソフトうまー。

で、ヤマノススメと言えば、ついにアニメ4期をやるみたいですねー。遅まきながら去年の夏頃に今更ながらハマったんですけど、いい時期にハマったとも言えますねー。放送は早くても来年かな? 今から楽しみです。

今、飯能は結構注目されてますからねー。ムーミンバレーパークも出来ましたし、野外サウナを楽しめる施設でもありますし、そして天覧山登山口の複合施設OH!!!
新しいスポットもアニメ4期で出そうですかねぇ。ムーミンはちょっと難しいかなぁ版権ものだし。

実は去年初めて天覧山に行ったときにちょうどその天覧山前の複合施設が完成してまだ一週間の時だったんですよー。だから初めて見た時、あれ?何か原作ともアニメとも違うぞ!? と混乱したのを覚えてますよー。

ちなみにムーミンバレーパークは二度目の飯能に行ったときに訪れてみたんですよー。とは言っても、この日はちょうどイルミネーションをする前日だったみたいで入り口から覗くぐらいしかしませんでしたけどね。

なので、隣にある温泉施設で一風呂浴びてきたわけです。そのときは露天風呂からイルミネーションがちょっびっと見えたぐらいでした。

ちなみに二度目の天覧山は午後五時に着いたのですがすでに真っ暗でどうしようかと思ったんですが、結局携帯のライトを使って登ってみましたよー。

で、なんとか中段には着いたのですが……当然誰も居ないですし、しばらく待っても登る人も降りる人も居ないしで、この時も結局中段で下山しましたよぉーーー。

なんというか期せずしてナイトハイクになったんですが、天覧山程度の低山でも想像以上に恐ろしかったですねー。素人の夜登山、ダメ絶対!!

四期公式発表のあおいとひなたの間にいるのは山岳部の部長ですよねぇ多分。
アニメでかえでがポンコツキャラになったのは、部長がアニメに出ないせいかと思ってたんですけど、やっぱり出しちゃうんですねぇ。
ヤマノススメはアニメと原作で大分印象が変わりますから、その辺りの兼ね合いがどうなるか……続報が楽しみです。


ではではでははーー。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。