We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life.   作:Towelie

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 ───ここから動かない。
 
 動きたくない。

 そう思っていたけれど。

 このままこの場で立ち止まっていれば、もやもやしたものも、わだかまりも、すべて別の誰かの手で解決してくれる。

 代わりに、すごく迷惑かけちゃうけど……。

 でも。

 それでも一緒に行きたかった、あの青い空の向こうまで。

 ずっと、ずっと遠くの空までも。
 

 でも、わたしの足は動いていた。
 
 ()()()()()()を手にしたまま、何も考えず、何も喋らずに線路を歩いている。

 理由はあるようで……ないのかもしれない。


 この先に”完璧な世界”があると燐は言った。
 それが本当ならとても嬉しい。

 ”同じ場所”に行けるのならばその先がなんでもよかった。
 それは望んでいたことだから。

 燐の隣がわたしの居場所だったから。
 どんな困難に合っても、たとえ死ぬほどつらい目に合っても。

 燐さえいてくれたらそれだけで、わたしは生きていけた。
 たとえ死んだとしても生きられることが出来たのに。

 ……ずるいよね。

 だから、そんなずるい彼女の元へ行くのだ。
 そして怒って笑って許してあげる。

 その為に歩いてみることにした。

 のだが……。

 無駄に暑い。

 太陽が行く手を遮るかのように熱と光のシャワーを燦々と浴びせてくる。
 抗いようのない強い日差しは、汗でへばり付いたシャツに水を掛けたように濡らしてくる。

 このまま川に飛び込んでもそれほど変わらない気はする。

 どうせ行先なんて結局のところみんな一緒なのだから。

 その事がわかっていても、わたしは歩いている。

 包帯をした足が痛みをぶり返してきて、思わず顔をしかめても歩みを止めなかった。

 足を引き摺っても、歩く。
 実際足はひきずっていたのだけれど。

 砂利を敷き詰めた線路をただひたすら歩く。
 真っ直ぐな線路、真っ青な空、まっさらなわたしの心。

 冗談みたいに完璧に揃っている。

 ”かんぺき”とは一部の狂いもないこと。


 燐、”あなたは”完璧な世界で何を見ているの?

 



 必死な思いで辿り着いた先は完璧な世界とは程遠い世界。

 呆れかえるほど普通の世界だった。

 わたしはひとり、小平口町に帰ってきていた。

 あの陥没したような巨大な穴はどうなったとか、終わらない夜の世界だったのに、とかは些細な問題だった。

 それぐらい普通のわたしがよく知っている町のままだったから。

 異形の化け物に変わったはずの住人はみな、普通だったから。
 少なくとも、出会った人はみな普段の格好でいつも通りの日々を送ってるようにしか見えない。
 いのちを奪われた人だっていたはずなのに。
 もっともそれが誰だったのかはわからないけれど。

 何よりダムが決壊して町は水没したのではなかったのか?

 あのラジオDJの虚言だったとしても、彼はなんでそんなことをわざわざ言ったのか。

 その真意はわからないが、目の前の光景が現実だとしたら……やっぱり。

 そうやっぱり()()は夢だったということになる、はず。

 だってそうじゃないと理屈が合わなくなってしまう。

 オオモト様が”夢のなか”で言っていた。
 卵の殻のなかの”ほんとうの”町の姿がこれなはずがないのだから。

 もしすべての幸運がなくなってしまったら、町は村に……いや、存在すらなくなるかもしれないはずだから。

 そのぐらい昔からその行為は続けられてきたはず。

 だから町が元のままなのはおかしいのだ。

 どちらかが夢でどちらかが現実なのだ。

 
 驚きも悲しみも湧かず、絶望すらなかった、だって、どちらが夢でも現実でも、わたしはここにいるのだから。

 だからどっちでも同じだった。


 わたしは心底疲れてしまった。
 
 燐と二人で夜のなかを必死に逃げて、それぞれの哀しさを知って、そのうえでほんとうのことを知ったのに、その代償がこの普通の町の普通の午後の姿。

 何がほんとうかなんて誰もわかってはいない。
 この人たちは幸運という餌を食べながら、死にながら生きていたのだから。

 夢だとするならば悪趣味で。
 現実とするのならば、それは……やはり悪趣味だった。


 こんなもの一体誰が望んだのだろう? こんな嘘のような在り様を一体誰が──。
 こんなものの為に燐が……親友が……全てを失った。

 もし今、わたしの手に何らかの武器か力があったのならば、きっと……。

 いや、このときはそんなことすら思わなかった。
 ただ今、目に映るものすべてが不快だった。

 
 わたしはこの幸運と嘘で出来た町のなかで唯一の拠りどころである、もっとも忌み嫌う場所に向かった。

 無駄に高いところにある、無駄に大きな屋敷へ。

 夕空の下、黒い屋敷が姿を現した。

 黒く不格好なただ大きいだけの歪な屋敷。
 それが”わたし”の家、何も知らなかったころに普通に暮らしていた、呪われた家。

 呪われた門のカギを外す、鍵は普通に施錠してあった。
 今度は玄関の鍵、面倒くさいがこれも外す。

 勢いよく扉を開くが、暗い廊下が広がっているだけで、何の気配もない。
 一人で住んでいるのだから当然だが、当たり前のように静かだった。

 無意識に左手でスイッチを探す、カチリと動かすと一拍の間、ぱっと玄関の灯りが灯った。

 そこには長い廊下があるだけ他には何もない。
 思わずため息を零す、安堵の為かそれとも疲労からか。

 どちらにせよ確かめねばならぬことがあった。

 靴を脱ぎ散らかしたまま、おもむろに玄関わきの階段を階段を上がる。
 今すぐにでも駆け上がりたかったが、足がずきずきと痛みを主張してくる。
 思い通りにいかない体に毒づきながら、なんとか階段を登って自分の部屋のドアを開けた。

 ……部屋の様子からこれが夢であることが分かった。

 ぬいぐるみもタンスもベッドカバーも何もかもが()()()()()だった。

 服を脱ぐこともせず、そのままベッドに倒れ込んだ、お気に入りのクマのぬいぐるみを引き寄せると、ぎゅっと折れるほど抱きしめた。
 柔らかい綿の感触に心が少し軽くなった。


「あれは長い夢。そうだったんだ……」

 天井の梁をぼっと見つめながら呟く。
 自分に言い聞かせるように噛みしめながら。 
 
 ほんとうに夢ならまあ、それなりに楽しめたのではと思う。
 怖いことも嫌なことも、痛いことだってあったけど、好きな人とずっと一緒だったから。

 でも、”さいご”のは例え夢でも、悲しすぎる。

 とても悲しい。

 だからこそ夢であってほしいのだけれど……。

「だったら、燐が無事かどうか確認しないとね」

 蛍は身を起こそうとベッドの縁に手を掛けた。
 それほど力は入れていない、それなのに。
 左足に激痛が走った。


 何事かと思い痛みを訴えている左足を見る。
 包帯が丁寧に巻かれていた。
 それは”あの人”が手当してくれた包帯、最後の優しさだった。


 その事実を知ったとき、寒気を覚えた。

 橙の光の差す、夏の蒸し暑い自室で蛍はひとり、内から出てくる寒さに震えて布団を被った。
 

 ……耳鳴りがする。
 それは頭の中で何度も響いて、嫌な感情を引き出そうと必死に呼びかけていた。
 蛍は今度は暑さに苦しんだ、嫌な感じの汗が額から流れ落ちる。

 布団を目深に被りながらリモコンを手に取り、エアコンに向けた。

 自動運転が最適な温度にするために西日の強い部屋の温度を下げる。
 蛍はリモコンの温度を確認しようと小さな液晶に注視する。

 33度。

 でも、それ以上に暑く感じるのは、別の要因があったから。
 蛍は再びリモコンを手に取って、エアコンのモードを冷房にしようと試みた。

 その横に奇妙な物体があった。


 ……紙飛行機だった。

 ノートの切れ端で作った紙飛行機。

 わたしと燐が一緒に飛ばした紙飛行機だった。


 白く、清純な紙飛行機は、まるで彼女の心を投影したように透き通ってみえた。

 そしてそれが現実であったことに蛍は強い衝撃を受けた。


 目の前が真っ暗になる。

 どこからが夢でどこまでが現実なのか、その境界線はどこにあるのか。

 耳鳴りが余計に酷くなっていく。
 心拍数が上がっていくのがわかる。

 あつい。
 さむい。

 ねぇ、わたしは今どこにいるの。

 あなたは……どこなの?


 多分、わたしはわたしでなかったと思う。
 それぐらい錯乱してた、わたしは異常者になっていた。


 一人だけどこか別の世界にずれ込んでしまった感覚。
 それが無性に苛立たせる。


 ───誰かが、なにかを叫んだ気がした。

 多分、わたし。

 でも何のために。

 わからない。


 わたしはわからないまま潰してしまった。

 とてもだいじなものだったのに、潰してしまったのだ。


 だって、”こんなもの”なんの役にも立たない。


 なんの慰めにもならないもの。

 だから潰した。

 原型を留めないほど何度も。
 

 不思議と罪悪感はなかった。


 そのかわり。

 
 てのひらに一つの塊が出来ていた。

 それは世界。


 わたしは二人の世界を小さく丸めたものをゴミ箱に放り投げた。



 重くも軽くもない音が静かに鳴った。



 


paperclip

 

「どうしたの? こんなところで。一人?」

 

 人の声がした。

 ”わたし”じゃない他人の声。

 

 良く知らない声。

 

 

 ──それは雨の日の午後に似ていた。

 

 

 実際には降っていない雨は耳の奥に流れてくるノイズがそうさせているのか。

 それとも、さっきから高鳴り続けている心臓音なのか。

 

 それでも雨に打たれたばかりのように、身体はじっとりと濡れていた。

 夜風で乾いたはずの汗が首や腋、額からジャグジーの泡のようにどんどんと湧きあがってベースレイヤーを通して制服や髪を濡らしていく。

 

 緊張と不快感で叫びだしそうになる衝動を堪えるように、スカートの裾をぎゅっと握りしめて感情を押し殺した。

 

 二人の人間を月の光が白く縁取っている。

 長く伸びた影はお互いの立場を明確にするように、その長さを競い合っている。

 

 カマキリのように細長い影が”彼女”。

 カナブンのような黒いかたまりが”わたし”。

 

 蛍は天敵に睨まれた小動物のように、怯えたような顔で黙ったままだった。

 無防備な背中を丸出しにしたままで。

 

 どうせ田舎だからと油断していたところもある。

 人がいることも、ましてや話しかけてくるとは蛍は思ってもみなかったのだ。

 想定外の事態に頭がパニックでこんがらがりそうになっていた。

 

 どちらにせよ、かなり不味い事態になってしまうだろう。

 それこそ”通報”なんてことになれば、かなり面倒なこととなる。

 

 自分があずかり知らない所でなら、さほど気にしないのだが、過疎化に近い町では噂はその日の内に広まってしまうだろう。

 

 そうなれば近所の噂の的になるだろうし、”やっぱり”とか定義づけられて入院なんてことにもなりかねない。

 

 二学期は病院の白いベッドから始まったなんて、少女漫画でも使い古されたような展開は御免だった。

 

 それに自分だけならまだしも吉村さんも何か言われてしまうだろう。

 もっともそれは、()()()()()()()()()()()()同じことになるのだろうが。

 

 まあ、その場合はわたしじゃなくなってるはずなので、一切関係の無いことになってしまうけれど。

 

 

「本当に大丈夫? 怪我してるんじゃない? 手を貸すわよ」

 

 なしのつぶての状態に、女性は当惑したような気遣わしい声色で蛍の背中越しに再度話しかけていた。

 

 それでも”彼女”からの返事はなかった。

 

(聞こえてない……はずはない、わね。だったら無視されている?)

 

 いくら話しかけても黙っている蛍に、何かトラブルがあるのではと女性は思った。

 いわゆる”女の勘”というやつだった。

 

 足が痛いとかの身体的な問題ではなく、もっと精神的なもの……。

 夜中に少女一人、制服のままこんなところにいるのだから、おかしいと思わないわけがない。

 だとしたら考えられるケースは”それなり”にある。

 例えば家出とか……変な男に騙されたとか……。

 

 蛍の地面にまで垂れ流れている長い髪。

 暗がりでもわかる綺麗な黒髪だったが、少し乱れていたのでそこにちょっとした違和感を感じさせる。

 

 どちらにせよ声をかけてしまった以上、”大人”としてはこのままにしておくことは出来ない。

 そう決め込むも、どうしたらいいものだろうか? 腕を腰にあてて困り果てたようなため息を女性は軽くついた。

 

(どうしよう……このまま黙ってたら気を悪くしてどこかへ行っちゃってくれないかな……)

 

 蛍は女性の好意など当然知る由もないので、割と自分勝手な理由で沈黙を守っていた。

 だが、女性の言葉にこれまで感じたことのない母性的なものを若干感じてはいた。

 しかし、逃げ出してしまいたい気持ちの方がほんの少し勝っていたので、その好意を素直に受け取ることができなかった。

 

 それでも露骨に逃げるのは何かこう、非常識な気がする。

 だからこそ、このまま女性が首をかしげながらも立ち去ってくれないかなと思っていた。

 その方がスマートで後腐れない、そう思っていたから。

 

(隙を見て、走り出しちゃうのもあり、かな? でも、足が……)

 

 蛍は女性の立ち位置をちらっと横目で確認する。

 暗がりのため、こちらが見てることには気づいていない、はずだ。

 

 蛍のほぼ真後ろに女性は立っているようで、さっきから背中に視線があたっている気がしている。

 女性は間違いなくこちらを見ているだろう、ペンライトのスイッチを切っておかなかったのがアダになってしまった。

 

 だが、その場からは動いていないようで、ときおり体を揺さぶるような衣擦れ音が聞こえていた。

 

(警察とか呼ばれちゃうのかな……)

 

 蛍は最悪の事態を想定して、目の前が真っ暗になったような気がした。

 恥をかくことにはそれほど気にしないが、警察の厄介なるのは話が違う。

 

(もしこの人が携帯を取り出したら、その時は……)

 

 蛍は珍しく攻撃性を内に秘めた。

 誰かに危害を加えようなんて殆どなかった蛍だが、”迷惑を掛けたくない”の思いが人畜無害のような少女に、激しい攻撃性を引き出していた。

 それはあの中学校で追い立てられたときとは違い、明らかに自分だけのものだった。

 

 せっかくいい場所を見つけたと思ったのに、こんなことになるなんて……。

 蛍は自分の体力のなさ、マイペースさ、そして迂闊さを少しばかり恨んだ。

 

 蛍にとっては背水の陣に相当する行為をしようとしていた。

 しかし、第三者、つまり女性から見れば明らかにおかしな感情を少女が秘めていることを背中が物語っていたのだ。

 

 秘めたる感情は固く凝り固まった背中が何もかも教えてくれていた。

 

 女性はその背中になんとなく理解を示していた。

 そして、一ミリも眉を動かすことなく、胸中でため息をついた。

 自分も女なのでこのぐらいの年の子が何を考えているのかは大体わかるつもりだ。

 

(警察や消防を呼んだら怒りだしそうな感じね。いや、怒り狂って突っかかってくるかも、ね)

 

 長い髪の少女が怒りに燃える姿を見てみたいと、興味本位を擽られるが、怒らせるつもりも、事を大事にする気もなかったので、それは止めておいた。

 

 ただこの少女が困っているなら助けになりたかった、それだけだった。

 どこか不安定にみえたから。

 

 自分だって”学生”だったころは色々面倒ごとを起こしたものだし。

 それが大人への通過儀礼的なものかと思ってはいた。

 

 客観視している自分をみるのが普通であったけど、それがたまらなくつまらなかった。

 大人でも子供でもない、その中間の頃がもっとも美しく、かつ面白く退屈でとても繊細だった、ガラスのように壊れやすいのに。

 

 それを知ってたはずなのに、わたしも大抵バカだよね……。

 

「はぁ……」

 

 今度ははっきりと言葉にしてため息をついた。

 

 この少女もそれほど変わらないだろう。

 世代は大分違うが、どこかちぐはぐな感じが見て取れる。

 大人と子供の中間の清らかな部分をもった、この世でもっとも綺麗で儚い存在。

 

 だから……ここで何をしようとしていたのかは”わかっているつもり”だ。

 

 それは”同じ女”としての本能だけでなく、一人の母親としてのものもあった。

 

 このぐらいの年の子は全く知らない言語で喋る。

 自分も例外なく同じだったから、そうなのだろう。清楚で育ちの良い子でもその辺は例外ではなかった。

 

 そしてこのように危うい感じを少なからずもってしまう。

 その解消法だけがおのおので違っているだけだ。

 場合によっては合法非合法すれすれのことをしてみたり、年不相応の嗜好品(しこうひん)で背伸びしてみたり、行きずりの男と寝たりと、”何かしら”のアクションを必要とするのだ。

 

 そこには良いも悪いもない、ただ仕方なく、寂しいから、自分を見てくれないから等、若さと可愛さを含ませたアピールを彼女たちはするだけだった。

 

 ただ、まだそれらは可愛いもので、もっと深刻に、むしろナチュラルにそれを追求すると、あまり良いことにならないこともある。

 

 この少女はその良くない感じがする。

 今だって、こちらの隙のようなものを伺っている感じがする。

 ちょっと目を離せばすぐにでも逃げ出すか、今にも飛び掛かってくるような、そんな不安定な素振りがある。

 

 自分はそこまでおせっかいなたちではない。

 それどころか他人にそれほど関心がないと言ってもいいだろう。

 特に今は考えなければならないことが多すぎて、それどころではないのだから。

 

 でも……このままでいいとはさすがに思えなかったから。

 

(……はぁ、面倒だけど仕方ないか。今日も疲れたからさっさと帰って寝たかったのに……まあ、いいけどね。このまま放っておくには危うい感じもするし)

 

 女性は先ほどまでやっていた面倒なプレゼンを思い出して憂鬱な気分になった。

 自分の商品を置いてもらう為とはいえ、ここまで(へりくだ)なければならないのは単純なストレスだった。

 それでもセクハラされなかっただけでもまだマシなのかもしれない。

 

(でも、もしそうなったら……わたしはどうするだろうか?)

 

 多分、口やら手やら足やらだして断固拒否するだろう。

 下に見られるのは仕方ない部分もあるが、慣習とか、利己的な付き合いなどまっぴらごめんだった。

 そういったことは前職でもしょっちゅうだったし、ある意味どうしようもない部分もあるけど、せっかく異業種でやり直すことにしたんだから、出来る限りクリーンで行きたい。

 

 そのせいで生きづらくなるかもしれないけど、それはそれと割り切るしかないんだ。

 

 でもどうしてもストレスは溜まってしまう。

 それを解消しようといつもの様に夜の峠を自分のペースで(法定速度を少々オーバーする程度)気持ちよく走っていたときに見てしまったのだ。

 

 そのまま見て見ぬふりで通り過ぎてもよかったことなのに、どうしても気になってしまった。

 

 なんとなく面倒ごとになりそうな気はしていたが、予想とは少し違うがトラブルの匂いはしている。

 ”わたし”は更なるストレスの火種を自分で拾ってしまったと少し後悔した。

 

 それでもトラブルは最小限に食い止めねばならない。

 前職でもそうやってなるべくスマートに対応してきたのだから。

 

「えっと、学生さん? そろそろ帰ったほうがいいんじゃない。親御さん心配してるわよ」

 

 ありきたりすぎる言葉を、先ほどの営業スマイルとはちょっと違った感じで作ってみた。

 その笑顔は無理したためか少し引きつっていたが、蛍は相変わらず背を向けたままだったし、暗がりだったので誰にも見られてはいなかった。

 

「あ。これあなたのもの? ちょっと借りるわね」

 

 女性は誤魔化すように蛍の隣にぴょんと移動すると、ずっと地面を丸く照らし続けているペンライトを了解も得ずに拾い上げて、スイッチが入ったままの状態で蛍の方に向けた。

 

 蛍は全身を強い光で照らされたことで、サーチライトに射抜かれた脱走者のように全身をびくっと震わせると、狼狽えた表情でとっさに手で顔を覆った。

 

 蛍の姿を白く消し去るほど強い光に女性は慌てて、蛍の顔から光をずらした。

 ペンライトの小さい明かりがここまで強いとは思わなかった。

 

「今の()()()()ってこんなに明るいのね……あ、ごめんなさい、こんなに強い明かりだとは思わなかったから。小さいのに強い光が出せるのね」

 

 新しい玩具を買ってもらった時のような興味深い(子供みたいな)瞳でペンライトをまじまじと見つめていた。

 

「えっと、靴が脱げないのかしら? どれどれ……あぁ、これは酷いわね。これじゃあ足を委託しても無理ないわね。誰が結んだのかは知らないけど、すぐに脱がせてあげる」

 

 蛍の訝しそうに見つめる視線に気付き、女性は慌てたような愛想笑いを浮かべると、蛍の靴に明かりを向ける。

 ライトグリーンのトレッキングシューズには綺麗な赤い靴ヒモが括られていた。

 しかしその結び目は毒をもった蛇がとぐろをまいたような不気味さを醸し出しており、なんとも形容しがたい摩訶不思議な結び目をこんもりと作っていた。

 

(こんな酷い結び方で歩いてたんだ……)

 

 他人事のような感想を今更のように胸中で漏らす蛍。

 とりあえず脱げなければいいやと思って結んだ結果がこれだったのだ。

 

 靴ヒモの先端を引っ張ってみたり、結び目に指を掛けたりと、蛍とあまり変わらないことを女性は試してみるが、その程度で解けるならば苦労はしていない。

 無駄に頑固で意固地な靴ヒモがある男の飄々とした様子を思わせるようで、わけもなく女性は憤りを感じていた。

 

 これでは埒が明かないと思ったのか、ふいに腰に手を当てて立ち上がると、逡巡するようなそぶりで口元に手を当てていた。

 

「これは……ちょっとやそっとじゃ解けそうにないわね。こんなことが出来るには天才かかなりの不器用かというところね。やっぱり切るしかないのかぁ……」

 

 女性は匙を投げたように肩をすくめた。

 

 結んだ本人を目の前にして散々な言いようだが、このマンデルブロ集合図のような独特の結び目は、そう言われても仕方のないほど、複雑怪奇な出来をしていた。

 

 女性は物思うような仕草で辺りを見渡すと、少女の手に今だ小さな金属片が握られているのに気付いた。

 その先端が鋭角であることでハサミであることがわかった。

 蛍がしゃがみ込みながら何をしようとしていたのかをようやく理解することが出来た。

 

「あなた、それで切ろうとしていたのよね?」

 

 蛍は黙って頷く。

 ほかに何の目的があってハサミを握るのだろうと蛍は思ったが口には出さなかった。

 

「そうよね、やっぱりそれしかないか」

 

 大人の女性は納得したように何度も頷いた。

 ブランド物のような真新しそうなスーツは今やしっかりと皺が寄ってしまっている。

 

 忙しさと疲れが服に皺を刻んでいるのだと蛍は思った。

 

「じゃあ、切ってあげるからハサミ貸してもらえる?」

 

 女性は口角を引き上げて、この日最高クラスの精一杯の微笑みを作った。

 そこまで愛想よくする必要はない気はするが、念には念を入れたかった。

 

(一応刃物だしね。突然刺されるとか、シャレにならないから……)

 

 小動物をあやす様な優しい瞳を女性は湛えた。

 

 その瞳に絆されたように、蛍は無言のまま、手の中の十徳ナイフを反対に持ち替えて、おずおずと手渡す。

 その手は何かに怯えるように小刻みに震えていた。

 

「あ、でもっ!」

 

 女性がハサミを受け取るのと同時に蛍は切羽詰まったような声を上げた。

 これぐらい自分でやります、と二の句を継ごうとしたのだ。

 

「な、何っ!?」

 

 蛍が突然叫んだので、呼応するように女性も声を上げていた。

 

 二人は初めて目線を合わせていた。

 女性は蛍の瞳を見て、なんて綺麗で澄んだ瞳だろうと、漫画のような感想を抱いていた。

 蛍は女性の瞳に、母親のような暖かさと、懐かしさに触れたような、そんなノスタルジックな光景を垣間見ていた。

 

 蛍がじっと見ていると、女性は声には出さずに口だけを動かしてした。

 ”大丈夫”そんな唇の動きに蛍は女性の大人らしさを感じ取って、それ以上何も言えず、ただ黙って頷いていた。

 

 蛍の”了承”受け取ると、女性は器用な手つきでハサミを構えた。

 

 試しに柄の部分を何度か握ってみる。

 ハサミの刃は音も出すことなくスムーズに動いた。

 新品そうに見えるからか切れ味はなかなか良さそうだった。

 

 その刃の先端を靴ヒモの結び目のすぐ横の一本線にあてがう。

 何度も切ることはない、この一本切れば大丈夫なはず、女性はそう思ったので、一番切りやすく効果的な場所を選んだ。

 

「じゃあ、切るわよ、いいのよね?」

 

 最後の確認を取るように女性は蛍の目を見ながらはっきりとした声で尋ねる。

 蛍は口を結んだまま再度女性に向かって頷いた。

 

 蛍からの無言の了解を得ると、女性は靴ヒモに狙いを定めた。

 アウトドア専用の靴ヒモと言っても、何も鉄や銅が練り込んでいるわけでもない、所詮はtだのヒモなのだ、切ろうと思えばそれほど難しくはない。

 このハサミも小さいながらもちゃんとしたメーカー品なので、見た目以上の切れ味をもっていた。

 

 蛍は無意識に身体に力を入れたまま、黙って行く末を見守っていた。

 

「……」

 

 靴ヒモを切るぐらいものの数秒もかからず終わることなのに、女性はハサミを構えたまま一向に動こうとはしなかった。

 それは何かに魅入られてたように不自然な行為だったので、蛍は女性の顔色を窺うように覗きみる。

 

 本当に何かが取り憑いたのだろうか? 女性はハサミを握ったまま、何やらぶつぶつと呟いていた。

 

 そして、突然唸り出すと、そのまましばらくの間黙っていた。

 

 あまりに異様な様子に蛍は唾をのみ込んでいた。

 

「やっぱり、勿体ない……わよね」

 

 女性がぼそっと呟くのを蛍は聞き逃さなかった。

 怨恨が乗り移ったような所為は、単純にものを大事にしたかったからの葛藤から? 来るものだったらしい。

 

 蛍は少し当惑した様子で愛想笑いを浮かべながら、先ほど口にしなかったことを今度はちゃんと言うことにした。

 

「あ、あの~、自分でやりますから」

 

 気遣うような声色で蛍は話しかける。

 相手が年上の女性とわかってはいても緊張してしまう、それは家政婦の吉村さんとは違ったタイプだとわかっていたから。

 

 でも、不思議と初対面という感じはない。

 

(どこかであったことが、ある?)

 

 蛍は小首を傾げて目の前の女性を改めて見てみるが、見覚えがあるような気がする。

 咄嗟に名前は出てこないが、どこかであったような記憶がある。

 

 曖昧な記憶を手繰り寄せるようにじろじろ女性を観察していると、その視線に気付いたのか、女性はすっと立ち上がった。

 

 その服装と体つきは明らかに大人の女性であり、商談にでも行ってきたような上下ばっちりとしたスーツ姿で、夏だというのに全身黒ずくめだった。

 

 いかにも仕事の出来そうな格好をしていたが、似つかわしくない違和感があった。

 キッチリとしたスーツには似合わない独特の香り、それは食欲を誘うような確かな香りだった。

 

「ねぇ、()()()、少しは歩ける?」

 

 誰に話しかけているのか直ぐにはわからなかったが、それが自分であることに蛍は今初めて気づいたように目を見開いて固まっていた。

 蛍はどう答えていいかわからず、首を人形のように僅かに上下に揺らす。

 

 緊張のあまり、喉が張り付いて声の出し方を忘れてしまったようだ。

 

 女性はその返事で何かを察したのか、突然蛍の目の前でくるりと向きを変えると、背を向けたまま、地面にしゃがみこんだ。

 

 蛍は一瞬呆気に取られたが、女性が何をしようとしているのかがわかると、顔を真っ赤にして手を横にぶんぶんと振った。

 

「えっと! そこまでしてもらわなくても、大丈夫です」

 

 蛍は女性の厚意を拒否すると、小声で何度も大丈夫と繰り返した。

 が、相手はその答えがくることに先刻承知済みだった。

 

「いいから乗って、そんなに遠くはないから」

 

 顔だけをこちらに向けて女性が少し語気を強めてそう蛍に告げた。

 遠くの意味がわからなかったが、選択の余地がなさそうだった。

 このまま拒み続けていたら、無理やりにでも背負わされそうな気がするので、蛍はその厚意を受けることにした。

 

「お邪魔します……」

 

 少し場違いな挨拶をしながら蛍は女性の背にしがみついた。

 これまで感じたことのない大きな背中だった、厳密には家政婦のほうが大きな背中をしていたのだが、それは幼少期までのことで、蛍が成長してくるとむしろ家政婦の背中はこんなに小さかったのかと目を丸くするほどだった。

 

 そんな成人した蛍を女性は少しふらつきながらも背負いきった。

 蛍は大人の優しさを今初めて知ったかのようなときめきと感嘆を覚えた。

 

(この人はなんでこんなにわたしにしてくれるの?)

 

 蛍は背に揺られながらその疑問を投げかけようとしたがやめた。

 きっとこの人ははぐらかすようなことしか言わない気がするから。

 ゆりかごに乗った赤ん坊のように、ただじっと素肌の感触を楽しみながら甘えることにした。

 

 一つの塊となった影が山道をとぼとぼと下っていく。

 その姿は身の丈よりも大きな殻を背負って、それでも前に進んでいくでんでんむしのようなゆっくりとした足取りだった。

 

 蛍が成り行きをはらはらしながら見守っていると、坂を下った先にある緊急の待避所のような場所で、黄色いライトを点滅させている黒い影があるのを見た。

 

 それは少し前に通り過ぎた軽自動車に似ていた。

 ナンバーは覚えていないが、恐らく同じ車だろう。

 田舎の夜の峠道に来る車なんてそうそういるものでもないし、何よりその方が辻褄があっていた。

 

(でも、それだとわざわざ戻ってきてくれたことになる。なんでそこまでして……?)

 

 蛍は無償で背を貸してくれている女性に何らかの心当たりがないか、もう一度考えてみた。

 

 ……何か思い出せそうで思い出せない。

 モヤモヤした感情が曇り空のように蛍の心に溜まっていった。

 

 カチッ、カチッ。

 規則的な機械音が蛍のもやもやを打ち消すように山肌に響く。

 暗闇の中、白いガードレールの先に黒い輪郭を保ったままの軽自動車の姿がぼんやりと浮かび上がっていた。

 

 海の底のような深い青のボディーカラーに、真珠を思わせる白のルーフがのった、親しみやすい(女子受け)デザインの車だった。

 

(あれ? やっぱり見覚えがある気がするけど……こんな色だったかな?)

 

 背負われていることを忘れたように蛍が首を傾げていると、背負っている女性は荒い息を何度も付きながらようやくここまでたどり着いた。

 

「はぁ、はぁ……やっぱり、年齢には、はぁ、勝てないか……」

 

 これでも若いころは部活でキャプテンを務めたこともある、などと”お決まりな”ことを口走りそうになったが、その戯言を飲み込んで最後の力を振り絞らんばかりに、車のドアに手を掛ける、

 

 それは正確にはドアではなくて、そのドアの横に付いている黒いボタン(リクセストスイッチ)を押したのだった。

 

 若干震え気味の指先でそれに触れると、ピピッ、と小鳥の囀りのような小さな音がして車のロックが外れたようだった。

 それと同時に車の両サイドに付いたドアミラーが開閉していく。

 

 深い夜の中ではドアミラーの開閉音がことさら大きく聞こえていた。

 その音は、かつて蛍と燐が無人の作業車に襲われたときと、同じタイプの音だった。

 蛍はそのことを一瞬思い出して、少し身を竦めた。

 

 女性は生まれたての小鹿のように膝を震わせながら、ドアを開けようと手を伸ばすも、おんぶしたままの片手では上手く力が伝わらないのか、鍵の掛かっていない薄い鉄の扉程度も開けることが出来なかった。

 

「あっ、わたしがやります」

 

 蛍は気付いたように声をあげると、背負われた体勢のままで右手を精一杯伸ばして、銀のドアノブを掴む。

 

 冷蔵庫のドアノブにも似た銀の取っ手を蛍は思いっきり引っ張った。

 

 ばくん、と空気が抜けたような軽い音がして、助手席のドアが開いた。

 同時に柔らかい感じの間接照明が珍しい客を歓迎するように光を外まで零していた。

 

 女性はお礼を言う余裕もなく、うなだれるように小さく頷くと、頭をぶつけない様に注意しながら、蛍を座席に押し込んだ。

 

 ベージュとネイビーの二色構成の車内は四角い鳥かごのようにこじんまりとしていた。

 車内にはエアコンのひんやりとした残り香と、粉っぽい独特の香りが入り混じって、彷徨うようかのに漂っていた。

 

 蛍はこの車の内装にもやはり見覚えがあるような気がしたが、それを口にすることはなかった。

 

「……はあ、これぐらいで疲れるなんて、やっぱり年かなぁ……まだまだ若いとは思ってるんだけどねぇ」

 

 開いたままのドアに身をもたせながら、女性はため息交じりの吐息を疲れ果てたように吐き出した。

 その顔には汗がびっしりと浮かんでいたが、女性らしい眼差しはまだ保ったままだった。

 綺麗で素敵な人だなと蛍は素直に思った。

 

「あ、ありがとうございます。おかげで助かりました」

 

 蛍はベージュのファブリックシートにちょこんと座ったまま、仏蘭西人形のように足を揃えて、丁寧にお辞儀をした。

 

 重い荷物を届けてきた宅配業者のような疲れ顔していた女性は汗を拭いながらも少し満足げな表情で蛍に微笑んだ。

 

 純粋な()()()微笑みだった。

 

 

 …………

 ………

 ……

 

 闇がまだ留まっている時刻。

 

 白いシートにキチンと腰掛けながら、蛍は心配そうに自分の足を見ていた。

 正確には足ではなく、その傍らでどうにかして靴を脱がそうとしてる人を見持っていた。

 あれから少し時間が経ったが、靴は蛍の両足に嵌まったままだった。

 

 偶然出会った細身の女性、その人は今だに靴ヒモとの格闘を続けていた。

 当の蛍は、すでに戦いを放棄しているのに。

 

「あの。やっぱり、切っちゃってください。別にそこまで思い入れのあるものでもないですし」

 

 蛍の言う通り靴ヒモに思い入れのあるものなど、そこまでいるわけではない。

 何故なら靴ヒモは消耗品だったからだ。

 紐が切れたら新しい紐を通せばいいだけのこと、それで靴は元通りになるのだから。

 

 だが、女性は蛍の言葉を軽く流す素振りをみせるだけで、靴ヒモとの戦いを止める気などないようだ。

 

 なにがそこまで彼女を掻き立てるのかはわからない。

 本人もよくわかってないのに、蛍がわかるはずもなかった。

 

「なんで、こんなにっ、固いのかしらっ、ね!」

 

 切るのは簡単に済むだろう、その為のハサミもある。

 良い紐であるのは確かだが彼女の言う通りそこまで値の張るもの、珍しいものでもない。

 

 どうみても普通の靴ヒモとしか言いようがない。

 アウトドア用になにかの繊維が編まれているかもしれないけど、それを込みにしても普通の部類だろう。

 それでも切るに至らないのには、一体なぜなのか。

 

(ここまできたらただの意地? なのかしら。本当にただそれだけなの?)

 

 よくわからなくなってくる。

 ただ勿体ないだけではない、かと言ってこれという理由もない。

 一度手をつけた以上、何とか解いてみたいのはある意味人間の心理かもしれないが………。

 

 何かが胸につかえている、そんな感じがずっとしていた。

 

(何か大事なことを忘れてるような気がする。何だろう、()()()()()()()()()()()()()と思わせる何かが……)

 

 ついに紐をほどくのを諦めたのか、額に指を乗せて女性は考えこんでいた。

 

 蛍にしてみれば考える必要などなかった。

 だってハサミで紐を切るだけのことなのだから、それでこの問題は解決するのに。

 でも、そう思うだけで口にすることも、自分でハサミをとって切ることもしなかった。

 

 何故かはわからないが、自分で切ってしまうのは何かこの女性との信頼的なものを裏切る気がしたのだ。

 

 ただの靴紐は今や二人の運命の糸と成り代わっていた。

 

 長考の時間は無駄に時の長さを感じさせて、蛍を不安にさせる。

 言いようのない焦燥感を覚えて、蛍はたまらず声を掛けた。

 

「あの、何か()()()でも、あるんです、か?」

 

 特に何かを示す言葉ではなかった、ただなんとなく口から出た言葉だった。

 

 目の前で考え込んでいる女性は蛍の問いに何かを閃いたのか、思い立ったように後部座席のドアを開け座席に飛び乗ると、ラゲッジスペースの下あたりをごそごそと探り出した。

 

 蛍が呆気にとられたようにその行動を見守っていると、お目当てのものを見つけたのか、女性は嬉しそうに何かを抱えて戻ってきた。

 

 それはシンプルなエコバッグだった。

 

(探していたものってこれ? でも、今必要なのかな?)

 

 蛍は女性の行動がいまだ理解できなかった。 

 

「そうそう、これこれ。必要だから持っていけって言われていたのよね」

 

 女性がエコバッグから取り出したのは、何の変哲もない文房具の”ゼムクリップ”だった。

 わざわざ目の前で見せられても、普通のクリップと特に変わりはないように見える。

 特殊な仕掛けもなさそうだし大きさも形も至って普通であり、強いて言うなら色がピンク色なぐらいで、普通の細長いクリップとか言いようがなかった。

 

 蛍が不思議そうな顔でまざまざとクリップ見ていると、女性は細い指先でクリップの先端を摘まんで少し広げると、釣り針のような形を作った。

 それを反対に持ち替えて、先端部分を幾重にも結び目の中に差し込んで、片方の手で支えながら少しずつ、解きほぐすように引っ張った。

 

 見た目以上に地味で緻密な作業に、女性は時を忘れたかのように没頭していた。

 こういうのが好きなタイプなのかもしれない。

 

 蛍も固唾を飲んでその一部始終を見守っていた。

 

「……」

 

 瞬きを忘れる程度の時間が過ぎたころ、すべての作業はつつがなく終了した。

 

「なんとか………解けたみたいね」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 ほどなくして蛍の左足は靴の束縛から解放されることになった。

 女性の手伝いを受けながら蛍は何時間ぶりに素足を出そうとすると、急に痛みが襲ってきた。

 

「痛っ!」

 

 靴を履いていたときよりも強い激痛に蛍は顔をしかめた。

 

 ちゃんとサイズも合わせて、トレッキングシューズので歩き方や、十分な鳴らしもしておいたのに。

 

 信じられないような顔つきの蛍を察したのか、女性はトレッキングシューズを手に取ってしげしげと眺める。

 

 そして一つの結論をだした。

 

「靴ひもの結び方が問題だったかもしれないわね。かなり個性的な結び方になってたし。それと長い時間履いてたんじゃない? ちょっと足がむくんできてるみたいだし」

 

「あ……それでかも」

 

 蛍は納得したように頷いた。

 

 家を出た時から一度も靴を脱がなかったし、緩めることもなかったのが、足に負担を与えていたんだろう。

 それに風車まで行ければいいと思ってたから、追加でこんなに歩くとは思わなかったところもあった。

 

「とりあえずタイツは脱いでおいた方がいいわね。それと、はい。痛いところに貼っておくと少しは楽になると思うわ」

 

 女性がエコバッグから再び取り出したのは……小さな四角い箱。

 パッケージで絆創膏であることはわかった。

 

「あ、ありがとうございます。でも……」

 

 その後に続く語句を蛍はなんとなく飲み込んだ。

 特に聞かねばならないことでもなかったし、それは人柄的なもののような気がしたから。

 

「そうよね。やたらと()()()()()のよね」

 

 呆れたような、それでいて感心したような言葉を女性は口にした。

 

 その他人事のような口ぶりに蛍は違和感を覚えるが、プライベートなことのような気がしてそれいじょう踏み込む気はなかった。

 

「その……実はね」

 

 目の前の女性が少し勿体ぶった言い方であるものを見せる。

 少し緊張した目の色に、蛍は思わず唾をのみ込んでいた。

 

「替えの靴下も……あるのよ……どうする?」

 

「えっ?」

 

 目を丸くしたまま、蛍は理解できないように首をかしげていた。

 この女性は”そういった関係”の仕事をしているのだろうか? 例えば古着屋さんとかそういうアパレル関係の仕事、とか……。

 

(でも、車の中の匂いはそれとは違う……どちらかというと……)

 

 蛍が何かを探るように目を閉じで匂いを嗅いでいるのに気付いた女性は、慌てたように言った。

 

「ああ、ごめんなさい、さっきから匂ってるでしょ? 配達の時もこの車を使ってるからどうしても残っちゃうのよね」

 

「もしかしてパン屋さん、とか?」

 

「そう、ご名答! っていうか、まだオープン前なのよね。今日だって顧客についてもらう為に、うちの新製品を納品しにいった帰りのなのよ……パン屋って楽に始められるかと思ったんだけど、結構競争相手も多いし、資金ばかりかさむのよねぇ……」

 

 額に軽く手を乗せて、女性は蛍が聞いていないことまでとつとつと語りだした。

 なんでもできそうな人に見えるのに、意外と苦労してやっていることに少し親近感を覚えてしまう。

 

「あ、ごめんなさいね。変な事言っちゃって! とりあえずこれ絆創膏貼った後にでも履いてみて。多分、サイズは合ってると思うから。あ! いちおう新品だから大丈夫よ」

 

「はい……」

 

 蛍は半ば強引に靴下を受け取る。

 可愛らしいピンクのスクールソックスに、猫の顔のワンポイントが付いていた。

 見覚えのあるメーカーのものだった。

 

「じゃあ、悪いけど自分でケアしておいてね。今、あなたの荷物取ってくるから」

 

 声をかける間もなく女性は助手席のドアを閉めると、そのまま駆け出して行った。

 車内に一人取り残された蛍は、ちょうどよい温度の空調の風に少し身を委ねる。

 

 はあ、と大きなため息を付くと、言われた通り華奢な足を包んでいた、黒いタイツを脱いで赤く擦れていた踵に絆創膏を張り付けた。

 冷たい絆創膏にちょっとびっくりしたような声を上げるが、貼った直後から何かの薬効があったみたいにじんわりと浸透していく感じがあった。

 

 不思議に思いパッケージをよく見ると既存のものとは少し違い、キズ専用のものらしかった。

 さらには靴ずれ用とまで記載してあったので、ほぼ専用のものと言ってもいい。

 女性の用意周到さに、僅かな違和感と、何とも言い難い既視感を覚えながら、蛍は両足にそれを張り付けた。

 その上から、先ほどの靴下をビニール袋から取り出して、足にはめてみる。

 

 すこし生地が厚いかと思ったが、意外なほど快適な履き心地に蛍専用に作られたものかと思い込むほどに足にフィットしていた。

 

 蛍はこの靴下の色とデザイン、そして気遣いが好きになった。

 

 

 蛍はクリーム色の座席で一人、膝を抱えながら、窓の外に映る月に首を傾ける。

 

 エアコンと小麦粉の匂いで満たされた車内は、安心とときめきが同居していた。

 この中から見る月の明かりは、静かに降る雪のような白さと安らぎに満ちていているように感じられて、蛍はその明かりに懐かしさを思い出していた。

 

 燐と一緒に廃墟の一室で身を寄せ合っていたときの柔らかさが急に蘇ってきて、蛍は悲嘆に暮れて胸元で膝を抱き寄せた。

 

 

 ──ずっと不条理のなかにいる。

 それはいついかなる時も傍にいて、こっちを誘うように見ているのだ。

 良いことも嫌なこともすべて、不条理の世界のなかに飲まれていく。

 それが嫌だったから、家を出てそこから救われようとしたのに。

 結局ダメでここにいる。

 

 自分とはなんと愚かなのだろうか。

 

 抗っても逃げてもダメならどうしたらいい。

 自分なりに受け入れようとしても、心の奥が受け入れてくれない。

 

 もっとも肝心なところが受け付けてくれないのだ。

 もう彼女は居ないという絶対的な事実を。

 

 それが悲しい、辛い。

 だからこそもう終わらせたかったのに、なにもかも全てを。

 

 他人とかどうでもいいのに、どうしてまた”他人”とかかわりあってるのだろうか。

 

 もうわたしが関わっていいのは自分だけ。

 後、月と星、そしてあの青と白の夢のなか。

 

 そこで待っている少女──燐。

 

 それしか無いのにどうして、こんなところで足の痛みに怯えてるんだろう。

 もう肉体なんて意味がないはずなのに。

 

 ……そうだ、こんな弱い足をしているからダメなんだ。

 

 燐もわたしの弱さにため息をついてたもんね。

 

 だったら、こんな体もう……要らないよね、邪魔くさいだけだし、燐に呆れられるしね。

 

 でも、なんだろう? 今になってそういうことではない気がする。

 燐が言いたかったのはちょっと違う気がするんだ、上手くは言えないけど……。

 

 ──燐は……何を言いたかったんだろう。

 

 ドキュメンタリー映画を見終わったような、夢見ごちの様相で、蛍は顔を上げた。

 

 少しの間夢を見ていた気がする。

 嘘のようなホントの夢、深淵の奥の深い底から掬い上げたような、ドロッとした夢。

 

 まだ終わっていない夢。

 

 

(そういえば、まだあの人戻ってこない……?)

 

 蛍は助手席の窓から見えるサイドミラーに目をやった。

 黒一色の世界が小さな鏡に映っているだけ、明かりも人影もなかった。

 

 色んな感情の混ざったため息を一つ付くと、蛍は所在無げに車内(インテリア)を見回した。

 まだ真新しい感じのする車内はベージュとネイビーの二色だけで構成されていた。

 シートはソファーのように座り心地もよく、清潔感があった。

 後部座席には何やら荷物が積まれているが、さすがにそれを見ようとは思わなかった。

 

 フロントには黒を基調にしたインパネとベージュのステアリングがモノトーンを演出していた。

 その上には計量器のようなレトロ調のスピードメーターが鎮座しており、その下には小さな液晶パネルがカラフルな付箋のように張り付いていた。

 

(燐が運転してた車の中もこんな感じだった気がする……)

 

 より一層の懐かしさを思い起こすものがないか、蛍は車内に二人の思い出を探してみる。

 目の前にあるタブレット端末のようなナビパネルに触ってみるが、希望のものを映すことなく、黒い画面のまま静かに黙り込んでいた。

 

 燐は初めての車の運転に戸惑いながらも一生懸命になってくれていた。

 悲鳴を上げたり、時には一緒になって慰め合った狭い空間に二人きり。

 二人だけの時間は嫌いじゃなかった、むしろとても好きだった。

 

 運転させてばっかりだった燐には悪いと思っているけど、二人の距離が近くて、そしてとても新鮮だった、二人だけの夜のドライブ。

 

 長い時間じゃなかったけど、プールの時と同じ、もしかしたらそれ以上に素敵な時間だった。

 

(わたしは。もう一度……ううん、ずっとあのままどこまでも行けたらいいのにと思っていたんだよ、燐)

 

 ラジオから聞こえてきた歌を二人で唄ったこともあった。

 遠い記憶、もう戻れないあの夜の二重奏は忘れらない思い出だったはずなのに。

 

「あれ?」

 

 何故か今は曲が思い出せそうになっている、あの潮騒のようなメロディーも、叙情的な歌詞も湯水のように頭に流れ込んでくる。

 

 そして、そのタイトルも。

 

「確か……”例えば月の階段で”だっけ? あれ? 普通に思い出せた。でも……」

 

 その事が思い出せたことに不思議と違和感がなかった。

 まるで最初からわかっていたかのように、頭の中に歌詞もメロディも浮かんでくる。

 

 蛍は試しに曲のメロディーを口ずさんでみる。

 忘れかけた記憶に一つづつ、ペンで印を付けるような丁寧さをもって曲を紡いだ。

 

 美しい旋律があのときの思い出とともに蛍に歌を作り出した。

 一人で歌うことの心地よさと、自由、そして寂しさと悲しさが四重奏となって車内を彩る。

 胸中に秘めた想いを混ぜ合わせて蛍は歌った。

 

 一緒に歌ったもう一人の少女、燐に想いを伝えるように、糸を紡ぐように丁寧なリズムで。

 

 

「素敵な歌ね」

 

 いつ戻ってきたのだろう、いつの間にか女性が運転席に座っていた。

 蛍は歌うのを止めると恥ずかしそうに俯いて、じっと貝のように閉じこもってしまった。

 

「あ、ごめんなさい、気にせず歌っていてもいいのに。とてもきれいな歌声だったわよ」

 

「そ、そんなこと、ない、です」

 

 たどたどしい口ぶりで蛍は一層恥ずかしそうに答えた。

 耳まで真っ赤にしたその姿に女性はなおも可愛さを強調しようとしたが、これ以上は困らせてしまうと思ってやめておいた。

 

「ちょっとは元気になったみたいね。どう? 何か飲む? 水とお茶があるけど」

 

 両手にそれぞれのペットボトルを持って、催促するように蛍の目の前に差し出した。

 

「でも……」

 

「遠慮することないのよ。これはあなたの為に用意したんだから。もっともわたしが用意したわけじゃないんだけどね」

 

 まただ、含みを持たせたもの言いに蛍は妙な違和感を感じていた。

 

 勿体ぶった感じに聞こえるが、本人も話半分と言った感じのニュアンスに聞こえる。

 わかっているようで本当のところはわかっていないような、そんな曖昧さを感じさせた。

 

「じゃあ、お水いただけますか?」

 

 透明なペットボトルのほうを蛍は遠慮がちに指さした。

 

「あら、そう? 烏龍茶嫌い?」

 

「いえ、そうじゃないんですけど……」

 

 さすがにお茶の方を受け取る気にはなれなかった。

 好意で貰うものだし、それになにより気が利ききすぎている気がしていたのだ。

 それはこうなることを予想していたかのような周到さが、どうにも気になってしまう。

 

「チョコレートもあるわよ。 食べるでしょ?」

 

 女性は蛍の返事を待つことなく、赤い包装紙の板チョコを半分に割った。

 

 パキッ、と耳障りの良い音を立てて半分になったチョコレートを手渡される。

 

 ……当然のようにこちらの欠片のほうが大きかった。

 

「どうしたの? 甘いもの嫌い?」

 

「あ、いえ……」

 

 蛍はじっと見つめられていることに、羞恥心を覚えて、慌ててチョコを無理やり口に押し込んだ。

 甘さを口内で味わうことなく、慌てた様子で水をぐっと飲みこんだ。

 

「はあ……」

 

「そんなに急いで食べて、よっぽどお腹が空いていたのね。あ、そうだ、だったらこれ、食べてみる?」

 

 蛍の異様な食べっぷりに一瞬目を丸くした女性だったが、それで何かを思いついたのか、再びバッグの中から何かを取り出した。

 

「これは……パンですか?」

 

「そう。一応新商品っていうか、試作品かな? まだこれといって目玉の商品がないのよね。色々試してはいるんだけど……で! 良かったら食べてみてくれない? 自分たちだけじゃよくわからないから、他の人の感想も聞きたいのよ」

 

「はあ……」

 

 これまでの合理的な口調と違って興奮気味に話す女性に蛍は少し驚いてしまって、つい気の抜けた返事をしてしまった。

 

 女性は気を悪くした表情も見せずにその”試作品”を蛍の手に握らせる。

 それは我が子の成長を見せるような女らしい、よく言えば”母親”そのものを端正な顔に宿していた。

 

「毎日試作品のパンばっかり食べてるから、いい加減舌がおかしくなってると思うのよね。でも、あなたなら大丈夫そうだし、それに同じぐらいの女の子をぐらいからをターゲットにしてるから参考になると思うのよね~。それに最近は体に良いものを選ぶ傾向があって……」

 

「あはは……」

 

 余程自信があるのか、一方的に話す女性を蛍は愛想笑いを浮かべながら聞き流していた。

 熱心な話を尚も続けるが、蛍には話の半分も理解できなかった。

 

 でも、わかったこともある。

 

(つまり……正直に食べた感想を言えばいいってことだよね。でも……変なこと言ったら気を悪くしちゃうかも。それとも無理してでも美味しいって言ったほうがいいのかな?)

 

 蛍は女性の熱意から責任を感じたのか、食べる前からあれこれ考えだしていた。

 このパン一つで店の命運が掛かってるかのように思えて、蛍はまだパンを胃に収める前に言いようのない満腹感があった。

 

「あ、ごめんねー。なんか一人で喋っちゃって。とりあえず食べてみて、感想はともかくお腹空いてるんでしょ。味は保証するから、ね」

 

「え、あ、はい……」

 

 謎のプレッシャーからか、そこまでお腹が空いてるわけではなかったが、断り切れない空気になってしまったので、少し気がのらないが、蛍は食べる決心をした。

 

(とりあえず食べてから考えよう……)

 

 そう決めた蛍は、食べる前にペットボトルの水を口に含んで、うがいをするように口内をむぐむぐと水でかき回すと、口元を手で隠しながらそれを飲み込んだ。

 

 その後で改めて渡された茶色の紙袋を開けてみる、ビニールに包まれた円形のパンが蛍を待ちかねたようにその姿を現した。

 

 小ぶりなパンは深い緑色をしておりその表面には楕円形の豆のようなものが埋め込まれているようだった。

 

「これってもしかしてベーグルですか?」

 

 リング状の形を見た時、ドーナツではないかと思ったが、そのふっくらとした仕上がりでベーグルだと蛍は気付いた。

 

「そう、ベーグルなのよね……わたしとしてはガッツリとした総菜パンとかメロンパンを中心に売りたいんだけど、ベーグルの方がいいって言われてるのよねぇ……」

 

 女性の口ぶりには多少の落胆と苛立ちが含まれているように聞こえた。

 

「ベーグルのほうが女子受けがいいのは知ってるんだけど、小平口町はそんなに居ないみたいだから、サンドウィッチとかカレーパンの方がいいと思ってるんだけど……。どう? やっぱり女子だからベーグルのほうが良い?」

 

 突然話を振られて蛍は慌てふためいてしまう。

 

「あ、えっと……ベーグルのほうが可愛い、と思います……」

 

 女性は蛍の女子らしい意見に苦笑いを浮かべると、生産者的な意見も交えてさらに話を続けた。

 

「まあ、わたしも女だからベーグルがどの程度のものかわかってはいるけどね。でも材料がねえ、通常のパンで使う材料を使わないから結構手間かかるのよね。プレーンだけならいいんだけど、これみたいに生地にいろいろ混ぜたりして種類を増やさないと目を引かないしねぇ……」

 

 パンなんて作ったものをショーケースに並べればいいのかと思っていた蛍には、この女性の苦悩が表情が理解できなかった。

 

 確かにたくさんの種類のパンがあれば華やかにはなるけれど、作る方はそれほど簡単なことではないらしい。

 

 女性はどこから取り出したのかレポートのようなものに目を落としながら、何やらぶつぶつとまた言い出した。

 

 蛍はその様子を横目で見ながら、緑に染まったドーナツ状のパンに、豆のようなものが埋め込まれているのに気づき、はしたないとは思いつつもそれだけを穿って口に入れてみる。

 

(小豆かな、これ? ほんのり塩味で柔らかい)

 

 ふっくらと煮詰めた小豆の柔らかさに心奪われると、これと組み合わせたベーグルを味わってみたい気持ちが沸々と湧いてきた。

 

 女性はと言うと、スマホだけでなくタブレット端末も取り出して、一人会議の真っ最中のようだ。

 

 蛍は小さく笑うと、緑色した円形状のベーグルをつぶさにみやる。

 

 お茶のいい香りが鼻を刺激する。

 鮮やかな緑は上質な茶葉を思わせて、蛍は一面に広がる茶畑を夢想した。

 

 お茶で有名な県下ではこのようにお茶を使った料理はそれなりにあるし、別段珍しいものでもない。

 

 それでも地元民なら常日頃からあるお茶はいわゆるソウルフード。

 故郷を懐かしむことの出来る思い出の味なのだ。

 それこそ、マドレーヌを食べて昔を懐かしむような、忘れられない味。

 

 このベーグルにはその想いを感じさせる。

 上手くは言えないけど、忘れてほしくないものがここには詰まっている感じが蛍にはしたのだ。

 

 蛍はそれを少しかじってみる。

 

 もちもちとしたベーグル特有の触感と弾力感がたまらなかった。

 中にはこの硬さが嫌という人もいるようだが、普通のパンにはないこの強めの弾力感がベーグルの持ち味と蛍は思っていた。

 

 ドーナツ生地のようなしっとり感とも、バゲットのような硬さとも違う、このもちっとした感じが歯に心地よさを与えてくる。

 そこに抹茶の清涼感のある味わいとほっこりとした小豆の甘みが絶妙だった。

 

(これ、宇治金時をイメージしたベーグルなんだ)

 

 県内の女子生徒ならば嫌いな人はいないと思われる宇治金時(誇張含む)

 それが女子に人気のベーグルに練り込まれている。

 

 ──映えること間違いなし、な気がする。

 

 蛍は何も考えずに残りも全部食べてしまった。

 後から気付いたが、半分だけのときに写真も撮って置けばよかったと思った。

 

 そこまでお腹は空いてなかったはずなのに、食べてしまった。

 自分で思ってたよりもお腹が空いていたのかもしれない、ずっと歩いてばっかりだったし。

 

「ごちそうさまでした……」 

 

 蛍は恥ずかしそうに紙袋をぎゅっと丸めていた。

 

「どう? 美味しかった?」

 

 会議に決着が着いたのか、女性が自信満々の様子とは違った、少し窺うような表情で感想を聞いてくる。

 蛍の満足気な表情と、空のビニール袋で答えを聞くまでもないのだが、生のリサーチが聞きたいのか、ちょっと急かす様に問いかけた。

 

「あ、はい……」

 

 蛍は一拍おいて、感想を言った。

 

「美味しかったです……とても」

 

 甘いものを食べた幸福感と満足感が素直な感想を蛍に言わせていた。

 なんとなく女性の顔を見ることができなくて、空の紙袋を見ながらぽつりとそう蛍は呟いた。

 

「はぁーーー、やっぱりね」

 

 落胆したような言葉を出すが、それほど悲しい感じはしない。

 むしろ喜んでいるような感じの声色だった。

 

「う~ん……でも、なあ……」

 

 肩まである黒髪をかき上げながら、女性は悩むような、それでいて喜んでいるようなそぶりを見せていた。

 

 蛍はその様子を後目にして、ペットボトルの残りをちびちびと飲んでいた。

 

「ふぁ……」

 

 急に欠伸が出てきて、蛍は思わず口を手で塞いだ。

 消費した分のカロリーが摂取できたおかげなのか、それともまた睡眠薬の魔力がむくむくと蘇ったのか。

 

 異様な眠気を感じ、蛍は何度も目を擦った。

 

「疲れたんでしょ? 寝てて良いわよ。()()()()()()()()()起こしてあげるから」

 

 安堵したような表情を浮かべながら、女性は思い出したかのようにシートベルトを締める。 それを見て、蛍も重い瞼を薄くしてシートベルトをなんとか自力で締めた。

 

 カチリ、と小さい音がすると何故か安心することが出来た。

 いい感じに眠れそう、蛍は薄れゆく意識の中でそれだけを思っていた。

 

 先ほど女性が言ったことに何の疑問も持たずにただ、寝ることだけに意識を向ける。

 

「ごめんなさい……すこし、寝ます……」

 

「ええ、疲れてるみたいだし、気にしなくていいわ」

 

「はい……ありがとう、ごさい、ます……」

 

 蛍はそれだけを言うと、すぐに寝息を立てて、眠りのなかに溶け込んでいった。

 

 少しやつれているようだが、穏やかな色相で規則的な寝息を立てている。

 

「やれやれ、一瞬人影を見て慌ててバックで戻ってきたんだけど、とんだ拾いものね」

 

 一番左にある、ペダルを踏みこんで、サイドブレーキ(パーキングブレーキ)を外す。

 左手を軽く添えて、ボタンを押したまま、サイドレバーをドライブの位置まで目で確認しながら下ろす。

 教習者と勝手の違うこの車の操作に手を焼いたこともあったが、今ではそこそこ操れるようなった。

 

 もっとも性格から来るものだろうか、普通のドライバーよりもスピードを出し過ぎる傾向があるようだが。

 

(まあ、事故らければ問題ないでしょ)

 

 初心者らしい甘い考えと怒られるだろうけど、このぐらいしかストレスの解消がないから仕方ない。

 後はアルコール類を飲んで寝るだけなんて侘しすぎるし。

 

 ちょっとぐらいスピードが出てもいいでしょ、田舎だし夜だし誰もいないしだし。

 

 でも今夜は、いつも以上よりもスピードを抑えて走る必要があるみたいね。

 

「眠り姫を起こしちゃ悪いしね」

 

 そういいながらも女性は普通以上のアクセルを強めに踏んだ。

 突然の鞭に、ライトグリーンの鉄の馬は嘶きのような強めの回転音を上げる。

 その音は蛍を起こすほどには至らなかったので、女性騎手は安堵の表情で微笑んだ。

 

 高い回転数のまま、軽自動車は坂道を下っていく。

 細いタイヤは車体をがくがくと揺らすが、それなりに安定はしていた。

 

 いつものペースで進んでいることに、改めて気付いて、アクセルペダルを少し開ける。

 

(わたし、ちょっと浮かれている? でも、なんでだろう)

 

 可愛らしい少女を隣に乗せているから?

 それとも珍しく他人に奉仕したから?

 

 良くわからないけど。

 

(なんだか、こういうの悪くないわね)

 

 高揚したような少し赤みがかった顔で再びアクセルペダルを少し強く踏む。

 まだローンの残っている軽自動車はそれに応えるように、スピードを出してくれた。

 

 

 鉄の馬車に揺られながら、蛍は暗い迷路のなかで何かが蠢くのを見ていた。

 

 

 それは蛍にだけ見えて。

 蛍にしか認知できない動物の姿だった。

 

 

 

 

 ────

 ───

 ──

 

 






ゆるキャン△ のアニメ2期楽しみだな~。とか言ってましたらば、ドラマ版もまさかの2期目やっちゃうとか思わなかった~!! 
かなり嬉しいサプライズですが、今から撮影に入るみたい? なので、スタッフさんにはぜひ頑張ってもらいたいところです。

ゆるキャン△ アニメ2期終わったら、即ドラマ版2期とは。特報映像でのどなたかのコメントでもありましたが、来年の前半期はゆるキャン△ づくしで楽しみですねぇ~。
昨今のキャンプブームの煽りもあって、かなり注目されそうですね。

ですが、ドラマも2期をやるとなると、気になるのはどこまでアニメ化&ドラマ化するかですねぇ。

浜松と磐田、河口湖となでしこのソロキャンは確定のようですが、映像化するのはそのエピソードまでなんでしょうか?

正直、1クール(12話?)の尺だと相当余るっていうか、ジャンプアニメ並みに尺稼ぎしないと持たない気がしますねぇ……。もしくはオリジナルエピソードでかなり話を稼ぐ必要が出てくるとは思います。むしろドラマアニメともに1期は原作に忠実過ぎたのかもしれないですけどねーーー。果たしてどうなることか……。
でも、まあへやキャン△ の5分アニメ版は実質オリジナル展開でしたから、アニオリで話を稼ぐのも十分ありそうですねー。

その辺りは楽しみでもあり、ちょっとだけ心配なところでもありますねー。
なんにせよ楽しみなのには違いないのですがっ。

それに私個人の予想ではやはり伊豆キャンは映画版になると思ってますねー。
代わりにテレビ版では伊豆キャンに行く直前、例えばリンがお爺ちゃんと共にバイクで走るシーンで終わるとか総いった前夜で終わって、続きは映画でね☆ みたいな感じかなーとか思ってます。
それか、原作ありアニメではたまにある、前倒しを使う可能性もありますねー。
伊豆キャンは会話程度でさらっと流して、千秋の断髪式や大井川キャンプを先にやってしまうことも考えられますね。
そうすれば尺も持ちますし、せっかくの新キャラでもある土岐綾乃の出番も増えますしねえ。っていうかそうじゃないと綾乃ちゃんの出番ってかなり少ないんだよね。原作だと正月に出たっきり、次の出番は伊豆キャンの後ですしねぇ……。

でも、伊豆キャンをテレビアニメでやらないと今度はあおいの妹のあかりの出番が、やはり正月だけになってしまう、かな?

こういった展開予想も結構楽しかったりするので、その辺りも気にしながら放送内容を妄想のも結構好きですよー。

そしてドラマ版……製作期間が結構カツカツな気がしますが、1期のようにアニメ版を参考にする時間がどうみてもないので、アニメと同じように原作を再現せざる得ないですねえ。
アニメとドラマで大きく解釈が変わる箇所もあるかもしれないですねー。
そういうのも含めて楽しみです。

そういえば艦これもキャンプネタをするようなので、コロナ禍において空前のキャンプブームが到来してるのかもしれないですね。

この調子だと来年もまだコロナの脅威は続きそうですしねえ……。


あ、最近私はキャンプではなく別のアウトドアにハマりつつあるのですが、それはまたの機会に~。

ではでは、それでは~。


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