We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life. 作:Towelie
(……何で、なんだろう?)
懐かしい感じがするのは。
湧き出た感情を燐は不思議に思っていた。
がたがたがたがた。
こんなに大きくてうるさい乗り物を、
ごうごうと地鳴りのような音を響かせて、角ばった黄色の重機は大きな車体を揺らしながら、雨で濡れた山の斜面を登っていた。
雨と濃霧のせいで視界は最悪であったが、夜間作業用のライトがついていたおかげで最低限の視界は確保できている。
今はそんなことよりも。
「ねぇ、燐。この音なんとかならないの? それに狭いクマー!」
そう言ってくまは呆れたように両手を頭に回そうとしたのだが。
「あいたっ!」
小さな拳が狭い天井にぶつかっていた。
「ちょっとぉ、壊したりしたら駄目なんだからね! こうして動いてくれたからいいけど、いつまた止まるかもしれないんだし」
「ボクの手よりも
くまはガンガンと重機の天井を手で叩く。
「だーかーらぁ」
燐はすぐ隣のくまをきっと睨んだ。
ブルドーザーには一人分の座席しかないのに、そこに少女が二人乗っているから狭苦しいと感じるのは当然だった。
「もうちょっと端に詰められないクマか。ボクさっきからお尻が痛くて」
柔らかいほっぺたをむにむにと押し付けながらくまがぐいぐいと燐の座る座席の端の方に乗っかってくる。
「あわわわっ」
そのせいで車体が少し右へと傾いてしまい、燐は反対の方角に慌ててハンドルを切って立て直した。
「もう、そんなに押し込んでこないでよっ。こっちは運転してるんだってばぁ」
困惑した顔で燐は抗議の声をあげる。
くまは悪びれたようすもみせずに、ぺろっと舌をだしていた。
このブルドーザーは元々一人用で、そこに二人も乗っているのだから狭いのは仕方がないのだが、余計なスイッチやレバーをくまが弄ってしまわないかと、燐としてはそっちの方が気がかりだった。
幸いにも車と同じハンドルとアクセルとブレーキがついていたから、普段の車の要領で運転することはできていた。
でもそれだけでいきなり運転できるような単純なものではなかった。工事の現場の人が作ったと思われる簡素な運転用のマニュアルが、プレハブ小屋の中の引き出しの中にブルドーザーの鍵と一緒に置いてあったのだ。
燐はそれに一通り目を通したあと、それでも慎重にこの重機を運転している。
もう少し練習なんかもしておきたかったのだが、早く早くと急かすくまに煽られる形で、ほとんどぶっつけ本番で運転することになってしまった。
いつも運転している軽自動車と違って、運転しているときの感じもその視界も明らかに異なっていた。
何より、ステアリング越しから伝わる馬力の振動というか、大きなエンジンのこの音に違和感しか湧いてこない。
多分、慣れるようなことはこの先ないと思う。
その現実感のなさに困惑しながらも、燐は武骨な大きなステアリングを離さないよう、両手でぎゅっと握っていた。
街灯なんてあるはずもない真っ暗な山道を吸気で進むのは、思った以上に疲労を伴うものだった。
その上、雨霧で覆われているのだから、スピードを出すことなんかできるはずもない。
燐は、零れそうに大きく目を見開いて、集中して運転するほかなかった。
「それにしてものんびりとした運転クマねぇ。スローすぎて欠伸がでちゃうクマ~」
そう言ってくまは言葉通り大きな欠伸を一つして、それを噛み殺していた。
燐は呑気なことを言うくまを訝しげに見ながら、どうにもしっくりとこない重機の運転に四苦八苦していた。
重機の足がキャタピラではなく、サイズの大きなタイヤだから、運転しやすいはずなのだが。
舗装された地面でもないし、車体も重いせいだろう。
アクセルペダルを踏みこんで見ても、それほどのスピードは出ていないように感じる。
(やっぱり放置されていたせいかのかも。壊れているわけじゃないみたいだけど)
それかガソリンが足りてないとか?
重機の計器に目を走らせるも、どこが何を表しているのかが分からない。
辛うじて今のスピードがどのぐらい出ているかが分かるぐらいで。
だが、燐だったアクセルペダルを全開まで踏んではいない。
この先に何があるかはまだ分からないし、それに怖さも当然あったのだから。
のろのろとした運転はくまだけでなく、運転をしている燐自身も焦燥感を覚えるほどだった。
「これでも、ちゃんと動いてるんだからまだ良いほうでしょ。それに、これ以上のスピード出すのはなんか怖いよ。最初は壊れてるかもって思ってたぐらいだったし」
「確かにガラクタっていうかポンコツな感じがしたクマね。途中で止まったりしないといいけど」
くまは少し口元を緩めて苦笑する。
「縁起でもないこと言わないでよぉ! 大体くまちゃんがこれに乗りたいって言ったんだから」
燐は眉を寄せてくまを見返すが、すぐに前を向き直す。
こんなところで口論をしている余裕なんかない。
戒めるようにぎゅっと唇を引き結んだ。
(でもこれも、やっぱり無免許運転になっちゃうんだろうなぁ……何でもうこんなことにぃ)
小平口町の異変の時よりかは運転そのものには余裕はあるが、それでも無免許運転をまたしているという罪悪感には変わりはなかった。
警察に捕まってしまうとかの心配は今回もないとは思うが、操作の難易度は前の時以上に感じられる。
だって、普通の車じゃなくて、馴染みのない重機なのだし。
ただ、重機の中にはハンドルなどもなく、レバー操作だけのものもあるというから、そういう意味では運がよかったといえた。
(なんて言うか、都合が良すぎるとも言えるけれど)
ブルドーザーの鍵は、折れ曲がった鉄パイプとは違ったプレハブ小屋の引き出しの中にあったのだが。
割ときちんと管理はされていたようだけれど、その工事の人たちは一体どこへ行ってしまったというのだろう。
やはり、あの”白い人影”となってしまったのだろうか。
そう考えるのが普通だと思うほど、状況を知っている自分が滑稽に思えてしまうけど。
ぼこぼこぼこぼこ。
「あれっ? 何か」
急にブルドーザーの走行音が変わったような気がする。
かといって、パンクとかのトラブルではないとは思うが。
「どうしたの? もし運転に疲れたんなら、くまが代わってあげてもいいクマよ」
「え、えっと」
申し出るくまに燐は一瞬いい澱む。
「大丈夫だよ。これぐらいならまだ全然平気だし」
二人で座席を分け合ってくっついて座っているせいで、ちょっとしたつぶやきもすぐに耳に届いてしまう。
燐は軽く愛想笑いを浮かべると、頭を振って再び運転に集中した。
ブルドーザーの運転をくまに任せるのはさすがに危険というか、流石に無謀な気はする。
燐だって足がペダルに届いてくれたから良かったものの、もしそれができなかったのなら、そもそも運転することなんかしなかった。
(くまちゃんも多分大丈夫だとは思うけど……)
燐はくまの方をちらりと見た。
「?」
くまは分かっているのかいないのか不思議そうな顔で首を傾げた。
(ともかく今はわたしが頑張るしかないよねっ! この子が動いてくれている限りは)
燐は胸中でくまに謝罪すると、そのまま黙って運転を続けた。
今のところは重機には問題はなさそうで、普通に前へと進んでいる。
獣の耳としっぽをつけた幼い少女たちの拙い運転ではあったが、
座席は狭苦しいし、ブルドーザーのライトも点いているといえないほど暗くてずっと視界は最悪だけど。
(でも、くまちゃんと一緒にいるとちょっと安心できるっていうか、多分、友達と遊んでいる感覚だと思うけど)
この”友達”は今の大学や高校のときのものではなく、その見た目の小学校ぐらいのものか。
勢いがあって何でも楽しめて、例えどんなことになったとしてもそれほど重く感じないというか、根拠はないけど何とかなりそうな気配だけはしていた。
多分、この少女の雰囲気がだろうか、不可思議な事象に対してもどこか楽観的に構えてしまうことができている。
それが良い事かどうかは分からないけれど、この重機を見つけたときのように、ただ蹲って待っているよりかはマシだとは思った。
(もし、くまちゃんが来てくれなかったら、わたしはあのマンションから多分出られなかっただろうし)
そういう意味では命の恩人なんだろうけど。
「ねぇ、燐。燐ってばぁ!!」
「何、もう耳元で怒鳴らないってばぁ!」
耳元で急にくまに叫ばれてしまい、燐は不快そうに返事をする。
先が見えないことへの不安もあったし、やはり狭いコクピットでくっついて座っている事へのストレスがあったといえるのだが。
「ねぇ、ほらっ、あれを見てよっ!!」
「あれって?」
くまが細い手を伸ばして重機のフロントガラスを指をさしていた。
車外では雨が強く降っていたから、さっきからワイパーを動かしてはいるけれど。
その先で何かあるのだろうか、真っ暗で良くみえない。
「何も、見えないけど?」
「どこを見ているクマっ! ほら、そこだって!!」
少女二人が車内ですし詰め状態になっているせいか、フロントのガラスはすっかり曇っていた。
くまは小さな掌でガラスをきゅっと拭くと、改めて指をさした。
やっぱり真っ暗だ。
そう燐は思ったのだが。
「……雨?」
にしては、”粒”が大きいような?
雨とは違ったちらちらとしたものがガラスの上の方から降ってきていた。
いつからだろう。
雨だと思っていたものが何時からか、違うものに変わっていた。
「これってもしかして……雪!? 雨が雪に変わってるっていうの!?」
燐は一度首を横に振ると、正面のガラスに顔をへばりつかせるみたいに、外の景色を凝視した。
それは見間違いなんかじゃなくて。
確かに、ちらりちらりと空から白い雪が舞い落ちてきていた。
「嘘……ほんとうの雪みたいだ」
さっきから雨にしては何かちょっと大きく見えているなぁとは思っていたけれど。
(でも、何で……)
運転している燐がくまに言われるまで気付かなかったのはおかなことだったが、これでやけに窓が曇っていたことと、さっきから少し肌寒く感じるなあと思っていた事の両方に納得がいった。
まだ腑に落ちない部分も多少はあるけれど。
でも、こんな……雨から雪に変わるようなことになるなんて。
驚きというか、むしろ呆れてしまうんだけど。
「あ、あのさぁ」
燐はハンドルを握り込みながら逡巡するように唇を噛みしめると。
「ちょっとだけ……停まってみても、いいかな?」
くまの返事を待つことなく燐はブレーキを踏み込むとブルドーザーをその場で停車させた。
結露によってすりガラスのようになってしまった窓を手のひらで拭くと、外の様子を確かめる。
真っ暗だけど、地面だけは白く光っていた。
どうやらくまの言うようにいつの間にか雪が降っていて、それが地面に積もっているようだった。
霧となんかとは違う確かな雪の白さを確認して燐は言葉を失っていた。
「長いこと山に住んでいるけど、こんな風に雪が降っているのを見るのは初めてだよ。何ていうか、境界線でも引いたみたいに急に気候が変化しちゃったような気がするんだ」
くまの呟きに燐ははっとなる。
(それって、あの時の……?)
微かな引っかかりのようなものを燐は感じたが、それが何なのか自分でもよく分からず懊悩となっていた。
だが、いくら考えても答えは出そうにないことだと思ったので。
「わたし、ちょっと外へ出てくるっ」
頭の中でこびりついたモヤモヤしたものを打ち消すように、燐はくまに一言そう告げると運転席のドアを開けた。
まだ状況はよく分かってはいないが、とにかく自分の目でそれを確かめてみたかった。
ばんとドアを開けた途端、びゅうっと冷たい風が車内にまで入り込んできて、二人は同時に身震いをする。
「ぼ、ボクもいくよっ」
くまは震える声でそう言うと、燐の手を握る。
(くまちゃん……震えている? でもそれって)
くまの手は微かに震えていたが、それはやはり”クマ”だからだろうか。
普通の熊は冬になると冬眠するというし。
この”くま”が普通かどうかは判りかねるけれど。
どうせ、ここで残っているように言っても聞かないだろうから、燐はくまと一緒に外に出てみることにした。
「わぁっ」
二人の少女の目の前に広がっているのは真っ黒い空間と一面の銀世界。
雨とも霧とも違う、冷たいモノクロの情景がどこまでも広がっているように見えた。
黒と白の静謐な世界には自分たち以外の生き物の姿はない。
そのことに感嘆したのか、燐の唇からは歓喜のような声が漏れていた。
「ふむ……これは、やはり雪だねっ!」
くまは降り積もった雪をおもむろに手づかみすると、むしゃりとまた口の中へと入れていた。
「そんなの、見ればわかることでしょ? 雪なんか食べているとお腹こわしちゃうよ」
燐は呆れた息を吐く。
ブルドーザーのライトに照らされて、白銀の地面はきらきらと宝石のように輝いている。
「まあ、わたしも小さいときには食べたことがあるけどね。その時は雪が綿菓子みたいに思えちゃったんだよね」
そう言って燐は恥ずかしそうに頬を紅くさせていた。
「なぁんだ燐、子供じゃないクマか」
くまに大声で笑われてしまい、燐は口をもごもごとさせて反論をする。
「なによ、自分だって全然子供じゃない。それに、小さい頃の話だって言ってるでしょ。今は滅多な事でもない限り口になんかしないよ。見た目以上に雪って汚れているしね」
水分補給とか言って、雪を食べてしまう事はまだ一部であるようだけれど。
「ボクだってちょっとしか食べてないクマ。それにしても綿菓子って……燐も意外と可愛いところがあるねぇ。うぷぷぷっ」
熊耳をつけた少女がにやにやとほくそ笑んでいた。
燐は顔を真っ赤にしてキツネの耳としっぽを鋭くピンと立てるも、言うだけ無駄と感じたのか、呆れかえったように一つため息をついた。
それにしても。
(雪なんかでこんなに喜ぶなんて……それこそ子供のときぐらいだなぁ。標高の高い山ではちょっとでも雪が積もっているだけで危険度が何倍にもあがっちゃうっていうのに)
危険を感じるどころか喜んでいる自分がいる。
これもこの格好になってしまったせいなのだろうか。
でも、雪は今だって嫌いなんかではない。
雪の登山やキャンプだって、確かに大変ではあるけれどその分、雪の楽しみもあった。
いつもとは違った綺麗な情景が見られるし、寒気で澄んだ朝の空気を肺いっぱいに吸い込むのがとても好きだった。
寒いときに飲む暖かいスープや珈琲もお気に入りだし。
冬のアクティビティであるスキーやスノーボードも燐は得意な方だったから、燐が雪を嫌いになる理由など特になかった。
遭難事故なども起こしたこともなかったわけだし。
それにしても、だ。
ついさっきまで夏の情景だったものが、ちょっとの間に真逆の、真冬の世界へと変わってしまった。
そんなには山を登っていないはずなのに。
くまの言うように、どこかに線でもあったのだろうか。
何かが、切り替わるようなものが。
「やれやれ、血の池地獄の次は極寒地獄クマか。嬉しすぎて身震いしちゃうクマよ」
くまは皮肉めいた口調でそう言うが、普通に震えている。
「やっぱり、寒いんじゃないの? さっきから体が震えてるよ」
燐の指摘にくまはむぅと小さく呻く。
「まあ、そうとも言うクマね。でも、こんなのボクはおかしぃ……ってくしゅん!!」
何かを言おうとしたくまだったが、言い終わる前に大きなくしゃみを一つする。
指で鼻を啜るくまを見て燐は呆れたような声をあげていた。
「ほらほら、大丈夫? そんなに寒いんなら車の中に戻ってたほうがいいよ」
そう言って燐は小さく息を吐いた。
瞬間、白くもわっとした吐息が口から漏れていた。
雪がこんなにも降り積もっている以上、寒いと感じるのは当たり前のことだった。
いくら山の天気が変わりやすいといっても、こんなすぐに真逆の気候になるなんてことはそうそうない。
そもそもこの山だってそんな高さがあるとは思えなかった。
しかし、それらを否定するように黒い空からは白い雪がつぎつぎと降ってくる。
でもこれは偽物の雪なんかじゃない。
紛れもなく普通の自分たちの良く知る雪だった。
その一つが燐のむき出しの肩で解けて、その冷たさと現実を自覚させる。
もしこれが普通の車とかだったら、この雪の中を進むのは多分無理だっただろう。
冬用のタイヤでにも変えないかぎり。
でも、いまは。
(これでも一応ブルドーザーだから、多分、大丈夫だとは思うけど)
見た目的には除雪車とそんなに変わらないような気がするし。
似ているというだけで明確な違いがあるのかもしれないが。
「ボクは……こんな雪なんかへっ、へっ、へっくちゅうぅんっ……!!!」
やにわにくまがまた大きなくしゃみをする。
がちがちと歯を鳴らしながら、震えている自身の体を両手で抱いていた。
景色と同じ色の白い肌に雪の結晶が舞い落ちるたびにくまは悶絶している。
「うー、
そうこうしている間にも、つぎからつぎに白い雪が頭上から舞い降りてくる。
くまの頭の耳の上にも雪が降り落ちてきて、鬱陶しそうに手で払いのけていた。
水分を含んだような感じはしなかったから多分、粉雪だろうとは思うが、地面に薄っすらどころではなく積もっているので、恐らく前日ぐらいから降っていたものだとは思うが。
「燐、どうしたの? 寒さで凍っちゃったクマかー」
くまが真っ白い息を吐きだしながら、雪原でぼんやりと立ち止まっている燐に声を掛けた。
大声で呼びかけても燐はくまの方を振り向くことなく、何かを探しているように周囲に視線を巡らせていた。
「さっきから、見えないなぁって」
「はあっ?」
寒すぎて神経が過敏になっているのか、くまは苛立った声をあげた。
「ほら、空気が澄んでいるから、風車が見えるかなって思ったんだけど……」
燐はそう言って手をかざして周囲を見渡しているが、白い風車の姿はどこにもなかった。
「この、雪のせいで見えなくなっただけなんじゃないの?」
「それなら、いいんだけど……」
さっきから変な感じの動悸が収まらない。
何かとても重要なことを見落としているような。
そんな感情を抱いてしまうのはなぜなんだろう。
ただ、見えなくなったというだけで、こんなにも不安になってしまうのは。
(確かに雪のせいもあるのかもしれないけど……)
「ボクはもともと見えないからなぁ。まあ、その内また見えるようになるんじゃない」
くまはそう軽口を叩くと、二の腕の辺りを手で擦る。
冷たく固くなった足をしきりに上下に動かしていた。
辺りには雪と背の高い細い木ぐらいしか見えない。
その殺風景さが不気味というかよけいに寒さを感じさせる。
白い風車の姿はしんとした雪の中に埋もれてしまったのだろうか。
(雪の中に消えたっていうか、まるで最初からなかったみたい)
そんな疑問が沸き上がってしまう。
唯一の目印さえなくなってしまったのなら、進む意味がないのと同じだ。
体に雪を纏わせたまま茫然と燐は立ち尽くす。
その背中がぐいぐいと押された。
「とにかく、これ以上雪が積もる前に先に進むクマ!! このまんまじゃキミだってカチコチになっちゃうよっ!?」
くまは燐の背中を手で押し込みながらブルドーザーへと戻ろうとする。
燐はまだ呆然としたままだったが足だけは動いていた。
「ほら、手を出すクマ」
そう言われても燐は戸惑った表情を浮かべるだけで手を差し出そうとはしなかった。
半ば強引にくまはその手をとると。
燐の手を小さな掌で包み込んで、ごしごしと擦り合わせる。
「くまちゃん?」
摩擦で温めてくれているつもりなのだろうが、くまの手の方が冷たくてそんなに暖かさは感じない。
だが、燐は軽く微笑むと。
「ありがとう。ちょっと温まった気する」
そうくまにお礼を言った。
「そうだね……行けばきっと何か分かるよね」
燐は苦笑いを浮かべると、差しっぱなしにしておいた重機のキーを回した。
どるんと大きな音がしてエンジンがかかる。
錆びついたドアを閉めると、アクセルを踏む前にワイパーの動きを少し強めにした。
それから燐はゆっくりとアクセルを踏み込む。
降り積っている雪はまだ柔らかったが、このまま気温が下がったら凍結する恐れもある。
自分たち以外の車両は無さそうだから、踏み固めた雪が凍るようなことはないとは思うけれど。
降り積もる雪で立ち往生することもある。
なので一刻も早く先に進みたいのだが。
急いで行きたいのはやまやまだったが、かといってスピードを上げるのにはまだ戸惑いがある。
そのどっちつかずの走りは、あの捻じれた日のできごとを燐の脳裡に否応なしに思い起こさせていた。
……
……
……
重機のタイヤの音が固いアスファルトの上でも走っているときのような、低い走行音へと変わっている。
だが、こんなところに整備された道路なんかはあるはずがない。
なので雪道が氷にでも変わってしまったと考えるのが正しいということなのだろう。
(でも、本当にそうなのかな? 何かが抜けているような)
雪が氷へとなってしまうのには幾つかの条件があるのだが、果たしてそれらを満たしたうえでのことなのだろうか。
何となく腑に落ちないところはあったのだが、今ブレーキを踏むのには躊躇があった。
車一台が通れそうな山道ではあったが、ずっと坂道が続くので燐はアクセルペダルから足を離すことができなかった。
ちょっとでも足を緩めたら、凍った坂道をそのまま滑り落ちそうに感じてしまうし。
かといって強くアクセルを踏み込めばあらぬ方向へとすっとんでしまうのではないかとの危惧もあった。
思うように動かせないもどかしさに、燐は何度も歯噛みをしていた。
「がううっ……」
ブルドーザーのエアコンは最初から壊れていたのか、該当するボタンを何度押してみても何の反応も返してはくれない。
くまは明らかに寒気を感じているようで、ブルドーザーに戻ってからも隣で座る燐に体を引っ付けて縮こまっていた。
何か羽織るようなものもなかったので、代わりといっていってはなんだが、運転席の奥にあった古びたタオルを首に巻き付けている。
マフラーの代用品にすらならなかったが、本人はそこそこ気に入っているのか、特に嫌がりもせずに身に着けたままでいる。
もっとも、それで冷えが解消するわけではないようだが、そこそこの効果はあるようで青かった顔の血色が少し良くなっているような気はした。
雪は止む気配は見せず、むしろ強くなっているようにすら思えた。
夜は──明けることはない。
そしてこの山もずっとずっとどこまでも続いているみたいに思えた。
終わりなどないように思えてしまうほど、もうずっと上り続けているみたいに感じてしまう。
しんしんと降り続く雪の静寂さと状況の変化のなさに、ふたりの会話も次第になくなっていった。
「……」
くまが青くなった唇を噛みながら、雪の降っている窓をじっと見つめている。
燐はくまのように余所見をしている余裕なんかどこにもなく、車が滑っていかないように祈りながら、ステアリングを握ることしかできない。
(それは確かに怖いことなんだけど、それはこの雪のせいだけじゃないっていうか……)
風車が見えなくなったことの方が怖いんだと思う。
白い風車を目指してここまでやってきたわけだし。
雪がどうこうというよりも、先行きが見えないことへの不安の方が大きい。
確かに周りは真っ暗でおまけに雪まで降って来たのだから、運転するのが怖いと思うのは当たり前だとは思う。
でもこれは重機だし、普段乗る軽自動車とは明らかに違う安定感があった。
むしろこういう悪天候の方が力を発揮するだろう。
だから実はそれほどの心配はしていない。
当面の問題は。
(どこを目指したらいいのか分からないことの方だよね)
ナビ頼りの運転は良くないことなんだと教習所でも教わったけど。
(やっぱりもう一度停車したほうがいいのかも? このまんまじゃ無意味に走らせているってだけになるし)
あの時のようなコンパスでもあればと思う。
もちろんそんなものはここにはなかったし、ふたりのポケットにも入っていなかった。
燐は船酔いでもしているみたいな不安定さを抱えながら、あてどもなく重機を走らせている。
どこかで見かければと思うのだが、今のところそんなものは見えてこない。
雪で白くなった木々に隠れている可能性はあるが。
燐はごくりと唾を飲み込んだ。
分からないのなら、いっそのこと重機から下りて歩いて行ったほうがいいのではないか。
そんな思いが胸中を過ぎるが、寒さで震えているくまを見るとそれももうできそうにない。
燐だって寒さを感じているわけだし。
運転席の外に一歩でも出てしまえば、その身はすぐに雪まみれになってしまうだろう。
「ふぅ」
霧みたいな白い息を吐きだす。
外の気温が大分下がっているせいか、この中でも息は白く吐き出されていた。
(それにしてもブルドーザーかぁ……よくこんなもの運転しようって思ったよねぇ?)
我ながら少し呆れてしまう。
成り行きとはいえ、縁の無さそうな重機を動かすことになるとは思わなかった。
(そういえば、あの時にみたのは……森林伐採用の重機、だったよね?)
燐は不意に小平口町での異変の時に遭遇した、無人の”ハーベスター”のことを思いだしていた。
巨大なシャベルを振り回しながら燐と蛍に突然襲い掛かってきた。
運転席には誰も乗っていないのに。
あれは、一体何が目的だったかを未だに分かっていない。
ただ、欲望というものが機械にまで宿るなんてことがあるとは思えないが。
(今はこういう重機なんかも今はラジコンで操縦することが出来るっていうけど)
流石にそれとは違う気がする。
そういった外部からの操縦者をみたわけではないけど。
何ていうか明確な強い意思みたいなものを、あの鉄の重機に感じた。
悪意というか、そういった歪んだ感情みたいなものを。
その時の事を思い出してしまっていたせいもあるのだろうが。
燐はこのブルドーザーを乗り捨てていくことに少し躊躇してしまっている。
捨てられたことに怒ってしまうかもと。
あのハーベスターだって、そういうのがあったのかもしれない。
機械というだけで、雑に扱われたり使い捨てられていいわけではないし。
じゃあ──機械の反乱とか?
そういった映画の見すぎだなのだろうか。
すぐ隣で固まっているくまを横目で見ながら、燐はふうっとまた息をついた。
燃料はまだあるみたいし、重機が動くまで先へと行くつもりだ。
例え、白い風車が消えてしまったとしても、進む意味がないなんてわけではないだろうし。
(もしかしたら、別の形でスイッチが)
そんな、藁をもつかむ思いに縋ることしか、今の燐にはできなかった。
……
……
……
「……燐、ボクちょっと眠たくなってきたかも……」
熊耳の少女がぼんやりとした声で呟くと、燐に寄り掛かるようにして小さな身体を預けていた。
急に体の重みを感じて燐は訝しげに横目で見るが、すぐさまはっとなった。
「ねぇ、ちょっとぉ! ま、まさかだとは思うけど、くまちゃんって本当に冬眠とかはしないよねぇ!? いくら何でもさぁ」
馬鹿にしているつもりはないけれど、くまの様子が気になったので一応聞いてみる。
「大丈夫……クマよ……ボクは強い……くまだから……」
かみ合わない言葉をうわ言のように呟くくま。
その瞳は微睡んでいるみたいに半開きとなっていて、とろりとした口調となっている。
くまは青くなった唇を細かに震わせて、浅い息づかいを繰り返していた。
「こんな所で寝たらダメだって!! ただでさえ狭いんだからあ」
燐はまだ事態をよく飲み込めず、くまの方をあまり見ないでそう言った。
だが。
(これ、くまちゃんの手なの!? 氷に触れられたみたいに冷たくなってるっ!)
肩に乗せられているくまのその手が驚くほど冷たくなっていることに気付いた燐は、慌ててその手の上に自身の手を乗せた。
まるで手が氷で出来ているみたいに冷たくなっているその手の感触に、燐は戦慄を覚えて目を大きく見開いていた。
「ね、ねぇ、しっかりしてよっ!!」
焦燥感に駆られた燐はくまの肩に手を置いてゆさゆさと揺り起こそうとする。
だが、よそ見をしているだけの余裕はなかったので、燐はブルドーザーを停車できそうなところを探しながら走行を続けていた。
(ど、どうしよう……!! でもこんなところで停まったって)
辺りには何もない。
雪を被った細い木が、散り散りと生えているというだけで。
ここで停車して様子をみた方が良いのか、それともこのまま先に進んで隠れられそうな場所を見つけたほうがいいのか。
その迷いが燐にはあった。
ただ、木々に降り積もっている雪がさっきよりも高くなっていることから、大分山の上の方にまで登ってきたとは思う。
その兆候を示すように、さっきから風が強く吹きつけてくる。
重たい鉄の重機がゆさゆさと、どこかから吹いてくる横風に時折揺さぶられた。
このせいで穏やかだった雪景色が吹雪の様相となっていた。
ここまで寒くなってくると少し気になることがある。
(確か、重機の燃料はガソリンじゃなくて、軽油だってどこかで聞いたことがあったけど)
軽油はガソリンに比べて燃費も良くコストも安いことからブルドーザーのような重機には良く使われるみたいだったが、ガソリンよりも凍結をしやすいという欠点があった。
走行中ならば問題ないみたいだけど、長時間停車するときなんかには気を付けないといけない。
燃料が凍って最悪、動かなくなるからだ。
(じゃあ、ここで止まったらヤバイってこと? じゃあ、やっぱり先に行くしかない?)
まだ一度きりしかちゃんとエンジンを止めたことはない。
さっきまでの天候だったらまだ良いが、こうなってくると徒歩での登山は無理だろう。
しかも、吹雪のせいで余計に視界が悪くなっている。
燐はワイパーを最大まで動かすようにすると、結露したガラスを手で拭った。
外は白一色の世界になっており、どこを走っているのすら分からなくなっている。
眠気のせいでぐったりとなってしまったくまの頭を自身の膝の上にちょんと乗せた。
「もうちょっとだから少し我慢しててね!」
風車も何も見えていないのだから、何の根拠のない言葉だったが。
燐は自分に言い聞かせるようにそう言うと、視線をまっすぐに向き直して、ステアリングを握りしめた。
燐は唇を噛みしめると、吹雪の中に消えてしまった白い風車を目指してアクセルを踏み込んだ。
目印はなにもない。
けれど方角はあっている。
そんな気がするから。
黄色い重機が通った後に、太いタイヤの溝の跡が規則的な模様で真っ白い大地の上を一直線に伸びていた。
……
……
……
「ねぇ、くまちゃんっ、起きてってばぁ! 寝ちゃ駄目なんだって!!」
結局、燐はブルドーザーを停車させていた。
ごうごうと重機の周りで吹きすさぶ強風と雪が、視界の全部を白く染めている。
あれからずいぶんと走行してみたが、風車の影どころか何とも出会う事もなかった。
つまりこの雪山の中で遭難したということになる。
進むべきみちも。
帰るみちすらもわからないのだから。
「寒い……眠いよ……」
くまはうわ言のように同じ言葉を繰り返している。
熊耳を付けた少女は本当に冬眠でもするつもりなのか、穏やかな表情ですやすやと寝息を立てている。
そのたびに燐は眠らないようくまの小さな体を揺すったりして無理矢理に起こしているのだが、その目覚める頻度が落ちてきていた。
体が冷えてしまわないよう、燐はくまの手をずっと握りしめているのだが。
生気すらも失ったみたいに手がどんどんと冷たくなっていく。
冬眠というよりも、これはむしろ。
「ふわっ」
つい、あくびが口からでていた。
あまりにも気持ちよさそうにくまが眠っているせいなのか、燐の方にも睡魔が襲い掛かろうとしていた。
「ヤバっ! わたしまで眠くなりそうに」
燐は首を大きく振って意識を戻すと。
「起きてっ! ねぇ、起きてってばっ!!!」
ぺちん!
たまらず燐はくまの頬を軽く張った。
雪山で遭難した時に、寝たら危ないと言われるのは”低体温症”と意識障害からくる錯乱、そして”矛盾脱衣”だった。
前者は体温の低下からくる心肺停止で、後者は寒いはずのに自ら服を脱いでしまうという、狂気の沙汰そのもののようなものだった。
燐はそのどちらとも経験したことがない。
もし経験していたらここには来れていないだろう。
ちょっとでも危険を感じたらそれ以上の無理はしなかったし、もしダメであっても傍で従兄がちゃんと見ていたから。
もしそういう状況になったとしてもその為の備えも装備も持って、毎回のトレッキングに臨んでいたのだから。
だが、今のこの状況は。
(どうしたら、いいんだろう……!)
エンジンは掛けたままになっているからすぐさま燃料が凍結するようなことはないと思う。
その分燃料の消費は早くなりそうだし、こういう経験なんかないから当てずっぽうだけど。
暖房はどうやったってつかない。
エンジンはかけっぱなしだから、車内は小刻みに振動はするけれど、車内が冷えてしまうよりかはまだマシだろうと思った。
車のマフラーに相当する部分はかなり重機のかなり高い所についているので、雪でふさがれて二酸化炭素中毒になる心配はないけれども。
「誰も……何もないのっ!」
燐がガラス越しに周囲を見渡してみても、洪水のように流れている雪と黒い背景しか目には入ってこない。
誰の助けなどくるはずもない。
こんな異界の雪の山の中になんて。
白い雪しかないこの状況でどうやって、この少女の体温の低下を止めれば良いのか。
「これを……使うしかないの?」
燐はポケットから何かを取り出すと、手のひらの中のものを見つめた。
だが、これだけでは。
それに、この場でこれを使えば大変なことになってしまう。
思案をするとかのものではなかった。
「周りには雪しかない……そっか、雪しかない……!」
燐はぼそりとひとりそう呟くと、これまで一切触れていなかったブルドーザーの横のレバーの方に目を向ける。
操作するためのシフトレバーとは違ってこれはブルドーザーの前方についているシャベルを操作するためのものだった。
鍵と一緒にあったマニュアルでそれは分かっていたけど、変なことになりそうなのでまだ一度も弄ったことはなかった。
似たような装備のショベルカーとの区別はよく分からないが、今の状況を打開するのにはこれを動かすしかない、燐はそう思った。
意を決したように燐はそのレバーを握ると、アクセルをゆっくりと踏みながら片手でハンドルを操作する。
(お兄ちゃん……わたし……)
いろいろと燐に教えてくれた従兄はここにはいない。
蛍もオオモト様もサトくんでさえもいなかった。
この少女を守れるのは今は自分だけなんだ。
そう思った上での無謀ともいえる燐の行動だった。
でも無謀なことはこれまで何度もしている。
そもそもまだ常識の範囲内だと思えるぐらいだ。
はぁ。
寒いはずなのに体全体が熱くなっている。
ひどく喉が渇いて息苦しい。
雪ならそこら中にあるのだから、自分で言ったことのはずなのに、それですら口に入れたいほどの気持ちになっていた。
燐は渇きを訴えている唇を無理くり引き結ぶと、集中して重機を動かす。
何があろうともこの手を止めるつもりはなかった。
……
……
……
パチッ、バチッ。
何かが焦げたような音と匂いが覚醒を促したのか、少女は重い瞼をうっすらと開けた。
「ここは……」
いったい何処なのだろう。
少し首を動かしてみる。
どこを見ても真っ白くて何も分からない。
目は開いているはずのに、何も見えないのはおかしいことなのだろうけれど。
微睡んだ瞳の中に、真っ白い閃光が洪水のように流れ込んでくる。
「目が痛いクマ……」
眩しくてまともに目を開けていられず、思わず手で覆い隠していた。
いっそのこと、この光の海の中を彼女のように泳いでみたらどうかと思ったぐらい。
けれど、泳ぐのにはまだ早すぎると感じたのか、ぱちっぱちっと瞬きを繰り返して、目を慣れさせる方を選んでいた。
そうしていると。
「あっ」
耳元で小さな声が聞こえたかと思うと、不意に目の前に黒い影が覆った。
「あぁ、良かったぁ!! 本当に冬眠したんじゃないかって思ってたよぉ」
そう言って安堵の息をついていた。
「キミ、は……どうして?」
「どうしてって……」
おさげをした栗色の髪の少女が驚きと歓喜の表情でこちらを覗き込んでいる。
「あれ、ボクって……」
どうなったんだっけ。
まだ目が眩んでいるのか、くまは額に手を当てながらゆっくりと上体を起こした。
「ここって、どこなの?」
見たこともないところにいた。
どこに目を向けても真っ白な光景しかない。
もしかして、ここが天国というやつなのだろうか。
それにしては現実的というか、何かが焼けたような香ばしい匂いがさっきから漂ってくるのだが。
「あいたたたっ」
頭か目かは分からないが、そのあたりの箇所がずきずきと痛んだ。
「大丈夫? まだ寝ていたほうがいいかもね」
頭を押さえるくまを見て燐は心配そうに声を掛ける。
「ってことは……寝ていたんだね。ボク」
「あ、うん……覚えていないの? 冬眠するかもって言ってたら、もしかしたらずっと目が覚めないんじゃないかって心配してたけど」
「そっか、ボクはクマなんだもんね」
改めて気付いたようにそう言うとくまは納得したようにうなずいた。
「まあ、一応そうみたいよね。どっちかって言うと熊のコスプレにしか見えないけど」
着ぐるみですらないのだから、せいぜい熊コーデぐらいだろうか。
「それならキミだってそんなに変わらないよ。耳としっぽしかつけていないクマだし」
くまは小さく笑みを見せる。
「自分だってそうでしょー。それに、好きでこうなったわけじゃないもんっ」
くまと燐は顔を合わせて笑った。
「ねぇ、これって”かまくら”の中かなぁ? もしかして、燐が、作ったの?」
「当たり。自分でも結構上手くできたなあってちょっと思っちゃった」
燐はそう自画自賛の言葉をのべている。
「へぇー」
通りで周りが白いのは全部雪で出来ているせいだからなんだと、くまはそう理解をした。
だが、急場で適当に作ったようなものではない。
ちゃんと雪を固めて作った、本格的なものだった。
これを燐は一人でどうやって作ったのだろうか。
「ほらっ、あれがあったでしょ」
燐がそう言って指さしたのは外に停めてあるブルドーザーだった。
よく見ると前方のブレードの部分が雪にまみれている。
「でもさ、あれの免許って持ってなかったんでしょ。ひとりで良く動かせたよね」
くまは感心するようにうんうんと頷く。
しかもその間、自分は寝ていたようだし。
「確かに。まあ最初はちょっと苦労したよ。でもアームの部分をちょこっと動かした程度だから」
燐はあっけらかんにそう言ったが、実際はかなりの苦労があったのだろう。
これまでまるでやったことのない操作だったのだから、動かすどころか前方のブレードをぶつけて重機を壊しやしないかとびくびくしながらのレバーの操作だった。
(でも何とかできたんだよねぇ……運が良かったんだと思うけれど)
大まかな部分は重機でつくることができたが、入り口などの細かなところは流石に手作業でする必要があった。
燐の両方の手のひらは雪の作業のせいで真っ赤になっていたが、それでも凍傷となるようなことにはなってはいない。
こういうのも今の自分の姿と関係しているのかもとは思ったが、特に口にはしなかった。
「あの焚き火は? あれも燐が起こしたものなんでしょ。火はどうやって?」
くまはかまくらの出入り口からちょうど見える所で、ぱちぱちと火の粉を巻き上げている焚き火を指さした。
火起こしにはやり方はいろいろあるが、それでもこんな雪の降っている中で火を起こすのは、どう考えても至難の業だろう。
これといった道具もなかったわけだし。
「あぁ、それはこれを使ったんだよ」
そう言って燐はポケットから小さなライターを取りだした。
「こんなもの、どこにあったのさぁ」
くまは訝しげな顔で燐に尋ねる。
「ほら、鍵を探しにプレハブ小屋まで戻ったでしょ。そのときに見つけたんだ。もしかしたらどこかで使うようなことがあるかもって」
「なるほどねぇ」
ぽんとくまは手を打つ。
「それにさ、ブルドーザーの中では流石に火は使えないでしょ。だから先にかまくらを作っておいたんだ」
「この中って、結構暖かいでしょ? 下手に車の中にいるよりもこっちの方が暖かいんだよ。雪の壁が断熱材みたいになるし、空気も循環できるから」
小鼻を赤くした燐を見て、くまはほとほと感心した。
「キミはさ……優しいよね。それに器用だし。見ず知らずのボクのことなんか放っておいてもいいはずなのに」
「そんなことはしないよっ」
雪の上に寝かせられていたはずのに、背中が全く濡れていないのもそうだった。
燐が枝とロープを使って簡易的なベッドを作っておいたからだった。
その上には薄いシーツがかけてあったが、よく見るとそれはブランケットであって。
これは燐が事前に持っていたとかではなく、くまが倒れた時に何かないかと重機の中をひっかきまわしたときに偶然見つけられたものだった。
恐らく、前の運転手が使っていたものなのだろう。
ピンクとグリーンの幾何学模様が描かれた薄めのブランケットだったが、ところどころは汚れてはいたが破れているようなことはなく、こうして普通に使う分には問題はなさそうだった。
「ボクのこと得体の知れないやつって思ってない?」
「そんなことはないよ。ただ、親戚の子といるみたいな感じってするけど」
さながら悪戯好きの少し年の離れた従妹の子、のようなものだろうか。
だからといって、一緒にいて悪い気はしないけど。
「なんか、変なことを考えていないクマか?」
「そ、そんなことはないけど」
「ふ~ん」
くまはじとっとした目で燐を見つめた。
察したみたいに感じられたのか、燐が困った顔であははと愛想笑いを浮かべると。
「ね、ねぇ、せっかくだし、焚き火の前の方に行かない? ここでもそこそこ暖かいとは思うけど、火の前にいたほうが断然暖まるとはと思うよ」
「……」
「どうしたの? わたし何か変なことでも言った?」
きょとんなるくまに燐は不思議そうに首を傾ける。
「あ、ごめん、そういうことじゃないんだ。そういえば”ざっきぃ”も同じことをしてたなぁってちょっと思い出しちゃっただけで」
そう言って苦笑いを浮かべるくまに今度は燐が驚いていた。
「”ざっきぃ”って”オオモト様”のことでしょ? なんかイメージが全然湧かないんだけどぉ」
「そう? 割といろいろやってくれてた感じだったよ。ご飯もおごってくれたし」
「へぇー」
そう言って燐は小さく笑う。
「オオモト様、くまちゃんに心を許しているのかもね。わたしはそんなに馴れ馴れしくできない感じするから。あ、蛍ちゃんは大丈夫か」
「そーいうものかねぇ」
やや突っぱねたような口調でくまはそう言うが、その頬は真っ赤に染まっていた。
「じゃあ、行こう。そろそろ薪を継ぎ足そうと思ってたところなんだぁ」
燐は笑みを浮かべながらそう言うと、くまに手を貸そうとしたその直後のことだった。
不意に何か途轍もなく大きなものの気配を感じ取ったのは。
「なっ──」
燐が叫ぼうとした瞬間、その口をくまの手が塞ぐ。
そしてそのまま燐と一緒にブランケットの中へと入りこむ。
何事かと燐は目を白黒とする。
だが、くまは鋭い視線で布の隙間から様子を窺っていた。
(一体、何が起きるっていうの!?)
しんと静まり返った中で少女たちの鼓動だけが高まっていく。
どくんどくんどくん。
煩いぐらいに鳴る心臓の音に燐は自分の胸を押さえていた。
──気配はするが音はない。
雪洞の合間から見える、ぱちぱちと飛ぶ火の粉の舞だけがこの白い世界の唯一の音となっていた。
ぱち、ぱち。
木の燃え焦げる音が時でも刻むみたいに途切れ途切れに音を奏でている。
その音が何の前触れもなしに変化した。
(──っ!!!)
燐もくまも目を大きく見開いた。
突如現れた黒い大きな
燐もくまも飛び上がりそうだった。
相当に巨大な物体が降ってきたのに、それが現れたときには何の音も出てはいない。
ぱっと現れて突然潰してしまった。
(あの時の、足だけしか見えなかった巨人!?)
それを見た瞬間、燐はそう思ってしまった。
雪洞の小さな穴からしか見えないが、脚というには何か違うような気がする。
まるで空間ごと切り取られたみたいに、焚き火があった場所がその下の雪原ごと、ぽっかりと大きな穴が開いていた。
それだけではない。すぐ近くに停めておいたブルドーザーが宙に浮かび上がっている。
まるでロープにでもつるされているみたいに、巨大なものは無人の重機を掴むと、なんてことなしに何処かへと放り投げてしまった。
ついで、ガンという激しい衝突音がかまくらの中にまで響いてくる。
(もしかして……っ!?)
燐は思わず立ち上がりそうになったのだが、その手をくまは強く握った。
多分、次に標的となったのはここまで乗ってきたブルドーザーだと思った。
重い鉄の重機は何らかの力のせいで、吹っ飛ばされてしまったのだと。
そう思った。
一瞬で起きた出来事に、わざわざ口を塞がなくとも言葉なんか出てこない。
くまもぽかんと口を開けたままになっている。
そのあとで爆発音などはしていなかったが、あの重機はもう使い物にならなくなっただろう。
燐は少し気の毒に思ったが、それどころではない。
次は何かされるのはこっちにだろうと考えるのは、状況から言って至極当然のことだったから。
だが、足が震えてしまい、ここから一歩でも動くことができそうになかった。
気配はまだ──この場に残っている。
それがどういうものであって、どういった考えで動くものなのかはまだ分からない。
まず全体的な姿が見えないのだから、どうしたら良いのか二人とも分かっていなかった。
しかし、そんな悠長な考えでいいのだろうか。
恐怖はすぐ近くにあり、今すぐにだってここも
だが、くまも燐も動かない。
動きたいはずなのに。
獣耳の幼い少女達が今できる事と言ったら、ひたすら息を殺してその時が来るのを待っていることだけだった。
……
……
……
どのぐらい時間がたったのだろう。
くまはむくりと起きだすと、独り言のようにぼそりと呟いた。
「アイツ……ボク達を探してた」
(っ……!)
燐が目で合図を送ると、くまは燐の口元からそっと手を放すとこくりと頷く。
「ちょっと、外に出てみるっ」
「あっ」
燐が制止する間もなく、くまは雪の洞穴から音もたてずに抜け出すと四つん這いのまま、首だけを動かして周囲を窺っていた。
「アイツって……もしかして」
くまの言う”アイツ”とはさっきの大きな壁みたいなもののことだろう。
それが、重機や焚き火を吹き飛ばしていった?
でも、一体何のために。
(探しているって言ってたけど、わたしたちには気付かなかったみたいだよね?)
燐の作った”かまくら”は何もない雪原にぽつんと作ったわけではなく、丘のように小高く雪が降り積もっていたところにブルドーザーで雪をかき集めて作ったものだった。
なので雪の背景と同化してカモフラージュとなっていた可能性は、あるにはあるのだが。
(一体、アイツって何なの? 何がわたしたちを)
自分の目で見ないことには何もわかりそうにない。
燐もブランケットのベッドからそろりと抜け出すと、立てかけておいた折れ曲がった鉄パイプを手に取る。
くまの傍に来ると同じようにかまくらの入り口からちょこんと顔だけを外に出してみる。
まだ、雪が降ってきているというのが分かるぐらいで、ソイツの正体とかを伺い知ることはできない。
「こっち」
くまは燐の手を握ると、かまくらの側面に身を押し付けながら移動する。
そして、入り口とは反対の方向に視線を向けていた。
向こうの方角に行ってしまったのだろうか。
くまがそうしているのだから多分間違いないのだと思い、燐はもくまの背後からその方角を眺めた。
「何……あれ」
雪の白い大地と黒い空との間に何がいた。
何かというのは少し語弊のある言い方だが、燐はそれがそんなところにしかもあんな巨大なものがいるとは思わなかったので、自身の目で見たものをすぐには信じられなかったのだ。
「花が……浮いてる……?」
そうとしか見えなかった。
満月のような白い花が風船のように黒い空に浮かび上がっている。
あの花がさっきのことを?
にわかには信じられない。
だが。
「”ダイダラボッチ”……!!」
くまはそう言うとまた四つん這いとなって、威嚇するように低い、獣のような唸り声をあげていた。
燐はぽかんと口を大きく開けて目を大きく開く。
あれが、ダイダラボッチ?
けど。
あんなだっただろうか。
(姿や形を自由に変えられるとか、そんなことを言っていたようだけど……)
前に出会ったときは、黒い女性のような姿をしていたり、影のように細く伸びていたりもしてたけど。
あの花が、ダイダラボッチというのが本当なら、何であんな姿に?
わかりやすい怪物の姿ではなく、それとは真逆の存在に変わってしまう意味とは。
規格外のサイズの花なのは間違いないけれど、それだけで危険視するのは何か間違っているような気はする。
例え正体が怪物とか妖怪だったとしても、だ。
「よく見てみるクマ。あれは花なんかじゃないよ」
「えっ?」
くまが不意にそう言ってきたので、燐は戸惑ったように眉をひそめながらも、目を凝らしてその花を見つめた。
確かに、花にしては少しおかしい。
花の
その様子は少し不気味に思えた。
それに細いとは言っても、その花はかなりの大きさだから、実際は相当な太さのものになるだろう。
直径でいうなら2~3メートルぐらいだろうか。
もしくはそれ以上か。
(あっ!)
花のように見えたものは、その体を白く発光させていた。
まるで何かを笑っているみたいにパカパカと点滅をくりかえしながら。
燐ははっとなる。
それでようやく分かった。
花ならあんなところに管のようなものは生えていない。
自分から光ったり点滅することなんかもするはずもなかった。。
(じゃあ、あれは花なんかじゃなくて……別の、いきもの?)
それこそまさかだと思う。
花びらのように見えたものがその生き物の本体であり、下の部分から無数の触手が垂れ下がっているのは。
単純な、生き物だけだ。
そして、それに該当するものは燐の中では一つしかなかった。
「クラゲが……空に浮いている!?」
さっきの黒いかたまりのように見えたのはどうやらそのクラゲの一部のようだった。
だが、クラゲはあんなに大きくはないし、ましてや宙に浮いて漂っているなんてことは本当にありえないことだった。
ここは海の底でも、展示された水槽の中でもないのだから。
(……クラゲって、体のほとんどが水でできていて、プランクトンなんだって聞いたことがあるけれど)
あれは何で出来ているのだろうか。
想像すらつかなかった。
──巨大な海月は、その突飛な存在を誇示をするように白く発光を繰り返している。
その光が白く凍てついた大地に反射して、星を散りばめる。
花のような姿のクラゲは、凍った世界を幻想的な光景へと変えていた。
まるで第二の月であるかのように輝き続けながら。
燐は、その光景に言葉と存在をしばしの間忘れていた。
けれど同時に危険な感じは胸の中でどんどんと膨らみ続けていた。
──
──
──
☆祝! ゆるキャン△ SEASON4 アニメ化決定~★
いやー、めでたいですね~~!! でも正直こんなに早く4期が決定するとは思わなかったですよー! でもよかったです。
放送は早くとも来年……じゃなくて、再来年の2026年かと思われますねぇ。最近はアニメのスケジュール調整も難しいらしいみたいですし?
それにしても、白いもふもふ……一体どこのサモエド犬のことなんでしょうか──??
今から放送が楽しみですねー。
もうすっかり恒例行事となった感のある? FANZAのウィンターセールで”青い空のカミュDL版”が来年の1月6日まで、な、なんと1500円で販売されております!!
そう言えば、つい先日KAI公式サイトが見れない状態が続いておりましたけど、今はサイトは復旧されておりますねー。
で、ものすごいこじ付けではありますが、復旧したこの機会に、青い空のカミュDL版を購入してみるのもよろしいのではないのでしょうかー?
それではではーー。