We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life.   作:Towelie

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 夜とは違った闇が続くこの空間にもようやく目が慣れてきたときだった。

 不意に放たれたその言葉に蛍は目を丸くさせた。
 
「……海月(くらげ )ですか? それって、あの、海にいるクラゲで、間違いないですか?」

「ええ、蛍の言っていることで間違いないわ」

 唐突に聞かれたことだった。

 向かい合うオオモト様の唇から発せられた質問とは、蛍の知っているクラゲの事で間違いないようだった。

「えっと、それが一体?」

 困惑気味に聞き返す蛍。

「あなたも知っているわよね」

「はい」

 オオモト様は念を押すようにそう言った。

 蛍は戸惑った表情で小さくうなずく。

 そう問われたら考えぜるを得なくなる。

 妙なことを尋ねるオオモト様と、そのクラゲの事に関して。

(オオモト様には確か、話していないよね……? 燐と一緒に行ったこと……)

 数週間前の出来事を蛍は頭に思い浮かべていた。

 休日に燐と一緒に水族館へ出かけて行った時のことを。

 ──その日は、秋なのに夏のようにとても暑い日だったことを今でもはっきりと覚えている。

 地元の町にも水族館みたいな小さな施設はあったのだが、その日はとても天気も良く気温が高いこともあって、少し予定を変更してちょっと遠出をすることに決めた。

 行き当たりばったりな気もするけれど、蛍と燐が一緒にどこかへと行くときは最近はわりとこんな感じの事が多かった。
 
 そう言う理由から、隣県の大きめの水族館へと燐の運転する車で行ってみることにしたのだった。

 二人とも初めての場所だったが、どうやら割と有名な観光スポットのようで、思っていたよりも人が多くて少しびっくりしてしまった。

 外観よりも中は広く、エリア毎に展示されている魚の見せかたにこだわりのようなものが感じ取れる作りとなっている。

 展示されているのも魚の種類も豊富で、近海の魚だけでなく、カワウソなんかの水生の動植物なんかも見ることができていたのだが。

 それ以上に来場する人の数が魚たちなんかよりもはるかに多い場所だった。

 薄暗い館内で人々がひしめき合う姿は、どちらがほんとうの展示物なのか分からないぐらいで。

 どちらかというと人混みが苦手な蛍は、ちょっとした人酔いのような状態となってしまった。

 まだ碌に魚も見ないうちに起きてしまったことだったが、蛍は燐に付き添われる形で、その水族館の中の一番人気のない薄暗いエリアへと移動したときにその光景があった。

 そこは──ゆらゆらと揺れる水の花が咲いているところだった。

 もちろん海藻や珊瑚なんかではなくて、様々な種類のクラゲが展示されているエリアだった。

 深海魚や深い海に住む貝なんかも一緒に扱われていたが、見た目がちょっと不気味なためか、わりかし空いている場所だった。

 中でもクラゲの数は本当に多く、大小様々な種類のクラゲが趣向を凝らした方法で展示されていた。

 水晶玉みたいな丸い水槽の中で大量のクラゲが浮かび上がるような見せ方をしていたり、プロジェクションマッピングを使って深海とクラゲの世界を疑似体験する、なんて試みもしていた。

 プラネタリウムとは少し趣の異なる淡い青の情景と、感応するかのように発光する不思議な生き物達の静謐な世界に、蛍も燐も時間を忘れてしまったように、心も目もそこに奪われていた。

 結局、他にはどこにも行かずに丸一日水族館の中で過ごしたわけだが、二人共それを不満に思うどころか大満足だったのだが。

 なので、帰りでの車内の話題はそのことばかりだった。

 もちろん、普通のお魚やイルカのショーだってみたし、ペンギンが可愛らしく園内を行進する様子だってちゃんと見れたはずだったのに。

(そう、なんだけど……クラゲの事ばかりが頭に残っているんだよね。不思議なことに)

 蛍が困惑気味となっているのは、オオモト様のその質問の趣旨よりも、やけにタイミングの良いことを聞かれたとことの方だった。

 そういうことで、すらすらと言うことはできる。
 どういう意図で聞いたことかはわからないけれど。

「最近、燐と一緒に水族館でクラゲを見てきたばかりなんです」

「そう」

 あっさりと一言だけ言うオオモト様。

 蛍は目を大きく開けてぱちくりと瞬かせている。

(あれ……それだけなのかな? 何かもっと別の意味とかがあるのかと思ったんだけど)

 わざわざ尋ねてくるのだから、善し悪しは別としててっきり何かあるのかと思っていたのだけど。

 期待のようなものをしてしまったようだった。

 拍子抜けしてしまったみたいにがっくりと蛍は少し肩を落とす。

 オオモト様の表情をちらりと窺ってみたが、そこには何の変化も見られなかった。

 意味もなくただ漠然と聞いてみただけ。
 そんな風に平然とした表情で佇んでいる。

 まあ、そこまで気にするべきことでないのだろう。

 この人は自分とは違って、感情が顔に出るタイプではないと思っていたから。

 ……
 ……
 ……

「あの、やっぱり思うんです」

 しばらく黙っていた蛍が重重しく口を開いた。

 そこには決意のようなものが垣間見えていたが、その口調は意外なほど穏やかだった。

 決して意気込むようなものではなかったが、はっきりとした意思を含ませた言葉を続ける。

「ここで待っていても何も起こらないと思うんです……あっ、でもここが嫌いというわけではないんですけど」

 蛍は慌ててそう付け加えた。

「そうね」

 オオモト様はそれだけを言うと、蛍の方を見ながらやさしく微笑んでいる。

 それは、ともすれば、もどかしさすら感じてしまうような仕草だったのだけれど。

 蛍は微笑むオオモト様を前に何も言えなくなっていた。

 何気ない仕草なのにそれが絵になっている。

 意見を返すことすらも戸惑わせるほどに。

 だが、こういうのは、二人の間の血の繋がりというか、遺伝的なものとは何か違うような気はしている。

 それとは違った雰囲気というか、互いの感覚の共有というべきなのだろうか。

 何かをしていても、してはいなくとも。

 単純な否定の言葉すら頭に浮かんでこない。

 ともすれば重苦しいと思える空間こそが、むしろ心地よかった。

 なんでも話せそうで、実はそうではない人なのは分かっていることだから。

 それとは別に、蛍には今どうしても欲しいものがあった。

(スマホが……欲しい)

 今この場にそぐわないのものなのは分かっているし、どう考えてみてもスマホが必要な場面ではない事だって知っている。

 それでも、欲しいのだ。
 今すぐにだって。

 それは依存とかではなく、もっと単純な理由から。

(燐の……燐の声が聞きたいよ……)

 彼女の声を聞くためだけにスマートフォンが欲しかったのだ。

 仮に聞けたところでいますぐに何かがどうにかなるわけではないのはわかってる。

 それでも燐の、いつものあの声がいま聞きたい。
 無性に。

 安堵というか、確信が欲しいんだと思う。

 燐が今、無事でいるということと、自分という存在をちゃんと覚えていてくれているかどうかが知りたい。

 もうずいぶんと長いこと離れ離れになっているような気がしてしまうから。

 どんな音よりも、燐の声が聞きたい。
 
 ほんの小さな、たった一言だけの言葉でもいいから。

 あなたの声が何よりも聴きたいんだ。

 誰よりも優しく繊細な。
 あなたのことを。

 温もりとして傍で感じていたい。

 だって。

 誰にも渡したくないほど、こんなにもあなたを欲している。

 それに、このままだとわたしが崩れていきそうになってしまいそうで。

 世界のおわりだとか、もうひとつの自分の存在だとか、どう受け止めたらいいのか分からないことだらけで。

 そんな時、燐が傍にいてくれていたら、と思ってしまう。

 かなわない願いなのかもしれないけど。

(でも、前はこう願っていたら、一時とはいえ叶ったんだけど……)

 服のポケットにスマホが入っていたことがあった。

 それは現実のものではなく幻のようなものだったかもしれない。

 けれど確かに燐とつながることができた。

 だが。

 蛍が今着せられている、このバニーガールの衣装にはポケットのような便利なものはついていない。

 無駄なものがないというか……無駄ばかりなんだろうか。

 ぴっちりと肌にフィットするような感じを重視して作られているように思える。

 なので、水着を着ているときとそんなに変わりない。

 水着にしてはやけに胸元が大きく開いてはいるが。

 衣服の様相を一応保っているようだが、それは最低限のというだけで。

 どうみても何かを入れるようなスペースはこの衣装には一つもついてはいなかった。

 その変わりと言っていいのか、ぽんぽんとした綿毛の兎のしっぽみたいなのがおしりの上の辺りについているけれど。

 こんなのは一体なんの役に立つのだろう?

 うさぎの耳を模したようなカチューシャも頭に乗せられていたけど、この申し訳程度の要素だけでバニーガール??

 蛍には理解できず、本気で疑問に感じていた。

「はぁ」

 蛍は大きく息を吐くと、少し首を傾けてその尻尾を手で触ってみた。

 むにゅっとした感触が手に残る。

 綿とはちょっと違うような手触りのようだが。

(こんなの、ファッションにしたって恥ずかしいだけだと思うんだけど……)

 男の人は違うのだろうか。

 性癖? みたいなものをこんなのでくすぐられる?

 馬鹿馬鹿しいとすら思える格好なのだけれど。
 
 そういうことには詳しくはない蛍だったが、これはファッションとしてはあり得ない部類のものであることぐらいは分かる。

 そもそもバニーガールにおける兎の要素なんて一部ぐらいで、あとは体の線がぴっちりと分かるレオタード風の衣装というだけだ。

 下半身の方は、蛍が普段からよく履いている黒のストッキングだったのでそれほど違和感は感じないけど。

 履いていたのはいまいち履きなれない高いヒールの靴だった。

 これが定番のバニーのスタイルみたいだけど、どうにもいまいち不格好な気はする。

 恥ずかしいと思うのはもちろんそうだが、全体のコーディネートというか。

 蛍にはこの服のコンセプトがいまいち理解できない。

 元々は雑誌の企画で生まれたものらしいが。

 ふと、蛍は思う。

(そういえば、オオモト様とサトくんにはこの格好をずっと見られてるんだよね?)

 どう思っているかちょっと気になってしまうけど、流石にその勇気は蛍にはない。

 オオモト様はさっきからずっと平然とはしているようだが。

 自分よりも大胆な格好をしているオオモト様にそれを聞いてどうするつもりなのだろうという単純な疑問はあった。

(確か、似合っているとか言ってたような気はするけど)

 多分、お世辞だろうと思う。

 女の子同士なんかでも、似合っているなんて言葉はお世辞というよりも、ただの日常会話の範疇のようだったし。

(でも、やっぱり恥ずかしい……何でこんな格好に)

 急に羞恥を覚えたように、蛍はベッドの縁で座り込んで身体を固くさせると、耳まで真っ赤にして俯いていた。

 いまさらの態度であるとは思うが、意識するとすっかり忘れていた恥ずかしさがまたぶり返してくる。

 居心地の悪さとむずがゆい思いから、蛍は黒いタイツに包まれた太ももをもじもじとこすり合わせていた。

「心配なのでしょう? 燐の事が」

 オオモト様に不意にそう尋ねられて、蛍は身をびくっとさせる。

 確かにそうなのだが、蛍の今の関心事とは違うことを尋ねられて、蛍は軽く目を見開いてオオモト様の方に顔を向けた。

「えっと、はい……燐が無事ならいいんですけど」

「蛍は、あの影が燐の所へ行ったのだと思っているんでしょう? どうしてそう思うの?」

 そう言って、オオモト様は蛍の方をまっすぐに見つめる。

「わたしならそうするだろうなと思ったから、です。もしあれがもう一人のわたしだとするなら、きっとそうするはずだと」

 本当に、自分から出たものならそうするだろう。
 
 それは確信を持って言えることだったから。

「わたしもそう思うわ」

「オオモト様もですか?」

「ええ。だって蛍も燐もとっても仲良しだったものね。だから会いたい、何に代えてでも。そういうものでしょう」

「えっと、はい」

 なんだか恥ずかしい事を聞かれているように感じて、蛍はまた顔を紅くさせていた。 

「あのぅ、オオモト様」

「何かしら?」

「もし、わたしが死んだとしても、その”もう一人のわたし”は残り続けるんですよね?」

 とても重要なことだったが、蛍は淡々とした口調でオオモト様は尋ねた。

「そうね」

 自身の長い黒髪を手で流すと、オオモト様は軽く瞼を閉じると、とても静かな声で話をつづけた。

「蛍から出たものだけど、その思考も目的も違うものになっているのよ。つまりあなたとは別の存在となっている。だから、たとえ蛍がどうなったとしても、それとはもう関係のないものなのよ」

「そうですよね……やっぱり……やっぱり、か……」

 蛍は困ったようにそう答えると、ぶつぶつと低い声で呟く。

 目の前のオオモト様どころか、世界に自分しかいないみたいに何度も同じ言葉を繰り返している。

(やっぱり、そうなんだ……何となく分かっていたことだけど)

 ショックというかさっぱりとした気分にすらなる。

 もし違っていたら、今この場で今すぐに命を絶つようなことをするつもりはないけど。

 左の手首の辺りが軽い疼きのようなものを覚えたが、それは悪い感じのものではなかった。

(じゃあ、どうしたらいいんだろう……世界が終わらせるみたいだけど)

 どこか他人事のように感じてしまうのは、実際にもう一つの自分と対峙していないからだろう。
 
 ”ダイダラボッチ”とか言われていたのが、どうやらそうみたいだけど。

 どうにも実感が湧かない。

 蛍がそう感じるのは二度目のことだった。

 一度目はそう──自身が座敷童と言われたときのこと。

 あの家で代々伝えられていた”オオモト様”とは座敷童のことであり、そして自分のことだった。

 目の前にいるこの女性も、オオモト様なのだから、いろいろと複雑なこととなってしまうのだが。

 ただ、これは呼称というか愛称のようなものであり、この人の()()()()()()()は自分と同じように別にちゃんとあるみたいだけど。

 蛍からそれを聞き出すようなことはしなかった。

 自分から言わない限りは。

(そういえば、青いドアの家だって、最初は何の名前もなかったよね)

 燐がそう名付けてくれていたから、今はそれだと理解できているけど。

 つまり。
 
 ”誰か”という別の存在がなければ、あの世界はずっと名前のない空虚な世界だったということになる。

 オオモト様はあの世界に対して自分から名前を付けようとはしなかったわけだし。

(”マヨヒガ”ではないらしいし……それに”オオモト様”だって最初は誰のことを指しているのかすら分からなかった)

 最初は、この人のことをオオモト様と呼ぶことに少し躊躇いがあったけれど。

 青いドアの家の世界と──オオモト様。

 それらは概念でしかなかった。

 名前を付けることによって、それは実存となり、認知することができるようになる。

 物事とはそういうものなのだろう。

 ”あれ”とか”それ”とかじゃ何の説明もつかない。

 あの──白い人影なんかもそうだった。

 あの町の人間だったものが、名前も顔も失って本能だけの存在になってしまった。

 あるはずのものが一切なくなって、道徳心すらも失っていた。

 つまり、人として終わってしまったということなんだろう。
 あの白い人影達は。

(それが、”せかいのおわり”なのかなぁ……)

 確かに、あの時は人も町もぐちゃぐちゃとなっていたし、おわっていたのかもしれない。

 世界のおわりというのは、あの町で起きたことのようなのが、また起きるという意味なんだろうか。

(ここで、待っていればいいって言ってたけど……ほかに方法はないのかな……?)

 オオモト様の方をちらりと見る。

 こんな所で指をくわえて世界のおわり待つだなんて。

 でも。
 どうしたら。
 
「方法は……あるわ。手段といってもいいのでしょうけど」

 オオモト様は蛍には聞こえないぐらいに小さく息を吐くと、ハッキリとそう言葉を綴った。

「それって?」

 蛍は藁にも縋る思いでたずねる。

「蛍、これを」

 オオモト様は少し長めの棒のようなものをどこからか取り出すと、二人の間のテーブルの上にそっと置いた。

 それを置いた瞬間、ごとりと少し重めな感じの音がした。

 渡したいものがあると言っていたが、きっとこれがそうなのだろう。
 蛍の視線もそれに止まる。

「それで、これは何なのでしょう?」

 当然の疑問をオオモト様にぶつける蛍。

 オオモト様は小さく頷くと。

「ここから出るためのものよ。そうね……使い方次第かもしれない」

 曖昧にそう答えると、オオモト様は再びそれを自身の白い手の上に取って、蛍に手渡しをしてきた。

 ぱっと見た感じだと、細長い袋の中に何かが入っているような感じに見えるけれど。

 さっきの音からすると、何か重い棒みたいなものが入っているのかもしれない。

「わたしに?」

 こくりと頷くオオモト様。

 とりあえず蛍は受け取ることにした。

(……あれっ?)
 
 蛍が手で持った瞬間、その物の感触に妙な違和感を覚えて首を傾げようとしたのだが。

「あわわわっ!」

 何気なく受け取ったものだったのだが、それは蛍の予想よりもずっと想いものだった。

 急な重みに耐えかねて、蛍はつい手から落としそうになってしまった。

「わっ、ダメっ!!」

 地面に落ちてしまうその前に、蛍は膝をついて両腕でがっちりと抱え込むようにして掴む。

 細長い布袋のようだったが、それは見かけ以上の重量があった。

 オオモト様は軽々しく扱っていたみたいだったから、つい油断をしてしまったけれど。

 それにしても。これは一体なんなんだろうか。

(やけに重いし固かったから、何かの金属だとは思うけど……)

 蛍は安堵の息を吐くと、手の中のそれをしげしげと眺める。

 たまらずオオモト様の方を向いてみたが、オオモト様は目を伏せて黙ってしまった。

 これでは、なにも答えてはくれそうにない。

 蛍は手に取ったばかりの長い包みをまたテーブルの上へと戻した。

 受け取ったものを手放したのだから、失望されてしまったのかもしれない。

 けれど、こんなよく分からないものを手渡されてもどうしようもないのも事実だった。

(さっきオオモト様、ここから出るためのものだって言ってたけれど……)

 この中には一体何が入っているというのだろう。

 蛍は細長い朱色の布を訝しげに見つめる。

 あんなことを言っていたが、そんなに良いものが中に入っているような気はしない。

 むしろ、もう触れない方が良いような気さえしてくる。

 しかしこのままでは膠着状態となってしまうだろう。

 違う話を振ってくれそうな人なんかはいないわけだし。

 蛍は間接的な言葉で独り言のように呟いた。
 
「これ、わたしにはちょっと重たかったみたいです。だから無理かも」

 謙遜とかではなく、本当に自分の手に余るほどだったから、相当な重さがあるとは思う。

 別に、そんな力持ちというわけじゃないけど。

(むしろ、力はあんまりない……多分、普通の人よりもちょっと低い気がする)

 それでも目の前の女性は何も言ってはくれなかった。

 蛍は胸の内で溜息を吐くと、今度は少し意識をしてもう一度持ち上げてみることにする。

 金属の棒を持った時みたいな、ずっしりとした感触が掌越しに伝わる。

 両手でもっているのに、少し二の腕が震えてしまうほどだった。

 蛍の必死な様子に、寝そべっていた白い犬がふわっと大きな欠伸を一つした。

 それがきっかけになったのか、オオモト様はぴったりと結んでいた桜色の唇を解く。

「包みを、解いてごらんなさいな。確かに少し重いものかもしれないけれど、蛍の助けになってくれると思うわ」

 沈黙を破ったオオモト様の方を蛍は向き直す。

(助ける……?)

 それはどういう意味なのだろう。

 開ける前からそんなことを言われてしまっても、どうしたらいいのだろう。

(これがわたしを助けるモノ……なの?)

 蛍は困った顔で眉を寄せた。

 しかし、この人にそう言われたら気になってしまうの確かだった。

 蛍は小さく頷くと、赤い柄の布をもう一度よく見つめる。

 布の表面にはどこかで見たような家紋のような模様がところどころに施されていた。

 先端の方には黒と白の紐が括られており、それがこのものの封の役割をしているようだった。

(もしかしたら、これって……刀を入れておくもの!?)

 三間坂の家でも刀剣のようなものは一度も見たことがない。

 だが蛍は何故かそうではないかと思った。

 蛍は変な緊張感に襲われて、喉をごくりと鳴らす。

 もう一度オオモト様の方を振り向いた。

 こくり。
 目が合うなりオオモト様は静かに頷いた。

 開けろという合図なのだろう。

 さっきまで呑気に欠伸をしていたサトくんもこちらをじっと見ている。

 なんだか急に重苦しい空気のようなものを肌に感じて、結び目を解く指がもたついてしまう。

 単純な結び目なのに、やけに時間がかかったように思えたが。

「これ……やっぱり」

 袋の中に入っていたものを見て、蛍は口を大きくあけた。

 心底驚いた顔となっている蛍をみても、オオモト様は静かにその様子を見守っている。

 白い犬も、やおら立ち上がったと思ったらこちらを凝視するように停止してしまった。

 曇りのない黒く大きな瞳で、この先の動向を探っているかのように、サトくんは唸り声一つ上げなかった。

(これは……やっぱり、(かたな)……そうだよね)

 黒い鞘に収められている一振りの刀が、鍔がついたままの状態で布の中に収められていた。

 まだ鞘からは剣を抜いていないけれど、多分ちゃんと”刃”もついてあるのだろう。

 そうでなくては、こんな頑丈そうな鞘の中に入っているはずがないし。

 中身は概ね、蛍の予想通りだったわけだが。

 そんなことは問題ではなくて──。

 何故こんなものが、ここにあるという事実と。

(オオモト様はこれをわたしに渡して……それで……)

 一体、何をどうしろと言うのだろうか。

 こんなもので。


 理由を、何よりも知りたかった。

 ……
 ……
 ……



Perlin noise

 

「ついに出た、クマね!! この化け物風情がっ!!」

 

 雪を頭に乗せながら、くまは巨大なクラゲに向かってそう吠えた。

 

 その隣で燐は逡巡する。

 

(それじゃあ、あれが、ダイダラボッチとかいう妖怪の”本当の姿”なの!?)

 

 くまが”化け物”などという相手はそれしか思い浮かばなかったので、燐はそう結論付けた。

 

「ねぇっ、あれが本当に”ダイダラボッチ”とかいうやつなの? 全然姿が違くなってるんだけど……」

 

 妖怪について書かれた本とかでは、ダイダラボッチは巨人のような姿だったことを覚えている。

 

 あんなのはどうみても。

 

「あれはクラゲでしょ? 何で空を飛んでいるわけ!?」

 

「そんなのボクだって知らないよ」

 

 燐はひそひそとなるべく声を潜めて、隣にいるくまの肩に手を置いて問いかける。

 

「正直、よくは分からない。でも……ダイダラボッチで間違いないクマ。ボクの勘がそう言っているから」

 

「勘って……」

 

 燐は気の抜けたように、深い息を吐きだす。

 

「いろいろとおかしいのは分かるけど、それだけで妖怪と決めつけてもいいの? ダイダラボッチとか言うのはあんな姿じゃないんじゃない」

 

 燐のその言葉にくまは怪訝そうに眉をひそめると。

 

「キミは何を言っているの?」

 

「えっ?」

 

「あれに決まった形なんかないって前にも言ったクマよ。()()()()あんな姿になっているというだけで」

 

 前に追いかけられたときに、そんなこと言ってたっけ。

 

 それにしても。

 

(たまたま……なんだ)

 

 何かいい加減というか、少しもやっとしてしまうけど。

 

「そっか、そんなことをくまちゃん言っていたよね、ごめんね」

 

 だが、そう言われてもいまいちピンとはこない。

 

 大きいというだけで普通のクラゲにしか見えないし。

 

 ヒヒやあの”何か”みたいな、もっと分かりやすい姿をしてくれればいいのだけれど。

 

 そもそも妖怪だとか言われても、そんなに良くは知らないわけだし。

 

「幽霊だってこれといった形をもっていないでしょ? それと同じことだって」

 

 そう言って、頭の耳をぴくぴくとさせたくまが軽く肩をすくめた。

 

(幽霊とかって……それと、アレは同じものなの……?)

 

 あれは。

 

 考えるたびに頭がこんがらがってくるような気になってくる。

 

「そういえば、あのクラゲって……どこかで見たことあるような……?」

 

 どこだっただろうか。

 

 はっとなった燐は、人差し指を唇に当てて考えこんでいた。

 

「燐は、ヤツを知っているクマか!?」

 

 そう言ってくまがぐいっと詰め寄ってくる。

 

 燐は困った顔で苦笑いをすると。

 

「知ってたっていうか──どっかで見たような気がしたってだけ。多分、元になった”普通のくらげ”のことだと思うよ。あんなには大きくなかったし」

 

「なぁんだ、普通のクラゲの話かぁ」

 

 くまは小さく肩をすくめた。

 

 だが、すぐに表情を戻すと思案をする素振りを見せるように腕を組んで何やら考え込んでいる。

 

 燐も首を傾げて、ぷかぷかと浮いているクラゲを見る。

 

 何となくだが、こちらから離れていっているようにもみえるが、まだ判断はつかない。

 

 黒と白しかないシンプルすぎる背景のせいだとは思うけれど。

 

「けどさ、あれってすぐにでも危害を加えてくるものなのかな? ただ飛んでいるだけにしか見えないんだけどぉ」

 

 暢気な感想だと自分でも思うが、そうにしか燐には見えなかった。

 

 いくら桁違いのサイズで飛んでいるからって、それで敵だとなる理由にはならないだろうと思う。

 

 味方であるとも決まったわけではないけど。

 

「でも、さっきのはアイツがやったんだよっ。燐だって見たでしょ!?」

 

 くまがそう言っているのは、焚き火を消されてしまったことと、ブルドーザーを吹っ飛ばされたことだろうが。

 

「うーん。見たって言われてもねぇ……」

 

 すぐに燐は返事を返せなかった。

 

 確かに見たことには見たのだけれど、かまくらの中からだったから一部分しか見えなかったわけだし、それに、これといった証拠があるわけではなかった。

 

 あっという間の出来事だったし。

 

 ただ、近くに巨大なクラゲが飛んでいたというだけで、それだけで疑うのはなんだか少しかわいそうな気もする。

 

 とっても大きいし……空に浮いているなんて、あまりにも不可思議すぎるから、びっくりはしてしまうけど。

 

「もう、燐! 何を考えているクマか? アイツ以外にあんな事できるのはここにはいないクマよっ!!」

 

 曖昧な表情で首を傾げる燐に喝を入れるようにくまがそう吠えていた。

 

 確かにくまの言うことも分かる。

 

「状況だけ見るとそう、なのかもね」

 

 他に該当しそうなのもいないわけだし。

 

 仮にあの、白い人影がやったとしても、あれが複数人いた形跡は感じ取れなかった。だと言って単独でできることではない。それに、周囲の雪の上の足跡は、燐とくまのものしかついていなかった。

 

(おかしいものがいるから、それが怪しいってこと……?)

 

 形容的におかしいことを言っているとは思うが。

 

 もし、重機や焚き火を飛ばしたのが、あの巨大なクラゲの可能性だったとしてらそれは、一体何のためなのだろう?

 

 あの……とても長い触手でやったとでもいうのだろうか。

 

 クラゲの下部にある触手は本体よりもずっと長く幾つも生えていた。

 

(獲物となる、自分よりも小さなプランクトンなんかを捕る為だって聞いたことがあるけれど……)

 

 触手には毒を出す小さな針が無数についていて、それで相手を痺れさせてから触手で絡めとって捕食をするらしい。

 

 あの大きさなら、人間や重機もプランクトンのように潰すことだって出来るのかもしれない。

 

 人を捕食するかまでは分からないが。

 

 考えてみても、どうにもまだ信じられないというか、そんなことをする理由が未だ分からない。

 

 くまの言うように、正体が妖怪だったとしてもだ。

 

 こちらから攻撃でもしない限り、理由もなしにいきなり攻撃を仕掛けてくるのは、どう考えてみてもおかしい。

 

(仮にその”ダイダラボッチ”とかいうのだったとしても、何でわたしたちを狙ってくるのだろう)

 

 あの白い影もそうだった。

 

 幸運も何ももっていないはずなのに、何故かこちらを探していた。

 

 何か、違うところと言ったら……。

 

 燐はついうしろを向いてしまう。

 

 もふっとしたキツネのしっぽがスカートの端から覗いていた。

 

(でも、やっぱり逃げた方がいいんだよね?)

 

 こんなところで見てなどいないで。

 

 だが、くまも燐も何故か動こうとはしなかった。

 

 少女達は雪の情景にクラゲが浮かんでいる様をぼんやりと眺めている。

 

 アクアリウムで見ているみたいに、軽く口を開きながら。

 

 真っ黒い空を背景にクラゲがぷかぷかとしているところを見ると、雪原がまるで水平線みたいに思えた。

 

 目的もなしに浮いているというよりも、何かを探しているようにも見えるけれど、それはもしかしたら自分たちの事なのか。

 

 通目で見る分には普通の海にいる海月と何ら遜色がないようにみえるけれど。

 

 ちょっと形は変わっているけど、あれはそういう種類のクラゲだった気がする。

 

 その名前までは……思い出すことができないけど。

 

(やっぱり、どこかで見たようなあるような気がするんだけど、なぁ)

 

 どうしてだか思い出せない。

 

 図鑑ではなく、直接目でみたと思うのに思い出せないのはなぜなのか。

 

 記憶の引き出しに鍵が掛かっているみたいに、頭からそのことだけが取り出せない。

 

 燐は懊悩となって、額を手で押さえた。

 

(さて、どうしたものか)

 

 燐の横でくまは両手を握りこんでいた。

 

 化け物クラゲのどこに目がついているのかは知らないが、今はこちらを見ていない気がする。

 

 仕掛けるとしたら今がそのチャンスなのかもしれない。

 

(問題は、どうやって攻撃するかだけなんだけど)

 

 下に降りてくれば簡単なんだが、こっちの要求に乗ってくれるとは到底思えない。

 

 だったら。

 

 いつの間にか燐がくまの方を心配そうな顔で見ていた。

 

「ね、ねぇ、もし……あれが、妖怪だったとしたら、くまちゃんはどうするつもり? もしかして倒す、とか?」

 

 何となくそんな気はするけれども、燐は一応尋ねてみる。

 

 燐の予想通り、くまは目を大きくさせて指をぼきっとさせた。

 

「アイツはこっちを見ていない……今は大丈夫かもしれないけど、さっきみたいに不意に仕掛けてくる可能性は十分にあるクマ」

 

 くまは完全にやる気のようであり、浮いている白いクラゲを獲物を見るような目つきで鋭く睨んでいる。

 

「それは、まあ……注意しておくことに越したことはないとは思うけど」

 

 そう言って燐は曖昧に頷くと、雪の壁に身を隠すように膝を小さく曲げて、空を仰ぎ見る。

 

(やるんだ、くまちゃん。確かにまた襲ってきたら怖いとは思うけど)

 

 確かに、あんなのは現実にはあり得ない。

 

 クジラの形の雲がたまに空に浮くことがあっても、あれはどうみても雲なんかじゃない。

 

 真っ白い色をしているけれど、あれは多分、周りの雪が反射して白色になっているだけ。

 

(それに、あんなに光までも)

 

 クラゲの全身からネオンサインのような強い光が放たれている。

 

 それが白い雪の地面で跳ねて、幾つかの光の粒を浮かび上がらせていた。

 

 どういう原理と理由で、あのように宙に浮いて生きていられるのだろうか。

 

 空が深海にでもなっているとしか、そうとしか考えがつかない。

 

 非現実的な妄想だけど、あり得ないことばかり起こりすぎていて感覚が麻痺してしまったのだろうと思う。

 

 あり得ない大きさのクラゲが空に浮かんでいるという、非現実的な事実がそこにあるというだけで。

 

 この目で見たものがまだ信じられないが、あれだってこの世界の一部なのだ。

 

 今の自分の姿と同じで、現実であり得ないことがこの世界での常識となっていた。

 

 ともすればそれは丸い気球のようで、ぷかぷかと優雅に浮かんで気持ちよさそうに見えるけれど。

 

 確かな現実感を確かめてみたかったのか、燐は古い安物のライターのボタンを何気なくかちりと押した。

 

 ──まだ少しはオイルが残っていたのか、青白い小さな炎がぼおっと灯る。

 

 小さな|灯()()()()は安堵の気持ちを少女に起こさせた。

 

 その火をみながら燐はあることを考えていた。

 

(何かあったときのためにいろいろと装備を用意しておいたのにさ……結局何の役にも立たないなんて……)

 

 呟く少女の横顔をちいさな火が照らす。

 

 白い闇の中で、寂しそうに燐は小さく苦笑いを浮かべていた。

 

 乗ってきた軽自動車のラゲッジスペースには、保存も利いてすぐに食べられるインスタントな食料や、充電式の道具と予備の電池。そして武器にも使える柄の長い懐中電灯まで入れてあったのに。

 

(取りにいけないんじゃ意味がないよね。あーあ、バックバックの一つすらも持ってないなんて)

 

 今思えば、何かのトラブルに見舞われたときだって、最低限のものぐらいは持っていた。

 

 それが役に立つかはどうかは別として。

 

 それなのに今は。

 

(何ももってないわけじゃないけど、こんなのしかないなんてね)

 

 曲がった鉄パイプと古びたライターだけ。

 

 こんなのであんな化け物じみた相手にどうこうできるはずもない。

 

 ここまで乗ってきたブルドーザーは、もう壊れてしまったことだろう。

 

 どこまで吹っ飛ばされたのかは分からないけれど。

 

 もしかしたら谷底にでも転げ落ちていってしまったのかもしれない。

 

 重機の残骸とかそういうのはここからでは全く見えないわけだし。

 

「ねぇ、くまちゃん」

 

「うん? 燐、どうかした?」

 

 そうくまは答えるが燐の方を見ていない。

 視線は空で漂っている巨大なプランクトンに注がれていた。

 

 燐はそのまま話をつづけた。

 

「戦うんだとしたらどうするつもりなの? あんなにも大きくて、空の上の方にいるのに」

 

「それは……まあ……クマ」

 

 燐にそう聞かれて、くまは困ったように細い眉を寄せる。

 

「ねぇ、キミはあのクラゲのことを少しは知っているんでしょ? 何かないクマか?」

 

「何かって?」

 

 少女たちは小声で話し合う。

 

「弱点とかそういうの知らないクマ」

 

「じゃ、弱点かぁ……うーん」

 

 さすがにクラゲと喧嘩をしたことはない。

 

 燐が幼い頃に家で成り行きから飼っていたのも、クラゲではなくタコの方だったし。

 

 海で見かけるようなことがあっても、無理に近づかなければいいだけのことだったから。

 

「だってあれは幽霊っていうか、ダイダラボッチが変化したものなんでしょ? わたしなんかよりもくまちゃんの方がよっぽど詳しいんじゃないのぉ」

 

 どう考えてみても専門外のことだと思った燐は、そのまんまくまに質問を返した。

 

「そう言われてもねー。クマー」

 

 くまは難しい顔で宙に浮いている海月を見やる。

 

「あんなデカいものはこれまで見たことなかったクマよ。もしかしたら……あの顔のない連中の集合体かもしれない。連中、急に姿が見えなくなったわけだし」

 

「……それって?」

 

 何となく変なものを感じたのか、燐は怪訝そうな声で聞く。

 

「ほらっ、小さいスライムがくっついて、大きなスライムになるっていうのを知らないクマか? そんな感じであの人影がくっついて出来てるのかも」

 

 明らかなくまの仮説に燐は思わずため息をつく。

 

「それって、ゲームでの話だよね」

 

「あ、それだよ。きっとアイツもそれクマ」

 

 くまはうんうんと大きく頷く。

 

 燐は唖然となってしまった。

 

「もー、最後まで話を聞くクマ。まったくキミはくまの話を聞かないよねぇ……ぶつぶつ」

 

 また馬鹿にされてると思ったくまは少し口を尖らせる。

 

 燐は軽く愛想笑いを浮かべた。

 

「もしくはさ、最初からあの姿だったのかも」

 

「それって? どういうこと」

 

「垂れ下がっている”触手”みたいなものを切り離して、さっきののっぺらぼう達をつくりだしてたのかもって、そっちの方が数が多いから」

 

 それも仮定だろうと思った燐は露骨に嫌な顔になってしまうが。

 

「じゃあ、何で今はあれしかいないの?」

 

「目的を果たしたとか?」

 

「その目的って?」

 

「それは分からないクマ」

 

「そう」

 

 周りの空気が雪とか関係なしに一段と冷たく、厳しくなった気がした。

 

「燐。ちょっとそれ貸して」

 

「あ、うん」

 

 くまは燐の持っているライターを指さすと、燐からそれを受け取って、いきなり身を翻して雪の上を四つん這いのままどこかへと行ってしまう。

 

 何事かと思った燐はあっけにとられて、ぱちくりと瞬きを繰り返していた。

 

「もしかして」

 

 一人であのクラゲに戦いを挑んでしまったのだろうか。

 あんなライターひとつで。

 

 燐がそう気を揉んでいると、あっさりとくまはすぐに帰ってきた。

 

 どこかで落ちていたのだろうか、くまは手ごろな大きさの枝と幾つかの葉っぱを手に持ってきていた。

 

「やっぱり寒いクマね~、このままだと冷やしクマになっちゃう~」

 

 戻ってくるなりくまはそう言うと、まず初めに葉っぱにライターの火をつけた。

 

 それを持ってきた枝へと乗せる。

 

 事態がまだよく呑み込めず、くまのやろうとしていることを固唾を飲んで見守る燐だったのだが。

 

「あ、そっか、松明か」

 

「そーゆーことっ、はう~、あったまるクマ~」

 

 くまは指を鳴らす代わりにウィンクをしてみせる。

 

「あっ、でもさ、こういう熱とかって感知しちゃわないかなぁ?」

 

 焚き火が消されたことを思いだす。

 

「どーだろうね? でもクラゲって海のいきものだよね? だったらそういうの苦手そうじゃ感じしないクマ」

 

「じゃあ、消したほうがいいんじゃ」

 

 折角くまが作ってくれた松明だったが、このせいでこちらの居場所が分かってしまったら元も子もない。

 

 渋々燐が火を消そうとするも、その手をくまが止めた。

 

「普通に、寒いからまだいいクマ、燐、ちゃんと見張ってて!」

 

「はいはい、まったく……」

 

 くまその言葉にやれやれと、燐は小さく首をふる。

 

 ただ実際、どうなんだろうか。

 

 自分で作った松明を雪の上に突き刺して暖を取るくまに、燐は背を向けると言われたように黒い空を見上げた。

 

 杞憂だったのか、こちらには気付いてはいないようだが。

 

「ね、ねぇ、何だかあのクラゲ、遠ざかってない?」

 

 慌てた燐がくまの肩を叩く。

 

 くまは掌を火に向けながら首だけで振り返る。

 

「本当だ。あいつ、何処にいくつもりなんだか」

 

 巨大なクラゲはこちらの方に来るのではなく、むしろ反対の方向へとふらふらと飛んでいるように見える。

 

「もうこっちに来るんじゃないクマっ!」

 

「あ、ちょっとぉ!」

 

 燐が制止するのも聞かずに、くまは地面の雪を掴むと雪玉を離れて行くクラゲめがけて投げていた。

 

 それはもちろん届くはずもなく。

 

 どうやら向こうにも気付かれてなかったようで、燐はほっと息をついた。

 

「もう! 戻って来ちゃったらどうするつもりだったのっ」

 

 腰に手を当てた燐がくまの行為に文句を言おうとしたのだが。

 

「ねぇ、クラゲって……目とかあるクマ?」

 

「ふえっ?」

 

 妙なことをくまに聞かれて燐は軽く頭をひねる。

 

「確か、あるような話は聞いたことはあるけど、ちゃんと視るとかのことはできないみたいだよ」

 

「ふ~ん、じゃあ安心かな。視えてないのなら」

 

「かもねぇ」

 

 傘のような部分の縁のあたりにかなりの数の目がついていると、図鑑かなにかで見たような気がした。

 

 それと普通に口とかもあったはずだが。

 

 普通のクラゲの区分にあれが当てはまるものなのかは正直分からない。

 

 普通に飛んでいるところみると、あれは生物じゃなくて機械仕掛けのものではないのかと、燐はそう思ったぐらいだった。

 

(まあ、今のところは平気そうかな。目を離さないでいればいいわけだし)

 

 燐もくまの隣にしゃがみ込んで暖を取る。

 

 たいまつといっても簡単なものなので、そんなにはもたないとは思うけど、普通に暖まることができるし、今はこれで十分だろう。

 

 ただ、煙があがってしまうから、熱じゃなくてこれで気付かれるかもと思ったが。

 

 怪訝そうに燐がそちらを見ても、やはりクラゲがこちらに近づいてくる様子はないようだった。

 

「ねぇ、くまちゃん」

 

「うん? 何クマ」

 

「わたし達、これからどうしたらいいと思う? あんなのは相手にしない方がいいとは思うんだけど」

 

 頼りなさげな言葉を出していると自分でも思ったが、燐には判断がつかずにいた。

 

 すぐさまあの巨大なクラゲが、こちらに戻ってくるのならまだいいが、ああしてどんどんと離れていってしまうと、むしろどうしていいのか分からなくなる。

 

 あのまま遠くに行ってくれるのなら良いのだけれど。

 

(あの、足しか見えなかった巨人だって、一度きりだったから良かったけど)

 

 トンネルを抜けた後にも、あの巨人が追いかけて来たりしていたら。

 どこかで事故っていたか、車ごとぺしゃんこになっていただろう。

 

 そう言う意味ではあの重機から下車しておいて正解ではあった。

 

 その重機は多分悲惨なことになっているとは思うけれど。

 

「そういえばさ」

 

 くまが口を開く。

 

 こちらから遠ざかる海月を注視しながら、燐は黙って耳を傾ける。

 

「あの時に食べたお蕎麦(そば)って 、結構おいしかったよねぇ?」

 

「え。あ、うん」

 

 意図していなかったことを不意に言われて燐は曖昧に頷く。

 

「かまくらの中で食べたらもっと美味しくなりそうな気がする。うー、想像したら舌がおそばの味になってしまったクマ~」

 

 くまは笑うと、ピンクの色のちいさな舌をぺろりと出す。

 

「そういえば、わたし……あれしか食べてないかも」

 

 今の今まで空腹というものをすっかり忘れていた。

 

 青いドアの家でケーキを焼いていたときにだって、ほとんど食べようとはしないで作ることに夢中になっていたっけ。

 

 ケーキがちゃんと焼きあがった後で、味見をしようとは思ったのだけれど。

 

(その前に、こんなことになっちゃったし……)

 

 それにしても。

 

 くまや蛍と一緒にお蕎麦を食べたということそのものが、もうずいぶんと昔のことのように思える。

 

 時間にすればまだ一日も経っていないような感じなのに。

 

「もう長いこと、この世界にいるみたいになっちゃってる……」

 

 時間の進みが遅いのか。

 それとも早いのだろうか。

 

(それにしたってだよ? 夜一つも越えられないなんてことは)

 

 知らない世界の終わらない夜の時間を、延々と走り回っている。

 

 ずっとずっと。

 

 このまま終わらないんじゃないかと思えるぐらいどこまで行っても真っ暗な中を意味もなく。

 

「いつまで……」

 

「……?」

 

「いつまで、こんなことが続くんだろう……って」

 

「それは……クマぁ」

 

 問うたところで隣の少女も自分も、これといった答えなんか何も持ち合わせていない。

 

 むしろ沈黙こそが、その問いに対する答えであった。

 

 分からないからこそ分からないのだと。

 

 答えなんか最初からないのだろうこの世界では。

 

「もしかしたら、()()って、わたしなのかも」

 

「……どーゆーことさ?」

 

 くまは燐の顔を見ながら訝そうに首を傾げた。

 

 自分でも何を言っているのだろうと思う。

 

 くまの疑念の目ではもっともであり、まるで理解ができなかったのだが。

 

「あのさ、わたし前にね。世界から消えてなくなっちゃったことがあるんだけど……」

 

「それって、えっとぉ」

 

 くまは片手で燐に待ったをかけると。

 

「もう少し……くまにも分かるように言って」

 

「あはっ、ごめん。急に支離滅裂なことを言っちゃって」

 

 燐は手で頭を掻く。

 

 それに合わせて頭のキツネの耳が横にぴょこんと伸びていた。

 

「実はね。わたしにもよく分かっていないの。でも、そのせいであんなのが出てきちゃったのかなって……そう考えた方がしっくりくるって思った」

 

「それって……キミ達の町で起こった出来事のことクマか?」

 

 少し前に出会った、座敷童の子から聞いていた話だった。

 

 眉唾ものの話だとおもっていたから、聞き流しのような感じで、そんなには気にしなかったのだけれど。

 

「そのときに、神隠しに会ったって言うのが。キミ……クマか?」

 

 くまが燐のことをちょんと指さした。

 

 その瞬間。

 

 燐はどきんと心臓が飛び上がるような感じに襲われたのだが、すぐに元の顔に戻すと。

 

「そう言うのとはちょっと違うと思ってるんだよね……でも、蛍ちゃんには良く言われちゃうんだけどぉ」

 

 燐は頬を紅潮させると、あははと苦笑いする。

 

「まあわたしもあの町のことって、そんなには知らないんだよね、今はある程度は知っているんだけど」

 

 知るしかなかったというか。

 

 そう言って考えるような素振りで燐は少し俯いていた。

 

 をふわりと薄い雪がその頭を撫でる。

 

「でも……そうだよね。なんていえばいいのかな……消えちゃったっていうか、見えなくなっちゃったような感じだったのかも。見えない壁一枚を隔てて、姿も声も周りに届かないような感じで」

 

 燐は自分で言った言葉を自分でかみ砕くように、腕を組んでうんうんと頷いている。

 

 くまはふーむと両手を頭の横にあてて考え込む仕草を見せた。

 

「それこそ、幽霊だったんじゃないんじゃないクマか」

 

 燐をからかうようにくまは両手の甲を向けて舌をだす。

 

 間抜けな表情に燐は吹き出しそうになった。

 

「でも、そーだったのかなぁ。手も足も普通にある感じだったよ?」

 

 そう言って燐は自身の手足をぶらぶらとさせた。

 

「その時、燐はどういう状態だったの? ちょっとボク興味あるクマかも」

 

 くまは大きな瞳を輝かせて前のめりに聞いてくる。

 

「あんまり、面白いものでもないんだよねぇ」

 

「それでも聞かせてクマっ」

 

「……うん」

 

 燐は困り顔になりながらも、渋々頷いてみせた。

 

 遠ざかっていくクラゲを一瞥した後、小さな口調でその時のことをくまに話した。

 

 くまはぴょこぴょこと足踏みをして燐の話を待ちわびていた。

 足元から這い上がってくる寒気がそうさせているのかもしれないけれど。

 

「何かね、青いドアの家と似たような世界にいたの。ずっと空が続いていて、どこまでも水面が広がっているような」

 

 これが彼岸なのかも、と燐は一瞬言いそうになりその唇を止めた。

 

「そこでは白い色の風車が何本も立っていたの。しかも意味もなくぐるぐると回っていた」

 

「意味もなく、ねぇ」

 

 一言くまは意味ありげに呟くと、軽く腕組みをしてみせた。

 

「まあ、それだけかな。ごめんね、何も面白いことが起こらなくって」

 

 燐はそうくまに小さく謝罪をすると顔を赤くして苦笑いを浮かべた。

 

 確かに、くまの言うようにその時は幽霊のような実態を持たない概念であったのかもしれない。

 

 現実に対して、存在を証明できるものが何もなかったわけだし。

 

(あのときは、魂だけの存在だった?)

 

 胸中でそう言葉を出してみても、何かが違うような気がする。

 

 しかしくまもそんなもので納得するようすはないようで、意外ともいえる言葉を口にした。

 

「ねぇ、それって、()()()()()()とかじゃないの?」

 

「え!?」

 

 全く思ってもないことを言われて、燐は大きく目を丸くさせた。

 

 座敷童がどうこうとか、この事と何か関係していると言うつもりなのだろうか。

 

 燐は軽く手を横に振る。

 

「それはないよ。だって座敷童って幸運を呼ぶだけのものでしょ? こんなのとは」

 

 くま呆れた息をつく。

 

「キミって、座敷童のことを何も知らないんだねぇ」

 

 意味深な事をくまは口にした。

 

 燐はどういう顔をしていいか分からず、少し泣き笑いのような複雑な表情となっていた。

 

(だって、座敷童って言ったって……)

 

 それは()()()()()()を言っているのだろう。

 

 今、座敷童は”二人”いるのだから。

 

「そんなこと言われてもさ。これでも妖怪とか座敷童に関する本とかを結構見たつもりなんだよ」

 

 そう言って燐は繕った笑みを浮かべた。

 

「ね、ねぇ。それよりもさ。もう今は眠たくなったりとかしないの? ついさっきまでくまちゃんは冬眠とか言ってたのに」

 

「それは、大丈夫クマ」

 

 一瞬、変な顔になったが、くまはどんと胸を叩く。

 

「だって、あんなのが出てきちゃったら、おちおち寝てなんかはいられないよ」

 

 それは確かにそうだと思う。

 

 くまの頭も目もぱっちりと覚めているようだった。

 

 それにしても、だ。

 

(座敷童のしわざかぁ……全く考えてなかったというわけじゃないけど)

 

 燐は顔には一切出さなかったが、痛いところをくまに突かれてしまったと、胸中では動揺していた。

 

 だけど。

 

 これを誰かのせいになんかはしたくない。

 

 それがもし仮に、とても大事な人に対してのものだったのなら……。

 

(わたし、は……)

 

「あいたっ」

 

 燐は不意に目の眩むような思いを感じて軽く額を押さえる。

 

 あの綺麗だけどどこか禍々しい白い光を見続けていたせいなのだろうか。

 

 それとも、幼くなってしまった姿で慣れない重機を運転して、そして必死な思いでかまくらを作ったときの疲れが今になって出てきたのか。

 

 頭だけではなく、手足の疲労感も今更のように覚えてしまい、燐はその場にしゃがみ込んでいた。

 

 目の前の地面の白い雪の結晶が、こちらを見て嘲笑っている。

 

 そんな風に一瞬見えた。

 

「あれっ?」

 

 燐に駆け寄ろうとしたくまが驚いた顔できょろきょろと辺りを見渡している。

 

「あれアイツ……とうとういなくなったクマか?」

 

 残念そうな口調でそう吐き捨てるくま。

 

 燐はくまの言っていることの意味がすぐには分からず、困惑した顔で差し出された手を取った。

 

 その手はやはり冷たかったが、自分の手も冷たくそして固くなっていることに気付く。

 

 手足が棒のように重くなっていた。

 

「……っ!」

 

 何かの視線に気付いたくまが小さく首を上に振る。

 

 その瞬間、吹きすさんだ風が降り積もった雪をびゅっとまき散らして二人の間を横切った。

 

 血液まで凍り付きそうな寒気の風が、薄着の少女達を吹き付ける。

 それと同時に、松明の炎も消える。

 

「……」

 

 二人の会話が止まり、心臓の鼓動だけが聞こえるようになる。

 

 降りやんだと思った雪がまたちらちらと空から落ちてくる。

 

「へぐっ! ぐちゅん!」

 

 それがくまの小さな鼻の上に乗って、くまは全身を震わせて大きなくしゃみをあげた。

 

 燐も、がちがちに強張ってしまった唇を解すように指先でぎゅうっと摘まむ。

 

「ねぇ、かまくらの中に戻らない?」

 

 どちらともなくそう言ったときだった。

 

 ふっと辺りが暗がりに包まれる。

 

 もともと暗かった場所に、より強い色の黒い影が振り落ちてきたみたいに、急に視界が真っ暗闇になった。

 

「これって!?」

 

 何事が起こったのかと、燐とくまが同時に上を振り向くと。

 

 そこには、行ってしまったと思ったヤツが居た。

 

 金縛りにあったようにくまも燐も動けない。

 

 口をぱくぱくと開いているのに言葉が喉から出てこない。

 

 声の代わりに、沸き上がる蒸気のように白い息をせわしなく吐き出していた。

 

 巨大なクラゲの”底”を見た瞬間、燐はあることに気付く。

 

(もしかして、これはクラゲなんかじゃなくて、もっと別の……)

 

「ねぇっ、ヤバいよ、燐っ!!」

 

 くまが絞り出すような叫び声をあげた時だった。

 

 二人の頭上から何かが落ちてくる。

 

 瞬きをする間もなく、ミサイルのような大きさと速さで。

 

 一瞬の間にそこに落下をした。

 

 

 ──

 ───

 ────

 





2024年もあっという間でしたねー。身の回りのものが壊れたり、無くなったりすることが多かった年に感じます。
実はPC用のゲームコントローラが壊れてしまい、保証期間だったので修理に出したのですが結局一か月ぐらい掛かってしまいました……それにしても、一年も経ってないのにもう壊れてしまうとは……そこまで安いものではなかったはずなのですけれど、最近のコントローラーって結構繊細なものなのかもしれないですね。大切に扱わなければーー。

★スーパーマリオランド。

久しぶりにGB版マリオをやってみましたが、相変わらずBGMがいい!! けれど結構難しかったかもです。こんなにマリオって滑るものでしたっけ? 
久しぶりで死にまくりでしたけど、最後がシューティングだったおかげで何とか無事にクリアできました! 裏面があることとか全然覚えていなかったですけど。
もしかしたら、2とか3の方が有名かもしれないです。3からは主人公が(ワリオに)変わってしまったですが。


今年も色々とありましたが、何とか無事に駆け抜けることができました。
来年もよろしくお願いします。

それではでは~~。

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