We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life.   作:Towelie

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「ここは、一体……どこだクマ?」

 誰ともなしに呟く。

 貫くような光に目を眇めながら、見開いた先に広がっていたのは透き通るような青い天井だった。

 熊の耳を付けた少女は自分の頭がおかしくなってしまったと思い、大きな目を何度も擦る。

 けれど、景色は切り替わることなく、どちらの目で見ても青を映し出したままだった。

「もう朝……って感じじゃないね、これは」

 だからと言って昼だという訳ではない。

 時計は持っていなくとも、それぐらいは感覚で分かる。

 朝には葉の湿ったような匂いが。

 夜には夜のしっとりとした風と香りが、鼻をぴくぴくとくすぐることは知っているから。

 けれど今は、どちらの匂いもしない。

 むしろその概念すらもなくなったみたいに小さな鼻には何の香りも届かなかった。

 ともすれば、生きている実感すらも忘れさせるほどに。

「もしかして、ボク、しんじゃった……?」

 少女はちょこんと首を傾げる。

 だが、首だけなく手も足もまだ動く。

 屍となったにしては、肌も髪もつやつやとしているみたいだった。

 それじゃあ……いったい何なのだろう?

 当然の疑問がぽかりと頭にうかぶ。

 青と白しかない、天国みたいな世界がどこまでも広がっているいう事実をどう受け止めればいいのか。

 何かそれっぽい人影とか、門なりあればよりはっきりと分かるかもしれない、が。

「ううっ、目痛ぁ」

 まだ目が少し痛むのか少女は顔を歪めた。

 そしてこの静寂──。

 自分以外に出す音が全て消えてしまっているかのよう。

 しんだのは自分ではなく、世界の方ではないのかと疑うほど、何もかもか白い静けさに溶け込んでしまっていた。

 孤独を催す静けさにまだ慣れないのか、少女はそっと目を伏せると、丸い指で両耳を塞ぐ。

 もちろん上についている耳ではなく、本物の耳をつっと塞いでいた。

 暫くの間その状態でじっとする。

 危機に陥った時、闇雲に動くのは悪手であることを少女はその類まれなる野生で知っていたから。

 とくん、とくん。
 
 自分の心音が体の内側からとんとんと響いている。

 その身に流れる血も脈も、薄く開けた口から洩れる軽い息づかいさえもはっきりと分かるようになってくる。

 それは確かめてみることでもないが。

 それだけに大事なことでもあった。

 まだ生きている。
 そう自分は。

(そう、だよね。やっぱり……)

 少女は生への喜びを静かに噛みしめながらすうっと目を開いた。

 青と白のその境界。

 どうやら、固いコンクリートの上で横になっていたようだ。

 どこかの駅、みたいとも思えるところで。

「あれ……は?」

 何かが蹲っている。

 白い白い大地の上で、自分と同じように何かが横たわっているのが確認できた。

 何となく見覚えがあるもののような気がしたので、少女は躊躇うことなくそれへと近づいた。

 ……
 ……
 ……
 
「起きる……クマ、クマクマ……」

 耳元で声がする。

 ゆさゆさと何かが体をゆすっているようだ。

 これは手、かな?

 けど、誰の?

 心地よい微睡みから無理やり覚まそうとする動きに、つい煩そうに眉根を寄せた。

(あれ……何だったけ……?)

 何がが起きたんだろうか。
 よく覚えていない。

 疑問を頭に浮かべようとするも、その間にも無造作にぺたぺたとおでこの辺りを集中的にその手は触ってくる。

 不気味という感じは不思議とないけれど、ちょっと慣れ慣れしく思えた。

 ぺたぺた。

 それは暖かいのか冷たいのか。

 むずがゆく感じたのか、鬱陶しそうに身体を少し捻った。

「ちゃんと生きているんだから、早く起きるクマ」

(何、燐……?)

 変な喋り方してるけど、前みたいにふざけているんだろうか。

 変な口調でもっともらしい事を言われているような気もするが、何かが違うような気もする。

 ともかくまだ起きたい感じではない。

 気持ちいいから。

「こちょこちょこちょ~。起きないとくすぐっちゃうクマよ~」

 何だか不穏な事を言っているような気がするけど……?

 仕方なく唇を少し開けた。

「……なに? ……もう、朝、なの?」

 同時に重い瞼を薄く開く。

 散々揺さぶられたからだろうか、景色が波のようにゆらゆらと揺れていた。

 目覚めるとか以前に、ちょっとでも気を抜くと胃が裏返りになりそうだった。

「蛍は意外とお寝坊さんクマね。起きてしゃんとするクマ」

 さっきから呼んでいる声なのだろうか、キンキンとした声が頭上から降り注ぐ。

 自分のことを知っているようだけど……誰だっけ。

 何だか昏倒していたみたいに、頭の中は白くぼやけているからかよく思い出せない。

 フイルムの途中でハサミを入れられたような、ぶつ切りの感覚が頭の中をもやもやと覆い隠していた。

(そうか、これ夢だ……夢なら、まあ……べつに気にするものでもないのか……)

 どうせすぐに忘れることだろうし。

 開きそうだった瞼を静かに閉じると、微睡んだ意識に流されるように蛍はまた夢の世界に舞い戻ろうとする。

 誘ってくるのはいつだって”向こう”なんだから、だったら今度は違う夢がいいかなって、少し無茶な注文を付けながら、一番寝やすい体勢をとった。

 ちょっと地面は固いけど、このぐらいならまだ何とかなる。

 いつも燐と一緒に寝ているベッドも確かこれぐらいの硬さがあったと思うから。

(いつも……? そういえば、燐はどうしたんだっけ……?)

 休日にトレッキングする約束をして、それから……。

 天然の温泉に入って、テントまで一緒に戻ったような気はしたのだが。

(……この声……燐じゃないよね……?)

 じゃあ一体誰なの。

 何もかもが判然としない。

 蛍は夢の中に完全に戻ってしまう前に一応聞いてみた。

「ね、ねぇ……燐、は?」

 やけに重い体を横に動かして蛍は問いかける。

 その答えが届く前に、蛍の方が大きな声を上げていた。

「はうううっ!?」

 ごろんと仰向けになった拍子に片手で思わず目元を覆った。

 眩しい。

 とてつもなく──眩しい。

 一瞬で目の前が真っ白い閃光に包まれて、蛍は苦虫をかみつぶしたようにぎゅうっと眉根を寄せた。

 隣で見下ろしていたくまは蛍がバタバタを足を動かして悶絶しているのを見て流石に驚いたのか、口を大きく開けていた。

 それは叫び声に対してというよりも、何もない地上で溺れているかのように見えたからだった。

 くまは悪戯っぽい笑みを浮かべながら、目を抑えて悶絶している蛍の頬を指でちょんちょんとつついた。

「キミはカナヅチなのかクマ? ここは何処なのか早くくまに説明してよね」

 急かすようにくまはそう言うと、小さな掌を蛍の目の前に差し出した。

「ちょ、ちょっと待ってっ……!」

 だが、蛍はまだその手を取ることが出来ない。

 眩しさに目が慣れないのか、片目を開ける事すら満足にできてはいなかったのだから。

 蛍の狼狽えたような仕草を見て、少女はころころと呆れた笑い声をあげる。

 それでも目が慣れるまで、蛍の傍でじっと待っていてくれていた。

 ──
 ──

「えっと、ごめんねくまちゃん。もう大丈夫みたいだから」

 慣れたとばかりおもってたんだけど、気持ちだけで身体の方はそうではなかったらしい。

 蛍は恥ずかしくなって顔を赤くして俯いた。

「別に、気にしてないクマ」

 言葉の通り本当に気にしていないようで、蛍が申し訳なさそうに手を合わせても、くまはにこにこと笑っている。

 実際、くまも目覚めた時は似たようなものだったから。
 それを蛍に言うつもりはなさそうだが。

「そんなことよりもっ、さ」

 人差し指をたててくまは蛍を指さした。

「ここは地球のどこなんだクマぁ。太陽が昇ってるのは分かるけど、こんなところは見たことがないクマあああぁ!!??」

 両手を水平に伸ばして、くまががおがおと驚嘆した表情(かお)で叫んでいた。

 驚くのも無理はないなと蛍は思ったが、それを説明するのにはまだ少し時間がかかるだろうとも同時に思っていた。

 ふたりの視界の先では青白い地平線がゆらゆらと揺れている。

 背後には先が見渡せない程の巨大な水溜まりが幾重にも広がっていた。

 白い大地と水と、そして。

「何故か線路もあるクマ」

「うん……」

 言いづらいことを口にするように蛍はぼそっと呟いた。

 銀色に光るレールはいつまでも錆びるようなことはなく、本当にどこまでも続いていきそうで、くまが小さな背をぴょこぴょこと伸ばしてもその先までは見通せなかった。

「それにしたってボク達以外、人っ子ひとりいないクマねぇ。まるで無人島にいるみたい」

 何故かくまは「やっほー!」と声を上げていた。

 まるで、アトラクションにはしゃぐ子供みたいだなぁと、くまの様子を微笑ましく眺めていた蛍だったが。

(また……ここに来てたんだ)

 見渡して溜息をつく。

 そこまでの驚きはもうない。
 むしろ呆れというか諦めがでてしまうほどだ。

 いつだって唐突だから”ここ”は。

 何もないけど、何かある場所(せかい)

「──”青いドアの家”の世界」

「ん? 何か言ったクマか?」

 少し怪訝そうにくまが振り向く。

「うん。”青いドアの家”のある世界に来ちゃったんだなって」

「ふぅん」

 言葉の意味を理解しようとしているのか、くまは腕を組みながら白いプラットフォームの上をぐるぐると歩き回ったかと思うと、急にあっ! と叫び蛍に指を差した。

「それって、前に”ざっきぃ”が言っていたことのことクマか!?」

 急にくまが大声を上げたことで蛍は一瞬びくっと膠着したが、たどたどしく言葉を続けた。

「う、うん……きっと”オオモト様”が言っていたのはここの事だと思うよ。他に知らないし」

「そっか、ここがかぁ……じゃあ、天国じゃないってことクマか? ボクの背中に翼とか生えてないクマだよねぇ!?」

「う、うん。わたしだって生えていないし」

 くるりと小さな背中をこちらに向けるくまに蛍は少し曖昧に頷いた。

 そうだったらちょっと可愛いかもと思ったが、どちらの少女の背中にもついていない。

 残念なことに。

 まあ、あったところでそれで空を飛べるとは到底思えないけど。

「なら、良かったぁ……」

 見た目によらず気にしていたのだろうか、心底ほっとしたようにくまは息をついた。

 蛍はそれを見て少し眉を寄せて苦笑いをする。

 もしここがこの子の言うように本当に天国という名の場所だったのなら、きっと誰もが来たがるだろうと蛍は思った。

 そのぐらい静謐で綺麗な世界だった。

「ん、じゃあ……ひょっとしてあれが”青いドアの家”というやつクマか」

 そう言ってくまはそこにあったものに指を差す。

 蛍はこくんと頷いた。

「ふーん、あれがね」

 くまは素っ気なさそうな顔でその”青いドアの家”を見つめた。

 蛍もその横でぼんやりと眺める。

 だがその視点は家とは別の、少し上のほうに向けられていた。

「そうなんだけど。でも……」

 何故、こっちに来てしまったんだろう。
 兆候とかそういったものは一切なかったと思うのに。

「もしかして、ここって来たら戻れない所だったりする?」

「大丈夫だと思うよ。わたしも何度かこっちに来てるけど戻れてるし」

 少し怯えた声を出すくまに蛍はハッキリとそう言った。

「けど、何かの理由があるのかなって……」

 偶然なのだろうか、やっぱり。

「それは確かにボクも気になるところだよ。明らかに違う世界に来たと思ったし」

 くまの言葉に蛍は意外そうに目を大きく開けた。

「くまちゃんも、そういうのって分かるの?」

 この少女はこの世界に来るのは多分初めてのことだろう。

 その割にはやけに落ち着き払っているというか、それほど慌てているような様子はない。

 もともとの順応性が高いのかもしれない。

 野生の熊、よりも強い熊らしい。

 その真意のほどは分からないが、ともかく物怖じしない少女だと言うのは良く分かっていた。

「例えばさ、ほらっ」

 そう呟き、くまが空を振り仰ぐ。

 その方向は直視できない程眩しい日差しを降り注いでいる空、なのだが。

「あれってさ、本物の太陽じゃないよね? それっぽい光を出しているだけで、”ぽかぽか”なんか全然していないし」

 確かめるように少女は両方の掌を空へとかざす。

 その通りだと蛍は小さく微笑んだ。

「くまちゃんの言う通りだと思うよ。空や太陽だけでなく、水や地面もわたし達の知っている世界とは異なっているとおもうの」

 蛍は困った風にそう答えた。

 くまは蛍のほうを振り向く。

「この世界のこと知っているみたいだね。もしかして……これはキミ(ほたる)の仕業クマか? キミの事を普通の人とちょっと違うみたいには感じてたけど」

 そう問われて蛍はドキリとなった。

 野性的な勘みたいなものを持っているのか、くまはこの世界が作り物であることがすぐに分かっていて、そして蛍もそれに関係していることを見抜いているようだった。

 さらに、この少女は自分の正体も少なからず知っているらしい。
 もっとも、それらはオオモト様が話したかもしれないことだが。

 まあ、疑ってしまうのは分かる。

 もう収まったと思った非日常的な事が周りで何度も起きているわけだし。

 ここまで異変と隣り合わせなるなんて思わなかった。

 いつになったら終わってくれるのだろう、このどうしようもない不条理は。

(けど、話さなくっちゃね。ちゃんと)

 こんなところでトラブルなんて起こしたくはない。
 隠しても無駄だろうし。

 蛍は正直に話すことにした。

「別に隠していたってわけじゃないけど、オオモト様と同じなんだ、わたし。でも……もう、そんな()()()はわたしには残っていないとおもうから」

 もし残っていたとしても大した影響はないだろう。

 幼い頃に持っていた(と思われる)幸運を呼び寄せる力は、自分の意思ではなく無意識で呼ぶようだったし。

 その力だってもう大分弱っているはずだ。

「だったら誰が……あのダイダラボッチがやった……とかは??」

 少なくともアイツはあの時にはいなかった。
 だとするのなら別の誰かがボク達を?

「ごめんね。わたしにも分からない。ここにいる理由も意味も。何も知らされていないの」

 もう大分慣れてきてしまった事とは言え、その割はこの世界の具体的な存在理由を知らないのだから、不可思議に対する不満と言うか軽い憤りさえ覚えるほどだった。

 だが、二人がいくら考えたって分かるはずもない。

 世界の構造なんてものは、大小関わらず理解できた所で何も変わらない。
 そういうものなのだから。

 小さな頭を悩ませれば悩ませるほど、それは無駄な時間を過ごすことになるだけ。

「んー、まあ、どうでもいいか、とにかく早く戻る方法を考えないとね」

 くまは一早くそれを理解したのか、言い聞かせるようにつぶやくと、未だ不思議そうに首を傾げている蛍の横をすり抜けて、覗き込むような仕草をしていた。

「で。これが、ざっきぃの言っていた、青いドアの家か……ふーむ、中々の物件クマね。ボクの住処に良さそうな感じの家クマ」

 普通の会話のようなくまの言葉に蛍は呆気にとられたように口をぽかんと開けた。

(まだ、何を考えているのか分からない子だけど)

 一人じゃないからだろうか。

 思ってたよりもずっと心が落ち着いている。

 見た目幼く見える子と一緒だから、自分がしっかりしなくちゃって思っているからだろうか。
 背筋がすっと伸びていた。

 だけど。
 
 燐だけが──いない。

 今度も一緒には来ていないようだ。

 一応、サトくんもいないみたいだが、それは何となく理解できる気がする。

 燐が居ないことはショックというか。

(あの町に帰ってきたときみたい)

 ぽっかりと穴が開いたような。

 そんな寂莫(せきばく) した想いが蛍の体の中を何度も通り抜けていく。

 好きな人がいないことが寂しい。

 そこまで悲観的にはならないにしても。

 内心では雨を降らせていた。

 この世界では青空しかないのに。

(でもすぐ、逢えるよね、燐……)

 きっと、いつもの時みたいに。

 僅かな希望を抱きながら、静かに思いを募らせている蛍だったのだが。

「ボクは、死なないクマーー!! だってくまはクマだからっ!!!」

 突然、変な声が聞こえて慌ててそちらを振り向く。

 そこには。
 いつの間にか線路上に降りて両手を広げて立っているくまがいた。

「えっと……何しているの、クマちゃん?」

 蛍は恐る恐る尋ねる。

 一体、何の悪戯(あそび )をしているのだろうと。

「何か線路があるとこういう事をしてみたくならない? もし電車が来たらこういう風に立ちはだかって叫びたくなるような……ドラマか何かでこーゆーのをやっていたはずクマ」

「はぁ」

 どうやら、くまは何かを勘違いしているみたいだ。

 だが、現状を維持するので精いっぱいの蛍にはそれを指摘するだけ余裕はなかった。
 なので。

「その、ごめん、遠慮するね。それと電車は来ないと思うから」

「そうクマか、ちょっと残念」

 蛍はくまに手を貸しながら、酷く疲れたような深いため息をついた。

 ──
 ──
 ──



Bear in the Blue Sky

 

「この”青いドアの家”って、蛍と燐が建てたって本当!? だとしたらもの凄いことクマっ!! 趣味(DIY)なんてレベルじゃないクマよ」

 

 玄関の中に入るなり、くまはぱあっと感嘆の声をあげた。

 

「まあ、そんなに褒めるようなことではないんだけどね」

 

 蛍は苦笑いを浮かべる。

 

 初めは半信半疑のくまだったが、青いドアの家の中はくまが想像していたよりもずっと普通の家だった。

 

 塵一つない、という表現がしっくりくるほど、玄関もリビングもモデルルームのようにさっぱりとして小綺麗だったのだから。

 

 こんな立派な一軒家を少女達が建てたとしったら、興奮をしてしまうのは当然のことだった。

 

「綺麗な内装に、それに吹き抜けもちゃんとあって。う~ん、いい仕事してるクマねぇ。キミの将来は大工か建築士クマか?」

 

「だから、そういうのじゃなくて」

 

 多分褒められているのだろうけど。

 

 別に掃除をしているわけでもないし、そもそもこの家だっていわゆる建築とは正反対の性質のものであったのだから。

 

 本当に自分達だけで建てたのなら凄いことだと思う。

 

 だが、この家は世界とともに、そこに合っただけだった。

 

(オオモト様の言っていたように、ただ、そこあるだけの家……それだけの存在)

 

 むしろ青いドアの家こそがこの世界の存在理由であって、その他はただ彩るだけの風景なのかもしれない。

 

 そう思ってもそれほど差し支えない気はするほど、この青いドアの家は唯一の存在感を放っていた。

 

 家以外の他の場所に足を運んだこともあったけど、結局はこの家に自然と戻ってきてしまう。

 

 はじまりも。

 おわりも。

 

 全てがここから続いているだけ……なのだろうか。

 

「そういえば、くまちゃんってこっちに来たのって初めてなんだよね?」

 

 唐突に訊ねられてくまは大きくて可愛らしい瞳を丸くさせた。

 

「さっきも言ったと思うけど、そりゃあもちろんの事クマっ」

 

「こんなところに、しかも突然来ちゃったからくまだってビックリ仰天だよ。これは、くまも木から落ちるってものだよ」

 

「やっぱり、そうだったんだね」

 

 くまの答えづらい表現のことはさて置いておいても、だ。

 

(けど意外っていうか……なんだかちょっと変な感じはしてる)

 

 燐とならともかく、この子といっしょにこの世界にいるという事にそれほど違和感を覚えないのはなぜなのだろうか。

 

 静謐でありながら、どこかメルヘンチックな世界観とこの子の不思議さがぴったりマッチしているというか。

 

 奇妙な言動を繰り返す”くま”が、何かの童話の主人公みたいに思えてしまう。

 

 無垢で疑うことをしらない少女と、異世界を旅しているような。

 

「わたしはもう慣れちゃってるから、ここに来たって間違い探しをしているのと同じだしね」

 

「いわゆるベテランって事クマか……じゃあ、先輩ってことになるクマね」

 

 かしこまって口調でそう言われて蛍はあははと軽く笑った。

 

「そう、なのかな? 全然自覚はないし、(世界の事を)全く分かっていないけどね」

 

 それでもこの家の間取り程度のことぐらいは分かっていたから、鍵がかかっていないことを確認すると、蛍はくまに先だって青い玄関ドアを開けていた。

 

 そして、勝手知ったる家のように中へと入ると、慣れた手つきでスリッパを取りだして、くまを家へと招き入れたのだった。

 

 まだ誰もいないということは知っていたから、特に気遣うようなことをする必要性はなかった。

 

(そう。精々、わたしが分かっていることと言ったら……)

 

 蛍は広めのリビングのテーブルの上にあったリモコンを手に取ると、何気なく電源ボタンを押した。

 

 ぷつん。

 

 糸が切れたような音がして、大きな液晶テレビに電気が入っていることが確認できる。

 

 だが、それだけだった。

 

「やっぱり何も映らない、か……」

 

 半ば分かっていたように蛍は溜息をつく。

 

 そういえばもう随分とこの画面にまともなものは何も映っていない事に気付いた。

 

 それが何だと言われたらまあ、答えようもないが。

 

「受信契約をしてないからじゃない? それか設定があっていないとか」

 

 見た目によらずもっともらしいことを言いながらくまも蛍の隣でぽすっとソファに腰かけた。

 

 普通ならばくまの言っていることは正しく、映らない理由のおおよそもその問題だとは思うが、それらの事柄はこの世界では理由にすらなっていない。

 

 良く知る現実的な範疇はまるっきり通用しない世界なのだから。

 

 それでも指摘のように一応あった設定ボタンを蛍は押してみるが、やはりというか何の反応もない。

 

 電源とチャンネル以外のボタンはあってないようなものであるようだ。

 

 そのチャンネルだってどこを押してもまともに映ることは無いのだから、ぶっちゃけて言えば今はただの暗く光るパネルと同じだ。

 

 だから本当に何のためにあるのかは分からない。

 

 家屋そのものは新しくなったようだが、家の中というか機能自体は劣化しているみたいだった。

 

「まあ、こんなもんだよね」

 

 諦めたように電源を切る蛍。

 

 その後ろで。

 

「こんな所に冷蔵庫があるクマっ。そうなると、中が気になってしまうのは熊の本能……いや、(さが)クマね」

 

 ワザとらしく自問するように言いながら、いつの間にかくまはソファを飛び越えてキッチンの方へ移動していた。

 

 多分、遠慮することなく冷蔵庫を開けるつもりだろう、むしろそれ以外はないと言ってもいい。

 

 少女の性格からして。

 

 蛍はそれを見てちょっと困った顔になった。

 

 だからと言って制止するつもりなんかは無い。

 むしろ。

 

(やっぱり、冷蔵庫の中身って誰だって気になるんだ……)

 

 蛍は、最初にここに来たときの事を思い返していた。

 

 興味深そうな目で冷蔵庫のドアを開けていた、燐のことを。

 

 でも、この子のようにそこまで露骨なことは言わなかったし、最初は遠慮していたけれど。

 

「さてさて、中身は何かな~。レアものが入ってるといいけどぉ」

 

 楽しそうに自作の歌を口ずさみながら、好奇心いっぱいにくまは冷蔵庫のドアに手を掛けた。

 

 上手く届かないのかちょっと背伸びをしているが、冷蔵庫のドアは意外にも呆気なく開いた。

 

「どう? 何か入っていた?」

 

 蛍も傍にきて尋ねる。

 

 燐や自分以外の人が開けて見たら何が入っているのか。

 

 そこに少しは興味があったから。

 

 まあ、誰が開けたところで中身に変化はない。

 

 そう思っていたのだが。

 

「おおっ、こ、これはっ!! もしかしてあのっ、お菓子ではないのかクマっ!!!」

 

 ぴょんぴょんと飛び跳ねながら中を覗き込んだくまが、おもむろに手を伸ばして何かを掴んだ。

 

 てっきり空っぽだろうと思った蛍は軽く口を開けたままになった。

 

 何やら袋状のものが小さな手で握られている。

 

 果物やケーキなどとは違って、ぱっと見で分かるほどの異質なものが出てきたことに蛍はちょっと驚いていた。

 

「それって一体何なの?」

 

 思わず二度見をしてしまう。

 

 それはおおよそ冷蔵庫には入っていないようなものだったから。

 

「あれれ? 蛍は見たことないクマか? これは”おも~る”クマよ! でもまさかこんな所にあるなんてっ!」

 

 ……何だったっけそれ。

 

 すぐには思い当たらなかった蛍は思わず首を捻った。

 

 何となく、その名を耳にしたことはあるが、そこまで驚くほどのものではなかったような気はする。

 

 蛍の知っている限り、確かその辺で売られているような”普通のお菓子”だった気がした。

 

 なので、飛び上がるように驚くくまが余計に不思議だった。

 

「おぉっ!! しかもカレー味とはっ! これはまた……”せーてんのへきれき”ってやつクマねぇ。これは……くまが美味しく食べてあげないといけない案件クマねぇ」

 

(どんな案件?)

 

 どういった理由からは知らないが、どうやらくまにはこの”おも~る”というお菓子に確かな有難みを感じているようだった。

 

 まるでガチャのSSRが出た時みたいに。

 

 どう見ても普通のスナック菓子の、普通のカレー味だというのに。

 

 深いため息をつく蛍にくまは両手をあげて異議を申し立てた。

 

「キミにはこれがどれほど貴重なものかを分かっていないクマクマっ!!」

 

「そうなの? 普通に売ってるお菓子じゃなかったっけ?」

 

 蛍の言葉にくまはぶんぶんと首を横にふった。

 

「これはメーカーが製造中止にしてしまったもう”幻のお菓子”なんだクマよっ」

 

「昔はおやつと言ったら、このおも~るこそが、子供たちのマストアイテムだったのにぃ……全く、時代の流れというのはとても残酷なものクマ……諸行無常ってやつクマねぇ」

 

 くまはちょっと遠くを見ながら瞼に手を当てて、よよよと泣きまねをしていた。

 

「そうなんだ、知らなかったよ」

 

 蛍にははちょっと分からないが、そこまで言うものならそれなりに価値のあるものなのだろう。

 

 でも、と蛍はある疑念を口にする。

 

「だったらもう食べられないんじゃないそれ? 賞味期限とかとっくに切れてそうだよ」

 

 その指摘にくまは軽く胸をどんと叩いた。

 

「冷蔵庫に入ってあったから大丈夫っ!! この世の食べ物は全部冷蔵庫で保管しておけば大体はダイジョブって教えられたクマからっ!!」

 

「それは……流石に危ないとは思うよ。最悪、お腹壊しちゃうかも」

 

 間違った根拠を蛍が軽く否定をするも、それはくまの横の耳には届いていないみたいで。

 

 その、おも~るのパッケージをまじまじと眺めながらぶつぶつと呟いていた。

 

「この、おも~るはボクに食べられたがっている……その為だけにこの暗い箱の中でじっと待っていたんだクマ。なんて健気な奴クマぁ」

 

「気のせいじゃないかなぁ。お菓子が喋るはずもないし」

 

 喋ったら喋ったでそれは怖いのだけれど。

 

 蛍は申し訳なさそうな顔で苦慮を呈したが。

 

「でもっ。それを丁重に頂くのが礼儀ってものクマ。生殺与奪……そういうことで、いただきます~。あむあむっ」

 

 何のかんのと言いながら、蛍の制止も空しく、くまは早々に袋を開けると、その中の一つを取り出してぱくりと食べてしまった。

 

 香ばしいカレー風味の臭いが、清潔だったリビングにふわりと広がった。

 

 こんな色彩の失ったような現実離れした世界で、その香りは一際はっきりと分かる実存となった。

 

「本当に大丈夫なのかな」

 

 蛍は内心頭を抱えた。

 

(けど……まあ、大丈夫、なのかな)

 

 普通だったら危ないとは思うけど。

 

 ここは常識の通用しない世界だし。

 彼女だったら何となく大丈夫というか、そんな感じがする。

 

 これといった根拠はないけど。

 

 それに、今思えば、あの冷蔵庫からは変わったものばかり出てきたような気がしたから。

 

 ちょっと変な形のスナック菓子をぱくぱくと美味しそうに食べるくまを見て、蛍は唇に指を当ててくすりと苦笑いした。

 

 ……

 ……

 ……

 

 もっしゃもっしゃもっしゃ。

 

 白と青の静謐なリビングに何とも言いようのない咀嚼音が流れている。

 

 テーブルの上に置かれた少し大きめのお皿には、先ほどの”おも~る”がこんもりと山のように盛られていた。

 

 くまはそれを当然のようにそれを手掴みすると、むしゃむしゃと美味しそうに食べている。

 

「ねぇ、くまちゃん、美味しい?」

 

 蛍は目の前に置かれた水の入ったコップにすら手を付けずに、心配そうにくまの方を見ていた。

 

 くまは口いっぱいにお菓子を頬張りながら、何度も頷く。

 

 どこまでも元気なくまに蛍は困った表情で苦笑した。

 

「はぁ……」

 

 まるで実家のようにくつろぐくまとは対照的に、蛍はソワソワとソファの上で今だ落ち着かないでいた。

 

 蛍の知っているこの家のルーティーンならば、そろそろあの人が出てきてもおかしくはないはずなのに。

 

 随分待っても、一向に現れるような気配はない。

 

 向こうの世界に居ないのならば、てっきりこっちに来ているかと思っていたのだけれど。

 

 その当ては見事に外れてしまったようだ。

 

 時間すら意味のない世界だからどれほどの刻が過ぎたのかはまだ分からないが。

 

 窓の外では白い雲が平坦に流れていた。

 

 燐やサトくんは一体どうしたのだろうか。

 

 それだけが気がかりだった。

 

 ……

 ……

 ……

 

 本当に何もない世界。

 

 レールがあったって殆ど意味ないし、この大きなモニターだってまともに映らない。

 

 冷蔵庫の中にはまあ、それなりなものはあったが、それだってどうでもいいものが入っているだけ。

 

 からっぽのまま、からっぽの世界に飛ばされている。

 

 それは今に始まった事ではないけれど。

 

 大学の進路だっていまだに宙ぶらりんのままだ。どっちつかずの状態で誤魔化している。

 

 今さらになって、進路を変更しようかなんて思っているぐらいだし。

 

 学校の教師を続けながらでも、その業務に差し支えなければ、軽い副業位は一応できるようだけど。

 

 そんな中途半端なことでいいのだろうか。

 

(オオモト様にだってそう言われていたのに)

 

 あの人は、別の何かを求めなさいと言っていたんだと思う。 

 

 一つのものにいつまでも執着などしていないで、と。

 

 多分、燐も同じ意見だろう。

 

 そう思い、下手なりにカメラを構えて見たりもしたんだけど。

 

「ねぇ、キミもちょっと食べる? 王道のカレー味だから美味しいクマよ」

 

 顔を覗き込んできたくまに無邪気な顔でそう勧められた。

 

(多分、きっとわたしも昔は美味しそうにこのお菓子を食べてたんだろうなぁ)

 

 こんな他愛のないお菓子なんかを。

 

 ちょっとノスタルジックな気分になる。

 

 もし燐の言うように、自分もこの頃に戻れたら多分、こんな悩みなんてなかったことだろう。

 

 悩みがあったとしても、それほど気にしていなかった。

 

 きっと、何かがすぱっと解決してくれるだろうと、根拠のない思いを抱いていただろうから。

 

 少女漫画に出てくる主人公みたいに。

 

「クマちゃんは、怖いものってあるの」

 

 蛍は不意に疑問を投げた。

 

 唐突な質問に、くまは持っていた”おも~る”を落としそうになるが、素早くそれを指で弾くと宙に浮くスナック菓子をぱくりと口の中で受け止めた。

 

 くまはぺろりと唇を舐めとると。

 

「もちろんボクにだって怖いものはあるクマよ。例えば……そう! 今はこのおも~るが怖いクマ。こんなに美味しくて食べるのが止まらないのだから、あとで体重計に乗るのが怖くなる~、クマクマ?」

 

 どこかで聞いたような根田(ねた)を口にしながら、くまはひょいひょいとおも~るを放り投げては口内へと運ぶ。

 

 蛍は何とも呆れかえってしまい、何も食べてもいないのに口をぱくぱくとさせていた。

 

「まあ、これは冗談だけどね」

 

 そう言って茶化した後、黄色い菓子をを手にしながらくまは続ける。

 

 蛍は口の中がからからになったのか無意識にコップを取り、水を一口飲んでいた。

 

「まあ、くまはこれでも由緒正しき熊だからね。だからボクよりも強い相手はやっぱりちょっと怖いというか。まあ、そういうのは滅多にいないけど」

 

 得意そうな顔で指先でつまんだ菓子をくまはぱくっと食べる。

 

 この分だと本当にぺろりと全部食べてしまいそうだ。

 

 まあ、蛍としてはそれは願ったり叶ったりのことなのだが。

 

 その事を口にすることはなかった。

 

「じゃあ、あの”ダイダラボッチ”とかいうのは? やっぱり怖い存在なのかな」

 

 それなりに聞きたいことではあったから、蛍はストレートに訊ねる。

 

 それでこの少女がどういう反応をするのかと言うより、結局あれは何なのかという、そっちの意見の方が知りたかった。

 

 くまはう~ん、としばらく首を傾げていたが、何か思いついたのか人差し指をぱちんとたててこういった。

 

「確かに”ヤツ”にはくまの攻撃はなにも通用しないっぽいから、怖いと言えば怖いのだけれどもぉ……」

 

「まあ、次はくまが勝つ……のではないかと思う?」

 

 自分でそう言うも疑問を顔に浮かべている。

 

「何か、対策でもあるの?」

 

 他人事のように言うくまに蛍は更につっこんだ質問をする。

 

 結局、それがいちばん大事なことだと思ったから。

 

「そこはほら、くまの野生のパワーで何とかするのだっ!! 野生に勝る力無し、クマっ!!」

 

 そう言って高らかに吠えるくま耳の少女。

 

 蛍は溜息と一緒に小さく肩をすくめた。

 

「要するに、対策無しってことだね」

 

 そんな気はしていたからまあ、そんなに気にはしていないのだけれど。

 

(オオモト様もきっと、こんな感じでこの子の相手していんだろうなぁ)

 

 オオモト様とくまのやり取りを勝手に想像した蛍は内心で苦笑いした。

 

 だが、そのオオモト様は現れていない。

 

 てっきり、彼女が自分たちを呼び寄せたのものだと思っていたのだが。

 

 蛍がちらりと視線を戻すと、くまが袋を片手で持ち、残り菓子をがーっと口の中に全部入れていた。

 

 蛍に呆れられてくまはやけになった?

 

 何だか酷く無駄な時間を過ごした気がした。

 

 

「それにしてもこのテレビって、何時になったら映るのかねぇ。もう電気屋さんを呼んだ方がいいんじゃないクマ?」

 

「だから、そういうのじゃ……」

 

 お気に入りのお菓子を食べ終えてやることがなくなったのか、暇を持て余したくまはそれを解消させてくれそうなテレビの方に興味を戻していた。

 

 蛍はくまに何度もこのことを説明をしたのだが、中々理解してはくれないようで、その度にため息をこぼしていた。

 

 ただ、のみ込みが悪いという事ではなく、単に思い込みが強いだけなのだろうと思う。

 

 揺るがない何か強い芯みたいなものが、この小さな身体に宿っている。

 

 少ないやり取りの中でだが、蛍はそう感じとっていた。

 

(その辺も含めて燐とちょっと似ているなとは思うんだけど……)

 

 頑固なところもよく似ているから、打ち解けやすいかもと思っていたのだけれど。

 

 それは全くの誤解だった。

 

「ちょ、ちょっとくまちゃん!?」

 

「もしかしたらこのテレビって、叩けば直るのかなって思って……」

 

 くまは本当にやるつもりなのか、ぐっと拳を握ってテレビと向かい合っていた。

 

 昔のブラウン管テレビならともかく、今の薄い液晶では直るとか以前に先に壊れるだろう。

 

 ましてやこの少女は一応”くま”と名乗っているわけだし。

 

 見た目と力が違う事は薄々分かっていたから、蛍は何としても止めさせることにした。

 

「くまちゃんが叩いたら壊れちゃうよ、これ」

 

 まあ、映らない時点で壊れているようなものなのだとしても、わざわざ”壊す”のとは違う。

 

 一切の望みがないというわけではないのだと思うし。

 

「まあ、それは何となく分かる気はするクマ。なんたって百獣の王だしっ」

 

 そう言ってくまは軽くガッツポーズを作ってみせた。

 

 本気なのか冗談なのか、よく分からない。

 

 ただその仕草は燐が良くやるものと良く似ていた。

 

「壊したら多分怒られると思うから、止めようね」

 

 誰とは言わなかったが、蛍はそういってくまを嗜めた。

 

(けど、こんなのじゃ学校の先生なんてとても無理だよね。ただ教えるぐらいなら出来そうかと思ったんだけど)

 

 今は教師って色々大変みたいだし、やっぱり向いていないんだろうか、自分には。

 

「えいっ、このっ! いい加減、くまの言う事を聞くクマっ」

 

 テレビを壊すことは早々に諦めたようだが、何故かくまはテレビを観ることに固執しているようで、リモコンを手放そうとはしない。

 

 それだけ暇を持て余しているということなのだろうか。

 

 確かに何もないところだし。

 

 連打する勢いでボタンを押すくま。

 

 このままだとリモコンも壊れてしまいそうだと危惧した蛍は慌てて口を挟んだ。

 

「ちょっと待ってくまちゃん」

 

「むー、何のようかクマ。くまは今忙しいんだクマ」

 

(どう見ても暇そうにしているけど……)

 

 折角手にした玩具を取り上げようとしているみたいにくまはむーとほっぺを膨らませた。

 

 その視線を気にも留めずに、蛍は少し口角を上げてくまに笑いかけた。

 

「ちょっと貸してもらえないかなぁ。わたし前にこのテレビを直したことがあるんだよ」

 

(一応、ウソは言っていないと思う)

 

 映像が視れさえすれば直ったことだと思っているし。

 

 繕った笑顔を見せる蛍をくまは訝し気に見ていたが。

 

「キミのお手並みを拝見する、クマ」

 

 そう言ってくまは渋々リモコンから手を離した。

 

「ありがとう」

 

 蛍は軽く一礼すると、両手でリモコンを持ってはぁーっと深呼吸する。

 

(確か、前は想いを込めて押したら映るようになったんだったよね?)

 

 でも、それだってちゃんと映ったのはたった一度きり。

 

 だから多分、無理かもとは思う。

 

 それでも蛍は目を閉じ、まるで神聖なもののようにリモコンのボタンをぽちぽちと押した。

 

 本当に自分が見たい景色を心の中で強く思い描きながら。

 

 ぴっ、ぴっ、ぴっ。

 

 目まぐるしくチャンネルが変わる。

 

 けれどどのチャンネルもノイズばかりで、これといって画面に変化はない。

 

 灰色の砂漠を彷徨っているみたいに、無機質な景色だけが無意味に画面に映し出されていた。

 

 くまも最初はちょっと期待していたが、飽きてきたのかソファに座りながら大きな欠伸をしていた。

 

「やっぱり……ダメなのかなぁ」

 

 蛍が諦めたようにテーブルにリモコンを置く。

 

 するとすかさずくまがリモコンをぱっと取って尋ねる。

 

「どうしたんだクマ? ボクと同じことをしていたようだけど」

 

「あぁ、うん……」

 

 この子と玩具(リモコン)を取り合うようなことをする気はもうない。

 

 きっと誰がやったって同じ結果だろうから。

 

「前にね、チャンネルを色々変えてみたら、たまたま向こうの世界が見えたことがあったの……”窓は無数にあるから”ってオオモト様に言われてたから」

 

「ざっきぃが……」

 

 その言葉にくまはしばし黙り込んでしまう。

 

 蛍は内心でしまったと思っていた。

 

(わたしって、どうも説明が下手だなあ。よくこんなんで入試の時の面談になんか通ったよね)

 

 自虐してしまうが、その辺りのことは自分でも不思議だった。

 

 燐には”蛍ちゃんらしさが出てそれが良かったんじゃない?”って言われたけど。

 

(それって結局、何も無いってことだよね……自分でも分かっていることだけど)

 

 ただ、オオモト様が言ってたことをこうして伝えることが出来たのなら、それはそれで目的を果たしたのではないかと思う。

 

 特に何も意味をなさなかったとしても。

 

「ふーん。窓、クマ……ねぇ」

 

 そう呟き、熊耳を付けた少女は軽く周りを見渡した。

 

 確かに”窓”だけなら、言っているようにリビングには大きな窓がある。

 他の部屋にも沢山あった。

 

 でも。

 

(きっと、そういうことを言ってるんじゃないんだろうね。ボクの憶測だけど)

 

 だとすればやはりこれか。

 

 ──みえるものと、映すもの。

 

 両方満たしているのは多分、これだけだろうし。

 

「まあ、大体分かったクマよ」

 

 くまはリモコンをひょいと上に投げると、蛍が何かを言う前に反対の手でキャッチした。

 

 口を開けっ放しの蛍に向かって軽くウィンクを飛ばすと。

 

「ここはくまに任せておくクマ!」 

 

 そう言ってリモコンを再び弄りだす。

 

 自分の拙い言葉が上手く伝わっているか不安だったが、一応は理解できているようで蛍はほっと安堵した。

 

夕陽(ゆうひ)の滝で習得した、ボクの55連打を見せてやるクマ。これでクリアー間違いなしクマよ!」

 

「そんな、ゲームとかじゃないんだから、って──」

 

 意気込むくまとは対照的に、蛍は呆れかえった表情で息をつく。

 

 やはり伝わりきれていなかったのだと。

 

「クマぁーーーー!!」

 

 くまはテーブルにリモコンを置くと、細い指を使ってチャンネルのボタンだけをひたすら連打している。

 

 その振動はすさまじく、テーブルから床にまで伝わって蛍の足元にまで流れてくるほどだった。

 

 可哀想だがこのリモコンはもうダメだろうと、蛍は半ばあきらめきっていたのだが。

 

「あっ」

 

「クマっ?」

 

 蛍が小さく叫んだのと同時にくまは連打を止めて顔をあげた。

 

「何か、変わったクマか?」

 

「えっと……」

 

 蛍は口に手を当てる。

 

 幸いリモコンは破壊されていない。

 これでも少しは手加減したということのなのだろうか。

 

「その、早すぎてよく分からなかったからもう一度お願い。あ、でももう少しやさしくね」

 

「オッケー。じゃあ半分の27.5連打でいくクマ。がおぉっー!」

 

 掛け声こそ勇ましいものだったが、蛍の言う通りのソフトタッチでチャンネルを変える。

 

 それでも早すぎる指の動きだったのだが。

 

 蛍は画面だけでなく、くまの指の動きにも注目していた。

 

(そういえばゲームか。もしかしたら何かの法則とか、コマンドとかってあるのかな……)

 

 前の時には特に意識とかはして押していなかったけど。

 

 何らかの数字の組み合わせとかあるのかもしれない。

 もしくは押す順番とか。

 

(例えば……素数、とか?)

 

 仮にもし、そうだったとしてそれらは何を意味しているのだろう。

 

 全てが必然、いや偶然の範疇であるのだろう、きっと。

 

(ねぇ、燐……わたしは一体どうしたらいいのかな。こっちに来てはいるけど)

 

 燐はまたこっちに来たいと言っていたのに、結局来たのは自分の方だった。

 

 それは一体何故なのだろうか。

 

 そんなことなんか全然願ってなんかいないのに。

 

 そんな時だった。

 急に画面に明らかな変化が見えたのは。

 

「……ちょ、ちょっとくまちゃん!? ストップしてみてっ」

 

 つい蛍は鋭い声を出していた。

 

 くまは指の動きをぱっと止めた。

 

 片手を上にあげたまま、何事かと蛍の方を見つめている。

 

 蛍はこくりと静かにうなずくと、視線を画面のほうに向けるように目で促した。

 

 二人の視線が、画面に注がれる。

 

 一瞬、ただの黒い画面かと思われたのだが。

 

「燐っ!!??」

 

 蛍は思わず叫ぶ。

 

「あっ、サトくんもいるクマっ!! それと、あれは……」

 

 くまはテーブルに寄りかかるようにしながら画面に顔を寄せていた。

 

 あまりに近すぎて影が出来てしまい、蛍はやきもきしながらも自らも画面へと近づいた。

 

 モニターの中はこことは違い夜の森の風景を映し出していた。

 

 映っているのは燐と、サトくん。それと……誰かの後ろ姿だけ。

 

 燐はサトくんを胸に抱きながら何やら話しているように見える。

 

 その音声はここまで届いていないが。

 

「声は……」

 

 蛍はリモコンの音量ボタンを上げてみた。

 

 だが、いくら音量を上げても向こうの音声が入ることはない。

 確か、前もそうだった気もしたが。

 

 今はそんなことよりも。

 

「燐と一緒にいる人って、多分”オオモト様”……だよね?」

 

「……」

 

 そうくまに訊ねてみたつもりだったのだが、くまは画面を見つめたっきりで、うんともすんとも言ってはくれない。

 

 黒髪に赤い着物を着ているみたいだから、多分間違いはないと思うのだが。

 

「ね、ねぇ、くまちゃん? あの変なのが”化けている”なんてことはないよね」

 

 蛍がそう尋ねても返事は返ってこない。

 

 じれったくなった蛍は少し語気を強めてくまに問いただした。

 

「あれは、オオモト様じゃないの!?」

 

 くまは否定とも肯定ともつかない、迷いのある表情でぼそっとつぶやく。

 

「分からない……ここからじゃ」

 

 そう言ってくまは横目でモニターの方をみた。

 

 画面では燐と”何かが”向かい合う形の映像だけが延々と写し出されていた。

 

 まるで制止しているみたいに動きがない。

 

 よく分からないのは画面が暗すぎるのもあるのだろうが。

 

「疑わしいような疑わしくないような……カメラさん、もっとアップにするクマっ」

 

 燐とサトくんの背後ではランタンの明かりだろうか、ほのかな灯りが点いているだけ。

 

 燐の表情だけはある程度分かるが。

 

(燐? 何だかちょっと困惑してる……?)

 

 相手と言い争っている、という訳ではないようだが。

 

 どういった原理で向こうの世界が見えているのかは相変わらず不明だが、せめて見える角度を変えてほしいとくまだけでなく蛍も願った。

 

 

「これって、今の映像なのクマか」

 

「多分……」

 

 このテレビはリアルタイムの情景だけを映していた気がする。

 

 あの列車からの景色や、犬と猿の争いなんかも全て、今と同じ時間で起こっていた出来事だけをこのモニターに映している。

 

 だからこれは今の映像だろう。

 確信を持ってそう言える。

 

「だから、燐は今……」

 

 そこからの言葉が続かない。

 

 これは別に凄惨な映像なんかではなく、むしろただ燐が”誰か”と話しているだけ。

 

 そうとしか見えないのに。

 

 何故、こんなにも身体の震えが止まってくれないのだろう。

 

(けど、もしこれがまたあの”化け物”だったりしたら……!)

 

 時間で言えばちょっと前にそれと遭遇したばかりだから、蛍がその考えに至るのも無理のないことであった。

 

 むしろそう思うことの方が当然というか、もっともらしい流れにすら思える。

 

 不穏な気持ちはどんどんと胸の中で膨らみ続けている。

 

 蛍の細い身体を突き破ろうとしているほどに。

 

 蛍はたまらずくまの手を取っていった。

 

「ねぇ、くまちゃんっ!!」

 

「えっ、は、はいっ!?」

 

 突然、息が触れ合うほどに顔を寄せられ、図らずもくまはぎょっととなった。

 

「その、今すぐに……願って欲しいの」

 

「ね、願うって?」

 

 戸惑いながら返事を返すくまの手を蛍は更に握る。

 

 それは少女の細い指が折れそうになるほど強く握られた。

 

「燐の……燐の元に行きたいって、二人で願えばきっとそこに行けるはずだからっ!!」

 

 そう、今度だってきっと……きっとできるはず。

 

 そうじゃないと燐が。

 

「ちょ、ちょっとは落ち着くクマっ。何を言っているのかボクには全然分からないよっ!」

 

 けれど、蛍は頑なに手を放そうとはしない。

 

 むしろ一縷の望みとばかりにより強くその小さな手を握っていた。

 

 今の蛍には冷静さというものが著しく欠けているようだった。

 

「と、ともかくっ、もうちょっとボクでも分かるように説明してっ。出来る事なら何でも協力するからクマぁ」

 

 くまは泣きながらぶんぶんと手を振るった。

 

 癇癪のような振る舞いをみせるくまを見て、蛍はようやく自分のしていることを理解したのか、きょとんとした顔でぱっと手を離す。

 

 くまは少し警戒するように蛍をじっと見上げていた。

 

 やっと我に返った蛍は。

 

「あ。ご、ごめんね。わたし、燐の事が心配になっちゃって、つい……ほんとごめん」

 

 もう一度謝罪をした。

 

 くまは半べそをかきながらこくんとうなずいていた。

 

 ……

 ……

 

「つまり、願えば何でも叶う世界ってことってクマね」

 

「うーん、まあ、そういうことになるのかな。何でもってわけではないと思うけど」

 

 蛍は落ち着きを取り戻したようで、くまとソファの上で向かい合いながらこの世界についての事柄を話していた。

 

「じゃあ、こうして手を繋ぎ合った方が、その願いが叶えやすいってことクマか?」

 

 差し出された蛍の手をくまはしげしげと見つめる。

 どうみてもそんな力は感じないが。

 

 疑いながらももう一度手を繋いだ。

 

「まあ、わたし達がそうしてきただけなんだけど」

 

 多分関係ないのかもしれないが、それでもこうした方がより強く願いを込められる。

 

 そんな気がしていたから。

 

「じゃあ、もう一度ちゃんとやってみるクマ」

 

「ありがとうクマちゃん」

 

 蛍は再度お礼を言うとくまの手を痛くないように少し強く握った。

 

 くまは蛍に教わった通り、手を握りながらそっと瞼を閉じる。

 

 蛍はそれをみて小さく微笑むと、自身も静かに瞼を閉じた。

 

「後は願うだけだよね?」

 

「うん……お願い」

 

 二人の少女は向かい合いながら手を繋ぐ。

 

 余計な事を考えず、同じ思いを心の中で願いながら。

 

(そういえば……前にも……)

 

 これとまったく似たような状況が前にあったことを不覚にも蛍は思い出してしまった。

 

 緑の葉で出来たトンネルでのことだった。

 

 蛍は直ぐに頭の片隅から消したが。

 

「…………」

 

 ──ともかく今は帰ることだけを考えればいい。

 

 燐がいる、現実の世界へと。

 

 ……

 ……

 ……

 ……

 ……

 

「はぁっ…………ねぇ、無理なんじゃないかな、これ……」

 

 先に音を上げたのはくまの方だった。

 

 心底疲れたように溜息を吐いている。

 

 肉体的には人並み以上のものを持っているくまも、精神的な疲れには弱いらしい。

 

 一般的な少女と同等か、もしくはそれ以下のようだった。

 

「そう……かもね」

 

 蛍も疲れてしまったのか、くまの意見に同意をしめす。

 

 ずっと二人で願い続けていても、二人はリビングに留まったままだった。

 

 少女達が諦めの声を漏らしてしまうのは仕様がないことであった。

 

 画面では相変わらず燐と黒髪の少女が向かい合っている。

 

 ずっと音声は聞こえない。

 

 けれど、和やかに再会を喜んでいるようには到底見えないのだ。

 

 少なくともこの画面上からは。

 

 くまがテレビに顔をぴったりくっつけるつもりで見てみたがそれでも分からなかった。

 

 改めてくまは蛍に謝罪する。

 

「いいよそんなこと。くまちゃんのせいじゃないし」

 

 そう言う蛍だったが、内心では依然、焦燥感が渦を巻いて駆け回っている。

 

 ここから戻れないかもしれないとかよりも、燐の身に危険が迫っているかもしれないという危惧の方に確かな焦りを感じていた。

 

(せめて、燐と連絡を取れればいいのだけなんだけど)

 

 少なくとも最悪の事態だけは回避できると思う。

 

 そう思い着ていたウェアやズボンのポケットを全て引っ掻き回してみたのだが、()()()何も入っていなかった。

 

 一応、くまの衣服も調べてはもらったけれど、結果はおなじ。

 

 リビングの引き出しやクローゼットなんかも開けてみたけれど、家の中には何一つですら見つからなかった。

 

 これはつまり。

 

「ボクたちは閉じ込められたってことクマね」

 

 事実上ではそういうことだった。

 

 ただ、窓だって普通に開くし、玄関のドアだってカギは掛かっていないとは思うが。

 

 隔離された世界に閉じ込められていることは確実だった。

 

「燐……」

 

 仮にこれが本物のオオモト様だったとしても、それをここから見守ることしかもうできないのだろうか。

 

 焦りが波のように引いてしまったのか、蛍は画面の正面のソファに座り直す。

 

 それはそれである意味幸せなことなのかもしれないが、もしそうじゃなかった場合は悲劇を目撃してしまうこととなる。

 

 蛍にとってそれはとても耐え難いことであった。

 

 好きな人が目の前で恐怖におののく姿を見て歓ぶものがこの世にいるのだろうか。

 

 少なくとも自分はそんなことに愉悦を感じたりなんかしない。

 むしろ身を引き裂かれる思いに駆られるだろう。

 

「あれは何クマぁ!? さっきまであんなのなかったよっ」

 

 窓の方を見ながらくまが指を差しながら素っ頓狂な声をあげていた。

 

 蛍の関心は液晶のモニター画面の燐だけに注がれていたのでそれほど気にはしなかったのだが。

 

「ほら、蛍。見るクマよ。あんなのなかったはずクマ」

 

 服の袖を引っ張って呼ぶので、ちょっと眉を寄せて蛍は横目でそちらを見ることにする。

 

 燐から目を離すつもりはなかったのだが。

 

「あっ!」

 

 蛍は思わず立ち上がっていた。

 

 確かにこれなら向こうにいる燐と連絡が取れるかもしれない。

 

 けれど、それは。

 

「……」

 

 逡巡するように蛍は口に手を当てて考え始めた。

 

 窓の外にあったものは電話ボックス──そのちょっと古いデザインの透明な箱の中には緑色の公衆電話が付いていた。

 

 確かにそれには見覚えがあった。

 

 だが。

 

 青いドアの家に入るときも、白いプラットフォームにもなかったものが、今、家の傍に立っている。

 

 結構大きなものだから見落とすはずもない。

 

 だとしたら、そういうことだとでもいうのだろうか。

 

(もしかして、願った結果があれだってこと!?)

 

 伝えるという意味だけを解釈したのなら、それほど間違いではないのだろうが。

 

 でも、蛍はもう知ってしまっている。

 

 何も考えずにあの透明な箱に入り、その結果とても酷い目に遭ったということを。

 

 あの時の出来事は今だハッキリとは自分の中で認識できていないが、少し考えただけでもあの時の恐怖が蘇ってしまう。

 

 電話ボックス自体はそれほど珍しいものではないから、前に来たときに入ったときと同じものかはまだ分からない。

 

 傍目には何の変哲もない電話ボックスにか見えないわけだし。

 

 普通の世界ならば。

 

 だが、例え記憶が覚えていなくとも、この身体が覚えているのだ。

 

 閉鎖の中で行われた狂気と恐怖を。

 

「どうしたの? 顔が真っ青になってるクマ」

 

 くまに顔を覗き込まれた。

 

 蛍は急に恥ずかしくなって顔を赤くして少し俯いた。

 

「え、えっと……確かにあれなら連絡とれるかもね。電話が通じれば、だけど……」

 

 何故か、お茶を濁すような言い方をされて、くまは首を傾げた。

 

「何を暢気な事を言っているんだクマか。今の内にやれることをやっていた方が良いと言ったのはキミの方クマよっ」

 

 口を尖らせてくまが抗議する。

 

 確かに、そう言って蛍はくまに協力を仰いでいたのだった。

 

 それでもあの透明な箱にはいるのにはまだ葛藤があるのか、蛍はもじもじと手をこまねいて、電話ボックスと画面を見比べている。

 

 一体何の迷いがあるというのか。

 

 好きな人が大変な目に遭うかしれないというのに。

 

 業を煮やしたくまは叫んだ。

 

「じゃあ、携帯の番号を教えるクマっ! ボクがひとっ走りしてきてあげるっ!」

 

 そう言ってくまはペンを挟んだノートを蛍の前に強引に差し出す。

 

 くまの申し出に呆気にとられた蛍だったが。

 

「これって、ノート? どこで見つけたものなの?」

 

 そのノートとペンを指さして問いかける。

 

 さっき二人で一緒に家の中を探した時にはこんなものがあったって言ってはいなかったのに。

 

 するとさっきまで少し興奮気味だった少女が急にしおらしくなって呟いた。

 

「ぼ、ボクにもよく分からないクマ……何か気付いたら手に持っていたというか……う、ウソじゃないクマよっ!」

 

 頬を紅くしてそう弁明をするくま。

 

 嘘を言っているような感じはない。

 

 むしろ、この少女はこれまで嘘なんか一度も吐いたことがないようなとても純粋な目をしていた。

 

 純粋で無垢で可憐な……穢れの無い少女。

 

 自分とは大違いだと思った。

 

 燐にはずっと変わっていないねってお世辞を言われるけど。

 

 そんなことはないとはっきり断言できる。

 

 見た目は自分じゃ分からないけれど、内面では前よりももっと、ずっと、狡く、汚くなっている。

 

 わたしは分かるんだ。

 だって、自分のことだし。

 

(そうだよね……じゃあ、わたしの出来ることといったら……)

 

 蛍は差し出されたノートをぱらぱらとめくる。

 

 ごくありふれた大学ノートは真新しいものみたいに、ページは真っ白なまんまだった。

 

 蛍は最後のページに燐の携帯の番号をペンでノートに記すと、そのページを破り丁寧に畳むと、呆然と見ていたくまの手にそれを握らせた。

 

 手に握られたものを見て、くまは理解したように頷くと。

 

「よしっ、じゃあくまが──」

 

「ちょっと待ってくまちゃん」

 

 一目散に駆け出して行こうするくまの手を引いて蛍は制止させると、静かな声色でこう言葉を紡いだ。

 

「わたしが、電話を掛けに行くよ」

 

「え、だったらこれは?」

 

 くまは紙の入った掌を開く。

 

 外からの光が反射したのか、白いちいさな紙切れが何故かとても大切なものみたいに光ってみえた。

 

「それは、わたしに何かあった時のためにくまちゃんに渡したの。燐のことをお願いする為に」

 

「お願いって……」

 

「じゃあ、頼んだからねっ」

 

 くまの問いに答えることなく、蛍はリビングから飛び出していった。

 

「あっ、ちょっと、ねぇっ、”蛍”っ!」

 

 あまりに急なことに流石のくまも呆気に取られたが、はっとなって蛍の後を追った。

 

 何故かは分からないが、そうしないといけない気がしたから。

 

 蛍はもう玄関で靴に履き替えていた。

 

「まだボクの話が──」

 

 そう言いかけたくまだったが、振り返る蛍を見て何も言えなくなった。

 

 別に怖い顔をしていたというわけじゃない。

 むしろ柔らかい笑顔を蛍は向けていた。

 

 それが逆にくまから言葉を奪っていたのだ。

 

「…………」

 

「ねぇ、くまちゃん。燐の事をみていてほしいの」

 

「わたしは、きっとすぐに戻ってくるから」

 

 吹き抜けの玄関に蛍の静かな声だけが響く。

 

 蛍はまだきょとんとしているくまに軽く手を振ると、青い色のドアを躊躇うことなく開ける。

 

 開いた玄関から白い光が溢れていた。

 

 蛍はその中に出て行ってしまう。

 

 静まり返った玄関には耳付きのカチューシャを付けた少女ひとりだけが取り残されていた。

 

「……なんなの、もう、勝手なこと言ってさ」

 

 つまらなさそうにそう言葉を投げると、腕を頭に回しながら、それでも言われたようにリビングへと戻ろうとする。

 

 だが、くまの細い足が途中で止まった。

 

(もしかして……キミは)

 

 くまは蛍が出て行ってしまった青い玄関のドアの方をもう一度見つめる。

 

 あの顔は笑っていた?

 

 それとも、泣いていたのだろうか?

 

 こちらを振り返ったときのあの笑顔がやけに頭に残る。

 

 なんであんな綺麗な表情が出来たのだろうと。

 

「まあ……そこまで気にすることではないのかもね、すぐに戻ってくるって言ってたし」

 

 軽く首を振ると、楽観的な思いを抱きながらくまは誰もいないリビングへと戻った。

 

 目と鼻の先にあるものだったし、それに電話ボックスは透明なのだから。

 もし何かあったって、すぐに分かるだろうと。

 

 くまはぽすっとソファに横になる。

 

 誰もいないからだろうか、この家のリビングがやけに広く見えた。

 

 気のせいだとは思うけど。

 

「……」

 

 けど、見ててほしいって言われても、ねぇ?

 

 さっきから画面が全然動いていない気がするんだよね。

 まるで一振りの絵画か写真みたいに。

 

 せっかくテレビに映っているんだからもうちょっと動いたりして、こっちにアピールすればいいのに。

 

 そんな暢気なことを考えながらくまはぼーっと画面を見ていたのだが。

 

「やややややっ!?」

 

 くまはソファからぴょんと飛び上がると、モニターに指を差す。

 

 画面が真っ暗だったから、てっきり電源が切れて何も映っていないと思ったけれど。

 

 そうではなかった。

 

「みんな、いつも間にか居なくなっちゃってるクマぁ!!??」

 

 テレビの画面からサトくんも燐もいなくなっていた。

 

 そしてあの、”民子ちゃん”っぽい後ろ姿も忽然と居なくなっていたのだ。

 

 壁掛けのモニターからは黒い画面だけが映し出されている。

 

 くまは口をあんぐりと開けてモニターを見つめていたのだが。

 

「あれっ、これって……!?」

 

 困惑したように大きな瞳をぱちくりとさせる。

 

 テレビの端から端まで見つめていたときに分かったのだが、画面の上のほうに何か、影らしきものが映り込んでいたのだ。

 

 最初からあったのかまでは分からないが、四角いドアらしきものが見えたので多分、何かの建物ではないかと思う。

 

 視点が固定されたままなのでそれが何かまでは分からないが。

 

(もしかして、この中にみんな入っていったとか……?)

 

 あり得ない事ではない。

 

 むしろそうとしか、今のくまには思えなかった。

 

 そしてそれは。

 

「これは! これはっ……!! うむむむむむっ」

 

 くまは小さな顎に手を当てて考える。

 

 これは多分、相当一大事なんじゃないだろうか。

 

 あいつの正体が何であれ。

 

 くまは早速そう結論を付けると、外の電話ボックスの中にいるであろう蛍に向かってすぐに呼びかけてみることにした。

 

 きっと彼女もそれを望んでいるだろうと思ったから。

 

 リビングのガラス戸をがらりと開けると、くまは息を吸い込んで外に向かって叫んだ。

 

「おーい! 何か変な事が起きてるクマーー!! だから早く」

 

 戻ってきて──。

 

 そう言葉を続けようとしたんだ……ボクは。

 

 だけど。

 

 ()()がない。

 

 確かにすぐそこの場所にあった電話ボックスが忽然と無くなっていた。

 

「な、何これっ!! どーゆーことっ!?」

 

 くまは裸足のままぴょんと地面に飛び降りると、血眼になって素早く周囲を見渡した。

 

 けれど、あの長方形の箱は何処になかった。

 

 視えていたと思っていたものが、すっぱりと消えて無くなっていた。

 

 何の痕跡すらも残さずに。

 

 そしてそれは、電話ボックスだけでなく、ついちょっと前に玄関から出て行ったはずの蛍の姿もなかった。

 

 まさかだとは思うが迷った可能性もあるかもと、一応くまは家の周りをぐるりと走って一周してみたのだが。

 

 いない、どこにも。

 人も、モノも。

 

 こんな、だだっ広いだけの世界の一体どこへ行ったのだと言うのか。

 

 何かにかどわかされたとしか思えない。

 

 神隠しにでもあったみたいに──。

 

(……それって!?)

 

 少女ははっと息を飲む。

 

 どくんどくんと嫌な感じの音が小さな身体の内側から早鐘を鳴らしている。

 

 小さな紙きれを握っていた手のひらは冷たい汗で湿っていた。

 

 まさか……?

 

 見た目、綺麗な所だったから警戒心なんて抱かなかったけれど。

 

 それは間違いであり……そして。

 

「じゃあ、ここが、()()()()……ってこと、なのっ!!??」

 

 そう少女に問われても答えるものはもうどこにもいない。

 

 

 ただ、呆然と立ち尽くすだけ。

 

 

 青と白しかないツートンカラーの何もない世界で。

 

 

 ひとりぼっちの少女が空を見上げていた。

 

 

 ────

 ───

 ──

 

 

 

 

 






 ── 青い空のカミュ発売五周年おめでとうございますー!!! ──


ということで、個人的大人気作品”青い空のカミュ”が発売してからもうなんと五年なのですよーー!!! いやーもう五年も経ってしまったのかーーーという思いの方が強いですねーやっぱり。四周年のときはもうお祝いなんて無理かなってちょっと本気で考えてたんですよーこれでも。だから今年もこうして無事に祝うことができたことを感謝しております。ずっと好きを続けられて良かったなぁって。

あ、そういえば公式HPがしばらくの間見れない時期があったのですけれど、いつの間にか直ってて良かったです。でも、何かモニターを変えたせいでしょうか、全体的に見やすくなったような気がする??? ただの気のせいかもしれないですけれど。


mono。
ゆるキャン△だけでなく、monoもアニメ化するんですねーー!! これも結構ビックリ案件だったかも。まだ多分先になるとは思いますけど、ゆるキャン△のアニメ同様こちらも楽しみですねぇ。

そういえば、ゆるキャン△SEASON3のアニメで出てくる新一年生のキャストも公開されましたねー。ってことは結構アニメの方も先に進む感じみたいですねー。”さらばしまりんだんご”ぐらい行きそうな予感がしますがーーどこまでアニメ化するか楽しみですねー。急遽発表されたパズルゲームも気になりますし、まだまだゆるキャン△は終わらない!! って感じします。

もちろん、青い空のカミュもですっ!!

六周年もこうして何かお祝い出来たらいいなぁ。


それでは、ではでは~~。

 追記ー。

DL版”青い空のカミュ”が5月7日までの期間、”1500円(いちごー)”セールみたいですねー。もしまだよく知らない方がおりましたら、是非この機会にお手に取ってみてください。
DL版なのですがっ。


ゆるキャン△ SEASON3~。

先ほど第一話を観させていただきました──。
前半オリジナルのリンの過去話なのは2期を踏襲している感じがします。割と無理のない展開で良かったですね~。
後半はおおよそ原作通りの流れですかねぇー。キャラデザが前期までとの違いで最初はちょっとむうっと来る方もいるかもですが、個人的には割と好感触だと思いました。
特に、声優さんが続投っていうのは結構大きいと思います、ホントに。

ゲームのつなキャン△も一応再開しましたし、今年のゆるキャン△も変わらずまったり堪能できそうですねー。


それではでは~。





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