We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life. 作:Towelie
明らかに非現実的なことなのに。
どう考えたっておかしな出来事なのに。
不思議と落ち着いていた。
何度も来たせいもあるかもしれない。
それにもう今更だし。
まあ、何にせよ。
「また……ここ」
ベッドから落ちた──と、思ったらここだった。
その下は畳の上に引いたカーペット、ではなくて固いコンクリートの床だったから最初はひどく痛かったけど。
寝ぼけて落ちることなんて最近はあんまりなかったのに。
久しぶりの家のベッドはマンションで使っているものより小さいから、こんなことになった?
そんなわけはないか。
ベッドというか、睡眠とは関係ないことは分かってる。
睡眠といえば……。
”蛍ちゃんって、寝る時結構大胆だよね”。
そう言われたことは確かにあるけど。
(この大胆は”悪い”の意味じゃない……よね?)
目が覚めるとシーツがぐちゃぐちゃになってることも、まあ
──にしても。
ぐるりと辺りを見回してみる。
まだ床に寝転がったままだから、首だけで周囲というか左右を見渡してるだけだけど。
まだすぐに起き出す気にはならなかったから。
もう、驚きもない
でもだからこそ、また訪れてしまった事実に、驚いた。
もうお馴染みとなった、青と白の二色だけで構成された世界。
青い空。
白い雲。
そして、不自然なほど静かなプラットフォーム。
ここだけ見ていると普通の、わたしたちのいた世界と変わらない。
手を付き出して空を遮る。
隙間からこぼれる光が少し眩しい。
でも、刺すような暑さは感じない。
むしろ心地いいぐらいで。
昼に見るほのかな月明りのよう。
そんなことは現実にありえないのに、ここではこれが普通だった。
ずっと変わらない天気と時間。
どこまでも続いて行きそうな線路。
果てなく広い水溜まりも。
この世界そのものが良く知る現実とは違う道理で成り立っているようだった。
そんな不思議な青と白の空間に投げ出されているのに、それが当たり前のように感じてしまうのは。
やっぱり夢だから?
でも、きっとそうじゃない。
分かってる。
あの時だってそう思っていたから。
初めてこの青と白の世界に来たときだって夢じゃないかと疑っていたけど。
結局夢じゃなかった。
現実と言う言葉を使うのも何か違う気もするけど。
でも、また同じ、
「あっ」
視界の先になにかがあった。
それを知ったとき、自然と声が出た。
言葉なんてもう発する意味さえないと思っていたから自分でもちょっと意外に思う。
それぐらい静謐で、止まった世界だったから。
どうするかちょっと考えたけど、結局重い体を持ち上げてそちらの方へと向かう。
立ち上がるだけのものじゃなさそうだったから、四つん這いになりながら。
どうせ大した距離じゃないし、それに誰も見ていないのだから恥ずかしいことなんて何もなかった。
ほら、これ。
それは──小さいもの。
とても小さいものがホームの先に転がっていた。
その大きさは精々木の実程度。
「また、これ」
そう言って拾い上げると、それはそこら中に落ちていた。
小さなかたつむりの殻。
この世界には”殻”はあっても”中身”を見たことはない。
つまり、抜け殻しかないのだここには。
「はぁ」
ある意味では予想通りだったが、それが当たった所で何も意味もない。
そもそも何のためにあるのかが分からないわけだし。
蛍がため息をつくのも仕方がなかった。
開いた手のひらの上にちょこんと乗せてみる。
まざまざと眺めてみても特に変わったところはない普通のかたつむりの殻だった。
少しヒビが入っている以外は。
蛍はちょっと曖昧な笑みを浮かべると、同じように転がっている他の殻に寄り添うよう、掌の中の殻をそっと地面に下ろす。
それから蛍はようやく地面に足をつけて立ち上がった。
けれどまだその場を動こうとはしなかった。
ぼんやりと空を眺めているだけで。
気怠かった。
何もかもが。
だってどうせひとり、ひとりぼっちだから。
恐々後ろを振り向いてみても、誰も立っていない。
ホームのベンチにも誰も座っていなかった。
その事が酷く空しい。
もう歩く意味も、何かを考える意味すらもないと思えるぐらいに。
一人はそれほど嫌いじゃない。
その方が気が楽だったから。
でも一人でいることを望んでいたわけじゃない。
特にこの不思議な世界でひとりでいることは怖いと言うか、ある意味での決定を定義しているようだったから。
「なんで……来ちゃったんだろう、ココに」
後悔しているかのように空に向かって声を飛ばす。
その声は誰にも届かずに、シャボン玉のようにぽつんと浮かんで青い空に消えていった。
どこまでも空は高く、白い雲が広がっていた。
──うしろの正面。
不意にはっとした表情をして蛍は後ろを振り向く。
そこには──誰もいない。
それは当たり前なんだけど、その当たり前の事実に一抹の寂しさを覚えた。
(また、ひとりになってる。あの時のように)
もうすっかり忘れていたこと。
春の頃だっただろうか、小さい頃の他愛もない遊びのこと。
あの
これでこの遊びをやらなくなった時の鬼がわたしだった。
歌が終わってもみんながいつまで経っても、もういいよと言ってくれないから、いい加減自分でももう良いかなって思って振り返ったんだけど。
そうしたら、だれもいなかった。
わたしの後ろには誰も居なかった。
居なくなったのはひとりだけじゃない。
一緒に遊んでいた子も誰一人残らず居なくなっていた。
だから誰の声もしなかったんだとその事がようやく理解できたのはひとりで帰りの道を歩いていたときだった。
置き去りと言うよりきっと仲間はずれ。
どっちも同じような意味だとも思うけど。
こういう事は小さいころは割としょっちゅうだったから、いちいち気にはしなかったが。
(もう、わたしの後ろには誰もいないんだね。あの時のようにみんないなくなって)
こうなることはもっと早くから分かっていた。
少なくともあの異変の後はそうだと思っていたし、紙飛行機を拾った時は殆ど核心を持ってたから。
心がバラバラになるほど辛いことだったけど。
けど、なんで今になって色々思い出してるんだろう。
ずっと小さかった頃の、本当に忘れていたことだったのに。
走馬灯とかそういったアレなのだろうか、死ぬ間際に見ると言われている。
見たらしんじゃう系だったっけ?
その辺の定義はよく分からないけど、もし思い出すのならもう少し、良い思い出がよかったなって思う。
こういった、何とも言えず息苦しさを覚える思い出だけじゃなくて。
例えば友達──ほんとうに仲のいい友達と遊んでいたときのこととか。
(でもそれだと最近のことばかりになっちゃうか……)
悪いことではないと思うけど、それは走馬灯とは何か違う気もする。
直近の思い出ばかりだと何というか、寂しさのような切なさが足りない気がするから。
上手く言えないけど。
(まあ、別にどうでもいいことか、どうせもう遅いんだし)
それでも感傷に浸るのはまだ少し早い気もする。
まだ決定的な”何か”に出会ってない、そう思っているから。
とりあえず蛍は今のこの状況をきちんと確認することにした。
とは言っても取り立てて気にするだけのものは少ないのだけれど。
だって変わっていない、何もかもが。
それはどちらかというと期待外れとも言えた。
目の前に広がる光景は綺麗だけど相変わらずだったし、真新しく光る線路と静まり返ったホームはあの不思議な列車すらももう来ないことを表しているようだった。
だったら何のためにホームがあるのかなんて、既に想像する余地もない。
きっとこの駅は終わりの始まりなんだと思う。
その証拠にこの世界ではいつもここから始まっていた。
ある意味ではプラットフォームらしいとも言えるのだろうけど。
ただ、帰りの電車が中々来ないだけで。
もうずっと来ないかもしれないけども。
「また、この制服着てるんだ」
ローファーの靴先やスカートがちらちら見えるからやっぱりとは思ったけど。
どうやらまた制服姿みたいだ。
中学の時のではなく高校の時の。
あの時と同じまんまのように。
もう……この事にもいちいち驚かなくなっていた。
二回目だったし。
せいぜい裸よりはマシぐらいの感覚。
それぐらいずっと着ているけどやっぱりまだ可愛いとは思ってる。
もう少ししたら着ることもなくなったんだろうけど。
「じゃあ、やっぱり……あるよね。あれも」
蛍はその方向に目を向ける。
嫌というわけではないけど、そこに行くしかないようだった。
プラットフォームの脇に建つ、あの建物に。
”青いドアの家”。
それは普通にそこにあった。
変わらない姿と言いたいが……ちょっと前に来た時とは何も変わっていないようにみえる。
前の家と比べて大分”ましかく”になったけど、それでもこの世界とは不釣り合いな普通の家。
でも玄関のドアは前のように鮮やかな”青いまま”だったから、”青いドアの家”だ。
そこは変わらないままであったからその呼び名も変わることはなかった。
友達がつけた名前だったし、本当に素敵な名前だったから。
(きっと、青いドアの家に行ってみるしかないんだね)
誰に言うわけではなく蛍は胸の内でそっとつぶやくと、そうすることが当たり前のように青いドアの家へと向かう。
どうせ
どちらともどこまでも続いているような気もするから。
だったら、先ずは知っている場所から向かうのが無難だ。
どちらにしてももう、戻ってくることなどはなさそうだし。
(だったら、何か残して置けばよかった)
前にそのようなことを書いたのだけれど、それはいつの間にかどこかへいってしまったし、こんなことになるのならもう一度用意しておけばよかった。
身内も親戚ももう誰もいないけど、せめて好きな人たちには何か残してあげたい。
特に大好きな、友達には。
蛍はそんな、今更どうにも出来ないことにぶつぶつと頭を悩ませながら、何も来ない線路の上をひとりで歩いた。
……
……
……
「……やっぱり誰も、いるはずない、よね?」
分かりきっている事を言い聞かせるようにつぶやきながら蛍は青いドアの家の玄関まで戻ってきていた。
良くないことなのは分かっていてもそれでも気になるのか、勝手に外の窓から中を覗いていた。
”新しくなった”青いドアの家はやはり普通の建売住宅のような形をしていた。
ただ、どちらかというと少し角ばったデザインになっていて、そこに引き出しの様な小さな窓が幾つも壁に張り付いている。
それはサイコロのような奇妙な外観であったし、針の無い時計のようにも見えた。
時間という概念が消失したこの世界で時計の名を出すのは何か変というかおかしいことのようにも思えるが。
ちょっとモダンで瀟洒な感じの住宅になっていた。
どの道、この少し変わった家に入るしかないことに変わりはないのだが、それでもやはり家の中がどうなっているのか気になってしまう。
もしかしたらと言うこともあるし、限りなくない可能性だけど希望的なものはまだ残っていると信じたい。
それこそ薄い可能性だけれど。
それでも、玄関のドアを開けて中を確認するまでは様々な推測をすることができる。
こういうことを、猫で例えた有名な理論があるんだったっけ。
そうは言っても、このまま想像だけしていても何にも特にもならないし、引き返す場所もその方法もない。
(やっぱり入ってみるしかない。誰もいなくても)
蛍は胸の前できゅっと拳をつくると、覚悟を決めたようにひとり大きく頷いてみせた。
「大丈夫……」
自分に言い聞かせた言葉なのに、まるで他人事のように聞こえる。
頭では理解しているけど、まだどこか判然としないのは夢の中にいるような未だ微睡んだ感じが抜けきっていないから。
ここに来るといつもそうだった。
まるで、
その事に慣れているのかいないのか、自分でもそれがよく分からない。
あれからずっと夢と現実の境が曖昧のままでいるし。
こんな事を考えていること自体が今更なんだろうけれど。
例えば、瞼を開ければいつもの日常が始まって、燐と一緒に残り少ない夏休みを満喫する。
そんないつもと同じなんだけど、真新しくて特別な日常。
それを、まだ心のどこかで願っているから──。
もう、あり得ないことだと分かっているはずなのに。
そんな当たりのことを、青い空の雲の向こうに思い描いていた。
───
───
───
「う~ん」
覚悟は決まった。
そのはずだったのだが。
蛍はいまだ青いドアの家には入っておらず、玄関前でうんうんと唸りながら、無意味に行ったり来たりを繰り返していた。
(家に入るしかないのは分かってるもん)
そう分かっているのにどうしても踏ん切りがつかない。
一応チャイムは鳴らしてある、家の中からの応答はないけど。
それは何度鳴らしても同じで。
だからこの家には誰もいない……かどうかはまだ、分からない。
普通の家ならば大体がそうなのだろうけど、この家にはそれが当てはまらないことは分かっているから。
だからこそまだ考えてしまう。
もう後戻りできない事は嫌というほど分かっているのに、それでも踏ん切りがつかない。
(まだ期待してるんだわたし……来てくれるのを)
でも、一体誰がこんな場所に来てくれるのだろう。
こんな何もない無味乾燥な世界に。
「………」
蛍は下唇を噛んだ。
言葉にしなければ、脳裏に思い浮かべなければ。
そんな無意味な努力をするためだけに。
そうなる事など絶対にないだろうと分かっているのに。
呼べば来てくれるなんて、そんな漫画みたいな都合のいいことはない。
むしろ彼女なら向こうから声を掛けてくれるだろう。
自分と違ってしっかり者だし、何でもできるし。
自分で想像しておきながらとても馬鹿らしくなってしまった。
あり得ない想像に縋ったって、ただ虚しくなるだけ。
それに、もし来ていたとしても、今はむしろ会いたくはなかった。
多分、二人だって同じ。
何も変わらないだろうと思ったから。
「……」
でも、きっと逆。
けどそれを一度口にしてしまったらきっとこのドアをもう開けなくなってしまう。
何もしなくてもいい。
ただ傍にいて、見ているだけでいいから、なんて。
そんな想像すらしてはいけないと思ってる。
彼女があの時電車に乗らなかったのは多分そういうことなんだ。
(わたしの……)
蛍は目線を上にあげる。
澄み渡った青空みたいな友達の笑顔を空に思い浮かべた。
(わたしの、決断が早いと思っているのなら、それは勘違い……だから)
実際は何も考えていないだけ。
結果を考えていないから直ぐに決断してしまうだけ。
たぶん、せっかちなだけなんだと思う。
その癖、いざという時はこうして迷いを見せている。
結局流されてきただけだった。
楽観的と言うよりも、ただ物事に無関心なだけ。
無関心でいられたから決断だって早いし、何ももってなくとも平気だった。
(じゃあ、わたしが今迷っているのは?)
自分のことなのに決められない。
むしろ自分のことだからなのかも。
誰かがいるとかいないとかではなく、きっとこのドアを開けたら、もう二度とこの家から出られないだろうと。
それが分かってるからこのドアが開けられない。
開けるしかなくとも。
それは初めてここに来て、この家を世界を見た時から感じていたこと。
心の奥底でこうなる予感と言うか覚えのような違和感あったから。
それがきっと”マヨヒガ”。
向こうの、形だけのものなどではなく、本当の意味でのマヨヒガ。
もう二度と出られないという意味での迷い家がここなんだ。
(そうだよね。わたしはここにずっといるんだ。次の座敷童が来るまでずっと……)
その次がまだあるのかは分からないが、きっとみんなそうだった。
「……大丈夫……よ」
と、声がした。
それはどこからのものか、蛍はたまらず困惑の声を上げた。
「燐!? 燐、なのっ!?」
思わず振り向いて声を上げてしまったけれど。
そこには誰もいない。
周りはただ静かなままで。
遠くに見える水平線の先にもプラットフォームの影にも何の人影も気配もなかった。
まるで声が蛍の幻聴であったかのように静まり返っている。
けど確かに聞こえた。
紛れもなく人の声で。
(あの声、もしかして)
身を固くして蛍は戸惑いの顔を見せる。
まさかだとは思う。
だってあれからその姿を蛍は一度も見ていないわけだし。
でも……懐かしい声の様な気がした。
「ドアを開けて……入ってらっしゃい」
また声がした。
今度はさっきよりハッキリと聞こえる。
それはどこからかと言うよりも直接頭から響いてくる感じで。
でも、その言葉からするとやはりこの家の、青いドアの内側からだと思う。
誰かがこちらを見ている……と言うわけではないのだろう。
この世界では。
(だったら、やっぱり……!)
期待していた人ではなかったけれど。
それでも自分以外の誰かの声が聞こえてくることに安堵してしまう。
それはあまりにも音のしない世界だったから。
閑散いうよりも時が止まっている。
そんな世界だったから、ちょっと安心した。
(やっぱり、”オオモト様”……?)
前に来た時は出会わなかったけどきっとそうだろう。
よく考えてみたらそれ以外はないと言ってもよかった。
でもその事は蛍にある事実を告げていることになる。
だから必要以上に戸惑いを隠せないのだけれど。
(でも……呼んでいる、わたしのことを)
青いドアの家。
その家自体が蛍を呼んでいると言ってもそんなに間違いでもないだろう。
言葉を濁す様な事を表現をしていたけど、きっとここはあの人の家だと思っているし。
それが今もっとも納得のいく答えだったから。
蛍はぐっと生唾を呑み込むと、覚悟を決めたように玄関の前に立つ。
空よりも鮮やかな青の扉の前へと。
「どの道開けるしかないんだよね」
意思を問うように言葉を投げかけると、深呼吸してドアノブに手を掛けた。
自分でもおかしいぐらいに落ちついていた。
少し前に動揺していたのは何だったかと思うぐらいに。
力強くドアノブを握っていた。
あの”一瞬で全てが理解出来たとき”みたいに穏やかな気持ちで。
それは、声に促されただけではない。
選択肢なんて概念はもうない、そう思ったら急に気が楽になった。
怖いなんて感情はもう蛍のどこにもなかった。
僅かな音をたてて青いドアが開いていく。
あまりの軽さに開けている感覚がなかった。
(ほんとうに求めているものがこの中にある……)
それはきっと形になるものじゃない。
でも大切な、ずっと心から求めていたもの。
”わたしの幸せを形作るもの”。
蛍は想いと共にドアを開け放つ。
(燐っ……)
全てが開かれると同時に思わず目をつぶってしまった。
鍵はもうない。
縛り付ける鎖さえも。
だからもう二度と出られなくとも構わなかった。
けど、叶うならあなたに会いたい。
たった一つ。
たったそれだけの願いを込めて。
「……」
何も言葉にはできなかった。
家の中は外と変わらず静まり返ったままで、誰の出迎えももてなしもなかった。
声の人の姿も。
まあ、期待はしていなかったから驚きはなかったけど。
蛍は早々に靴を脱ぎ揃えて、家の中へと入った。
向かうのはもちろんリビング。
そこにしか行くべきところはなかったから。
玄関の棚には犬と猿、そして少女を形どった土鈴が理由もなしに並べてあった。
蛍はそれを横目でちらりと見やっただけで何の表情も見せず、これまで無かったと思われるスリッパに足を通す。
その事にも特に疑問は湧かず、パタパタと当然のように足を鳴らして玄関を抜けていった。
リビングのドアを開ける。
家が変わってもやることは一緒。
だからまず部屋に入って声を出した。
「お邪魔します」
何とも順序が逆になってしまったが、それでも何か一言入れて置きたかった。
けれど、中には誰もいない。
まるで新品のように見える数々の調度品だけが突然の来客の訪問を出迎えていた。
つまり、この家は。
「誰も、いない……」
ソファやテーブル、薄型のテレビとキッチン。
配置や物は変わっていても生活様式というか、モノぞろえに変化はなかった。
生活感がまるで感じられない点も一緒。
けれど、きっとそれは関係がないと思った。
”全て終わった後みたい”
確かにあの時はそう思った、でも今のこの家は外観も内装も全て違っている。
終わったと言うよりも新しい生活が始まったような。
そんな真新しさを感じたのだけど。
蛍の遥か頭上の天井で空気を巡廻させるための小さな風車がひとりでに音も立てずくるくると回っている。
この動いていない世界で空気を回す意味があるのかは分からないが、その事でちゃんと電気が通っていることはわかった。
さっきの声の主もここにはいない。
明らかにあの人の声だと思っていたのだったが。
「燐……」
蛍はまた友達の名前を呼んでいた。
その声は静かなリビングの中の唯一の音となったが、声は当然届かず虚しくリビングの壁に消えていった。
他の部屋を当たろうか少し迷いを見せた蛍だったが、テーブルの上のリモコンが目に入ると、藁をもつかむ思いで手に取ってスイッチを入れる。
パッと画面が映り、白い大地の上を走る列車からの映像が映し出される。
またこの映像だったので、蛍は一瞬記憶があの頃と曖昧になったのかと思った。
繰り返し流れる映像は、あの三日間の出来事を繰り返しているかのように思えたから。
(……そうじゃなくて)
確か、何度かチャンネルを切り替えると、向こうの世界が見えたはず。
蛍は一目でいいから向こうにいるはずの燐の姿をその目に収めたいと思い、出鱈目にチャンネルを切り替えていこうとしたのだったが、そうする前に指が動きを止めていた。
──いつの間に、来ていたのだろう。
さっきまで誰も座っていなかったソファに女性が腰かけていた。
柔和な顔でこちらを見て微笑んでいた。
不思議な柄の着物を着て、艶やかな黒髪を長く伸ばし、手には鮮やかな手毬……。
蛍は驚いて声も出なかった。
それは、知っていたから。
知っているのになぜ驚いたかと言えば、それは変わってなかったから。
あれから時が経っても
「お久しぶり、と言ったほうがいいかしら。それとも、お帰りなさい?」
小首を傾げて微笑むその人の長い黒髪に白い光が流れるように落ちていた。
真夏にみる陽炎みたいに現実感がなかった。
でもその人は、はにかみながら佇んでいる。
柔らかい上品な物腰で、手には大事そうに毬を支えながら。
「それとも」
その人は手毬で口元を隠して内緒話をするようにこう続けた。
蛍は目を大きく見開いて凍り付いた。
それは耳を疑うほど衝撃的な告白だったから。
「”初めまして”、の方がいいのかしら」
明らかにその人なのに、何故そんなことを言うのか。
その真意は蛍には分からなかった。
ただハッキリしていることは。
この人は”オオモト様”で、蛍と同じ”座敷童”ということ。
それも最初の座敷童として幸運を町に呼んだ人だった。
蛍はまだ、言葉を忘れて彫像のように固まっていた。
ただそれはショックと言うよりも、もっと深い琴線のようなものが蛍の内側に波紋のように広がっていたせいからだった。
「あの、
久しぶりに再会したその人にどういった言葉を作っていけば良いのか。
蛍にはそれが良く分からず、とりあえず思いつくままの言葉を適当に並べていた。
「どうぞ」
困惑の顔を浮かべる蛍をよそに、”オオモト様”は今淹れたばかりのお茶をテーブルの上にそっと置いた。
オオモト様の前にもお茶が置かれる。
白いテーブルの上に湯気の立つ湯呑みが二つ、向かい合わせに置かれた。
それはどうみても淹れたてのお茶、にしか見えない。
他にどう見えると言うことではないのだが。
目の前のお茶からは白い湯気が立っている。
新緑の香りを含んだ青々とした匂いが今にも漂ってくるようだった。
それは、普通ならば。
蛍はテーブルを挟んで、”オオモト様”と向かい合っていた。
何か会話の糸口を探ろうと蛍が視線を泳がせていると、オオモト様はキッチンへと行き、さっさとお茶の準備をしてしまったのだ。
さすがに遠慮した蛍だったが、オオモト様にやんわり断られるとそれ以上は何も言えなくなってしまう。
それでもただ黙って待っているだけなのも悪い気がして、何か共通の話題になりそうなことを話してみたのだけれど。
それはどうやら蛍には難しい案件だったようだった。
ただこうして向かう合うだけでも緊張するのに、話題を提供するなんてことは。
(変な子って思われてないかな。そういう人じゃないと思ってるけど)
軽く自己嫌悪に陥っている内にオオモト様がお茶を持ってきてくれたのだったんだけど。
「さあ、どうぞ。冷めないうちにお上がんなさい」
「あ、はい……」
促されて返事をしてしまったのだったが。
こういったやり取りは確か前にもあった、その時だってこうしてオオモト様にお茶を勧めらえたのだけれど。
「ええっと……」
その時の事をつい思い出してしまった蛍は、すぐに湯飲みには手を付けずにばつが悪そうに俯いてしまった。
苦いというか何とも気まずい感じだったから。
あの時は。
「?」
どうしたの?
そう尋ねるように頬に手をあてて首を傾げるオオモト様。
その所作も自然で美しい。
そんな事をぼんやりと思いながらも、蛍は小さな唇に手をやってどうしたものか思案していた。
多分だけど今回も何も感じないのではと思ってるから。
でもわざわざ淹れてくれたのに流石にこのままなのは悪いとは思い、蛍は意を決して湯呑みを両手に持ち微笑む。
「えと、いただきます」
「ええ、どうぞ」
蛍がようやく飲む気になったことに安心したのか、オオモト様は待ちかねたように蛍に微笑み返した。
たったそれだけの事なのに胸の内が温かくなる。
この人はいつもこうだった。
悪意がないというか、見かけと違って子供みたいに無邪気な人だったから。
(今度は、分かるといいけど)
そう願いながら淡い緑色の液体を蛍は口に含む。
湯気はまだ微かに上がっていたがそこまでは熱くない。
むしろ丁度いい熱さ。
これなら、舌がどうにかなってさえなければ分かるはず。
そう、願った。
「……ごちそうさまでした」
空になった湯呑みをゆっくりとテーブルに置く。
にこっと微笑むオオモト様に蛍は頑張って愛想笑いを浮かべた。
………
……
…
お茶を飲み終えたのはいいが、その後が続かなかった。
オオモト様から何か話があるのかもと僅かに期待したのだったが、そんなことはなく、やはりこちらから何か話しかけないといけないようだった。
けれど、蛍は話をまとめるのに一苦労で。
頭の中で言葉を作っては消すの繰り返しをしていた。
その結果、
望んでいたことではなかったけど、必然的にそうなってしまった。
何も言えなくなった蛍は躊躇いがちにオオモト様の表情を窺い見るも、やはりその表情には何も変化がない。
ちょっと気まずい空気が流れてもオオモト様は特に気にしていないようだった。
(言いたいこと、聞きたいことは山ほどあるはずなのに……)
適切な言葉が出てくれない。
それこそ滝のように言葉が流れ出てくるはずなのに。
何かがつかえとなってその流れを堰き止めていた。
それは柔らかい表情でありながらどこか寄せ付けないようなこの人の所作のせいだろうか。
もうそういった誤解のようなものはこの人との間にはないと分かっていても、そこまですぐ気楽に話しかけられるような関係ではない、そんな気がする。
それに一人だったから。
もし隣に
でもきっとこの人は何でも受け入れてくれる。
それが分かってしまっているからこそ何も言えなかったともいえた。
良いことも悪い事も包み隠さずに言ってしまえる人だったから。
遠慮というか、蛍は傍目にも気の毒なほど委縮してしまっていた。
悪いことをして叱られている子供みたいに。
(何でだろう、オオモト様を目の前にすると)
どうしてだか緊張してしまう。
今すぐにでも取って食われると言うことではないとは思っているけれど。
さっきから手に汗をかいてしまう。
むしろ血縁的にも繋がりのある、ともすれば母なのかもと、そう思っていた人なのに、緊張がどうしても抑えられない。
喋っている時は気にならないのに、一たび黙りこくってしまうとどうしたらいいのか分からなくなってしまう。
穏やかで、柔和な人なのに。
「………」
蛍がモノを思うように瞳を見つめ返しても、
穏やかに微笑んでいるだけ。
目の前にいるのにこんなことを思うのは何だけど、と前置きしながらも。
それは窓というよりも、鏡越しに自分の姿を見つめている気分だった。
(鏡……か)
確かに鏡かもしれない。
それは顔立ちじゃなくてもっと根本的で単純なこと。
それはつまり。
(わたしが、”この人”になるんだ。燐じゃなくて”わたし”が)
どうして燐だけに”会って”、わたしには”会えなかった”のか。
それは簡単なことで。
それは自分自身だったから。
自分は自分に会いに行くことはできない。
だって自分はこの世界にひとりしかいないのだから。
ふたごであったとしても、よく似た顔の人がいたとしてもそれは自分じゃなく他人。
他人と自分は違う存在だから。
でも、鏡を通してなら自分自身に会うことができる。
燐はあの時、地平線の彼方に立ち上る風車を垣間見たと言っていた。
蛍には何も見えなかったのに。
でもそれは、それぞれの思い描く時間の先が違っていたから。
燐は多分目の前のことに注視していた。
そこには過去があり、知るべき現実があった。
蛍は少し先の、自分の進むべき方向を見ていたのだろう。
漠然としすぎていたのか、まだこれといった見通しは立ててなかったようだが。
そして今、その時が来てしまった。
もしかしたらもっと早くこうなるべきだったのかもしれないが、色々な偶然が重なってこんなに遅くなってしまった。
運がいいとも言えるし、悪いとも言えた。
それはきっと燐のおかげではないかと蛍は思っていた。
燐は蛍の名前を呼ぶだけで幸せだと言ってくれていた。
きっとそんな些細なことが自分の存在をここまで繋ぎとめてくれていたのだろう、と。
世界からいなくなっていた時のことを燐は詳しくは話してくれなかったけど、多分そんな他愛のない理由だったんだろうと思っていたから。
やっぱり感謝している。
友達として人間としても、ここまでわたしに関わってくれていたのだから。
何の存在意義もない。
そう思っていたわたしのことを。
「あの、わたし……」
蛍はおずおずと口を開く。
急に話しかけたにも関わらず、オオモト様は嫌な素振りも一片も見せずに蛍の話の続きを促した。
「何かしら」
「わたしは、いつまで座敷童なんでしょうか。前にあなたに言われた時はあと少しだったみたいですけど、まだなんでしょうか。あとわたしは本当に普通になれるんでしょうか?」
問い詰めるかのように話す蛍をオオモト様は黙って受け止める。
この人も本当のところは分かっていないのかもしれない、それでも蛍は聞かずにはいられなかった。
それが分かるのはきっとこの人だけだろうし、もう手遅れなのかもしれないが、真実というか事実は知っておきたかった。
その後の座敷童の末路も。
答えを知っているのはオオモト様だけ。
だから全てを委ねるしかなかった。
何かが起こった後ではあの異変の時みたいに取り返しのつかない事になってしまうことだってあるし。
それにオオモト様からならどんな事実でも受け入れることができる。
そう思っているから。
「辛かった?」
「えっ?」
少し眉を寄せてオオモト様がそう聞き返してきたので、蛍は慌てて訂正した。
「そんなことはなかったです。あれから色々あったけど今でも燐と一緒だし。でも……その、やっぱり真実が知りたいんです。もう戻れないことは十分わかってるから……」
「そうね……」
また二人の間に沈黙が流れる。
オオモト様はじっと蛍の方を眺めていたが、蛍は視線を逸らして何か別のことを考えて込んでいるようだった。
「蛍」
「は、はい!!」
突然名前を呼ばれた蛍はソファから飛び上がらんばかりに驚いて返事をした。
自分でもびっくりするぐらいだったので蛍は急に恥ずかしくなってソファの上でしゅんとなった。
それを見たオオモト様は柔らかく微笑むと、そおっと手を伸ばしてまだ顔を赤くして俯いている蛍の頭に手をそっと乗せた。
そしてぽんぽんと頭を撫でる。
本当に大事なものを愛おしく思うように。
「プラットフォームに行ってごらんなさい。きっとあなたの欲しているものがあるわ」
「それってあの電車ですか? でも電車は……それに、わたしはもう、この家から出られないはず、ですよね」
弱弱しく口を動かす蛍を見てオオモト様はくすりと微笑む。
「この家は蛍、”あなたの家”よ。だから出るのも入るのもあなたの自由。好きなようにするといいわ」
「それってどういう……」
蛍が疑問を聞き返す前に、頭に乗っていたオオモト様の手がすっと引かれる。
それから、つっと立ち上がるとオオモト様は何処かへ行くのかリビングから出て行こうとする。
その前にオオモト様はこちらをもう一度振り返った。
「大丈夫。蛍はわたしにはならないわ。もちろん燐もね」
「それは」
何かを言いかけた蛍だったが、オオモト様は毬を手にしてそのままリビングから出て行ってしまう。
蛍はひとり取り残された気分になって、少し悲しくなったが。
「わたしはいつでも待っているわ、ここで。
そう言い残してぱたんとドアは閉じられた。
蛍は消えて行った扉の先をぽかんと見つめていたが。
「あ、ありがとうございました」
ややあってからぺこりと頭を下げた。
心ここにあらずと言った感じで、蛍はまだ何の思いも湧かなかったけど。
本当に短いやり取りで、まだ頭は混乱している。
だけど、それでもあの人とオオモト様とまた会えて、話せてよかったと思ってる。
本当にそう思えた。
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「本当に来るのかな、電車……」
オオモト様に言われた通りに素直にプラットフォームで待っているのだけれど。
まだ何の列車も駅には来てはいなかった。
結局、蛍が危惧していた事など何でもなかったように青いドアの家から外へ出ることができた。
別段カギが掛かっているわけでもないし、リビングには人が簡単に出られそうな大きなサッシもあるのだから当たり前と言えば当たり前なのかもしれないけど。
しかもそのサッシからは前に燐と一緒に外の濡れ縁に出たことがあるし。
探そうと思えば抜け道なんていくらでもありそうだった。
それでもほっとした。
それは蛍にとって世界の終わりと等しいことだったから。
蛍にとって世界とは燐が隣にいること。
その燐がいなくなったのなら、その世界は終わったことを意味していたから。
それでもわずかな間だけど向こうの”現実の世界”で持ち越えられたのは一縷の望みに掛けたから。
その当てが外れたのならあの世界にもう用事はない、次の世界を探すだけで。
本当にそう思っていたし、実際に実行もしてみたのだけれど。
(結局はただの一人相撲だったんだよね、わたしのやったことって)
思い返してみても確かに恥ずかしいことばかりしていた。
もう少し、ほんの少しだけ我慢していれば物事はもっとスムーズに流れていたのに。
結局ただ無意味に場をかき回していただけ。
周りの人に迷惑をかけながら。
今だってそうだった、もしオオモト様が言ってくれなかったからきっと。
やはりあの声はオオモト様だった。
あの人はまだあの青いドアの家の何処かにいるのだろうか、それとも。
そんなことを考えていると、これまで音がなかった世界に微かな音と振動が流れてくる。
初めてのことじゃない。
これは前にも経験のあることだった。
確かにオオモト様の言った通り、電車が来るみたいだった。
結局、テレビで確認はしなかったけどここに来るのは間違いないらしい。
どうしてそれが分かったのかなんて今更聞きに戻るようなことはしないけど。
それにもうオオモト様には当分会うことはないと思ってるし。
列車はあっと言う間に近づくと、真新しい音を立てながらプラットフォームに滑り込んできた。
前に見た時と同じような緑の電車。
この車両にはやはり見覚えがある。
通学に使っていた車両も確かこれだったし、巨大な水たまりの底で転がっていたのも確かこの車両だった。
少し丸みを帯びた緑を基調にしたレトロな車両。
これがつかわれている路線はもう僅かしかないらしい。
その、もう古い型の車両が目の前に止まった。
行先は当然書いていない。
そして何の前触れもなくドアが開く。
ふしゅう、と音がして金属製のドアが一斉に開いた。
運転席には誰も乗っていない。
にも関わらず扉は開いた。
蛍はちょっと考えたのち、車内へと入り込む。
ちらっと後ろを振り返ったが、そこには当然誰の姿もなかった。
乗るのは蛍ひとり。
そこも同じだった。
蛍は足を踏み入れる。
他の人が乗ってる気配はない。
変わってないなと思った。
何もかもが。
列車のドアはまだ開いている。
例えば何か大事な忘れものがあり、それを取りに行こうとするのならば、きっと簡単に出れるだろう。
それにもし、誰か時間を読み違えて慌ててこの電車に乗るために全速力で走ってくるのならば、ぎりぎりだが間に合いそうな気がする。
それぐらい自然な情景。
肝心なものはないけど、それでもよくある夏の日にありがちな爽やかさと切なさがここにはあった。
「……ん」
小さなため息を一つこぼすと、誰かを待っているかのように、蛍は物憂げに扉の外を見つめながら長い髪をくるくると指で回していた。
誰かが本当に乗ってくるなんて、そんな事は考えてなかったけど。
でも何かを待っていた。
それに何の意味もないことは分かってはいても。
「あ」
到着したときと同じように何の前触れもなくドアが閉まる。
せっかちと言うか今回も。
ブザーもベルも慣らさず唐突に。
それは確かに驚いたのだったが、それ以外の感情は蛍の中には湧きあがらなかった。
諦めと言うよりも、そうなんだろうなと思っていたから。
むしろこうなることが分かっていたからこそ乗り込んだようなものだった。
ただ、やっぱり何らかの音が無いのは少し寂しいというか。
「普通に危ないよね」
もう誰も乗らないから関係ないんだろうけど。
途中下車なんてこの列車には多分ないんだし。
次に止まる所が終点だろう。
その先にはもうきっと線路はない。
終点まで行ったら今度こそ戻れないだろうと、そう思っていた。
でも、もう決めたことだから。
オオモト様はそう言ってくれたけど、多分、気休め程度の事だろうと思う。
悪気とかそういうのとは違うと思うけど。
あの人にはそういうのはないんだきっと、この世界のように。
良いも悪いもない。
ただ、綺麗なだけ。
(燐も、それが分かっていたんだね、きっと)
燐は”分かっていたから”乗らなかった。
蛍は”分かってなかったから”乗った。
二人ともそれぞれ違う。
でも、結局は同じことをしていた。
ただ、ほんの少しだけ気を遣いすぎていただけ、お互いに。
たった”ほんの少し”があのような事になっただけだから。
だからもう気にしていない。
それは二人とも多分同じ。
これだって仕方がないことで、きっと、きっとみんなこうしてきたんだ。
この世界へ来て、あの人と会いそして。
行先のない列車に乗る。
時刻表も切符もないのは当然の事だった。
だってもう決まっていたことだったから。
ガタンと小さく揺れて列車が動きだした。
蛍はまだ座席には座らずに小さいガラスに切り取られた流れる景色を眺めていた。
プラットフォーム脇の青いドアの家も列車の動きに合わせてゆっくりと視界の外へと消えていく。
窓からはその人影は見えなかったが、それでよかった。
もう一度あの人の姿を見たら今度こそ感情を抑えられそうにないだろうから。
これで良かったんだ……きっと全てが。
一度動き出した電車は止まることなく、白いホームの横を進みだす。
これからどうなるのかなんて、もう考えることもないだろう。
その必要はなくなったと思うから。
蛍は今更に車内を見渡す。
小綺麗だけど、ただ座席があるだけ。
やはり広告もつり革もない。
それでも窓はあるからどうしてもという時は飛び降りる事だってできるが、はたして今それが出来るだろうか。
燐が必死になってホームを追いかけて来てくれたときだって、自分から外へ飛び降りようとしなかったのに。
怖かった?
きっとそれはスピードとか高さとかではなく。
拒絶されることを恐れていたんだと思う。
そうすることがあの時の彼女の本意だと……思っていたから。
ふと思い立った蛍は、あの時のように座席に膝をついていた。
誰も追いかけてくるわけがない、それは分かっている。
だけど。
考えるより先に窓に手を掛けていた。
「ううーんっ」
重い。
と言うか固い。
とても蛍のひとりの力では開きそうになかった。
ハンドルみたいなものは一応付いているから構造的に開くとは思うのだが、どんなに力を込めて持ち上げようとしても四角い窓はうんともすんともしなかった。
あの時は自分で思っていたよりも確か簡単に開いたはず。
ならばもう開く必要がないということなのだろうか。
どちらにせよ気晴らしに外の風を送り込むことも、勝手に出ていくことも叶わなくなった。
全ての窓を試してはいないが、恐らくそうなんではないかと思う。
けれどそこまで悲しくはない、きっとこれだって自分が選んだことだから。
偶然ではなく、きっと必然。
流されるままに生きてきた自分の姿なのだからと。
妙に納得できていた。
そう、先に進むにしても結局中途半端で、何かを得ようと尽力することなく、流されるままの自分自身の結果。
その末路といっても過言ではない。
座敷童であると知らされてもそれを変えようともせず、あるがままを受け入れられなかった、自分が選んだ結果なのだからと。
「──そうじゃなくて」
「えっ」
もう窓の事はどうでもよくて普通に座ろうとしたのだった、蛍は。
でも。
その小さな手を支えるものがいた。
同じように温かくて小さな手で。
気配というか、そう言ったものはついさっきまで微塵も感じなかったのに。
今はぴったりと寄り添うように傍にいる。
息づかいさえまるで本物のように。
普通に自然にそこにいた。
あまりにも普通過ぎるから逆に違和感を感じなかったほどで、奇妙というよりも何だか安堵してしまう。
当たり前すぎたから。
蛍は急に自分の発している匂いのことが気になり、何を思ったのか息を止めていた。
それで匂いがどうなるわけではないが、近くで嗅がれなければいいなと思い、胸をどきどきとさせていた。
「”願うことは無意味じゃない”。そう言ってたでしょ」
確かに聞いたことがある
それを耳元で囁かれる。
少しこそばゆかったけど。
それは近いからだけじゃなくて。
「開けるのか、開けられるとかじゃなくてね。これは開く窓って思えばいいだけなの。例えばほら、あのっ”Open Sesame!!”みたいな感じで」
乗り込んだときは誰の人影も見えなかったから、”違う車両から入ってきた”のではないかと思っている。
それでもまだ全然理由には足りないけど。
「じゃあ行くよ?」
どうやら同時に力を入れて開けるらしい。
蛍はまだ息を止めているのでこくんと頷いただけだった。
掛け声もなしに同じタイミングで力を込める。
そんなこと普通は出来ない。
でもそれが親しいもの同士だったら?
もし、あの転車台でもこんな感じで一緒に動かしていたら……なんて思うこともあるけど、それでも結果は変わらなかっただろうか。
「せーのっ」
電車の窓はすっと──簡単に上に開いた。
まるで力を掛ける必要なくあっさりと、それこそ自動で開いてくれたみたいに。
そこから見える景色はまるで──。
「ひゃぁぁぁ!」
「わふっっ!?」
窓が開くと同時にぶわぁっと、車内に風が巻き上がる。
少女達の長い髪がちりぢりになり、風の上に舞い上がった。
まるで互いの思いを絡みつかせるみたいに。
これまで溜めていた感情を吐き出すように蛍は大きく息を吐いた。
”燐”はどちらともつかない髪をかき分けながら、急に暗くなった視界を何とかしようともがいていた。
「何で、こんなに風が強いのよっ!!」
そう叫んで燐は開けたばかりの窓を一気に閉めてしまった。
騒がしかった車内が一瞬で元に戻る。
静まり返った列車の車両にはふたりの少女だけが取り残されていた。
蛍はしばらく呆然としていたが、外の景色をみて驚愕した。
「見て、燐! 海が広がってる」
蛍に言われて燐が窓の外の景色に目を移す。
確かにそこは周りは一面の海。
それは二人が見ている片側からの景色だけではなく、車両の両側に広がっていた。
どこまでも続く水平線の上を列車が走っていたのだった。
それは海ではなく恐らく水溜まりだろうが余りにも広大だったから蛍が海と錯覚してしまうのも無理なかった。
その中を二人とも泳ぐと言うか歩いたこともあったのだが。
「線路の先ってこうなってたんだ」
燐が目を丸くしながら感心したようにつぶやく。
蛍はまだ口を開けたまま景色に目をやっていた。
水溜まりの上を列車が走っているという事実。
何とも不思議で非現実的な光景だったが、その下にはちゃんと線路はあるみたいで普通に枕木も引いてあった。
誰がやったのかなんて考えなければそれなりに理に適っているかもといえるが、それでもやっぱりあり得ない光景。
それは、水の上を渡った先に何があるのかなんて想像もつかないからだろう。
(あれは違うよね、きっと)
蛍は前に燐と一緒に水中を歩いた時に、偶然見つけた錆びてボロボロになった電車の一部を見つけたことをつい思い出していた。
あれがこの列車の、線路の先の行きつくところなんだろうか。
それだったらこの列車は。
「どうしたの、蛍ちゃん」
「あ、ううん。何でもないよ」
悪い想像をしても仕方がない、蛍はまた頑張って笑顔を作った。
………
………
………
「それにしても驚いちゃったよ。燐がここにいるなんて」
ようやく落ち着いたのか、二人は並んで座席に腰かけていた。
燐も蛍も制服姿のまま長いシートの上で揺られていた。
穏やかに座席に並んで会話している姿は、これから通学もしくは下校の学生の様に見えるだろう。
それぐらい二人にはもう当たり前の光景だったから。
それが”青いドアの家の世界”の列車での車内でなければの話だが。
「最初からここにいたの?」
蛍はとりあえず聞きたかったことを燐に尋ねた。
「えっと、わたしは確かに電車の中にいたけど……いまいちよく分からないんだよね。気が付いたら蛍ちゃんが窓を開けようとしてたみたいだったから」
「だから、手伝ってくれた」
「うん」
燐も自分で釈然としないのか、何度も首を捻りながら起きる前の事を思い出そうとしていた。
腕を組んで必死になっている燐を見て、蛍はおかしくなって笑みをこぼした。
悩む燐を見ていたら自分の葛藤が急に馬鹿らしくなった。
「もう、いいよ、燐。それより」
「ん?」
「”おはよう”」
この世界に朝なんてものは訪れないだろう。
けれどそう、燐に挨拶したくなった。
だって前まではずっとそうしてきたから。
何だか懐かしく思えるほどに。
「うん、おはよう」
ちょっと驚いた感じをみせた燐だったが、笑顔で返してくれた。
二人とも風に煽られたせいでまだ髪はぼさぼさで、なんだか寝起きみたいにみえるけれど。
時間さえ、季節なんてそれこそ感じ取ることのない閉ざされた世界で。
なぜだろう。
それまでしなかった夏の香りを急に感じとったのは。
きっと、どこまでも二人一緒だったからそう思ったのかもしれない。
純粋に、どこまでも純粋だったから。
夏に似たこの世界が永遠であることを願っていた。
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◎FANZAのスプリングセールで青い空のカミュがゴールデンウイーク明けの5月9日まで50%セールになっております~。
今更ですが、私が二次創作までしてしまうほどの大好きな作品ですので長期休みのこの機会に是非プレイしてください~。
さてさて、ようやく三回目のワクチン接種も終わったのですがぁぁ、副反応結構きつかったですーー!!五か月振りだから大丈夫でしょーみたいなことを言われたけどそーでもなかったなぁ。コロナと副反応との戦いに終わりはあるのかっ!? 乞うご期待ですねーー。
★アウトドアアニメー。
ヤマノススメはまさかの高尾山スタンプラリーだし、ゆるキャン△は劇場版関連でグッズが出たりイベントいっぱいだったりと、アウトドア系アニメの動きが最近活発になってますねー。
あ、ちなみにスローループも見ておりましたよー。原作の時点で好きな作品でしたし。ゆるキャン△アンソロジーに作者様が書いていた時も特段上手い印象がありましたしねー。
で、ゆるキャン△シーズン2が再放送してたのでまた最初から見てますよー。けど、どうしても2話の”あのシーン”が気になってしまうんですよーー”木”だけにーー!
そしてなぜだか今更になって3話でなでしこが食べていたうなパイが気になってしまったので、たまたま近所のイオンで売られていた本家うなぎパイを買ってみました。普通のとミニしかなかったので、滅多に買うことのないミニを購入してみました。
ミニはその通り小さいサイズなのに値段が普通サイズとそんなに違わないので、ちょっと割高感がありますねぇ。ナッツと蜂蜜のせいですかねー。
ちなみにゆるキャン△とのコラボ商品”うなうなパイ”が本家から最近発売されたみたいですが、これはパッケージも原作そのままのこだわり商品なんですよねー。それはまあ売っている場所も限定されてますし、それに人気で手に入りそうにないので、今はミニサイズで楽しみますー。
でも、ミニってうなぎっぽい形じゃないからただのパイにしか見えない……。
でもっ、うなパイミニでもウマーー。
蜂蜜とナッツでプレーンに飽きた人もウマーで食べられると思いますー。ちょっと小さいけども。
それではではー。