We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life.   作:Towelie

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 永遠に続くかと思われた長い長い廊下に、唐突に終わりが訪れた。

 不気味な、白い人形たちの林を抜けた先に、それはあったのだ。

「これ、ドアっていうか。多分”あれ”だよね」

 そういって燐がそれに手を触れる。

 手触りは廊下の壁とは明らかに違っているものだった。

 この金属の板が合わさったものには見覚えがあった。

 なので蛍も、うんとだけ言って頷く。

「けど、エレベーターなんて、そんなの」

 あるはずがない。
 ましてやこんな所になんか。

 でもそれはあった。

 現実として目の前に。

 廊下の突き当りは小部屋のようになっていて、そのドアだけがあった。
 他には何も置いてない。

 扉には取っ手のようなのも、ドアノブさえも付いていない。

 一見するとただの金属の板のようにも見える。

 扉の上には表示板のようなものが付いていたから。

 それがエレベーターであると認識することができたけれど。

「でもさ、エレベーターにしては他に何もないよねぇ。どうやって呼んだらいいんだろう?」

「そうだよね。呼べなきゃそれはエレベーターとは言えないよね」

 なら、これは何なのだろう。

 二人して首を傾げる。

 呼んだりする為のパネルやボタンは、扉の周りには見あたらない。

 周囲の壁どころか、天井や床にまで一応見てみたけれど、やはり何も見つからなかった。

 扉に合わせて壁が少しへこんでいるから、ドアがスライドして開くのだと思う。

 ドアは少し薄めの水色だった。

 扉には小窓のようなものはついてなく、中がどうなっているのかを見ることはできない。

 無機質な金属製の扉からは、何の情報も伺い知ることはできなかった。

「どこかにセンサーがあって、こうやって人が待ってるときてくれるとか?」

「それだったらすごく便利でいいね」

「とりあえず待ってみようか?」

「そうだね。取り立てて他にすることもなさそうだし」

 燐の提案に蛍は頷く。

 たとえ戻ったところでもう何も得るものなどないだろう。

「ふぅ」

「……」

 二人は黙ってエレベーターが来るのを待った。

 こうして待っていても何の動きもないことから、本当に来るのだろうという疑いはあったが。

 他に選択肢があるわけでもなかったので。

(でも、これが”世界を変えるスイッチ”ってわけはないよね?)

 スイッチっていうか、多分エレベーターだろうし。

 分かりやすいものではないのかもしれないけれど。

「本当に、来てくれるのかな……」

 蛍がぽつりとつぶやく。

 さっきはあんな事を言っていたけれど、内心は半信半疑だった。

「分かんない。けど他に道もないことだし」
 
 そういう燐も困ったように隣で眉をよせている。

 あの人影の形を模した人形たちが襲ってくることは結局なかったが、この先どうなっていくのは分からない。

 このエレベーターのような扉だって、さっきのバス停みたいな、ただのオブジェだったりしたら。

(それこそ、”詰み”な状況になるんだけど……)

 燐はそのことを考えないようにと内心で頭を横に振る。

「あのさ、エレベータを呼ぶのとかって、割とフラグとかじゃなかった? ホラー映画なんかだと」

 燐が不意に暢気なことを言っていた。

「あれだよね。エレベーターのドアが開いたら、中からわらわらとゾンビが出てくるやつでしょ? ホラーだと結構定番の演出だよね」

 蛍もその話に乗ってくる。

「そうそう。だから結局さ、エレベーターはやめて階段よかを使っちゃうんだけど」

「でも、ここには階段もないよね」

 思わず周囲を見渡してしまうが、言うまでもないことだった。

 ここにあるのはただがらんとした部屋と、エレベーターの扉だけ。
 しかも、来るかどうかも分からないしろもの。

「だよねぇ。じゃあ、そうなったらどうやって逃げよっかぁ」

 仮に、中から何かが出てきたら戻るしかなくなる。

 でもそれだって、結局行き止まりだから。

 逃げ場なんてものはここには存在しないということ。

 困った顔の蛍が、恥ずかしそうにゆっくりと口を開く。

「わたし、マンションのエレベーターなんかでも、たまに緊張することってあるんだ。中から、得体の知れないものが出てくるんじゃないかって」
 
 普段から良く使っているものなのに、たまに恐怖のようなものを感じてしまうのはなぜなんだろう。

 中がすぐに分からないこともあるだろうし、逃げ場のない、狭い密室だからだろうか。

 乗るのが苦手というほどではないけれど。

「それは……蛍ちゃんがホラー系の映画とかを良く見てるからなんじゃないのぉ」

 急に言われて呆気に取られた燐だったが、すぐに軽く苦笑いする。

「そうだからかなあ。じゃあ燐は?」

「わたし?」

「うん」

 細い指で顔を指す燐に、蛍はこくんと頷く。

「燐も、ホラーを良く見てるみたいだし、そういった普段、気になるようなことってないのかなって」

「普段から気になるようなことねぇ……あんまり、考えたことってないけど」
 
 そもそもホラー系の映画を見ても、そこまで影響を受けるようなことは燐にはなかった。

(でも、そういった”想い”みたいなものが、この世界を形作ってるかもしれない)

 青いドアの家だってそうみたいだし。

 この不可思議な世界を紐解く、何かヒントのようなものが分かるかも。

「燐、何かありそう?」

「そうだねぇ……」

 蛍にそう言われて、燐は頭のキツネの耳の付け根をこちょこちょと指で触る。

 こうしていると少し落ち着くような気がする。

 ……いつからこうなったかは分からないけど。

「気になるって言うか、やっぱり、今の()()身体のことかなぁ。いつまでこうなんだろうって」

 燐は自分の肩を抱いた。
 
 その瞬間、ふさふさとした尻尾が左右に揺れていた。

「ねぇ燐、痛くはないんだよね? そういうことをしても」

 蛍のその指摘に、燐はうっと小さく唸ると顔を真っ赤にしながら勝手に動かないようにと手でしっぽを抑えつけた。

 その仕草が可愛らしくって、蛍はまた苦笑いする。

「えっと、うん……痛いとかは全然ないの。ただ、違和感がなくなっていってるような気がするのが、ちょっとだけ怖いのかもね」

 もはや燐の体の一部といってもいいほど、頭の耳もしっぽも身体に馴染んでいた。

 背丈が子供に戻ってしまったことにも、ある程度慣れてしまっている。

「このまま……人じゃなくてキツネとかになっちゃうの、かなぁ」

 燐はそう軽く呟く。

 少し諦めの入った燐の口ぶりを聞いて、思わず蛍は眉をひそめた。

「何か、元に戻す方法でもあればいいいんだけど」

「手がかりが何にもないんだよなぁ……あ、ねぇ蛍ちゃん」

「どうしたの? 急に」

 燐が急に蛍の両手を握って顔を近づけてきたので、蛍は少しびっくりしてしまう。

「わたしの顔に何かついてない? そのさ……変な()()とか……」

「ヒゲって……ううん、大丈夫、何も生えてないよ」

 いちおうまざまざと顔を覗き込んでみたが、幼い燐の顔が蛍の目の前にあるだけだった。

「そっか。なら、良かったぁ」

 心配そうに見つめる燐に蛍は軽く笑う。

 燐はほっと安堵の息をついていた。

「気にしすぎなんじゃないかな。大丈夫だよ。きっと燐はもとに戻れるよ」

「そうなら良いんだけどさ」

 ぱっと明るくなった燐の顔がすぐに少し暗くなる。

(でもやっぱりここは自分のせかいじゃないんだろうなぁ。こんなにも戻りたいって願っているのに)

 それは本心からのものじゃない。
 そう言っているのだろうか。

 それは。
 
 ”あの時”のように。

 蛍は勢い込んで燐の手をぎゅっと握る。

「も、もし体が戻らなかったら、わたしが、燐を養ってあげるから! だから……元気出して、ね」

「あ、うん……ありがと、蛍ちゃん」

 ずっと沈黙を続けるドアの前で、二人はお互いの手を握ったまま顔を赤くしていた。

 ……
 ……
 ……

 ごうん、ごうん。

 何かの物音が、不意に天井の方からして、見つめ合っていた少女達がびくりと体を震わせた。

「もしかして……!」

「こっちに、エレベーターが降りてくる!?」

 中に誰も乗っていなくてもこういう物音は出ることがあるらしいが。

「燐」

 蛍と燐はぴったりと身体を寄せ合いながら、互いの手を強く握り合わす。

 指の震えはどちらのものだろうか。

 ここには今すぐに身を隠せるような所はない。

 さっきの人形の中でなら、ある程度は身を隠せそうな気はするが。

(あんな不気味な所になんかもう戻りたくなんかない……!)

 それは蛍だけでなく、燐もそうだったから。

 こうして互いの鼓動を肌で感じながら、その時が来るのをじっと待つことしかできなかった。

(もし、何かが降りてきて、それで襲い掛かってきたら……)

 最悪の事態を想定したのか、蛍はごくりと唾を飲み込む。

「せめて、何が来るのかが分かれば……!」

 燐は耳と尻尾をぴんと逆立てながら、まだ開かないドアの方を凝視していた。

 そんな時、不意に燐の頭にあることが浮かびあがる。

(そういえば、ここに来てからいくつの(ドア)を開けたんだろう……?)

 なんの意味があるのかは分からないが、それが妙に気になってしまう。

 けれど、新しいドアを開けるたびに世界が変化していって、どんどんと遠くへ行ってしまうようなそんな感じがしてしまうから。

 さながら、何も知らずに底なしの沼へと入り込んでしまったみたいに。

 ずぶずぶと濃く、深く、まるで戻れない深淵の方へといってしまっているような。

 ただの気のせいなのだろうか。

「あっ」

 思考の外から不意に声が聞こえてきて、燐は慌ててそちらを振り向く。

「燐! ほら、あそこの表示が!」

 扉の上に付いていてた、真っ黒い画面しか映さなかった液晶のパネルのようなものが、いつのまにか点滅していた。

 まるで今電源が初めて入ったみたいに、赤く光っている。

 そこには三桁の数字が表示されていたのだが。

 それを見た燐は軽く目を見開いた。

「000って……! これって何の数字のことなんだろう?」

「多分、ここのことだよね。もしかしたらエレベーターの起点の数字なのかも」

 つまりここが1階?

 いや、0階なんだろうか?
 表示だけを見た感じだと。

「蛍ちゃんの言う通りだと思う。でも」

 降りてきたということは、エレベーターは上っていたということになる。

 何故そうだったのだろう。

 それは分からないが。

「ドアが開けば何か分かるのかもね」

「うん」

 もしかしたらと、燐はそっと耳を澄ませる。

 その瞬間、ぴくぴくとけものの耳が動いた。

「モーターが動く音がする! もうすぐ近くにまで来てるかも!」

「燐、そうなの!? わたしには分からないけど……」

 蛍も耳をそばだててその音を聞こうとする。

 燐のいう、駆動音を確かめようと、蛍が耳に神経を集中してじっと黙りこくったときだった。

 きぃん!

 音叉の響きのような甲高い音色が辺り一面に響き渡る。

 その音と共に固く閉ざされていた水色のドアがするっと横に開いた。

 何の変哲のないエレベーターのドアが開いただけ──。

 結果からいえばそうなのだが。

「……っ!」

「…………」

 蛍と燐は抱き合ったまま動こうとはしない。

 エレベーターのドアが開き、中に誰もいないということが分かってても、それでも微動だにしなかった。

 代わりにというか、二人とも忙しなく目をきょろきょろと動かしている。

 大きな瞳を、これでもかとばかりに見開いて様子を窺っていた。

 何かが、起きるのかもしれない──これはまだその前兆、予兆なのだと。

 そう言わんばかりに、目だけを必死に動かして固まっていた。

 エレベーターが到着しても安堵するようなものはなく、むしろ二人の緊張感は先程よりもさらに増しているようにみえる。

 何も無いことがかえって不気味ということなのだろうか。

「どう思う蛍ちゃん。あの中に入ってみるしかなさそうな感じはするんだけど」

 燐は小声で蛍にそう言うともう一度、四角いカゴの中をみる。

 解放されたままの箱の中には何も見当たらない。

 人影なんかもなかったが、それ以外にも何かが欠けているような。

 照明だけは点いているようで、中は白く照らされている。

 真っ暗だったら入るのを躊躇した事だろう。
 
 今だってすぐに中に入るのを拒んでいるぐらいだし。

「まだ、ちょっと怖いかんじはするけど。もうそうするしかないのかな」

 訝しげに箱の中に視線を送りながら蛍がそう呟く。

「あからさますぎるとは思うけどね。でもそんなのって今更だしね」

「ふふふっ、確かにそうだね」

 ちょっと見ないうちに、大分変わった姿となってしまったけれど。

 燐の、大事なところはなにも変ってはいない。

 この好きという気持ちだって。

 こんなことぐらいで変わることのないものなのだから。

(そうだよね。わたしは、どんなときも燐と一緒にいくんだから……)

 もう戻れないようなことになったとしても。

 決して後悔はしないだろう。

 ただ、もし再びこの手が離れるようなことがあったとしたら。

 その時は。

「ねぇ、蛍ちゃん」

「え、何、燐」

 燐のことを見つめていた蛍は柔らかく微笑んでいた。

 ふたりの体格差は、姉妹のそれというよりも親子の関係のようだったが、わざわざそれを口にするようなことはなかった。

「こーして、わざわざ降りて来てくれたんだから、入らないと失礼になるのかなって」

 燐の言葉に、蛍は悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「だったら行っちゃう前に入ってみようよ。今ならまだ12時前には間に合いそうだよ」

「12時って……それを過ぎたら魔法がきれちゃう感じ?」

 もちろん時計なんてものがここにあるはずもなく、時間制限のようなものもない。

 これはただの他愛のない言葉遊びで、意味など何もないのだが。

「エレベーターがカボチャに戻っちゃうかも」

「それなら、そんなに悪くないんじゃない。わたしカボチャって結構好きだよ」

「わたしも。栗みたいに甘いのならいいなぁ。ねぇ燐。今度モンブランでも作ってみない?」

「モンブランか……だったら栗もいるよね。あの山なら野生のものが採れるかも」

 意味のない空想を膨らませながら、蛍の手を取った燐が先にエレベーターの中へと入ろうとする。

 だがその前に蛍が口を開いた。

「ねぇ燐、中に入っていいの……?」

「えっ? いいのって」

 妙なことを蛍に聞かれて燐はキョトンとした顔で振り返る。

「だって、燐はひとりで入りたいのかなって……」

「わたしが、一人で? どうしてぇ」

「それは……」

 燐は首を傾げて尋ねる。
 その問いに蛍はなぜか口ごもってしまった。

 燐もそれ以上は聞かなかったが。

 開け放たたれた箱の前で、しばしの沈黙が流れた。

 何故かドアが閉まるようなことはなく、むしろ少女達を待ち構えているかのようにエレベーターのドアはずっと解放されたままとなっていた。

 空気を読んだというよりも、むしろ獲物が檻の中へと入るのをじいっと待っているように。

「あ、もしかして蛍ちゃん……”アレ”を気にしているの?」

「えっ? あれって?」

 押し黙っていた燐が、急に明るい声を出してきたので、蛍は少しびっくりして顔を上にもち上げる。

「ほら、エレベーターの定員重量のこと。確かにそんなに大きくはなさそうだけど、わたし達が乗っても大丈夫だと思うよ」

「でも重量って……」

 燐は何を言っているのだろう。

 首を傾げた蛍がそれを問おうとするが。

「もしも重量オーバーのブザーがなっちゃったらさ。いっそのこと服脱いじゃおうよ。その時はわたしも一緒に脱ぐから!」

 そういって燐は、未だ不思議そうに首を傾げている蛍の背中を後ろからぐいぐいと押す。
 
 急に燐に背中を押されて、蛍は前につんのめりそうになっていた。

「ちょ、ちょっと燐、そういうことじゃなくって……!!」

「いいから、いいから。レディーファーストってことで」

 何故か燐は自分の性別を忘れたようなことを言っていた。

 蛍は慌てて後ろを振り返る。

 その表情には戸惑いと恐れのようなものがないまぜとなっていた。

「大丈夫だよ蛍ちゃん。わたしも一緒に乗るから。蛍ちゃんをこんな所で一人になんか絶対にさせないからね」

「燐……」

 蛍はその言葉にようやく安堵の表情をみせる。

 燐は自身の宣言通りに蛍とほぼ同時に昇降機の中へとのり込むと、あまり大きくはない四角い()()の中を見渡した。

 中は──とても静かだった。

 電源がちゃんと生きているかすら分からないほど。

 でも、エレベーターのドアが開き、降りてきたということは、電気はまだ動いているという事なのだろうが。

「ねぇ、見て燐」

 小さく叫んだ蛍が、開いたドアの上の方に指を差す。

 そこには箱の外と同じ、小さな表示板のようなものがついてあった。
 
 今いる階がそこに表示させるのだろう。赤色のLEDで”000”を出している。

 表と同じ番号。

 やはりここがエレベーターの最下層なのだろうか。
 
 それとも、地下のようなものがこの下に広がっている?

 あまり考えたくはない事柄だけど。

(地下に行くよりかは上ってくれた方がマシな感じがする……)

 地下に行くエレベーターに乗った記憶があまりないからだろうと思う。

 蛍は浮かび上がった思いに、自分でそう結論づけた。

「やっぱり、他にボタンとかはないみたいだね」

「どうやって動いているんだろうね、これ」

 二人がどんなに注意深く周囲を見渡してみても、エレベーターの内にも外にも何かのボタンのようなものを見つけることはとうとうできなかった。

 行く階を決めるボタンもなければ、扉を開閉させる為のものもない。

 何かあったときに異常を知らせるインターホンすらもついていない。

 蛍の言うように、これは本当にエレベーターと呼べるものなんだろうか。

 二人がそうこうしている合間に。

 微かな音とともにするりとドアが閉まる。

 二人とも、何の操作もしていない。
 だって、操作するものが何もないのだから。

「閉まっちゃった」

「……うん」

 少女たちは一言の驚きの声を発することもなく、扉の閉まる様子をただながめていた。

 そうなると後は。

 上か下か。

 どちらかへとこのカゴは動き出していくのだろう。

 もしくは、このまま動かないというのも十分にありえる。

 閉じ込められて、ずっとそのまま。

 そこに何の目的があるのかは分からない。

 ただ、さっき来るの待っていたみたいに、やれることはただ一つだけだった。

 ──待つということ。

 燐と蛍は、固唾を飲んでその時が来るのを待つ。

 最悪の事態になるかもしない。
 そんな事すらも頭の片隅で考えていた。

「ちゃんと動いてくれるかな」

「そう、祈ってみる?」

「祈るって」

「この機械か……もしくは、この世界を作った人?」

「それって、どっちにしても聞き入れてくれそうにはないね」

 取り立てて意味のない会話を交わす、蛍と燐。

 二人が顔を見合わせて苦笑いしたとき。

 不意にがぐんと、エレベーターが動いた。

 これも前触れもなしに。

「り、燐っ……!!」

 不意を突かれるかたちとなった蛍は、おもわず壁に手を付いて身体を支えた。

「蛍ちゃん、壁に背をつけたほうがいいよっ!!」

 そういって燐は蛍の手を引っ張って箱の後ろの方に誘導をする。

「動いてる……! でも、これ落ちてる感じじゃなくて……!」

「上がってる、ような気はするよ」

 落ちていくような、あの圧迫するような浮遊感がないから多分間違いないだろう。

 景色でも見れればすぐに分かることなのだろうが、あいにくカゴの中はガラス張りなんかではなく、小さな窓すらも付いていなかったのだから

 ただ、エレベーターが動いたことで眩暈や、息苦しさを覚えることがなかったのは幸いだったけれど。

 それで、この密室の中で分かることといったら。

「あの赤い表示は、一応動いてはいるみたいだけど」

「何か、変なことになってない?」

 二人の視線は背の高い金属製のドアのその上の表示板に注がれている。

 0から始まった表示は”1”もしくは”B1”にでもなるのか思っていた。

 けれど、現在階を示す表示ではなかったのか、3桁の数字は意味のなくぐるぐると回り続けているだけ。

 まるでゲームのスロットのみたい。
 
 ぎゅっと眉を寄せて蛍はそう思っていた。

「これって、故障してる!?」

「途中で、止まったりしないといいんだけど……」

「こんな所でエレベーターが止まったりしても、誰も助けてくれそうにないよね」

 エレベーターの管理者などいるはずもないだろう。

 それに助けを呼ぶにしても肝心のインターホンがこれにはついていないのだから。

「天井からは出れそう? 映画なんかだとそこから脱出してるみたいだけど」

 二人は同時に天井を見上げる。

 あまり高くはない天井だったが、そこには照明はなく、天板自体が光っているように見えた。

 消えかかりそうなほど淡い光ではあったが、見る分には問題はない。

 ただ脱出口もないのはアレなのだが。

「天井に何か仕掛けとか……なさそう?」

 燐では微妙に手が届きそうにないので、代わりに蛍にやってもらうことにした。

「うーん!! ……やっぱり、何もないっぽい」

 天井に蛍のバニーガールの耳が着いてしまいそうなほど背伸びをして両手で押してみたが、天板はびくともしなかった。

 壁なんかも押してみたが、何かが出てくるようなこともない。

「何かあったら、それでおわりかもね」

 燐は繋がれた蛍の手を強く握る。

 いつまでこうしてこの箱が動いてくれるかは分からない。

 まだ止まりそうな雰囲気はないけど、電車とは違って途中で降りられるものでもないわけだし。

 それに。

 この扉が開いた先に何が待っているというのだろうか。

「燐と一緒なら、わたしはどこでも平気だよ」

「蛍ちゃん……うん、そうだね」

 ずっとこのままで良いとすら思ってしまうのは、きっと。

 二人が一緒だったからだと思う。

 恐怖に駆られるとかよりも先に、誰よりも安心できる人がすぐ傍にいてくれるのだから。

 本当に怖いのはもっと別の……自分の中にしかないもの。

 それを知られてしまうのが何よりも怖いことだから。

「ねぇ、蛍ちゃん。こんな時にこんなことを言うのはあれなんだけど、さ」

「何のお話?」

 燐も蛍も互いの顔ではなく、前を向いたまま話している。

 視線はドアの上の、液晶の文字盤だけに注がれていた。

「蛍ちゃんってさ、あんまり怖がったりとかしないよね。お化け屋敷とか、ジェットコースターにも一緒に乗ったけど案外平気みたいだったし」

「あぁ」

 何の話かと思ったらそっちの話か。

 燐が真剣そうな顔をしていたから、ちょっとどきっとしてしまったけれど。

 蛍はそっと息をはくと、小さく口を開く。

「ジェットコースターとかって、普通に楽しむものじゃない? 怖い方が先に来るものなのかな……」

「う~ん、その辺は人それぞれなのかも」

「そっか、じゃあ感覚として普通じゃない方なのかもね」

 お化け屋敷もジェットコースターも、怖がったりするのが前提だろうし。

「別に、蛍ちゃんは変じゃないと思うよ。ただちょっと肝が据わってる感じって言うか。楽しみ方が他の人とは違うのかも」

 それは特別というか、異常じゃないのだろうか。

「燐だって、わたしとあんまり変わらないじゃない? 何に乗っても笑顔だった気がするよ」

「それはまあ、楽しいからね。普通に」

「わたしだって楽しんでるよ」
 
 二人で遊園地やテーマパークに出かけることは割とあるけれど。

 そんな、リアクションとはいちいち気にしたことはない。

 だが、その時の写真を見たりすると、少しがっかりした気持ちになることはあるが。

(やっぱり、ちょっとは怖がったほうがいいのかな……そっちの方が可愛げがあるというか)

 その方が、女の子らしいのかな。
 やっぱり。

 ちらっと燐の横顔を見る。

 燐は少し困った顔をしていた。

「まあ、わたしは全力で楽しんじゃう方かなぁ。絶叫マシンとかに乗って、大声を出すと、溜まってるものとか全部吐き出せた感じがしてすっごくすっきりするんだよね」

「燐の写真みると分かるよ、口を大きく開けてるから」

 蛍は小さく微笑む。

 蛍は寡黙に状況を楽しむタイプだったが、燐は叫んで楽しむ方だったから。

 それぞれタイプは違えど、自分達なりの楽しみをもっていた。

「それ本当? だったら」

 燐は軽く、ぐわーっと叫ぶ真似をする。

 その横で蛍がくすくすと笑っていた。

「でも……あの”何か”は別なんだよね。何ていうかおぞましさみたいなのを感じるっていうか」

「それ、よく分かるよ。わたしもアレはダメっていうか嫌悪を感じるの」

「あれが人形で良かった」

 蛍はほっと胸をなでおろす。

 やはりあれは不気味だ。

 人形だったからまだ良かったものの、もし動き出したりでもしたら、きっと半狂乱となっていただろう。

 実際に蛍は最初見つけた時はなってしまっていたが。

(でも、何か匂いがあったっていうか……まだそれを覚えているのかな)

 連中が発していた、あの吐き気を催す甘ったるい匂いを。

「?」

 首を傾げる燐の隣で蛍は小さな鼻を指で擦っていた。

 ……
 ……

「そういえば、前に燐と一緒にさ、こんなエレベーターみたいなアトラクションに乗ったことがあったよね? もうちょっと大きかったけど」

「そんなのあったっけ?」

「うん。ほら、あの大きなテーマパークにある」

 それでようやく分かったのか、燐はぽんと手を打つ。

「あの、でっかい塔みたいなアトラクションの事ね。すごい待ち時間だったからそっちの方の印象が残ってたよ~」

「人気だったからすごい行列だったよね」

「八時間とか待つこともあるらしいよ。そんなのもう修業みたいなもんだよねぇ」

「わたしだったら絶対に無理だと思う」

 とても人気のあるテーマパークだったから、アトラクション一つ乗るのにも行列がすごくて辟易とするほどだった。

 それも春先の、とても人気の多いときに行ったせいで、どこへ行っても人でごった返していた。

 そんな中、パーク内でも屈指の人気を誇るフリーフォール型のアトラクションに乗ろうとしているのだから、待ち時間が長くなるのも当然のことだった。

 燐と蛍が言っているのは、室内型の絶叫アトラクションの事で、パーク内でも一番高い建物となっている。

 ”塔”の名前がついてはいるが、実際は事故によって使われなくなった廃病院という設定となっていた。

 人気の為、行列が出るのは必至で、あまりの待ち時間の長さに諦める人どころか、パークの方で人数打ち切りすることもあるほどだった。

 それなのにだ。
 あれだけまたされても実際のアトラクションは5分もないのだから。

 内容よりも待ち時間のことばかり覚えていても、それほど不思議なことではなかった。

「でも、蛍ちゃん、あれだって全然平気じゃなかった? 普通に楽しんでたっていうか」

 その時は、朝から夜までいたから、他にもいくつか乗ったけど、どのアトラクションでも蛍は悲鳴の一つも上げてはいなかった。

(それでも、ずっと笑顔だった気がするなぁ。あの時の蛍ちゃんは)

 写真や動画を見返してみてもそうだったからそれは間違いないだろう。

 控えめな笑みだったけれど、それでも蛍がとても楽しんでいたのを燐は知っていた。

「燐は、ずっとはしゃいでたよね。ちょっと、子供みたいかもってその時は思っちゃった」

 蛍はパーク内で写真を撮ることばかりしていた。

 なので長い行列でも全然苦にならなかった。

 楽しそうにしている燐の姿をこんなに近くで見ることができたし、思い出として写真や動画にいっぱい収めることができたのだから。

「あの時の燐、すっごく可愛かったよね。キツネのキャラクターのカチューシャもすごく似合ってたし」

「蛍ちゃんだって付けてたじゃない。あのウサギ結構人気なんだよね。一番はあのネズミのキャラだけど」

 パークでは動物を模したキャラクターがパフォーマンスをしていたり、パレードをしたりしている。

 それぞれに人気のあるキャラだから、グッズなんかはそれこそ大量にあるのだけれど。

「みんな、色んな格好してたよね。春なのにハロウィーンっぽいって思っちゃった」

 そこのテーマパークでは、ちょっとしたコスプレをして回るのがマストのようだったから、自分たちも真似してパーク内で買ったものを見に付けて園内を散策していたのだが。

 そういえば。

 蛍の脳裡にある疑問がぽかんと浮かぶ。

(そういえばあの時のわたし達って、”動物の耳みたいなもの”を付けていたけど……)

 正確には、動物の耳を模したカチューシャなのだが、他にも宇宙人っぽく光る触覚や、ぬいぐるみがついているものなんてのもある。

 童話のような世界観にそのまま溶け込んでいくようにポップでカラフルなものが多かった。
 
 可愛いと思うのを身に付けて、パークを回っていたのだけど。

 皆がそうしていたように。

(それって、まさか、だよね……?)

 蛍は燐のその、頭についているキツネの耳を横目で見つめていた。
 
「でも、やっぱり楽しかったなぁ。すっごく混んでいたけどさ、パークで食べたフードも美味しかったし、終わりのパレードと花火もすっごく綺麗だった」

「ぜんぶ良かったよね」

「うんうん。でも、その中で一番良かったと思うのはさ」

「えっ、何」
 
 不意に燐がこちらを振り向いたので、蛍はどきりとしてしまった。

「蛍ちゃんと一緒だったからだよ。だから楽しかったんだと思う」

 そう言ってにっこりと笑う燐。

 蛍はなんか恥ずかしくなって、慌てて苦笑いする。

「それは、わたしもだよ。また、燐と一緒に行きたいな」

「ねえねえ、蛍ちゃん。今度はさパークの近くのホテルにも泊まってみようよ。なんかさすっごくメルヘンなお部屋なんかもあるらしいし、ディナーも専用のものになるらしいよ」

 これもマストなもののひとつで、その分料金は高いが、予約待ちがでるほどの人気があった。

 燐の言葉に蛍は呆気に取られたようにぼーっとなっていたが。

「え、えっと……わたしは良いよ。燐さえよければ、だけど……」

 そう言って顔を真っ赤にしていた。

 ……
 ……
 ……

 所詮は作られたアトラクションなのだから、いくら怖いと言ってもそれには限度というものがある。

 いくらリアルに作られたとても、それは本物ではないのだし。

 けれど、小平口町で起こった異変。あれは現実で、本当のことだった。

 あの事象を凌ぐ恐怖なんてものはもう二度とないだろう。

 そう、思っていた。

 けれど、今のこの状況はどうなんだろう?

 これもあの時から続く異変なのだとしたら、そこにおわりなんかはあるのだろうか?

 ちゃんとした意味での幕引きなどが。

「あのさ、燐。ちょっと変なことを言っちゃうんだけど」

「うん?」

 燐はまだ浸っているのか少し上の空な返事をする。

 蛍はそれを気にすることなく話をつづけた。

 そこまでの余裕がなかったから。

「まさかだとは思ってるけど、このエレベーターも、あのアトラクションみたいなことにならないよね? きっと」

 そう言った蛍の顔が少し青ざめている。

 燐は息をのみこんだ。

 あの、エレベーターを模したアトラクションは3,4回ほど座席が上下したのち、最後は……。

「流石に、それは……ないんじゃないかな……? 今のところは異常なんかはなさそうだし」

 勝手にドアが閉まり、勝手に動いてはいるが。

「そう、だよね。ちょっと気にしすぎちゃったのかもね」

 その話の後だから、と蛍がそう言おうとした瞬間。

 ばちっ、と火花が出たような甲高い音がどこからか聞こえてきて、言葉を失っていた。

「…………」

 ふたりは無言で顔を見合わせると、どちらともなく手をとり合って、ぺたりと床に座り込んでいた。

 ……
 ……
 ……




Do not go gentle into that good night

 

 どのぐらい、この四角い箱の中で揺られていたのだろう?

 

 エレベーターはまだ動いていた。

 

 ここに終わりなど来るはずもないみたいに、ゆっくりとした速度で上昇を続けていた。

 

 燐と蛍は、エレベーターの隅っこで身を寄せ合っていた。

 

 流石に喋り疲れてしまったのか、燐は蛍の肩に寄り掛かって小さな寝息を立てている。

 

 そんな燐の寝顔をしばらく眺めていた蛍だったが、いつしか頭を上下に揺らして、うつらうつらとなっていた。

 

 ふさふさとした燐の獣の耳が頬にあたって少しこそばゆかったけど、そんな事すら気にならないほど眠気の方が増していたから。

 

 久しぶりに安らかな微睡みの中に二人が溶け込んでいた時だった。

 

 ぽぉん、と弾むような電子音が不意に耳朶を打ち、そこでエレベーターがぴたりと静止する。

 

「……はっ!」

 

 その音と振動がきっかけで、二人は同時に目を覚ました。

 

 ぱっと顔を上げた少女たちの目の前で、音もなくするっと金属のドアが開く。

 

 それはエレベーターが来る前に見ていた動作と全く同じものだったが。

 

 燐と蛍は、ぱちくりと目を瞬かせながら、再び開いたドアの先を凝視していた。

 

 入ってきたときと同じドアがまた開いたことに、少女たちは安堵するも。

 

 すぐには状況が呑み込めないのか、エレベーターの隅っこで身を寄せ合っている。

 

 起きているあいだ中、ずっと睨み続けていた電光表示板は、意味不明な数字を表示したまま止まっていた。

 

 ちょうど電気が切れたみたいに、ここまで二人を運んできた昇降機もそれっきり動く気配がない。

 

「ねぇ、蛍ちゃん」

 

 燐は蛍の耳元でそう囁くと、ここから出るように指で合図をする。

 

 蛍は返事のかわりに燐の手をぎゅっと握ると、こくりと頷いた。

 

 手を取り合った二人は中腰の姿勢のまま、少し速足でエレベーターの外へと転がり出す。

 

 蛍と燐は、すぐさま後ろを振り返る。

 

 それでもドアはすぐに閉まることはなく、背後には開けたままのからっぽの箱があるだけだった。

 

「ようやく、外に出れたね!」

 

 まだ少し微睡んだ瞳で燐がにこりと微笑んだ。

 

「うん、ちゃんと外に出れてよかった」

 

 暗がりの中にいたわけではないにせよ、状況の見えない密室の中でその時が訪れるのをじっと待ち続けているのは、思っていた以上に心と体を疲弊させるものだった。

 

 まだ自分の足で動き回ったほうがましだと思えるほどのだったけれど。

 

 ようやくそこから解放されたのだと思った。

 

 こちらの状況の方が良いかどうかはまだ分からないのだが。

 

「それで、ここってどこだろう……?」

 

「どっかの部屋みたいだけど」

 

 あの不思議なエレベーターが連れてきたのは、何もない部屋のような空間だった。

 

 部屋の作りは、乗ったときと同じようにエレベーターがあるというだけ。

 

「倉庫みたいにがらんとしてるね」

 

 燐は思わず呆れた息を漏らしてしまう。

 

 息の詰まる思いの箱の中からようやく抜けだしたと思ったのに、同じような所に出ただけなんて。

 

 それは蛍も同じ気持ちだったが。

 

「ねぇ、あそこに何だろう……道みたいのがあるみたいだけど」

 

 少し疲れた顔の蛍が指差した方向には、折れ曲がった細い通路のようなものが見えていた。

 

 二人がそこに向かうと、通路の先には小さな階段があって、それは上へと伸びているようだった。

 

 その先は……まだ分からない。

 

 行き止まりよりかは良い事なんだろうと思うが。

 

 それを素直に喜べないのは、何も分からないせいからだろう。

 

 道筋もそうだが、進むべき目的が希薄だからだと思う。

 

 目指すものは、あるにはあるのだが。

 

「……それでも、先に行くしかないってことだろうね。ねぇ、蛍ちゃん、もう少し休憩する?」

 

「大丈夫、さっき少し寝てたみたいだから」

 

「あっ、ごめん。わたしも普通に寝ちゃってたよぉ。そういえばエレベーターで寝たことって思えば初めてのことかも」

 

「そう考えると、結構貴重な体験だったのかもね、あれでも」

 

 二人は顔を見合わせて軽く微笑むと、まだ重い足を動かしてその階段を登ってみることにする。

 

 人ひとりが何とか通れそうなほど狭い階段ではあったが、床全体にカーペットが敷いてあるようで、そのおかげでヒールの靴音がしないことに蛍は安堵していた。

 

 けれどそれは、すぐにどうでもいい事となっていた。

 

「はぁ、はぁ……ねぇ、まだ、続くの……?」

 

「何でこんなに……長い階段が……」

 

 最初は、本当に大したことのない階段だと思った。

 

 小さいのもあったのせいかもしれない。

 

 小股でも上がれそうなほどのものだったから、こんなに長く続くものだとは思わなかった。

 

 階段を上がった先には小さな踊り場のようなものがあって、その先でまた細い階段が続いていた。

 

 それを延々と繰り返しさせられていた。

 

 周りがホテルなんかで使われていそうな、白い壁紙が使われているせいで、ちょっと上品な感じがすると、当初燐は嬉々として言っていたが。

 

「はあ……これ、どこまであるの……? バカみたいに続いてるんだけど……」

 

 今やその想いは辟易としたものになっていた。

 

 ずっと同じ景色でそして、階段もまだ同じように続いているのだから。

 

「うん……そうだね……」

 

 一方の蛍は足を引き摺りながらも、燐の後から懸命についてきていた。

 

 満身創痍といった様相だったが、それでも足手まといだけはなりたくないと休憩もそこそこに、忌々しくすら思える階段を上っていた。

 

 少し朦朧とした意識となっているのか、視界に映るものが色のないモノクロのように見えることすらあった。

 

 虚ろな目で蛍が見上げてみても、その天井すら見えてこない。

 

 名も知らない灯台の中を意味なく登らされているみたい。

 

「こんなに、まだ先があるのなら……さっきの、エレベーターが上まで運んでくれれば良かったのにね」

 

「それ同感。もうちょっと気を利かせてくれないとねー」

 

 機械にぼやいても仕方がないことなのだろうが。

 

 いまのこの状況に流石に疑問を持った二人だったが、けれども、ここにしか道はなかったのだから、ただひたすら階段を登るしかなかった。

 

 無言のまま足を動かし続ける。

 

 幾つの階段を登ったのだろうか。

 

 そんな事を気にしても意味などないのだろうが。

 

 二人の呼吸が乱れ、その表情に疲労の色が見えるようになってきた頃、それはようやく訪れることになる。

 

「見てっ、蛍ちゃん! あれって出口なんじゃない!?」

 

 希望を含んだ燐の明るい声に蛍は思わず手を叩いていた。

 

「燐、それ本当!? じゃあやっと……ここから出られる」

 

 螺旋を描いていた長い階段の先の方が、白い光で溢れていた。

 

 白く強い光は、外から出てきたものなのだろうか。

 

 何なのかはよく分からないが、燐の言うようにあれは出口なんだろう。

 蛍はそう理解した。

 

 終わりが見えたことで安心できたのか、蛍はこれまでの疲れが嘘のように足を前へと急がせる。

 

 燐も、後少しの階段を必死になってあがる。

 

 子供となってしまったせいで歩幅の違いに悩まされたけれど、今ではすっかり自分のものとなっていた。

 

「あと、ちょっとだからっ、頑張って蛍ちゃん!」

 

「うん……!」

 

 燐に手を貸してもらいながら、蛍は歯を食いしばって階段をあがる。

 

 腰も膝ももう鉛のように重くって、自身の息づかいも耳にうるさかったが、それらは放っておいて何とか足をあげる。

 

 節々がぎいぎいと鳴ってまるで悲鳴をあげているようだった。

 

「ほら、あとちょっとだよ!」

 

 結局、燐に両手を持ってもらいながら、蛍は最後の階段を上がる。

 

 以前の登山でも同じようなことを燐にしてもらったことがあったが、まさか子供の姿の燐にもしてもらうことになるとは思わなかった。

 

 当然恥ずかしさはあったが、そうでもしてもらわないと足が動いてくれないのもまた事実だったから、蛍は大人しく従うことにした。

 

「蛍ちゃん! ほらゴールだよっ」

 

「や、やっと……」

 

 息も絶え絶えに、二人が最上階へとたどり着いたその瞬間のことだった。

 

「きゃぁっ!!」

 

「……っ! な、何!?」

 

 二人は同時に悲鳴のような声をあげる。

 

 何か、目に見えない透明な薄い膜のようなもの突き抜けたような。

 

 そんな感覚が今、確かにあったのだ。

 

 小刻みに全身を弄られたような、形容しがたい感覚が。

 

 蛍と燐は唖然とした顔で互いを見つめる。

 

 今のことで何かが変わったような感じはない。

 

 ほんの一瞬の事だったし。

 

 景色にも何の変化はなかった。

 

 唯一、分かっていることと言えば。

 

 目の前の光の先へと進むしかないということ。

 

 ただ、それだけだった。 

 

 ……

 ……

 ……

 

「ここってさ、多分、外だよね?」

 

「そんな感じはするんだけど……」

 

 何か、が違うような。

 

 さっきの明かりはこの外から漏れ出たもの考えるのが妥当なんだろう。

 

 エレベーターと長い階段を登った先で、とうとう地上のような場所に出ることができた。

 

 一体どういう構造のものでこの世界が成り立っているは分からないが。

 

「また、違う世界にでちゃったのかな?」

 

 つい、その言葉が燐の口から出てしまう。

 

 いくら先に進んでもいつもの日常どころか、青いドアの家のある世界にすらたどり着くことすらできていない。

 

 そんなに離れた場所とは思ってはいないのにだ。

 

(だったら、わたしが見た白い風車は目印ですらなかったの?)

 

 結局、スイッチが何処にあるのか分からないまま、違う世界の外へと出てしまった。

 

 何の手がかりもないまま、あてどなく彷徨っている。

 

 けれど、戻ったところでもう何も見つからないだろう。

 

「だって、もう……」

 

 蛍は後ろを振り返る。

 

 二人が出てきたはずの入り口はもう無くなっていた。

 

 かなり長い間、あの室内を歩き回ったから、どういった場所だったのかが知りたかったのけれど。

 

 それも消えてなくなっている。

 

「全部、なくなってる……!」

 

 さっきまで居たはずの世界の痕跡とやらのものは一切合切消えてなくなってしまった。

 

 あるのはただ、真っ黒い空とその周りを取り囲む奇妙な高い建物だけ。

 

 街並みはあっても、そこには人の姿などはない。

 

(まさか、あの時と同じ町……? でも、やっぱり何かが違う気がする)

 

 燐は眉根を寄せながら首をかしげる。

 

「ねぇ、今って夜なのかな? 他に誰もいないみたいだけど」

 

 見たこともない街並みに蛍は不安げに周囲を見渡す。

 

 高いビルディングのようなものが立ち並ぶ中、人のかわりに不気味な静けさだけが周囲に漂っていた。

 

「やっぱり、星もない……月も」

 

 燐は黒い空を振り仰ぐ。

 

 ここにも月明かりどころか、星のひとかけらすら視えない。

 

 天の星々はもう死んでしまったのだろうか。

 

 漆黒の空には何の明かりもなく、真っ暗いヴェールが広がっているだけ。

 

「燐は、この場所って見覚えとかある?」

 

「似てる場所かもって思ったけど、やっぱり違うみたい……蛍ちゃんは?」

 

 その問いに蛍は黙って首を横に振る。

 

「でも、似ているって?」

 

 燐は、一体何処の事を言っているのだろう。

 

 それとなく蛍が問いかけた。

 

「この、変な格好になっちゃったときに、こんな真っ暗な町にいたんだ。そこに来ちゃったのかって思ったんだけど」

 

「そことは違うんだね」

 

「うん。ごめんね役に立たなくて」

 

 そう言って燐は手を合わせる。

 

 蛍は小さく笑うと。

 

「大丈夫だよ。でも、本当にここってどこなんだろうね」

 

「少なくとも、元の世界じゃないのは確かだよね」

 

「そっか、残念」

 

 少女たちは同時にため息をついていた。

 

 完全な、よるのせかい──その言葉がぴったり感じてしまう。

 

 それほど、辺りは真っ暗で静まりかえっていた。

 

 人の姿どころか、ちゃんとした道路があるのに、一台も車が通ることすらもない。

 

 ビルが立ち並んでいることから、商業区なのかもしれない。

 

 それでも、ここまで誰もいないことがあるのだろうか。

 

 明かりのようなものは一応ある。

 

 黒いビルの窓から光が覗いているのだが。

 

 街灯にだってある。

 

 小さな公園のようなところで、照らされたベンチがぽつんと置いてはあるのだが。

 

「やっぱり、誰もいないね」

 

 大きな建物や施設は置いてあるのに、それを利用する人は誰もいないというのだろうか。

 

 どこに行っても、他の人の気配を感じることはなかった。

 

 虫も鳥も、小動物の存在も見ていない。

 

 生物はもう息絶えてしまったのだろうか。

 その時の建物だけを残して。

 

「もう少し辺りを探索してみようよ蛍ちゃん。何か分かるかも」

 

「うん……そうだね」

 

 軽く言う燐に、蛍はそう頷いてはみたものの、他の人を探すことに意味などないんじゃないかと思っていた。

 

 どうせ、二人ぼっちなんだから、と。

 

「何だろ……何か、匂いが……」

 

「燐?」

 

 燐はぽつりと呟くとぴくっと鼻を動かす。

 

 この姿だと匂いが良く分かるのか、蛍の横で燐がくんくんと鼻をならしている。

 

 ちょっと下品かもとは思ったが、その匂いが何だか気になってしまう。

 

 隣の蛍の匂いではない。

 

 だったら?

 

「微かに、水の匂いがするような気がする……」

 

「お水? それって潮の香り?」

 

 燐のその呟きに蛍は唖然として首をかしげた。

 

 この世界にも海があるというのだろうか。

 

 蛍もつられて鼻を利かせてみたが、潮の匂いはしない。

 

「そういうんじゃなくて、普通の水っていうか。川とか湖みたいな匂いかなぁ? 濁ったようなのじゃないみたいなんだけど……」

 

 くんくんくん。

 

 燐も自分で良く分かっていないのか、難しい顔をして鼻を上に向けて、その匂いの元をたどるようにした。

 

「それって、どこからの匂いなの?」

 

 蛍には分からなかったので、燐に聞いてみる。

 

「そうだね……あっちの方からかも」

 

 以外にも燐は匂いのする方向へ指を差す。方角はビルの谷間の路地裏のような細い道の先だった。

 

 当然、照明はなく真っ暗な道だったのだが。

 

「じゃあ、行ってみよう」

 

 今度は蛍の方から手をとると、燐が指差した方向へと先立って駆け出していく。

 

「あっ。ちょっと待ってよ、蛍ちゃん!」

 

 先ほどまでの疲労は何処へ行ったのだろう。

 

 急に積極的になった蛍のその後ろを燐が慌ててついていく。

 

 誰もいない暗い夜の街なかを、甲高い靴音を響かせながら、二人はまた走り出していた。

 

(そんなに急がなくてもいいのに……)

 

 蛍のすぐ後ろで、燐は少し不満そうに苦笑いする。

 

 二人きりなんだし、お互いに変な格好なんだから。

 もうちょっと、この状況を楽しんでいてもいいのでは思う。

 

 知らない町の、知らない二人で。

 

 まあ、急ぎたいという気持ちはよく分かるけれど。

 

 

 どこかで──アイツが見ているんじゃないかって。

 

 得体の知れない焦燥感に突き動かされたとしても、それは間違いではない。

 

 そう思うんだ。

 わたしは。

 

 ……

 ……

 ……

 

(さっきから、耳鳴りが……)

 

 はぁ、はぁ。

 

 走りながら蛍は手で軽く耳元を押さえる。

 

 エレベーターに長く乗っていたせいだろうか、どうも耳が詰まる感じがする。

 

 こうして走っていればその内、治まるかと思ったけど。

 

 どうやらそうでもないみたいだった。

 

 まだ片耳だからそんなには気にはならないが。

 

「蛍ちゃん、どうかしたの? 立ち止まって」

 

「ううん、えっと、何でもよ。それよりも燐、こっちで間違いない?」

 

「うん、多分ね」

 

「そっか」

 

 それだけを確かめあうと、少女達は再び走り出す。

 

 ふと上を見た燐は、あるものに目がとまった。

 

 ビルの間は真っ暗で、何も見えないだろうと思われたのだが。

 

(何だろう? あれって……パイプ?)

 

 太いパイプのようなものが二人の頭上にあり、それは道の先のほうまで真っすぐに伸びていっているようだった。

 

 排水か何かを行うようなものの気はするが、そういえばこの町には下水のようなものが見当たらないから、これで処理をしているのだろうか。

 

 それにしたって、地下に埋め込んだりしないで、こんな風にあからさまにみせているなんて。

 

 それを考える余裕などは今はなく、二人は燐が匂いがした方へと進む。

 

(さっきから、ノイズ音が聞こえてくるような気がするけど……)

 

 蛍は軽く唾を飲み込む。

 

 これも気圧の変化の影響なんだろうか。

 

 国内旅行の飛行機程度でもこうなってしまうことがあるので、どちらかというと蛍は飛行機に乗るのが苦手なほうだった。

 

(そういえば、燐は大丈夫なのかな……? ()()()()()()())みたいだけど……)

 

 隣で一緒に走る燐を蛍はちらりと見やる。

 

 本人は全く気にしていないようにみえるが。

 

「蛍ちゃん、前っ!!!」

 

 急に燐が叫んだことで、ビックリとした蛍が慌てて前を振り向く。

 

「えっ……?」

 

 蛍は間の抜けた声をだしていた。

 

 暗い路地裏を抜けた先は道がなくなっていて、そこは何もない空間だった。

 

「ここから急に崖になってる……!?」

 

 近代的だった建物がそこだけぽっかりと切り取られたように、巨大な穴が開いていたのだ。

 

 燐が声を掛けてくれたから、何とか崖の手前で止まることができたが。

 

「大丈夫、蛍ちゃん!」

 

「うん」

 

 蛍は小さく頷くと、燐の手を強くにぎる。

 

「ありがと。燐が言ってくれなきゃ崖に落ちちゃってたかも」

 

「そんなことはないと思うけど……でも、ここって手すりとかもないよねぇ? こんな町の中心部にあるみたいなのに」

 

 崖の周りには手すりもそうだが、注意を促すような標識さえもない。

 

 放置でもされているみたいに、ほったらかしになっていた。

 

 崖下には、数キロメートル単位の大穴が開いていて、その中には満々と水を湛えた、大きな水溜まりのようなものがあったのだ。

 

「何かさ、”静かの海”っぽくみえるね」

 

「それって月の、あの場所のこと?」

 

「うん。クレーターっぽく見えたから」

 

 実際に月には、そのような海があるわけではない。

 

 ただそう名付けられたというだけのことで。

 

 蛍はこの、クレーターのような大穴をみてそう思っただけだった。

 

 ただ、ここには水が張っていて、凪いだ海のように見えなくはないけれど。

 

「だからってさ、月面ってわけじゃないよね。いくらなんでも」

 

「それはまあ、そうだね。でも、それならちょっとロマンティックな感じするかも」

 

 燐の言葉にそう苦笑いしてみせた蛍だったが、内心ではそれほどの自信はなかった。

 

 そのぐらい変な場所だったし、それなら空に月がないのにもある意味納得がいく。

 

 こうして普通に息ができて会話していると言う、根本的な問題はあるけれども。

 

 燐の嗅いだ水の匂いというのも、恐らくここのことなのだろう。

 

 これまで川や池のようなものは見かけなかったし。

 

(でも、何で分かったんだろう? ……あそこから結構な距離があったはずなのに)

 

 燐は不思議そうな顔で、水が溜まっている崖下を覗き込む。

 

「池にしては唐突すぎるし、ここで何かあったのかな?」

 

「わたしもそう思うよ。突然、大穴が開いているみたいにしか見えないし」

 

 二人のその疑問はもっともだった。

 

 本来ならビルが立ち並んでいそうな所に急に崖があって、そこに深い穴があいているのだから。

 

「あ、そういえば」

 

「どうかしたの」

 

「そのさ、大きな穴が開いてた所が他にもあったなって」

 

「それって、燐がいた世界の話?」

 

 蛍は知らないことだったから、何となくそう思って聞いたのだった。

 

 燐は頷く。

 

「工事現場みたいなところがあって、そこにブルドーザーも置いてあったんだけど、何かが爆発してできた感じじゃなかったんだよね」

 

「大きな生き物の足跡かもって思っちゃったぐらいだし」

 

「足跡……」

 

 蛍にはどういったものかはいまいちピンとはこなかったが、そう燐が言っているのなら全くの無関係ではない気がした。

 

「燐が見たっていうその穴と、これって何か関係性があるのかな?」

 

「うーん、よく分からないけどぉ」

 

 唸った燐は思わず腕を組んでしまう。

 

 確かに、向こうにも穴は開いていた。

 でも、こんなに大きくて深い穴ではない。

 

 だから何かの足跡かもと思ったのだが。

 

(あの、化け物(くらげ)がやったのかもって思ったけど……)

 

 流石に、こんな大それたことまではやれないような気はする。

 

 規模が全然違いすぎるというか。

 

「なんかさ、ブラックホールが落ちてきたみたいだよね。こんなに大きい穴だと」

 

 この穴が深いせいからだろうか、蛍はついそう表現していた。

 

「隕石が落ちてきたとかじゃなくて?」

 

 そういって燐はかるく苦笑いする。

 

 蛍は少し顔を赤くする。

 

「まあ、流石にブラックホールは飛躍すぎかもね。でもね、ブラックホールを人工的に作るって研究は本当にあったみたいなんだよ」

 

「へぇ、そうなんだ。でも、なんだかちょっと怖いね。だって、ブラックホールってすっごい力をもってるんでしょ? すべてを飲み込んでしまうほどの」

 

「全てを飲み込んでしまう、強い力……?」

 

 何気なく燐が言った言葉を反芻する蛍。

 

 そこで蛍ははっとなった。

 

 やっと目が覚めたみたいに、大きな瞳をぱっちりと見開いている。

 

(もしかして、”せかいのおわり”っていうのは……全部を壊すとかじゃなくて)

 

 何もかもを吸い込んでしまうってこと??

 

 建物も人も動物も、エネルギーだって、ひとつ残らず吸い込んで、そして消えてしまう。

 

 全部──なかったことになる。

 

 時間も過去も未来さえも。

 

(それが、小平口町で起きた異変を”なかったこと”にしたというのなら……わたしは一体何を生み出してしまったんだろう……!?)

 

 蛍の可憐な唇が戦慄くように小刻みに震えていた。

 

「蛍ちゃん?」

 

 燐が心配そうな顔で、蛍の肩に手を置こうとしたその時だった。

 

 幾つかの赤い光が崖下の水溜まりに浮かんでいたのだ。

 

 小さな光であるはずのものが、遥か上の崖の上にいる、ケモミミの少女の視界にまで入り込んできた。

 

「あれって、何の光なんだろう……ロウソクの灯りみたいにみえるけど」

 

 光が細かに揺れて見えたから、そんな感じがしたのだけど。

 

 燐は目を凝らしてちゃんと確かめようとする。

 

 もともと燐は視力は良い方だったが、この姿となってからは前よりも視力が上がったような感じがしていた。

 

 望遠のレンズを新しいものに取り換えたように、遠くのものをよりクリアに捉えることが今の燐にはできているようだった。

 

(あれって、わたしが前に使ってたアウトドア用のランタンみたいだけど……)

 

 四角いからそれと少し似ていたが、どうやら違うもののようで。

 

「ねぇ」

 

「……」

 

「ね、ねぇっ、蛍ちゃん!」

 

「えっ!? な、何……燐」

 

 燐に耳元で叫ばれて、蛍は電気が走ったように全身をびくりと身震いさせる。

 

「何って……もー、さっきからずっと呼んでるんだよ? 蛍ちゃんどうかしたの? やっぱりちょっとだけ顔色が」

 

 何気なく燐が蛍の頬に軽く触れようとしたのだが。

 

「だ、大丈夫だよ。ちょっと耳鳴りが止まないだけで」

 

「そうなの?」

 

「もうちょっと待てば、治るとは思うから……」

 

「それならいいけど……無理、しないでね」

 

「うん。ありがとう燐」

 

 柔らかく蛍に拒否されて、燐は少し眉根を下げていた。

 

「そ、それよりも燐、どうかしたの? なんか慌ててたみたいだけど」

 

「あ、そうそう! ほら見て蛍ちゃん。あれって何か分かる?」

 

「アレ?」

 

 細い指で燐が指差すものに、蛍は視線を合わせる。

 

「何か、光ってるみたいだけど……? 微かに揺れているみたいだから実際に火が灯ってる?」

 

 結局、何なのかは分からなかった。

 

 蛍は燐の方を見て答えを促す。

 

「多分、あれって灯篭だと思う」

 

「灯篭? じゃああれって、”灯篭流し”? わたしはじめて見るかも」

 

 そう言った行事は、蛍の住んでいる小平口町にはなかった。

 

 なので実際に目にするの初めてのことだった。

 

「わたしも。地域によっては止める所もあるみたいだね」

 

「そうなんだ」

 

 近年では海や河川の汚染に繋がるとして中止や、途中で回収したりすることもあるらしい。

 

「そう思うと、なんだかちょっと寂しい灯りに見えるね」

 

「うん」

 

 灯篭流しとは、死者を弔うためにする行事みたいだから、そう見えるのだろうか。

 

 ゆらゆらと水面で佇む儚げな灯りは、消えていった魂のようで。

 

 綺麗なのだけど、どこか物悲しい。

 

 だが、そんな感傷に浸ることよりももっと重要なことがある。

 

「それでさ、ここってどこかの川とつながっているのかもって。向こうの方から流れてきたみたいだったし」

 

 燐は大きな水溜まりの端っこの方を指差した。

 

「じゃあ、これを流した人がいるってこと? 燐はそう言いたいの?」

 

「そういうことなんだけど……蛍ちゃん、どう? 行ってみる」

 

「うん、もちろん。行く当てもないし」

 

 燐の問いに、蛍は二つ返事で答えた。

 

 自分たちの以外の人間がこの世界にいる。

 

 それは喜ばしいことなのかは分からない。

 だからこそ、知りたいのだと思う。

 

 それが、味方ではなく敵だったとしても。

 

 何かを知るまでは、分からないことなのだから。

 

 ……

 ……

 ……

 

「ねぇ、燐! このパイプなの? 近くに線路もあるけど」

 

「うん。それでいいよ。パイプは遠くにまで伸びてるみたいだね。これを伝っていけば良いと思う」

 

「じゃあこの線路の上を渡っていけば良いんじゃないかな」」

 

 太いパイプが、さっきの大穴から外の方へとまっすぐに伸びていた。

 

 その横には線路もあり、パイプと並行して敷かれているようだから、このまま進めば、さっきの灯篭を流した先にたどり着くことができるだろう。

 

「でもさ、燐。このパイプって、やっぱり排水用のものなのかな? さっきの穴の中に水を流してたみたいだけど……」

 

「さっきさ、路地を行ってるときもパイプがあるのを見かけたんだよね。もしかしたらと思ったんだけど」

 

 さっきの穴のどこから水が流れ込んでいるのだろうと、二人が周囲を探ってみたときにこのパイプを発見したのだった。

 

 パイプは一つだけでなく、幾つもあった。

 

 多分、この町の下水がここに流れ着いているのだろう。

 

「じゃあ、どこからあの灯篭は流れてきたんだろうね」

 

「こんなにパイプがあったんじゃ、ねぇ」

 

 蛍の疑問に燐は首をかしげる。

 

 ざっと見て十以上はある。

 

 それぞれ色分けまでされていて、街の地区によって変えているのかもしれない。

 

(けど、そんなの分かるはずもないし)

 

 知らない世界でどう判断したらいいのだろう。

 

 迷った挙句に燐は。

 

「蛍ちゃんは、どう思う? ごめん、わたし一人じゃ判断がつかなくって」

 

「そうだね。わたし達が分かるのってパイプの色ぐらいしかないよね」

 

 つまり、辿っていくパイプを選ぶ必要がある。

 

 排水溝には柵のようなものがあって中には入れそうにないから、地表から辿っていくしかないことになるが。

 

 燐の話だと、地上からでも見えていたらしいから、そちらの問題はなさそうだけど。

 

「どれを選んだら良いかって話だよね、燐」

 

「うん。じゃあ、せーので、いっきに決めちゃおうかぁ!」

 

 燐も一緒に選択するらしく、蛍の隣でぐっと握りこぶしをつくっていた。

 

「でもさ、燐とわたしで違っちゃったらその時はどうするの?」

 

「その時は……じゃんけん、かなぁ?」

 

「そんなのでいいんだ」

 

 蛍は困ったように苦笑いする。

 

「まあ、燐が良いならそれでいいよ」

 

 どうせ何も分からないのだから。運に頼ってみるのもいいのかもしれない。

 

 蛍が頷いたことを確認すると、燐は右手をぐるんと一回しする。

 

「じゃあ行くよ、蛍ちゃん!」

 

「うん……せーのっ!!」

 

 ……

 ……

 ……

 

「何だか、普通の線路って感じだよね。古い感じはしないけど」

 

「今は使われてないみたいだけど、別に廃線になったってわけじゃないみたいだね」

 

 燐と蛍が選んだのは、青色のパイプだった。

 

 これが正解かどうかはまだ分からないが、これと並行して線路があったので、二人は安堵する。

 

 自分たちが良く知っている路線と似ていたからだった。

 

 それはローカル線だったけれど、長い川と並行して走る路線だった。

 

 川ではなくパイプだけど、意味合いは同じだったから。

 

「燐なら、これを選ぶんじゃないかって思ってた」

 

「あ、わたしも。蛍ちゃんならこの色を選ぶんじゃないかって」

 

 二人は顔を見合わせる。

 

 他にも緑や黄や黒のパイプなんかもあったが、二人が選んだのはやはり青色のパイプだった。

 

「ねえ、蛍ちゃん。せっかくだから線路の上を通ってみようよ」

 

「うん、そうしよう。わたしもその方が良いっておもってた」

 

 どうせこんな所に電車なんか来るはずもないだろうからと、二人は線路の上を歩いて行くことにした。

 

 手を繋ぎ合って線路の上をゆっくりと歩く。

 

 真っ暗な線路上を、僅かな街灯の明かりだけを頼りに慎重に進む。

 

 途中で転んだりしないかと、蛍は少し気を揉んだが。

 

「大丈夫蛍ちゃん」

 

「何とか」

 

 燐の手の感触を確かめるように少し強く握る。

 

 同じ強さで燐が握り返してくる。

 

 だから、怖さなどはない。

 むしろ。

 

「燐とこうしてるのって、ちょっと懐かしい感じがする」

 

「そうだね。あの時に戻ったみたい」

 

 ここが現実とは違う世界であることを忘れてしまうぐらいに、今が楽しかった。

 

 だからといって、現実を忘れたとかではないけれど。

 

「でもさ、誰があの灯篭を作ったんだろうね?」

 

「わざわざ作ったんだから、多分人間だとは思うけど」

 

 それがオオモト様や、くまちゃんなら良いけど。

 

 もしそれが全く別の、知らない()()()だったら。

 

 それは……。

 

(じゃあ、あれは偶然流れてきたわけじゃなくて……わたしに対してのもの、なの……?)

 

 メッセージなのだろうか。

 

 あの日の……紙飛行機のように。

 

 ────

 ───

 ──

 





・Pools

ただプールサイドや水の中を歩くだけなのに、それが怖いという少し変わったゲームでした。

目的も良く分からず、敵のような存在もない。シーンごとに区切られているけれど、そこに脈絡のようなものもない。
ゲームオーバーもなく、入ってはいけない所に行ったときは直前まで巻き戻してくれるという親切設計で、プレイしていれば誰でもエンディングまでたどり着けるという。

でもボリュームはかなりあって、ウォータースライダーを滑ることができたり、サウナっぽい所では画面が曇ったりする演出なんかもあって、ホラーゲームっぽくないところもありますけれど。基本は迷路のような世界をひたすら歩いたり走ったりするだけ。なのになぜか面白いというちょっと不思議なゲームでした。

ジャンルとしてはバックルーム系なのですかねぇ。こういうのを観念的恐怖というみたいです? ただそこに”何か”があるだけ。それが怖い。そういうコンセプトみたいです。

一応エンディングは……2種類あるのかなぁ。どちらも割と意味不明ですが。ただバックグラウンドっぽいのはゲーム内に断片的にちりばめてあるようなので、考察っぽいのは出来そうです。でも、そういうのをしなくても十分楽しめると思います。

しばらくたった後で、不意にまたやりたくなる。そういった透明感のあるゲームだと思いました。


それではではでは──。

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