We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life. 作:Towelie
かつて、この町での林業が栄えていた頃。
切った材木を運ぶために森林鉄道が走っていたレールの上に出来た緑のトンネル。
それは、もう随分と前に使われなくなってしまったけど、今でも山中の奥に残っていた。
だが、それを知るものはもういない。
何故かすっぽりと消えてなくなっていた。
その痕跡も記憶も一切合切を含めて。
そんな、誰の記憶からも無くなったと思った場所に少女が一人で駆けている。
何の為かなんてことは一切頭に浮かんでいないみたいに、真っ直ぐに前だけを見ながら、細かな砂利を蹴り上げて走っていた。
だが、少女がいくら走っても、そのレールはどこまでも続いているように見えた。
それはまるで別の世界までも続いているみたいに、果てのないものに感じられていた。
「はぁっ、はぁっ」
もうずいぶん前に廃線となっていて、そして一度歩いたことのある所なのに、何でこんなに延々と、どこまでも続いている気になってしまうのかと。
素朴な疑問が、頭をもたげてしまう。
このまま進んで行けば本当に。
本当にまた、会うことが出来るのだろうか。
流石に不安になってくる。
疲労のようなものはまだその表情には浮かんでこないが、湧きあがる焦燥感はずっと収まる気配はない。
それどころか進むたびに嫌な感じが強くなってくる。
でも、まだ動けているから良かった。
山の峠でみた、そびえ立つ緑の壁に遭遇した時の打ちひしがれた思いほどの絶望はまだ感じていないから。
だからまだ、一歩でも前に進むことだけを考えていられる。
この先のことなんて、何も考えていないで走れるから。
「はっ、はっ、はっ」
燐は、自分の体力の限界まで走るつもりでいた。
いや、その限界を超えてまでも。
例えこれで全てが終わったしても後悔なんかはない。
分かっていたことだから。
だって──それが本当の望み、なんだから。
けど、それはちゃんと蛍と会えた場合の話だ。
もう二度と会うことが出来なければやっぱり後悔してしまうだろうと思う。
望みのないまま走り続けるのは流石に困難だったから。
燐は懸命に腕を振り足を前に動かす。
澱み切ったノイズに気持ちがブレないよう、ひたすら無心に。
そんな時だった。
「んっ、わあっ!?」
カラン。
何かが靴の爪先に触れて、足元をそこまで気にしていなかった燐はつんのめって転びそうになった。
廃線後のレールを辿るのにもようやく慣れてきた時のことだった。
前ばかり見ていたせいもあったのかもしれない。
つまずいた拍子に、その”何か”を蹴っ飛ばしてしまった。
「わわわっ、ととっ!」
燐は咄嗟に両手でバランスを取ると、ステップを踏むようにぴょんと飛び上がってレールの上に両足をとんと乗せた。
間一髪の所で派手に転ばずには済んだのだったが。
「はぁ~、びっくりしたぁ! 何か、変なのに蹴躓いちゃった」
とりあえずの安堵の声を上げた燐はその対象を目で確認すべく周りを見渡す。
何か固いものを蹴ったような感触が靴の先にあったから、何かあったのは間違いないだろう。
それが”何なのか”が問題だった。
ちょっと軽めの感触があったから、まさかとは思うが。
「わたしの、時計じゃないよね……?」
恐る恐ると言った感じで燐は呟く。
もしそれが本当に自分が残した腕時計ならば、この廃線跡のトンネルは同じところをループしているということになってしまう。
それは一番恐れていた事態だ。
何らかの妨害があったりした方がまだ良くて、むしろそれは確信に近づいている証拠にすらなる。
だがこのトンネルの中が本当にループしているとなると話は別だ。
それはどこまで行っても出口なんかは無く、同じところをぐるぐると回り続けているだけという事になってしまう。
まるで”
良くある、迷いの森に実際に自分がいるなんてことになったら……それこそ、絶対に想像したくはない事だ。
かと言ってこのままスルーするなんてすることは出来ない。
どっちにしたって意味のないことだし。
それにもし、この道が歪んだルートを描いているのなら何か、対策なりを講じなくてはならないだろうし。
抜け道を探すとか、或いは何かのギミックみたいなのを解く必要がある、とか。
そんな都合のいいものが見つかるとは到底思えないが。
ともかく。
燐は、見たくないものを見るみたいに大きな目を皿のようにして、砂利や枕木の裏側などの隅々にまで目をくばった。
「あ! もしかして、あれ、かな」
レールとの間に挟まるようにあった”それ”を燐は発見すると、ぴょんぴょんとレールの上を器用に渡りながら近付いていく。
それは残していた腕時計なんかではなく、細長い棒状のようなものであったので、とりあえず燐はほっと胸を撫で下ろしたのだが。
「これ。鉄パイプだ……」
どうみてもそうとしか見えない。
レールの上に足を乗せながら、燐は転がっていた鉄の棒を手に取ってみた。
手ごろな長さの棒はやはり金属製で見たまんまそうだった。
「何で、こんな所に?」
小さく呟いて首を捻る。
何ともいえない違和感があった。
よく似たものを知っていたから燐は複雑な顔をしてその鉄の棒を眺める。
そしてその鉄パイプにはもう一つ変わったところがあった。
「でも、これ……折れてるよね?」
金属製のパイプはちょうど中ほどの所から無残にも”くの字”に折れ曲がっていた。
余程強い力で折り曲げられてしまったのか、見かけよりも強度のある鉄のパイプがまるで飴細工のようにぐにゃりと曲がっている。
これはちょっとやそっとじゃ元に戻せるようなものじゃない。
少なくとも燐ひとりの力では到底無理な代物だった。
しかし、こうなると……この鉄パイプは本当に何の役には立たない。
いくら曲がっているからと言って、ブーメランなんかにはできるはずもないはずだし。
「これって、わたしのせい……じゃないよね? 流石に」
つい無意識に辺りを窺ってしまった。
そこまで強い力で蹴ったつもりはない、と思う。
体重だってそんなに、かかっていない……はず。
ちょっとつまずいた拍子に、蹴とばしたぐらいだった気がしたから。
言い訳ばかり並べてしまうけど。
「けど、何でこんなところにあったんだろ」
一目見た時から感じてたこと。
ここには工事のときに建てられたプレハブ小屋や、山を切り開いたような場所は今の所ない。
列車から落ちたということでもないだろう。
ここのレールはもうずいぶんと前に使われていないものだし、そこで走っていた森林鉄道の列車も”余程のことでもない限り”走ることはないのだから。
それにさっきみたいに何かの拍子で転がってきたのだとしても、それを置いてあった場所は少なくとも周りにはなかった。
それに。
何で、こんな役にも立たなさそうなものがこのトンネルの中に落ちていたのか。
その意味や理由は到底分からなかったが。
そのねじ曲げられた鉄パイプを見て、燐の中でちょっと思い当たるものがあった。
こじ付けのような感じはあったが、確かに今、燐の頭に浮かんだことだった。
(わたしも……こうやって、折れちゃったんだよね)
身体の方じゃなくて……
もう思い出したくはないことだけどあの時は、そうだった。
ひっかき傷だらけになった自分の心が、確かにぽっきりと折れてしまった。
でももうずっと前から折れかかっていただけだったのかも、と。
今ならそれが少し分かってしまう。
それがあの町の異変をきっかけで完全に折れてしまっただけ。
両親の不仲や従兄との微妙な関係性なんて、あの町の歪みの前から起こっていた出来事だったわけだったし。
むしろ、隠していた事柄が浮き彫りとなっただけだ。
目を背けていたことに向き合った結果なんだと思う。
悪意とも善意とも関係がなく。
(わたしはあれから何か変われたのかな……)
今こうして両足を地につけていられるのも、皮肉にもあの出来事があったからなんだと思うけど。
実感の様なものがないから。
でも、もし”アレ”がなかったら。
(多分、自分から……断ち切っていたんだと思う)
折れ曲がった心はもう二度とは元には戻らない。
それを知っているから。
「…………」
無残にも折れ曲がった鉄の棒を、燐はまざまざと見つめる。
本来はちゃんとした目的に合わせた用途があるのに、こんな姿になってしまった。
きっと誰のせいでもないのだと思う。
哀れで、切なく思う。
けど。
まだ、完全には折れきっていない。
とても深い傷がついていて、恐らくは修復は不可能だと思う。
それにパイプ全体にも細かな傷がついていて、もう十分にボロボロだけど。
──それでも待っていてくれていた。
いつまた来れるかなんて分からないのに。
こんなに歪に曲がっていても、きっとわたしが来るのを待っていたんだ。
たった、ひとりぼっちで。
置き去りにしてきてしまった大事な腕時計のことが、一瞬頭をよぎったが。
(ごめんね……本当に)
とても大事なものでも扱う様にしっかりと両手で鉄のパイプを燐は抱きしめると、そっと折れ曲がった部分に唇を寄せた。
大して重くないパイプだったが、中心である”芯”はまだしっかりとしている。
もし、何かあれば振ることぐらいはできそうだ。
そんな事はもうないとは思うけど。
燐は折れ曲がったままの鉄パイプを元に戻そうとするようなことも、その場に置いていくようなこともせずに、背負っていたバックパックのチャックを少し開け、その中に曲がったままのパイプを放り込ませた。
折れても長さがあるせいか、少し不格好な感じでバックパックの口からはみ出している。
それでも本人は納得したらしく、ちょうど収まりがいったみたいにバックパックを背負いなすと、そのままの格好でレールの上をとことこと歩きだした。
忘れかけていた大事なものをようやく取り戻したような、そんな満足気な表情を口元に小さく浮かべながら。
「そういえば……」
ふと燐は後ろをくるりと振り返る。
それは、何かの気配を感じたというわけではない。
現にあの、燐を嘲笑するかのように響き渡っていた野獣のような声はもう聞こえては来なかった。
”顔のない白い顔の男たち”が発していたような、あの不快な甘ったるい匂いもしなかったし。
(でも、あれからかなり経つのに未だに鼻腔にこびり付いている気がするのは何故なんだろ……)
そんなことを考えたせいなのか急に鼻がむずがゆくなり、燐は自分の小鼻の辺りを指でつまんだ。
それでも燐はまだ後ろを振り返ったままだったが、不思議そうに首を傾げるとぽつりと言葉をこぼす。
「確か”ヒヒの声”とかって言ってたよね……オオモト様」
少し前のことを思い出す。
蛍の家の前で”幼い姿のオオモト様”と別れた直後、燐はオオモト様によく似た人形のことや一緒にあった地図のこと、そして、この山にぽつんと立っていた石碑について尋ねようと、すぐに元の道に引き返そうとしたのだったが。
その道すがら、オオモト様がそのような話をしているのをたまたま耳にしていたのだ。
小さな口元から、か細くもはっきりとした声で。
”ヒヒの呼ぶ声がする”と。
それがここでの出来事を指していたのかまではその時は分からなったが、”そっちの方”へ行くと言っていたから、もしかしてと思い出し、しばらく待ってみたのだったが。
やっぱり、オオモト様がこちらへ来ることはなかった。
まあ、そんな予感はしていたから別にそこまでガックリすることはないのだけれど。
(だったら、信州の方とかに行ったのかな。”しっぺい太郎”のお話ってそっちの県の方でも伝えられているって聞いたことがあるし)
荘厳な山の上の神社で祀られているらしい。
燐はまだその神社を訪れたことは無く、ネットで見た程度の知識だけど。
だからと言って、その伝承に沿った行動をオオモト様がしているというわけではないとは思うが。
それを裏付けるものは一応あったから。
「サトくんも……いっしょだったみたいだし」
久しぶりに白い犬の元気な姿を見たから、ちょっとでいいから触れあってみたかったんだけど。
でも、できなかった。
何となくだが、あの
だからと言って不満があるわけではなく、むしろ。
とても──楽しそうだったから。
サトくんもオオモト様も。
燐は違う方へ進む二人を黙って見送っていた。
多分、もう会うことはないとは分かっていても。
写真を撮ることすらもしなかった。
それは、少し勿体なかった気もする。
でももういいんだ。
だってわたしには、やるべきことがあるのだから。
世界で一番大事な人に会うと言う、大切な目的が。
(それに……それだけじゃなかったしね)
久しぶりにサトくんを見てよく分かった。
もうここには居ないお兄ちゃんをもう無関係なサトくんに重ねている自分の未練がましさが。
わたしが彼を追い詰めてしまったのに、また追い求めようとしていることのちぐはぐな思いの揺れが歯がゆくてそして、悔しかった。
もう終わったことなのに、何でまだ心が惹かれるのだろう。
綺麗なままでいることはとても難しいことなんだ。
そう、自分でもよく分かっているはずなのに。
いや……自分で終わらせたんだ。
その方がいいと思ったから。
彼に迷惑をかけた自分を、許せなかった。
その結果、聡もサトくんも自分から遠ざかっていった。
けどそれで良いのだと思う。
自分には引き止める資格もなかったし、もしあの異変が無かったことだったことだったとしても。
「だからやっぱり、こうなっちゃうって気はしてた。サトくんは元々”そうだったのかも”って」
蛍ちゃんの話だと、前から町にいたみたいだったし。
もしかしたらって思っていたから。
それが偶然分かったってだけのことだ。
だから。
「さよなら、サトくん……オオモト様と一緒にいつまでも元気でいてね」
燐はその時掛けられなかった言葉を今、口にした。
風の吹かないトンネルだったが、どこかからの気流に乗って彼らのところにまで届けばいいなと思った。
あの紙飛行機のように。
今、二人はどこにいるのだろう?
助けがほしいとかではなく、別の意味合いで燐は気になった。
──座敷童と白い犬と関係性の方に。
「許可は取ってないけど、話しとして使ってもいいよね? ちょさくけんとかは大丈夫だと思う……多分」
蛍にすら話していないことが燐にはまだあった。
別にやましいことではないけど、まだその段階にすら進んでは無かったから。
「今のわたしに出来るのかな。あの町で起こったことの本をつくること」
まだどういう形態にするかも決めてはいない。
ただ漠然と何か、あの町の幸運やそれにまつわるお話を形として残そうとしているだけで。
小説かエッセイ。
何なら絵本なんかでも良かった。
絵心は……そんなにないけど。
いっそのこと、蛍が撮った町の原風景に、簡単な詩みたいな感じで短い文を添えてみても面白いかなと思っているぐらい。
「蛍ちゃんだって何かを残そうとしているみたいだし。だったらわたしも」
と、密かに意気込んでいたのだったが、その前にとても大きな出来事が静かに、そして身近で起きてしまった。
「しかも、また、”六月”なんだよねぇ。夏になると何かが起こっているような気がするよ~」
まあ、それでも去年ぐらいまでは何も特別なことはなかったんだけど。
例えそれらが偶然なんだとしても、だ。
これは不幸なできごとなんだと言えば確かにそうなんだろうけど、言い方を変えればそれなりに刺激があって退屈しない非日常を体験出来ているとも言える。
要は当人たちの気持ちの受け取り方次第なんだと思う。
どちらにしたって振り回されているのは変わりないのだし。
──世界はいつになっても安定なんかはしてはくれない。
善も悪もなく、巨大な力で揺れ動いている。
どこでどうなるのかなんて誰にも分からないで。
だったら、どうあがいたって揺さぶられるしかないのだろう。
小さくて弱くて、意味のない。
わたし達は、そういう存在なのだから──。
「さてと、そろそろ行かないとね。道草しすぎちゃった」
そう言って燐は古いレールの上からぴょんと飛び降りた。
ぐっと踵を地面に踏み込ませると、少し力が湧いてくる気がする。
これも一種の休憩だったのだろうか。
空腹も喉の渇きも起きていないのだけれど。
ずっと走ってたから、流石に下着は汗ばんでいたが、速乾のベースレイヤーを着込んでいるのでそこまでの不快感はない。
いちおう替えのものもバッグに入っているが、まだ着替えるほどではない。
むしろ少し新鮮な気持ちになったほどだ。
物理的な事柄ではなく、気持ちが前へ向き直ったということの方で。
「ちょっと変わった旅のお供も出来たわけだしね」
バッグの中からちょんと顔を出し、首を傾げたままのボロボロのパイプに向かって燐は微笑む。
今回も、最後まで一緒にいることになりそうだ、”コイツ”とは。
「……行くよ」
そう小さく呟くと、何かを心中で噛みしめるように唇を少し噛み。
──線路の間を勢いよく走り出す。
「蛍ちゃんだって、きっと、退屈してるだろうしね」
オオモト様がそうであったように。
自分の道を走って行く。
立ち止まることなんかもう、しない。
「うんっ!」
お気に入りのカチューシャよりも大きな赤いリボンを揺らしながら、燐は本当に自分の求める人のいる方へと真っ直ぐに駆けて行った。
「空は、もう見えないけど……」
燐は走りながら視線を上に走らせる。
もし、ちゃんと時間が動いているのなら今頃は普通に夜だろう。
いっぱいの星が瞬いているような真夜中であってもおかしくはない。
今、その天井は葉の緑が厚い雲のように覆い尽くしていて、昼とも夜ともつかない不思議な時間がトンネルの中で流れていた。
まるで星のしんだ日のような薄暗さが延々と蔓延っていたのだったが。
その中で黒い下草に覆われた古いレールだけが深淵のような暗い道の先で眩い光を放っている。
まるで光の通り道を指し示すように、澱みなく真っ直ぐに伸びていた。
聞こえるのは少女の軽い息づかいと、軋むような砂利を踏む音だけ。
もし、これが逆の立場だったら。
こんなに必死になんかなっていない。
それじゃ駄目なんだということは分かる。
分かったから、やっと。
気持ちが、痛いほどに伝わったから。
(──わたしは言わなくちゃいけないことがある。蛍ちゃんに)
焦燥感が募るほどにその想いが強くなっていく。
先立つ気持ちが膨らみ過ぎて心臓がパンクしちゃいそうになるぐらい。
それぐらい鼓動は高鳴っていた。
これまでにないぐらいにずっと。
隠してきた本当の気持ちがさらけ出されたみたいに。
期待と不安。
その両方が胸中でせめぎ合っている。
それでも伝えなくちゃいけない。
自分の。
飾りのない本当の気持ちを。
もっとも単純で、ハッキリとした言葉で。
ただその一言、それを彼女につたえるためだけにこうして足や肺を限界まで動かして走っているんだ。
このトンネルの先にあるものを知っているから。
(ゴールがあると思うから辛くなる……それはそうなんだよね。でも、先に何もないって思うとやっぱりそれも辛いのか……)
意味のない自問自答を胸中で繰り広げてみたが、答えは変わらなかった。
だからもう、このトンネルを抜けた時どうなるのかなんてことは考えない事にした。
行ってみるしかないんだ。
例え、這いつくばってでも。
そうすればきっと何かが分かる。
わたしはそれが──知りたいだけなんだ。
どんな結果になろうとも。
方角を指し示すコンパスはもう、自分の中にしかないのだから。
何の音もしない。
生命すら感じない、暗い
ずっと、ずっと。
何かが待っているだろうその先まで。
──
──
──
──どうして始めからこうしなかったのだろう。
それはあの時だって。
走りながら蛍はそんな素朴な疑問を頭に浮かべていた。
そう、列車なんて待つ必要なんかなかったのだと。
見覚えのある丸い緑の電車がプラットフォームに入ってきても別に乗る必要なんかなかった。
あの時、燐の手を無理やりにでも取って、その足で線路を辿って行けばよかっただけのことだったのに。
(なんで……そうしなかったんだろう)
今更ながらに脳裏で回帰させながら、蛍は真っすぐに伸びている白い線路を走っていた。
やけに息が続くなぁと思っていたのだったが、それももう大分前に限界が来たようでそのペースは落ちていた。
殆ど歩くのと変わらないぐらいにまでになっている。
それは仕方のないことだった。
蛍としては結構進んだつもりなのに、まだ線路はずっと先にまで続いている。
(長いんだよね。ほんとに……)
うんざりするぐらいに。
辺りの景色が殺風景なのも含めて、映画なんかで良くみた大陸を横断する鉄道のレールを見ているような、際限のない果てしなさを感じるほどだった。
無謀だったのか。
少し気持ちが折れかかりそうになる。
それでも蛍はまだ歩みを止めるつもりはない。
顔は疲労を訴えていたが、その瞳は前だけを見据えていた。
それは、待っているから。
約束なんかはしていないけど。
制約とか期限とかはない。
それでも、何かに追い立てられているような感じをずっと背筋に感じている。
ぴりぴりとした緊張感とは違う何かを。
もし、何かに追われているのだとするのならば。
それは、きっと……。
「あっ」
蛍は肩を上下させながら驚きの声を上げていた。
ずっと静寂の時間が続いていたから、こうして声を出すのがすごく久しぶりに感じる。
いくら独り言をつぶやいても誰にも聞かれることは無いからとても快適な世界なのに。
そんなことすらもう頭に浮かんでこなかった。
そんな事よりも。
視界の先に見つけたのだ、線路が遠くまでずっと続く地平線の向こうに。
何かの建物があることを。
(でも。前にも、こんな事があったよね)
いつの間にか燐も乗っていた不思議な電車に揺られていた時もそうだった。
窓の外に変な形の長い影のようなものを見つけたのだったっけ。
結局それは、廃墟となった町の瓦礫を積み重ねて出来た歪な建造物だったのだけれど。
(あれって確か、”自分の家”だったよね)
あまりにも変わり果て過ぎてすぐには気付かなかったけれど。
今思うとあれも、いわゆる選択肢の一つだったのだろう。
荒れ果てた町の姿は地震か台風でもあったみたいにめちゃめちゃになっていて、人ひとりいなかった。
そんなものが、あの”青いドアの家の線路の次の駅”にあったのだから。
今だって少しどきどきとしてる。
またあんな変なものを見せられるのではないのだろうか。
真実の一つと言うか、押し込めていた願望みたいなものを垣間見てしまうのかと。
ちゃんと確認するまえから戦々恐々としてる。
望んでいた形ではないだろうから。
蛍は何とも言えない複雑な顔で眉を寄せながら白く光るレールの隙間を走る。
やはりそれは歩く様な速度であったが、その視線は常に建物のような青い蜃気楼のような影にだけ注がれていた。
近づいてくるたびにそれは確信へと変わっていく。
「やっぱり、あれって」
駅舎なのかなぁ。
残念というか、ありきたりすぎて。
線路上で見つけたものだからある意味では当然なんだろうけど。
それでも何かがあったということにちょっとだけ嬉しくはなった。
殺風景な景色にも大分飽きてきたところだったし。
砂漠で埋もれていた
はっ、はっ。
また息が少し苦しくなる。
けれども、そこまで嫌な感じではなかった。
知っていた痛みと苦しみだったから。
あの日を脳裏に思い浮かべていた、多分もう二度と忘れるの事のない光景を。
沢山の出来事が映像となって押し寄せて、蛍の心に消えることのない黒い蜷局を巻き付けたあの忘れがたい情景を。
あの──空に引っ搔き傷を付けたとき。
空は高く日は少し暑かったけれど、それが心地よく感じられた夏の日のこと。
きらめく水面と、穏やかな風が髪や肌を撫でてくれていた。
とても綺麗だった。
世界は。
それなのに。
蛍は涙を拭うこともせずにひとりで線路を走っていた。
大事そうに何かを胸に抱いて、たった一人で走っている蛍の姿がローカル線の線路の上にあった。
それは紙飛行機の形をした、
残されていたノートを破り、
その方向にさえ行けば何とかなる。
そう信じきっていた。
それだけの為に走り、そして近くの無人の駅舎で電車を待っていた。
隣には誰もいない。
たったひとりで、電車を待っていたんだ。
ぽろぽろと涙を零しながら。
「あの駅舎。やっぱりちょっと似ている気がする」
あの時ひとりで待った古い駅舎と。
でもそれは似ているというだけで、今とは決定的な違いはあるが。
それは駅の形という実存的な概念ではなく、”燐が存在している”という、今の気持ちの違いの方だった。
確かに流れる時間は違うけれど。
燐は、確かにいる。
意識や思いを共有して互いに認識しあっているから、あの日のような黒い感情はまだ芽生えてはいない
ちょっと不安げになったりもしたけど。
あの空を見上げた時なんかよりもずっと傍に、すぐ近くに居るような感覚すら覚える。
少しの間、燐と通話することの出来た携帯はもううんともすんとも鳴らないけれど。
走る呼吸に合わせて燐の声が混ざって聞こえてくるような感じさえするのだから。
比喩でも幻聴でもなしに、もしそれを例えるのだととしたら……なんだろう、心が呼びかけ合っているみたいに。
それは道筋とか、
夜の海を照らす灯台の明かりを見てるような感じで前を向いていられるから、まだ大丈夫なんだと思う。
迷いも、恐れもなく。
好きな人の声が先を導いてくれている。
そう思って。
「それにやっぱり、こうして体を動かしているおかげなのかな」
すごく気持ちがさっぱりとしてる。
内側に蔓延っていた焦燥感とか、そういったネガティブなものが一切合切無くなっていた。
憑き物が取れたとかいうのではなく、気持ちがリフレッシュした感じ。
こーゆーの、”ランナーズハイ”とか言うんだっけ。
ゆっくりめに走っているけど。
温めの弱いシャワーを浴びたみたいに、何もかもが光のヴェールを掛けたように白く輝いて見えた。
でも、少し引っかかる所もある。
これは”本当に駅舎なのか”と。
青いドアの家のテレビの映像ではではそんなものは見えなかったわけだったし。
もっとも、この世界は一度壊れて新しくなったみたいだから、その認識はおかしいのかもしれないが。
ともかく、行ってみれば分かる事だった。
蛍は更に頑張って走った。
あの日と違って怪我もしていないから、思っていたよりもずっと足が前に進む。
勘違いしてしまいそうなほど体を軽く感じて、意外にもあっさりとそこへと辿り着くことができた。
「はぁ、ふぅ、はぁぁ……」
ホームに登るなり膝をガックリとつく。
もっとも体力のほうは蛍の思いよりも大分正直なようだったが。
……
……
……
「……これが」
この世界ではどこも同じ作りなのだろうか、簡素な作りの白い駅舎がぽつんと立っていた。
駅名を示す看板も、これといった設備も何もない。
誰が座るのか分からないベンチが備えてあるだけで。
上に小さな屋根があり、その下でホームが伸びているだけ。
田舎の無人駅という言葉がとても似合っている小さな駅だった。
青いドアの家のあの駅舎とも、前に燐と一緒に降りた駅ともちょっとだけ違う気がする。
何がどう違うのかは分からないのだが。
駅の周りに何もないから、この駅の存在意義すら分からない。
そんな場所に蛍はひとりでいた。
意図せずしてあの日の再現をしているみたいに。
「ここがわたしの目的地……なの?」
自分自身に問いかけるように呟く。
こんな場所に何かあるとは到底思えないし、列車が来そうな気配はない。
ホームで待っていればその内来るのかもしれないが。
その保証はどこにもなかった。
時刻表ですらも貼っていないわけだし。
「……」
蛍は口を小さく開けながら、呆然と辺りを見渡してた。
本当になにもない。
水溜まりが地平線の奥にまで続いているだけで、他に目に付くものなどは何ひとつない。
今までと同じ、青と白の景色がどこまでも広がっているだけ。
胸躍らせるような、期待を抱かせるようなのはここにはない。
──終焉の地。
そのものの様な場所に立っているだけだ。
何もかもが終わった後みたいな無人の駅に。
無駄なことをしただけだったのだろうか。
やるせない思いからなのか、蛍はぎゅっと唇をかみしめた。
もしこの駅舎に少し朽ちたレトロな看板でも貼ってあったのならさぞかし似合うだろうと思う。
何の期待も抱かない、世界から忘れられたプラットフォームは今の自分の心とリンクしているようで、何というか切なくなってくる。
異変のあった夜から時間だけが過ぎていったが、それらは全て無為だったのだろうか。
ただ日々を送り、来るべき日が訪れるのを怯えていただけだったのか。
残滓がどこまでも追ってくるように。
どこに逃げたって結果は変わらないのだと。
「そういえば……結局、持ってきちゃったけど」
思い出したように蛍は呟くと、今でも愛用している肩に下げていた猫の顔をしたポシェットから小さな鏡を取り出した。
青空を写し込んでいる丸い鏡面をいくら覗き込んでも、周りの景色と自分の姿しかもう映すことは無い。
想う人を映してくれていた鏡はもう普通の鏡になってしまった。
割ることを止めてしまった今、もう持っている意味などないはずなのに何故か手放さずに、ここまで持ってきてしまった。
あの家の中で見つかったものだし、もしかしたらまだ何かあるのかもと、淡い期待を蛍は抱いていたのだろうが。
この駅舎と同じく、その期待に応えることはなかった。
「仕方ない、か……あ、そういえばこれも……」
蛍は鏡をポシェットではなく、スカートのポケットの方にしまうと、ポシェットから今度は紙のようなものを数枚取り出す。
それは、鏡と同じ場所にあった染みの付いた古いセピア調の写真だった。
一緒に添えられていたから何か意味があるのだろうと思い、青いドアの家を出る時に鏡と共に持って出ていたのだった。
大して重い物でもなかったし。
そこまで嵩張るものでもなかったから。
写真の殆どが色あせてしまっていて何を写したものだったのかは分からなかったが、その中の一枚のだけが、一定の鮮明さを保ったまま保持されていたのだ。
それはホームからの風景を切り取った写真のように見えたから、蛍ははじめあの”青いドアの家”に隣接しているホームから撮ったものなのではと思っていた。
でも、もしかするとこちらの駅の写真だったのかも?
そう思ってもう一度蛍は写真をよく見てみることにしたのだったが。
「……やっぱりよく分からないね」
駅と写真をいくら見比べてもやはりその判別はとても付き辛い。
この世界でのホームには駅名を記したような看板もないみたいだし、コレといった駅特有の特徴もないわけだから、それは当然のことなんだろうが。
じゃあ、これは結局何だったのか。
諦めたような溜息を蛍はつく。
そして、その写真をポシェットに入れようとしたのだったが。
「あ」
ぼーっとしていたせいか、蛍はつい手を滑らせてしまい、パラパラと写真がプラットフォームの上に散らばり落ちてしまった。
風も吹かない所だから線路の下にまで飛んで行くようなことはないと思うが。
それでも蛍はすぐにホームにしゃがみ込むと、急いで写真を拾い集めようとする。
写真は全部で四枚程度だから、いくら慌てていてもすぐには拾い集められる数だったのだが。
「……これって、”オオモト様”!?」
ある写真と目があった瞬間、蛍の手がぴたりと止まった。
それを拾い上げると、手で見る角度を何度も変えたりしながら首をかしげていた。
(あれ、オオモト様じゃない、のかな……? だったら
食い入るように写真を見つめる蛍。
その表情は、”何か分からない”というより、”理解ができない”と言った感じの困惑の顔だった。
蛍は写真の上で指をつっとなぞる。
それが本当のものであるか確かめるみたいに。
細い指を小刻みに震わせながら。
「こんな写真じゃなかったはず……なのにどうして……?」
横で見ていたはずの写真が、縦に見ることで新たな発見できた……などと言った騙し絵のようなものを見たわけではない。
それは、”心霊現象”などというオカルト言葉をにわかに信じてしまうほどの衝撃だった。
息をすることすら忘れてしまうぐらいに。
「ほ、ほかの写真はっ!?」
すぐに確認してみたが、新たな像を結んでいるのはその一枚だけで、他の二枚は判別不能なピンボケ写真のままだった。
意味のわからなかった写真がそのセピア調のモノクロの色彩のまま、全く別の……”人物の写真”になっているなんて、そんなことが物理的に起こりうるのだろうか。
いくら常識が通用しない世界だったとしても。
確かに今は、AIか何かのデジタルな技法でピンボケの写真であってもある程度までは戻せるようだけど。
これにはそんな力が働いたような形跡はない。
それを行える端末も、その技術も、どう見たってここにはないのだから。
それこそ魔法でも掛けられたみたいに目の前でぱっと切り替わってしまった。
指先が触れる瞬間までは確かにボケボケの失敗した写真だったはずなのに……。
現実を完全に無視したようなことが本当に……でも実際に起こってしまった。
何かのトリック掛けられたみたいだったので自分の目を訝しんでしまうが、問題はそんなことなんかではなく。
写真に写っていた人物の方に問題があったのだ。
(もし、これがオオモト様じゃないのなら……)
本当にまさかだと思う。
蛍は胸中で思っていた疑問を口にした。
「それって、わたしの……? ううん。そんなこと、あるはずがないのに」
蛍は声を震わせながら首を横へ振った。
否定した言葉を認めたくないように、写真から目を逸らす。
蛍が手に持っている写真には少し変わった柄の着物を着た”ひとりの女性”が小さな椅子に腰かけて、ファインダー越しに微笑んでいた。
昔ではよくある肖像的な光景の一枚なのだが。
その人物に思い当たる節は……蛍には一応ある。
むしろあり過ぎると言うか、あまりにもよく知り過ぎている顔だったから。
愕然とするしかなかった。
馬鹿馬鹿しく思えるほど、突飛すぎてあまりにも荒唐無稽なことだったから。
でも、全く覚えのないことだったから、まだすぐには状況を呑み込めないようで、蛍はポケットからまた鏡を取り出すと、そこに自分の顔を恐る恐るに映し込んだ。
──不安気に瞳を揺らす顔の蛍が鏡に映っているだけ。
ただ、それだけなのに、驚愕の声を上げずにはいられなかったのだ蛍は。
だってそれは。
「これ……やっぱり”わたし”、なの!?」
何か重いもので頭を殴られたような衝撃が全身を駆け巡り、蛍は一瞬自分が立っている場所かどこか分からなくなりそうになった。
ぺたぺたと自分の顔の輪郭を確かめるように触りながら、それでもまだ信じられないのか写真と鏡の中の顔を何度も見比べていた。
木の椅子に腰かけて柔和に微笑んでいる少女は確かに”
その本人……と言っても過言ではない。
そのくらい似ている少女だったのだ。
まるで、生き写しの姉妹か何かであるかのように。
「合成とかじゃないよね、これ……」
疲れたような息を吐く。
ひどく顔色を悪くしていたが、それでもその写真からは目を離せないでいた。
見れば見るほど自分にそっくりだった、気味が悪いぐらい。
何で?
どうして?
当然の疑問が頭を駆け巡る。
無論、蛍にはそのようなことをした記憶はない。
こういった写真を撮って欲しいと誰かに言ったことも、誰かに撮られたということもない。
もし、万が一燐だったとしても、必ず蛍に一言断ってから写真を撮るぐらいだし、黙ってこんな写真をフィルムに残すようなことするとは絶対に思っていない。
成人式の写真だってまだ撮っていないから、このような改まった写真がある事自体が不思議でしょうがなかった。
しかもわざわざこんな風にちょっとレトロな感じに加工するなんて。
(写真は、そのままを取るから美しいと思ってるのに)
別に、”
人も景色もありのままの姿が一番きれいだと自分は思っているだけで。
この”青いドアの家の世界”も奥行きのあるフォトグラフか、一幅の写実的な風景画みたいなものなんだろうけど。
それに……写真の子はちゃんした着物を着ているけど、そういうコスプレ写真とかにも別に興味はない。
(まあ、今だって……コスプレみたいなものなんだろうけど……)
今着ているひらひらとした衣装なんかよりも写真の中の人の方がマシな格好をしてると思ってしまうほど。
スカートだってこんなに短いわけじゃなさそうだし。
まあ、普通の着物だからそうなんだろうけど。
「でも、これはわたしじゃない。別の誰かを撮った写真だ」
それだけはハッキリとしている。
だが、それ以外の答えは出なかった。
疑念は頭の中でぐるぐると渦を巻いているのにそれ以上、口が上手く動かない。
それは、写真を持っている手と同じく無意味に震えるだけで、声の形を作ってはくれないのだ。
誰かに聞かれる心配などないのに。
きっと──言うのが怖いから。
多分、これは事実なんだと思うから口に出ないのだと思う。
認めたくはないことだけど。
「でも、一度見ちゃったわけわけだし、他にすることもないから……」
観念したように苦笑いすると、蛍は両手を広げて深呼吸をする。
潮風を吸い込んだような爽やかさはなかったが、少しだけ落ち着くことはできた。
蛍はホームに備えてあったベンチにちょこんと腰かけて、自身の膝の上に写真を広げた。
改めて状況を確認する。
不思議な丸い鏡と一緒に見つかった写真は、全部で四枚。
その中の二枚が今はちゃんとした写真で、後の二枚はまだピンボケのままだ。
”まだ”、という言い方は少しおかしな気もするが、そうとしか形容することができない。
要するにこの現象とは……。
「わたしの……”真実”っていうことになるのかな……?」
随分と前のことだが、燐とオオモト様が青いドアの家で会話をしていた内容を頭に思い浮かべる。
──燐はその目で見ていたという光景を蛍は見えなかったという話だった。
その時は自分ひとりだけが蚊帳の外にいるような気になってしまって、つい余計なことをオオモト様に問いかけてしまったけど。
「あの時、見えなかった景色が……フィルム越しに見ることができたってこと?」
そういう事なのだろうか。
燐は地平線の先に蜃気楼のように白い風車が浮かんでいたと確か言っていたっけ。
けど、それは。
「わたしが写真を撮るようになったことに何か関係があるのかな」
趣味でやってるだけだからまだそこまで詳しくはないけど。
でも前に比べたら意識してレンズを構えることが多くなった気はする。
まだそこまで上手くは撮れないのだが。
でも、この予想もあながち間違いではないのかと思う。
例え自分の存在が消えてしまったとしても、それだけは残ってくれるだろうと。
そう思ってシャッターを切っているのは事実だったから。
(じゃあ、この写真もそういう役割で? わたしに何かを伝えるためだけに)
しかし、一体、この写真は何を物語ってくれるのだろうか。
看板や標識のない、静謐なこの世界で。
今の蛍にはそれは到底思いつかない事だったが、考えるだけの時間だけは潤沢にあった。
蛍はこの世界では聞こえない風の声に耳を澄ますように静かに目を閉じて、自身の考えをまとめることにした。
白と青の眩しかった情景に、漆黒の闇が瞼の裏側の世界で生まれていた。
(写真の場所はこのホームだったとしても、あの人は……)
実のところ、答えはもう殆ど出ていた。
長い髪を後ろに下ろし、その”女の子”は今の蛍よりも少し幼く見える。
座敷童として生まれた子は子供の頃の内に力が失われるとか言われていたけど。
これがそう言うことなのか。
蛍は小さくふぅと息を吐いた。
「じゃあこれがわたしの”お母さん”……? でも、こんなに若いなんてことがあるの?」
ぱっちりと目を開けた蛍はその母が映る写真をつぶさに見つめていた。
確かに若いと思う。
ともすればこの写真の姿は、今の蛍よりも更にずっと下の可能性すらある。
それに母だと言う確信を得たわけではない。
目元が少し似てる気がするとか、推測みたいなことしか出来ていない。
そこに血のつながりを感じるとかそう言った予感めいたものは写真からは感じ取れなかった。
勘が働けばいいってものでもないとは思うし。
ただ、これが全く別の”座敷童”の人だったとしても。
(何か、ちょっと悲しい)
写真の中で微笑んでいる”少女”の姿に何とも言えず、蛍は胸が締め付けられるみたいに切なくなった。
これが最期の写真なのかどうかは分からないが、何も知らずに無邪気な微笑みを浮かべる姿が、とてももの悲しく思えた。
写真の中の少女の姿はとても幸せそうに見えたから。
自分の身にこれから何が起こるかなど分からないみたいに、無邪気そうな笑顔を向けているから、それが余計に痛ましくみえてしまう。
信頼していた町の人達に突然裏切られたようなことをされた挙句、そして……。
(あれっ、わたし……?)
勝手に涙が頬を伝っていた。
蛍は手の甲で顔をごしごしと拭くと、この写真をもっとよく観察してみることにした。
姿はともかく、自分も同じ境遇で合ったことなんだし。
無関係ではないだろうと思うから。
それにこれがもし、本当に自分が選び取った方向の答えなんだとするのなら、何かヒントみたいなものがあるはずだ。
燐の時とは違って伝える手段は具体的なのに、指し示すものが抽象的過ぎるが。
「結局、わたしはどうしたらいいんだろう」
足りなかったパズルのピースはそこら中に散りばめられているのに肝心の、そのパズルのはめ方が分からないみたいに。
何というか、途方に暮れた表情を蛍はしていた。
(でも。何だろ、すごく落ち着いているような)
この写真に何かの信憑性を感じているわけではない。
事態は何も好転したわけでもないのに。
心は、さっきから妙に落ち着いている。
客観的に自分と今の状況と向かい合うことができていた。
青いドアの家にいた時はそれこそ子供みたいにめそめそとしてたのに、何だか嘘みたいに気持ちがすっきりしている。
今だって、母親かもしれない写真を見ているのにそれほど動揺はしていない。
現実感がまだないからだろうか?
それとも、今の自分と同じぐらいに見えるからそんな感じが湧かないだけ?
どちらも違っていて、そのどちらも当たっているような。
釈然としない感じがしたが。
結局のところ、”この人”が本当に自分の母親なんだとしても家族としての認識が湧いてこないんだろうと思う。
面影とかそういう記憶が一切ないわけだし。
それに家族と行ったら今は。
「やっぱり、わたし。ずっと燐のことばかり考えてる……燐に会ったら何話そうとかそんなことしか頭にない……」
馬鹿みたいに思えるけど、本当にそうなのだ。
やっぱり、一番会いたいと思う人だから。
どんなときだって燐のことを気にかけてしまう。
きっと、家族という存在にもっとも近いのは、燐だけなんだ。
燐と一緒にいることがもう当たり前になってしまっている。
だから家族……なんだと思う。
もしかしたら、もっと他の適切な言葉があるのかもしれないけど、友達よりかはそっちの方がずっと近い気がするから。
別の言い方は堅苦しいと言うか、口にするのが少し心苦しい。
悪い意味ではないんだけど、自分の胸が苦しくなってしまう。
少女漫画なんかでは良くクライマックスの告白シーンなんかで言う言葉なんだけど。
自分で口にするのはすごく恥ずかしい、から。
けど……いつかは言わなくちゃならないことだとは思う。
二人の関係を終わらせる為じゃなくて、もうひとつ上の段階に上がる為に。
そういう目標みたいなものがあるから。
だから落ち着いていられるのだと思う。
今、燐が傍にいなくても。
でも。
と、蛍は思う。
「こうやって写真を並べてるとなんか変な感じがする」
探偵や警察の人が証拠品を前に頭を悩ませている時と同じ状況みたいな。
ちょっとだけそんな風な事件性を持った気分になってしまう。
多分、暢気なだけなんだとは思うけど。
(でも、写真は4枚あって……ピンボケなのは後2枚か……)
何かのきっかけで残りの画像が浮かび上がるのだろうか?
それともこのまま……??
蛍は頬に手を当てて考え込んでいた。
答えなんか到底出るはずのない、当てのない問題に向けて。
……
……
……
「んー、やっぱり、よく分からないね」
どう考えてみても材料が足りていない。
考え抜いた先の蛍の結論は、結局それだった。
写真の駅がここだったとしても、この少女の写真からは何も思い当たるものがない。
仮にこれが本物の写真だったとしても、それから何を導き出せばよいのか。
全く見当がつかなかった。
これまで検索によく使っていた携帯も今は静まり返ってしまったし。
(こんな時、燐が傍にいてくれたらなにか閃いてくれるのかな……)
わたしと違って頭の回転も速いし、要領だって良いし。
黒い液晶を眺めて蛍は軽くため息をついた。
スマートフォンはもう映ってはくれない。
ボタンを押しても何の反応すらなくなったのだから電池が切れたとかの単純な問題ではないことは分かってる。
ただ、オオモト様の口ぶりだとこれだって自分で呼び出した? みたいだったから。
想いを込めれば何とかなるのでは思ってずっとさっきからやっているのだけど。
何も、起こらない。
最初からそうであったみたいに、携帯は動かくなってしまった。
あの鏡だってずっと普通のままだったし。
「やっぱり、燐とはもう……」
ちくっとした胸の痛みとともに後ろ向きな気持ちがぶり返してきてしまいそうになり、蛍はぐっと顔を上げて静かな青い空を見上げた。
いつまでも変わらない空と、その下にある駅とプラットフォーム。
この世界のどこにでもありそうな変わり映えのない景色。
なぜこんなところにまでわざわざ来てしまったのか、同じような風景が続いているだけなのに。
蛍は無性に、誰かの声が聞きたくなった。
幽霊なんかなく、本当の人の声を。
「燐」
その人の名前を空に呼ぶ。
青い空に溶け込んでいってしまったと思った人は戻ってきてくれて。
そしてまた、別れてしまった。
こういうのは何かの運命とかそういうのなのだろうか。
何かをしたとか、そういうのは全然ないのに。
あるとすれば偶然。
それがまたこのような事態を招いてしまっただけ。
だったら、今度は自分が幽霊となり彼女の傍まで飛んでいくのかもしれない。
単一の、何の力もないただのクォークとなって。
そこにはもう何の意味なんかはないんだろうけど。
偶然の抗え切れない力がそうさせているのなら。
「偶然の意味、か……」
蛍は急にはっと思いついたようにぐるりと視線を巡らす。
確かに、それは偶然なんだと思う。
この不思議な世界での出来事は全部そう見えた。
だから。
「そっか、だから駅は何か役割があるんだ」
偶然とはどこから来るものなのか。
きっとそれは誰にも分からないこと。
そう思っていた。
でも偶然は何かのエネルギーが無ければ発生することなんかない。
それが人だったり、モノが転がったり動いたりするから偶然が出来上がるのだ。
そして偶然を感じ取ることが出来るのも人だけだった。
この世界での
なら、動くべきものとは。
レールを走る列車であり、駅だった。
それは現実の世界でも同じことで。
停車するべき理由があるから駅が作られるのだと。
中にはもう乗り降りするのが減ってしまった駅もあるが、それでもかつてはそれなりに活気があったんだろうと思う。
自分たちが使っていたローカル線もそういう今は無人の駅が多少なりにあったから。
「だったら、だよ」
思い立ったように蛍はすっと立ち上がると、写真をポシェットにしまい込みすたすたと誰もいないプラットフォームを歩き始めた。
(そう、青いドアの家の駅舎も、燐と一緒に訪れた廃墟の周りにあった駅も……)
それぞれ役割があった。
だったらここにだって何かがあるはず。
重要かどうかは無いにしろ、なにかが。
だが、すぐに見渡すことの出来る小さな駅舎にはなにかがあるような感じはない。
一度見て回ったから、それは分かっていたけど。
だったらと思い、蛍は一度プラットフォームから降りて見ることにした。
全部を隈なく見て回ったわけではなかったし、ちょっと離れたところから見ると何かが分かるようなこともあるだろうと思ったから。
蛍は一応左右を確認してからホームから線路に降りる。
電車が来そうな気配はないが、今みたいなよっぽどな状況だったとしても、最低限の注意だけ怠るようなことはないようにと、燐に教わっていたから。
やっぱり、燐の方が先生向きだろうと今でも思う。
とても優しいし、はきはきとした喋り方は天職ではないかと思うほど。
そのことを燐に言ってもやんわりと否定されてしまうが。
(でも、ちょっと、口うるさい先生になりそうだけどね)
蛍はこっそりと微笑んでいた。
「あれっ?」
滲んだ視界に何かが映り込む。
蛍は目を細めてそれをじっと見つめた。
ガラスのような四角い何かがプラットフォームに寄り添うようにたっていた。
それはとても見覚えのあるデザインのものだったので、蛍は何の気もなしにそれに近づいていく。
最近ではあまり見る機会のないものなのだが、よく使っていた駅のロータリーにも似たようなのが置いてあったから、それほど馴染みの無いものではなかった。
「やっぱりこれ、電話ボックスだ」
四面を透明なガラスに囲まれている少しノスタルジックな長方形の箱には緑色の公衆電話が備えてあった。
今のマンションの最寄りの駅にあるのはこちらのタイプだった。
小平口駅(町が合併しても駅名に変更はない)にあるのは少し凝ったデザインのものになってるけど、その機能は変わっていない。
電話を掛ける為だけのものが、何もないと思われていた駅舎の隣にひっそりと立っていたのだ。
何にも気付かれることなく。
「まだ使えるのかな」
蛍はとりあえず透明なドアを開けてみた。
きぃ、と小さく音がしてドアが開く。
きちんと取っ手がついていたから、電話ボックスを使った記憶が殆どなかった蛍でも簡単に開くことができた。
中が見えているからそこまで緊張することもなかったわけだし。
それに、思った通り箱の中身も見たまんまだった。
「あっ」
扉を開けた途端、長い間使われていなかったようなすえた臭いが流れてきて、蛍は一瞬顔をしかめる。
それはどこか懐かしいというか、よく実家の客室で嗅いだことのあるような、どこか湿った匂いだった。
でも、別に害があるような感じはなかったので、蛍は少し重い電話機と同じ緑の受話器を手に取ってみる。
お金を入れる場所がなかったから、繋がるどうか不安だったのだが。
耳に当てた受話器からは通話を促す様な、ツーという音が聞こえてきたので、とりあえず電話をかけることはできそうだった。
蛍は安堵の息を漏らすと、番号が記してあるボタンを押そうとする。
一瞬、指が彷徨うような動きをみせたが、今の蛍の頭に思いついたのは番号はたった一つだけだったから。
「んっ……えいっ」
迷った挙句、その電話番号のボタンを順番に押す。
もう幾度となく掛けたダイヤルだったから蛍が間違えるようなことはない。
その確信があったから後はもう迷いなんかはなかった。
ちゃんと押し終えた蛍はほっと溜息をつくと、両手でぎゅっと受話器を握りしめる。
呼び出しを待つ間、心臓はずっとドキドキと鳴りっぱなしになっていた。
もしこの時、通話が成立していたら、この心臓の音が聞こえてしまうのではないかと気を揉んでしまうほど。
だが、高鳴っていた鼓動は次第になりを潜めてしまう。
いくら受話器の前で待っていても、向こうからの呼び出し音がなることもなく、静寂の時間がただ流れただけだった。
「やっぱり……ダメなんだ」
蛍はそう言って苦笑いを浮かべると、元の場所に受話器をがしゃんと下ろした。
どこかで分かっていたんだろうと思う。
携帯がダメでもこの電話ならと。
突破口なんてものはそう簡単に見つかるものではないんだ。
それでも、まだ諦めてはない。
まだ考えるだけの頭はあるんだし、想いはいつだって変わらない。
そう信じているから。
一歩先に進んだ気がした。
その後がまだ見つからないというだけで。
「あれ……そういえば、なんか」
言葉はそこで止まる。
何かとても大切なことを忘れている。
そんな気がする。
もうちょっとで何かの答えのようなのが生まれそうな気がするのだが。
どうも思考が上手く回ってくれない。
なんだっけ?
ふいに耳の奥が痒くなってきて、余計にイライラが募ってきた。
こんなとき耳かきでもあればと、蛍の思考が別の方向へ流れ始めた時。
いつの間に開いていたのか、ポシェットからパラリと一枚の写真が透明な箱の床の上に落ちた。
蛍はむっと眉を寄せながらそれを即座に拾い上げる。
こんな時に?
と、少しいらいらした仕草を見せながら。
だが、すぐにその表情が変わった。
そこには、これまでとは違った絵姿が違うフィルムに写されていたのだ。
第三のフォトグラフ画像として。
「あっ!!」
ようやく分かることができた。
こんな何でもない事が何故今まで頭に浮かんでこなかったのか。
それはとても単純なことだったのに。
蛍はもう一度受話器を取ると、再度公衆電話のボタンを押し始める。
先ほどよりももう少し早いスピードで銀色のボタンを急いで押した。
それはそのはずであり。
蛍が”一番最初に覚えた番号”だったから。
意識なんかしなくとも身体が勝手に覚えてくれていた。
最近はあまりかける機会のない、
家と言っても燐と二人で住んでいるマンションの固定電話ではない。
三間坂の、まだ蛍の家に電話を掛けたのだ。
それは、もしかしたらという願望と、新たな写真の画像を結び付けた結果であり。
素早く電話をかけ終えた蛍は受話器を手に持ち、鳴るのを再び待った。
……
……
……
やっぱり、電話は壊れているのだろうか。
いつまでたっても音が受話器から返ってこない。
……苦痛な時間に耐えられなくなったのか、蛍の細い足がもじもじとし出した。
さっきから電話の前で一喜一憂している自分がとても滑稽にすら感じる。
自分でも、無意味なことをしているとは思う。
それでも何かをせずにはいられなかった。
写真から得たヒントはこれだけだったのだし。
今は待つことしかできない。
それに、無為な時間なんてものはこの先いくらでもありそうなのだから。
(せめて今ぐらいは……)
微かな希望に縋ってみたい。
例えこれに意味がなくとも、せめて思い出ぐらいにはなりそうだから。
またも蛍が諦めかけたその時。
トゥルルルル……トゥルルルル……。
「えっ!!」
蛍は咄嗟に大きく開いた自分の口を手で抑え込んでいた。
もちろん意味のない行為だったが、それほどまでに驚き、目を大きく見開いている。
これまで反応のなかった受話器から電話の呼び出し音が鳴っていた。
まるで初めて聞いた音みたいに、その電子音は蛍の耳朶に音叉のように何度も響き渡っていた。
蛍は手で押さえた口をそれでもあんぐりと開けて、状況をじっと見守っていた。
でも。
この電話を誰が取ってくれるのだろう。
前は数人の家政婦さんが蛍の家にいた時もあったが、今あの家には誰かが来るようなことは滅多にない。
それにもうすぐ郷土資料館として明け渡すことになっているから、余計に人の出入りは期待できなかった。
電話だってもうすぐ止めてしまうことも決定してるし。
だから、またこうして繋がったことは奇跡だったとしても、その後が続かないのではと、蛍は危惧していた。
もし、僅かばかりの可能性があるとするのならば、やっぱり。
(燐、なんだろうか……?)
燐は家の合鍵も持っていたことだし、もしあのまま家に残っていてくれれば、と。
そう淡い期待を蛍は抱いていた。
でも……蛍は燐の性格をよく知っている。
携帯での通話が出来なくなったのは燐のほうも多分同じだろう。
自分よりも行動的な燐のことだ、すぐにでもどこかへ助けを求めに行ったのかもしれない。
燐の自宅のパン屋さんか或いは、あの変なことばかり起きた”ナナシ山”か。
どちらにしても、電話がずっとなり続けているのに取らない所を見ると。
「やっぱり燐も、どこかに探しに行っちゃったのかな……」
オオモト様のように。
もしかしたら燐と、すれ違いになってしまったかもしれない。
蛍は受話器を繋いでいる、蛇腹のように巻き付いた細いコードを指でくるくると弄ぶ。
その仕草は、ここからずっと遠い場所の燐に向けてのメッセージのようだった。
この、やるせない思いに早く気付いてほしい、と。
当然、その思いが燐に届くことはないのだったが。
このまま受話器の向こうからずっと音だけが延々と鳴り続けるだけのではないかと思われた。
それでもいいとさえ蛍は思った。
こうして音を鳴らしていれば向こうの世界との繋がりをわずかだがまだ感じることが出来る。
燐か、他の誰かが鳴りやまない電話の音に気付いてくれる可能性だってあるかもしれない。
留守電の設定もしていなかったし。
誰かが取るか、こちらが切るまでは鳴り続けていることだろう。
蛍はそれこそ永遠に待つつもりでいたのだったが。
チン!
小さなベルみたいな音が受話器の向こう側から響いた。
「……っ!!!」
その音に蛍は受話器の前で叫び声をあげていた。
声を限界まで抑えながら。
誰かが、蛍の家の受話器を取ったのだと分かったから。
だが、それは。
(一体、誰なんだろう……!?)
取ったのは分かったが、肝心の”誰”が分からない。
何故か無言のままだったから、お互いに。
誰かに取ってもらいたくてたまらなかったはずなのに、取ったと分かった途端、急に声を潜めたくなった。
矛盾した行動なんだろうけど、なんと声をかけたらいいのかが分からない。
もしそれが燐だったのなら気軽に声を掛けるんだろうけど。
相手の顔が見えないことがこれほどもどかしいとは思わなかった。
携帯だったら登録しておいた相手の名前どころかその顔だってすぐに分かることができるのに。
だから蛍は思い込むことにした。
もっとも違和感のない仮定でもって。
(これは多分……燐、だ。燐ならこうして電話に出てくれるはずだし、いつもみたいに話せばいい。それだけのことなんだから……!)
そう自分に言い聞かせているのに声が喉から出てくれない。
透明な電話ボックスの中で汗ばむぐらいに受話器を握りしめているのに、乾ききってしまったように喉が張り付りついて動かない。
息をすることさえ苦しくなるほどに。
だが、このまま出方を待ち続けることはとても苦痛なことだったので、蛍は腹をくくって受話器の向こうの相手に話しかけることに決めた。
燐がちょっとした意地悪をしているとも限らないし、それに。
(一応、まだわたしの家の電話なんだしね)
そう思うと少し気が楽になったのか、がちがちだった蛍の表情が少し和らいでいった。
蛍は受話器を手で押さえると、一旦息を吐く。
息を吸い込んだ勢いで話しかけようと思っていたのだった。
まずは定番の簡単な挨拶からと思っていたのだったが。
その前に。
「……ねぇ」
蛍の小さな心臓がどきりとなった。
何かの声が受話器から聞こえてくる。
それは女の声で尋ねるような口調だったのだが。
(だ、誰の声、だった……?)
蛍はその声に聞き返すよりも先に言葉を発した”誰か”を予測していた。
すぐに頭をフル回転させてみたのだが、それは分からなかった。
ただ、燐でないことだけは分かる。
それだけは絶対に間違いないのだが。
「……」
折角、向こうから話しかけてくれたのにそれでも蛍はまだ口を開かずに、次の言葉を待った。
何故そうしたのかは分からない。
ただ、こちらからも話しかけてしまえば折角紡いだ細い接点が切れてしまう。
そんな気がして。
声をまだ出さなかった。
緊張しすぎて、舌が上手く回りそうにないとも言えるけれど。
ともかく。
細心の注意を払うように、蛍は息づかいさえ聞こえないよう、少し受話器の位置を口元からずらして待つ。
身じろぎすらも抑えるように身を強張らせながら。
まだよく知らない、誰かの声を聞き洩らさないよう耳を傾けて。
蛍はじっと待つ。
また電話口から声が流れてくるのを──。
燐ではない、誰かの声を
待っていた。
身を強張らせる蛍の前の電話機の上に一枚の写真が乗っていた。
さっき落ちた写真で、とりあえずと上に置いたものだったが、そこには。
──蛍の家の廊下に以前飾ってあった、あの”変わった形のお面”が映っていた。
もう処分したはずの面が何故かモノクロの写真に映り込み。
そして、笑っているようにみえた。
歪な、
こちらを見ていた。
──
───
────
ゆるキャン△の聖地のひとつ、ほったらかし温泉に行こうかなーーーと思っていたのでしたが、全然違う方向にある、埼玉の昭和レトロな温泉、玉川温泉に何故か来てたわけなんですが──???
入口にオート三輪が置いてあったりして確かにレトロな佇まいでした。内装もレトロ感満載で、着物を着ていても違和感がないぐらいの昭和テイストでしたねー。年代の違いなのか個人的にはちょっと馴染みの薄いレトロ感でしたけれど。
そういえば何かめっちゃ色んな種類のサイダーが置いてありましたねー。全国のご当地サイダーを網羅しているのではと思うぐらいにー。あと、銭湯なんかではお馴染みの黄色のアヒルも色んなのがありました。もちろん湯舟の方にも浮かんでおりましたしねー。
で、肝心の温泉なのですが……温泉しかなかったーーーです、はい。サウナとかの箸休めみたいな施設は一切ないストロング温泉スタイルでしたねー。まあ、これが本来の温泉の形なんでしょうけれどももも。
泥のパックが無償で体験できるようでしたが、時間が早すぎてまだ利用出来なかったです……それはちょっと残念な感じだったです。
じゃあ、微妙かと聞かれるとそんなことはなくて、まあつるつる。温質がすっごくツルツルで、いい感じでした。
何か割と未知の体験だったかもしれない。まあそこまで温泉に詳しいわけではないのですけど。
それにどうやら源泉の温度が低いらしく、それを温めて温泉にしているらしいです。
土日だけやってる朝風呂が安いので行くならその時間帯がお薦めですねぇー。私もそれを狙って行ったのですが、微妙に時間が過ぎてしまい通常の料金でしたけどー。
風呂上がりに自販機で牛乳が売っているのはもう定番ですが、ここでは食堂みたいなところで輪切りにしたレモンを浮かべたレモン水が飲めたので、それで充分満足かなーと思いました。
こういう風変りな温泉もいいですけれど、いつかはちゃんと”ほったらかし温泉”の方にも行きたいですですねー。まあ結構遠いですけれども──。
ではではー。