We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life.   作:Towelie

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「うーん……」

 本格的な冬の到来を告げる風が山間の木々をざわざわと揺らしていた。
 
 昼間とは違った季節らしい寒さが黒くなった木々や家屋をかたかたと震わせていた。

 四両編成の小さな鉄道はもともと少なかった乗客をさらに減らしており、残っている人よりも空席のほうが多くなっていた。

 型遅れの古ぼけた車両に今だ縛りつけられているのはくたびれた乗客か、運転手だけだった。

 そんな中、ひときわ明るい制服姿の少女たちは咎めるものが居ないことをいいことに、見通しの良くなった車内でお菓子を食べたりおしゃべりしたりと割と好き勝手なことをして、帰路を満喫していた。

 だが、代わり映えない景色の中では、それすらも退屈になってしまうのか、いつしか無言のまま肩を寄せ合って座っているだけになった。

 栗色の髪の少女は、ぼんやりとした瞳でスマホを眺めながら髪をクルクルと回していた。

 これは隣にいる親友が良くやる癖だったのだが、いつしかこの少女にも伝播してしまっている。

 列車の天井から注ぐ明かりが少女の髪を黄金の色相(ペールゴールド)に彩る。
 
 ミルクティーの様な濃淡さを差し込んだ髪を軽く梳いて、小さく耳にかけると、悩ましい唸り声をまたあげていた。

「どうしたの燐?」

 難しそうな顔で唸っている親友に蛍が声をかける。

「なんかさ、わたしが寝てる間にメッセがいっぱい来ててさぁ。どうしたもんかなと思って」

「あ、本当だ。いっぱいだね」

 蛍もスマホの画面を覗き込む。

 たわいのない内容のメッセージや可愛らしいキャラクターのスタンプやらが分刻み、秒刻みで並んで情報の渋滞を起こしていた。

 ホッケー部員からが半分ほど占めていて、後はクラスメイトからだった。

 ホッケー部の連中からはほぼ全員分が来ているようで、イヴので過ごし方や、今食べているものの事、これからカラオケで歌う曲など、かなりどうでもいい一方通行的なものばかりが身勝手に送られている。

「あ、そうだ。優香に連絡するんだった」

 思い出したように呟くと、ぽちぽちとスマホを入力し始めた。
 スタンプで済みそうなことも、ちゃんとした”言葉”を紡いでテンポよく入力を進める。

 燐の両手を使ってのフリック入力は女子の間でダントツに早かった。

 蛍が燐のそれを初めて見た時はあまりの速さに目を丸くしてしまうほどだった。

 他の女子も蛍と同じように口を開けたまま見とれてしまうほどだったから、余程の速さなのだろう。

 快活でありながらちょっと危なっかしく見えるところもある燐だが、ここぞの集中力には別人かと思うほどで、普段とは見間違うほどのギャップがあった。

 だからこそ学校や部活でいい成績を残しているし友人も多いわけなんだけど。

 蛍だったら返信を考えるだけで小一時間ほどかかってしまうのに、燐は僅かな時間の間に数十人にメッセージを送り返すことが出来る。
 
 人間としての能力の違いだろうが、それでも嫌味な感じはまったく見せないので、燐を悪く言う人は殆どいなかった。

(結局、マメな人が一番モテるって言うよね……)

 蛍はそんなことを考えながら、一心不乱に入力する燐を尊敬の念で見つめる。

 蛍だって燐以外の友達とSNS上でやり取りすることぐらいあるが、頻度はそこまで多くなく、続いたとしても精々2、3回程度で”知り合い”レベルから脱出することはない。
 
 中には蛍が何もしていないのに知らぬ間にブロックされていることもあった。

 返信が多くても鬱陶しがられるが、放置しすぎは張り合いがないと言う事だろうか。
 ネットでも現実でも距離感がつかめなかった。

 ただ、蛍と合う友達は燐だけということだけは分かった。

(まあ、それは願ったり叶ったりなんだけど)

 蛍が夏休み前に入った友達グループは、二学期を迎えるとともに自然消滅していた。

 もう少し色々と気を遣うべきだったのかもしれないが、友達との距離感が分からない蛍にはどうしようもない問題だった。

(燐との距離なら分かるんだけどなぁ……)

 スマホ見ながら微笑んだり、困った顔をしたりと忙しい燐の横顔を見つめる。

 友達が沢山いる燐だったが、蛍はそれを羨ましいと思うよりも、大変だなぁと思ってしまう。

 少数の友達でも上手くいかないのに、あれだけの友達と繋がりを続けるなんて自分には到底無理だと思うから。

(でも、それじゃダメなんだよね。燐だって……だからあの時も)

 何事も一生懸命で誰にでも優しい燐。

 そのせいで傷だらけになり、挙句あんなことになってしまった。

 絶対と思っていたものが絶対ではなくなった瞬間。

 ──燐の心が砕けた時、わたしの心も砕けてしまった。

 それは二度と思い出したくないほどの苦痛を植え付けた。
 わたしにも、燐にも。

 だからこそ燐を守ってあげたい、救ってあげたい、あの時だってそう思っていた。

 でも、わたしじゃ役不足だった。

 わたしは燐の気持ちだけでなく、燐自身を絶対視している。

 その想いは今も変わらない、重いとは思っているけど、それ以外のやりかたを知らないから。

 だから燐と話をしたい。
 いつもの他愛無い会話ではなく、ちゃんとした”これから”の話を。

 じゃないときっと後悔する。

 もうあんな想いはしたくないし、させたくないから。

「あっ、お母さんからも来てる……んー、なになに……はぁ、やっぱり心配性なのかぁ」

 それまで黙って入力していた燐が急に鬱陶しそうな声を上げたので、蛍はこわばった考えを打ち切って、また燐のスマホを覗き込んだ。

「ええっと……”いつまでも夜遊びしてないで早く帰ってきなさい”だって。燐も立派な不良だね」

 燐の母からの”親心”ともとれるメッセージに蛍は微笑ましい気分になった。

 燐としては鬱陶しく思えるだろうが、心配してくれる人がいるのは良いことだと思う。
 母親との関係の良さを思わせるメッセージに、蛍は少し羨ましくなった。

「もー、それだったらわたしと一緒に居る蛍ちゃんだって不良だってことだよー」

 燐は口を尖らせて反論する。

「まあ、そういうことだね」

 不良扱いされても不服そうな顔はみせず、楽しそうに笑う蛍。
 このやり取りすらも微笑ましいのか、屈託のない笑みを見せている。

「それにさ、夜遊びって言ってもそこまで遅くないよねぇ。ただ家に着くまでの時間が掛かるってだけでさ」

「小平口駅って、燐の前の最寄り駅から更に一時間以上も掛かかるからね。さすがに遠いと思うよ」

「まあねー、しかもずっと電車に揺られっぱなしだしさ。なんかこう、時間が勿体ない気になっちゃうよ。蛍ちゃんはほぼ毎日これだったわけでしょ? よく我慢できるねぇ」

 少し同情するように燐が呟く。
 それを見た蛍はまたくすっと笑った。

「けどわたし、電車に揺られながら本読むの結構好きだから。それほどでもないんだ。まあ……卒業までの辛抱だよ、燐」

「卒業かぁ……まだ大分先の話だよね……あーあ、こんなことだったら学校から近い場所で出店してくれれば良かったのにぃ」

 ありえない願望を口にしながら、母への返信に言葉ではなくスタンプで返す。

 最近の燐のお気に入りの黒猫のスタンプは蛍だけでなく、他の友達への返信にもたびたび使われていた。

 黒猫のスタンプには数種類あるが、今回はその中でも”鋭意努力しています”の文字が付いているスタンプを選んだ。

 肝心の黒猫は丸まって目を閉じてるため絵柄と文字がまるであっていないが、愛嬌のある絵柄のため、送られてもそこまで嫌な感じはしない。

 特に、”こういう場”には適材適所だと言えた。

「んー、大体終わったぁ~」

 スマホの作業を粗方やり終えたのか、燐は両手を首の後ろに回すと、くたびれたようにぽすっと背もたれに身体を預けた。

 それを見た蛍も燐と同じように背もたれ……ではなく、燐の肩に寄りかかると傾げるようにちょこんと首を乗せた。

 蛍がぴったりとくっついてきた箇所がぽかぽかと暖かかい。
 列車の暖房とは違った、ほんのりとした蛍が持っている心の暖かさ。

 それに触れた気がしたので燐は小さく微笑んだ。

 眠るでもなくただ瞳を閉じている蛍から視線を戻すと、窓の外の暗闇に目を向ける。

 流れる景色には街灯はおろか、生活の光さえも見えなくするほどの速さで進んでいる。

 月は星が良く見えるように気を使っているのか、雲を照らしながら後ろで様子を窺っていた。

 冬の星々が良く見える頃になるとそれに比例して外気は下がり、結露が黒いガラスを白く吹き付ける。

 燐はおもむろに白く濁ったガラスに人差し指で何かを描いてみた。

 何か意味ありそうなものを途中まで書いていたのだが、イマイチだったのか慌てて掌で擦り消した。

 銀色の額縁には元の透明なガラスが黒の景色をとうとうと流していた。

「何書いてたの燐?」

 燐の動きを目で追っていた蛍が興味深そうに尋ねる。

「んー、なんかてきとーに書いてただけだよ」

「ふーん」

 蛍はそれ以上聞くことはせずに、燐の肩を楽しむことに戻った。

 気のない返事に悪戯心がくすぐられたのか、燐は思ってもいないことを口にする。

「もしかして、相合い傘でも書いてるかと思ったんでしょ?」

 自分から告白したので、蛍はびっくりして目を見開く。

「誰と誰の?」

「わたしと……蛍ちゃん」

 燐があまりにもあっけらかんと言うので、蛍は小さくため息をつくと、燐の頭に自分の頭をこつんとぶつけた。

「嘘つき。燐ってたまに空気読まないよね」

 からかいすぎたようで、子供のような蛍の態度に燐は目を丸くする。
 そして困ったように苦笑いすると、蛍の綺麗な黒髪にそっと鼻を寄せた。

 可憐な金盞花の香りを嗅いだ気がした。

 …………
 …………
 …………

 程なくして車内に沈黙が宿る。

 規則的な音だけが唯一の音を単調に奏でていた。

 静かな空間で二人で居ると、あの時のことを否応なしに思い出してしまう。
 青と白で彩られたあの不思議な空間のことを。

 あの世界に夜はなかったが、もしあったとしたらきっと星が綺麗に見えるだろうと蛍は思っていた。

 水溜まりのような泉も、あの白い駅舎も青いドアの家も、真空のような空に浮かぶ星の光を受けてきっときらきらと輝くだろうと、そう思っていた。

(きらきらかぁ……)

 蛍はふと頭の中で沸いた疑問を隣の燐に投げかけてみた。

「ねぇ、燐。燐の家も、やっぱりイルミネーションやるの?」

 一応パン屋さんだしと、もっともらしい理由も添えて。

「実はね……恥ずかしいから帰ってくるまでやらないでってお母さんに言ってあるんだよね」

 新しいメッセージが来てたのか、燐はまたスマホを覗き込んでいた。

「じゃあやるのは明日以降かな」

「うん……多分ね。でも、もう多分やってるんじゃないかと思うよ……お母さん、あんな顔してるのにすごくやりたがってたみたいだし」

 顔はともかく、母が早くからイルミネーションの準備していたことは知っていた。

 それもLEDライトやクリスマス用のオブジェの準備だけでなく、見栄えよく飾り付けるための図面まで引くほどの本格ぶりだったので燐は面喰ってしまった。

 クリスマスなんてなんの意味があるのか分からない。
 と、言ってもおかしくない母がここまでイルミネーションにこだわるのは何なのだろうか。

 電気代だってバカにならないのに。

(本当は前のマンションの頃から大々的にやりたかったのかもね。賃貸だったから思い切ったのが出来なかったけど)

 結局その事を母に聞けないまま学校に行ってしまったけど。

「もしも、もうやってたらサプライズだよね。あの町ってみんなイルミネーションやらないから、燐の家を見るのが楽しみだよ」

 蛍は本当に楽しみなのか目を輝かせて言った。

「あはは……あんまり期待しないほうがいいよ」

 そんなに大規模なものを作らないで欲しい、燐は少し遠く離れた母にそう願った。

「どうしたの燐? お腹でも痛いの?」

 燐が腕を組んで固まったので、蛍は燐の体調を慮った。

「もう、そうじゃなくてぇ。ん、まあ……家に帰ってからでいいか」

 燐は真意ありげに、二回ほどうんうんと頷いた。
 何のことか分からず蛍は小首を傾げる。

「そういえば、蛍ちゃんは家でクリスマスの飾り付けしたことある? 確か去年行ったときはやってなかったよね」

 燐は去年イブではなく、クリスマス当日に蛍の家に遊びに行った時を思い出す。

 その時を様子を思い浮かべても、クリスマスらしきものはイチゴの乗ったケーキと、申し訳程度のリースだけだった気がする。

 流石に家でクリスマスやらないのとは聞けなかったのだけど。

「やったとしても、わたしの家には似合わないよきっと。それにクリスマスに特別何かしたことって殆どないんだよね。毎年気を遣って吉村さんがケーキ用意してくれるぐらいで」

「え? じゃあ、去年がわたしが行ったときって……」

「そう。あれが初めてのわたしのクリスマスなんだよ」

 とてもクリスマスとは呼べないものが蛍のクリスマスだったなんて。
 燐はなんだか申し訳ない気持ちになってしまった。

 流石に高校生ともなるとクリスマスに特別ものは感じない。
 むしろ普通になってしまった。

 そんな”普通”の事すら蛍には特別な事だったんだ。

 そんなこと蛍は一言も言わなかったけど。


 ──今日はすごく楽しかった。

 あの時、帰り際に蛍が言った言葉。
 わざわざ小平口駅まで見送ってくれた笑顔の蛍が印象的だったので覚えていた。

 何気ない言葉なのだが、妙に気になっていた。
 それほどの想いがあるとは思わなかったけれど。

 今まで見たことのない満面の笑みに感じた違和感は、そういうことだとは思わなかった。
 そんな一般的な楽しみすら蛍は知らなかったのだ。

 それなのに、わたしは──。

「燐。ちょっと顔色悪いよ。もう少し寝てたほうがいいんじゃない。まだ終点まで時間もあるし」

 心配そうに顔を覗き込む蛍。

 それはあの時と少しも変わらない透明な瞳のまま、一点の染みすらもなかった。

「大丈夫だよ蛍ちゃん。ちょっと蛍ちゃんに見とれてただけだから」

 燐は両手を振って慌てて笑顔を作った。
 胸中の想いを蛍に悟られないように。

「燐って結構人たらしだよね。誰にでもそう言ってるんでしょ」

「そんなことないよっ、蛍ちゃんだけだよ」

「また嘘ついてる。そういうのって目を見れば分かるっていうよね」

 そう言った蛍は燐の瞳を真正面に見つめた。

 まだ何も言ってないのにと少し呆れ顔の燐だったが、蛍が真剣に見てくるので、同じように蛍の瞳を見つめ返す。

「じーーー」

 わざとらしく口で言う燐に対して、蛍は真剣のそのものの目を向けたまま。
 蛍の心の内を読み取るような一途さに燐は少し気後れしそうになった。

 がたがたっ。

 何かが引っ掛かったように列車が大きく揺れる。
 二人は無意識に抱き合って、未知の恐怖から身を守った。

 何ごともなかったのか列車はそのまま走行を続けていた。

 特にアナウンスも何もない。
 古い路線では時たまこういうことが起こるものらしい。

 先ほどまでの微妙な空気がどこかに行ってしまって、燐と蛍はお互いに顔を見合わせると、小さく苦笑いを浮かべた。

 終点まではまだ数駅ほどはあった。

 …………
 ………
 ……

「あのさ、燐はさ……」

 蛍はもじもじと俯きながら呟く。

「うん」

 燐は片手間でスマホを弄るのを止めて蛍の声に聞き入った。
 なんとなく、大事な話のような気がしたから。

「その、どんな感じだったかなって」

「うん? ”どんな感じ”って」

 蛍の言っている意味が分からず、オウム返しのように聞き返す。

 ニュアンスではそれとなく分かる、でも思い違いの可能性もあったから。
 
(きっと、わたしの”行先”の事だろうなあ、蛍ちゃんが聞きたいことって)

 はぐらかしてばっかりだとわたしも蛍ちゃんも傷ついてしまう。
 もうお互いに十分すぎるほどに傷だらけなのに。

 それでもまだ答えが出せないのは余裕がないのか、あるいは今、余裕があるせいなのか。

 どちらにしてもこれ以上黙っていることは出来そうにない、そんな予感めいたものを感じていた。

 がたんごとん。

 先ほどの揺れをものともせず、列車は規則的な音を奏でる。
 整然とした音が二人の間にある微かな緊張感を緩和させていた。

 蛍と燐は同じ制服の他人のようなよそよそしさで、前だけを見て座っていた。
 どちらかが話だすのを待ちわびるかのように。

「……その、消えちゃったあとさ……」

 先に言葉を出したのは蛍だった。

 うかがうように言葉を選びながら口を開く。
 緊張しているのか、小さな手をぎゅっと膝の上で握りしめながら。

「………」

 燐は、思いを噛みしめるように黙っていた。

 決して意味が分からなかったというわけではなく答え方、伝え方を模索していた。

 過去の事だから考えるだけのものはないはずだが、少し言い方を考える必要はあった。

 嘘をつくつもりは無いが、悲観的にとられても困ってしまうから。

 ともあれ話さなければならないことであった。

 なので燐はとりあえず笑ってみた。
 場の空気を少しでも和ませるように努力して。

「あはは」

 燐は自嘲気味に乾いた笑みを浮かべると、誤魔化すように鼻歌を歌いながら言葉の先頭を探す。

 始めが肝心だった。

 だが、適切な言葉が浮かばなかったのでとりあえず笑ってみたが、そこから先が続かない。

 燐は言葉を紡ぐより先に、ずっと膝の上で小刻みに震えている蛍の手に自分の手を重ね合わせる。
 
 蛍が俯いた瞳を上げた時、燐はもう一度微笑んだ。

 今度はそこまで努力する必要はなかった。

 そして話し出す。

 誰に聞かれても到底理解しえない話だったが、蛍にだけ話したいことだったから。

 周りに人はいないけど、燐は密やかに蛍の耳元で話した。





A Sky Full of Stars

「昔々在るところに、山間に囲まれた小さな村がありました」

 

「うんうん」

 

「その頃、村は干ばつが酷くせっかく作った作物が育たなくて貧困に苦しんでいました。そこに一人の少女が通りかかりました」

 

「うんうん」

 

「……むー、その少女が村に訪れてからというものの、次々と村に幸運な事が起こりだし、それは少女が神の使いに違いないと、それはそれは村人たちに感謝されました」

 

「へぇ、凄いね」

 

「…………」

 

「……? どうしたの燐。話の続きは?」

 

 急に黙ってしまった燐に蛍が不思議そうな顔を向ける。

 

「……もう、蛍ちゃん早く突っ込んでよぉ。このままだと創作した昔話を延々と語っちゃいそうになっちゃうからっ」

 

「ああ、そういうこと。燐が真剣な顔で話すから、わたしすっかり信用しちゃったよ」

 

 やっと腑に落ちたように両手をパンと叩く蛍。

 急に燐が昔話を語りだしたから何事かと思ったけれど。

 

「でも、その昔話どこかで聞いたことがあるような気がするなあ……どこだったっけ?」

 

 額に指をあてて暢気な考えに浸る蛍に、燐は疲れたようなため息をもらした。

 

(どこまで本気だったのかなぁ……まぁいいけど)

 

「……蛍ちゃんが聞きたいのは、変な昔話じゃないでしょ。まあ、夢の話っていうかおとぎ話みたいなことだったから、あんまり変わりないかもだけどね」

 

「そうなの? だったら楽しみだね」

 

 好奇心を露わにした瞳で蛍が急かしてくる。

 

 もうちょっとこう……緊張したような空気になると思っていただけに燐はいささか拍子抜けしてしまった。

 

(まあこっちの方が話やすいかな、退廃的な話でもないしね……)

 

 燐は形式ぶったような咳ばらいをこほんとすると、今度こそ真面目にあの時の事を語りだした。

 

 それはとても怖いことだと思っていた。

 だからこのままで、二人が同じ時間の中でいるのならそれでいいと思っていた。

 

「あー、ごめん蛍ちゃん。最初に謝っておくけど、あの時のことはそこまで覚えていないんだ。あ、でも別に隠し事をしてるわけじゃないからね」

 

「大丈夫、分かってるよ燐」

 

 申し訳なさそうに告白する燐に蛍は落胆も驚きもなくただ理解していた。

 

 言葉にしなくても伝わる思い。

 それを十分に知っていたから。

 

「だから、覚えていることだけ言っていくね」

 

「……うん」

 

 ずっと聞けなかったけど聞きたかったこと、それをいま燐が話してくれる。

 

 嬉しいけど、どこか怖い。

 

 でも、きっと大事なことだ。

 二人にとってとても大事なこと。

 

 それは蛍にも告白せねばならないことがあったから。

 

「えっとね。青い空が目の前に広がっていて、わたしはそれをずっと眺めているの。でもね、なぜだか川に流されているの」

 

「燐、それって──」

 

 蛍は一瞬胸がドクッとなった。

 燐の語ったことはとても嫌なイメージを抱かせたからだ。

 

 ありがちな死へのイメージを。

 

「でもね。流れはそんなに急じゃないんだよ。むしろ心地よくてね、水も冷たくないし、ぬるま湯っていうか、このままずっと流されてても良いかなって感じだった。なんか流れるプールにいるみたいだったかも」

 

 蛍とは違い、燐は淡々と言った調子で話している。

 まるで他人事のような平坦さをもって。

 

 蛍は燐の一言一句を聞き逃さないように神経をそばだてていた。

 

 緊張のせいでさっきから握りこぶしを作っていることさえ気づかずに。

 

「……プール?」

 

 唇を微かに震わせながら蛍はやっとの思いのでその単語を口にした。

 

 プールと聞いて思い浮かぶのは燐と二人で入った夜の中学校のプール。

 それを蛍は思い返していた。

 

 あの夜のことは今でも蛍の中では綺麗な思い出として奥底に残っていた。

 あの時感じた充足感は、何物にも代えがたいほどの尊さと幸福で満ちていたから。

 

 燐が居ない日常に回帰したときも片時も忘れることがなかった大切な思い出。

 

 あの時の言い知れぬ恐怖も、孤独感も何もかも忘れることが出来た、きらきらとした思い出の欠片。

 

 輝く記憶の海にずっと浸って生きていくのかと思ったけど。

 その記憶を一緒に紡いだ人がまたこうして目の前にいる。

 

 幸せ過ぎて現実感が薄かった。

 

「大丈夫、蛍ちゃん。なんかボーっとしてるけど……?」

 

「あ、えっと。大丈夫だから、平気だから、だから燐。続き話して」

 

 眉を寄せながら覗き込んでくる燐に、蛍は慌てたように取り繕うと続きを燐に促した。

 

 蛍が急に顔色を変えたことに燐は少し心配がったが、ここで話を止めることは本意ではない気がして、ほんの少しゆっくり目に続きを話す。

 

「う、うん。でね。もしかしたらわたしじゃなかったのかもしれないって思ってるんだ。なんていうか、誰かの目を通して見ているような感じ? 川面に浮かぶ木の枝とか鳥とかそういった感じの視点だった」

 

 燐は自身はあまり覚えていないと言っていたが、ことのほかつまびらかに語っている。

 

 それでもどこか曖昧なのか、時折うんうんと首を捻っていた。

 

「言いたいことなんとなくだけど分かるよ。ほら夢なんかでも良くあるじゃない、視点が小刻みに変わるっていうか……そういうの。それに、わたしも似たようなものだったし」

 

 夢のようで夢じゃないはなし。

 その思いを共有できるのは、同じ体験をした人だけ。

 

 燐とわたしだけ、二人だけの秘密。

 

「蛍ちゃんも、もう一度向こうに行っちゃったんだっけ……」

 

 変な言い方になってしまったと燐は思った。

 だが、そうとしか言いようがなかった。

 

 あちらとこちらの世界。

 

 良く似ているようでどこか違っている。

 

 望んだ時に来ればいいと言っていたけど、そこまで簡単な場所じゃない。

 

 夜の世界と繋がりがあったとは思ってるけど、天国か地獄かなんてそんな概念にとらわれるような感じはしなかった。

 

 在るか無いか、ただそれだけだった。

 

「うん。わたしも気が付いたら”そうなってた”みたい。別に望んでなかったのにね」

 

 蛍は少し恥ずかしそうに言うと笑みをこぼす。

 

 儚げな瞳。

 あの空の情景が移り込んでいるような透き通るような深さを湛えていた。

 

「わたしはね、なんか信号機になってたみたい。電車なんて殆どこないのにね」

 

 変だよね、そう言った蛍はくすくすと笑った。

 顔を見合わせた燐も思わず微笑む。

 

 それはあの世界では変なことばかり起きていたから。

 それを変だと思う事すら変な感じなってしまう、つまりそういうところだった。

 

「信号機かぁ。規則正しい蛍ちゃんには合ってるのかもね」

 

「そう? 燐の方がしっかりしてる気がするけど」

 

「蛍ちゃんは見た目以上にしっかりしてるよ。あ、でも信号機ってどんな感じだった? ”あそこ”って車とか通ってなかったよね」

 

 青と白の世界では車はおろか道路さえもなかった。

 あるのはただ一本の長い線路、それだって殆ど使われてなかったのだけど。

 

「なんかね、電車の信号機だったみたい。足元にあの線路もあったし。動けなかったけどね」

 

 無機物になってたかもしれないのに蛍は落ち着いた調子で話す。

 夢と現実の境界があいまいな世界のせいだろうか、燐と同じようにどこか他人事のようだった。

 

「へぇー、それって、”シグナルとシグナレス”見たいじゃない? わたしと違ってロマンチックって良いよねぇ。ちょっと羨ましいかも」

 

 ”シグナルとシグナレス”は信号機同士の切ない恋の話を描いた昔の童話で。

 それゆえ燐はロマンチックと言いたいのだろう。

 

「うん。わたしも最初にそれを浮かべたんだ」

 

「やっぱりね、結構有名だもん。で、蛍ちゃんがシグナレスだとして、シグナルは誰だったの?」

 

 燐は恋愛話のような食いつきっぷりで蛍に続きを促してくる。

 

 蛍は……困った顔をすることしか出来なかった。

 

「それが、他の信号機はなかったし、誰もわたしに話しかけてこなかったよ。いくら待っても電車も何も来なかったしね」

 

 燐の期待を裏切るような、ロマンスの欠片もない話に蛍は申し訳なくなった。

 

「そうなの? じゃあ退屈だったんじゃない?」

 

 自分と同じような境遇だったことに燐は驚いていた。

 

 景色が流れている分自分のほうが少しだけマシだと思ったほどだった。

 どこまで行っても青い空と雲だけだったけど。

 

「確かにね。でも」

 

「しばらくすると慣れちゃったんだよね。何も起こらないことが普通っていうか、燐じゃないけどずっとこのままでも良いかなって思ってたのかも」

 

 あの世界は時間さえも流れているのかすら分からなかったから。

 日が沈むことも天候すら変わらない世界において、何かを定義づけることは意味がないのだろう。

 

 ただ雲だけが悠然と流れていく。

 

 音も何もなく、時の流れさえも止まってしまった世界は、ある意味では楽園だったのかもしれない。

 

 一切のしがらみのない世界。 

 完璧な世界。

 

 なくなったと思ってたけど、完璧に終わりはない。

 

 かんぺきだからかんぺき。

 それ以上でもそれ以下でもないのだから。

 

「うん。わたしも同じだった。わたしは自分が風車になってる感じがしてたんだ、川に流れてるのにおかしいよね」

 

 今度は燐が照れたように笑った。

 

 透明な笑み。

 

 あの線路の上での笑みとよく似ていた。

 

「風車……」

 

 蛍は燐の言う風車を想像する。

 

 空に届きそうなほど高くそびえていた、幾つもの白い風車。

 

 あの一つが先の燐だったのだろうか。

 

 音も立てずただひたすら回り続ける風車はどこか人の一生のようで、物悲しさを思わせたけれど。

 

 だとしたら、あれも人なのかもしれない。

 

 回り続ける風車は思いをただ届けたかっただけなのかも。

 

(それにしても、燐が風車……)

 

 蛍はつい堪え切れずにくすくすと笑いだした。

 

 急に笑い出した蛍に燐は少し嫌な予感があった。

 

「蛍ちゃん。もしかして変な事考えてない?」

 

「えっ!? そんなこと全然ないよ。ただ、燐が風車になったら可愛いだろうなぁ、って思っただけ」

 

「えー、可愛いなんておもえないけどなぁ、だってただの風車だよ」

 

「なんかさ、いつもの燐みたいに一生懸命に回ってる姿を想像したら可愛いって思っちゃったんだ」

 

 そう言いながらも蛍はまだ笑っていた。

 

「ええー、それなら蛍ちゃんの信号機の方がきっと可愛いよ。シグナレスだって思慮深い女の子だったんだし、蛍ちゃんにぴったりだね」

 

「そんなことないよ。でも……」

 

 恥ずかしそうに俯きながら蛍は言葉を濁す。

 それにはある思惑というか願望があった。

 

「ん?」

 

「なんでもない。やっぱり燐の方が可愛いと思っただけ」

 

「それだけぇ? だから蛍ちゃんの方が可愛いって」

 

 二人はムキになって互いの事を褒めることで張り合っていた。

 

 微かな疑問を打ち消すように。

 

「じゃあ二人とも可愛いってことで良いんじゃない」

 

 蛍は嬉しそうに折衷案を打ち出した。

 それを聞いた燐は疲れ切ったような眼を向ける。

 

「……なんだかなぁ。結局わたしたち何の話をしてたんだっけ」

 

「良くわからなくなっちゃったね」

 

「うん……」

 

 蛍と燐は顔を見合わせる。

 

 無駄な事にエネルギーを使った気がする。

 

 それが妙におかしくて二人は同じタイミングで笑い合った。

 

 

「ねぇ、燐……わたしたち、なんで今までこの話をしなかったんだろうね」

 

「うん。意外とそこまで深刻な話にならなかったね」

 

「深刻って?」

 

 蛍は顔を上げて燐の顔をつぶさに見る。

 瞳の奥が微かに揺れていた。

 

「だってさ、わたしが勝手に居なくちゃったわけでしょ。怒られたって無理ないなって思って……」

 

「なんだ、そんなこと」

 

 蛍は安心したように小さな息を吐くと、小さな手で燐の頬に触れた。

 ガラス細工を手に取るような繊細な手触り。

 

 けれども目線はしっかりと燐を捉えていた。

 一切のブレのない柔らかな瞳を一心に向けて。

 

「燐、わたしはここだよ。ずっと、ずっと待ってたんだよ。でも待ちきれなかったからちょっとだけ寄り道しちゃったけどね。でも、また会えたね」

 

 そういった蛍の顔は高揚したように微かに赤みを帯びていた。

 

 変わらない眼差し、変わらない笑顔。

 

 変わらずわたしの前で微笑んでくれている、無二の親友。

 

 それが嬉しい。

 

 だからわたしも伝えたい。

 この胸の高鳴りを。

 

「わたしもまた会えて嬉しいよ蛍ちゃん」

 

 燐は蛍の手を握りしめる。

 壊れてしまいそうなぐらいに細い指をしっかりと握って。

 

 蛍も同じような強さで握り返す。

 

 それだけで、何かがぴったりと収まった気がした。

 

 何もかもが分かるわけじゃないけど、これぐらいがちょうどいい気がした。

 

 

「ねぇ、蛍ちゃん」

 

「なぁに。燐」

 

「何見てるの?」

 

「うん……ちょっと」

 

 蛍は珍しくスマホに夢中になっていた。

 何か調べ物をしているのか、液晶を見ながら考え込んでいる。

 

「なんかちょっと寒くない? 暖房の効きが悪いのかなぁ?」

 

 周囲を見渡しながら両腕を自分の腋に入れる。

 どこかから隙間風が入り込んでいるのか、さっきから妙に足元がすーすーしていた。

 

「わたしはそんなに寒くないかな。むしろ暖かいぐらいかも」

 

 落ち着かない燐と違って蛍は余裕たっぷりとした様子で話す。

 

 そんな蛍に燐は訝し気な視線を送る。

 

「? 燐、なんか怒ってる?」

 

 視線に気が付いて蛍はスマホ越しに燐の顔を覗き込む。

 

「怒ってるっていうかさぁ……」

 

「うん」

 

「どうして蛍ちゃんはわたしを膝枕にしてくつろいでいるのかなって」

 

「ああ、それはね……気持ちいいからだよ」

 

「……全然、答えになってないよね」

 

 蛍は何を思ったのか、突然燐のふとももに頭を乗せてきた。

 始めのうちは可愛いなーなんて黙ってみていたけど。

 

 いつまでたってもどいてくれないので恐る恐る聞いてみたのだが……。

 

「あれだよね。燐のふとももって割と細いよね。あんなに運動しているのに」

 

 燐の質問を無視して、ニーソックスに包まれた燐のふとももをむにむにと触る蛍。

 急なスキンシップ? に、燐は飛び上がらんほど驚いた。

 

 柔らかいだけでなくしっかりとした弾力性のある燐のふとももは確かに触り心地がよく、意外にも枕として使うのに最適だった。

 

「ちょっと、蛍ちゃん……へんなところ触らないでよー、くすぐったいよー!」

 

 急な触感に燐は軽くパニックになって足をばたばたとさせた。

 そのせいで膝が上下に揺れて寝心地が悪い。

 

「もう、燐。あんまり動かないで。せっかくの低反発枕が台無しだよ?」

 

「わたしの膝は低反発まくらでもトゥルースリーパーでもないよっ! だからもう止めてぇ~」

 

 燐の必死の懇願に蛍はしぶしぶ触るのを止める。

 

「触り心地良かったんだけどなぁ」

 

 名残惜しそうに指をわきわき蠢かす蛍を見て、燐はデジャブを感じていた。

 

「なんで蛍ちゃんはわたしのマッサージを拒んだのに、わたしにはいっぱい触ってくるのっ」

 

 もっともな指摘に蛍は少し考える。

 そして出した結論は。

 

「だって燐のこと好きだから」

 

 だった。

 

「もう! さっきから全然答えになってないし。まったくもう、変な汗かいちゃったよぉ……」

 

 呆れたように言葉を飛ばすと、燐は取り繕うように身だしなみを整えた。

 もっとも膝の上には蛍が頭を乗せたままだが。

 

「じゃあ、良かったんじゃない?

 

「良かったって何が?」

 

「暖かくなったみたいで」

 

「……」

 

 的を得た蛍の言葉に燐は何も言い返せなかった。

 

 代わりに大きく息を吐くと。

 

「うん……そうだね」

 

 と、疲れ切った顔で小さく呟いた。

 

 

 ────

 ────

 ────

 

 ぷしゅー。

 

 気の抜けた音を立てて鉄の扉がやっと閉まる。

 

 誰も乗降しない駅で扉を開けっ放しにしておく意味が分からない。

 その間ずっと外気が入り込んでせっかくの暖房が無駄になっていた。

 

 雪深いところなら手動で扉を閉めるはずだが、ここは雪が降りそうで降らない土地だった。

 前の前には高い山々が連なっているというのに。

 

 扉が開くたびにじっと身を強張らせて耐えていたが、それもこれで終わりだった。

 

 もう途中停車する駅はないのだから。

 

 後は終点の小平口駅を残すのみ。

 少し気が楽になったが、まだ肌寒さは残っていた。

 

 それにしても、今日の帰りの列車はやけに人が少ない。

 蛍と燐以外の乗客はほぼいなくなっているように見える。

 

 そのせいなのか暖房の効きも微妙だった。

 

 それでも列車は終点を目指す。

 それだけが目的だったから。

 

「ねぇ、燐。今何時になった?」

 

「えっとねえ。23時3分ってとこだね」

 

 蛍はまだ燐の膝の上でごろごろとしていた。

 しかも毛布代わりにブランケットを上に掛けていた。

 

「ふぁぁああ……通りでお腹が空いてきたと思ったよ~」

 

 欠伸をかみ殺しながら、食への欲求を訴える蛍に燐は心底驚いたように目を見開いた。

 

「え、蛍ちゃん。まだ食べたりない……の?」

 

「あ、そういうわけじゃないけど、なんか小腹が空いちゃったのかも。燐はお腹空かない?」

 

 十分”そういうわけ”だが、あえて燐は指摘しなかった。

 

「わたしは、もうお腹いっぱい。それになんかまだお腹にクレープが残っている気がするよ」

 

 不安がるように自身の下腹部を触る。

 ポンポンと小気味よい音の何十パーセントがクレープなんだろうか。

 考えただけでも恐ろしかった。

 

 今日は体重計に乗るのは止めておこうと燐は固く誓った。

 

「もう、燐ってば大げさだね。でもクレープの味が残っているのはいいんじゃない。わたしもクレープに包まれて眠りたいよ」

 

 自分をクレープに見立てているのか、膝の上でごろごろと転がる蛍。

 クレープというよりもイモムシみたいだった。

 

「ねぇ、蛍ちゃん。いつまで膝の上で寝ているの」

 

「えー、ダメなの?」

 

 明らかに不満そうな声を上げる蛍。

 なんだかいつもと違ってテンションが高い気がする。

 

「ダメっていうか、わたしの足が痺れてヤバそうなんだけど……」

 

 少しの間ならいいかと思っていた膝枕だが、予想に反して蛍はずっと膝の上に頭をのせていた。

 

 運動神経ばつぐんの燐でもさすがにこれは辛い。

 足の感覚がなくなりそうになっていた。

 

「鍛え方が足りないよ燐。もっとプロテインとか飲まなきゃ」

 

「膝枕のためだけにふとももを太くなんかしたくないよぉ~」

 

 無茶な事を言ってくる蛍に燐は泣きごとのような反論をする。

 

 早く終点についてほしい、燐は切実に願った。

 

「わたしそこまで重くないと思ってるんだけどなぁ」

 

 蛍は少し拗ねたように頬を膨らます。

 

 わざとらしい物言いに燐は呆れてものも言えなかった。

 

「そういえば燐ってさ、いい匂いがするよね。なんのフレグランス使ってるんだっけ?」

 

「わたしはねぇ……って、蛍ちゃん。どこ見て言ってるの!?」

 

 燐が自分の使っている香水に頭を巡らそうとしたとき、急にふとももの辺りがすぅすぅし始めたので言葉を区切ってそちらを覗き見ると……。

 

 蛍が燐のスカートの中を覗き込んでいた。

 

「何って、燐のスカートの中がいい匂いするってねって、言ったんだけど」

 

「ちょっとぉ、わたしよりも蛍ちゃんのほうがいっぱいセクハラしてくるー。セクハラ問題がすぐ身近なところでおこってるよぉ」

 

 スカートの中に蛍が顔を突っ込んでくるので、燐は素早く両手で押さえてそれを阻止した。

 

 その勢いでスカートがはためいて、中の空気が辺りに広がった。

 

「ほら、やっぱり良い香りだよね。何の香水だったっけ?」

 

 少女特有の甘い香りと燐が部活の後に付けたフレグランスの臭いが重なって、蛍の言うような”良い匂いが”辺りに薫った。

 

「これってスメハラって言うんだっけ? ともかく、さっきから何してるの蛍ちゃん!?」

 

「クラスメイト同士のスキンシップ」

 

「スキンシップにしては過剰すぎるっ」

 

 燐のもっともな意見に蛍はくすくすと笑うだけだった。

 

 なんだかおかしい気がする。

 

「ねぇ、蛍ちゃん。もしかして、まだアルコールが抜けてないの? なんだかちょっと変だよ」

 

 少し失礼な言い方だが、それは端的に蛍の様子を言い表していた。

 

「んー、気持ち悪いのはなくなったんだけど。なんだかちょっとふあふあする感じ……」

 

 そう言いながら燐のスカートに手を伸ばそうとする蛍。

 完全に酔っ払いのそれと同じようになっていた。

 

「んもう、おさわり厳禁!! もうすぐ終点だけどちょっとの間でも寝てたら。酔っぱらって帰ったら色々言われちゃうかもだし」

 

「あー、そうだね……でも、燐。足は大丈夫なの?」

 

「まあ、少しの間ならまだ平気だよ。それより少し寝てて、駅についたら起こしてあげるから」

 

「うん。そーする、ごめんね燐」

 

「いいよ気にしないで、わたしと蛍ちゃんは友達でしょ」

 

「うん……そうだね」

 

「あ、そうだ眠るまで子守歌でも歌ってあげようかぁ?」

 

「燐はそうやってすぐわたしを子ども扱いするんだから。わたしは逞しくなったんだよ、これでも」

 

 蛍がまた頬を膨らませたので、燐はくすっと笑った。

 

「蛍ちゃんはすごく逞しくなったよ。ひとりでも大丈夫なぐらいに」

 

 膝の上で仰向けの蛍の頭を軽く撫でる。

 綺麗な黒髪はいつまでも触っていたいほどの滑さを持っていた。

 

 それが心地良いのか、蛍は燐のされるがまま撫でられていた。

 

「蛍ちゃんは甘えん坊さんだね」

 

「うん……わたしお母さんとの思い出がないから、誰かに甘えたかったんだね」

 

「吉村さんには甘えなかったの?」

 

 うん、と小さく頷く蛍。

 その視線の先は天井にある丸い照明に向けられていた。

 

「吉村さんはやっぱり他人だよ。それは昔から変わってないんだ」

 

「そっか、じゃあオオモト様は?」

 

 オオモト様の名前を聞いて蛍は目を丸くするも、直ぐに口を開いた。

 

「オオモト様はお母さんというよりも、ご先祖様の方が強い気がするんだよね。ほら、見た目からしてそんな感じだし」

 

 蛍の言う見た目とは容姿全般じゃなくて服装だけのことだろう。

 そう燐は解釈した。

 

「オオモト様って、歳とらないのかな……?」

 

 蛍の何気ない呟きは他に誰も乗っていない車内に浮かんで消える。

 

 思いのほか静かな車内に燐は少し背筋が寒くなった。

 

 このまま蛍とオオモト様の話題を続けることに妙な罪悪感を覚えて、燐は少し強引に話を変える。

 

「そういえば蛍ちゃん、さっきスマホ熱心に見てなかった? 何か調べてるみたいだったし」

 

 急に話が変わったことに蛍は目を丸くするも、燐の気遣いに気付いたのか、そっちの話に乗っかることにした。

 

 蛍は寝ころんだまま、ポケットからスマホを取り出して燐に見せる。

 

 液晶には高層マンションが表示してあった。

 サイトをよく見るとそれは駅前に作っていたタワーマンションのようで、画像は完成予定図だった。

 

 日付をみると来年には完成予定らしい、予約受付中と書いてある。

 

 どういうことか聞こうとするよりも先に蛍の声が耳元に届いた。

 

「わたしね、あの家手放そうと思ってるんだ。でねマンションに住もうと思ってるの」

 

 蛍の予想だにしない告白に、燐は頭が追い付かず呆然としていた。

 

「何かの手がかりになると思ってあの家に住み続けてきたけど、もうそれも必要なくなったじゃない? 燐はちゃんとここにいるし。座敷童の幸運もなくなっちゃったしね」

 

「……まあ、そうだよね」

 

 練習してきたかのようにすらすらと喋る蛍に、燐は曖昧な返事を返すのが精一杯だった。

 

「もう三間坂の姓を守る意味なんてないわけだし。色々提案はされてたんだ。あの家ってかなり昔からある建物で一度も壊れたことがないんだって。それにわたしにはよく分からないけど建築的な価値もあるんだって」

 

 金銭になりそうな話だからか、蛍は何故かひそひそ声になっていた。

 

「それって文化財的なものなの? 町で買い取ってくれるとか」

 

 良くは分からないが燐も緊張したようにごくりと唾を飲み込んだ。

 

「歴史的建造物ってほどでもないけど、小平口町の歴史を伝えるのに役に立つんだって。あの町にそんな崇高な歴史があるとは思えないんだけどね」

 

 小さく舌を出して蛍は微笑んだ。

 それはあの町のもう誰も知らない数奇な歴史を知っているからこそだった。

 

「でも、それで良いと思ってるんだ。あの家にもうしがらみはないし、町の役に立つのならそれでもいいかなって……」

 

 寂しそうにつぶやく蛍に、燐は明るく笑いかける。

 

 蛍の気持ちは十分すぎるほどに分かっているから。

 

「蛍ちゃんが決めたことならいいんじゃないな。でもいきなりマンションに住んじゃうの? しかも新築で? いちおう聞くけど賃貸だよね」

 

「うん。さすがに分譲はちょっと怖いよ。でも、せっかくだからこういうのもいいかなっておもって」

 

「うーん、蛍ちゃんが決めたんだから文句はないけどさぁ……」

 

 蛍はこういった大事なことでも迷わずに決めてしまうだけの大胆さがあるのは知っている。

 

 その迷いのなさは蛍のとても良い所なんだけど……。

 

(蛍ちゃんってやっぱり大胆だなあ。わたしだったらもう少しこう熟考したり、みんなに相談とかするんだけど……)

 

「ねぇ、蛍ちゃん。試しにわたしの家で一緒に暮らしてみない? 使ってない部屋もあるし、こっちのほうが面倒な手続きとか要らないよ。それにお母さんも蛍ちゃんのことすっごく気に入ってるみたいだしさ」

 

 燐は安易に首を振らずにとりあえず妥当なところから提案してみる。

 蛍が一緒に住むことになっても親友の燐はともかく、母も反対しないだろうとは思う。

 

 母と蛍はそこまで面識はないと思っていたのだが、いつの間にかすっかり仲良くなっていた。

 吉村さんもパートに来てくれるおかげで家族ぐるみの付き合いがあると言ってもおかしくはない。

 

 だから後は蛍次第だとは思うのだが……。

 

「ごめんね。燐の提案は素直に嬉しいんけどね」

 

 やんわりと断る蛍。

 

 見た目以上に頑固な蛍は自分と似ているとは思っていたけど……案の定だった。

 

「わたしね、自分では田舎暮らし向いてない気がするんだよね。違う景色を見たくなったっていったらおかしいかな?」

 

 蛍は恥ずかしそうに目線を逸らした。

 

 燐はそんな蛍に尊敬と愛おしさを感じていた。

 

「でもね」

 

「女の子の一人暮らしって何かと心配じゃない。吉村さんにも色々言われちゃったし。だから、燐。わたしと一緒に、住んでみませんか?」

 

 膝の上で仰向けのまま、蛍が手を差し伸べる。

 

 少し演技がかった声色で、でも表情は真剣なままで。 

 

「シェアっていうかわたしが家賃とか色々出すから、燐は料理とか掃除とかわたしが苦手なことをやってくれるだけでいいから……どう、だめかな……?」

 

 顔色を窺うように見つめてくる蛍、燐はまだ上手く話を飲み込めていなかった。

 

「え、ええっとぉ……つまり、わたしと一緒にマンション暮らししないかってこと?」

 

 燐は同じことを聞き返す。

 

「うん、そういうこと」

 

 蛍の迷いのない返事に燐は呆気に取られてしまった。

 

(わたしが蛍ちゃんと一緒に? これって同棲じゃないの!? 確かに学校からは近くていいんだけど……)

 

 燐が逡巡しているのが分かったので、蛍は慌てて補足を入れる。

 

「あ、ちゃんと燐のお母さん……咲良さんにも了解取ってあるから一応大丈夫だからね」

 

「ふええっ? お母さんに? いつの時?」

 

「うん。前に燐のお店に行ったときにね。店のことなら吉村さんとかパートの人とかがいるから心配しなくてもいいって、そう燐に伝えてって」

 

 蛍の言葉を受けて、燐は思い当たる節があった。

 最近母が前ほど手伝いを頼まなくなってきたのはきっとこのせいだったのだと。

 

「はぁ……」

 

 燐は複雑な想いで息を吐いた。

 甘いというか、なんというか……。

 

(結局気を使わせちゃってるのかな……お父さんのこともそうだし……)

 

 離婚成立後、もう会うこともないと思ってた父からの連絡があった。

 母ではなく燐の携帯の方に。

 

 やり直すつもりは無いがそれでも年に数回は娘に会いたいとのことだった。

 

 燐が独断で決めるのはさすがに難しい案件だったので、やむを得ず母に相談した。

 密会することも出来たが、後でバレるときっと大変なことになると思っていたから。

 

 母は……意外なほどあっさりと承諾した。

 

 その代わりその時は自分も立ち会って、()()()会う条件付きで。

 

 流石に父の今の”恋人”と会うのは無理のようだが、それでもかなりの進歩とも言える。

 

 父もその条件で呑んでくれた。

 

 向こうも嫌だとは思うのだけど、それでも会いたいらしい。

 

 それは来年の年明け早々の第一日曜日に決まっていた。

 

 そのことを思うだけで少し心がざわつくけど、どこか期待もしている。

 少し前まで普通にお父さんと呼んでいた人に会うことに。

 

「……ごめんね」

 

「えっ!?」

 

 突然蛍が謝ってきたので、燐はつい大きな声を上げてしまった。

 

 慌てて口元を抑えると、恐る恐る周囲を見渡す……誰もこちらを見ていない。

 もっとも、乗客は殆ど残っていないのだけれど。

 

 燐は安堵の息をもらすと、改めて蛍と向かい合った。

 

「ご、ごめんねつい、ぼーっとしちゃってて、それよりなんで謝るの蛍ちゃん」

 

 燐は声のトーンを落として蛍に訊ねる。

 

「だって……急なことに燐がビックリしちゃったのかと思って……」

 

「あ、うん。確かにビックリしたけど、今すぐってわけじゃないでしょ。まだあのマンションだって出来てないし」

 

「うん。でも来年の春ごろには完成するみたいだから、その前には決めちゃわないといけないけどね……で、どうかな? わたしと一緒に住んでくれますか燐……」

 

 ゆっくり瞬きをした蛍が再度尋ねてくる。

 

 プロポーズのような言い回しに燐は少し頬が熱くなっていた。

 

 真っ直ぐ見つめる蛍の瞳は何一つ疑う事すら知らないように見えた。

 

 燐はその無垢な瞳から目を逸らすように瞼を軽く閉じて結論をだす。

 

「ん……」

 

 小さく吐息をもらすと、蛍の表情(かお)を盗み見るように、薄く瞼を開けてみる。

 そこには不安で瞳を揺らして待っている蛍の顔があった。

 

 蛍の緊張が手のひらから太ももに掛けて伝わってくるようで、思わず喉を鳴らした。

 

「……うん。いいよ」

 

「燐。いいの?」

 

「でも、ちゃんとわたしも家賃とか光熱費とか払うからね。そこらへんはちゃんと折半しないといくらなんでも悪いからね」

 

「でも……わたしの我がままだし……」

 

 顔を曇らせてつぶやく蛍に、燐は少し誇大な意気込みを語る。

 

「いいのっ。それに、いざとなったらバイトでもなんでもするからっ」

 

「燐……」

 

 嬉しいような困ったような、複雑な顔で蛍が見つめる。

 

「わたしはね、蛍ちゃんと対等に付き合いたいんだ。どっちかに依存とかそういうのはなしで、お互いが楽な関係になりたいんだ」

 

「わたしもそうだよ。燐と対等になりたい。燐と一緒じゃなくて、燐とわたし、それぞれが自立した関係がいいな」

 

「うん。じゃあ決まりだね」

 

 燐はやっと蛍の手を取った。

 待ちわびたように握り返す蛍の手は柔らかくて、とても優しかった。

 

「うん……あ、じゃあどの間取りがいい? ワンルームだと二人で寝るにはちょと狭いし、ちゃんとお互いの部屋があったほうがいいよね? やっぱり2LDKがいいのかな……でもそうなると予算が……」

 

 蛍の頭の中では既に決定事項だったのか、まだ正式に住むかどうか決まってないのにあれこれ算段し始めていた。

 

 蛍の持つ予算とやらがどれほどのものかは知らないが、確かかなりの額があったはず。

 

 新築マンションの一室を一括で買えるほどの予算は多分あるとは思うが、額が大きい分遠慮したくなる。

 

 対等とは言っても金銭面では既に大差がつけられていた。

 

「えっと、蛍ちゃん? 無理しなくていいからね。わたしはワンルームで十分満足できるから」

 

 言葉通り燐にはそれで十分だった。

 これ以上蛍に気を遣われたら頭がどうにかなりそうだったから。

 

「でも、わたしと燐の愛の巣だよ。ここはちゃんと決めておかないと後で後悔することに……あ、でも、狭い部屋で二人でまったり暮らすっていうのも悪くないのかな……?」

 

 蛍はぶつぶつ言いながら、予算と希望の落としどころを模索していた。

 

 燐は苦笑しながら、どこか他人事のように窓の外で瞬く星を眺めていた。

 

 

 かんかんかん。

 

 小さな踏切の音が耳から耳に通り抜ける。

 

 列車も友も時間も何もかもが加速度を付けて通り過ぎていった。

 

 

 …………

 ………

 ……

 

 

「すぅ、すぅ……」

 

 小さな寝息が人気のない車両の中にひそやかに流れている。

 

 このまま終点まで寝そうにないと思われた蛍だったが、結局、燐の膝の上で寝息を立てていた。

 

 もう終点までそこまで距離はないはずなのだが、安心しきったような顔で眠っていた。

 

「やれやれ、足の感覚がないぐらいに痺れてきてるのに幸せそうな顔で寝ちゃってる。そんなにわたしの太ももって寝やすいのかなぁ……」

 

 ぷにぷに。

 燐は人差し指で蛍の頬をつつく。

 

 しっとりとした柔らかさは夢の中の蛍と一緒だった。

 

 燐は不思議そうに自分の指を見つめる。

 夢で触ったときの感触がまだ残っている気がした。

 

「それにしても……なんであんな夢みたんだろ」

 

 明らかに夢であるはずなのにどこか現実にあってもおかしくないような、そんな夢だった。

 

 断片的な記憶の欠片(フラグ)を見せられているような、自分のようで、自分じゃない夢の話を。

 

(誰かに夢を見せられているとか……さすがにそんなことはないか)

 

 あの時の記憶が今だに脳裏に焼き付いている気がする。

 それはきっと蛍も同じだろうとは思うけれど、それを口に出すことはしなかった。

 

 燐は無防備な寝息を立てる蛍の髪を軽く撫で上げる。

 

 さらさらと、綺麗な黒髪が指の間を流れ出る。

 良く練り上げられた絹糸のような、繊細で美しい光沢のある髪はうっとりするほど見惚れるものだった。

 

 慈しむように何でも丁寧に梳きあげてみたくなる綺麗な髪。

 

 少し切なくなって胸が痛んだ。

 

「……それにしてもみんな勝手だよね。わたしの考えなんて全然聞かないで勝手に決めちゃってさ……」

 

 蛍の二つに結われた髪をふあふあと持ち上げる。

 

 何をしても起きない蛍は寝てもなお、燐を楽しませる。

 

「お母さんも、お父さんもお兄ちゃんも、みんなわたしの道を勝手に決めちゃってる。わたしにだって行きたい道とか普通にあるのにね」

 

 燐は少し自嘲気味に小さく笑った。

 

「蛍ちゃんだってそうだよ。わたしに何の相談もせずひとりで決めちゃってさ……わたし本当はちょっとショックだったんだよ?」

 

 気持ちを表すように少し強く蛍の頬をつついた。

 

 ぷにぷにぷにっ。

 

「う、うーん……」

 

 ちょっと苦しそうに吐息をもらしながら蛍が寝返りを打つ。

 だが、起きることはなく、またすぅすぅと規則正しい寝息を立てだした。

 

 燐はほっと胸を撫で下ろすと、謝罪とばかりに髪をことさら優しく撫でてあげた。

 あの夢の赤ん坊が目を覚まさない様に、出来るだけ柔らかく。

 

「でもね、蛍ちゃん。わたし知ってるんだよ。蛍ちゃんが無理してるってこと」

 

 燐は軽く握られている蛍の腕を優しく取ると、長袖の制服から覗くアウトドア用の黒いシャツの袖を少し下した。

 

 冬場は長袖の為目立たなかったけど、それはまだ蛍の左手首に残っていた。

 

 かさぶたとなって治りかけている幾つかの小さい擦り傷と、最近付けられたものだろうか、はっきりとわかる二本の線が付けられてあった。

 

 燐が戻ってきてからもうそんなことはしなくなったと蛍の口から聞いたはずだったが。

 

 どうやら悪い癖になってしまったのだろうか、新たな傷が蛍の手首についていた。

 

「やっぱり寂しいのは蛍ちゃんのほうだよね。ごめんね、わたしまた見て見ぬふりをしてたんだね」

 

 体の傷は時間が経ったら消えてしまうと思ったけど、それは同時に心も傷つけるものになっていた。

 

 こんなことをしても心を埋める事なんて出来ない、それが分かっているはずなのに。

 

「蛍ちゃんのこと、重いなんて全然思ってないからね。だって……わたしだって、ほら」

 

 燐は寝息を立てる蛍の前に自分の手首を見せる。

 

 そこには蛍と同じように燐の手首にも傷がついていた。

 

「でもさ、こんな二人が一緒に住んだらとっても危ないと思わない? 愛の巣どころか愛憎入り混じる地獄絵図になったりして」

 

 乾いた笑みを浮かべながら、少し薄汚れた旧式の車両の天井を見上げる燐。

 ベージュ色の天井に黒い染みのような汚れが点々と付いていた。

 

(わたし、こういうことになるのが嫌だったはずなのにな。どうしてこうなるんだろう)

 

 あの時だってそうだよ。

 誰かが敷いたレールに乗っかっているのが嫌だったから。

 

 その先になんの希望が持てなかったから。

 

 だからわたしはレールから飛び降りたんだ。

 

 大事な、好きな人の手を離してでも。

 

 それなのに、ね。

 

「こういうのって運命なのかな。それとも宿命? どっちにしても偶然とは言い難いよね」

 

 燐が嘆息しながら話しかけても膝の上の蛍は小さな寝息を立てているだけ。

 

 さらっとした蛍の前髪を軽く流す。

 柔らかい黒髪は全て壊したくなるほど美しかった。

 

「蛍ちゃん、わたしは裏切ったんだよ。わたしは蛍ちゃんの気持ちに気付いていながら、その想いを踏みにじったんだよ。そんなわたしと一緒に暮らしてもいいの? きっと後悔することになるよ」

 

 囁くように燐は問いかける。

 

 蛍の無垢な寝顔は燐の告白を受けても、穏やかなままだった。

 

「ふぅ」

 

 ため息を漏らす。

 ひどく疲れていた。

 

 それは蛍に胸中を打ち明けたからだけではない。

 

 夏から秋に、そして冬がやってきて、年が変わっていく。

 

 過ぎ行く時間の流れにつかれてしまった。

 

 ……あの世界は時が止まっていた。

 

 どこまでも青い空、真っ白な駅舎と白い雲。

 

 かんぺきなせかい。

 

 あそこが終点で良かったのに。

 

「どうしてわたしは……」

 

 規則的な音と沈黙が交互に流れる。

 

 列車は軋む体を揺らしながら隧道の中に勝手に入っていった。

 定められたレールに沿って。

 

 暗いトンネルを通り抜けた先は今のわたしの最寄り駅。

 

 小平口駅がある。

 

 今のわたしの終点。

 

 わたしはそれを望んでいるのだろうか。

 

 外と変わらない色が車内に薄い天幕を作る。

 ごー、と鳴る地鳴りのような音がやけに耳障りだった。

 

 

 

 暗い気圧の海でわたしは一人で藻掻いている。

 

 流れに逆らって泳いでも満足に泳げないのにそれでもまだ頑なに泳ぎ続けている。

 

 流れる先にも後にも同じものが待っているとしたら。

 

 それはきっと幸福なのかもしれない。

 

 だったら幸せなままがいい。

 

 わたしはもう一度。

 

 自分をこの世界を殺してみたくなった。

 

 

 幸せが怖いわけじゃない。

 

 幸せだからきっと怖いんだ。

 

 今が幸せすぎるから。

 

 ────

 ───

 ──

 

 

 






★ゆるキャン△ 

・SEASON2放送終了と原作12巻発売とドラマ版”2”放送開始と劇場版製作決定おめでとうございますーー!!!

あ、VRゲームも発売されましたし、コンシューマーゲームでも出るんでしたっけ、まだまだブームは続きそうですねー。

ここ何週間の間のゆるキャン△ 関係は色々と目まぐるしかったですねえ。映画発表の時なんてちょうどエイプリルフールの時だったから、ニュースサイトが取り上げるまでネタだと思ってたぐらいですよー。リンだけでなくなでしこまで髪を短くするとは……三輪バイクの時のではなく、まさかの野クル十年後の続きなんでしょうか? さすがにテントは飛ばなさそうですけどもw

・アニメ版ゆるキャン△ SEASON2 13話。
ちょこちょこオリジナルセリフを挟んでてて、最後までテンポ良く駆け抜けましたねぇ。原作にあったお爺ちゃんエンドではなく朝の登校エンドなのも爽やかで良かったですー。惜しむらくは綾乃の出番が最後になかったことですかねぇ。この辺は劇場版でリベンジすることでしょう! 多分。特典のOVAの可能性もありそうですけど……。

・ドラマ版ゆるキャン△2。
アニメ放送中にドラマが始まってしまうという前代未聞? の展開からスタートしましたねー。SPとなってましたけど、実質1話でしたね。総集編少な目でしたし。
アニメ見てた頭をドラマに切り替えるのにちょっと違和感があったりなかったり……。
結局、見てるうちに慣れるとは思いますけどねー。

それとやはり実写のちくわはかわええわぁ。ドギーテントでくつろぐちくわはリンじゃなくても、ものすごーく見たくなりますよーーーっていうか、もふもふしたいぃぃ。

あと、実写の食事シーン、これもヤバ目でしたねえ。4100円の鰻重の破壊力も相当なものだけど、個人的にはなでしこが一人で二個も食べた大判焼きが凄い飯テロだったよぉぉぉ!!原作、アニメだとそこまで気にするシーンでもないのに、なぜ実写だとあそこまでの空腹感を煽ってくるのだろうかーーーやっぱり食べ物系は実写に限りますねえ……って同じことを前回のドラマの時も書いた気がするーー。

あと、前作同様にアニメとドラマだと原作の拾いどころが違いますねえ。砂浜で椅子が沈み込むエピソードとかアニメは割愛してたのに、ドラマ版はわざわざコケるところまで入れて再現してましたしね。
それに前回以上にドローンを使った空撮が多い気がしますねえ。そのおかげでロケーションの良さをひしひしと感じますよー。
でも、車でのダイアモンド富士のシーンはちょっと……完全に停車して撮ってますやんー。まあ、仕方がない? のかな。

☆青い空のカミュ。
二周年記念ー!! とはちょっと違うようですが、スプリングセールで5月10日まで50%OFFセールをやってますねー。
未購入の方は……多分居ないと思うのですが、最近はセールになることも少ないので、購入したい方は今がチャンスかなーとは思います。
最近、定額サービス等でもう一度やってみたいと思った方にお勧めします。

★South Park.
3月の中ごろ、SEASON24 episode2が公開されてましたね。このままS24で作り続けるのかなー。楽しみだけど、基本コロナ禍での話になりそうですねえ。
で、最近になった公式サイトに行ってみたら……adidas x South Parkのコラボグッズが出るみたいじゃないですかーー。
しかも! 私が名前を勝手に借りているTowelieのシューズが! なんか目が付いてるんですけど……どうやら紫外線を感知すると目が赤くなる仕様らしいですが、ヤク中を再現したものなんですかねぇ……シューズの裏のところにポケットが付いている等、謎なところに力を入れているようです。

このTowelieシューズ、日本では買えないかと思ったのですが、アディダスの日本語版のアプリでも紹介されていたのでどうやら日本でも買えそうですね……。

で。つい魔が差してポチってしまったのですけど……なんか早まった気がするー?

まあ、抽選販売なので買えるかどうかは微妙なところですけどねー。
最近でもとある限定商品の為にショップに人が雪崩れ込んで騒動になったぐらいですし。
でも、日本ではそこまで人気にならなそうな気はするんですけどねぇ……でももしかしたら結構競争率高めなのかもしれないぃ。

20日には抽選がされるそうなので、次話のあとがきに当落報告します。


それではでわわーーー。


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