We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life. 作:Towelie
「うーん、やっぱり……何もないのかなあ」
もう一度首をぐるりと回した燐は、顎に手を当てて残念そうにそう呟いた。
非常用のハシゴぐらいはありそうなものなんだけど。
「燐ーっ! 大丈夫ー!」
切羽詰まったような蛍の声が燐の耳に届く。
燐は
だが、思うように動ける状況ではなかったので、代わりに安否の為に手を大きく振った。
「お~い」
「燐?」
今の燐は逆さまで、しかも宙吊りとなっていたのだから、蛍からは燐の小さな指の先っぽの方しかみえなかった。
「ねぇー、本当に大丈夫なのー!?」
何だかよく分からなかった蛍はもう一度声をかける。
一応無事だとは思うのだが。
「大丈夫、大丈夫。蛍ちゃんが手を放さない限りはねっ!」
燐はそう軽口を叩くと、先程よりも大げさに両手を振った。
手だけでなく体全体を使った動きのせいで、燐の身体が左右に大きく揺れた。
「燐っ、ちょ、ちょっとまって! そんなに暴れられたらっ!!」
燐の両足を手で持って、落ちないように身体を支えている蛍としては、それは冷や汗ものの行為であった。
何とかバランスを取ろうと、不規則なステップを踏むように蛍はせわしなく足を動かす。
その慌ただしさが燐にも肌越しに伝わったのか。
「ちゃんとしっかり持っててね。わたしの命は蛍ちゃんに全部預けてるんだからっ」
そう言って燐は逆さまのまま笑っていた。
蛍ははぁと疲れたため息をついた。
「もう……だったらそんなことしなくてもいいのに」
本当にそう思う。
(いくら出口が見つからないからって、さすがにこれは無茶だよ)
簡単に折れそうなほど細い燐の足首を、握るようにしっかりと掴みながら蛍は訝しげに眉をひそめていた。
出口のなくなった風車の上で、燐と蛍は取り残されていた。
どうしても諦めきれない燐は、扉がなくなった風車の上ではなく、この建物の裏側にも何かないかと探し始めた。
使えそうな道具なんかは一切ないから、燐が身を乗り出して風車の隅々まで確認することにしたのだったが。
なので蛍が、燐の足を手で持って支えることになったのだが。
(燐が悪いってわけじゃないんだけどな……)
燐がこういう事を気にする方なのは分かるけど。
だからって、ここまでする必要なんてない。
とても危険な。
ともすれば自殺行為としか言えないようなことなんか、燐がやらなくてもいいのに。
「あわわわっ」
意識が別に向いていたせいか、蛍は少しバランスを崩してしまう。
慌てて態勢を整える。
これは今に始まったことではない。
さっきから蛍の身体が小刻みに揺れていた。
自分では何とか抑えようとは思ってはいるのだが、どうやっても体の震えが止まってはくれない。
掌どころか全身がじっとりと汗ばんでいて、そのせいで手が滑ってしまわないか気が気ではなかった。
燐にもそれは伝わっているはずなのだが、こんな事もう止めようとはまだ蛍には言ってはこない。
それだけ必死になっていると言えるのだろうが。
どういう理由でだかは知らないが、子供となってしまった燐の体は確かに軽かったのだが、それでも長時間足を持っていれば流石に疲れてしまう。
それは確かに恐怖なのだけれど。
本来なら命綱を付けて慎重に作業をするようなところで、こんな組体操じみた真似を二人でやっているのだから、蛍が肝を冷やしてしまうのも無理のないことだった。
「ねえ、燐、危ないからもういいよー!」
蛍は足しか見えていない燐に向かってそう叫ぶ。
何度も言っているのだが、それでも燐は聞き入れてくれない。
こうなってしまったことへの責任を感じているのかもしれないが。
このままでは蛍の方がもちそうになかった。
体力と、落下してしまうことへの恐怖に対して。
蛍が恐れともどかしさでやきもきしている一方で、まだ宙ぶらりんな燐は。
(やっぱり無駄な足掻きなのかなぁ……こんなのは)
燐はふむと腕組みをして考える。
その体は蛍が足をもって未だ宙づりのままだったが、落下する恐怖なんかは何故か頭には浮かんでいなかった。
「風車の裏とか、影となっていた所も見たけど」
やはり何もない。
まあやるだけの事はやったから、それなりに諦めはつくけれども。
まったく悔しくはないと言ったらそれは嘘になる。
もうどうしようもないことだけど。
(他に手段は……やっぱりないのかなぁ?)
むむむと燐が軽く唇を噛もうとしたとき。
「燐ー!!」
悲痛な叫びのような蛍の声がした。
燐はほっと息を吐くと。
「もう、戻るからっ、蛍ちゃんはただ引っ張ってくれればいいよー!」
ようやく諦めがついたのか燐はそう蛍に軽く指示をだす。
「う、うん!」
蛍は顔を明るくして頷いてみせるも、すぐに神妙な顔つきになった。
(引っ張り上げてって言われても。わたし、そんなに力があるわけじゃないんだよね……)
この単純に引っ張り上げるという行為は見た目以上に大変なのだが、それでも燐のように逆さまになりながら周囲を見渡すよりかはずっとましだとは蛍は思っていた。
自分がやったらすぐに目を回しそうな気はする。
燐はさっきからこの行為を何度も続けているのだが、蛍としては少し疑問があった。
恐怖感がそんなになさそうにみえるし、それに頭に血が上ったりはしないのだろうか。
そんな些細な疑問は今はどうでもよくて、こちらはこちらで別の危険があるのだから。
蛍がちょっとでもバランスを崩したりなんかしたら、たちまち二人とも落下をしてしまうという、最悪な状況がカンタンに想定できてしまう。
つまり。
(わたしが、燐との全部を握っているってことになるんだよね……?)
そう考えると少し胸が熱くなってくる。
よけいに緊張もしてしまうのだが。
「よいしょ、よいしょっ」
本当に燐の体は軽く感じる。
自分の体重の半分すらもないのではないかと思うほど。
しかもそれだけでなく、ふさっとしたキツネの耳としっぽまで付いていた。
それが悪いというわけではなく、むしろ可愛いと思う。
本人はすごく気にしているみたいだけど。
ただ、どうしても目に入ってしまう。
特に柔らかそうなしっぽが。
(流石に、燐のしっぽを持つわけにはいかないよね)
燐の脚の間で誘うようにゆらゆらと揺れているせいからだろう。
こんな変なことが頭に浮かんでしまうのは。
あのもふもふとした感触は何とも言い難いものがあった。
まだ一度しか触っていないのに。
つい目の前でゆらゆらと揺れている燐の狐のしっぽに気を取られてしまったのだろうか。
「きゃっ!」
不意に蛍がそう叫んだときはもう遅く、急に足の踏ん張りがきかなくなってしまい、蛍の片方の靴がすっぽ抜けてしまった。
蛍がいつの間にか履かされていたヒールの高い
もちろん蛍だって危ないことは分かってはいたが、長い間履いていたような感じがあったし、ストッキングだけで歩くよりかはマシだろうと思い、靴を脱ぐようなことはしていなかった。
その判断が墓穴を掘ってしまったようだった。
「あっ……」
天地が逆転したままの燐が口をぱくんと大きく開けていた。
枝のように細い燐の両足が、蛍の手の中からするりと抜けていく。
それは本当に一瞬の出来事だった。
このまま、なすすべもなく燐も蛍も風車から落ちていってしまうのだろう。
そう思った瞬間──藻掻いていた蛍の手が偶然にも何かをぎゅうと掴んでいた。
特に考えを持たない、咄嗟にとった行動だったのだが。
「ふにゃあっ!?」
その瞬間、燐が変な叫び声をあげていた。
蛍の手にあったのは燐の服の端ではなく……その尻尾。
それを力いっぱい掴んでいたからだった。
そのおかげで燐が落下してしまうことには免れたのだが。
「と、止まってぇー!!」
蛍が大声で叫ぶ。
奇跡的に燐を掴むことができたが、このまま滑り落ちてしまうことには変わりはない。
そう蛍が絶望したのだったが。
「いたたたっ! んもー、蛍ちゃん。そこは掴まないでよぉ~。ほんとうに痛いんだからぁ」
燐は逆立ちのまま顔を真っ赤にしてそう言った。
「あっ、あれ……?」
何で普通に止まれることができたのだろう。
蛍と燐は風車の端の方でぴたりと静止していた。
まるでそこに滑り止めでもあったみたいに。
燐の抗議などよりもそっちの方が蛍は気になっていた。
(燐が、手をついてくれたから……?)
蛍に尻尾を握られたまま、逆立ちするような形で燐が両手で風車の壁の部分を押さえてはいるけれど、そんな程度でこんなに簡単に止まってくれるもんなのだろうか。
靴も脱げてしまって、完全に足が滑ってしまったと思ったのに。
ふと見ると、蛍のもう片方の赤いヒールが傍で転がっていた。
「うん? 大丈夫、蛍ちゃん」
逆さまの燐が小さく首をかしげる。
「う、うん。えっと……燐のほうは?」
「わたしは……まあ、大丈夫っちゃ大丈夫なんだけどぉ」
燐の視線が自身のお尻のほうに向いていた。
「あっ、ごめん!」
荒く息をついて燐に謝罪をする蛍。
だが、その手には燐のしっぽがしっかりと握られたままだった。
……
……
……
「結局、何も見つからなかったね」
「うん」
何となく分かっていたことだったが、やはりここから出るための方法はここにはなさそうだった。
「そんなに落ち込まないでよ。やるだけの事を燐はやってくれたじゃない」
蛍が隣で柔らかい声を掛ける。
「うん」
こくんと燐は小さく頷いた。
「……何かさ、燐、ちょっと変わったのかも」
「それって……どういう意味?」
曖昧な言葉を送ってくる蛍に、燐は首を傾げて問いかける。
蛍はくすっと笑うと。
「うーんとねぇ、見た目通り子供っぽくなったっていうか……いつもよりも無邪気な感じになってるっていうか」
「それって……同じ意味なんじゃない」
燐は少し笑って眉を寄せる。
「そう? でも悪い意味で言っているわけじゃないよ。燐はとっても元気だなって思って。元気なのは悪いことじゃないから」
蛍はそう言ってまた苦笑いをした。
(それだって、あんまり変わらない感じするけどぉ? まあ、仕方ないとは思うけどさ)
こんな姿じゃ何を言っても言い訳にすらならないだろうし。
燐ははぁと息をついた。
「あっ、じゃ、じゃあさ」
「な、何? 蛍ちゃん」
ぱんと手を叩いた蛍が急に身を寄せてきて、燐は上ずった声をあげた。
「わ、わたしはどうかな? 燐から見て何か変わったところってあるかな?」
そう言って蛍は照れ臭そうにはにかんでいた。
「どうって……」
自分から聞いておいてなぜ恥ずかしそうにするんだろう。
そう燐は思ってしまうが。
(蛍ちゃん、もしかしてわたしに気をつかってくれているのかな)
蛍は他人から見られること、特に注目されることにはあまり好きな方ではないことを燐は良く知っているから。
前よりかは良くなってきたとは思うけど。
(でも、蛍ちゃん、先生になろうとしているんだよねぇ……だからだとは思う、小学校の先生になりたいって言っていたし)
燐は現実の今の自分の体を見てぞっとなってしまった。
「燐?」
「あはは」
燐は慌てて愛想笑いを浮かべる。
今はそんな事よりも。
(やっぱり蛍ちゃん、すっごく大胆な格好をしているよね)
”バニーガール”って言ったっけこれ。
とくに胸のところなんか薄い布が張り付いてあるようにしか見えないけど。
すぐに脱げてはしまわないのだろうか。
だからなのかどうしても燐の目線が豊満な蛍の胸の方へといってしまう。
裸のときよりもセクシーに見えるような気がするのは何故なんだろうと思う。
(それにしたって、蛍ちゃん。いつもよりも胸が大きくみえるんだけど……これってこのバニーの格好のせいだけじゃないよ、ね?)
多分、自分がこんな子供みたいになってしまったせいだろう。
いつもよりも低い目線のせいでそう見えるだけ……だと思う。
「もしかして、燐……わたしの胸、見てる?」
「えっと、う、うん」
燐はつい素直に口に出していた。
視線に気付いたのか蛍は顔を真っ赤にする。
(わたしだって、この格好はやっぱり恥ずかしいよ、でも)
これを燐が着てみたらどうなるだろうか?
自分では何だか似合っていない感じがするけれど、燐だったらもしかしたら着こなせることができるのかも。
(最近は、普通の可愛い系の服も着ていることがあるし、コスプレにも興味とかありそうかも)
それなりに思い当たることもある。
高校の時のアイドルみたいな衣装で歌った時もあったし、町の合併のイベントの時の変な衣装だって、そう提案してきたのは燐の方からだった。
(クリスマスの時のあのサンタの格好だってそうだったし……それにわたしにもいろんな服を着るように勧めてくるしね)
蛍ちゃんに絶対に似合うよと言って、家でファッションショーみたいなことをやったこともある。
サブスクだからって、とっかえひっかえに服を着替えてそれを写真に収めていた。
流石に投稿とかはしていないけど。
その時も燐は終始ノリノリだった。
ただ大量の服を二人で脱ぎ散らかしただけだったけれど。
「ねぇ、燐もこれ、着てみる?」
バニーの耳の付いたカチューシャを指で引っ張りながら恥ずかしそうに顔を寄せる蛍に、燐はうっと小さくうめくとぷるぷると首を横に振った。
「ご、ごめん、むり、無理だからぁ」
「でも、ちょっとだけでも試してみても……」
蛍にそう言われて燐はうっとなるも。
「確かにちょっとは興味あるけど……」
「でも、無理なものは、絶対に無理なのっ!」
「そうなの?」
「そうなのっ」
頬を膨らませてぷんすかとする燐を見て、蛍は困った顔で残念そうに苦笑いした。
……
……
……
「そういえばさ」
「なぁに、燐」
「だいぶ前にもさ、こうやって蛍ちゃんと一緒に変な風車の上に来たことがあったよねぇ? それって覚えてる?」
「うん。もちろん」
──忘れるわけがない。
あの町での異変のときに、何度か訪れていた”青いドアの家”ではなく、なぜか風車の上に燐と一緒に来てしまったことがあった。
そこには無数の風車があって、それぞれが意味もなく回り続けていた。
風車の音しかしない静謐な空間だったけど。
とても綺麗なところだった。
多分、それのことを燐は言っているのだろう。
「それとちょっと似てるなって思って」
「うん」
燐の言葉に蛍は頷く。
あれと似たような感じは確かにする。
違うのは互いの姿とか、気持ちの方ぐらいで。
(でも、あの時は本当に驚いたんだよ)
蛍はちらりと燐の横顔を見る。
状況はもちろんそうだったけれど、風車の傍に置いてあったノートを見たせいで、燐はまるで抜け殻のようになっていたのだから。
その時のことは今でも思い返してしまうほど、はっきりと覚えていた。
蛍の脳裡に。絶望的な光景として。
「な、何?」
急に瞳を覗き込んできた蛍に燐は戸惑った表情で問いかける。
「燐の瞳ってすごく綺麗だなって思って」
「それ本当? 何ていうか、獣っぽくなってない?」
「獣って……ううん、燐はいつのように綺麗な瞳の色をしてるよ」
「本当に? でも」
そう呟く燐は、まだ信じられないという表情をしていた。
蛍は軽く息を吐くと、さっきよりも注意深く燐の瞳の奥を覗き込む。
(やっぱり綺麗……でも、燐はそうじゃないと思っているみたい)
どうしてなのかは想像がつくけど。
「何か、こうしてじっと見られてるのって結構きついんだよねぇ」
目を開けているだけなのに、なぜか口元が緩んでしまう。
それでも瞬きなどをしないように、瞼をぱっちりと開けて我慢をしていた。
こんなに気にするのは自分でもおかしいとは思う。
でも。
自分ではよく分からないことだから。
疑ってしまうのは良くないことだとは思うけれど。
(それにしても……)
蛍に見つめられたり耳元で囁かれるだけで、燐の小さな胸がどぎまぎと高鳴ってしまう。
さっきのことがあったせいだろう。
(それに蛍ちゃんって、いい匂いもするから)
それが今は胸元を強調させる格好をしているからか、傍でじっと見られているだけで恥ずかしいというか、頬が紅くなってしまう。
いつもならそんな気にしないことなのに。
「うん」
すっと顔を離すと、蛍がそれだけを呟いていた。
「本当に何ともなってない?」
すかさず燐が感想を聞いてくる。
その表情はテストの点を気にしている生徒が先生に尋ねるみたいに、焦っているようにみえた。
「”何とも”って?」
妙なこと聞かれたみたいに蛍はきょとんとなる。
燐は唇を小さく震わせて再度蛍に問いかけた。
「その、狐の目みたいになっちゃってないかなーって……」
「燐の目が?」
蛍は自身の目の下の辺りに指を沿わせて首をかしげる。
「うん。自分ではよく分からないの。このまま変なのになっちゃうんじゃないかなって……」
そういう燐の声のトーンが少し下がってしまう。
本気で不安がっているようだった。
「何ともなってなかったよ」
そうは言うもののちょっと自信がなくなったのか、蛍はもう一度燐の目をそっと見つめた。
「変なことにはなってないと思うよ、わたしが保証する。それじゃ駄目かな?」
困った顔で蛍がそう聞き返してくる。
「そっか、なら良かった」
その言葉に安堵したのか、燐はほっと胸を撫でおろしていた。
「そういえば、燐。何でそんなことを聞いてきたの?」
「えっと、それは……」
蛍に本筋を聞かれて、燐は視線を上へと向けた。
忘れていたというわけではないけれど。
まだ頭の血が戻っていないのだろうか。
燐はぱしぱしと自分の頭を軽く手でたたいていた。
「どこか痛いの?」
眉を寄せた蛍が心配そうな顔で燐の手をそっと握る。
「そういうわけじゃないんだけど」
だがそれで、蛍に何を言おうとしていたのかを燐は思い出すこととなった。
「ほら。あの時って、どうやって戻ってこれたのかなって」
「あぁ」
なるほどと蛍は納得をする。
似た状況である”風車の森”の時のように今回も戻ってはこれないのかと、燐は言いたいのだろう。
「確か、あの時は」
青いドアの家に行ったときのように、不意に目の前の景色が揺らいで、それで向こうへと戻ってこれたような……。
つまりそれは。
「オオモト様のおかげで戻ってこれたんじゃないのかなぁ」
「やっぱり、蛍ちゃんもそう思うんだ」
「うん……そうとしか考えられないって言うか」
「わたしも……オオモト様はわたし達に色々と良くしてくれたんだと思う」
「……」
二人の結論は同じだった。
いまだによく分かっていない人だけど、多分ずっと見てくれていたんだと思う。
(異変や、その後だけじゃなく……もしかしたらずっと前からも)
断定できるものはないが、かといって否定するべきものもない。
重要なのは多分、そこじゃないんだろう。
「オオモト様、こっちに来てくれるのかな……」
ぼつりと燐が呟く。
蛍は何も言えずに唇を引き結んでいた。
「ねぇ、蛍ちゃんはさ、オオモト様と一緒にいたって言ってたけど……」
蛍は軽く首を横に振る。
「ごめんね、わたしも良く分からないの。気付いたら居なくなっていたっていうか」
「そっかぁ」
燐はそれだけを言うと座ったまま両手を上へと伸ばす。
小さな手のひらの上では空は青く、雲が静かに流れていた。
蛍は揃えた膝の上に鞘付きの剣を乗せて、手の腹で撫でるように触れる。
(オオモト様、サトくん……)
二人を置いてどうして自分だけがここに来れたのだろう。
こんなものだけを手にして。
「あのね、燐、聞いてほしいの……わたしが、それまでにいた世界のことを」
「世界って、蛍ちゃん?」
驚いた顔で燐は振り向いた。
蛍は軽く俯いたまま、とつとつとそのことを話し始めた。
……
………
…………
暗がりの中で、少女が立ちつくしていた。
白く細い手にはおおよそ似つかわしくはない、柄の長い剥き出しの刀が握られている。
頭に兎の耳を付けた、少し風変わりな衣装を身に纏いながら呆然と突っ立っている。
その少女の可憐な唇が戦慄くように震えていた。
それは寒さや恐怖からでたものではなく、尊敬をしていた人から発せられた言葉の戦慄からくる動揺のものだった。
「あの、それって……どういう意味なんですか? わたしにはよく分からないです」
困惑した表情で蛍が振り向いた時。
「あれっ?」
──いない。どこにも。
すぐ後ろにいたはずのオオモト様の姿がなくなっていた。
ついさっきまで、おぼつかない手つきで刀を抜こうとした蛍を背後から支えていてくれたはずなのに。
「ど、どうして?」
刀を握ったままきょろきょろと回りを見渡す蛍。
けれどどこにもオオモト様の姿はない。
こんな薄暗いだけの何もない所の一体どこへ行ってしまったというのだろう。
その痕跡どころか、衣擦れの音すらも残さずに消えてしまった。
忽然と。
最初からいなかったみたいにあっけなく。
(これも、いつもの事と言ったらそうなんだろうけど)
蛍はふぅと溜息をつく。
神出鬼没というか、捉えどころのない人だとは思っていたから、急にぱっといなくなってもそこまで驚くようなことではないのだが。
むしろオオモト様らしい事とまで蛍は思っていた。
肝心なところでいなくなってしまったのは残念な事だけれど。
添えられていた白い手の温もりははっきりと覚えている。
そう言わんばかりに蛍は自分の掌をまざまざと見つめていた。
(もしかして、わざとだった? そんなことを言ったら悪いとは思うんだけど)
具体的なことは言わず、謎かけというかヒントみたいなのをぽつっと投げかけるだけで。
それ自体が答えと言うよりも、抜け落ちたパズルのピースとなっていた。
とにかく。
「また、一人になっちゃったってこと、だよね」
そう思ったら急に心細い気持ちになった。
一人が苦手ってわけでもないし、薄暗くて静かな所はむしろ落ち着く方なんだけど。
何故か今は不安になってしまう。
ここだけが世界から切り離された場所のような感じがするからだろうか。
何処ともつながりのないせかい──。
青いドアの世界とも、現実とも繋がっていない。
「僻地っていうか、もしかしたらここが世界の果てなのかも」
辺りを見渡してみてもこれという目印も、背景すらも存在していない。
ただ真っ暗な空間に、水溜まりのような小さな光がぽつんとあるだけ。
中身のなくなったラムネの瓶の底で、役目を終えたビー玉がただころんと転がっているような。
何の意味のない空間。
それを肌越しに感じてしまう。
薄着であることも原因なのかもしれないが。
寒気のようなのは感じないけど、身を守るものが少ないということは単純に不安だった。
だからなのか、蛍はまだ刀を鞘に納めずにむしろ強く握りめている。
もし何かが起こっても対処できるように少し腰を落とし、暗闇に向かって刀を構える。
こんなものを握ってたほうが安心するなんてと、そのことに少し滑稽に思ったが、この刀が今はある種、蛍の支えとなっていた。
とにかく。
(何かを見つけなくちゃ……そんな気だけはするんだけど)
具体的なものは何も分からないままだが、何らかの行動を起こす必要があるのは分かる。
時間がないとかではないが、誰も何もないこの空間に長く居続けるという無意味さが、蛍の中の焦燥感を煽り立てていた。
この空間の中で蛍は監禁状態となっていたのだから。
助けてくれる人はもう居ない。
”敵”もいないのだけど。
(もし、ここでじっとしていたらどうなるんだろう)
本当に世界が終わってしまうのだろうか。
自分の知らないところで。
それは確かに怖い事だと思う。
だが、それ以上に。
大切な人──燐と会えなくなってしまうことのほうがはるかに怖い。
自分勝手なことだとは思うけれど。
(世界がどうなってしまうかなんかよりも、わたしには……もっと大事なものがあるんだ……!)
その為だったら。
蛍が複雑な顔で眉を寄せたその時だった。
「わんっ!」
「……っ! サトくん!?」
不意に犬の鳴き声が聞こえてきて、蛍は慌ててそちらに視線を送る。
白い犬──サトくんが、黒い天井を見上げながらせわしなく吠えていた。
(そういえば、サトくんがいたんだったっけ)
思わず忘れていたことだったけれど、サトくんは何故あんなに吠えているのだろう。
犬の視線の先には、真っ黒い背景に浮かぶあの、光るテルテル坊主の輪があった。
サトくんはそれが気になるのか、ゆっくりと回るテルテル坊主たちに向かって威嚇でもするように吠えたてている。
黒い天井の遥か上の方にいるから、地べたを這いつくばる犬がいくら吠えたところでどうなるものでもない。
むしろ人形の方が見下しているみたいにすら見えた。
それだけ両者の関係性には圧倒的な隔たりがあった。
どうしようもない距離というか。
でも。
(何で急にサトくんは吠え出したんだろう? ずっと大人しかったのに……?)
いたことすら忘れてしまうほど、じっとしていたように思う。
特に蛍が刀を抜いてからは。
「もしかして……オオモト様がいなくなっちゃったから?」
そう思ってしまった自分自身に蛍はあっけにとられてしまったが、同時にほっと胸を撫でおろしていた。
(最初に言われた時には確かにびっくりしたけど……)
そのオオモト様がどこかへ行ってしまったのなら、とりあえずは何もしなくてもいいのだろうか。
蛍は未だ手に握ったままの抜身の刀を見つめる。
刃こぼれどころか染みの一つすらもついていないに綺麗な刃をしていた。
オオモト様の話によると、随分と昔からあったみたいなのに。
まるで今、鍛冶師が拵えたばかりみたいに、刃先が煌めいて見える。
こんな冷たい刃で誰かを傷つけるどころか、よりにもよって。
これで命を──奪えだなんて。
「何で、オオモト様はあんなことを、わたしに言ったんだろう?」
未だにその時の言葉がこびりついている。
”座敷童を斬ってほしい”だなんて。
耳元でそんなことを吹き込んできたのだから、蛍は口から心臓が飛び出す思いだった。
今、座敷童と言えるものは、あの人と、そして自分しかいない。
それは分かっているはずなのに。
何でそんなことを。
それはつまり、どちらかをころしてほしいということだったんだろうか。
(そういえば、前にも……)
座敷童は世界に一人だけなんだと、オオモト様は言っていた。
だから、正常に
その存在をころしてでも。
だけど、腑に落ちないことがある。
(それって、どうしてなんだろう? 世界に座敷童が二人いたら何かダメなのかな)
複数いてもそんなに問題はない気がする。
幸運を呼んでくれるのだから。
妖怪だったとしても。見た目は普通の人と変わらないわけだし。
それに自分が座敷童……つまり”オオモト様”となったときにもあの人……座敷童は存在していた。
概念などではなく、実存の存在として。
多分これは、ずっと繰り返されてきたことなのだろう。
自分が座敷童になったときからではななく、ずっとずっと前から。
それが今の歪みの原因となっているのだとしたら、正すべきことなのかもしれないけれど。
(でも、何で急に? もしかして
”アレ”も座敷童だとするのなら、確かに異常なことではあると思う。
もう一人の自分も含めたら、座敷童が三人いることになってしまう。
断定できる状況ではまだないが。
今の所蛍はその考えを重視していた。
そのせいでまたあのような大規模な異変が起き、それが拡大して世界がおわってしまうようなことなんかになるのだとしたら。
「……とりあえず」
この刀で誰かを斬ったりするようなことには当面なくなったといえた。
(流石に、自分で自分を斬るのはちょっと……)
それはまだ、すぐにはできそうにない。
憶測の範疇なのだし。
ただ、もし、ちゃんとした理由があって、自分かオオモト様のどちらしか生き残れないこととなったとしたら……その時は。
「わたしは」
彼女ではなく、真っ先に自分のことを──。
「わんっ、わんっ」
蛍が食い入るように刀の刃先を見つめていると、サトくんが吠えているのがまた耳に入ってくる。
前足で地面をひっかきながら歯をむき出しにして白い犬は吠えている。
さっきからしきりに吠えている。
何か、興奮でもしているのだろうか。
蛍は首をかしげた。
(サトくんは何かを伝えようとしている……?)
それは、わたしに?
でも、一体何を。
蛍はサトくんが吠えている方向をもう一度見やる。
どう考えて見ても、あのテルテル坊主たちに向かって吠えているとしか思えないのだが。
そんなに大きいものでもないし、無害そうにみえる人形が浮いて回っているだけなのだから、ちょっと不気味とは思うけれど、そんなに威嚇をするほどではないような気はする。
今のところはなのだが。
「でもあれって、結局何だろう」
蛍は何か違和感のようなものを覚えて、まざまざと人形が発している光を見つめる。
繋がれた人形はそれぞれが白くぼんやりと光っていて、一つの円を作っていた。
夜空みたいな真っ黒いところで光ながらういているところだけをみると、空飛ぶ円盤みたいにも見える。
あとは、フリスビーとか、光る犬の首輪とか……もしくは赤ん坊の時にみた玩具みたいだとか。
「あっ」
何故か蛍は視線を移して、テーブルの上の食べかけのケーキを見つめていた。
これは燐が作った(と思われる)ケーキだったが、これをオオモト様と食べている最中だった。
もっともそのオオモト様もいなくなってしまったのだから、残りは蛍ひとりで全部食べるしかなくなったわけなのだが。
(こうなったら、サトくんも一緒に食べてもらうしか……)
果たしてサトくんは食べてくれるだろうか。むしろ犬にこんなものを食べさせても良いのだろうか?
まあ……サトくんなら大丈夫な感じはする。何ならわたしよりも食べてくれそうな気配すらあった。
言い過ぎかもしれないが。
そんな時、ある事が蛍の脳裏に不意に浮かび上がった。
それは本当に他愛のないことなのだったが。
「そうだ、ガレットデ・ロワ……! あれってそんな名前のケーキだった」
特別な日に食べるケーキで、金貨や玩具などを切り分けたピースの中に入れて楽しむお菓子だと聞いたけれど。
あの食べかけのケーキの中はまだ何も見つかってはいない。
ただ、中にはコインなんかは入っていないんじゃないかと思う。
(燐だったらきっと、そうするよね)
もし、燐だったらケーキの中にイチゴとかナッツなんかの食べられそうなものを入れるだろう。
それも一つとかじゃなく、切り分けた時に全部に入るように満遍なく入れるだろう。
その方が平等だし、そのことで争いがおきたりもしないだろうから。
ただ、それだと何の変哲もない普通のケーキのような気はするが。
だから──このケーキの中には何もない。
何かがあるとするのならば、それは。
蛍は、顔を上げて黒い天井を睨む。
やはり、あれなのだろうか。
(あの、てるてる坊主の中に当たりっていうか……ここの”鍵”みたいなものがあるのかな)
根拠はまるで無いが、そんな気がする。
この刀のことを、ここから出るためのものだってオオモト様は言っていたし、試してみてもいいのかもしれない。
ただ。
「あんなに高いところにあるものを一体どうしたら」
刀を上に振り上げたとしても到底届く高さではない。
傍にある椅子を足場にしてみたところで同じことだった。
テルテル坊主の輪っかは蛍たちよりも遥か上の方にある。
「投げてみるとかは……危ないかな、やっぱり」
ものは試しとばかりに蛍は手を振り上げて、刀を投げる動作をしてみる。
だが、運動神経の乏しい蛍では仮に放り投げてみたところで、届かないどころか危ない目に合うだけ。
無意味な事をしようとしていることが分かり、蛍ははぁと溜息をついた。
「そうだよね、そんなに上手くいくはずはないよ」
いくら変てこな世界だからって、そんな都合よく物事が運ぶはずなんかはない。
蛍が本当に心からの深いため息をついて、別の方法を模索しようとしたときだった。
蛍の目の前が強い光に包まれたのは。
「な、何!?」
不意に訪れた光の塊にまともに目を開けてはいられず、蛍はたまらず手で顔を覆った。
サトくんはその間も低い声で唸り続けている。
光はどんどんと強くなってくるようで、これが何か確認することもできない。
(ううっ……!)
蛍はもう片方の手で抜いたまんまの刀を強く握りしめた。
何かあったら、闇雲にでも刀を振り回すつもりで身構えていたのだったが。
「ああっ!?」
指の隙間から事の次第を見届けていた蛍が驚愕の表情で鋭い叫び声をあげた。
光は不意に変化し始め、何かがはじけたみたいに徐々に収束していく。
このまま消えてなくなってしまうのではないかと思ったのだが、ぼんやりとしたものだけがそこに残った。
「これって、まさか!」
信じられないとばかりに蛍はすぐに上を向いた。
そこにはもうあの光の輪のようなものはない。
だったらこれは、遥か上にあったはずのテルテル坊主達??
「もしかして、降りてきてくれた、とか……?」
半信半疑と言った様子で蛍は自然と声を潜めた。
顔のないテルテル坊主は蛍の問いには一切答えず、テーブルの上に並んでいる。
回っていた時はぴたりとくっついていたのに、テーブルの上に乗ったテルテル坊主はきちんと整列をしていた。
まるで何かの意思でも持っているみたいに。
「まさか生きている……とかはないよね?」
それは流石に。
そんなに大きくはないテーブルの上で等間隔で整列しているテルテル坊主のひとつを、蛍は指でおそるおそるちょんとつついてみた。
……何も、起こるはずもない。
だって、どうみても普通の、蛍も良く知っているテルテル坊主なのだから。
(でも、上でくるくると回っていたのは?)
今は大人しくなったみたいだけど。
あれは何の意味があったのだろう。
もしかしたら、照明のつもりとかだったのだろうか。
(あれ?)
よくよく見ると、テルテル坊主の周りに粉のようなものがおちていた。
蛍は指をそこに這わしてみる。
ガラスとは違ったきらきらとしたものが指にこびりつく。
「これって……何かの
これが人形の体に付着していて、それであんな風に光ってみえていた?
それならまあ、納得は出来るけれど。
浮いていたことの説明はまだつかないが。
(そういえば、前に燐と一緒にテルテル坊主を作ったこともあったっけ)
ふと蛍は思う。
確か、作ったものをマンションの軒先に吊るしていたような。
あれは、どうしてしまったのだろう。
何故かそのことを覚えていなかった。
前に瓦礫の塔の上で、これと同じようなものを見た記憶もあったが、それとも少し違っているような気がした。
やはり顔がないせいだろうか。
ちょっと不気味に感じられるのは。
(もし、わたしの考えが正しいのだったら……)
このテルテル坊主の中に、ここから出られる”スイッチ”のようなものがあるのではと思っている。
ガレット・デ・ロアとはそういうお菓子なのだから。
(そして、座敷童を斬るというのは多分……)
この小さなテルテル坊主こそがそうなんだろう。
幸運を呼ぶ力を使い果たした座敷童がどれだけ居たのかは知らないことだが。
もしかしたらこの人形の数こそがそうなのでは、と蛍は考えていた。
「……」
ざっと数えてみることにしたのだが、顔のないテルテル坊主は三十体以上はある。
蛍の仮設が正しいものだったら、それだけの
そう考えるととてもおぞましく思えて、思わず吐き気を催しそうになってしまったが。
「あの山の石碑にも、何か書いてあったとは思うけど」
石碑に書かれていた文字はほとんどが擦れて読めなかったが、数字のようなものだけは読み取ることができた。
何の数字なのかその時は分からなかったが。
「もし、これがそうだと言うのなら」
蛍はテーブルの上のてるてる坊主の一体を見つめる。
顔もなければ形もほとんど一緒だからそれぞれの見分けはつきづらいが、何かが隠されていそうな感じは見受けられない。
ただ、わざわざ刀で切らなくとも結び目を解いて中を見たらいいのでは?
そう思った蛍は、とりあえず手ごろな一体を手に取ってみることにした。
「でもどうみても、普通のテルテル坊主だよね」
これと言って目に付くようなものはない。
首のあたりがしっかりとした紐で括られているというだけで。
「紐の色が違ってるけど……」
テルテル坊主の首に括られている紐の色がそれぞれ違っているみたいだけど、これは多分関係ないだろう。
何かの意味がありそうな感じはなさそうな気はする。
色はバラバラだし。
だとしたら。
人形をそっとひっくり返してみても、何か変な所があるような様子はない。
一度人形を解いてみてもいいのかもしれない。
勝手にそんなことをして申し訳ないとは思うが。
「とりあえず、これは邪魔だから」
ぱちん。
蛍はずっとむき出しのまま持っていた刀を一旦鞘へと収めると、テーブルの端にそっと立てかけると、天気人形の紐に指をかけた。
「あれっ? 思ってたよりもヒモが固い……かもっ」
とりあえず人形の首の紐を解こうとした蛍だったが、思っていたよりもしっかりと結ばれているのか結び目を外すことができない。
思わずハサミとかの切るようなものが無いか周囲を見渡してしまうが、あるのは精々あの刀ぐらいだけ。
「そういえば……ケーキを切るナイフとかもなかったような」
小さなフォークぐらいなら一応あるが、そんなのでは紐を切ることはできないだろう。
首で紐を括っているというより、布に張り付いているみたいな印象があったから。
(でも、こういうものって簡単に切ってもいいものなのかな?)
そちらの方が気になってしまう。
罰が当たってしまうとかではないけれど。
いくらものを言わない吊るし人形だからって、勝手にばらしたりしてもいいものだとはあんまり思えない。
それに、この色とりどりの紐には何故だか見覚えがあった。
(何だろう、それって?)
蛍は人形と見つめ合う。
白い顔の人形には瞳が無いのにこっちを見ているような感じがするのは気のせいなんだろうか。
(何て言ったらいいのかなこの感じ……上手く説明はできないけど
もし、これが座敷童のなれの果てのようなものだったのなら、もしかしたら自分だってこの中の一つとなっていた可能性もある。
そう思うと、無下に扱うようなことは可哀そうに思えてしまう。
いくらここから出るためだからって、何をしてもいいとは思わない。
蛍には、この人形たちがとても儚いものに思えて、ちょっと愛おしく思えた。
「くぅん」
思案する蛍の足元で白い犬がまた吠えていた。
「なぁに、サトくん」
蛍は腰をかがめてサトくんと目線を合わせる。
するとサトくんは何かを口に咥えていた。
「これは?」
蛍はサトくんが咥えているものを見て目を大きくさせる。
白い犬が持ってきたのは、同じようなテルテル坊主なのだが。
「ねぇ、サトくん、これはどこにあったものなの?」
そっと頭を撫でながらサトくんに尋ねる。
だが、白い犬は何も言わず、咥えていたものを蛍の足元にぽとりと落とすと、もう興味はなくなったとばかりに踵を返して、すたすたとテーブルの下へと潜り込んでしまった。
サトくんはこちらを一瞥するとそこで腰を下ろして、しっぽを丸くさせていた。
「……」
呆気にとられた蛍だったが、サトくんはまた眠るようなことはせずにじっとこちらを見つめていた。
「どこで見つけてきたものなんだろう」
サトくんが置いていったものを拾い上げてみる。
このテルテル坊主にも顔は書いていない。
それは他のものと同じなのだけれど。
どこかが違うのだろうか。
「あっ」
テルテル坊主をまざまざと見ていた蛍は、ある事に気付いた。
「この子だけ、紐で括られていない……!?」
確かに、このテルテル坊主だけが首に紐が付いておらず、つるんとしていた。
ただ、紐で結ばれていないのだったら、被せてある布は簡単に解けてしまうことだろうが。
「ごめんね」
そうひとこと断ってから、蛍はその
それはもちろん人形を解いてみるためにしたことなのだが。
なぜか底の部分も白い布で覆い隠されていた。
それなのに、布の同士の境目が見当たらない。
見えない糸で縫い付けられているみたいに、白い布はぴっちりと人形に張り付いていた。
(こういうのって、一体成型っていうんだっけ? 縫いぐるみみたいなテルテル坊主ってあまりみたことはないけど)
紐が無い以外は他とは区別がつかないぐらい同じなのだけれど。
「もしかして」
蛍は、他のテルテル坊主と同じテーブルの上に、サトくんがもってきた人形を並べて置く。
形も高さもほぼ一緒だった。
つまりこれだけが特別扱いということではなくて。
「これは、作りかけのテルテル坊主……?」
これだけがテーブルに乗らずに落っこちていたのだろうか。
蛍は確かめるようにサトくんのいるテーブルの下を覗き込む。
白い犬は何も分からないと言うように、きょとんした顔で蛍を見返しているだけだった。
「そっか、ごめんね」
そう言って蛍はサトくんに苦笑いを返すと、テーブルの上で並べられているテルテル坊主の方に向き直す。
皆、首にひもがかけられているが、さっきの一体だけが首に何もついていない。
それはつまり。
「途中で、材料がなくなったとも考えられるし……これ以上作る必要がなくなったとも考えられるよね?」
どちらも憶測の域はでない。
蛍はもう一度紐のない白い顔の天気人形をまざまざと見つめた。
明日は晴れにと願いをかけて首を吊るされる哀れな人形。
それが蛍には座敷童の存在と被って見えた。
幸運を呼び、その力がなくなってしまえば、容赦なく首を吊るされてしまう少女達と。
「もしかしたらこの人形は」
自分、だったのかもしれない。
儀式とやらをする直前にあんな事が起きてしまったから、有耶無耶となったみたいだけど。
(もし、何事もなく儀式が行われていたとしたら)
望まぬ相手と子を孕まされた挙句、吊るされていたことだろう。
役目を終えた何十番目の座敷童として。
「……っ」
蛍はふるふると首を横に振る。
今となっては、ほっとする思いはあるけれど、同時に切なくもなってしまう。
こんなことがずっと昔から繰り返されてきたのだろう。
何人も何人も犠牲となって。
途中で何とかできなかったものなのかと、やり切れない思いはあるが。
もう終わってしまったことなんだから。
ただ、今の座敷童とは一体誰のことなのだろうという根本的な疑問は残るが。
「そんな事よりも今は」
この一体だけぽつんと取り残された、テルテル坊主をどうするかということだった。
「多分、この子に何かがあるんだろうとは思うんだけど」
傷つけたりばらしたりするのは何故だか忍び難いものがある。
自分ではないかと思っているからだろうか。
それだけじゃない気はするが。
しかし、オオモト様がいなくなってしまった今、人形をどうこうする権利を持っているのは自分だけということになる。
(座敷童をころすという言葉を、そのままの形で受け取るんだとしたら……)
この首に紐のない人形を刀で切るという解釈が正しいのだと思う。
こんな小さな人形に何かしたところで、ここから出られるとかの行為が起こるとは到底思えないが。
(もしかしたら、中に鍵とかが入っているのかもしれない)
肝心のそのドアは見当たらないが、そう考えてみるとちょっとは納得がいく。
蛍は一旦テーブルの上を軽く綺麗にすると、そのテルテル坊主だけをテーブルの真ん中に置いた。
「……っ」
何をしているんだろう、わたしは。
こんな格好で、こんなものを持ち、そして……こんなものを切ろうとしているのだから。
恥ずかしいっていうか、可笑しくなってしまう。
本当にばかばかしくて。
他の人形たちはベッドの上でその様子を見守っていた。
顔がないのにじいっと見られているみたいに感じる。
まるで、何かの儀式みたいだなと思った。
「…………」
一瞬躊躇いを見せた蛍だったが、軽く首を振って姿勢を正すと、オオモト様に教わったようにゆっくりとした動作で刀を抜いた。
ちりん。
鞘から抜いた瞬間、また鈴の音のような音が蛍の耳朶を打つ。
(これって、結局何の音なんだろう)
そんな事をぼんやりと考えながら、ゆるやかな動きで蛍は目の前で剣を構える。
しばらくそのままで制止する蛍。
それは狙いを定めているというよりも、呼吸を落ち着かせるために。
蛍がふうと息を吐くと、細かに揺れていた切っ先がぴたりと止まった。
その瞬間を見計らって静かに刀を振り下ろす。
そこからの動きには以外にも躊躇いはなかった。
ひゅんっと風を切る音がする。
遅い動作なのに疾い音がするのは、なんだか少し気持ち悪い感じがしたが、そこで刀を止めずに一気に振り下ろした。
(あっ!)
斬ったという感覚が柄越しに伝わってきて、蛍は軽く口を開けたままになった。
これが手ごたえというものなのだろうか。
消火器で殴りつけたときとはまるで違った感覚に、僅かな高揚感すら蛍は覚えていた。
(気持ちいい、かもしれない……)
初めて刀で斬ったものが小さなテルテル坊主なのは、何となく少し恥ずかしい気持ちだったが。
それ以上に、何ともいえない満足感のようなものが蛍の全身を包んでいた。
そもそも寸止めとか知らなかったわけだし、勢い余ってテーブルごと切ってしまったのではないかと思い蛍ははっとなったが、下でサトくんが大きな欠伸をしていたのでどうやら大事には至っていないようだった。
蛍が胸を撫でおろしたのも束の間、どこからか噴出した光の球が蛍を包み込んでいく。
「な、何、これ!?」
蛍は髪を振り乱して叫ぶ。
光球は切ったばかりのテルテル坊主の中から溢れ出ていた。
それだけでない。
別のテルテル坊主からも光を出している。
さっきよりも強い光で。
辺りを真っ白くさせていた。
「これって……!!」
これに覚えがあるような気がする。
白い光の集まりと、卵の殻が割れたような奇妙な音の交わりに。
蛍がそう思った時にはもう。
ここに少女の姿はなくなっていた。
…………
………
……
「それで、どうなったの?」
「あ、うん……」
燐の問いに蛍は小さく頷いて話をつづける。
「テルテル坊主の中から、ぱあって粒子みたいなのが溢れ出てきて、それで……気が付いたらここに」
本当に何が起きたのかを自分でも分かっていない。
だが蛍だけがこの風車にきていたのだ。
あの刀だけを手に携えて。
オオモト様とサトくんはどうなったのだろう。
そのことが少し心配だった。
「そんな、不思議なことがあるもんだねぇ。でも、蛍ちゃんも結構大変な思いをしてきたんだね」
自分の周りしか知らなかったから、蛍の方にも色々あったことに燐は驚いていた。
そんな中でまた二人が出会えたのだから。
これは偶然というよりも、必然……なのだろうか。
この世界ではどちらでも同じ事なんだろうけど。
「でも、燐と比べたらそんなでもなかったかも。そんな危険なことにはならなかったわけだし」
「まあ、こっちはちょっとだけ過酷だったのかもね」
なぜだか照れたように燐は笑っていた。
「でもさ、蛍ちゃんがバシッと格好良く刀を抜くところなんてさ……わたしも見たかったなぁ~」
燐は手を握り合わせて蛍の話に感嘆しているようだった。
「そんな、大したものでもないよ。わたしなんて本当にへっぴり腰だと思うし」
それは本当だと思う。
あんなのは、素人の素振り以下のものだろう。
(そんなのを自慢げに言っちゃうなんて……)
燐に言ったことで羞恥心が揺り起こされたのか、蛍はかあっと顔を真っ赤にさせていた。
(そっか……やっぱりそれって本物の刀だったんだ)
表面ではそんな蛍を笑っていた燐ではあったが、胸中では割と驚いていた。
コスプレどころか本物の刀を蛍が使っていたなんて。
燐としては思ってもなかったことだったから。
でも、同時にちょっと嬉しくもあった。
(蛍ちゃんが自分の判断でそうしたみたいだし、もう大丈夫なのかも)
自分なんかがいなくても。
でも、もう少しだけ見てみたい。
自分にとって一番大切な人の姿を。
すぐ傍で。
燐はくすりと笑うと。
「ねぇ。じゃあさじゃあさ、蛍ちゃん。ちょっとやってみせてよぉ。わたしもこの目で見て見たい~」
燐が駄々をこねるような口調で突然そう言ってくる。
「えっ、もしかして……ここでこれを抜いてみせてって言っているの、燐?」
恐る恐る自分を指をさす蛍。
「うんうん。蛍ちゃんの格好いいところを是非見てみたいなぁ~って」
まだ了承も何もしていないのに、燐は満面の笑みで手を叩いている。
「えー、そんなの……無理だよ。第一恥ずかしいし」
突然の燐のお願いに蛍は困惑した顔になっていた。
そんな見せられるものじゃないのは本人が一番分かっているのだが。
「あ、あのね……燐」
何とか断ろうとした蛍だったが。
「見たいなっ、見たいなっ」
わざとらしい口調で燐が囃し立てる。
「もう、燐、ずるいよ」
そう言う蛍だったが、手にはもう刀を握っていた。
「その割には蛍ちゃん、乗り気じゃない?」
「だって……燐が子供みたいにお願いしてくるんだもん」
せっかくならその期待に応えてあげたい。
実際に今の燐は子供みたいなものだし。
妹がおねだりしているものと思えばそんなに気にならないって言うか。
それにどうせ、ここですることなんて大してないのだから。
こういう余興みたいなものをちょっとぐらいしてもいいかと思った。
久しぶりに感じた、燐と二人だけの時間なのだから。
……
……
「えっと。じゃあ、燐、見ていてね」
そういって蛍は刀を手に風車の上で立つと、燐の方に軽く微笑んだ。
だがすぐに真剣な面持ちとなる。
(蛍ちゃん……意外と真剣なんだ)
やはりこんな得物を持っていると自然とそうなってしまうのだろうか。
あまり見たことのない蛍の表情に燐は固唾を飲んで見守る。
(でも、これって何か)
それと少し似ている気がした。
(ここからゆっくりと……)
教えられたことを胸中で反芻しながら、蛍が鞘から刀を抜こうとしたその時だった。
燐の視線が蛍のずっと後ろの空の上部に注がれていたのは。
(あれはっ!? そんな……うそでしょ!!)
白い雲に紛れるようにして、あの白いクラゲがそらに漂っているのが燐の目に映っていた。
見間違いであってほしい、そう願う燐だったが。
何度目を擦ってもその姿を瞳がはっきりと捉えてしまう。
ここからではまだ大分小さいが。
きっとこちらを見つけるに違いない。
こんな分かりやすい目印が、一基だけそびえ立っているのだから。
「燐、どうかしたの?」
燐の挙動がおかしいことに気付いた蛍は手を止めて声を掛ける。
「ほ、蛍ちゃん、わたしっ!」
「?」
不思議そうに首を傾げる蛍。
その後ろの青い背景に、白の異形が少女達の方向へと向かってきていた。
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──
──
☆★☆ 青い空のカミュ発売6周年おめでとうございます!!! ★☆★
と言いながら、一日過ぎてしまったわけなのですが──それでもおめでとうございます、やったーー!!
青い空のカミュという素晴らしいゲームが発売してもう6年も経ってしまうのですかー、凄いっていうかやっぱりすごく早いって感じがいたしますねー。
他のコンテンツなどでも、発売してもう○○年も経つのかーなんて話も良く聞きますけれど、ほんとうに時が経つのは早いものですねぇ。
今回こそは、あとがきでお祝いすることはないかと思ったのですけど……なんか今年もやってしまっていますねえーー。
来年の7周年記念は流石に難しい感じが今度こそ致しますがーーどうなんだろう……自分でもまだ良く見えてないですが、可能ならまたここでお祝いをしたいなあとは思っています。
そしてどうやら、青い空のカミュDL版がFANZAGAMESで1500円セールを実施しているみたいですねー!! 5月7日までのセールみたいなのでGWの長期休みに最適かと思います。未プレイの方も既プレイの方もこの機会に是非ーー!!!
■ドラえもんのどら焼き屋さん物語
箱庭ゲームばかり出しているカイロソフトさんのゲームです。タイトルだけ見るとどら焼きを作って売るだけの単純そうなゲームに見えますが、結構いろいろな種類の和菓子や洋菓子を作ったり、本屋とかホテルとかリサイタルまで開く、謎な経営ゲームでした。
カイロソフトのゲームは結構難しいものが多くて、途中で止めてしまうこともあったのですが、これは最後までやり切れた感じがします。
難易度が少し低く設計されているようですが、ネタとキャラクターがとても多くて、ドラえもん等の有名なキャラだけでなく、かなりマイナーな作品からも出演していたりで、見た目以上にコアなゲームかなあと思います。
後半はちょっと放置ゲームっぽい展開となってしまいますが、見ているだけでも楽しいゲームですので、飽きずにプレイできました。
それではではではでは~~。