We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life. 作:Towelie
テントの隙間越しに見える暗い空を仰ぎ見ながら燐が恨めしそうに呟く。
──まだ、夜明け前の時刻。
テントをぽつぽつと打つ音で起こされた燐は、まだ覚めきってない目を擦りながら、スマホの画面と暗闇の空を交互に睨んでいた。
液晶では確かに晴れのマークがついている。
だからって、全てが正しいかというわけじゃないけど。
「うぅん……」
蛍はまだ起きるつもりがないようで、うるさそうに身をよじるだけで、その小さな瞼すら開こうとはしなかった。
(ごめんね。まだ早いもんね)
疲れがまだ残っているんだろう。
もう少し蛍を寝かせてあげたかった。
燐は少し横にずれたタオルケットを蛍の肩口まで掛け直すと、無防備なその寝顔を見て微笑んだ。
想定外の事だったけど、こうして蛍と一緒ならそれすらも楽しめそうかもと、燐は少し楽観的な気持ちになった。
それに、こういう事って山ではよくあることだし。
昔から山には登っていたけど、予定通りに行く登山なんて滅多にはなかった。
大概何らかのイレギュラーな事案が発生する。
それをどうこなすかが楽しみでもあり、思案のしどころでもあるから。
大体は登山好きな従兄から教わったことだけど、実際に体験したからこそ分かった事の方が多かった。
「さてさて、こんな時のために用意してあるんだからねー、っと」
頼りなさげな小さなLEDのライトを頼りに、燐はバックパックから取り出した真新しい雨具に袖を通しながら、雑音しか出してないラジオをいい加減切った。
(あのDJだって雑音っていうか、変なことばっかり言ってたよね。それも
燐は不意にあのゴドーとかいうラジオDJの存在を思い返していた。
碌な事は言っていなかったと思うし、それに対して燐もどちらかというと文句を言っていたとは思う。
その度に蛍に苦笑されていた気もするけど。
こちらが欲しがっている有用な情報はくれず、軽薄そうな口調でつかみどころがない話ばっかりしてたから当然といえば当然なんだけど。
特に
それも仕方のない事だと思うけど。
でも、今思うと、DJの言ってた事は殆どが正論であり、それなりに助言にはなっていた気もする。
役に立った場面は少なかったけど。
だからこそ、あの時は余計に鼻に付いていたとも言えるけど。
(でもなんで、あんな事言ったんだろ……まるで”分かってた”みたいにさ……)
それは蛍だけでなく、燐の中にも消えることなく残っていた。
”雨が降り続いたことでダムが決壊、あの町の全域が浸水した”、とDJはラジオで報じていた。
実際に見てきたのだろうか?
その通りにはならなかったのに?
そう……そのニュースの様には、ならなかった。
町も人も異変が起こる以前の状態のまま。
至って平和というか、いつもののどかな田舎町の初夏の風景が広がってるだけだった。
あの時から変わったことといえば、ほんの些細なことだけ。
それは町の存在が無くなるとか、水に沈んで壊滅状態になるとかの大仰なものじゃなくて。
人によってはどうでもいいことだけが変わっていた。
それは──座敷童。
町の人達があれだけ頼りにしていただけに直ぐにでも町は衰退するのではと思っていたが。
(何てことないよね、本当)
いわゆる、
もっとも、町の会議に頻繁に出入りしている燐の母の咲良の言う所だと、”新しい町長を含めた男連中は日和見主義ばかりだから、近頃の町の発展は若い世代を含めた女が中心となって盛り上げているおかげ”とのことらしかった。
それを聞いた燐も蛍も苦笑いをするしかなかった。
(確かに、ダムの決壊を止められる人はいなかったんだよね……? 放水する人は多分いないって……まさか本当に龍神様!!??)
自分で言ってツッコミたくなった。
そう言った伝承はあの町が出来る以前に、古くから河川に対してあったらしいけれど。
だからって何でもかんでも神や伝承に結びつけるのは流石におかしい。
確かに座敷童はいて、非現実的な町の異変は起きたわけだけど。
それに本当に、DJの言う様に町や人が水に流されたと言うのなら、今の平穏な町や人の姿は偽りだとでも言うつもりなのだろうか。
……言いそうな、気もする。
皮肉交じりの軽薄そうな声で。
その声がもう聴けない以上、全ては憶測にすぎないわけだが。
でもそれはDJだけでなく、”オオモト様”もそんな感じの様なことを言っていた。
”あるべき姿に戻る”と。
それなら。
(わたしもやっぱり戻る、のかな……?)
あの青い青い空と白い雲。
何の悩みも苦しみもない、かんぺきなせかいに……。
「燐……?」
か細い声が不意に耳朶を打つ。
その声に気付いた燐はいつもの笑顔に戻って、夢から覚めたばかりの蛍の顔を覗き込んだ。
「あ、今度こそ本当に起きちゃった? ごめんね、なんか朝から雨みたいだったから……」
起きてしまったらしい蛍に燐は申し訳なく声を掛けたつもりだった、が。
「すー、すー」
またしても寝言だったようで、蛍はすぐに寝息を立ててしまった。
前日の疲れがまだ残ってるみたいだった。
「蛍ちゃん……ごめん、やっぱり起きて。まだ日は出てないけど、ちょっと早めに準備しよっ」
「うん……わかってる」
燐にやさしく肩を揺さぶられて、蛍はそう返事はするものの再び起き上がるような気配はまだ見えてこない。
タオルケットの端を握りしめながら、瞼を開けることを拒んでいる蛍の姿は、安眠を邪魔されたことに拗ねている幼い子供みたいだった。
やれやれと首をすくめてため息を吐く燐だが、その顔色は呆れていると言うよりも安堵の色の方が強かった。
「蛍ちゃん……分かってない、でしょ?」
「……わかってるもん」
分かってるつもり……なんだよ。
これでも。
蛍は、湧き出てくる欠伸を咀嚼しながら、燐に尋ねる。
起きているのは、蛍の中の三分の一程度で、他はまだ微睡みの中にいた。
「やっぱりまだ、眠いね。燐、今……何時だったっけ」
「ええっとね、4時20分」
燐がスマホで時刻を確認する。
充電しておいたから充電には余裕があるが、一晩経っても変わらず圏外のままだった。
「それは……早いよね……まだ夜だよ、それ」
小平口町から登校していた時だってそこまで早起きした記憶には無い。
燐が毎朝ジョギングをするために早起きしていることは知っているが、そこまで早くないはずだ。
「わたしもちょっと早いかなー、とは思ったけど、何とも天候がよめないからなぁ。それに携帯も繋がらないままだし」
「やっぱりまだダメなの?」
何度も出てくる欠伸が早すぎる起床を引き戻してくるみたいで、蛍は微睡んだ瞳のままのぼんやりとスマホを握る燐の指先を見つめていた。
明らかに眠り足りなそうな蛍だったが、それでも燐の話になんとか耳を傾けようと努力している仕草が何とも可愛らしかった。
「うん……まあ、麓まで下りれば使えるとは思ってるけどね」
機種変更したばかりだし、流石に壊れたとかはないと思う。
それに蛍の携帯もあるし。
「スマホって……結構不便、んにゃにゃぁ……」
蛍は何事か言おうとしていたがついに眠気の方が勝ってしまったようで、まるで猫みたいなうやむやな言葉を発していた。
「もしかして昨日眠れなかった? やっぱり背中痛かったかなぁ」
気づかう様に燐が顔を覗き込む。
いつもはふかふかのベッドで寝ているから、やはりそのことが一番心配ではあった。
「そんなでもなかったよ。ただ……途中で変な夢を見て起きちゃったから」
「夢? それが原因なのね」
「多分……」
燐は納得して頷いた。
寝不足と言っても理由は様々だが、その中でも……夢。
夢見の悪さだけは誰にもどうすることは出来ない。
その理由に微笑ましく思った燐は、どこかおぼつかない瞳を向ける蛍の頭をそっと撫でた。
「じゃあ、もうちょっと横になっていた方がいいね」
急いだほうが良いに越したことは無いが、寝不足のまま山道を歩く方がよっぽど辛いことを燐は良く知っていたから。
優しい声で囁くと蛍は恥ずかしいのか、ストライプ柄のタオルケットでその
それが何とも愛らしく、愛おしい。
燐は蛍の下ろした黒髪を優しく撫でながら一本ずつ丁寧に指で梳いてあげた。
温泉には入れなかったが、それでも蛍の髪はいつものように艶やかでみずみずしさに溢れていた。
「そうする……ごめんね、燐」
寝ぼけ眼で謝る蛍に燐は軽くため息をつくと、苦笑いで首を横に振った。
「いいってば、別にそんな事。そこまで時間に追われているわけでもないしね。もうちょっとだけのんびりしてよっ」
それは自分に掛けた言葉でもあるようで、燐は雨具を着たまま蛍の隣でごろんとなった。
「燐もまだ、寝てたら? その内に雨だって止むかもしれないよ」
蛍はクスっと笑いながら燐の方に手を伸ばす。
無造作に差し出された手に燐は苦笑いを浮かべながらもその手を取った。
壊れ物のように華奢な手は燐の手をしっかりと握ってきた。
大切な、本当に大切なものを離さないように。
「そうやってすぐわたしを引きずりこもうとする~。蛍ちゃんは本当にマイペースだなぁ」
困った顔の燐。
けれど本当に迷惑しているわけではない。
蛍はそれを知っているので、小さく笑うだけで手を離そうとはしなかった。
「いいじゃない。どーせ後は下山するだけなんでしょ?」
「んー、どうだろう? 蛍ちゃんが望むのなら今日も縦走を続けててもいいけどね」
「それは絶対……嫌」
蛍は首を振って否定する。
あの息が出来た水中のことでも思っていたことだが、元々が運動苦手なのだから。
進んで体を酷使しようと言う気にはどうしてもならなかった。
またあの筋肉痛になるのはとても嫌だったし。
「そう言うとは思ったよ」
呆れかえるのかと思っていたが、燐にもこれには予想通りだったようで、笑って返す。
寝ころんだまま、二人は顔を見合わせて笑った。
実は昨日の石碑のことが燐にはまだ少し気がかりだったが、蛍が気にしないのならばそれでいいと思っている。
自分がこれ必要以上に口出しする問題ではないと思ったから。
直感なんだけど。
(でも、本当に雨、止むのかなぁ……?)
僅かに見える黒い空を眺める。
漆黒の闇。
星どころか雲の流れさえも見えない。
真っ暗闇の中、冷たい雨がテント内を五月蠅く打っていた。
これでは蛍でなくとも安眠出来そうにはないが。
「ね、燐。ちょっと眠ろう。目が覚めたらきっと良くなっているよ」
蛍は意識せずに発した言葉だったが、燐は一瞬もやっとした予感みたいなものを感じた。
「……それならいいけどね」
あの時だってそうだった。
”そうなると思っていた”ことが”そうはならなかった”。
常識は簡単に覆って、非常識とも言える不条理ばかりが容赦なく襲い掛かってきた。
絶対なんてない。
それは分かっているけど。
「きっと大丈夫だよ、ね?」
「そうだね」
蛍だって燐だって分かっている。
大丈夫なんて言葉は気休めにもならないなんてことは。
それでも口をついて出てしまうのは、きっと。
「ん? どうしたの燐」
微睡んだ視線を向ける蛍と正面から見つめ合う。
その頬は赤く上気して、少し熱っぽく感じてみえた。
「蛍ちゃん。もしかして熱でもあるの?」
「分からないけど……あ、そうだ。燐、お熱測って」
燐はつい、えーと声を出してしまった。
蛍は頬をむくっとさせる。
その仕草は本当の子供の様だった。
「蛍ちゃん、さっきから甘えっぱなしだよー。わたしが居なくても大丈夫なんじゃなかったの?」
「そんな事、一度も思ったことないよ。燐が居ない方が良いだなんて」
「そう言う意味で言ったんじゃなくって……」
それまでのんびりとした口調の蛍だったのに、こういう時だけちゃんとした返事をするから、つい焦って言い訳みたいなことをいってしまった。
「燐とずっと一緒にいたいよ。わたしはそれだけ、なんだよ」
「それは、わたしだっておんなじだよ」
「ほんとう?」
無垢な視線の蛍が燐を捉える。
透明で純粋な瞳に映るのは燐ただ一人。
その事が嬉しくもあり、少しだけ怖くもあった。
もし自分がまたあんなことになって蛍の目の前から消えてなくなったりしたらどうなるのかと。
答えは……多分、分かっている。
けど、それを確かめるようなことはもうしないと決めていたから。
「仕方がないなぁ。どれどれ……?」
燐は観念したように首をすくめると、蛍の額に手を乗せた。
微熱があるような気もするけど、そこまで熱っぽくはない。
じゅうぶん、平熱の範囲だと思った。
「おでこ同士で測らないと本当の体温って分からないんじゃない?」
測り方に不満があるのか、蛍が少し口を尖らせて言った。
「大して誤差はないと思うよ。それに、正確に測りたいならやっぱり体温計じゃないと」
「燐、体温計持ってきてる?」
「ううん、蛍ちゃんは?」
「持ってない」
蛍は大きく首を横に振る。
そこまで全力で否定しなくても持ってないことは燐には何となく分かっていた。
「ま、いいけど……」
それは言葉の通りだった。
けれど蛍は不満そうに燐を覗き見る。
燐は本当に深いため息をついた。
後にしてみれば普通に幸せなことだったんだと思う。
二人きりでいることも、心地よい眠気があったことも含めて。
燐はしばらく目を閉じて雨音を楽しんでいたが、やがてまた眠りへとついてしまった。
いつの間にか蛍も寝息を立てている。
幸せそうな寝顔はとても愛おしく、それが無性に儚くみえた。
微睡んだ瞬間、何かの声を遠くに聞いた。
それは奇妙な叫び声などではなく、懐かしい感じのする柔らかい声色。
まるで子守歌の様に耳朶を打ってくる。
だからか安心して眠りの途につくことが出来た。
とても幸運な、幸せな時間だった。
……
………
…………
「燐ー! こっちー」
雨が降りしきる中、蛍がランタンを手にこちらを呼んでいる。
しばらくたっても雨はやむ気配を見せないばかりか、以前にも増して強くなってきている気がした。
「あとちょっとだけ待ってて。後、これだけ、だから!」
最後に残ったテントを無理矢理に袋の中に押し込む。
雨水と泥にまみれてぐちゃぐちゃになっていたが、それを気にする余裕もなく。
燐は急いでバックパックを担ぐと、雨宿りしている蛍の所まで一気に走った。
バシャバシャと飛沫を跳ね上げながら、黛色の大きな木の下に転がり込む。
息を切らしながら燐が顔を上げると、心配そうな顔の蛍がタオルを持って出迎えてくれた。
「ご、ごめん。ちょっと手間取っちゃって」
泥を落としながら謝る燐に蛍は困った顔で笑みを浮かべた。
「ううん、むしろ燐にばっかりさせちゃってごめんね」
あれから小一時間程寝ていたようだが、それでも雨足は強まるばかりだったので、軽く朝食を済ませて、テントを撤収してきたのだが。
「いいっていいって、それより……」
息をついて微笑むと、改めて燐は周囲を見渡す。
まだ日の出る時刻じゃないとはいえ、漆黒の闇は山の奥の方までも続いているみたいだった。
この分だと山裾から覗く日の出などはとても期待できそうになかった。
(蛍ちゃんと一緒に見たかったのにな……)
淀んだ空を睨みつけた燐は肩を落としてため息をついた。
折角テントで一泊したんだから、朝日を眺めながら蛍と一緒に淹れたてのカフェオレでも飲みながら軽く朝食を取って、余裕持って下山……とでも思っていたのだったが、この雨のせいですっかり台無しになってしまった。
恨めしそうに黒々とした空を仰ぎ見ても、すぐさま天候が良くなることはなく、むしろそれは当分先に見えた。
燐の想いを見透かしたみたいに蛍は口に指を添えて小さく笑う。
どうにもならないことに頭を巡らせても仕方がないと言うみたいに。
それよりも目下の問題は。
「天気の方は、ね。それより燐、下山……できそうかな? 足元がおぼつかなくなりそうで、わたしちょっと自信ないけど」
そう言って蛍は足元のシューズを覗き込む。
まだ新しいから機能的に問題はないけれど。
問題があるとすれば履き手の方だろうか。
蛍は緊張したように俯きながらその場で足を何度も踏み下ろして地面の感触を確かめているようだった。
蛍も燐もトレッキング用の装備をしているからある程度の天候なら大丈夫だとは思うが。
「雨道でも一歩ずつ降れば大丈夫だと思うよ。装備もちゃんとしてるし。でも、気を付けるに越したことはないね」
燐はそう言って、蛍の手にトレッキングポールを持たせる。
こういった、コンディションが悪い時の方がアウトドアギアの真価が発揮されるものだから。
その為にはちゃんした使い方をしていないと意味がないけど。
例えば、降りの時はポールを立てて持つと膝への負担が大分軽減されるし、いざという時の転倒防止にもなる。
折りたたみ式の細いアルミ製のトレッキングポールなのだが、支えがあるのとないのとは安定感が全然違うから。
燐は持ってこなかったが、それは昔からの経験からくる慣れとかではなく、単に少しでも荷物を軽くする為のことだった。
低山だからと油断していると思わぬ形で足をすくわれるケースもあるのだが、その辺りの認識を燐はまだほんの少し軽視していた。
以前にもまだ下ろしたばかりのシューズでいきなりトレッキングに望んで、足を痛めてしまったとても苦い経験があったと言うのに。
学習能力がないわけではない。
むしろ頭はいい方だったし、器用で何でもできた。
だからこその自信と言うか余裕の様なものがあるのかもしれない。
その辺りは蛍とは真逆であった。
「忘れ物は、もうないよね」
「うん。流石にね」
両手にポールをはめた蛍はふと振り返る。
さっきまで燐と一緒にテントで寝ていた開けた場所は雨煙のヴェールに包まれていて、まるで夢であったかのようにひっそりとしていた。
その光景を見ていたら、不意の寂しさを蛍は感じた。
理由は分からないが、幼い頃の楽しかった記憶のような儚い思いがほんの数分前のそこに確かにあったような気がしたから。
「大丈夫? もう少しここで様子見してようか?」
雨具を頭まですっぽりとかぶった燐が気を遣うように声をかける。
雨が上がるまでテントの中で待っていても良かったのだが、水かさが増えて中まで雨水が侵入してきたら大変だからと、蛍を無理矢理起こして撤収してきてしまった。
つい直感で判断をしてしまったけど、どうやらそこまで水捌けの悪い場所ではなかったみたいだし、勘違いというかちょっと勇み足気味だったのかもしれないと燐は少なからずに思っていた。
「平気だよ。もうすぐにでも歩けるし、それに燐の判断で間違ってないから」
「……そっか」
微笑む蛍に燐は少し歯切れを悪くする。
何だろうと蛍は首を傾げた。
「どうしたの燐。何かまだ問題でもあるの?」
「そういうわけでもないけど……」
そう言った燐だったが、明らかに躊躇っていた。
それを隠すように左手で何かを弄っている。
蛍はそれを見て少しだけ驚いた。
まだ持ってるとは思っていなかったから。
「あ、燐、まだ”それ”持ってたんだ」
「あ……うん」
燐の手に握られているものにやはり蛍は見覚えがあった。
それはあのラジオとは別の理由で。
透明なプラスチックのケースに収められた
どうやらそれも元は聡の持ち物で、それを燐が今でも持ってると言うことは、返し忘れたか、あるいは同じように譲り受けたのか。
どちらにしても、今は燐の持ち物であった。
「……」
燐は何も言わずコンパスを覗き込んでいる。
小さな赤い針はある一点の方角だけを指し続けていた。
あの時は風車。
けど、今は。
(この方向って、やっぱり)
燐の手のひらの上のコンパスが指し示しているのはずっと同じ方向だけ。
それでやっと分かった。
そこに何があり、そして燐が何を言おうとしているのかも。
この山で、どうして
(どおりでね、燐が迷うこともなかったわけだ……)
目印どころか道すらも無かったが、これがあれば方角を頼りに進むことができる。
”三人”であの白い風車まで行った時のように。
「わたしにも良く、分からないんだ。ぱっと見は普通の……
蛍の視線に気付いた燐がぼそっとつぶやく。
理由もその原理も分からないが、このコンパスは北ではなく二人の進むべき方角だけを指し示しているみたいだ。
「あのさ、蛍ちゃん。下山する前にもう一度さ……」
と、燐はそこで言葉を止めた。
それは言い淀んだわけではなく、蛍がこちらを見つめながら少し困ったように眉毛を下げて微笑んでいたから。
それだけで十分伝わったと思ったから。
燐は微笑み返して蛍の言葉を待った。
「うん……いいよ。やっぱりちょっと心残りだもんね」
コンパスの事は置いておくとしてもね、と付け加えながら蛍はうなずいた。
「蛍ちゃん……」
少し困ったように見つめる燐に、蛍は小さく口を開けて続けた。
「帰る前に手ぐらいは合わせておかないとね。それが山のルール、なんでしょ?」
そう言って蛍は少し曖昧に笑った。
まだ深夜と言ってもいい、雨の降る暗がりの中。
顔を見合わせた燐と蛍は互いに頷きあうと、ライトをその進む方へと向けた。
……
………
…………
(なんか、雲の中にいるみたい……)
昨日、同じ場所を歩いたときとはまるで異世界、並行した別世界のようだった。
まだ日も傾いていなかったので、青と緑のコンストラクトがとても美しかった。
山も雲も空も、全てがはっきりと目に浮かび上がって、むしろ情感が、現実じゃないほどだった。
けれど今は白と黒のモノトーンの情景に変わっている。
霧の中と言うより迷宮に迷い込んだみたいで、何処を歩いているかすら分からなくなりそうだ。
その白い壁は風景どころか人の輪郭も、声すらも白く塗りつぶしてくるみたいで。
もし、明かりを照らすものが無く、前を行く燐の姿も白い影の中に見失ってしまったのなら……蛍はぞっとして身を震わせる。
(あ……そうだ)
あることを急に思い出した蛍は、俯き加減の顔を頑張って上げて、燐の背中だけを見ることにした。
線路の上で、足先ばかりみているから余計に危ないんだよと言ってくれたのは、他ならぬ燐だったというのに。
そう、燐だけ見てればいいんだ。
真っ直ぐに、他のものには目もくれぬこと無く。
燐だってきっと怖いはずなのに先頭を歩いてくれているのだから。
燐を信じていればそれで……。
蛍は下草を踏みつけながら信じている人の背中を追った。
例え、振り向いてくれなくても。
わたしは。
(あれ……?)
蛍が秘めたる思いを募らせていたとき、不意に蛍の鼻にある種の匂いの様なものが流れてきた。
懐かしく感じるけど、”アレ”とは違う。
新鮮で清々しい、青々とした香り。
(そういえば、あの時もこの匂いだったよね)
”森の香り”。
燐はそう、表現していた。
雨で湿った土の草花の青青しい香り。
それがあの時の同じ匂いを再現しているみたいに蛍の鼻孔を芳しくくすぐる。
蛍だけでなく燐もそれを感じ取っているのか、時折何かを探すように辺りをきょろきょろとしながら深呼吸して歩いていた。
後ろからだとそれが良く分かる。
蛍も同じように深呼吸してみた。
空はどんよりとして、霧が立ち込めているが、確かに朝の香りを感じた。
──心地いい、と思った。
蛍と燐は同じ匂いを感じ、同じ情景の中にいた。
去年、蛍一人で夜の風車まで行ったときにはそれを楽しむ余裕なんてものはとてもじゃないけどなかった。
ただ、辿り着けさえばいいとだけ思っていたから。
(でもこれって、草木が湿っているだけじゃないよね。やっぱり燐と一緒だから、かな)
燐と一緒に山歩きをしているから、匂いや夜露に濡れた葉や木の瑞々しさ、足の裏の土の感触を楽しむことができるんだ。
自分一人だったら多分無理だろう。
実際にそうであったし。
”トレッキングシューズもそうだけど、雨具も出来るだけ良いものを選んだ方が良いよ”。
そう言ったアドバイスをしてくれたのも燐だった。
蛍が低山などに一人でハイキング等に行ったときは、大抵が晴れか曇りだったから雨具なんてわざわざ買ったことも、装備として入れたことすらもなかった。
つばの広いアウトドア用の帽子があるから小雨程度なら平気だろうと思ったし、そもそも天候が悪くなりそうと予報された日は外に出ること事態を止めるぐらいだった。
そこまでして山に登りたいとは流石に思わなかったし、その辺は今も変わっていない。
だから燐に言われてもいまいちピンとはこなかったけれど。
(用意しておいて良かったんだね。これも燐のおかげだね)
燐の予想通り、雨足が強まってきたので、蛍は目の前を歩く燐にそっとお礼を言った。
後で燐にはちゃんとした言葉で返すとは思うけど、今はその背中に感謝の想いをそっと投げかけておくだけにした。
……
……
……
「はぁ、はぁ」
どれだけ歩いただろう。
キャンプした所から今向かう石碑のある場所まではそこまで離れてはいないはず。
それなのに、結構な距離感を感じてしまうのは、やはり天候が悪いせいか。
白い霧が視界を遮るから、余計に距離感が掴めない。
燐のコンパスのお陰で道に迷うことはないからいいけど。
それにしても、雨具を着てヘッドライトまでつけていると、それこそ林業をする人みたいに思えてくる。
想像の姿は、普通に林業をやっている人ではなく、どうしてもあの”ヒヒ”の姿を想像してしまうのは仕方がないことだった。
初めて見た時はそれこそ心臓を鷲掴みにされたかと思ったぐらいの強い衝撃を感じていたから。
燃えるような禍々しい赤い瞳と牙の生えている巨大な口。
そして、それ以上に大きな刃のノコギリを持って……。
欲望と悪意が具現化したような体躯をあのヒヒはしていた。
けど、それは実は。
(ヒヒ……サトくん……聡、さん)
それらは全て同じ人間。
もしかしたら厳密には違うのかもしれない。
一時的に意識を映していただけ……とも考えられる、少なくとも今なら。
サトくんは白い犬、つまり元の犬に戻った。
じゃああのヒヒは?
ヒヒの器と魂はどこに行ってしまったのか。
聡は元より、燐にもその辺りのことは未だに聞けなかった。
本人よりも燐の方が最も傷ついているだろうから。
このことは。
(燐は平気なの……? 聡さんのこと……)
蛍は強い視線で燐の背中に問いかける。
直接燐に聞くことはないけれど、もし燐が話したいと言うのならいつまででも聞いてあげるつもりだから。
けど、蛍はこうして燐が戻ってきて元気でいてくれるのならそれだけで良いと思っている。
わざわざ過去を蒸し返すような事はしない方が良いし、あの異変でのことはもう終わった事だと思っているから。
それに、わざわざ避けて話すのも何か変だし、むしろ何だかギクシャクしてしまって返ってイライラすることもあったので、折り合いをつけてはぽつぽつとは話し合うようにはしているけど。
そのおかげで大分は笑い話として話せるようにはなったとは思う。
もっとも、
女同士だからなのか、どうしても本音を避けた会話になってしまうのはある程度仕方がないと割り切ってはいる。
けど、その事がふと寂しくなってしまうこともある。
あの紙飛行機が空から落ちてきたときだって、もう何年も経っているような気持ちになっていたから。
”燐が居るのと居ないのとでは時間の進み具合が違うんだよね”。
もうずっと前に自分の家で勉強会をしたときに何気なく蛍が口にしたこと。
自分で言っておいて小首を傾げていたが、燐は照れたように少し顔を赤くしてあはは、と笑っていた。
あれは告白のつもりじゃないけど、それに近い、いちばん最初の言葉だったのかもしれない。
その想いは今も変わっていない。
ううん、むしろ強くなってきている気がする。
(余裕ないのかな、わたし。燐がまた消えていっちゃうんじゃないかって、そんな事ばかり気にしてる……)
もうこれって依存だよね。
自身を嘲笑するように小さく笑いながら、蛍は燐の影を追って白い霧の中を懸命に進む。
けれど、その小さな影が突然、立ちすくむように止まっていた。
────
────
────
「どうかしたの?」
時折後ろを振り返りながら、先に行っていた燐が不意に立ち止まったことに不思議がった蛍が駆け寄る。
やっとあの石碑のある場所まで着いたのだろうか。
雨と霧と黒い雲のせいで視界が大変悪く、やけに遠かった気にはなったが。
同じところをぐるぐると彷徨っているのかと少し心配だったが、ようやく着くことが出来たみたいだった。
「………見て、蛍ちゃん、あれ……」
蛍の安堵感をよそに、燐はある一点だけを見つめながら、独り言のようにぼそっとした口調でつぶやいた。
燐は指すらも指さないので、蛍はどこの事を言っているんだろうと燐に尋ねようとしたが。
その必要はなかった。
それは、二人の眼前にまざまざと広がっていたからだった。
「……り、燐!! これって!?」
蛍は思わず燐の方を振り向いて、反射的に叫び声をあげた。
両手に持っていたトレッキングポールが蛍の細い腕の肘の部分までずり落ちて、とても滑稽な事になっていたが、それよりも目の前の光景の方が比較にならないほどの衝撃だった。
「赤い、血……」
燐は思わず口にした。
一目見た時、蛍もそう思ったことだった。
石碑は変わらずそこに立ってはいたが、その周りの景色が一変していたのだ。
血のように赤い色の水溜まりが、辺り一帯の地面に広がっていたのだ。
その中心に白い石碑が立っている。
さながら、絵で見た血の池の地獄のように。
「……!」
蛍は思わず口元を抑える。
確かの血のように見えるからと言っても、血なまぐさい匂いが漂っているわけではない。
けれど、一度そうと認識してしまったら蛍は急に気持ち悪くなってしまった。
「大丈夫蛍ちゃん? でもあれ……血じゃないと思うんだ」
「え? そ、そう、なの?」
眉をひそめて聞き返す蛍だったが、目の焦点は若干かみ合っていない。
やはり動揺しているのか、綺麗なピンク色の小唇を小刻みに震わせていた。
まだ動揺したように目を見開く蛍に、燐はつとめて平坦な声色で続けた。
「多分あれ、染料だと思うんだ。土の成分が雨で溶けだしたんだと思うよ。前にこういうのどこかの山でみたことあるし」
「えっと、そういうの”赤土”って言うんだっけ? わたしもどこかで聞いたことある」
燐がそう指摘してくれたことで蛍は少しだけ落ち着くことができた。
土壌に含まれている鉄が水に溶けて赤茶色、もしくは赤になると本か何かで見た覚えがあったから。
昨日来たときは気付かなかったけど、この辺りの地面はその赤土のようだった。
何となく不自然な土の盛り方をしているとは思ったが、それだと納得がいく。
まさか、土そのもの成分が違うとは流石に思わなかった。
燐の言うことに同意するも、蛍にはやはり気になることがあった。
「でも……こんなに赤く、色が出るってことってあるのかな? これ、ほんとうの血みたいに見えるよ……それに、何でここだけ?」
その赤い水は雨で薄まるどころか、どんどんと広がって行って、いつしか少女達の足元にまで迫ってきていた。
幸い二人のトレッキングシューズには防水加工が施してあるから中まで染みることはないけれど。
「そればっかりはよく、分からないけど……」
自然の染料だったとしても不快感を覚えてしまうのは確かだ。
人類が初めて使った色が赤色だと言うが、それにしてもこの赤一色の水は……禍々しいというか、まるでアイツの目みたいだった。
蛍は一歩、二歩と後ろに下がる。
燐も蛍の傍まで、ぴょこんと飛びのいた。
「何か、近寄り難いよね」
「……うん」
土の影響で色が変わったのならそのまま進んでも問題ないとは思うが、やはり不気味に感じているのか二人とも率先して足を入れたいとは思わなかった。
それに染料ならば靴が汚れてしまうし、やっぱり本当の血だったりしたら……。
(そう言ったけどやっぱりちょっと、ね)
触って確かめるだけの勇気はなかったので、燐と蛍は赤い水たまりを迂回するようにしながらまだ染まっていない普通の地面だけを選んだ。
別にこの場所でも良かったのだが、ある程度は近づいてから手を合わせておきたかった。
何かのこだわりと言うか、特別なものはないんだけど。
「何か怖いから、早く終わらせちゃおう」
急かすように燐が声をあげる。
ある程度は近づけたものの、白い石碑の前は完全に赤い水溜まりが溜まっていたので、結局足を入れることになった。
最初からそうした方が良かったけど、なるべくなら触れていたくない。
被害は最小限に留めておきたかった。
(本当に染料なのこれ……やっぱり嫌だよ)
自然のものなのに、不自然なほど真っ赤な水溜まり。
降りしきる雨のせいで水が揺蕩っているだけなのに、そこに何か待ち受けているのでは錯覚を起こしそうになる。
空は真っ黒で辺りは霧のせいで真っ白に染まっている。
そして地面は……赤。
この世ならざる者が潜んでいたとしても何もおかしくない
「い、行くよ……?」
蛍からの返事を待たずして燐が先に靴先を赤い水へと差しだす。
あの”青いドアの家”の大きな水溜まりみたいに深くなっているかもと、燐は一瞬だけ躊躇した様子を見せたが、蛍が不安げに服の裾を掴んでくるのが分かったので、覚悟を決めた燐は持ち上げた右足を下へとゆっくり下ろした。
パシャ、と赤色の飛沫が小さく上がる。
確かに不気味な光景であった。
けれど、それだけ。
「ふぅ……」
思わずため息が漏れる。
当たり前と言えば当たり前だが、赤い水が溜まっている場所は底なし沼のように足がとられる感じもなく、色がおかしいだけの浅い水溜まりだった。
昨日の時点では普通の何の変哲もない地面だったのだから当然なんだろうけど。
けれどこれ以上足を進めるのは少しためらわれる。
石碑のある中心部分は確かすり鉢の様にへこんでいた気がしたし。
それこそ、何か穴でも開いているのではないかと疑われてもおかしくないほどの不自然感だったから。
「ねえ、燐、なんか……文字が書いてあるように見えない? あの石碑の正面とこ」
燐の後について赤い水たまりに入ってきた蛍が隣で石碑を見つめていた。
「文字?」
言われて燐はそちらに視線を向ける。
「雨のおかげなのかな。昨日は見えなかった文字が浮かび上がっているように見えるの。燐は、どう?」
「うーん、それっぽく見えるような、そんな気はするけど」
蛍の言うように何か文字が刻まれているように見える。
けど、少し遠いせいか何が書かれているかはまだよくわからない。
多分、石碑を立てた理由か何かだろうけど。
「もうちょっと近づいたら良く見えるかも」
燐の手を引いたまま蛍が石碑まで近寄ろうとしていた。
そのことに燐は流石に眉をひそめる。
これ以上、この赤い水に浸かっているのは何か危ない。
そんな直感めいたものがあったから。
「蛍ちゃんもう止めない? やっぱり何か危ない気がするし」
「でも、土の成分が染み出しただけで害はないって、燐はさっき言ってたよね?」
「う、確かにそうだけど……蛍ちゃんはその、もう平気なの? さっき、気持ち悪くしてたのに」
──誰かが流した血みたいに真っ赤なんだよ、これ。
二人はほぼ同時に足元を見る。
この濁った赤い水は本当に染料の元となる土の成分なんだろうか。
燐は自分で言ったことが急に信じられなくなってしまった。
(どうみても血にしか見えないよ。それも
それを初めて目の当たりにしたのは、やっぱりあの時。
けど、あの時みたいな悪臭はない。
鉄錆の匂い。
あの匂いがしないのであれば、やはり”血”ではないのかもしれない。
それでも危険な予感はどうにも収まらない。
考えすぎと言われればそれまでだけど。
「燐と一緒なら大丈夫だと思うから」
「あはは、蛍ちゃんそれって理由になってないよ」
燐は乾いた笑いを浮かべる。
何か突き動かされるものがあるのか、蛍は意思のこもった瞳で燐に頷くと、一歩ずつ慎重に前へと進んだ。
その度に赤い水がパシャリと跳ねて、燐はなんとも言えず不快感で顔をしかめた。
「……っ!」
けれど燐は逃げることなく、蛍の後をついて行く。
色がアレなだけで後はまったく普通の水溜まりと変わらないのだが、そのことだけが不安に感じてしまう。
きっと幼い頃の自分だったら、色の違う水の有り様を面白がっていたんだろうけど。
「やっぱり、何か書いてあるね。えっと……」
蛍は少し息を荒くしながら読み解く。
燐も無事石碑の前についたことにほっと胸を撫で下ろしながら、石に書かれた文字を読んだ。
対したことないはずなのに、何故だか一山越えた時のような気疲れがあった。
距離にしたら数メートルのことなのに、だ。
(あれ? 確かに文字が良く見えるけど???)
「蛍ちゃん、どうかしたの?」
石碑を眺めながら不思議そうに小首を傾げる蛍に、燐は声を掛ける。
「うん……この石碑ってこんなに綺麗だったかなぁって思って」
始め、蛍の言っている事の意味がよく分からなかった燐は、疑問を顔に浮かべながら確かめるように石碑を見つめた。
「……あ」
燐にもよくわかった。
雨で濡れたせいで綺麗に見えるだけかと思ったのだが、苔むしてボロボロだったはずの石の柱がヒビも何もない、綺麗な柱に変わっていた。
見間違えではないと思う。
もしかしたら別の石の柱がこの山にあって、それと間違ているのかもしれないけど。
手元のコンパスはこの柱の方を指したままだった。
真相を確かめて見たくなったのか、燐は思わず石碑に手を伸ばす……も。
「……っ!!」
何か嫌なものを見てしまったみたいに、直ぐにでも手を引っ込めてしまった。
「……」
心配そうに横目で見ていた蛍もやはり石に触れることはせず、その表面に書かれた文字だけを目で追った。
はっきりと文字は読めるが、それでも削り取られたと思われる部分があり、全文を読むことは出来なかった。
「小……、十二、碑……?」
読める所だけをかいつまみながら声に出して読む蛍。
けど分からない部分が多すぎて、何なのかさっぱりだった。
「どういう意味なんだろうね、これ」
わずかなキーワードを頼りに少し頭を巡らせていた蛍だったが、どうにも判然としないのか燐に尋ねる。
「そうだねぇ……」
燐は腕組みのままじっと石碑をにらんでいる。
遠くを見るような横顔だったので、蛍は少し不安になった。
前に見た時と同じ表情をしていたから。
「燐」
囁くように声を出した蛍は、燐の腹部に手を回して後ろから抱きしめる。
離したくも、離れたくもない。
思いで繋ぎとめるみたいにきつく指を絡めて抱きしめた。
急な事に驚いた燐は口をぱくぱくとさせていた。
「もう、やっぱり怖いんでしょ? やっぱり蛍ちゃんの方が寂しがりやだもんね」
怒ることなく振り返った燐がくすりと笑う。
空はどんよりとしていて、冷たい雨が降っているのに。
その笑顔は何よりも透き通っていて。
青空、そのものとしか蛍には見えなかったから。
「そんなこと……あるかも」
燐の耳元でか細く呟く蛍。
健気な蛍の告白に、燐は不意に鼻の奥がつんと痛くなるの感じた。
それは好きだからこそ浮かんでくるものだった。
「あのさ。ほんのちょっとだけ確信めいたものが頭に浮かんだんだ」
「確信……? 何の」
蛍は離れることなく燐に問いかける。
暖かい吐息が耳にかかって何ともこそばゆかった。
「えっとね……」
そこで燐は一旦言葉を切ると、しとしとと降る雨の方にその綺麗な顔を向けた。
厚い雲が眼前を覆い尽くしていて、今が朝か夜かの判別がつかない。
まるであの時の終わらない夜のときみたいに。
「もしかしたら、あのヒヒに関係があることなのかもって……」
天から零れ落ちる雫のように燐はぽつりとだけ呟いた。
「ヒヒ? でもヒヒはもう……」
それ以上は蛍は口に出来なかった。
だってそれは燐も既に知っていることだし、この場所とは何も関係がないと思ってたから。
「分かってるよ。けど、そう言うことじゃないんだ」
「だったら……」
何のことなの?
少し非難めいた言葉を飲み込む蛍。
(燐が一番思い出したくないことなのに、それを燐が言うなんて……)
焦燥感のようなもやっとした様なものが蛍の胸の内に広がっていた。
「前にさ、オオモト様がヒヒについて言ってたこと覚えてる? ”森に入るとヒヒに攫われる”って言ってた事」
「うん。あの風車の時のでしょ? 確か、そんな事を言ってたよね」
燐がノートを拾って、そして二人で行ったところ。
目の覚めるような青空に、無数の風車が立ち並んでいた綺麗な場所。
あの時はとても悲しかった。
それまでの真実を知ってしまったから。
けどそれは、別の思いへと変わったけど。
「それに、”伐採現場での凄惨な事件”とかも言ってたよね?」
「うん」
燐は”オオモト様”の一言一句を覚えているようだった。
「あれって、この場所だったのかなって急に思ったの」
「じゃあ、ここで事件が?」
「もしかしたらだけどね」
考えすぎかもと言わんばかりに苦笑した燐が、石碑に触れるか触れないかの所で指をさす。
「ここの”十二”って書いてあるところ、上の部分が削れちゃってるから全部は分からないけど、本当は”三十二”って書いてあったんだと思うの」
「どうして、それが分かるの?」
蛍は目を丸くする。
そんな探偵みたいな真似を、燐がするとは思わなかったから。
「ノートのね、最後の方に書いてあったの」
物憂げに息をつきながら燐は言葉を続ける。
「最後の方って……わたしが破った前のページ?」
ノートの最後のページは蛍が自分で破いていた。
それで紙飛行機を作って燐と一緒に飛ばしたから無くなったんだけど。
(そういえばあの紙飛行機って結局どうなったんだっけ?)
蛍の思考は紙飛行機の行方の方に切り替わってしまった。
その事を知ってか知らずか、燐はくすくす笑ったあと、蛍のおでこをちょんと指で押した。
「そのページに書いてあったんだ。小さな文字で、”三十二人ごろし”って」
「
燐の言葉に、夢から覚めたような蛍は絶句する。
最初にノートの内容を燐に聞かされた時もそうだったのだが、生まれた時からこの地にいる蛍ですら知らないことがあの大学ノートには記載されていた。
それを書いたのが、燐の従兄の聡だとするのならば、彼はどこまで小平口町の歴史のことや座敷童に関することを知っていたのだろう。
全てを知ったからこその凶行だとしても、それならばあまりにも惨いというか。
「ヒヒはさ、
「うん……あんなの普通の日本の山奥にはいないもんね。あっ、ごめん……変なこと言って」
慌てて頭を下げる蛍に燐は手を振って否定する。
「大丈夫だって、もう気にしてないし。それに、遠くに行っちゃったけど、お兄ちゃんはお兄ちゃんなんだから」
全部が元のままじゃないことは知ってる。
それは座敷童や、”自分自身”のことだけじゃない。
聡のことだってそうだった。
けどだからって、全てを忘れてなかったことにするなんてことは、まだとても出来なかった。
「それじゃあ、あの、ヒヒの元の人が? その……三十二人の人を殺したって事? じゃあこれって慰霊碑?」
蛍は途切れ途切れに言葉を作ると、白い石碑を改めて眺める。
自問自答した蛍だったが、妙にそれがしっくりくる気がした。
「詳しい事は分からないけど、多分蛍ちゃんの考えで間違ってないとは思うよ。昔、何か事件があって、それを風化させないようにこういったものを建てた、とかじゃないかな」
「なるほど、ね」
だとしたらこんな山奥にひっそりと建てられていたわけが良く分かる。
けれどあの、人形との関連性が分からない。
当時の座敷童がやったわけではないみたいだし。
「もしかして、手毬と同じ……?」
「ん? 蛍ちゃん、どういう事」
今度は燐が目を丸くした。
謎かけの様な蛍の言葉に眉をひそませる。
「何て言うか、割と妄想が入ってるんだけど、オオモト様の持っていた”手毬”って誰かに貰ったものなのかなって思ったの。だからそのお返しに人形を作ったんじゃないのかなって」
恥ずかしいものを見られたみたいに蛍は耳まで赤くすると、誤魔化すように微笑んで見せた。
「そう言うことね。うん、蛍ちゃんいい線いってると思う。将来、探偵になれるよきっと」
探偵なんてものに興味は無いが、燐に褒めてもらったことで蛍はようやく胸を撫で下ろした。
(だとするなら……)
燐は首をひねる。
「”その人”はオオモト様の相手にする為に呼ばれた人、だったのかな……”お兄ちゃん”みたいに」
それまで言いづらかったことを燐は口にする。
そのことで羨望の様なものを蛍に浮かべせたことがあったから。
だからこそ彼らは融合してしまったのか。
”彼”と”聡”の求めるものが同じ性質をもっていたから。
歪んでいるとかではなく、ただ純粋だったのだろう。
だとすれば
きっと似ていたに違いない。
性格の方だけでなく、見た目の上でも。
それならば色々と納得できる部分があるから。
(オオモト様が言ってた不義のこととか……)
「きっと、そうだよ」
どういった
けど、きっと止むに止まれぬ事情があったとは思う。
自分たちと同じように追手から逃げるために仕方なく、とか……?
もし本当にひとごろしをしてしまったのなら、許されるものではないと思うが。
「この町の郷土史にも乗ってなかったから、座敷童がらみ、なんだろうけどね」
「……そうだね」
そう思うと、この石碑が哀れにすら思えてくる。
もう誰にも知られること無くひっそりと”慰霊碑”が立っていたこともそうだが、その事件の記録すら残っていなかったなんて。
何もかもが座敷童のことと似ていた。
その特異性も含めて。
「ねぇ燐。だからってこれは血じゃない……よね? 憎悪とか怨恨とかが染み出したわけじゃないよね?」
「ホラー作品じゃあるまいし流石にね」
燐は笑ってみせたが、実際のところはよく分かっていない。
確かめていないのだから。
ただの染料だったのなら雨で流れ落ちるはずなのに、二人のシューズには赤い色がびっしりとこびりついていた。
(じゃあ、その時ころされた人たちが町の人と融合したからあんな顔のない”何か”が生まれたの?)
またもや蛍は妄想をしてしまったが、今度は燐には言わなかった。
なんでもかんでも結び付ければいいとは思っていなかったし、今更そんな事を紐解いても特に意味などないと思ったから。
蛍は何とも言えない虚しさで石碑を見つめると。
「とりあえずお参りだけでもしよ?」
そう言って無理して微笑んだ。
「うん。その為に来たんだもんね」
燐はまだ何か言いたげだったが、蛍の笑みに同意するように頑張って笑みをつくってみせた。
蛍は燐から一旦離れると、拍手はせず軽く手を合わせて頭を下げる。
そして静かに目を閉じた。
足元がちょっと異様な光景なので目を閉じるのは少し怖い気もしたが、傍らに燐がいるので蛍は恨みがどうこうよりも燐の気配や体温の方に集中していた。
燐は、結局お供え物やお花を見つけることに失念してしたことを思い出し、心の中でまだ良く分からない石の柱に謝った。
二人はどちらともなく頭を上げると、目の前で合わせていた手を解き、再び手を握り合った。
「行こう」
「……うん」
少女たちは顔を見合わせるともう一度だけ頭を下げ、その場から踵を返すように退散した。
この下を掘り返そうかなんて、大それたことを考えたこともあったが、血のように赤い水溜まりを前にその気もすっかり失せてしまった。
こんな場所でじっとしているだけで何か、得体の知れないものに何かを奪われそうな、そんな危うい思いをつい抱いてしまいそうになる。
一刻も早くここ立ち去るのが得策だった。
雨もどんどん強まっているし、この先、天候が回復することは当分なさそうだったから。
辛うじて地面が見えているところだけを選んで、飛び石のようにぴょんぴょんと飛び跳ねて渡る。
赤い水はまるで地下からいくらでも湧き出てくるみたいに地面を覆い尽くしていた。
靴越しとはいえ、血だまりにいるみたいな凄惨さ目を背けながら、蛍と燐は元来た道を目指してひたすらに進んだ。
「よっ、……と、蛍ちゃん。ここまで足、伸ばせる?」
「えっと、多分……」
先に足場に乗った燐が蛍に手を差し伸べる。
周りの地面はさっきよりも赤い水溜まりが色濃く広がっていて、まるで《ほんとうの地獄》みたいだった。
頑張って足を開いた蛍は燐のいる足場へと乗り移ろうとした、が……。
「きゃあっ!」
トレッキングシューズで足首を固定しているので滑りにくくはなっているはずだが、この時はなぜか足が滑ってしまった。
まるで零れたばかりの血液を踏んだ時みたいに、ぬるっとしたものを靴裏に感じたからだった。
「蛍ちゃん、危ないっ!!」
咄嗟に手を引っ張って燐は自分の方へと蛍を抱き寄せた。
結構な勢いで引っ張ったので、そのまま二人とも抱き合ったまま倒れ込みそうにも見えたが。
日ごろの運動のお陰か、燐は体幹のしっかりしたところを見せ、バランスを崩すことなく蛍の華奢な体をぎゅっと抱きとめた。
「大丈夫? 蛍ちゃん」
「う、うん……」
燐の胸に抱かれながら蛍はくぐもったような声で呟く。
どきどきと互いの心臓の音が高鳴っていた。
「あのね、燐。わたしね……」
蛍はこの後に燐に何を言おうとしたのか。
結局、その答えを聞くことは出来なかった。
何故なら。
「ああっ! 見て! 蛍ちゃん、ほら、足元!」
「ええっ?」
燐に言われて顔を上げた蛍が指さす方向に目を向けた。
少し微睡んだような目をしていたせいからだろうか、それはとても奇妙なものに蛍の瞳に映った。
「ひっ!?」
それを認識したとき、蛍は全身が総毛立ってしまい燐にぎゅっと体を押し付けた。
ただ、赤いだけの水溜まりだと思っていたそれは、まるで人の顔のような形を地面に作っていたからだった。
──赤い水に浮かぶ人の顔。
そう、形容できた。
見方によっては人よりも獣に近い顔立ちに見えなくもない。
ちょうど目と鼻に相当する部分だけこんもりしていて、二人ともそこを足場に渡ってきたから尚の事ビックリしてしまった。
偶然が作り出した面様なのか、それとも何らかの意図をもって作られたものなのか。
どちらにしても悪趣味というか、嫌悪しか湧かなかった。
蛍にしてみれば、たった一度見ただけなのにいまだに脳裏にこびり付くように残っている、あの”蛾”の文様を思い起こさせた。
人が
(なんだかこの顔……アレに、似てる……)
燐は蛍の家の廊下で初めて見た時に顔をしかめたあの”お面”のことを思い起こした。
蛍からは処分するかどうかまだ迷っていると言われたけど、多分燐なら迷うことなく処分してしまうだろうと思っていた。
それだけ、嫌悪を抱かせるものだったから燐にとっては当然だった。
蛍の身体をしっかりと抱きしめながら、燐は初めて見た時の気味悪さを思い出す。
寒気というか皮膚がぞくっと泡立つような感覚を。
特に見ていたくはないもののはずなのだが、燐も蛍も何故か目が離せないでいた。
金縛りにあったように視線が奪われてしまうのは、蛍の家の和室で目撃した時以来の事だった。
(何でだろう? 顔を背けることができない)
偶然、顔に見えただけかもしれない。
けれど、一度顔と認めたらそれが誰の、どんな時の表情なのかを想像することがやめられなくなってしまった。
お互いを抱き合いながら、変化した(ように見えた)赤い水溜まりを言葉なく見つめている。
その非現実的な様相に、少女たちは目を見開いて直視していた。
今すぐにでもここから逃げねばならないはずなのに。
「り、燐……」
一瞬、正気に戻った蛍が擦れた声を振り絞って燐に呼びかける。
燐にも蛍が何を言いたいのかは分かっているのに、一向に足が動かない。
まるで悪魔に魅入られたみたい凍り付いている。
雨足が水溜まりに更なる変化を与える。
それは下卑た顔で笑っているかのように口と思われる部分をにたつかせていた。
「……っ!!」
悪意しか感じさせない表情はあの時の恐怖をフラッシュバックさせるものだった。
欲望を満たすことしか考えていない、歓喜と狂気。
二人とも目と肌で感じ取っていたから。
それを思い返してしまうのも無理なかった。
「あ……あ……」
蛍も思い出したのか、唇が震え出し、早鐘を打つように鼓動が早くなってくる。
その間にも赤い水溜まりは地面を覆い尽くすみたいに広がっていく。
全てを赤く呑み込もうとしているみたいに。
気づけば周りにある草木や灌木も、赤い水の中に飲まれていた。
流石にこれはおかしい、そう燐が思った時はもう手遅れだった。
空から降る雨すらも赤くなっている。
そう錯覚をさせるほど、そこら中に赤い水溜まりが広がっていたから。
恐怖に駆られた燐が肺から叫び出そうと、息を呑み込んだその時。
ずしん!
地響きの様な大きな音が辺りに響きまわった。
二人は初め地震か何かかと思ったので、抱き合った体をさらに密着してその後の衝撃に備えた。
山で地震にあったときはどうすればいいんだろう、と蛍が頭を巡らせていると。
ずしん!
どしん!
重い音が赤い水溜まりに大きな波紋を作る。
波紋の交わりを見た時、燐は不意に頭にひらめくものがあった。
まさかとは思う、けど……。
「そんな事、あるわけない! あるはずない、よ」
「燐!?」
固く口を結んでいた燐が急に叫び出したので、蛍は吃驚してしまった。
おかげで良く分からない身体の膠着が解けたのだが。
「蛍ちゃん、飛ぶよっ!」
「え、えぇっ!?」
まだ訳が分からないままだったが、燐は蛍を抱きしめたままジャンプしようとしているらしい。
蛍は頑張って頭を巡らせると、燐の目を見てうん、と頷いた。
「いっせーのっ!」
燐が地面を蹴ると同時に蛍も地面を蹴った。
こんなことならもう少しダイエットしておけば良かったなんて蛍はつい暢気なことを考えてしまったのだったが。
「わっ!」
二人は運よくまだ緑が生い茂る林に着地……いや倒れ込んだ。
前から倒れ込みそうになったが、機転を利かせた燐が倒れる際、身体を捻ったので横向きに倒れ込むことが出来た。
ちょっと体をぶつけてしまったが、幸運にも二人とも怪我はないようだった。
「行くよっ、蛍ちゃん!」
すぐに立ちあがった燐は蛍の手を掴んで無理矢理立ち上がらせると、森の奥へと走りだした。
まるでジェットコースターのように視線が目まぐるしく変わる。
蛍は傷む体を気にしながら、走る燐についていくので精一杯だった。
(どこか隠れられそうな場所は……あった!)
燐は何かの横倒しになった巨木の後ろに回り込むと、蛍の手を握ったままその後ろへ転がり込んだ。
蛍はもう膝ががくがくしていたので、倒れ込みそうに燐の隣にへたり込む。
何が起きたと言うよりもやっと燐が止まってくれたことの方に安堵した。
「はぁ、はぁ、はぁ」
まだ混乱している頭をもたげながら呼吸を貪ることだけしている蛍に対し、燐は巨木の陰から様子を窺っていた。
ずしん、ずしん。
大きな音はまだ鳴りやまない。
むしろ近づいている気がする。
蛍はもしかしてこれが悪夢の時に良く聞く、四つの短い音なのではないかと思った。
実際には四つ以上音が鳴っていたが。
それと同時にその違和感の正体に気付くことが出来た。
「まさか……まさかだよ、ね? 燐……」
自然と声を潜めてしまうのは、もうそのことを知っていることと同義であった。
燐はこくんと小さく頷く。
それだけで蛍はがたがと震え、血色の良かった顔が青ざめてしまった。
ずしん!
聞き間違いではない、これはきっと足音。
だとするならば。
(なんで!? なんでアイツが
燐は錯乱しそうになる頭をぎりぎりのところで落ち着かせて逡巡する。
だってあの時、”アイツ”は転車台の前でサトくんと相打ちになって倒れたはずだ。
それは近くで見ていた燐には今でもはっきりと覚えている。
あまりにも凄惨で悲しすぎる光景を。
だからもう、現れることなんてないはずなのに……。
どすん!
足音の主はこちらに目掛けてくるようだった。
あの血だまりのような水溜まりがアイツを呼んだのか。
重い足音には地震とは違う、狂暴さと残忍さが漲っているみたいに聞こえた。
こんな足を出すのはアイツしかいない。
けれどまだ、にわかには信じられなかった。
足音が近くなってくるたびに蛍の震えは大きくなっていく。
瞳は大きく見開き、唇から覗く小さな歯を小刻みに震わせていた。
心配そうに蛍を見つめながらある決意を燐は下す。
それは蛍を守るために燐がしなければならないことだった。
(本当に……本当に《また》アイツだったのなら……)
震える指先で燐はぎゅっと握りしめる。
それは蛍の手でも、あのお守りでもない。
ポケットに忍ばせて置いた一振りの小さなナイフ。
今、燐が手にしたものはそれ、だった。
────
───
──
体調がちょっと弱いのか、最近よく口内炎が出来るので、いつもの珈琲に蜂蜜を足してます。まあそもそも珈琲が胃に悪いって話なんですけどねー。でも寒いと飲んでしまうんですよねー出先なんかでもーー中毒ではない……はず。
コーヒーと言えば家には誰のものか分からないスタバのコーヒーカップが置いてあるのですが、これでコーヒーを飲むわけでなく、今はペーパー加湿器用のカップとして使わせてもらっています。大きくて安定感あるから加湿器として使うには丁度いいサイズなんですよねー。
まあ、割と重いからコーヒーを飲むのに適さないだけなんですけどねー。
ででで、ヴァレンタインセールで青い空のカミュDL版がまたまた50%OFFになってますねー。
何か今回は、購入した金額の15%程度がポイントとして還元されるみたいです。これまで無かった特典な気がしますねー。
もう後何日もないですけど、ポイントが付与される今の内におすすめしますー。
ではではーー。