We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life.   作:Towelie

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 小平口駅から少し離れたところにある中学校脇の商工会議所で町長を招いての町の対策会議が開かれていた。

 主だった議題は”これまでのそしてこれからの小平口町について”。

 小平口町はさまざまな出来事が”偶然”いい方向に傾いて、都会から離れた山間の町を驚くべき勢いで進化、発展を進めてきた。

 これといった特産品(名物)もない小平口の住人は他所の土地から教えられたお茶の葉の栽培で細々と生活をしてきた。

 そんなある時、()()()()()がこの地に偶然やってきたことで全てが上手く回るようになった。

 戦後、復興のための林業はとてもうまく行った。
 その林業が衰えを見え始めると、今度はダムの建設により安定した収入を得るようになった。

 時代時代で町は収益を得、その財政で施設を増やし利便性をもって発展していった。

 だがそのせいで町は大きな代償を支払わなくてはならなかった。


 すべてがねじ曲がり、道理の通用しなくなった世界に変容してしまった。
 その結果この町にとってもっとも大事なものが失われてしまった。
 
 分かっているのはごく僅か、たった一人と言ってもいい。

 しかもそれを指摘してもこの町の誰もが首を傾げるだろう、()()()()()()()()()()覚えていないのだから。


 でも、覚えていても忘れていても同じ。
 目に見える形でそのことは分かってしまうのだから。


 幸運によってもたらされてきた加速度的な発展、それに”とうとう”というか”ついに”陰りが見え始めていたのだ。
 鉄道路線の赤字のしわ寄せがこの町まで及んできていたのだ。

 同じ路線が通っているのに小平口町だけ財政が潤ってるのはおかしいと他の町が気づくのは当然でもあった。
 むしろ今まで気づかなかったのがおかしいぐらい不自然だったはずなのに。

 そうなるとこの町の税制の在り様に不信感が生まれてくるようになる。

 賄賂か、はたまた脱税か、談合か、さまざま憶測が生み、しだいに町は孤立していった。

 これまでも何度かこういう目にあったが、なぜかうまい事話がついて、大事には至らなかったのだ。

 しかし今度は上手くいかなかった、町は鉄道路線の赤字の大半を押し付けられてしまっていた。
 そんな不当なことがあっていいはずないと、何度も交渉をしたのだが、なしのつぶてだった。

 肝心の鉄道会社にも直談判したのだが、なぜか首を横に振るばかりで話しにもならなかった。
 更に別の問題もあった。
 これは他所の自治体でも社会問題になっていることがこの町にも起きていた。

 いわゆる、空き家問題である。
 
 経済的理由や家人が高齢の為、他所の老人ホームに行ってしまった等、様々な理由で家を放置する社会問題である。

 放置された家は、雑草や異臭、老朽化による家屋の倒壊等の危険がある。

 他の市町村は大胆な対策を打ち出すことも出来るが、ここ小平口町は特有の理由でそれが出来なかった。

 小平口町は人口の安定化を理由に、他所からの移住者を制限してきた。
 変な習慣や思想を町に入れたくないとの理由だったが、その為移住希望者の審査がとても厳しく、何らかのコネがないと到底無理だった。
 それが町の空き家の増加を招いてしまっていた。

 人は制限出来ても家だけはどうにもならない。

 それまでは理由をつけて相続してきたのに、最近は町と人との結びつきが薄くなっていた。
 

 小平口町は表面上平静を保っていて問題がないように見える。
 実際は巨額の負債を押し付けられ、住民からも見陰られつつある、陸の孤島。
 この町は名目通り山の谷間に挟まれて孤立してしまった。

 こうなるとそれこそ昔は口減らしや、家人の売買などの非人道的行為を行う場合もあったようだが、現代でそれをやればたちまち非難の的、というよりも法的責任に問われるだろう。

 そんなことになればこの町はたちまち死んでしまう事は明白だった。

 だからこそ町長や町の有力者、果ては祭りごとの上役まで呼んで、対策会議を開くことにしたのである。

 会議は難航した。
 これまで出した企画全てが皆が納得するものであり、それが狂いなく上手くいくものだったのに、今回は勝手が違っていた。
 いくら議題をあげても必ず何らかの文句や反対意見が出て、纏まらなかったのだ。
 一枚岩と思われた面々の結束が崩れてきていた。
 だが、その理由を知っているものはいなかった。

 ただ、これまでしがみ付いていた何かがなくなってしまった。
 そんな曖昧な理由を口にする()()はここにはいなかった。

 実りのない長い議論が終わると、皆火が消えたようにひっそりと解散していった。

「……」

 白髪混じりの薄くなった髪を撫で上げて、中肉中背の猫背の男が音もなく呟いた。
 丸くなった背中をさらに丸めながら、のそっとした足取りで歩いていく。

 日が傾きかけた時刻、意味の会議に無駄に時間を費やしてしまった。
 夕暮れ時の蜩の鳴き声がさらに哀愁を誘う。

 ここに長い事住んできたがいよいよ崩壊の時がきたようだ。
 窮地を脱するにはやはり隣町のとの合併をするしかないようだ、それもかなり不利な条件で。

 最悪、町の名前はなくなるかもしれない、明らかにこちらが格下だった。
 以前はこちらのほうが交渉のテーブルの上座にいたのに。

 この地にそこまでの思い入れはない、ただ親に先祖に言われるがままやってきただけ。
 いまさら責任を感じることもなかった。
  
 だが……何かが心に引っかかる、痛みのあるひっかき傷が疼いているようで。

「こんにちは」

 夕日に照らされた丸い背中に声が掛かる。

 声の方に恭しく振り向くと、そこにはスラっとした女性が立っていた。
 年は三十台前後だろうか、暑さを感じさせない清潔な身なりはどことなく芯の強さをうかがわせる。
 
 見覚えはなかった、だが向こうはこちらを知っているようだ。

 初対面らしい形式的な挨拶を交わす、渡された名刺をみると結構な役職のようだ。
 改めて名を名乗る、女性は屈託のない表情で返した。

 だが女性はこの仕事を近々辞めるらしく、まだその効力が残っているうちに話をつけておきたいとのことだった。

 朝からの会合で疲れていたので少し訝しく思った。
 割のいい話なら聞いてみたいが、この町の最近の雲行きはよろしくない。
 事業計画も何もかも全てが裏目に出ていた。

 そして長年の勘からこの女性の話は、所謂町の事業関連の話だろうと推測できる。
 彼女の役職もそういう関連だったから尚の事だ。

 だが……美人との話を断るほど野暮ではない。
 先ほどまで男やもめの世界にいたのだから尚の事だった。
 男は美しいものは得てして大好物なのだから。

 大川は純粋な精神で了承すると、女性を駅前の居酒屋の方へ促した。
 左手に光るもので少しガッカリしたがここは努めて紳士の如く振舞った。

 五月蠅い場で失礼に当たるかと思ったのだが、この手の雰囲気は嫌いでないとの返事をもらったので少し気を良くした。

 女性はめっぽう酒に強かった。
 だが大川の関心は酒豪の飲みっぷりではなく、何気ない話──むしろ本題の方だった。

 その提案(プレゼン)は、強力なつながり(コネクション)がないと恐らく実現できないだろう。
 目の前の女性は自分にはそれが出来ると言い切った。
 女性の語気の強さから酒の上の話ではないことが伺えた。
 役職に間違いない強引さと説得力がかの女性からはひしひしと感じられる。

 しかし分からないことがある。 

 何故この土地に縁もゆかりもない人物が何故ここまでするのか、それが分からなかった。

 ──だが、乗っかっても面白いかもしれない。

 どの道このままだとにっちもさっちもいかなくなる。
 この女性を前に出して日和見主義の連中にけしかけてみるのもいいかもしれない。

 大川はぐっと猪口をあおった。

 隣に座る女性の酒量と喋りは止まってくれず、結局店じまいまでこの調子だった。





 


Sérotonine

 7月の最初はテストだった。

 

 休みの前の最後の行事。

 ここでの結果が休みをどう過ごすかに影響を及ぼす。

 

 いい点だったら現状維持、もしくは更に頑張る。

 悪かったらそれこそ休みを返上してでも頑張る。

 

 高校生活での夏休みなんてそんなものだ、休みの間にどれだけ頑張れるかが今後の進路を左右する。

 思うままに遊んでいればその分進路は狭まってしまうだろう。

 

 長いようで短い夏の長期休暇(サマーバケーション)、過ごし方は人それぞれ。

 

 だが無情にも時間は有限で、限りあるものだった。

 

 

「三間坂さん、結果どうだった?」

 

 今学期最後のホームルームが終わると早速クラスメイトが尋ねてくる。

 

「うん……まあまあ、かな?」

 

 蛍の”まあまあ”はほぼ言葉の通りの意味だった。

 

 得意科目は学年でも上位に入るほどの才能をみせる蛍だが、それ以外は”まあまあ”。

 つまりそれほど成長していなかった。

 

「それでも追試はなさそうだけどね」

 

 小さく舌を出す蛍。

 つられてクラスメイトも微笑んだ。

 

「良かった。じゃあ今度みんなで遊びに行かない? 映画見て、スイーツ食べてー、とか」

 

 髪の毛を後ろに縛ったブラウンヘアの少女が人差し指を立てて前のめりな提案をしてくる。

 その迫力に気圧されたように蛍は首を上下に振っていた。

 

 

 最近、友達に声を掛けてもらえるようになった。

 

 その中の何人かとテスト期間中は集まって勉強会を開いていた。

 いってもみんな家の方向がバラバラなので、学校の図書室で小一時間程度の集まりだったのだが。

 それでも蛍にとっては以外ともいえる有意義な時間だった。

 

 蛍はその友達とは前から面識があったし、休みの時間などに話すこともあったが、会話が弾んだ経験はない。

 別に壁を作っていたというわけではなく、単に話題が少なかっただけ。

 

(もう蛍ちゃん、そーゆーのを”コミュ障”って言うんだよっ)

 

 燐がよく言ってた気がする。

 そんなコミュ障も、今では複数の友達と会話が出来るし、一緒に出かける約束まですることが出来た。

 

 でも、燐のおかげだねきっと。

 

 

 ほんの少しのタイミングが何を変えるきっかけになったんだと思う。

 それが良いかどうかは別として。

 

 逆に燐によって繋がれていた友達の縁がいつの間にか切れていたケースもあった。

 出会いと別れを経験して、少しずつ大人になっていく、そういう公式なんだろう。

 

 それは難解な因数分解のようであり、直接的な証明ですべて割り切るには少々繁雑なことだった。

 

 運命なんて曖昧な言葉では伝えきれない、もっと単純でそれでいてデリケートなもの。

 誰だってそれを決めつけられたくないのだから。

 

 

 夏休みに入る前、蛍は別のことで奔走していた。

 

 燐へ繋がる手掛かり。

 それを諦めたくはなかった。

 

 込谷燐はとりわけ友達も多く、交友関係は蛍の考えているよりもずっと広かった。

 それは彼女の人徳のなせる業だろう。

 それは彼女の豊富にある魅力の一つでもあった。

 

 蛍は自分の知る限りの燐の友達から片っ端に話を聞くことにした。

 

 テスト期間で忙しくしてる生徒からわざわざ一人づつ尋ねていくのは大変に骨の折れる作業であったが、それでも蛍は一切面倒とは思わなかった。

 

 しかしこれといって有力な手掛かりはなく、どの女子生徒に聞いてもその姿どころか名前さえも覚えていなかった。

 

 彼女と親しかった教師も同様の反応で、どういう仕掛けか分からないが、生徒名簿にもその名を載せてはいなかった。

 

 それが単に”名”だけならまだしも実存的な肖像も残っていないのが悍ましく感じる。

 

 嫌がらせとか悪意とかそういった分かりやすいものではなく、もっと大きくて理解不能なもの、不条理的な力が彼女に働いている、そんな気がするのだ。

 

 全てがなしのつぶてかと思われたが、まだ微かな残り香もあった。

 その一つがある生徒に尋ねた時に起こっていた。

 

 ”星野優香”。

 彼女は文化祭の出し物で燐と共に漫才をした仲であった。

 二人はとにかくウマが合うらしく、二人の間には笑いが絶えなかった。

 

「りん? 燐ねぇ……う~ん、誰かと漫才っぽいのは憶えているんだけどなぁ……それが誰だったのかが謎なんだよねぇ……結構ウケたことは分かってるんだけど」

 

 それだけしか分からなかったが、それでも自分しか燐を覚えていないと思ってた蛍には少し安堵する出来事だった。

 

 

 それともう一人、燐の()()親友、”鏑木智子(かぶらぎともこ)”通称”トモ”も違った反応を見せた。

 

「なんかさぁ。すっごく上手いやつがいたはずなんだよねぇー!? その子にパスすれば確実に得点圏内っていう頼れるやつがさぁ! いや、いるはずないか……そんな子がいればこんなダメダメなチームになってないもんねっ!」

 

 ”トモ”は燐と同じホッケー部所属で最も仲の良いチームメイトであった。

 

 トモの軽快かつ大きな口調はチームメイトの耳にも届いたらしく、彼女は同じダメダメな子らに追い掛け回されていた。

 

 今のホッケー部はトモの言う通り芳しくなかった。

 燐がいなくなったためとは一概に言えないが、蛍も何度か応援に行ったけれどここまで大差で負けたことを見たことがなかった。

 

 燐のポジションには別の子がレギュラーとなっていたが、やはり実力不足なのか終始首をひねりながら試合をしているようにみえた。

 

 

 燐一人が欠けただけでここまで精彩を欠くものかと、蛍は別の観点から感心していた。

 もっとも蛍は燐しか見えてなかったわけだが。

 

 結果は、未だ追い掛け回されている彼女を見れば火を見るよりも明らかで。

 反省会は責任のなすりつけ合いで、とても醜いものであった。

 

 その点から燐は自分を理解していなかったように思える。

 燐をレギュラーに指名してくれたものの目は確かであった。

 彼女はこのまとまりのないチームで必要不可欠な存在だった。

 

 だが皮肉にもそれが分かるのは彼女が居なくなってから、そしてその失われたことが分かっているのは蛍ただ一人だけ。

 

 燐は以前蛍に語ったことがある、もしかすると部長になるかも、と。

 本人は乗り気ではなかったようだが、周囲は期待していたようだ。

 明るく前向きで頑張り屋、そして周囲に気配りもできる彼女のことを。

 

 

 前述の星野優香の件もそうであるが、彼女も燐になんらかの期待をかけていたようで。

 コンビ漫才的なものを将来に見据えていたらしい、もっともこれは優香本人が言っていただけで、燐は”恥ずかしい過去”のようであったが。

 

 二人の”友達”の証言から燐に関する記憶は何らかの強い結びつきがある者には僅かに残っているようだと蛍は考えた。

 

 優香もトモも燐に何らかの共感(シンパシー)を持っていた為にその他大勢の友達のように完全に忘れてはいないようである。

 

 でもそれは不完全な形のようで、吹けば消えてしまう程度のごくわずかなもの。

 それこそ明日、いや1分後には忘れてもおかしくないことだろう。

 

 トモに至っては燐がシュートを決める度、”流石私の嫁!”とか”結婚しよう!”、などと本気なのか何なのか良く分からない愛情表現を見せつけていたほどなのに。

 

 それを見つける度に、もやっとした感情と無意識に手に力が込められていた。

 燐の活躍はとても嬉しいが、その度に見せつけられるじゃれ合いに蛍は一抹の寂しさと羨ましさを同時に感じていた。

 

 だが、そんな彼女等の心の中に燐は居なかった。

 

 蛍に一つの優越感と罪悪感が生まれていた。

 あれだけの人気者であった燐を覚えているのは今や()()()()では蛍だけのようだったから。

 

(わたし、少し嬉しく感じてる? 意識してなかったけど、わたし、すごく悪い子なんだ……)

 

 蛍が望む限り燐とはいつも一緒にいることが出来る。

 それは燐と蛍が同一体であるともいえた。

 

 トモと一緒に勝利で抱き合っているのを見かけたときのドキッとしたあの感情や。

 優香と二人で文化祭のステージで披露していたときの、自分の力不足(トーク力)と燐の隣に並べなかった寂しさ。

 

 そういった嫉妬からくる負の感情、些細なことなのだけれどそれが少しづつ傷になっていく。

 他者との比較なんて一人のときは考えもしなかったのに。

 

 でも蛍は()()の嫉妬を知っていた。

 それは燐だけには知られたくない()()の負の想い。

 

 しかもまだ残っている、前述の二人とは違ってまだ残っている感情だった。

 

 

 ──でも、今はとりあえずまだ閉まっておく。

 

 

 まだその時ではないのだから。

 

 

 とりあえず”わたし”が出来る事と言えば──。

 

 

 …………

 ………

 ……

 

 

 

 

 

 7月も半ばまでくると、流石に暑さにも慣れが出てくる。

 

 まばゆい日差しと刺すような灼熱はすっかり日常化していた。

 

 連日の晴れマークは日本地図を覆い隠すほどに勢力を拡大していた。

 それは呆れというよりも単に面白みの欠片もなかった。

 

 雨だって忘れたように偶には降るが、それは所謂”焼け石に水の如く”でとくに期待感はなかった。

 

 人々は特に変化のないお日様のアイコンから逃れるため、一時的にせよ涼を求めて海や山へと駆けずり回っていた。

 

 蛍も世間一般のように夏を満喫していた。

 

 新しい友達のグループに蛍は加わって、毎日のようにみんなで遊んでいた。

 

 映画、カラオケ、水族館に動物園、ランチも当然一緒にとった。

 花火大会や、祭りにも参加した、時には県外に遊びにいくことさえもあった。

 

 

 蛍はとても充実した日々を送っていた。

 それは”自由”だった。

 

 これまで抑制されていた思いを断ち切るように何もかも忘れて楽しんでいた。

 

 それは世話をしにくる家政婦の目にも顕著なものであり。

 塞ぎこんでいたのが嘘のように明るくなったと、関心させるものだった。

 

 蛍ははためにはとても明るくなったし、精力的になったと世間的には思われた。

 

 

 事実間違ってはいなかった、だがそれは親友のやり方を真似ているだけ。

 

 彼女はどんなときも笑顔を絶やさず明るく振舞っていた、それこそ心が押しつぶされそうな悲しい出来事があっても、それを臆面に出さず笑う事ができた芯の通った少女だった。

 

 蛍はそれをとても尊敬していたが、同時に切なく思っていた。

 燐は決して頑固というわけではない、むしろ柔軟だった。

 

 少し、ほんの少しだけ怖がっていただけ。

 ”自分らしさ”を守るのにこだわっていただけだった。

 

 それを知っているのはごくわずかだろう、燐は本心を隠すのがとても上手だったから。

 でも分かる人には分かってしまう、そう例えば”彼”のように。

 

(でも、わたしだって分かっていたんだよ。燐が”本当”は何が欲しかったっていうこと)

 

 でも、言えなかった。

 燐が話してくれるまで待ってるつもりだった。

 

 だからわたしはまだ待ってるんだ。

 

 

 

 

 或る日の午後、買い物帰りで賑わう列車に蛍は一人でいた。

 赤いシートの端に座り、どこに視線を合わせるでもなく、物思いにふけっていた。

 

 少し大人びた白のひらひらしたチュニックに身を包み、豊かなボディーラインを隠すようにラージサイズのショッピングバッグを抱え込みながら、足をきっちりと閉じて呆然と車窓からの景色を眺めていた。

 

 その表情は少し暗く、憂鬱そうに見えた。

 

(まずは形からと思っていたけど……なんでこんなに買っちゃったんだろう……?)

 

 蛍は一つ息を吐いた。

 横幅の大きいショッピングバッグには小一時間程前に購入したアウトドアグッズがぎっしりと詰まっていた。

 

 蛍は中程度のバックパックと気に入ったデザインのトレッキングシューズ、そしてペンライトも購入していた。

 さらには過剰な量の行動食までもつい買ってしまっていた。

 

 無駄に溜まったポイントカードだけが手元に残った。

 

 正直言ってこんなに買うつもりはなかった、でもそれは自業自得からくる結果であった。

 

 

「う~ん、燐だったらどんなの選ぶかなぁ?」

 

 蛍は駅前のショッピングモール内にあるアウトドアショップを物色していた。

 ここは燐と一緒に来たこともある店で、燐の欲しかったトレッキングシューズを買いにあちこち走り回った場所の一つだった。

 ”その当時”の蛍には全く興味の対象にならなかった場所、そんなところで蛍はひとりブツブツと唸りながらタグのチェックをしていた。

 

 形もまちまちな色とりどりのバックパックの壁画は蛍を大いに悩ませた。

 

 無駄に種類だけはあるがどれが自分に合うのか分からず、とりあえず燐の気持ちになって考えてみるが余計に分からなくなるだけだった。

 

 選択は豊富であるがゆえに悩ましい、予算だけは無駄にあったのだから。

 

 仕方なく、ショップの若い店員に聞いてそれなりの大きさから選ぶことにしたのだが……。

 

 

 如何にも初心者に見える蛍に、店員は努めて事務的で丁寧な物腰でどこの山に登りに行くのかと訊ねてきた。

 それは商品を勧める目安にする為の簡単な質問だったのだが、初対面のましてや()()との会話だったので、蛍は思わず焦って口を滑らせてしまった。

 

「ふ、富士山に登りたいと思ってますっ!」

 

 似合わない拳を握り、唇を震わせながら明らかに無茶な事を言ってしまっていた。

 その時の若い店員のあー、的な蔑んだような口調が今も蛍の胸にささっていた。

 

(やっぱり初心者丸出しだったかなぁ……だからって真に受けなくてもいいのに……意地悪されたのかな?)

 

 はあ、と再びのため息をつきながら、蛍は袋の中身を再び確認する……深いため息が出た。

 

 

 車窓からは稜線の向こうに隠れるようにして、小さな富士山が深緑のシルエットのままで夕焼けに映えていた。

 三角の屋根帽子には薄っすらと白いものがまだ残っているようにみえた。

 

 

(燐は……本当にあそこ(富士山)に登ったんだよね……凄いなぁ)

 

 

 自分には出来ない事、違う景色、そして誰隔て分ける事ない人付き合い。

 燐はわたしにないものを全てもっていた。

 

 燐はそれを全て手放してしまった。

 彼女はそこまで追い詰められていたのだろう、でなければ他の選択があったはずだ。

 

 わたしが今更どうこうすることは出来ない、燐の真似事をしたところで何も変化をもたらさないだろう。

 

 それでも……何かしたい。

 

 部屋でじっとしてると無駄に余計な事ばかり考えてしまう。

 ”小人閑居(しょうじんかんきょ)して不善(ふぜん)をなす”とはまさに今のわたしのことをいうのだろう。

 悲観からくる行動は得てして碌なものがない。

 深い悲しみが求めるものは大体同じものだったから。

 

 だったらせめて燐が楽しんでいたもの、そして悩んでいたものを少しでも理解してあげたい。

 もっと早く、それこそ小平口町でのあの異変が起きる前からそうするべきだった。

 

 踏み込んじゃいけない領域、そんなものを勝手に決めつけてたんだと思う。

 燐はそんなこと気にする子じゃなかった、きっとわたしが勝手に遠慮してただけ。

 後、一歩、その一歩が足りなかったんだね。

 

 そういえば……蛍は鞄の中から一枚の紙を取り出す。

 

 それは”富士登山のススメ”のパンフレット。

 店員がわざわざ余計な気を利かせて”無理やり”渡してくれたものだった。

 

 ”一歩、一歩、確実に! そして安全に富士山に登ろう! ”そんな素敵な標語が書いてあった。

 

(だから富士山になんて登らないのに。ん、でも……”一歩づつ”っていうのはそんなに間違ってないのかもね)

 

 そう、一歩づつ、確実に日々を過ごす。

 それは確かに一緒だった、それにちゃんとゴールだってある。

 

 トレッキングに近いことをするつもりだったし。

 胸に秘めた確かな想い、それは一見すると結構な目標にも見えた。

 ただ一つ”下山”の予定がないだけ。

 

 

 それに、わたしはちょっと違う。

 目的が、その色が違うのだ。

 

 その色は輝いていない、でも濁ってもいない。

 あくまで純粋に、光を放つことなく、密やかで儚いもの。

 

 わたしはあの”青と白の世界”を求める。

 あの鮮やかな二色のコンストラクトを。

 

 その為には色々とやることがある。

 まずは検証、そして知識、あと体力もいるよね。

 

(なんか、本当に登山するみたいかも。でも富士山は無理だなあ……でもあそこまでだったら行けると思うんだ。まあ、トレッキングっていうよりハイキングっぽいけど)

 

 富士登山と比べたら全然大した距離じゃない、それでも達成感はありそうな気はする。

 

 でも、何だろう? 少し胸がどきどきしている。

 それは好奇心からくるものか、それとも恋心に似たものか。

 少し怖いけど……ちょっと楽しみ。

 

(なんか冒険に行くときみたい)

 

 胸の高鳴りを肌に感じながら、蛍は遠くを眺める。

 

 車窓からスローモーションのように逆方向へ流れる景色、しかし蛍の視界には映っていなかった。

 その視線は更に遠くを見ていた、この世界とは違うもう一つの世界へと。

 

 親友を失ったあの青い空でもなく、暗闇が歪んだ恐怖となって襲い掛かってきた夜でもない。

 この赤い空になぜかそれを強く意識していた。

 

 彼女の栗色の髪が茜色の空に溶け込んでいるように見えるから?

 彼女の瞳の色があの焦がしたような夕日と似ているから?

 

 ともかくこの夜の帳が下りる黄昏時に彼女を燐を強く意識するのだ。

 燐はずっとわたしと一緒にいる。

 二人で一つというわけじゃなく、それぞれが別個の存在として認識出来ているのだ。

 

 でも傍目には一人。

 

 思えば一人でいることにもすっかり慣れてしまっている、元から親しい友達なんていなかったからある意味前に戻ったとも言えるのだけれど。

 

 でも、それなりに構ってくれている友達は出来た、本来友達とはそういうものなのかもしれない。

 

 つい寂しそうにしてたから同情からくるものかもしれないけど、それでも一人でいるよりかは随分マシであっただろう。

 

(でも、わたしは重く捉えちゃう癖があるからなぁ……いつまで付き合ってもらえるやら)

 

 友達との距離、それが未だに分からない。

 

 そういう意味では燐にはとても良くしてもらったと思う。

 彼女は細やかな気遣いがとても上手だったから。

 今の友達にそれを求めるのは酷だろう。

 

 もっとも、そういった何気ない気遣いが燐に傷をつけてしまったかもしれないけど。

 

 

 

 窓の外では夕焼けと夜の境界線が出来ていた。

 

 暗闇に白い影を浮かばせて勝手に恐怖を感じたときもあったけど、今は何も感じない。

 夜の闇も月明かりもいつの間にか日常の一風景となっていた。

 

 燐が言ってた通り”慣れて、忘れて”いく。

 ココロが楽な方に流れて行っているのか。

 

 辛い出来事は思い出は時が来れば忘れていき、素敵な出来事だけが残っていく。

 そんなことを書いた本もあった。

 

 でも。

 

(わたしは辛いなんて思ってないよ、燐)

 

 昼と夜とが入れ替わる僅かな時間の夕暮れ時。

 この僅かな時間にこそ燐との幸せだったことを思い出す。

 

 幸福であるとかそういう事しら意識しなかった無垢で純粋なわたし達二人だけの時間のことを。

 

 

 時間も人も何もかもが平坦な一本の線のように見える。

 表面的には変化があるようで、実際はなにも変わっていない。

 

 いくら外見やつきあう友達が変わっても、わたしは燐を好きだったころのまま。

 二人で必死にもがいていたあの狭い世界のまま。

 

 どこまでこの普遍さを保てるかはまだわからない。

 

 でももしこの想いに揺らぎがあるとしたら……その時は。

 

 

(きっと完璧な世界が待っているんだ)

 

 

 蛍は胸元の荷物を気にしながら、いつも読む文庫本よりもサイズの大きい、カラー装飾の本を取り出した。

 ライトグリーンの印象的な表紙が目を引く少し豪華に見える書物。

 

 タイトルは幸福、またはそれに付随したホルモンから取られており、あたかも医学書か哲学書のようでもあった。

 

 なんでこの本が気になったのかはよくわからない、洋書コーナーの目立つ場所にあったので、何となく手に取って流し読みをしてみた。

 

 するとあるキーワードが目について、思わずのめり込んでしまった。

 

 結局購入してしまったわけだが、今にして思えば立ち読み程度で済ませてもよかったかもしれない。

 一応付け加えておくが、別につまらなかったというわけではなく、内容よりも描写というか蛍にしては少々というよりもかなり過激な内容だった。

 

(なんでこんなに……男女の絡みというか、”せっくす”の描写が多いんだろう……?)

 

 こういったものを年頃の女子学生が見るとどういう反応になるのかというと。

 顔を赤面して俯くという初々しいものではなく、むしろあからさまに顔をしかめている、”嫌悪”の色が強かった。

 

 それは無理もなかった、この本の”そういう描写”は少女の思い描くロマンスとは遥か遠くの場所の出来事に思える程生々しいものだったからだ。

 

 それはともかく、蛍の関心は主人公の男(名前はすっかり忘れていた、作中も”ぼく”としての表現が多かったから)が、ガールフレンドにも仕事にも嫌気が差して、全てを捨てて逃げる道を選んだこと。

 

 そう、その男は”蒸発者”となることを決めたのだ。

 

 蛍は過激な”せっくす”描写の項目には触れないで、そこの部分を繰り返し読んでいた。

 フランスでは毎年一万二千人の蒸発者がいること、フランスには移動の自由? なるものがあることなど(これは成人の場合のみのようだが)蛍は僅か数十行を何度も手でなぞっていた。

 

 

(燐は……蒸発者になりたかったの? 全てをリセットして人生をやり直すために?)

 

 

 それだったら良いんだ。

 わたしはもう燐に執着しない、彼女には彼女の人生がある。

 一緒の道を歩まなくてもそれぞれが幸せだったらそれで良いことなんだから。

 

 でも。

 でももしも”それが”わたしを思ってのことだったら……。

 

(ごめん、やっぱり燐の本心が知りたい。心にぽっかり空いた穴の正体が知りたいんだ)

 

 

 だからもう少しだけ。

 あなたの事を想ってもいいよね?

 

 

 

 今のわたしにも処方箋が必要なのかもしれない。

 キャプトリスク(抗うつ剤)よりも強い薬が。

 

 

 

 

─────

────

──

 

 

 






はい。先週、地元の図書館に行ってみたのです。
四連休前だったので利用者は少な目でした。それでもちゃんと体温計測してそれにパスしたら入場──と思ったら今度は入館証明書みたいなもの? も書くことに。
さらにもし図書館内でコロナ感染者が出たらある程度の情報をネット上で公開するとまで言われちゃいましたよ。(流石に名前などは公表しないようですが)まあこの辺りの対応は仕方ないですよねーまだ感染者出てきてますし。

そんなこんなで戦々恐々とした市営の図書館で色々借りてみたわけーです。

とりあえず、カミュの”異邦人”が読みたかったのですよー。
ですが文庫本サイズのは何故か置いていなかったので、仕方なく対訳版を……これは左半分のページがフランス語原文で右半分が日本語訳となっている、所謂教材書みたいです?
文字が大きくて読みやすく、結構すらすら読めますねーー。もちろん日本語訳のほうですがーー。フランス語むーりー。
そういえば英語が得意な方はフランス語の習得も短い時間で済むとの解説をどこかで見たことがありますね。
私、英語ダメダメだったからなあ……どうりでフランス語もダメなわけだーー。まあ、そういうレベルではないんですけどねー。

後は、今回お話でちょっと絡めてみましたウエルベックの”セロトニン”も借りてみました。
最初はそれこそ本屋で立ち読みしてたんですけど、何か続きが気になって図書館で借りたんですよー。
まあ大体作中の蛍ちゃんと一緒の感想ですねー。まあ私の主観が入り過ぎてるともいうのですけれど。
主人公の”フロラン=クロード”が現ガールフレンド(何故か日本人)に愛想をつかして人知れず逃亡──蒸発して各地を転々とするという内容です。
そこで昔の恋人に会いに行ったり友人に会いに行ったりと平坦なようで波乱なストーリーが展開してくるわけです。
そしてタイトルにもなってるセロトニン。この場合は投薬(抗うつ剤)の副作用と言うべきなんでしょうか、これによって彼の人生は音を立てて崩れていく……と言った話だった……気がします。
彼はセックスこそが愛の証と思っているらしく、セックス無しでは愛は語れないとも言い切るほどセックスに溺れていたようです。
まあ彼のガールフレンドの日本人女性はそれよりももっとハードコアだったわけですけど。

殺人をするかと思いきや未遂で終わるし、自殺をするかと思ったらこれも未遂だったりと割と平坦で日常的、そして最後は静かに死を望む。
私はなんとなく、あのタイトルを言うのも気を遣う”ゴドーを待ちながら”のような不条理感? を受けました。

それにこれを見ると抗うつ剤のような強い薬は死に近づくもしくは、死そのものではないかと解釈されそうですね。とくに主人公は薬によって性欲も抑えられてますから尚更でしょう。
むしろこの小説を読んで欲情してしまった人は薬で性欲を抑制したほうがいいというメッセージだったりして。


あ、アニメ版ゆるキャン△ の2期PV公開めでたいですねー!
それにしても来年1月放送がやたらと早く感じるぅ……小説書いてるときの一週間も早く感じる……早く書きたいけど毎回難しいなあ……集中力が足りないなぁーー。


それではではー。
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