We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life.   作:Towelie

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 ──前から考えていたことだった。

 時間の感覚がおかしく感じ始めた頃だろうか。

 良くも悪くも夢の中なんだろうと思っていたこっちの世界が、実は現実の()()()で、自分達がいた世界というのはもうとっくに終わってしまったのではないかと。

 この廃墟と化した地上の世界こそが、帰りたいと思っていた現実ではないのだろうか。

 文明も営みもすべて壊滅していて、人はもちろん他の生物も全ていなくなってしまって。

 どうしてこうなってしまったのかは分からない。

 ただ、夢と現実との境界線が曖昧だったものが、ここの地上のような所に出た瞬間、はっとなった。

 ぐるぐると、こんがらがっていた糸がようやく結びついたみたいに。

 世界から何もかもが無くなってしまって、唯一(のこ)っているのは、わたし達二人だけ。

 終末を迎えていまった世界で、ふたりきり。

 こうなることを望んでいたわけというわけじゃない、だけれど。

 でももし、そうなったとしても良いとは──確かに思っていた。

 絶望とか虚無とか、そういうのとはちょっと違って。

 自由とか解放とかの方とかだろうか。

 耐え難い抑制を受けていたとかではないけれど。

 それこそ青い空を飛ぶときのような気持ちだったかもしれない。

 怖さは確かにあるけど、ちょっとしたわくわく感っていうか。
 
 ともかく──。

 こんなことは到底実現することなんかは決してないだろうから、と思ってたからだろうか。

 だから本当に驚いてしまった。

 顔にはそんなに出なかったかもしれないけど。

 今のこの状況と、そして。

(本当に、いたんだ……わたしたち以外に”人”と呼べるものようなのが……)

 蛍は、ぽかんと口を開けてそれをまっすぐに見つめていた。

 ”アレ”は人と形容してもいいものなんだろう、と。

 脚も手も二本あるし、それに顔だって。

 そう。人間……に違いない。

 多分、きっと。


「……ねぇ、蛍ちゃん。あれって……人なんだよね?」

「えっ?」

 燐が首を傾げて小声でそう蛍に聞いてくる。

 投げられた言葉に、ぽかんとした蛍は茫然となったようにゆっくりと燐の方を振り向いたのだが。

「えっと……そうだと思うけど……燐は、何か違うものに見えるの?」

 答えを濁すように燐にそう問い返す。

「違うって……それって蛍ちゃんだって」

 何故か張り合うように燐もそのまま蛍へと返した。

 二人はまるで、今見たものが信じられないみたいにぱちくりと瞬きを繰り返していた。

「……っ!」

「…………」

 燐と蛍は顔を見合わせる。

 互いに息を飲んで次の言葉を待っているつもりのようだったが。

 そんな事をしている合間に、二人が乗った小舟が岸へとたどり着いてしまう。

 見えないレールが引いてあったみたいに、まっすぐに進んだボートはそのまま海岸のようなところに滑り込む。

 ざざざっと砂を引っ掻いたような音がして、小さな木の船はそこで停止した。

 大きな衝撃とかはなかったから、ボートが損傷するようなことはないとは思うが。

「ちょっとまって、燐」

 すぐさま腰を上げようとした燐を蛍が制止する。

 燐は無言のまま蛍を見つめる。
 その瞳は細かに揺れていた。

 燐の方も迷うように小刻みに揺れている。

 戸惑い、慄くように。

 その揺らぎは、さざなみ一つ立たなかった地底の湖に波紋を投げ掛けているようだった。

 ”分かってる、大丈夫”。

 そう言おうと口を開けた燐だったが。
 何故か出なかった言葉の代わりにすっと手を差し出した。

 こっちの方がてっとり早いというか、どうせ先に進むほかない。

 だったら。

「蛍ちゃん。一緒に行ってみよう」

「うん。どこまでも一緒だよ」

 一瞬驚いた顔をした蛍だったが、すぐに頷いて燐の手を取る。

 あの日、線路の上で出なかった言葉を、ようやく口に出すことができた感じがした。

 胸の奥で詰まっていたものをはきだしたような。
 そんな清々しさが胸の奥底にぱっと広がる。

 状況は、最悪なのかもしれないけど。

 内心では少し興奮しているというか、踊っている感じだった。

「飛べそう?」

「うん、問題ないよ」

 それでも先に降りた燐に手を引っ張ってもらう形で蛍も地面に降り立つ。

 すごく久しぶりに地に足を付けた気持ちにすらなったが。

「ここって」

 蛍は辺りを見渡して呟く。

 小舟から降り立ったところは、低い砂浜みたいなところだった。

 足元では小粒の砂のようなものが地面に広がっている。

 きらきらと光っているように見えるから、光沢のあるもの何だろうか。

「何だろうこれ? 小石っぽいけど……」

 丸みを帯びているからそう見えたのだろうか、燐は無造作にその一つを手に取ってみた。

「もしかしたら、貝がらかも」

 大きさからするとそうなのだろうが。
 
 こんな地下で貝類が生息できているのかは不明だが、微かに光ってみえているからそうだろうかと蛍は思っていた。

 燐はその一つを手に取って驚愕した。

「これ、カタツムリの殻みたいだけど……!?」

 その言葉に蛍も自分で取って確認をする。

「本当だ。でも、なんでこんな所に。しかもこんなに沢山の」

「いっぱいあるよね。それこそ山のように」

 燐の言うように、カタツムリの殻が地下の湖畔に無数に転がっている。

 薄暗いからまだはっきりとは分からないが、ちゃんとした状態のものもあれば、所々が欠けていたり、半分ことなっているものもあるみたいだが。

 大小さまざまなかたちの殻が、二人のいる地面とボートを埋め尽くしている。

 数は分からない。
 とにかく大量にあった。

 そしてそのどれもが。

「やっぱり、中は空みたいだけど……」

 燐はため息ともつかない声を上げる。

 分かっていたような口ぶりだったが、寂しそうな顔つきだった。

「綺麗なんだけど、なんだか悲しい光景にもみえるね」

 それは何も入ってないからだろうか。

 蛍は俯いて空っぽのちいさなカタツムリの殻を見つめる。

 異常ともいえる光景に、さっきまでとは違う惑星(ほし)に来てしまったのではないかと錯覚するほどだった。

「これだけの数のカタツムリがここに居たのかな……」

「それはまだ分からないけど、それはそれで凄い光景だよね。多分」

 こうして立っているのが憚られる位のからっぽの殻が転がっているのだから。

 同じ数だけのカタツムリがここにいたとするのなら、想像するだけでもぞっとなってしまう。

(カタツムリの渋滞がおきちゃってたかも)

 気持ち悪いとかよりもそっちの方を蛍は気にしているようだった。

「でも、こんなにも大量の殻を脱ぎ捨てるなんてことあるのかな」

 苦笑いした燐がそう呟く。

「どこからか集めてきたとか?」

 それにしたって数が多すぎるし、それに殻の主はどこにいってしまったというのだろう?

 大事な殻を捨ててまで行くところがあったという事なんだろうか。

(そういえば……ここに来たのは”アレ”の為に来たんだったよね)

 あまりの不思議な光景についここに来た目的を忘れそうになってしまったが。

 燐はライトの明かりをぐるりと周囲に向ける。

 さっき船から見たからきっとここに居るはず。
 そう思っていたのだが。

「あれっ……?」

 それらしきものは何処にも見当たらない。

 丸い光に切り取られた背景の中には、人影らしきものを発見することができなかった。

 大量のかたつむりの殻と、岩肌と水辺があるだけで。

 違和感を覚えてしまうのがおかしいぐらいに何の動きもない。

 ぴちょん、ぴちょん。

 どこから水の滴る音だけが断続的に流れている。

 燐は戸惑った表情でライトをぎゅっと握りしめていた。

「燐、どうかしたの」

 ぼんやりとしている燐の手を蛍がそっと取る。

 はっとなった燐は慌てて愛想笑いを浮かべた。

「あ、ねえほら、蛍ちゃんも見たでしょ。さっきの、その……”人影”みたいなの。何か、いつの間にかいなくなっちゃったみたいなの」

「そういえば……いなくなっちゃったのかな」

 どうやら蛍もすっかり忘れていたらしく、今思い出したようにあっと声をあげて手を叩いていた。

「何処に行ったんだろうね、”あの人”」

 蛍のその言葉に燐は眉を寄せる。

「霧が見せていた蜃気楼(まぼろし)って感じじゃ無かったよね? やけに現実味があったっていうか」

 この世界ではそぐなわない言葉かもしれないけど、あえて燐はそう言っていた。

 蛍は少し眉を下げると。

「でもその時は、もう霧は晴れていたと思うよ。それに歌みたいなのも聞こえてきた気がしたし……」

「それは、わたしも聞こえた。歌っていうよりも変な声っていうか」

 あれは何かの歌詞というより。

「実は、何言っているか上手く聞き取れなかったんだけどね」

 燐は顔を赤くしてそう言った。

「燐もなの? わたしもそうだよ」

 困った顔で苦笑いする蛍。

「今思うと呪文みたいだったかも。知らない言語みたいだったし」

「呪術とかそういう儀式的なものだったのかなぁ? 地下だと雰囲気的に合ってる感じはするけど」

「うんうん」

 蛍と同じ意見であったことに、燐はほっと胸を撫でおろすが。

 だとしたら余計にさっきの者の正体が分からなくなる。
 消えてしまったことも含めて謎だらけだ。

「ねぇ燐。さっき見たのが幻じゃないんだったとしたら?」

 蛍は気になった事を口にしていた。

「……その時は、どこかへ逃げて行ったとか、どこかで隠れている可能性があるのかも」

「その線は十分にありそうだけど……」

「……」

「……」

 二人は少し声のトーンを落として、軽く息を飲みこむ。

 今気付いたがあまりにも無防備すぎる。

 これでは狙ってくれと言っているものだった。

「……っ!」

 少女達は素早く身を翻すと、先程のボートの影に身を潜めて様子を窺うことにする。

 辺りがまた静寂に包まれる。

 今更なのかもしれない。
 
 しかし、何かが訪れることも、さっきの変な声もすることはなかった。

 そういう意味ではついさっきまでと何の変化もない。

 しかし気付いてしまったからには今度は迂闊に動けなくなる。

 このまま無為な膠着状態がずっと続くかと思われたが。

 先に声上げたのは蛍だった。
 
 ちょんと燐のスカートを裾を軽く引っ張る。

「とりあえずさ、この辺りを探索してみようよ。まだ、敵かどうかは分からないわけだし」

 気を遣うように蛍がそう小声で提案をする。

「うん……そうだね」

 確かにこのまま隠れていても意味なんかはない。

 もし向こうに襲い掛かってくる気があるのなら上陸してきた時にとっくに襲われていただろうし。

 燐はこくりと頷くと、蛍に手を引かれるかたちでボートの影から出る。

 どこからか風の流れのようなものを感じて、少し歯の奥が疼く感じがした。

 二人は固く手をとり合いながら、カタツムリの殻で出来た砂浜をゆっくりと歩きだす。

 ざりっ、ざりっ。
 砂利を踏んづけたような硬めの感触が靴裏越しに伝わってくる。

 殻を踏んでしまわないよう、気遣うように足を忍ばせて歩いた。

 それでも無数にあるのだから幾つかは靴で踏みつけてしまう。

 ぱきっと、ひび割れたような音がして、燐は思わず足をあげてそれを確認してしまう。

(あっ……)

 割と大きめのかたつむりの殻にヒビが入っていた。

 もしかしたら、最初からそうだったのかもしれない。
 だけど。

「燐」

 蛍がぽんぽんと燐の小さな背中を軽く叩く。

 それは仕方ないよと言っているようだったが。

 確かに、仕方のないことなのだろうが、罪悪感みたいなものを覚えてしまうのは何故なんだろうか。

(中は、空っぽなんだけど……)

 小さな殻を踏みつける度、何かとても大事なものが少しづつ削れて行くような気がして、燐は繋がれた蛍の手を少し強く握った。

 かたつむりの殻の海岸は結構長く、まだ先へと続いていた。

 二人が歩くたびに、ぱきぱきと小さな音が響く。

 それはあまりいい音ではなかったけれど、その事で燐は思い当たることがあった。

(この音って、もしかして……!)

 この硬い骨を踏みつけるような音を燐は知っていた。

 からからと鳴るような音の正体はこれだったのだと燐は今更ながらに気付いた。

 知った所でどうなるわけではないけど。

「ここに来ることが、最初から決まってたっていうの……?」

「……?」

 妙な事を燐が呟いたのを聞いて蛍は一瞬怪訝な顔となるも、すぐに自分の足元を見つめた。

 今、蛍の足にはバニー衣装とともに履かされていたハイヒールではなく、白いスニーカーを履いている。

(もし、あの靴のままだったらどうなってたことだろう)

 少し迷ったけれど、このスニーカーに履き替えたことに蛍は心底安堵していた。

 ……
 ……
 ……

「ねえ、燐。さっきのってさ、結局のところ何だと思う?」

「何って……人間なんじゃないの」

「そうなんだけど」

 曖昧に言葉を濁す蛍に、燐は難しい顔をして肩をすくめた。

「人間にしてはちょっとおかしい感じがしたよね、って蛍ちゃんは言いたいの?」

「うん、それ」

 蛍はそう言って頷くと、周囲を見渡す。

 こうして歩き回ってみても、やはりさっきの人影は見つかることがない。

 どこに行ってしまったというのだろうか。

 ボートの上から垣間見ただけだけど、何かと見間違えたというわけではないのは確信できている。

 二人とも見ているわけだし。

 ただ、ここでは自分たち以外にそれを見たという事を証明できるものはないのだから。

 何処かに居るという前提で話をつづけた。

「たぶん……人だとは思うよ。でもはっきりとは見ていないから」

 なので燐も曖昧な返事しか返せないでいる。

 自分の目で見たものが信じらないというわけではないけれど。

 物的証拠などはない。

「わたしも。輪郭がいまいちはっきりしないっていうか。燐もわたしも見たはずなのに何でお互いに上手く思い出せないんだろう?」

「そうだよね。それって少し変だ」

 それも、ついさっきの出来事なのに。

 そう考えるとかなりおかしい気がする。
 肝心な情報が何かでぼかされているような。

「これも夢……じゃないよね、夢みたいな世界にいるんだけど」

「あはは」

 蛍は、自分で言った言葉に首を傾げていた。
 燐は困った顔で小さく微笑む。

 そんな事を思ってしまうのは、夢と現実の境が曖昧なせいからなんだろうか。

(これが夢か現実かなんて……考えるだけ無駄なんだろうけど)

 あれは人であってほしい。
 
 あの”何か”ではなくて。

 蛍は自分に言い聞かせるように、胸中でその言葉を反芻させる。

「なんかさ、顔が特に思い出せない感じなの。すごく特徴のある顔だちをしてたような気がするんだけど」

 燐が人差し指を使って空中で描き表そうとするも、どうにも上手くいかないようで、軽く口を尖らせていた。

「どんな感じだった? わたしは薄っすらとしか思い浮かべられないけど」

 蛍も燐の真似をしてやろうとするが、その輪郭すら適当な感じになっている。

 燐は一呼吸おいてからこう話す。

「えっとさ……カエルみたいな顔、していなかった?」

「カエルって、あのケロケロ鳴くカエルのこと?」

 一瞬、驚いたように目を見開いて蛍は燐に聞き返す。

「う、うん」

 自信があまりないのか、燐はやや曖昧に頷くと。

「蛍ちゃんは、どう見えたの?」

「ええっと……」

 蛍は困った顔で、くるくると指で長い黒髪を弄ぶ。

 燐と同じく自信がないのか、少し遠くを見るような視線になっていた。

「わたしは……なんかカピバラみたいに見えたんだよなぁ。口元がちょっと変わっていたっていうか」

「こう、にゅうっと細長いような感じ?」

「そうそう。そんなのだったのかも」

 燐が両頬に掌を添えて、それっぽい動きをした。

 それが可笑しくって蛍は笑ってしまう。

「だけど、それだと口元だけじゃなくて、全体的におかしいってことになるよね。体は人間で顔だけがカピバラなわけでしょ」

「燐のカエル人間だってそうでしょ? そんなのってもう人間じゃ」

 からかうようにそう言う燐に、蛍は少し口を尖らせて反論をするが。

「だよね。少なくとも人間じゃないよね」

「うん。何なんだろうね」

 少女達の見たものが何故かそれぞれ違っていたが、人ではないという結論には一致していた。

 だったらあれは何なのか。

 蛍は眉を寄せると。

「まさか、エイリアン……?」

「地底人の方かも」

 ここでも二人の意見は微妙に異なっていたようだったが。

「この先に行けば何か分かるのかもね」

「分かるって?」

「ほらっ、ここ見て。何か線で引いたようなあとがあるの」

 少し神妙な顔をした燐が地面に指を差した。

 確かにそこには、何かで引いたようなまっすぐな線が2本、大地に残っている。

 ちょうどカタツムリの殻を避けるようにして、ずうっと先にまで伸びている。

 二本の線はまっすぐ平行に伸びていたことから、燐はある事を推測する。

「棒か何かで引いたって言うより、車輪の跡っぽいね」

「本当だ。ねぇ、燐。もしかしたらこれってトロッコの跡なのかも? ほら、車輪が細い感じがするし」

「あ、確かに。さすが蛍ちゃん!」

 やけに細い跡だったからそうではないかと蛍は考えていた。

 それに。

()()映画でもトロッコが使われたしね)

 蛍の憶測に納得がいったのか燐はうんうんと頷いている。

「そのトロッコで何かをここまで運んでたのかも」

「でも、この辺りって何か採れたりするのかな。お魚はいなかったみたいだけど」

「何かの石とか石炭とか? トロッコって元々そういうものじゃなかったっけ」

 炭鉱なんかで使われているイメージしか持っていない。

「でも、石って言ったって、この辺でそんな珍しい石とか採れるものなのかな」

 二人は周囲を見渡す。

 石の事などは二人とも特に詳しくはないから、見ただけでは分かるものではないのだろうが。

「ありそうな感じはなさそうだよね」

「うん」

 目立って光る石などはありそうにはない。

 ただ、ボートもあったことから、ここに何かはありそうな感じはあるけれど。

「それかさ」

「うん?」

 燐が少し眉を寄せて言い出したので、蛍は何事かと首を傾げる。

「この、大量のカタツムリの殻をここに運んできた、とか?」

 燐が言ったのは突拍子のない意見だったが、あながち否定できないところもある。

 それならばこの無数にあるカタツムリの殻の存在も納得がいくから。

 だけど。

「それって何の為に?」

「分からないけど……ねぇ、蛍ちゃんエスカルゴって食べたことある?」

「えっ?」

 急に燐にそんな事を聞かれて蛍は素っ頓狂な声を上げていた。

「わたしは……食べたことないよ。興味はあるんだけど」

 ファミレスなんかでも提供されているようだけど、まだ食べたことはない。

「わたしも、ないんだよね。貝とかエビみたいな食感らしいけど」

「そうなんだ」

「うん」

「…………」

 燐と蛍は俯いたまま黙りこくってしまう。

 視線の先には薄汚れたカタツムリの殻がころがっていた。

「食べちゃったのかなぁ、やっぱり」

「どう、なんだろう。でも、こんなに小さな殻じゃないんじゃ」

 これだと”身”はそんなにない気がする。
 
 だからと言って食べない理由ではないような気はするが。

 何かが分かったような、分からないような。

 そんなモヤモヤとした思いを抱きながら、殻の大地で二人は立ちつくしていた。

 こんなに大量のカタツムリの殻をどこから持って来たんだろうという疑問はあるのだが。

 その目的が分からない。

 砂浜を作るにしたって、普通に砂をもってくればいいわけだろうし。

 ただ捨てに来ただけなんだろうか。

 確かに地下ならこういったものを投棄してもバレにくいだろうけど。

「あのさ、一応だけど、これってヤドカリの殻とは違うよね」

「ヤドカリだったら、もっと貝殻っぽい感じじゃないのかな」

「そうだよね」

 ……
 ……
 …… 

「一体、どこまで続いているんだろう」

「うん……」

 カタツムリの殻の大地は終わってくれたようだけど、その先には道らしきものが続いていた。

 流石にさっきの跡は残っていなかったけど、恐らくこの道を通ってきたのだろう。

 辺りは鍾乳石のような尖った岩に囲まれているが、まるで整備されたようにそこだけがきちんとした道となっていた。

 小さなトロッコ程度なら十分通れそうな広さがあることから。

 二人はその道筋を辿るようにして先へと進んだ。

 湖はさっきの所までで終わっていたようだが、その道に沿うようにして小さな水路が設けられている。

「結局、また水の跡を辿ってるようだね」

「確かに。線路とか道路も川の流れに沿って作られてることが多いみたいだし、そういうのに利用しやすいのかも」

「なるほどね」

 前方にライトの明かりを向けながら見知らぬ洞窟の中を歩く。

 洞窟だったら蝙蝠が天井に張り付いていたりもするのだろうが、ここには何の生物もいないようだった。

 さっきの、得体のしれないもの以外には。

「あっ」

「どうしたの蛍ちゃん?」

 急に蛍が小さく叫び声を上げたので、燐は思わず身構えてしまった。

 周囲に光を当ててみたが、怪しいものはない。

 ごつごつとした岩肌があるというだけで。

「あ、ごめん」

 自分でも思った以上に大きな声だったみたいで、蛍自身も驚いていた。

「大丈夫だよ。でもどうかしたの」

「うん」

 蛍は軽く深呼吸すると胸の前で手を握った。

 そしてさっきよりも幾分静かな声で話し出す。

「あのね。今思ったらカピバラっていうよりも、オオサンショウウオの方に似てたかもしれないかったなって」

 燐は一瞬蛍が何を言っているのかすぐには分からず膠着してしまうが。

 さっきの事を言っているんだと気付いた。

「あっ。そ、そう……でも、それだとそんなに変わんなくない?」

 燐のその指摘に蛍は。

「でもね、燐。カピバラは哺乳類で、サンショウウオは両生類だから、割と違う生き物なんだよ」

「まあ、どっちでもいいかぁ。どの道化け物みたいだし」

 その点だけは合致している。

 それはつまり。

「そう考えるとさ、このままいかない方がいいのかな」

「まあ……そういうことになるのかもね。じゃあここで止める?」

「どうしようか」

 燐と蛍は顔を見合わせると、しばし足を止めて考え込んでいた。

 もしかしたらとは思っていた。

 さっき見た”何か”が、この道を行った可能性は高いだろうと。

 それはさっきの車輪の跡と関係していることかもしれない。

 どう結びつくものかはまだ分からないけれど。

 ただ、他に道のようなものはなかったのだから。

「進むか、戻るかだよね。問題は」

 しかし、戻ったところでどうなるものではないのは二人とも分かっている。

 なのでこれは気持ちの問題なんだろう。

「だったら、さっき使っていたオールでも持ってこようか? 武器になるかもしれないし」

 蛍がそう提案するも燐は首を横に振る。

「重いだけであんまり役に立ちそうになかった気がしたよ。それに、誰かがボートを使うかもしれないし。その時にオールが無いと困っちゃうかも」

 よけいな事を気にしすぎだとは思う。

 だけど戻ってみたところで急に出口のようなものが見つかる可能性などなさそうだし。

「そっか、そうだね」

 蛍はにっこりと微笑む。

「大丈夫。いざとなったらわたしが蛍ちゃんのことを守るからっ」

 燐は小さな胸を叩く。

 その事実に少しだけ憂鬱な気分になってしまったが。

「じゃあ、わたしが燐を守ってあげる」

 そう言ってにっこりと笑う蛍

 混じりけのない透明な笑顔を向けられて、つい頷きそうになってしまう。

「蛍ちゃん。それだと自分の事は自分で守るってことになっちゃうよ」

 呆れたようにそう言う燐だったが、なぜか笑顔となっていた。

 ……
 ……
 ……




Pretty Vacant

 

「蛍ちゃん、あれ」

 

「うん」

 

 燐が指差した方向を見て、蛍はごくりと唾を飲み込む。

 

 そこにはこの洞窟の中には似つかわしくないものがあった。

 

「こんな所にあるもんなんだね」

 

「でも、そのおかげで少し分かった事があるの」

 

「分かったこと?」

 

 蛍の言葉に燐は目を大きく見開いた。

 

 悩んだところで先へと進むことには変わらないのだから、何が出てきたとしても問題ではないのだろう。

 

 随分と洞窟の奥にまで来てしまった気がしたが、その先で奇妙なものがあったのだった。

 

 さっきの、得体の知れないもののようなのには出くわさなかったけれど。

 

 これには別の意味で驚いてしまう。

 

 さすがに、想像すらつかないものだった。

 

 しかも地下あるとは。

 

「これって……駅で良いんだよね?」

 

「わたしにもそうとしか見えないよ」

 

 不思議そうな顔で二人は、その駅のような物を前に首をかしげていた。

 

「もしかして、地下鉄の駅だとか……? いや、いくらなんでもそれはねぇ」

 

 そう言って燐は苦笑いを浮かべる。

 

「でもさ、上にあったのってテーマパークみたいだったし、燐の言うように案外あり得るのかも」

 

 テーマパークの中には地下鉄が走っているのもあるようだが。

 

「それにしてもボロボロな感じしない? 地上にあった駅とそんなに変わりないかも」

 

 つまり、もう使われていないんじゃないかと燐は言いたいのだろう。

 

 確かに、地上の方にも線路と駅はあったが、随分と前から使われてないみたいに朽ちてしまっていた。

 

 ここのプラットフォームもそこまで変わり映えするものではない。

 

 ホームのところどころに大きなヒビが入っていた。

 

 その下の線路も枕木こそ残ってはいるが、大分朽ちてしまっている。

 

 レールは赤錆ていて、足を乗せたら崩れてしまいそうに見えた。

 

「これじゃあもう、廃線になっちゃったのかな」

 

「そんな感じするよね。何もかもボロボロみたいだし」

 

 そう言って溜息をつく燐。

 

 だが蛍が地面に指をさしていた。

 

「燐、さっきの車輪の跡みたいなのがここにもある。やっぱりこの駅と何か関係があるのかも」

 

 薄っすらとだが、何かを動かしたような跡がプラットフォームに向かって伸びている。

 

 さっきのものと同じなのか分からないけど。

 

 この道をトロッコを動かしてさっきの池まで行ったんだとしたら。

 

「じゃあ、何かを運ぶための列車があって、ここからさっきの水溜まりまで何かを運び出していたってこと?」

 

 それがカタツムリの殻なんだろうか。

 

 この辺の地面には転がっていないようだけれど。

 

「分からないけど、そんなに不自然でもない感じはするね」

 

(でも、何でかたつむりの殻なんか運んでいたんだろう?)

 

 実際に見ていないから憶測でしかないけれど。

 

 あんな風に捨てるようなことはない気はする。

 もし料理とかで使ったにしてもだ。

 

(別の目的がある? でもそれって……?)

 

 何か違和感のようなものを一瞬感じた蛍だったが、それが何なのかははっきりとしなかった。

 

「それで蛍ちゃんどうする? 列車がやって来るのをここで待ってみたりする?」

 

「そうだね。燐は、どうしたい?」

 

「わたしは」

 

 蛍は燐の目をまっすぐに見つめる。

 

 その表情には戸惑いのようなものが垣間見えていた。

 

 整えられた眉根がぎゅっと寄せられている。

 

 それでも蛍は燐にそう聞いたのだ。

 

 ──ひとりじゃないから。

 

 ──燐と二人だったのだから。

 

「待ってても、来てくれるのかな。切符もないのに」

 

 燐は苦笑いしてそう答える。

 

 蛍は何も言わずに、寂しそうに笑う燐を見ていた。

 

 この、プラットフォームを最初見た時から何となく分かっていたことだった。

 

(見覚えがある感じはないのに……なんか知っているような感覚があったた……多分それは蛍ちゃんの方も)

 

 きっとお互いにそれは感じている。

 

 誰もいないホームで、来るはずのない列車をただ待っているという情景を。

 

 青いドアの家のあのプラットフォームを覚えているから。

 

 ゆらりとしたぬるい空気の中を古い車体の列車がホームに滑り込んでくる、あの光景を知っていたから。

 

 いま列車がきたら多分乗り込んでしまうのだと思う。

 

 そしてまた、囚われてしまうのだろう。

 

 いつもとは違う景色の、その向こう側に。

 

 きっと、戻れない世界へと続いているのだろう。

 

 それは不条理かもしれない。

 

 けれどもそれは必ずやってくる。

 抗えようのない強い力で。

 

 何かの()()()()を変えたりしない限り、それは続いていくもの。

 

 どこまでも、どこまでも。

 

 きっと、永遠に。

 

 ……

 ……

 ……

 

 待てば来る。

 

 というものではないのは分かっているけれど。

 

「本当に、来るのかな?」

 

 それでも、そう尋ねてしまう。

 

 もう随分とここで待っているような、取り残されたような感じがしたからだった。

 

「蛍ちゃん、それ何回目よ~?」

 

 呆れた物言いで燐が笑いかける。

 

「ごめん。分かってはいるんだけど」

 

 そう言って軽く謝る蛍だったが。

 

 数分前にも同じようなやり取りを二人はしていた。

 

 それにうんざりしているというわけではなくて。

 

 むしろもう、二人の間でのちょっとした合図みたいなものだった。

 

 時計のない世界での時刻を表すような感じで。

 

「どーだろねぇ。まあ、確率は五分五分って感じなんじゃないかな。線路はまだ使えそうな感じするけど」

 

 燐はそう蛍に言ったが、実際の所は無理だろうと思っていた。

 

 確かにまだ使えそうな気はするけれど、最近使われたような気配がホームの何処からにも一切感じられないのだ。

 

 傷み具合や錆もそうだけど、何より人気(ひとけ)が感じられない。

 

 こんな地下の洞窟の駅でそれは、贅沢なのかもしれないけど。

 

「こんな所にあるしね。わたし達の知っている駅とは違うのかも」

 

 違うのは駅だけではない気はするが。

 

 ともかく。

 

 少女たちは固く手を握りあって、来るはずのない列車を待つ。

 

 初めはホームに立って待っていたのだけれど、結局プラットフォームに備えてあったベンチに腰を下ろす。

 

 ホームはあっても駅舎はなかったから、駅と言うには大分殺風景だったけど。

 

 その分見通しは良かったから。

 ただ周りの景色は茶色の岩壁だらけなのだが。

 

 それでも駅の周辺は暗がりなどではなかった。

 

 周りには照明のようなものはない。

 

 なのに駅全体が光っているような。

 そんな印象があった。

 

 これなら列車が到着してもすぐにわかるとは思うが。

 

「そういえばさ、さっき見たお月様みたいなものもいつのまにか消えちゃってたね」

 

「言われてみれば、ないねぇ」

 

 今更気付いてしまう。

 

 あの変なのの頭上で光っていた白い月のようなものは何だったのだろう。

 

「分からないことだらけだね」

 

 そう言って蛍は苦笑いする。

 

「本当。何一つ分からないのに前に進んじゃってる。時間だって分からないし」

 

 ベンチに腰を預けながら燐がそうぼやいていた。

 

 もっとも時間などはそんなに気にしたことはない。

 

 何より、空腹も喉の渇きもこれまで感じていないのだから。

 

「ふふっ、そうだね」

 

 蛍は軽く溜息をつくと。

 

「でももし、電車が来てくれたら”青いドアの家”まで連れてってくれないかなぁ」

 

 何気ない蛍の呟きに燐は驚いたように目を丸くさせている。

 

「元の世界に戻る方じゃなくって?」

 

 聞き間違いではないかと思うほどだったが、それを否定するように蛍は軽く首を横に振った。

 

「燐の言うように、戻りたいのは山々なんだけど」

 

 そう前置きして話を続ける。

 

「何かね、青いドアの家にもう一度行かないと駄目な気がするの。なぜかは分からないけど」

 

 本当に分かっていないようで、蛍は口元に掌を当てていた。

 

「実はわたしもそんな感じはしてるんだ。オオモト様に会わないといけない気がしてるの」

 

 元いた世界に戻る手段を二人は良く知らない。

 

 いつの間にか戻っていたことが多かったから。

 

 留まれる時間みたいなものがこっちの世界にあるらしい。

 オオモト様はそう言っていたけれど。

 

 それがどういった理由で分かるもなのか。

 

 ずいぶんとこの不思議な世界にいる感じだけど、それはいつまでいられるものなのだろうか。

 

「それと、くまちゃんにもだね」

 

「そうだね」

 

 お互いの無事を確認するという意味でなら、会っておいたほうが良いのだろうけど。

 

(”くまちゃん”……どこかで無事にいるんだよね? 会えていないだけで)

 

 そう信じるしかない。

 

 この歪み切った世界では思いがけないところでの再会もあれば、その逆だってある。

 

 ただ、それだけの事なんだと。

 

 前の世界へと戻ることもできないみたいだし。

 

「きっと大丈夫だよ」

 

「蛍ちゃん」

 

「サトくんも、オオモト様もみんなきっと無事でいるよ」

 

「うん。蛍ちゃんがそう言ってくれるからわたしも安心できる」

 

 一人だったらきっと途方に暮れていただろう。

 

 でも今は。

 

「どうしたの燐。わたしの事をじっと見て」

 

 不思議に思った蛍が覗き込む。

 

「あっと、何でもないー、電車来ないかなぁってー」

 

 ごまかすように顔を赤くして燐はそう言っていた。

 

 蛍はにこりと微笑む。

 

「こういうのってやきもきしちゃうよね。待つのはそんなに苦手じゃないって思ってたけど、実は結構せっかちなのかも」

 

 こんな事で自覚するのもなんなんだけど。

 

「それでもこなかったら蛍ちゃんはどうする?」

 

 今度は燐が蛍にそう質問をする。

 

 蛍はうーんと逡巡するように額に指を乗せる。

 

「そうだね、その時は」

 

「うんうん」

 

「燐に、責任を取ってほしいな」

 

「えー!? 何でわたしが責任をとる必要があるのぉ!?」

 

 とても理不尽な要求をされて燐は顔を赤くさせて蛍に抗議をする。

 

 蛍はふふっと柔らかい笑顔をみせると。

 

「じゃあ、わたしとの今後について考えてくれる、とか」

 

「何か、重くない? その言い方だと」

 

「そーかなぁ」

 

「そーだってー」

 

「でも、燐なら大丈夫だよね。わたしの事良く知ってるし」

 

「知ってても、ねぇ」

 

 燐は軽く肩をすくめた。

 

「その分、色々してあげるから」

 

 蛍が顔を近づけてくる。

 

 何かを感じたのか、燐は首を後ろに引いていた。

 

「な、何か蛍ちゃん、怖いんだけど」

 

「だったら、怖いお話でもしてみる?」

 

 どうしてそうなるのかは分からないが、蛍は不気味に笑って見せた。

 

 見た目と声でちっとも怖くなんかはないのだが。

 

「それって怪談話をするってこと? ちょっとした退屈しのぎにはなりそうだね」

 

「ふふふ、燐。そんな事言ってるのは今のうちかもよ~」

 

「はいはい。じゃあ言い出しっぺの蛍ちゃんからね」

 

 燐はそう言って微笑むと、ちょっとわくわくとした気持ちで蛍が話し出すのを待っていた。

 

 ──

 ──

 ──

 

 どのぐらいそうしていただろうか。

 

 寂れたベンチの上でその時が来るのをじっと待っていた。

 

 しかし、待てど暮らせど列車どころか何一つやってくるものはない。

 

 何処かへと消えてしまったあの人らしきものの影さえも見えず。

 

 二人の少女の声以外の音すらも聞こえてくることはなかった。

 

 そもそもこんなとっくの昔に使われなくなったようなホームで、一度も見たことのない列車を待つなんてことは、本来なら全く意味のないことだ。

 

 ”青いドアの家”という前例があったとしても、それと照らし合わせるだけのものがここにはそれほどなかったわけだし。

 

 燐も蛍もただじっと待っているだけで動こうとはしなかった。

 

 それは思考停止していることと同じで。

 

 それを表すかのようにただ待つことにも飽きてきたのか、ベンチの上で大きな欠伸をしていた。

 

 こうなると次に来るのは眠気ということになる。

 

 いつしか二人は、細長いベンチの上で折り重なるようにして眠っていた。

 

 静まり返ったホームでは、みみとしっぽを付けた少女達が小さな寝息を立てている。

 

 互いに抱き合うようにして眠っていたのでベンチから身体が落ちるようなことはなかった。

 

 燐と蛍は固いベンチの上で身を寄せ合って穏やかに眠っている。

 

 その下の方からあるものがゆっくりと這い上がろうとしていた。

 

 ……

 ……

 ……

 

「あれっ……わたし?」

 

 先に覚醒したのは蛍の方だった。

 

 すぐ傍に燐の顔があったので少しビックリしたが。

 

(そういえば、燐と一緒に、寝っちゃってたんだった)

 

 少し体が痛い気がしたが、溜まっていた疲労は少し軽減できた気がした。

 

 まだ眠っている燐を起こさないよう、ゆっくりと上体を起こして周囲を見渡す。

 

 どうせ、列車なんかは来ていないだろうし、何も変わってはいないだろう。

 

 そう思ったのだが。

 

「何か、視界が……」

 

 おかしい感じがする。

 

 違和感を感じた蛍は軽く唇を噛む。

 

 周囲はまるで煙でもまかれたみたいに、どこもかしこも真っ白となっている。

 

 こんな事にはなっていなかったはずなのに、少し寝ている間に景色が一変していいて、霧がまた立ち込めているようだった。

 

 重い瞼をごしごしと無理くりに擦ってみても、白い景色は変わることなくどんよりと滞っている。

 

 まだ寝ぼけている、というわけではないみたいだけど。

 

「燐、起きてっ、燐っ!」

 

 すぐ傍で幸せそうに寝息を立てている燐の小さな肩を蛍は軽く揺すって起こそうとする。

 

 ちょっと可哀想な感じはするけれど、四の五の言っている場合ではない。

 

「燐、燐、ねぇ起きてってば!!」

 

 ゆさゆさゆさっ。

 

 もう少し強めに身体を揺する。

 

 急を要すことだったから、蛍は構わずに耳元で叫んだ。

 

「ううん、うるさいよぉ……まだ夜だよぉー」

 

 瞼を少し開けた燐が煩わしそうに顔をしかめた。

 

 まだ微睡みに囚われているらしく、燐はすぐに瞼を閉じると横向きにごろんとなってしまった。

 

 見た目通りの子供のような仕草に、蛍はつい呆れた息をついてしまう。

 

「そうじゃないの、ねぇ、燐。ちゃんと起きてって!」

 

 こうなったらと蛍は燐のほっぺたを指でつねってみた。

 

 つきたての餅のようにすべすべと柔らかい両頬をうにょんうにょんと横に伸ばしてみる。

 

 流石にこれには寝ぼけてた燐も、反応をしめしたようで。

 

「いたたたっ! んもう、何なのよぉ!」

 

 頭のキツネの耳をぴんと立ち上げて、そう叫ぶ燐。

 

 その瞳は充血したように真っ赤になっていた。

 

「ほらっ、燐見て。周りが霧で真っ白になっちゃってる!!」

 

 すぐさま蛍は今の状況を燐に説明をする。

 

 しかし燐はすぐには状況を理解できないのか、不思議そうに首を傾げているだけ。

 

「ふわぁー、もう昼間だっけ?」

 

 さっきの痛みでもまだ夢から覚め切らないのか、燐は暢気にもでてきた欠伸を噛みころしていた。

 

 瞳だけでなく頭の方もまだ完全には覚めきっていないようだった。

 

 だからだろうか燐は変な事を口走る。

 

「温泉でも、湧いたってわけじゃないんだよねぇ? ちょうど入りたいなぁとは思ってるけどぉ」

 

 ふうと蛍は大きな溜息を吐いた。

 

「温泉じゃなくて、多分、さっきでた霧がこっちの方も出てきたんじゃないかなって」

 

「そうなのぉ?」

 

 分かって言っているのかは不明だが、燐は少し驚いた表情になる。

 

「ねえ燐、どうしよう」

 

 再びの、霧の情景を目の前にして、燐と蛍はただ見守ることしかできないでいた。

 

 霧が出てきたところですぐさま何かが起きるというわけではないけど。

 

 それでも言い知れぬ焦燥感のようなものを覚えてしまう。

 

 視界が何もかも白く見えなくしまう。

 それは。

 

「これじゃあ、列車が来ても何も分からないじゃない……!」

 

 何に対してなのか、燐は抗議するような言い方をした。

 

「燐!」

 

 ようやく燐が目覚めてくれたんだと思った蛍は、安堵と焦燥が混ざった息をつく。

 

 そんな時、だった。

 

 ぱぁんっ!!

 

 突然何か、甲高いような大きな音が霧の向こう側から鳴り響いたのは。

 

「きゃぁっ!」

 

 けたたましいぐらいの音が鳴り響いて、驚いた蛍が燐の体にしがみつく。

 

 燐はぱちっと瞼を開けると。

 

「な、何っ、今のって!? 何か凄い音が……」

 

 その衝撃で完全に目が覚めたのか、燐は蛍の胸元に抱かれていることに疑問を覚えながらも、その原因を探ろうと懸命に周囲を見渡した。

 

 しかし、白い霧に阻まれてしまって何も見ることができない。

 

(また霧が? でも、なんか……)

 

 何とも言いようのない違和感を周囲に感じる。

 

 泉の時よりも霧が濃く感じるというか、性質が違うような。

 そんな感じがする。

 

 さっきの妙な音といい。

 

 何かの気配のようなものを感じる。

 

 燐が眉をひそめたその時だった。

 

「あそこに、何かの影が……!」

 

 蛍が零れんばかりに目を大きく開かせてそこに指をさす。

 

 さっきまでそこにはなかった。

 

 音がした時に急に現れていたのだった。

 

 どうやら人影のようではないようだが。

 

 それよりももっと大きい──。

 

「これって……まさか。でも……どうして……!?」

 

 信じられないとばかりに燐は唇をぱくぱくとさせる。

 

 蛍はまだ燐から放れることなく、戸惑うような瞳でそこに見つめている。

 

 二人の視線の先には白い霧が広がっている、が。

 

 その向こうがわ大きな黒い影のようなものが佇んでいた。

 

「列車が……」

 

 さっきの音は()()()()()をしらせる音だったのだろうか。

 

 少し霧が晴れて、全貌が明らかとなる。

 

 何もなかったホームに一台の列車が静かに佇んでいた。

 

 黄色い車体の列車が停車している。

 

 明かりもないのにそれをはっきりと見ることができた。

 

 ……

 ……

 

「電車だよね……?」

 

「そうだけどっ!」

 

 二人とも、開いた口が塞がらないとばかりに、ぽかんと大きく口を開かせてその列車を見つめている。

 

(さっきの音ってこの電車の警笛だったの? でも、どこから来たっていうの!?)

 

 この駅のホームには一本の線路しかない。

 

 しかも、線路の片方は切れてしまってこの駅で行き止まりとなっていた。

 

 つまりここは線路の終点だった。

 

 なのでこの列車がやって来たのは二人が来た方向とは逆の、線路の先ということになる。

 

 線路はまだ続いているようだから、先に駅があるのかもしれないけど。

 

(一体、誰が動かしているって言うんだろう?)

 

 やはり普通の列車ではないのかもしれない。

 

 霧の中から飛び出してきたみたいに、いきなり現れたように見えたから。

 

(でも、電車にしては、少し小さいような……)

 

 何だか少しこじんまりとしてる感じがする。

 

 人が乗れないほどの大きさというわけではないけど、少なくとも蛍はこの列車の事を知らなかった。

 

「もしかしたら、何だけど」

 

 呆然としている蛍の横で不意に燐が口を開く。

 

「これ、路面電車、なのかも」

 

「路面電車……?」

 

 どういうものかは知っているけど、乗ったことがない。

 

 なので蛍が実物を見るのはこれが初めてだった。

 

 一両だけの列車だから路面電車なんだろうか。

 

 こうして見ていても発車することなく停止したまま。

 

 さっきの音を出したっきりやけに静かだけど。

 

 黄色の車体には朱色のラインが一本入っていて、その真ん中には車体番号を示す四桁の数字が描かれている。

 

 黒く切り取ったような窓からは、中の様子を伺い知る事はできない。

 

 運転席と思しきドアも真っ暗で、運転手がいるかどうかも分からない。

 

 目的地なども書いてはいなかった。

 

 レトロな感じではあるけれど、特に変わったような所は見当たらない。

 

 ごく普通の路面電車、といった面持ちだろうか。

 

 少女達は暫く無言で、その電車を固唾を飲んで見守る。

 

 けれども、入口のドアが開くようなことも、勝手に動き出すこともない。

 

 最初からそこにあったのではないかとの錯覚を思わせる。

 

 自分たちの方が異常かと思えるほど。

 

「どうしようか」

 

 一応聞いてみる。

 

「こんなの絶対に怪しいよね。乗ってくれと言わんばかりだもん」

 

「そうだよね。タイミング良すぎるもんね」

 

 蛍と燐はひそひそ声で話す。

 

 まるで瞬間移動してもしてきたみたいに現れたのを燐も蛍も見ていたのだから。

 

 訝しく思わない方が無理だった。

 

 でも。

 

(やっぱり、行ってみるしかないんだろうなぁ……)

 

 このまま睨んでいても何も起きそうにない。

 

 燐は一瞬、蛍の方を見る。

 

 どうやら燐と同じ考えのようで、じっとこちらを見つめていた。

 

 燐はぴょんとベンチから跳ね起きると、蛍に向かって小さな手を差し出した。

 

「ちょっと、行ってみる?」

 

 こくり。

 無言のまま蛍は頷く。

 

 二人は手を取りあい、その列車に恐る恐る近づく。

 

 だが、すぐにはドアの方には近寄らずに、列車の正面へと回り込んだ。

 

 中央の丸いライトが特徴的な顔をしていた。

 

「結構、可愛い顔してるね」

 

「うん」

 

 正面から見るとよりそんな感じがして、蛍はそう感想を漏らすが。

 

「どうかしたの?」

 

 何やら考え込んでいる燐に蛍は覗き込んで尋ねる。

 

 燐は困ったように小さく笑うと。

 

「何か、海外の路面電車(トラム)みたいに見えるかなって」

 

「ああ」

 

 燐のその言葉に、蛍は列車の顔とも言えるフロント部分をまざまざと眺めた。

 

 どことなく異国情緒というか、少しモダンな感じはする。

 

 しかし、ごく普通の電車の感じしかない。

 

 却ってそこが不気味ではあるけれども。

 

 少女たちがその奇妙な列車を観察していると、不意にするっとドアが開く気配がして、燐と蛍はびくりと身を震わせた。

 

「……!!」

 

 二人は同時に顔を見合わせる。

 

 それはただ、列車のドアが開いたというだけなのだが。

 

 何と言うか誘っているような感じがしたから、開いたドアからすぐに乗るようなことはせずに、頑なな表情のままドアの先を見つめる。

 

 ドアは開きっぱなしであったが、中は真っ暗で何も見えない。

 

 電気が点いていないのだろうか、そういえば正面のライトも点灯していなかったし。

 

 選択の余地は至ってシンプルで。中に入るか、否か。

 それだけだった。

 

 それ故に迷ってしまうのだけれど。

 

「ねぇ燐……乗るの止めようか」

 

「蛍ちゃん!?」

 

「だって、こんなの変だよ。急に出てきたわけだし、どうみても怪しい感じしかしない」

 

「それは、うん。そうなんだけど」

 

 指摘されるまでもなく怪しい感じはしている。

 

 辺りに漂っている霧のせいか、この世のものですらないような気にすら思い起こさせてしまう。

 

「乗ったら最後、変な世界に連れて行かれそうな気がするもんね」

 

 そう燐は率直な感想を述べた。

 

 蛍は困り顔で頷くと。

 

「やっぱり燐もそう思ってたんだ。せっかく来てくれたみたいだから悪い感じはするけど」

 

 電車が来ることを願っておいて、それに乗らないのは都合が良すぎる事だとは思うけれど。

 

「でも、何で中は真っ暗なんだろう……? 動いてないみたいじゃないけど……」

 

 燐が列車から遠巻きに、中の様子を伺い知ろうと開かれたドアの中を覗き込む。

 

 普通ならば、座席が並んでいる様子などが外から見えるはずなのだろうが。

 

 その時だった。

 びゅんと風を切るような音が燐の耳に聞こえたのは。

 

(えっ?)

 

 ほんの一瞬、時間が止まったような、そんな感覚があって。

 

「燐っ!?」

 

 はっとなった燐が、蛍がそう叫んだのを聞いた時はもう遅かった。

 

 黒いドアの向こうから同じような真っ黒い腕のようなものが伸び出てきて、燐の細い腕に絡みつく。

 

「なっ!」

 

 あっという間のことに燐は目を丸くしてそれを見ることしかできなかった。

 

 すっかり油断していたのあるが、あまりの速さに反応することが出来ずに、困惑したように顔を歪ませていた。

 

「放してよぉっ!!!」

 

 すぐさま振りほどこうと燐が脚を踏ん張ってもがくも。

 

 強い力で絡みついているのかいくら力を入れてもびくともしなかった。

 それどころか。

 

「わあっ!!」

 

 逆にものすごい力で電車の中へと引っ張られてしまう。

 

 黒い手のようなものは燐を電車の中へと引きずり込もうとしているようだった。

 

「燐っ!!」

 

 一瞬判断の遅れた蛍だったが、燐の元に駆け寄ると空いている手を掴んだ。

 

 何とか燐を引っ張り上げようとするが。

 

「くうっ……何なのこれ!?」

 

 全く動かないどころか、燐と一緒に引きずられてしまう。

 

(……だったら!)

 

 蛍はぱっと燐の手を放すと、その黒く伸びた触手に向かって持っていた懐中電灯を勢いよく振り下ろす。

 

 それで、燐を掴む手が緩んでくれたらと。

 

 これが何か特に考えることなく、すぐさま実行に移した。

 

 だが。

 

「あれっ?」

 

 振り下ろそうとした蛍の手が途中で止まる。

 

 それは、何かが蛍の手を掴んで止めていたからだった。

 

 何が起きたのだろうと蛍が自分の手を確認しようとする。

 

「蛍ちゃん、逃げてっ!!」

 

 悲痛な燐の叫びに蛍は何事かと振り返ると。

 

 すると列車のドアや窓から無数の黒い手が伸びてきて、それが燐と蛍を掴んでいたのだ。

 

「いやあああっ!!」

 

 半狂乱となった蛍が何とか振り解こうと試みるも、やはりどうにもすることも出来ず、それどころか。

 

 幾つもの黒い手が少女達の身体のあちこちに纏わりつく。

 

「いやっ、燐っー!!」

 

「蛍ちゃん!」

 

 互いの名を呼びながら唯一開いた手を懸命に伸ばそうとする。

 

 だが、そのまま成すすべもなく、二人とも開いたドアから列車の中へと引きずり込まれてしまった。

 

 一瞬ともいえる出来事の後、音もなく列車のドアが閉じられた。

 

 正面についていたライトがぱっと点灯すると、燐と蛍を飲み込んだ列車は静かに動きだす。

 

 霧が立ち込めているホームを後にして、その黄色の列車はレールに沿って走り出していく。

 

 

 誰もいなくなったホームの上では、古い懐中電灯だけがぽつんと残されていた。

 

 ──

 ──

 ──

 





・Brotato

幾つかあるヴァンパイアサバイバー系のゲームの一つですが、結構気に入ったりしています。キャラはみんなタマゴ型だし、クリアしないと何の報酬も得られないしと、あんまりおもしろくなさそうに見えますが、何かすごいハマっています。BGMが少しサイケデリックな感触で雰囲気にはあっている感じです。けど、お気に入りの曲を流しながらでも良い感じでプレイできますねぇ。
カジュアルに楽しめるという意味では結構おすすめかもです。

・終末ツーリング

今のところアニメは原作に忠実な感じでしたねー。でも、そのままってわけでもなくて、特に2話は、原作よりも世界観を緻密に表現させている印象でしたねえ。あと毎話、童謡や唱歌を歌うようになってるみたい? 

3話ではお台場の観覧車が出てきてちょっと衝撃でした。こちらも原作通りなのですが。けれどもう、ちょうど3年ぐらい前にはお台場にあったんですよねー。レインボーブリッジを通るたびに眺めていて、夜は結構派手目なイルミネーションだったんですが、今はそこはぽっかりと抜け落ちて、ちょっと寂しい感じがいたします。

時の移ろいのみたいなものを感じちゃいますねぇ。


ではではではーーー。

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