We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life.   作:Towelie

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 白。

 穢れの無い色。

 あたらしい色。


 真っ白な光に包まれる。

 あの世界が呼んでいる合図。

 輪郭を無くしたときとは全く違う、爽やかな木々の香りと共に。

 怖い感じはない、それにもう何度も行った事があったから。

 それに……いっしょだから、大丈夫。

 一人じゃないから。
 きっと大丈夫。

 意識がふっと消えうせる。

 手の温もりは残ったままで。

 白光の先には、すぐに目が開けられないぐらいに眩い世界が広がっていて、どこまでも済みきった青い空が待っている……そのはずだった。

 それなのに。

(……何もかも真っ暗だ……)

 悪夢からちゃんと目覚めていないのではないかと疑うほどの黒一色。
 でも瞬きはちゃんとできている。

 だから瞼は、瞳はキチンと開いていた。

 ……眼前に広がるは底知れぬ闇。

 首を回してみてもその景色は変わらない。
 どこまでも闇が無限に広がっている。

 ”無のせかい”。

 そうとしか言いようのない黒一色の景色でわたしは目を覚ましてしまった。

 もしかして、そのまま寝ていたほうがマシだった?
 そう思えるほど今のこの世界は絶望的だった。

「ほ、蛍ちゃーん!!」

 何も見えない恐怖から、つい蛍を呼びかけてしまう。

 一緒に渡ってきた(スイミング)から近くに居るはずだ。

 だって今までがそうだったから。

「燐、ここだよー!」

 すぐ近くから声がする。

 指先が一瞬何かに触れたかと思うと、掌が温かいものに包まれた。

 きっと蛍の手だと思った、だってとても安心できたから。
 
「蛍ちゃん、ここって井戸の底とかじゃないよね? 暗くて何も見えないけど」

 きょろきょろとどこを見渡してみても真っ暗だったから。
 燐はそう例えていた。

 でも井戸の底なら天井に光の点が見えるはず。
 もちろんそんなことはないけれど。

「燐はもしかして、”青いドアの家の世界”に来たと思ったの?」

「え……うん」

 いつものパターンだとそうだった。

 けれども、もう一年以上も()()()()()()()()()()

 そもそも”青いドアの家”とは、あの歪みきった世界があるからこそ存在しうるものだと思っていたから。

 だからこのことは不条理というか。

 全くの想定外のできごとだった。

 ぷにっ。

「うひゃぁ!!」

 急に燐が突然素っ頓狂な声を闇の中に響かせた。

 実際に飛び上がりそうなほど驚いたのだが、暗闇の中では上手く身動きが取れず、ただ肩を弾ませただけにおわっていた。

「燐、何があったの?」

「い、い、いま、何ががわたしに触れたのっ。まさか、蛍ちゃんじゃ、ないよねっ!?」

 声を震わせる燐に蛍はそっと笑みをこぼすも、光さえ通さない黒いヴェールは蛍の幼い企みを覆い隠すのに一役買ってしまっていた。

「え、なに? どうしたの蛍ちゃん……ひゃわあぁ!!!」

 またしても燐の悲鳴が闇に木霊する。

 ぷにぷにぷに。

「ん、もうっ、さっきから、やってるのってやっぱり蛍ちゃんでしょっ!! や、やだ、もうっ!」

 予想通り蛍の指が燐の身体をつついていた。

「うふふ、燐はくすぐられるの弱いもんね。こう真っ暗だと余計に敏感になるでしょ」

 蛍は燐の敏感なところをピンポイントに指でちょん、とつつく。

 蛍には全てが見えているかのように正確に。

 ぷにぷに。

「あううっ、だからって、そ、そんなところに指を入れちゃ、にゃはははっ!」

 蛍があまりに的確に突いてくるので、燐は蛍が本当に見えているのではないかと思っていた。

 でもこの状況では考えがまとまるはずもなく。

 ぷにっ。

 燐はなすすべもなく、蛍に弄られ放題だった。

「ま、待って蛍ちゃん、こーさん、もう降参するからっ」

 燐は肩で息をしながら、蛍がいるであろう闇の前に白旗をあげた。

「あっ、ごめんごめん、ちょっと意地悪しすぎちゃったよね。燐が可愛いかったから、つい」

 蛍の声色はちっとも悪びれた風には聞こえなかった。

「も、もう、蛍ちゃんってば……自分じゃセクハラ禁止って言ってるのに、わたしにはするんだからぁ……」

 敏感になった体を抑えるようにしながら、燐はため息交じりにつぶやく。

「うふふ、燐が可愛い声を出すからいけないんだよ? つい虐めたくなっちゃうの」

 しれっとした蛍の声色に燐はぶるっと身を震わせた。

「そ、それよりさぁ。もしかして蛍ちゃんって……見えてるの? なんかわたしをくすぐるときの動きがすごく正確だったけどぉ」

「こんな感じで?」

 ぷににっ。

 燐の脇腹の下辺りを蛍がまた指でつつく。

「きゃんっ! も、もうっ。蛍ちゃん、わざわざ触らなくてもいいのっ!」

「ごめん、ごめん、つい」

 蛍は謝罪の言葉を述べるも、その口調は明らかに楽しんでいた。

 だからか、燐はつい身を固くしてしまっていた。

(これ以上くすぐられたら、変なことになっちゃいそうだよ。もう)

「うー、蛍ちゃんが暗がりに乗じて変なことする~。後でセクハラで訴えるからねっ」

 何も見えないのに燐から軽蔑の目で見られている気がして、蛍は苦笑して指をそっと引っ込めた。

「もうしないから。だから燐、機嫌直して、ね?」

「ほ、本当にもう触ったりしちゃ、ダメだからねっ!」

 ぷいと、燐がそっぽを向いたようなそんな気配がした。

 その姿を想像するだけで、なんとも愛おしくなり、悪戯心がまたむくむくともたげてしまいそうになる。

 闇がそうさせるのか、今の蛍はいつも以上に好奇心が旺盛だった。
 それは愛情からくるものだったが。

(ただちょっと触っただけなのにな……)

 燐にしてみたらちょっとどころではなかったのだが、それは当事者同士しか分かりようもない。

(それにしても……なんか変だったな、あの感じって)

 燐の身体を指でつついたときの感触。

 あの触り心地には確かな弾力性とリアリティがあった。

 蛍はその意味をもう一度確かめようと、燐の身体を懲りずに触ろうとしたのだが。

「ふにゃー!」

 蛍の好奇心からの動きを察したのか、子猫みたいに威嚇する燐の声を聴いて、やっぱり今は止めて置いた。

「んもう、蛍ちゃんってば、やーっぱりまた変なことしようとしてるっ。今度触ったら、絶交……は流石にないけどさ……でもさぁ。蛍ちゃんは本当に見えてるの? わたしからは全然見えないんだけどぉ」

 燐は蛍の企みを未然に防いだことと、そしてようやく本題に入れたことに安堵の息をついた。

「うーん、見えてるっていうか……イメージなのかな」

「イメージ?」

 闇の中、燐は頭をひねった。

 この漆黒の世界で、蛍は何をイメージできているのだろう。
 闇の中では気配どころか、生命の有り様さえも感じられない。

 むしろ暗闇には”死”のイメージを強く感じる。
 湧きあがった不快なイメージをぶんぶんと首を振って燐は払いのけた。

(こんなネガティブなイメージじゃなくて、まず、蛍ちゃんのことをイメージしてみよう)

 燐は蛍の姿を黒いキャンパスに描いてみた。
 蛍の髪や顔、特徴的な部分を心の中の線でもってなぞりだすように。

 だが、燐がどんなに目を凝らしてイメージを膨らませても蛍の輪郭どころか、瞳の小さな輝きさえも見つけることが出来ない。

 闇が全ての光を吸い取ったみたいに、蛍と言う少女の概念を見つけられないでいた。

「……ごめん、蛍ちゃん。頑張ってイメージしてみたけど何も見えないんだけど……もう、どうしようもないのかなこれって……」

 燐は半ば諦めたように言葉を投げる。

 イメージだけで何かを見ることなんて到底できるはずもない。

 漫画で良くある”心眼”なんてものはフィクションだからありえる話で、現実にはとても無理なものなのだから。

 いくら目を皿のようにしても世界は黒いままで。

 このまま二人とも闇に墜ちる。

 そんな最悪な未来しか想像が出来なかった。

「焦る必要はないんだよ燐。だって始まりは、いつも暗いんだから」

「はじまり? 何のことを言ってるの蛍ちゃん」

 蛍の意外すぎる言葉に燐は目を丸くする。

 謎かけのような蛍の言葉は、”あの人”のように聞こえた。
 優雅なあの長い髪の人のように。

「もしかして……何か、知ってるの?」

 燐が身を乗り出す。

 すると吐息が頬を撫でる感じがして、思っていたよりもずっと近くに蛍がいることが分かった。

「あっ、ごめんね蛍ちゃん」

 そう言って、燐は慌てて顔を遠ざけた。

「ううん、別に気にしてはいないよ」

 優しい蛍の声に燐はほっと胸を撫で下ろす。
 でも、少し照れたような声だった気がした。

「えっとね……多分、なんだけど」

「う、うん」

 ちょっと勿体付けた言い方の蛍に焦燥感を覚えた燐は少しせっかちに頷いた。

「やっぱりね、想像(イメージ)がもうちょっと足りてないんだと思うの。もっと心から思わないとダメみたい」

 ずっと想像してはいるのだけれど。
 そのやり方が問題なのだろうか?

「具体的にその、どうしたらいいか教えてもらってもいいかなぁ。わたし想像力がまったく足りてないみたいだし」

 燐は恥じるように自分の事を卑下しながら、蛍に懇願した。

「あのね、わたしは直感で燐をイメージしているの。これは燐、って思ったら、何がなんでもも燐だって思うようにしてる。つまり燐を認知して、そこから概念を作り出すの」

「認知して、概念??」

 燐はさっきから蛍の言っていることの本質が分からずに同じ言葉を繰り返した。

「だからイメージが重要なんだと思うの。ほら、初めて青いドアの家の世界に来て帰るとき、オオモト様が言ってたでしょ?」

「確か……”願うことが無意味じゃない”だったっけ? じゃあ、強く願えばこの闇が晴れるってこと?」

「理屈だとそうなるね」

 蛍は闇の中でにこっと微笑んだ、そんな感じがした。

「願い、かぁ」

 思いと想いの境界線がなくなる、そうも言っていた気がした。

 この世界は実存と概念の基準が曖昧になっている……ということ?

「つまり、わたしと燐で一緒にイメージを作り出せばいいんだよ」

 蛍はさも簡単な事の様に言っていた。

「でも、お互いのイメージが違っていたら? わたしと蛍ちゃんは似てるところがあるけど全部が全部一緒ってわけじゃないしぃ」

「それでもやってみるしかないよ。燐だってこんな暗い世界のままじゃ嫌でしょ」

「まあ、それは確かにね……」

 あの電気も何もない歪んだ世界でもここまでは暗くはなかった。

 二人で”何か”から屋根裏部屋に隠れたときだって確かに何も見えなかったが、それは短時間の内だったし、何より”出口”があったから。

(ここには出口はない……のかな)

 ぽかんと口を開けて、闇と視界を合わせて見ても出口は見当たらない。

 やはりイメージを作るほかなさそうだった。

「何度でもやってみようよ燐。時間はいくらでもあるんだし」

「そうだね……でも、ずっとこのままってことはないよね。蛍ちゃん」

「うん。きっとね、燐と一緒ならきっと大丈夫だよ」

 蛍の言葉に微かな希望を得た燐は小さく頷いて同意すると、前にやった時のように蛍の手を強く握ってこの黒い世界の終わりを願った。

 蛍も同じような強さで握り返してくる。

 緑のトンネルの中でも二人で同じようなことをやった時はどんなに頑張っても向こうの世界へは行けなかったけど。

 だから燐は少し自嘲気味に笑う。
 また同じようなことになるんじゃないかと思って。

「あのさ、蛍ちゃん。ちょっと関係ない話になっちゃうんだけど、なんであの時はダメだったんだろうね。その時も向こうの風景をイメージしてたと思うんだけど」

 燐の疑問に蛍はほんの少しの間、無言になった……が。

「えーと、青いドアの世界に行けなかったときのこと、だよね。わたしが疲れたから休もうって言った時の」

 燐の言葉は大分足りなかったが、蛍には理解できた。
 それはどんな公式の計算を割り出すよりも、ずっと簡単なことだった。

「あ、うん……ごめんね突飛な質問しちゃって」

 自分のせっかちな質問に、直ぐ理解をしてくれた蛍に燐は胸中で感嘆する。

「大丈夫だよ」

 蛍は闇の中でも分かりそうなほどの笑顔を見せて、話を続けた。

「でね、あの時は燐とわたしの気持ちにほんのちょっぴりズレができてたからだと思うよ」

「え、そうなの? だってわたしと蛍ちゃんって、いちおう両思い……だったよね。想いの方向は同じかと思ってたんだけど」

 燐は意外そうな声をあげた。

(両思いなことと、このことは関係ないと思うけど……)

 蛍は少し困った顔をする。

 けれど今でも燐にそんな風に思われているのはすごく嬉しかった。
 蛍はずっと、想いをを秘めたままでいたのだから。

「燐は多分、あの時は”青いドアの家”にそんなに行きたくなかったんじゃないのかな」

「そ、それは……」

 蛍の言葉は、的を射たかのように燐の息を詰まらせた。

 しばらく待っても燐は口を開かなかった。

 蛍の言っていることは間違いではない。

 疲れを癒したくて向こうへ行くことを願ったはずだったけど。
 燐の心は到底治せそうになかったから。

「それは仕方のないことだよ。わたしだって燐のような気持ちがちょっとあったし」

「蛍ちゃんも、なの?」

「うん。何でもかんでもオオモト様に頼るのはどうかなって、あの人も忙しそうだったし」

 蛍はなるべく言葉を選んで話した。

 お互いの表情が見えないこと。

 その事が今は幸いだった。

「ごめんね、蛍ちゃん、気を遣ってくれて。あの時ね、自分では意識してなかったけど、蛍ちゃんと言った通り、そうだったんだと思うの」

 無意識に拒んでいたのかもしれない。
 悲嘆と言うか、単純にもう傷つきたくはなかったから。

 好きな人が残したノートで()ってしまったこと。

 もっとも知りたくない真実(こと)を。

 誰が悪い訳じゃないとは思っているけど。

 あの人は全てを知った上でわたしにそう言っている。
 あの時はそうだと思い込んでいた。

 曖昧な感情はどうやっても素直になれなかった。

 後になってそれは全部誤解だったんだと分かったんだけど。

 あの時はまだ心が弱っていたから。

「でも、今は大丈夫だよ。だって”ここに”また来たいって思ってたもん」

 燐は今の率直な気持ちを口にした。

 白と青の静謐な世界。
 夢とも現実ともつかないあの場所こそが、求める世界の理想の形だったから。

 だからまた、行ってみたかった。

「それなら良かった。だったら燐、ちゃんとイメージができるはずだよ」

 燐は僅かな違和感を覚える。

 蛍に非難されているわけではないが、気付いてほしいニュアンス。
 それが含まれているようだったから。

「やっぱり、わたしが原因なのかな……」

 燐は自分のことを指さして呟いた。

 見えないはずなのに、それは簡単に思いが伝わって。

 だから蛍は否定するように首を左右に振った。

「そういうことじゃないよ。原因っていうか……燐が、世界だから」

「わたしが……せかい???」

 蛍の言っていることは禅問答みたいだった。
 
 難しく考えすぎてるのかもしれない。

 確かにあの時、去っていく列車を見送ったわたしは、世界と一緒になって弾けて、そして……。

(じゃあ、このせかいを壊したのがわたし、なの?)

 だから、わたしが世界。
 そういうこと、なの? 筋が通っているというか……。

(でも、壊しちゃったのなら直さないといけないよね)

 一応、責任はあるみたいだし。

 そんな力なんて到底持ち合わせていないけど。

 だって、何の変哲もない普通の女の子なんだし。

「どうしたらいいの蛍ちゃんー。わたし、ノーアイデアだよ~」

 燐は情けない声を上げながら、縋りつくように蛍の手を握ったままぶんぶんと振り回した。

「あっ、あのね、燐。同じようにすれば良いだけだよ。頭の中で同じ景色を巡り合わせるだけ」

「巡り合わせって……どうしたらいいの?」

「……こうすれば、いいんだよ」

 こつん。

 何かがおでこにぶつかる。

 きっとこれは蛍ちゃんのおでこだ。
 
 蛍ちゃんの息づかいがとても近くに感じるから。

「匂いとか、景観とか、そういった事物を微細に思い描くの。燐が自分で言ってたでしょ、折り合いをつけるって」

「うっ、そんなこと、言ってたかな」

 線路の上を歩きながら燐が言っていたこと。
 燐自身はすっかり忘れていたようだったが、蛍は昨日のことの様に覚えていた。

 あの時の二人は楽しさと寂しさが入り混じっていたから。

「わたし、燐としたことは大体覚えてるよ。文化祭とか、プールのこととか、あとそれから……」

「うにゃー、今はそういうのはいいからっ。二人で一緒の景色を作るんでしょ。それに集中しよっ」

「はいはい」

 触れ合う額からそれぞれの言葉が頭の中で混ざり合い、微笑ましい旋律を紡ぎ出す。

 優しい言葉の振動は陶酔しきりそうなほどの甘美と、豊かな気持ちを心の深い所に与えてくれる。

 そんな気にさせた。

 そして同時に肩の力も抜くことが出来た。

 鼻の頭が触れ合いそうな距離であるのに、不思議とリラックスすることが出来ている。

 まるでお互いの存在を芯から渇望しているかのように。

「それだけで、青いドアの世界が戻ってくるの?」

 鼓動が早くなってくるのが分かる。

 けど、それは二人とも。
 同じように胸を高鳴らせているのがすぐ近くで聞こえてくる。

 黒い静寂の中で、二人の鼓動だけが恥ずかしげもなく音色を響かせていた。

 どくん、どくんと。
 何かの始まりを知らせるように。

「それは燐次第だよ」

「んむぅ、なんだか責任重大だなぁ」

「落ち着いてイメージするだけだよ。余計な事は考えないで」

(余計な事、か……)

 ずっとそうだった気がする。

 自分のことは放って置いて周りの人ばかりが気になって。

 気づいたら大事なものを全て失ってしまった。

 今更後悔したって、何も戻っては来やしないのに。

 それは今だってそんなに変わらない。
 変わりたいとも思わなかった。

「大丈夫だよ、燐とならきっと何でもできる気がするから」

 燐の頬に温もりが伝わる。
 蛍の手がふわっとした燐の頬を撫でていた。

 いたわるようにそっと触れる程度だったけど。
 洗い立てのような蛍の優しさが頬から顎にかけて伝わってくるみたいで。

 とても愛おしい。

 その気持ちは漆黒の箱に包まれた彼女の輪郭を仄かに浮かび上がらせていた。

「うん。そうだね」

 笑顔の作り方を今知ったように、にっこりと微笑む。
 蛍も同じように微笑み返す。

 顔は見えないはずのにそれが何故か分かった。

 目で見えない大事なもの。

 それはほんとうの純粋な想いだった。

「要するに、卵の中身を作ればいいってこと、なのかな」

 どこに反射しているのかは知らないが声は確かに耳に届いている。

 二人とも宙に浮いている感じはなく、地面つまり”床”のようなものに座り込んで腰を下ろしていた。

 ただ辺りが真っ暗だからどこで腰かけているかは不明だった。

 平面が幾何学的に広がっているかもしれないし、それこそ風車の時のように狭く高い場所にいるのかもしれない。

 でも、何かの上にいることは確か。
 故に卵の殻は存在している。

 燐はそう推測した。

「それで合ってると思うよ」

 なるほどね……燐は心の中で呟いた。

 この世界が真っ暗なのはやはり一度壊れてしまったからなんだろう。

 オオモト様が居なくなって、()()()()も役目をおえたから。

 だったら何でわたし達はまたここに来たんだろう。
 こんな暗い世界を望んでなんかいないのに。

「また作ればいいんだよ、燐とわたしで。思い描く風景に絵の具で色を付けるみたいに」

 迷いを諭すような蛍の声。
 それがすぐ目の前から流れてくる。

 それは燐だけじゃなく、自分もそうであるかのような丁寧な口調で。

 燐は蛍に導かれるように目を閉じる。

 闇の中で目を閉じることへの違和感と恐怖感があるが、それは片隅にも残さずにおいた。

「少しずつゆっくりで良いんだよ」

 闇の中でただ蛍の声だけが響く。
 その声はいつもと変わらないはずなのに、どこか違って聞こえる。

 常に落ち着いた調子の蛍の声が少し怖かった。

「ほ、蛍ちゃん、なんだよねっ!?」

 今更な疑念だったが、どうしても聞かずにはいられなくなり、燐はたまらず声をあげた。

「うん? そう、だけど……?」

 蛍は当惑したように曖昧な返事を返す。

 その口調はいつもの蛍の感じだったから。

「あはは……だよね。ごめんね、変なこと聞いて」

 湧きあがった焦燥感を誤魔化すように、燐は髪の毛を引っ張ったりしながら、蛍に謝った。

「ううん、燐の気持ちはよく分かるよ。何も見えないことってやっぱり怖いもん」

「でも、わたしと違って蛍ちゃんは落ち着いてるよね。やっぱり見えてる?」

 暗がりで、くすっと蛍の笑い声がする。

「わたしだって燐のことは全然見えないよ。でも燐であることに間違いないって確信はあるんだ」

「え、なんだろう。匂い、とか?」

 距離が近いせいか、燐は自分の手首の辺りを嗅いでしまっていた。

 くんくんと鼻を鳴らすも、気になるような香りはしない。
 自分の臭いは良く分からないけれども。

「匂いも、まあちょっとはあるけど。それだけじゃなくて……”彩り”かな? 上手く表現できてないと思うけど」

 蛍は秘密なことを伝えるように囁き声でそう言った。

「いろどり?」

「うん。はっきりと見えるわけじゃないけど、燐の身体の輪郭とか中心がぼんやりと色がついて見えるの」

「へぇ~、なんか凄いね。蛍ちゃん、エスパーみたい」

 燐は蛍の特技? に感嘆の声で拍手した。

「そんなんじゃないとは思うけどね。だって、燐だけしか認知することしか出来ないと思うし、それに今だけだと思うよ」

「そうなの? じゃあ今かくれんぼしたら簡単に見つかっちゃうってこと?」

 今やるのかはおいておくにしても、余りにも限定的な状況を燐は勝手に想像していた。

「そう、なるのかなあ」

 蛍は小さく笑って答えた。
 燐の例え話が可笑しくて、蛍の奇妙な能力のことはどこかに行ってしまった。

「ちなみにわたしって何色なの?」

「えっとね……んー、内緒にしておくよ。燐が気を悪くするといけないし」

「えー、何それ気になる~。何色かすっごく知りたいな~」

 芝居がかったような燐の台詞に蛍はふふ、と笑みをこぼす。

「うふふ、まあその内ね」

 いい意味でリラックスすることが出来た二人は、改めて手を取り合う。

 あの白く眩い世界を取り戻すために。

 それは、広大な砂漠の中で井戸を見つけるような、途方もなく荒唐無稽な出来事。
 少なくとも燐はそう思っていた。

「えと、青と白の世界を思い浮かべればいいのかな」

 少し自信なさげに燐が呟く。

「初めはね」

 落ち着いた蛍の声は、正解へと導く教師と言うよりも、なにかの研究員のような端的さがあった。

「後は何があったっけ……青いドアの家はどうなっちゃったのかな。それとプラットフォームと線路も。でも あれって未来のこと、だったのかな? 実際あの通り線路の周りは水浸しだったし……」

 世界のことを考えるとどうしてもその意味まで求めてしまう。

 狭間にある世界。

 あの人はそう言っていたけど、そこに行けるってことは実質生きていないようなものなんじゃないんだろうか。

 今だって良く分からない。

 今までわたしが見ていたものが夢でこっちが現実なんじゃないんだろうか。

 際限なく闇が広がる無の世界。

 かんぺきな……しのせかい。

 一度しんだ人が甦るはずがない、わたしも、お兄ちゃんも、そして町の人達だって。

 そんな都合のいい、ゲームのような話なんて現実にあるはずがない。

 時はぜったいに戻せないし、やり直しだってそんな簡単に出来るはずがないのだから。

「必然はない、って言ってたでしょ」

 想いが漏れたのか、蛍の声を耳元で感じた。

 蛍の言葉だけが真実であるかのように、燐の不安や疑念を柔らかく打ち消す。

「それは分かってるけど……」

「肩肘を張る必要なんてないんだよ。ただ、見たい世界を想像すればいいだけ」

「でも、それじゃ蛍ちゃんとは違う世界になっちゃうんじゃない」

「大丈夫だよ燐。燐とわたしはきっと同じものがみたいはずだから」

「………」

 蛍はにこっと微笑んだ、と思う。

 要するにそういうことなんだ。
 声色だけでその笑顔を想像することが出来る。

(だから二人で思い描く、”かんぺきなせかい”。そう言うことだよね、きっと……)

 燐は握られた手の力を少し緩めて前を見た。
 目の前には闇がどこまでも続いている。

 それでも手のひらの温もりは少しも変わっていない。

 闇の中、その存在はじっとこちらを待っている。
 
 すべては闇に閉ざされているのにその視線は少しもブレがない。
 黒い視線は真っ直ぐにこちらをみている。

 きっとそれが──わたしたち二人が見たいもの。

 同じだけど違うもの。
 瞳も笑顔も違う。

 でも本当に見たいものだった。

(わたしが見たい世界……)

 燐も蛍も目を閉じる。

 二人は同じ思いで瞳を閉じた。

 青い空でも、白いプラットフォームでもない、そして風車が立ち並ぶ世界でもなかった。

 青いドアの家がどうなったか気にはなるけど。
 今、見たいものは違う。

 一番見たいものは”あなた”。

 ”あなた”の笑顔が見たい。

 それこそが求めるべきものだった。

 何かが割れた音を聞いた。

 瞼の裏側で世界が再構成されていくロジックの片鱗を見た気がした。


 今、自分たちのいる場所。

 そこは無限の闇が永遠に広がっていると思っていたけど、きっとそういうことじゃない。

 黒い箱の中で必死に藻掻いているだけ。
 明かりを求めるだけの哀れな蛾、みたいに。

 だから出口は頭のすぐ上にあって、あとはその固く閉ざされた蓋をそっと押し開くだけ。

 大事な日のプレゼントのリボンを解くような。
 ドキドキとした感情の赴くままに。

 ひとりだったらちょっと難しいけど。

 二人だったから大丈夫。

 何があっても、きっと。

 好きな人……だったから。

 ……
 ……
 ……

 まだ瞼に黒い残滓が残っている。

 それでもほんの少しの勇気をもって瞼を開ける。

 ───
 ───

 真っ白の洪水が溢れでて、瞼の裏が焼けそうになった。

 でも、頑張って少しずつ。
 重い瞼を開いていく。

 その先にはきっと待っている。

 ”わたし”の事を待ってくれている人がいるから。


 最初に飛び込んできたのは、水彩画のような青と白のコンストラクト。
 でもそれはただの背景でしかなくて。

 蛍の目の前には燐が。
 燐の瞳には微笑む蛍の姿が映っていた。

 青い空の下、白いプラットフォームベンチの上で二人はまた出会うことができた。

 二人は何も言う事なく手を取り合う。

 周りの景色が目に入らないほど真っ直ぐに見つめ合って。
 一途な視線をたじろぐこともなく受け止めていた。

 柔らかい。
 最高の笑顔でもって。

「ありがとう、燐」

「ありがとう、って?」

「世界を創ってくれたことへの”ありがとう”だよ。燐が居なかったらきっと無理だったと思うから」

 卵の殻が割れて、何かが生まれ出たような。
 そんな爽快感があった。

 それは一人じゃ成しえないこと。

 だからお礼を言わなくちゃ。

「それは蛍ちゃんもでしょ。蛍ちゃんがちゃんと導いてくれたからだよ」

「うん。”二人で”、だもんね」

「だから蛍ちゃんにも”ありがとう”。こんなわたしを、ずっと、ずっと待っていてくれて」

 今までちゃんと言えなかったこと、それをやっと言うことが出来た。

 引っ掻き傷はもう治らない。
 だけど、傷を癒すことは出来る。

 この手の傷跡のように。

 意味なんて理由なんて関係なく。

 ただ目の前の人にお礼が言いたかった。
 
「でも燐だって待っててたじゃない。だから……ありがとう燐。ちゃんと()()()に戻ってきてくれて」

 瞳をそっと拭いながら蛍はまたお礼を言った。
 燐も染み出た雫を手の甲で擦りながら微笑む。

 今更とか、そんな言い訳も恥ずかしさも欠片にもなくて。

 ただお礼の言葉を交わす。

 微笑み合ったその先には湖面が広がっていた。

 それは二人のいる無人のホームを中心に、どこまでもどこまでも広がっているように見えた。


 二人はこの瞬間、世界の中心であり。

 そしてそこから全てが広がっていった。


 まるで今、生まれたばかりの星みたい、だった。





Leave Before You Love Me

「蛍ちゃん、最初にこの世界に来た時に言ってたよね”ウユニ塩湖”みたいだな、って」

 

 立ち上がった燐が呆然と景色を眺めながら蛍に尋ねる。

 

「そういえば、そんなこと言ったね」

 

 燐に手を貸してもらって蛍もその隣に立って遠くを眺める。

 

 湖と言うより波の出ない海辺が辺り一面に広がっていて。

 蛍は海の上にいるような幻想的な気持ちになった。

 

 蛍は初めてこの世界に来た時、日の差し込む水面の広がりを見て、テレビで見たスペインの有名な湖の事を思い出していた。

 

 それぐらい水の透明度が高く、空を鏡のように映し込んでいたからだった。

 

「こんなにさ、ウユニ塩湖感が強かったっけ? 前はもうちょっとこう、まばらっていうか、点々としてた気がしない?」

 

 燐は前の時の様子を思い浮かべる。

 

 白い大地に水が染み込んで、小さな池の様なものが周りを囲っていた気がするけど。

 今はその地面すら見当たらない。

 

「そうだった気がする……でも、なんでこうなったのかな」

 

 水溜まりというにはあまりにも大きすぎる水の床がどこまでに広がっていた。

 

 どこを見渡してみても水平線が伸びていて、自分たちのいる場所以外のすべてに空が浮かびあがっていた。

 

 ──それは確かにウユニ塩湖のようだった。

 

 触れれば消えてしまいそうなほど綺麗な湖面はどこまでも透き通っていて。

 透明度は高いのにその奥底はようとして見えない。

 

 深いのか浅いのか、エメラルドブルーの水はただ水面をきらめかせるだけで。

 簡単に奥の深い所を晒してはくれなかった。

 

「今日も空は高いね」

 

 燐は眩しそうに空を見上げる。

 

 澄み渡った空に陽の光が燦々と降り注いでいるけれど、太陽らしきものは見えない。

 どこからか光の線がきらきらとしながら落ちて来ていた。

 

「ここって、いつも青空だったもんね」

 

 目を細めながら蛍も空を仰ぎ見る。

 

 夏空の思い出を切り取ったみたいに白い雲が悠然と流れていく。

 それは時の流れを感じさせない、一振りの絵画のように。

 

「線路も駅舎もあるね」

 

 ふと辺りを見渡した蛍は感嘆する。

 

 それは思い描いた通りの風景、そのものだったから。

 

「てっきりなくなったとばかりに思ってたんだけど」

 

 少し寂しそうに燐はつぶやく。

 

 蛍は小さく頷いただけで、それ以上は言葉を続けなかった。

 

「さて──青いドアの家は、あるかなぁ……?」

 

 燐はワザとらしくつんと、つま先立ちになって、きょろきょろと周りを見回した。

 

「多分、あるんじゃないかな」

 

 燐の気遣いが分かった蛍はそっと笑みを見せると、燐の横で同じように辺りを見回す。

 

 ……別に探す必要などなかった。

 

 だって、最初からそこに建っていたのだから。

 

「あっ! 蛍ちゃんやっぱりあったね」

 

「うんっ」

 

 二人はプラットフォームの横に立っている、”青いドアの家”を見つけて喜びをあらわにする。

 

 だけど。

 

「……なんかちょっとデザイン違っていない? こんな感じの家、だったっけ」

 

 遠くに見ながら燐は首をかしげる。

 

 ちゃんと玄関のドアは青いので、”青いドアの家”に間違いはない、が。

 

 それでも燐の記憶とは違った外観の家にみえる。

 

「家っていうより、アパート? なんか大きくみえるね」

 

 蛍も自分のもっている記憶との差異に、不思議そうに小首をかしげた。

 

 前の家はそれこそ普通の建売住宅(たてうりじゅうたく)のような外観をしていたが、”この青いドアの家”はどちらかというとモダン風味で、著名な建築家が手掛けたようなフレキシブルなデザインの家になっていた。

 

「あれから立て直した……とか」

 

 少し茶化した風の燐の冗談に、蛍は苦笑する。

 

「どうなんだろ。確か最後に見た青いドアの家は、玄関のドアがなくなって、窓も窓枠もなくなってたんだっけ?」

 

「うん、それと……」

 

 燐は物憂げな表情で言葉を切ると、黒髪の柔和なあの人のことを思い浮かべた。

 

「オオモト様も居なくなってたよね」

 

 蛍も同じ思いだったので燐よりも先に答えた。

 

 蛍にとっては唯一の身内とも言える大切な人だったが、居なくなったときに感じた喪失感は、そういった感情とは少し意味合いが違っていた。

 

 ”お母さん”、というよりも半身(はんしん)を失ったときのような不条理な心の揺らぎ。

 

 双子の姉妹の片方を失った時のような、どうしようもないほどの孤独と虚無感。

 それに似ている気がする。

 

 ……双子どころか姉妹すらもいないけど。

 

 燐が自分のもとに戻ってきてくれた以上、蛍の心残りは後、そのことだけだった。

 

「オオモト様……あの家に居てくれると良いんだけど」

 

 新しい? 青いドアの家は、前と同じくどこからか電線が引いてあって、電気が使えることは窺える。

 

 ただ、ところどころの壁にひびが入っていたり、緑色に苔生してる箇所があったりと、何故か年季の入った感じの作りが少し気になった。

 

 燐はそのことに、家族と共に住んでいた中古のマンションの姿を垣間見て、少しだけ切ない情感に囚われる。

 

 蛍はそんな様子の燐を横目に見ると、とん、と近寄って燐の細い腕に自分の手をそっと絡めた。

 

「燐、せっかくだから行ってみようよ。どうせここしか行くところはないんだし」

 

「あ……うん」

 

 蛍が寄り添ってくれたことに燐は少し安堵する。

 でも、そんな蛍の格好を見てあることに気が付いた。

 

「そういえば蛍ちゃん、今着てるのって学校の制服だよね」

 

「あれ? あ、でも、燐もそうみたい」

 

 少女たちはお互いの姿を不思議そう顔で確かめ合った。

 

「本当だ。でも確か二人ともパジャマだったよね。どうして制服なんか着てるんだろう?」

 

 もうすっかりお馴染みとなっていた学校の制服だが、前とは少し違う所もあった。

 胸元のリボンの色が前と違っていた。

 

「靴だって、ちゃんと履いてるね」

 

 燐は踵をとんとんとコンクリートに打ち付けて具合を確かめる。

 ピンク色のトレッキングシューズは、細かい傷も汚れも見覚えのあるものだった。

 

 それに、靴だけでなく、黒のオーバーニーも履いている。

 

 ちゃんと準備する時間なんてなかったはずなのに。

 

「燐、わたしなんてローファーだよ。最近あんまり履いてないはずのに」

 

 蛍の細い両足には学生らしいローファーが収まっていた。

 そして蛍の言葉通りに、おろしたてのような綺麗な飴色の光沢を放っている。

 

 奇妙な面持ち足先を見つめる蛍と燐。

 

 他人の靴ではない、明らかに自分たちの持ち物だった。

 それは多分制服も。

 

「この恰好がここでの正装……なのかも?」

 

 いつもの制服との違いは他にないか、燐はしげしげと確認しながら試しにその場でくるっと回ってみた。

 

 やはり制服で間違いはない、みたいだがそれ以外のカバンやポシェットなどは持ってきていなかった。

 

 むろん携帯などもポケットに入っていない。

 だが、燐はカチューシャ、蛍はキンセンカの髪飾りを付けている。

 

 その絶妙なさじ加減も前の世界の時と同じだった。

 

 一方の蛍は、自分の手のひらを指で押しながら、あの時の疑問を思い返していた。

 

(燐の身体を押したときの感じ、あれってやっぱり……)

 

 蛍は自分の人差し指と親指を押し比べてみる。

 

 肉と肉の触れ合い。

 

 あの柔らかさはパジャマ越しに触った感じでもなく、制服のさらっとした手触りとも違う。

 

 直接、肌に触れた時の生の身体の柔らかい感触。

 それに違いなかった。

 

 でも、もし、そうだったとしたら。

 

(もしかして、燐とわたし、二人とも裸、だった……?)

 

 目隠しをしながらだと違った感触になるというが……あれは燐の素肌に直接触れたと断言できる。

 

 でもどうして裸だったのかは分からない。

 いくら考えても答えは出そうにない気はするが。

 

「どうしたの蛍ちゃん。なにか分かった?」

 

 燐が無邪気な瞳で顔を覗き込んできていた。

 

「あっ! えと、ううん、なんでもない、よ……」

 

「……?」

 

 顔を真っ赤にして慌てふためく蛍に、燐は首をかしげる。

 

 蛍は目を泳がせながら、何か言おうと口をぱくぱくとさせていた。

 

「も、もしかしたら、わたし達の制服姿も一緒にイメージしてた……とか」

 

「イメージって、誰の?」

 

 蛍はなんとか口を動かして言葉を出すが、わかっていなさそうな燐の顔をみて、ひとつため息をつくと、困ったように眉根をよせて微笑んだ。

 

「ふふっ、わたしじゃないことだけは確かだよ」

 

「えっ!? じゃあわたしなのぉ? えー、わたしそんなに制服好きだったかなぁ」

 

 燐は信じられないとばかりに制服姿の自分の姿を見下ろすと、プリーツスカートの端を指でちょんとつまんでみる。

 

(ここの制服は可愛い、とは思う。だって学校を選んだ理由のひとつでもあったわけだし……だからって、ねぇ?)

 

 腑に落ちない様子で燐は頬を膨らませると。

 

「蛍ちゃんっ。わたし制服フェチじゃないからねっ」

 

 恥ずかしげもなく蛍にそう宣言した。

 

 蛍はそこまで言ったつもりは毛頭なかったので、驚いて目を丸くした。

 

 しばらくの間。

 

「人って、色んな性癖を持っているものだよね」

 

 独り言のように静かに蛍はつぶやくと、全てお見通しとばかりに燐の手を軽くひっぱりながら、白いプラットフォームの上を散歩の様な足取りですたすたと先行して歩きだした。

 

「だーかーらー、わたしは制服フェチじゃないんだってばー。ねー、聞いてるー、蛍ちゃんー?」

 

 蛍に引きずられるようにして燐も後に続く。

 

 少女たちの影が線路まで伸びて、白い線路の上に黒のコンストラクトを描き出す。

 

 それはどこか懐かしいような、甘くて苦い、忘れがたい情景。

 

 だけど。

 

 懐かしいなんて思えるほど刻はたっていない、はず。

 

 過ぎ去った時間軸を振り返るかのように、二人の影法師はどこまでもその長い身体を伸ばしていった。

 

「ちゃんと聞いてるよ、燐」

 

(だって、ここは二人が作った世界だしね)

 

 聞き逃すことなんてなかった。

 

 蛍は、いつになく楽しそうな笑みを浮かべながら、親友と一緒の穏やかな時間が世界と永遠だったら良いのにと胸中で願っていた。

 

 …………

 …………

 …………

 

「うーん、やっぱりちゃんと”青いドアの家”だね。外観は全然違うけど」

 

 二人は手を繋いだまま”その家”の玄関前に立っていた。

 

「うん……施工業者が来たとかは、さすがにないと思う」

 

 燐の冗談に乗るように、小さく肩をすくめて蛍はそう言った。

 

「でも……」

 

「これってリフォームとかのレベルじゃなくて、完全に建て替えたって感じだなあってやっぱり思って」

 

「だよね。まるっきり面影がないもんね。これは完全に別の家、だよ」

 

 二人はまだ中には入らずに、ただ遠巻きに外観を眺めていた。

 

 静まり返った住宅はやはり人の気配を感じさせない。

 それこそ展示場のモデルハウスのように。

 

「中に、入ってみる? 誰か居るかもしれないよ」

 

 蛍が制服の脇の辺りを引っ張って燐に尋ねる。

 

 ”いつもの青いドアの家”だったらこんなことは聞かないのだろうが。

 

「誰かって、いるのは多分オオモト様でしょ」

 

「まあ、()()に考えたらそうだよね。でも、オオモト様以外の人が居る可能性だって否定はできないよ?」

 

 もっともらしく言う燐に、蛍は少し不安げな顔で自分の意見を述べた。

 

「それは、そうだけど……でもなんか嫌だなぁ」

 

 燐はあからさまに怪訝そうな顔を青いドアの家に向けた。

 

 改めて近くで見ると違和感は余計に強くなる。

 

 ”青いドアの家”と呼ぶことさえ憚られそうなほど違う家だ、と、

 

 正面にある大きな窓からは家の中の様子の一部が確認できた。

 

 ごく普通のソファとテーブル、薄型のテレビ、あと奥にキッチンがあるみたい。

 どこにでもありそうな普通のリビング。

 

 家具の配置や種類もなんとなく前の家と似ている。

 

 でも、ちゃんと窓もサッシも付いているし、その窓ガラスは新品のように透明に磨かれていた。

 

「やっぱり誰の姿も……見えないね」

 

 大きな窓から中を覗いた燐は、少し残念そうにつぶやいた。

 蛍もその横で肩をすくめる。

 

「うん、お留守、なのかな」

 

「………」

 

「どうしたの燐? 急に黙り込んで」

 

 蛍は燐の方を振り返る。

 

「あー、うん。なんかさデジャブ感が強くって。まだ目が覚めてないみたいに思えちゃってさ」

 

「それ、分かるよ。わたし青いドアの家って本の中の世界って感じがあるんだ」

 

「それって、”果てしない物語”だったっけ? 確か映画化もしたよね」

 

 子供の頃、燐は両親と三人でその映画のDVDを見た記憶が蘇った。

 あの頃は何をやっても楽しかった気がする。

 

 今は……どうなんだろう。

 

「うん。でもわたしは小説でしか知らないんだ」

 

 蛍はこの本に限らず、小さい頃はひとりのイメージしかない。

 

 自室に閉じこもって好きな本を読むこと。

 それが楽しみであり、あの頃の蛍の全てだった。

 

 でも、燐と出会ってからはそれまでとは違い、本当の楽しみ方を知ることが出来た。

 

 それはまるで、この話の主人公のように。

 

「映画だと主人公が白いドラゴンに乗るシーンが話題になったよね。わたしも子供の頃、乗ってみたいなってちょっと思ってたことがあるんだ」

 

 燐は楽しかったことだけを拾い集めるように、遠くを見ながら幼い頃の小さな思い出を話した。

 

 龍にも銀河鉄道にも乗ることは出来そうにないけど、それ以上に奇妙すぎる体験は不本意ながらすることが出来た。

 

 運が良いのか悪いのかは分からないけれど。

 

「空飛ぶ魔法とか、道具とかって憧れるよね。でも燐と一緒ならわたしは魔法なんて別にいらないけどね」

 

 空よりも透明な蛍の笑顔。

 

 その笑顔の向ける先が自分だと思うと、燐は胸の奥が自然と温かくなってくる。

 

 二人だけの穏やかな世界。

 

 燐は自分が戻ってきたことに意味を求めなかったけど。

 もしかしたらこれが理由なのかも、と思ってはいた。

 

 とても単純なことだけど、その単純さで人は好きになったり反対に嫌いにもなったりする。

 

 好き──でいてくれるなら。

 

 きっとそれだけで。

 

「で、燐。どうしよっか……?」

 

 蛍は燐の耳元で囁く。

 

 オオモト様以外の人が居るかもしれないとの蛍の自論だったが、そのせいで声を潜めたくはなった。

 

「あぁ、うん……」

 

 燐は微睡みから覚めたように俯き加減で返事をする。

 

 触らぬ神に祟りなし、と言うし、誰が居るか分からない家に勝手に入る意味はない。

 前がそうだったからと言って、今も同じようにすることなんてないとは思うが。

 

(でも、他に行く当てもないんだよね……)

 

 燐はチラッと、青い玄関ドアを流し見る。

 

 閉ざされた青いドアからこちらを誘っているような、何か得体の知れない空気があるように思えて、思わず握りこぶしを作っていた。

 

「とりあえず呼び鈴押してみる? もし誰か出てきたら逃げればいいんだし」

 

 燐の不安な気持ちを察したのか、蛍が積極的な意見を出した。

 

 だが、この閉ざされた世界で逃げる場所なんてあるのだろうか。

 家の周りは深さと成分の分からない水面が広がっているというのに。

 

「なんか悪戯みたいじゃない、それって」

 

 困った表情(かお)で蛍を見る燐。

 でも、燐も過去に蛍の家で同じ事をしていたので、今更感があった。

 

 それに何が居るか分からない以上、それしか手はないのも事実だった。

 

「まあ……そうだよね。このまま待ってても扉は開いてくれそうにないし」

 

「だよね」

 

 少女たちは物憂げな瞳で、扉が開かれるのを待ってみたが、それはとても叶いそうになかった。

 

 やはり自分たちから何かする必要がある。

 

 二人ともそれは同じ気持ちだった。

 

「じゃあ燐。押してみるよ?」

 

「う、うん。気をつけてね、蛍ちゃん」

 

 思いついたことを早速実行しようとする蛍に、燐は気を使って声をかける。

 

 蛍は無言で頷いて返事をすると、ドア横の呼び鈴のボタンをそっと押した。

 

 ──ピンポーン。

 

 蛍がボタンを押した瞬間、燐はとっさに身構える。

 何が出てきてもいいように、蛍を自分の身体の後ろに隠しながら。

 

 でも……少し待ってもドアが開かれることはなく、燐の決意はただ虚しい時間に流れて行った。

 

 蛍は燐の背中ごしに展開を見守っていたが、嬉しいのか残念なのか分からない、複雑な表情で息をついた。

 

 二人は顔を見合わせる。

 

「そういえばさ……去年のクリスマスの時の蛍ちゃんも中々出てこなかったよね」

 

 燐はこのことと蛍のクリスマスの一件を結び付けて話した。

 

 蛍はその事を言われるのが恥ずかしいのか、顔を赤くしながら口をこぼす。

 

「あれは、たまたま、だよ」

 

「くすっ、じゃあ、そういうことにしておくね」

 

 燐が冗談を言ってくれたので、少し緊張が和らいだ。

 

 

 クリスマスの一件は、燐が尋ねてくることを予想した蛍の作戦(ドッキリ)だったのだが。

 その突飛な理論は蛍にしか分かりようがないので、今でも燐に話すことは事はなかった。

 

 かなり突飛な蛍のサプライズだったが、燐は薄々感づいてはいた。

 

 あんなことで怒るなんてことは、燐の良く知っている蛍に限ってなかったことだったからだ。

 

 でもそれを本人に指摘するつもりはない。

 

 あの夜はとても思い出深いものだったし、とても素敵な一夜だったから。

 

 でも……その後の事はあまり思い出したくはなかった。

 

 燐は蛍との絆を感じながら片手で軽自動車を運転していたのだが、調子に乗り過ぎて危うくガードレールに車を擦りそうになってしまった。

 

 そのせいで興奮したのか二人とも一睡もしないまま店の手伝いに行ったので、寝不足でボロボロだった。

 

 ──しかもあの、恥ずかしいサンタの衣装で。

 

 その日は色々な意味での特別な一日になってしまった。

 

(しかもその事が後になって地域新聞に載るのは思わなかったしね……)

 

 おかげでちょっとだけ客足は増えたのだけれど。

 

 楽しかった瞬間は確かにあるのだが、全体的にみるとなんとも微妙だった。

 

「そういえば、クリスマスの時楽しかったよね。ああいったクリスマスならまたやってみたいね」

 

「ふええっ? そ、そうだった?」

 

 蛍のあまりにも意外な感想に、燐は驚いて呂律が変な感じになっていた。

 

 燐の変わった返事に蛍もちょっと驚く。

 

「あ、うん。今年はもっと趣向を凝らしたものにしたいね。もちろん燐とふたりでね」

 

「あははは……」

 

 幸せそうな蛍の微笑みに対して、燐はため息の交ざった笑みを無理矢理作った。

 

 ……

 ……

 ……

 

 青いドアの家の前はずっと静かなままだった。

 

 厳かで静謐な感じは嫌いではないが、それだけの為にここに来たわけではないと思う。

 

 これでは埒が明かないと思い、今度は燐が呼び鈴に手を伸ばす。

 

 ピンポーン。

 

 チャイム音はするけれど、人がやって来る気配はやはり感じられない。

 

 前の”青いドアの家”の様にしないといけないのかもしれない。

 

 燐は覚悟を決めると、前と全く同じように玄関のドアノブに手をかける。

 蛍は固唾を飲んでその様子をじっと見守っていた。

 

 この家のドアノブは前とは違ってハンドルタイプの、いわゆる”現代風”の取っ手に変わっている。

 

 燐は改めて青いドアをまじまじと見やる。

 

 前のドアよりも色彩が少し際立ってるように感じた。

 

(空の青っていうよりも海の底の深い青色に近いのかも)

 

 脳裏に浮かんだのは実家に置き去りのままの軽自動車。

 あと、あの悪夢のような小平口町の夜の色、だった。

 

 燐は、濃淡の青いドアの家のドアノブを引く。

 

 かちっ。

 

 小さな音がしてドアが開く。

 当然のように鍵は掛かっていなかった。

 

 鍵の掛かっていない玄関ドアに何の意味があるのだろうかと、燐の中に疑問が湧いたが、それは蛍に対する当てつけのようになってしまう気がして、胸の内だけのことにしておいた。

 

 ドアは簡単に開く。

 変な音も出すことなく、滑るような緩やかな動作で。

 

「…………」

 

 燐と蛍は手を繋いだまま、開かれた扉の先を凝視する。

 

 二人は好奇心と緊張を漲らせた表情で中を覗き込んだ。

 

「中は普通だね」

 

「うん。全然普通」

 

 お互いぽつりぽつりと感想を述べる。

 確かに何の変哲もない普通の玄関だったから、それは仕方がなかった。

 

 靴が一切並んでいないのも前の家と一緒。

 

 蛍は前にはやらなかった下駄箱の中を開けてみる。

 

「やっぱり何も入ってないね」

 

 少し残念そうに肩をすくめる蛍。

 それはあまりにも普通すぎて面白味もなにもないことを示しているようだった。

 

 見渡してみても何かが潜んでいそうな感じはなさそうなので、燐は少し警戒心を解いた。

 

「とりあえず上がってみよっか。すみませんー、お邪魔しますー」

 

 燐は一言挨拶をすると、玄関に座り込んで靴紐を解き始めた。

 

「……お邪魔します」

 

 蛍も同じように脱いだ靴を揃えると、反対側に向けて燐のトレッキングシューズの隣に置いた。

 

 玄関口はとても静まり返っていて、風もないのに外とは少し空気の感じが違って感じられた。

 

 それは、二人が一緒に住んでいる新築のタワーマンションとも違って、生活感が皆無というか、嘘みたいな真新しさが漂っていた。

 

 蛍と燐は手を取り合うと、他の部屋には目もくれず、真っ直ぐにリビングの方角を目指した。

 

 

「オオモト様ー?」

 

 リビングに入ってまず、蛍が最初にやったことはオオモト様の名前を呼ぶことだった。

 

 そう呼んで出てきた試しは一度もないけど、これは”礼儀”と言うよりも”儀式”に近いことだった。

 

「オオモト様ー、建て替えたんですかー? いいお家ですね」

 

 燐は呼びかけにお世辞を交ぜてみたが、その程度で出て来てくれるはずもなく。

 

「あ、家具も全然違ってるね。テレビだってこーんなに大きくなかったし」

 

 オオモト様を探すのに飽きてしまったのか、燐は楽しそうに薄型テレビの前で腕を目いっぱいに広げていた。

 

 確かに燐の言うように、家具デザインもその配置も前の家とは別物になっている。

 それでも基本的なことは何も変わっていなかった。

 

 テレビとソファにテーブル。

 奥にはキッチンがあり、冷蔵庫も完備してあった。

 

 前の青いドアの家と同じく、生活に必要な家財道具は一通り揃っているが、そのきっちりしたところが逆に違和感を感じさせる。

 

 マニュアル通りというか、”遊び心”が皆無だった。

 

「一応テレビも、つけてみようか?」

 

 蛍がリモコンを片手に燐に尋ねる。

 

「やっぱりそこは気になるところだよね」

 

 テレビの前のソファに飛び乗ると、ちょっとおどけた感じで燐は微笑む。

 

「でも、燐には先にやることがあるんじゃない?」

 

「ふえっ、やること? 他に何かあったっけ……?」

 

 ソファでくつろぎながら、燐は腕を組んで考え込んだ。

 

(やるべきことって何だろう……あっ!)

 

 合点がいったとばかりに燐は手を打ち鳴らすと。

 

「蛍ちゃん、わたしちょっとトイレ行ってみるね」

 

 と、リビング内に恥ずかしい宣言を上げた。

 

 意図していなかった言葉に蛍は危うくリモコンを落としそうになる。

 

 なんとか落とさずにすんだのでほっと胸を撫で下ろすと、困った顔で燐に微笑みかけた。

 

「そうじゃなくて、燐。ほら、冷蔵庫……」

 

 おずおずとキッチンの方を指さす蛍。

 

 そこには黒の四角い冷蔵庫が、開かれるのを待つかのようにそびえ立っていた。

 

「あぁ、そっちかぁ」

 

 燐はようやく蛍の意図を理解することが出来た。

 

 でも。

 

「他人の家の冷蔵庫を覗くのって結構マナー悪くない? 今更こんなこと言うのもなんだけど」

 

「でも、燐は、わたしの家の冷蔵庫を勝手に開けてるよね?」

 

「あれは蛍ちゃん家だからだよ~。それに今は一緒に住んでるんだからそういうのは言いっこなし、だよっ」

 

 痛いところをつかれたように、控えめ気味に笑う燐。

 

「燐はもう、本当に調子が良いんだから」

 

 蛍は呆れたように肩をすくめると、手にした黒いリモコンを見つめていた。

 押してみるべきかどうか迷っている様子で。

 

「あははっ。ま、まぁ、冷蔵庫の中を見ればその人の今の暮らしっぷりが分かるっていうしね」

 

 燐はもっともらしい言い訳をすると、蛍が何かを言う前にそそくさとキッチンへ移動する。

 

 システムキッチン横の冷蔵庫は、窓からの光を浴びてその全体が黒光りしていた。

 

 開くことを拒むような重厚な佇まいをしていたが。

 

「ん、じゃあ、開けるねっ!」

 

 バラエティー番組の開かずの金庫を開ける時のような勢いで、燐はごくりと喉を鳴らすと、一番大きな片開のドアに手をかけて勢いよく開いた。

 

「せーのっ!」

 

 掛け声と共に冷蔵庫のドアが開かれる。

 

 燐は何故か玄関ドアを開く時よりも何故か力を込めていたようで、ドアが開くと同時に燐も身体ごと引っ張られていた。

 

「あ……」

 

 少し離れて見ていた蛍にもその中身がはっきりと見えた。

 

 燐もドアの隙間から首を伸ばして中を覗き込む。

 

 やはりと言うか、冷蔵庫の中は。

 

「また、空っぽかぁ」

 

「みたい、だね」

 

 燐は予想通りと言いたげに肩をすくめていた。

 

 けれど蛍は、燐が開ける前からなんとなくそうじゃないかとは思っていた。

 

 だからこの家はまだ誰のものでもないのだろう。

 

 それこそ所有者の無いモデルハウスのように、ただ在り続けるだけだった。

 

 ──

 ──

 ───

 

「ん──、気持ちいいねっ! 陸の、じゃなくて、水の上の孤島に住んでいるみたいだね!」

 

 それではただの島、なのだが。

 

 そんな細かいことは気にする様子もみせずに、燐はぐっと両手を上げて、全身で気持ち良さを表すように大きく深呼吸をした。

 

 目の前には青い空と水平線がどこまでも広がっている。

 見た目だけだったら、燐の言うようにどこか南の海の孤島のようだった。

 

 燐がいる濡れ縁の下には、新品のようにきらきらとした白い線路が長く伸びている。

 家の形こそ違っていたが、建物や線路の配置は鏡で写したようにそっくりそのままだった。

 

 新しい青いドアの家の中をくまなく探してみたが、オオモト様どころか、誰かの住んでいた生活の残り香でさえも見当たらなかった。

 

 見た目ほど広い間取りではなかったが、それでも人ひとりが住むには大きすぎる家だった。

 

 そのことに何かの手掛かりがありそうだったが、その理由を求めること自体がそもそもの間違いだったと気づくのには、結構な時間と体力を使った後だった。

 

「本当だよね。南国のコテージにいるみたいな感じするもんね」

 

 両手にグラスを持って蛍も縁側に出て来ていた。

 

「はい。燐、お水」

 

 蛍が持ってきた透明なグラスの中には、それこそ青と白の風景と変わらない透明度の高い液体が入っている。

 

 蛍の言う通り水なのだろうと思うのだが。

 

「これってこの家の蛇口からの”お水”だよね?」

 

 確認するように燐は再度、蛍に尋ねる。

 その意図を理解した蛍はちょっと困り顔で言った。

 

「大丈夫だったよ。さっきわたしが飲んでみたけど”普通のお水”だったし」

 

「えっ、そうなんだ。蛍ちゃん、何ともないの?」

 

 蛍が先に飲んでいたとは思わず、燐はつい焦ったように聞き返した。

 

「今のところはね。燐、心配してくれてありがとう」

 

「そうじゃなくて、えと……やっぱりちょっと気になるじゃん。ここっていわゆる普通の場所じゃないし……」

 

 蛍からのお礼に、燐は照れ隠しのように周りを見渡した。

 

 透き通るような空に積乱雲が立ち上って。

 周りは池とも湖ともとれるほど巨大な水面がどこまでも広がっている。

 

 それこそあの”ウユニ塩湖”のように。

 

 水平線の先には他に別の建物も、植物すらも見当たらない。

 ただゆらゆらと陽炎が立ち上っているだけ。

 

 全てが水に流された後の世界のようだった。

 

「全てを水に流されたのって、小平口町じゃなくてこっちの世界だった……なわけはないよね?」

 

 受け取ったグラスを見つめながら、燐がぽつりと雨滴のようにつぶやく。

 

「どうだろうね。燐の言うように町の代わりにここが水浸しになってくれたのかもしれないね」

 

 燐の憶測を肯定するように、蛍も空を映す水面を見ながら言葉をつくる。

 

「実際に被害はなかったからね」

 

 燐は実際に小平口町に引っ越してきた時は何の感情も湧かなかった。

 自分の事で精一杯で、他に意識を向ける余裕すらもってはいなかった。

 

 だから後になって、被害が一切出なかったことを知った時は、少し嬉しい気持ちがあった。

 

 あれだけ嫌な目にあっても、特に町が悪い訳じゃない。

 

 町の人達だって、一部の想いが強く出ただけで、みんな普通の生活を送っている普通の人達だったわけだし。

 

 そういう意味ではすべては夢の中の話、と考えることも出来る。

 

 あの時の記憶さえ残っていなかったらの話だが。

 

「でも、だったらなんであんな放送をしたんだろう、あのDJ……」

 

 蛍はあのラジオDJをよほど気に入っていたのか、今でも話の種にするほどだった。

 

 文化祭の時だって、ラジオから流れてきた”例えば月の階段で”をみんなの前で歌ってみないと提案したのは蛍からだった。

 

 皆の前で歌うことを恥ずかしがる蛍なのに。

 

「さぁ? でもラジオのこと”嘘つき箱”って言ってる人もいるしさ、話半分で良いんじゃないかな。もう終わったことなんだし」

 

「まぁ、そうなんだけどね」

 

 少し投げやり気味に答える燐に、蛍は苦笑いした。

 

 ”古いものも新しいものもまとめて”。

 あのDJはそんな言葉をラジオで流していた。

 

(全てを水に流すって言いたかったのかな……でも、何に対して? 座敷童? それとも……幸運?)

 

 蛍が言葉の意図を測りかねようと嘆息してる時、燐はグラスとにらみ合いをしていた。

 

「ぅむむむむ……」

 

 蛍はそう言っていたが燐はまだ受けとったグラスに口を付けず、透明な中身を指でかき混ぜたりして弄んでいた。

 

(前に飲んだ時はガラスみたいな味だったね……またあれを飲むのは嫌だなぁ)

 

 燐は最初に水を飲んだ時のことを思い返す。

 無味無臭で美味しくなかったことを。

 

 その次に食べた桃も同じ感想だった。

 

 でも、最後に食べたケーキやお茶はとても美味しかった。

 

 あの時のケーキの味を再現しようと、パンに混じってケーキをたまに焼いているのだが。

 

(あの時の味に中々ならないんだよね。材料は間違ってないはずなんだけど……)

 

 白桃のケーキにはそれほど特別な材料が使われてるとは思ってはいない。

 

 舌に自信があるわけではないが、今の自分になら作るのにはそこまで難しいとは思わなかった。

 

 ただ、あの頃はケーキはおろか、パンを焼いて売るなんて思いもしなかったから。

 

(今だったら、食べる前に紙にメモしたり、分解して工程を確認するんだけどなぁ……)

 

 ほんの少し前の自分と今の自分を見比べて、その違いを微笑ましそうに楽しむ燐。

 

 こういうことを考えること自体が不思議だった。

 

 ぽっかりと空いた心を埋めるように、夢中でパンを焼いたりしていたのだけど、それが今ではある一定の意味を持つようになっていた。

 

 妥協が出来ないのは変わっていないけど、それがいい方向に働いてきていると思う。

 

(なんかただ運命に翻弄されているみたいだけどね)

 

 ぐるぐると。

 

 このコップの中の純粋な流れのように。

 

 その時、頭の中で浮かんできたのは自分の才能を秘めた発掘したと思ってもいいだろう、その母のどや顔だった。

 

(はいはい、お母さんは凄いねー、すごいすごい)

 

 ちょっと嫌味な妄想を抱きながら、コップの中で指でかき回す燐。

 揺れ動く複雑な想いを液体と共に溶かし込むかのように。

 

 ……そこにどれだけの想いが込められているのかはわからないが、あのガラスを溶かしたような水をもう一度味わうのだけは嫌だったから。

 

 いっそのこと水を捨てても良かったのだが、それはせっかく持ってきてくれた蛍に悪いし。

 

 少し喉も乾いていたから。

 

 だから、結構ぐるぐると回した。

 

 これで少しでも美味しくなるといいけど……。

 

「よしっ、こ、これなら」

 

 根本まで濡れそぼった指を引き抜いて、燐は恐る恐る自分の指についた水滴をぺろっと舐めとった。

 

(あれっ?)

 

 甘みのようなものを感じる。

 

 もう一回、今度は指全体をしゃぶってみた。

 

 ぺろぺろっ。

 

「やっぱり、甘い、美味しい……」

 

 水かどうかよりも、その甘さに惹かれてしまった。

 

 美味しいと理解したら後は早いもので、燐はそのままごくごくとコップの中身を喉に流し込んだ。

 

 なんだかんだ言っても結局飲みたかったみたいで、驚くほど簡単に燐の渇きに透明な液体は浸透していく。

 

 飲み終えた燐はコップをとんと置くと、素直な感想を蛍に言った。

 

「この水、冷たくて美味しいね! あ、疑っちゃってごめんね。せっかく蛍ちゃんが汲んでくれたのにね」

 

「あ……う、ううん、いいよ、気にしてないから」

 

 蛍は一瞬驚いた表情をみせたが、直ぐに安堵の笑顔を覗かせた。

 その様子に燐は不思議な違和感を覚えたが、今は特に言及しなかった。

 

 蛍はしずしずと燐の隣に近寄るとスカートを折り畳んで、その横にちょこんと腰掛ける。

 

 裸足になって、水の中に足を入れたくなるほどの爽やかな時間。

 

 二人は寄り添うよう景色と一体となっていた。

 

 蛍が隣に座ると、燐は急にソワソワとして辺りをきょろきょろと見渡す素振りをみせる。

 

 何かを探すような燐の挙動に蛍はなにごとかと首をかしげた。

 

「どうしたの燐。なにかを待ってるの?」

 

「あ、いやぁ……そろそろオオモト様が来そうかなーって。ほら、いつも不意打ちみたいなタイミングでわたし達に話しかけてくるでしょ。今がそのタイミングっぽいかなって」

 

 照れ笑いする燐を見て、蛍はくすっと笑う。

 

「確かにね。オオモト様が出てくるには良さそうな感じだもんね」

 

 蛍も燐もオオモト様と正面から出会ったことはなかった。

 二人にとってオオモト様とはそういう人だった。

 

「オオモト様がスイカを持って出てきてくれると思ったんだけどなー」

 

 ワザとらしい声を上げる燐。

 

 ”振り”を作ったつもりだったが、肝心のオオモト様には少しも届いていないようだった。

 

「なんで西瓜(すいか)なの? 時期的にはちょっと早い気もするけど」

 

 蛍はオオモト様よりもスイカである方を気にしていた。

 

「だって、この景色にはスイカが合いそうな気がしない? ちょっと早い夏! って感じでさ。別にメロンでもいいんだけどね」

 

 燐はここから見える景色を手でフレームを作って企画の提案(プレゼン)をオオモト様ではなく蛍にしてみせた。

 

「ただ単に、燐が食べたいだけなんでしょ?」

 

「あはは、まあ、そう、なんだけどね」

 

 蛍のツッコミに燐はウィンクして答えた。

 

「燐は”青いドアの家”が好きなんだよね。パン屋さんだって”青いドアのパン屋さん”だしね」

 

「あれはまあ、リスペクト……かな? 蛍ちゃんは、あんまりこの場所が好きじゃない、のかな? そんな気がするだけなんだけど」

 

 燐は隣に座る蛍の顔を伺いながら言葉を作る。

 それはその理由がなんとなく分かるからだった。

 

 燐に気を使われていることに気付いた蛍は遠くを見るようにしながらそっと呟く。

 

 それはここでは吹かない風のように、さらっとした透明な呟きだった。  

 

「そうだね、やっぱり燐には……分かっちゃうよね」

 

 片方の長い髪をくるくると指に絡ませながら蛍は困った顔で続けた。

 

「この場所って音も何もないからちょっとだけ苦手なんだ……でも、でもね、もし燐が好きでいられるなら。わたしも、好きになれるとは思う……」

 

 蛍は空になったグラスを置くと、燐の手に自分の手を重ねた。

 

 それは何かの意思表示のようだった。

 

「あはは、蛍ちゃんは返事に困ることをさらっと言うもんね。もう、変なところで大胆なんだから」

 

「相手が燐、だからだよ。わたしが大胆になれるのは燐と一緒の時だけだから」

 

「また、もう……」

 

「うふふ」

 

 結局、オオモト様は来なかった。

 

 けど、二人だったから。

 

 そんなに寂しくは感じなかった。

 

 

 …………

 ………

 …… 

 

 

「燐、オオモト様ならもう居るんだよ」

 

「えっ!?」

 

 蛍が言っていることがすぐには呑み込めず、燐は間の抜けたような返事を反射的に返していた。

 

「えっ、えっ? オオモト様来てる、の? どこに」

 

 燐は首を上下左右に振って、赤い着物のオオモト様の姿を探す。

 

 しかし家の中にも外にもその姿を確認できない。

 

 直ぐに隠れてしまったとかは……あるのかな。

 

「蛍ちゃん、どこにも居ないけど……?」

 

 燐は眉を潜めて蛍に尋ねる。

 

 あの時、燐しか見えなかった風車の森のように、蛍にしか見えないオオモト様がいるのだろうか。

 

 困惑する燐を見て蛍は微笑むと、自分の胸にそっと手を当ててこう言った。

 

「さっきから目の前に居るよ」

 

「え、目の前って……わたしの目の前には蛍ちゃんだけ……?」

 

 燐は自分で言って、あっと声をあげる。

 なんだ、そういうことか。

 

 それなら最初から確かに”存在”している。

 

 燐もにこっと微笑むと、蛍を真っ直ぐに眺めながらその答えを言った。

 

「確かに蛍ちゃんは”オオモト様”だもんね。あ、だった、かな? 今は普通の女の子になったんだもんね」

 

 嬉しそうに手をパン、と叩く燐を見て、蛍は複雑な瞳で微笑んだ。

 

「自分じゃまだ良くわからないけどね、普通かどうかなんて。でもそうじゃないよ燐。目の前は”わたし”の目の前のこと」

 

「えええぇ!!?」

 

 燐は蛍の言っている意味が全く分からず、首を傾けて頭を捻った。

 

(えーっと、わたしの目の前に居るのは蛍ちゃん。蛍ちゃんの目の前に居るのはわたし。つまり蛍ちゃんの目の前のオオモト様って……?)

 

「だから、燐が”次のオオモト様”なんだよ」

 

 蛍の宣言に燐は凍り付いたように固まっていた。

 

 蛍が”オオモト様”だったのは間違いない、だって”オオモト様”がそう言っていたのだから。

 

 蛍ちゃんは座敷童だと。

 つまり今のオオモト様なんだと。

 

 その”オオモト様”がわたしを”オオモト様”だと言っている。

 

 次の”オオモト様”だと。

 

 燐は抱え込みたくなる頭をフル回転させながら、なんとか適切な言葉を探し出した。

 

「もう、やだなぁ。蛍ちゃんからかわないでよ~。わたしが言いたいのはわたし達が良く知ってる、”長い髪のオオモト様のこと”。だって、わたしがオオモト様なはずがないじゃない。わたしはごく普通の女の子、なんだし……」

 

 困ったように苦笑する燐。

 

 だが蛍の反応は燐が期待していたものとはかなり違って、至って真面目な口調だった。

 

「燐は、その、普通の女の子じゃ、ないと思う……あ、でもそれはそういう”意味”じゃなくて。だってあの夜の時、わたしと燐だけが変化しなかったんだよ。わたしは座敷童、つまり大元だったわけだからその理由が立つけど、燐はそういうのとはちょっと違う、よね?」

 

「あう、そ、それは……」

 

 それ以上言葉が続かなかった。

 そうでない理由も、そうである理由も、燐にはまるで見当がつかなかったからだ。

 

「それに燐にはオオモト様の”資格”もあるんだよ」

 

「……資格、なの?」

 

 燐は思わず眉根をよせた。

 あまり、好きではない言葉の響きだったから。

 

 オオモト様にも言われたことだったから、余計に気が騒いでいた。

 

「うん。例えば……今飲んだお水、とか」

 

 蛍はテーブルの上のグラスを指さす。

 

 燐はまさかと思い、複雑な想いで蛍の瞳を見つめ返した。

 

 優しい蛍の瞳が僅かに震えたように見えた。

 その瞳の奥に宿す思いは、疑うべきところなど微塵もなかったのだったが。

 

「ごめんね燐。でも、ちゃんとわたしも飲んだんだよ。ただ燐とは違って、やっぱり味はしなかったの」

 

 驚くほど素直に蛍は告白した。

 そして誤解を解くように蛍は手のひらの下の燐の手を少し強く握る。

 

 こんなことで信じてもらえるとは思ってはいないけど、それでもそうしたかった。

 

 温もりが想いの潤滑油の役割になってくれれば良いなと信じて。

 

「……そっか」

 

 燐は一言だけ返すと、線路を見つめたまましばらく俯いていた。

 

(燐……)

 

 蛍は何も返せず、ただその横顔を見つめるだけ。

 

 ──燐に嫌われたかもしれない。

 

 ただ、その一点だけが蛍の胸の奥を奔流の様に際悩ませる。

 

「燐。わたしね……」

 

 蛍は堪らずその小さな肩を抱きしめようとしたとき。

 

「……なぁんてね。実はそうなんじゃないかなってちょっとだけ思ってたんだ」

 

 蛍より燐が先に言葉を重ねていた。

 

「燐……」

 

 蛍は伸ばしかけた手をどうしていいか分からず、とりあえずもう片方の手も燐の手の甲の上にそっと乗せた。

 

 燐と蛍は近い距離で向かい合うかたちになる。

 

 互いの息が糸のように混ざり合って、複雑な、でも綺麗な二人だけの色を紡ぎ出した。

 

「何で桃だったりケーキだったりしたんだろうって、ずっと気にはなってたの。だって、わたしが食べたいなって思っていたものがちゃんと冷蔵庫に入っていたから」

 

「それだって偶然……なのかもしれない。でも、納得はしてなかったんだ。あまりにもタイミングが良すぎたから。自分から食べたりしたのにね」

 

 燐は蛍にさえ言っていなかったことを明るい声で告白した。

 

 なんとなく分かっていたことだった。

 でも、自分で自分が信じられなかった。

 

 だって自分では”普通”だと思っていたから。

 

「そうだったんだ。燐は自分のことが分かってるんだね」

 

「……どう、なのかな? わたしだって良くわからないけどね」

 

 燐がいつものような明るさで微笑んだので、蛍も同じような笑みで応える。

 二人は普段からそんな感じだったし、そのことになんの疑問も感じなかった。

 

「でもさ、わたしがオオモト様になっちゃうから、蛍ちゃんとお別れしなくちゃならないの?」

 

「えっ……」

 

 蛍は心臓が凍り付いたように動けなかった。

 驚愕に目を見開いたまま、口を開けたまま燐の顔を見つめ続けるだけ。

 

「………」

 

 今度は燐が蛍の手を強く握る。

 だが、蛍にはまだ握り返すだけの余裕がつくれなかった。

 

「ねぇ、蛍ちゃん。座敷童、つまり幸運を呼ぶ人ってどうして必要なのかな。わたしはそういうのは良く分からないんだけど」

 

 燐は他人事のように疑問を投げかける。

 

 幸運によってもたらされたものがあの悲劇だったのなら、確かにそんなものを頼りたくはない。

 

 (さいわ)いが(わざわ)いを呼ぶなんて。

 

 それなら幸運なんてものは最初から必要がない。

 

 人は己の裁量で生きるもので、運によって人生を左右されるということがそもそもおかしいのだから。

 

「わたしにも、よくわからないんだ……ただ、座敷童は一人だけなんだって。そこだけは昔から変わらないみたい」

 

 沈んでいた蛍だったが、燐に言葉を投げかけられてやっと顔を上げることが出来た。

 

「うーん、でも、わたしがオオモト様……座敷童だったら、すぐに幸運の力なんて無くなっちゃうんじゃないのかなあ? だってわたしだって蛍ちゃんと一緒で”童”って歳でもないし、それにもう……初潮だって済んじゃってるんだもん……」

 

 燐の言葉の最後の方は消え入りそうな声、だった。

 

 赤面する燐を見て、蛍は柔和な、慈愛のような眼で微笑んだ。

 

「燐は、多分大丈夫だよ。これも仮定だけど、燐が本来の”座敷童”の形じゃないかなって思ってるんだ」

 

「本来のかたち?」

 

「うん。わたしみたいに”座敷童の子供”って言うのが、そもそもの間違いなんじゃないのかな。もっと別の方法で力っていうか、その想いを受け継ぐ事が出来るんだと思うの」

 

「それって桃とかケーキ……?」

 

 燐は自分の上唇を軽く舐めながら、青いドアの家で一人だけ食べたり飲んだりしたことを今になって反省していた。

 

(わたし、食い意地張り過ぎだったもんなぁ)

 

 でもだとしたらオオモト様は最初から分かっていたのかもしれない。

 

 わたしにそういった”素質”があることに。

 

「でも、それだけじゃないと思うよ。燐は、わたしや”オオモト様”に近かったからだと思うの」

 

「近いって……距離のこと?」

 

 確かに蛍とはずっと一緒だったし、オオモト様とはこの世界では良く会っていた。

 そういう影響はあるのだろうか? 朱に交われば何とやらみたいな感じで。

 

「精神っていうか、波長が似ている気がする。上手く言葉には出来ないけど」

 

 そうつぶやいた蛍の姿は、顔立ちは違うのにオオモト様とよく似ていた。

 それは夜のプールで感じた時と同じ違和感だった。

 

 

 理屈じゃない。

 けど、比喩でもなかった。

 

 

 ほんものの”オオモト様”が今、わたしの目の前に立っていた。

 

 

 

 ─

 ──

 ───

 

 

 

 





長かったガムシロップとの戦いについに終止符を打ったので、家で(くすぶ)っていた黒蜜と豆乳をまぜまぜしてソイラテ風味で珈琲を嗜んでみたりー。

某所で投げ売りされていた栃木イチゴ飲料を飲んでみる──例えるならイチゴ味のポッキーを飲んでいるいるような懐かしい味わい。
つぶつぶが付いたイチゴポッキーじゃなくて、あのつるんとしたほうのポッキーの味に近いですねー。
駄菓子屋で売ってそうなミニマムなイチゴポッキー、久々に食べてみたいなー。

飲料のラベルには関東・栃木イチゴと書いてありながら製造しているのは静岡というエモさも良きでした。

今回のサブタイはNIKKA SESSIONのプレイリストから。ウィスキーに合う曲とのことのですが、その中のMarshmello x Jonas Brothersの耳当たりのソフトなコラボ曲からチョイスー。
Jonas Brothersはsouthparkでゲスト出演したエピソードで知ってました。(結構、酷い扱いだった気がするけど……)Marshmelloの事は今回の事で初めて知りましたねー。

やったことはないけど、某ゲームの動画でバケツみたいなの被ってたアバターを見て、何だろうこれって思ってたけどどうやらマシュメロのスキンだったみたいですねーーバケツじゃなくてマシュマロ(マシュメロ)の頭だったのかーーなるほどーー。


それではでははは──。

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