We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life.   作:Towelie

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「ふわあぁっ」

 ぺたりと床に座ったまま、シャボン玉を膨らますみたいに大きく口を開けたくまがピンと四肢を伸ばして欠伸を噛み殺した。

 その声に民子(たみこ)──オオモト様は振り向く。

 そういえば今朝はこの”くま”の声で早くから起こされてしまった。

 だからか、普段は少し表情の乏しいオオモト様の顔がぶすっと膨らんでいた。

 それには白い犬──サトくんも同意見の様で、散々弄られた白い毛をもじゃもじゃと逆立てたまま、不機嫌そうな顔でしっぽを丸めて座り込んでいた。

 状況からするとみんなまだ眠たそうみえたのだが。
 
「はぁ……やっぱりおなか空いたクマね」

 ぐーと言う間の抜けた音とともにくまがため息とともに呟く。

 服の上からお腹を押さえながら、空腹を訴えかけている自身の鳩尾の辺りを恨めしそうに見つめていた。

「そうね」

 小さなため息と一緒にオオモト様は言葉をこぼした。

 何とも暢気な仕草に呆れたというか、明らかに空き家みたいな家だろうから、どこにも食べ物なんてないだろうにと。

 軽く家の中を見渡してみてもそれらしいものはとてもありそうにない。

 ただ、良くある田舎の日本の家屋的な建物ではなく、むしろ古びた洋館の様だったから、そこまで廃れたような雰囲気は感じられなかった。

 作りがしっかりしているというか、傷んではいるものの、そこまで荒らされたような形跡はない。

 部屋の中には壊れたアンティーク調の家具や調度品、もう動かなくなった柱時計なんかも残されてあった。

 でも、どのぐらい前からこの屋敷はここにあったのだろう。

 割と部屋数もありそうだったから、結構な家柄の者が住んでいたような気がするが。

 無論、電気なんかは通っていない。
 水道なんかもダメだろうと思う。

 辛うじて天井からぶら下がっているガラスの照明が良く落ちてこなかったものだと感心してしまうほど、ボロボロに朽ちていたから。

 ただ、もう少し、この中を探索してみたい気もする。

 好奇心がそそられるというよりも。

(何となくだけど、懐かしい感じがするのよね、この家……)

 オオモト様がきょろきょろと家の中を見回していると。

「これって何クマ?」

 いつの間にかくまが勝手に人の荷物を開けていた。
 
 それを見たことがないのか、掌に乗せたまま無垢な表情で首を傾げている。

(本当に不思議な子……まるであのふたりと出会った時みたい)

 そんなことを言ったらきっと怒られるとは思うが。

「これは手毬よ。こうして使うのと」

 クマの手から受け取ると、天井に向かってぽうんと放り投げた。

 さまざまな色でかがられた毬はくるくると回転する。

 色彩を伴った幾何学模様がその度に様々な表情に変化した。
 万物が流転していくように、幾度も顔を変えながら。

 それを何度も繰り返す。

 昔やった時のように。

 あの時は同じような子供たちの前でやっていたような気がする。

 みんなくるくると変化する毬の模様をみて楽しんでいた。

「なんか、懐かしい感じがする玩具くまね」

「……そうね」

 ぽうん、ぽうん。

 色とりどりの毬が回転し織りなす模様をくまは黙って眺めていたのだが。

 ぐぅ~。

「やっぱり何か食べないとだめクマ~」

 と、情けない声を上げた。

「じゃあ、何か食べに行きましょう」

 オオモト様は手毬をぽんと手で受け止めると、くまにそう提案をした。

「行く行く行くクマっ!!」

 くまが大きく手を上げる。

 サトくんもそれには同意のようで、立ち上がって一声、わんと鳴いた。

 屋敷の周りを取り囲む鉄格子のような門をくぐって外へ出た。

 その鉄の門もとうの昔に破かれており、いくらでも穴が開いているから誰だって入りたい放題だろうが、こんなところに好き好んではいるものなど誰もいないだろう。

 こんな幽霊屋敷みたいなところに。

 オオモト様は一瞬、屋敷のほうを振り返ったが、すぐに向き直して下界へと続く山道を歩いて行った。

 二人と一匹が崩れた空き家から出て行ったあと。

 随分と昔に止まっていたはずの傾いた柱時計の長い針がかちりと動いた。





Selenarctos

 

「よく分からないのは、さ」

 

 ぱくりとパンケーキを頬張った後でくまは尋ねる。

 

「ほんとうに”ヒヒ”何て言うのが居たという事実くまね。ねぇ、キミは実際に見たんでしょ? 白く大きな猿の姿を」

 

「確かにわたしはヒヒの事を知っているわ。けれどちゃんと見たことはないの」

 

 赤い着物を着た少女は小さく頷くと、白い指で出来立てのハッシュドポテトを両手に持ちはむはむと小分けに口の中へと入れた。

 

 お腹が空いたとくまが嘆き散らかすので、朝からやっていたファストフード店に入ったのはまあいいのだが。

 

(ほんとうにまだ、誰も居ないのね)

 

 田舎の方の町だからむしろ朝は早く、割と人がいるのかと思ったがそうではなかったらしい。

 

 確か、有名なチェーン店のはずなのだが、店内は朝の冷え切った空気と同じでがらんとしていた。

 

 そのせいで二人の少女の声が閑散とした店内に響きまわってしまうことになるのだが。

 

「そうなの? でもヒヒは実在しているんだよね」

 

「ええ、それはそうよ。でもそれを良く知っているのはわたしじゃなくサトくんの方ね」

 

「なるほどクマ。後でサトくんにも聞いてみるクマ」

 

 くまくまと良く喋る少女の問いに静かに頷く。

 

 この少女の語尾が少し変わっているのには特にもう突っ込む気はなかった。

 

 ただ、他の人が聞いたらさぞかし困惑するだろう。

 

 ただでさえ、人気の少ない朝の客がこんなへんてこりんな会話をしている少女ふたりだなんて、おかしく思わないほうがおかしいだろう。

 

 まあ、ただお喋りをしに来ただけではないから、そこまで客としての心象は悪くはないとは思うけれど。

 

「そうね。あの子が話してくれるのならそうしてみればいいわ。話さなくとも分かることがあると思うし」

 

 紙製の白いナプキンでさっと口元を拭うと、口直しの炭酸ドリンクを紙製のストローできゅうっと啜った。

 

 以前はプラスチック製だったストローは、紙を丸めて作ったペーパーストローへと変わってしまったようだった。

 

 環境への配慮からこうなったらしいが……どうにも味気なく感じる。

 

 中身は一緒なのにとても奇妙なことだとは思うけど。

 

「……中々やるクマね」

 

「どうかしたの?」

 

 くまにぽかんと口を開けて見つめられていたの問いかけるオオモト様。

 

 目を丸くしている所を見るとよほど不思議なものでも見たらしい。

 

 そんな変なものがどこにあるのかと。

 

「見た目の割に良く食べるねよね、キミは。明らかにキャパオーバーしていないクマ?」

 

「? 無理をしているように見えるかしら」

 

 きょとんとする少女にくまは呆れたように肩をすくめて注文したドリンクを一気に飲み干した。

 

 ちゅうううぅぅ。

 

 気恥ずかしいというか、少しみっともない音が僅かばかりのBGMを流している店内に響き渡る。

 

 カウンターから遠い座席とは言えこれは結構うるさく感じるだろう。

 

 見た目通りの元気な少女らしいといえばそうなのだろうが。

 

 ──この、”くま”と名乗った少女からは、いわゆる普通の”野生の熊らしさ”のようなものは微塵も感じられない。

 

 だからただの愛称なのではと思っている。

 

 服装だって袖の無い綺麗な空色のワンピースを着ているし、足元だって年齢相当と言ってもいいパステルカラーの小さなスニーカーを履いている。

 

 はきはきと声の元気な少女にはピッタリの動きやすい服装だった。

 

 流石に毛むくじゃらのものを手足に着けているような様相をしてはいない。

 

 それに()()()は流石に付けてなさそうだった。

 

 上着の下を見てはいないからその辺りはまだ不明なのだが。

 

 アクセサリーとしては付けていても問題なさそうな気はする。

 

 曲がりなりにも自らを”くま”と名乗っていることだし。

 

(まあ、強いて言うのなら、あれぐらい、かしらね)

 

 少し赤味の掛かった長い髪の上のカチューシャだろうか。

 そこに毛糸で作ったような丸い動物の耳がちょこんと乗っている。

 

 せいぜいそれぐらいで他は殆ど人間と言ってもいい。

 

 ()()()()()()をしているだけなのかもしれないが。

 

 自分と同じように。

 

「あなたの方がとても変わっているわ。あなたみたいな子は今まで見たことがないもの」

 

「そうクマか? キミのほうがよっぱど変わっていると思うけどね。色々と」

 

「そうなの?」

 

 オオモト様は他人事のように小さく口を開けたまま首を傾げる。

 

 何か、はっきりとわかるおかしなところでも自分にあるのだろうか。

 

 ”くま”と名乗る不思議な少女から見ても。

 

 まあ、それは今更かもしれないことだけど。

 

(おかしいのは”外見”じゃなくて”中身”ということかしらね。この子からも不思議なものを感じるし。これは偶然じゃなく、出会うべくして出会ったものなのかもしれない)

 

 偶然と必然の違いなんてものはないに等しいわけだし。

 

 奇妙な縁というか、何か宿命的なものを感じる。

 

 こんなことを考えること自体がとても珍しいことだとは思っているけど。

 

 ぱくり。

 

 揚げたじゃがいも(ハッシュドポテト)を無造作に口に入れた。

 

 もう二個目……三個目だったかしら?

 良くは覚えてないけど。

 

「流石に、食べ過ぎなんじゃないクマか? 見かけによらず大食漢すぎるクマぁ」

 

 くまは呆れたように呟いた。

 

 くまの前のテーブルにはSサイズのドリンクと食べ終わったパンケーキ一つ分のトレイしか置かれてはいなかったが、オオモト様のテーブルの前にはポテトやバーガーを包んでいた紙屑がいくつも散乱している。

 

 ドリンクは何故か3つ分もあり、その内の2つは既に氷だけになっていた。

 

 食べ過ぎという言葉が全く似合ってしまう有様ではあった。

 

 それでもまだ足りないのかちらりとカウンターの方を窺う黒髪の少女。

 

「まだ、食べる気かクマ?」

 

 もう呆れてなにも出ないくまは肩をすくめて両手を頭の後ろへと回した。

 

「そうね」

 

 だが、くまの思いとは裏腹にオオモト様はまだいけるとばかりにメニューを見だしていた。

 

 もう勝手にしてくれと言わんばかりに向かいの席に座る少女は両手で頭を挟み込んで興味なさそうに閑散とした店内を見渡していた。

 

 ……

 ……

 

「そういえばさぁ」

 

 クッション性のある背もたれに寄りかかっていたくまの少女がぴょこっと上体を起こして尋ねる。

 

 細い両肘で顔を押さえながら、テーブルの上でにこにことした顔を作っていた。

 

 そのことに少しの違和感を感じたが、座敷童の少女の方は取り立てて気にせず、先ほど注文したばかりのエッグマフィンをその小さな口の中へとパクリと放り込んでいた。

 

「キミって、”オオモト様”って呼ばれているんだっけ? あの町で」

 

「……」

 

 表情は変わらなかったが、つい手が止まっていた。

 

 何故そのことを知っているんだろうという疑念が、向かい合う緋色の目をもつ少女をまっすぐに見つめる視線となって表れていた。

 

「おどろいたクマ?」

 

「ええ、少し」

 

 得意満面に鼻を鳴らすくまにオオモト様は素直にそう頷いていた。

 

「実は……クマ」

 

 勿体付けているとばかりにワザとらしく咳ばらいをすると、何故か少し慎重に話始める、くま。

 

 黒髪の少女の表情は相変わらずだったが、それでも手にしたマフィンを食べるつもりは無いようで、何かを察したようにそっとトレイの上に戻していた。

 

「ボクもざっきぃの居た、小平口町に行ったことがあるんだクマよ。知っていたクマか?」

 

「いいえ、知らなかったわ。あなたがあの町にまで来ていたことなんて」

 

 これが初めての出会いだと認識しているのだから当然なのだろうけど。

 

 まさかあの町にまで来ていたとは思わなかった。

 

「あ~、でも今は名前が変わったんだよね。近くの町と合併したって聞いたけど……? 確か大平口町とか言ってたっけ」

 

「そう、みたいね」

 

 ややぶっきらぼうに答えるオオモト様に少し意地の悪い笑みを浮かべるくま。

 

 まるで全てお見通しのように。

 

「くまままっ~、キミがあの町を出たのはそれが理由だったりとか。割と可愛い所があるクマね」

 

「そんなつもりは無いわ。ただ、たまたまそうなったってだけで」

 

「もしかして、偶然ってことが言いたいのかい? もぉー、素直じゃないクマねぇ」

 

「……違うって言っているのに」

 

 口に手を当ててほくそ笑むクマに、オオモト様は溜息を吐くと、食べかけだったマフィンを一息に頬張った。

 

 ……

 ……

 

「それで、あなたの方はどうなの?」

 

「どうって、クマ?」

 

 そう言ってオオモト様は自分の事を指さす少女の方へと向きなおった。

 

 丸い大きな瞳と視線がぶつかる。

 

(昨日の夜にみたときは狒狒(ヒヒ)のものと勘違いしてしまったけれど)

 

 どれが”本当の目”だったんだろうかと思う。

 

 闇の中から見ていたのは、獣が獲物を狙うような鋭い目つき。

 

 目の前にいる少女が発していたとは到底思えないような敵意を持った二つの瞳だった。

 

「ねぇ。結局あなたは何者なの? まさか、本当の熊だなんて言わないとは思っているけれど」

 

 この”クマ”に対して駆け引きなんて無用だと思ったから単刀直入に訊ねた。

 

 何か、人とは違うものを感じてはいるが、それが何なのかがはっきりしてこない。

 

 野生の熊というよりも、ヒヒやサトくんのような獣とは違ったモノに近い気はする。

 

(むしろ、自分と似たような存在……人でないもの……)

 

 頭に付いている”耳”は単に飾りではないのだろう。

 

 くまが何かする度にぴくぴくと動いているみたいだから。

 

「くまはれっきとしたクマだよ。何なら親しみを込めて”くまリン”と呼んでもいいクマよ」

 

 ぷにっとした頬に指を当ててにこっと微笑むくま。

 だがオオモト様は申し訳なさそうな顔で。

 

「ごめんなさい。それは遠慮しておくわ」

 

 即時否定されてしまい、流石のクマも呆気に取られた顔になったがすぐに表情を戻すと何かを察したように少し顔を近づけてきた。

 

「むー? もしかして。ボクのこと……ぬいぐるみのクマかなにかなんて思ってないクマか」

 

「……」

 

 これはどうやら図星だったらしくオオモト様は口を噤んで黙ってしまった。

 

 野生の勘というやつだろうか。

 

「もー、違うクマ、違うクマ、違うクマ──!!」

 

 くまはぐるぐると手を回して全力で否定をする。

 

 奥に引っ込んでいたファストフードの店員がこちらを振り向いてびくっとなっていた。

 

「ボクは由緒正しい”ツキノワグマ”なんだクマー!! ヒグマやグリズリーとは違うクマよっ。むしろアイツ等は敵クマっ! がうっっ!!」

 

 熊だと必死に言い張る少女は両手を上に突き出して襲い掛かるようなポーズを取った。

 

 正直、どっちでもいいと思う。

 

 この子が言えば言うほど余計に胡散臭さが増していく気がするから。

 

「……その顔はとても信じられないと言う顔クマね」

 

 はぁ、とくまは小さく息をこぼすと。

 

「ちょうどいい機会だから素敵なくまのエピソードをざっきぃに存分に語ってあげるくまっ! 耳の穴を綺麗にしてよく聞いておくクマクマっ!」

 

 ソファの上に立ち上がってびしっと指を差すくまの少女。

 

 明らかな営業妨害だったが、何故か店員からの注意等はなかった。

 

 多分、厄介な客として相手にされていないのだと思う。

 

 指を差された黒髪の少女は無言でそれを受けとめながら、口の中のマフィンをもぐもぐと咀嚼させた。

 

 ついでに両方の耳の穴に軽く指を入れて、掃除しているような仕草も一応とった。

 

 いちいちリアクションと声が大きいのには、少し疲れてしまうが、この少女の素性がが知りたかったのは確かだった。

 

 なので口を挟むつもりは毛頭ない。

 

 どうせ自分は朝食をただ食べているだけなのだし。

 

「そうクマねえ……あれはいつの頃のできごとだったか……」

 

 くまはふんすと腕を組みながら過去の記憶を思い出そうとして、遠くを見るような仕草をとった。

 

 よくよく見て見ると本当に綺麗な子だとは思う。

 

 こうして黙っていて、しかも語尾に”クマ”をつけなければの話だが。

 

(……)

 

 オオモト様はその事には何も触れずに、黙ってくまの話に耳を傾けることにした。

 

「昔、とある偉い人が何人かの猟師と一緒に山に狩りをしに来たんだクマ。で、最初は仕留めやすい鹿やウサギを飼っていたんだクマよ。けど、欲が出てきたのかもっと手ごたえのある大きな獲物を狩りたくなってきたんだクマ。まったく人間とは本当に欲深いクマねぇ……」

 

「じゃあ、その時のクマがあなたなのね」

 

 最後の方は余計な言葉だとは思ったが、さっさと結論を言うオオモト様にくまは顔を赤くしてぷくっと頬を膨らませた。

 

「流石に話を端折りすぎだクマ~! ここからが面白くなるところだからもうちょっと我慢して聞いてて欲しいクマっ。あ、何なら飴玉でも食べるくま?」

 

 本当にポケットからアメ玉を差し出すくまにオオモト様は無言で首を振った。

 

(それにしても、面白くなるって……それに何だかくまに子ども扱いされているわね)

 

 だからって、おとぎ話でも聞かせるつもりかしら。

 

 少し訝しそうに眉根を寄せながら頬に手を当てた。

 

「ここからが抱腹絶倒、空前絶後なんだクマよ~。最後までよく聞クマっ」

 

 くまはこれからが本番とばかりに紙製のカップに残ったコーラを氷ごと一気に飲むと、ばりばりと噛み砕きながら話の続きをした。

 

 表現が少し古めかしいとは思ったが、その辺りは少し自分に似ている。

 

 座敷童の少女は本心からそう思った。

 

「確かに、”クマ”が狙われたんだクマ。でも勘違いしないで欲しいクマっ。たまたま罠にかかっただけなんだクマよ。普段だったらあんな間抜けなことにはならないクマねっ」

 

 聞いてもいない事ばかりべらべらと喋るくまに、流石のオオモト様も少し呆れた息を吐いた。

 

 この分だと本題に入るにはまだ更に時間がかかるだろう。

 オオモト様は小さく肩をすくめると、静かな声で仕方なしに合いの手を入れた。

 

「それで、その”賢い熊ちゃん”が()()()()()()にかかった後にどうなったの?」

 

「それは……うん……クマぁ……」

 

 そうオオモト様に問われたくまだったが、何故か恥ずかしそうに指をすり合わせながら、うーと唸ると視線を横へと泳がせていた。

 

 ずっと流暢だったくまの口が急に止まってしまったことにオオモト様は首をひねる。

 

 何があったんだろう、と。

 

(この子のことだから簡単に脱出したという訳じゃ……なさそうね)

 

 よく見るとくまの細い指が微かに震えていた。

 唇をきゅっと噛みしめ何かを堪えるように俯いている。

 

 多分、これ以上は言いたくはないのだろう。

 

 自分から語っておいて何か変な気はするが。

 

 本当は思い出したくはない事とはそういうものなのかもしれない。

 

「く、くまっ!?」

 

 オオモト様はテーブルの上の少女の手のその上から重ね合わせるようにぎゅっと握った。

 

 何故そんなことをしたのかは自分でもわかってはいない。

 

 けれど、そうしたいと思っていたのだ。

 この時は。

 

(同情……とは違うわね、きっと。この場合”共鳴的”というべきなのかしら)

 

 彼女との何が惹かれ合っているのか。

 その辺はよく分からない。

 

 今はこの子にそうしてあげたいという思いが浮かびそれを実行に移しただけのことだった。

 

 きっとそれだけ。

 

 まだよく分からない子だし。

 

「あなたにも色々あるのね。これ以上は無理に話さなくてもいいのよ」

 

 少し言葉を選んで話す。

 

 何かはあるのかとは思っているけれど、嫌な思いをさせてまで聞きだしたいとは思っていない。

 

 見た目以上に心中では複雑な思いがありそうなのが分かっただけでも十分だと思った。

 

 けれど。

 

「それは、くまも分かってる……だけど」

 

「?」

 

 くまは添えられた白い手をぎゅっと握ると。

 

「ここからが面白いところなんだクマっ! だから聞いてやっぱり欲しいクマ!!」

 

 顔どころかシートから立ち上がって、雄たけびのような声でそう言っていた。

 

 それこそ小さな()()のように。

 

 急な変化に開いた口がふさがらないオオモト様をよそに、くまはもう勝手に続きを話し始めた。

 

 先ほどよりもより雄弁な口調で。

 

「絶体絶命のくまちゃん!! だがその偉い人の連中は何故か途中で狩りを止めて立ち去ってしまったんだクマ」

 

「クマが不思議そうにそれを見送っていたその時だったクマっ! そこに何とっ!!」

 

「……ちゃんと聞いているクマか? ここからがくまの重要なところクマよ」

 

 律義に確認を取るクマ耳少女に固まったままの黒髪の少女はこくこくと頷いた。

 

「そんなとき、雲間から金色の光を差し込み、くまの体を照らし出したんだくまっ。そうしたら大きな熊の体は可愛らしい人間の少女の姿に変わっていた……という話だったんだクマ! さあ、存分に泣いてもいいクマよ。ハンカチならいくらでもあることだし」

 

 そう言ってくまはテーブルに備えてあった紙製のナプキンで自分の目元を拭う。

 

 明らかに出し過ぎているようで、きちんとそろえて置いてあった白いナプキンは一度で半分ほどなくなっていた。

 

「どうって……」

 

 どう答えたらいいのだろう。

 

 お話は、まあまあそこそこ面白かったとは思うけれど。

 

(どこまで信用したらいいものかしら)

 

 オオモト様は困惑気味に少し困った顔になった。

 

 いわゆるツッコミどころが分からないという状況だった。

 

 だが、少しでも共感するところがあったのだから何か言ってあげないとはいけないと思う。

 

 例え荒唐無稽で雲を掴むような話であったとしても。

 

「どうくま? すっごく驚いたクマでしょ?」

 

 元クマとおぼしき少女が身を乗り出して感想を求めてきた。

 

 言い寄られた少女の方は眉根を寄せて少し考え込むような素振りを見せると。

 

「そ、そうね。面白かったわ」

 

 そう小さく口を開いた。

 

 何とも不思議すぎる話だったので、取り立てて言えることと言えばそれだけだったのだが、向かい側に座る少女は明らかに不満げな顔をしていた。

 

「がう~、それだけだったクマかぁ。もっとこう、ものすんごく感動して号泣ものだったっ!! とか、映画化決定!! とかの具体的な感想はないかくまっ」

 

 自称、くまが変化した少女は、あれこれ言いたい放題に言葉を並べていた。

 

 それだけ自分で言えばもう十分な気もするが。

 

「ごめんなさい。話がまだ良く見えてなくて」

 

「う~ん、確かにちょっと難しい話だったかもね。まあ……いちどじゃ理解できないのと思うのは無理ないクマね」

 

 自身でだした結論に納得したのか、くまはうんうんとひとりで頷いていた。

 

 オオモト様は深くため息をついた。

 

「ともかく、朝食が良いのなら出ましょうか。お腹の虫も収まったようだし」

 

 ……

 ……

 ……

 

「そういえばサトくんは? てっきりくまたちと一緒に食べるものかと思ってたのに」

 

 きょろきょろと見渡しながらくまがたずねる。

 

 白い犬の姿は二人がファストフード店で朝食をとっている間、一度も見かけることは無かった。

 

 オオモト様はそれほど気にしていないようで、前だけを見て呟く。

 

「あの子はひとりでも大丈夫よ。わたしなんかよりもよっぽど要領がいい子だし」

 

 山から下りてくる際に白い犬はさっさと何処かへ行ってしまった。

 

 何か不穏なものを感じたというよりも、ひとりで行動したかったのだと思う。

 元々そういう子だったし。

 

 どうせすぐに会えるだろうと思っていたから引き留めるようなことはしなかった。

 

 

 二人は異変を感じた河悟町(かわごちょう)から少し離れた隣の町までやってきていた。

 

 こちらもあの町と同じく、のどかな感じの田舎の町とか見えない。

 

 高い山々とどこまでも続いて行きそうな田園風景にまばらに家が建っているだけ。

 

 何かの製品工場なんかも多少はあるようだが、別段おかしな点なんかは見受けられない。

 

 典型的な山間の町。

 

 そうとしか形容できなかった。

 

「やっぱり無意味なんじゃないかクマ。この分だとこの地域一帯の町を調べかねないみたいになるクマよ? 徒労も徒労だクマ」

 

 呆れたようにそう言い放つくま。

 

 その割には一緒に付いてくる辺り、案外律義なのかもしれない。

 

 暇を持て余しているのかもしれないが。

 

「まあ、確かにそうね」

 

 そう同意を示す様な発言をするオオモト様だったが。

 

「でも、分からない以上は見て回る他ないわ。じっと黙って待っていたって何かが改善されるとは思わないもの」

 

「それはそうかもしれないけどぉ……ざっきぃは大丈夫なのクマ?」

 

「大丈夫って何が?」

 

 ”ざっきぃ”と呼ばれたことにまだ違和感があるのか、少女は少し眉を寄せてくまに聞き返す。

 

 恥ずかしさを我慢してまでわざわざ本名を名乗ったのにとは思ったが、どうせそう言ってもこのくまは聞き入れそうにないのでそれはもう黙っておくことにした。

 

(少しだけ残念な気持ちもあるけれど、どういった思いなのかしらね、これは)

 

 まだ知り合って日の浅いこの子に一体何を期待しているのだろうか。

 

 そんなことは無駄何てことは充分に分かっているのに。

 

「まだ朝ご飯しか食べてなかったからだよっ、もうとっくにお昼過ぎちゃったジャン」

 

 そう不満げに言うクマだったが、オオモト様はさっさと歩き出していた。

 

 熊耳を着けた少女はスキップでもするようにその後ろについて歩くと、すぐにその隣に並び立った。

 

「ねぇ、ざっきぃ、そろそろ何か食べようよぉ。この辺りにおいしいお店があるって、さっき言ってたクマよぉ」

 

 オオモト様の腕に縋りつきながら懇願するくま。

 

 くっつかれると暑くてたまらないのでオオモト様は少し眉をひそめた。

 

「くまは、街の人達にそんな事ばかり聞いていたわよね。ご当地がどうのって」

 

「それは、聞き込みの常とう手段クマっ。当たり障りのない話からその真意を探るって言う、探偵ものならの盤石の定番的行動。能ある熊は爪を隠す、クマっ」

 

 えへんと胸を張るくま。

 オオモト様は一瞬面食らったような顔になったが。

 

「それで、その成果は得られたのかしら」

 

 オオモト様は軽くくまに微笑んだ。

 

 冷たいような感じはなく、むしろ少し楽しんでいる風で。

 

 くまはむぅ~と唸ると。

 

「まあ、釣果は上々といったところくまね。魚影は見えた感じがしたくま」

 

「そう……魚影ね」

 

 分かりやすい威勢を張るくまにくすっとオオモト様は含んだ笑みをみせた。

 

「そんな事よりも、ざっきぃ~、早く何か食べよう~。さっきからくまのお腹ぐうぐうなってるくまよ~。このままだと、お腹の中の猛獣が目を覚ましてしまうクマぁ~」

 

「……あなたのいうクマって、そういう事だったのね」

 

 オオモト様は納得したのか手を小さく叩いて頷いていた。

 

「ボクはそんなに食いしん坊じゃないくまっ。むしろキミの方がいっぱい食べてたじゃないかっ」

 

「そうだったかしら? 別に普通ぐらいだと思っているけど」

 

「あれは普通の量じゃなかったクマよ。ざっと四人前ぐらいはぺろりと食べていたくま……ざっきぃは見かけによらずガッツリ系くまね」

 

(がっつり……? どういう意味かしら?)

 

 あまり聞き覚えの無い単語にざっきぃと呼ばれている座敷童の少女は首をかしげた。

 

 ただ音の響きから何となく意味は分かる。

 

 なので、反論するように呟いた。

 

「でも、わたしは朝しか食べないから」

 

「……っ!!! マジくまかっ!!?? 死ぬクマよっ!!」

 

 ただでさえ高い声をだすくまが今日一番の声で叫んでいた。

 

 傍で叫ばれたオオモト様は片手で思わず耳を抑えていた。

 

 きーんとした耳鳴りが脳髄を突き抜けて反対方向にまで抜けるまで少し時間がかかるほどだった。

 

「……っ!」

 

 立ち眩みみたいに一瞬くらっとなった身体を細い両足を踏ん張って支える。

 

「はぁ」

 

 オオモト様はひどく疲れたように深く深呼吸をする。

 こめかみが少しズキズキとした。

 

「……それぐらいじゃ死なないわ……もっとも、生きているかどうかすら自分ではわかっていないけど」

 

 そう言った後でまた深い息を吐いた。

 

 頭上の日差しなんかよりもずっとしんどい。

 音の強さと言うものを肌で感じたのはこれが初めてのことだった。

 

「そんな婆臭い言っていないでさっさと食べに行くクマっ。人間らしく美味しいものを食べれば些細な悩み何て吹き飛ぶよクマ」

 

「わたしはそういう事を言っているわけじゃ……」

 

 ぐいぐいと背中を押される。

 見かけによらず強い力だったのでおもわずつんのめりそうになった。

 

「細かい事は食べながら聞いてあげるクマ。さっき聞いた話だとこの辺りに美味しいソースカツ丼を食べさせてくれるお店があるって言ってたから、さっそく行ってみるクマっ!」

 

「あなた、もしかしてワザとこの辺りを歩かせてたんじゃ……?」

 

「バレたクマ? まあまあもし美味しくなかったら町の人達が嘘を吐いていたことになるクマ。つまり”疑わしい証拠”ってことクマ。だからそれを証明しにいクマーー」

 

 もっともらしい詭弁を並べながら、なおも背中を押すクマにオオモト様は内心呆れかえっていたが。

 

「分かったわ。でもこのままだと転んでしまうから押さなくともいいのよ」

 

「そうクマかっ!」

 

 くまは急に背中を押す手をぱっと離すと、くるりと身体を柔らかく翻して、オオモト様の手を取った。

 

 くまの細い指に包まれて、不意に胸の奥があったかくなった。

 

 白くしなやかな指先はまるで人形のよう。

 けれどそこには確かな温もりがあって、ずっとこうしていたい衝動にすら駆られる。

 

(わたしが本当に欲しかったもの……それはまさかこんなことなの?)

 

 内心訝しくなる。

 

 もうずっと遠い時を過ごしてきた気がするけど、それの答えがこんなことだったんだろうか。

 

 本当に単純で。

 

 ごく、ありふれたことが。

 

「どうしたクマか。急に立ち止まって?」

 

 いつの間にかとても大きな二つの瞳に顔を覗き込まれていた。

 

「えっと」

 

 初めて恥ずかしさを覚えたように、少女は口ごもる。

 

 たおやかなその仕草は、その少女特有の艶のようなものをふんわりと漂わせていた。

 

「さあさあ、ぼんやりとしてないでこっちに行くクマ。善は急げクマっ」

 

「あっ!」

 

 ぐいっと強い力で手を引っ張られる。

 

 体ごと持っていかれそうになり、オオモト様少し慌ててくまの引っ張る方へと足を動かした。

 

 くまはそんな様子に満面の笑みを浮かべていた。

 

 それは燦々と登る日差しよりもずっと眩しく見える。

 

(もし、あの時のわたしに同じぐらいの友達が出来ていたら……)

 

 こんな感じだったのだろうか。

 

 少し引っ込み思案で人見知りなわたしを無理やりに引っ張り回していくみたいに。

 

「あの、二人みたい」

 

「……どうかしたクマ?」

 

 くすっと笑みをこぼすオオモト様にくまは振りむいて首を傾げていた。

 

「いいえ、何でもないわ。それより急がなくていいの? そんなに美味しいお店だとしたら、お昼時には売り切れる可能性もあるんじゃないかしら?」

 

 そうくまに促す。

 

 ちょっと強引すぎるかもと思ったが。

 

 くまに思っていたよりも効果的だったようで。

 

「た、確かにっ!! それは十分あり得ることクマね」

 

「ええ、だから少し急いだほうが……」

 

 オオモト様が喋り終わる前にクマは走り出していた。

 

 手を引かれたままその後を必死について行く黒髪の少女。

 

 着物と下駄(ぽっくり)という出で立ちでは走るという行為に適しているとは言えない。

 

 けれども、少女は一生懸命について行く。

 

 まるで、幻想から出てきたような容姿のくまの引いていく先にこそ、自分の本当に求めていたものがあるみたいに。

 

 真っ直ぐ前だけを見つめて。

 

 ──

 ──

 ──

 

「ふい~、美味しかったくま~。()()も美味しかったクマだけど、デザートで頼んだアイスがまた格別だったくまねぇ」

 

 くまは店を出るなり満足気にそう呟く。

 

 オオモト様は少し楽しそうにその様子を眺めていた。

 

「ええ、確かに。落ち着いたいいお店だったわ」

 

「そんなに混んでいなくて良かったクマね……っていうか、ざっきぃ~」

 

 くまがにやにやと見つめている。

 

「何も食べないと言いながらアイスだけは頼んでいたもんねぇ。やっぱりデザートは別腹なのかなー?」

 

「そういう訳じゃないわ」

 

 オオモト様はくまの顔を見ないでそう言った。

 

「ただ、店に入って何も頼まないのは失礼だと思ったから頼んだだけよ」

 

「そうクマかぁ~。その割には三つもアイスを食べていたようだけれど~」

 

 さらに顔を近づけてくる。

 

 まったく、この子には情緒というものが少し足りていない気がした。

 

 黒髪の少女ははぁ、と息を漏らした。

 

「今日は暑かったから……それだけよ。あなたこそ、朝とは打って変わっていっぱい食べていたわね。”くま”はそんなに食べないんじゃなかったの?」

 

 ちょっとしつこく感じたのか、オオモト様はくまに対してチクリとした口調で返す。

 

 他人に対してこんな風にムキになる事自体、そうとう珍しいことなのだが。

 

 本人はその事に全く気付いてはおらず、少し意地悪そうにクマにそう問いかけていた。

 

「お、美味しいものはいっぱい食べるのが道理なんだクマっ! それに本来の熊はもっともっといっぱい食べるんだから、むしろくまは全然小食な方のクマさんなんだよ」

 

 ”くま”の言う”熊”とは本当の方のクマの方だろう。

 

 あれらと比較したら確かに小食とも呼べるだろうが。

 

「それにしても本当にデザートだけで大丈夫なのかぁ? 後でお腹が空いて倒れてもしらないクマよ」

 

「心配しなくても大丈夫よ。むしろちゃんとした食事がとれるだけありがたい方だわ。それにお茶も美味しかったし」

 

 オオモト様はこの時期に冷水などではなく、熱いお茶を飲んでいた。

 

 冷たいアイスと熱い煎茶だったから、組み合わせはそこまで悪くはないだろうけど。

 

(やっぱり、ざっきぃって……)

 

 くまは珍しく口をもごっとさせて、出掛かった言葉を飲み込んでいた。

 

 急に変な行動をとったクマにオオモト様はそっと声を掛ける。

 

「もしかして、胸やけでも起こしたの? ドングリでも拾ってきた方がいいのかしら?」

 

 お昼の際、くまはかなりの速さで丼を平らげていたから気になってはいた。

 

 彼女の言う本来の熊だったら、消化を助けるために小石や木の実を飲み込んだりする事を聞いたことがあるから聞いてみたのだったが。

 

「もうそんなんじゃないクマっ! 心配なのはくまのほうじゃなくてざっきぃの方だクマっ!!」

 

「わたし、が?」

 

「そうクマよっ! くまの聞いた話だと小平口町の座敷童はあまり良い扱いを受けていなかったと聞いてるんだ。ねぇ……それってやっぱりざっきぃの事を言っているんだクマ? だとしらキミは……」

 

「…………」

 

 くまの質問にオオモト様は何も言わなかった。

 

 ただ、そっと目を伏せるだけで。

 

 

 蒼く、澄み渡っていた空があかね色に染まっていく。

 

 逢魔が時。

 

 何があってもおかしくない時刻。

 

 空だけは至る土地が変わってもなにも変わりはしない。

 

 意味もなくただ過ぎていくだけ。

 

 あの町でもここでもわたしの居場所などどこにもないのだろう。

 

 訪れる、夜の闇と共に消えてしまいそうになる。

 

 それでも、良かったのだけれど。

 

「……うん」

 

 くまの少女はそう小さく頷く。

 

「ざっきぃ、そろそろ帰ろうか。続きはまた明日一緒に調べればいいクマ」

 

 消えかかった僅かな輪郭を繋ぎとめるように、つないだ手をぎゅっと握りしめる。

 

 手の温もりなんかよりも、その言葉が嬉しかった。

 

 ただ、普通に声を掛けてくれたことが。

 同じ視線で。

 

「そうね……うん」

 

 わたしはそう頷いていた。

 

 そんな気なんて、一切頭には浮かんでいないというのに。

 

 多分、この子のことが気に入ったんだろうと思う。

 

 それはいつまでのものかは分からないけど。

 

 ──

 ──

 ──

 

「ほんとうに探しにいくつもり? いくらキミでも今から森の中に入るのはおススメできないクマよ」

 

「それは分かっているわ、だけど……」

 

 オオモト様はそれだけを言うとランタンを片手に、使い捨てられた廃墟から暗い夜の森へ出かけに行こうとする。

 

「それにあの子は賢い子くまよ。それはよく分かってるんでしょ?」

 

「うん」

 

 廃墟となった拠点に戻り、しばらく待ってみたのだが白い犬──サトくんはまだ戻ってはこなかった。

 

 あの子が見かけ以上に賢い子だというのはわざわざ言われなくても分かっている。

 

 だからこそ、戻ってこれない事情があるのではと思ってのことだった。

 

「くまはここで残っていて。入れ違いになるかもしれないし」

 

 釘を押すようにくまにそう言って急いで外へと出て行こうとしたのだが。

 

「もぉ、仕方がないクマねぇ」

 

 クマはひょいとオオモト様の手からランタンを取ると、代わりにその手を自分の手で握った。

 

「くまも一緒について行ってあげるクマっ」

 

「けれど、それだと……」

 

「大丈夫。サトくんは例え入れ違いになってもちゃんと待っててくれる子クマ。まだ少ししか知り合ってないけどそういうのは自然と分かるんだクマ」

 

「くまはあの子の気持ちとか、言葉とか分かるの?」

 

「それは流石に無理クマよ」

 

 あっさりとそう答える。

 

「けど、気配というか雰囲気でそういうのが分かるクマね。共鳴とか周波数とかそういう感触? その辺はボクも良く分かっていないクマ」

 

「そうなのね……でもありがとう。あなたがそう言ってくれると安心するわ。もうちょっとだけ彼を待つことにする」

 

「うんうん、やっぱり信頼関係は大事クマだねっ」

 

「そうね。あの子の事、もっと信用してあげないといけないわね」

 

 オオモト様はくすっと笑うと、くまの頭にすっと手を置き、柔らかくその頭をぽんぽんと撫でた。

 

 同じぐらいの背丈同士だから何か変な感じだったが、そうしてあげることが何故か不思議と自然な感じがしたのだ。

 

 クマっ、と”くま”は一瞬ひるんだような声をだしたが、その後は普通に撫でられている。

 

 獰猛な獣があやされた時のように、くまはやけに従順だった。

 

「何か……恥ずかしいクマね……」

 

 くまは頬を赤くして頬を掻く。

 それでも手を払いのけるようなことはしない。

 

「そう? そういえば、あなたのこの、”耳”って本物なの」

 

 さわさわさわ。

 

「ひゃあぁっ!?」

 

「あ、ごめんなさい。痛かった?」

 

 これまで聞いたことのない悲鳴のような声をあげて抱き付いてくるくまに、オオモト様は少し驚いてしまった。

 

「痛くはなけど……そこは敏感だから、あまり触らないで……クマ」

 

 とても柔らかくふわふわしてたから、やっぱり作り物の耳かと思ったのだが。

 

 くまの反応からするとどうやら本物のようだ。

 

(でも、普通の耳はちゃんとあるのよね?)

 

 オオモト様は内心不思議そうに首を傾げていた。

 

 しばらく二人はくっついてじっとしていたが、やがてくまがおずおずと口を開く。

 

「と、ともかく……キミが探すっていうのならボクも同行する。これでもボディーガードぐらいにはなれる自信はある、クマよ」

 

 くまがオオモト様の顔をみてそう言ったときだった。

 

「わんわんわん」

 

 二人の会話を縫って犬の吠え声が耳に届く。

 

 良くみると白い犬が二人のすぐ傍で座りこんでいた。

 

 あまりに近い声だったから、もしやとは思ったが、こんなに近くにいたなんて。

 

 彼なりに気を使ったつもりなんだろうか。

 

「あら、戻ってきてたのね。今、あなたのことをくまと一緒に探しに行こうとしていたところだったのよ」

 

 オオモト様はぱっと顔を明るくすると、その場でしゃがみ込み、犬の小さな頭を撫でてあげた。

 

「そうだぞっ、サトくん。ご主人様にあんまり心配かけちゃダメなんだクマっ」

 

 くまは両腕を組んで諭すようにびしっとサトくんを指さしていた。

 

 この場合のご主人様はどちらのことを指しているのかは分からなかったが。

 

 だが当然、白い犬の方にはまったく伝わってなく、オオモト様に撫でてもらえていることに喜んでいるのか、くまの方を見ることなくぴょこんとした尻尾を左右に大きく振っている。

 

 その様子にくまは、むーと少し不満げに頬をぷっくりと丸くしていた。

 

「ちゃんと戻ってこれていい子ね」

 

「わんっ」

 

「……」

 

「……全くもうっ、しょうがないサトくんクマねぇ。うりうりうりっ」

 

 とうとう根負けしたのか、くまはオオモト様の隣でぴょんと両足を揃えてしゃがむと、絹のようにふわっとしたサトくんの顎のあたりを両手でもしゃもしゃと撫でまわした。

 

 少女達に頭だけでなく全身まで撫でられて、さぞご満悦と言った感じのサトくんだったのだが

 

「あっ」

 

 犬はもう一度わんと一声鳴くと、二人の手からするっと離れて、少し先の道でこちらを振り返る。

 

 オオモト様はピンときたのかそっと呟いた。

 

「ついてこい……あの子はそう、言っているみたいね」

 

「キミに分かるクマか!? サトくんの言ってる事が」

 

「ええ、多分。ただ、あなたとは違う感覚とは思うけれど、そう言っている風に思えたの。もっとも、こういう事が分かるようになったのは他の人達のおかげなんだけど」

 

「それって、ざっきぃと友達の人クマか?」

 

「友達……そうね」

 

 少女は曖昧な言葉でくまにそう言った。

 

(ともだち……なのかしらね? あの子達と)

 

 蛍と、燐。

 

 あの異変の後から、二人とは何か特別な結びつきが生まれたような気がする。

 

 微妙に噛み合わないけれど、それがむしろ心地よいような。

 

 単純に接触を重ねたせいなのかもしれない。

 それが例え間接的であったとしてもだ。

 

 これを”異変”という言葉で片づけるのは何かが違う気もする。

 

 もっと大事で、でも壊れやすいもの。

 

 水のように澄みきった関係性が蛍と燐のとの間で築かれている。

 

 そう思っているのだ、わたしは。

 

 勝手な事だとは思っているけれど。

 

(そうでないと、わたしが未だ実存している事の定理が成り立たない……とっくに概念となってしまっていいはずの存在なのだから)

 

 だが、もし別の理由があるのだとすれば、それは。

 

 オオモト様はちらりとくまの方を見た。

 

 本当に不思議な子だと思う。

 自分で言うのもなんだけど。

 

 明らかにこの世界から浮いているのは確かだ。

 

 その辺りは自分と同じだと思う、けれど。

 

「何しているクマっ、サトくんが行っちゃうクマよっ!!」

 

 そう声を掛けられてはっと目が覚めた。

 

 確かにくまの言う通りサトくんはさっさと山道を進み始めている。

 

 下山方向ではなく、さらに深い所へと行っているようだ。

 

 その後についてくるのが当たり前のように、どんどんと暗い森の中へと小さな身体を進めていく。

 

 暗い中、辛うじて見える白い尾っぽがその微かな目印だった。

 

「さあ、行くクマよ。サトくんにくまの本当の脚力というのを見せつけてやるくまっ!」

 

 謎の意気込みを見せるくま。

 

 まだぼんやりとしているオオモト様の手を取ると、掌でぎゅっと包み込みながら、明かりを前と照らして森の中へとその細い足を進めようとした。

 

 だが。

 

「待って、くま」

 

「? どうかしたかクマ。戸締りは不要クマよ」

 

 それはそうだろうと思う。

 

 勝手に住みついているだけなのだし。

 

「そうじゃなくて」

 

 オオモト様は首をふるふると横にふった。

 

「あなたにはあまり関係のないことよ。だから無理してついてこなくとも大丈夫だから」

 

 少し冷たい言い方をしているとは思ったが、これははっきりと伝えて置くべきことだった。

 

「……」

 

 くまは複雑そうな顔をして振り向くと、両手を伸ばしてオオモト様の両頬に無造作に触れた。

 

 何事かと思ったが、細い指が頬を摘まんで軽く横に伸ばされる。

 

 少女の整った顔が、少し歪な顔になった。

 

「もー、そんな事をいうものじゃないくま。もう友達なんだから一緒に行くのは当然なんだくまよ」

 

 そう言いながら何度か頬を横に引っ張られる。

 

 手加減しているのか痛みとかはない。

 むしろ何故だかほっとするようなあったかい気持ちにすらなった。

 

 友達という言葉の響きにはまだそこまで実感はないけど。

 

「ありがとう」

 

 オオモト様は安堵したようにそれだけを口にした。

 

「それに、ざっきぃにさっきお昼を奢ってもらったのもあるし。何か役に立たないとクマの名が廃るクマね」

 

 指を放すと同時にそう言ってくまは微笑む。

 

 透き通った仕草は獰猛な獣なんていうよりも年相応の少女。

 

 それ以外にしか見えなかった。

 

「でも、朝ごはんもあなたの分をわたしが出してあげたのよね?」

 

 くすりと笑うオオモト様。

 

「む、むぐうっ! そ、その分もなんとか頑張って埋め合わせするっ。覚悟して待っているといいクマぁ」

 

「ええ、待っているわ。いつまでも」

 

 ふたりの少女は顔を見合わせると、待ちかねているように少し遠くでウロウロとしている白い犬の元へと手を取り合って走って行った。

 

 ……

 ……

 ……

 

「ふぅ。結構遠くまで来たね。ざっきぃ~、大丈夫クマか」

 

「ええ、何とか……」

 

 鬱蒼とした森の中でもちゃんと案内してくれるから、迷わずには来れているとは思うけれど。

 

「はぁ……なんでまた、山登りをしているのかしらね」

 

 割と結構な時間、今日も夜の山を歩くことになった。

 

 ここまで足を滑らさずに何とかこれたけど、オオモト様の息は進むたびに荒くなってきていた。

 

 一方のくまとサトくんはと言うと。

 

「後ちょっとだよ~。ファイトクマ~」

 

「わんわんわんっ」

 

 オオモト様とは違い、とても元気だった。

 

 サトくんは分かるが、くまが全く疲れを見せない所をみると、自身でも言っている様にただの普通の少女ではないらしいというのが良くわかる。

 

 もっともはじめて出会った時も、ひとり暗い森の中で潜んでいたのだからちょっと変わった子ではあったことは確かだったけど。

 

 それにしてもぐんぐんと山を登っていく様子は犬であるサトくんと同じ……いやそれ以上に軽快な動きに見えた。

 

 こうなると熊の子というのを信じざるを得なくなる。

 

 もっともそうなった所で今の状況には何の影響も持たないのだけど。

 

(やっぱり、肉体があるせいからなのかしら……)

 

 今、とても苦しく思うのは。

 

 けれど前にもそう思ったことがあった。

 それこそ何度でも。

 

 その時に比べたら全然大したことはない。

 

 山道を歩くことが辛く感じるのはただ単に慣れていない事と、土地勘が無い事だと分かるから。

 

 それにちゃんとした目的があるし、何より。

 

「ざっきぃ~!! もうちょっとだけ頑張れ~」

 

 そんな自分を待ってくれている人がいる。

 もちろん犬も。

 

 そう思ったら辛いどころかむしろ楽しみすら覚えるほどだ。

 

 辛い山登りの後は綺麗な景色がある。

 

 その事を分かっていたから。

 

「ほらっ! あれっ!」

 

 見晴らしの良さそうな高台に陣取ったくまが指を差す。

 

「はぁ、はぁ」

 

 オオモト様は荒くなった息を整えながらそちらを見下ろした。

 

 実際は大分前から分かっていた。

 

 少し湿った緑の臭いに混じって流れてくる、とても印象の強い臭い。

 

 ともすれば鼻を刺すような臭いだったそれは、足を前に進める度により強くなってきたから。

 

 この辺りには多分、”あれ”があるのだろうとは思った。

 

 ただ、精々手を入れる程度のものぐらいに思っていたから。

 

 少し驚いていた。

 

 すぐ下では、ちょろちょろと流れる小川のその横で白い湯気を立てている水たまりがあった。

 

「やっぱり、これ……」

 

「そうクマ。ここは温泉だねっ!! サトくんはこの秘湯をくま達に教えたかったんだクマ!」

 

 くまはよしよしとサトくんの頭を撫でる。

 

 確かに、あの家ではお風呂なんかにはまず入れそうにはないけれど。

 

「そう、わざわざ、これを知らせに……」

 

 石で囲まれた温泉と思わしき白い水溜まりからは湯気が立ち昇っている。

 

 だが少女は、まだ呼吸をすることに必死でまだよく訳が分からず、ぼんやりと崖の上で立ち尽くしていた。

 

 ……

 ……

 ……

 

「ねぇ、くま? あなた本当に入るつもり」

 

「とーぜんクマっ! せっかくこんな所まで来たんだから入らないのはとてももったいないクマよ」

 

「確かにそれはそうかもしれないけど」

 

 周りを石で囲ってあるところを見ると、人が利用している温泉だろう。

 

 だが、看板も脱衣所もない。

 

 くまの言う所によると、主に山で狩りを営んでいる者が入る、無料の温泉らしいとのことだった。

 

 確かにそんな気はする。

 

 山深い所にあったし、こんな所じゃめったに人もこないだろうから脱衣所なんかも必要ないのだろうと。

 

 だからといって、全く気にならないわけではないのだが。

 

「んー、ざっきぃ。どうかした?」

 

「その……ちょっと」

 

 少し戸惑う表情をみせるオオモト様を見て、くまはぽんと両手をはたいた。

 

「ははぁーん、さては人の目が気になるのかクマぁ~。ざっきぃって意外といやらしいクマねぇ。だったら……くまが脱がせてあげるクマ」

 

 くまがにやにやしながら両手をワキワキと蠢かせてこちらににじり寄る。

 

「別に、そんなこと頼んでいないわ」

 

 オオモト様はまだ脱いでもいない細い身体を無意識に手で隠した。

 

 だが、くまが引き下がるようなことはなく、むしろ。

 

「ふっふっふっ、キミはとっても脱がせやすそうな着物を着ているよねぇ……くまがぱぱっとひん剥いてあげちゃうクマぁ!」

 

 分かりやすいセクハラ発言をくまは口にすると、素早い動きでオオモト様の着物の縁に手を掛け、腰のあたりに巻いた紫の帯をしゅっと解いた。

 

 オオモト様は古典的な漫画のようにくるくると回りながら服を脱いでいく……そういうようなことは全くなく。

 

「はぁ、もう」

 

 諦めきった深いため息をつくと、観念したように残った着物を自分からすっと脱いでいた。

 

 ……

 ……

 

「ふぅ、五臓六腑に染みわたるクマねぇ……」

 

「ふふっ、そうね」

 

 色々葛藤はあったが結局くまと一緒に温泉に浸かっていた。

 

 周りにはそういう手作りの温泉みたいな池が大小いくつかあり、中には水と変わらない程冷たいものや、とても入れそうにないほど熱くなっている場所もあった。

 

 色々厳選してみた結果、オオモト様とくまはその内のひとつにの温泉に入ることにしたのだった。

 

 ちょうど少女二人が入るには手ごろな大きさの温泉。

 

 乳白色のお湯の温度は熱くもぬるくもない湯加減。

 

 特にまだ今は夜が少し暑いのでこのぐらいで丁度良かった。

 

 くまもこれには満足しているようで、お湯の中で足を伸ばして、楽しそうにばちゃばちゃと軽く水しぶきを上げていた。

 

「わふぅ~」

 

「んっ? サトくんは、温泉って大丈夫クマか」

 

 二人の間で鼻声をあげるサトくんを指さすくま。

 

 オオモト様は犬の頭にぽんと手を乗せて小さくほほえんだ。

 

「この子は割と何でも大丈夫よ。犬にしては順応性がとても高いのかもしれないわね」

 

 その言葉に機嫌よくしたように、サトくんは黒い目を細めて情景を楽しんでいるようだった。

 

「確かに、サトくんは見た目よりも逞しそうだからねぇ……ざっきぃとは違って」

 

「そういう意地悪言わないで、くま」

 

 くまのからかいにオオモト様は桜色の唇を少し尖らせてもう、と呟いた。

 

「それにしてもいいお湯だよねぇ。浮かぶ月も綺麗だし。こんな時、お酒でもあれば最高クマなんだけどねぇ」

 

「あなたはお酒飲めるの?」

 

 くまの意外な告白にオオモト様は少し目を見開いた。

 

「当然クマっ。こう見えてくまは結構いける口なんだクマ」

 

「そう……少し羨ましいわ」

 

「ざっきぃは、お酒ってぜんぜんだめ?」

 

「ええ全く。でも、わたしはお茶の方が好きだから……」

 

「そうクマか。ボクは洋酒でも何でも大丈夫クマっ」

 

 

 小さなせせらぎの音だけが流れる。

 

 硫黄が立ち込めているせいなのか、虫どころか小さな動物さえもここには寄って来なかった。

 

 月だけが浮かぶ、静謐な時間。

 

 二人と一匹は静かに夜と温泉の情景を楽しんでいた。

 

「でもその割には朝は色んな飲み物を頼んでいたクマだよね」

 

 からかい気味にくまはそう言った。

 

 オオモト様は顔を赤くして呟く。

 

「わたし、ああいうハンバーガー店ってまともに入ったことがなかったから……でも普通のお茶がいちばんだわ」

 

 ドリンクはともかく、特にパンのメニューは、燐の家のお店の方が美味しかったとオオモト様は思っていた。

 

 そこまで不味いと思ったわけではなかったが、ただ、あそこほど美味しいパンを焼く店はないと思っていたから。

 

「そういえば、あなたの肌ってとっても綺麗ね。とても元が熊とは思えないわ」

 

 オオモト様はそっと言葉を紡ぐ。

 本当にそう思ったから自然とそう声が出ていた。

 

「もう~、普通の熊だって可愛いクマよ。でも、ありがとう。キミも、お人形さんみたいにとっても綺麗だと思うクマクマよ」

 

 くまの言葉にオオモト様ははっとした表情になる。

 

 けれど、複雑そうな顔で俯くと小さな声でそっと泡のように呟いた。

 

「人形……確かにそれはそうね」

 

「? まあ、それぐらい白い肌をしているってことクマよっ」

 

 くま一瞬不思議そうな顔になったが、先ほど言われたことを思いだしたのか、すぐに顔を真っ赤にして慌てたような素振りをみせていた。

 

 それは多分、温泉の成分のせい、だけではないと思う。

 

 ただ、どこをどう見ても人間にしか見えなかったくまの一糸まとわぬ姿を見て、オオモト様はより確信をもってくまが人の子なんだと思った。

 

 金色の髪に均整の取れた顔立ちと折れそうに細い長い手足。

 どこを見ても本当に綺麗だと思う。

 

 流石にしっぽは無かったが、頭につけている耳付きカチューシャは付けたままだった。

 

 いくら何でも脱着可能だとは思うけど。

 

 ただ、一つだけ気にかかることはあった。

 

 それを口に出していいものかとオオモト様は頭の中で逡巡をしたが、それはくまとの間に無用な気がして、そのまま聞いてみることにした。

 

「ひとつ、聞いてもいいかしら」

 

「んー、くまのこと?」

 

 こくんとオオモト様は頷く

 

 それだけで察したようで、少し寂しそうに笑うくま。

 

「もしかして、見られちゃったクマか? クマの身体の傷のこととか」

 

 その勘は当たっていたようで、オオモト様は申し訳なさそうな顔でくまに謝罪をした。

 

「ごめんなさい。つい目に付いてしまって。でも、あの痕って」

 

「うん。そうだよ、銃弾の痕。あ、でも今は人間だから銃創(じゅうそう)って言った方が良いクマなのかなぁ」

 

 くまはそう言って月を振り仰ぎながら小さく笑った。

 

 ずっと明るく振舞ってくれていたからそこまで気にはならなかったけれど。

 

(この子にだって色々あったのね。人とは少し違うというだけで)

 

「ねぇ、キミはさっきの話って覚えてる? くまが捕まったっていう時の話」

 

「じゃあ、その時に?」

 

「うん」

 

 俯いて両手でお湯を掬う、くま。

 

 手の中の白く濁った湯の中に少し悲し気な熊耳を着けた少女の顔が映っていた。

 

「くまが一切抵抗できないように身体中に銃弾を撃ち込まれたんだクマ……張り付ける為に鉄の杭を何本も打ち込まれて……」

 

「そう……それは辛かったわね」

 

 悲しそうな顔をするオオモト様を見て、くまは取り繕って笑顔を向けた。

 

「でも、今は殆ど完治したんだクマよ。くまの住んでいた山にも傷に効く温泉があったから」

 

 くまはお湯の中に手を入れて自身の脇腹を軽く撫でた。

 

 流石にもう痛むようなことは無い、が。

 

「まあ、罠にかかった上に多勢だったからどうしようもなかったんだクマ。でも、身体の痛みはなくなってもその事はずっと心の中に残っている。いつまでも消えない、引っかき傷となって」

 

「……今でも人の事を?」

 

「ううん」

 

 くまは首を横に小さくふった。

 

「人間にいっぱい傷つけられたけど、助けてくれたのも人間だったから……だから、ちょっと複雑クマ」

 

「それは、そうね。わたしもそうだったから」

 

 町の人達に散々辱められたのは事実だけど、その想いを解放してくれたのもまた人だった。

 

 燐と蛍。

 

 彼女たちは色々な事をわたしに教えてくれた。

 

 だから守ってあげたい。

 できればずっと。

 

 そして、彼の事も。

 

 愛おしそうに犬の頭を撫でた。

 

 一緒に温泉に浸かっているから犬の毛は濡れていたが、むしろ洗って綺麗にしてあげようと、少し強めに頭だけでなく身体も擦ってあげた。

 

「きゅーん、きゅーん」

 

「くすっ、大丈夫よ。溺れたりなんかはしないから」

 

 変な鳴き声を上げて足をバタバタとさせるサトくんにオオモト様は思わず噴き出していた。

 

「サトくん可愛いクマぁ」

 

 くまは暴れるサトくん後ろから抱きかかえるとその後頭部に顔を埋めていた。

 

「可愛いわよね。本当」

 

「まったく、クマっ」

 

 少女たちは顔を見合わせてにこっと微笑んでいた。

 

 ……

 ……

 

「ねぇ、くま。そろそろ上がりましょう。あなた達だって流石にお腹が空いたでしょ?」

 

 オオモト様はそうくまに声を掛ける。

 

 けれど、その返事が返ってこなかった。

 

「……くま?」

 

 くまはオオモト様の声が耳に届いていないのか、小さな鼻を突き出して周囲の臭いを嗅いでいるようだった。

 

 硫黄の臭いにも大分慣れたとはいえ、他の臭いを嗅げるほどではない。

 

 それだけ強い臭いがこの一帯には発生していたのだから。

 

 けれども、くまは目を閉じて匂いを嗅ぐだけの行為に集中しているようで。

 

 口すらも閉じて、すんすんと鼻だけをぴくぴくと動かしている。

 

 それは熊というよりも犬かキツネがしていそうな仕草に見えた。

 

「くんくん……あっ?!」

 

 くまが小さく叫ぶ。

 

 何事かと思ったオオモト様の手を掴み自分の方へと引き寄せると、くまは声を潜めてこう言ってきた。

 

「何かが来るクマ……!!」

 

「なにって?」

 

「まだ分からない。けど、こっちを目指しているみたい……」

 

 そうくまは言ったが特に物音のようなのは耳に聞こえてはいない。

 

 小さなせせらぎが流れるというだけで、辺りはしんと静まり返っていた。

 

「気のせい、とかじゃないの?」

 

 オオモト様も手を口で隠してぼそぼそと尋ねる。

 

「いや」

 

 すぐに答えが返る。

 

「人でも獣でもない、一度も嗅いだことのない臭いがしたクマ」

 

 くまは小さくそう否定をすると、その臭いがした方角を睨みつけるように暗い森の奥を眺めている。

 

()()()()()犬よりも嗅覚が優れているとは聞いたことがあるけど……”くま”もそれができるの?)

 

 これまで見たことのない、緊張しきった顔で匂いのする方角をじっと見つめているくまの横顔をオオモト様はまざまざと見る。

 

(でも……それなら……いったい何が来るというの……)

 

 何かが引っ掛かる。

 

 もしかして、”それ”を自分は知っているのではないだろうか。

 

 人でも獣でもない存在が確かにいたという事実を。

 

 ──わたしは知っている。

 

 ぞわっとしたものが背中を這いまわっているような言いようのない奇妙な感覚が、お湯で火照っているはずの体を急速に冷やそうとしているようだった。

 

 確信はない、けど。

 

 用心に越したことはない、そう思った。

 

 二人とも無防備な、裸でいるわけなのだし。

 

「ともかく上がりましょう!」

 

「うんっ、クマっ!」

 

 くまとオオモト様は顔をみあわせて頷くと、濡れそぼった身体のまま温泉から這い上がり、互いの着ていた衣服を引っ掴んだ。

 

 まず先に上着だけでも羽織ろうとした。

 

 肌にべったりと張り付いて少し不快だが、この際気にしてなんかいられない。

 

 下着や何かは後からでも着ることができるし。

 

 無理矢理に着物の袖に腕を通した、その時だった。

 

「うーっ! わんわんわんっ!」

 

 不意に威嚇するような犬の吠え声が耳に飛び込んできて、何事かとオオモト様は振り返る。

 

 何もいない。

 

 そう思ったのだが。

 

「えっ」

 

 真っ黒い輪郭をもった”ナニカ”がいつの間にかそこに立っていた。

 

 足音も気配もなく、ゆらゆら揺れながらこちらを見ている。

 

 ”闇”そのものが実態を持っている。

 

 そう感じた。

 

「お民ちゃん!! 後ろに下がるクマっ!」

 

 殆ど全裸のままのくまがオオモト様の身を隠すようにその前に立つ。

 

 サトくんもその横に並び立った。

 

 くまは下がるようにオオモト様に目で合図を送る。

 

 だが、少女の黒い瞳にはくまの少女の姿もサトくんも映っていなかった。

 

 見ているのはただ。

 黒い人影だけ。

 

 その輪郭に見覚えがあったから。

 

 ううん、そんな不確かなもんなんかじゃない。

 

 だって……

 

(あれは、”わたし”だから……)

 

 背恰好は大分違うけど、あれはまさしく()()()()()()自分。

 

 座敷童としての力が殆ど消えかかり、幸運をもう呼び込めなくなった時の、()()()()姿()()

 

 何故それが実存をして、そして目の前に立っているのか。

 

 これは鏡なんかじゃない。

 

 ましてや過去や未来の姿でもないのだ。

 

 わからない。

 

 本当に何も。

 

 何が起きた事すらわからなかった。

 

「……」

 

 黒い影は長い髪をさらりと横へ流すと、凍り付くような冷たい声でこう言った。

 

「アナタヲ、迎エニ来タノヨ……」

 

 一瞬、呼吸が止まった。

 

 どくんどくん。

 心拍数が跳ね上がり、動悸がどんどんと早くなる。

 

 息が苦しい。

 

 倒れてしまうぐらいに。

 

「お前なんか呼んだ覚えないクマっ! さっさと帰れクマっ!!!」

 

「わんわんわん!!」

 

 くまとサトくんが吠えたててもソイツは怯みすらしない。

 

 むしろソイツは、笑っていた。

 

 白い犬でも”くま”でもなく、その後ろにいる座敷童の少女に向けて。

 

 顔を歪ませて、にたりと笑った。

 

「ネェ、”タミコ”……?」

 

(あ……)

 

 そういう事か。

 

 ──あの目。

 

 てっきりくまのものだと思っていたけれど、それはただの勘違いだった。

 

 ヒヒの目とは違い殺気を漲らせているというよりも、何も映さない赤い虚無の瞳。

 

 それがコイツの目だったのだ。

 

(そして、もう一つ分かったこと……)

 

 それはヒヒの影を追って、わたし達がここまで来たと思っていたという事自体がおかしかったということ。

 

 追ってなどいない。

 むしろ自分たちは追われているほうだった。

 

 あの町の欲望や想い。

 

 その残滓にずっと追われていたのだ、何一つ気づくことなく。

 

 箱の中に残った、最後の歪み(グリッチ)

 

 幸運と不条理。

 

 その大元(おおもと)として。

 

 

 小さな手毬がころころと転がり、深い穴へと墜ちていく。

 

 そんな喪失感が不意に胸の奥を貫いた。

 

 

 ──

 ───

 ────

 

 





先日、久しぶりに埼玉県飯能市にやってきました。お目当てはもちろん天覧山ー!!! なのですが、何か登山口近くの商業施設が創業祭をやっていたようで、結構混み合っていましたねー。まあ、天覧山自体に登る人は全然でしたけれども。その日の午前中に雨が降っていた影響があるとは思いますが。山頂までの道も泥でぬかるんでましたし。

で、ヤマノススメの作者の人って実は千葉県出身らしいですね。今は埼玉県の所沢に在住しているらしいですけど。だから千葉とコラボしてたのかああああって思いましたよ、今更~。
でも、作品に千葉要素そこまでなかったなあ……まあ、有名な山って千葉に全然ないですものねぇ。


ゆるキャン△SEASON3の放送予定日も決定したみたいですねー。

2024年の4月からみたいです。流石に1月の開始はなさそうかなとは思ったですけど、それでも4月かあ……3期発表の時期からしても早い気がしますねー。
最近は季節の中休みと言いますか、ちょっと前まで暑かったのに急に寒くなったりしますしねぇ。そういうのに体が慣れてきたころにはもう来年なんてことにぃぃぃ。何か全てが早く感じますねぇ。季節とか時間の流れとか。

そういえば最近巷で人気のスイカゲームのハロウィンバージョンで出てくるメロンが、ゆるキャン△のなでしこ顔っぽいんですよね~。わたしだけでしょうか?


ではではではではではーー。

追記──です。
全然、気づいていなかったんですけど、ハッピーハロウィンセールということで青い空のカミュのDL版が70%OFFになっておりました──!!! 気付くのに遅れてしまって本当に申し訳ありません……が! このキャンペーンは11月15日までやっているようなので、まだまだハロウィーンは終わらない??? ってことですかねぇ。
気になる方は是非是非に~。

では~。

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