We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life. 作:Towelie
ピンポーーン!
急かすように玄関の呼び鈴が、リビングに鳴り響く。
だが誰も、その事を指摘することすらしないどころか、玄関の方を振り向くこともなかった。
呼び鈴が鳴ったということは誰かが訪ねてきている。
そう言う事であるにも関わらず、それを気にするような様子をみせるものは誰もいない。
もちろん、玄関からちょっとしか離れていないリビングに居る誰もかもが耳が遠いとかのことなどではなく。
まるで、切り離された世界みたいに、少女達はそのまま会話を続けていた。
「そういやさ、さっき妙なこと言ってなかった?」
「妙な事?」
赤い着物を着た黒髪の少女はちょんと首をかしげた。
「そう。ボクがキミらと同じとかいう事を言ってたから」
「わたしがそんな事を?」
「言ってたって、確か」
そう問い詰めてみるも、オオモト様はまた首を傾げてしまう。
「…………?」
白々しい、というわけではないようだけど。
何だか話が噛み合っていない。
まあ、いつもそんな感じはするけど。
熊耳の少女は呆れた顔になると、少し目線を窓の外へと向けた。
──青と白で構成された景色が広がっている。
青い空と白い大地。
誰もいないプラットフォームでは、一本だけの線路が果てしなく続いていた。
ホームの傍には青いドアの家が一軒あるだけで、他にはこれと言ったものはなく。
そんな何にもない家のリビングに少女二人と、そして一匹の犬がいた。
くまは視線を戻すと、少し訝しげにオオモト様を見つめる。
「やっぱり言ったって。だから、あれはどういう意味なんだクマ」
どうしても気になるのか、さっきと同じ質問を目の前で座っている座敷童の少女に繰り返す。
表情を変えることなくこちらを見つめ続けるオオモト様に、くまは少し苛立ったように口を尖らせる。
「同じって、
くまはそう問い詰めながら、穴の開いたドーナツの半分ほどを口へと入れた。
それを見て、オオモト様は少し驚いたような顔になる。
でもそれは、くまの勢いとか大声とかではなく、食べながらしゃべるその器用さに感嘆しているようだった。
フローリングの床で布のように寝そべっていた白い犬は、喋り声に耳を動かすようなことすらもなく、沸き上がった欠伸を暢気に噛み殺している。
「お茶が冷めてしまったようだから淹れ直してくるわね」
そう言ってオオモト様はおもむろにすっと立ち上がった。
「ちょっとねぇ、ボクの話はまだ終わってないんだけどぉ」
そのままキッチンへと行こうとするオオモト様を、くまは呼び止めようとする。
それと同時のことだった。
ピンポーンピンポーン、と玄関先からまたチャイムが鳴る音がしてきたのは。
しかしそれでも表情一つ変えることなく。
「くまは、何のお茶がいいのかしら。緑茶でも?」
何事もなかったみたいにオオモト様はくまの方を振り返って尋ねる。
くまは。あー、と言って手を頭の後ろに回すと。
「ボクさ、苦いのってわりと苦手なんだ」
そう言って恥ずかしそうに頬を赤らめるくま。
「それならミルクか、お酒の方がいいのかしら」
オオモト様は少し残念そうだったが、すぐに別の提案をしてきた。
「ここにそんなのある?」
「ええ」
黒髪の少女は軽く微笑むと。
「ちょっとお待ちなさいな」
そう言ってキッチンの方へといってしまった。
「全部見たんだから……あるはずなんかないのに」
くまはそっと呟く。
前にくまは、この家のキッチンの戸棚や冷蔵庫の中を漁った事があったが、今言ったものが置いてあるのを見たことがなかったのでそう言ったのだった。
別の置き場でもあるのだろうか。
それか、この青いドアの家から離れていた際にどっかから買い足したとか。
「って、そう言う事じゃなくて」
ごまかされそうになり、慌てたくまがそう声を荒げると。
ピンポンピンポンピンポン。
また、玄関からチャイム音が鳴り響く。
いい加減向こうも苛立ってきているのか、遠慮なくチャイムを何度も鳴らしているようで。
中にいる事に気付いているのだろうか、チャイムは止むことなく鳴らされ続けている。
こうなると流石に無視できないというか、普通にうるさく感じているようで、くまは頭の耳を手で押さえ付けた。
「さっきから、ピンポンピンポンとうっさいなあ! どーせ鍵なんかかかってない家なんだから勝手に入ってくればいいクマだっ!」
家主でもないのにくまは玄関に向かってそう吠えるように言い放つ。
だって、この世界に来れるものなんかは限られているのだから、わざわざ家に鍵などをかける必要なんかはない。
「あ。でも、待てよ……」
こんな滅多に人がこない場所に来客なんて。
しかもわざわざ呼び鈴を鳴らすということは……。
「そうか。じゃあ、そういうことか」
くまはぱっと表情を変えると、なにかを理解したようにぱちんと指を打ち鳴らした。
「通りで、姿が見えなくなったわけだ」
軽く反動をつけてぴょんとソファから立ち上がると、どたどたとリビングを飛び出して行く。
「……」
オオモト様は何も言わずに見送っていた。
さっきの様子からだと、飛びかからん勢いで玄関へと向かうのかと思われたくまだったが。
リビングを出た直後に一旦立ち止まると、玄関の方へと視線を送った。
呼び鈴は今は止まっているようだが。
それは、
ドアを開けない限りは分かるはずもない。
けれど。
(この”青いドアの家”に来れる人間って言ったら……)
燐と蛍ぐらいしかいないだろう。
だから玄関の向こうにいるのはあの二人。
そう確信したくまは自分でも驚くほどの胸の高鳴りを感じながら、ゆっくりと玄関へと向かう。
(でも、これって、どういう気持ちからのものなんだろう)
安堵とか喜びとか、そういうものなのだろうか?
この高揚感は。
正直、よく分からない。
けれど、それほど悪い気はしない。
待つのも待たれるのも苦手であるはずなのに、どうして。
沸き上がった疑問に対してモヤモヤとしたものを感じてしまうも、くまはそのまま感情を胸に抱いたまま玄関の前で立って待つ。
いつの間にか後ろからとことことついてきたサトくんもくまの横でちょこんと座り込んでいた。
またピンポンと、呼び鈴がなったので、くまは軽く息を吸い込んでドアの外に声をかける。
わざわざこんなことをしていたんだろうか、との疑問はあったが。
「普通にドアは開いてるから入ってきたら?」
自分とは思えない声が出してしまったことに、くま自身が驚いたように目を見開いていた。
くまがそう言うと、躊躇うことなくバンと玄関の扉が勢いよく開く。
あれほどチャイムを鳴らしてまで待っていたのに、開くのは一瞬のことだった。
それに少し滑稽に感じながらも、くまは待っていたとばかりに玄関の前で腰に手を当てたまま、わざとらしく大きな溜息をついていた。
「随分と遅かったクマね。まあ、とりあえず──」
そう言って悪戯っぽい笑みを浮かべる。
何か、気の利いたことでも言うつもりだったのだろうか、軽く口が開かれる。
だがそこで、くまの言葉が止まっていた。
止まっていたのは言葉だけではない、呆然となったように口を大きく開いたまま少女自身も固まってしまっている。
入ってきた人物に驚いているようだったが。
(これは……誰なんだ? 顔がよく見えないけど……)
開いたままの玄関ドアから差し込む光が眩しくて、よく分からない。
玄関ドアを開けて入ってきたのは、どうやら一人だけのようだったが。
それが誰なのかが分からないでいた。
くまはその人物の顔を覗き込むように、薄く瞼を開けて目を細めた。
見間違いなどではなく、やはり目の前にいるのは一人だけのようで、その背後には真っ白い背景があるだけ。
他の人影等はない。
だが、向こうもこちらを見つめながら、ゆらゆらと陽炎のように佇んでいる。
逆光のせいで輪郭がそうみえるだけなんだろうけれど。
それよりも気になる事が。
(コイツ……もしかして眼鏡をしてる……?)
さっきからやけに眩しいのは、眼鏡のレンズが外の光を反射させているから。
だが、徐々に目が慣れていき、目の前の人影の輪郭が分かるようになってくる。
にんげんのような形をしているけれど。
自分と同じぐらいの背だろうか?
何だかひらひらとした服を着ているように見えるが。
でも。燐とも蛍とも違うような気はする。
それに。
(さっきからしているこの匂いって……香水か何かか?)
思わず鼻をつまみそうになる。
柑橘系のような香りはするけれど、これは自然のものではなく人工的につくられた匂いだろう。
それは目の前のコイツから発せられているみたいで。
あの二人なら、精々ちょっと振りかける程度で、ここまで強い香りを付けてはいなかったから。
くまは露骨に顔をしかめていた。
それは匂いもそうだが、待ち人ではないことも分かったから。
「なぁ、お前って、誰クマだ? どうしてこの家に」
単刀直入にくまはそう聞いた。
人のような形は一応しているけれど。
表情を隠すように額に手を乗せたくまは、もう片方の手でそっと握りこぶしをつくる。
少しでも妙な動きを見せたら速攻で撃つつもりだったのだが。
向こうから返ってきたのは普通の言葉だった。
「意外と元気みたいですねぇ、その様子だと」
玄関で立ちつくしていたそれは、こちらを見て驚いたような声を上げていた。
「元気……?」
一体何を言っているんだろう。
まあ、元気っちゃ元気ではあるが。
良く分からない奴に心配されるようなことではない。
投げられた言葉の意味が良く分からず、くまは訝し気に眉を寄せた。
(何だか良くわからない、が)
歓迎すべき相手ではないようだった。
そう決めつけたくまはぎりりと奥歯を噛みしめると、いつ飛び出してもいいように軽く息を止めて、相手を見据えた。
ちゃんと顔のようなものはあるようだから、あの白い顔の”ナニカ”ではないようだけど。
だからって油断はできない。
普通に言葉を話せる化け物なんかいくらでもいる。
くまは握った拳を腰に当てると、ぎゅっと強く握って臨戦態勢へと入る。
すっかり油断してしまって家の中へ招き入れてしまったわけだが、まだ玄関にいるのなら何とかなる。
開かれたドアから蹴とばしてしまえばいいわけだし。
自分から仕掛けてもいいが、まだ余裕というか、コイツの正体が分かってからでもいいだろう。
(殺気みたいなものは感じてこないし……しかし一体誰だっていうんだ)
それが気掛かりではあった。
肺の奥から重い空気をふっと吐き出す。
それでも気が晴れるようなことはなかったが。
その人影は、くすりと苦笑いを浮かべていた。
「あれだけの怪我からこんなに早く回復するだなんて、流石は
「……っ」
くまは大きな目をさらに見開いていた。
こぼれるばかりに開かれた瞳からは激しい動揺が見て取れる。
(まさか、
「何なんだ、こいつ……」
本当にわけがわからないように、くまは困惑した声をあげる。
それと同時に、ぞくっとした電気みたいなものがくまの背中にびりりと走る。
不意に沸き上がった不安感に心揺さぶられながらも、くまは無言でそいつは睨みつけた。
(自分の正体は誰にも言っていないはずなのに……それを知っているということは……!)
さっきから感じているこの不快感は。
「あれぇ? もしかしてわたしの事を忘れちゃったんですかぁ。ちょっとぉ~。ショックですよこれは。もしかして記憶喪失?」
「はぁ?」
急になよなよとした口調に変わった相手に、くまは面食らったような表情となっていた。
わけが分からな過ぎて、一瞬思考すら停止してしまう。
「あっ」
思い当たる節でもあったのか、くまはぴっと指を差すと。
「お前、まさか、”アイツ”だっていうのか!?」
もしそうなら本当にまさかな事だとは思う。
こんな所に居るはずもない相手だし。
しかし、こんな人を小ばかにするような話をするやつなどひとりしか、いや一匹しかいない。
それはもちろん、あの二人の少女。”蛍”でも、”燐”でもない。
むしろ、一番会いたくなかったやつ。
「やれやれ、その顔は。どうやら記憶喪失ではないみたいですね。思い出してくれて良かったぁ~」
「何が、良かったぁ、だ! そんなのになるはずないだろっ。最初はちょっと分からなかったってだけで」
安堵するような仕草をする相手に、くまは吠えるようにそう言っていた。
「ふふっ、本当に
そう言って少女は微笑む。
くまは呆れたようにため息をついた。
「しかし、まさか……お前なんかがここに来るだなんて」
こっちの世界に来て一番驚いた事かもしれない。
困惑したように眉を寄せるくまとは対照的に、その”少女”は嬉しそうに顔をほころばせていた。
──玄関を開けて入ってきたのは、くまよりも少し背の高い、すらっとした細身の少女だった。
色白というか、少し青みがかった色相の綺麗な肌をしていて、長い銀色の髪と宝石のような碧い瞳が印象的な少女。
一見、静かな感じを思わせるが。
「どうやらくまも元気になったみたいだし、とりあえず家に上がらせてもらおうかなぁ。それでは、お邪魔します~」
まるで前から知っていた家みたいに玄関からそう挨拶をすると、遠慮なく履いていた靴を脱ごうとする。
その違和感のなさに、動揺を覚えたくまはつい叫んでしまう。
「なっ、なっ、何で”河童の野郎”が、こんな所に居て、そして普通にふるまっているんだクマあっっ!!??」
白い吹き抜けの玄関口に驚愕したくまの叫びが木霊する。
その声はわんわんと鳴り響いて、静寂しかない世界を波立たせていた。
ずっと横にいた白い犬──サトくんもくま大声に全身の毛を逆立たせると二つの黒い瞳を大きく見ひらいていた。
「何で、と聞かれましてもね。そこは気になるところですかねぇ」
何事もなかったかのように少女はそう言った。
その口調は普通に友好そうであったが、くまはそう思っていないようで。
「気になるから言っているんだよ」
くまはすぐさまそう問い返す。
こうして言葉を交わすことすら億劫なことぐらいに粛々とした口調で。
「わたしとあなたの間柄じゃないですかぁ。野暮ったいことは言いっこなしですよ」
何が嬉しいのかへらへらと舌を転がしている。
「それにわたしは命の恩人なのですから」
「はぁっ、いのち? 一体何を、言ってるクマ?」
訝しげに眉をよせながら首を傾げるくまの後ろから不意に柔らかい声がかけられた。
「大声を出してたようだけれど、どうかしたの?」
とうとうオオモト様も玄関までやってきていた。
あれだけ騒げば仕方のないことなのだろうが。
「ああ、コイツが……」
くまはもう返事をするどころか見るのも億劫になったように、オオモト様の方を向いて指をそちらに差すだけ。
(これをどう説明をしたらだなんて、それこそ面倒なことだ)
いっそ幻であったほうが良いと思うぐらい。
「あら」
流石にオオモト様も少し驚いたような表情をとっていたが。
「そう、戻ってきたのね」
落ちついた口調でそう言っていた。
「ええ。やっぱりこの世界はどこまでも果てしなく広いみたいで。でも、分かってきたことがあったから、それで一度戻ってきたのです」
「そう」
二人の会話を聞いていたくまは、目を見開いて二人を交互に見やる。
「お、お前らっ、知り合いだったのクマか!?」
二人の間に割って入る形でつい言葉が出てしまっていた。
いつからとか、どうしてだとか頭で考えるより先に口から言葉が出てその事を問いただしていた。
これまで聞いた中で、一番衝撃が激しい事柄だったのだから。
「だから、さっきも言ったじゃないですか。わたしは命の恩人だからって」
「それって何の」
くまがそう言い終わる前に。
「そうね。それは間違いのないことだわ」
そう言ってオオモト様は同意するようにこくんと頷いていた。
一人だけ話の輪に入れないくまは、パニック寸前となったように口を尖らせて喚き散らす。
「だからっ、それってどういうことなんだって! ボクにも分かるようにちゃんと説明しろって!」
銀髪の少女はため息をつくと。
「だからぁ、くまの事を助けたんですよ。あなたが雪山で倒れていたのを見たので」
「助けたって……お前が? それに雪山って……」
投げられたワードにくまは目を丸くさせる。
雪山で倒れてるって言ってたけど、それって。
「そうですよ、あのままだとくまは冬眠してしまうか、雪の下で凍っていたかもしれないですし」
肩をすくめてその時の様子を、河童と言われた少女はそう説明をする。
「それって、まさかあの時のことかっ。でもその時は」
コイツだって居なかったはずだ。
なのに何故その事を知っているんだろう。
思い出したのか、くまはぶるっと身震いをする。
「ほら、そこにいる
「本当なのかサトくん?」
くまは河童の少女の方ではなく、サトくんに聞いていた。
サトくんはぱたぱたと尻尾を振りながらワンと一言吠える。
それでようやく納得が言ったのか。
「くそっ、よりにもよって、こんな河童なんかに助けられるなんて」
感謝などもちろんするはずもなく、くまは吐き捨てるようにそう言うと深いため息をついていた。
この家に呼び戻されたと聞いた時、妙な違和感を覚えていたが。
それに、
「河童?」
初めて聞いた言葉とばかりに、オオモト様は不思議そうに首を傾げている。
「ああ、こいつは、こんななりをしているけれど、れっきとした薄汚い河童なんだ。狡猾で、どぶのような生臭い匂いをいつもさせている妖怪の」
「あまりにも随分な言い方ですねぇ。ぷんぷん」
「何が、ぷんぷんなんだか……本当に腹立たしいやつめ、そもそもその恰好は何なんだよ!? 眼鏡なんかしているから分からなかったじゃないかっ」
くまはそう言うと無造作にその少女の髪の毛を手で掴む。
「痛あっ! な、何すんの!?」
「この髪だってどうせカツラなんだろう? だって河童なんだし」
最初に出会ったときからずっと気になっていたことではあった。
ちょうど良い機会とばかりにくまは、河童の少女の長い髪をさらにぐいぐいと引っ張る。
「ちょっと、そんなに伸ばしたら本当に髪が抜けちゃうっ! ハゲになっちゃうからっ!!」
「抜けたらそこにお皿を乗せればいいじゃないか、それが河童ってものだろ? さっさと正体をあらわせよっ!」
「くまはイメージに囚われすぎなんだって!」
「そうだっけ? でも、河童らしい格好をしてもらわないと紛らしいんだよ」
「カッパらしい格好って何よ~!?」
そう言って少女は泣きわめく。
だが、くまが手を緩めるようなことはなく、くまくまと笑いながらその行為を続けた。
「痛だだだっ! 何でこんな所にまできてこんな目に合わないといけないのよぉ!」
涙目となって抗議する河童の少女に対してくまは笑い転げるだけで、手を離そうとはしなかった。
「…………」
すっかり取り残されたサトくんとオオモト様は顔を見合わせていた。
「ちょ、ちょっとぉ見ていないで、助けておくれってぇ~!!」
哀れな少女の悲痛な叫びが、白い玄関の中いっぱいに響き渡っていた。
……
……
……
「もう……何で、しょうもない事ばかりいつもするのかなぁ、
そう言うと、少女は安堵と呆れの混ざった溜息を軽くつく。
そして手にしていた湯飲みをテーブルに置いた。
硝子のテーブルの上に置かれた湯飲みからは、白い湯気ととも茶葉の青い香りがゆらゆらと立ち昇っていた。
暖かいお茶を飲んでようやく落ち着きを取り戻したのか、自身の長い髪を悲しそうに見ながらいたわるように手で梳いて整えている。
相当に痛かったのだろう。半べそになりながら、鼻をぐすぐすと啜っている。
くまは肩をすくめると。
「全く、大げさだなぁ。ちょっと引っ張ったぐらいのことじゃないか」
涙ぐむ河童の少女を横目に見ながら、くまは手をぷらぷらと振りながら、グラスに注がれたオレンジジュースをごくりと飲み込んだ。
緑茶じゃないものと言ったら、出てきたのがこれだった。
だが特に不満はなさそうで、くまは色の濃いオレンジジュースを普通にごくごくと飲んでいる。
「それをまさかさ、ピーピーと泣くなんてねぇ、呆れちゃうクマよ。いささか拍子抜けっていうか、キミは本当に河童なのかぁ?」
向かいのソファーに座ったくまが、笑いながらそう言い放つ。
「何が、拍子抜けなんですかぁ! あれはちょっとなもんじゃなかったよ!」
実際、髪の毛が何本か抜けてしまっていた。
黙って聞いていると思われた河童の少女だったが、流石に我慢が出来なくなったようで、そう反論を述べると。
「それに、”河童”とかは全然関係ないし。人の事なんだと思ってるわけ」
「だから、河童だろう?」
あっさりと言い切るくまに、河童の少女はムキになって言い返す。
「それは、そうだけど。だから、そういう事じゃなくてっ」
このまま問答を続けても仕方ないと思ったのか。
「まあまあ。ちょっとした悪戯心が招いたできごとじゃないか。いちいち気にするなクマ」
嗜めるようにくまは首を傾げてそう言ったのだが。
「自分から言うなっ、この乱暴ものめっ!」
余計な一言だったのか、少女は捲し立てるようにそう言ってくまを指さした。
鼻先に向けられた指先を凝視するくま。
手を振って苦笑いを浮かべた。
「これでも。そんな柔なヤツだとは思ってなかったんだけどなぁ。ふむふむ、そうかぁ、以後気を付けるクマ」
言葉上では謝っているようにも聞こえるが、終始くまは笑っていた。
「そうやって、河童のことをバカにして」
そんなくまに銀髪の少女は恨めしそうな目で見つめる。
「前から思ってたけどさ、くまって本当に乱暴でガサツで、どちらかと言うと粗忽者だよね。山を追い出されたって噂が流れたも頷けるよ」
そう言うと腕を組んでうんうんと頷くメイド服の少女。
思ってもなかったことを言われたくまは、両手を上にあげてみるみるうちに顔を真っ赤にした。
「はあっ? 急に何を言って……それに、べ、別に追い出されてなんかないし! 適当な事をばかり言ってると、風説の流布で訴えてやるクマだからなっ」
くまはさっと手を伸ばすと、河童の長い髪の毛をまた引っ張りだしていた。
さすがに今度は指先でちょっと摘まむぐらいにしたようなのだが。
「もう、いたーい! 何ですぐそう乱暴を振るうんですかっ! だから本当に痛いんだってぇ! ぼーりょくはんたい!! 絶対ぼーりょく反対ですうっ!!」
銀髪の少女は本当に痛がっているようで、わんわんと泣き叫ぶ。
「どうせ、変な術でも使って髪なんてまた生えてくるんだから問題ないじゃないか」
ぐいぐいっ。
「そんな妖術みたいなもの、持ってるわけがないでしょう!? 河童をなんだと思ってるんですか」
「お前、全然河童らしくないんだよ。さっさと正体を表せって。さもないと、その化けの皮を引っぺがしてやるクマよ」
そう言うとくまは自身の指の関節をこきりと鳴らす。
「しょ、正体もなにも、何も隠してないってば」
「嘘をつくなクマ」
「嘘じゃないー、何か、決定的な証拠でもあるんですかーっ!?」
「むう」
涙目でそう訴える少女にくまは一瞬考える素振りを見せるが。
「わーかったよ。そんな幽霊みたいな目でくまのこと睨むなって」
そう言うと、くまは髪の毛を掴んでいた手をぱっと離す。
ようやく解放された少女はぱっとソファから立ち上がると、その後ろで身を隠すようにした。
「あううっ、わたしの髪の毛がこんなにぼさぼさになっちゃってぇ……自慢の髪だったのに」
河童はいつくしむように銀色の長い髪を撫でながらぼそぼそと呟いている。
「あんな乱暴なやつ、助けて損した」
「はいはい、そうクマか」
「だから、変なからかい方するなって話っ。馬鹿と力の自覚ってないんですか?」
今更言っても無駄なんだろうけど。
その言葉に、くまは一瞬ぴくりと眉を上げるが。
「今のは、誉め言葉として受け取っておくクマ。ボクの方が格上だしね」
それだけを言って、手を頭の後ろで組んでいた。
「いつから上になったんですか、全く。それに褒めてなんかないですからね。むしろ呆れ返りまくってるんですけどぉ。耳が四つもあるのに、理解できないんですか?」
少女は疲れた口調でそう言い返すも。
くまは、どこ吹く風のようにバスケットの中のドーナツを貪り食っている。
それで諦めてしまったのか、河童の少女の方もそれ以上は何も言わずに緑茶をまた一口啜った。
少女達はそれぞれ別の方向を向いてお茶を飲んでいた。
このままずっと黙りこくっているのかと思われたが。
「お前の魂胆はもう分かっているクマっ」
不意に口を開いたくまがそう言って軽くテーブルを叩いた。
軽く瞼を閉じていた河童がこちらを振り向く。
「だって、こんな所にいるってことはさ。ボク達の後をつけてきたんだろ?」
断定するようにそう言うと、まだ黙ったままの河童の眼前にぴっと指を差した。
河童は軽く息を吐くと、空になった湯飲みをことんとテーブルに戻す。
「ここに来たのは偶然の事ですよ。こっちの方に用事があって、気が付いたらこんな世界に飛ばされていたというだけで」
二人のちょうど間で座っていたオオモト様だったが、やはり何も言わず両手で手毬を持ち二人の様子をじっと見ているようだった。
「そんなとぼけた事を言ったところで無駄なんだクマ。
「目的もなにも」
その言葉を遮るようにくまはがうっ、と威嚇をするように吠える。
さっきのくまの蛮行を思いだしたのか、河童はたじろぐようにううっと唸るも逃げ出すようなことはなく。
それ以上は互いに言葉を交わすことなく睨みあっている。
張り詰めた空気のようなものがしばしの時間、白いリビングの中に流れた。
……
……
……
「それで、”カッパさん”という事で、間違いないのかしら?」
しばらく沈黙が続いていたオオモト様が不意に口を開く。
助けとばかりに河童の少女はその問いに即答した。
「そういえば、ちゃんとした自己紹介をしていませんでしたねえ。河童というのは通称というか俗称みたいなもので、わたしも別に名前はあるのですが」
「こんなやつ、ボケガッパとかエロガッパでいいクマよ」
「えっと、
くまがからかうように割り込んできたことに河童は口を尖らせた。
どうせ何か言ってくるだろうとは思っていたが。
河童は、くまの事はとりあえず無視して話を進めることにした。
「そうですねえ、何と名乗ったらいいでしょうか……実は、決まった名は持ってないんですよ」
少女は髪を手で弄びながら、勿体ぶった言い方をした。
「そう」
オオモト様は心なしか残念そうな表情をしていた。
「お前ってさ、ころころ名前変えるよね。前も変なのを名乗ってたじゃないかクマ」
「変なのって」
結局またくまが口を挟んできていた。
(相手にしないつもりなのに、いちいち絡んでくるのは何なんだろう)
河童は内心ため息をつくと、繕った笑みを返す。
「まあ、わたしだってこれでも人成らざるものですしね。変に正体をばらしても色々面倒なんですよ」
「じゃあ、その恰好は? さっきから気になってんだけど」
くまは呆れたように河童を指さした。
正体がバレるとかどうとか言う以前に、何故そんな恰好をしているのか。
皆目見当がつかない。
とてもじゃないがあり得ない。
(前は、もうちょっとマシな格好をしていたような気がしたんだけどな)
いや、前からこんな感じだったか。
学校の制服みたいなのを着ていたような時もあった。
それにおかしいのは見た目だけじゃない。
「あっ、もしかして、わたしのこの衣装のことが気になるんですかぁ。やっぱり」
「はぁ?」
くまは即座にぶんぶんと首を横に振ったのだが、少女はすっと立ち上がるとフリルのついたスカートの両端を指で持ち上げていた。
「まあ、どうしてもっていうなら教えてあげてもいいですよ。まあでも、見れば分かることなのにわざわざ言うのは、ちょっと自己顕示欲強めっていうか、見せるための衣装みたいなものだから良いのかもしれないけれど」
河童は何故かそわそわしながら早口で言っていた。
くまは呆気に取られたように口をぱくぱくとさせている。
(相変わらず、舌が回りすぎる河童だ)
それも、どうでも良い事ばかりに限ってべらべらと言い続けるのだから鬱陶しいことこの上ない。
くまが訝しげに眉を寄せて見ても、少女が動じるようなことは当然なく。
注目されているのを喜んでいるみたいに、ぱっと表情を明るくさせて喋りつづけている。
「これは、まあ、どこからどう見ても、”メイド”の格好ですよねぇ。流石にちょっとこれは恥ずかしいかと思ったんですよ。でも着ていると自然と慣れてくるものなんですねえ」
「はぁ」
ほとほと呆れ返ってしまい、くまはもう溜息しか出てこない。
前からちょっとおかしな奴だとは思ってはいたが、ここまでだったとは。
「実は、こういう
「外国人って、お前……? まさか観光ガイドでもしているのか」
さすがに呆れかえった目をくまは向けていた。
「いやいや、そうではないのですよ。でも、色々と聞かれるんですよねぇ。向こうの人の方が妖怪に対して抵抗がないのかもしれないですね」
そう言って苦笑いするメイド服の少女。
何だか話がまるで噛み合ってない気がするが。
本人は至って真面目なようで、むしろ誇らしく思っているようだった。
くまはこの件には触れずに。
「だったら、ふつーに頭に皿でも乗っければいいだけだろ。お前カッパなんだから」
妖怪であることをアピールしたいのなら、そうすればいいだけなのでは?
そう思っての意見だったのだが。
河童はやれやれとばかりに、手と首を同時に横へと振る。
「くま、わたしはねぇ。河童という概念をぶち壊してみたいと思ってるんですよ。その為にはまず見た目から変えていかないと」
「見た目って……」
それを変えたら何にもならないのでは。
くまはもう河童の相手をするのにも疲れてしまったのか、ぽかんと口を開けたままとなっていた。
その間も、河童の少女はひとりでしゃべり続けていた。
普通の河童は頭の皿が乾いたら死んでしまうというが、コイツの場合はあの長い舌が乾く時がきっとそうなのだろう。
熊耳の少女は、河童ではなく、横で真顔で見ているオオモト様に話しかけた。
「なあ、”ざっきぃ”、
オオモト様はゆっくりとこちらを振り返ると首をかしげた。
「変わったというのは、あの格好のことかしら?」
真顔のまま指をさすオオモト様。
くまは首をよこに振る。
「それ以外の何か変なところとか」
ざっくりとした聞き方となってしまったのは、突っ込みどころがありすぎるからの事だった。
そう、とオオモト様は囁くように呟く。
「くまの言う変な所という意味では、彼女は何も変わってないと言う事になるわね」
オオモト様のその言葉にくまは相当にショックを受けたらしく頭を抱えている。
「はあ、マジかぁ……あんな変態みたいなやつが、ずっと後をつけてきたみたいなのに、今まで気づかなかったなんて」
その事実に不覚というか悶絶しそうにすらなった。
「ちょっと、今のは聞き捨てならないことですね」
ずっと一人で喋っていた河童が、腰に手を当ててため息をつく。
「こんなに可愛いメイドさんに対して変態とは……審美眼が足りていないのではないですか」
何故か誇らしげに河童はそう言い切った。
だが、くまは河童のメイドの方を見ようともせず、何でこんな奴に、とぶつぶつと呟いていた。
少女は髪色と同じ、眼鏡のシルバーのフレームを指先で軽く持ち上げる。
「これでもカッパなんですからねぇ。水の中で待つことぐらいは造作もないことですよ。むしろ日常茶飯事?」
可愛らしく頬に指を当ててそう自慢げに言う、メイドの河童の少女。
「だったらずっと水中に居ればいいだろ」
「それだと、退屈するじゃないですか。陸上はリスクも多いですけどその分リターンというかギフトがありますからね。水の中はどこまでいっても平坦で変化のないものなんですよ。意外と思われるかもしれないですけど」
「何だそりゃ。それじゃあわざわざ後をつけてきたのはただの暇つぶしなのかよ」
くまは眉をひそめて呆れたようにため息をついた。
だが、分かったこともある。
「水の中だと、サトくんでもこの変態の気配は分からないか」
「そうね。やっぱり鼻は利かなくなるでしょうね」
くまの意見にオオモト様はこくんと頷く。
「それに、コイツって殺気とかそういう気みたいなのは持ってないしなあ。ぬめぬめとはしてるけど」
「別に、ぬめぬめとはしてません!」
河童が顔を赤くしてそう反論する。
「そうかぁ~? まあ、どうでもいいや」
そう言ってくまが面倒とばかりに両手をぐっと伸ばすと、フローリングの床で寝ていたサトくんとちょうど目があってしまう。
サトくんは申し訳なさそうに耳をぱたっと閉じて、うなだれてしまった。
「気にするなサトくん。ボクだって分からなかったんだし。暇で変態な河童がストーカーしていただけクマ」
そう言ってくまが白い犬の頭に手を乗せると、サトくんはくぅんと一声だけ鳴いた。
くまはサトくんの頭を撫でながら河童に尋ねる。
「わたしは暇でしていた訳じゃないですがー」
銀髪の少女は眉を寄せて首を傾げる。
「じゃあ、どうしてボク達の後を付けてきたんだクマ? それに今までどこに──」
気になる事はとても多いが、まずはそれを知っておきたいと思い、くまはそう問いかけたのだが。
(まだ、こいつが
話を聞いている内にボロみたいなのを出すかもしれない。
黙って話を聞いてみることにした。
「だからぁ、さっきまでこの家の辺り……”青いドアの家”って言ってましたっけ、この家。青いドアの家の脇にある線路を辿ってただけですよ」
そう言うと、リビングの噴き出し窓から外を眺めた。
その瞬間、長い銀色の髪がふわりとなびく。
どこまでも、青と白しかない世界。
空は透き通るように青く、白い大地と線路は静謐なまま、当て所なく広がっている。
目も耳も痛くなるほどに。
「線路のずっと先の方にまで行ってたんですけど。けれど終わりなんてなくて、だから戻ってきちゃったんですけど」
メイドの少女はそこまで言うと、窓から視線を外して向き直る。
そして、くまではなく座敷童の少女の方を見つめた。
「……」
その視線を受けてもオオモト様が何か言葉を言う事はなく、静かに見つめ返しているだけ。
「”マヨヒガ”みたいだからなあ、ここは」
何かを察したようにくまがそう言う。
その言葉に河童は一瞬はっとなったように目をぱちぱちと瞬かせた。
「マヨヒガ……そ、そうですか、やはり。まあ、わたしも何となくそうではないかと思ってたんですけど」
慌てたようにそう言うと。
「でも、話に聞いていたマヨヒガとはずいぶんと印象が違いますねえ。もっと閉鎖的っていうか、一軒の家屋だったのではなかったのですか?」
捲し立てるようにそう言う河童の少女。
くまはぼそりと呟く。
「きっと、増築でもしたんだクマ」
「これは……増築ってレベルではないと思うけど」
しかし、腑に落ちるところもある。
それならば、このループのような構造の世界にもある程度納得がいく。
(しかし、家ではなくて、この世界そのものがマヨヒガだったとは……流石にそれは)
河童は複雑な表情で何かを考え込んでいた。
(やはり、この座敷童が関係しているんでしょうかねぇ……こんな事はくまにはとても出来ないことですし)
そもそも、あの雪山からここへ来た件がそうだった。
白い犬とともに雪に埋もれていたくまを助け出したとき、何かがぽんと転がってきたかと思ったら、いつの間にかこの家の前にいた。
その家の中にいた少女──座敷童に言われるがまま、くまを家の中に入れてしまったのだけれど。
その意図と痕跡がよく分からない。
そんな瞬間移動的な能力を座敷童が持っていただろうか?
(転がってきたのって、あの手毬じゃないよね?)
河童の少女はオオモト様の手の中にある手毬を見つめる。
どこにでもありそうな普通の毬にしかみえないが。
(それに、この”青いドアの家”の世界だって)
知っている世界とは少し違った、もう一つの世界の存在。
これも、座敷童の仕業?
それがマヨヒガ?
日本中の川や池を泳ぎ回って、様々な事象や事物を見てきたつもりだったけれど。
(こんな不可思議な現象は流石に……拐かされてでもいるんでしょうか)
誰かではなく、この奇妙な世界に。
座敷童に聞いてみればいい話なのだろうが。
教えてはくれなさそうな気がする。
何となくだけど。
「あ」
ふと、ある事に気付いたくまはパンと手を叩く。
そして、難しい顔で考えこんでいる河童にそれとなく尋ねた。
「そういえばさ、ボク達のほかに”人間の女の子”って見かけなかったクマか? 多分、二人で一緒にいると思うんだけど」
河童は我に返ったようにぱっと表情を変えると。
「二人、ですか……? それってくまの知り合いか何か」
「まあ、そうなるかな」
くまは曖昧な返事を返す。
「それに……人間って言ってもちょっと普通じゃないっていうか……まあ、ともかく。二人組の女の子を見かけなかったかって聞いてるクマ」
「ふたり連れのちょっと変わった女の子、ですか」
河童はふむ、と言って顎に手を当てて首をかしげる。
オオモト様は何も言わずに毬を手で弄んでいた。
「あの線路の上をずっと歩いてみたんですけど、そこでは人っ子ひとりどころか、何も見つからずに帰ってきちゃったんですよ。まあ無駄足だった言えばそうなんですけどね」
しかし、それも不思議なことだった。
他の駅舎の影すら見えないのに、線路だけがどこまでも引いてあるという状況だったのだから。
「線路は
そう言って苦笑いすると、河童はまたオオモト様の顔を向いて小さく肩をすくめた。
「そっか」
一言そう呟くとくまは複雑な顔でオオモト様の方を振り向いた。
思惑の入り混じった二人の視線を受けても、オオモト様が動じるようなことはもちろんなく。
口を閉じたまま黒い瞳で見つめ返してくるだけ。
桜色の小さなその唇が柔らかくほどけるようなことはすぐにはなかった。
……
……
……
「そういえば、さっきの女の子の話なんですけど、それと関連があるかどうかはわからないのですが」
やけに勿体ぶった言い方でそう前置きをすると、メイドの少女はごそごそとポケットから何かを取りだしてきた。
それを見てくまが軽く目を見開く。
「これは、どこにあったものなんだ」
目を丸くさせて尋ねる。
「えっと、線路の途中で落ちてたものなんですよ」
「落ちてた? この懐中電灯が?」
くまは不思議そうに首をかしげる。
「ええ。それにまだライトがつきますから捨てたというわけではない気がします。やはり落としただけなんですかね」
そう言って河童はスイッチを入れる。
すると、真ん中の小さな電球がまだ光を放っていた。
「落ちてた……?」
リビングの大きな窓から外の光が差し込んでいるから、懐中電灯はそこまで明るくないようにみえてしまうけれど。
懐中電灯は確かに光っているようだった。
「何でこんなものが線路に落ちてあったのかは分からないのですが、もしかしたら何か関係があるのかと思って」
「でも、ボクには見覚えのあるものじゃない……」
オオモト様の方を見てみたが、小さく首を振っている。
「だから、くまの言う、
「んー」
その問いに、くまは軽く腕を組んで唸り声をあげていた。
所謂、消去法というやつだろうか。
でも確かにその可能性は否定できない。
特に燐は、色々と用意が良いみたいだからこういうものを日常的に持っていそうな感じがあるけど。
(でも、ボクといたときは懐中電灯なんか持ってなかった。だけど)
それこそ何処かで拾って使ってた可能性もある。
大事そうに持っていたあの、古い鉄パイプみたいに。
「ちょっと貸してみてくれないか? ちゃんと見てみたいし」
くまがそう言うと、河童は素直にはいとそれをて手渡した。
どこかに何らかの痕跡みたいなものでもないものだろうかと、きちんと懐中電灯を調べようとしたその瞬間のことだった。
かちっと何かが動いたような音がして、ぱっとテレビの画面がついたのは。
一瞬、何が起こったのか分からず、そこにいた全員がきょとんとした顔となっていた。
「何でテレビがついているんだ……!? もうつくことはないって言っていたのに」
確か、役目は終わったと言っていたはず。
どっかの廃墟みたいな場所を映し出したと思ったら、それっきり電源がつかなくなってしまったとばかり思ってたのに。
それなのに、何事もなくテレビの電源がまた点くなんて。
「わたしは何もしてないですよ」
河童は真っ先に掌を向けてひらひらとさせていた。
それを見てくまはオオモト様の方を向き直るが。
「わたしは何もしていないわ」
察したようにオオモト様にそう言われてしまう。
「ボクだって、そうクマだよ」
結局、誰もリモコンを操作してテレビをつけてはいない。
テーブルの上に置かれたままだったわけだし。
だとしたら。
「テレビの方が勝手についたってことか……?」
くまはそう結論付ける。
河童はふむと頷いて軽く首をかしげた。
「誰もテレビをつけていないようだったから、てっきり故障でもしているのかと思ってたんですけど、そうじゃなかったみたいですね」
「まあ、故障と変わりなかったんだろうさ」
そう言ってくまはリモコンを手に取る。
試しにボタンを押してみたがチャンネルが変わるようなことはない。
やはり壊れているのだろうか。
「役目は終わったって言ってたのに」
くまの呟きに河童は目を見開く。
「役目……? 存在の意義みたいなものがこのテレビにあるんですか?」
「その辺はまだ良く分からないんだ。でも無意味じゃないと思う」
電源がまた入ったということは、そういうことなのだろう。
くまは視線をテレビ画面に戻した。
「電源は入ってるみたいだけど画面は真っ暗なままみたいだ。リモコンも動かないし、やっぱりこのテレビって壊れてるんじゃないのか」
不思議そうに首を傾げるくまだったがある事を不意に思い出した。
(そういえば、”叩けば直る”ってどっかで言ってたような……)
壊れた機械は叩けば直ることがあるらしい。割と昔から言われていることだ。
「壊そうとしたこともあったんだけど」
そうくまは呟くとテレビの前に立つ。
そしておもむろに、その右手を振り上げた。
「ちょっとくま、何をする気なんですか!?」
急に画面を遮るようにして立つ熊耳の少女に、河童は驚きと疑問の混じった声をあげた。
「いやあ、こういうのは叩けば直るってどっかで言ってたような気がしたから、試してようかなって」
だからって画面を直接叩くわけにはいかないだろう。
なので、薄いテレビの上の枠に狙いをつけることにした。
「それは……直すではなく、壊すの間違いなのでは?」
「そんなの、やってみないと分からないクマだろ」
その指摘に、くまはふんと不満げに顔を横に向けるもすぐにやめる気はないようで。
河童の少女は呆れたようにため息をついた。
「そんなの、わざわざやらなくても分かることだって……それに、ほら、壊れていると決めつけるのはまだ早いみたいですよ?」
そう言って河童は枝のように細い腕をぴっと伸ばしてテレビ画面を指さした。
しかし画面は相変わらず暗いままであり、何も変わってないように見えるが。
露骨に顔をしかめるくまに、河童は苦笑いする。
「よく見てみてください、真っ暗ですけど画面は動いているみたいですよ」
「動いているって……」
どこが?
そう言われても良く分からない。
くまはかぶりつくように顔を画面へと近づけた。
「そんなに画面に近づくことないと思うのですが……」
だが、それでようやく分かったのか、くまはあっと驚きの声を上げた。
「確かに動いているクマ! だけど……何なんだこれ? どういう状況なんだ」
真っ黒い画面が蠢いていると言えばいいのだろうか。
「さあ、そこまでは。音はないようですけど、何かが一定の間隔で動いているように見えますねぇ。何かの乗り物なんでしょうか」
「乗り物? それって何なのさ」
その問いに、河童は画面を見つめながら首を傾げた。
「車か、電車っぽくないですか? この感じだと」
「この画面からじゃ何ともいえなくないか」
画面はずっと真っ暗で音もないことから、何とでも言えそうな気はするが。
それにしたって、ライトもなしにこんな真っ暗な中を進んでいるものなんて。
それって、ミミズか
そして、それをテレビに映す理由とは?
「あ。でも、やっぱりこれって電車みたいですよ」
「えっ」
くまの隣で河童はそう言うと、黒い画面の下側に細い指先を伸ばす。
「ほらほら、薄っすらとだけど下の方に線路みたいなのが見えませんか? これって多分電車のレールですよ」
「れーる?」
それに促されるようにしてくまも画面の下の方を注視した。
確かによくよく見ると、線路っぽいものが二本、まっすぐ引いてあるように見えた。
「じゃあこれはその列車の、正面からの映像ってことクマか?」
車両の一部とかが画面に映らないから必然的にそうなることになる。
ただ、周りが夜みたいに真っ暗だから、いったいどこを走っているのかまでは分からないが。
「もしかしたらトンネルの中を走っているのかも」
「ライトもつけずに?」
それはもっともな意見だった。
くまの指摘に河童の少女は苦笑いを浮かべる。
「まあ確かに。けど、線路はちゃんと引いてあるようですし、見えなくても何とかなるのかも」
「電車って、そういうものだったクマか」
「さあ。わたくしも詳しくは知らないのですが」
少女達は互いに首を横に振る。
「何か、適当な意見だなあ」
「くまだって同じようなもんでしょ」
普段は野山にいる少女達にはその辺りのことは分からないらしく、テレビの映像を見ながら、あれこれと話し合っている。
「しかし、ここにある線路とは違うもののようですね。トンネルなんてものは見当たらなかったですし」
わざわざ線路を歩いて渡っていたからこそ分かることだった。
もっとも、その情報はカッパが行った範囲でのことなのだが。
もっと先まで行けばトンネルぐらいあったのだろうか。
「じゃあ、こことは違う世界での電車と線路ってことなのか」
ふむとくまは眉をひそめる。
河童のほうも難しい顔をしていた。
「そういう事になる……んでしょうかねぇ。あ。ねぇ、くま。これを見て何か思い当たることでもありますか?」
じっと画面を見つめているくまに河童はそう尋ねる。
くまは視線だけをこちらに向けると。
「うーん、実際良く分からん」
そう言って頭をぽりぽりとかく。
「けど、さっき言ってた女の子たちがもしかしたらこの電車に乗ってるかもって思って。まあボクの憶測なんだけど、さ」
「なるほどね」
河童の少女はやや含みのある感じに呟くと、画面の方に視線を戻す。
テレビの中では相変わらず真っ黒い背景の中を、惑うことなく列車が走り続けている。
レールは真っすぐだから、そのまま走っていればいいのだろうが。
「なぁ、本当にトンネルの中なのか、これ」
「どうして、そう思うのです?」
「周りの黒っぽい壁が、何か岩肌みたいに見えるんだよね。なにかの洞窟の中を走ってるっぽい感じがする」
少し目が慣れてきたのか、くまは画面の横の方をみてそう言った。
河童は小さく首をかしげた。
「うーん。じゃあ、天然のトンネルって事でしょうかねぇ」
それだってどっちにしろトンネルには変わりないのだが。
こんな中を走る理由なんて。
(まさか……!)
くまははっとなった。
(これも
だとしたら、線路の上を走っているのは一体なんだというのだろう。
その答えは分かっているはずなのにそれを認めたくないというか。
頭の中から消したくなる。
あれの存在そのものを。
「むむうっ……」
何かを確かめるように真剣に画面を見つめるくま。
その隣で河童はくまの横顔をじっと見つめた。
「ねぇ、くま。何らかのトラブルにでも巻き込まれているんですか? もしかして、この映像と何か関係が」
その言葉にくまは少し苛立ったように眉根をよせた。
「トラブルか……まあ、そうかも」
くまはあえて詳細を言わなかったが、河童の方はそれである程度は理解できたようで。
「もしかして、例の”だいだらぼっち”と関係が?」
河童は、特に回りくどい言い方をせずに単刀直入にくまに聞いていた。
これで怒ったりするようなら黒だと決めつけるつもりだった。
だが。
「正直、よく分からない。何もかもが断片的すぎて」
予想とは違って、くまは曖昧にそう言葉を濁す。
全てのピースは揃っているはずなのに、どうしてだか上手く噛み合わない感じで。
その歯がゆさを表すように、くまは自然と握りこぶしをつくっていた。
「へぇ」
河童は特に意見は言わず、次の言葉を待つ。
オオモト様は相変らず二人の様子をただみているだけだった。
「けれど、アイツが関係しているんだとは思う。でも……これだけじゃ」
「ダイダラボッチの関与を断定できるものではない。そう言いたいんでしょう、くまは」
河童の意見にくまはこくんと頷く。
「あのさ、ちょっと聞いてもらいたいことがあるんだクマ」
「聞いてもらいたいことですか、はて?」
突然の問いに河童は驚いたように口を大きく開ける。
くまは恥ずかしそうに顔を赤くさせた。
「うん。説明の難しいことなんだけど」
くまはそう言って軽く頷くと、オオモト様から聞いたことを目の前できょとんとなっている少女に説明をする。
それは自分でも荒唐無稽と思える事柄だったが、こうして巻き込まれてしまっている以上、信じる他なかったことだった。
「どうやら、あの化け物──”ダイダラボッチ”は、世界を壊そうとしているらしいんだ」
「その為に、彼女たちが必要なみたいなんだって」
この”必要”というのはダイダラボッチ側の問題であって、つまりこちらとしてはそれを阻止しないといけないわけだが。
「ダイダラボッチが世界を……? その為にさっき言ってた女の子たちが必要なんですか……? 何だか、雲をつかむような話ですねぇ」
河童の少女はきょとんとなった表情のままでそう呟く。
突然そんな事を言われてもにわかには信じられないようで、訝し気に眉を寄せていた。
(まあ、それはそうだよな……ほんとうに馬鹿げた事っていうか)
当然のリアクションだと思う。
くまは胸中で溜息をついた。
自分だってまだよく信じていないのだから、河童がそうなるのも無理のないことだろう。
”蛍”と”燐”。
小平口町で起きた百鬼夜行を生き抜いた人間らしいが。
(それが、あの化け物とどう結びついているのだろう)
その辺りのことは座敷童からはまだ聞いていなかったが。
あの町で起こった異変をまた起こす気なんだろうか。
それももっと大規模で。
「何だかまだよく分かりませんが、大変なことになってるみたいなのは分かります。くまがやられてしまうぐらいですしね」
「……っ」
何も言い返すことができず、くまは唇を噛んだ。
「まあ、気持ちは分かりますけどね」
そう言うと、メイド服の少女は残っていたお茶を一気に飲み干して、はぁとため息を漏らした。
「それで? まさか世界を救いたい、とかじゃないですよね」
「ボクはっ」
河童にそう言われて、くまは驚いたように目を大きく開けて一瞬固まってしまった。
世界がどうとかは多分関係ない。
だったら答えは一つだけだ。
「このままじゃ納得できないって言うか。あんな奴にやられっぱなしなんかはボクの中ではあり得ない事クマ!」
そういうとくまは悔しそうにぎゅっと奥歯を噛みしめて、作った握りこぶしを自身の掌に打ち付けた。
ぱんと乾いた音が静寂のリビングに響き渡る。
河童は小さく肩をくすめた。
「リベンジをするにしても肝心のダイダラボッチの居場所は分からないんでしょ? もちろんわたしも知らない事なのですが」
「それが問題なんだクマ。彼女たちのところにいければいいんだけど」
「ダイダラボッチと一緒に居るとでも言うんですか? その探しているという女の子達も」
「多分……」
「そうですか……」
二人は顔を見合わせた。
見つめ合うというよりも、互いの思惑を探る様なかたちでのものだったが。
「もしかしてだけど、この映像にダイダラボッチが既に映っている?」
そう言って河童は目を見開く。
くまは無言で頷いた。
(そんなこと……でもこの画面には不自然な所があるのも確かですし……ここがマヨヒガだからでしょうか)
何もかもがおかしく見えてしまうのは。
河童の少女は長い髪を軽く手で梳くと、横目で画面を見ながら逡巡する。
「しかし……どうやってこの画面の所に行けば良いんでしょうかねぇ。この家のホームとは線路は繋がっていないのでしょう?」
「まあね」
くまはめんどくさそうに一言だけ答えた。
何となくだが嫌な感じがしたから。
それは当たってしまうことになる。
「なるほどなるほど。それが分かっているから、こんな所でお茶をしばいているですね。全く暢気なものです」
「がうううっ! それどういう意味だよっ」
呆れたような河童のその態度に、くまは威嚇するように吠える。
どうにもならない歯がゆさを表すかのように。
「どうもこうも、言ったままのことですよ、百獣の王が聞いて呆れますねぇ」
くまが反論しようとしたとき。
「──線路は繋がっているわ」
その前に別の声がした。
それまでずっと黙っていたオオモト様が急に二人の話に割って入ってきたのだった。
少女達はびっくりして顔を見合わせている。
「ざっきぃはそう言うけどさぁ、もうボクにだって分かってるんだよ」
くまはある事を思い出してオオモト様にそう反論をする。
「前に、化け物しかいない夜の町で、燐と一緒に電車に乗ったけど、それでもここには来れなかったクマよ」
実際、あの時だって良く分からない列車に乗り込んでしまった。
ホームに来たからつい乗ってしまったけれど、誰も運転していないのに列車は勝手に動いてた。
もし本当に線路が繋がっているというのなら、この”青いドアの家”のホームに戻ってきてもいいはずなのに。
オオモト様はそっと目を伏せる。
「その時は、別の目的があったからじゃないかしら?」
「別の、目的だって?」
くまは眉を寄せて聞き返す。
「ここに戻るためではなく、他の目的があって列車に乗ったんじゃなくて?」
「それは」
確かに、あのときはオオモト様の言うように、この青いドアの家ではなく、山の上の風車を目指して列車に乗ってたわけだけど。
だけど。
(どうしてそれを知ってるんだろう……? まだ燐は戻ってきていないのに)
くまだって今はじめて話したことだった。
オオモト様は落ちつきはらった声色で話を続ける。
「明確な意思を持っていればそれが優先されるわ。多少の相違があったとしてもね。この世界ではそれで列車は動いていくものだから。向かうべき目的地へと」
意味は完全にはよく分からなかったけれど、つまりはこの世界は現実とは違う理で成り立っているということだろう。
横で聞いていた河童の少女はそう解釈しるようで。
「それって、例えば明確な意思を持ってホームで待っていればそれで列車がきて、行きたいところまで連れて行ってくれるということ、なんですか?」
その質問にオオモト様はこくんと静かに頷く。
「なるほど、明確な意思か……」
言い聞かせるようにそう言うと、くまはぽきぽきと指を鳴らした。
食事は、十分にとることが出来た。
それでもせいぜい腹八文目ぐらいだけど。
体調の方には問題はない。
あとは。
(ボクの意思だけか……!)
それは、世界の破壊を防ぐためでも、彼女たちの助けになる事でもなく。
ヤツをこの手でぶちのめす。
あの、どうしようもない
ただ、それだけを考えればいい。
他はその
まあ、あの二人のところに行けば、ヤツと出会えるような気がするから。
(このテレビだってそうなんだろうな)
アイツが呼んでいるんだ。
ボクのことを。
決着をつけるために。
それだけの為にこんなまどろっこしいことをするなんて。
「上等じゃないか。とことんまでやってやる……!」
……
……
……
「さて、休憩も十分とったしそろそろ行こうかな」
そうくまは一人呟くと、まだ映像を映しているテレビ画面を一瞥して立ち上がった。
両手を頭の後ろに回したまま、キッチンの方へ出向くと、小皿の上に乗せられていた丸いクッキーを一枚口へと放りこむ。
生姜と砂糖の味わいが、少女の小さな口いっぱいに広がった。
「クリスマスにはまだちょっと早いんじゃないのか」
そう言いながらももう一枚ひょいと口へと入れると、玄関の方へと向かう。
「ねぇ、くま。どこに行く気?」
銀色の長い髪の少女がソファから首を回して聞いてきた。
ここからが面白くなるところだと言っているみたいに、テレビ画面を横目で見ながら。
「決まってるじゃないか」
皆まで言うなとばかりにくまはごしごしを頭をかくと。
「その、”意思”とやらを確かめに行ってくる。臆病風に吹かれたわけじゃないことを証明してみせる」
きっと本心では恐れているんだと思う。
圧倒的な力の差を実感してしまう、そのことを。
それが負けるということなら……ボクは。
「まあ、行ってくる」
あとはまかせたとばかりに河童に向かって軽く手を振ると、一人で玄関へと向かう。
その背後から声が投げられる。
「あっ、ちょっとぉ。わたしも行きますって」
河童もくまの後を付いていこうとソファから慌てて立ち上がる。
その拍子でメイド服の白いフリルがぱっと翻った。
「お前はついてこなくてもいいよ。どーせ何か企んでいるんだろうし」
「何も企んでませんってー。信用ないなぁ」
そう言って河童は手をもじもじとさせている。
「ほら、やっぱり」
「やっぱりとは何ですか」
二人はあれこれ言い合いながらも一緒に玄関へと向かう。
青いドアの家のリビングには黒髪の少女と、白い犬だけが残されていた。
「くぅん」
二人の後姿を見送ったサトくんが、オオモト様の方を振り返る。
オオモト様は犬の頭にそっと手を乗せる。
「そうね。あなたの考えている通りだと思うわ」
静謐を取り戻した白いリビングの中で、オオモト様の声色だけが柔らかく響く。
「わたしは、誰かがドアを開けてくれるのをずっと待っていた。来るはずのない人をこの家でずっと待っていたのよ」
「ドアには鍵なんてかかってなかった。けれど、開けようともしなかった。ただ手を伸ばせばいいだけの事だったのに」
サトくんはそれに答えることなく、黙って撫でられつづけている。
そうすることが癒しになるみたいに、じっとオオモト様を見つめていた。
「あなただってそうだったわね。ずっと待っていた。何かが変わってくれることを」
掛けられた言葉はサトくんではなく、かつてサトくんの中に居た”彼”に向けてのものだった。
けれど、もう彼はここにはいない。
ずっと遠くの寒い地域へと行ってしまった。
それは悪い事ではなかったけれど。
「状況が変わっても、変わらないものはあるのね。それに意味なんてないのかもしれない」
「……」
ひくひくと可愛らしく動く犬の鼻を見つめながら、少女は小さく笑みをつくる。
「紡がれた糸が、ほどけてしまうからもしれないって思っていた。ここは幾つもの世界と繋がっているけれど、それは互いの世界がより近づいている時だけ。時間にすればほんの僅かなものでしかないのよ」
ただ、繋がりが欲しかっただけなんだと思う。
”彼”と自分とを繋ぐものがこの家なのだとそう思っていた。
だけど、そうではなくて。
「寂しかったのね、きっと。でもあの子たちはずっと同じ方向をみていた。どんな状況に遭ってでも」
ゆっくりと犬の頭を撫でる。
白くふわふわとした毛並みの間に指を這わす。
そこに確かな温もりを感じる。
「だからわたしは、自分からドアを開けて外へ出ることができたの。この家……今は少し形が変わっているようだけれど、”青いドアの家”から」
オオモト様は玄関に立って、その青いドアを見つめる。
──青いドアの家。
蛍と燐がこの家に付けた名前だった。
空と同じ色のドアが目に付いたからだろう。
単純だけど、でも、とても良い名前だと思う。
この世界にぴったりな。
存在も意味もないと思っていた場所に彩のある花が咲いたみたいに。
「だからこそ、この世界は在るのね。一度壊れてしまったものはもう元には戻らない。だけど想いが消えることはなかったから」
流れてしまったものはもう元には戻らない。
けれど、作り直すことはできる。
たった一つの願いの欠片だったとしても。
この世界を必要としているのなら。
「行きましょうか」
そっとそう告げると、オオモト様はゆっくりと立ち上がった。
白い犬も当然とばかりにそのあとをついていく。
誰もいなくなったリビングの方を振り返らずに玄関のドアを回した。
がちゃり。
ドアが開かれて、眩い光が中へと入り込んでくる。
眩しさに目を細めながら外の世界に目を凝らす。
「……」
青い扉を開けた先に広がるのは、澄み渡った青い空と白い大地。
どこまでも続く線路の横には、誰も待っていない無人のプラットフォームがあるだけ。
だが、今は違って。
「随分と遅かったクマね」
静かな足取りでプラットフォームの方へと向かうと、早速声が掛けられる。
先程の二人がホームで立っていた。
「全く、くまはせっかちですねぇ。まだ全然時間はたってないですよ」
その横で河童はやれやれと苦笑いしている。
「電車がいつ来るか分からないんだから仕方ないじゃん。時刻表もないんだし」
「そんな事を言って、本当は、座敷童ちゃんが来てくれるか心配だったのでしょう」
「なっ、そんなわけあるかクマっ!」
オオモト様はきょとんとした顔で二人のやりとりを見つめていた。
「そういえばサトくんは?」
誤魔化すかのようにくまはきょろきょろと辺りを見渡す。
「あの子なら、ほら」
サトくんは後ろ足を使って器用に玄関のドアを閉めると、こちらに向かって駆け出していた。
「留守にしちゃってもいいんですか? あの家ってあなたにとって大事な場所なのでは」
「ええ、そうね」
少し気遣うような河童の問いに、オオモト様は少しはにかんで答える。
「わたしは一度あの家を出てしまったから。今の”青いドアの家”は燐と蛍のものなのよ」
「……」
くまは何も言わずにオオモト様を見つめた。
「それでもあの子たちの傍にいたいから。何の役にも立たないかもしれないけど」
それがわたしが今いる意味なのだろう。
死ぬことも生きることもなく、ただ漂っているだけの存在だったわたしの。
(終わってしまったと思っていたのは、わたしだけだったのかもしれない……)
忘れていた感情のうねりのようなものが、胸中で渦を巻いていく。
止まっていた時計の針がゆっくりと動き出すように。
何かが起こる予感がした。
どういう事象になるのかはまだ分からないけれど。
(待っていてもなにも変わらない事が分かったから……だからここに来たのね)
来るかどうかわからない列車をずっとホームで待つことなっても、ぜんぜん気にならない。
まるで、初めて血が通ったのを実感できたみたいに、手や足が全身が暖かい。
夏のとびらを開けたみたいに、晴れやかな気分だった。
「あれっ、もしやこれは……?」
二人の様子を見守っていた河童がそう小さく叫ぶと、すんすんと鼻を鳴らす。
くまは鼻を指でつまむと、嫌悪の表情を向ける。
「ボクは何もしてないぞっ。お前が自分でやったんだろっ!」
一体、何を言っているのか。
訳が分からず疑問の顔となったが。
「いや、そう言う事じゃなくってですね」
「じゃあ、どーゆう事だよ」
あきれたように言う河童にくまはすぐさま反論する。
「やっぱりこの匂い……くまには分かりませんかねぇ」
「匂いだって?」
くまが不思議そうに首を傾げた時だった。何かがぴんとおでこをはじいたのは。
何かと思い、手のひらを額に当てた。
するとそこがじっとりと濡れている。
「え、もしかして、これって、雨クマか!?」
すぐに空を振り仰ぐも、そこに雨雲のようなものは浮かんではなく、茫洋と青い空が広がっているだけ。
それなのに、しとしとと雨は空から降ってくる。
透明な雫たちは少女達とプラットフォームに小さな水跡をつぎつぎとつけていく。
初めは驚いたくまだったが、それがなんてことない雨だとわかると振り向いて苦笑いする。
「良かったじゃないか河童! これなら”お皿”が乾くことないじゃん」
そう言ってけらけらと笑っていた。
「あのですねぇ……」
獣人ごときに侮辱された。
そう思ったのか、河童の少女はむくれた顔となる。
だが、ざあざあと降ってくる雨を見て、訝し気な表情となっていた。
「何か、これおかしくないですか? 天気雨じたいはそこまで珍しいものではないのですが」
「……?」
「ほら、この雨って全然冷たくないですよ。それに落ちてくる挙動だってどこか変なんです」
そう言って少女は空を振り仰ぐ。
くまも空を見上げた。
雨は確かに空から降ってくるが、やはり雲はどこにもない。
そのせいで髪と服は濡れてしまってはいるが、それが冷たいと感じることは確かになかったのだ。
それどころか
それが真っ青な空からゆらゆらと落ちてくる。
まるで、一粒一粒が何らかの意思をもっているかのように、雪のようなふわふわと柔らかい動きで。
水の原子に形を与えるとしたらこういう事になるのだろうか。
「まさか、温泉とかじゃないよなぁ」
「そういうのではないような」
「そうクマか?」
いつもの癖なのか、くまはおもむろに濡れた指先を口に入れ、ぺろりと舐めた。
なぜかそれを真似したサトくんも、天に向かって口を大きく開けていた。
だが。
「何の味もないクマぁ……」
「くぅん」
ほんとうに不味そうなものを口にしたみたいに、しかめっ面をするくまとサトくん。
河童は、ほとほと呆れ返ってしまって大きな溜め息を漏らしていた。
しとしとと降りしきる、細い雨。
止む気配はみせずに、緩やかに空から落ちてくる。
きらきらと光を纏って落ちてくる様子はとても綺麗なのだけれど。
「……」
オオモト様は身じろぎもせずに全身に雨を受けていた。
身体がすっぽりと濡れそぼっていても気にすることなく、ただ一点をホームで見つめ続けていた。
「な、何の音だ……!?」
線路の向こう側から不意に何かの機械的な音がして、三人と一匹は一斉にそちらを振り向いた。
「これって、踏切の警報音じゃないですか? カンカンと鳴っていますし」
「踏切って……そんなのどこにあるんだって」
「でも、音は鳴ってますけど!?」
ホームや線路の周りをどんなに見渡してみても、どこにも踏切などはない。
なのに警報音はかんかんと鳴り続けている。
かんかんかんかん。
かんかんかんかん。
何もない線路から聞こえてくるその音は鳴りやむことなく、むしろどんどんと大きくなっているように聞こえた。
直接脳髄から音を流し込まれているみたいに。
「あれは」
くまと河童は困惑と焦燥の混じった顔で立ちつくす。
白い犬はプラットフォームをぐるぐると回りながら威嚇でもするようにわんわんと吠えまわっている。
そんな中、黒髪の座敷童の少女だけは、変わらないそのままの表情で線路のその先をつぶさに見つめていた。
しとしとと降り続く雨のヴェールの向こう側で、こちらへ向かってくるゆらりと大きな青い影が見えた。
……
……
……
またしてもマウスが壊れてしまったようなので、保証期間ということ同型の新品のマウスを送ってもらうことにー。
で、それが先日届いたわけなのですが……若干もにょっとするっていうか、もう壊れちゃうのかって思いの方が強くて、新品を送られてもそんなに嬉しくはないといいますか……まあ、マウスは消耗品なのだから仕方がないんでしょうけれどもー。
それで、新しいマウスが届くまでの間、前に使っていた有線マウスをまた使いだしたのですが……やっぱり使い勝手が悪いーー!!! このままだとヤバいと思い、試しにと評判が割と良さげな感じの100均のゲーミングマウスパッドを敷いてみたら……ものすごく使い勝手が良くなってビックリでした。
こんな200円ぽっちのもので、ここまで使い勝手が変わるなんて思わなかったですねえ。開封したときはあまりにもデカくて置き場がーとか思ったのですけど、大きさの割にパッドがずれないのも良くて、はみ出しの心配もなくていい感じです。
去年の年末は忙しかったーとかではなかったような気がするのですけれど、あっという間に年が明けてしまってもう、2026年の2月になってますよ~~!!! 早すぎて何もかもがついていかない印象ですねー。
既に2月に突入してしまって、大幅に遅れてしまいましたが、明けましておめでとうございます。
それではではでは。
▪追記~。
3月9日まで”青い空のカミュ”DL版が83%OFFの1500円のセール価格となっておりますー。
そんなに長い期間はないのですが、大幅値下げしているこのチャンスに購入を検討してみるのもいいかもしれないですねー。