We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life.   作:Towelie

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 なんでなんでなんでなんで。

 どうしてこんな事になっているんだろう。

 ただ普通に週末の秋の紅葉愛でながら、トレッキングとか、キャンプとかのアウトドアをしたいなって思ってきただけなのに……!!

 何故こんな不可思議な出来事になんか、また巻き込まれているのだろう?

 これがもし何かの歪み──何かに対しての異変なのだとしたら。

(一体いつまでこんなことに振り回され続けなければならないの……わたし達……)

 そんなどうしようもない疑問が蛍の頭をぐるぐると悩ませる。

 いくら逡巡したところで解決の糸口なんか全くつかめないとは思う。

 それでも考えなくてはならない。
 こんな理解不能で理不尽なことにも。

 そう思ったときだった。

 音もなく”ソイツ”が暗い林の奥から現れたのは。

「…………!!」

 思わず息を止める。

 出来ればドキドキと鳴る心音すらも止めたかったが、それはとても無理なことだったから。
 唯一出来ることをした。

 光すらも通さないのか、黒く、影のような姿は月明かりに照らされても尚、真っ暗なまんま。

 一見、背の高い女性のような風貌をしているが、血のようにどす黒い瞳はとても人のもつものではない。

「……」

 呻くような声どころか僅かな足音すらもしない。

 あまりにも静かすぎるから、樹木の影が伸びているだけと錯覚したほどだった。

 それはまるで、周りの木々や草が”ソレ”という存在を避けようとしているみたいに、一切の物音すらもしなかったのだから。

(本当に地面から浮いているんだ……)

 草の隙間からみただけだが確かに地面から十数センチほどのところで黒い草履のようなものを履くソイツの足が浮いていた。

 当初は燐がいったことをすぐには鵜呑みにはできなかった蛍だったが、まざまざと目の前で見せつけられてしまって、やっと理解ができた。

 あまりのショックの大きさに、二つの瞳をこぼれるほど見開きながら、片手で口を抑えて声を出さないよう必死にこらえている。

 隣にいる燐も草木の影から静かに様子を窺っていた。

(アイツ、こっちに来ちゃったんだ……早くどっかに行っちゃえばいいのに……!)

 蛍の手を握りながら大きな瞳だけを燐は忙しなく動かす。

(”ダイダラボッチ”って言ってたようだけど……くまちゃんは)

 結局それは何なのか。

 そして何でそんな事を、あの子は知っていたのか。

 首根っこを捕まえてでも、その辺りを問いただしたかったのは確かだったが、そんな余裕はもうどこにもなかった。

(だいだらぼっち、って言ってるんだし、”ぼっち”なんじゃないかとは思うけどさ)

 そんなどうでもいい事しか今の燐の頭には浮かんでこなかった。

 危機はもう──すぐ目の前にまで来ているというのに。

 それこそ、手を伸ばせば触れてしまえそうな距離にまで。

 もっとも──触れられるかどうかは分からない。
 何しろ相手は全てを霧のようにすり抜けてしまえるようだし。

 だから今はこうして、ちょうど目についた灌木の後ろで二人で蹲りながら、何処かへ行ってくれるのを期待して隠れて待つことしかできないのだ。

 結局、あの時と同じことをしている。燐は他人事のようにそう思った。

 だが、こうして隠れるしか選択肢はなかった。

 どうせ逃げた所でこれはどこまでも後を追ってくる。
 燐も蛍もそんな気がするからだった。

 息を潜めて迫りくる脅威をやり過ごすのがいちばんだというのを本能の経験のところで分かっていたのだから。

 燐と蛍が、異形のものに追いかけられるのは初めてのことではない。
 だか、それが何になるというのだろう。

 二人よりも屈強な人だって、身の丈以上の危険を感じたら、逃げるか隠れるかしかないだろう。

 だって人はそこまで強くはないのだから。

(コイツって何なんだろう? わたし達を追いかけて一体何の得が……)

 そう、コイツの目的が未だはっきりとしない。

 自分達を見つけて、一体どうする気なのだろうと。
 疑問が頭をもたげてしまう。

 そして、どういう動きをしてくるのか、それも全く予想がつかない。

 燐のもう片方の手には、例のクマ除けのスプレー缶がしっかりと握られていた。

 武器になるものと言えばこのぐらいしかなかった。

 トレッキング用のポールを投げつけたところで何の効果もないだろうし。
 
 気を逸らせるぐらいで。

 けど、これだって何の意味はないだろうと、燐は思っていた。

 良くてせいぜい一瞬怯ませられるぐらいだけ。
 それすらも出来ない可能性の方が多分強いか。

 だって相手はクマでもなければ、顔のない人影でも、あのヒヒでもない。

 まだどういう存在だかよくは知らないが。

(危険な感じだけは、ビンビンと来るんだよね……命まで取られるかはまだ、分からないけど)

 こういった”人外的”なモノに限ってやけに鼻が良かったり、何かの方法で気配を感じることが出来る場合が多い。

 あのヒヒがそうだったのだから、きっとこいつもそんな能力的なものを持っている気がする。

 当てずっぽうじゃなく、匂いとか温度とかそう言った変化を感じ取ることが出来るとしたら。

(…………)

 全く動くことが出来ない。

 想像しただけで全身の血が凍るようなそんな気持ちになる。

 それでも隠れ続けなければならない理由があった。

(それは普通(シンプル)に怖いから、だと思う……まだ危害を加える相手かどうかは分からないけど)

 だが、そうなってからでは遅いことは二人とも知っている。

 相手の名称や目的が分かったって、対処法とかを知っているというわけではないのだから。

 そもそも妖怪のようなのが居るだなんて聞いていないわけだし。

 もっとも知っていたら、わざわざ来ることなんかないはずではあるが。

 ソイツがぴたりと立ち止まった。

 すぐ近くに気配はあるのに何も感じない。

 時が止まったみたいに思えた。

(な、何、あれっ!!)

 燐は零れるぐらいに目を大きく見開きながら蛍の手を強く握る。

 何事かがあったと思い、蛍が恐る恐る薄目を開けようとした、そのときだった。

 みしりと空気を圧縮したような嫌な音がして、アレがまたカタチを変えていた。

 これまでに見たどんな奇怪な出来事よりも信じがたい光景が目の前で起こったのだった。

(あんなのもう、ただの化け物だよ……!)

 蛍は再び目を開けてしまったことを後悔したのか、すぐに瞼を閉じた。

 暗がりだったからとは言え、オオモト様と見紛うぐらい整った女性の顔をしていたと思っていたものが、ぐにぐにと輪郭を変形させていた。

 まるで出来損ないのモンタージュ写真を寄せ集めて丸めて出来た粘土のように、顔立ちだけでなく、手や足の輪郭すらも変化させていたのだ。

 それはどんどんと上へと伸びていく。

 昆虫が変態を繰り返すように、思うがままの姿へとそのかたちを変えていく。

 もっとも適切で合理的な姿へと。

(どこまで、大きくなるつもりなのっ……!)
 
 人の影そのものが意思をもっている。
 そう思われたとしても過言ではない。

 ──こんなのを目にしてしまうと。

 黒い姿の巨人が急にそこににゅうっと現れたみたいに、極端に細長くなった体躯(カラダ)をゆらゆらと燻らせながら、ソイツが周囲を見渡している。

 キリンか何かのようにと比喩したいところだが、とてもそんな気には起きさせてはくれない。

 あまりにも醜悪すぎて。

 あのヒヒですら凌駕するほどの大きさと不気味さだったのだから。

 見上げている二人の首が疲れてしまうほどの高さにまでなっていた。

(こんなのもう、相手にできるはずないよっ……!!)

 蛍だけでなく燐もぎゅっと目を固く閉じ、寄り添い合うように身を縮こませた。

 この時ばかりは全く無関係な、石ころのような無機物になりたいとさえ願ったほどだった。

(あんなのに見つかったら、わたし達……)

 本当にどうなってしまうのだろう。

 もう、逃げだすことも助けを呼ぶことも出来ない。

 コレが何処かへ行ってくれるのを願って待つだけ。

 その程度のことぐらいしかもうできないのだ。

(すごく息苦しい……胸が張り裂けそうになる……)

 ただ少しの時間が過ぎるのがとても長く感じる。

 不意に今いる現実を確かめたくって、腕時計で時間を確認してみたくなるが、そんな事すらも危うく感じられて、燐は開けそうになった目を途中で閉じた。

(早く、行って、行ってよぉ……! もうっ……)

 この状態はいつまで続くのだろう。

 結局、こういった現実離れしたような脅威に対しては過去の経験や知識など何の役にも立たないというのは頭では分かっていたが。

 こう、たびたび変な事象が現れてしまうと、否応なしにその事を理解してしまう。

 それは頻度が多いとかそういうのではなくて。

 あれだけの経験をしても、何の対策も立てられていないという事実に情けなくなってしまうのだ。

 心構えが多少あったって、そこに行動が伴わなければ、それは何をしていないのと同義だ。

 理不尽だとは思うけれど。

「…………」

 ダイダラボッチは何も言わずに首だけを長くして、草むらや木の間を覗き込んでいる。

 草食動物が首を伸ばして餌を探すような可愛らしい仕草なんかものではなくて。

 そこだけが別の生き物のようににゅるにゅると伸び、人の顔のようなものだけが宙に浮かんで周囲を見渡しているのだ。

 どこか既視感を覚えさせる光景だったのだが、目を閉じている二人にはそれが何なのかは分からない。

 ただ、何かをしているというのは気配で分かってしまう。

 声のようなものはないが、すぐ傍でぴりぴりと何かを探るような気配が肌を通して何度も流れてきていたのだから。

 殺気というか、ちょっとでもその先端に触れたらまるごと無くなってしまうような、嫌悪感が満ち満ちていた。

 下手に動くと大変なことになる。
 それだけはハッキリしていた。

(……ひっ!?)
 
 気配を伴った風が蛍の柔らかい頬をぬるりと撫でた。
 
 全身が総毛立ち、蛍は思わず叫び声をあげそうになる。

 ”蛇蝎(だかつ) のごとく嫌う”というのはきっとこのことだろう。

 ホラーゲームのような有り様に巻き込まれているのだから当然の反応だと思う。

 一秒。

 二秒。

 刻々と時間は過ぎていっているはずなのに。

 一向にその時は訪れない。

 見つける気がないのか、それともただ……弄ばれているだけなのか。

 果たしてそのどちらでもないのか。

 何故かこちらだけを見ていない。
 そんな気がしてしまう。

(どうしたらいいの……わたし達……この状況で)

 緊張のピークはもうとっくに過ぎている。

 正直、今すぐにでもこの場から飛び出して、一目散に逃げだしたくなるほどに。

 警鐘を打ち鳴らすように、心臓が早鐘を鳴らし続けている。

 あまりにも五月蠅いから胸を突き破って出てきてしまうのではないかと、いらぬ危惧を抱いてしまうほど、明らかな焦燥感を感じ取っている。

 それは二人とも同じようで、燐も蛍も歯を食いしばり、冷たく汗ばんだ互いの手をぎゅっと握りしめていた。

 喉が張り付いてきているのか、蛍は生唾を飲み込む。

 この音ですら向こうに伝わってそうに思えるが、もう何度もやっている無意識の行為を止めることができない。

(もしかしたらあの時、電話ボックスから出てきたのも……コレだったの……?)

 直近で起きた()()()()()()を蛍はそう結び付けていた。

 青いドアの家の近くにあった、あの電話ボックス。

 突然、受話器の穴という穴から這い出てきた黒い触手こそ、コイツなのではないのだろうと。

 一度そう考えてしまうと、やけに辻褄があってしまうように思えるものだから、蛍は怪訝に眉根をよせながらも想像が止まらなくなる。

 それがただの妄想であればいいのだろうが。

 ……
 ……
 ……

「蛍ちゃん」

 あれからどれぐらいの時間がたったのだろう。

 軽く肩を叩かれた蛍はぱちっと目を開けた。

 開けた瞼の先には困った顔で苦笑いする燐の顔が見えた。

「多分、もう大丈夫だと思う」

 固くなった表情を燐が崩している所をみると、どうやら本当にあの黒い存在は去っていったようだった。 

 ようやく蛍は深いため息をつく。

 その途端、これまで何故か聞こえなかった、風や小さな生物の声が耳に届くようになった。

 ただ単純に隠れるということ。
 それがこんなにも難しいことなんだというのを改めて思い知る事になった。

「ねぇ、燐……あれは何処に行ったの」

 まだ灌木の影に蹲ったままの蛍が問いかける。

 燐もすぐに出ようとはせずに横目で周囲を窺いながら、小さな声色で囁く。

「ごめん。わたしもずっと見ていたわけじゃないの」

「燐もそうなの?」

「うん。だからいつの間にかいなくなっちゃってた」

 燐のその言葉に蛍は複雑そうな顔をする。

 安心していいのか悪いのか。

 だが、ともかくふたりとも無事なのだから良しとするしかなかった。

「おーい! キミたち無事だったクマかぁ?」

 がさがさと下草を踏む音が聞こえたかと思うと、白い犬を連れ立ってくまが手を振りながら呼びかけているのが見えた。

「んー、こっちー」

 燐は、何故か釈然としない表情で手首だけをぱたぱたとさせて返事をした。

「燐、どうかしたの?」

 その仕草に心配になった蛍が顔を覗き込む。
 どこか痛めたとかの様子ではなさそうだが。

「うん……」

 燐はそう言って少し下を向いて俯いた。

 心なしか唇が震えているようにみえる、確かにあんなことがあった後だから無理もないのだが。

 実際蛍も未だ立ち上がることが出来ずにいた。

「だってさ、あんなノー天気な感じでくるんだもん。流石に調子狂っちゃうよぉ」

 途中でサトくんと達と二手に分かれたのはよかったが、結局こちらの方ばかりにあの化け物がやってきてしまった。

 燐はその事を非難しているというよりも。

「もしかして、燐。拗ねてるの?」

 何気なく言った蛍の言葉に燐は肩をすくめる。

「もう、わざわざ言わないでよ~蛍ちゃん。ちょっと恥ずかしいじゃん」

 そのあとで。

「これでも……怖かったんだよ、わたし。平気そうにみえるかもしれないけど」

 小さくぼそっと呟いた。

 蛍は苦笑しながらも安堵する。

 燐も自分とおんなじなんだなって。

「こういうのって、いつまでも慣れないもんだね。怖いことなんてそれこそ嫌になるほど体験しているはずなのにね」

「けど、慣れたら慣れたで何かそれは違う気がする」

「そうだね……そうだと思う。わたし達はきっとこのままで、いいんだよね」

「うん、多分ね」

 二人はまだ表情を固くしたまま、互いのことをそう慰め合った。

 ──
 ──
 ──




Phenomenon

 

「それで……ふたりは、どうするクマ?」

 

 そうくまが聞いてきたのは、あの打ち捨てられた廃屋のすぐ近くにまで降りてきたときだった。

 

 多分、そこまで考えて発した言葉ではなかったのだろう。

 

 だがそれは、いずれ言わなければならないことでもあった。

 

 別離(わかれ)の言葉として。

 

 

 ──アレがいなくなった後。

 

 白い月が照らす小高い丘の上で、少女たちは少しの間、議論というかこれからのことを話し合った。

 

 確かにオオモト様の行方は気になるのは確かだが、それよりももっと大事というか直近での危機があったから。

 

 後ろ髪を惹かれる思いを断ち切って、出来る限り速やかに下山を目指す方針となった。

 

 出鱈目に山の中を逃げ回っていたと思っていたのだが、実は案外そうでもなかったようで。

 

 登った時に付けて置いた目印を、少女たち一行は難なく見つけることができていた。

 

 何故だかコンパスは効かないままだったが、サトくんの鼻のお陰で暗い夜でも道を踏み外すことはなかった。

 

 特に何か壊れるようなこともなく、誰一人怪我もない。

 

 くまが投げたあめ玉はひとつ残らず砕けていたようだが。

 それだって皆に配って既に消化してしまった。

 

 唯一の心残りはやはり、オオモト様のことぐらいで。

 

 それこそが肝心なことなんだけど。

 

 身の危険を冒してまでもやることではない。

 

 この山には遭難するよりももっと恐ろしい怪物が住んでいたのだから。

 

 ”くま”は当初はサトくんよりも更に嗅覚が優れていると豪語していたが、結局先頭をサトくんに譲ったまま、自身は隊の殿を務めていた。

 

 そのおかげなのか、あれから自分たちを追ってくるようなものは一切出てはこなかった。

 

(諦めたのなら、いいんだけど……)

 

 まだ安心はできないだろう。

 

 あの手の存在は神出鬼没をモットーとしているぐらいに突飛に現れてくるものだし。

 

 油断している所をばくっとなんて、それこそホラー映画なんかでは良くある展開だから。

 用心することに越したことは無いのだ。

 

 燐は小さい頃からのアウトドアの経験からそう思っていた。

 

 皆、無言のまま、小一時間ほどかけて山をゆっくりと降りる。

 

 ひどく疲れてしまったが、ようやく見知ったような所にまで出ることができた。

 

「やっと、ここまで戻って来ることが出来たね」

 

 少しでも見慣れた場所に来たことでようやく安心がいったのか、蛍はほっとしたような安堵の声をだしていた。

 

「全くだよ。一度ならず二度までも逃げ帰ることになるとは思わなかったクマ……」

 

 珍しくくまも疲れたようにぼやく。

 

 その横でサトくんも緊張から解き放たれたようにぺたりと座り込んでいた。

 

 確かにあんなのと遭遇、それも連日でそうなったのなら、辟易とするのも仕方がないだろう。

 

 そんな時に、くまから浴びせられた言葉がそれであった。

 

 

「えっ」

 

 完全に意表を突かれたように燐はちょっと変な顔で振り返った。

 

 流石に疲れたから自前のテントでゆっくり休むか、今日ぐらいは軽自動車の車内で寝泊まりしてもいいかもしれないなぁと思っていたとこでのくまの問いかけだった。

 

 突然そう聞かれて、燐も蛍も呆然としていた。

 

「えっと……どうするって?」

 

 まだよく頭が回らないのか、燐は少しなおざりに質問をくまに返す。

 

 こうしてここまで降りることはできたのだから、とりあえずは目的は果たしたと言える。

 

 当初の目的を果たしていないからという事だろうか。

 

 くまの質問のその意味は。

 

「……」

 

 蛍は心配そうに燐を見つめる。

 

「まぁ、はっきり言っちゃうと”ざっきぃ”の事クマね」

 

 燐も蛍もやっぱりという顔をした。

 

 騒がしいくまが下山中、やけに大人しかったから少し気にしてはいたけど、それはどうやら”オオモト様”のことを考えてくれていたからのようだった。

 

「それで、どーするクマ。今日はもう遅いから寝るとしても」

 

 同じような質問を繰り返す。

 あえてその先のことは言わないつもりらしいが。

 

 こちらに選択を委ねられている。

 そう思った蛍は。

 

「ねぇ、燐。ちょっと」

 

 蛍は燐にそっと近寄ると、服の端っこを指で引っ張った。

 

「どうしたの、蛍ちゃん」

 

 燐も同じように小声で尋ねる。

 

「うん……」

 

 燐がそう聞いても蛍はそれだけしか言わない。

 

 何が言いたいのかを察することはできるのだが。

 

「あっ、ごめんくまちゃん。ちょっとだけ蛍ちゃんと向こうで話してくるね」

 

 くまの返事も聞かずに燐は蛍の手を引いてくま達から少し離れる。

 

 ちょっと行った所に一本の木立が立っていたのでその下へと言った。

 

 そこを頃合いと見た蛍は、口に手を当てて燐に話しかけた。

 

「ねぇ、燐はどうしたい?」

 

「それって……」

 

 くまと全く同じ質問をされて燐は言葉を濁す。

 

 言っている意味は分かるのだが、蛍とくまでは少しニュアンスが違うような気がしたから。

 

 蛍は小さく息を吐くと、下山の最中にずっと考えていたことを燐に打ち明けた。

 

「わたし達、もう帰ったほうが良いのかな? このままここに居たらまたアイツと会いそうだからから、くまちゃんだってそう言ったんだと思うの」

 

「それは」

 

 確かに、そう考えるのが妥当だと思う。

 

 くまだってアイツには手を焼いているようだったし、その上自分達まで守ることになったとしたら。

 

 くまは自信がないのだろうと思う。

 

 あんなに小さな子だからと言ったら失礼だとは思うけど、くまちゃんは自分たちが考えているよりもずっと強く、そしてあのダイダラボッチは多分、それ以上に強い存在なのだろう。

 

 それは燐も、薄々感じていたことだった。

 

「蛍ちゃんの言う通りだと思うよ。わたし達のことでくまちゃんやサトくんに迷惑をかけているんだと思う」

 

「じゃあ、燐。やっぱり……」

 

 そう言って蛍は俯いた。

 

 蛍はあの町で”座敷童”という存在だったが、その力はもう殆ど残されていない。

 

 ずっと前にオオモト様にその事を聞いた時には、まだちょっとはその力は残っている、とのことだった。

 

 でも、最近のことは聞いていない。

 

 もし会うことができたらその事を聞いてみたいと思ったのだが。

 

 人間(ヒト)か、座敷童(バケモノ)か。

 

 今のわたしは一体どっちなんだろうと。

 

(オオモト様を探すお手伝いをしたいのはやまやまなんだけど……)

 

 だからって足手纏いにはなりたくない。

 なら、どうするのが正解なのか。

 

 オオモト様を心配に思う気持ちはみんな一緒だと思う。

 

 もし自分たちがここから居なくなったって、()()()()()ならきっと大丈夫だとは思うし。

 

 だけど、それでも。

 

「ごめん、蛍ちゃん。わたし……やっぱり、もう少しだけここに残りたいなって思ってるの」

 

 これは自分の我儘だ。

 

 そもそも、ここに来ることだって直感で決めてしまったわけだし、また蛍ちゃんを振り回していると思ったから。

 

 こういう所はいつまでも変わらない。

 

 変わりたいと思っているのに。

 

「燐」

 

 蛍はそんな燐の頬を柔らかく両手で包み込んだ。

 

「燐が謝る必要なんてないよ。こんなこと誰だって予想がつかない事なんだし。それにわたし達、二人一緒でしょ?」

 

「だけど、蛍ちゃんはそれでいいの?」

 

 そう言いかけた言葉に蛍が首を小さく横に振った。

 

「燐。それこそ愚問だよ。わたし一人だけが帰るなんてこと絶対にないから」

 

「ん、そっか」

 

 蛍の決意の固さを知っている燐だからこそ、それだけを言った。

 

 もうずっと前に、森の中に消えていったサトくんを探しに行くとき話し合ったことを思い出す。

 

 あの時も、今でも、何も変わっていない。

 

 脅威に対しての圧倒的無力感。

 それは今だって同じだ。

 

 前に出来なかったことが、今になって出来る……それはあり得ない事ではないけど。

 

 それはごく普通の、現実的な事例(ケース )での話だ。

 

 こういった非現実的な、それも悪夢のような出来事に対して、まったく普通の人に一体何ができるというのだろう。

 

 精々逃げ回ることぐらいしかできないのが現状で。

 

 立ち向かうなんてそんな大それたことはまずできるはずもない。

 

 白い人影やヒヒ。

 

 或いは何か人外的なものに対してだって、わたし達はいつだって非力でしかない。

 

 少し違った力を持つ子たちだって、あの脅威の前で無力だったみたいだし。

 

 自分たちではとてもじゃないが歯が立つどころか、前にしただけで足が竦んでしまうほどだったし。

 

 あの子は直接言わなかったが、もう逃げた方がいいと思うのは当然というか必然だと思う。

 

 これはもうただの人探しなんかではなく、あの日起こった歪みと同じ。

 

 不条理な事が起きているのだ。

 

 でも。

 

 燐は真っすぐに蛍を見つめた。

 

「何もできないかもしれないけど、それでも何かしてあげたいんだ。大切な人だから」

 

「うん、そうだね。わたしにとってもオオモト様はとても大事な人だよ」

 

(でも、一番大事なのはあなたなんだよ。燐)

 

 そう、とても大切な人なんだ。

 

 あの狂った世界でずっと見持ってくれていたのはオオモト様だけだった。

 

 何でも知っているようで、実はそうではなかったひと。

 

 だから今度はわたし達が助けてあげたい。

 

 何が起きたのかまだ良くは分かっていないけど。

 

 あんな、”歪みそのもの”のようなのと遭遇してしまったわけだし、このまま放っておくことなんてできない。

 

 何も出来ないのだとしても、それが理由で帰るなんてことはしたくはないから。

 

「まあ、くまちゃん達は反対するだろうけど」

 

 そういって燐は笑った。

 

 ようやく笑顔を見せた燐につられたように蛍も笑った。

 

 そして自分の思いを声に綴る。

 

「まあ、そうだよね。でも、燐。本当にありがとう」

 

「えっ、何のこと」

 

「燐がそう言ってくれてよかったなって思ったの。もし意見が違ったらちょっとだけ悲しいだろうなって思ったから」

 

「そんなわけないよ。だって蛍ちゃんとわたしは”両思い”なんだから」

 

 その言葉に蛍は意外そうに目を丸くする。

 

「覚えていたんだね。もう燐はてっきり忘れちゃってたかと思ってた」

 

 そう言ってにっこりと微笑む蛍。

 

 透き通るほどに透明な笑顔はずっと変わっていない。

 

 大事なものはいつもすぐ傍にあった。

 

「蛍ちゃんってば、疑り深いなぁ~。少しはわたしのことを信用してよ~」

 

 燐はすこし口を尖らせながらも微笑んだ。

 

 ……

 ……

 

「ふむふむ、なるほどね~。キミ達の言いたいことはよっく分かった」

 

 くまは二人の話をひとしきり聞くと、顎を手に乗せてうんうんと頷いた。

 

 傍から見れば小さい子に話を聞かせているようなものだった。

 それは、間違ってはいないのだが。

 

 蛍と燐はくまの次の言葉を待った。

 

 何故だか緊張を感じているのか、二人とも拳をぎゅっと握っている。

 

「その上でくまが決断を下すクマっ!」

 

 くまはびしっとふたりを指さす。

 

 幼い少女の声が暗い夜の森に響き渡った。

 

「”ざっきぃ”のことはくま達に任せるクマ! だからキミたち二人はもう帰るクマ!」

 

 あまりの声の大きさに蛍たちだけでなくサトくんもすっかり驚いていた。

 

「いや、だからわたし達……」

 

「オオモト様のことが心配なのっ」

 

 燐と蛍はたまらず口を挟む。

 

 だが、くまは聞き耳が持てないのかひとりで続きを喋り出した。

 

「でも、ボク達だけでは限界があるクマ。だからもし、キミたちが残るっていうのなら覚悟を決めてもらうしかないクマっ」

 

「えっと、その……覚悟って?」

 

 そう言った後で、蛍ははっとなった。

 

 だが、もうそれは遅かった。

 

 くまはにやりと口元の端を少し歪めてこう宣言した。

 

「それは、”ワンフォーオール、オールフォーベアー”の精神クマっ!!」

 

 ああ、やっぱり。

 

 蛍は聞いてしまったことを後悔しているのか、自身の額に手を乗せていた。

 

 またしても蛍と燐は呆気に取られたように口を大きく開けた。

 

 ただ、一応言葉は伝わっているようだった。

 何やら変なことをくまは言っているようだが。

 

 実際、虫のいい話をしているとは思っているから、燐も蛍もそのことには何も言わないのだが。

 

「えっと、それで、くまちゃん。本当に良いの? わたし達がここに居ても」

 

「それはもちろんクマっ」

 

 燐の問いにくまは即答する。

 

「だって、山は誰のものでも、ましてやアイツのものなんかではないし、みんなで護っていくものだから」

 

「それがくまちゃんの考えなんだね」

 

「そうクマ。あと、”熊に二言はない”クマよ」

 

 さっきまでの疲れはどこに行ったのか、元気よくピースを見せるくまに蛍は乾いた笑みを浮かべた。

 

「けど、二人とも学生さんなんでしょ? 学校は大丈夫クマ?」

 

 くまにそう心配されて、ふたりは顔を見合わせた。

 

 見た目小さな子に自分達でも忘れていたような現実的なことを言われてしまった、と。

 

「まあ、学生って言ってもわたし達大学生だしね。ちょっとぐらいはまあ休んでも良いとは思うんだよねぇ」

 

「その辺は自己責任になるよね。普段ちゃんと講義受けているから、燐の言うようにちょっとぐらいなら大丈夫だと思うよ」

 

「単位さえ落とさなければ、ね」

 

 この辺りは高校の時と比べて自由だからいいけれど。

 

 進級とか、卒業の時に、大変なことになるぐらいで。

 

「そーなんだ。まあキミたちがそう言うのなら安心クマね」

 

 くまは分かっているのかいないのか、感心したような声をあげていた。

 

「あんまり、サボったことないからちょっと罪悪感はあるけど」

 

 そう言って燐は苦笑いをする。

 蛍もちょっと困ったような顔になった。

 

「それはわたしも……あ、こんなことなら出来そうな課題、いくつか持ってくればよかったね」

 

「それは確かにそうだね。あちゃぁ、勿体ないことしちゃったかなぁ」

 

 スマホだけでもやれそうな課題はあることはあるが、それでもテキストは必要になってくる。

 

 旅行にまで勉強を持ち込むのはどうかと、そう言った課題や何やらを家に置いてきてしまったことがここにきてアダになってしまうとは流石に思わなかった。

 

 今更取りに行くなんて言う訳にもいかず。

 

「まあ、帰ってからやればいいよね。燐、一緒にがんばろ」

 

 蛍は諦めの混じった声をあげた。

 

「そういう事になるね。いつまでここに居るかはまだ分からないけど」

 

 燐ももう覚悟を決めたように言う。

 

「だったらさ、買い出しとかもいかないとだよね。食べるものとかそんなに持ってきていないし」

 

「うん、そのあたりのことは後で決めよう。とりあえず今は一休みしたい気分かも」

 

「そうだね。わたしも疲れちゃった」

 

「ボクもお腹が空いたクマ」

 

 二人のやりとりの合間にくまがお腹を抑えて割り込む。

 

 確かにまだ今日は夕食をとっていなかった。

 

「じゃあ、とりあえず戻ろうか。ここにいてもまだちょっと気が休まらない感じするし」

 

 ちょっとでも見知ったものを目に入れておきたい。

 

 そう思った燐は両手で蛍とくまの背中を軽く押して促した。

 

「うん。そうだね。サトくんもお腹ペコペコみたい」

 

「わんわん」

 

 蛍の呼びかけにサトくんも駆け寄ってくる。

 

 テントを張った廃屋の庭まであとちょっとなのだから、もう何も起きるはずはないとその時は思っていた。

 

 ……

 ……

 

 後は平坦な道だけだから、そこまで気を張る必要はない。

 

 けれども後ろを振り返りたくなるのは、それはもう条件反射的なものだった。

 

 それにしたって少女たちの足取りはとても緩やかなものであった。

 

 くたくたになっているというよりも穏やかな感じで談笑しながら歩いていた。

 

「やっぱりさ、蛍ちゃんは現役だから違うよね。慣れてるっていうかさぁ、わたしのようなブランクのあるのとは……何て言うか対応力とかが違う感じするもんね」

 

 ちょっと妙な言い方をした燐だったが、そこには誇張など一切含まれてはいなかった。

 

 だが、蛍はそんな燐の言葉にむずがゆくなった。

 

「なぁに、燐。急に心にもないこと言って。わたしの事、からかってるんでしょ」

 

「そんなことはないって、もう~。わたしの言葉ってそんなに軽いのかなぁ」

 

 燐は不思議そうに首をひねる。

 

 そんな燐の仕草に蛍は小さく微笑んだ。

 

「だって、燐は別に引退したとかじゃないし……山歩き(トレッキング)は、燐だって今でもしてることでしょ?」

 

「うん、まあ、そうなんだけどさ。けど、目覚ましいなぁって思って」

 

「何が?」

 

 今度は蛍が首を傾げた。

 

「蛍ちゃん。何でもできるなぁって思って」

 

 そう言って燐は、蛍のほっぺを人差し指の先でちょんと押した。

 

 不意な出来事に蛍は小さく口開けて頬を赤くする。

 

 けれど悪い気なんかは全然なかった。

 

「それは燐の方でしょ。車の免許も簡単にとっちゃうし。大学の方だっていくつも専攻を受けているみたいじゃない」

 

「免許の方は、まぁ色々あったからだしね。蛍ちゃんも知ってることだけど」

 

 燐は軽く笑って話を続ける。

 

「わたしの事は良いからさ、蛍ちゃん、本当にのみ込み速いから何でもできるんだなぁって改めて思った。やっぱり、わたしの好きな人だけの事はあるよ、うん!」

 

 そう自信満々に燐は頷いた。

 

 蛍は更に顔を真っ赤にする。

 

「もう、燐ってば……」

 

 苦笑する蛍だったが、それ以上の言葉は出てはこなかった。

 

 うれしかったから、ほんとうに。

 好きな人に自分を認めてもらえることが。

 

 蛍は不意に燐を抱きしめたいという衝動に駆られたが、くまやサトくんが見ている手前、流石にそれはしなかった。

 

 恥ずかしいとか言うよりも、きっと燐も困るだろうし。

 

「はうっ、やっぱり夜は冷えるね~、顔が凍りそうだった」

 

 急に前方から吹き上げてくる風に、燐は胸元まで下げていたジャケットのジッパーを慌てて上まで引き上げた。

 

「もう冬も近いからね。温かいものが恋しくなる、っていう季節だね」

 

 つい忘れていたことだが、山の上の方にはまだ雪が積もっていないというだけで、気候的にはもう冬と殆ど変わらないのだった。

 

 その事を見越して中に余分に一枚着込んでいたけれど、それでもやっぱり寒い。

 

 温泉に入ったまではよかったが、その後のことで余分な汗をかいてしまい、すっかり熱が奪われてしまったのだ。

 

 下山後によくある事とはいえ、この汗冷えは背中がぞくっとするほどの悪寒を少女達に覚えるほどだった。

 

「何か暖かいものが食べたいよね~。何がいいかな?」

 

 燐はそう言うが、蕎麦はもう食べてしまったし、テントの中にあるものと言えばカップメンぐらいしかない。

 

 野菜やお肉なんかの食材は、車のトランクのクーラーボックスの中だ。

 

 そういった物が食べたければ停めてあるところまで戻らなくてはならない。

 

 そこまで大した距離ではないが。

 

「おでんとかわたし好きだな。具材とかは持ってきてないけど」

 

 そう言って笑うと、蛍は燐と手を繋ごうとした。

 

 それは無意識にというか、二人の間ではごく自然なものとして、ずっとしていることだった。

 

 だが。

 

(あれっ? 燐の手ってこんなに小さかったっけ?)

 

 それにとても熱い。

 

 汗ばんでいるというよりも、内側から熱を放出しているような感じだ。

 

 幾度となく燐の手を握っているから分かる。

 

 これは。

 

「う~、ボクも寒いから手を繋いでほしいクマ。熊は冬が苦手なんだクマ……」

 

 それは、くまの手だった。

 

 確かに普通の熊は冬に冬眠するようだけれど、”こっちのくま”はそうしないのだろうか。

 

「まあ、それはいいけど……何で強引に手を繋いでくるのぉ。言ってくれればちゃんと手を繋いであげるのに」

 

 そういう燐の片手はくまがしっかり握っている。

 

 そしてもう片っ方の手は。

 

「えっ、わたしと……?」

 

「そうクマ」

 

 くまはいつの間にか二人の間に入り込み、燐と蛍、双方の手を取っていた。

 

 いつもと温もりが違っていてちょっと残念そうなのか、蛍はちょっと戸惑ったような顔になった。

 

 けれどこれはこれで良いことなのだろう。

 

 もし希望である、小学校の教職に就いたのなら、こういうことはしょっちゅうありそうな気はするし。

 

 まだ幼そうな子の行動を知っておくのもいいと思ったからだった。

 

(けど、小学校っていうか、なんか幼稚園みたいだけど)

 

 本人が聞いたら怒りそうなことを蛍は想像しながらくまと仲良く手を繋いていたのだが。

 

「むー、くまはそんなにこどもじゃないクマ」

 

 気が付くと少しむっとした表情でくまが蛍の方を見ていた。

 

 口に出ててしまったのだろうか。蛍は誤魔化すように長い髪をくるくると弄った。

 

「何、どうかしたの?」

 

 横から燐が声を掛ける。

 

 くまはひとつ息をつくと、燐と蛍の顔を交互にみながら呆れた顔で尋ねた。

 

「まったく、キミ達はボクのことをいくつだと思っているクマか? くまのこと変な目でみてるような気がするしぃー」

 

 訝し気な目でくまが見つめてくる。

 

 蛍は図星を差されたようにうっ、と小さく唸る。

 

「そ、そんなことないよね。燐っ」

 

「う~ん、そうだねぇ」

 

 蛍は燐に同意を求める。

 だが燐は思ったままのことを口にしていた。

 

「わたしさぁ、くまちゃんのこと、小学生ぐらいかなぁって思ってるんだよねぇ。だから親御さんとか、そーゆーの大丈夫なのかなぁってちょっと心配しちゃってる」

 

 きっぱりと言う燐に、くまはまた息をちいさく吐いた。

 

 肩を落としたようなその様子に、燐と蛍はくまの頭越しに顔を見合わせた。

 

 オオモト様じゃないけれど、このくまもやはり何か人とは違うのだろうか。

 

 何か片鱗のようなものは時折見え隠れしているようだが。

 

「あ、ごめんね。その……わたしもてっきりその位なのかと。ねぇ、くまちゃん、眠くなってない?」

 

 蛍は申し訳なさそうな顔でそうたずねた。

 

「もう! だからボクはそんなんじゃないクマぁ──!」

 

 我慢の限界に達したのかくまは叫び声をあげた。

 

「はいはい。そのお話は後でちゃんと聞くからね。今は何か温かいものでも食べよ。くまちゃんもお腹空いてるんでしょー」

 

 くまが叫び終わる前に燐がぽんと、手をくまの頭に乗せる。

 

 たったそれだけでくまは大人しくなり、一言、うんと言って頷いた。

 

(やっぱり燐は凄いなぁー。わたしと同じで一人っ子のはずなのに)

 

 さっきから思っていたことだが、この子の扱いを燐は良く心得ていた。

 

 同い年なのにしっかりして見えるのは、燐のこういった小さい子への気遣いとかに現れているのだと思う。

 

 未だ物怖じしてしまう蛍には感心しきりであった。

 

 

「わんわんわん」

 

 先に行ってたサトくんがこちらを振り向いて知らせていた。

 

「あ、ちゃんとテントあるみたいだね。良かったぁ」

 

 とりあえずほっとする。

 

「中は普通に大丈夫だったみたいだね」

 

 一応、盗難とか気にしていた燐は胸を撫で下ろした。

 

 思えば、キャンプ場でもないこんな所にまで来る人などいないのだろう。

 

 荷物がちゃんとあるか確かめてみたが、それは杞憂であった。

 

「とりあえず何か食べようかぁ。すぐ食べられそうなのは大したのないけど。せっかくだから何か作ったほうがいいよね? ねぇ、蛍ちゃん」

 

 燐はテントの中に上半身だけを入れながら蛍にそう聞いてみた。

 

 けれども。

 

 何故か、返事がすぐに返ってこない。

 

 すぐ傍にいるはずなのに。

 

「えっと……蛍ちゃん? ……くまちゃん?」

 

 外で待っているはずの二人に声を掛けながら、燐は四つん這いの姿勢のまま後ろを振り返った。

 

 そこで待ってたのは。

 

「わん!」

 

「あれ、サトくんだけ……なの。蛍ちゃん達は?」

 

 周りをライトで照らしてみるが、誰の姿もみえない。

 

 停めておいた車までふたりで行ったのだろうか。

 

「暖かい鍋物が食べたいって言ってたしね」

 

 鍋も持ってきてある。

 

 そういった重いものなんかは、軽自動車のトランクや後部座席に置いてきてあった。

 

 ちょっと高いキャンプ道具なんかも鍵の掛かる車の中に置いてあったから。

 

 多分、取りに行ったのだろう思う。

 

「でもさ、黙って行っちゃうなんて、ふたりともちょっと薄情だよね。サトくん」

 

 健気に座って待っているサトくんの頭をわしゃわしゃと撫でた。

 

「それにしても、ちょっと遅いなぁ。やっぱりわたしも行けばよかったか」

 

 色々持ってきてあるから、引っ掻き回している可能性もある。

 

「くまちゃんも一緒みたいだしね。おもちゃと勘違いしそう」

 

 好奇心旺盛にそこらじゅうをひっくり返すくまに、慌てふためく蛍の姿が目に浮かんだ。

 

 そんな妄想をして燐はくすっと笑う。

 

 これはもう少し時間が掛かりそうな予感がした。

 

 ただ、こうしてぼーっと待っているだけなのもなんなので、燐はその辺にあった木の枝と松ぼっくりを集めて焚き火を起こした。

 

 焚き火台の上には赤い光が煌々と燃えている。

 

 焚き火こそが冬のキャンプの醍醐味だと燐はつねづね思っていた。

 

 とりあえず、燐は三人分のチェアとテーブルを用意した。

 

 飾りつけのLEDもテーブルの周りに見栄えよく配置させている。

 

 映えを意識したコーディネートは自分と蛍、そしてくまに向けてのものだった。

 

 それは少し早いクリスマスを意識した色合いになっている。

 

(こんな風に今年も蛍ちゃんとクリスマスを迎えられたらいいな。オオモト様やくまちゃん達とも)

 

「あ、もちろんサトくんも呼ぶからね。今年は一緒にクリスマスしよっ」

 

「わんっ」

 

 本当に分かっているんだろうか、この子は。

 

 けど返事をしてくれたからきっと来てくれるだろう。

 先の楽しみが増えた。

 

 ほんの少し先の出来事(イベント)に思いを馳せながら、燐は本当に楽しそうに飾りつけをしていた。

 

 綺麗に彩られたテーブルにはもうすでに食器も並べてある。

 

 とてもカラフルな柄の皿だったが、その中はもちろん空だった。

 

 テーブルの中央には金属製のボウルが置いてあり、中にはスナックバーやお菓子などが沢山詰め込んである。

 

 これなら料理を待っている間にでもちょっとでも摘まむことができるだろう。

 

 つまみ食いされたくま向けての燐の対策であった。

 

「どう、サトくん美味しい? わたしはさっきからお腹が鳴りっぱなしだけど」

 

 燐はチューブ状の餌をサトくんに食べさせながら、ひとりお腹を鳴らしていた。

 

 ひとりでこっそりと食べることもできたのだが、燐はまずそれをしない。

 

 蛍とくまが戻ってきて、料理が完成してから一緒に食べると燐は決めていたから。

 

「けど、わたしだって食べちゃいそうになるよ~。そうやってサトくんが美味しそうに食べてると」

 

 あまりにも美味しそうに食べるから、燐は何度、涎を拭った事だろうか。

 

 ぐーぐーとお腹は勝手になるし、焚き火を焚いていても寒さは増してくるしで、割と見た目以上に散々だった。

 

「わんわんっ」

 

 白い犬は最初の一本をペロッと平らげ、二本目を催促するようにじっと見つめながらぱたぱたと尻尾を振っている。

 

 そんな可愛らしい仕草をされると、”おあずけ”なんてとてもできやしない。

 

 燐はくすっと苦笑いすると、またサトくんに”ちゅるちゅる”をあげようと思ったのだったが。

 

 その手がとまった。

 

「あら、こんなところにいたのね」

 

 不意に声が掛けられて、燐はびくっと身を震わせながら振り向く。

 

 そこには。

 

「…………っっっ!!??」

 

 体だけでなく心まで凍り付いたように燐は固まっていた。

 

 居るはずもないというか、居て欲しかったというか。

 

 何時ぞやのように傘をちょこんとさして、その人がそこで佇んでいた。

 

 夜と同じ色の黒髪を短く切り揃えた少女がこんな真夜中に、それも雨も降っていないというのに紅い色の蛇の目を刺している。

 

 知らない人が見れば、異様ともとれる光景なのだろうが。

 

「あっ」

 

 この一言だけで後の言葉が続かない。

 

 燐はどうしていいのか分からず、とりあえず目の前で首を傾げているサトくんを胸元でぎゅっうと抱きしめた。

 

 ずっと探していた人が急に現れたのだから、ある意味正常な反応とも言えるのだろうが。

 

(けど、また……”アイツ”かもしれない……!!)

 

 どうしてもその疑念が頭を掠める。

 

 角度を変え、目を眇めてみて見ても、本物かどうかなんかは分かるはずもない。

 

 何より情報が少なすぎるのだ。

 

 あの”ダイダラボッチ”と言われているものについての。

 

(そういえば、サトくんはっ!?)

 

 燐は胸に抱いている白い犬の表情を上から覗き込む。

 

 だが、きょとんとした顔で少女の方を見つめるばかりで、威嚇するように牙をむくような様子はない。

 

 こんな判断方法はどうかと思うが、本物であると言ってもいいのだろうか。

 

 燐はまだ判断がつかないでいた。

 

「ねぇ、燐」

 

 幼い姿のオオモト様に名前を呼ばれ、燐は全身の筋肉を膠着させた。

 

 あの、ダイダラボッチとかいうのが自分の事を知るはずもないし、これである程度の断定ができるとは思うのだが。

 

 燐はただ不安そうに見つめ返すだけで、返事を返すようなことはしない。

 

 幼い少女は大方の事情を呑み込んだように、可愛らしい瞼を閉じて深いため息をついた。

 

「”アレ”に出会ったみたいね。あなた達は」

 

 その問いの答えの代わりに燐はごくりと唾を飲み込んだ。

 

 幼さの中にどこか落ち着いた声色は確かに”オオモト様”だと思うし、柔和で少し憂いを湛えた表情は特有のものだから多分間違いはないと思う。

 

(でも、姿も声も真似れるのがいたから……)

 

 あんなの化け物を知ってしまったら、もう何を信じたらよいのか分からなくなる。

 

 しかもアイツはこともあろうか、今目の前にいるオオモト様に化けていたのだから。

 疑うなという方がおかしく思えてくるのだ。

 

 胸の中の疑念は晴れないどころか、更に大きくなってくる。

 

 燐は意を決したようにオオモト様の姿をした少女に質問をした。

 

「あのっ、()()()()()っ!!」

 

「なにかしら?」

 

「その、わたしと一緒に蛍ちゃんと、くまちゃんって子もいたんです。その二人が何処に行ったのか、オオモト様は……その、知りませんか?」

 

 自分勝手な物言いをぶつけている、そう思ったが、言葉が止められなかった。

 

 オオモト様は自分の質問に答えてくれなかったことに憤るような様子もなく、不思議そうに首を傾げていた。

 

「ああ、それなら。ここに居るわよ」

 

 まるでよくある日常のように答える。

 

()()って?」

 

 燐の問いにオオモト様が白い指をすっと差したのは、ぼろぼろになったあの廃屋であった。

 

「この家? けど……ここは……」

 

 テントのすぐ近くにあったからそんなに間違いでもない。

 

 ただ、中は玄関どころか窓ガラスや床板なんかもボロボロで、おおよそ人が生活できるものではない。

 

 こんな所に居るぐらいならと、庭先にテントを立てたほどだったから。

 

 くまならともかく、蛍がそんな所に自分から行きたいということはないと断言できる。

 

 ここに来たときに、家の中を確認したわけだし。

 

 だが、燐が驚いたのはそこではなかった。

 

 そんな家はどこにもなく、その代わりに別の家、いや元の家の姿に戻ったというべきなのだろうか。

 

 まだ普通に住めそうな大きな家が、あの廃屋の代わりにいつのまにか立っていた。

 

 燐たちが持ってきたテントはその庭であった部分にしっかりと建てられているのに、だ。

 

「みんな、あなたのことを待っているわ」

 

「えっ、待ってるって!?」

 

「多分、中で食事の準備をしていると思うわ。燐に美味しいものを食べさせてあげたいって蛍ははりきっているみたいだけど。くまはどうかしらね」

 

 くすりと微笑むオオモト様。

 燐はまだ目を大きく開いて見つめているだけ。

 

 言葉を探しているというよりも……疑っている。

 これは夢なのではないかと思うほどに。

 

 がらがらと音を立てて何かとても大事なものが足先から崩れていくような感覚があった。

 

 もしサトくんすらもいなかったからきっと本当に崩れてしまっていただろう。

 

 そのぐらい燐の心は不安定なままだった。

 

「さぁ、外は寒いでしょう。中にお入りなさいな」

 

 そういって燐の前にオオモト様の白い手が差し出された。

 

 折れそうに細い指は本当にオオモト様の手、なのだろうか?

 

 そして、この家とは。

 

 玄関ドアの色と窓枠といい、これではまるで。

 

「青いドアの、家……?」

 

 燐は唇を動かしてその名称を口にする。

 

「あなたがこの家に付けてくれた素敵な名前ね。わたしも気に入っているのよ」

 

 燐は思わずオオモト様の方を振り向いていた。

 

 瞳と瞳が交じり合う。

 

 その刹那、オオモト様は目を細めて微笑んでいた。

 

 無垢で透明な笑顔は何も疑う余地など微塵もないみたいに、静謐なものだった。

 

 同じ血を引いているのであろう、蛍のことを燐の脳裏に思い起こさせるほどに。

 

 それなのに。

 

 なぜ、この手の震えが止まらないのだろう。

 

 その震えは燐の胸元で抱っこされているサトくんにも確実に伝わっていた。

 

 燐を心配したのかサトくんは、不意にぺろりと燐の頬を舌で舐めていた。

 

 偶然にもそれが気付けの役割を果たし、辛うじて燐は自分を取り戻すことが出来た。

 

「あ、サトくん……わたし……?」

 

 ぶれていた目の焦点が元に戻る。

 

 けれど、状況は何も変わっていない。

 

 探していたはずのオオモト様が目の前にいて、青いドアの家がその後ろに立っている。

 

 どこまでが現実で、どこからが夢なのか。

 

 何一つとして燐には理解は出来なかった。

 

(蛍ちゃん、わたし……わたし怖いよ……!)

 

 そう、怖い。

 

 知っているはずのその人の、黒檀のような黒い瞳が。

 

 堪らなく怖いのだ。

 

 何時、また変貌するかも分からない。

 

 好きだったものが崩れていく様はどうしようもなく悲しくなる。

 

 それを一度となく二度も目にすることになったら、きっと。

 

(立ち直れなくなると思う……何を信じていいのか分からなくなって)

 

 それは、あの青い空の時のように。

 

 けど、きっと頭では分かっている。

 

 逃げ出しても拒んでもそれは必ず見なければならないことだから。

 

 だから燐は。

 

(だけど……もう!)

 

 キッと顔を上げると、真っ直ぐに前を見つめた。

 

 視線の先には柔らかく微笑むあの人がいる。

 

 ただ、それだけ。

 

 

 それだけだった。

 

 

 ──

 ───

 ────

 

 





とうとうPCの液晶モニターが壊れてしまったので、サブのモニターでちょっとの間、頑張っておりましたが、あまりにも小さかったので結局新調することにしましたー。

で、思い切って27インチのモニターを買ってみたのですが、何ていうか……こんなにも変わるものなんですねぇー。それまで22インチの液晶を使っていたせいもあるんでしょうけど。何か、これまで見たものが違って見えると言いますか……月並みな言い方になるのですが、世界が変わったように見えましたよー!! 27インチでFHDとは言え画面が大きいのはやっぱりいいものです。迫力がありますし。
そして最近のディスプレイは本当に薄くて軽いー、しかもそれでいて見やすく作業領域も増えたのだから凄いものです。

これで、青い空のカミュのプレイも捗りますですよー!! もちろん今でもプレイしているんですよねー。”青い空のカミュ”は自分の原点であり頂点でもありますからねー。
真新しいモニターで美麗なグラフィックとシナリオを新鮮な気持ちでプレイさせていただいております。

──のでしたが、また新しいモニターに変えてから一月も経っていないのに何かもう大きさとかそれほど気にならなくなってますねぇ……むしろデスクにまだ余裕があったから、もっと大きくて解像度の高いモニターでも良かったかもーとか思ってしまう始末なのですが?? 
人の欲というのは本当に果てしないものなのですねぇー。何か分かったような言い方になってしましたが。

そういえば最近はインスタントコーヒーばかり飲んでたのですが、またちょっとめんどくさいペーパーフィルターの珈琲に戻ってきちゃってました。こっちの方が安かった──とは置いておいて、やっぱり香りが全然違いますよねぇ。口に含んだ感じもインスタントよりも深い気がしますし。

ただ、すぐに飲めるわけではないからやっぱりちょっと面倒に思うことはあります。飲むたびにフィルターを変える必要がありますし、何より余分なゴミが出てしまいますからねー。まあ、淹れ終えた後の粉とフィルターは脱臭の役割を果たすようですけれど。
けどその分、味わいがあるっていうか、インスタントでは出せない”風味”のようなのがあると思うのです。そういうのって結構大事なのかなって思います。素人が言う言葉ではないのでしょうけど。
もっとも、本格的に美味しい珈琲を求めるのならば、豆から選んでごりごりと挽く珈琲の方がいいのでしょうけれどもー。

追記──なのですが。青い空のカミュのDL版が3月17日まで、なんとなんと83%OFFの1500円で販売されております! 気になる方は、今すぐFANZAのサイトへれっつごー!!!
……って、これ完全に宣伝なのですが? 大丈夫なんでしょうかこんな所でやって……?

まあ、それこそ今更なことなんですけどー。


それではではではではーー。


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