We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life. 作:Towelie
青と白しかない世界のその中心。
鮮やかな空色の玄関のある家がそこにあった。
とても不思議な世界にあるというのに、それは至って普通の住居であり、特別変わったようなところも、特別な役割を果たすわけでもなかった。
ただ、静かに佇んでいるというだけで。
きちんと整頓されたリビングの中も静寂に包まれていた。
人の気配などはまるで感じられず、捨てられた殻のようにしんと静まり返っている。
誰かが住んでいたような痕跡も、微かな残り香すらもなかった。
「……」
そんな誰もいない空虚なリビングの中をウロウロと彷徨っている一匹の犬がいた。
白の中型犬はきょろきょろと何かを探しているような素振りを見せてはいるが、ただ同じ所をくるくると回り続けているだけ。
時折、鼻をぴったりと床に擦りつけて何かの匂いを探っているようだったが、手掛かりがまるで見当たらないのか、不思議そうに二つの大きな瞳をぱちぱちとさせていた。
他に誰もいないリビングの中心には、白いテーブルがあり、その上にはバロック様式のレリーフが施されたティーカップがいくつか置いてある。
準備の途中だったのか、カップとソーサーだけが雑然と並べれていた。
インテリアのように飾られた白い陶磁器が外からの光を反射して眩い光を放っていた。
「くぅ~ん」
悲しそうに犬が一声鳴いた。
何かを諦めたように白い犬は顎を上げ、リビングの大きな拭き出し窓に区切られた空を見上げた。
ため息のように零れる声は、静寂したリビングの中にぽわんと浮かび上がり、誰にも拾われることなくカーテンの裏側へと消えていく。
綺麗なままそこに残されているソファやテレビは、何を待っているのだろうか。
もうずっと前からこんな空っぽのリビングのようでもあったし、少し前まで誰かが使っていたような感じもする。
犬はソファに寝ころぶようなこともせずフローリングの床にぺたりと座り込み、じっと視線だけを動かしていた。
目先で動くものと言ったら、さっきの自分のようにくるくると回り続けている照明付きの木の風車があるだけ。
無意味に動いているようにも見えるけれど、空気を循環させるという役割は一応持っていた。
それを必要するものがいないというだけで。
それでもなお、回り続けていた。
……
……
……
どのぐらいの時間がたった頃だろうか。
静まり返っていたはずの家の中がにわかに騒がしくなったのは。
どたどたとした騒々しい音が顔をうずめていた犬の耳に届く。
白犬はぴんと耳を立てると少し訝し気に瞼を半分ほど開けて、音のする玄関の方を振りむいた。
「おーい蛍ぅ~、帰ってきているクマかぁ?」
次いで大きな声がした。
時間すらも停止したような空間にはおおよそ似つかわしくない、色のついた元気な声がリビングの中にまで響き渡ってくる。
声の主は躊躇うことなく、ずかずかとリビングへと入ってきた。
真っ直ぐにここに向かってくるところをみるに、この家の事を少しは知っているようだった。
「あれっ!? キミは……」
入ってすぐに目があった。
白い犬を一目見た少女は零れそうなほど大きく目を見開いて叫んだ。
「もしかして……サトくんかクマっ!!??」
サトくんは答えるようにわんと一声鳴いて尻尾を振った。
少女はその実存を確かめるように、白い犬に抱きつくと、その匂いを鼻いっぱいに嗅ぐ。
「お前もこっちに来てたのかクマぁ! よしよし」
そう言って抱きつき、”サトくん”の頭を撫でる”くま”。
探していた人は戻ってきていなかったが、意外と思える子がいたからちょっとだけ嬉しかった。
「わんわんわんっ!」
サトくんはぱっと顔を上げてしっぽを振っている。
この少女に当てられたのかその表情はさっきまでとは違い、本来のとても元気なものになっていた。
「何だかちょっと会わなかっただけなのに、随分と久しぶりな感じがするクマねぇ」
うりうりっ。
くまは頭だけでなくサトくんの体全体をわしゃわしゃと撫でまわす。
サトくんは嬉しそうにぶんぶんと尻尾を横に振っている。
あまりにも分かりやすい表現に何とも微笑ましく感じてしまうのだが。
「それで……サトくんだけクマか? ”燐”とかは一緒じゃないのかい」
確か一緒にいたはずだが、この場には犬の姿しかない。
そして、この犬の飼い主である”座敷童”もここにはいないみたいだった。
(うーん、”ざっきぃ”のやつも、どこにいったんだろう……?)
前に、とても好きな場所だと言っていたのにこっちにも来ていないなんて。
じゃあやっぱりあれは……。
急に動きの止まった少女の指を犬の舌がぺろりと舐めた。
くまは顔を戻して微笑む。
「まったく、酷い飼い主クマねぇ。こんな可愛いサトくんを置いて行くなんて」
まだ指を舐めているサトくんの頭をそっと撫でながら、改めてくまはリビングの中を見渡した。
「”熊”がやって来たクマよー! がおー! がおぉぉーー!!」
両手をあげてそう叫んでみたがやはり何の返事もない。
寂しくなったのか次は少し小声で呼びかけた。
「本当に誰もいないのクマかぁ? かくれんぼは終わりにしてちゃんとみんな出てきてほしいクマ」
それでも沈黙しかなかった。
念のため他の部屋にも回って、呼びかけてみたのだったが、誰の姿も見ることも返事が返ってくることもなかった。
「やれやれ、みんな何処に行ったのかねぇ。まったくぅ……クマクマ」
くまは一緒についてきたサトくんの顔を覗き込みながら大きなため息をつく。
自分が戻ってくるまで誰もこの家には来ていないようだった。
くまは一瞬、難しい顔をとった後。
「まあ、ここで待ってれば、そのうち誰か戻ってくるかもねえ」
リビングのソファにぽすっと腰を下ろしていた。
慌てたって仕方がない。
どうせ、なるようにしかならないのだろうし。
そうやってこれまで生きてきたわけだし、こんな変てこな状況でもそのスタンスを変えるつもりは無い。
それに、これは憶測だけど、元の場所に帰る方法があるとするのならばやはりこの家にしかない気がする。
だが、そう願ってもダメだったのに、何か別の方法が。
「う~ん」
くまは隣のソファで座っているサトくんをじっと見つめた。
サトくんもわけが分からない様子でくまの方を見つめ返している。
「キミが何とかしてくれそうな感じはしないクマねぇ……ごめんなんだけど」
猫の手も借りたいとは聞くけれど、サトくんは犬だしねぇ。
きょとんとしているサトくんを見ながらくまは肩をすくめて小さく笑った。
それに。
(そんなに居心地のいいところでもないもんね、ここって。どこが気に入ったのかはしらないけど)
確かに、ぱっと見だけはとても綺麗な所なんだけど、それだけって感じ。
少なくとも自分には向かない場所だと思った。
この世界のことを初めて耳にしたとき、思わず鳥肌がたってしまったほどだったし。
そして今その場所にいるせいか、さっきから軽く眩暈のようなものすら覚えてしまっている。
──すべてが作り物の世界だから?
──それにしたってここは本当に何なのだろう?
”生”みたいなものがこの世界のどこにも感じ取れなかった。
綺麗なもので構成されているはずのに、何かがすっぽりと抜けているような、意味も理由も分からない世界。
その違和感が段々と酷くなってきて、吐き気を覚えそうにすらなりそうだったから、一刻も早くこの世界から抜け出したかったんだけど。
ただそれは一人では無理なことだったから、誰かが戻ってくるのを待つしかなかった。
「けど、本当に何処に行ったんだろう……”蛍”」
この家の近くにあったはずの電話ボックスも、それに向かったはずの彼女も。
忽然となくなってしまった。
どこを探してみても。
白い線路の先の方にまで探し回ったのけれど、結局何一つ見つからず、そして何にも分からない。
その線路だって不思議そのものだった。
くまがいくら頑張って線路の先まで行っても、まるで終わりがないみたいに線路は続いていた。
それは、地平線すらも通り越して、空にまで届いていってしまうのではないかと思うほど、レールはどこまでも伸びていたのだった。
しかもその間、他の駅舎どころか何の建物すらも見つかることがなかったから、くまは訳も分からずにここまで引き上げてきたのだった。
(本当にあの線路はどこまで続いているんだろう? 電車だって走ってこなかったし……いったい何のためのものなんだか……)
結局、人どころか一両の車両にすら出くわさなかった。
「本当に不思議なんだねよぇ……不思議すぎる世界クマぁ」
噂で聞いていた、一度入ったら出られない家……
それは家という概念を飛び越えた、摩訶不思議な世界。
なまじ綺麗な世界だったから、油断があったんだろうとは思うけれど。
ここまで常識の通用しない世界だとは思わなかった。
”何も分からないことは、とても怖い”。
(誰が、ボクにそれを教えてくれたんだっけ……?)
──
──
──
あれだけ騒がしかった少女が急に黙りこくってしまったことに、サトくんは不思議そうにくまを眺めていた。
外見上は幼い少女だが、この”くま”は普通の人間とは違うものを持っていた。
それは特別なものというか、異質に近いものというか。
明らかに違う”力”のようなものをもっていたから、サトくんも
サトくんはそんなくまをじっと見守っていた。
もしこの少女まで居なくなってしまったから、この部屋に静寂がまた戻ることになるだろう。
それはそんなに悪い事ではないと思うが、少なくともこの犬にとってはそれはあまり有難いことではなかった。
何故、そう思うのかということ自体には自分でもよく分かっていないようだが。
だが、くまの沈黙は長くは続かなかったようで。
「クンクン……何か、いい匂いがするクマねぇ」
くまは閉じていた瞳をぱちっと開けるとくんくんと鼻を鳴らした。
どこからか流れてきた香りが小さな鼻腔をくすぐる。
さっきから感じていた匂いはあったのだが、それが何なのかはよく分かっていなかった。
何か、甘い感じの匂いが漂っているなぁとは思っていたが。
香水とかとは違う気がする。
「……まさかとは思うけど」
くまはソファの上でうたた寝を開始しようとしていたサトくんの頭に顔を近づけた。
ふんふんふん。
軽く鼻を鳴らすくま。
やはりそれはサトくんからの匂いではないようで、くまは呆れた顔をしている犬の頭の匂いをもう一度嗅いだあと、やれやれと首を横に振った。
とても無粋な事をされたと感じたのかサトくんは不満げな目でじとっとくまを見返した。
「じゃあ、何かクマねぇ。この良い臭いは~♪」
くまは気にすることなく鼻歌を歌いながら匂いの元を辿ろうと、小さな鼻をぴくぴくとさせた。
「ふんふん。これはどうやらこれはキッチンから漂ってくる匂いクマねぇ~。百獣の王のボクの感がそれを告げているクママっ!!!」
まるでどんな隠しごとも無意味であるみたいに、くまはそう宣言をすると、吸い寄せられるようにキッチンの方へと向かう。
ただ、自ら百獣の王と名乗っている割にはいささか単純すぎるようだが。
ふらふらとした足取りでくまはキッチンに向かうと、指の代わりに鼻を向けた。
これは冷蔵庫からのものではない。
それなら?
「う~ん、間違いない! ここクマねっ!!」
少女はキッチンの下にあるオーブンの前で仁王立ちになっていた。
だがオーブンはまだ動いているようで、そこから溢れて出てくる香ばしい香りにくまは舌鼓を打っていた。
「オーブンで何かを焼いているみたいだけど……いったい何なのかねぇ? とても美味しそうな匂いだけども……ううーん、この匂いだけでご飯三杯ぐらいは軽くいけちゃうクマぁ~」
それにしても何を作っているのだろうか。
その匂いからお菓子っぽいのは間違いないと思うけれど。
「うーん、カップケーキか何かクマねぇ? それっぽいのが中で並べられているようだけど?」
気になったくまは、腰を落としてオーブンを覗き込む。
中が真っ赤になっているところを見るとオーブンはまだ加熱している最中のようだった。
だが、くまは余程その匂いに惹かれてしまったのか、オーブンの扉を無謀にも素手で開けようとする。
だが、その時だった。
「わんわんわんわん!!」
後をついてきたのだろうか、くまの背後でサトくんがを吠え声をあげた。
まだ開けるなと言わんばかりにオーブンの前に回り込んで、低い唸り声をあげて立ち塞がる。
よほど、このオーブンの中のものを大事にしているのだろう、あれだけ親しくしていたくまに牙を向けていた。
もしくは、高温だからまだ触れるなと警告をしているのか。
どちらにせよ、くまは退散するしかなかった。
「もう、分かったクマよぉ……ボクだってそんな食い意地の悪いことをするつもりはないクマっ!」
サトくんが本気だと分かったのか、くまはばつの悪そうな顔して肩をすくめると、冗談めいたとばかりに苦笑いを浮かべてみせた。
それでも諦めが悪いようで、物欲しそうな顔で炎を上げているオーブンをじっとみつめている。
サトくんにまだ見られていることを気にしたくまは。
「だってさぁ、待ちきれないじゃんクマぁ。こんないい匂いを出しているんだしさぁ」
言い訳めいたことを並べるくまだが、確かにその通りだった。
さっきまで気付いていなかったのが嘘みたいに香ばしい香りが部屋中に漂ってきている。
バターと卵が焼けて混ざった香りはくまじゃなくとも、とても芳しく感じるものだった。
くまはそれを胸いっぱいに堪能していた。
口元には軽く涎すらも浮かべて。
「はぁ、蜂蜜をじゃぶじゃぶとかけて食べたい……早く出来ないかなぁ……」
くまはうっとりとした口調でそう呟きながら、床に垂れそうになった涎をぐいっと腕で拭った。
それを見たサトくんは呆れたような息をひとつ吐いていた。
……
……
……
「何時まで待たせる気クマぁー!」
オーブンには焼き上がりの時間を示すタイマーのようなものがついており、この数字がゼロになるにはまだ少しの時間が必要のようだった。
「早くっ、早くっ!!」
熊耳をつけた少女はその僅かな時間すらも待ちきれないようで、ソワソワとスリッパで足踏みをしながら、舌なめずりを繰り返していた。
その手にはフォークとナイフ……ではなく、取り皿が握られていた。
サトくんもくまの横で座して待っていた。
くまがまた何かしでかさないための監視のものか、それとも同じように菓子が出来上がるのを待っているのか。
もしくは、手からつるっとお皿が落ちないか見守っているのか。
ともかく少女と白い犬はそれぞれの思いでキッチンで待っていた。
「どうやらサトくんも、このお菓子が食べたいようだね。だが、犬のキミにこの味が分かるクマかぁ~」
さっきのお返しとばかりに、ぷぷぷとほくそ笑むくま。
だが、サトくんはくまを無視するようにじっとオーブンの方だけを見ていた。
「むむむっ! 全部ボクが食べるんだからねっ!!」
頬っぺたを膨らませながらそう吐き捨てるように言うと、くまもオーブンの方に視線を戻した。
(それにしても……)
ふと、思うことがある。
これは一体誰が作ったものなのだろうと。
う~ん、”ざっきぃ”は料理をしたことがなさそうだったから、あの
でも蛍はまだ戻ってきてはいないから、多分、燐が作ったのだろう。
「確か、燐の家はパン屋さんをやっているって言っていたクマっ! だからきっと美味しいものが出来ているはずクマっ!!」
それはサトくんも同じ気持ちのようでくまの言葉にこくんと頷いていた。
その匂いで分かる。
これは本当に美味しいお菓子の匂いで、自分の中の野生がそう言っている、と。
「でも、さぁ……なんで、調理の途中なのに居なくなったんだろうね? サトくんは何か知ってるクマ?」
そう尋ねても、サトくんは困惑したように首を横に振るばかりだった。
何かを隠しているようには見えないが。
こっちの世界にサトくんと一緒に来ているようだけどこの家にはいなかった。
だからと言って、どこかで暇をつぶしているとは考えにくい。
それに暇つぶしなら、ここでテレビでも見ていたらいいわけだし。
(暇つぶし……? テレビ……??)
「……ああっ!」
すっかり忘れていたことがあった。
色々あったからつい頭の片隅から消えてしまったことだったけど。
とても重要なことがあったのだった。
「そういえば、あのテレビの画面で見たんだった!」
オーブンの前でしゃがみ込んでいたくまはぴょんとたち上がると、折に触れたようにリビングへと舞い戻っていく。
その顔には焦燥感のようなものが浮かんでいた。
「あった!」
リビングのテーブルの上のリモコンをぱっと手に取ると、やにわに電源のボタンを押した。
ぷつりと電気の通った音がして、液晶のテレビが映し出される。
一瞬の間があって、灰色の画面とノイズがモニターから流れてくる。
くまは慣れた動作でチャンネルを順番に切り替えた。
ぱっぱっぱっ。
どうやら押す順番は忘れてはいないようで、くまは躊躇なくボタンを順々に押していく。
そのたびに画面と見つめる二人の瞳も色が変わっていく。
サトくんもくまの足の隙間からテレビ画面を眺めていた。
何度かの操作ののち、ぱっと画面が大きく切り切り替わる。
これまでと違う色彩。
そこに映る景色は。
「クマママッ!?」
映し出された画面を見てくまは大きく口を開けた。
サトくんも黒い瞳を見開く。
そんな時、キッチンの方からキィンと音が鳴った。
──
──
「あれっ……ここ、は……?」
確か、青と白の世界にいたはずだったのに。
とりあえず。
指は普通に動く、足だって普通に伸ばすことが出来そうだった。
けれど──真っ暗。
黒一色で何も見えない。
それはまるで。
「落とし穴にでも落ちたみたいだった」
足元を吸い込まれたみたいに。
一転して、黒色の世界の中へと落ちてしまったようだった。
先を見通せない程の深い闇が視界をどこまでも覆っている。
そのままドスンと落っこちたような気がする。
その辺りのことはまだちょっと曖昧だけど。
今のところこれといった怪我がないのは奇跡的というか、嘘みたいだった。
──静寂と漆黒が周りを支配している。
(だからって、宇宙とかにいるわけじゃないよね、きっと)
もし本当に宇宙空間にいるというのなら、こんな固い床みたいなものはあるはずがないわけだし。
だったら、どういった状況なのだろうか、これは。
などと考える以前にもっともっと大切なことがある。
明かりが欲しい。
照明かもしくはそれのスイッチが何処かにないだろうか。
宇宙にいるかもしれないと疑っておきながら、結局はそういった身近な現実的な事柄を思い浮かべていた。
「やっぱりダメか」
とりあえず辺りを手探りをしてみるが、意味もなく手は空ぶるばかりで、なにか壁みたいなものも近くにはなさそうだった。
こうなると立ち上がることすらままならなくなる。
重心を支えるものがないのだから、たったそれすらも怖かった。
体は自由に動かせるのに、視界だけがまったく自由になっていない。
所謂軟禁というやつなんだろうか。
この状況は。
「はぁ……」
自分に何が起きたのかはまだよく分からないが。
どこかの暗いところに落ちているのだろう。
声が上に伸びたみたいに聞こえたから多分余程深いところにまで落ちたんだろう。
痛むような箇所は今のところない。
気付いていないだけなのかもしれないが。
瞼はぱっちりと開いている。けれど映るのは黒一色。
どんなに目を凝らしてみても、その先を見通すことなどはできない。
どこを見ても一面の闇だけが視界を覆っている。
自分の輪郭すら分からない状況で一体何が出来るというのだろう。
明かりが欲しい。
ほんの少しでいいから。
そう藁にも縋る思いで蛍が願っていたときだった。
ぽわっと何か光の球のようなものがすぐ傍で、ふわりと光が浮かび上がったのは。
光る綿毛?
それとも、以前見たような空に浮かんでいった灯篭みたいなものだろうか?
(確かに、光が欲しいって思ったけど……)
思っていたのとはちょっと違う。
もっと現実的で物理的な方を求めていたんだけど。
「……」
蛍は声を出すことも忘れてその光に見入っていた。
ゆっくりとこちらに近づいてきているようだが、本当に何なのだろうか。
少女はみじろくこともできずに、身を固くしてその動向を見守っていた。
敵意をもったものなのか、それとも。
だが、それがすぐ傍に来たときにそのわだかまりは一変する。
(あれ、あったかい?)
実際に温度を感じてはいないが、照らす不思議な光に安堵を覚える。
光の有難みを以前にも感じたことがあったが、その時以上にこれはありがたいと思うものだった。
やはり一人だったし、それにこれだけがこの暗闇で唯一の絶対的存在だったから。
思わず抱きつきたいほどだった。
助けに来たものなのかはまだ分からないけれど。
「あの……」
蛍はその光に声を掛けようとした。
生物とも、物質ともつかないものに話しかけた所で何の意味などないのかもしれない。
それでも一言お礼ぐらいは言いたかった。
意思をもっているのかは分からないが、助けてくれたのだと思うし。
「あっ」
だがそれは、不意に形を変えた。
強い光を放ったまま、とんと地面に降り立つ。
その姿は何か小さな動物のように見えた。
蛍は目を丸くする。
「これって、ネコ? それともイヌなのかな……」
蛍は戸惑った表情でそう言葉を吐くと不思議そうに首をかしげていた。
正直、どっちも言い難い。
判断がつかないほど顔が似通っていたというわけではない、輪郭からそう思っただけだった。
ちゃんと四つ足で立っているように見えたし、耳としっぽみたいなものもついていたから。
光を放っている、小さな獣。
ふいに現れた”それ”に、蛍は確かに驚いていたのだったが。
「何で、あなたは光っているの……?」
全身から光を放っているそれに問いかける。
目を覆うほどではないけれど、蛍の周りを照らすだけの光源は持っていた。
何も見えないところにいたからまだ目は慣れてはないけれど。
(多分、悪い子ではないと思う。わざわざこっちにきてくれたみたいだし)
邪気、といういい方はあまり好きになれないけど、そういった悪意みたいなのは感じ取れなかった。
それに現に蛍の前に留まって、周囲を照らしてくれている。
なので
光る獣に感謝こそすれ、そこまでの警戒心を抱く必然性は蛍の中では見当たらなかった。
(でも、なんだか、ぬいぐるみみたい)
その表現は間違っていないような気がする。
手作りの縫いぐるみのような温もりをこの子から感じ取れていた。
(そういえば、割と変な子ばっかり遭遇しているような……)
水の中を走る球とか、電車に乗ってくる魚とか。
何故かみんな儚げに見えた。
それはこの子にも。
「ねぇ、君は……どこから来たの?」
ぶしつけな質問をしてしまったと思ったが、蛍はこの光るものとコミュニケーションをとろうと再度話しかけた。
自分もそうだが、どこからか紛れ込んできてしまったのだろうか。
もしかしたら、出口みたいなものがあるのかと少し期待したのだが。
「…………」
やはり何の返答もなかった。
口のようなものもないから、喋りたくとも喋ることができないのかもしれない。
まるで夜に降る雪のように真っ白い輪郭のものがじっとこちらを見つめている。
瞳はないのに蛍にはそれが分かった。
どういった表情をしているかまではわからないが。
(何かを訴えているようには見えるんだけど……)
それは何なのだろうか。
「えっと、そういえばありがとう。光を、持ってきてくれて。でも、ここって何処なんだろうね」
蛍は一言お礼を言うと小さく笑みを作った。
その場でぺたんと座り込んだままだったのだが、この子のおかげでようやく動き出すことが出来そうだ。
もう一度ちゃんと周囲を見渡してみる。
光が届かないところはやはり同じ黒の色のままだ。
「まるで事象の地平線……」
そこにいるみたいだった。
行ったことなどはなかったけど。
(けど、何でこの子だけがこの中で光っていられるんだろう)
他に対象物がないから比較しようがないが。
真っ暗な世界と反比例したような、眩しい白い光がずっと照らし続けている。
それは、あの”青いドアの家の世界”から覚える静謐さ、そのもののように感じた。
(じゃあここは、青いドアの世界じゃない?)
前にもこういうのがあった気がした。
世界のはじまりと、おわり。
それはどちらも真っ暗だった。
なのでここはそのどちらかなのだろう。
どっちにしたって出口を探さないといけないのだけれど。
「それでわたしはどうしたらいいのかな」
蛍はくすっと笑って尋ねる。
(なんか、道に迷った主人公を案内をしてくれる動物さんみたい)
光っているせいか輪郭ぐらいしか確認できないが、この不可思議な存在にそういった親近感みたいなものを蛍は感じていた。
例えるのなら、白い犬──サトくんのように。
雰囲気というか、そんな風に思わせる柔らかさがあったから。
味方と言ってもいいと思う。
目を差すような強い光でもない、むしろ安堵させてくれるような包み込むような柔らかな光で照らしてくれている。
LEDとも違った、穏やかさを感じさせてくれるみたいな。
蛍はこの世界での唯一の友としてその光を気にいってしまったようだ。
(もし、燐だったらこの子にどんな名前を付けてあげるのかな……)
蛍は思わず苦笑いを浮かべる。
自分だと、”シロ”とか”光”とかの単純な名前しか思いつかないけど、燐ならもっと気の利いたこの子に似合った名前を考えてくれるのかもしれない。
ぴったりと似合うような名前を。
「もしよかったらでいいんだけど……出口とかあったら案内して欲しいんだ、きっと待っていると思うから」
そう、あの”くまちゃん”が。
蛍は恥ずかしそうに手を擦り合わせた。
ここに来る前の事で思い浮かぶのはあの電話ボックス。
(あんなことを言って出てきたのに、こんなことになってしまうなんて)
凄く恥ずかしいことだけど、とにかく今は戻りたい。
蛍は頼み込むように手を合わせて首を横に傾げた。
──それでも反応はない。
「ちょっとだけ……大丈夫かな……」
ふと蛍は、その光の小さな前足のようなものに触れようと手を伸ばした。
特に何か考えがあったわけではない。
触れたらどうなるかなんて考えは頭になく、ただ触れてみたいという好奇心だけのものだった。
蛍はそおっと手を光に伸ばす。
細い指先がそれに掠るかどうかの直前のことだった。
「えっ!?」
小さな獣のようなものが、ぱっと体を翻して一目散に駆け出していってしまったのだ。
蛍は慌ててそれを目で追う。
暗闇の中でもはっきりと分かるその姿は、例えるなら白い道しるべのようなものだったが。
「あっ!」
どうしよう。
行った後を追うべきなのか、それとも追わない方がいいのか。
(もしかして怒らせちゃった、とか?)
確かにいきなりすぎたとは思う。
触っても良いか、あの子に聞いてみてもよかった。
人懐っこい子にみえたから、つい触れてみたくなった。
迂闊なことをしでかしてしまったのだろうか。
「ごめんね。ちゃんと謝るからっ」
蛍は申し訳なさそうにそう声を掛けたのだったが、その子は振り返るようなこともなく、更に先に行ってしまうう。
どうやらその足をもう止めるつもりはないようで、ぐんぐんと遠ざかっていく。
光の届く距離までは離れていないから、まだ目で確認は出来てはいるけど。
これがもし、懐中時計をぶら下げたウサギだったのなら、追いかけるのが正解なのだろう。
完全に童話の世界での話だとは思うが。
(いまだって、その方がいいと思うんだけど……)
何かの躊躇があるようで、蛍はまだ立ち上がってすらいなかった。
あの子がいなくなってしまったら、世界がまた闇に閉ざされてしまうというのにだ。
(何となくだけど、わたしを呼んでいるような気がするんだけど……)
それは何故だろうと思う。
もし、あの童話の通りだとするのならば、光を追いかけた先に”長く深い穴”があるのかもしれない。
それは元の世界へ戻るものか、もしくは違う世界へと通じるものなのか。
「考えたって仕方ないことだよね、とにかく追いかけないと」
蛍はようやく床に手をついて立ち上がったのだが。
「……あれっ」
たったそれだけで転びそうになってしまった。
両方の掌を床について何とか倒れてしまう事だけは回避したが。
「何、これ?」
蛍は足先に妙な違和感を覚えて今すぐにでも履いていた靴を脱ぎたくなったのだが。
今はかまってなどいられない。
ちょっとバランスをとるのが難しいというだけで、歩けないわけではない。
試しにその場でちょっと足踏みをしてみたが、どうにかなりそうな気がする。
何だか他人の靴のように思えるけど。
(けど、わたし何も確かめなかったのかな……着ている服だって何か変な感じがしているんだけど……?)
忘れてしまうほど見とれていたんだろうか、あの子を。
その光が、まだこうして見えているという事は、遮るようなものはないということなる。
なら、真っ直ぐに走ればいいだけだ。
「何か、まだ追いつけそうな気がする」
それはただのハッタリかもしれないが、弱気になってしまうよりかはまだマシだと思った。
光もそうだがこの場所にも気になることばかりだが、ともかく蛍は後を追った。
そういった諸々は後で確かめればいいわけだし、と。
それに、こうして光が見えているという事は。
「こっちにこいって、言っているんだよね」
自分に言い聞かせるようにそう言うと、蛍は両方のふくらはぎを一度ぱんと叩いた。
……
……
……
「はっ、はっ、はっ、はっ」
(走るのは苦手なんだけど……)
その証拠を示すように蛍は走り始めのときから足をもつれさせそうになった。
理由は分かっている。
履いていた靴が何故か違うものになっていた。
ここに落ちてくる前と今では靴だけでなく服装も変わっているようだった。
さっきそれを確かめようとしたのだったが、その余裕はもうない。
ただどんな格好をしていても、真っ暗だからとりあえず問題はない、そう蛍は思っていた。
(でも、なんか、水着みたいなのを着てたような……もっとよく見ていれば、よかったんだけど)
やけにぴったりと肌に引っ付いている感じがするから、水着じゃないにしろスポーツに関係のある服装かもしれない。
何でそんな服を着させられているのかという疑問はあるが。
ただ、靴が床につくたびに高い音が鳴るから、運動用のシューズではない気がした。
いっそのこと全部脱いでしまおうか何て思ったが、暗くてそれすらも面倒になりそうだから止めた。
自分の出す足音がやけに大きく耳に届く。
その事が何故か申し訳なく感じてしまう。
(けど、ずっと光ってる……まるでそこしか道がないみたいに)
足元すら分からない状況で、唯一目の前で光だけが見えていた。
それを追うという単純な目的。
たったそれだけのことが自分の脚と手を動かしているのだと思った。
それでも光との差はが縮まるような気配はない。
こんなにも早く動けるのはやはり犬? それともネコでも出来るのだろうか。
まあ、出来るだろうとおもう。
人間よりも遅い動物の方が多分少ない。
そんなどうでもいい問答を蛍は脳裏で遊ばせていた。
(怖がって逃げているというよりも、何処かへ導いてくれている?)
そう解釈してしまう。
都合がいいとは思うけど。
だから必死に追いかけているのであって、捕まえたいとかではない。
その辺りで誤解を受けているように感じるけど。
離れて行くから弁明すらも出来なかった。
「はあっ、ふうっ、はあっ」
闇の中を結構走っているつもりなのだが、白色の光はまだ前方できらきらと光を放っていた。
自ら光を出し、ゆらゆらとそている様子はまるで鬼火を見ているかのようだった。
光の大きさは常に一定であるようにみえるから、距離感は全く掴めないが、蛍の目にはその光は今だ移動し続けているように見えた。
”アレ”は小さな足を持っていたようだけれど、何処にまで行こうとしているのだろうか。
蛍の方は──大分息が上がってきていた。
けれどまだ走ることぐらいはできている。
(それにしても……何だろう)
思えば、様々な世界を走り回っていた気がする。
森とか線路の上とか、水の中も。
瓦礫で出来た塔の中なんかも走ったりしていた。
走って、逃げて、そして……。
(一体、何をしているんだろう、わたしたち、いや……わたしって)
ずっとずっと同じようなことを繰り返している。
その都度に見える景色の僅かな違いぐらいしかないというのに。
それって──。
ずっと黒しか映さなかった景色に目が慣れていくように、今のこの状況にも少しづつだが慣れてきている自分がいる。
(時間じゃないんだと思う……きっと最初から分かっていたことだった)
問題はいつだってすぐ近く、胸の内の深いところにあるものだから。
気付いているかいないかというだけで、急に出てきたことではない。
最初から自分の中にずっと存在し続けているもの。
大きいも小さいもない。
前に聴いた、”絶望よりも、それに慣れるという行為そのものの方が悪い”と言うのは、そう言うことなのだのだと。
きっとそう。
それは燐だって分かっていたことなんだろう。
何もかもが信じられなく、全てなくなってしまった。
だから消えてしまった。
わたしの前からも。
(それは本当によく分かる……本当だよ、燐)
わたしだってそうだったから。
でも、それは特別なことなんかじゃない。
わたし達の年代……いや、誰だってそういうものは持っているものなんだと思う。
それが表面化するかどうかの些細な違いぐらいで。
(何だろわたし、変なことばっかり考えてる……)
暗闇と運動で明らかな疲れを感じているせいなのか、思考が下向きになっていっている。
身体も心も黒く塗りつぶされていっているのかもしれない。
まだそれが理解できているから、ちょっとは大丈夫なのかもしれないけれど。
「でも、まだ、走れるんだからっ……!」
蛍は膝を前に突き出して、腕を大きく振るった。
少し大胆に動かした方がむしろ疲れないって燐に聞いたことがあったから、その通りにしてみる。
ぴゅうっと風を切るような感覚とともに蛍の長い髪がなびく。
息を切らすほどに走るのはやっぱり苦手だけど。
こうしてある一定のスピードを保って走るのことにはそれほどの抵抗はない。
(ちょっとは変わってきているのかな、わたし)
自分じゃ分からないことだけど。
でも、それで良いのだと思う。
誰かにそう指摘されたって、自覚をもたなければ意味のないことだから。
追いつくことではなく、光を見失わなければいいわけなのだと。
そう思っていた。
少し前までは。
……
……
はぁ、はぁ。
蛍はもう息をするのもやっとの状態になっていた。
「頭も重いし……息が苦しい……」
普段よりも体は軽く感じるのに。
もうどのぐらいこの闇の中を走っているんだろうか。
光は今だ消えてはないけれど。
(このままじゃ、もうわたしがもたない……でもっ……!)
光に向かって走っているのに、不安げな気持ちが体の内側から膨らんでいくように思えてくるのはやはり。
真っ直ぐに光は見えているけど、いつまでたってもそこには辿り着けない。
さっきから状況に変化が見られないからどうしても疑いをもってしまう。
疲労だけが蓄積されていくだけで、目で見た情報に脳が正常な判断をくだせていない気がするのだ。
ニューロンかシナプスか。
そのどちらかがおかしくなってきているんだろうか。
(それが分かっているんだったら……止めればいいだけなのに)
確かにそうなのだ。
これは推測なのだが、あの光はこちらと一定の距離を測って進んでいるのではと思っている。
追いかけたら逃げていくけど、こちらが止まったら向こうもぴたりと止まってしまう気がする。
つまり何処かに適切な場所に案内しようとしているのだと。
(それこそ本当に、アリスっぽいけど……)
それなら、この先でティーパーティーの準備でもしてあるとか。
そんなはずはまずないだろうが。
ちょっとの希望をもつぐらいはいいのではと、蛍は頭の中でその妄想をころりと転がしてみたりもした。
試しに立ち止まってみようかなんて、頭では思っているのだけれど。
結局、普通に足を動かしている。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
もうとっくに体は限界を迎えていた。
その証拠に、蛍はいつからか自身の脇腹に手を当てている。
まともに息を吐くことすら辛いのにそれでも足を止めないのは、多分。
「燐が、待っていると思う……からっ……」
結局、その欲望が蛍を動かしていた。
でもこれは仕方がないことなんだろうと思う。
蛍にとって燐以上の人は、もう現れないだろうと思っているし、それに納得してしまう自分がいるのだから。
けど、割り切る必要なんかはないんだ。
常識とか分別とか倫理観とか。
意味もなければ興味なんかもない。
本能だけが動かすことができる、体も心も。
今やれることと言ったら少しでも前へと進んでいくことだけ。
どこまでもどこまでも。
例えこの先に何もなく、何も待っていなかったとしても。
後悔なんてものはもうなかった。
例え光が消えてしまったとしても。
(そうか。この光って……何で、こんな簡単なことにもっと早く気付かなかったんだろう)
燐があそこまでしてくれて伝えてくれたことなのに、何一つ理解ができていなかった。
蛍は指一本も動かすことも叶わず、そのまま闇に沈んだ。
……
……
……
「……う、ん?」
次に蛍が目を開けた時、そこはいっぱいの光で満ち溢れていた。
一瞬、外に出れたのだと思い込んでしまったが、それはただの勘違いだった。
周りは相変わらず真っ暗だったが、蛍が倒れていた所だけがぼんやりと光っていただけだった。
「わたし、どうなったんだっけ……?」
横になったまま思い出してみる。
「光を目指して走っていたと思ったんだけど」
そうだ。
途中で倒れてしまったんだ。
何かに躓いたとかではなく、ただ単に疲れからだったと思う。
「それにあの光も。確か、色が変わっていたような」
何故かはっきりとは思い出せないが、星のように白い光が赤くなったような……あれは気のせいだったのだろうか。
今となっては分からないことだけど。
「いたたっ!」
そう呻いて蛍は側頭部を手で押さえる。
倒れた際に頭を打ち付けてしまったのだろうか。
ぱっと手のひらを開いてみるが、血がついたような跡は見られなかった。
ほっと安堵の息をする。
だが安心できるような状況ではなく、どうやらまだあの闇の中にいるようだった。
上半身だけを起こして辺りを見渡した。
どうやら、円形の広場のようなところで倒れていたらしい。
でも倒れた時に光なんかはなかったから、運ばれてきた?
何だかよくは分からないが。
「……これだったら、最初からしてくれれば良かったのに」
そう呟いて蛍は額に手を乗せて天井を振り仰いでみる。
眩しくはない。
まるでここだけが巨大なスポットライトに照らされているように光が差し込んでいるが、天井は相変わらず黒い靄のようなものが立ち込めていた。
どうやら光で照らされているところだけが丸く切り取られているようだった。
そしてその光は床の方から出ているらしい。
床の方から光が出ているというのは何かおかしな感じがするが。
原理などはあえて考えないようにした。
どうせ考えたところで理解できないことだろうし。
粒子が寄り集まってこの空間を作ったのかもと思ったけど、その原理を解明した所でとくに意味なんかはないのだと思う。
今は現状のほうに目を向けた。
ぱっと見ただけでとても広い場所となっている。
ここがあの光が案内してくれた場所なのだろうか。
だが、その光の塊のようなものはどこにも見あらない。
忽然と消えてしまった。
或いはこの光と同化したのだろうか。
「ここまで導いてくれてありがとう。疑っちゃってごめんね」
蛍はそっとお礼をいった。
倒れてしまったようだから実際に案内してくれたかどうかは分からなかったが、目印として進むことができたことは事実だったから。
騙されたとかは思ってなかった。
「……」
蛍は何もない空間で一人立ち尽くしていた。
光があるから認知は出来るけれど。
完全な行き止まりのようなところは、ある情景を思い返す。
あまり良い印象のないあの場所のことを。
(なんか、あの時の転車台みたい……)
それとちょっと似ているような気がする。
レールを回す転車台はなく、床だって白いタイルのようになっているみたいだけど。
雰囲気がだろうか。
何もないところに急にぽつんと現れたような、そんな突拍子のないところが似ている感じがする。
もっとも最初からあった可能性もなくはないが。
(わたしはここで何をしたらいいんだろう)
光を追いかけて、倒れて、そしてここにいた。
その後は?
蛍はきゅっと両手を握り合わせる。
出口らしきものはない。
無論、”穴”なんかもなさそうだった。
「それにしたってこの恰好は……」
いま燐が居ないからいいものの、こんなを見られたら何を言われるやら。
蛍は自分の体を見て深い息を吐いた。
「そうね。でも良く似合っていると思うわ」
ドキリとした。
心臓が飛び出すんじゃないかと思い、蛍は自身の胸をぎゅっと抑える。
だが。聞き覚えのある声だった。
それがすぐに分かったのはきっと。
「やっぱり、
その姿をみても蛍は驚かなかった。
前にもこうして助けてくれたことがあったし、それにこの世界もきっと青いドアの世界との繋がりを持っていると思っていたから。
ただ、こんな所に会えるとは思わなかった。
「わたしではないわ」
蛍の言葉に首を横に振る。
「じゃあ一体誰が……」
「それよりも、”蛍”」
「あ、はい」
他の疑問を投げかけようとしたのだが、その前に言葉を返されてしまった。
「その恰好はどうしたの? さっきも言ったけど、あなたにとても似合っているとは思うけど」
「ええっとぉ」
再度の指摘に蛍は口を濁す。
だが知っているかもと思い、ここは尋ねてみることにした。
「よく分からないんですけど、気付いたらこれを着ていたみたいで……やっぱり変ですよね、この恰好って。漫画なんかでは見たことはあるんですけど」
現実では見たことがない。
ましてやそれを自分が着るなんてこと。
蛍は今更のように顔を赤くさせた。
水着みたいな着心地みたいだなと思ったのだったが、それはもっともっと恥ずかしいものだった。
黒のタイツを履いているのはいつもと同じなのだけど、その上にはぴちっとしたそれこそ水着のような薄い生地が張り付いているだけ。
手首にはカフスみたいなものがついているだけで、肩は大胆にも露出していた。
そして最大の特徴と言えば、いつもつけている花柄の髪飾りのその上。
蛍も燐のようにカチューシャを付けていたが、それはリボンというにはあまりにも大きな耳が付いていた。
例えるのなら、あのくまという少女と同じタイプのカチューシャが勝手に頭につけられていたのだ。
「何でわたし、バニーガールなんかに!?」
自問自答してみても分かるはずがない。
ただ、最初に倒れていたときから見に付けてはいたようだった。
蛍は言葉にしたせいでより恥ずかしさが込み上げてきたのか、腕で身体を隠すようにしながらその場でしゃがみ込んでしまった。
(寄りによってこの人に見られちゃうなんて……!)
今すぐに消えてしまいたい。
本心から蛍はそう思った。
「そういうのって聞いたことがあるわ。あの子とお揃いかもしれないわね」
そう言って微笑む。
この人にからかわれているとは思うけれど。
(わたし、こんなので走ってたんだ……)
そっちの事実の方がショックだった。
辺りが真っ暗だから出来たことで、普段だったら絶対にしないことだから。
何年か前のクリスマスのときだって燐に乗せられる形でサンタの格好をしてしまったけど、あれよりもずっと恥ずかしい。
これは一体、誰の趣味なのか。
(裸を見られることよりも恥ずかしいよ、これは……!)
蛍は羞恥と呆れの混ざったため息をついた。
そういえば。
蛍は目の前の
やっぱりそうだ。
「その、オオモト様もいつもとちょっと恰好が違いますよね? すごく良く似合っていると思います」
その言葉に”オオモト様”は何故か困った顔をしていた。
(あれ、わたし、何か変なことを)
いつもと違う着物を着ていたから、一瞬戸惑ってしまったぐらいだったのだが。
何故だか少し違和感もあった。
「そうね。あなたはこれを見たことはなかったわね」
「えっと、はい」
曖昧に答える蛍。
オオモト様は手にしていた毬を床に置いて、蛍に良く見せるようにした。
大人の姿のオオモト様が着ているのは、蛍がよく知っている着物ではなく、真っ白い着物だった。
銀色の刺繍が施されていて、とても清楚に見えるものなのだが。
(でも。なんか、ところどころが透けて見えるような……?)
白い肌が薄っすらと見えるのは気のせいなんかではない。
確かに、胸のあたりとか下半身の下の方とかが、まるで
(そのせいで体の線がよく分かるっていうか……なんか見ているこっちのほうが恥ずかしくなっちゃうかも……)
それを着ている人が綺麗だからか、いやらしさというよりも艶やかさみたいな方を感じ取れるけど。
それにしても、下着はつけていないみたい。
何故かは知らないが。
(でも、普通に着る以外の別の目的がある?)
この衣装を自分が分からなかったことと言い、もしかすると、今自分が着ているものと同じなのかもしれない。
意図というか使われ方みたいなものが。
そこで蛍ははっとなって言った。
「もしかしてこれって、あの時の……その、儀式の為のものですか!?」
蛍の問いにオオモト様はこくりと頷く。
理解できたのか、蛍は表情を曇らせていた。
「ええ、そうよ。これは本来、”その時の座敷童”が儀式のときに着るもののようね。いつから始めたかはもう忘れてしまったけれど」
──儀式。
もう随分と聞かなくなってしまった言葉。
少なくとも、あの名前の変わってしまった町ではもう二度と使われない言葉だろう。
それをする意味がなくなったから。
(だったらどうして、そんなものをオオモト様は今、着ているんだろう)
その疑問が頭に浮かぶ。
これも前にオオモト様が本人が言っていた”意味のないこと”の一つなのだろう。
だったら、幼い頃にでも見た記憶ぐらいはありそうなのだが。
何故か蛍はその事を思い出せなかった。
聞きたいことは分かっているとばかりにオオモト様は話を続ける。
「これはあの歪みとともに無くなってしまったもの。でもだからこそ、ここにあるとも言えるわね」
「それって」
一体どういう意味なのか。
困惑の色を浮かべて考え込む蛍。
オオモト様は穏やかな表情でそれを見守っていた。
──
───
────
The Game of Sisyphus
タイトルの通り、シーシュポスを操作して岩を山頂まで運ぶゲームです。通称”岩おじ”をやってみたのですけれど。
単純だけど難しいっていうインディーズで良くあるタイプのゲームなんですよねー。神話の通り上まで岩を転がしていけばいいだけなのですが……これが難しいのなんのって。心が折れそうになる~~。
平坦な山道ならいいのですが所々に障害物っていうか何故かギミックがあって、地形なんかも沼とか氷とかに変化するからもうへろへろですよ。ただでさえ繊細な操作を要求されるのにそれをかいくぐって山頂を目指すのは本当に骨が折れます、マジでででーー。
セーブなんかも一応出来ますけど、どうも中断セーブしか出来ないみたいで、失敗してしまったからセーブした所からやり直しー、みたいな事は出来ないみたいです。しかも全ステージが一本の道で繋がっているみたいだから、仮に上の方まで登ったとしても、たった一度のミスで最初から全部やり直しなんてことも……実際私も何度もスタート地点にまで戻されてしまいましたしねぇ……。
それにこれ、岩っていうよりも巨大なボールを転がしているような感じなんですよねー。尖った所もなくつるんとしているし、爆発物に当たったときの跳ね方なんかも、明らかに石の挙動はないですしねー。しかもその絵面もあまりよろしくないというか……何て言うかフンコロガシを見ているような気分に。
まあ、岩を手て転がしているわけだから仕方がないのでしょうけれどー。一応、クリアまで行けてら岩の形を変えられるみたいですね。それこそ本当のボールみたいなものにも。
それにしても、カミュの言っていた人間の不条理というものがちょっと分かるような気がします。こんなに大変だと。
というのもこのゲーム、カミュの”シーシュポスの神話”にインスピレーションを受けた感じみたいなんです。最初に出る画面に、カミュの書籍から引用したような文章がでますしね。
私も最初、このゲームを知った時は、何かシーシュポスの神話っぽい感じがするなぁと思ったのです。本当にそれが元ネタのゲームだったなんてねぇ。
で、この”岩おじ”なのですが……相当難しいゲームだと思うのですよねー。
よくあるキーボードとマウスの操作なのですが、常に気が抜けないと言いますか、岩とシシュポス(プレイヤー)の両方に気を配らないといけないのがとにかくキツイのですよー! どこかで岩が止まってくれないと最悪スタート地点にまで戻されてしまうというシステムがねぇ……ゲームオーバーが無いのが、唯一の救いと言えばそうなのかもしれないですけど……それでも激ムズです、本当。不条理をひしひしと感じてしまうほどに。
まあ、時間をかければクリアできる類のゲームなのですけれど。これはう~ん、ちょっとづつやっていくのがいいみたいですねー。焦れば焦るほど沼ってしまいそうですし。でもシーシュポスは山頂まで登ってから岩を落とされていたみたいですけれど、これはそこまで行くことすら困難なのですが??? 最後まで登りきると神様(ゼウス)が待っているようで、そこで何かプレイヤーに質問されるようですが……果たしてそこまで私は行けるでしょうか?
カミュをリスペクトしたという意味では、美少女ゲーム”青い空のカミュ”と関連があるという解釈も出来るという事で。
燐と蛍、オオモト様が頑張って岩を転がしていると思えば、こんな不条理なゲームにもきっと耐えられるはず!! まあ実際は、パンツ一丁のおっさん(シシュポス)なのですけれどね。
steamで800円程度のゲームなので、気になった方がいるのでしたらぜひー。相当に難しいのである程度の覚悟が必要なのですが。
ちなみに類似品に”下半身だけ壺おじ”やら”腕力だけで山をよじ登るおじ”とかもあります。
ゆるキャン△SEASON3では、大井川鐵道編でも妄想キャンプの方でも所謂飯テロ回でしたね~。どの料理もとても美味しそうでした~。
ただ、元ネタの方に疎いから若干よく分からなかったりー。前に北海道に行ったときにどうでしょうの聖地と呼ばれる公園に行ったんですけど、その時もよく分かってなかったです。
でも今はゆるキャン△とかヤマノススメなんかの聖地に反応しちゃうようになっちゃったなぁー。もちろん青い空のカミュの聖地にも──!!
それではではではではーーー。