We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life.   作:Towelie

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 暗闇の中、赤々とした火の粉がちりちりに飛び交っていた。

 深い森に囲まれた廃屋のすぐ傍で、小さな炎がぱちぱちと音を立てながら、火柱をを上げている。

 立ち昇る煙と焼け焦げた臭いの中心で煌煌と燃える緋色の光が、夜の森に確かな熱量でもってその存在を浮かび上がらせていた。

 ただ木を燃しているだけの原始的な行為。だが不思議とそれに癒されるような感覚もある。

 妙に落ち着くというか、暖かみを感じるというか。

 一種のナイトソングのような働きをしているのかもしれない。

 その辺りにあるもの全てを燃やし尽くすものなのに。

 癒しでもあるし、恐怖でもある。

 矛盾とも言える意味合いかもしれないが、それこそが自然であり、同時に一つの結果でもあった。

 こうして脅威から逃げ帰ってきたという事実の。


 黒い髪の少女は焚き火の前の灌木に座り込みながら、強い炎の揺らぎをただ漠然と見つめていた。

「こうして火を見つめていると不思議な感じになるわね。何だか普通にキャンプをしにきているみたい」

 住まう家はすぐ目の前にあるのに少し変な気分にはなるが。

 せっかく火を焚いたのだから何か焼いたりすればいいのかもしれないが、ただ眺めているだけでもそれはそれで良かったようだった。

 こうして焚き火の前で座っているだけでささくれだった気持ちが落ち着いていくような気がするから。
 
 つい先ほどまで酷くざわついていた黒い情景が、確かな拠り所を見つけたように静かに安堵しているように思える。

「ねぇ。”くま”? あなたもこっちへ来たら。温泉で湯あたりしたかもしれないし、それに、あの子だって寂しがっていると思うわ」

 そう言って白い犬の方を見る。

 興奮していたのか、けたたましく吠えたてていたサトくんも今はリラックスしているのか、火の前でお腹をぺたりとつけて大きな瞼を細めていた。

 もう一方の少女だけが、焚き火に背を向けて切り株の上で腕を組んで腰を落としていた。

 よっぽどのことなんだろうとは思うが、未だ臨戦態勢のように時折、暗い森の奥深くを覗き見ているいるようだった。

 まだ辺りを警戒しているようであるが、これでは気の休まることはないだろう。

 折角の焚き火の前だというのに。

「やっぱり、クマだから火は少し苦手なのかしら。あなたはそんなことなさそうに見えたのだけれど」

 そう呟いたオオモト様は火に小枝をくべる。

 人気のない山だからと言ってこんな事をしていたら色々と問題になるとは思ってはいる。

 ただ、庭先に焚き火をするだけの竈の残骸があったから、それを組み直して火を起こしただけのことだった。

 薪になる木の枝は森の中に落ちていたし、着火剤となりそうな松ぼっくりもそこら中に転がっていたから、以外にも簡単に火を起こすことはできた。

 もっともそういう器具を一切持ち合わせていなかったから、最初の火が付くかどうかは一つの賭けみたいなものだったのだが。

「何とか、上手くいった」

 火が種木に燃え移った時、思わず笑みが零れてしまった。

 尖った石同士を擦り合わせるだけのもっとも原始的な方法だったが、上手い具合に火花が飛び散りこのような炎を作り出すことができたのだった。

 その後、その辺りに落ちていた薄い木の板で素早く仰ぎ、運よく炎を定着させることが出来たのだったが。

 このまま静かに朝が来るとは流石に思わない。
 あんな事の後だったし。

 何もかも忘れて眠る事なんて、到底できないだろうとは思ったから、少しでも暖かくなろうと、火を起こしてみたのだけれど。

「もし、さっきの事を気にしているのだとしたら、それは間違いよ。あれは……そうね、事故みたいなものだわ」

「で、でもっ!!!」

「くま?」

 急にくまが荒げたような叫び声をあげたのでオオモト様は少しびっくりしていた。

 良くしゃべる子だとは思ってたけど、ここまで動揺したような声を出すとは流石に思っていなかったから。

「何も……何にもできなかったクマ……くまは百獣の王なのに……」

 そう呟くとまた俯いてしまう。

 百獣の王は流石に言い過ぎだとは思うが、くまなりにショックな所があったのは言わなくとも分かってはいた。

 その強さに自信があったのだろうとは思う。
 実際に人を超えたものを持っているとは思ったし。

 恐らくヒヒ相手でも一人で何とかなるだろうと思っていたのだろう。

 ただ、その相手がいわゆる獣やきちんとした身体を持っていればの話なのだろうが。

「ねぇ、”アイツ”って……」

 ぽつりとくまが背中越しに話しかけてくる。

 小さく丸くなった背中はこの少女の悲しみというか、やるせなさが伝わってくるようだった。

「アイツは一体、なんだったわけ? ボク、あんなのこれまで一度も見たことがなかったよっ! あれこそがヒヒなんじゃないのっ!?」

 困惑したくまの声だけが夜の森に響く。

 それがあの得体のしれない黒い影と対峙したときのくまの印象だった。

 静かにオオモト様は口を開く。

「アレは、ヒヒとは違うわ、概念の違うもの。でも……或いは救いでもあるかもしれない。その為に現れたのだと思う……わざわざ目の前に」

「救いって……いったい何のこと?」

 オオモト様はくまの問いには答えずに、短く切りそろえられた前髪を白い指で弄びながら、細い木の棒で薪木を動かす。

 ぱちっとした強い火の音と煙が同時に沸き起こり、小さな渦を空中に描いた。

(けど、それにしたって、あれは……まるで自分……そのものだった)

 見てくれのことだけを言っているわけじゃない、一目見ただけであんなに心が動かされたことは自分が知る限り一度だってない。

 人々にどんなに蔑んだ目で見られたって、心ない言葉の暴力や実際に力を振るわれた時だって、あんな思いを抱いたことなどなかった。

 あの──湧きあがるような嫌悪は。

 こんな思いを生物どころか物にだって抱いたことない。

 自身の成り立ちにさえもなかった感情のうねり。

 胸の中を掻きむしるような疼きが、止まらなかった。

(それだけ……()()は)

 嫌忌する存在。

 二度と思い返したくはない事象だったとしても。

 ずっと残り続ける。

 それはまさしく黒い灰のように。

 ……
 ……
 ……



For Whom the Bell Tolls

 

 

「ネェ……ホラ……オイデ……?」

 

 ソイツは黒い手を伸ばしてこちらへと近づいてくる。

 

 足音はしない。

 だからと言って浮いているような感じもない。

 

 むしろ地面に引っ付いているように、ずるずるとにじり寄ってくる。

 

 その周りは禍々しいものであるかのように黒い()()で覆われている。

 

 そして、白くひび割れた顔面。

 それはまさしくあの歪んだ姿の白い影の者達の再来の様相であった。

 

 ただ、その姿が女性……いや、自分──座敷童とそっくりであると言うだけで。

 

 あとはただ、それだけ。

 

(けれど、何で……今になって)

 

 このような存在が生み出されてしまったのか。

 

 ()()()()()()()の幼かった時の頃の姿をした少女が身を強張らせながらそれをみる。

 

 本当に、今更な事だった。

 

 あの町ではもう作られた幸運など必要もなく、役目がやっと終わったとばかりに町を離れて出たばかりのことなのに。

 

(時間は関係ない。きっとそう言いたいのね、()()()は)

 

 見れば見るほど無様な姿をしていると思う。

 

 ただしそれは容姿のことではなく、その顔、瞳の色のことだ。

 

 禍々しい色。

 

 かつての自分を模したものが、あのヒヒと同じ目を湛えている。

 

 その事実に胸の奥がざわざわとする。

 

 目を背けてもどうにもならない、絶対的な現実のものとして。

 

「……お前は、一体何者なんだっ!」

 

 暫く沈黙を貫いていたくまの少女が静かに口を開く。

 

 どうみても求めていた存在ではない。

 だったら一体これは何なのか。

 

「ナニモノデモナイ……ナニモ、カモ……」

 

 こちらの問いかけに応えることなどないと思ったから、くまもオオモト様もこれには驚きの色を見せていた。

 

「スベテハ……ワタシト共ニイル……イツモズットイッショ……」

 

「何のこと言っているクマ」

 

 静かにくまが吠える。

 

 オオモト様は何かを感じ取ったのか眉をぎゅっとひそめた。

 

(じゃあ、やはりあの気配は……誘い出す為のだけものだった……? でも……)

 

 何故かコイツが嘘を吐いているようにはみえない。

 

 そういう、知能的なものが欠如しているのは、あの異変の時に変化した人達と同じな気がしたのだが。

 

 コレは何かが違う。

 

 ひとつの目的があるのは確かなようだが、それは人の持つ欲望とは異なるもののような気がする。

 

 もし、そうなら。

 

「わたし達の前にきたのは”そういう事”だと言うことなの? ヒヒと同じように、あなたと一体となる為だけに」

 

「ヒヒと同じって!? それってどういうことクマか、ざっきぃ!」

 

 振り返ってくまが訊ねる。

 

「多分、これはそういうもの。幸運の反対は不幸……つまりは不条理だということ。それが形を成して大きくなろうとしている、それだけの存在」

 

「でもそんなのっ、何の意味も──」

 

 くまの言葉が言い終わる前にソイツが口を開く。

 

 ねちゃあっとした耳の奥に張り付くような粘っこい声で。

 

「ソウヨ、タエコ……役目ヲ終エタアナタガ成スベキコトナノ……犯シタ罪カラハ、絶対ニ逃レラレナイ……」

 

 少し悲しい口調でそいつはそう言った。

 

 罪?

 

 やはりそうなのだろうか。

 

 自分の存在そのものが罪だと、誰かに言われたことはある。

 

 良かれと思ってやっていることなのに。

 

 少女は俯いて足元を見る。

 

 こんな小さな身体では得られる幸運も少しなのだと言われたことがあった。

 

 だからこそあのような目に自分はあったのだと。

 

 それが罪、だったのだろうか。

 

 望まぬ生命をこの身に宿してしまった事柄が。

 

「なるほど……良く分からなかったけど、大体の事は分かったクマ」

 

「……くま?」

 

 オオモト様は顔を上げる。

 くまが手を広げて庇うように立っていた。

 

 サトくんもその横に並ぶ。

 

 大事なものを守り抜くように。

 

「ざっきぃは渡さない。くまがお前を地中深くに埋めてやるっ、クマ!!」

 

「わんわんっ!!」

 

 ふたりは同時に吠えた。

 

「………大キナ力ノ前ニハ小サナ波ナド簡単ニ消エテシマウ……特ニ、半端ナ獣ナンカデハ」

 

 ククッと嫌な笑みをみせる黒い影。

 

 自分の姿でそんな事をしているという嫌悪が、少女の心中を黒くざわつかせた。

 

「だったら!」

 

 澱み切った空間を突き破るようにくまがパンと手を叩く。

 

 大きな丸い瞳をぎらりと輝かせながら。

 

「大きな力にはそれ相応の責任が伴うことを、くまが証明してやるクマっ!!!」

 

 漆黒の衣を纏った得体の知れない何かに向かって少女が吠えた。

 

「ボクの力、しかと見せてやるっっ!!!」

 

「……!!」

 

 オオモト様は驚愕の表情を浮かべた。

 傍にいるサトくんも黒い目を大きく目を見開く。

 

 それはくまが唐突に放った言葉に対してのものなんかではなく。

 

「クマあああぁああぁ!」

 

 くまが雄叫びをようなものを黒い人影に向かってあげていると、少女の長い髪がキラキラと金色に光を放っていたからだった。

 

 しかもそれだけではない。

 

 細い髪の毛の一本いっぽんから細かい光の粒子がふわりと浮かび上がっている。

 

 まるで星の欠片が弾けたときのみたいに、ふわふわと漂いながら少女の周りで光を放っていた。

 

 くまと言う少女の引力に引かれているかのように。

 

 きらきらと、月の明かりに照らされた少女の姿はあまりにも神秘的で、普段表情をあまり崩さないオオモト様でも、これには息を飲むほどだった。

 

(これが、くまの本当の姿なの? ツキノワグマって、こういうこと……?)

 

 くまが月の光に導かれたと言っていた事とはこれだったのだろうか。

 

 金色の髪の少女。

 

 それはまるで金の糸で出来ていると言ってもおかしくはないほど綺麗な髪をしている。

 

 こんな夜でなければ、とても美しいものとして見とれているだけだっただろう。

 

 だが今は。

 

 オオモト様はちらりと”くま”と”ソイツ”を交互に見る。

 

 金色の光を放つ少女の姿を見ても、ソイツは怯むことなく静かに佇んでいる。

 

 恐れを抱くような様子すらなく、ただ不気味に薄ら笑いを浮かべているだけだった。

 

 まるで、些末な事だと言っているみたいに。

 

「うーっ、行くクマっ!!」

 

 そう宣言した後で、くまが踊り掛かる。

 

 もちろん武器などはもっていない。

 

 だからと言って、普通の熊のような鋭利な爪や牙などをこの少女は持ち合わせてなどいなかった。

 

 裸の状態で飛び掛かっていく。

 

 あまりにも無防備で無策な行為に思えたのだが。

 

「たあああぁっ!!」

 

 一見、気の抜けるような掛け声を上げたくまは勢いよく右腕をぶるんと回す。

 

 その瞬間、たっと地面を蹴って飛び掛かる。

 

「クマクマ流星拳(ぱーんち)っ!!!」

 

 懐に潜り込こんだくまは勢いよくパンチを繰りだす。

 

 もちろん、良く知る”普通の熊”のような毛むくじゃらの手などでもなく、肉球もついていない。

 

 か細い少女の腕のままで右ストレートを繰り出していた。

 

 手持ちの武器がない以上、それしかなかったとも言えるが、それでもその辺りにある石や枝を投げつけるようなこともせず、くまはいきなり直接攻撃を仕掛ける。

 

 だが、それは目にもとまらぬ速さだったので実際に何発の拳を繰り出したのかを把握することは、見ていたオオモト様には分からなかった。

 

 何か妙なことを叫んでいたこともあったし、恐らく相当数な拳を瞬間的に繰り出したのだろう。

 

 華奢な見た目とは裏腹なくまの拳がそいつの体を貫いた──。

 

 それは、ある意味間違っていなかったのだが。

 

「くまままままっ?!」

 

 その拳は虚しく宙を切っていた。

 

 勢いがつき過ぎたのか、バランスを失いかけたくまが両手をばたばたと振って驚愕の顔で振り返った。

 

「……ドウシタノ? ネェ……」

 

 闇のように黒い人影は揺らめくこともなく依然として平然なまま、くまの方を見ようともしないで、さっきと変わらずオオモト様の方だけを見てぶつぶつと呟いている。

 

 くまの攻撃が一切当たっていないのだからある意味では当然の事なのだろうが。

 

 当事者であるくまは違った。

 

「がううううっ! コイツぅ!!!」

 

 (かわ)された上に無視までされたのだから、温厚そうにみえていたくまの沸点が一気に頂上まで上がる。

 

 熊耳カチューシャを着けた少女は、細い体をぐっと屈めると、くるりと腰を捻り、今度は足元を狙った鋭いキックを見舞う。

 

 ぶうん。

 

 とても重いものを振り回したときのような風を切るような音がして、くまの回し蹴りが今度こそソイツを捕らえるはずだった。

 

 せめて足払いぐらいは出来るだろうと、低い姿勢での不意を突いたくまの攻撃だったはずなのだが。

 

 が、またしてもヒットしない。

 

 ただ足を思い切り振り回したみたいに、か細い脚がすうっと地面すれすれに弧を描いただけになっていた。

 

 あまりの手ごたえの無さに、くまは再びバランスを崩して倒れそうになった。

 

 体幹のバランスが良いのか、それでもちょっとよろめくぐらいで、反動を使ってすぐに立ち上がったのだったが。

 

「わんわんわんっ!!」

 

 その瞬間、それまで様子を窺っていたサトくんが、ソイツの死角から回り込み続いて攻撃を仕掛ける。

 

 突進したサトくんが黒い輪郭の首元にがぶりと牙を立てて噛みつくつもりだったのらしいのだが。

 

 すかっ。

 

 あのヒヒすらも噛み砕いた白い犬の牙もソイツには通じない。

 

 ()()()()()噛みついたみたいに、ただ口をパクっと開け閉めしただけになった。

 

 しかもそれだけではなく。

 

「うわぁっ、サトくんっ!?」

 

 サトくんは噛みつく対象をなくし、ちょうど反対方向に居たくまにそのまま体当たりする格好となってしまった。

 

 すんでの所でくまが犬の体を抱きかかえたので、何とかぶつからずには済んだが。

 

「きゅうぅん」

 

 一体何が起きたのか分からず、腕の中で項垂れるサトくん。

 

 くまとサトくんは不思議そうに顔を見合わせた。

 

 オオモト様はその様子を固唾を飲んで見守っていたが。

 

(やはり……これは……)

 

 あのふたりの行動を見て分かったこと。

 

 それとは。

 

「な、何だこいつ……実態がないのかクマっ!?」

 

 同じ答えをくまも導いたようで、サトくんを胸に抱いたまま、大きく目を見開いてソイツを凝視していた。

 

 幽霊か幻覚の類ではないかと二人が疑うのも無理はない。

 

 人影はまるで深淵で出来ていると言ってもおかしくない程、霧のように掴みどころのない存在だったのだから。

 

 いくら鋭い牙や拳を持っていたとしてもその肉体がなければ意味はない。

 

 即ちコレは存在そのものに意味がないと言える。

 

 それなのにこいつは。

 

「所詮ハ獣ネ……単純デ、本当ニ哀レナイキモノ、クスクスクスクスクス……」

 

 気味の悪い声で嘲笑を繰り返す黒い影。

 

 行動の全てが無意味である、そう言っているように。

 

 実際にそうだったのだから、誰一人ぐうの音も出ないのだけれど。

 

「わぉん!」

 

 サトくんはたまらずくまの腕からからぴょんと飛びのくと、オオモト様の傍まで素早く戻った。

 

 その前に立ち、姿勢を低くして脅威を威嚇する体勢へと移る。

 

 かなわないことを知ったのか、その唸り声はさっきよりも幾分元気が無くなっているように見えたが、それでも気丈に四つ足を踏ん張ってソイツを睨みつけていた。

 

 あのヒヒにですら勇敢に向かって行った白い犬がこうして逃げ帰ってきたのだから、余程の事だったのだろう思う。

 

 やれると思ったことが通用しなかったことへの失望感。

 

 それがサトくんの小さな背中からはっきりとわかる。

 

 はっきりと分かるぐらいに小刻みに震えていて、立てていたしっぽが力なく垂れ下がっていたのだから。

 

 これは本能から来る恐怖だ。

 

 そしてそれは多分、自分も感じている思いだ。

 

 もうそういうのには慣れたと思っていたのに、圧倒的な現実感となって襲い掛かってくる。

 

 実態を持たない筈の存在から。

 

「……足掻イテモ無駄……生テイテモ……」

 

「うぅーっ!」

 

 犬がいくら唸り声をあげても、黒い影は一切怯むことなくゆっくりと間合いを詰めてくる。

 

 少しづつ確実に。

 影がどこまでもついてくるようにねっとりとした動きで。

 

 地面まで垂れ下がっている髪と思しき長い影を引きずっているのに、気にするような様子もない。

 

 その気配だけでなく、周りにある音や概念すらも存在を無くしているように、ソイツの周りだけが違う空間で出来ているようだった。

 

 どういった方法でそんな事が出来るのか、それを確かめる術もそのような余裕すらもない。

 

 黒く陰鬱な輪郭をもつ存在の歩みを止める方法はもうない。

 

 サトくんも低い唸り声をあげるだけで、ソイツが近づいてくるたびに後ろ足をじりじりと下げるを得なくなっている。

 

 オオモト様も一歩、二歩と後ろに下がる。

 

 体を持たないソイツが近づいてきたところで何もできないのは分かっているというのに。

 

「……っ」

 

 オオモト様とサトくんが焦燥感のある表情でじりじり下がりながら指をこまねいていると、一際大きな声が暗い森の中に響き渡った。

 

「ま、まだ負けと認めたわけじゃないっ、勝負はこれからだクマっ!!!」

 

 くまはこちらの方を見ろと言わんばかりに腹の奥底からの叫び声をあげると、素早い動きでオオモト様とサトくんの前に立つ。

 

 少女の咆哮が月が浮かび上がった夜空に響く。

 

 どうやらくまはまだやるつもりのようだった。

 

 明らかに攻撃が通用しないのに、これ以上一体何をするつもりなのか。

 

 単なる意地で言った可能性もある。

 

 その証拠に少女の両足は震え、全身から冷たい汗が噴き出ていた。

 

(まさか、怖がっているの? 何よりも強いボクのはずなのに……どうして……?)

 

 そのせいだからだろうか、さっきから呼吸が少し荒くなってきている。

 

 くまは戸惑った表情で握った掌を広げる。

 

 汗がずっと止まらない。

 

 向こうからの攻撃なんかは一切ないというのに。

 

(くま……あなたは……)

 

 くまが自分で住んでいたと言っていた山で、どれほど強さをもっていたのかはしらないが、恐らくこの少女はここまで怖いもの知らずで来たんだろう。

 

 実際、野生の熊は森の中では天敵と呼べる存在などないと言っても過言ではない程の強さがあるのだから。

 

 それは人間も含めた他の動物では相手にならないほどものが。

 

 だから多分、この”くま”も例外ではないのだろう。

 

 先ほどの攻撃にしてみてもとても早い動作であり、おおよそ普通の人間の力では、まず出すことできない代物ではあった。

 

 まともに当たればそれこそひとたまりもない攻撃ばかりなのだろう。

 

 細い樹ぐらいなら簡単になぎ倒せそうに見えるほどだったから。

 

 ヒヒを退治にするために来たと言うのはあながち間違いではないとは思う。

 

 それだけの能力と意思をもって、この少女ははるばるこんなところにまでたった一人でやってきたのだ。

 

(でも、この相手は)

 

 実際にこうしてこの黒い存在と対峙したことは一度もなかったが、あの人影から流れてくる波長というか気配の感じ方が他の生物とは全く異なっているように思える。

 

 ”死を司るもの”というわけではないと思うが、だからと言って生と呼べるようなものは、この人影からは一切感じ取ることができない。

 

 そういう意味ではあのヒヒなんかよりもよっぽど質の悪い存在であり。

 

 まともやっても適う事のない相手であるのは分かっているはずなのに。

 

 これは──生きとし生けるものとは異なる存在なのだから。

 

 けれど、それは。

 

(それは、わたしだけかと思ったけど……これも多分そうなのね……だからこそ、わざわざあんな姿で)

 

 成長し、大人になった姿の”座敷童”。

 

 けどそれは、本当に最期の姿でもあったはず。

 

(そう。次の座敷童を産み落としたわたしはその輪郭を失ったはず……だった)

 

 なのにまだこうして現世(ここ)にいる。

 

 ただそれは不安定な形だったから、場合によってはそれこそ大人の時の姿に戻ることだってあったけど。

 

(でも……”コレ”とは違う。多分、ただ真似しているだけ。仲間かなにかと勘違いさせるために)

 

 それこそ本当に無意味だ。

 

 だが、こちらを求めている。

 

 それこそがこの存在の意味であるかのように、ケタケタと下卑た喜びを湛えながら。

 

(本当に、不快な存在)

 

 あの時の悪夢の続きを見せられているような気分になり、思わず少女は顔をしかめていた。

 

 ……

 ……

 

(行く……行くんだ!)

 

 くまは震える体を叱咤して睨みつける。

 

 どちらが前だか後ろだか分からないぐらいに真っ黒な体をしているソイツに。

 

 嫌悪しか感じない。

 けれど、負けたくはない。

 

 たった一つの想いだけが崩れかかっていたくまを奮い立たせていた。

 

「行くぞ、クマーー!!」

 

 そう拳を振り上げたのだが。

 

「待って」

 

 その手をオオモト様が掴んでいた。

 

 たまらずくまは振り返る。

 

「な、何で、止めるクマっ!?」

 

 本気だったくまは虚を削がれた形になり、少し苛立った表情でオオモト様を見やった。

 

 睨んでいると言ってもいい強い目線だったのだが。

 

 オオモト様はくまの視線を受けても表情一つ変えずに小さく首を横に振るだけ。

 

 これ以上は無理だと言っているように捉えたくまは、黒い影を無視して困惑気味な抗議の声を上げようとしたその時だった。

 

「もう……行きましょう。()()()()相手にする必要ないわ」

 

 そう言ってぐいと手を引っ張る。

 

 そのくまの手は驚くほど冷たかった。

 

 緊張というか得体の知れない焦燥感がそうさせているのだろう。

 

 思ってもみなかったことにくまはついそのままオオモト様に引っ張られていた。

 

 だが、このまま背を向けたらアイツが向かって来るんじゃないだろうか。

 

 隠し持っていた牙で。

 

「で、でもっ、アイツがっ!?」

 

「いいから。くまはすぐに服を着て。どうせ今は何もしてはこないわ」

 

 言い捨てるようにしてそう言われて促される。

 

 そんな少女二人の後を黒い影がゆっくりと付いて行く。

 

 何処までも逃がさないと言っているように。

 

「わんわんわんっ!」

 

 サトくんがその前に後ろ向きに立ち、後ろ足を一生懸命使って小石と砂を巻き上げ続けた。

 

 それは温泉の水分とちょうど混じって、白い噴煙の状態を作る。

 

 偶然の煙幕にあっけにとられたくまだったが。

 

「さぁ、あの子が頑張っている今のうちに」

 

 オオモト様はランタンを引っ掴むと、さっきよりも強くくまの手を引く。

 

 湯気を出している温泉の間をぴょんと駆け抜けた。

 

「ま、まってよ、ざっきぃ~。まだ服をちゃんと着ていないクマぁ~」

 

 くまは服を半分引っ掛けたまま、オオモト様の後をよろめきながらついて行く。

 

 腕を引っ張られているからそうするしかないのではあるが。

 

 それでも手を振り解いて、再びアレに向かって行くような気概はもうなかった。

 

 時折、ちらちらと後ろを振り返るぐらいで。

 

 二人の少し後ろでサトくんが警戒しながらもゆっくりとついて行く。

 

 ただ、そんなことをするような必要はもうなく、オオモト様の言うように黒い輪郭をもつ人影はこちらに追いついてくるようなことはなく、どんどんとその姿が引き離されていく。

 

 それ以上足早になることも、追いすがるような声を出すこともなく。

 

 その姿はあっけなく小さくなり、次第に暗闇と見分けがつかなくなるほどに視界から溶けていった。

 

 ……

 ……

 ……

 

「まだ、怒っているの?」

 

 そう問われても、くまは一向にこちらを振り向こうとしない。

 

 やはり勝負に水を差されたのが不服なのか、むくれ返ったままだった。

 

「くぅん」

 

「仕方がないわ。彼女にだって意地があるのだろうしね」

 

 気を使うような声をあげたサトくんと顔を見合わせると、そっとため息をつく。

 

 実際、ちょっと強引だったかもしれない。

 

 けれど、あんなのと戦ったところで何の意味もない事だけは分かっていた。

 

 だってあれは、生物というよりもむしろただの背景。

 

 そう思うしかない存在だったのだから。

 

「あ、あのさっ」

 

「うん?」

 

 くまが背を向けたまま再び声をあげる。

 

 不意なことにオオモト様はちょこんと小首をかしげた。

 

「ざっきぃは、何であんなことをしたの? 危ないとか思わなかった?」

 

 横目でこちらをちらちらと窺いながらそう訊ねられる。

 

 ちょっと可愛らしいとか思ってしまった。

 

「あれは危ないというよりも、意味がないと思ったの。くまだってそれは分かっていたんでしょう」

 

 そう問い返されてくまは一瞬息がつまったように顔を膠着させた。

 

「それは、でも……やっぱり危ないクマよ! 獣相手ならまだしも、得体の知れない相手に背を向けるだなんて」

 

 くまは渋々肯定しながらも自分の意見をはっきりと口にした。

 

 そういう経験があるのだと思う。

 

 敵に背を向けることは屈辱というよりも、恐らく死に近い行為なのだろうという考えが。

 

 くまのその言葉にオオモト様はふふっと小さく笑って返す。

 

「くまは、優しいのね」

 

 そう言われてくまは一瞬訳の分からない顔になった。

 

「なんで、ボクが?」

 

「だって、そんな風に怒ってくれるのはあなただけよ。だからこそ優しいって思ったの」

 

 屈託なくそうオオモト様に言われ、くまはようやくこちらに体を向き直した。

 

「別に、そんなつもりじゃない、よ……ただそうやって自分を蔑ろにするのは良くないと思ったってだけで……」

 

「確かにそれはそうね。今後は気を付けることにするわ。それにしても以外だったわ」

 

「何のこと?」

 

「くまがあんなに積極的だとは思わなかった。やっぱり何かを感じ取ったの?」

 

 そう言ったオオモト様をの顔を見ながらくまは複雑そうな顔になる。

 

 確かに耳の奥が少しぴりっとした感じにはなったが。

 

「感じ取ったっていうか、多分、本能的なものが出てしまったんだと思うクマ。それだけ危険な臭いがプンプンとしてたから」

 

「そう……本能ね」

 

「多分、あの匂いを感じた時から分かっていたんだと思う。危険性を持った何か変なものが近づいて来てるってことが」

 

「それがあなたの本能を呼び起こしたということね」

 

 オオモト様は納得したように頷く。

 

「キミだってそうなんでしょ? だから逃げるように言ったんじゃないかクマ?」

 

「それはどうかしら……でも」

 

 くまの問いにオオモト様は考えるような素振りを見せた。

 

「でも結果として、わたしにも本能のようなものがあったということね」

 

 オオモト様は赤い炎に視線を移しながら少し他人事のように呟く。

 

 あんな事が無ければもっと静かで長い夜を過ごすことが出来たはず。

 

 眠っていた本能を目覚めさせるようなこともなく。

 

「だったら、アレは本能に訴えかけるということね。それは良くも悪くも。だけど、歪みが正されたとしてもしこりは残り続けるものだから」

 

 そう、あれは多分歪みを正すためのものだ。

 

 それが脅威となって目の前に現れただけなんだと。

 

 後を追ってこないのはその必要がないから。

 

(その時が来ればきっと……)

 

 またアレは姿を現すだろう。

 

 それがずっと先、あるいはほんのすぐ先の時間かもしれない。

 

 過去の時間には戻れない。だからこそあのような存在が居るのだろうと思った。

 

 けれど、そんな事よりも。

 

(わたしの中にもまだ……残ってた……)

 

 もうずいぶん前に無くしたと思っていた、人としての思いや心、感情の欠片のようなものが。

 

「ふふっ」

 

 自嘲するようにそっと小さく微笑む。

 

 くまは少し不思議そうにオオモト様の方をみたが、特に気にするようなこともなく同じように小さく笑う。

 

 少なくとも今は静かだったから、ふたりは焚き火を眺めながらしばらく安堵の時を過ごした。

 

 ──

 ──

 ──

 

「本当はさ……別の目的でこっちの方まで来たんだよね」

 

「そうだったの」

 

「うん」

 

 月が差し込む部屋で沈黙が訪れる。

 

 焚き火を消した少女たちは、古びた家屋に入り寄り添いながら一夜を過ごしていた。

 

 薄汚れた毛布と布団しかなかったが、ぽかぽかと体が火照っていたから丁度良いぐらいだった。

 

 冷たい月が夜の寒さを感じさせる。

 

 暗く深いあの深淵の目のように。

 

「最近さ……人里にまで熊が降りてくることが増えているようだから、その原因を探ろうと思って、こっちの地方にまで来てみたんだよね」

 

 くまの話にオオモト様は目線だけを向けて頷く。

 確かに最近はそういう傾向が続いているようだけれど。

 

「じゃあ狒狒(ヒヒ)のことは?」

 

 そう問われてくまはちょっと申し訳なさそうに笑う。

 

 布団に横になっているせいからか、さっきよりかは幾分落ち着いているようだった。

 

「ヒヒのことはまあ……どっちかっていうと物見遊山的なものの方だったのかもしれないクマ。でも、もし山に良くないものがいて、そのせいで熊や動物達が追い出されているのだとしたら……」

 

「原因が知りたかっただけなのね」

 

「うん。そうクマ」

 

 なるほどと思った。

 

 ヒヒを退治しに来たとくまは言っていたから、てっきり力試しみたいなものかと思っていたけど、ちゃんとした別の目的があったのだ。

 

「やっぱり優しいのね、くまは」

 

 オオモト様が投げかけた言葉にくまは少し顔を赤くして天井を眺めた。

 

 少し歪んだ木目はあれが嗤っているようにも見えた。

 

 意味の分からない化け物が。

 

 くまはふぅと長い息を吐くとぽつりと呟く。

 

 諦めというか少し重い言葉で。

 

「でも、アイツには全然かなわなかった」

 

「……」

 

「結局の所、奢りだったんだろうね。ヒヒか何かは知らないけど山を穢しているものがいるなら懲らしめてやろうだなんて、そんな大それた事をボクは無謀にもやろうしていた」

 

「そんな浅はかな考えでのこのこやって来た自分が腹立たしい、よっ……!」

 

 消えかかりそうな声でそうくまは呟いた。

 

 見た目以上に相当ショックだったんだろうと思う。

 

 それは部屋の端の方で丸くなって寝ているサトくんも同じで、アイツからしてみればただ吠えているだけの犬と同義だったのだから。

 

 暢気そうにしているが、思いは多分逆だろう。

 

 今すぐにでもあの場所まで舞い戻って、再戦したい気持ちがあるのかもしれない。

 

 敵いっこないとは分かってはいても。

 

 ……

 ……

 

「そういえばね」

 

「……うん」

 

「わたしの友人がね。前にアレに遭ったみたいなの」

 

 唐突に口を開いたので、一瞬何のことが分からなかったが。

 

遭遇(あう)って、さっきの”アレ”のこと?」

 

「ええ」

 

 すぐに理解してもらった事にオオモト様は軽く微笑みながら頷いた。

 

「山に立っていた石碑の辺りで見たらしいわ。ソイツは森の奥から地響きを鳴らしながらやってきたらしいけど、何をするわけでもなく消えてしまったそうよ」

 

 友人の一人である蛍から聞いた話を要約してくまに伝えた。

 

 石碑自体の存在は前から知っていたが、直接訪れたことはなかったから、事のあらまししか分からないけれど。

 

「それって、ボク達が出会った奴と同じなのかな。地響きまでは出してなかったけれど」

 

「そうね」

 

 むしろ蝸牛のようにべたべたとした歩き方をしているように見えた。

 

 もしかしたらあの人型に見えている部分は()()()()()()()で、本体は別にあるのかもしれないが。

 

 全ては想像の域を出ない。

 

 でも、とオオモト様は言葉を付け加える。

 

「わたしは今回のものと同一だと見ているわ。姿かたちは違うようだけど」

 

「それが分かるクマか?」

 

 ちょっと信じられないという口調でくまが訊ねる。

 

 オオモト様はそっと目を伏せる。

 

 残った思念というか、歪みの残滓が寄り固まって出来たもの、そう思っていたけれど。

 

(もしかしたら、あっちの方が本当の姿なのかもしれない……わたしこそが消える存在で)

 

 あの町で起こった幸運と歪み。

 

 どちらが正しいというわけではなく、ただ起こってしまった事象。

 

 その狭間で流され、揺らいでしまったもの達が作り上げたのが、アレや今の町なのかと思ったけれど。

 

「うおー! クマぁー!!」

 

 すぐ隣で急に大声を出されて、考えを巡らせていたオオモト様は何事かと目を大きく瞬かせた。

 

 白い犬も憂鬱そうに瞼を開ける。

 

「負けた負けた負けたクマー!!! でも次は絶対にリベンジクマぁーー!!」

 

 くまは布団にもぐりながら、もぞもぞと両手だけを上に突き上げて、壊れた窓から見える月に向かってそう宣言をした。

 

 サトくんもそれに触発されたように、空を振り仰ぎながら高い声で遠吠えを繰り返していた。

 

 獣とそうでないもの? の叫び声が闇夜に響き渡る。

 

(やっぱり悔しいのね。くまもサトくんも)

 

 何とも騒がしい夜になってしまったが、その気持ちは何となく分かる。

 

 それに静かに月や星を愛でる夜も好きだけど、こうして騒がしいのもとりたて嫌いではなかったから。

 

 オオモト様は嫌な顔一つせず小さく微笑んでいた。

 

 それにしても。

 

 力があるものは常に鎖に縛られているような気がする。

 

 負けられない、負けたくはないという呪縛に。

 

 だって、負けを認めたら一番強いものではなくなってしまう。

 

 弱肉強食という概念の中では弱いモノから必然的に食われてしまうものだから。

 

(わたしも、食われてしまうのかしら……アレに……)

 

 先ほどまでの仄暗い考えがぼこっと浮かび上がり、黒髪の少女ははぁと疲れた息を吐いた。

 

「それにしても、あなたの戦う姿、とっても綺麗だった。何も着ていなかったからよけいにそう見えたのかもしれないわね」

 

 オオモト様は小さく肩をすくめると、先ほど目で見ていたことを口にした。

 

 それはくまにとってはとても意外なことだったから、雄叫びを上げたまんまの丸い口をぽかんとしてオオモト様の方を見つめていた。

 

(本当に、綺麗……)

 

 しなやかに躍動する少女の体のラインが闇に浮かび上がる姿は本当に美しい。

 

 無防備で全く無駄のない動きは一種の芸術品といってもおかしくないぐらい。

 

 そのままガラスに閉じ込めてずっと眺めていたいぐらいだった。

 

「そ、そうクマか……?」

 

「ええ、綺麗だった」

 

 少し眉をひそめたくまだったが、念を押されたように言われたので、無邪気にえへへと照れ笑いを浮かべた。

 

 そんな透明な少女にオオモト様は布団の縁で口元を隠しながらくすりと笑みをこぼす。

 

(そっかー、ボク綺麗だったかー……あれ、でも……?)

 

 くまは内心首を傾げる。

 

 何かとてつもなく恥ずかしい目にあったような気がする。

 

 しかもそれは気なんかじゃなく、現実的なものだった?

 

 くまはおずおずといった感じでオオモト様に話しかけた。

 

「あのさぁ、ざっきぃ……もしかして、ボクのハダカ、見ちゃったのか……クマ?」

 

 そう尋ねられて黒髪の少女はきょとんとした顔で見つめ返す。

 

 さっき、そう言ったはずなのに、といった表情で。

 

「ええそうよ。だってくま、キチンと服を着ていなかったでしょう。ずっと動き回っていたけど、寒くはなかったの?」

 

「ええっとぉ……ちょっと待って」

 

 オオモト様の方に掌を向けてちょっと考え込むくま。

 

 確かに、温泉にのんびりと浸かっている時に現れたから、服を着ている暇なんかはなかったけれど。

 

 でも。

 そういうことじゃないような?

 

「寒くはなかったみたいなんだけどさぁ……」

 

 くまはぼろきれのような布団の端をぎゅっと掴んだ。

 

 すると何かが分かったのか急に頭まで布団を被り、顔を覆い隠す。

 

 急な変化にオオモト様は心配して尋ねる。

 

「どうかしたの、やっぱりまだ寒い?」

 

 その手を握ろうとオオモト様はくまの布団の中に手を入れたのだが、何故か手を引っ込められてしまった。

 

 訝しそうに見るオオモト様にくまは布団を丸く被ったまま、仕方なしにぼそぼそと応えた。

 

「ううっ……だって、すごく恥ずかしい……」

 

「恥ずかしい?」

 

 くまの言葉を反芻する。

 

「ぼ、ボクの全部、ざっきぃに見られちゃったわけだしぃ。恥ずかしさにしんじゃうクマままままぁ!!」

 

 一通りくまは叫ぶと、その照れた顔すらも布団の中に埋めてしまった。

 

「……」

 

 オオモト様は呆気に取られたように少女が丸まった布団を見つめた。

 

(ううううっ……!! 誰にも見せたことなかったのにぃ……!!)

 

 今思うと、確かにアイツの言うようにちょっとはしたなかったのかもしれない。

 脚なんかはおもいっきり広げていたような気がするし。

 

 完全に全部見られてしまった。

 

 大事な所なんかも多分丸見えに。

 

 くまの少女は湧きあがる羞恥心に耐え切れず、耳まで顔を赤くしながら布団を頭から被り蹲った。

 

 オオモト様はそれをきょとんした様子で眺めていたが、やがて小さくため息をつくと、くまに背を向けて軽く瞼を閉じた。

 

 サトくんも疲れたような欠伸を一度すると、ふわふわした尻尾に顔を埋めて目を閉じる。

 

 やっと静かになったことの合図のように、ちりちりと小さな虫の音が耳に届くようになった。

 

 ……

 ……

 ……

 

 月が廃屋を照らしつける。

 

 しんと静まり返った家の中で、心地よい夜の帳が二人と一匹……いや、三人の中にゆっくりと降りてきていた。

 

 くまの布団はまだ丸くなったままだったが、今はもう静かになっている。

 

 小さく唸り声をあげていたようだったが、多分寝てしまったのだろう。

 

 今夜は大分疲れただろうから。

 

「……」

 

 あえて、聞こうとはしなかった。

 

 多分、一晩寝ればくまの機嫌だって直るだろうとそう思っていたから。

 

 そう、だったはずなのだが。

 

「……ねぇ」

 

 始めは独り言のような呟きだったから、オオモト様は試しに片目だけを開けてみた。

 

 ぼそぼそとしたものだったし、もしかしたら寝ぼけて出た言葉も知れない。

 

 昨日だって、くまの寝言で起こされたようなものだったし、多分そうだろうと思った。

 

 だが。

 

「ね、ねぇ、ざっきぃ~」

 

 布団を頭から被ったままのくまにゆさゆさと揺り起こされる。

 

 それで自分に話しかけていることがようやく分かった。

 

(やっぱりまだ、起きていたのね)

 

 オオモト様は小さく目を擦ると、くまが気にしているだろう事を思ったままに言った。

 

「大丈夫よ。月明りだけだったし、それに本当に綺麗だったから」

 

 くまを安心させるつもりでそう口にしたオオモト様だったのだが。

 

 くまは、はううーっ! と唸ったっきり、また布団の中に全身をすぽんと埋めてしまった。

 

 あっ、と小さく呟くオオモト様だったがもうすでに遅く、くまはその目線すら合わせてくれなくなっていた。

 

 どうやら今の言葉は余計だったらしい。

 思わず口元を手で押さえたが、それこそ遅かった。

 

 オオモト様は差し込む白い明かりを見ながら、そっと息を吐きだす。

 

 暗雲のような黒い存在が居なくなったせいだろうか、吐き出す息が少し白く見えたような気がした。

 

 それだけ今の空気が澄んでいるということなのかもしれない。

 

 山と森と、その息づかい。

 

 世界の均衡とはこのような成り立ちなのではないだろうか。

 

 何かが不足しているというよりも、あるがままのものを守っていくような感じが。

 

 この家にもそれなりに幸せな時間があったのだろう。

 

 もう人の住まなくなり、捨てられた家にも。

 

(でも、今はわたし達が住んでいるわ。勝手に入り込んだだけなのだけど)

 

 誰かが遺してくれたものが、別の事の役に立っている。

 

 幸福、幸運とはそういう些細なことの積み重ね……そうであって欲しいと願う。

 

 座敷童という概念がもう生み出されることなどないように。

 

「……責任」

 

「……えっ?」

 

 隣で沈黙していた丸い塊がはっきりとした言葉を出してきたので、思わずそちらの方を振り向いた。

 

「ぼ、ボクの裸見ちゃったのなら……責任、とって欲しいクマ」

 

「……」

 

(そ、そういうものなのかしら?)

 

 オオモト様は内心で首を傾げた。

 

「……そうじゃないとボク……このままだと恥ずかしすぎて、ざっきぃの顔なんかまともに見れないもん……」

 

 くまはちょっと甘えた言い方をした後、それっきり黙ってしまった。

 

 オオモト様は自分に返事を待たれていることに気が付くのに少し時間がかかってしまい、何で急に黙ってしまったのかと不思議がっていた。

 

(責任……)

 

 それはわたしが取らなかったものだ。

 もうずっと前に考えることをやめていたもの、放棄したとも言えるものだ。

 

 わたしは自分から何の責任を取ろうとは思わなかった。

 

 全ては平等であると思っていたし、良いことも悪い事もそれぞれに意味なんてものは無いと思っていたから。

 

 けれど、綺麗なものに何かしらの対価を払うのは当然なことのような気もする。

 

 芸術品とかそういうのに造詣は詳しくないけれど、あの子は、”燐や蛍”と一緒でとっても綺麗だったから。

 

 責任を取る事とはちょっと違うとは思うけど、くまに対しては行為と呼べるものを抱いているのは確かだったから。

 

(そうね……わたしも何かを返してあげないと)

 

 サトくんが居なくなったときもそうだったが、この子のことももっと信頼してあげないと。

 

 小さな体で守ってくれたわけなんだし。

 

 胸の内で納得したようにそう呟くと、理解出来たように首を小さく上下させた。

 

「分かったわ。じゃあ……くま」

 

「う、うん」

 

 オオモト様は囁くような声でくまにそっと呼びかける。

 

 その声に身をびくっとさせたのか、こぶのように膨らんだ布団が大きく揺れた。

 

「また、明日朝ごはんを一緒に食べに行きましょう。それでいいかしら?」

 

 隣で丸くなっているくまにそう訊ねる。

 

「……」

 

 くま暫く黙っていたが。

 

「なんか安っぽく聞こえる、クマ」

 

 にゅっと布団から顔だけを出し、少し不満げな声でそれだけを呟く。

 

 そう返されて、オオモト様は不思議そうに目を丸くさせた。

 

「そうかしら? 誰かと一緒にとる食事は責任を伴うものだとわたしは思ってる。それがましてや好きな人となら尚のことだわ」

 

「……偶然、かもしれないのに」

 

 くまは殆ど布団を顔に入れたままくぐもった声でそう問い返す。

 

 オオモト様はにこりと微笑みながら、紡いだ糸のような繊細な言葉で返した。

 

「わたしは、あなたとの出会いに何か特別なものを感じてるわ。偶然か必然か何てことは問題ではないの。くまといるのがとても楽しい」

 

「…………!!」

 

 その言葉にくまは顔を真っ赤にすると、またさっきのように布団の中に引っ込んでしまった。

 

 やっぱり、まだ恥ずかしいのか。

 それとも。

 

 とりあえず、応じてくれたのは良かったが、どうやらくまが求めていた答えとはこれも違うようだった。

 

 くまは食事ではなく、別の何かを期待していた?

 

 その辺りはまだ良く分からないが。

 

「だったら……」

 

「うん?」

 

「まあ、一緒に行ってあげてもいい……クマ。でもいっぱい夕食を食べそこねたからいっぱい食べちゃうかもしれないけど」

 

 そう言ったきり、くまは本当に黙ってしまった。

 

 オオモト様は穏やかな目でくまの方を見ていたが、上体を布団の中に入れるとまた静かに瞼を閉じた。

 

 月光が見守るなか、少女たちは長い夜からの眠りにつく。

 

 きっとまた朝は来ると思う。

 

 ただ、それが求めていたものとは同じかどうかまではまだ、分からなかった。

 

 ……

 ……

 ……

 

「やっぱり、降ってきちゃったみたいクマね」

 

 溜息とともにくまはそう言葉を漏らす。

 

 確かに、四角い窓の向こうでは、どんよりとした灰色の雲が空を覆い隠していて、はっきりとわかるぐらいの大粒の雨がぴとんぴとんと振ってきているようだった。

 

「ざっきぃが言ってた通りクマね。朝の内はあんなに晴れ晴れとしてたのにねぇ」

 

「そうね」

 

 オオモト様も残念がった声でため息を吐いた。

 

 その吐息にはさっき食べたストロベリーパフェの甘い香がまだ少し残っていた。

 

 昨日と同じファストフード店で朝食を済ませたのち、またふたりは周辺の街の探索に出かけていた。

 

 あんなのが現れてしまった以上、もうヒヒの痕跡や町の調査などまったく意味のない行為となってしまったが、それでもじっとしているわけにもいられず、特に当てもなくぶらぶらと街中を彷徨う羽目になっていた。

 

 観光ガイドを見て色々回っていたのだから殆ど旅行と言ってもいいほどで。

 

 それでもお腹は減るようだったから、お腹を押さえるくまと一緒にとりあえず近くのファミリーレストランへと入り小一時間程経った時のことだった。

 

 灰色の雲が厚く垂れ込め、空からぽつぽつと雨が降ってきたのは。

 

 タイミングよく店内に入れたとも言えるが、そこが何となく腑に落ちないのかオオモト様は窓の景色を見ながら眉根をきゅっと寄せていた。

 

「これじゃあ今頃あそこだってびちょびちょになっているよね。あーあ、せっかく良いねぐらを見つけたと思ってたのにクマぁ」

 

 そうぼやいたくまは、コップだけ置かれた綺麗なテーブルの上で顔を突っ伏していた。

 

 その仕草にオオモト様は軽く微笑むと、薄暗くなった窓の方を眺めながら珍しく頬杖をついていた。

 

 サトくんとは途中でまた別れてしまったが、多分、何処かで雨宿りしているだろうから心配はないとは思うのだが。

 

(だったら、何なのかしらねこの胸騒ぎは……)

 

 確信はない、だけど。

 

 不穏なようなものを覚えてしまう。

 

 状況がそうさせているとも言えるかもしれない。

 

 黒い輪郭を持った自分そっくりの存在が目の前に現れた瞬間から、何かが大きく変わってしまった。

 

 そう思えてしまう。

 

 全てを結び付けて考える行為はおかしい事だと思っていても、どこかでそれを否定している自分がいることを知っているから。

 

 どうしても心が波立ってしまう。

 

 平穏にしようと思えば思えるほど胸の奥でそれはふつふつと強くなっていく。

 

「ねぇ、ざっきぃ、今日はどうする? とりあえず手ごろな洞穴でも探そうか」

 

 くまが熊らしいことを言いながらぐでんとした表情で尋ねる。

 

 いつも元気だったから何でも楽しめそうな感じがしてたけど、この様子だとどうやらくまは雨は苦手らしかった。

 

「わたしは寝られそうなところならどこでもいいわ」

 

 少しぶっきらぼうにそう答えるも、オオモト様は考えることがあるのか、また張り付いたように窓の外へと視線を移した。

 

「まあ、確かにぃ」

 

 くまも恨めしそうに窓の外の景色を見ながらまたため息をつく。

 

 そのせいか窓が少し曇り始めていたが、そこに指を添わせて何か描こうとすら今は思わなかった。

 

「アイツ、今夜も出てくるのかな?」

 

 重ねた腕に顎を乗せながらくまがぼそっと呟く。

 

 もう二度と遭いたくはないような存在だったのに、待ちわびているような口ぶりになっている事に少女は気付いていない。

 

 それはとても滑稽な事なのだが、二人共このまま無事に夜が迎えられるとは思ってすらいなかった。

 

 一度視てしまったら、もう見て見ぬふりなんかできない。

 

 アレは確実にここに居るんだし、いきなりこの場に現れることだって何ら不思議でもない。

 

 肉体のようなものがないのだったら、如何様な場所にだって現れることが出来るだろうから。

 

 どうも落ち着かないのはきっとそのせいだ。

 

 何を食べていても、誰と話していても。

 

 ふとした瞬間にさっと影が差す。

 

 どうしていても気になってしまうのだ。視線というか見えないところまで探っている意識の混濁に焦燥感を覚えてしまう。

 

 もう無視はできない。

 無視したくとも。

 

 アイツは確実に這いよってくるだろう。

 

 どんな事をしてでも。

 

 そんな予感がしてしまうのだ。

 

「だったら」

 

 オオモト様から言葉を切り出す。

 

 このままここで蹲っていたって時間は平等に流れていくものだから。

 

「今夜は別のところで泊りましょうか」

 

 急にそう提案されて少し戸惑った顔をしたくまだったが、”別の”と言われたことにぱあっと顔を明るくさせた。

 

「なら、高級な旅館かホテルがいいクマねっ! まあ、それはどっちでもいいけど……美味しいご飯と出来れば温泉があればいう事なしクマねぇ……あ、あともちろんお酒もっ!!」

 

 付け足した言葉は少女がおおよそ口にすることではなかったが、このくまは見た目通りの少女ではなかったのでさして問題はないだろう。

 

 実際に問題だったのは。

 

「ごめんなさい。そのどちらでもないの」

 

「何だ、そうクマかぁ……」

 

 くまは分かりやすくがっくりと肩を落とした。

 

「でも、良い所なのよ、あそこは」

 

「それって、どんなところクマか?」

 

 ワクワクとした表情でくまは尋ねる。

 

 まさかそんな所を提案されるだなんてことは思ってなかったから。

 

「”青いドアの家”と言って、そこでは雨が降ることもないし、ずっと穏やかな所なのよ」

 

「……」

 

 一応、くまは頷いてみせたが、それは何故かぎこちないものだった。

 

 オオモト様は構わずに話を続ける。

 

 くまの仕草に疑問はないとうか、それすらも目に入っていないみたいに。

 

「でも、誰でもという訳ではないの。多分、あなたなら大丈夫と思うわ」

 

 その言葉を聞いた途端、くまはぎゅっと表情を固くすると、オオモト様から少し距離を置いて、座りながら両手でバツの字を描いて首をぶんぶんと振っていた。

 

「……くま? どうかしたの」

 

 突然変な行動をとったくまに首を傾げるオオモト様。

 

 くまはやれやれと言った感じで肩をすくめた。

 

「どうかしたのって、ねぇ……」

 

 くまは思わず手元にあったコップに手を伸ばし、その中身をごくっと口の中へ入れた。

 

 氷ごとをがばっと飲み込んでしまったことで、口の中がキインと一気に冷たくなる。

 

 思わず悶絶しかけそうになったくまだったが。

 

「ほら、これで」

 

 オオモト様が綺麗な柄のハンカチを手にしてその口元を拭おうとした。

 

 くまは複雑な顔でそれを受け取ると、自身の口周りをさっと軽く拭いた。

 

「だってさぁ、ざっきぃの話からだとさ……」

 

 一息ついた後、くまはオオモト様にお礼を言ってハンカチを畳んで返すと、恐々と言った感じでこう言葉を紡いだ。

 

「そこって、”死んだ人がいく世界”なんでしょ? だったらボクはまだ遠慮しておくクマ」

 

 そう言われてオオモト様は一瞬、はっとした顔になったが。

 

「それは」

 

 否定とも肯定ともとれるような曖昧な言葉を口にすると、窓の外を見ながらしばらく黙ってしまった。

 

 くまもちょっとつまらなそうに反対の窓の方を見る。

 

 少女たちは互いの存在にしばし目を背けた。

 

 降り続く雨がさっきよりも強くなってきたような気がした。

 

 

 ざあざあと雨が降りしきる。

 

 少し古い店内にはその音は聞こえては来ず、クラシックのBGMとわずかな雑談の声色が低いノイズのように流れていた。

 

(もし、これがアイツのしていることだったとしたら……)

 

 直接的なことはできそうにないが、こうした間接的な事柄。例えば気候の動きを早めるようなことはできるような気はする。

 

(……もしかしたら、この先も)

 

 大きなガラスの窓外を振り仰ぐ。

 

 厚い、灰色の雲は本当に自然のものなのだろうか。

 

 何もかもが疑わしく思えてくる。

 

 誰かのせいという訳ではないのに。

 

 二人の少女の間には少し重い、距離のある空気が流れている。

 

 暗い空なんかよりも。

 

 そっちの方がよほど憂鬱な事柄であった。

 

 ──

 ──

 ──

 

「それにしても、だよ」

 

「うん」

 

「本当に、こっちの方にいるとは思わなかったよぅ。一応、方角は分かっていたとは言ってもさ。これって相当な確率での偶然なんじゃない?」

 

「確かにそうだね」

 

「ねぇ、やっぱり……運転変わろうか? こんな雨の中じゃ視界なんて相当悪いだろうし」

 

 ちょうど信号待ちをしたところでそう声を掛ける。

 

 峠道を越えたこの辺りならコンビニぐらいはあるだろうし、そろそろ休憩を取った方がいいからと思ったからだった。

 

「ううん」

 

 問われた少女は首を小さく横に振る。

 

「山道だったらともかく、街中ならまだ平気だよ。それに燐だってあの夜の時、雨の中運転してくれたんだし」

 

「まあ、そんな事もあったけどさぁ」

 

 仕方ないことだったとは言え、一時、無免許で運転していたことを言われ、恥ずかしそうに燐は頬をかく。

 

 この分だと言っても効かないだろうと思った燐は。

 

「いつだって頑張り屋さんだもんね、蛍ちゃんは」

 

 そう言って小さく息をついた。

 

 呆れているというか、これはもう性分なんだろうなぁという意味合いでのものを。

 

「そういえば、もうすっかり乾いちゃったのかな? 何かずっと大人しくしているみたいだけど」

 

 蛍はちらりとバックミラーを窺う。

 

 軽自動車の後部座席には一匹の白い犬が嬉しそうに尻尾をぱたぱたと振りながらちょこんと座り込んでいた。

 

「それにしても驚いちゃったよね。ずぶ濡れのサトくんが現れたときなんかさ」

 

「本当だよ。燐が気付いてくれたから良かったけど、歩道を歩いていたからそのまま気付かずに素通りしちゃうところだったよ」

 

 二人の会話が分かっているのか、犬は小さくワンとほえた。

 

「やれやれ、サトくんはいつも暢気だなぁ」

 

 呆れかえったような燐の呟きに蛍はふふっと微笑んでいた。

 

「でもさ、サトくんがいたってことはやっぱり一緒ってことだよね?」

 

「まあ、多分ね。一緒に話していたのを見たから」

 

「燐が、覗き見たんだっけ?」

 

「もう、人聞きが悪いなぁ。たまたまだった耳にしちゃっただけだもん」

 

「ふふっ、何か燐、子供っぽい」

 

 ステアリングを握りながら蛍はあははと声を出して笑っていた。

 

「まだお酒飲めないから子供だもん」

 

 燐はむーと頬を膨らませていた。

 

 少し雨足が強くなったのか、蛍はワイパーの振る頻度を調整する。

 

 しゅこんしゅこん。

 左から右に雨粒が切り払われていく。

 

 山が近いせいだろうか、ここまで本降りになることは予想していなかった。

 

「でもさ、少しの間に運転が上手くなったよね。大分余裕が出て来たっていうかぁ……蛍ちゃん。やっぱり呑み込みが早いよね、本当」

 

 感心したようにそう言う燐。

 蛍は前を見ながら少し頬を赤くした。

 

「そ、そんな事はないよ。燐の教え方が上手なだけで、やっぱり今だって緊張してるよ」

 

「ん~、そうかなぁ? でも、さっきから蛍ちゃんにばっかりずっと運転させてるよ。いい加減、疲れてなんかこない?」

 

「えっと……」

 

 蛍は一瞬何かを言おうとしたが、それを飲みこんで小さく笑みを作った。

 

「大丈夫。だってわたしは燐を守るって決めたんだから」

 

「……そっか」

 

 それだけを蛍に言うと、雨煙に覆われた黒い山の頂を助手席の窓から覗き見る。

 

 昼間だというのにもう大分暗い。

 

 日も差していないから車内でも肌寒さを少し感じて、先ほどから空調を入れている。

 

 フロントガラスが曇らないよう霜取り(デフロスター)にスイッチを入れたままで。

 

「ねぇ、サトくん、オオモト様ってどの辺にいるのかな。ちゃんと案内って出来そうかな?」

 

 燐は先ほどまでずぶ濡れだった白い犬に、物は試しと聞いてみた。

 

 タオルを何枚か使ってしまうほどずぶ濡れだったから、始めは一体何の生き物かが分からないぐらいだったが。

 

 今はすっかりとふわっとした白い毛並みの犬に戻っている。

 

 意外と吸水性の高い毛でおおわれているんだ。

 そう蛍は思った。

 

「わん!」

 

 サトくんは元気よくそう返事をする。

 

 だが以外にも燐は眉をひそめた。

 

「なんかちょっと適当だなぁ、さっきもそう返事をしたでしょ?」

 

 燐の問いにサトくんは今度はわんわんと二回答える。

 

 回数の問題ではないとは思うのだが。

 

「やれやれ、この分だと全部の場所を見て回る必要がありそうだね」

 

 当てにならないとばかりに燐はスマホに手を伸ばす。

 

 蛍は口に手を当ててくすくすと笑っていた。

 

「燐、まあそう言わずにもうちょっと走ってみようよ。そうすれば何かが分かるかも」

 

 そう言って蛍はしっかりを前を向いて運転に集中するようにした。

 

 免許は何とか取れたが軽自動車のボディの前後にはまだ初心者の証である若葉マークがついている。

 

 人を乗せているのだから油断してはいけない、教習所でもそう習ったばかりだし。

 

 特に大事な人が一緒に乗っているのだから。

 

 誰よりも、大切な人が。

 

「そうだね……オオモト様、元気でいると良いけど」

 

 ちょっと不吉(フラグ)なことを口にしてしまったと思ったが、何となく胸騒ぎのようなものを覚えていたから。

 

(何だろう? この不快な感じって。まるであの時みたいだ)

 

 最後に会った時に、ヒヒがどうこうと話していたのを知っていたから少し気になっているのかもしれない。

 

 燐はやきもきした想いを抱えながら、黙って運転に集中している蛍に温かいお茶の差し入れをどのタイミングで渡そうか考えながら、その横顔を少し楽しそうに眺めていた。

 

 

 ──

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■Wolfenstein: The New Order

今年話題のゲームのひとつだったベセスダのStarfieldではなく、積んでいたウルフェンシュタインを今更やってみたりー。ちなみにPreyも同じメーカーからの発売だったみたいですねー。そういうのは全然知らなかったのですけど。

結構古いゲームだから美麗グラフィックのなのに自分のPCスペックでも動きはぬるぬるでした。ただ、ゲームの設定項目が今のゲームと比べるとやたらと少なかったですねー。
1940年代から60年ぐらいの架空の世界が舞台のようですが、何故かロボットや人造人間とかのオーパーツ気味なものが出てきて、結構SFしてたような気がします。一応月面なんかにも行ったりしましたし。
クリアまで14時間前後程度でしたので、ちょっとボリュームが少な目だったのかな? ただ、ストーリーの序盤で分岐がありますので、二週目なんかも一応楽しめますけれど。
とにかく主人公が不死身かってぐらいにタフだったのが印象的でしたねー。シリーズで色々あるようですが、日本じゃあまり人気がなさそうなのかな? 若干知名度が低い気がしますねー。


そういえば、ようやく念願のiphoneに機種変しましたー……iphone SE3ですけどもー。
しかしそれでもそれまで長年使っていたandroid携帯とはあまりにも性能が違いすぎるー!! むしろ快適すぎて使うのを躊躇してしまうぐらいかも。まあ、単に新しいスマホで浮かれているだけで、一月もすればすぐに忘れちゃいそうなんですが。

しかし、もしかするとiphoneSE4が発表されそうな時期にSE3にしてしまうのは何か勿体ないような気もしましたが、いつ出るか分からないものを待ちわびるよりも、今欲しいものを買うのもたまには良いのかなーとか思います。それに次機種は多分値上がり傾向になりそうですしねー。自分にはこの辺りのが妥当なのかも。
ただ、結局コスパを考えたらiphone位しかないのかなーって思ってしまいます。最新の機種じゃなくても十分なスペックがありますし、OSのアップデートもしてもらえますしねー。下取りなんかも安定してるほうですし……まあ、ブランド的なものもあるのかもしれないですけれどもぉー。


ゆるキャン△ SEASON3

やっぱり、情報が徐々に解禁されていくとそれなりにワクワクしてきますねぇー。でも話の展開の都合とは言え、いつものメンバーではなく次のメインビジュアルがゲストの綾乃であるのは少し意外だったかもー。でも可愛いからいいかぁ。
来年はSEASON2の再放送もあるようですし、4月からの予習と製作会社が変わったことへのビジュアルの違いも含めて、振り返り視聴してみるのもありかもしれないですねー。


それでは、ではー。


追記っき~。

来年2024年の1月9日まで”青い空のカミュDL版”が85%OFFの1500円になっておりますですよ~!!!
本当にお買い得なので、もしまだプレイしていない方がおりましたらこの超お得なウィンターセールの機会にぜひぜひお試しください~~。

今回こうして紹介するのが遅くなってしまったのは、セールのことを全然知らなかったという訳ではなくて(まあちょっとは入っておりますが……)、ある事情により更新が出来なかったのです。
大した理由でないですけど、その辺りの事は次のお話のあとがきの時にでも~。

ではではでは~。


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