We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life.   作:Towelie

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 まるで、2人がやって来るのを見計らっていたみたいに、その列車はフラッシュライトのような強い光を煌々と照らしながらプラットフォームに滑り込んできた。

 レールの振動を感じる間もなくするりと車体がホームに入ってきたので、燐もくまも言葉を発する間もなくあんぐりと口を開けていた。
 
 車両の格子窓からこぼれる黄色の明かりが、呆然とたつ少女達の姿を照らし出す。

 細く伸びた二つの影は寄り添うように引っ付いていたが、列車のドアが音もなく開かれると、影はぱっと離れた。 

 ふたりは顔を見合わせる。

 思案気な表情の燐とくまは頷くと、手を取り合って開かれたドアの中へと入って行った。

 すぐにドアが閉じると電車はホームから出て行ってしまう。

 普通の駅で行われているような風景ではあったが、列車から降りてくるものは誰もなく、また見送るものもひとりもいなかった。

 ……
 ……
 ……

 その場所にだけ白い明かりが灯っていた──。

 すり鉢状のそこには小さな駅とホームがあり、その駅舎の周りには僅かばかりの照明が備えてあった。
 
 それがこの世界での唯一の明かりとなっていた。

 向こうの世界との違いは夜とは違った暗闇が町を支配しており、人の代わりに顔のない人影が闊歩しているということ。

 もしかしたらその数は、この町の住人と一緒なのかもしれないが、今はどうでもいいことだった。

 どっちにしろ話が通じるのはふたりだけだったし。

 それに自分たちだって()()()()()ではないのだから。


「案外さ来るもんだね電車……もう、終電とかになってしまったとかじゃないって思ってたんだけど意外とサービス良いクマねぇ」

「サービス、ねぇ」

 くまだって最初は警戒する素振りで車内を見渡していたが、あの人影が乗っていないことが分かると、途端にリラックスした様子で座席にぽすっと腰かけていた。

 ただ、殆ど何もない普通の列車だったので少しつまらなそうにぴゅうっと口笛を鳴らしていた。

 ちょうどそのタイミングでドアが閉まり、程なくしてゆっくりと列車が動き出す。

 自分たち以外に乗ってくるものがいなかったことに燐は内心胸を撫で下ろしていた。


「あの山まではそんなに遠くないとは思うんだけど」

 燐は動き出してしまった列車の窓からの景色を眺める。
 
 そこには黒い風景だけが閉じられた窓の外でごうごうと流れており、どこをどう走っていることすらも分からない。

 せいぜい分かっていることと言えば。

 三両編成の列車には自分たち以外の乗客は誰も乗っていないということだ。

 その辺りも青いドアの家まで乗ってきた列車と同じだった。

 車両まで同じものなのかは分からなかったが、殺風景な車内は遜色ないように見える。

(つい、電車に乗ってしまったけど)

 これで本当に良かったんだろうかと、燐はふと考えていた。

 連中が罠を張っているかもと遠目で駅舎を見てたけれど、実際には誰もおらず、意味もなく駅に明かりが灯っているだけだった。

 それは別に悪い事ではないと思っている。
 あまりにも出来過ぎているとはおもうが。

(あれだけ必死になって追いかけてきたのに、諦めてしまった……?)

 腑になんか落ちてはいない。
 
 燐は二つに編み込まれた髪を弄りながら、頭の上のキツネの耳を左右にぴょこぴょこと動かす。

 スカートの下から覗く狐の尾っぽが座るとき邪魔になるかもと思ったが、意外と収まりはよくむしろちょっとクッションのみたいな感じにさえなっていた。

 こうして獣の耳と尻尾をつけていることに徐々に慣れていっていくのはどうかと思うけれど。

「まあ、でも油断大敵クマよ。まだどんなことになるかは分からないからね。ここは変な場所なんだし」

「それは、わたしも分かってる。それに最初にアイツ等と出会ったのも電車の中だったし」

 小平口町で歪みが起こった時、列車は既に停車した後だったが、彼らは駅のプラットフォームに突然現れたのだった。
 
 突然のことに最初見た燐と蛍は当然驚いてしまったが。

(確か、あの時列車のドアは開いていなかったんだよね。何ですぐに非常用のドアコックとかを探して脱出しなかったんだろう?)

 今更どうでもいいことなのだろうけど。

 燐は念のため、この車両にも非常用のドアを開けるものがないかを調べていた。

 ちょっと型は古いがドア付近に一応備えてはあった。

 問題はちゃんと動くかどうかなのだが。

「まあ、いざとなったらボクがドアごと蹴り飛ばしてやるクマよっ」

 しゅっしゅっ、といきなり素振りを始めるくま耳の少女。

 燐は頼もしいやら呆れるやらで半笑いの表情になっていた。


 ガタン、ゴトン。

 どこまで行くつもりなのだろう、列車は暗闇の中を無言のまま進む。

 運転台に誰も乗っていないのに走行できるのはたしかに異常なことのはずなのに。

 燐もくまもそこに何の指摘も、確かめに行くことすらもしなかった。

 時折、がしゃんがしゃんと何かレバーのようなものを切り替える音がするが、ふたりともそれに対して意識を持つことを放棄しているかのように無視を決め込んでいた。

 自分たち以外に誰もいない、無人の電車が勝手に動いているというのに、だ。

 動き始めてから、もうどのぐらいの時間がたってしまっているのだろう、窓から見えるものと言ったら四角く切り取られた闇ばかりで。

 くまはいい加減あきてしまったのか大きな欠伸をひとつ浮かべていた。

 燐はそれを見て苦笑いするも、胸中はくまとそれほど変わりはない。

 よく考えてみたら、風車のある山の方に運よく行ってくれたとしてもそこにはちゃんと停車できる駅はあるのだろうか。

 あの駅のプラットフォームには簡素なベンチが備えているだけで駅名を示す看板も、その先の駅の情報を示すようなのもない。

 改札ぐらいは一応あったが、とても簡素なものが備えてあるだけで、長い間使われていないみたいにところどころが酷く錆びついていた。

 つまりそれは、燐の知っている町の最寄りの駅ではないということだった。

 そんな訳のわからない駅だから、もし列車がずっと来なければひとりでも行くとくまは燐に言った。

 けれど、くまには風車が見えないのだから例え山まで辿り着いたとしても、そこからはどうにも進みようがない。
 
 それに。

(”鼻”も利かないってくまちゃん……言ってたね)

 鼻が詰まっているというわけでもないのにと不思議そうに。

 くんくんくんくん。

「ちょ、ちょっとくまちゃん? 今わたしの匂いを嗅いだよね、ねぇ!?」

 急にくまが燐の横に近づいて、首筋の辺りを鼻を鳴らして嗅いできたので燐は露骨に嫌悪感を覚えて声をあげていた。

 やけに馴れ馴れしい感じはしていたけど、流石にこれはあまり良い気はしなかった。

「ちゃんと鼻が利いているのかなって試したくってクマー」

 半分寝ぼけているのかふわふわとした口調で苦笑いして答えるくま。

 燐は訝しそうに横目でくまを見るが。

「ね、ねぇ、わたしってそんなに臭う? 汗とかかいてないつもりなんだけど」

 燐はつい自分の匂いを気にしてしまう。

 上着の襟を少し持ち上げて自分でも首元の匂いを嗅いでみた。
 特に、変な匂いはしない。

 獣臭い──匂いなんかもしなかった。

 ……
 ……

 ガタンゴトン。

「ねぇ、本当にそこに風車があるのかクマ? ボクにはまだどーもにも信じられないんだけどぉ」

 ため息をつきながらくまはそう言う。

 もう幾度となく聞かれた質問だったが、それでも燐の答えは変わらなかった。

「まあ、そう思うよね。わたしだってちょっと疑わしく感じるし」

 そう言ってくまの方をみて軽く微笑むと。

「でも、あるんだよきっと、そこには」

「その、スイッチとやらがクマ?」

「うん」

 何よりも曖昧な答えだったが、燐のその言葉には躊躇いなどは微塵も感じられない。

 目線はとても真剣だったから。

 くまははぁと息をつくと首の後ろに手を回してブルーの座席の背もたれに足を汲んで踏ん反り返る。

 明らかな不満の色が濃く見えたが。

「全く、燐は頑固だねぇ。そんなんじゃ、モテないクマよ」

「モテって……」

 その言葉に燐は眉を下げて困惑した顔になる。

 それにしても。
 くまは腕を組んで考える。

(ボクにも見えないものが見えるなんていうのは、何かちょっと癪なことだけど)

 こんな所で言い争いをしても仕方がないと感じたのか、くまは息をひとつ吐くと別の話を燐に振ってみることにした。

 もしかしたら、考えが変わるかもしれないかもと淡い期待を抱きながら。

 ただの退屈しのぎかもしれないけれど。

「ねぇねぇ、もしさ。燐がずっとそのままだったらボクと一緒に山に行かないかクマ? あ、山といってもボクが暮らしていた山の方だけど」

 唐突にそうくまに言われて、燐は戸惑った表情をみせる。

 だがくまは割と本気のようで、瞳を輝かせながら燐の答えを待っているようだった。

「山に行ってどうするの?」

 燐はしぶしぶその話に乗る。

 どうせ本気じゃないだろうと思っているのかその声色はやや軽いものだった。

「動物たちだけの”くまくまアイランド”をそこに作るんだクマ!」

「はぁーっ」

 燐は露骨に大きなため息をついた。

 いくら見た目幼い少女だと言っても、あまりにも夢物語というかおおよそ空想めいたことを突然口にするなんて。

 けど、まあこういうのは小さい頃には一度ぐらいは考えてしまうものだろうけれど。

「ねぇ普通は、”くまくまランド”の方なんじゃないのぉ? なんで”アイランド”?」

 その指摘にくまは大きく口を開けて手で、うっと胸を庇う仕草をみせる。

 痛い所を刺されたとでも言いたいのだろう、きっと。

 燐としては聞き間違えとなのかと思って聞いてみたことなのだったが。

 くまはワザとらしく座席の上でよろよろとふらつく仕草を見せると。

「そ、それは……陸の上の孤島という意味クマよっ。つまり……動物達が安心して暮らせる場所にする、という崇高な意味があるんだクマ」
 
 ちいさな胸をどんと張ってもっともらしい事をくまは口にする。

 燐はもう何だか疲れてしまった。

「それじゃあ、人間は? もしかして立ち入り禁止ってこと」

 くまの話からするとそうなのだろうが、それは自然保護的観念からの一時的な意味合いのものなのだろうか。
 
 言葉だけ取ってみればそれほど悪い考えではないのかもと、燐はそう思ってもいた。

 だがくまとは意見の解釈の違いがあったようで。

「まあ、そうなるクマね。ボク達みたいな”人とはちょっと変わったのもの”だけが入れるってぐらいで」

「あ、もちろん、”ざっきい”と”蛍”も歓迎するクマ。ボク達なら何でもできそうな気がしない?」

 そう言ってくまはぱちっとウィンクをする。

(何だか、すっごく都合のよさそうな話なんだけど)

 燐には何となくそれが分かってしまう。

 今の自分は()()()()()であるからだろうか。

 それに蛍やオオモト様と一緒にいることはそんなに悪くない事だとも思っていた。

「じゃあ、わたし達以外の……その、普通の人が来ちゃった場合とかは?」

 なぜか言葉を選ぶ燐。
 問われたくまはふむと軽く細い顎に手を当てる。

 そして何かを思いついたようにぱっちりと目を開いて言った。

「まあ、その時は記憶を消してしまうか……目をくり抜いちゃうとかかなぁ。だって、人に知られたら面倒だし……これも機密保持の為にはやむを得ない事だクマ」

 くまは自分で考えた意見に自画自賛をするみたいにうんうんと頷いた。

 燐は呆れかえった顔で肩をすくめる。

「もう、さらっと怖い事を言わないでよー。急に変な話になっちゃったじゃない!」

 燐だってそこまでメルヘンチックな事を想像していたわけではなかったが、だからといってくまのようなホラー映画の一部分みたいなものを考えていたわけではなかった。

「そう、クマかねぇ? けど、こうでもしないと動物とか自然を人間から守ることはできないと思うんだけど」

 濁りのない瞳でそう問い返す。

「それにしたってやり方が物騒っていうかねぇ」

 隣で燐もつい腕を組んでしまっていた。

 でも、これと似たようなことが最近まであった。

 あの、旧小平口町の中では普通にあったことだった。

 憂鬱そうに燐は目を細める。

 何であのような事がずっと行われていたのだろう。
 今でも不思議で仕方がない。

 一見普通ののどかな山間の町、だったのに。

「あ、そういえばさ、わたしのことを仲間だとか言ってたのは、やっぱりしっぽと耳が付いているから? そんなので簡単に納得できちゃうものなの?」

 今度は燐の方から話題を変えられて、くまは一瞬戸惑った表情で見返す。

「う~ん、そう言うのとはちょっと違うけど……さっきも言っと思うけど、匂いとかもそうかもなぁ」

 そう言われて燐は両方の手のひらを合わせて鼻に当てた。
 
 すんすんすん。

 やはりさっきと結果は同じだったのか、燐は複雑な顔になっていた。

「う~ん、そんな強めの匂いは感じ取れないんだけどぉ。くまちゃんには分かるものなの?」

 自分では分からない臭いというやつなのだろうか。

 スカンクも自分の出した刺激臭とかは感じないってよく聞くし。

「あー、そう言うのともちょっと違うクマよ」

「じゃあどういうのよぉ」

 くまにからかわれていると感じたのか、燐は少し拗ねた言い方をした。

「まあ、ぶっちゃけて言っちゃうとさ。キミのその……しっぽや耳なんかに意味なんかはないクマよ」

「ええっ!?」

 くまにそうはっきりと言われてしまい、燐は口を開けたままになった。

 同時に頭の耳としっぽがぴんと逆立つ。

 そんな事はどうでも良くて。

「じゃあ、何でこんなものがわたしに付いているのよ、意味がないのならっ」

 くまは直ぐには答えずに急に立ち上がると、両手を広げながら誰もいない車内の真ん中軽くとんとんとスキップをしていた。

 明らかに誤魔化すような動きに燐は呆気に取られたように眺めている。

 無邪気で自由な子だとは思ったが。

 困惑する燐にくまはくるりと振り返って笑った。

「要するに、見えているものに意味はないってことクマよ。大事なのはそこじゃないってこと。この場合は分かりやすい目印みたいなものクマね」

「目印?」

「見たまんまっていう意味だよ」

 そんな事は流石に分かってる。
 
 けれど。

(でも、これに意味は無いって……)

 くまの言葉を燐は胸中で反芻してみた。

 燐の頭の上には実際の耳よりも大きな獣の耳が二つついている。

 お尻には尻尾もあり、それぞれが神経で繋がっているようだった。

 燐は軽く目を閉じると、手を動かすような感覚でそこに意識を向けてみた。

 すると狐の耳の片方がひょこんと動く。

 まだ慣れないからか、ちゃんとそれが動くこと自体にびっくりしてしまうが、つまり神経がちゃんと通っていて既に体の一部となっていることを証明していた。

 それなのに、意味がないと言われても、まだよく理解はできない。

 本当に必要のないものなら要らないはず。

 本当に何のためのものなのだろうか。
 こんな不便なものなんかは。

(コスプレ……にしては本格的過ぎるものだよね? それこそ意味不明だろうけど……)

 それに、こんなのずっと隠し通せるようなものでもないし。

(でも、くまちゃんは尻尾を隠すことが出来てたみたいだし、もしかしたらわたしも?)

 縋るような思いで燐はくまを見る。

 だがくまにはその真意は伝わっていないのか、真っ直ぐな視線を向けられてきょとんとした顔になっていた。

「まあ、ぶっちゃけ結論を言っちゃうとね」

 やけに勿体ぶった言い方をすると、くまは両方の人差し指をくるりと頭の上で回した。

「獣の耳やしっぽがあってもケモノではないから、意味がないという事が言いたいクマね」

 少しだけ燐は感心をした。

 だけどそれだけでは言葉が足りない気がして。

「それってどういう意味で? 生物学的なものとか?」

「そーゆーことクマ。キミ達が人と動物の違いを証明するとき何を基準とするかという事だね」

 何故か得意げに言うくまに燐は苦笑いする。

 急に人類の代表みたいにされてしまった。

 けれど、ある程度のことぐらいは理解することはできた。

「えっと、わたしそっちの方は専攻してないから、ちょっと説明がアレなんだけどぉ……」

 燐はちょっと自信なさげにそう前置きをしてから話す。

 何でこんな列車の中でこんな話をしているのかと疑問に思ったが。

 とりあえず今出せそうな結論を出してみた。

「人と動物の違いは”躊躇”だって聞いたことがあるよ。欲望に対して我慢ができるから人間なんだって。後は考えられることとかみたいだね」

 明らかに聞きかじりでの知識だったが、それでもくまは納得してくれたらしくその結論にぱちぱちと手を叩く。

「つまりまだ人間ってこと? こんな姿をしてても?」

「失礼な! と言いたいクマだけど。これが現状クマね。ボクらは人にも獣にもなりきれない、どっちつかずってことだよ」

「何だかなぁ」

 そう溜息を吐く。

 どうしてこんなことになったんだろう。

 あの三日間のときからずっと同じことを考えているみたいだ。

「割り切るしかないクマよ。でも普通の人間の生活をするのは難しいから山に行かないかって誘っているだけで」

「成程ねぇ、まあ考えておくよ。ずっとこのまんまならね」

 小さい子に窘められたような恥ずかしい気になってしまったのか、燐はそう言ったあとで、顔を真っ赤にしていた。

「あ、でも、くまちゃんって我慢とかできるの? 結構本能のままにしていない?」

 燐はいたずらっぽくくまにそう問いてみる。

「燐、何をいうクマか。ボクは熊のなかでももっとも我慢の強いクマと言われて……」

「どうしかしたの?」

 急にくまの言葉が止まったことに気になった燐はその肩に触れる。

 その瞬間、くまの身体が小刻みに震えていることに気付いた。

「もしかしてまだ傷が痛むの!? だってあの時」

 燐はくまの傷の状態が見たいからと、ちゃんと明かりのあるところでしたかったのだが。

 その前にくまは燐の背に負ぶさりながら、器用にも足を複雑な格好に折り曲げて傷口を舌で舐めていた。

 もう治ったと自分で言っていたし、ホームや車内を走り回っていたからつい安心しきっていた。

(でも、治ってなかったみたい。こんなに苦しそうにしているし……!)

 人も動物も自分の痛い所は隠すことが出来てしまう。

 そういう意味では動物は何も考えないってことはないように思う。
 
 人間は”考える葦”と提言をした哲学者はいたけれど。

「お腹がすいたクマッッ!!!」

 急に叫び出したくまに燐はびくりと身を強張らせた。

 こっちの世界の列車だからまだ良いが、向こうの現実の世界のものだったら一心に注目を集めていただろう。

 燐は膠着したままくまを見つめる。

「この世界でボクの力が出ない原因がわかったクマっ! それは空腹クマよっ!!」

 どうあっても叫ぶくまに燐は声を掛けざるを得なかった。

 誰も電車には乗っていないのだからそこまで気にする事ではないのかもしれないけれど。

「えっと、それって」

 小さい子をあやすみたいな口調で燐は尋ねる。

 あからさまに子ども扱いを受けているにも拘らず、くまはその理由を早口で喋り出した。

「お腹が……お腹が空いてるから力でないんだクマ……だからいつものぱわーがないのであるぅー」

 へんな口調で言うくまに燐は唖然としていた。

 体を震わせたのはただ単に空腹を感じていたからだったからなのか。

 むだに気を揉んでしまって損したと、燐は安堵と呆れの混じった深い息を吐いた。

「あ、そう……じゃあ今日は全然なにも食べていないの?」

「ちょっとは食べた……でも、あんなのぜんぜん腹の足しなんかならない……」

 そう言ってくまはお腹を押さえる。
 その瞬間、お腹の虫がぐーと鳴っていた。

「ちょっとって、どのぐらいの量なの?」

 くまは、”青いドアの家”の冷蔵庫に入っていたスナック菓子を食べたことを燐に言った。

 確かにこの少女ではそれぐらいでは足しにもならないだろう。
 大食いであるのは昨日の午後で分かっていたことだし。

 でも。

 燐が気になったのはそこではなく。

(そういえば、青いドアの家って言えば……)

 不意にある事実を思い出していた。

 忘れていたというわけではないが、今の話で頭の片隅あったことを思い出すことができた。

「わたしね、青いドアの家のキッチンでケーキを焼いていたはずなんだけど……ねぇ、くまちゃんは知ってる?」

 燐は恨めしそうに自分のお腹を見つめるくまに訊ねた。

 まったく無関係なことかもしれない、けれどもしかしたらと思ってのことだった。

 案の定、燐の予想は当たっていたようで。

「あっ。それっ、ボク知ってるよ! あれはやっぱりキミが作ったものだったんだね」

 くまが知っていたことに燐は自分で聞いておいてビックリしていた。

「ん、じゃあさ、その時のカップケーキってどうなっていたかなぁ? ちゃんと出来てた? 他のものも一緒に作ったんだけど、結局出来てたかは全然知らないんだよね」

「そうクマねぇ……うーん」

 割と切実そうな燐の問いに、くまはうーんと頭を振って考える。

 燐は黙ってくまの答えを待った。

「あ、そのさ……リビングでテレビを見てたらキッチンの方から何か音がしたと思うんだけど、その前にこっちの世界に来ちゃったから、実はよく分かってないんだよね、ボクも」

 顔を赤くしてくまはそう素直に答える。

「そっか。そうだったんだね」

 だからくまはお腹が空いたといっていたのだろう。

 燐はようやく合点がいった。

「ありがとう。ちょっとだけ、ほっとした」

「どうして? ま、まさか……あのままだとボクが全部ケーキを食べてしまいかねなかったって、そう言いたいってことぉ!?」

「そ、そういう事じゃなくって」

 言いよるくまをなだめすかすように燐は手をパタパタと振った。

「タイマー、ちゃんと掛けといて良かったなぁって」

「??」

「もしさ、タイマーをかけていなかったら、今頃は大惨事かもしれないってこと。まあ、オオモト様とかサトくんが何とかしてくれるかもしれないけど」

 それでくまはようやくあぁと手を鳴らした。

「……向こうの世界に帰ってみたら、焼けて家がなくなっていたとか、シャレにならないクマね……あの家に今誰か残ってるのかな?」

「どうだろう? オオモト様は残って居そうな感じがするけど」

「引きこもりっぽい感じするからねぇ、ざっきぃは」

 燐とくまは顔を見合わせると、お互いに苦笑いを浮かべた。

 ……
 ……

「実はさ、ちょっと心配なことがあって……」

「どんな事?」

「これからさ、山の中に入るわけじゃない。考えたらわたし、普通に肩を出しているんだよね。こんな格好で山に入ったら大変なことになっちゃうって」

「どーして?」

 空腹を訴えているからか、くまは少し急かすような声色になっていた。
 
 その辺りを自分でも気にしているのか言葉を出した後で手で口を抑える。

 燐はいいよと苦笑いを返すと。

「わたしさ、普段アウトドアに行くときは夏でも長袖を着ているんだよ。でも最近の夏場はすごく暑いから半袖にアームカバーを付けてたりもしてるけど」

 そっちの方が快適なのだが、トップスのコーディネートにちょっと苦労してしまう。
 これ見よがしなものはあまり好みではないし。

「もしかして、枝とか藪に肌を引っ掛かるの嫌だってことクマか?」

「それに山蛭とかもいる時もあるしね。だからさ」

「うん」

「電車の中に何かないかなって。カーテンとかでもあればいいと思ったんだけど」

 さっきから車内を見渡してみても、役に立ちそうなものはない。

 座席のシートを引っぺがすなんてことはしたくはないし。

「ボクならハダカでも平気で登れるクマよ。やっぱり熊だからね」

(その割には裸を見られるのは嫌がるくせにぃ……)

 胸を張るくまに燐はそっと疑念の目を向けた。

「それは、くまちゃんだからだよ。それにさっき人間と動物の違いを言ったばかりでしょ?」

「そうクマだっけ?」

 とぼけるくまに燐ははぁとため息をつく。
 
「ともかく、何か装備みたいなものが欲しいんだ。ちょっとしたものでも良かったんだけど……こんなことから家から懐中電灯でも持ってくれば良かったぁ」

「そうクマよ。あんなところでぼうっとなんかしてないでさぁ」

「だってぇ」

 燐は唇を尖らせてぼやく。

 でも確かにくまの言う通りだとは思う。

 何で、マンションの玄関口で立ち話なんかしていたのだろう。

 懐中電灯もそうだが、登山道具一式は自室に山ほどあったのに。

「まあ、いざとなったから今度はくまが燐をおぶってあげるクマ」

「本当に?」

「もちろんクマ。でも……」

「?」

「何か食べれそうなものがあればなぁ……どこかにお弁当でも落ちてないクマかぁ?」

「そんな都合のいいものこんな所にあるはずないでしょ」

 燐は自分の事を棚に上げて、くまの妄想に釘をさす。

 確率で言うのなら、燐の希望の方がまだ可能性が高いだろうが。

(そういえば……食べ物ならもうここにあるのでは?)

 ふとくまはぼんやりと考え込むと。

「??? どうしたのくまちゃん。わたしの事じっと見つめて」

 不思議そうに首を傾げる燐。

 そこには狐の耳と尻尾がついている。

 燐はそのくまの目つきに何か嫌なものを感じたのか、立ち上がって一歩、二歩と後ずさりする。

「ま、まさかくまちゃん!? じょ、冗談だよね? 耳としっぽがついていても獣にはならないんじゃなかったの?」

「クマクマクマー。それは時と場合によるだクマー」

「それって、どういう状況なのよっ!」

 燐は拒絶をするように大声をあげる。

 しかしくまは意にも介さず、両手を上へと上げて威嚇のような態勢をとった。

 一見するとその見た目から幼い子がくまの真似事をしているような可愛らしい仕草に見えるが。

「こんな可愛いクマが空腹なんだから、キミはもう食べられる運命なんだクマー。ボクの血肉となってくれれば燐だって本望でしょっ!」

「な、何を言っているの!? ちゃんと目を覚ましてよっ!」

「ボクはとっくに目覚めているクマっ! 冬眠にはまだ早いクマだよっ」

「そういう事を言ってるんじゃなくてー」

 もう取り付く島もなかった。

 くまの理性はとうになく、頭の中は食欲のことで一杯となっていた。

「全部とは言わないからさ、先っぽの方だけでも一口かじらせて欲しいクマー!」

「ちょ、ちょっと待ってっ! わたし、全然美味しくなんかないよっ。それにキツネだから、エキノコックスとかあるかもっ!!」

 適当な言葉を並べて何とか我慢してもらおうと必死な燐。

 だが、今のくまには何の言葉も通じないのか、それこそ獲物を襲う熊の如く、今にも燐に飛びかかろうとしていた。

「そんなのくまには関係ないクマーーー! ガウッーー!!」

「もうっ、人の理性とやらは一体何処に行ったのよーーー!!!」

 乗客はたった二人しかいないのに、どたばたと車内が騒々しくなっていた。

 狭い車内での鬼ごっこは本当に意味のないことであり、燐は一刻も早くこの不思議な列車がどこの駅でもいいから停車して欲しいと願わずにはいられなかった。


 天井からぶら下がっている誰も掴むことのない吊り革が、騒動に合わせてぶらぶらと頼り気に揺れていた。
 

 ……
 ……
 ……



merry-go-round

 

「わたし、このあいだ燐に笑われちゃったんです」

 

 一口飲んでから蛍はそう言ってくすりと笑った。

 

「あら、どんなことかしら」

 

 蛍の向かいで座っていたオオモト様もカップを置いてにこりと微笑む。

 

 ──オオモト様と蛍だけしかいない、不思議な場所でのティーパーティーの最中でのことだった。

 

 蛍もオオモト様もいつもとは違った様相の格好をしていたが、それももうさほど気にはならなくなっていた。

 

 世界の狭間のようなところでこんなことをしているという情景の方がまだおかしく思えるぐらいで。

 

 慣れていくという事は、結局こういうことなんだろうか。

 

 状況とか思想とか関係なく、馴染んでいくものなんだろうと。

 

 このカップの中の小さな世界のように。

 

 また一つ砂糖を加えたカップの中の紅茶の揺らぎを感慨深く眺めながら、蛍がそんな事を思っていた。

 

 そんな時、不意にある物が目に留まり、そのことを思い出すきっかけになった。

 

 マーブル模様の小さなパウンドケーキが思わず目に入ってしまった。

 

 それがケーキスタンドの端っこの方にちょこんと添えられていた。

 

 これも、燐が作ったものなのだろうか。

 

 ちらっとオオモト様の方をみると何も言うことなく蛍の方を見て微笑んでいるだけ。

 

 長い黒髪の精巧な人形のように綺麗な顔を向けながら。

 

 ただ、視線でそれを取るように促されているみたいに思えた。

 

 蛍も特にそのことを尋ねることなく小さく頷くと、自分のお皿にケーキを乗せナイフで切る前にまずしげしげとそれを眺める。

 

 小さなトーストのような形をしたケーキは、ココアで色付けされたのだろうマーブル模様が渦を巻くようにぐるりと描かれている。

 

 前に燐が言っていた。

 

 ”焼き上がるまでどんな模様ができるか分からないから、それも楽しみの一つなんだ”と。

 

 これは──綺麗な模様が描かれているからきっと上手くいったのだと思う。

 

 製作者の喜んでいるの顔を想像しながら蛍は一口食べてみた。

 

 ココアの控えめな甘さと生地の柔らかさが口内を心地よくさせていた。

 

 ふぅと一息ついてから蛍は先ほどの話の続きを話すことにした。

 

 オオモト様は特に待ちくたびれている様子もなく先ほどと同じようにこちらを見ている。

 

「前に……”青いドアの家の世界”で公衆電話を見かけて、その時そこにあったんです、アンモナイトの化石が」

 

「そう」

 

 オオモト様の表情に変わりはなかったがつまらなさそうという訳ではない。

 

 むしろ楽しみにしているようで余計は口を挟むようなことはなかった。

 

 蛍はちょっと恥ずかしそうに俯き気味でその話を続ける。

 

「わたしアンモナイトって、その形からかたつむりと何か関係があるのかなってその時思っちゃって……でも実際は全然関係ないみたいで……むしろ蛸とかイカの海洋生物の方に近くて、でもオウムガイとも違うようで……」

 

 何だかぐちゃぐちゃな話し方になってしまった。

 実際にそう言われたときよりも余計に恥ずかしい。

 

 それを証明するように、話している最中にも蛍の頬は見る見るうちに紅くなっていく。

 

 それだけでオオモト様は察したのか、ふっと軽く微笑むと唇の前で両手を軽く合わせた。

 

「それで燐に笑われてしまったのね」

 

「あ、はい。けど、馬鹿にされたとかそういうのではないですけれど」

 

 オオモト様の顔がまともに見れなくて蛍は完全に下を向いてしまう。

 

 大学生にもなってこんな恥ずかしい間違いを犯してしまうなんて。

 

 好きなことの知識はあるけど、それ以外はダメダメなのは流石に……。

 

「でも、それでもいいんじゃないかしら、間違いは誰にでもあるものだわ」

 

「それは……そうですけれど」

 

 蛍は意外ともとれる顔でオオモト様を見上げる。

 

 そう言われてしまうと言葉がでない。

 

 確かに、オオモト様の言う通りだとは思うけれど。

 

「わたしはあなたの考え方のほうが好きよ。ほんとうの答えは違うのものかもしれないけど、想像力があって素敵に思えるもの」

 

「そう、ですか」

 

 てっきり笑われると思っていたから蛍は一瞬拍子抜けしたような顔になる。

 

「ええ」

 

 だが、オオモト様がにこりと微笑んだのをみて、蛍は心がすっと軽くなると同時にとても恥ずかしくもなった。

 

(やっぱり、学校の先生に言われているみたい……)

 

「けど、間違いは間違いだと思うんです。例え色々な想像をしたとしても」

 

「それはあなたの言う通りね」

 

 せっかくフォローしてくれたのにそれを否定する言い方をしてしまったことに、蛍はとても申し訳なくおもったが、それ以上に恥ずかしさのほうがほんの僅かに優っていたようだった。

 

(こんなこと、言わなければよかったかも)

 

 自分からつい言ってしまったことだけれど、ただ恥をかいてしまっただけな気がする。

 

 蛍は顔を赤くしながら自分の軽率さを胸中で悔いた。

 

 けれどオオモト様はそうではないらしく。

 

「けれど、その生物の進化の過程を直接見たという人はきっといないわ。情報として僅かに残っているというだけで」

 

「……」

 

「ねぇ、蛍。人はその情報を得ただけで全てを知った気になってしまう所があるけど、大事なのはそこじゃないんじゃないかしら」

 

「それって……経験とかって意味でしょうか? でも」

 

 自分が生まれるずっとずっと前のことなんかをどう経験したらいいというのだろう。

 

 それこそ創作の作品のようなタイムマシンでもなければ。

 

 蛍は顔色を伺うように正面で座るオオモト様をみる。

 

 蛍の視線を受けたせいではないとは思うが、少し困った顔になった。

 

「そうね。確かに経験することはいい事だと思うわ。可能な限りなら、ね」

 

「でも、限度がある。だから今ある情報の方が正しい。そう蛍は言いたいのでしょう」

 

「あ。はい……」

 

「けれど想像することだって正しい行為なのよ。別の可能性が見える場合もあるから。学説と言われるものも、最初は想像することが始まりなのだから」

 

 蛍は何とも複雑な表情になりながらもこくりと静かに頷く。

 

 これでこの恥ずかしい時間が終わるならと少し妥協を含んだものだったが。

 

 オオモト様にからかわれているとか、非難されているとかではないのは充分に伝わったから。

 

 ……

 ……

 

「そういえば、蛍」

 

「あ、はい」

 

「わたしはあまり、ケーキとかのお菓子には詳しくないのだけれど、知っているお菓子が一つあるのよ」

 

「はい……」

 

 急にそんな事を言われて蛍は惚けたような表情になっていた。

 

(でも、オオモト様がわざわざ言うんだから)

 

 何か意味のあるものではないのかと、ここは黙って耳を傾けることにした。

 

 例え他愛のない話だったとしても、それはそれで有意義なことだとは思っているから。

 

 ずっと黙ったまま向かい合っていたり、またさっきの話を続けるよりかはずうっと。

 

 オオモト様は静かな口調で話し出す。

 

「祝いごとなんかの時に焼くケーキで中に”人形”を入れてあるらしいわ。切り分けたとき、その中に人形が入っている人に幸運が訪れるらしいわね」

 

 オオモト様の言うそのお菓子の事を蛍はうろ覚えだが一応知っていた。

 

(それって……ガレット・デ・ロワだっけ? 食べたことはまだないんだけど……)

 

 正確にはケーキではなくパイ菓子であったはず。中に入れるものはその地方や風習によって違ったりするようであると、本かネットで見たような気がする。

 

 それを知ってか知らぬかオオモト様はそのまま話を続ける。

 

「時には指輪だったり硬貨だったりもしたみたいね。一種の運試しみたいなものだけれど、分からないからこそ面白いものだとは思うわ」

 

「確かに、そういうのって、ドキドキしますよね。中を開けてみるまでは何か分からないっていうのは」

 

 蛍は素直に同意を示す。

 

 まだ一度もやったことは無いが、今度燐か自分の誕生日の時にでもやってみてもいいかもしれない。

 

 ただ、燐と二人だけだと流石に味気ないものだろうとは思うが。

 

 もしかすると。

 

「ここのケーキの中にもそう言った何かが入っているものがあるんですか?」

 

 とりあえず今のところはそういうのはなかったけど。

 

「どうかしらね」

 

 オオモト様は目を細くして小さな笑みをこぼした。

 

 珍しく悪戯っぽい表情にみえたのは蛍の気のせいだったのだろうか。

 

 ……

 ……

 

「くぅん」

 

(えっ、な、何?)

 

 急に犬の吠え声のようなものが蛍の耳朶(じた)を打ち、急に目が覚めたみたいにびくりと身を震わせると辺りを見渡した。

 

「あれっ、サトくん?」

 

 いつからそこに居たのだろうか、白い犬が蛍の座る椅子の背後でちんまりと座っていた。

 

(どうしてここにサトくんが?)

 

 蛍はその犬をよく知っていたが、もしかしたら見間違いかもしれないかもと、その顔をじっと見つめる。

 

 けれど間違いなんかはあるはずもない。

 

 自分の方が、この白い犬と出会ったのは先だったし。

 

 その”サトくん”が何が言いたげに蛍の顔を覗き見ている。

 

 耳としっぽをぺたりとさせながら。

 

(もしかして、あの時のって、ネコとか他の動物とかじゃなくて……)

 

 白い犬の姿を認知した瞬間、ずっとモヤモヤとしていたものが、ぱぁっと晴れた感覚があった。

 

 なので蛍は聞いてみることにした。

 

 蛍は両足を揃えてくるりと犬に向き直る。

 

「もしかして、わたしをここまで導いてくれたのはサトくんだったの?」

 

「わんっ」

 

 答えてくれるかちょっと心配だったが、サトくんは蛍を真っ直ぐに見ながら一声鳴いた。

 

 もう人の言葉を理解できるはずもないのに、ちゃんと答えてくれるのはそれはそれで少し心配だけど。

 

 今は単純にそれが嬉しかった。

 

「ごめんなさい」

 

「えっ!?」

 

 それまで何も言わないでいたオオモト様が、急に謝罪の言葉を口にしたので、蛍は驚いた声をあげた。

 

 思ってもみなかった言葉に振り向いた蛍は目を大きくして聞き返す。

 

 オオモト様は、柔和な表情でこちらを見つめ返していた。

 

 黒檀のような深い黒の瞳は、初めて出会った時の印象と変わらず、まるで全てを見通しているみたいだった。

 

 もしかしたらもう、何も言ってくれないのかもしれない。

 蛍がそう半ば諦めかけたときだった。

 

 引き結ばれていた黒髪の女性の可憐な唇がゆっくりと解かれたのは。

 

「わたしが、サトくんにお願いしたのよ。ずっとあそこに留まっていると危ないから、ここまで蛍のことを連れてきてちょうだいって」

 

「それで、そうだったんですね」

 

 蛍は理解できたように手を軽くぱんと合わせる。

 

 だからこそ、サトくんは先に行ってしまったんだろう。

 

 黒一色のなか、白く光って見えていたものはサトくんの毛並みで、目印となったあれは彼の尻尾だったということか。

 

 それでも分からないことはまだあった。

 

 蛍が複雑な顔になっているの見てオオモト様も困った表情になった。

 

「蛍は、彼の後を追うのに疲れてしまったんでしょう? わたしがもうちょっと分かりやすく伝えておけば良かったのね。そうすればあなたが倒れるようなこともなかった」

 

 軽く目を伏せてまた頭を下げるオオモト様。

 

 蛍は困惑した表情のまま固まっていた。

 

 それは謝罪に対してというよりも、今聞いたばかりのことによるものだった。

 

「その、ずっとあそこにいたらどうなっていたんでしょうか」

 

 まるで奈落の底の空間にでも落ちたみたいに、真っ暗だったから何となく予想はつくけど。

 

 オオモト様は、そうねと言って軽く息を吐いた。

 

「飲み込まれていた、と思うわ……闇というか、実体すらもたない存在に」

 

「実体すらもない?」

 

 意識とか情報とかそういう系のものに対してのことだろうか。

 

 でもその言葉だと何かの生き物に対してみたいの表現に思える。

 

 例えるのなら、ブラックホールの中にいたみたいな空虚な感じだったと蛍は思っていたけれど、オオモト様の話だと、それ自体が何らかの生物であったように感じた。

 

 それは、今いる場所とどれほどの違いがあるのだろう。

 

(今だって光と、影はあるけれど……)

 

 黒い靄のようなものが辺りを覆い被さっている。

 

 地面からは白く淡い光のようなものが照らしているから、互いの存在自体を認知することぐらいはできているけれど。

 

「…………」

 

 ここにだって辿り着いたというよりも、急にフィルムの場面が変わったみたいに瞬間的に情景が切り替わったみたいな印象を蛍は受けていた。

 

 点と点。

 

 キャプチャーを無理やり移動させたときみたいに、道中の過程が良く分かっていない。

 

 そこにもし疑わしいものがあるとするのならば、”誰か”と言うよりも自分自身の思考の方だろうか。

 

 もう既に狂ってしまったとかの判断すらつくことができていないみたいだし。

 

 わけが分からないまま変な衣装に服を着替えさせられて、勧められるがままに食べたり飲んだりをしている。

 

 また──流されているんだろうか。

 

 けど、その方が安心する。

 

 信頼している傍に人がいるし、懐いている犬もいるから。

 

(けど、それでいいのかな……? もっと大事なことが……)

 

 蛍はつい自分の今の格好を見てしまう。

 

 もし、オオモト様の話の通りならば、この奇抜な格好は良く分からない”何か”が着せたということになる。

 

 どこからか用意したものかは分からないけれど、これに何の意味があるのだろうか。

 

(どうして、こんなバニーガールの衣装なんて……)

 

 ”うさぎの耳”を付けているのはちょっとだけ可愛いとか思うけれど、流石に趣味とかではないと言うか……。

 

(でも、燐がこんな格好のわたしを見たらどう思うのかな……)

 

 意識したわけではなかったが、思わず蛍はごくっと唾をのみ込んでしまった。

 

 ──

 ──

 ──

 

「”それ”は、言うならば欲望のようなものね。欲望が実体を持ってしまったということになるわね」

 

「……?」

 

 蛍は最初、あの時の彼の事を言っているんだろうと思った。

 

 だから蛍はつい、サトくんを横目で見てしまう。

 

 サトくんは……特に反応をしていない。

 

 ただじっとオオモト様の方を見て話しを聞いているみたいだった。

 

「けど、欲望を穢れたものだとは考えない方がいいわ。それでどうなってしまったのかはあなただって良く分かっているだろうし」

 

「ただ、汚されたくなかった。心の奥底の欲望を知ってしまっても。守りたいものがあったということね」

 

 それはあの時、傍で見ていた蛍にもよく分かっていることだった。

 

 ”彼”はたった一つのことだけに執着していた。

 

 けどそこには二つの思いがあったから、だから一つの身体を二つに分けてでも成し遂げたかったのだと思う。

 

 どんなこと犠牲を出してでも。

 

(前の時は良く分かってなかったけど)

 

「それって、彼のことですよね。それとも別の」

 

 何となく話がごっちゃになっていると感じて蛍はそう質問を返した。

 

 蛍に問いかけられても、オオモト様はいつもの穏やかな表情のままこちらを見ている。

 

 何の考えも読めないというよりも、その表情こそが答えであるかのように。

 

「それは……どちらもそうね」

 

 一拍置いた後、オオモト様はゆっくりと言葉をつむぐ。

 

 唇からこぼれた言葉から、オオモト様の僅かな感情のようなものが見えたのを蛍は直感で感じていた。

 

「どちらもって?」

 

 オオモト様はその質問には答えずに真っ直ぐに蛍を見つめた。

 

「人はどんなに幸運に恵まれていたとしてもどうにもならない事があるわ」

 

「えっ?」

 

「それは生きている限りはどうしようもないこと。どんな幸運の力をもってしても取り除くことなんかはできない。だって誰にでも与えられるものだから」

 

「でももし……それを超えようとするのならば」

 

 不意に強い口渇(こうかつ)を覚えた蛍は残った紅茶を口に含んだ。

 

「──ヒトでないものになってしまうわ。場合によってはそれを作り出すこともある。それこそが望みだったから」

 

 望み──それは欲望か。

 

 生きている限り避けられないことは分かるけれど。

 

「それがこの世界を作ったものなんですか? あのヒヒととも違った」

 

 蛍はあえて妖怪や怪物などの名詞を使わずに言った。

 

 今の場ではそれはそぐわない表現だと感じたからだった。

 

 自分やオオモト様は未だにどっちなのだろうと考えたことはある。

 

 オオモト様は自分の事を、残滓が寄り集まっただけのもと、いつか言っていたようだったけど。

 

(どうみても、普通に生きているようにしか見えない。けれど何年もずっと前からそうだったのかは分からないけど)

 

 幸運や幸福を超えた存在とは、やっぱりこの人のことなんだろうか。

 

 そう思わせるだけの雰囲気というか、所作をしているとは思うが。

 

「わたしは、そうではないわ。幽霊のようなものだとは自分で思うけれど」

 

 蛍の想いを見透かしたようにそう答えるオオモト様。

 

「そうなんですか?」

 

 少し残念な気持ちで蛍は呟いた。

 

「ねぇ、蛍、あなたは」

 

「はい」

 

(何だろう……)

 

 急に背筋が冷たくなったというか、蛍は無意識で膝の上で拳を握っていた。

 

 掌が自分でも驚くほど冷えきっており、冷たい汗で湿っているのが分かる。

 

 それでも蛍は真っすぐに目の前の人を見つめた。

 

 肉親のように慕っているその人のことを──。

 

「あの日……”世界がなくなってしまうこと”を望んだのではないかしら。大切な人のいない世界なんか全てなくなってしまえばいい、と」

 

「…………」

 

 唐突に投げられたその問いに蛍は表情を固まらせた。

 

 膝の上の拳は握られたままだったが、その手はぶるぶると小刻みに震えている。

 

「ごめんなさいね。尋問とかをあなたにしているわけではないの。ただ事象としての認知を一致をしたいだけで」

 

 またオオモト様に謝られてしまう。

 

 そんな事で謝らなくてもいいのにと、蛍は苦笑いをしていた。

 

 蛍は意を決してオオモト様に言うことにした。

 

 あの日の自分の──欲望を。

 

「あの異変の後、燐だけがいなくなったとき、そう願ってました。だってそれ以外は実際になかったことになっていたわけですから」

 

 淡々と言葉をつむぐ蛍を見ながらオオモト様は少し眉根を下げた。

 

「そうよね。あなた達二人だけがあんな目にあったのに、一つの事を除いて町も人もそのままだったのだからそれは無理のないことだと思うわ」

 

 何も悪くはないとばかりにオオモト様は微笑んでくれる。

 

 それが蛍の心に小さな棘を刺していた。

 

「でも、それが良くなかったんでしょうか? わたしがそう願ってしまったことが」

 

 ただ想ったというだけで、結局何もできてなかった。

 それは今だって。

 

「でも、あなたの想いはとても強いものだった。それこそあの時の彼のものと同じか、それ以上に」

 

「それ以上……」

 

「ええ、世界の根幹を再び変えてしまうほどの強い想いだったのよ。蛍のは」

 

「……」

 

 それほどに歪なのだといいたいのだろう。

 

 確かに、世界と一人の人間を天秤に掛けてしまったのだから、そう思われても仕方がない。

 

 それにしても。

 

 ──(かれ)も自分と同じ想いだったのだろうか。

 

 そう考えると少しだけ同情というか、共感できなくはない。

 全部は無理なことだけど。

 

「でもそれは想いだけじゃなかった。あなたはもう一つの存在を心の奥底で作ってしまったの。それは彼と一緒で、心は二つあっても体は一つしかないのだから」

 

「もう一つの存在……わたしが?」

 

 一体、何をオオモト様に言われているのだろう。

 

 蛍は眉を寄せて考え込む。

 

 多分、これは自分のことだろうけれど、心当たりがないというか。

 

(自分が”座敷童”と聞かされたときもそうだったけど……)

 

 この人は本当に何でも知っているんだなぁと。

 

 言われている事柄よりもそちらの方が何故か蛍は気になっていた。

 

「あのっ、そんなのって本当にいるんですか? そんな見たことがないっていうか……本当にいるかどうかすら考えが及ばないというか」

 

 蛍はそこで言い淀んでしまう。

 

 オオモト様が嘘でないにしても、誤ったことを言うことは考えたくはないけれど。

 

 サトくんとヒヒの事だって今だに良く分かっていないことだから余計に少し訝しく思ってしまった、蛍は。

 

「きっと蛍は、気付けなかったんだと思うわ」

 

「えっ」

 

 思いがけない言葉に蛍は変な声を出して目を大きく開いていた。

 

「だってあの時のあなたは、燐と、同じところへ行こうとしていたのだから」

 

「燐……と?」

 

 蛍ははっとなった。

 

 オオモト様はそのまま話を続ける。

 

「最初は、小さな羽虫程度のものだった。それが少しづつ形を変えていき今の姿になった。決まった形は持たないようだけれど、ところどころであなたも目にしているはずよ」

 

 オオモト様にそう言われて、蛍はこれまでの記憶を辿ってみることにした。

 

 あれから月日だけはたったけど変わった事はそれでも幾つかあった。

 常識では到底説明が付かないことも度々。

 

 それらに何らかの共通点があったのだろうか。

 

 目にするほどの分かりやすいなにかが。

 

(もしかして……)

 

 蛍は口元に手を寄せた。

 

「それは、わたしのような姿をしていることもあったり、ヒヒの姿をしていることもあった。時には、生き物の形すらとっておらず”事象”という概念すらにもなっていた」

 

(事象……)

 

 そう言われてみると節々で確かに覚えのようなものはある。

 

 ただ、時々で起こる不可思議な現象の全てが、それのせいだけだとはすぐには結びつかない。

 

(確かに思い当たることは幾つかあったけど……でも、それってくまちゃんの言っていた……”アレ”のことじゃ)

 

「その、オオモト様」

 

 蛍は両手を握りしめて重い口を開く。

 

 唇は微かに震えていたから、言葉だってたどたどしいものになるのは必然だったが、それでも構わずにオオモト様に訊ねた。

 

「くまちゃんが言っていた”だいだらぼっち”とか言うのがわたしの、その……もう一つの存在なんでしょうか?」

 

 オオモト様はその言葉にそっと瞼を閉じる。

 

 そして薄いピンクの唇を少し開けて問いに答えた。

 

「わたしも名前までは良く知らないけれど」

 

 そう前置きをしたあとで。

 

「くまの言う”それ”と同じもでしょうね、その存在からして。決まった形はないみたいだけど、特徴は一致していると思うわ」

 

「そう、ですか……」

 

 がんとハンマーで頭を叩かれたような衝撃があった。

 

 もうあんな変な事なんか起こらないとばかり思っていただけに、オオモト様の言葉はショックが大きかった。

 

 しかも寄りによって自分から分かれた存在のようなものが、自分の周りで歪みを引き起こしていただなんて。

 

 蛍は項垂れたように頭を下げて目を閉じた。

 

 闇の中で思い浮かぶのは、いちばん大切な人の顔だった。

 

 蛍は心の中で呼びかける。

 

(ねぇ、燐……どうしたらいいと思う? わたしが歪みの元を作っちゃったんだって)

 

 自虐するように小さく笑う。

 

 あの小平口町での異変の時だって、当初は自分のせいだと思っていたけれど、本当に自分が原因でまた歪みが起きてしまうなんて。

 

 申し訳なく思うと同時に、妙な馬鹿馬鹿しさを覚えてしまう。

 

 いつまでこんなことが続くのだろうかと。

 

 それもこれも全部”座敷童の力”のせいなのだろうか。

 

 もう自分の中には残っているはずのないものなのに。

 

 いつまで周りに影響を与え続けるのだろう。

 

(こんなので、本当に普通のヒトに戻れることなんてあるのかな? ずっとこのままなんじゃ)

 

 蛍が深刻な顔で思い悩むのはあの異変の時以来だった。

 

「蛍」

 

 名前を呼ばれて蛍は目を開ける。

 

 目の前に座るオオモト様は、少し悲しい目でこちらを見つめていた。

 

「あなたが”世界のおわり”を望んだときにそれは生まれた。それはある欲望をもった存在だったけど、同時にあなたの影のようなものだったのよ」

 

(わたしの影……)

 

 蛍は思わず後ろを振り返っていた。

 

 そこには確かに自分の影があったが、何かおかしなことになっていたとかはない。

 

 ただ、白い犬が何も言わずにそこで鎮座していたというだけで。

 

 サトくんの瞳を覗き込んでみても、そこに何の感情があるのかも蛍には読み取れなかった。

 

 ただ、じっとこっちを見つめているサトくんが何かを訴えているような気がして、不意に蛍は犬の体に触れようとそっと手を伸ばす。

 

 サトくんは柔らすっと立ち上がると、蛍の傍にとことこと近づき、その掌に頭を寄せて自身に触れさせようとしていた。

 

(サトくん……分かってくれているんだ)

 

 蛍は促されるままにそこに手を乗せた。

 

 掌から伝わる暖かさに安堵を感じる。

 

 中に彼が居ようが居まいが、白い犬は蛍を安心させる温もりを持っているままだった。

 

「あのっ、オオモト様」

 

「なにかしら?」

 

 白い犬の頭から手を離すと、蛍は真剣な顔でオオモト様に問いた。

 

 それにオオモト様が動じるようなことはなかったが、まっすぐに蛍を見つめていた。

 

「この場所の出口って、どこにあるんでしょうか」

 

「そんな事を聞いてどうするの」

 

 その質問に蛍は唇を指を乗せると、静かな口調でこう答えた。

 

「その、”ダイダラボッチ”とか言うのが、本当に自分のもうひとつの影だったのなら、多分、燐に近づこうとすると思うんです。それがわたしの欲望で……本当の望みなんだと思うから」

 

 とても恥ずかしいことを自分から言っている気はしたが、きっとそうだろうと思う。

 

 もし自分やオオモト様が狙いだったなら、とっくに取り込んで一つになっているはずだし。

 本当の願いは燐、なのだろう。

 

 それにしても、ずっと追いかけていたのだろうか。

 

 どれだけ月日が経とうとも、たった一つのことだけを望みとして。

 

 それは。

 

 燐の従兄の──聡がそうだったように。

 

「そうね……世界に対してというよりも、燐だけに向けられていたのよね。あなたの思いは」

 

「だから早く燐を助けに行かないと。きっと待っていると思うんです。この世界のどこかで」

 

 蛍は決意のある瞳でオオモト様を見つめる。

 

 何としてもここから出るつもりだと言わんばかりに。

 

 そんな時、傍に居たサトくんが不意に蛍の手をぺろりと舐めた。

 

 慰めるようなその行為に感謝の意を示すように、蛍は片手でサトくんの頭を撫でる。

 

 言葉なんかなくとも気持ちが分かる優しい子なんだと。

 本心からそう思った。

 

 オオモト様はそっと息を吐くと。

 

「それでも、ここで待っていることしか出来ないのよ。ここには出口なんてものはないから」

 

「どうしてなんですか?」

 

 胸騒ぎを覚えた蛍は少し訝し気にオオモト様をみる。

 

 オオモト様は気にも留めないみたいにふと、上を見上げていた。

 

 二人の遥か頭上では、白く細い円のようなものが光を放ちながらゆっくりと円を描くように回っているのが見える。

 

 それは雲というよりも、まるで何かの現象──。

 

 青空でもないのに”ハロ”のような光の輪が、真っ黒い背景にぽかりと浮かんでいた。

 

「……?」

 

 蛍もそれに目を眇める。

 

 あんなのものは一体いつ出来たのだろう。

 

 まるで何かの兆候のようでもあり、とても綺麗なはずなのにどこか不安気な思いを蛍に覚えさせた。

 

「ここはね。窓の中でも一番下にあるところ。底のような場所と言っていいわね。世界における”概念”も”実存”もここから生まれたものなのよ」

 

 そう言ってオオモト様は目を細めた。

 

 懐かしむようなその目線に蛍はある事を思い浮かべる。

 

「それって、幸運の……つまり”座敷童”のこと、ですか?」

 

「ええ」

 

 軽く笑ってそう答えた。

 

「そして、眠るところ。皆が還る場所なのよここは」

 

「みんなが?」

 

 蛍は周囲をまた軽く見渡す。

 

 先ほどと変わらず辺りは黒い世界が広がっているだけで特に何もない。

 

 サトくんが白く気高い獣のように四つの足をきりりと立てて、凛とした顔立ちを宙に向けていたというだけで。

 

「……っ!」

 

 蛍は更に目を大きく見開く。

 

 口を開けながら天井を指さしていた。

 

「あれって、もしかして──」

 

「あれは、いわば証。座敷童がこの世界にいたという目印みたいなもの。蛍も知っているでしょう?」

 

 そう言われたが、目を凝らさなくとも確かにそれを知っていた。

 

 光の輪の正体。

 それは吊るされた、無数のてるてる坊主だった。

 

 どこから吊るされているのか、顔のない白いテルテル坊主が円環(アニュラス)に並べられて、こちらを見下ろしている。

 

 光を放ちながら廻るそれは儚くも、そして綺麗で。

 

 前に、塔のような建物で見たのと同じ光景でもあったが。

 

(何で、こんなに悲しく思えるんだろう。何のものかも分からないはずなのに)

 

 誰も乗ることのないのに廻り続ける回転木馬のような、不条理さをそこに感じた。

 

 自分の内側から不意に湧いた感情に戸惑いながらも、蛍はふとある事に気付く。

 

 出口も何もないところ。

 それはつまり。

 

「じゃあ、ここが終点? 最後に辿り着くって場所がここ、なの!?」

 

 つまり、この場所に来ることこそが還り道( かえりみち)であり、”おわり”がここにあるということ。

 

 こんな何もないところが()()()の行きつくところだったなんて。

 

 呆然と呟く蛍に、オオモト様は何も答えずにただ、視線を上だけに向けていた。

 

 

 ──

 ────

 ──────

 

 





Detroit: Become Human

配信されていた動画をみて気になってしまったので即刻購入……ではなく、諸事情によりとりあえず体験版だけやってみることにー。

2018年発売のゲームなのですが、恥ずかしながら私はこのゲームの存在を全く知りませんでした。ですが、どうやら未だに結構ファンの多い作品みたいですねー。
この手のリアルなグラフィックのゲームはアクションが激しかったり、広大なオープンワールドをぐるぐるしたりのものが多い印象ですが、これはアドベンチャー寄りのアクションでありながらかなりのボリュームのあるゲームとなっています。

3人の主人公(アンドロイド)を主軸にストーリーが動いていく感じとなっていますが、アドベンチャーと言ってもただ選択肢を選ぶだけじゃなく、QTEの簡易的なアクションなんかも結構あって、複数回プレイしても飽きさせない作りになっている印象がありますねー。
選んだ答えによってシナリオは幾重にも分岐していきますし、選択肢でキャラとの関係性や世論なんかにも変化が生じて、その結果を踏まえてのマルチエンディングとなっていく流れです。

選択肢はフローチャートで分かりやすく見れるようになっていますし、全世界での統計が見れる仕組みとなっておりますから、心理テストみたいな感じでプレイしていくのもありですね。初回プレイ限定ですが。

舞台となるのは2038年のデトロイトなのですが、そこはブレードランナーのようなサイバーパンクな感じではなくて、今の現代とほぼ変わりないような世界観となっています。
近未来的な感じは少し薄れますが、それ故に割とすんなりとゲームの世界観に入り込みやすいかと思います。
ただ、インフラの殆どがネットやロボットによって殆どオートメーション化していて、普通にドローンが街中を飛んでいて、車のディーラーのような感じで人型アンドロイドが簡単に手に入る世界となっておりますが。

今から15年程度の未来では流石にまだ無理っぽい感じはしますねぇ。仮にもし実現することになっても、便利というかやっぱりちょっと怖い気はします。
ゲーム中の人達もそのことを憂いているような描写がたびたび登場しますし、それがこのゲームのテーマの一つとなっているみたいです。
”人間にとってアンドロイドとは如何なる存在か”は。

ただ、今だって生成AIが生活や社会にも徐々に浸透していっているようですしね、良くも悪くも。いつかはこういう人間以外の人工的なものと世界を共有する日も来てしまうのでしょうかねぇ。まだ全然考えは及ばないですが。

私見なのですが、その時は知能をもったアンドロイドという別個体ではなくて、ミシェル・ウェルペックの作品のような、”人間以外の別の適切な身体に、人の記憶を引き継いでいく”感じになるかもしれないですね──所謂SFチックな考えですがー。


ではではではでは──。


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